感じて頑張ったのに気がついたら出会い系アプリの管理してましたという
ソーシャルメディアの可能性を信じて、
新たな仕事をしようとした。
従来のパラダイムの枠を超えたところで、
情報のクラスター、小規模だけれども楽しく有意義なコンテンツが
流れ込む仕組みを作ることで世の中を楽しくする仕事がしたいと思った。
その想いは今も変わることはないが、功を焦りすぎたのだろうか、
ソーシャル上のプラットフォームで使う出会い系アプリなどという
今にして振り返ればソーシャルメディア事業に全面的に
舵を切るという会社の方針は、一時の気まぐれの方針転換でしかなかった。
もちろんそれは私は努力することでいくらでも補強できたことで
まぁ「お互いの顔と実名が見えるSNSで身元確認もバッチリ!これまでにない
安心感でセフレを見つけられるアプリです!!」ぐらいに振り切れたら
相当話題になったかもしれんが。
ただ、なぜ関係者全員が二の足を踏みながら、世間をはばかるような
態度で開発を進めるようなアプリに手をださなくてはいけなかったのか。
理由は至ってシンプルで単に何百万というカネが入ってくるからである。
上司は必竟ソーシャルメディアがビジネスをドライブする力になるとは
信じていなかったし、社員は相変わらず受託開発のスタンスで働く人達なので、
もちろんそれはビジネスの基本だ。
いけない仕事などあるのか。カネなんかと引き換えで
そんな事に手を出せるのか、恥ずかしくないのかと。
なぜ社員が、年間の工数のおよそ5割程度を割いて一生懸命に作ったアプリを敬遠される。
「かなり斬新なアイディアで作ったけど、結局は出会い系、、うわーキツいわー」
みたいな雰囲気を作られて非協力的な態度を示されたら、
一緒に頑張った私とプログラマーは実に悲しい思いをする。
思い切って突き抜けてコンセプトを強烈に打ち出してしまえば、
こんな後ろめたい思いはしないだろうに、なぜそれができないのか。
なぜ血反吐はく想いで作り込んだアプリを堂々と世間にだしてやる事ができないのか。
マジでなえる。今でも思い出すと気持ち悪くなる。
乗せられていない。発注もとの実績にも乗せられていない。
こういう仕事がしたい。こういう事をしているんだぜ!と
家族、恋人、友人にアツくはなせるような仕事とかけ離れていたからだ。
だが上司にとってはそんなことはどうでもいいのだ。
結局売り上げが入ってくればどんな仕事でも受けるのがこの会社の
零細企業には入っていなかった。
私も甘かった。人の本質を見抜く力が足りなかったのだ。
会社としての思い切った方針転換も、流行にのっかるだけの気まぐれ
でしかなかった。
まぁ、それでも私は自分の想いをあきらめずに仕事を頑張って来た。
そのせいで体にガタが来て、上述の通り心も痛んでいたのでうつ病になってしまった。
正直、肉体的な疲労だけなら気合いで乗り越えられたと思う。
でも私が結局この会社から売上を取ってくるだけの要員という側面でしか
評価されない事に気づいて、なんだか悲しくなったし、どうせうつ病から
回復して復帰したところで前と同じように終電まで働く事になるのは明らかだ。
だからやめた。
こういう封に考えたのは理由がちゃんと理由がある。
今まで毎日終電近くまで働いてサービス残業時間なんて月80時間ぐらいのレベルだったのに、
制作や開発でさらに売上を取っていけという数値目標をだされたからた。
私も負けず嫌いな所があるのでそうやって吹っかけられるとついつい
突っ走る傾向があるのだが、現実的にはその目標を実現するには売上単価を
考慮するとどう考えても毎日深夜3時ぐらいまで作業しないと到達できない。
急性結膜炎とかになって、ある日布団の中でぽっくり逝くこと請け合い。
だいたい労働の生産性なんてさ、経済学をちょっとかじった人ならすぐイメージできると
思うけど、投入量を増やせば増やすほど効果は逓減していくものなの。
そんな事も考慮しないでとにかく生産性を挙げて仕事しろの一点張りじゃ部下はついてこねーよ。
もう既に毎日深夜まで作業してヘトヘトの状態で頑張ってんだよ。
だから私は体調が回復した今でもその会社に戻る気にはなれなかった。
自分の想いとぴったり合致した案件なんて「はぐれメタル」と会うぐらいレアな
もんだという現実も知っているし、甘えに甘えた発言だということは理解できる。
だがそれでも言わせてほしい。言うからには煉獄の炎で焼かれる覚悟だ。
コロコロ方針転換ばっかでカネカネうるさい奴らのために自分の人生を使うのは嫌だ。
ココまでの事を要約すると、こういうことだ。
長文なので読んでないけど、20年前学生やってたとき、NTTのダイヤルQ2システムの構築に携わった人が、今で言うシュウカツ前にNTTではこんなことやりますよ的なプレゼンというか学生の...