「エッセイ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エッセイとは

2017-05-15

小林ギリ子はTwitterあるある社会問題ライフハックを世に送り出す女性エッセイ漫画部の中ではわりとちゃんと漫画として描けてる方だと知ったらブックマーカーは卒倒してしまうのかな

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170513100157

絶対子供欲しい!!!!」みたいなポーズ取ってる人自体、あまり見ないけど…

現実で人と関わらな過ぎて、ただそういうエッセイ漫画存在だけで判断しているの?

それだとそういうエッセイ漫画よりBLの方が本屋に並ぶ数が多いから、

世の女性は皆子供より男同士の恋愛しか興味がない腐女子だらけ、って事になる筈だけど。

http://anond.hatelabo.jp/20170513095736

欲しいと思わない人が増えてるから少子化なんじゃない?

「めちゃくちゃ流行ってる」と言えるほどの売り上げがあるエッセイ漫画なんてあったっけ?

ミリオンセラーは行かないと「めちゃくちゃ流行ってる」とは言わないよねえ。

http://anond.hatelabo.jp/20170513095416

分からんけど、そうなのか。だとしたらなんで女性の皆さんは子供欲しい子供欲しい言うんだろう?とにかく何が何でも子供が欲しくてこんなことやあんなことをしました!みたいなエッセイ漫画かめちゃくちゃ流行ってるじゃん。あれって実は代理店ゴリ押しで読者いないとか?でもやたら欲しがるのはたぶん本当だよなあ。

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511115530

私は古い学者エッセイなど読むのが好きで、日本の、特に言うと"昔の日本の"、何か精神性のようなもの尊いと感じるのですが、

学がなく、それをうまく言語化出来ずに困っています

ところで、あなたは大変な愛国者とお見受けします。きっとそのようなことは当たり前に出来るのでしょう。

教授いただけませんでしょうか。

2017-05-07

インターネット10年以上の人間がとうとうキレてadblockを入れた話

懺悔させてください。

先ほど人生で初めてadblockを導入しました。

快適すぎて、今までの自分は一体なんだったんだと思うほどです。

(注:この記事の筆者は基本的情弱です。)

adblockというのは、インターネットのページ上の広告バナーをどういうわけか非表示にしてくれるふしぎな機能です。

存在は今までも知っていましたが、

無料サービスを利用させていただく以上、広告費で運営しているサイト広告非表示にするなんて私には出来ない!』というポリシーを貫いていました。

さっきまでは。

スマートフォンでページを閲覧していて、スクロールして次のページに飛ぶリンクタップしようとした時に

急に半透明のバナーが降りてきてちょうどリンク位置に重なってタップしてしまい、

広告サイトに飛ぶというトラップじみた広告を踏んでも、

あいつたまにウザいけど、本当はいいやつだからな…』と、まるで腐れ縁の友人を懐かしむようにそこまで腹を立てないようにしていました。

さっきまではな。

ある意味、意地になっていたのでしょう。

広告容認できるいい奴ぶって、酔っていたのでしょう。

事態は急転します。

ある日突然、普段見ているサイトにでかでかと

個人的にどうしても受け入れられない内容の広告バナー』が表示されました。

内容はご想像にお任せしますが、

『友人に恋人を取られた経験がある人間NTRエロ漫画広告が』

結婚相手の両親との折り合いが上手くいってない人間に真っ最中人間に嫁VS姑イジメ漫画広告が』

バナーに映っている女が自分家族にとても似ているアダルトサイト広告が』

等の事情想像していただければ大体伝わるかと思います

もう、絶対に許せない。

冷や汗が身体を伝い、心臓バクバク

絶対さない。

見たくないものを見てしまった。

いやな事を思い出してしまった。

これから先ずっと、同じバナーがいつ出るかいつ出るかと怯えながらネットサーフィンをしなくてはならないのか?

たか広告になぜこんなに悩まされないといけないんだ。

そう思った自分自然adblockを導入していました。

自分で言うのもなんですが、堪忍袋の緒が切れた、というのはきっとこういうことをいうのでしょう。

それにしても、最近広告バナー、やたらでかくないですか?

ガラケー時代漫画広告バナーなんて台詞ちょっとキャラの目と鼻が写るくらいで大して気にならなかったのに、

今や数コマ強制的に読まされてしまうくらいの大きさ。

バナーって言ったら普通横に細長いやつでしょう。

昔はあのちっちゃい中に情報を収めるのにどれだけ苦労したことか。

それが今の広告バナーなんだあれ、ほとんど正方形に近いじゃん!

そして人の目を引きつけるためにエロ漫画なら最中いじめ漫画ならいじめ現場のシーンを抜き出して見せ付けてくる。

苦手な人からしたら、心の準備なしに『グロ画像』を見せ付けられているようなものです。

(どうしようもなく苦手なものを『地雷』と表現する人たちも居るようですが)

いきなりグロ画像を見せられて怒らない人は少ないでしょう。

それと同じです。

◇◇◇

色々と書きましたが、adblockを導入した今はびっくりするくらい快適です。

それでも、良心的な広告のみをこれからもずっと掲載し、広告費で運営しているサイトさんに申し訳ない気持ちはあります

ただ『広告うぜ~~!!!見えないようにしてやろ!!』という気持ちではなく、

精神的苦痛を与えられる心配がないのなら共存していきたいのに、残念だなあ』という気持ちがまだあるからです。

それでもこの現状が変わらない以上はadblockを解除する気にもなりません。

いきなり精神的苦痛を味わわされる恐れを考えたら当然と言えるでしょう。

広告自体が悪いのではなくこのシステムがまだ未熟なんだろうと思います

しかし、

私は情弱なので詳しいことはわかりませんが、

明らかに検索ワードからそれにマッチするものを出してくるタイプ広告もありますよね?

結婚式場へのアクセスを調べただけでブライダル系の広告が出るようになったりした経験があります

そういう事が出来るなら、

エロ漫画バナーなら全然OK!ただイジメ漫画系は勘弁!』とか

少女マンガエッセイ漫画バナーならどんどん表示して欲しい!でもBLちょっと…』等、

閲覧側が最初から細かく設定できたらいいのに…と常々思っています

現在広告についている×印を押すと報告できる、等のアレもありますがあれはほとんど気休め程度)

広告提供側はadblockをどうにかかいくぐるタイプ広告表示方法の開発じゃなく、

閲覧者にマッチした条件の広告のみを提供するようにするシステムを整えたほうが絶対利益上がると思うんですよね。

私自身は広告を毛嫌いしているわけではなく、むしろ内容がマッチしていれば全然ウェルカム派なんです。

(大昔無料レンタルサーバーホームページ自作する際にそういった『広告』との深い付き合いがあったこともあり……)

私が興味あるもののみの広告が表示されるようになればadblockも解除するしリンク先に積極的に飛んでみるようになるだろうと思っています

どうにかならないのでしょうか。

私は…いや、私以外の他の多くの人もきっと共存を望んでいるはずなのに。

ああ、広告神様ごめんなさい。私はadblockを導入してしまいました。どうかお許しください。

まぁ、神が許したところで『グロ画像』踏ませてきたやつの事は私が絶対さないんですけどね。

絶対さないからな。

2017-05-03

編集者ライターは好きなことだけしてお金をもらえる仕事ではない

勘違いされているみたいだけど、自分の好きなことだけしているわけじゃない。

ビジネスなので、売れる本や雑誌を作っている。

世の中の人たちが知りたい情報を発信している。

エッセイコラムを書いてお金をもらっている人はライターではない。

全くマーケティングをしない本や雑誌は売れない。

から女性誌は売れなくなっているのだ。

同人活動結婚、約一年後の心境。

http://anond.hatelabo.jp/20160622100234

この記事を書いた者です。

年間アクセス7位になっているのに気付き、久しぶりに記事作成をしようかなと思い立ったのでこれを記しています。あとゴールデンウイーク突入し、暇なのもあります(笑)

本文、追記共に当時の自分の心の澱と人には中々主張出来なかった故の断定的かつ鬱屈した感情がみっしりと記されていて、書いた当人ですら読んでて疲れました。

ただ、この記事自分気持ちを発散したことで実に穏やかな気持ちになれたのは確かです。

この匿名ダイアリーという場で、多くの人に自分の実際に感じたこと、体験したことの一部を『わたし』という人間が見えない場所から発信し、意見を貰う。カウンセリングに行くよりもずっと効き目の高いセラピーになりました。

発信して初めてわかったことがありました。それは、私みたいな生き方をしている人間は思っているよりもいなかったことです。

自分多数派だなんて考えは当然ありませんでしたが、「私と同じ悩みを抱えて、苦しんでいる人は多いのかもしれない。そういう人がいるんだよって発信したら、私みたいな人間は救われるのではないか」くらいのことは思っていました。

ただ、反応を見る限りだとそうではなかったみたいです。共感以上に、私や周囲の異常性、読み物としての感想が多く、もしかしたら私自身の考えや生きてきた人生というのは、自分が思ってた以上に異常なのかもしれないということにお恥ずかしながら初めて気付かされたのです。

しかすると、普通は越えないような轍を何個も何個も越えてきてしまい、引っ込みすらつかないのが私の人生なのかもしれない。

そう考えると、ここに記した殆どのことは、実生活の私の「墓場まで持って行く秘密」にしないと、あまりにも受け入れがたい事実なのだなぁと感じました。その位、人には理解しがたい人生を歩んできてしまったのだと。

これはとてもさみしいことです。だからこそ、インターネットで発散できてよかった。もしそうでなければ、私はこの澱んだ感情をずっと抱えたまま死んでいかなければならなかった。誰も私を理解できないと、自分けが思ったまま。

そんなことすら、人に認められないと自認できない。

承認欲求の底知れなさを思い知りました。そして、私は、そういうことと一生をかけて向き合うのかもしれないと。

そういう性質性格なのだから、仕方ないですよね。今はそうやって自分と向き合えるようになりました。

同人活動なのですが、Twitter中心で細々と続けています

エントリーに関するRTが流れてくるたびにドキドキしていましたが、誰もそれを書いたのが私だとは気づいていないみたいです。今では誰も話題にしていません。インターネットなんて、そんなものです。

二次創作を描けば1000を超えるRTを頂けることもありますが、そのことに関して前よりは落ち着いていられるようになりました。というよりも、RTされるネタの書き方みたいなもの感覚で掴みました。

完全に記事脱線するので詳しくは書きませんが(そもそも感覚なので説明も難しい)、別に絵が上手いとか特別技量がなくても伸びるときは延びるのだから一喜一憂していたらキリがないなぁと。

即売会は、行く回数は減りましたが参加しています。ただ、もう新刊を作ることはないかもしれません。キャラクター愛やそれを人と共有したいという感情が前よりも薄れました。

創作が楽しくなくなったわけではないのですが(これに関しては後述します)、なんでしょう。これが年をとるということなのかな。自分の中で「思い出」になりつつあるんです。

好きなキャラCPきっかけにして、Twitterでつながったり、Skypeをしたり、自分で本を書き、人の書いた本を読み、萌えて転げて、アフターや日常でも仲間同士で集まって、そのキャラの話で花を咲かせて。

そういう光景を見かけると、楽しそうだなという感情にはなるのですが、参加したいなという気持ちにはならなくなってしまいました。

でも、気の合う子とのおしゃべりは今でもとても楽しいです。みんな会ったとき10代でしたが、今では大人になりました。結婚している人は多くないですが、会うとキャラ萌えを語るより、近況を話すことのほうが増えました。

そんな私をつまんない人だと感じる人は、どんなに仲良くしていたとしても離れていきます。でも、それでいいんだよなと。

今、一緒にいて楽しい人だけがオタク友達」なんです、きっと。そこから先の「普通友達」になるためには、それだけじゃ足りない何かが絶対必要になってくる。そしてそれは、誰とでも芽生えるものじゃない。だからこそ、オタク友達はあまりにも即物的。でも真の友情が芽生える可能性もあるからバカに出来ないなって思います

Twitterフォロワーだって同じです。繋がるのに何の不自由もないかフォローされてるだけであって、共通項がなくなればそこで終わりです。だからこそ、数に拘るのは無意味なんだと思います。ずっと見てくれる人や、たまの落書きを何年も変わらずにいいねしてくれる人こそ、大切にしなきゃいけない人なんだと思います相互片道関係なく。

ここまで書いてきて、また自分の「●●でなければいけない」癖が文章に反映されていて、苦笑しました。

誰かに伝える文章は、例えそれが自分に課している制限だろうと断定的に書くことで人を不快にさせるみたいです。それもここで知ったことです。

難しいですよね。でも「私はこう思うけど、あなたはどう考えても自由だよ」とその度に書くのはくどいと思うのでここで一回書いたことで許されようと思います。許して下さい(笑)

二次創作への情熱が薄れるかわりに、最近一次創作楽しいです。

まだ公表していません。それなのにこんなに楽しいことがあったのかとびっくりしています

物語という形にすることで、自分意志を表に出すことができる。そこには何の制限もありません。もちろん物語としての整合性を整えるのもひとつの楽しみですが、どうしても自分の主張したいことがあるなら、オリジナルキャラクターやらせる分には誰も文句は言えないのではないかと気付きました。

悪い部分もあってこその人間。仲のいい友人に見せると、とても生き生きと動くキャラクターだねと言われ、お世辞でも嬉しいです。

ここで数人が「実録としてエッセイマンガにしたらどうか」とコメントされてましたが、いまでもそれをする気はありません。やはり私は、事実をそのままマンガにするのは好きじゃないみたいで、だったら一次創作キャラクターに、何らかの形で搭載したいです。

主人とは、つかず離れず上手くやっています。私も多少ちょろまかすという事を覚え、小遣い以外に稼いだ分から少し抜いた分で友達ランチへ行ったりしています。意外と気付かれません(笑)

私の場合ささやか幸せ幸せとも感じてなかったことがそもそもの間違いだったので、今はそこを目標生活水準を下げています。意外となんとかなります

一年経った今、自分のことを牙を抜かれてチワワになった狂犬みたいだなと思いますが、それでこのままチワワになれたらもうけもんです。

尖って尖って、非難されるような自分だったからこそ、なれるものがある。

それを誰かにバカにされたり情けないだなんて言われる権利なんてきっとない。

他人人生を私が生きることが出来ないように、私の人生は私にしか生きることができなかった。

それがどんなに汚い生き方でも、一般的には努力の足りない人生でも、誇りに思っていいことだ。

そんな風に、思います

そう思えるようになったきっかけは、間違いなくあのエントリー

本当に、この場所感謝してます

なんてステマ臭の強い記事なんだろうと思うけど、本当にステマじゃないです。最後まで読んでくれてありがとうございました!面白みがなくてごめんなさい!相変わらず長い!ただの感謝気持ちです!

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426181027

高校大学の頃に山田詠美がめちゃくちゃ好きで全部持ってたし何回も読んだけど、一回も浮気したことないし、ゆきずりで…みたいなのも一回もないよ!

でも自分の行動に影響が出ちゃう人、いそうだとは思ってたけどやっぱりいるんだなぁ。

山田詠美文章が美しいところと人生を前向きに楽しむ姿勢が好き。(でもエッセイ全然面白くないと思ってるので読んでないです)

2017-04-24

ディスレクシアの人たち

息子がディスレクシアだという漫画家が描いたエッセイ漫画話題だけど。

字が読めない、書けない人たちの障害リアルが描かれていて、とてもわかりやすい。


幼少期から日本語のみで過ごしてきた人にとっては英単語のほうがより覚えづらく、漢字についてはそれぞれの部位を別の単語なり意味のある言葉で関連づけたら覚えやすいという。この描写で気づいたことがある。


ディスレクシアでない人だって、画数がものすごく多い漢字難易度の高い英単語を覚える際、何かに関連づけて覚えたりする。

まり彼らは「字を書くこと、読むことが苦手である」というより、障害がない人たちが年齢と共に成長するはずの部分が成長していないわけだ。何らかの理由で。

結果的に苦手であるだけで。

成長・発達していない。できていない。差別に繋がるからオブラートに包んだ言い方をしているだけ。


発達障害にも言える。

決して「苦手」なんじゃない。「成長できてない」のだ。だからその部分に関しては人に劣っているわけだけど、そういう言い方はしない。たまに「だからこそ他の部分が突出している」なんて言われたりもする。全員がそうではないのに(特にアスペルガー)。全ての能力の平均が皆一緒であるけがない。平均が低い人もいれば、高い人もいる。

それは障害のあるなしに関係ない。


こういう世間配慮が不理解につながっていると思う。

「字を書くことに関して成長できていない、あるいは成長が遅い。ただし知能指数一般的である」でいいと思うんだけど。

2017-04-16

素人小説って誰が読んでいるんだろう

青空文庫図書館いくらでもタダで読める名作があるのにわざわざ素人駄文を読んでいる人ってなんなのだろう。

ブログSNS素人の話を聞くのは理解できる。

どこにでもいる人、何の能力もない人、物書きとは違うタイプ能力を持ってるその本人、そういった人達の身の上話や雑談を楽しむのは理解できる。

だけど、フィクションを読むならプロの物に限るでしょ。

エッセイノンフィクションと違って書いてる人間人間性属性が出力と関係しないフィクションで問われるのは実力のみ、そこを考えればわざわざ素人小説を読むなんてナンセンス極まる。

あーでもひとつだけあったわ、素人小説読む理由

今時の世の中を題材にした話が読みたいけど金は出したくない、これで合ってる?

素人小説を読んでいる人がいる理由の答え

2017-04-14

あたしンちの娘

日曜日、朝刊におまけのように付いてくる日曜版に掲載されていた「あたしンち」を読むのが好きだった。

あたしンちは、どこにでも在るような父母と姉弟の何気ない家族の話しだ。

どこにでも、というには立花家のお母さんの性格個性的だけれど、「両親と2人の子供」という家庭は、ごくありふれたものだろう。ありふれたものだと、世間知らずの子供だった私はそう思っていた。

あれから20年近くが経ったけれど、私にはまだ子供がいない。将来的にもいないままな気がする。結婚したら、子供は産まれ母親になるものだと思っていたけれど、そういうものでもなかったらしい。

今になって思えば、何故「結婚したら子供が産まれ母親になる」と思い込んでいたのだろうと首を傾げてしまうのだが、確かに「あたしンち」を読んでいた頃の私はそう思っていたのだ。

子供は産まれない。子供が産まれいから、母親にはなれない。

養子という手もあるけれど、健康的な理由子供が育てられないのだから養子を育てるのも難しい。

それを悲しいと思うことはあまりないのだけれど、時折、言い表しようもない虚無感に襲われることがある。

友人や知人が子供の話をするのを聞くのは好きだ。

育っていく子供たちが健やかなのは嬉しい。予想もしないような言動も、聞いていて楽しい。苦労を分かち合うことは出来ないけらど、話を聞くのは好きだから、どんどん話して欲しいとは思う。

けれど、やはりどこか他人事だ。育児エッセイを読んでるようなそんな気分。

ああ、私はあたしンちの娘のまま、あたしンちのお母さんになれなかったんだなと、「あたしンち」の漫画を久しぶりに読んで思ったのであった。

その漫画は「お花見」の話で、相変わらず立花家のお母さんは楽しそうだった。

2017-04-10

エッセイ漫画って、なんで落書きみたいなやつが多いんだろうと思ってたけど

デフォルメ強めの絵の方が嫌味っぽくならないんだな

と、きれいめな絵柄のエッセイ漫画を見て気づいた

絵が綺麗だと、語り方によっては自慢かよ!って反感買いやすいか

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170402074538

日本現代詩って句読点使わないでやたら改行の多い散文のことでしょ?読みづらいか小説エッセイ読むわな。なんでわざわざあん形式で書くんだろうね?

2017-03-28

保守愛国活動孤独感を減少させる by愛国保守の人

という自己分析をしているブログがあって興味深かった

以下引用

これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。

2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的隣国情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーテレビ局は無かったわけですし、新聞産経を除いて報道してきませんでした。

なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います

日本戦後教育日教組価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います

いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社学校部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います

日本対外的危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います

今、家族は妻の実家帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守立場に立ったからだと思います。昨晩は2ch辻元清美関係スレものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。

言いたいことをまとめますと、

敵国の存在日本人愛国心を復活させつつある

愛国心個人所属感を与え、孤独感を減少させる

といったところでしょうか。

https://kininarukabu.com/post-8091/

やっぱり所属する所が日本という国しかなくなった人が愛国保守活動にのめり込むという例はあるみたいですね

2017-03-26

まとめブログかいtwitter以下の存在が実は有用だった件について

まとめブログは2chに書き込まれ情報コピペ転載しているだけのサイトなのだが近年その実態は変化してきている(もう大分からだが)

一昔前まではまとめブログといえばこれといった代表的まとめサイトが2chからコピペ転載禁止されたからだ

そこで困り果てたブログ管理人たちは頼る相手を2chからtwitterに変えた

twitterを利用する人たちをアホッターだのバカッターだの馬鹿にしてた奴らが今度はその情報を用いて収益を得るようになったのだ 滑稽でしかない

しかtwitter馬鹿にしてる現状は今も変わらない だれかのtwitter書き込み炎上すればそれを美味しいネタだと許可なく勝手転載する

タイトルには必ずバカッター、アホッター コメント欄も同じような言葉で溢れている

人間のありとあらゆる負の感情を凝縮したようなまとめブログ

だがそんなまとめブログ最近になって使い方によっては有用であることに気づいた

それはどうでもいいこと、中身のないエッセイ的な日常漫画という媒体にしてネットに上げれば勝手拡散してくれるのだ

まとめブログを見てる奴らの習性というのは面白いもの漫画にするだけでそれが全体の総意と勘違いし書いた奴が思ってもないことまで勝手想像して場外乱闘を始めてくれるのだ

自分絵心なんてまるでなかったが実際に試してみようと思い自分日常や不満に思っていることを漫画にしてtwitterブログにあげてみたりした

すると一週間も経たない内に様々なまとめブログに取り上げられtwitterフォロワー数やブログカウント数は桁違いに伸びた

それだけでなくweb漫画運営しているサイトから自分日常を題材にした漫画を連載してみないかと声をかけられた(まだ返答はしていないが)

これを読んでいて絵を描くのが好きな方、売れなくて困っている漫画家の方がいればぜひ試してほしい

まとめブログ管理人、それを利用している人々はそこら辺のハーレムアニメヒロインとは比べ物にならないくらいちょろい存在であることに気がつくはずだ

 

2017-03-23

何もする気が起こらない

元々から怠け者タイプ人間ではあった

けれど、ゲーム漫画だけは大好きで没頭できた

どんなジャンルのものでもやったし、漫画感想サイトなんかも作ってた

今はゲームは面倒でやる気が起きないし、漫画もゆるいエッセイとか一話完結ほのぼの系しか読めなくなった

かわりに他の趣味ができたり仕事や家庭が忙しいかといわれるとそんなわけでもない

先月仕事を辞めて無職

一日ごろごろスマホ見てコンビニごはん買ってぼんやり過ごしてる

このままじゃいけないとはわかるんだけど、何もしたいことがない

どうしよう

どうすればいいんだろう

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170319185054

おひとり様ふたり暮らし」っていうエッセイ漫画本を読むといい。女性2人の同居生活エッセイ

結婚するなら異性がいいだろうけど、生活経済を誰かと共にしたいだけなら性別なんて当然関係ないよ。

マウンティング」の次は「マンスプレイニング」ですか

マウンティング」については以前からほそぼそと使われていたのが、瀧波ユカリ氏と犬山紙子氏の対談で瀧波ユカリ氏が発した「マウンティング」という言葉犬山紙子氏が面白がって2013年4月『嫌われ女子50』という本に書き、その直後に増田にも上陸2014年ドラマファーストクラス」で沢尻エリカ様が世間一般に知らしめた。というのが大体の流れだということが分かったが、今度は「マンスプレイニング」ですか。

マンスプレイニング」の増田上陸は「マウンティング」も一通り世間に知れ渡った2014-07-18 http://anond.hatelabo.jp/20140718214743

Google Trendsを見ても、その直前の2014年5月に初めてゼロレベルだったところからピクリとグラフが反応している。

https://trends.google.co.jp/trends/explore?q=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

英語圏ではほそぼそとしか使われていなかったのが2016年に入ってから急速に広まったらしい。中心地はスウェーデンカナダオーストラリアでも少し話題になっているらしい。

https://trends.google.com/trends/explore?q=Mansplaining

マンスプレイニング」の発祥ははっきりしていてRebecca Solnitさん2008年ネットで書いた"Men Explain Things to Me"というエッセイが始まり2015年書籍になっている。 https://www.amazon.co.jp/dp/1608464660 。この本の出版トレンドに火が付いたのだろうか?

国内に紹介したのはウートピというサイトのこの記事だろう。「上から目線の男の解説うんざり! あなたの身近に必ずいる「マンスプレイニング男子」とは?」http://wotopi.jp/archives/4370 (2014/05/14)。

この記事反響はガールズちゃんねる http://girlschannel.net/topics/137694/Twitterで見ることができる。ガルちゃんでの食いつきはかなり良い。世の男性から物事説明のされ方に対して鬱憤が溜まっていたらしい。それから2ヶ月ほどして増田に流れ着くことになる。

そして今日 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1092144スターを集めている。

追記: リンク先のブログエントリは消されているが、2011年7月のこのエントリはてな上陸らしい http://b.hatena.ne.jp/entry/untitledunmarked.blogspot.com/2011/07/se.html

2017-03-17

子供が欲しくない

私は20代前半。

人生で一度も、子供が欲しいと思ったことがない。

理由を色々考え、出た結論は「面倒なことが増えるから」だった。

妊娠出産育児エッセイを何冊か読んだ程度の知識なのでザックリとしているが、

つわり地獄のような苦しみや、大きなお腹を抱えて生活することの大変さを知った。

食生活に気を使い、妊婦に優しいアイテムを買い、定期的に病院検査し、マタニティスクールに通い、

役所病院費用補助金申請し、生まれてくる子供のためのグッズも揃えないといけない。

この時点で「めんどくせぇ~」と心の底から思った。

出産もめちゃくちゃ痛い。無痛分娩もあるが、「産むときだけ痛くなくても、いてえのは陣痛だよ陣痛」と

母親によく言われるので、まったく痛みのない出産はまず無理なんだろう。怖い。

まあとにかく生まれました。おめでとうございます。あー終わった終わった、というわけにはいかない。

この世の右も左も分からない赤ん坊を、同じく育児の右も左も分からない母親が育てるって超難易度高い。

でも面倒だからお世話やめた、なんてことはできない。もう生まれてるんだから

もしも子供が生まれつきの持病を持っていたら。不便なアレルギーがあったら。アトピーがあったら。

とんでもなくブサイクだったら。発達障害だったら。学校いじめられたら。逆にいじめっ子になったら。

夫が育児に非協力的で理解がなかったら。偏食だったら。

同じクラスメイト母親が変な人だったら。担任先生が変な人だったら。

PTAが面倒臭かったら。受験に失敗したら。就活に失敗したら。悪い友達とつるんだら。

学生のうちに妊娠したりさせたりしたら。「産んでくれって頼んでない」と言われたら。

様々な不安が尽きない。そのくらい我慢しろよと言われるものも沢山ある。

でも嫌なのだ可能性として起こり得ることを考えると、子供はいらない。

子供に何かあったとき自分人生経験知識が乏しすぎてフォローできず、母親失格になってしまう。

子供もきっと苦しむ。

これまでの人生出会ってきた多くの選択出来事は、「ミスしたら自分に返ってくる」ものだった。

志望校に落ちようと希望の会社に不採用になろうと、嫌な思いをするのは自分だった。

勉強しなかったツケ、就活対策をちゃんとしなかったツケは自分に返ってくるだけ。

しか妊娠中の生活に気を使わなかったり育児を面倒臭がって放棄したら、苦しむのは自分ではなく子供である

親が徹底的に子供の見本となり、子供を守り、道に迷ったときに手を差し伸べなくてはいけない。

自分がそんな立派な人間になっていないのに子供を作っては子供がかわいそうだと本気で思っている。

デキ婚する人はどうしてすぐ産もうと決断できるのかわからない。その度胸はどこからくるんだ。

たまにネット出産が「3000万ガチャ」と揶揄されるが、本当にそのとおりだと思う。莫大な金がかかる。

そんなガチャをうちの親は私の前にも何度も回してきた。尊敬する。

今まで何人か彼氏がいたし、今もいる。

「この人と結婚したい」とは思っても、「この人との子供が欲しい」と思ったことは一度もない。

ずっと2人きりでいたい。夫との時間を独占したい…とよく思っていたけど、

まあずっと同じ屋根の下で2人でいたら、恋人時代気持ちなんてすぐ消えて

だんだん生活マンネリ化してきてうまくいかなくなったりもするんだろうな。

から子供がいたほうがいいのかもしれないけど、そんな緩和剤代わりに子供をポンとつくっていいのか。

妊婦子連れベビーカーバッシングネットでよく目にする。

保育園も落ちれば国に死ねと言いたくなる。

育児中にあった嫌なことや肩身の狭い思いをした体験談も沢山見る。

(家庭板のまとめを読むのはやめたほうがいいかもしれない)

自分がその当事者になることを恐れている。

私が万が一妊娠してしまったら、周りは「おめでたいこと」と捉えるから、きっと産むんだろう。

人間ひとりつくって育てるというとんでもない行為は「やっぱりやめた」ができないから、恐ろしい。

今付き合っている彼氏とうまくいって結婚の話が出たとして、「子供が欲しい」と言われたら本気で悩む。

「夫が子供を欲しがっている」とか「(義)両親が孫の顔を見たがっている」という理由

私が折れて妊娠出産していいものなんだろうか。母体は望んでいないのに。

周りが希望してるから命をつくるなんて無責任ではないだろうか。

「産んでくれって頼んでないのに!」って子供に言われてしまったら、

「私だって産みたくなかったわ!」って思っちゃうんだろうか。

私は自分に面倒事を沢山もたらした原因である子供を愛せないんじゃないか

どんな理由であれ、私のように子供が欲しくない人はきっといるんだろうけど(多分)、

子供は欲しいもの、望むもの、みたいな風潮が世間にある。

少子化という言葉があるということは、子供とは「産んで増やさないといけないもの」なんだろう。

私か相手子供をつくれない体なら仕方ない。それよりも「つくらない」ほうが周囲から疑問視されそう。

育児がしにくい世の中になってるのも問題だけど、そういう社会的な面よりも私の心理的な面が大きい。

こんな私が、子供が欲しいと素直に思える日はくるのだろうか。

それとも、たいしてよく考えないまま流れに身を任せていたら、案外大丈夫なものなんだろうか。

一応言っておくと、親に虐待されていたわけではない。むしろ末っ子なので甘やかされて育った。

子供はあまり好きではなかったけど、最近は仲の良さそうな親子を外で見かけると微笑ましいと感じる。

ただそれは楽しそうなほんの一部分を見たからで、

その場面を自分が得るまでにどれほど苦労しないといけないのかと考えると子供を欲しいとは思わない。

甥・姪をめちゃくちゃ可愛がってしまうのと同じだ。

あと、反出生主義という主義があるけど、そこまで過激な考えではない。出産尊いものだと思っている。

私は出産したくないというだけ。

今ふと思ったけど、学生時代全然楽しくなかったことと、この考えには関係はあるだろうか。

まらない地獄のような学生時代子供に味わわせたくないとか無意識に思ってるんだろうか。

そこはよくわからない。

とにかく、子供をつくることによってありとあらゆる責任が降り掛かってくるのが面倒で耐えられない。

面倒事は回避したい。だから子供はいらない。

なんかエッセイ漫画とかだとある言葉を言われてとかある医者出会ってとかいうその瞬間に一気に心が楽になったみたいな表現が多々あるけれどほんとうにそんなことが現実にあるのかな

そういうタイプのものって他の人も私と同様に楽になって欲しいというような心で発信されてるものが多いようにみえるんだけど、苦しいときにそれを読んでも自分が今苦しいということはまだ自分にとってのそういう言葉や人が見つかっていないんだ、探さなければいけないんだ、それと出会うまでは苦しいままなんだという絶望のしかかってくるだけに思える

つのまにか楽になってたな〜、あるときそれに気づいたな〜というタイプエッセイの方が、いつかそうなるだろうというふうな気がして読んでて希望が持てるなあ

2017-03-14

初カキコ…ども…

俺みたいな独身ボケた親見てる貧困野郎、他に、いますかって皆か、はは

今日母親の行動

俺のこと父親(すでに他界)だと言ったり とか ここはどこだと錯乱 とか

ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子砂漠アニメを見て、呟くんすわ

it'a true wolrd.俺、頑張ってる?それ、誉め言葉ね。

好きなジャズシンガー 綾戸智恵

尊敬する人間 村上龍(暗いエッセイはNO)

なんつってる間に16時っすよ(笑) あ~あ、ショートステイの辛いとこね、これ

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん