study giftによる学費寄付要求で、「人生舐めてる」「留年は自業自得」「いや、ソーシャル時代の新しい資金支援だ。ぐだぐだ言うな」とか色々意見が交わされている。
けれども、そんな複雑な理屈を考えなくても、この女子大生を支援することに正義がないことはたった一言で表現できる。
これだけでいいよね。そして、これがある限り、どれだけ「ソーシャルだから!新しい時代だから!」「世の中には学費で困っている人がたくさんいる」とかいっても共感されないよ。
だってさ、生活保護を申請している人が、五体満足でバリバリ働けるのに「僕の条件に合う仕事がなくて、肉体労働とか嫌なんです。だから、支援して下さい」って言ってたら、それは叩かれるじゃない。彼女を擁護するのは、生活保護ニートを擁護するのと、かなり近くなる(稼げるのに、人に頼るという意味で)
なぜなら、功利主義的な視点で考えれば、社会的な資源はより必要なところに、効率的に分配されるのが正義にかなうからだ。
・知名度があり
・ファンが居て(Google+の57,000人のファン)
ならば、間違いなく一年間で100万円は稼げるよね。人の力を借りる必要がない。これを擁護するのは、職歴も十分で、健康で若い人がニートをやることを許容する議論と、何も変わらない。
だから、彼女に社会的な資源を分配するのは、合理的ではないと結論づけられる。
たとえば、誰かがコメントしていたけど、「このお金をアフリカに寄付したら、どれだけの子供の命が救えるのかな。たとえば、5000円でも、350人分の予防接種が用意できるよね。」って議論になるわけ。
寄付の「正義性」というのは、偏っている資源の合理的な再分配だよね。だから、このサービスには全く正義がない。なぜなら、既に存在しているパワーバランスを、より偏った方向に傾けているだけだから。
いっちゃえば、こうなるよね、
ネットで有名な人達が、簡単にお金を調達できるサービスだよ!応援してね!てへぺろ。
いやー、少なくてもおにいさんは共感できないっすわ。
いやいや、彼女の稼ぐ手段、仕事の一つが、これだった、ということでしょ。 金を恵んでもらう事が仕事になってるという違和感が、みんなの心にひっかかるんでしょ。