「春本」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 春本とは

2024-03-31

春本社へ抗議運動のための平和デモ行進

そろそろ、そういうことをしてもいいのかもしれない。

我々が如何に文春の横暴に怒りを抱いているか

それを肌感として文春の社員の方々に知って貰えるなら無駄な行動ではないだろう。

2019-09-09

EXIT兼近さんの前科と今後のお話

 

 どーも、ライトファンです。

 四日ほど前に文春によりお笑い芸人EXIT兼近さんの前科がすっぱ抜かれ、瞬く間にテレビイベントの出演が取り消されていくのを悲しい思いで見守っておりました。

 『少女売春斡旋』の凶悪字面に「は!?!!?」と驚愕したものの、ふたをあけてみれば貧困層出身少年が学のない状態で知らずに犯罪を犯していた、という切ない話で、少女と言っても当時の兼近さんと同い年の十九歳、売春斡旋といっても『あくどい商売してたヤクザから離れて個人的売春してた女友達用心棒を頼まれた』が内実らしく、刑も罰金十万円で済んだそうです。

 その辺の詳しいことは文春本誌の記事に書いてあるのですが、いかんせん見出しセンセーショナルちゃんと読んでない人からすると「幼い女の子を騙くらかしてウリやらせてたのか?」と思われかねないのが辛いところ。

 以下要約書いてくださった方のツイート。↓

https://twitter.com/exit_mochiP/status/1169368952213889025

 なので兼近さん本人もこのことに言及するツイートで「文春を買って読んでください」って書いているのですが、そういうとこ、そういうとこだよ……!とこちらは複雑な気持ちで頭を抱えました。後述しますが彼はヤバいレベルピュアです。敵の売り上げに貢献するな。でも多分敵だと思ってないんだろうな。




 さて、この騒動は様々な要素が密接に絡み合っているため擁護派も批判派もその辺ごっちゃに主張し合い、収拾がつかなくなっているきらいがあります

 「今更生してるからいい」「過去のことでも罪は罪だからテレビ出るな」「イケメンから馬鹿な女が擁護してるけど女の敵」「とてもいい人なので応援したい」「前科があるならいい人ぶるな」「おもしろくないから消えろ」「おもしろいから頑張って」「そもそも貧困問題」「これだから底辺育ちのDQNは」etc

 その人によって何を重視するかは違いますし、この手の騒動によくいる『別に本気で怒ってるわけじゃないけど人気ある奴を叩きつぶしたい』層もネット上には多いのであちこちで大混戦ですよ。

 とりあえず事実としては、『現状兼近さんは法的になんら問題ない状態』です。

 謹慎謝罪引退必要ありません。八年前に処罰されたことで問題にケリはつきました。それを不服としている被害者もいません。

 にも関わらず番組降板が相次いでいるのは、世間感情が彼を許せるか許せないかがわからいからです。

 ツイッターを見る限りは擁護派がかなり多いんですがヤフコメとか掲示板などは批判派が多いですね。テレビ局やイベント主催者としてはクレームが来る恐れがある人間を使いたくないと思うのはしょうがない。しょうがないんですが、私としては、もうちょっと真摯倫理について考えてほしいと思ってしまます。更生してる人の芽を潰すのが世間の総意になっていいのでしょうか。

 結局のところ法律でカタがついている以上、この問題を語るにはどうしたって感情論になるのでここからは私の主観フルスロットルいかせてもらいますね。

 



 まずね、彼の境遇を考えればあれが罪だとわからなかったのは無理ないです。

 極貧家庭で育ち、飢えた時は妹とわざと雨にふられて同情したご老人にご飯をもらうという技でしのぎ、高校中退して働き、周囲の人間がみんな半グレ系で反社会的なことが当たり前になっていた、という背景があったうえで、十八の頃に風俗店に勤めだしたんですよ。

 風俗店というのはお金と引き換えに人間(主に女性)の体を性的に扱える店なわけで、建前上は生殖行為のもの(いわゆる本番?)はないということになっているものの、悩める青年北方謙三が「ソープへ行け(そして童貞を捨てろ)」とアドバイスしたことが有名であるように、実際は売春が行われているわけです。

 私は日本では売春禁止されていると認識していたものですから、堂々と繰り広げられるその手の話がしばらく理解できなくて、いくつか風俗店レポを読んでやっと「要は売春なんだな!?」とわかったんですが、いまだに何故あれが正規商売として成り立っているのか納得はいってません。

 私はこの世で一番ダブスタが嫌いなので、税金を払ってる風俗店だろうが個人援助交際だろうが売春を認めてはいけないと思っています(弱い立場の人が傷つきやすいから)。

 しかし、風俗店が許されている世の中で、学のない風俗店勤めの少年が、個人売春をする少女を手助けすることが罪だとわからなくても責められないです。だってやってることほぼ同じだもの

 まぁ法治国家である以上建前は大事であり罪は罪なので、彼が罰を受けたことに異論はありませんが、同情の余地はあるでしょう。少なくとも痴漢とか強姦みたいな積極的性犯罪と同列には並べられません。

 



 兼近さんの話では、捕まって初めてそれが悪いことなんだと知った、ということでした。二十日間勾留され、同じく捕まっていたおじさんに字を教わりながら又吉さんのエッセイを読み、芸人という仕事に憧れを抱きその後上京に到ります。完全に小説のあらすじだった。映画化もしそうなぐらいドラマチックな生い立ちと理想的な更生ルート

 私がディレクターなら「兼近はいい奴だから」とか「たいした罪じゃないから」などというたわけた理由ではなく、「更生しており倫理的に問題いから」と堂々と表明して続投させます。流されやす世間イメージが気になるのはわかるけども、誰か一人ぐらいそういう気概倫理観を見せて欲しい。

 ただまぁ、元々ネタちゃんおもしろ人達ですから劇場はやっていけるみたいです。

 あと芸人仲間から擁護が物凄い。こんなに擁護されてる人初めて見た。一度だけ取材した先の店の店主とか一度だけ共演した人とかたまたまちょっと話した人とかまで擁護してて、兼近さんの人に好かれる力半端じゃないなと思いました。うん、いい子だものね……。

 兼近さんってよく『いい奴』『いい子』と言われますけど、それって普通に想像するような性格の良さじゃないんですよ。箍が外れてる。あれは正直正しくない域の優しさです。自分の身を守らないで愛を振りまいてるんですもの。そんなの聖人狂人しかないじゃないですか

 酔っぱらって道に倒れてた女性をベンチまで連れてって座らせてあげて、靴が脱げてたことに気づいて引き返して取ってきてあげていた、みたいなわかりやすい優しさエピでは伝わりきらないヤバさがある。

 私は長く彼を見てきたわけではない大変ライトファンなので詳しくはないんですが、それでも色々ファンの間で物議をかもした発言を存じております

 例えばEXITイベントチケット転売について「転売屋さんも生活があって頑張ってるから」とか、前述した「文春を買って読んでください」とか。

 転売への最終的な対策は『とにかく席を増やして価値を下げる』『とにかくサインを大量に書いて価値を下げる』になるあたり、人を規制するより自分が頑張ればいーやという思考が見て取れて、マジで……そういうとこ……。

 最たる『優し過ぎて怖い』エピソードは親との関係全部ですね。テレビではめちゃ美談にしてましたけど、あれ言ってないこと沢山ある。

 お母さんとはまだわかります子供が飢えてるのに見栄を気にしておばあちゃんに助けを求めるのを許さなかったとか、兼近さんが家に入れたお金恋人に使ってしまったとか、ちょいちょいどん引きエピはありますけども、子供四人をシングルマザーが育てるのは大変だったでしょうし、兼近さんもトイレの鍵を全部閉めるみたいな悪戯をしてよく学校に呼び出されていたらしいので「なんだかんだで育ててくれた」という感謝があるのかもしれません。

 でもお父さんは……なんだ? 早々に離婚して養育費も送らずクワガタに入れ上げてた人という印象しかない……。それで息子が芸人として人気になりそうになると現れて、ツイッターアカウント作ってEXITファンとやりとりしてほかの芸人さんとも絡んで特に悪びれもせずにこにこしてるのなんなんですかね。FBに「大ちゃんが稼いだ金を総取りできる日はいつくるのか?」とか書いてるのシャレにならん。

 大体の人はこの手の親とは自立したらあまり仲良くしたくないと思うんですが、兼近さんはなんのわだかまりもないような笑顔で仲良くしてるし一緒にテレビ出て決めポーズするし「マンション買ってあげたい」などと言うのでこちらの情緒が乱れきります。そういう感じだから一部ファンがお父さんをちやほやするんですよ……いいのかそれで。いいんだろうな。悟りでも開いてるのか?

 本当にね、この人保身という概念があるのか?と疑ってしまうぐらい無防備な部分が多くて、誰にも聞かれてないのに月給明かすし、住所明かして案の定侵入されて引っ越すはめになったのに引っ越し先の住所またうっかり言っちゃうし。

 今回文春に探られた過去本名じゃなければもうちょっと見つかり辛かったと思うんですよね……。相方さんは『りんたろー。』にしてて本人は自分のこと『かねち』って言ってるんだから芸名『かねち』でもいいじゃないですか? それを馬鹿正直に本名名乗って北海道に住んでたことも言っちゃって騒動前に「芸人にならなかったらなにしてた?」って聞かれたら「反社」って答えている……。

 でもそういう人だから私は彼が大好きだし、きっと彼の身近にいる人達もそうなんだと思います可愛いいたいけな子供で、かっこいい無鉄砲ヒーローで、冷めた賢明な苦労人で、明るく無邪気な道化者で、その全ての人格が危ういほどの優しさで統合されたのが兼近大樹。傍にいればいるほど好きにならずにはいられないんじゃないでしょうか。

 文春記事直後のりんたろー。さんの表明文凄かったものな。さすが常日頃からかねちは太陽だと主張してる人だ。兼近さんもなんだかんだいってりんたろーさんのこと凄く信頼してるように見えますし、youtubeでもちょいちょい二人の世界で笑い合っているのが微笑ましくて好きです。

 だからコンビ仲については心配してません。ファンはほぼ幻滅してませんし、劇場人気があるので収入も生きていけるぐらいには入ると思います

 でもテレビで彼らを見る機会は減るのかな、と思うと本当に残念でなりません。

 日本テレビ界とお笑い界の損失ですよ……あんなに優しくて明るくて平和人達、今後出てくるのだろうか。爽やか美形を出せばいいってものじゃないんだ……かねちはかねちじゃないと駄目なんですよ。

 彼の苦労ゆえの達観と優しさと儚さと人類愛が、機転の利く返しが、独特の豊かな感性が、セクシー系の女性に触れないようにする節度が、いかなる場でも怖気づかない度胸が、美しく華やかな容姿が、全てが好ましく最強でした。

 犯罪犯罪とも気づけない環境にいた少年が、あんなに明るく人を笑わせようとする人間になれたのは奇跡だし、その光をもっと輝かせて欲しかったです。

 これから騒動がどう動くかわかりませんが、どうか彼の誠実な魂に見合った素晴らしい結末を迎えられますようにと願ってやみません。



 (盛大に擁護しといてこんなこと書くのはなんですけど、芸人さんて「おもしろくていい奴ならええやんネタにしたるわ」みたいな芸人的身贔屓人情擁護することが多いのがちょっともやる。悪いことは悪いことなのでその辺でうやむやにするのはあまりよろしくはない……。

 あと兼近さん、自分の中で整理ができてても世間正義鉈をふるう曖昧模糊な思念集合体>には伝わってないから、真面目な落ち着いた文章動画説明したほうがいいですよ……文春とかインスタはやめて……)

2016-06-19

春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。

そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。自覚てゐる。

それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。

誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我


誤魔化さずに自分に出来ることを考え 償いは自分でやりなさい

2015-05-20

自己犠牲について

http://anond.hatelabo.jp/20150520224717の追記として

それでも、自己犠牲に先はないよ

 むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。

するとある日いたちに見附みつかって食べられそうになったんですって。

さそりは一生けん命遁にげて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、

そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、

もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。

そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。

それでもとうとうこんなになってしまった。

ああなんにもあてにならない。

どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉くれてやらなかったろう。

そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。

こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸さいわいのために私のからだをおつかい下さい。

宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」より、「九、ジョバンニの切符



宮沢賢治作品には、自己犠牲精神が深く根付いている

それは彼の宗教観仏教(特に法華経)やキリスト教に影響されている

私は、彼の作品を非常に好ましく思う

その一方で、酷く嫌悪もしている

どうして蠍が自分の身を食わしてやらねばならなかったと思い、食わせられなかった事に後悔しなければならなかったのか

その自己犠牲精神は危うい

蠍の存在価値存在意義存在理由も、いたちによって担保されるべき事柄ではないはずだ

蠍は蠍個人の理由によって生きればよいだろうし、それを他人がとやかく言うべきことではない

それなのに、どうしてさも、いたちに食べられなかった蠍には存在意義がないなどと言い放つの

そうした極端な利他主義の辺縁に、本当の幸いや人生の意義はあるのか

他人尊重とはつまり自己確立から始まるのではないのか

そして何より、自分存在意義を売り渡しているのが気に食わない

自分他者境界が弱すぎる

自我漏洩をしている場合ではないだろう

境界パーソナリティ障害ではないのだから、自他の境界くらいはっきりしたまえよ

誰が自分を許し、罰し、救い、貶めるのか

自分自身以外にあり得はしない

 春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」より


結局、自己犠牲の行きつく先などたかが知れている

自分を投げ打つ事でしか自分確立できないなど、本末転倒であると言わざるを得ない

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて 追記

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。

汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。

自分の精いつぱいの物を。

然し、必ず、こはれるものを。

然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。

それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。

私が、私自身に裁かれさへしなければ。

たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

坂口安吾著「余はベンメイす」

序論

自分前回、少なくとも今の自分が"そうである"と信じる所を書いた訳である

批判こそあれど、撤回をする事で偽るべきではないと思う

しかし、いくつかの指摘には自らの答えを以って表明とするのが正しいと信じ、追記をする

前回の記事を書いた後の指摘にて自分が後悔したのは"欲望がどこから来るのか"という部分だ

タイトルだけに反応すれば、自分のスケベさを絵のせいにするなよ、と。

性的嗜好覚醒とは外から来るのか自らの内から来るのか。それはあたか信仰に似ている。

それは押し付けられたのではなく、もともと潜在的に有していたモノが開花しただけかもしれない。

人間は欲望が渦巻くスープであり自然は際限なく冷酷なものであるから

クジラックスが好きだけど異常性癖になった事はない、ただ少女愛は元々備わっていて偶々手に取ったのがそういった趣向のエロ漫画だったというだけだ。


これらの指摘は、全く正しいと思われた

そう、自分自分パスカルの「パンセ」を引用

"人はエロ漫画の持つ力で屈服させられ、目覚めさせられ、開発され、汚染される"といった趣旨の事を書いたように思う

私は私の体験を文章として切り取ったにすぎず、故にこれを撤回しない

しかし、人は自らの体験を真実、伝えきることはできない

ここにおいて自分象徴界限界を知る事になる

しかし、自分自分表現し得る辺縁の部分まで突き詰めてみたく思う

本論

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

フリードリヒ・ニーチェ著「善悪彼岸


まり、ここでは"力を振るうのは誰か"と言う事が問題となる

自分を屈服させ、従わせ、駆り立てるのは誰か

エロ漫画によって異常性癖になった」などとは言わない

それは私の作品への投影に過ぎない(※1)

あくまで「自分が選び、自分が惹かれ、自分決断し、自分が選んだ」に過ぎない

決めたのは自分自身に他ならない

然しそれでも、私の主観としては「作品によって、自分は屈服させられたのだ」という感覚を捨てきれない

春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。

そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。

自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。

夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。

誰がそれを許したのですか。

神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。

許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」


では、自分自身意識は何によって駆り立てられたか

ジャック・ラカン提唱した概念対象aと言うものがある

「明らかに自分が選んでいる筈なのに、屈服させられていると感じる」という主観

主体と客体の逆転がここで生じることについて、このエピソードが近しいのではないか

若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、

自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、

荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。

この時、船の上で、彼の同僚である教養な男が、海上を指差した。

そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、

強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。

「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。

しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。


対象a

人間が一生を通して追求するもので、想像界象徴界現実界中間にあり、欲動が求める対象

他の精神分析学派の主張する部分対象や移行対象自己対象との関連性が指摘される。

経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。

単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの

自らの世界の中に象徴化された欲望の対象痕跡

満たされない欲動の向かうところ

詳しくはこれを参照して欲しい





幼児期において、人間は万能であるという錯覚がある

求めれば完全に満たされ、不快なことはすぐに排除され、自分意志によってすべてが好転する

世界には他者などおらず、自己しか存在しない

しかして、その世界には終わりがある

聖書にて失楽園があったように、人間にも楽園からの追放がある

自我の芽生えである

世界には自分以外の存在があり、すべてが自分の思い通りなるわけではない」という事が分かるようになる

絶対的依存や信頼、母子密着状態からの脱却、対象との関係性の生起である

しかし、人間はこの時の愛着を忘れない

例えば、母親との絶対的な密着を忘れられない子ども

母親の代わりに毛布を肌身離さず持ち歩くようになる(※1)

成人した後は、形を変えて残る

人は過去の幻影を追って止まないし、追わないで居られるほど聖人君子でもない

「夢を追う」「面影を探す」「憧憬する」「焦がれる」「つい見てしまう」「どうしてか同じ行動をしてしまう」

幼児の頃の万能な世界や、絶対的幸福、真理や真実表現されるもの探し求める

しかし、それはみつからない

絶対的愛情存在しないし、絶対的幸福存在しないし、絶対的絶望存在しない

完璧文章などといったもの存在しない。

完璧絶望存在しないようにね。

村上春樹著「風の歌を聴け



しかし、人はそれを求める

逆説的であるが、人がそれを追いかけるときに初めて真理は存在することとなる

然し、真理といふもの実在しない。

即ち真理は、常にたゞ探されるものです。

人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。

探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。

真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。

人間人間の形をした豚ですよ。

真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

坂口安吾著「余はベンメイす」



結論

自分が信じた正義(今回で言えば、緑のルーペ氏が描いた人間尊厳冒涜するエロ漫画否定する事)は

主観としては作品のものの力によって屈服させられたように感じられる

しかしその実、それは作品の力という要因だけに帰属しない

自分自分の力によって自分正義破壊したに過ぎない

自分を駆り立てものはいだって「ガラクタ」、「吊るされた人参」、そして坂口安吾の言う所の真理である

欠如の象徴としてのそれらを埋めるため、自分は「人の倫理破壊する作品」に惹かれる

それと同時に、自らの正義がそれを許容せず「自分が望んでいるのではない、望まされたのだ」と投影させる

氏は「宇宙人の冬」を業の深い作品と説明した

それは、こうした葛藤を生じさせることに意識的であったからだろうか



脚注

※1:投影

投影(projection)とは、自分のなかにある受け入れがたい不快感情性格他者が持っているかのように知覚することである

たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者投影して逆に他者自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である

※2:俗に、ライナスの毛布と呼ばれる。移行対象のこと

ラカン

現実界

フロイト現実原則や、カント命題"ein leerer Gegenstand ohne Begriff"(「掴み得ぬ空虚対象」。独語

などから敷衍した概念で、空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う。

以下に記述する想像界にも象徴界にも属さな領域であり、例としてはトラウマ不安現実における体験などで言及される。

象徴界

人間存在根本的に規定する言語活動の場のこと。

また数学などもこれに含まれる。

ラカン言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。

これは自己他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。

大文字の他者言語活動の一部であることから象徴界に属するものとして考えられている。

想像界

想像界とは、たとえば「日常」平和」「不幸」といった、

人であれば誰しも漠然イメージできるけれども、

その正確な描写となると大変な労力を要するような対象世界を指しており、

かつわれわれが頭で思っているものを言う。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん