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はてなキーワード: 二つ目とは

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

まず、どんな深い思想も極端、一面的、偏った、側面を持っている。どれかを信仰するということは他の思想と必ず対立する。

二つ目、私は養老孟司さんがよく引用する、丸山眞男日本思想はないという主張が正しい気がする。しかし、養老孟司さんはこうも言う。人は何かを信じずには生きていけない。よって、日本人思想をもたないという、世間常識を信じている、と仮説を立てる。(さら引用されるのは踏み絵の話だ。本心はどうでもいいが、建て前として踏み絵すら踏めないという人は世間から弾かれた)

最後に、確かに新興宗教に対する差別意識はなんの根拠もない不合理なものだが、(よくよく自分が信じているもの、なぜ自分安心して生きていられるのか、を検証してみれば数々の根拠の無いものを信じている事に気付くだろう)

相手は世にまだ出たことのない学生である世間知らずの学生新興宗教の組み合わせにある距離感を抱かないとすれば、それを良識のある大人と言うのだろうか?孔子曰く、君子危うきに近寄らず、と。

2017-04-22

VR業界から見える中国、そして日本

つい先日、はてブtogetterの「中国おいてけぼりを食らう日本」という記事話題になった。

https://togetter.com/li/1102767

そのまとめのツイートの中で取りざたされていたのが「中国から世界に先駆けたVRデバイス業界標準、公開へ」(Mogura VR)という記事だ。

http://www.moguravr.com/china-standard-for-vr-industry/

上のまとめではこの記事ツイートした人から火がついていったのだが、どうも肝心のVRと中国事情について触れる人がいなかったので少し残念に思ったのだ。VRに対して一定の関心を保っている増田の一人より、せっかくなのでVRと中国、そして日本について軽く知ってほしい。



結論から言うと、VRでは中国ヤバイ!VRは中国米国を中心に回っていて、他の国はその二つの市場にどうやって食い込むかを考えている。

日本日本市場だけで食っていくのは考えづらいけど、他国市場独自地位確立する実力はある、という感じだ。

そもそも、現在VRはヘッドマウントディスプレイHMD)と呼ばれる機器が主流になっている。そのHMDもおおまかにスマホモバイル)型とパソコン型の2種類に分けられる。

現時点で世界で主流なパソコン型のHMDは数えるほどしかない。一つ目は日本企業のSIE(ソニー)が作っているPlayStation VR(PSVR)、二つ目台湾企業HTCが作っているHTC Vive(Vive)、三つ目は米国企業Facebook(Oculus)が作っているOculus Rift(Rift)のおおよそ三種類だ。もちろんこれら以外の企業(まずはマイクロソフト)も後々参入してくるだろうが、現時点で業界基準となっているのはこれですべてだ。


それで、この3つのHMD2016年時点での世界合計出荷数(http://svvr.com/press-media/svvr-2017-superdata-infographic/)は

PlayStation VR: 745万台

HTC Vive: 420万台

Oculus Rift: 261万台

となっている。

ちなみに日本

PSVR: 8万台

Vive: 1万台強

Rift: 2800台

といった感じだ。


この数値だけ見るとHMDPSVR圧勝に見えるのだが、PSVRは他機種と比較してある致命的な問題を抱えている。それは、PS4しか動かないことだ。もちろん、PS4世界で5000万台以上出荷されていて安定した性能を誇る機種なのだが、如何せん本格的なVR市場が立ち上がってから数年も経っていないため、プレイヤーの大半を満足させられるような大作の数が圧倒的に少ない(小規模な実験的な作品はいっぱいある)。

また、現時点でわざわざ高い金を払ってVRに手を出す人は新しい物好きかVR開発者ほとんどだ。PCのVRであれば自分UnityUnreal Enine 4といったツールを使って自分でVRソフト研究・開発をできるが、PS4などのゲーム機では基本的に新しいVR対応ゲームソフトが来るまで押し入れの奥で埃をかぶることになる。そういったわけで、PSVRは数では一番売れているがPC用のHMDと比べると少し影が薄い。


そこで、PC用のVRの話になるのだが、現時点では台湾企業HTCが作ったViveが最有力だ。中国ではFacebookの居ぬ間にHTC台湾企業としての強みを活かしてほぼ統一させ、米国でもFacebookRiftよりもViveが強い支持を得ている(http://store.steampowered.com/hwsurvey)。日本ではFacebookクレジットによる注文のみ受け付けているが、HTCPC販売店などと契約を結んでその場で現金購入できるようにしたことにより圧倒的な差をつけた。物流販路勝利である



話が長くなったが、中国現在国家単位でVRに力を注いでいて、台湾企業HTCとは蜜月関係である(見ていて中々ハラハラしません?)。

上の記事の通り、HTC大学研究所が組んで基準を作ったりしていたり、HTCが深圳政府と組んで研究所を作ったり公共機関にバラまいたりしてます中国のVRのベンチャー企業ハードソフトを問わず)も数も資金日本とはくらべものにならないぐらいぐらいあります。とりあえずそれらしいワードでググれば中国とVRの記事はわんさか出てくるでしょう。


そんで、日本はどうすればいいのかという話なんですが、まず日本PSVRがあります。忘れがちですがPlayStation日本ブランドですからね、一応。まあパナソニックとかもBtoB向けにHMDを作っていたような気がするのですが…それは置いておいて。

幸いにも日本には世界でも有数のゲーム企業を誇る国です。VRにはゲーム企業ノウハウの応用が利きますあくまで応用ですが)。

PSVRを作っているSIE(ソニー)はもちろん、スクエニバンナムセガ、コエテクなどのゲーム企業はすでにVR事業に参戦しています任天堂も一応研究しているとかなんとか。

中国PCオンラインゲームが盛んではありますが、日本のような家庭用ゲーム機はあまり普及しなかったので楽しさのベクトルが少し違います。もちろん中国の成長スピードを考えればノウハウが溜まるのもあっという間でしょう。

更に日本世界有数のアーケードゲーム大国です。

現在VRの収益の44%がゲームを含むソフトウェア、35%がアーケードを含むロケーションベースです。

ちなみにアーケード形式のVRは世界の中でも中国日本でかなり進んでいる分野です。昨年はお台場のVRZONEが話題になりましたし、今年の夏にはVRZONE Shinjukuができる予定です。中国では現在単位アーケードVRを遊べる場所があるそうですが、コンテンツの魅力が乏しいためか客がすでに一巡してしまったようです。


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最後に、どうすれば日本のVRが発達するのかについて言わせてください!

まず、VR機器を買って下さい!

最先端のVRやVR開発に興味のある人は20万円前後ハイエンドPC10万円前後HMDを揃えて下さい!

開発者でもないしそんな高い金を払う余裕はねーよという人は是非アーケードVRに遊びに行ってみて!最近漫画喫茶とかにも置いてあるので!

PSVRをいつまで経っても買えない人は運を高める努力をするかPCのVRに乗り換えるかを検討してください!

あと1~2年待てばVR用の大作も少しずつ増えると思います…!


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みんなの最先端テクノロジーに対する熱意が市場技術開発を刺激するんだぜ!










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PS4日本であと2倍は売れていたらPSVR日本にもうちょっと回って来たんじゃないですかね(小声)

ちなみにこの増田ではGalaxyのGear VRといったスマホ向けのVRは意図的に省きました。そこまで含めると書いても書ききれません。

少なくともスマホ用VRは日本立ち位置がなさそうです。そもそもスマホ市場で生き残れた日本企業がないので。

VR=ゲームというイメージになってるのって問題ではという議論他所でお願いします。

ゲーム業界以外もVRにジャンジャン参入してくれると助かるんだぜ。建設とか工場とか医療とかエンタメのVRの動向に注目です。

マイクロソフトのVR・MRとかインド事情とかも気になりますけどね。

婚活サイトでそこそこ婚活した結果

25歳男 180㌢ 大卒理系 不細工 正社員

まれてこの方全く女性と接点がないし、そろそろの年齢なのでやった、という記録

使ったのはmatchタップルpairs

期間は1年(2016.4~2017.3)

誰とも会えず

どのツールにも言えることでけど、

メッセージを送ってもまぁ返ってこないし

来たらきたで2回くらいで音信不通

向こうから来ることもあるけどだいたい課金の境になる時期

十中八九客つなぎとめるためのサクラだろうなぁ)

結果、文字通り誰から相手にされず終わった。

感想としては結構上昇婚したい人って多いんだなぁ、とか

pairsってfaceboookの友達必要なんだなぁ、とか(友達がいないのでよく分からないコミュニティに入って申請乱発した)

こんなに利用者はいるのに俺は誰から必要とされないんだなぁ、とか

「こんなに~はいるのに俺はいらないんだ」って感覚就活を思い出して少し笑った。

需要がないことの再確認作業有償

需要供給とか割れ鍋に綴じ蓋って言葉がある。

あるにはあるけど実際は割れた鍋に蓋が必ず存在するわけじゃなくて、かならずあぶれる俺みたいなのがいる。

それを救済するのがお見合いとか、この手のツールなわけだけど…それでもあぶれる俺みたいなのがいる。

なぜあぶれるのか、というのはやっぱり需要がないからで、いらない商品は安売りしてもホコリを被って朽ちるだけなんだね。

そもそも俺と付き合うことで女サイドに何のメリットもなくないか

最近インターネッツではマウンティングかいう見栄の張り合いがめっちゃ流行っているらしく、

恋愛というのはその見栄の張り合いで使うカードを稼ぐ場所らしい。

大して稼いでいるわけでもなければイケメンでもなくすごい会社にいるわけでもない男はカードにならない→いらない(今日明日永遠に

(考えてもみりゃ金も顔も肩書も良くないやつとか俺が女だったら絶対相手しないわ)

その再確認作業を1年かけて(有償)実行し、結果こうだったわけです。



他にやったこと

顔面オタクオタク病なので、場違いなのは分かってはいたが、1,2回だけ行ってみたことがある。(一人で)

結局おっさんしかおらず、行かなくなった。(女がいたところで何も出来ないけれど)

ダーツは腕が疲れるがそれなりに楽しかった。(周りが華金を友達や同僚と楽しく投げている中、一人黙々とやっているのは明らかに痛かったと思う)

クックパッドの小規模かつ単発のやつに参加したことがある。(一人で)

結局既婚オバサしかおらず、1回で終了した。クリスマスディナーは美味しかった。おすすめです。

これも単発のやつに参加してみた。(一人で)自己表現系のやつ。

当たり前だけどおっさんしかおらず、1回で終了。

経験を生かして職場で少しハキハキ喋れるようになった。行って良かった。


以下身の上話と女との接点がいかに無かった人生かって話

そもそもの話、女から友好的に接してもらった経験がない。(仕事以外で)

母親も姉も死ぬほどヒステリーで人にあたるし、精神的に不安定だった。

小中では例によって虐められていたんだけど、

自分が小中時代女子から「シンショー、ショグ」(身体障害者、ここでは知的障害者の意)とかボロクソ言われたり、バイキン扱いされていた。(一応俺は健常者だよ)

当時は「こいつらが精神異常者なだけで、世には優しい女性がたくさんいるはず」と思っていた。

適齢期になってインターネットを見てみれば、トゥゲッタとかhatenaでも男に石を無限に投げつけるような、俺を障害者と呼んでいた連中と似たようなチンピラ女は山ほどいた。

優しい女性なんてどこにもいなかった。

高校は男ばかりのすべり止め高校で、大学工業大学電子情報系だったので女っ気は無かった。

会社がすごければ結婚できたんだろうけど、それほどネームバリューがある会社ではないのでそれにも期待できない。(職場はオッサンしかいない)

なぜ結婚したいのか、恋愛したいのか

理由は3つあって、

一つ目は、進学→就職結婚という一連の人生プランを滞りなく進めたいという意味

二つ目は、

関係ないけど最近の華金は大体夜景スポット見に行って、秋葉行って、本かプラモ買って帰るのが習慣なのね。

夜景スポット見ると中年からヤングまで色んなカップルがいて、それ見て寂しいな~~~ってなるのと

東京にはこんなに人がいるのに俺を好きになってくれる人はいないんだな~~~って気持ちになったというまぁそういう意味です。

今度は本当に関係ないけど秋葉原外人カップルいるじゃん。アジアンのもいるじゃん。

たまに俺と似たようなオタクオタク病の顔した男と可愛い子が手繋いでたりしてあれなんなんだろうな~~~ってならない?俺はなるのね。

あれってお金かな?それともお金かな?あるいは会社役員だったりするのかな?   関係ない話オワリ

三つ目は、上にもあるように人格形成の時期にクソミソ虐められていたし、冴えない人生送ってきたんだから

少しくらい報われてもいいじゃないか、っていう考えです。

でもまぁ~~~、需要がないってことは人生プラン就職で打ち止めで、もう死ぬまで夜景は一人で見て、人生報酬もないってことなわけで

ここで始めて人生目標がなくなったことに気付いた。

普通の人って生まれた時点でいろんなチェックポイントがあるでしょう。

進学、就職結婚育児出世、老後…

まり俺は結婚が出来ないので育児出世もする必要がなく、人生消化試合が確定してしまった。

考えなきゃいけないのはこれから人生をどうやって過ごすか、ということで…死ぬのもいいが、何かをしてみたい、何を始めようか…

2017-04-11

3人以上並ぶと二つ目レジを開けるというオペレーションむかつく

レジAとレジBがあり、Aは開いているが、Bは「レジ休止中隣のレジをお使いください」の札が出ている。

Aで会計中の人の後ろに並ぶ。前の人はモタモタしているが、カウンターの中にはレジAにて対応中の店員以外にももうひとり店員がいるが、私の存在を認めてもレジBを開けるでもなく作業を続行している。前の人がなにやらモタモタしているのでかなり待つが、レジBは開かない。

レジAでやっと私の番が来ると同時に、私の後ろに2人ほど並んだ。突然「お待ちの方こちらどうぞ」とレジBが先ほど作業中だった店員によってオープンする。

なぜ私が待っていたときには開かなかったのか、と尋ねたくなるが、そんなことはできない。

2017-04-09

頭と心は違う

一言で今回書きたいことをなんと表せばよいのか。

迷った挙句とうとう人の言葉を借りてしまった。

タイトルレミオロメン君は太陽」の歌詞だ。

からよく聞く曲の一つだが、

2番AメロBメロ特に心に突き刺さる。


[頭と心は違う 誰かが言った言葉が巡ってるよ

後悔の無い様に生きる為にはやっぱり心なんだろう

色んなことを引き受けたり委ねたりしてるけど

身の程知って愛を込めて日常を生きていこう

生きていこうか]



本当にそうだと思う。頭と心は違う。

今日特にそれを感じた一日だった。

就活セミナーに行ってきた。

私は既卒就活生なので多分周りの就活生よりは焦った方がよい。

この3月まで就職とは別の道を志していたので、今回が初めての就活セミナーだった。

就職活動に対して何の知識もない状態だったので、基礎的な就活講座を受けることにした。

その中で選んだもの面接時のマナーに関するものだった。

かつてはヤンチャ()だった私だが、今となってはすっかり平和主義である

もし選考で落ちるとしても面接担当者選考に関わる人に不快な思いをさせたくなくてこの講座を選んだ。

「今年の学年は-」などと言う想定内皮肉を聞きつつ、

一つ上の学年の私は妙な気分になったりもしたが知りたかった情報を得ることはできた。

面接なんてそうそう受けないので、独特のルールを知れたことは大変身になった。

そんな充実したセミナーだったが退場の時に問題が起こった。

退場する就活生が全員同じ角度で、同じ声量で、同じトーンで、

みんな親戚かと思うくらい同じようにスタッフさんに挨拶をしていた。

もちろん当たり前だ。スタッフさんに感謝はするべきでもあるし、するべきだと思う。

また、講座の内容も挨拶の基本を教えてもらえるものだったので

早速実践できているということはちゃんと学べているのだと思う。


あの場では、挨拶するべきことが正しい。それは誰が見てもそうだろう。

だってそう思う。思っているはずだ。

しかし、真面目に挨拶ができる彼ら・彼女らを見て私の心に浮かんだ感情

軽蔑」以外の何ものでもなかった。

実践できていることがすごいのはわかっているのに、

その状況にあんぐりしてしまってスタッフさんにまともな挨拶すらできなかった私より他の就活生が秀でていることはわかっているのに、

そして他の就活生を見下す気など全くなかったつもりだったのに、

そんな最低な感情が浮かんでしまった。

多分そう思ってしまった理由は二つある。

一つ目は入場時にそのような挨拶をしていた就活生は一人もいなかったこと、

二つ目はその挨拶からなにも感じられなかったこと、

だと思う。


特に自分の中で引っかかっているのは二つ目だ。

もし感情がこもっていたとしても、言葉お辞儀を分ける、腰から深々とお辞儀をするなんてことしたことがある就活生なんてごく少数だろう。

自然になってしまって当たり前だ。

それでも行動に敬意を表そうとするその気持ちが大切なんだろうと思う。

もちろん就職活動のみでなくて、これから入社して仕事をしていく上で必要なことだとは思う。


わかっていても、その場で私は

「上辺だけでやりとりをするのではなくてちゃんと心で繋がりたいな」

と思ってしまった。

ビジネスの場でそんなことは必要とされてないだろう。

必要なのは相手不快にさせない力だと今日学んだ。

それでも、相手理解したい、同時に自分のこともわかってほしいだなんてエゴが浮かんできてしまうのだ。

卒業式学生気分なんて捨ててきたつもりだ。家庭の事情で一刻も早く内定をもらわないといけない。

就活生の立場で何だが、それでも社会人として適応できてない自分がいる。

仕事に人との繋がりを求めてしま自分がいる。

こんな自分必要としてくれる会社なんてきっとどこにもないのだろう。


こんな割り切れない感情を抱えたまま明日就活セミナーに向かう。

なんとか人を不快にさせないで人と心から繋がれる方法はないのか。

そんなことを考えてしまう私には社会人になる資格なんてないのか。

とにかく、不器用ながら明日出会う人には不快な思いをさせないようにがんばろう。

2017-03-30

twitter辞めた

アカウント変えたりとかありましたが計6,7年近くやってたtwitterを辞めました。

理由複数

まず一つ目に、尊敬する人が誰もいないことです。昔はこの人みたいに情報発信ができるようになりたいだとかこの人のような写真を撮って上げてみたいと思った人がいて、自分もなろう思って一生懸命になっていろいろ考えたりとかしました。それがモチベーションとなってました。しかし今はそういった人がいるどころか見つける気力すらなく、ただ自分のクソを垂れ流し続けるようなツイートしかできずフォロワー申し訳ないと思いました。

二つ目に、同じ景色をずっと見ている気分になったことです。要するに飽きました。

三つ目に、ゴミツイートがキツいのとゴミと無色の喧嘩を見るのがものすごくキツくなったことです。おそらく日本でも数少ないであろう性癖を持った上に学校に登校もせず金を使いまくった挙句破産自分が頂点にいるとでも勘違いしているような傲慢さ溢れるツイートを見るのがとてもキツかったです。限界だと思った時にミューしましたがこのような価値観を持った人間が世の中に存在自分フォローしていること自体がなんかもうキツイです。フォロー外したら外したで周りも巻き込んで騒ぐしそれもそれで嫌なのでなかなか踏ん切りがつきませんでした。ゴミについてはいろいろと言いたいことはありますがここではこの辺にしときます


以上が辞めた理由です。

今はYouTuberの方が面白い人がいっぱいいると思いますし何より見ててすごく楽しいです。もしも飽きてしまったらそれはそのときにでも考えます

2017-03-29

学校アニメは見ない

オタクの多くは学校いじめられる側だったはずなのに、なぜ学校アニメ批判しないのか。

学校で苦しんだ私は、たとえアニメ漫画の中でも学校を見たくないぐらいなのに……。

そしてオタクを傷つける不良生徒だけでなく、学校それ自体にも大きな問題がある。

数々の意味不明校則によって生徒を締め付けたり、遅刻忘れ物をしたぐらいで厳しく罰せられたり。

他人の失敗や他人が楽をすることを許さな不寛容社会は、学校によって育まれているのではないか

 

学校アニメが多い理由は、第一に作り手の怠慢がある。

大人社会や専門分野を描くには相応の勉強取材必要だが、学校には誰もが通った経験があるので

何の準備もせず描くことができる。無教養意識の低い作り手は、学校以外に描ける社会が無いので学校を描く。

二つ目理由は、制服姿の女の子エロいこと。世代を問わず日本男性制服のJCJKが大好きなのだ

 

学校問題意識を持つことなく、ただ楽しく美しい青春時代としてしか描けない作り手。

これだけ学校アニメがあふれる現状にありながら、迷いなく学校アニメを出してしまう作り手。

そんな作り手がいくら自信や使命感を謳おうが、私は絶対に信用しない。

 

現在制服美少女アニメに以前までの勢いを感じない。

君の名はラブライブ反動が起きているのかもしれないが、良いことだ。

けものフレンズのヒットを見て、バンド関係者は自らの怠慢を恥じてほしい。

2017-03-17

オタク映画館SAOを見るよりモアナを見ろ

モアナ伝説の海、とにかく凄かった。

まりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。

もう本当に凄い。

クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。

もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。

何故ならこの映画普段ディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから

そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフル気持ちにもなれるという普段ディズニー看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである


しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。

何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。

なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナ伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。




1.ストーリーがいい

すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。

確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである

そういう面がモアナのわかりやすキャッチー面白であることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽描写を単なるパロディギャグで終わらせない骨太ストーリー展開にある。

序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。



村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女モアナ

しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。



ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。



しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。

・島の命が涸れていく――。

異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。

伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女真実を語る。

・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分運命

・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!



これである。これがモアナの真の姿なのである

そう、もう完全に少年漫画なのだジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである

何だったら船をロボットに置き換えても通じる。

飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋運命。島に封印された兵器世界を救う旅に出る少女

まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。

俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである

そう、冒険活劇。まさしくモアナとはそれである

この時代ガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることな王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。

それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。




2.ラブストーリーじゃないバディものである

そして二つ目ポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。

そうは言ってもディズニーで、一応プリンセス主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。

しかし、安心して欲しい。

自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまファンの受け取り方次第である)

前年度のディズニー映画ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。

一応に一応を重ねて今作のプリンス立ち位置であるマウイというキャラクター存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流存在しない。

しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。

そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである

恋愛感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。

そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプル恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれキャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。

独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点である個人的には考えている。




3.単純な悪役のいる物語ではない

これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイント独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。

さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である

時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様ヴィランディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語最後には主人公達に打倒されるものでもある。

単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。

それをして作品に奥行きと考察余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。

それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。

しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。

単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというもの存在しないのである

確かにモアナ冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。

しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。

そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。

からと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。

作品テーマ最後まで一本筋の通ったもの存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである

モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。

そして、この世界におけるこれまでのようなヴィラン体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。

モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。

からこそ、明確なヴィラン存在しない物語というもの存在し得るのである

そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。

何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである

単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品大事だし、素晴らしいこともわかる。

しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか

さらに加えてこの作品プリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。

物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなである

からこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。

そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。

そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。

作為的な悪というもの存在しない点。それもまたこの作品における重要オススメポイントとさせていただきたい。




4.ディズニー渾身の映像

これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。

南洋の島々の楽園のような景色雰囲気

そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーション可能なのかと驚愕しきりの海の表現

愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。

そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻美術設定によって作られた変態改造船舶

もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョモアナ世界スクリーンの向こうには広がっているのだ。

なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。

そのマッチョマッハアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。

特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対劇場で見て欲しい。

そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。




5.挿入歌の使い方が最高

これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。

とにかくこのモアナという作品劇中歌が強い。

劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。

その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。

アナ雪で一番有名かつ作品テーマソングともなっている「Let It Goであるが、実は劇中での使用は一度のみなのである

それもエルサが城から逃げ出して自身能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。

対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。

そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。

この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。

そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。

作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。

そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。

切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。

更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。

そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。

特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。

とまあ、とにかくモアナ劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。

そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。




さて、以上が自分モアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである

いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品面白かったのだ。

なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。

というか今すぐ観よう、今日レイトショーで観よう、明日レイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。

自分もあと三回くらいは観るつもりである

誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。

ただただあの優しくも熱い冒険世界をまた味わいに行きたいかである

そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。

純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。

いや、やはり最後にもう一度。

オタクよ、モアナを観よう。絶対にハマるから





……


………


…………



……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。






6.特殊性


それは巨女巨女だ。

ディズニー渾身の映像クオリティで作られた巨女

巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!

これこそまさしく地母神信仰の姿!!!

この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。

そう、巨女一般性癖!

みんなでモアナを観て巨女の素晴らしさを知ろう!

2017-03-12

[]3月11日

○朝食:なし

○昼食:おにぎり三つ(昆布チーズおかか、七海キンピラマヨ)、豚汁ベーコンエッグトマトブロッコリー

○夕食:豚汁モチ、味ご飯おにぎりリンゴ



調子

祖母の家でご飯を食べたり、レンタルビデオを見たりした。

見たのは、僕は四度目ぐらいの視聴になる「セッション」という映画

祖母がなにやら友人から勧められたらしく見たいと言うので、僕の家の近所でレンタルビデオを借りて着て、一緒に見た。

何度見ても面白いなー。



DS

世界樹の迷宮

18Fをうろうろして、19Fに突入するも、ワープのせいでやたらとマッピングが難しい。

うろうろしまくったので、レベルがやたらと上がった。

そろそろ、普段メインづかいしているスキルカンストしだしたので、終わりが見えかけてきたかなあ。

3DS

すれちがいMii広場

久々にプレイ

ぼうしコンプと、ゲーム選択画面の金色マークコンプ目標なんだけど、最近はなかなか進まない感じ。

残るのは、

伝説(これなんで金色マークつかないかよくわからんから、IIの裏伝説10週をやってるけど5週以上は確定だけど、今何週かわからん

勇者食堂(二週目の三分の一ぐらい)

大砲忍者(5面のボス、6面ありそうだから先はまだ長いかな)

探検隊(二週目の砂漠二つ目

迷宮(35Fクリア、これが一番先が長そう)

ぼうしチケットはあと三枚で、チケット交換できるぼうしはコンプ

チケットは、フィッシングの他県とすれ違ったとき行ける島のクリアで二枚、

迷宮の一部屋全部埋めるで一枚の三枚の予定。

バッジとれ〜るセンター

ログボで台を集めるために一回ずつプレイ中。

ポケとる

ニャースステージ周回。

90000ちょいぐらい溜まってるので、またメインステージをやっていこう。

目標の悪ポケコンプは、ダーテングシザリガーがかなり先だから、まずはメインステージを進めることを優先してる感じ。

iPhone

ポケモンGO

デイリー要素のみ。

ポケモンコマスター

ログボのみ。

2017-03-11

ナスと米ナスと私

バラ売りの米ナスを一本買った。

確か100円くらい。

PP(訂正)ポリ袋に入れてバスケットに放り込み、他の買い物と合わせてレジに持っていく。

レジ打ちの(多分)高校生の子が、米ナスを手に取ったところで一瞬フリーズした。

あれっ?と思ったけど、すぐに作業を再開したので、その場はそのまま見守ることしかできず。 ※失敗1

会計が終わって、しかし先程のフリーズが引っかかったのですぐさま確認すると、案の定、嫌な予感は的中していた。

私が買ったのは米ナスなのに、レシート記載はただのナス

値段は米ナスの約半分。

たかだか差額50円程度の話だし、バラ売りの野菜なんて在庫POS管理している訳でもないだろうから、余程スルーして帰ろうかと数瞬悩んだ。

もしも話が逆で、50円損をするのが自分であれば間違いなく帰っていたと思うけど、たか50円でも不当利得を放置するのは気持ちが悪いし、厳密には犯罪だ。

意を決してレジに並び直し、数分前レジ打ちをした当人に、会計が間違っていたことを話す。

その場で処理を訂正してもらうか、それがシステム的に面倒なら、追加でナスを買い、会計は米ナスで切って貰って相殺してもいいかなーと考えていた。

返品処理をするならサービスカウンターだろうけど、自分としてはレジ打ちの子のところで話を収められればベストだと思っていた。

ところが、いざレジで話をすると、レジ打ちの子は慌ててバックヤードに駆け出していってしまったので、詳しい話をするタイミングを逃してしまった。 ※失敗2

結局、奥から出てきたベテラン店員さんにサービスカウンターで上記の相殺処理をしてもらい、私はナスと米ナスを一本ずつマイバックに入れて、悶々としながら帰途に就いたのだった。

 

振り返ってみて、思い付く私の失敗は概ね2つ。

一つ目は、レジ打ちの子フリーズしたときに、さり気なく「米ナス、一本ね」と伝えることができなかったこと。

二つ目は、訂正を求めてレジに並んだときに、最初からナスを持っていって相殺提案しなかったことだ。

 

そもそも、高校生ぐらいの子であれば、ナスと米ナスの見分けがつかなくても仕方がない。

ナス定番商品というわけでもないし、学生バイトにすべての商品を把握しろというのも酷な話だろう。

はたして私は正しいことをしたのだろうか。

自分の罪悪感を軽くするために、ベテラン店員さんの手を煩わし、店には50円程度しか得をさせず、バイトの子にも嫌な思いをさせることが、はたして正義に悖る行為ではなかったと自信を持っていえるのか。

例え犯罪者汚名を受けようとも、50円ネコババすることこそが、神の御心に適った行いであった可能性はないのだろうか。

 

煩悶のうちに、私はナスと米ナスを切って焼いた。

正義の在り処ついて、未だ答えは見えない。

しかし、焼いたナスは、焼いた米ナスよりも美味だった。

それが私にとって何よりの慰めになったことは言うまでもない。

2017-02-23

[] 嘘ついてました

増田アナル普及協会は発足以来、語り続けてきた、

可愛い女の子うんこをしない」「それ以前にアナルがない」

しかし、その真偽のほどにはいささか疑問が残る。

今回はその真偽を明らかにするため、増田アナル普及協会会長ことアナル増田氏にインタビューを試みた。



― 初めまして、今日アナルについていろいろと聞かせてください

アナル増田 別に構いませんが、語るほどのものでもありませんよ

― まず最初にお聞きしたいのですが、アナル増田本名ですか? 笑

アナル増田 というより増田ですね。私は増田です。今はね。

― ハあっ???ちょっと意味が分からないんですが…

アナル増田 増田意味も分からないのでしたら、勉強して出直してきてください

― あ!すみません匿名ってことでいいんですか?匿名で毎回署名しているということで

アナル増田 アナル増田署名ではありませんよ。増田増田増田署名してどうするんですか。意味ないでしょ

― おっしゃる通り、ではズバリ聞きますアナル増田とは何ですか?何でいちいち書くんですか?

アナル増田 質問は一つずつしてくれないか。まあいいや。

      一つ目のアナル増田が何かということだが、普通増田に対して、特にアナルに執着をもつ増田アナル増田勝手に呼んでいる

      これは、増田ではなく増田からアナル進化したアナル増田が書いているという意味ですよ。宣言のようなものですね

      ちなみに増田が穴田になったら、なにも書かなくなると思います

      二つ目質問ですが、ああ、すでに答えてますね。宣言のようなものだと。

ありがとうございます。これでアナル増田さんのことが少し分かりました。



可愛い女の子うんこをしない/アナルがない説の真偽

単刀直入に聞きます可愛い女の子うんこしますか?アナルはありますか?

アナル増田 ………ない…と………思う…

― 思うってなんですか!はっきりしてください!ここが今日テーマなんですよ!本当のことを言ってください

アナル増田 あーなんだ、本当のこと言っていいのか。あるよ、肛門臭いクソまでする。

ぶっちゃけすぎですよ!もっと勿体ぶってもらわないと

アナル増田 勿体ぶるのはアナルいじる時だけですね

― あのいじるというと具体的に

アナル増田 はあ~、なんでそんな個人的性癖の話までしなくちゃなんないの?

―お願いします、お願いします。今回はそこを聞きにきまして

アナル増田 まあ、いいか風俗が多いんだが、アナルNGの店だろうが、そもそもそんな店じゃない風俗店でも、私にはアナルが見える

― それは妄想ということですか?

アナル増田 バカか。妄想はすでにしてきた後の話だ。実物が見える

― それはもちろん女・の・子のですよね?

アナル増田 当たり前だ。男の汚いケツにはクソほどの興味もない。

ー どうやったら見れるんですか?教えてください!いや、マジで教えてください。お願いしますっ!!

アナル増田 アナルのこととなると何故ここまで男は熱くなれるのか。その意気ですよ。

      その意気で嬢を口説いてみてください。面白がって色々してくれますよ。NGとか怖いお兄さんとかは無視してください

      退出させられたり、ボコられることは考えないで。どつきまわされたらその時はその時ですよ

アナル増田さんはどつかれた経験は?

アナル増田 無いよ。そもそも女の子が嫌がらないし、助けも呼ばないから、つまみ出されたこともない

― どうやったら嫌がらないんですか?

アナル増田 まあ、いろんな子がいるか相手による

      何も気にしない人形のような生気の宿ってないような子なら無抵抗だな。アナルに何しようが何も言わない。でも痛がったら止める。これはマナーだな

      あと、数は少ないけど本気で抵抗する子もいるよ。そういうとき普通に遊んで帰ろうな。アナルはあきらめろ。

      まあでも、こういう事例は少ない。たいていの嬢は嫌がりつつも面白がってアナルを見せてくれる。

― いいなあ!!

アナル増田 まあ、簡単なことだ。アナルへの情熱で押せ!押して押して押しまくれ!そうしたら大抵は根負けして見せてくれるよ。

      そこまで行ったら、じっくり広げて見ようが、舐めようが、においをかごうが、すべてOKだ。面白がって笑って許してくれる

― そんなうまくいくものですか?

アナル増田 う~ん、むしろうまくいかなかった例がさっきのアナル抵抗女くらいかな。

      まあ、とにかくさ。こいつにアナル見せたらなんか面白いことするし、バカだ、と思わせたら勝ちよ。

― なかなかそこまでは

アナル増田 もっと修行を積みなさい



アナル増田から増田の皆様にお知らせがあります

今まで可愛い女の子にはアナルがないとか書いてましたが、嘘です。

ありますうんこします。

それは確認済みです。

確認したときは、もちろん食べましたとも。

じゃあ、なんで今までそれらを語らなかったのか?

夢を壊したくなかったんですよ!

可愛い女の子うんこをするなんて、しか臭いし、食べたら不味いし、

言えますかこんなこと。

あるわけない、あるわけないと自分に言い聞かせて来たんですよ。



もう知らねー。増田アナル普及協会路線変更じゃー!!

可愛い女の子うんこするし、アナルもあるし、

当たり前だろそんなこと。

もう自分に嘘はつかねーぞ!!

アナルがある、汚ねえクソもする、それがそれがそれがーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!まらんのじゃーーーーーーーーーー!!!



アナル増田

2017-02-20

より多くの情報を食べるためです。

http://anond.hatelabo.jp/20170123124143

訪れたお店にメニュー複数あり、複数人で訪れたのであれば、メニューは被らないようにしたほうがより多くのメニュー体験することができます

もちろん、料理体験において自分で口にすることに勝る情報はないのですが、実際に食事シェアまでする必要はありません。

目の前に実物があるということがまず大きな情報になりますし、食べた人に料理について話してもらうというような、間接的な情報から直接体験想像することもできます。これらは実際に注文しなければ手に入らない情報であり、即時性や見知った人の感想であることを考えるとインターネットレビューよりも付加価値があります。そういった情報が増えることで、食事体験か豊かになることが期待できるのです。つまり、違ったメニューを注文することは、誰かと食事をするときの楽しみの一つになるのです。

同じメニューを頼んでしまうと同じもの二つ目の前にあるということになります。この場合、個々人が料理自分の口で経験することはできますが、それなら一人で食べに来たとき情報量とさほど変わらなくなってしまます。先ほど述べたような、相手経験したことに関する間接的な情報は、自分で直接経験した情報にはどうしても劣ってしまうからです。

もちろん特定メニューについて体験を共有する目的で来た場合には同じメニューをお互いの口で直接体験することは肝要になりますが、そのような目的があるわけではないのならば互いに別のメニューを選んだ方が、一回の食事でより多くの体験を得られるわけです。

2017-02-13

夢は南海トラフ上野女史への反感―

本来、三大命題二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。


この論考は以下のURLにたいする一人の若者から反論である

https://togetter.com/li/1080097

以上の新聞記事で、上野女史は「経済犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。

この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。

平和国家という「ファンタジー

上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。

この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。


そもそも、戦後日本社会体制1940年代の「総力戦体制を「経済最優先」の形として再編したものである

扶養控除、源泉徴収終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。


社会実態についても、「平和」と呼ぶにはほど遠い。

1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動市民運動社会不安が吹き荒れていた。

70~90年代にかけては、家庭や企業社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。

これが少年非行いじめ過労死などの狂気的な状況を引き起こした。


戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたか社会である

まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである

後期近代―不確実な私、国家社会

しかも、「ゆたか社会」は90年代2011年にかけて完全に崩壊した。

まず、政府安全神話が崩れ、

企業身分制保障崩壊し、

最後に、原発事故とともに社会安全神話が吹き飛んでしまった。

この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である


では、現在社会とはどのような社会なのか。

それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的である

企業におけるセーフティーネットが「生産性自己実現神話」の名のもとに縮小され、

パートフリーターという不安定生活者が生まれた。

政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、

監視カメラSNS監視なしに、人々は安心して生きることができない。

不誠実な脳科学認知神経科学AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、

人々は常に失職と人間尊厳消失心配するようになっている。

そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。


このように、後期近代社会とは

当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間永遠の虚無へと投げ出すのである

相対的剥奪感と存在論不安

このような状況では、人々は二つのレベル不安を抱えることになる。

一つは生活レベル不安相対的剥奪感―

もう一つは存在レベル不安存在論不安

である


私たち人生ほとんどを仕事をして、生きている。

しかし、その仕事価値が急速に低下してしまった。

人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。

一方、ただ一日中パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。

この二極化する現実は人々に

「不当な地位にいる!」

「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」

という相対的剥奪感を抱かせる。


また、後期近代社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。

軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。

そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。

二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論不安を抱かせる。


しかに、ここであげた例は極論である

しかし、似たような体験をする人は多いだろう。

そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。

「私はこうなれたのに……」

「私もこうしたかった……」

ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情現代社会不安の核心にあるように思う。

上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である

この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである

夢は南海トラフ赤木理論の失効―

――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。


このような後期近代グロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。

彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺理論を主張した。

しかし、私は「戦争」を夢にはできない。

今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。

今や「自殺」ですら「富裕層」を富ませる資本である

加藤智大植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。

そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆不可能性を解き、

「後期近代」の隊列にから逸脱しないことを促進させる。

後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっと積極的な「支援行為なのだ


私の夢は「南海トラフである

防ぎようのない「天災」によって、

嫉妬の中心地である太平洋ベルト東京

ありとあらゆる社会資本が壊され、嫉妬の根源が無化される。

私はベンヤミンのいう「法維持暴力」に立つ者であるが、

この瞬間を心の底から待ち望む。

私はそのとき、心の底から嗤うことができるだろう。

109崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町サーバーがダウンし

白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき

後期近代はその柔らかな恥部を表出する。

私は笑顔でその恥部憎悪の限りをぶつけてやり、

後期近代を殺し、末期近代を出現させてやるのだ。


そのときに来るのが、

東のいう変質したファシズムなのか

笠井のいう生存のためのサンディカなのか

佐藤のいう無慈悲アナーキズムなのか

知ったことではない。

私が心の底から嗤いたいのである

相対的剥奪感や存在論不安に晒されることなく嗤いたいのである


そして、私は嗤いながら確信する。

東北の「土」と「血」が正しかったことを

東京の「コンクリート」と「鉄道」が虚妄であったことを


このような自己破滅願望について納得する解答を提示できない上野女史に

後期近代現代社会を語る権利はない。

彼女はせいぜい自らの理念後生大事に背負って、大学瓦礫に押しつぶされて死ぬのがお似合いだ。

2017-02-10

「良い私」と「悪い私」

出待ちに関する記事です。

出待ち否定派」の方は不快な思いをすると思うので、観覧しないことをお勧めします。


私は若手俳優が好きだ。

あの有名な「年に一度ライブをする」俳優集団の中にも好きな人がいるし、別の事務所にもいる。

でも浮気などではなくて、本当に純粋にみんな好きだ。

青田買い目的でも認知目的でもなんでもない。

もうひたすらキラキラしている人を見るのが好きなんだと思う。

芸能人のあの特有空気が好きで好きでたまらないんだと思う。

ただ、面食いではあるな、と思う。

でも、顔はタイプでなくとも演技に惹かれて応援している俳優さんもいる。

そう、私は例え小さな芽でもすごく惹かれたらすぐに応援したくなってしまうのだ。

良く言えば「視野が広いファン

悪く言えば「軽いファン

多分私は根っからオタク脳だから、少しでも惹かれたらすぐに推してしまうし、大きくなってもらいたいと思ったらお金は惜しげもなく使う性格だ。

でもちゃんとした親の元で暮らす高校生の私には水はできないし、真っ当なバイトで稼げるお金も僅かだ。

から舞台も行けて2回、遠征はほぼできない。

映画10回が限界だ。

から舞台イベントなど会えるものにはもう、全てをかけている。

瞬きするのももったいないし、ずっとその姿を見ていたい。

でも感想をちゃんと伝えたいから、泣く泣く全体的な雰囲気や他のキャストもしっかり見る。

けど物足りない。

もっと姿を見ていたかった、声が聞いていたかった、できれば目が合いたかった、そう考える。

からたまに出待ちをする。

私は迷惑自分勝手害悪ファンだ。

しっかり自覚している。

から毎回のように、前日や現場へ向かう途中や終わったあとも「出待ちをするか」でずっと悩む。

好きな人への負担、ちゃんと守っている方への罪悪感、マナールール

もっと近くで顔を見たい、話したい、直接感想を伝えたい。目が合いたい。

ずっとこの「良い私」と「悪い私」が喧嘩をする。

でも最近は「悪い私」の方が勝つ。

本当に最低だなって思う。

から出待ちには沢山顔を出したし、そこではいろいろな人やパターンを見てきた。

ファン平和から、みんな仲良くちゃんと列を作って一人一人対応してもらっている理想出待ち

俳優さん自体出待ちを嫌っているから、立ち止まらずにスタスタと行ってしまってカルガモ状態になる出待ち

しか出待ちがいなくて、その目当ての俳優さんからはもちろん、周りのスタッフさんや出演者さんにもニコニコとされ、しか名前入りサインを頂けた泣くほど嬉しくて思い出に残る出待ち

俳優さんが会場前で立ち止まってちゃんと一人一人と話した後、待ってましたとばかりにその俳優さんが帰るところを金魚のフンみたくくっ付いていって、しかもひたすら話しかける本当にひどい出待ち

これに関してはちゃんと会場前で話せばいいじゃないか

もしその俳優さんがその行為迷惑だと思っていない、なんて思っているなら本当にそいつらは脳内お花畑だと思う。

...愚痴になってしまった。

ちなみに私はこの金魚のフンに直接威嚇をされたことがある。

今でも結構トラウマで、その俳優さんの現場に行くのが怖くなった。

めげずに頑張っているけど、やっぱり出待ちファンヤバイしかいない。


そんな私が出待ちをする上で、これだけは気をつけていることがある。

ただでさえその俳優さんに迷惑をかけているのだから、すこしでもその迷惑を増やさない為に気をつけている事だ。

けどみんなそれを守れ、とは思わない。

やっぱり人それぞれだと思う。

だって私が「出待ちをするな」と言われても絶対にすると思うからだ。


一つ目は「直接プレゼントを渡さない」

確かに直接渡せててその俳優さんにお礼も言われるからファンとしてはしっかり受け取ってもらえた確認ができるし、なにより「この俳優さんにお金を出してプレゼントをあげる自分」に満足することができる。

でも俳優さんの荷物を増やすのが本当に思いやりのある行動なのだろうか。

(いや、出待ち自体が思いやりの欠片もない行動だけれど、ここでそれを出してもきりがないから今はやめておく。)

その舞台イベントが終わった後そのまま仲間とご飯屋さんに行くかもしれないし、元々持っている荷物が重いかもしれない。

そう考えたら渡すなんてこと、私には出来ない。

(...ちょっとでもここで自分良心が働いてくれたことに馬鹿な私は少し安心していたりする。

結局こういうのも自己満足なのだろうなぁ、と書きながら思ってしまった。)


二つ目は「入り待ち駅待ち尾行はしない」

これはもう当たり前だ。

やってる奴らを私は軽蔑している。

入り待ちは、集中しているのを妨げる行為だし、駅待ち尾行はもはやただのストーカー

度をいき過ぎた行為はなんかもう、人としてどうかと思うし、本当に嫌われそうだから私自身やりたくない。


三つ目は「会場に合わせて、待つ場所、話す場所を考える」

これも当たり前だと思っている。

お店の前や人が出入りする場所歩道通り道絶対に選ばない。

理由はその俳優さんに直接迷惑がかかるかもしれないから、だ。

「この俳優出待ちファンが酷いから、役にはぴったりなんだけど...仕方ない、使うのをやめよう」

「前回の出待ちが酷くて近所からクレームがきたから、ここの会場は貸せない」

こんなことが実際にあったらしい。

それを聞いた時、知らない俳優さんの話なのに本当に苦しくなった。

(噂だから確証はないが。)

その俳優さんの将来を出待ちする害悪ファンのせいで潰したくない。


四つ目は「空気を読む」

有名な俳優さんは必ず出待ちをしないことにしている。

これは一人がし始めたらきりがないからだ。

出待ち大量発生してその俳優さんが怪我でもしたらどうなるのか...考えたくもない。

そして、有名でなくてもその俳優さん目当ての出待ち10人程いたら、出待ち絶対にしない。

私なんかの為に時間を費やすより、早く帰って身体を休めてほしい、と思う。

(この良心が毎回働けば、私は出待ちなんてしない。)

あとは、次の日が千穐楽とか、二公演やった日もやめている。

そう考えると意外と出待ちをしてない日の方が多いかもしれない。


五つ目は「同担の人に威嚇されても平和に通す」

喧嘩をふっかけられても、嘘並べてニコニコして「知らなかったんです...ごめんなさい」で済ますようにしている。

なぜ同じ人が好きな者同士で争わなきゃいけないのか。

争いたい人の気持ちだけは分からないし、はっきり言って分かりたくもない。

そのことを知った俳優さんはどう思うのだろうか、そして今後はどうするのだろうか。

きっと出待ちをする方全ての人をそういう目で見るようになるのだろう。

だって自分を賭けて争われたくないはずだ。



別に認知されたいわけではないから、一列目のチケット...以前に転売チケット自体買ったことがない。

そして繋がりを求めてるわけでもない。

しろ裏は知りたくないから、友達になりたいとも付き合いたいとも思わない。

理想のまま、キラキラしていてほしいし、芸能人ファン関係がいい。

会うたびに緊張して声が震えていたいし、嬉しさのあまり泣いていたい。

そう考えているダメ害悪ファンなりの思いやりが、さっき書いた気をつけている事だ。

けど本当にその人が好きで応援しているのなら、前列チケの為に積む膨大なお金DVDやグッズ、雑誌の為に使い、舞台イベントにたくさん通って、劇場に愛のこもった手紙プレゼントを預けて、静かに帰宅し、感想手紙にしたため、その好きな人の魅力を周りに伝えるべきなのだ

そんなことはもうわかっているし、そう友人に言われたことだってある。


でも、大好きな人が向こうから話題を振ってくれたり、体調を心配してくれたりする。

名前はなんですか?」と聞いてくれて、サインを書いてくれる。

握手は「この人本当にいるんだ」と確認できるし、写真なんて手元に残る、誰も偽造ができない思い出になる。

そしてなんといっても「いつもありがとうございます!」と目を見て伝えてくれる。

その言葉で「私、ファンでいていいんだ。これからも沢山貢ぐね。」とやる気が出てくる。

もう世界が変わってしまう。


出待ちは一度踏み込んだらやめられない、麻薬のような世界

麻薬意味通り、最低な薬物だ。

手を出す人も依存になる人も全員同じ位クズだと思う。

手を出したことがない人は絶対に手を出さない方がいい。

私もいつの間にかその麻薬に取り憑かれて、頭に「悪い私」がしっかり居座ってしまたから。


からきっと、今後も私はひたすら周りと自分にこうやって「仕方ない」と言い訳をしながら、「悪い私」に負け続けるんだと思う。

2017-02-06

なぜ多くの人が「学校勉強は役に立たない」と思っているのか問題

http://anond.hatelabo.jp/20170204214653


増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている

(今のカリキュラム指導法がすべて適切だということはないにせよ)。

中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判枕詞でよく使われる。

この前のトランプ大統領就任演説なんて中学校までで習う単語ほとんどだったそうだし、

書店で「中学までの英語英会話はできる」というような内容の本はよくある。

政治問題過去歴史が引き合いに出されることないくらでもあるし、

逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。

保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。


そもそもの話として「学問実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても

ちゃんと使えば学校で学ぶ内容が役に立つ局面は多いだろう。


なんでこんなに多くの人が「学校勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。


一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、

それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している

でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証ひとつだろう)。



二つ目は、社会不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校勉強槍玉にあがる、ということだ。

例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから学校勉強など無駄じゃないか」というわけだ。

それに加えて、学問ってのは個人資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。

はいえ、それとこれとは全く別の話なのだけど。


他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、

教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、

からこそ実体のない「教師」という概念を責めているのかもしれない。

それが有能な教師の足を引っ張るかもしれないことなど考えもせずに。

2017-02-03

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.好き嫌い意思表明に是非は問えますか。

答えとしては「好き嫌いの表明は自由だが、尊重されるのはそこまで」といったところだ。

評価されるものというのは、総体的に見て賞賛批判が表裏一体の存在である

でなければ、それはそもそも評価に値しない(賞賛批判もするような代物ではない)。

故にそれが評価に値するという前提が共有されているなら、「賞賛することそのもの」や「批判することそのもの」に是非を問うべきではない。

だが、担保されるのは行使のみである

評価する人間は、評価される人間でもあるしな。

ここを混同して、意思の表明そのものまで脅かしたり、脅かされたと認識する人も少なからずいるが。



Q.内容の是非が問われているのに、意志表明そのものを脅かされたと誤解する人が出てくるのはなぜですか。

主張の是非について語る上で重要なのは大まかに三つの段階がある。

一つ目は前の回答の「行使」だな。

二つ目は「筋道」。

先ほどもいったが、意志の表明そのもの自由なので是非は問えないが、それをどういった筋道で表明しているかには是非が問える。

ザックリいえば、法的に、道徳的問題のない、正当な範囲内での手段意志を表明することだ。

三つ目は「内容」。

これは主張する内容の妥当性だとか正当性だとかだな。

例えば正しい筋道行使された主張であっても、内容の是非は別の話だっていうケースもあるし、主張の内容に妥当性があっても筋道が成っていないというケースもあるということだ。

だが、これら段階を常に一纏めにして解釈する人もいるのだ。

筋道のせいで否定されようが、内容のせいで否定されようが、結果的にはその主張を否定していることに変わりないこともあって、意思表明そのものを脅かされたと混同する人が出てくるわけだな。

当然、前の回答で語ったように意思の表明そのものを脅かすというのは、行使する権利のもの否定したときであって、その筋道や内容の是非について語ることは可能なのである

ああ、そうだ。わざわざ言うことでもないかもしれないが、私の答えはあくま教養必要としない人向きの答えだから、ちゃんとした答えを手に入れたければ君自身勉強することだ。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20160929202754

元増田である

結論から話すと、自分を取り巻く環境は以前からまり変わっていない。

提示してくれたプランほとんどは実現できなかった。定時制には通っていないし、資格取得のための勉強もしていないし、相談できるような相手もおらず、労働プランも、自営業を営む両親を手伝って賃金をもらうことはあれど、自宅から飛び出し労働するのは今の自分には難しい。

しかし、少しづつ前に進み始めたこともある。

一つ目は、精神科に通い始めたこと。

社交不安障害との診断名を貰い、軽い抗うつ剤と、不安を鎮める薬を処方してもらった。この薬が良く効き、精神状態はるかに良くなり、他人との軽い会話くらいならできるようになった。

二つ目は、大検取得に向けて、投げ出していた高校勉強に再び取り組み始めたこと。

在学中に目指していた大学合格するというのは、今の自分にとってはとてつもなくハードルの高いものかもしれないが、それでも目指すことには大きな意義があるし、たとえ途中で諦めてしまったとしても、きっとそれは将来役に立つと思っている。

現在数学II・Bを学んでいるところだ。将来はエンジニアとして働きたいと思っているので、数学はきっと頼りになるだろう。

そして三つ目は、自分や世の中に対する考え方が変わり始めたこと。

以前は、正直、不登校の人を心底見下していた。ああい人間は、社会に適合できない人間で、将来性もなく、運悪く生まれしまった出来損ないの人間なのだと思っていた。

だが、そのうち自分不登校になった。他人に向けていた悪意が、すべて自分に跳ね返ってきた。自分価値がなく、出来損ないの人間なのだと思って、ずっと苦しんでいた。

でも、2年という長い時間と、薬と、なによりも他人からの励ましが、少しずつ心の傷を癒してくれた。

今なら、俺のような人間にも生きる場所はきっとあるのだと思えるし、将来もそれなりに上手くいくのではないかという気もしている。

上手く言えないけど、増田文章も何度も読み返して、何度も勇気づけられた。

書いてくれてありがとう

2017-01-21

ビールを飲むのにビアバーを進める理由

ボトルを買い込んで家で写真とともに載せている人をよく見かけるが、ビールを本当に楽しみたいならば、ビールを専門にしたバーに行くべきだ。

理由を大きい順に書く。

一つ目は「店は人脈の代わりになる」こと。

このビールはどんなビールですか、こんなビールが好きなのですがおすすめありますか、など質問できるのはもちろん、お店でイベントをやっていたり、またはビール関係のチラシやフリーペーパーがあったりして情報が得られる。ただしある程度空気を読む必要がある。

二つ目は、飲食店向けの樽でしか提供されないビールは意外と多いということ。

海外ビールでも樽生のみという商品はたまに見かける(これは、瓶よりも飲食店向けの樽生の方が捌けやすいという理由なのではないかと思う)が、国内クラフトビールメーカーでも大半は瓶詰め設備を持っていないため、樽での流通が大半となる(ちなみに瓶詰めを委託しているメーカーも多い)。

また、今やスーパーでもよく見かけるコエドでも、樽のみの商品はかなり多い。

その他レアケースでは、マニアック飲食店が自店専用に醸造または輸入しているものもある。


三つ目。全てが全てではないが、流通において、ビールの扱いはあまり良いとはいえないことがある。

特に「要冷蔵」の表記がついていない海外ビールは、日本に着いてから野ざらしだったり、店でも常温で陳列されたり、ひどい場合日光さらされていることもある。

ビールにこだわりのある店であれば、仕入れ、保管、提供まで一定の質をキープしていることが多い。

あくまで傾向というか経験則なので、補足的な理由という程度で認識して欲しい。


以上。

蛇足だが、おいしいビールを飲むには金を惜しんではいけない。一杯千円なら安い方。そしてなるべくいろんなビールを飲んでみて、自分の好きなビールを見つけて欲しいと思う。

2017-01-17

[]1月17日

○朝食:ヨーグルト

○昼食:助六寿司

○夕食:カキフライカレー(口の中を火傷して気持ち悪い)



調子

はややー。

仕事はえいや! っと適当にこなして、定時で帰った。

明日水曜日の午前中に会議があるので、そこ次第で色々と変わるかも。

逆に、そこで僕が望む方向にがっちり決めれば、楽チンになるので、頑張りたい。



3DS

すれちがいMii広場

それぞれプレイ中。

今日は定時帰りで時間があるので、進捗を書きます

・サクッと! スロットカー

Aランクのぴょんぴょんスカイロードまで進めた。

EX無視ってるけど、正直あんまりゲームとして好きじゃないので、ぼうし貰うぐらいまででやめる予定。

・サクッと! 株トレーダー

46億円。

目標の100億は遠い上に、100億いっても目標アイテムコンプはできないので、当分遊べそう。

・サクっと! 勇者食堂

ゆううつ洞窟 東までクリア

半分もいってないけど、なかなか楽しいので遊び続けたい。

・サクっと! 大砲忍者

エリア2-2の敵を倒しかけ、ぐらい。

先は長いのでゆっくり遊びたい、女の子可愛いからプレイしてて楽しいし。

・サクっと! 探検隊

ジャングルの秘宝を三つ集めるまでプレイ

このゲームまりきじゃない、歩数多い人とすれ違うだけで、特に遊びの要素がないし、秘宝とか動物写真集めるのにモチベーションがわかない。

・すれちがいシューティング

4-2までクリア

面白いんだけど、これだけガチゲームプレイするので、ついついプレイしないときもあったりする。

はいえ、クリアは見えてきたので、頑張りたい。

すれちがいガ〜デン

11種類発見

やることは単純なんだけど、お花を集めるのが単純に楽しいし、サポート役の男の人が格好良いので楽しい

いや、ゲームってそういう要素こそが大事だと思うんだよね。

・すれちがい合戦

つの国を併合

いや、その、ほっとんどプレイしてないです。

・すれちがい迷宮

7Fを攻略中。

これがゲームとしてもローグライクな感じで一番楽しいんだけど、一番可愛い助手のシラベールちゃんが出てこないのが心底不満。

シラベールちゃんといちゃつきたい。

・すれちがいフィッシング

二つ目の島を攻略中。

ゲームとしては普通な釣りゲーだけど、ガイドさんとイチャつけるから、こっちの方が好き。

・すれちがいゾンビ

三つ目のステージ攻略中。

こういうアクションゲーム苦手なんだけど、1ステージが短いから、気楽にできて楽しい

バッジとれ〜るセンター

ログボのみ。

ポケとる

セレビィ捕獲

セレビィレベル18)

チコリータウィンク

メガスキルアップが今18個なので、頑張ってセレビィを50まであげ、19個にして

メガヘルガーランキングで一つ貰うまで頑張って、

メガレックウザを完成させたいところ。




iPhone

ポケモンコマスター

ログボのみ。

2017-01-13

Nintendo Switch考察(と妄想

Switchとは

Switchギミック積極的に新しい遊びによるヒットを追求した攻めのハードではなく

任天堂が「どこでなら生き残れるか」を真摯に考えた消極的なな守りのハードである



コンセプトを一言で言えば「持ち運べるWii」だ。

WiiUリビングテレビ専有される問題解決のためのものだったが

Switchリビング以外に、またはリビングにすらテレビがないことを想定して問題にしている。

スマホ全盛の今、もはや個人用のテレビマストアイテムではない



持ち運べるWiiであると同時にファミコンであり、スーパーファミコンでもある。

歴代すべての任天堂ハードの要素を内包してるといってもいいかもしれない。

需要分析

守りのハード故にこれまであった需要をかき集めることを狙っている。

WiiU購入者のような任天堂ゲームを愛好する層はもちろん、

Wiiのみんなで遊ぶ玩具を求める層、

レトロゲームを愛好する層。



新しい需要といえるのは「みんなで遊ぶために持ち運ぶ」という要素だ。

スマホゲームの普及でもはや個人ゲームをするためにゲーム専用機を持ち歩く時代ではない。

おすそ分けプレイにより魅力がソーシャル的にどこまで広がりがあるかは未知数にしても

第三者ゲームに触れる機会を手軽に増やせるため狙いとしては悪くないといえる



注目すべきは秋からはじまるネットワークサービス

ファミコンなどのタイトルオンラインプレイ対応版を提供することだろう。

単純にオンライン化しただけではコミュニケーションのとり方や

野良マッチングではまともに楽しめないという問題があるので

VSモードのみが遊べる仕組みがありバランスにも修正はいるのかもしれない。

過去IPを部分リメイク積極的運用するというのは総力戦を感じさせる。

スマホ連携

フレンドとのコミュニケーション機能スマホに切り出したのは妙案だ。

ヘッドセットさえあればスマホでのボイチャは快適だし、

コミュニケーションでなにか問題がおきてもゲーム機問題でなくスマホ問題にできる。



また、「みまもりSwitch」をみてもスマホとの連動は積極的でまだなにかあるのではと思わせる。

ゲーム専用機と連動要素があると噂のどうぶつの森

3月までには配信するという話のわりに内容がでてこない。



Switch歴代ハードの要素で内包できてないものを考えると、

立体視、2画面、そしてすれちがい通信が挙げられる。

この欠けた部分はあるという噂のDS後継機で担われるのかもしれないが

しかしたらスマホ連動でなんとかするプランがあるのかもしれない。



妄想すると、すれちがい通信のようなものを実現するための規格Wi-Fi Awareは普及しておらず

実現にはスマホペアリングして使うすれちがい通信専用の持ち運べる機器必要だろうが

そこまで密接に連携するなら、例えばポケモンボックス整理をスマホから行ったり

クラウド上に保存したゲームデータスマホから部分アクセスできるなどもできるなど広がる余地がある。


HTML表現できる程度の簡易なセカンドスクリーンWiiUゲームパッドの画面など文字通り二つ目の画面)や

簡易コントローラーとしてスマホを使うことも可能だろう。

Switchの展開と保険

夏までは2万5千円で発売された3DSを縮小させたような推移で売れていくだろう。

秋という年末戦前マイナス要素になりうる有料ネットワークサービスを開始するということは

そのあたりに再度のテコ入れ策があるとみていいだろう。

先述の妄想のようにスマホ連動あたりにもまだ仕込みがあるのかもしれない。



任天堂基本的保険をかけながら事業を展開している。

アーキテクチャ統合で仮にDS後継機がでたとしても

Switchゲームの大部分は動作することが予測できる。

従来型の据置ゲーム機のように携帯できなくした廉価版を出すというのも考えられ

資産連続的な運用というのがSwitch失敗時の保険になるのだろう。



「このギミックで遊ばせたい」という強い攻めを軸にしておらず

「遊び方のライフスタイル提案」にとどまっている以上は

Wiiのような爆発的なヒットはないのではないかと予想する。

しばらくは生き残る場所模索需要をかき集めて守り凌ぎターンが続くだろうが

ARやVRなど新しい技術はうまれては枯れていくわけで

また任天堂おもちゃ屋としてハードで新しい遊びづくりという本領を発揮する機会は巡ってくるだろう。

ゲーム可能性の広がりという観点ではSwitchWii/DSのような革新がおこりそうにないのは残念だが

一人の任天堂ファンとしてこれまでの任天堂ハード集大成といえるSwitch純粋に楽しみだ。

発売日が待ち遠しい

2017-01-06

ありふれた不幸と承認欲求

リアルの人に話すとウザがるぐらいには重く、ネットで話したとしてもネタ的に面白みがない。共感されない。

ただの不幸自慢になってしまう。

私の不幸は重いけどありふれたものなんだ。別にありふれた不幸なのは良い。

ただ共感されない不幸であるのが辛い。


そう気づいたのはいつだろう。多分大学に入ってからだと思う。

それがしんどくてずっと孤独だった。辛かった。私は特別不幸ではない。だけど、繊細かつ情緒不安定なので、自分の不幸を引きずってしまう。それで構ってくれないのが嫌でこうしてSNSで吐き出してしまう。ネットの反応欲しさに。


リアルだと重くてウザく、ネット的にはありふれた不幸。すなわち他の人が聞いて面白みがない私の不幸は以下の通りである

まり整理されてなく読みづらいし、面白くもないがもし興味あれば、最後まで聞いて欲しい。

私の家族は、はじめアルコール依存症の父と若干精神的に不安定で私が高校卒業するまでしつけ時に体罰を繰り返す母、私と弟2人と妹の6人家族だった。

両親は昔から折り合いが悪く、私の目の前で何回も夫婦喧嘩を何回も繰り返した。小学生の頃父は酒を飲んで1週間帰ってこないことが何回もあった。母が夫婦喧嘩時機嫌を悪くしてご飯だけ置いて夜帰ってこないこともあった。

弟が父の事務所からお金を盗んだ時、私のせいにされて、私が謝る手紙を書くまで(1週間ぐらい)家を出て帰ってこなくなった。

時東京に住んでいたのだが、遠方の母親実家に父が酔っ払った状態で殴り込みめちゃくちゃにされたこともある。(小5の夏)

この他、私の見ていないところで父から母へのDVがあったようだ。(よく知らんけど小学校入る前にパトカー来たこともあるし)

こんなんだから、当然家庭崩壊が起きる。小6に離婚。その後母親実家があるところへ引っ越し学校も転校した。

これでハッピーエンドかと思ったが実際は違かった。引っ越す前の小学校では出来ていた友達が転校先では出来ず、周りから浮いてしまったため中学いじめターゲットとされてしまう。

高校からはいじめには遭わなかったが、中学時代をひきずり友達が一人も出来ない状態である。いつも教室で一人だった。一人で行動し、一人で弁当を食べた。

から学校が嫌いだった。でも行かないと怒られるため中学高校はそれぞれ1日ずつしか休んでいない(大学不登校気味だが留年しない程度に単位は取ってる)

また、家もあまり居心地がよくなかった。

母は高校卒業するまでしつけ時に体罰を繰り返し、あざこそは出来なかったけど、キレた時に何発も殴られたり蹴られたりした。

殴られる原因は私にあるんだろうけど、何発も殴る理由がわからなかった。一発でよなくないっすかと。

それが嫌で一度高3の頃家出をしたことがある。この時から私の精神状態はすでに不安定だったんだと思う。

そんなこんなでも首都圏ではないが無事地方の4年制大学に進学することが出来た…が精神状態悪化不登校気味。当たり前だが友達もできないままだ。

これが私のありふれた不幸である

愚痴ばっかりですまん。でも不幸だけじゃなくて恵まれているんだなと思うこともたくさんある。ちゃんと感謝しなきゃいけないことは感謝する。

一つ目は父が養育費を振り込んでくれていて、母も経済観念はしっかりしているため経済的には不自由なく育ったこと

寡婦特別控除児童扶養手当受給しつつだけど)

二つ目無駄になりかけてるけどきちんと教育を受けさせてもらったことである

から、親には感謝はしてる。母子家庭だけど、食べることも、住むところも、進学も何不自由なくさせてもらって、塾にも通わせてもらった。周りから見ればふつうに「恵まれた」家で育ったんだろう。

そして離婚した後夫婦喧嘩は激減し、今はほとんどない。(その代わり父には恋人がいるけど)それに、私が家を出て行った後、母の体罰は無くなったらしい。

からもう終わったことで今は幸せなんだ。そう思って生きようとしている。

私の不幸はありふれたもの。だから気にしないって。小さな幸せを見つけようって。

だけど、今も時々「ありふれた不幸」が小さな幸せを上回ってしまう。それがかなり辛い。

そんな辛さに耐えられない私は、とうとう承認欲求の塊となり、ネット依存症になっている。

ツイッターの裏垢で自分家族愚痴を何度も何度も書いている。

から愛されたかったとはちょっと違うし、ストレス発散させたいためでもない。多分ただ単に愉快犯でも良いから反応が欲しいだけなんだと思う。

それで実際あまり反応がないので口には出さないけどツイッターで「いいね」の数が少ないと他人には当たらないが不機嫌になってしまう。

親がアレだと子どももアレになってしま典型例なんだと思う。父親アルコール依存症。私はネットというかスマホ依存症

この状態は、少なくとも健全状態ではないと思う。病気だと言われても仕方がない。

さすがに、来年社会人になってまでこのような精神状態のままだとマズイとは思っている。

から、一応大学カウンセリングには月一ぐらいで通ってる。ただ中々上手く話せてなくて精神状態不安定なままだ。

その証拠に、面白みもないのに、見てくれる人もいないのに、ただただこんなに長文を書き連ねている。

これも誰かに構って欲しいからだ。

友達相談したら良いじゃない??

たらこんなところに書く必要なんかない。友達というか同学年の人にすらリアルでは話したことがない。話すとドン引きされるってわかるからだ。私が話したのはツイッターの裏垢とカウンセリング先生心療内科先生大学福祉特にケースワークを専門としていて対人援助職の経験があった先生。それぐらいだ。実際専門職の人にしか話していない。

でも専門職の人にはあまり共感されない。それが地味に辛い。私の不幸は共感されないんだって別に周りからありふれたものだと言われても気にしない。

実際私だって、少数派だなと感じることは多くても、私だけが特別」不幸だとも思ってない。

ただ、周りからまり反応がなく(初めて話した時でさえ)共感してもらえなかったのがショックだった。

「あぁ、私の不幸は、しんどい体験は周りの人から見れば、よくわからなくて共感されにくいものなんだなって」

ウザくてごめんよ。でもこれが私の正直な気持ちなんだ。 リアリティが無くて作り話とされちゃうかもしれないんが本当なんだ。

今すごく辛い。ずっと孤独で誰かの反応が欲しい。ずっとずっとそう思ってる。

から頼む個人情報を晒さない程度に、自分のことを構ってくれw



追記:宛先は控えますが、個人でもはてなブログやってて、似てる内容の記事を書いていたりします。もし、これかな?と思う記事があったらはてなスターください。すごく喜びますw

2017-01-03

変わってしまった嵐(ペンの指す方向)

キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


*****

正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人勝手意見から。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。

この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。

私はグループ内での信頼や絆、目標価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。

どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。

また、ライブ演出構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。

これから綴る文章はそんな私の個人的意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。

私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。

1999年デビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力トーク力を兼ね備えた親しみやすグループとして世の中に浸透していった。

そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。

嵐はアットホーム関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。

その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民アイドルとまで上り詰めた。

ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せ空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。

しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。

まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。

また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。

二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファン可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者立場になってみて考えてほしい。

三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。

また、去年に続き今年もコンサートという場でファンガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。

挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。

けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライト演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか演出に頼りすぎていないか制御ライト制御強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年デジタリアン使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだものステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライトファン=ライト)なのかもしれない。


このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。

更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。

・どんだけ売り上げ伸ばしたいね

今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ

実を言うと最新のアルバムシングル共に売り上げが落ちている現状である

◆嵐1stアルバム現在Are You Happy?」までの売上数

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/chaiy/20161210/20161210174346.jpg" alt="f:id:chaiy:20161210174346j:image" title="f:id:chaiy:20161210174346j:image">

◆嵐シングル 2015年Sakura」~現在Power of the Paradise」までの売上数

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/chaiy/20161211/20161211201115.jpg" alt="f:id:chaiy:20161211201115j:image" title="f:id:chaiy:20161211201115j:image">

原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループ担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。

そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。

更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。

ハワイネタ&一位の内容

11月VS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。

だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。

そして、名場面集第一位メンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。

ファン<招待客のコンサート

去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報ファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。

そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。

毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。

・今更銀テの話

アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。

・回りくどいぜ兄さん

何でもかんでも遠回しに説教してくる。

例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまりネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーネタバレ禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。

調子乗りすぎ、自慢しすぎ

メンバー特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。

アルバム曲定番シングルコンサート

嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。

肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲定番曲(感謝カンゲキLove so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。

・本当に仲が良いのか

例えば2010年君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバス自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。

その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分気持ち意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。

説教コンサート、口の悪さ

去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。

今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。

他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。

アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。

それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。

もう疲れた

どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。

どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。

こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。

どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。

苦しい。

変わってほしくなかった。

変わらずにいてほしかった。

ちゃんと愛してほしかった。

何度目か分からないこの気持ち

でも。もう既に心は決まっている。

さよならまであと少し。

2016-12-28

「 #デレマスでZエンド 」から考える一ノ瀬志希

先日、#デレマスでZエンド というハッシュタグアイドルマスター界隈の一部で話題になりました。一時期はトレンドにも入ってましたね。それに刺激を受けたのでちょっと色々考えてみようかなと思いました。

僕はアニマスからアイドルマスターを知り、そのうちアイドルマスターシンデレラガールズのほうはアニマスがやっていた頃に友達に勧められてモバマスを始めました。ですが勝手がわからずすぐに放置してしまって、最近レアニを見てからデレステを始めて、適度にシャンシャンしたり適度に課金したりといった感じです。なのでモバマスカードテキストイベントテキストは全く手つかずなので、そこらへんはご了承下さい。

Zエンドに関しては、前に友達(さっきとは別人)から話を聞き、動画を見たことがあったので、その程度ですが知識はありました。ここでこれから考えていく上での僕の中でのZエンドの定義を決めようと思います

一つに、アイドルアイデンティティのようなものが崩れること。例えば天海春香なら歌うという楽しみ、如月千早なら歌への思い、高槻やよいなら元気、といった風に、そのアイドルの柱ともいえるものを失っているように見えます

二つ目アイドルプロデューサーを責めないこと。Zエンドを迎えたアイドル達は、みな大事舞台で大きなミスをし、自分への自信を失い、アイデンティティを失い、ひたすらミスした自分を責めているように思えます。その状況で、「あなたのせいで」みたいな発言は出ないかなとここは勝手に決めつけました。(伊織の「出会わなければよかった」はプロデューサーへの非難というよりはお互いの運命への悲観といった風に解釈しました。)

これらの条件を、一ノ瀬志希に当てはめ、僕の思う一ノ瀬志希のZエンドを作ってみようと思います

その前に、元のZエンドではアイドルが大きなライブで大きな失敗をするって流れなんですが、一ノ瀬志希って失敗するんですかね?少なくとも僕にはあんまりイメージができません。目的地にたどり着く過程ちょっと失踪してみたり、迷子になったりはあると思いますが、今まではすべて最終的には成功を手にしてきているのではないでしょうか。挙句デレステコミュでは機材側からトラブルが出てもその場のヒラメキパフォーマンスして見せてますからねこの子自分で言うだけあって才能は底なしです。でもここではなんかミスったことにしてもらいます

それではまず一ノ瀬志希アイデンティティ喪失について考えていきます一ノ瀬志希の特徴といえばまずあがるのはギフテッド、というところですね。ですがライブで大きな失敗をして、天才でなくなるというのはさすがに物語として不自然さがあります。その次にあがるのは化学に強いところや嗅覚がずば抜けているところあたりだと思いますが、それらも失敗の衝撃で失うものとしてはちょっとアレかなと考えました。一ノ瀬志希今日まで生まれもった才能を遺憾なく発揮し、アイドルになる前は海外大学飛び級留学していました。(そこでの生活にも退屈さを感じていたようですが。)恐らくはその才能を活かして楽しそうなものを見つけては飽きるまで遊び、飽きたら他を探す、といった人生を送ってきていて、アイドルもその一つでしょう。また、一ノ瀬志希発言に「ジーニアスなあたし~」というものがあり、今までのそうした成功経験に少なからず自信、自負をもっているように感じます。ですのでここでの一ノ瀬志希喪失するアイデンティティは、「天才としての自信、自負」とします。志希Pの皆様はいかがお考えになるでしょうか。

二つ目の条件は特に問題はないでしょう。自信を失った彼女はきっと今までの自分をうぬぼれていたように感じて、無力感に苛まれ普通の人への成り下がっていく、といったストーリーが考えられます

というわけでこの二つの条件をもとに、一ノ瀬志希Zエンドを自分なりにテキスト化してみますssとか書いたことないのでなんかそういうところは許してください、これでも本気で書いてます




志希「いやー、終わったね~。何はともあれ、お疲れさま。キミと一緒にアイドルしてた時間、考えてみると結構悪くなかったかも?」

P「じゃあ、続けてみるか、アイドル別にこれで終わらせないといけないってわけじゃ……」

志希「いやいや。終わったっていうのはね、アイドルのことだけじゃないんだー。今までのあたしの人生かな。なんていうか、気づいちゃったんだ。あたし、今まで失敗したことなかった。面白いもの探して、海外までいっちゃって、それでも成功したし、飽きちゃった。これでもそういうところに自信持ってたんだけど……あたしって、案外ちっぽけだったんだね」

P「そういう意味では、初めての経験ができてよかったじゃないか。これからも続けていけば、もっと面白い事が見つかるかも、とは考えられないか?」

志希「もう面白い事を探す、なんてできそうにないや。あん大勢の前で失敗して、恥をさらして、もう色んなことが怖くなっちゃったよ。でもやっとこれであたしもみんなと一緒になれたのかな?天才、なんて呼ばれなくなるかな? そういう意味ではよかったのかも。キミのおかげだね、ありがとうプロデューサー。それでー、ごめんね? キミの望む天才でいられなくて。じゃ、がんばってねー」

P(行ってしまった……。あの輝いていた志希は消えてしまって、これから普通女子高生として過ごすんだろうか)




いかがでしょうか。これセリフの前の名前取ったら誰か分からないですね。一ノ瀬志希の口調難しいです。

「ふつーの女子高生」というのも、一ノ瀬志希発言に出てくるワードです。志希が天才でない人を理解したいと思っているのかは分からないんですけど、僕の独断偏見でそういう解釈で書きました。

完全に余談なんですが、一ノ瀬志希はどうしたらアイドルを続けてくれるか、っていうことを時々考えます。はっきりしている志希のアイドルに対する動機は二つで、一つはPに対して興味を抱いていること、もう一つはアイドルに対し面白い、と感じていることです。ではPへの興味を失い、アイドルを一通り楽しんだら、化学に飽きて海外大学を離れたように、気づいたらいなくなってしまうのでは、と考えてしまうのです。これに対して僕ができることは、志希に対してアイドルの新しい魅力を提示し続けることしかないと考えています。ですがそれって可能なんだろうか、志希が気づかなくて僕が気づけるアイドルの楽しさってあるんだろうか、みたいなことを考えると夜も7時間くらいしか眠れません。誰か助けて。

書きたいことをあらかた書き終えたのでここで終わります。読んでくださった方いればありがとうございました。よくこんな流行に乗り遅れてる上に無駄に長い文章読みましたね。本当にありがとうございました。誤字脱字等ありましたらすみません。失礼します。

おわりだよ~

追記:ゴミみたいな誤字してたのでパッと見で気づいたとこ修正しました。死にたい

映画この世界の片隅に」が教えてくれた漫画映像化の道

  • 一つ目。

まず漫画の絵が動いている、ということだけで感動できるという感想が多かった。

これがアニメ化における利点だろう。

実写ではハードルがあがる。ただ中には「お前原作通りだな!?」っていうサプライズもあるので捨てがたい。



映画この世界の片隅に」においては動く人物たちの背景に拘ることで、漫画以上のリアリティを加えた。

実写の場合ロケセットを立てる。または舞台があるなら映画ピンポン」を江ノ島で撮ったように、現地で撮ればいい。小道具も使える。

アニメ場合、実際の風景を取り込むことで可能な「君の名は。」新海監督や京都アニメーション技法存在する。

ただ、映画この世界の片隅に」を今の呉や今の広島で撮ったところで意味が無い。カラー写真ほとんどない。

再現できたのは『作品への情熱』のおかげだろう。

アニメ限定で出来るとかは思わない。実写もCGを駆使すればいい時代になった。役者演技力も年々上がる。

情熱は、どうか?昨今減ってはいいか



  • 三つ目。

これが最重要だ。

たびたび原作通りにするかしないか論争が起きる。特に映画化場合は2時間に収めるために原作カットしなければならない。

映画この世界の片隅に」はどうだろうか。

決して、全くの原作通りというわけでは無いと思う。史実に基づき原作おかしなところは直しているし、微妙ニュアンスを変えた台詞存在する。

またエピソードを大きくカットしている。これは原作ファンには何故?と言われていたが、カットするには正解の場所だったし「無かったこと」にはされていないのが印象的だった。

確実にここに何かが合った。しかもそれをアピールしてくる。抜けている何かがある。なんだ?という疑問が見ている最中にでも起きる映画がこの作品だ。

あえて重要エピソードを抜き、あえて抜いたことをアピールした。(それが原作大人買いとか、カットしたところを見せてくれ、という新しい商売を生んでいる。言い方は悪いが)

監督のワザでもあったし、全てが上手く行くとは思わないが、時間が収まらない漫画映像化の際には、こういう風に映像化すればいいのではないか

原作ファンも一番納得のいく形になりそうだ。



  • 四つ目。これは三つ目と被るのだが。

原作ファンをないがしろにしてはいけないということだ。

映画バクマン。であるスタッフはこう言っている。「原作ファン割合は2~3割」「原作を読んでいる人の倍以上が映画館にくることが多くて、読んだことのない7~8割の人に『ああ、この原作読んでみたいな』って思ってほしいんです」

しか果たして映画バクマン。」の出来は置いといて原作ファンの反応はどうだっただろうか。

映画バクマン。」は原作ファン以外からはソコソコの高評価を受けたが、原作ファンの反応は微妙だった。

興行収入は人気ジャンプ漫画を使った期待に比例せず、続編を作る目安には届かなかったため、監督は残念な声をあげていた。

スタッフは売るために原作とあえて違う設定を選んだらしいが、売るなら原作通りが良かったのではないか

作品評価している人は原作と違うところを褒めていたが、作品性を高めるために違うものを選んだわけでは無いのだろう。

映画この世界の片隅に」はクラウドファンディング製作された。もちろん監督ファンもいるだろう。

しか圧倒的多数が『原作ファン』であろう。

その原作ファン(約3000人)が先行的に鑑賞し納得し、SNSで具体的に宣伝した結果は大きなものとなっている。

そう。原作ファンは納得すれば宣伝してくれるのだ。納得しなければ、大きな批判をするのだ。人気原作とはどっちにしろ『大きな声』を生むのだ。

その大きな声をあげる2~3割を排除してしまって良いのか?

例えばスマッシュヒット作で100万人を動員したとして、その2~3割は何万人になるだろう。

果たして2~3割とは本当に少ないのか?

その何万人が大宣伝してくれたとしたら?その何万人が大批判したとしたら?

東宝プロデューサーは今一度考えを改めなおしてほしい。

ファンには悪いのだが映画ちはやふる」もあそこまでキャラ設定を変えなければ、原作ファンもっと宣伝してくれたのではないか

※あげている作品は少しマイナス評価したところで痛くはない高評価を貰っているもの判断していますが。



原作大事に。原作に、愛を。

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