はてなキーワード: お土産とは
で、その次の日もさ、まだ職員旅行は続いてたんだよ。今日の予定は、バスで観光地を巡るツアーみたいな感じだった。俺、お姉さん先輩、メガネくん、そして派遣のおっさんも一緒にバスに乗ってさ。
最初に行ったのは、めちゃくちゃ古い神社。お姉さん先輩が「ここのおみくじ、当たるらしいよ」って言って、俺らもおみくじ引いたんだ。俺は「大吉」、めちゃ嬉しかったわ。メガネくんも「中吉」で、お姉さん先輩も「吉」。でも、派遣のおっさん、何と「大凶」って出てきてさ。
おっさん、すごい不機嫌になって、「こんなもん信じない!」って言ってた。俺ら、ちょっと笑っちゃってさ。
次に行ったのは、海沿いのレストランで昼食。ここでさ、メガネくんがずっとカメラを持って写真を撮ってたんだ。「写真、趣味なの?」って聞いたら、めちゃくちゃ熱く語り始めて、実はすごいカメラマニアだってことが判明。
派遣のおっさんも少し機嫌が直って、カニ料理に舌鼓。お姉さん先輩と話も弾んでた。
で、最後に行ったのは港町の小さなマーケット。ここでお土産を買って、バスに戻ることに。ただ、派遣のおっさんが何故か消えててさ。
バスの出発時間が迫ってるのに、おっさんが見当たらない。俺とメガネくんが探しに行ったら、なんとおっさん、地元のおっちゃんたちと釣りをしてるんだよ。
「何やってんだよ!」って言ったら、おっさん「ここで一生過ごす!」って冗談交じりに言ってた。結局、無事にバスに戻って、旅館に向かった。
旅館に戻って、最後の夜は打ち上げみたいな感じで宴会が開かれた。派遣のおっさんも、なんだかんだで楽しんでたし、メガネくんはカメラで写真を撮りまくってた。
この職員旅行で、いろんな一面を見れて、みんなとの絆が深まった気がする。派遣のおっさんも、普段は節約家だけど、ちょっと面白いやつだった。
最後に、みんなで記念写真を撮って、旅行は終わり。もう、めちゃくちゃ楽しかったわ。これからもこんな感じで仲良くやっていきたいもんだよな。
昔の話。17歳ワイ♂、大晦日に親父と大喧嘩してバイト代の4万円を握りしめて家出した。
大阪で一人暮らしをするんだと意気込んで東京駅で西行き鈍行列車に飛び乗った。
名古屋まで着いたが、特急に乗らないとその日のうちに大阪に着かないことがわかって、金が無いけど仕方なく特急券を買おうと考えながらトイレに入った。
トイレの入口で2コ上の先輩♂と再開。ぶつかりそうになったのが先輩。本当に偶然だった。
「お前何してんの?」
「婚約者を実家に連れて帰る予定が、彼女が体調不良でさ、お前、替わりにうちに泊まらせてやるよ」
すごい偶然だった。
うちの高校は寮のある私立で関東近郊からも生徒が集まってくる。卒業後まったく交流がなかったけど、先輩は快く実家に誘ってくれた。
そして先輩の実家に到着。
先輩「ただいまー」
携帯もない時代だから細かい話は到着してからなんて当たり前の時代。
すぐに誤解も解けたけど。
3泊させてもらい、朝昼晩、家族麻雀にも混ぜてもらって、靴まで買ってもらった。
そして、その4年後、大学生のときに仲のいい友達♂と北海道旅行に行った。
1週間かけて道内をまわり札幌に戻る。そこで友人とは別行動に。
1日かけて、一人でゆっくりラーメン食ったり、お土産を買ったり、さあ電車で東京に戻るかと思っていたら、チケットが無い。
2時間くらいかけて、歩いたところを探して回るも、チケットなんて落ちて無い。交番、札幌駅の窓口にも行ったが届けがない。
クレジットカードなんて持ってないし、残りの少ない現金だけじゃ帰れもしないし、泊まれもしない。
携帯もポケベルもまだない時代。別れた友人とも連絡がとりようがない。
ヤツの宿泊先を聞いておけばよかったと、途方にくれた。次第に夜になる。
すると母が「お父さんがゴルフで今日、札幌のホテルにいるよ」と宿泊先を教えてもらった。
こんな偶然ある?
親父の宿泊しているホテルにいって事情を話すと、いま外出中とのこと。仲間と飲みに行ってて不在だった。
ロビーで待っていると親父が帰ってきた。
「お前何してんだ?」
「チケット失くして帰れない。家に電話したら親父が札幌にいると」
「おまえラッキーだな」
バブルの風に乗って小金持ちだった親父から、小遣いをもらい、そしてホテルの部屋も取ってもらって、無事翌日東京にもどった。
俺って運がいいんと思うけど、どうだろうか。
他にもスゲ~偶然がたくさんあるんだけど、ここまでにしとく。
箱根にそばがないわけではないが、箱根固有のそばというものはない。東京のかけそばを箱根と称して売ってるだけのそば。コロッケがカレー味なのは意味不明。だが神奈川県民はそばに思い入れがないため問題になっていない。
家系ラーメンは北関東系のラーメンショップのパクリ。横浜発祥のサンマーメンや中華街のラーメンと明らかに系譜が違う。だが神奈川県民はラーメンに思い入れがないため問題になっていない。
江ノ島丼は伊豆などで採れたサザエの玉子とじを載せたどんぶり。神奈川県民はサザエに思い入れがないため問題になっていない。
鎌倉はバナメイエビなどのフライを玉子とじにしたものを載せたどんぶり。神奈川県民はエビに思い入れがないため問題になっていない。
横浜港のお土産と知られているありあけのハーバー。製造している工場は湘南地方にある(一時期は町田に工場があった)。神奈川県民は横浜に思い入れがないため問題になっていない。
フジテレビのお昼にやってる番組「ぽかぽか」の観覧に行ってきた。
仕事の休みがとれる火曜日を狙ってたけど、火曜日はアイドルがレギュラー陣にいるのでなかなか当たらなかった。
観覧だとCM中や放送後の様子も見られるから、テレビで見てた芸能人の印象やイメージが変わったというのはよくあることだと思う。
今回もそうだった。大体、みんなイメージよりも面白くていい人たちだった。
そんな中でも一番印象変わったのは、OWVの浦野秀太くんだった。レギュラー陣のアイドルの1人。
こういう観覧行くと、だいたい客席からの接触や声掛けは控えるようアナウンスされる。
出演者から話しかけられたときや多少の反応はいいけど、ライブやコンサートみたいに大声でキャーキャー叫んで名前を呼んだり大きく手を振ったりするのはNGという感じ。
番組進行の妨げになるから、過剰に自分をアピールしてサービスを求めるのはやめてねってことだと思う。
多分客席には出演者のファンの人もいっぱいいたはず、というかほとんど誰かしらのファンだと思うけど、みんなちゃんとルール守って大人しく見てた。
で、それを踏まえた上での浦野くんのファンサービスがすごかった。
客席にいるファンであろう人と目が合うと、顔だけで合図する。目を合わせてニコッとかして。
今回席が後ろの方で観覧の人たちの後頭部も見てたけど、傍目から見てても「あ、今あの席の人と目合わせてる」となんとなく分かるくらいだから、やられた本人もしっかり分かったんじゃないだろうか。
しかもそれを満遍なくやる。CM中とかの客席の方を向いている時にくまなく客席を見て、前後左右目配せしてる。同じ人に何回もやらないで、みんな平等にやる。
たくさんやるけどやりすぎない、ちょうどいいサービス加減をしてくれる。
手を振ったりするとファンも振り返してしまうだろうし、動きがつくと番組的にも悪目立ちするから、目配せなんだろうなとも思った。
その上で、外で観覧しているファン(外はうちわや紙を持ってアピールできるので誰のファンが一目で分かる)にも都度サービスするし、修学旅行生が外の観覧スペースに来ていることを他の出演者と共有するし、視野の広さと気配り加減を目の当たりにした。
テレビで見てる時はいじられキャラのバラドルって感じだったから、こんなに周りを見てる人だとは知らなかった。
匙加減が本当に上手かったんだよな。
目の前の自分のファンを喜ばせるだけじゃなく、自分を売り込むだけじゃなく、ぽかぽかという番組の観覧に来たことへのお土産をくれるような感じ。
このバランス感覚、新人若手アイドルだと思ってたけど実は子役とかやってたのか?ってくらい絶妙だった。本当にやってたら知らなくてごめんなさい。
それにしてもこのファンサービスは、ファンの顔を覚えててやってるのか、実は服装とかで自分たちのファンだと分かるのか、それとも他に……とじっと見ていると、私も目が合った。それでニコッとしてもらえた。
これは自分を見てる視線を感じ取ってるのかな。しかし自分がやられてみると、今まで冷静に見れていたのに急にドキドキしてしまい思わず目を逸らしてしまった。後から思うともったいなかった。
こちらスネーク。前回、鶴見川の濁りを探索すべく、探検隊は青葉区を出発し上流へと遡リ鶴川駅まで到達した。鶴見川は相変わらず濁っている。その原因を探るべく、前回に引き続き鶴川駅から上流を探索した。
コロッケそばを食べた。べらぼうにうまい。ドブのような甘辛い汁うまい。カレー味のコロッケうまい。蕎麦がもそもそしててうまい。
鶴川駅近傍の氏神様を参拝。男根崇拝として有名な神社なれどこそっとおいてあるのでこそっと手を合わせる。最近有名になったピンクバスも拝む。タイヤ確認。タイヤ古い。
カモの親子がかわいい。親ガモにつられてコガモが泳いでる。親ガモが手こずるような激流でもコガモは驚異的な身体能力でついていっている。巣立ちのときは近いのかもしれぬ。鷺も何羽か佇んでいる。水辺の散策も良いものだ。上流域のほうが水辺が近いから面白いね。これからもちょくちょく歩こう。
上流へあるいて程なく濁りの原因にたどり着いた。 町田市大蔵あたりで川のなかで重機をつかって作業をしていたよ。そりゃにごるよね。 「鶴見川防災工事」の一環で浚渫工事をしてるとのこと。濁りは数年続くことになりそうだ。こういうのって下流域にも周知してほしいよね。
どうせなら「お土産もらってきた」の方がよくない?
本当にここのところ海外の観光客の方が多くおみえになっていて多いわ!
ヒロミゴーのジャーピャーンじゃない方の億千万でもない方の綴りで書くスペルのJAPANってあるじゃない。
そのJAPANの文字が書いてある帽子でJAPANの最初のAが富士山のモチーフになっている帽子をかぶっている人はまだ序の口よね。
日本が大好きなのがよく伝わってくるわよ。
今映画でやってるスーパーマリオよろしくクッパやゲッソーの帽子を被った人もいたり
なかなか日本人がそれやったらちょっと痛い感じがしないでもないけど、
海外の観光客の人たちが楽しそうにジャパニーズファッションを着こなして闊歩しているのを見ると微笑ましい山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところよ。
私が見かけたのは、
柔道着を普段着の旅の服装として着ているバックパッカーの人がいて
きっと私より強いやつに会いに行く!ってそれってなんてストリートファイターの件?って思っちゃうほど柔道着がしっくり着こなしていて、
しかもなんか新品のさらぴんのおニューの柔道着じゃないっぽくって
日本に来たから日本で買って着てみました!って感じじゃなくて本当に着潰していてちょっと彼の地元でもそれ普段着でずっと着てるんじゃない?ってそれなんてストリートファイターのおれより強いやつに会いに行くの件?って思うほどの柔道着のくたびれ具合なのよ。
あとはなかなか渋かったのは、
三度笠を街中で被ってる人。
私の突っ込みライブラリーの中からでは風来のシレンか!ってしかツッコめなかったけど
そんでそれ1人じゃなくて
別の日に別のところで何人かも見かけたから三度笠流行ってんのかしら?
どこで調達買ってきたか私も分からないレヴェルのなんか本格的な三度笠みたいで、
遠目から見ただけでもその三度笠の本気度が伝わってくる感じがなかなか三度笠よ。
さすがにまだ私は簔の被ってる人はまだ見たことないわ。
思えば遠くへみのもんた!ってはるばる日本に来てまた海外の人たちには気付かれていない日本人もビックリなアイテムかも知れないわ。
あと天秤棒担いでいる人もそれはさすがに脚色しすぎよね。
そんな人はいないわよね。
日本人がそれら彼らのような格好を街中でしていたらちょっと緊張感走るけど、
海外の人たちがやっていても日本満喫してるわね!って見方が変わっちゃうから変わっちゃう話しよね。
ちょっとほんと人が多すぎて、
馴染みの近所の定食屋さんも毎日パンパンで入れないのが大変なのよ。
お昼のピークタイム関係なく時間を外しても多いって言うんだから
うふふ。
ここのサンドイッチパン屋さんはまだかろうじてそんなに人パンパンではないんだけど、
そのサンドイッチ屋さんの近くの地元民にお馴染みの人気の美味しいパン屋さんはパン屋さんだけにって言いたいわけでは無いんだけど人パンパンなのよ!
すごいわー。
まあ野菜サンドイッチのタマゴとトマトの組合せが美味しさが際立つけどね!
もうちょっとお茶っ葉増やして濃いめに作ってもいいのかも知れない好みの問題かも知れないけど、
だんだんと暑くなってきたので、
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
(している人が頷く)
祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。
しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。
祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行で北海道に行くことになった。
「お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。
修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。
しかしレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。
高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分の勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。
そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。
ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。
けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父は他界した。
危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。
葬儀のときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。
病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。
でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。
葬儀屋さんや親から「最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。
ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。
空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。
祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。
それなのに私は、祖父に何も返せなかった。
返せたものがあるとしたら、それは修学旅行のお土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。
祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃんは最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。
社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。
この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。
なので今は、祖母孝行に精を出している。
祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズにいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。
京都から帰るときに「職場に帰るからなんか買ってかなきゃ」と思ったんよね
職場のいじめが原因でうつになったんだけど、当時は「彼らについていけない自分が悪い」と思ってたからお土産買ってこ、と思った
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
男性アイドルオタクの自分と友達。共通の友人を介して知り合って、ここ一年かなりの頻度で会ってきたけど段々すり減って疲れてきた。
元々、その子は大学時代有名繁華街でクラブのホステスをやれるくらいルックスがいい。
女子大でありがちなインカレで旧帝大の男の子と付き合って、同棲中。仕事は彼氏にほぼ就活をやってもらって内定を得た企業で、リモートワーク中。(平日仕事してるのか?ってくらい外食してるし、連絡も早い)
片や自分は、一応中高一貫からマーチという平々凡々とした学歴→半官半民系(もちろんリモートなんてない)。ルックスは正直そんなによくないし、とりあえずルックス関係無く行ける道としてここまでは来た。
こんな二人がオタ友して出会ったのはいいけど、正直疲れて来たのでここに投げてみた。
元々友達は、私には凄く優しく色々細かなプレゼントとかお土産とか買ってくれたり、お店とかを教えてくれたりして自分に対しての攻撃があった訳じゃないって事だけ前置きしておく。
疲れた点を簡潔に挙げると
1,好きなグッズやキャラグッズなど出ると、数に見境なく買う点(LINEでこっちが買ったか確認してくる)
2,同棲の彼氏とのお話しを沢山してくれる点(私をなんだと思ってるのか、彼氏と三人で遊ぶ事を提案される)
上にあげた通り友達は勢い良くばぁーっと喋るタイプだし、買うタイプの人なのでその勢いについて行けなくなって来た。
オタク以外のことでも、彼氏の話が多いし(学歴の話とか諸々)、友達の彼氏に会ったって気まずいだけなのに会わせようとする。
あと、私は彼氏がいないので良い人いたら紹介してって事をこの前言ってみたら、もう大体彼女か結婚してるってやんわり断られたのが効いた。
LINEも毎日毎日送ってきてしんどい(私はLINEは連絡ツールとして使いたいだけ)。
まぁこんな感じで正直きつい点は何個かあったけど、一番きついのは、かわいいって言われ待ちな言動が多いのが疲れた。それは友達じゃ無くて、彼氏に言って貰いなよ。
という感じで、半分僻みみたいな文章が出来上がったけど、やっぱり人間逆すぎると合わないし、周りにこんな女子いたらキツすぎるよねって話でした。