はてなキーワード: ギャングとは
横だけど、その理屈は言外に、問題文にはない条件を前提しているな。
己が高所得者であり、高級住宅街にマイホームを建てようとしている、と前提している。
自分は低所得者だが努力してマイホームを買った人間で、<パンティーストリート>はギャングのリクルートの対象になりえる程度の通りなのかもしれんぞ。
それで、もう一方の通りには、リクルートしてくるギャングは比較的少ないであろうことが、統計的事実から察せられるわけだ。
ある民族の犯罪率が高くなるのは、通常は郊外のスラムに所得の低いマイノリティが集中しており、学歴も低いことから真っ当な職につけず、それをギャングがリクルートするから。
社会科学的に自信を持って言えるのは、<パンティーストリート>に治安についてのエビデンスがなく、他の地域と「価格・間取り・住環境などについては完全に同一」であるとすれば、その地区に住んでいる<パンティー人>は社会的に成功しているグループであって、犯罪者ネットワークとのつながりは薄く、その生活水準も当該国の主流民族と対して変わらないということだね(警戒されていれば絶対に、同じ間取りで同じ値段ということはない)。
5.陽気婢 2×1
7.藤丸 ラブミーテンダー
21.こっぽり生ビール 宵はじめ
26.長月みそか あ・でい・いん・ざ・らいふ
27.雨がっぱ少女群 小指でかき混ぜて
30.てりてりお な美らる
38.軽部ぐり ふしだらハニー
40.いーむす・アキ いーむすまみれ
41.翁賀馬乃介 粘膜
50.ぢたま某 聖なる行水
51.胃之上奇嘉郎 BLACK MARKET +PLUS
52.石川シスケ あなとも
53.みちきんぐ 主従えくすたしー
58.法田恵 イナカナかれっじ
62.馬鈴薯 かわいげ
63.鉢本 性欲群青
65.南北 みんなのお嫁さん
67.Kanbe 痴戯のナカ
71.緑のルーペ ガーデン
81.Reco てんぷてーしょん
85.ひげなむち みすでぃれくしょん
88.皐月芋網 痴的性活
95.六角八十助 とろとろにシてあげる
96.終焉 めすさかり
97.かるま龍狼 はだかな
……ん?
知的障害を伴わない発達障害の存在が世間に広く認知されるようになって10年以上になるだろうか。
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)やADHDなどの、コミュニケーション不全の障害は、現在の高度情報化社会に適合することが困難な人々を障害者として認定したもので、そのような意味で「新しい障害」「時代によって創られた障害」とも言われている。
歴史的経緯から俯瞰すれば、社会の構成員の多くが第一次産業に従事していた時代には、軽度な発達障害は障害としては認識されていなかった。社会にとっては身体的な機能障害の有無が、何より重要視された。
機械を使わない農作業では人間の身体が頑強であるか否かが生きていく上で重要である。逆にこのような時代において、体格さえ頑丈でよく働くことが出来ればよく、発達障害の有無が社会の構成員にふさわしいか否かの判断基準とされることはほとんどなく、それどころか知的レベルで多少劣っていても問題とはされなかった。
ところが産業革命が起こり、人々が工業生産すなわち第二次産業に従事する者が多くなってくると、知的レベルが低い者は労働生産性において不利となり、工場などで働くことがままならず、障害者としてみなされるようになる。どれだけ体格が頑丈であっても、軽度知的障害者は障害者として扱われる。
そして現在の高度情報化社会では、第三次産業に従事する者が多くなっている。情報通信業を含むサービス産業においては、他人との間の情報の伝達に問題を生じる者、すなわちコミュニケーション能力が低い者が障害者と認定されてしまう。認定を受けた者やその予備軍は、生きづらさを抱えて生きていかなければならなくなったのである。
こうして、今日の社会では他者とのコミュニケーションが困難な者は軽度であっても、総称して「発達障害者」と呼ばれ、障害者として取り扱われ、治療の対象となり、障害者枠で働くことが可能になってしまった。
生きづらさを抱える人々が社会から援助されるようになったのだから、それは社会の進歩である、ととらえる人もいるが、高度情報化社会が発達障害であることが生きづらくしてしまったのだから、発達障害者にとっては社会の悪化であろう。
ところが社会の進歩(あるいは対象者にとっての悪化)はとどまることを知らない。高度情報化社会から次の社会へとステップアップする中で、今後クローズアップされるであろう障害が、掲題の第四の障害である「嫌感障害(けんかんしょうがい)」(英訳するとharassmental disability)ではないか、というのが私の予想である。
「嫌感(けんかん)」とは私の造語で、嫌感障害者は、他人の嫌悪感を感じ取れずに、あるいは知りながらも敢えて、ハラスメントを行う人々のことを指している。
(同様に"harassmental disability"も、発達障害=disappointmental abilityに寄せて作った造語)
「それは一般の発達障害とどこが違うのか?」と問われるかもしれないが、知的障害が身体の脳の障害という意味で広義の身体障害者であり、発達障害が広義の知的障害であるのと同様に、嫌感障害もまた、広義の発達障害ととらえて差し支えない。
しかしこれまでの発達障害という概念の中には、共感性が低いために他人の感情が分からずに意図せず他人に嫌悪感を与えることをその中に含みつつも、「他人が嫌がることがわかっていながら他人の嫌がることをすること」、いわゆるセクハラやパワハラをすることまでを障害の一種だと認定することはなかった。
今回私が提唱する「嫌感障害」は、一歩踏み込み、発達障害者の中で他人に嫌悪感を与え続けてやまない行動発言をする人々と、攻撃的であったり、あるいは人が嫌がることをすることをやめられない人々を、まとめて新たな障害者として認定するものだ。
第1の障害が身体障害、第2の障害が知的障害、第3の障害が発達障害ととらえたことが、嫌感障害を第4の障害ととらえる所以である。
昨今の脳科学では、人間の自由意志の存在は否定され、すべてが所与の条件、すなわち、遺伝子と環境、構造などによって思考は自動的に決定されているという。
自分の意思によって他人の嫌がることを行う人もまた、ある意味自分ではどうしようもない衝動によって突き動かされ、社会に不適合な行動を取らざるを得ない障害者と言えるのではないか。
彼らが適合できない社会とはなんであるか。それは女性や障害者が多く進出した社会であり、多様な社会であり、弱者が認められ、生きやすく、守られる社会である。
この社会では、強者や多数派が、その力でもって弱者や少数派の人権を踏みにじることは、もはや許容されない。
強者が所有していた権力、多数派が所有していた圧力でもって、他人の自由を拘束し、口をふさぎ、多様性を蹂躪することは社会がもはや許さないのである。
他人への嫌がらせを許さない社会は、高度情報化社会が発達し、様々なサービスが生まれる中で、人々が夢中になるサービスに人々の興味が集約していく中で育まれていった。人々が夢中になるサービスとは、SNSである。
高度情報化社会が理性の支配する知識の共有を成し遂げたものであるならば、その中で育てられてきたSNS内では、感情の共有が重要なものとして形作られてきた。
それは「高度感情化社会」と言えるものである。私達は高度感情化社会という新しいセクターに生きており、産業革命、情報革命の次に生じた、感情革命の只中にいるのである。
GAFAが情報化社会の雄ならば、そこに入っていないTwitterは感情化社会の雄であり、今後は感情産業と言われるような感情の共有化をビジネスの柱とする産業(第四次産業?)に、多くの人々が従事するようになるだろう。
その産業の中で障害となるのが、他人の感情を傷つけて平然とする人々である。その問題が今、ジワジワと、次々にクローズアップされているのを私達は知っている。
「こんなことまでハラスメントなのか?」
という疑問を抱いた人は、多いのではないだろうか。なぜ新しいハラスメントが次々に問題視されているのか、わからない人も多いはずだ。戸惑っている人々も多いだろう。新しいハラスメントを提唱する人々に「お気持ちギャング」というレッテルを貼る人々も少なくない。
しかし、これが時代の趨勢である、ととらえると、納得できるのではないだろうか。他人に嫌悪感を抱かせるのは障害である、という新しい常識が広まりつつある過程なのだ。
嫌感障害という概念が確立されるメリットとしてまず考えつくのが、嫌感障害は障害であるのだから、治療の対象となり、医療が解決する分野となることだ。
発達障害がコンサータなどの投薬で治療されてきたように、いずれ嫌感障害を解決する薬が見つかることになるだろう。
次に挙げられるメリットとしては、パワハラ、セクハラをしてきた人々が、ひとくくりの集団として可視化され、社会活動における「障害」の持ち主と認識されることだ。
発達障害という概念が、コミュニケーションの重要性を浮き彫りにしたように、嫌感障害という概念は、他人への攻撃性を抑止できる能力の重要性を明らかにする。
パワハラ、セクハラ、モラハラを、無意識であれ意図的であれ、行ってはいけないし、それは教育によって徹底されていき、矯正できないものは「障害」がある者として取り扱われることになるだろう。
このような潮流が社会に表出しようとしていることを、私達はこれから目の当たりにすることになるだろう。
なお、以上のようなことがふと頭に浮かび、自分のオリジナルなアイデアかもしれないと思い、一気呵成に書き上げたが、研究者でも専門家でもない私の思いつくようなことは、すでにどこかで誰かが考えついているかもしれない。
「高度感情化社会」「嫌感障害」といった概念に似たことが書かれている本などがもしあれば、ぜひブックマークか増田返信で教えていただきたい。
逆にアイデアが私のオリジナルだった場合、用語やアイデアに関して、皆さんのご自由にお使いいただきたい。この記事からの引用である、などと断る必要もありません。
by tnkm
増田が氏のTwitter見ている意味がわからないファンなの?
論外でムカつくからみてないけど2ー3月知ってるだけでこんな感じだったぞ
大麻所持罪創設の噂に対して、HIPHOP界隈が「大麻所持罪を潰さなければ、HIPHOPの文化が潰れる!」とツイートして炎上してる。
ツイート主には悪いが、むしろ「大麻所持罪のお蔭でHIPHOPが潰れれくれるなら、一石二鳥」と思ってる人が少なくないんじゃないか?
正直いって、HIPHOPやってる人って、半グレ・ギャング・ヤンキーというイメージで、ハッキリ言って「怖い」。
なので、自分は「早くHIPHOPそのものが潰れて欲しい」と思ってるし、大麻所持罪を口実としてHIPHOPにガサ入れして潰れてくれたら「万万歳」だ。
一部のHIPHOPマニアは知らんが、世の中の過半数は「HIPHOPは、むしろ、早く潰れて欲しい」と思ってるじゃないの?存在自体がそもそも「怖い」。
まずその例えが正しいのかどうかもわからん。とくに黒人問題に関しては外野が過ぎる。
別に自分も明るいわけではないが、こと黒人問題に関しては、スラムやプロジェクトで育ったような黒人自身が、刑務所にいる父親、ドラッグに溺れる兄弟、ギャングになって銃弾に倒れる友人、酒を飲んでは暴れる母親の彼氏をみて育って、あんな掃き溜めには戻りたくないと言う姿はわりと知られている姿だと思うし、それを周りが、掃き溜めとはなんだ、失礼がすぎると言ってみたところでFxxk Offの一言では。
今起こってる黒人問題(BLM)は、虐げるな殺すな同等に扱え、であって、ぐるっとまわって根の深いところで本質は同じかもしれんけど、安易な例えにこの問題を使用してそれをさも差別ごとであるかのように叩く手法が最近目につく。。
そういう環境でそだったわけでもない黄色人種の自分たちが「掃き溜め」なんて言うべきではないのはもちろんわかるし、黒人だって「俺が言うのはいいがお前が言うのはダメだ」って追うと思う。
でも、それを経験して育った本人があんなクソみたいなとのころに戻りたくない、クソみたいな奴らに会いたくないと公言して、それに共感が集まったとして、それをポリコレ云々で叩くのはいきすぎてると思う。
とにかく、なにかにつけて正しいかどうかもわからない例え話を持ち出して叩くのはズルい。非難するなら例えを持ち出さずもっと直接的であるべき。
私も例え話を持ち出す。
自分の妻が「今は幸せだ。昔は風俗で体を売って生きていた。あんな掃き溜めみたいな場所にはもう戻りたくない。」と言ったとして、
あなたは「風俗店で働く人達のことを悪く言うのは良くない。その店がそうだったかもしれないし、その店にもいい人はいたはず。それは差別につながる危険な発言だ」と言うのか?
もしかしたら倫理としては正しくはそうだとしても、そこで共感して「そうだな」って言いませんかね。その共感としての「そうだな」がスターなんじゃないんですかね。
例えなんてくだらないよ。
かくいう自分も歌うまは正義というフレーズを使ったこともあるけども。だいきほのFNSを見た人が実観劇してみたいと言ったときに使った。
あ、ショー。ショーだと、歌うまは確かに正義かもしれん。(でもそうだとしても歌うまは正義って言葉は原理主義みたいで最近抵抗感出てきた。)
RENT。出てくる登場人物みんなこんな歌がうまいって実生活で有りうるか?歌手やパフォーマーと弁護士や大学教授が同じぐらい歌うまいけど(最高だ)
ひかりふる路は気にならなかったかな。凱旋門とファントムはひとまず置いといて、壬生とワンス。もう、吉村貫一郎もヌードルスも、歌で身を立てちゃえばいいじゃん、て思ってしまう。ギャングなんてやめてデボラと一緒にショービジネスの世界に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思ってしまううまさ笑。源太もか。
ファントムみたいな、歌がうまいという役柄であればありがとう😊
棒歌唱じゃなく、逃げてなく、気持ちが入ってる歌。歌を歌ってるんじゃなくて、魂が漏れてるような。轟さんの凱旋門はそう思った。あー、ラヴィックはええ男やしお医者さまだし、でもお歌はあまり得意じゃなかったのね、という説得力。
とは言え、井上芳雄はうまい〜て思って満足だったし、小曽根さんの音楽も素敵だった。凱旋門も、ボリスとジョアンありがとう😊だしなー。塩梅はむずかしい
またあいつか
論外でムカつくからみてないけど2ー3月知ってるだけでこんな感じだったぞ