はてなキーワード: オープンとは
あの頃のわたしへ「おまたのかゆみ」。
一時期、おまたのかゆみに苦しんだ。
産婦人科にいくと色々検査されて「性病じゃないですね。かかないでね。」って言われた。
自慢じゃないが、性病じゃないのは知ってる。
でもめちゃくちゃかゆい。
数ヶ月後、がまんできずに、別の産婦人科に相談すると、再び色々検査してくれて「性病じゃないですね。かかないでね。」と。
これをくりかえして3年目、おまたの痒いとこは皮膚が分厚くなり、ボロボロしてきた。
ふと思い立って皮膚科でおまたをみてもらうと、はじめて塗り薬が処方された。(産婦人科では薬は処方されなかった)
塗ったら劇的に症状は改善。2週間くらいで薬もいらなくなった。以来、ずっとその症状はでてない。何年も苦しんだのがウソみたい。
ただ、産婦人科の個室っぽいカーテンごしの診察台じゃなくて、オープンな皮膚科の診察ベットに腰掛けて、おまたぱかーんしたのは、ちょっと恥ずかしかった。
オリパラ特措法に基づく閣議決定として、オリパラ大会関連施策の立案と実行にあたっての基本的な考え方、施策の方向を明らかにするもの。
1.はじめに
大会を契機として日本を再興し、成熟社会における先進的な取組を世界に示す。
パラリンピックの開催は、障害者の自立や社会参加を促す大きな力。参加国・地域数についても、オリンピックとの差が縮まるよう、過去最多を目指す。
国際テロ・サイバー攻撃の脅威の高まり等、セキュリティをめぐる情勢は時代とともに変化しており、安全安心対策は必須。
世界の注目が日本に集まる機会を活かし、「復興五輪」として、復興の後押しとなる取組を進める。
スポーツ、文化・クールジャパン等のイベントを通じたオールジャパンの魅力の発信、大会機運の醸成、外国人旅行者の地方への誘客拡大等を通じて、大会を国民総参加による日本全体の祭典とする。全国に大会の効果を行き渡らせ、地域活性化につなげる。
「強い経済」の実現、日本文化の魅力の発信、スポーツを通じた国際貢献、健康長寿・ユニバーサルデザインによる共生社会、生涯現役社会の構築に向け、大会の遺産(レガシー)を創り出す。
関連施策とその進捗状況は、「大会に向けた政府の取組」として公表する。
2.基本的な考え方
大会の効果が東日本大震災の被災地を含む日本全体に波及し、国民全体に参加意識が醸成されるよう努める。
パラリンピックをオリンピックと一体的に運営することを通じて障害者の社会参加の拡大を図る。
高齢化社会、環境・エネルギー問題等多くの先進国に共通する課題を踏まえ、有形・無形の遺産(レガシー)を創出し、日本の力を世界に発信する。
組織委、東京都、会場が所在する地方公共団体と密接な連携を図り、オールジャパンでの取組を推進するため、必要な措置を講ずる。
オープンなプロセスにより意思決定を行うとともに、施策に要するコストをできる限り抑制する。
全てのアスリートが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、セキュリティの万全と防災・減災等の安全安心の確保、アスリート、観客等の円滑な輸送、暑さ対策・環境問題への配慮、新国立競技場の整備を進める。
日本人アスリートの活躍を通じて国民を感動の渦に巻き込めるよう、メダル獲得に向けた競技力の強化に取り組む。
オリパラムーブメントの普及、ボランティア等の機運醸成を図る。
ラグビーワールドカップ2019と共通する施策について連携して準備を進める。
世界の熱い注目が集まる大会の開催を通じて、東日本大震災の被災地が復興した姿、全国の地域の魅力、日本の強みである環境・エネルギー関連等の科学技術を世界にアピールし、地方創生・地域活性化、日本の技術力の発信、外国人旅行者の訪日促進を図る。
大会はスポーツ立国の実現の好機。スポーツ庁が中心となって、競技力強化、アンチドーピング対策等、スポーツ基本法が掲げる諸施策の推進等に取り組む。
大会はスポーツの祭典のみならず文化の祭典。伝統的な芸術から現代舞台芸術、最先端技術を用いた各種アート、デザイン、世界中が注目するコンテンツ、メディア芸術、ファッション、和食・日本酒等の食文化、祭り、伝統的工芸品、和装、花、木材、石材、畳等を世界に発信する。
大会を弾みとしてスポーツ・運動による健康増進、受動喫煙防止、公共施設等のユニバーサルデザイン化・心のバリアフリーによる共生社会の実現を通じて、障害者・高齢者の活躍の機会を増やす。
だいたい自粛してない奴に向かってゼロコロナ馬鹿が言うんだよ賢しらに。
自分が楽しむために医療従事者を圧迫してるって。このロジックが死ぬほど嫌い。
お前が薄い確率を引くのを恐れて自粛したせいで、多くの居酒屋は売り上げが9割落ちた(嘘だと思うなら居酒屋とかやってる企業の有価証券報告書を見てみたらいいよ)、いろんなところで閑古鳥が鳴いて、自殺者は増えた。
自分が快適に生きるために飲食従事者を圧迫したんだから当然アフターコロナでも飲食店に行く権利なんて無いよな。
自分が快適に生きるためにミュージシャンを圧迫したんだから当然音楽聴く権利だって無いよな。早くSpotify解約しろよ。ほら早く。
言ってるのはそういうことだけど自覚ある?
そんでこれ書くやつで医療従事者ってほとんどいねえのよな。ヤンキー叩いて気持ちよくなりたいだけ。
家族のために外勤で働くエッセンシャルワーカーがコロナになりました
飲み会やって足にしがみついたところを撮られた女YouTuberはコロナになりませんでした
この場合自粛を続けなきゃいけないのはエッセンシャルワーカーが原因なんだよね
なんか、我慢するのがえらい、正しく生きているのがえらい、のでえらい奴らは感染の原因では無い
みたいな風潮が不快すぎる。COVIDー19って別に不真面目な人間を狙い撃ちで感染させる病気じゃないんだよね。
一人暮らししてる若者同士が公園のオープンエアで飲み会したらなんか問題あんの?お前が陽キャ嫌いだからガタガタ言ってるだけでしょ。バレてっからそういうの。
他国で日本人が何かをやらかした時(記憶に新しい話題だと、トルコで猫食った日本人)、それを日本人の仕業だと素直に認めず、まず中韓の成りすましを疑う人たちが多すぎる。youtubeのコメントを眺めていると、一部とかでなく、4割くらいいる気がする。
これが自国内だけの閉鎖的なコミュニティでされる身内話ならまだしも、youtubeという世界にオープンな場で、それなりの数の日本人がそれをやってしまうという羞恥。しかも他国籍のコメントに対して直接「中韓の成りすましかもしれないんです!」とか言ってしまうこの有様。
あまりに感情的。恥ずかしすぎる。他国の日本人に対するイメージ悪化を心配する割に、そうした自らの行いがイメージ悪化を齎すとは思い至らないのだろうか。
疑いを持つことは自由だけれど、「犯人は日本人」という情報を現状確たる事実と信じるしかないのに、単なる疑い程度で「私たち日本人は悪くないんです!」なんて他国の人に言わないでくれ。頼む。そんな事言うの、たぶん日本人くらいだと思う。
他国の自国アゲの動画もコメント欄翻訳して見ることあるけど、他国民ってナショナリズムをちょっと忌避しがちな傾向で、自虐的だったりシニカルだったり、そうでなくてもとりあえずトピックに対して持論を冷静に述べているコメントが多いと思う。
それに比べて日本人、圧倒的に感情的自国アゲ。恥ずかしい。簡体字の荒らしコメントをバカにできない。せめて世界から見られる場所でそれをやらないでくれないか。
youtubeには外人による日本人アゲ動画が無数に蔓延っているけれど、そうした動画のコメント欄での日本人は特に振る舞いが恥ずかしくて見てられない。
ざっくり言うと、動画内での日本アゲにドヤ顔&日本アゲ&他国サゲをよくする。日本っていいよね、程度なら別にいい。しかし彼らは「自分たちも逆の立場にならないように省みないとね」「これからも恥ずかしくない振る舞いをしていこうね」といった風な俯瞰的視点から見た”学び”はほとんど持たない。自国アゲ動画は自身を肯定してくれる道具でしかない。
「日本人って謙虚で優しい!」みたいな動画のコメント欄にそんな高慢日本語コメントが蔓延っていると動画タイトルの否定の体現を秒で見せられた気分になる。何を隠そう、自分も日本人は謙虚で優しいなあと思っていたからこそ、コメント欄を見て「これのどこが謙虚?」と衝撃を受けた。
はじめは日本アゲの動画なんてさらさら興味なかったが、そうしたコメントをする日本人の多さに興味がわいて、コメント欄漁り目的でそれらを巡るようになった。明らかにウヨ向けなものは無視するけど、(比較的)普通のニュースでも他国と関わる且つ日本アゲの話題があるとご機嫌なコメントであふれかえる。SAN値と日本人としての尊厳がゴリゴリ削られる。いっそ気持ちいいくらい恥ずかしくなる。Mなのかもしれない。
この傾向はyoutubeだからこそだとは思う。はてなやTwitterには左右どちらも居るし議論も頻発する。youtubeの日本関連の動画にわざわざコメントする日本人は、他人の目を気にする割には、他人から自分がどうみられるか考えられない人が多いような気がしている。
申込は渋谷区側でオープンに実施されたのかな?スマートニュースのサイトで受けてない?5000の内訳が、社員とその家族、客先、出資関係者で「旦那にはいつもお世話になっているので特別に優先接種できますぜ」とかセールスに使ったりホントにしてないの?その上に「炊き出しの精神」とかいいながらPR。そりゃ当然非難されるでしょ。
昔から何か頑張らないといけないことが起こるとなんだかんだ逃げてきました.
今は大学生で,一応第一志望の(東大でも京大でもない)旧帝大に通っています.
受験勉強が人生で最大限に頑張るチャンスだったのにできた実感がなく,今すごく無気力になっています.
受験生時代について振り返ると,一日の勉強時間は学校の授業以外に平日2〜3時間,休日3〜6時間.机にはもう1〜2時間座っていましたが,寝てたり,絵を描いたり,湧いてきたアイデアを紙に書き留めたり,ぼーっとしたりして生産性のないことをしていました.夏休みはお盆以外はグダグタとした勉強しかせず,記憶にありません.秋のオープン模試では前日にロシア語を勉強するなどしてました.正月も,勉強しないといけないストレスを発散するために趣味のプログラミングしていました.ちゃんと勉強した実感があるのは私立に落ちてから国公立の入試までの期間だけです.
理系なのに数学が全然できなくて,ずっとそれが克服できず,入試直前でも第一志望の大学の数学は二割ぐらいしか解けませんでした.青チャートの重要問題が解けないレベルです.基礎をやり直した方がいいのはずっとわかっていたのに,チャートの問題を解けるはずの問題だと思っていたので,そんな問題も解けないストレスに耐えられなくて応用問題ばかりやっていました.間違っていても難しいから,で説明がつくからです.一番数学に時間をかけていたのにできるようにならなかったのはこのせいだと思います.
英語だけは得意でした.難しい単語なんて覚えていなかったし,買った鉄壁は使わなかったけど,読解力だけはあったので文脈で何となくいけました.(私立の入試は無理だったけど)
私がなぜ一般入試で大学に受かってしまったかというと,共通テストが読解力重視の問題になっていて,自分にとって点が取りやすかったのと,二次試験の科目の難易度が数学がものすごく簡単,英語が少し難しく,理科は普通という私にとって最良のものだったからです.(去年の理科も数学も難しいやつだったら確実に受かっていなかった)
結局大学の二次試験との相性だけで受かってしまって,周りのまともに数学ができる人とか,浪人で一年頑張って入学してきた人とかを見ると劣等感しか湧きません.特に,入ったサークルがとある理系学部(医学部でない)の一番難しい学科の人がほとんどを占めるサークルで,日常的に物理や数学の話をしていて,その度に数学コンプレックスが発動します.
この辺の勉強の話はどうでもいいのですが,とにかく,受験勉強で頑張れなかった=これからの人生も頑張れないという思考に陥って,今をただ楽に生きればいいやと思って生活しています.何となくぬるま湯に浸かるように周りに生かされています.このまま生き続けるなら死んだほうがマシじゃないかとか思うのですが,ぬるま湯なので自殺の方法を考えるだけで満足してしまいます.
合格の文字を見たときに,受からせてもらった運に感謝して受かった大学で精一杯頑張ろうと決心したはずなのに,どうにもうまく行きません.自分に自信がないし,嫌おうと思ってもぬるま湯のような甘さで自分のことを愛してしまうし,クソみたいなプライドを持ち続けているし,こんなに自分のことに焦点を当てているのもどうかと思うのですが,どうやったら成長できるんでしょうね.小中高ずっと友達と二人ぼっちみたいな学生生活だったからどうやって友達を作ったらいいのかもわかりません.大人数でわいわいしてるところにどうやって入ったらいいのかわかりません.同じ学科の人たちの半分ぐらいが同じ教室でオンライン授業受けてます.みんな仲良くて羨ましいです.その人たちで第二のクラスグルができてました.そういうの怖いです.サークルも活動内容は面白いけど,どうやって人と仲良くなったらいいのかわかりません.顔出しなしでオンラインで活動しているので顔も背格好も知らない人ばかりです.Twitterもやってるけど技術的な自慢を投稿するぐらいで誰とも絡んでません.いろんな人とだる絡みしてるツイ廃が羨ましいです.
高校の時の友達も,気軽にラインできるのは3人ぐらいです.その人たちは大好きだけど,同じ大学の人じゃないので,高校の時からの友達がいっぱいいてネットワークがある人たちが羨ましいです.(うちの高校からうちの大学に来る人は数十人います)
まとめると,自分に自信が持てないので頑張れないことが嫌だというのと,友達が少なくて寂しいということです.
書き殴り失礼しました.
原文: https://icfpcontest2021.github.io/rules.html
------
本コンテストは、オープンコンテストです。ICFP2021コンテスト主催者を除き、どなたでもICFP2021プログラミングコンテストに参加できます。
出場者は、自由にチームを編成することができます。出場者は、1つのチームにのみ所属することができます。コンテスト開始後にチームを分割、合併、共同作業することはできません。
チームは、コンテスト期間中に登録を行い、認証情報を取得する必要があります。コンテスト中に2つ以上の認証情報を使用したチームは失格となります。
賞品の獲得を希望するチームは、コンテスト終了時にソースコードを提出しなければなりません。コンテストへの応募に関する詳細は、コンテストの開始時に発表されます。コンテスト期間中、チームは複数回応募することができます。初期の応募作品はコンテスト期間中にライブランキングとして評価されることがありますが、賞品の検討対象となるのは、ライトニング部門およびコンテスト全体の最後の応募作品のみです。
主催者は、参加者およびチームの提出物、その他のコンテスト関連活動、またはその欠如を監視、記録、および調査する権利を有する。記録は審査のみを目的として使用され、コンテスト関連のイベントが終了すると破棄されます。
コンテスト参加者は、コンテスト用サーバーへの攻撃を試みないようにお願いします。これは、他のチームや主催者の楽しみを奪うことになります。これらのルールに違反したり、コンテストのインフラの完全性を損なわせようとしたり、他の出場者を妨害しようとしたり、チーム間で結託したり、コンテストの精神に反する行為を行った場合、関係する出場者やチームは失格となります。
応募者は、応募前に保有していた応募ソリューション、ソースコード、カスタムツール、および関連資料(以下、「応募作品」といいます)に関するすべての知的財産権を保有しています。提出の条件として、応募者は主催者に対し、提出物の使用、複製、公開、配布、公の場での上演および公の場での展示に関する非独占的、恒久的、取消不能、全世界的、無償のライセンスを付与し、主催者が本コンテストの目的のために提出物をテストおよび評価することを許可するものとします。
フフフ……拙者は20年来の鍛えられし基本無料ゲームサバクトビバッタマン
男キャラを引くことはないのだよ……温存……温存だ……
うむ、ところで基本無料すなわちアイテム課金ゲーの始祖はメイプルストーリーだったと記憶しているが
あのシステムが追加されたのは軽くググった所2004年4月だったか
もちろん拙者はその場も目撃していたしプレイヤーだった、なんなら他のネクソンゲーも色々やっていたが
しかしアイテム課金ゲー特有に求められる己の欲をコントロールする術――
それを鍛えてきた経験はまさしく17年モノと言って差し支えなかろう
アイテム課金の勃興以前は正式サービスが始まってしまうと月額になるものだから
下手したら1年以上やっていることも多々あったオープンβ期間のものを渡り歩いていたのだよ
それでも正式後も続けたゲームもいくつかあったものだ、あの頃は人とのつながりが強かった
今ではどんなオンラインゲームをやってもすっかりぼっちゲーマーと成り果ててしまったな
人とかかわろうとする心も変えてしまったのかもしれんでござるな
そんな拙者を癒やしてくれるのはチャーミングなガールのキャラクターだけ、という訳でござる
しらんけど
最近、全体を巻き込んでのただのお喋りが煩わしいと古参の一人が指摘した
その時はごめんなさい気をつけますで済んだが、また別の人のお喋りをその人は指摘した
230人もいるんだから少し控えて、と
そういうどうでもいいログで大事な話題が埋もれて読めなくなるからと
そう指摘された人が今度は噛み付く、共感と交流をして何が悪い、嫌なら読み飛ばせ・スルーしろと
年齢縛りがあるので皆いい大人で、言葉使いも指摘も柔らかいのだが、それでもなんかこう、両者、不満の気持ちが滲み出て譲らないのはうかがえて
いやあ大変だね、とロムしていた
でもここは以前から決まったメンバー(トータルでも20人ほど)が延々と雑談まがいの長文レスをしているような場所ではあった、自分はいつもの馴れ合い長文レスだなと読み飛ばすことが多かった
なので古参の指摘は微妙だなとも思う、新参のお喋りはもちろん煩わしいのだが
というか、チャットグループの自治なんかで頭使ってる暇があったら、このグループの掲題でもある自分の問題に取り組んだ方がいいだろうに
Googleが上手いのはエンジニアが話題にしやすいような技術ネタを定期的に提供していることだ。
日本企業に勤めているエンジニアは自社の技術について公に出来ないが、Googleがオープンにしたネタなら出来る。
規模が大きくなりGoogleが話題になる、メディアも取り上げるので流行っているように見える。
日本企業との差はここだろう。
日本企業の場合はオープンにしている技術は少ないのと、単純にオープンにしても使ってもらえない。
あとは外国企業の技術は使いたいが国内企業のは使いたくないといったのもあるだろう。
SNSでスマホの画面キャプチャをシェアするメリットは何でしょうか。
line でとあるオープンチャットに参加しながらスポーツの応援をしている。
参加者の年齢層が割と低いようで、「塾が」とか「部活が」とか「親に買ってもらう」とかクソどうでもいい会話に辟易しながら、
試合のリアルタイムな共感の場として、とりあえずたまに発言する程度は活用してる。
公式ツイッターやニュースサイトの情報も(親切に)転載してくれるので、たまに役立つ情報源としてるんだけど、
ツイッターやニュースサイトのURLリンクやシェアリンクではなく、当人のスマホのキャプチャをシェアしてくる人が結構いる。
なら、まあわかるんだけども。
大手ニュースサイトや公式サイトの発表とか、信頼できるソースを紹介する場合、URLのほうが利便性も含めて適当だと思うんだけど、
この辺の仕草をどう思ってるのか聞きたいっす。
SNSシェアボタンがあるような記事のキャプチャなので、ただのリテラシー不足なのか、何か気づいてないメリットがあるのかよくわからない
情報はシェアしたいけど、自分の情報源へのアクセスは阻害したい?
宇多田ヒカルがクィア的であるというのは、コアなファンやクィアのファンの間ではかなり昔からの共通認識でありました。
もちろん、宇多田ヒカル本人がしばしば口にするように、宇多田ヒカルの歌詞というのは大衆の誰にでも伝わることについて大変真摯に考え抜かれており、決してクィア的な読みが介在しなくても成立するものがほとんどです。ですから、当事者の人間がひっかかりを覚えて、ある種の確信や疑念を抱いて聴き込むというような経験がなければ、宇多田ヒカルのクィア的な側面について、その通底する感触すら意識することがなくても不思議ではありません。そして、そういう構成である作品だからこそ、当事者にとっては強く胸を打ち、強く励まされるものでもあるわけです。『ブロークバック・マウンテン』や『ムーンライト』がちょうど、ゲイに限らない、誰にでも共感できる恋愛感情そのものを描いているといった具合で高く評されている、というのと似ています。
一方で、宇多田ヒカルが自身の内面を初めて強く出して制作したと語るアルバム『ULTRA BLUE』や、活動再開後に発表されている楽曲の数々において、勅裁にクィア的な表現の歌詞である楽曲や、クィア的な読みの方が自然と思える楽曲も増えつつあるように感じられます。以下では、そうした楽曲を見ていきましょう。
([ ]は収録アルバム、( )はシングルも含めた初出年です)
引っ越していく親友についての愛情を歌った歌です。愛情の対象として「友」が選択されているという状況は宇多田ヒカルの歌ではよくみられます。
「新しい部屋で君はもう Making Love」「ヤサシイカレトノケイザイガク」「ワタシガハジメテホレタオンナ」といった表現から、親友である女友達が彼氏と同棲を始めることについての喪失感といった情景が浮かんできます。
宇多田ヒカルの歌には「規範への疑念」「規範からの逸脱」を指向しているととれるような表現がしばしば現れます。たとえば、「不倫の恋」を想起させるような楽曲がちょくちょくあります(『誰かの願いが叶うころ』『One Night Magic』『二時間だけのバカンス』『誰にもいわない』)。『Passion』では、「昔からの決まり事」をどのように捉えるかというところに余白があるように感じられます。「ずっと前に好きだった人/冬に子供が生まれるそうだ」とある「好きだった人」は異性・同性どちらにも読むことができそうです。「わたしたちに出来なかったこと」という言葉は同性愛経験者には強い響きがあります(もちろん、失恋経験のある人にとっては、性指向に関わらず共感するところがあるでしょう)。
宇多田ヒカルのオリジナルキャラクターであるくまちゃん(チャン・くま)がゲイであるというのは、以前から公式ブログで発表されていました。それを念頭におくと、ゲイの男性がほんのり抱える困難がモチーフになっているように聞こえてきます。
「けんかはやだよ くま くま くま」
「冬は眠いよ くま くま くま」
どうでしょうか?
ドラマ『ラスト・フレンズ』の主題歌として、友達にたいする愛情や、性別を超えた愛憎のようなものを歌詞にしてほしいという依頼のもとで制作された歌詞です。それに応えるように、確定的にクィアな側面から見ることができるとはいえない構成が、ことさらに意識されていると感じられる楽曲です。しかし、裏を返すと、異性愛的でないという感覚がどれくらい読み取れるかというところに解釈の豊かさの入り口がありそうです。
「人知れず辛い道を選ぶ/私を応援してくれる/あなただけを友と呼ぶ」であるとか、「残酷な現実が二人を引き裂けば」といったバースはどうでしょうか? 異性愛的に読む、同性愛的に読む、どちらの方が、どれくらい可能でしょうか。そもそもそれぞれの読み方に違いはあるのでしょうか? 異性愛的視点と同性愛的視点というのは、線引きが必要なのでしょうか?
宇多田ヒカルと椎名林檎のデュエットであり、MVの印象も強いため、百合ソングとしての印象が初出から強く一般的に浸透していたと思います。また、冒頭の「クローゼット」というモチーフが、クィア界隈で「性指向をオープンにしていない状況」を表すのに用いられる言葉でもあったため、その点でも話題となっていました。
もちろん歌詞単体でみれば、家庭をもつ男女の不倫のような趣もあります。椎名林檎のパートでは一人称が「僕」となっているのも印象的です。
この歌詞でバカンスに繰り出す二人組を、どのようなペアであると想像するでしょうか?
個人的には、かつて親友で、いまは家庭をもつ主婦同士が、時間を縫って…という情景が浮かびます。
一方で、「ほら車飛ばして 一度きりの人生ですもの」「今日は授業サボって 二人きりで公園歩こう」といった並置からは、特定的な1組のカップルの情景ではないという余地をあえて作り出そうとしているのも感じ取れます。
宇多田ヒカル本人が「同性愛者の心情を歌っている曲だと気付いた」と語った楽曲です。
「君に触れるあいつ見てる/報われない想いばかりが募る夜更は/どうしたらいい?」
「気付かないフリとか/中途半端な優しさに 泣きたい」
など、全体を通して当事者的な感覚が非常につよい言葉で構成されている歌詞だと感じられます。
この楽曲が最初に発表されたのはNHKのSONGSで、楽曲の直前に宇多田ヒカルの上記の発言が挿入されたのですが、宇多田ヒカルがこの意図を隠し続けていたとしたらどのように受け取られていたのだろうというのは気になるポイントです。
「カレシにも家族にも言えない/いろんなこと/あなたが聞いてくれたから/どんな孤独にも運命にも耐えられた」
「大好きな人にフラれて泣くあなたを/慰められる only one である幸せよ/だけど/抱きしめて言いたかった、好きだと」
この楽曲も「友」が相手の曲ですが、その友に対する気持ちは「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃない」と表現しています。この楽曲もまた、女性の友人同士の関係性についての情景が浮かぶのが自然であるような歌詞だと感じられるでしょう。異性愛的な恋愛・結婚よりもつよい愛情というのは『二時間だけのバカンス』と似ているところがあります。
先に、宇多田ヒカルは大衆の誰にでも伝わることを真摯に考えていると述べましたが、これは裏を返すと、クィア的な読みをする必要がないということでもあります。しかしながら、宇多田ヒカルの歌詞が全般的にクィア的であると当事者にとって感じることができるのは、ほとんどの歌詞において、巧妙に「異性同士」の歌であるとしか読めない状況を避けるような意識がこめられた言葉遣いがなされているからです。ポップスの歌詞における「あなたと私」という主題の問題や、女性シンガーが歌詞でつかう「僕」という一人称の問題など、ポップスの歌詞においてジェンダーを与えた解釈をするときに問題とすべきことは多々ありますが、それらは一度おいておきますと、宇多田ヒカルの歌詞は、とくに二人称において、特定の性に限定できるような状況が回避されているものが多いと感じられるわけです。こうしたものが通底している作家の楽曲は、当事者にとっては、異性愛的な恋愛を歌っているポップスとはやはりどこか感触が異なって聞こえるものです。
よく、「エヴァンゲリオンは鏡である」というようなことが言われます。エヴァンゲリオンについての解釈は、みた人自身の性質や考えがそのまま反映されてでてきたものでしかない、ということです。それは、製作者がつねに大衆に伝わるようにと心を砕く姿勢によってできあがった鏡なのだということが想像できます。宇多田ヒカルの歌についても同じことが言えるのでしょう。異性愛がベースがある人には異性愛的な歌に、同性愛的なベースがある人には同性愛的な歌に聞こえるというのは、「誰にでも伝わる」ということを目指した結果に他ならないと思います。庵野秀明と宇多田ヒカルの作家性が奇跡的に似通っているというのは、そういった点にも感じることができます。
このことからさらに思うのは、宇多田ヒカルとクィアを結びつけるような意見に対して人々がどのような反応を示すかというのをみると、その人が「『クィア』というものをどう捉えているのか」がよくわかるのではないか、ということです。
どうでしょうか? いろんな人の反応をみてみてください。異性愛者の人たちの反応も、クィアの人たちの反応も。どうしてその人は、そのように反応したのでしょうか?
女性もこんな風にどんどん自分の性欲についてオープンに語ってくれると嬉しい。男としては、女性の気持ちを出来るだけわかりたいし、出来るだけ女性に満足してもらいたいから、女性の性欲についてもよく知っておきたい。女性に満足を与えることに大きな喜びを感じるんだよ。
だけど、多くの女性は恥ずかしがって自分の性欲・欲望についてあまり語ってくれないんだよね。まあ、最近はどんどんオープンになってきてはいるものの、あまりハッキリしたこと(例えば、ずばりセックスがしたいとか、具体的にこんな風に満足させて欲しいとか、今すぐ欲しいとか)は、いまだに口には出しにくそう。
だから、こんな風にオープンに自分の性欲について語ってくれる女性が欲しい。セックスがしたい。セフレになりたい。いっぱいまぐわっていっぱい満足させたい。