はてなキーワード: ソーシャルとは
某ソシャゲ屋。
圧倒的に絵師が足りません。
沢山なり手が来る。一体どこでウチみたいな弱小携帯ゲーム屋を見つけたんだというくらい、なり手が来る。
全部志望メールでお祈りしてるが。
ふとつは、圧倒的に実力過剰。
前者は、言うまでもなく、絵の基礎すらやってなさそうなレベル。
持ってくる(見せてくる)絵は大体どこかのイラストのパクり。それも有名ゲームの。
絵師が足りんと言ってるくせに何を条件つけて人選んでんだ何様じゃボケがと言われるだろうが、
こちらとて、平気でパクりをやってくるような、しかもそれを志望の段階で堂々とやってくるような人間を
ソーシャルゲーム屋で、ソーシャルゲームを作ってる人が見て、あ、これ●●●のパクりっぽくね?と見抜かれるような題材をパクらないで欲しい。
舐めてんのかゴルァという気持ちと同時に、そこまで俺らって舐められてんのかと悲しくなってくる。
そして後者。
元イラストレータ、元漫画家のアシ、美大出てデザイナーやってました、美術の先生やってました、果てはなんとかっていう芸術展で入賞した芸術家(だったかな?)、
こういう人がけっこうな数で志望してくる。
一体どこで弊社のような、あなた方のお耳に届きそうもない泡沫な会社を聞きつけてきたのでしょうか?
そして持ってくる作品は(半分くらいアナログ作品)・・・いやあ、さすがですなあ、という素晴らしい芸術作品。デッサン群。ポートフォリオと呼ばれるらしい一連の作品紹介ケース(と言うのだろうか?)。
あの、そこまでスゴイ腕をお持ちなら、何もウチみたいなとこで雇われ人やらないで、フリーでやってもいいんじゃないんですか?というか、ほぼ似た様なタイトルばっかりになったソーシャルゲーのイラストなんかやらないで、もっといい仕事、例えば肖像画とかそういうのでも描けばもっと金も貰えるだろうし格式高そうだし、何も好き好んでノンクレジットなソーシャルゲーの絵師なんかならなくとも・・・・・・
すげえわがままだなあ、と言われそうだが、ウチは「従業員」が欲しいので、自称絵の大先生やスゴイ作家さんに居て欲しいわけじゃないんですよ。前者はともかく後者はミスマッチでお互い不快な思いして辞められる、なんて事になりかねないし。
ちょうどいい中間が欲しいわけよ。
目の前でちゃんとした絵をパッパッパって描いてくれそうな、まともな社会人経験者が。
上手いに越したこと無いが、それなりに上手ければいいですから。つーか絵だけやらせるわけでもないし。
そういう人ってどこかいませんかね?
出来るのならそれはどんな形だろうか。
パソコン通信、NiftyServe、ニーパッパ−、テレホマン。これらのいわゆるインターネット黎明期を辿って今でもネットでコミュニケーションを活発にとっている人間はそれを「卒業」するべきかそうでないか。「俺mixiのID5桁だぜ!」を「大したことねーな」と思う人間達はネットから退いて、そういったソーシャルネイティブに譲るべきなのか。紛れもなくソーシャルネットワークを自分よりも使いこなしているのは彼らである。
前田敦子になるか、篠田麻里子になるか。指原のように左遷される前に覚悟を決めるべきネット古参たちは今日もインターネットに居る。
感じて頑張ったのに気がついたら出会い系アプリの管理してましたという
ソーシャルメディアの可能性を信じて、
新たな仕事をしようとした。
従来のパラダイムの枠を超えたところで、
情報のクラスター、小規模だけれども楽しく有意義なコンテンツが
流れ込む仕組みを作ることで世の中を楽しくする仕事がしたいと思った。
その想いは今も変わることはないが、功を焦りすぎたのだろうか、
ソーシャル上のプラットフォームで使う出会い系アプリなどという
今にして振り返ればソーシャルメディア事業に全面的に
舵を切るという会社の方針は、一時の気まぐれの方針転換でしかなかった。
もちろんそれは私は努力することでいくらでも補強できたことで
まぁ「お互いの顔と実名が見えるSNSで身元確認もバッチリ!これまでにない
安心感でセフレを見つけられるアプリです!!」ぐらいに振り切れたら
相当話題になったかもしれんが。
ただ、なぜ関係者全員が二の足を踏みながら、世間をはばかるような
態度で開発を進めるようなアプリに手をださなくてはいけなかったのか。
理由は至ってシンプルで単に何百万というカネが入ってくるからである。
上司は必竟ソーシャルメディアがビジネスをドライブする力になるとは
信じていなかったし、社員は相変わらず受託開発のスタンスで働く人達なので、
もちろんそれはビジネスの基本だ。
いけない仕事などあるのか。カネなんかと引き換えで
そんな事に手を出せるのか、恥ずかしくないのかと。
なぜ社員が、年間の工数のおよそ5割程度を割いて一生懸命に作ったアプリを敬遠される。
「かなり斬新なアイディアで作ったけど、結局は出会い系、、うわーキツいわー」
みたいな雰囲気を作られて非協力的な態度を示されたら、
一緒に頑張った私とプログラマーは実に悲しい思いをする。
思い切って突き抜けてコンセプトを強烈に打ち出してしまえば、
こんな後ろめたい思いはしないだろうに、なぜそれができないのか。
なぜ血反吐はく想いで作り込んだアプリを堂々と世間にだしてやる事ができないのか。
マジでなえる。今でも思い出すと気持ち悪くなる。
乗せられていない。発注もとの実績にも乗せられていない。
こういう仕事がしたい。こういう事をしているんだぜ!と
家族、恋人、友人にアツくはなせるような仕事とかけ離れていたからだ。
だが上司にとってはそんなことはどうでもいいのだ。
結局売り上げが入ってくればどんな仕事でも受けるのがこの会社の
零細企業には入っていなかった。
私も甘かった。人の本質を見抜く力が足りなかったのだ。
会社としての思い切った方針転換も、流行にのっかるだけの気まぐれ
でしかなかった。
まぁ、それでも私は自分の想いをあきらめずに仕事を頑張って来た。
そのせいで体にガタが来て、上述の通り心も痛んでいたのでうつ病になってしまった。
正直、肉体的な疲労だけなら気合いで乗り越えられたと思う。
でも私が結局この会社から売上を取ってくるだけの要員という側面でしか
評価されない事に気づいて、なんだか悲しくなったし、どうせうつ病から
回復して復帰したところで前と同じように終電まで働く事になるのは明らかだ。
だからやめた。
こういう封に考えたのは理由がちゃんと理由がある。
今まで毎日終電近くまで働いてサービス残業時間なんて月80時間ぐらいのレベルだったのに、
制作や開発でさらに売上を取っていけという数値目標をだされたからた。
私も負けず嫌いな所があるのでそうやって吹っかけられるとついつい
突っ走る傾向があるのだが、現実的にはその目標を実現するには売上単価を
考慮するとどう考えても毎日深夜3時ぐらいまで作業しないと到達できない。
急性結膜炎とかになって、ある日布団の中でぽっくり逝くこと請け合い。
だいたい労働の生産性なんてさ、経済学をちょっとかじった人ならすぐイメージできると
思うけど、投入量を増やせば増やすほど効果は逓減していくものなの。
そんな事も考慮しないでとにかく生産性を挙げて仕事しろの一点張りじゃ部下はついてこねーよ。
もう既に毎日深夜まで作業してヘトヘトの状態で頑張ってんだよ。
だから私は体調が回復した今でもその会社に戻る気にはなれなかった。
自分の想いとぴったり合致した案件なんて「はぐれメタル」と会うぐらいレアな
もんだという現実も知っているし、甘えに甘えた発言だということは理解できる。
だがそれでも言わせてほしい。言うからには煉獄の炎で焼かれる覚悟だ。
コロコロ方針転換ばっかでカネカネうるさい奴らのために自分の人生を使うのは嫌だ。
ココまでの事を要約すると、こういうことだ。
・生活保護やら在日韓国・朝鮮人やらを叩いて溜飲を下げる書き込みばかりをまとめたどうしようもないサイトになっていた
これなんでこうなったかといえば、アクセス数がそのまま現金にかわるエコシステムが出来てしまったからなんだよね。
・ソーシャルではないネットって、もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々のためのものになってしまったんだなあ
というわけで、”もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々のためのもの”というよりも、”金のためならなにをやっても問題ないと考えるひとのもの”になったという感想。確かに、”もはや他人を見下さないと自我を保てない可哀想な人々”を相手にはしてるけど、結局のところ、そういう人々からアテンションを搾取してるわけで、そういう人々が支配してるわけではないように見えるんだな。
これらをする人は必ず理由として「ソーシャルによる可視化が怖くなった」を挙げる。「見たくない話題があるから」「名前を聞くだけで気分を害す人物(そしてその関係者)がいるから」「我慢していたけれど私はそれでずっと傷付いていたから」。
つまり、自分が害を受けているのをインフラのせいにしている。まるでそれはいじめられっ子が「僕がいじめにあっているのは、義務教育という仕組で、画一化された不特定多数の人間が学校という空間に押し込められたから」と叫んでいるようなものだ。悪いのは仕組みではなく、いじめっ子だ。だが、いじめられっ子は基本的にどんなに悪い人間がいても「いじめるヤツが悪い!私をいじめているヤツは●●と××だ!」とは叫ばない。根本的な原因を明るみに出そうとしない。なぜかそれが出来るのは自分で命を絶つ時ぐらいだ。これでは「(いじめる側はもちろん悪いが)いじめられている方も悪い」と言われても仕方が無い。
そういった弱い人間はいる。それも仕方が無いし現実である。ただ、ソーシャルでそういった宣言をして自己保身をしようとする人はなぜか、本人としては弱いつもりがない。何が悪かったのか本質を見ていない。
結局の所、それはお前が悪かったのだ。お前の使い方が悪かったのだ。ネットの使い方を分かっていなかったのだ。自由で広大なスペースでは君は生きられなかったのだ。もっと閉じられた世界や、制限だらけの世界でしか本当は生きられないのだ。そしてそれは日本人の国民性であるとも言える。島国在住の君はそれが普通だ。
それならそれでいい。「私の今までの使い方が間違っていましたのでこれからの使い方を変えます」と。それだけでいい。だがそれは、本来は恥ずべきことだ。例えば、小さい頃から箸の持ち方を本気で間違えていた人間が大人になってから箸の持ち方を矯正する。おそらくそれは恥ずかしく思って矯正するのだ。恥ずかしいことなのにそれを全世界に向けて「私は今まで間違ってました!直します!応援してね!」などとは言わない。密かに、厳かに、なるべく誰にも気付かれないように矯正するだろう。そしてそれも日本人の国民性だったはずだ。なぜか君は普通ではない。そして「自分が悪かった」のに「インフラが悪い」せいにするなどとは本当に恥の上塗りである。陥没乳首のペチャパイで、ウエストがバストより大きくて、大陰唇が水着からはみ出すような、そんなブスはおそらくヌーディストビーチには行かないだろう?
その上さらに「本当は繋がっておきたい人もいるのですが」などという追伸まで付けていたりする。八方美人とはまさにこの事だ。この追伸はもちろん、本当にそう思ってる人に対してであろうが、例えば後から、自分が嫌だと思っていた人間や話題を克服した時にも使える。「(昔は死ぬほど嫌いだったしお前のせいで友達削除したんだけど)●●さんとは繋がっておきたかったんですよ!」と踵を返すことができる。万が一の時の回避策だ。日本という狭い島国で狭いコミュニティで生きる人間としては良い施策であろうと思う。それはまぁ良い。理解は出来る。
八方美人はいずれ破綻する。特に、まさに不特定多数の人間と一瞬で繋がれるネットでは破綻が早い。ただそれを「ネットのせい」にしてはいけない。その場所に合わせた振る舞いが出来なかった自分が悪いのだ。そしてそれは恥ずかしい事だ。色々ひっくるめて、はっきり一言で言ってしまえば「ネット向いてない」となる。
お前は弱い。弱いんだ。それをはっきり受け入れるべきだ。それを真に受け入れたのなら、とらないといけない行動は、八方美人という皮を被ることじゃないだろう。それは問題解決を先送りしているだけだ。受け入れていない。結局、同じ問題で永遠に悩む。
解決しなければならない問題とは、一体なんだったんだろうか。
「で、きみのやりたいことは何なの?」
わたしが就活生だと言うと、まるで世界中のひとが帳尻を合わせてるんじゃないかって程に、こう聞いてくる。バイト先のお客さんも、友達も、恋人も、面接官も、わたしをとりまく世界中のひとみんなだ。わたしはその質問に閉口して、絶望して、「んーよくわからないんですよね」と口に出すたびに泣きそうになる。ほとんど泣いている。それでも、泣いたら変なので、泣かない。
やりたいことなんてわからないし、だからと言って口先だけの嘘もつけない。インターネット越しに、なんとなく興味があるかな?という企業にエントリーをする。説明会を聞きに行って、なんとなくいい感じかも?と思う。OB訪問をする。数時間かけてこしらえたエントリーシートを出す。面接をする。もちろん会社は素敵なのだ。業績とか人とかサービスとかビジョンとか、そういうの。一緒に働けたら、わたしも頑張れるだろうなと思う。だけど、わたし個人にやりたいことがなければ、働く理由や目的を他人に依存していては、だめらしい。気持ちの入りかたが違うから、「御社」の当事者になりきれないみたいだ。それでも、嘘とも本当ともつかない回答を、わたしは面接官にプレゼントしなければいけない。
やりたいことなんて無いのが当たり前なんだから、と優しいなぐさめをしてくれる人がいる。それでも、経験と論理と情熱に裏立てられた「やりたいこと」が無いと、わたしは働くことができない。
小さなことでもいいから、やりたいことを100個リストにしてみた。30個くらいで一旦手が止まったけど、なんとかひねり出すことができた。よかった。人に見せた。「行きたいところいっぱいあるね、どうしてここに行きたいの?」と聞かれた。ヨーロッパのきれいな街並み見たいとか、きつね村に行きたいとか、そこには書いてあった。「あ、なんか友達が行きたいって言ってたから・・・」と答えると、「そうかあ、それはきみが本当に行きたいところなの?」と聞かれた。途端に、分からなくなった。行けたら嬉しいかもしれないけど、別にどうしても行きたいわけじゃない。だってわたしは飛行機に乗ったことがないし、旅行もほとんどしたことないから楽しさなんて知らないし。だから、お金をためる気も、プランを考えるやる気も出ないし。他の項目も、「それ本当にやりたいの?」って問いかけたら、どんどん消えていった。それでも、わたしは、「本当にきみ自身がやりたいことをリストアップ」しなければいけない。
決して世の中に無関心なわけではない。ソーシャル系のイベントもよく行くし、ひと月でいろんな人に出会うし出会おうとしているし、本だって週に1〜2冊は読むし、おしゃれだって好きだし、音楽も漫画もインターネットも消費するし。大学は二流の私立に通っていて、友達も多くはないけれど好きなひとたちに囲まれているし、刺激的ではないけれど、それなりにゆるい幸せがだらっと続いている。それでも、人生の目的なんてまるきり無い。
やりたいことがない、なんていう弱音の、すべての原因は自分にあることは分かっている。理屈では。飛行機乗ったことないなら乗ればいいじゃない、写真でも撮ってみればいいじゃない。とりあえず何でもいいから、できることからやってみればいいじゃない、と人は言う。プログラミングをやってみればいいのか、英語を学んでみればいいのか、文章を書いてみればいいのか、「とりあえず」で始めたことを、果たして続けることはできるのか。わたしは、何も続かなかった。それでも、「そんなこと言ってないで」、わたしは武器を身につけなければいけない。
今まで、与えられたことしかやってこなかった。つねに目の前にはやるべきことがあった。習うべきピアノがあり、取るべきテストの点数があり、歌うべき合唱コンクールがあり、演じるべき文化祭があり、いっしょに努力すべき仲間がいて、入るべき高校があり、入るべき大学があった。それを淡々とこなしていれば、それなりに日々は充実していて、それが生きがいだと思っていた。思い込んでいたの間違いかもしれないが、すくなくとも安心はしていた。こなすべきことたちが、目の前にいてくれることに。それを順々に片付けさえすれば、評価してくれる他者がいることに。21年間そうやって生きてきた。それでも、その考えかたを、根本的に、変えなければいけないタイミングらしい。
誰のためでもなく自分のために生きる。評価軸は他人では無く自分が持つ。そう考えるとしあわせになれるらしい、よく分からないけど、なんとなく、そういう時代らしい。でもわたしはそれにどうしてもとまどってしまう(みんながそうか)。「"自分のために"ってある意味ではとても利己的だよね」とかそういう理由ではない。ただ単純にそれは大変な作業なのだ。自分の頭のなかで考えることが何倍にも増える。正解不正解も分からなく、将来誰のことをしあわせにしてあげられるかも分からない。ひとの顔色をうかがいつづけて、他者の目標のために、生きてきたわたしにとってそれは、「強すぎる」生き方なのだ。
そんな強い生き方をしている人たちが言う。わたしがここ数ヶ月のあいだに出会い、素敵だ、と思ったひとたち。解放された、自由な人生は、ほんとうに楽しいものなのだと。彼らの目には、初めて見るようなエネルギーがあり、言葉には力が宿っていて、欺瞞が無く、周りのひとたちを、いるだけで一つ上の段階にひっぱりあげてくれるような、そんな力がある。あのひとたちみたいになりたいと、わたしは間違いなく思っている。間違いなく。
週末に知り合いと飲み屋で飲んでいたら、その中にこんな論を展開する人がいて「え?なんで?」と思って深く掘り下げて聞いたら納得がいった話。
この論を展開した彼は、ネット上では比較的アイデンティティを確立しており、自分とは一切関係ない人間や、あるときは不特定多数への否定をいつも繰り返していて、ほとんど誰かの意見に同意するのは見たことが無い人物。その上、たまにツイッターでデマなどを流して人間観察を楽しんでいたりもする、・・・が、最近ツイッターは辞めてしまったそうだ。この論を聞いたあとには「辞めたのはもったいない」と思わされてしまった。一応、酔っ払っていたが彼は「ネットに書いてもいいよ」と言っていたので増田に綴る。
クローズドな場所ではなく、完全匿名でもなく、インターネット上で一個人同士が固有のIDを持ってコミュニケーションする場所のこと。ツイッターで言うと鍵垢ではない状態のこと。ミクシィやフェイスブックは閉じている場所として考えるので今回は登場しない。以下「ソーシャル」。
これは最初に聞いた時は「いやいや・・・」と思ったが、ここでは同意した側同意された側ではなく、それを観測している第三者からの視点を考慮する。「見られている」状態。通常誰でも「この人が言ったから」ではなく、「この発言のここに同意」という文脈で同意しているはず。だが、たまたま2度以上、続けてでなくても時間が空いたとしても、同じ人に同意した場合、観測者からすると「この人はこの人の事が好きなのかな」となる。「東原亜希が、同じものを、間隔空けたとしても、2度以上ブログ書いたらそれ死ぬと思うっしょ」と彼は洋酒を喉に流し込みながら言っていた。
一人の人に対してこの隷属状態がたくさんある状態の事を、彼曰く「口語で言うと、なんたら界隈ってやつ」。実のところ何にも繋がってない。なのに「界隈」が出来る。不思議な状態。そしてこの「なんたら界隈」は、そのなんたらがソーシャル上で大きなミスをすると「ほら、あの界隈やっぱダメだ」とグループ化して観測者から批難されてしまう。これは自分としては全く望んでいない状況であるし、なんたらさんからしても全く意味不明であるし、完全に誰も得しない、という論。
ツイッターには「お気に入り」機能があって、それを同意などの際に使っている人間達を英語favoriteから「ふぁぼクラスタ」と呼ぶらしい。これも他者のものを観測しようと思えばできるのだが、少し面倒臭いので、これを上手く使ってる人が多いそう。まったく使ったことが無く吃驚した。だが確かにその微妙なところを埋めるツールとしては非常に便利だと感じた。
誰かに同意をしたいときは必ず何かしら逃げ道を用意する。「普段はこの人の言ってる事理解できないけど、」という書き出しや、同意したあとに「・・・だけど、」と続けて否定をする。そうすると「隷属感」が薄まるんだそうだ。
同意は同意の連鎖を生む。建設的というのはそれをより良くするという意味。否定なしにより良くはならない。同意に対しての否定はなかなか生まれづらい。特にソーシャルでは、Aさんに同意しているBさんに「Aさんの言う事は間違ってる」というのは完全に余計なお世話となる。彼曰く「松屋は人間の食い物じゃ無い、なんて、松屋好きな人にわざわざ言わないでしょう」。
そもそも好意からの否定は、その人に隷属したい場合が多いのではないだろうか。本当にそれを良くしたいと思っているパターンではないだろうか。それならある程度隷属している状態として見られるのは、「同意」からの隷属感よりも健全と考える。
否定は否定の連鎖を生む。全てが建設的なものであれば良いが、ソーシャルではなかなかそうは行かない。学費支援の素敵な話をしてると思ったら、気がついたらアルファブロガーの肉便器のサイゼリヤの小エビのカクテルサラダの話になっている。彼は「それはそれで面白い、話が膨らんでるんだよ」というが、膨らむだけでならまだしも、悪意を持った否定は「宗教的な敵意」を生む、それは良くないと私は考えた。彼にそう話すと「そうだね、でも、僕はまさにそれをクラスタって言うと思うよ」と言われた。確かに考えてみれば「伴侶を選ぶ際には共通した好きなものが多い人よりも、共通した嫌いなものが多い人のほうが上手くいく」とはよく言う。
この問題について書くつもりはなかったけど、佐々木氏のあの記事をみんなが読み違えてると思ったので一応書くね。
佐々木氏のこの記事はみんな読んだかな。
https://www.facebook.com/sasaki.toshinao/posts/10150927913787044
これについて、
http://anond.hatelabo.jp/20120526192735
こんな感じを代表として批判が出ている。
この人は内容としては分かる部分があると言ってるけども
http://d.hatena.ne.jp/Lhankor_Mhy/20120526
これなんてひどい読み違い。
佐々木氏は、「個人間の取引のことだから詐欺があったら個人間でなんとかしてね」みたいなことを言ってるんじゃないわけ。
多分この人は、詐欺以前の話をしているよ。
思い出して。Studygiftが騒がれ出したときは、対象者や説明内容に問題があることはまだ分かっていなかった。でも、既に叩きは始まってた。
彼らの主張はこう。
・こんなもんのどこがセーフティーネット? 網? 一本釣りだろ?
・こういうことを見えるところでやってくれるな
・まじめにセーフティーネットを作ってる人が可哀想
こんな感じ。だったでしょ。ちなみに家入氏が「何を謝罪すれば良いのか分からん」みたいな発言をしていたのもこの頃だよね。
で、佐々木氏の記事ってのは、これに対する反論なので、なんつーか、どうかほかの読み方をしてくれるなと思いました。
僕としては、これの反論としてはすごく良いひとつの意見を言ってると思ったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20120527075902
でね、今問題になってるのは、Studygift個別の問題、表記の問題や、出てた人が退学してたとか、そういうまあ詐欺と言われても仕方の無い部分で、そこでみんなが怒ってる、それは分かるんだわ。よくないね! よくないねボタンがあったら100回押すよ。
でもね、僕は忘れてないよ。内容おかしくね? という声が上がるまえから、このStudygiftは叩かれていたんだ。今とは別の理由で。
だから、内容不備発覚以前と以後で、章を分けなければいけない。
佐々木氏は、おそらく分かってやってるんだけど、内容不備発覚以前の話をしている。僕は、これも仕方ないと思うよ。だって、発覚以後の話って、議論する必要ないもの。悪いし。だからスタッフだって謝罪したんでしょう。
もうその話はいいわ。僕。みんなもおなかいっぱいだと思うし、そろそろPV稼げないと思うよ、乞食のみなさん。
それよりもね、その、あれだ。僕は例えばこういう話を聞きたいわけ。
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20120527/1338104154
「学生が顔と名前をWebに晒して学費援助を募るシステム」は成立するかどうか問題。
もっと一般論で、「ソーシャルを使ってセーフティー"釣り"」というシステムはありなのか、みたいなとこ。
僕はもともとありだと思ってた。
僕がずっと思ってたのは、最近えらくリバタリアンが多いくせに、セーフティーネットみたいな話になるととたんに左翼っぽいこと言うんだなーということ。
良くあるのが、例えば貧困層とか立場の弱い人に対する自立方法を説くときに、なんか案が出ると「それは全員にことではないから」と言う人ね。全員を公平に救うことができないとセーフティーネットじゃねえ! というわけだ(ちなみにこれが佐々木氏の言う「社会包摂」みたいなやつだと思われる。違うの?)。
でもね、救えるだけ救えば良いじゃん、みたいな考えもあるわけじゃないですか。全員を救おうとするから進まないこともある(Studygiftはなんと1人に絞ってきて、しかも、自分を商品にしてきた)。これを、救いたい人が救う。佐々木氏が個別包摂と言われてるやつですよね。まあ、誰も損しないしいいんじゃねえの。と個人的には思っていたんだけど……。
ただまあ、今回の惨劇やら
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20120527/1338104154
これみていろいろ考えるところがあったんだけども。
あとは、個人的には良いと思ってるんだけど、みんなが良いと思ってるわけではないことが分かったので、佐々木氏のいうとおり、個人が個人を救う感じのつながりは増えていくよねっていう話が成り立つかどうかは、「ソーシャルを使ったセーフティー釣り」がみんなニコニコの状態で成立するのかどうかにかかっていて、僕はそこはまだ分からない。Studygiftのような直球だと問題はありそうで、じゃあシステムデザインを変えればみんなニコニコできる方法があるのかな、など。考える。
一週間経ってもStudygift騒動が終わらない。終わらないどころか男女の仲がきっかけとか、どんどんと醜悪な事が発覚してて悲しくなってくる。
僕は家入さん界隈から出てくるサービスとか考え方が嫌いで嫌いでしょうがない。数年前からとことん嫌悪感を抱いている。Studygiftも家入発ということで視界に入れないようにしていたのだけれども、目を塞いでも耳から情報が入ってくるぐらい大騒動になってしまっている。
僕がなぜ家入さん界隈に毎度嫌悪感を抱くのだろうと考えてみたところ一定の結論に至ったので家入さんへの誹謗中傷にならない程度にあっさり書いておきたい。本当はもっとドロドロした感情を抱いているんだけど。
最近は猫も杓子も「ソーシャル」と連呼するようになったけども、そういう人達は大雑把に二種類にわけられると思うんだ。
まず一つ目は「ソーシャルに貢献し、活性化させ、価値を高め、そこから自分たちも利益を得る」タイプの人達。例えばこの人。
ソーシャル上にコミュニティを作り、ソーシャルそのものの価値を高めて、自分たちも大きくなろうという感じ。
普通に考えてさ、こういう発想じゃないと利益って得られないよね。それが当たり前だよね。だってさ、相手には何も与えないけど、自分たちだけ利益を得るなんて普通に考えたら辻褄が合わない。どこからその利益が生まれるんだよって話で。
で、僕が家入さん界隈から感じる嫌悪感ってのはそこなんだ。彼らはこういうタイプの人達だ。「ソーシャルは自分たちが気持ちよくなるための道具」だと思ってる人。言い換えると「ソーシャルに何も貢献しないし、何も与えず、そこから利益だけを貪り捕る」人。僕が家入さんに抱く嫌悪感はここに起因するんじゃないかと今回の騒動で確信した次第である。
Studygiftで彼らのやってることは、もちろん本人はそんな意図はこれっぽちも無いのだろうけど、結果的にはソーシャルに寄生してソーシャルを利用してるだけになってる。そこが嫌なんだ。徹夜で必死で努力してプラットフォーム作ってます!努力してます!世の中変えます!みたいな顔してるけども、それ違うと思うよ。そういうのソーシャルとは言わないよ。ただ利用して寄生してるだけじゃん。東京のオシャレな街のオシャレなカフェに集まってオシャレなハットを被った人達が夜な夜な「世界をもっとポジティブに変えちゃおうぜ!俺たちの手で☆」とか話し合っても何も変わらないと思うよ。むしろ今回の件で恐ろしくネガティブでマイナスな感情が日本の一部のソーシャルに当分消えない濃度でまき散らされちゃったけど、どうすんのさこれ。当分消えんよこれ。根が深すぎる。
マルチ商法とかネットワークビジネスとか、あるいは実態の無い投資ファンドで金集めとか、そういう類いと何ら変わりがないと思うのは僕だけか?胴元だけが得をする。他の人はみんなネガティブ状態でフィニッシュ。
もう止めなよ。いやStudygift自体は止めるんだろうけど、中の人はいつものように「障害を乗り越えて突き進む、ハイパーパトロンクリエイター家入が帰ってきました☆」みたいな空気感をまとってそのうち再登場するんだろう。もうやだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120524072355
元増田です。
朝に告知させていただいたので、その結果を報告します。
おぉ…!
時間をかけて、ひとまず100人行けばいいなーと考えてましたので、とても嬉しいです!!
おかげさまで、見向きもされず友人だけが何人か登録して、ただ僕が彼らに所得を晒す..というひどい事態だけは避けられました。
ここで返信させていただきます。
Oh..
だいぶ雰囲気と趣向が違うということで。。
みなさん捨てアドで使ってくれるかな、と思ったんですが、サービスの内容を考えたら捨てアドでもちょっと躊躇しますよね。。
なぜ匿名で公開したか、という話ですが、じつは最初は普通に名前出して公開する予定でした。
まあぜんぜん無名なんですが。
しかしここのところ、お金関連のサービスでもの凄い炎上してるのを見て腰が引けてしまったんですね。
たしかに、このサービス内容で匿名は怪し過ぎますね。。チキンですみません orz
今さら「わたしです」と名乗り出ても残念な感じなので、このまま運用させていただきます。
でも別にひた隠しにしたい訳でもないので、いつのまにか普通に名乗ってるかもしれませんw
なるほど。。宣伝やソーシャルで流行らせる為の仕組みが甘いということですね。
プログラミング経験数年のぼくが、飽きては放置、飽きては放置を繰り返し数ヶ月かけて作りました..orz
スクリーンキャプチャくらい貼ろうと思ってたが間に合わずサーセン..
いろいろあるんですが、現状はアウトプットが重すぎだなと感じてます。給与明細の投稿か、その投稿へのコメント。想像以上に重かったですね。
なので近々に、いいね!ボタンとドンマイ!ボタン。あとはつぶやきあたりを実装しようかと考えてます。
他にもまだまだ改善点は山積みですね。
ちょっと前に、消費者庁から「景品表示法に引っかかるだろコラ」と突っ込まれて、
いわゆる「コンプガチャ」ってのをやめていく流れになって、
新しいガチャは1回1000円。10種類のレアカードがランダムで出現し、すべてコンプリートするとさらにレアな限定カードが手に入る。
従来のコンプガチャと違うのは「出現するカードがダブらない」という点だ。つまり10回引けば必ずコンプリートが約束されている。
「ガチャだけど、ダブらなければセーフ!」
・・・いや、あのね、ダブるダブらないっていう問題じゃなくて、
「抽選(選べない)」かつ「絵合わせ」なルールがダメなんだっつーことぐらい、
僕秩ヨシナガさん、自身が想いを寄せる女性への寄付を募る目的でStudygiftを立ち上げたということでFA
この記事をみて、ちょっと大げさかな、と思ったけど、CNETの記事を読むと、事実にかなり近いといえるかも。
この記事を読むと、Studygiftの企画とは、
ヨシナガさんが坂口さんに、Google+に写真投稿するよう入れ知恵をして
彼女が有名になった後、彼女個人の学費を支援するために、一度はCamp fireに持ち込んだが、
ということで、studygift立ち上げ前から、ヨシナガさんには彼女を救いたいという気持ちがあったのは確定。
だから、あきらめずに、坂口さんを救うために、Sudy giftの企画を持込んでみた。
で、退学になっているのに、中退になりそうと表記して寄付をつのった。(キャプチャ)
恋愛云々はまだ断定できない。
だけど、親しい女性をGoogle+1位にした後、彼女個人を救う意図がまず最初にありきで、「ソーシャルで学費支援を」の大義名分の下でこの企画を持ち込んだ、くらいまでは言えそうよ。
だって、どうでもいい女性のために、普通、二度も企画を持ち込むかなぁって思ってしまうですよ。
それに、同じ時間に同じ場所を撮影した写真もあるみたいだし。(彼女の投稿)(ヨシナガさんの投稿)ヨシナガさんのキャプチャは重いから、消えてなければ、元記事を。
うん、偶然だよね、きっとそうに決まっている。
ええやん、感動するやん、素敵やん。
studygiftサポーターの皆様へ、現状 のご説明と返金についてお詫び
(このメールはサポーターに登録して下さった皆様にお送りしています。)
このたびは、studygiftにご賛同頂きありがとうございました。5/18をはじめ、活動報告にも書かせて頂いております通りhttp://studygift.net/report.php
坂口綾優さんの現在の状況について、サイト上でのご説明が極めて不十分だった点につきまして、
現段階でこちらで確認した内容を共有させて頂き希望するサポーターの皆さまからは支援の停止(全額ご返金)のご対応を行わせて頂ければと思いご連絡いたしました。
早稲田大学の学部事務所様ともお話をさせて頂いており、本メールのご連絡が遅くなりましたこともお詫びいたします。
・坂口さんは昨年、早稲田大学3年時、学費が払えず退学となっておりました。
(5/17時の「学校を続けられない状況」などの表記が、誤解を招く可能性があり申し訳ありません。)
・「学費の目処が立ち次第、学校には復学できる」という表記について、
一度停学になった場合の復帰は「復学」でなく「再入学」が正しいことが分かりました。こちらは我々の表記ミスでありお詫びいたします。
・3年時の退学において、学費の支払いは2年前期までであったことが分かりました。
そのため、2年生の後期も単位は取得しておりましたが、基本的に再入学時は2年の後期からやり直す形になります。料金未納の退学に関しては、このように学年が戻るという扱いになるとのことを学部事務所様に確認しました。
・早稲田大学の学則により、再入学は「退学後別に定める期間を経過し、改悛の情が顕著でありかつ成業の見込みがある場合には、選考の上これを許可することがある。」と決まっています。こちらは、学校により審議される形となり、学費が十分に集まった場合も、直ちに再入学できるのではなく、「改悛の情が顕著でありかつ成業の見込みがある場合」と学校に認めて頂く必要があります。
(再入学)
第47条の2 第44条または第45条の2第2号から第4号までの規定により退学した者が再入学を志望したときは、別に定める期間内に限り、選考の上これを許可することがある。ただし、退学した日の属する学期の翌学期の始めにおいてこれを許可することはできない。
2 第47条の規定により退学した者が再入学を志望したときは、これを許可しない。
ただし、退学後別に定める期間を経過し、改悛の情が顕著でありかつ成業の見込みがある場合には、選考の上これを許可することがある。
3 再入学を許可された者が退学または学費未納により抹籍となった場合、以後の再入学は認めない。ただし、特別の事情がある場合はこの限りではない。
4 第1項から前項までの規定により再入学を許可した場合においては、既修の科目の全部または一部を再び履修させることがある。
・学則により再入学の際、既修の科目の全部または一部を再び履修することがあります。そのため、何年次からのスタートになるのかは、現時点では未定となっています。
・再入学の時期については、現在11月に申し出を行い、1月に審議を行うと伺っております。
最短でも再入学の活動まで半年間の時間があるため、その期間にもニュースレターの配信を行うか?などは改めてご連絡させて頂きます。
・万が一再入学申請を行いそれが却下された場合、学費支援の観点から、サポーターの皆様には全額返金をさせて頂きます。
・今回募集させていただいた学費は1年分のものになっており、ニュースレターの配信、サポーター集会の開催は、1年を前提とさせて頂いた作りになっております。再入学した場合、4年生時の学費など、今回の範囲を超える部分に関してはその際に改めて発表させて頂きます。
以上のことより、studygiftでは、サポーター皆様の中より、希望される方全員からの全額返金(サポーター登録中止)を受け付けさせて頂きます。
お手数をおかけして大変恐縮ですが、
paypalに登録されているメールアドレスとお名前を表記して頂き、
まで【studygift返金処理について】の件名でご連絡を頂ければと思います。
お手数ですが、6月6日までにご連絡を頂ければ幸いです。
また、サービスの現状について共有させて頂きます。サポーター様からは、現在1件のお問い合わせを頂いており、ご迷惑をおかけしております。
まず、100パーセント達成後もサポーター様が増えたため、25パーセントは学生で稼ぐという前提が伝わりにくくなった観点に関してご説明いたします。
25%分は学生本人に稼いでもらう形は当初より変わっておりません。予算のオーバー分については支援者と協議をして、別の方に回す、学習に必要なものを買うなどを決定していきたいと考えております。(サポーター集会というイベントで支援して頂いた皆様と決定致します。)
次の支援学生につきましては、本件に伴う問題の解決後、改めて協議させて頂きたいと考えております。(現状では未定です)
今後も、引き続き対応させていただければと思いますので、何かございましたら、ご遠慮なく当アドレスまでご意見をお送りいただければと思います。
なお、坂口さんが再入学される場合の学費の目処がついていないのは事実であり、それに対する説明が極めて不十分であったことは我々のミスです。申し訳ありません。
しかし、再入学を希望する意思を支援したいという私たちの思いは変わっておりません。
どうぞよろしくお願い致します。
最後に、この度は大変なご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした。
いやぁ、ソーシャルって素晴らしいですね。
そして、ごめんこれだけは言わせて…ざまーみろ!
退学してたんだー。
それだとなんか話が違う気がする。
話が少しずれるけど、俺の家は少し貧しくて
両親も中卒なんだけど高校まではちゃんと行かせてくれたんだよね。工業高校だけどさ。
母親から「妹達もいるから大学には行かせられない」って言われて
もちろん奨学金で行きたかったけど、むしろ妹の分も働かなきゃいけなかったから
で、ばりばり働いて今は26歳で200人の会社で事業部長をやらせてもらって
たくさんの年下部下も出来たけど、
やっぱり「高卒」って大きくて苦労も多かった。
プレッシャーで駅で吐きまくったりした。
頑張れば色んな人が認めてくれたけど、
でも正直もっと勉強したかったし、本当は数学の教師になりたかった(今はこのままでいい)。
だからソーシャル上で、学ぶための寄付を募るのなんてすごく良いと思ったし
自分のようなのは嫌だから支援したいと思ったんだよね。少額だけどさ。
あー、なんだか悲しいなー。さびしーなー。
批判覚悟で言いたいことを先に言うと、
「貸す方と借りるほうが納得してるのに、部外者がグダグダ言うのは気持ち悪い」ってことだな。
それを言ったら消費者金融の問題もヤミ金の問題とかも全部問題なしになっちまうけどさ。
貸す側の責任とか、借りる側の責任とか、そういうのはそれぞれが負えばいい。
もともと、銀行業っていうのは、借りたい人間と貸したい人間を結びつける仕事、金を貸す相手の返済能力を査定する仕事だと思ってる。
銀行が企業の返済能力を査定することに関してどれだけ秀でてるかなんてのは、怪しい。
財務表の読み方くらいなら、そりゃ金融業が誕生したバビロンの時代ならとにかく、識字率が2割だった中世ならとにかく、そんなに特殊技能とは言えないし。
そもそも、そういうことに秀でていたら、不良債権を抱えたりしねぇ。
給料は銀行に貸して利息をもらって、銀行は企業に貸して、利息をもらって、っていうのはもう前時代的で、個人が好きなところ、信用してる会社、個人と好きに取引すればいい。
話が脱線したので戻るが、日本育英会がどれだけ学生の優秀さを判断できるかなんてものも怪しい。
そもそも、学生を値踏みする力があるなら、踏み倒されたりしねぇ。
A銀行の融資を切られたから、B銀行の融資を受けた、それとなにが違う?
育英会から資金を調達しようが、マネーの虎で資金を調達しようが、study giftとやらで調達しようが、なんで部外者が騒ぐのかね?
自分が金を出したわけでもないのに。
ソーシャルネットワークとかいうものが気持ち悪いと思ってる人間だから、google+で人気者ってのを俺は評価しないけど、
ソーシャルネットワークでもてはやされるのが気持ち悪いっていうことで言うなら、facebook上場と、公募価格で必死に買い支えるモルガン・スタンレーとゴールドマンサックスのほうがずっと気持ち悪い。
また話がズレた。
もう一回ふりだしに戻す。
あの騒ぎはただの嫉妬。
奨学金なんてのはオワコンで代替えのサービスが出てくるのは自明。
ってことだ。
とはいえ、炎上させた、加害者は嫉妬に狂ったバカだけど、炎上必至のシステムを作って、一人の人生を狂わせたのはちょっとひでぇなと思う。
study giftによる学費寄付要求で、「人生舐めてる」「留年は自業自得」「いや、ソーシャル時代の新しい資金支援だ。ぐだぐだ言うな」とか色々意見が交わされている。
けれども、そんな複雑な理屈を考えなくても、この女子大生を支援することに正義がないことはたった一言で表現できる。
これだけでいいよね。そして、これがある限り、どれだけ「ソーシャルだから!新しい時代だから!」「世の中には学費で困っている人がたくさんいる」とかいっても共感されないよ。
だってさ、生活保護を申請している人が、五体満足でバリバリ働けるのに「僕の条件に合う仕事がなくて、肉体労働とか嫌なんです。だから、支援して下さい」って言ってたら、それは叩かれるじゃない。彼女を擁護するのは、生活保護ニートを擁護するのと、かなり近くなる(稼げるのに、人に頼るという意味で)
なぜなら、功利主義的な視点で考えれば、社会的な資源はより必要なところに、効率的に分配されるのが正義にかなうからだ。
・知名度があり
・ファンが居て(Google+の57,000人のファン)
ならば、間違いなく一年間で100万円は稼げるよね。人の力を借りる必要がない。これを擁護するのは、職歴も十分で、健康で若い人がニートをやることを許容する議論と、何も変わらない。
だから、彼女に社会的な資源を分配するのは、合理的ではないと結論づけられる。
たとえば、誰かがコメントしていたけど、「このお金をアフリカに寄付したら、どれだけの子供の命が救えるのかな。たとえば、5000円でも、350人分の予防接種が用意できるよね。」って議論になるわけ。
寄付の「正義性」というのは、偏っている資源の合理的な再分配だよね。だから、このサービスには全く正義がない。なぜなら、既に存在しているパワーバランスを、より偏った方向に傾けているだけだから。
いっちゃえば、こうなるよね、
ネットで有名な人達が、簡単にお金を調達できるサービスだよ!応援してね!てへぺろ。
いやー、少なくてもおにいさんは共感できないっすわ。
僕がこの世から消し去りたいものは3つあります。ひとつは、核戦争、ふたつめは、魔族と人間のハーフである魔剣士グロチウスが主人公(必殺技は真・蛇殺円月刃↓\→↓\→AB)の冒険譚を書き綴った僕の黒歴史ノート、みっつめが、ソーシャル物乞いをする女子大生です。
Google+で日本一のフォロワーを持つ女子大生、坂口さんが炎上しています。ネットのやりすぎと、海外留学で早稲田大学の単位を落として、留年をするための費用を、ソーシャルネットワークstudy giftを使った寄付で賄おうとしたのが原因です。
さらに、なぜ僕らは「ソーシャル物乞い」を赦すことが出来ないのか。
日本人の国民性との相性の悪さ、そして、サービス自体のインセンティブ設計の悪さによって、学費寄付プラットフォーム「study gift」がうまくいかない理由を解説してきます。
意外と思うかもしれませんが、日本人は世界有数の「自己責任国家」です。自分のケツを自分でフケと思っています。本当?と思う人は、ファクトを見てみましょう。
What the World Thinks in 2007の調査結果によれば、日本では「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と考えている人が世界で最も多いのです。日本人で「必要はない」と答えたのは、38%。弱肉強食の自己責任国家アメリカでも28%で2位なのを考えれば、いかにこの数字が凄いかわかりますよね。
このように、日本人はマッチョイズムの国アメリカよりも、「てめぇのケツはてめぇでふけ」と考えています。
なぜかというと、日本の共同体というのは、ムラ、地縁、血縁・・・こういうものが完全に瓦解しつつある超個人主義社会だからです。個人社会なのだから、自分のケツは自分で拭けよという言説が強くなります。生活保護に、なぜあれだけの人が発狂するのかを考えれば、日本人がいかに自己責任教のマッチョ民族かわかりますよね。
自己責任教の世界一の教徒である私たちは、この女子大生の乞食っぷりを赦すことができないわけです。
でも、可愛い女子大生が困っているのだから・・・、という意見もあるでしょう。
それでも、なお賛同を得られないと断言します。
なぜなら、
「手を尽くしていないから」
彼女は手を尽くしていない。やるべきことをやらずに、助けを求めている。だから批判されるのですね。
彼女は、google+で57000人のフォロワーがいる、家入さんのような大物とのつながりもある。実際に現在、IT系のイベントのマスコットガールとして引き合いがある。
はっきりいって、下手な社会人よりも「お金を稼ぎやすい立場にある」といえます。早稲田大学の留年費用くらい払える、稼げるでしょと。
自己責任教の私達にとって、他人の手を借りるのは、できることをやってから、という心情が根強い。
似たような事例では、NHKの職員が難病の娘の手術代金の寄付を願いでて、火祭りのように炎上した話があります。なぜなら、彼らはNHK職員で役員でかつ高給で、家も売っていないからです。しかも、彼らは金をほとんど出していない。
娘を治したいのはわかる、けど、てめぇでやれることをやってからだ。という理屈で炎上しました。
彼女の場合も同じで「自分でなんとかできるのに」「なんとかしない奴」が同情を得られる国ではない、という話ですよね。
「女なんだから、家入さんにおっぱいもませれば、ひともみ100万円くらいくれるんじゃないの」というような、僕は絶対にそんなことは考えたことがないし、考えたことのある奴は黒く腐って死ぬべきだと思うけど、そういうことを考える人もいる。
もちろん、前提として「ネットやってたら、単位落としちゃった。援助して。テヘペロ」に共感できねぇってのもありますよね。塩谷瞬さんが可愛く見えるレベル。
じゃあ、坂口さんはどうすれば炎上しなかったか。これはシンプルで「寄付ではなく、取引にすればよかった」。たとえば、
・日本で一番SNSを使いこなしている女子大生の無料ネットコンサル
みたいなことをやればよかった。まぁ、もっとスマートなやり方もあるかもしれないけど、彼女側からの納得できる価値提供が必要だった。なぜなら、価値提供があれば、それは乞食ではなく、ネットを使ったマーケティングだからです。それを批判するのは、資本主義に喧嘩を売ることになるので、なかなかに難しいですよね。
メルマガっていう価値提供はするみたいだけど、うん、メルマガは高名なジャーナリストのおかげでアレな感じになってるしね。
持っているのにその力を行使していない人が誰かからの共感を得ることってできないのではないかしら。
寄付ではなく取引にしろ、というと、それは寄付プラットフォームではないよねという話になるかもしれません。でも、「学生への寄付」というコンセプトをとり続ける時点で、study giftはあまりうまくいかないと結論を出せます。
なぜか。簡単に言うと「寄付をするためのインセンティブを提供できない」からです。
これは僕らが寄付をする動機を考えればわかります。寄付をする理由は3つあって、
まぁ、こんなもんだよね。で、学生に寄付をしても2.3は期待できない。とすると、1の「精神的な満足を得たい」だけになる。NPOに寄付をするなら、1は大いに期待できる。
でも、女子大生が「あなたのおかげで大学を卒業できました!サイバーエージェントに就職して、これからはコンプガチャに変わる新しい価値ある課金ソリューションを生み出します」となっても、それで精神的に満足する人は少ない。
なぜなら、ネットにはまって単位を落とした女子大生に5000円を使うなら、人は、アフリカの子供たちを数百人救える5000円の使い方をしたいから。たとえば、5000円出せば、予防接種のワクチン350回分が用意できる。そういう精神的満足に、ネットを頑張った女子大生を助ける満足は、かなわない。
もっと同情できる学生がこれから出てくるかもしれない。けど、やっぱさ、合理的な考え方をすると、寄付だってコスパを考える。学費っていう寄付は、この世の中の寄付でも恐ろしく「精神的満足」のコスパが悪いのですよ。
さらに言うなら、「study gift は集金力が恐ろしいほど低い」からうまくいかない。40万以上集まったスゴイと思う人もいるかもしれない。
けどさ、
という、
「隠してたんだけど、俺は核戦争を生き延びた魔族の末裔かつ、体がゴムのように伸びて、かつ幼なじみは美人、かつ吸血鬼でなんというか凄くスゴイ、あと、魔法とかも使える。加えていうと、ちんちんが鬼のように黒くてでかい、その名を魔剣士グロチウス」みたいな、ウルトラご都合主義なみに、好条件がそろって、40万円ぽっち。(僕が書いてる時点で)
集金力の低さは、上の「学費という寄付はコスパが悪い」ことと「学費ぐらいなんとかしろというマッチョイズム」に起因してるんでしょう。
いやぁ、無理でしょ。仮に今回がうまくいったとしても、他の学生にも適用できるようなプラットフォームにはなりえないんじゃないかしら。個人情報と、ネットのおもちゃになるリスクをとって得られるリターン、たぶん、恐ろしくつりあわなくなるよと。プラットフォームとしては機能しない。じゃあ、家入てめぇが寄付すりゃええやんかと。
つーわけで、最後はRHYMESTERの『耳ヲ貸スベキ』からの引用でしめたいとおもいます。
で全部終わる話しですよね。てめぇで稼げるんやから、てめぇが稼げやハゲと。まぁ、お金貢ぐひとは勝手にやったらいいんじゃないですか。それで、アフリカ人もっと救えるけどね。
いや、うん、こういう正論じみたものが聞きたいわけじゃないよね。そう、違う。
あのさ、あのさ、留年した理由は、インターネットにはまってSNSに写真をはりつけるのに時間を使ったり、旅行を楽しむのに時間を使ったり、さらには雀荘にいくのに時間を使ったからだよね。いい、言うよ、あの日桜の木の下で交わした約束、もう忘れてる?だから、言うね、今言わないと一生後悔するから、言うね。
ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかじゃねぇの。
糞して寝ろ。
ソーシャルネットワーク全盛期2012年。当時女子大生だったアヤはまさにソーシャルネットで遊びほうけてしまい本業である勉強が疎かになり、ついに奨学金を打ち切られる。困ったアヤの目の前に現れた、自分を「天使である」と名乗る大人。アヤに「君はもっと天使に近づける」と知恵を授ける。そこでアヤはその天使に従い、様々な不思議な指令を実行していくが…?
「わたしと雲の上の天使たち」は、わたし(アヤ)が自分の若かりし頃を振り返り、懐古していく近未来視点からの現代ミステリーです。「天使」というSF要素をスパイスに、彼女の半生がドラスティックかつ繊細に描かれた注目の作品になっています。
■目次
第一章「転落」
第三章「私の味方は天使たち」
第五章「天使たちの本当の願い」
第六章「こんなはずじゃなかった」
第九章「天使たちの牙」
第十章「わたしも天使になれる」