はてなキーワード: ギャングとは
アマゾンプライムで見れる「刑務所1日体験(Beyond Scared Straight)」が面白い
問題を起こした子供を集めて怖い刑務所に入ってみて怖さを教えて更生させるって番組
既に親が収監されてたり、両親が刑務所で出会ったり、今裁判中だったり、麻薬を刑務所にまで携帯していたり、日本の常識からじゃ考えられないようなのが大勢出てくる
そういう演出なんだろうけど堂々とカメラの前で万引した盗品を見せびらかしたり、人を刺したときに使ったナイフが出てきたり、もう既に子供もどっかおかしいし
キリスト教圏で道徳観の違いなのか、囚人からの説教は「自分を大事にしろ」「母親をリスペクトしろ」「刑務所に来たらボコボコにしてやる」「こんな事来ても良いこと無いぞ」が多い
日本でよくある「人様に迷惑を掛けるな」とか全くといっていいほど出てこない
最後に大体の子は怖い思いをしたからこれから真面目に生きるよってなって、就職したり勉強頑張ったりスポーツに打ち込んだりしてるんだけど、真面目に仕事始めた子がギャングの抗争に巻き込まれて射殺されたりする
効果あるのか微妙だって話もあるし、実際家庭がボロボロで教育もまともに受けておらず、酒や麻薬に溺れている子供が一日刑務所見ただけで変わるんだろうか
一番効果ありそうだったのは死体安置所を見せたり交通事故で血塗れの人が搬送されてくる様子を見せたり(その州は連帯責任法があるとかで銃撃現場を目撃しただけの子が連れてこられてたけど)
結婚できる相手を見つけられて、出産してもらえて、働ける健康な身体があって、こどもがそれなりに元気で、何言ってるんだってのは正直思うけども、疲れるのは疲れるよな。
あいつら、こっちの意思なんか聞いちゃくれない生き物だし。友達の子どもをたまに相手していての浅い感想だけどさ。子どもはギャングだよ。
まあ疲れてるんだったら何かのサービスとか使ってでも子どもを預けて休まないと、そういうのが見えない虐待につながりかねないよ。
夫婦でもっと話し合って、たまには2人して親業を休むのをマジで勧めるよ。イライラしてたら子どもにもよくないから。
虐待とかの原因って、子育ての話し合い不足、抱え込みもあると思うし。もちろん、親としての資質もありそうだけど。
昔なら、じぃちゃんばぁちゃんとこ預けるとか、近所の人に見てもらえるとか何かしらあったけど、今はひとつの家庭で抱え込みだもんね。子どもは社会で育てるもんだと思うけどなぁ。
大紀元時報に「中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告」という記事が掲載されていたので、創価学会について知っていること、理解していることを書いておきます。
なぜならば、カルト宗教団体の定義というものがあり、創価学会の実態は、その定義に多くの点が該当しているからです。
なお、カルト宗教団体の定義やマインドコントロールについては「マインドコントロールの恐怖」という本に詳しく掲載されています。
また、創価学会は、犯罪者と病人と貧乏人の集合体でもあります。
その内実は、イタリアやメキシコのマフィア・ギャングと類似したものであり、宗教団体の名を借りて、国内最大の犯罪・反社組織として君臨してきたという経緯があります。
なお、その構成員の多くはマインドコントロール(洗脳)されており、正常な人間としての認識・判断ができない状態に陥ってもいます。
1950〜80年代に創価学会による強引な宗教勧誘(折伏)が行われ、現在、国民の1割程度が学会員(創価学会の信者)だと考えられています。
とりわけ公務員、具体的には、警察組織、消防組織、自衛隊には浸透しており、警視庁職員の2〜3割が学会員であることが明らかになっています。
小中高校・大学のクラス、そして、企業の職場には必ず一定の割合の学会員が存在し、そのため、そういったコミュニティーの中で創価学会を批判することがタブーとなっています。
なぜならば、各コミュニティーの中の学会員は、香港に浸透している大陸系共産党員と同じように、コミュニティーの構成員の言動を監視しており、もしも創価学会に批判的な発言をする人間がいたならば、その人物をターゲットとして工作活動を開始するからです。
その工作活動は、中共が香港の人権活動家に対して行っている弾圧行為と類似したものであり、活動の妨害、嫌がらせ、後をつけ回す行為を含む、集団ストーカーを言われている行為のことです。
例えば、日本で、学校のクラスや職場で「創価学会は、カルト宗教団体の定義に合致しているからカルト宗教団体だよ」とおだやかに発言すると、コミュニティー内の学会員が、(受けているマインドコントロールの程度に応じて)狂ったように怒り出したり、怒りを噛み殺したような態度でその発言を否定します。
そして、そのような発言をした人間に「アンチ」というレッテルを貼り、また、創価学会員同士でアンチの情報を共有し、「仏罰が下るべき存在」として、監視対象、集団で攻撃する対象であると認識し始めるわけです。
しかし、実際のところ、カルト宗教団体の定義というものは、創価学会のために定義されたものではなく、オウム真理教や人民寺院のような危険な宗教団体から、一般人が被害を受けないことを意図して定義されたという経緯があるわけです。
創価学会が「カルト宗教団体の定義」に該当するのは、創価学会にカルト宗教団体的な傾向があるからです。
創価学会の信者が、そういった事実を指摘され、「自分が所属している宗教団体の悪いところは直していこう」と考えるのではなく、批判者(アンチ)を弾圧して沈黙させようと考えるのは、いかにもカルト宗教団体の狂信者の発想・行動パターンに該当するし、サリン事件(テロ)を起こした頃のオウム真理教の信者も類似した発想・行動のパターンだったろうと感じます。
カルト宗教団体の信者というものは、無自覚にマインドコントロール・洗脳されていますので、問題点を指摘されたから自分たちの考え方や行動を改めて行こう、という発想にならないわけです。この点では、香港の人権活動家たちの要求に対する中国共産党に態度と類似しており、つまり、創価学会のようなカルト宗教団体の狂信者は正常な人間ではないわけです。
ところで、日本にも日本共産党という組織がありますが、こちらも実態は反米テロ組織で、アメリカであれば非合法です。
また、反米組織同士で通じ合うものがあるようで、「創共協定」という契りを結び、反日・反米分子の工作員を融通し合うなど、この国を蝕むために協力していることはよく知られたことです。
カルト宗教団体と協定を締結している時点で、日本共産党の本質が反米テロ組織なのであり、また、日本共産党がカルト宗教団体的であることは明らかなわけです。
なお、別の視点から見ると、信者にとっての創価学会というものは、ネズミ講やネットワークビジネスのような詐欺・犯罪行為を行う巨大組織に見えるようです。ブラック企業のような要素もあり、入信した末端信者は、物的・精神的に疲弊していく一方なわけです。
そのような創価学会の実態が、シニフィエ氏が運営する下記のブログで暴かれています。多くの現役の学会員・脱退した元学会員たちの証言や体験談が掲載されています。
創価学会のこのような実態は、個人に心の安らぎを与えたり、精神的な支えとなるような、宗教の本来の役割とかけ離れたものであることは明らかです。
「類は友を呼ぶ」ということわざがあるとおり、創価学会が中共と良好な関係を維持しようとすることは理の当然です。
もっとも、日本で就労経験のある中国人の多くは、創価学会のことを嫌いになって帰国するようです。
創価学会はオウム真理教とは異なる戦略を採用しており、企業、警察、消防、自衛隊、地方公務員の様な多くの組織に浸透していますが、アメリカにとっては、霞が関官僚と自衛隊に浸透している学会員は危険な存在であると考えられます。
なぜならば、彼らは本質的に反米分子なのであり、中共に協力する工作員として活動する恐れがあるからです。
米欧の知識人の間では常識でも、日本ではマスコミや官僚が止めて日本国民に周知されていない知見があります。
その一つは、学会員の寄付を創価学会本部がパナマのノリエガ(元将軍、現在収監中)に送り、大規模な脱税・マネーロンダリングを行ってきたというものです。
ノリエガは、創価学会・池田大作から大量の学会マネーを受け取り、その金を自らの麻薬ビジネスに投入、国際的なレベルで麻薬を蔓延させてきました。
創価学会・池田大作としては、学会員から巻き上げた寄付を、脱税・マネロンも兼ねてノリエガの麻薬ビジネスに投資・運用。その運用益を国内に還流させ、創価学会幹部が私腹を肥やすための資金、および、創価学会施設・創価大学などを建立する資金にする一方で、同時期に外部に対しては「平和と人権」などと嘯いてきた経緯があるわけです。
なお、同時期、聖教新聞で「池田大作がノリエガを持ち上げてきた」事実は、聖教新聞を購読してきた学会員の皆さんには否定できないところでしょう。
とりわけ、警察組織、警視庁や道府県の警察官レベルで学会員が多く存在し、国内で社会問題をひき起こしたり学会員の犯罪を隠蔽してきたわけですが、彼らが「このような事実をどのように解釈するか」という話にもなります。
まあ、無自覚に洗脳・マインド・コントロールされている様な状態であれば、内容を信じないで、腹を立てたり、不機嫌になったり、書き手を攻撃しようとする行動パターンを想定することが出来ます。
つまり、オウム真理教の信者のように事実を頭から否定する態度が多くの反応として予想され、それは簡単の予想されるところですが、これ(創価学会と麻薬ビジネス・脱税・マネーロンダリングの問題)はノリエガがアメリカに麻薬を蔓延させて逮捕・収監されたために明らかになった事実であり、米欧では常識として周知されています。
このような経緯から、「創価学会が犯罪組織であるという事実」を否定することは非常に難しいだろうと感じています。
※「両親は創価学会に数千万円寄付した」 宗教2世・長井秀和が告発「100万円の壺なんて安すぎて学会員にはピンとこない」 (デイリー新潮)
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11161131/?all=1
※「実家が保管していた創価学会への財務の受領証を預かってきました。※これはあくまで一部です」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)
https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0/status/1594306854217469954?cxt=HHwWhMDSyeHojqAsAAAA
※「創価学会2世。小学生から富士鼓笛隊員。我が子たちには継承してません。するわけない。新宗教に親が子供を勝手に入会させて過度な宗教ル―ルを押し付けるのは「精神的児童虐待」です。宗教2世にこそ、信教の自由を与えてください。」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)
https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0
※創価学会に"一度入ると抜けられない"理由 退会しても「統監票」に一生残る (PRESIDENT Online)
まず、『ダークナイト』は、フロイトの「自我・超自我・イド」の図式に当てはめると解釈しやすい映画です。
そもそもジョーカーってなんなの?というと、病院のシーンでハービーに言っていたように、「混沌の使者」(Agent of chaos)です。
ゴッサムに秩序をもたらそうとするハービーやバットマンに対して、人々の怒りや不安(防衛本能)を煽り、本能的衝動にしたがって行動させることで街の秩序を崩壊させようとするのがジョーカーです。
ここでの秩序とは何かというと、「父権制的な権力」を指します。
これは、明治時代など、近代以前の家父長制でも見られる、父親や「家」といった道徳や社会的信用に基づいて人々を従わせる権力を指します。
近代以前の社会では、家長同士の信頼によって地域コミュニティに必要な産業や社会制度が賄われており、それらの秩序を犯した者がいた場合、例え家族であってもその命を差し出す必要がありました。
父親のもたらす権力・秩序が個人の自由に優越していた時代です。
一方、近代の市民革命以降は、主権者が一般市民(国民)に移ったことで、上記の「父権制的な権力」に個人の自由が優先されるようになります。
コミュニティの構成員の間でも格差があったり、それぞれ価値観は異なります。
するとどうなるかというと、それぞれの権利の拡大やコミュニティの方針を決める上で争いが起きるようになります。
この原動力が、ジョーカーの象徴する「人間の生理的欲求・本能的衝動」です。
『ダークナイト』の公開された2009年はアメリカがイラク戦争の泥沼にどっぷりハマっていた時期で、ジョーカーの爆破などテロ行為と合わせて、この映画をイラク戦争批判と見る人もいました。
私はこの映画がイラク戦争批判だとは思いませんが、「人々の防衛本能によって事態が混沌に陥った」という点では共通していると思います。
イラク戦争の発端は、アメリカを攻撃する大量破壊兵器がイラクにあり、「先制攻撃」の対義名分で侵攻、泥沼に陥りました。
この映画でもそうで、人々が防衛本能によって親しい人物を裏切り、ジョーカーに加担することで一連の計画・悲劇は進みます。
終盤もジョーカーが市内に仕掛けた爆弾から逃げるために船に乗り込んだ一般市民が船内の爆破を免れるために、囚人船の爆破との二択を迫られる展開となります。
終盤の二択のシーンは、人々が社会的信頼や道徳(善)に基づいた振る舞いをすることで危機を免れるわけですが、ここでも生存本能を脅かす不安(本能的衝動)と社会的信頼(父権制的権力)の葛藤が起きているわけです。
この二者の葛藤を説明する概念が、フロイトの「自我・超自我・イド」です。
これらの概念は、父親のしつけを通じて内面化された父権制的権力と動物的欲望・本能的衝動の葛藤の間で揺れ動く人間の自我のありようを表すものです。
この三者の関係を表すものとしてよく触れられるのが、ギリシア悲劇の「オイディプス王」やこの寓話を受けた「エディプスコンプレックス」の概念です。
エディプスコンプレックスの概念によると、幼児期の男児は母親との結婚を望むが、父親と結婚しているため、その願望が叶うことはない。この時、男児に母親との結婚をタブーとする父権的な「規範」(秩序)が生まれ、男児は精神的な去勢を経験するとされます。
要は、母親と結婚したい男児の欲望と、それを男児のモラルとして彼の心の中で禁止する父権制的な権力との間で葛藤する男児の自我の揺れ動きを表しているという話です。
実際、この映画では、ハービーは社会的信用を守る地方検事で、ブルースの幼なじみであるレイチェルの恋人役です。
ブルースのレイチェルへの性欲を抑圧し、彼自身が望む秩序を体現する存在で、ブルースの「超自我」の象徴と言えます。
一方で、ブルース自身に目を向けると、幼い頃に両親を奪ったギャングに、自分自身の幼児期のトラウマである「コウモリ」のコスチュームで私刑を加えることで、彼らに自分と同じ畏怖(トラウマ)を植え付けようとしています。
ブルースが「コウモリをシンボルに選んだ理由」と「なぜシンボルが必要か」(逐次制裁では模倣犯が出るため、模倣犯が出ないよう、悪漢を怖がらせる、畏怖の対象となるシンボルが必要と考えた)は、前作の「バットマンビギンズ」でブルースによる上記そのままの説明があります。
つまり、「ブルース自身が彼の超自我(父親の象徴)であるコウモリになろうとしている」という話で、先述のエディプスコンプレックスにある、父親の座につこうとする男児の精神と合致します。
また、ブルース自身の葛藤として、彼は街に秩序をもたらすという公益性とは別に、Mob(ギャング)への個人的な恨みで制裁を加えている側面があり、この個人的な恨みが暴走してしまうのではないか、そもそも自身の行動はただの私刑(リンチ)ではないかという懸念がついて回っています。
ジョーカーが焚きつけようとしているのは、ブルースのこの個人的な怒りです。
ブルースがMobの制止と社会秩序の実現という社会道徳ではなく、個人的な怒りでバットマンの活動を行なった瞬間、彼はただの犯罪者になります。
ジョーカーの目的は、このバットマンの大義名分を取り払い、自分やスケアクロウなどの怪人や、Mobのようなゴロツキと変わらない存在に陥れることです(この企てに成功したのがハービートゥーフェイス)。
取調室でのバットマン・ジョーカーの尋問シーンで“You complete me.”(プロポーズの慣用句です)と言っていることからも分かる通り、ジョーカーはバットマンが半ば自分と同じ本能的衝動で動いていることに気付いています。
(だから、“You and I, are destined to do this, forever.”となる。)
長くなりましたが、パーティーシーンについて。
このシーンでは、老紳士が父権制的道徳を象徴する形でジョーカーに反抗したため、ジョーカーから“You remind me my father, I hate my father!”(お前見てると俺の父親を思い出すんだよ、大っ嫌いな父親をな!)と反感を買います。
ここでレイチェルが止めに入り、ジョーカーが口元の傷の由来を話しているのが、この場面の一番重要なポイント。
ここで何をしているのかというと、レイチェルを象徴的な意味で自分の女にしようとしています。
というのは、上に書いた通り、ジョーカーはバットマンの片割れです。
すると、ジョーカーにもレイチェル的な存在がいてよい、いるはず、という話になります。
それがジョーカーが”D’you know how I got these scars?”で始める「傷の由来の話」に出てくる「ジョーカーの悪妻」です。
レイチェルをこの悪妻に重ねているのは、逸話に入る前に“I had a wife, very beautiful, like you.”と言っていることから分かります。
ではその悪妻がどのような女性かというと、レイチェルのように慈愛に満ちている反面、ギャンブル狂で、口を裂かれた彼女に寄り添おうとしたジョーカーを拒絶した女性です。
ハービーと同じ検事職にあり、貞淑さを象徴するレイチェルとは真逆の存在です。
ジョーカーのしようとしたのは、レイチェルを自分の別れた悪妻と重ね、彼女と同じ傷をつけることで、レイチェルをその悪妻と同じ側に落とすことです。
おそらくこの逸話自体は嘘です。この場面以前にもGambolのシーンで傷の逸話がありますが、別の話をしています。病院のシーンでハービーに「俺が計画して動く男に見えるか?」(”Do I look like a guy with a plan?”)と言っていることからも、彼がポジショントークしない人間であることが分かります。
レイチェルを殺したり、ただ傷物にするのではなく、その前にこの逸話を挟むことで、その傷は彼女へのマーキングの意味を持つようになり、シンボル的な意味でレイチェルはジョーカーの女に堕落します。
彼女はやがてジョーカーにさらわれて殺されてしまいますが、面白いのは、その時ジョーカーが指定した彼女の居場所です(実際にいたのはハービーですが、言葉の上で彼女と結びついていたのが重要)。
ジョーカーは彼女の居場所を“She’s at avenue X, in Cicero.”と指定しています。
Ciceroとは、共和制ローマ末期の弁論家・政治家・哲学者で、彼の政治思想で理想とする統治機構は「共和制」でした。
「共和制」は、国家主権が人民に存する統治機構で、国家元首(王)により支配する独裁制とは対立する統治機構です。つまり、父権的制的権力とは対立する概念。人民の動物的本能に公共善による秩序をもたらそうとするもので、超自我とイドの調和が取れた状態と見ることもできます。
つまり、超自我とイドの葛藤に揺れるブルースが、本来身を委ねるべき安息の場所にレイチェルがいた、と比喩的に表現されているのです。
(その場所にハービー(父親)を置いとくあたり、徹底してジョーカーは底意地が悪い)
とまぁ、パーティーシーンは、これらの葛藤の舞台となる場面です。
直前でスリロ判事・警察長官が殺されて、ハービーが殺されればゴッサムの司法庁崩壊でその王手がかかっていたり、それを阻止すべく大急ぎで対応するブルースと迫るジョーカーのサスペンスだったり、ヒースレジャーのセリフ回しだったりで見所がいっぱいある、個人的にも好きなシーンです。
論外でムカつくからみてないけど2ー3月知ってるだけでこんな感じだったぞ
俺も、帰省を拒絶されたわw
帰省するなら、そろそろ新幹線のチケットを入手しないと混雑に巻き込まれる時期に差し掛かってきていたので
先日、帰省するならそろそろチケットを買うのだけど、このタイミングで東京から戻ってくるのは怖いか?と家族に聞いたところ
(やんわりと遠慮がちにではあったが、端的に訳すると)感染者数が増えているからNGという回答が帰ってきた。
初めから帰省はやめた方がいいとは思っていたし、だからと言って一方的に、今年は情勢を考えて帰らないって伝えるのも人情としてどうだ?とは思ったので
両親と幼い子供を持つ兄弟に聞いたところ、「感染者が増えてるからNG」と言われたわけだ。
新幹線代往復数万円と、お土産代で、欲しかったものでも買えると思えば、まぁそれもいいかと思うのだが。
老い先短い両親と、あと何日過ごせるかなって思いで帰省している俺としては、残念であることには違いがない。
だからと言って、帰省できない日本死ね!反GOTOキャンペーン!って共産党員もどきみたいなことは言わない。
俺はずっと在宅勤務だし、家にいる間に感染している可能性なんてほぼないけれど、それでも万一を考えると、
俺自身も後悔してもしきれないだろうし今回はまぁ仕方がないよな。
それにしても普段は仲良くしてる家族にまで、強く拒絶されると思ってなかったので、俺もちょっと驚いたんだけど
繊細ギャングが似たような対応を家族から受けたら大層傷つくんだろうなw
まして赤の他人の観光客が大量に来る可能性が高い沖縄なんかの(観光で食ってない)人の本音は、やはり「感染者が増えてるからNG」なんだろう。
ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
(Ronny J, please turn me up)
待望の、降りやまない、雨 戦いなど望んでいない
あめあめふれふれ
光と雨集めて
南部をうちならせ
外部に雨降らせ
不遇な被害者に雨降らせ
おかんに雨降らせ
農家に雨降らせ
あなたの愛が俺らに降り注ぐ
その雨で俺たちを洗い流せ
悪党どもに降り注げ
俺のいかれた生い立ちを知れ
その雨で俺たちを洗い流せ
あの血はそうだ 何の?
あの血はそうだ 神よ!
あの血はそう 俺を清めてくれたんだ笑
それはもう…
あなたの愛が俺らに降り注ぐ
その雨で俺たちを洗い流せ
その雨で俺たちを洗い流せ
南部で何が起きてる?
俺たちに雨を降らす
虐殺は起きてる
奴隷の扱いを受けてる
俺たちに雨を降らす
俺たちの罪を洗い流せ
あなたの血で洗い流される
俺たちの罪を洗い流せ
俺たちの罪を洗い流せ
俺たちの罪を洗い流せ
聖霊よ おいでませ
聖霊よ おいでませ
聖霊よ 助けたまえ
聖霊よ 助けたまえ
聖霊よ おいでませ
聖霊よ おいでませ
聖霊よ 助けたまえ
聖霊よ 助けたまえ
その雨で俺たちを洗い流せ
どんどん投獄されてく
代償も支払ってる
別の生活が消えていく
解き放て 押し始めて
30の州に死刑がある
30の州がまだ執行している
そなたは美しい でも口割らない
Nextels at the rendezvous
残骸とガラス片の間を歩くよ
俺たちが構想したことを見てみろ
俺たちに雨を降らす
俺たちに雨を降らす
聖霊よ おいでませ
聖霊よ おいでませ
「カニエ」を操りたい奴らがいて
俺に自粛を求めていて
俺が俺であることを良しとしない奴ら
そのままなカニエを良しとしない奴ら
穏やかな「カニエ」を探してる奴ら
でも間違いに巻き込まれるのは嫌
間違いに巻き込まれるのは嫌
神が俺を導いてくれたから
間奏までのワンセンテンスまるまる切られた
ニュースは嘘だと知ってるよな
だから俺は歌い飛んでく
俺は正直で悪魔は嘘吐く
誰もわかっていないんだ 違う、そうじゃないんだ
俺たちに雨を降らす
聖霊よ おいでませ
聖霊よ おいでませ
今はあなたを求めてる
俺たちを洗い流せ
虐殺は起きてる
奴隷の扱いを受けてる
Kanye West - Wash Us In The Blood feat. Travis Scott
Ronny J, please turn me up
UnoTheActivistというラッパーが「Ronny J Please Turn Me Up」という曲をスマッシュヒットさせたことがあり、ここでは「俺を激励してくれ(=Turn me up)」とのダブルミーニングになっている。
Nextels at the rendezvous
Nextelsは2000年代半ばにポピュラーだった携帯キャリアの名前らしい。
at the rendezvousは当時のギャングの合言葉?
だれか教えてほしい。
ネイティブにはこんな風に聞こえてるんだろうなってフィーリングのふわふわ翻訳なんで語学警察さんご勘弁願います。
豪雨酷いときにこんな歌の歌詞投稿していいのかと思ったけど、カニエウェストが日本で注目される機会はあんまりないのでこのタイミングで公開することにしました。
今年、家を買う。
20年前、こんなど田舎に住むなんて考えられないと思った、この土地に。
実家から車で一時間の、おじの家で遠くに聞こえる電車の音と少しの民家と、田んぼ、田んぼ、田んぼ、それと、いくつかの溜池。
何もすることないじゃんと思っていたこの土地に、根を下ろすと決めたのだ。
思えば去年までは奨学金を払い終えたらもう一つの故郷の海外へ帰るつもりだった。
私は日本と日本の真裏の国のハーフで、育ちは日本だが、故郷の言葉も話せるし、親の定年が目前となっており故郷へ帰ることを知っていたから自分もそちらへ行くか、という決断だった。しかし、故郷の政府はとても頭がわるく、今回のコロナでの対応も目に余るものだった。ギャングたちによるコロナ伝播阻止や、脱獄囚たち。命の危機が日本よりも何倍もあるその国で子供を生み、育てたいと思えなくなっていた。
幸いにも私は早々に生涯の伴侶にあい、いま苦楽をともにしている。私の気の変わりように快く「うん、いいよ」と頷いてくれた。
そこで、この決断が揺らがないうちに、決めたからには家を建てようとなり、一ヶ月ほどでホームメーカーと契約をした。
幼い頃、おじの家に遊びに来るたびに何もないところだなと思っていたこの土地に、田んぼしかないと思っていたこの土地が、今はどうしようもなく好きだった。
この街大きく発展し、子供のいる世帯には手厚い待遇をしてくれるし、車さえあればとても住みよいし、学校もいっぱい増えていて、映画館もあって、外食や買い物に困らないすごいいい街になっていた。
前職がこの街にあったことから賃貸で3年住んだからこそここに落ち着きたいという強い気持ちができていた。パートナーは電車通勤に1時間半もかかる。それでも構わないと言っている。
ここに、住もう。
故郷へ帰る親は大賛成だった。間違いなく、あなたの国はこっちだと、海外旅行が好きで、新しい家電が好きで、アニメ漫画が大好きで、災害ときちんと向き合うこの国があなたにはあってる。故郷は世紀末みたいだけど、親は日本で老後を生きるすべ、金がないからと言った。
私は少し悲しくなって、お礼を言った。
幸運にもこの街にはすでに友人が何人かいるし、叔父もいる。怖いものはなかった。後悔もなく、早く家が建たないかなという楽しみだけある。
実家は貧乏だった。外国人労働者の待遇は非常に悪い。年も食ってきた。学生時代、大学に行きたいといったら反対された。お金がないとのことで。
あのときからすでに奨学金という借金を抱えていて、日本では家を建てられないと、諦めていた。子供の頃の貧困からずっとずっと諦めていた。
でも、買ったよ。買えたんだ。
パートナーと4回くらい転職したけど、やっといい会社に出会ったんだ。