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はてなキーワード: 後者とは

2017-03-25

こうして低きに流れるんだなあ…

以前似たようなこと書いてた増田がいた気がしたけど、さっき俺も体験したのでメモ

・真面目な社会問題。最新の統計独自解析して客観的で冷静な議論を心がけ数時間かけた渾身の増田 → 0トラバ0ブクマ

・性/性別絡み。無根拠主観でいじる、半笑い3分で書いた増田ホッテントリ

後者ちょっとバズるにしても「死ね!」殺到炎上パターンかと思ったら意外に「それな」系も多かった。根拠なく「多い」って書いたら統計を出せ!って一人くらい来るかなーと思ったらほんとに来てちょっと笑った。

今クソ撒いて苛つかせて注目集めてる人たちも、最初は案外青雲の志で建設的なことやろうとして誰にも相手にされなくて堕ちていったのかなあと思った。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170324040659

家の中で家事をする母親家事(=仕事)をする背中を見て育つ、と言う意味なのか

家の外で賃労働をする母親に対し「子供保育園に預けっぱなしだろうと、働く母親背中を見て育つから無問題」的なよくある物言いなのか



前者にしても、全く見ておらず「母親は家の中で毎日グータラ遊んでる、家事?そんなのスイッチポンだろ」と思ってる子供はよくいるし

後者にしても子供は「母親仕事ばかりで自分を全く省みてくれなかった」と言う不満を抱えてるという事は

(しばしば父親に対してそういう認識になる事が多いように)多いわけで

2017-03-23

山本一郎楽天疑惑

山本一郎楽天ゴールデンイーグルスアドバイザー就任したのは、2015年02月13日のことだ。その後、就任したことの成果が上がったとの報告はない。

 

よく考えてみれば、そもそも、この就任おかしい。

 

楽天の「チーム戦略におけるデータ分析」(楽天イーグルスHPより)に携わるという山本氏R25記者山本氏就任の経緯を尋ねてみたところ、これまでも彼は他の球団データ解析業務などをしていたことがあるという。今回はその一環として、「球団の中から見て、楽天らしい野球作りを手伝ってほしい」という誘いがあったのだとか。具体的には、

 

・チームの編成や戦略立案必要データの取りまとめ

・チーム作りに必要な「楽天らしさ」を選手の育成に落とし込むアプローチへのアドバイス

 

などを行うそうで、後者に関しては、「簡単に言うと、とってきた外国人選手がハズレでもチームの勝敗に影響しないような仕組みづくり」とのこと。

 

  https://r25.jp/topic/00040626/

 

このような業務をやるとの触れ込みだったが、これはおかしい。こういうデータ分析は、プログラマがやるのならまだわかるが、山本一郎プログラマじゃない。データ分析専門家でもない。

 

そもそも、彼の本業は、既存企業不祥事を見つけて、おおげさに取り上げることだ。(それで金儲けができるらしい。)

 

とすると、彼が楽天アドバイザー就任したのも、裏があるのでは、と推測できる。たぶん彼は、楽天について、ものすごく大きなネタを見つけたのだろう。

 

楽天としては、不祥事情報が公開されて、大々的に取り上げられるのはまずい。せっかくバルセロナ大金を出したのに、その効果も消えてしまう。巨額のマイナス効果が出てしまう。それを防ぐには、何とかして口封じをする必要があった、ということかもしれない。

 

からプロ野球には門外漢素人に、出来もしないデータ分析やらせて、とにかく金だけは大金たっぷりと払った。そういうことなのだろう。

 

http://anond.hatelabo.jp/20170323053036

おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う。

増田が挙げているのは自己責任論というより、自分もつ特定思想に反した振る舞いをする人間罵倒するお墨付きが与えられる社会って感じだ。

本当の自由主義社会は、どんな行いも基本的に(迷惑を掛けない限り)許容され、

それによるどんな類の失敗であっても、ある程度社会がフェイルセーフしようとすることが肯定される社会だ。

増田のと真逆なんだよ。増田モデル全体主義ファシズムに近い。

そして、自己責任論と結びつけられやすリバタリアニズムだけれども、

リバタリアン想像するリバタリアンは「個人自分のやることを理性的判断して行動できる合理的個人である

と主張して暗に「賢くなれ、さもなきゃ死んで当然」と言わんばかりのマッチョだと捉えられがち。

でもリバタリアンと言われる人の多くはそんなに凝り固まっていない。賢くなることは重要だとは考えるけどね。

だってそうでしょ、人間はつねに合理的行動ができるなんて思っている人はそうそういない。

認知症から大事故を起こしてしまった、お前が認知症なのが悪い、

ギャンブル依存から破滅してしまった、お前がギャンブル依存なのが悪い、

そういった例が100%自分責任自分コントロール圏内にあったのか、と言われれば誰もが難色を示すだろう。

そもそも情報があふれかえる現代、人は自分意志で「自己決定」していることなんてあるのか、

なんてシニカルに言うことすらできるんだから

「~から自由である消極的自由は守られるべきだが、「~する自由である積極的自由を認めすぎると

衝突にあふれた社会になり、他人攻撃制御・統制しようとする邪悪自由侵食され、消極的自由が脅かされる。

増田のいう「当たり前の価値観」は後者だ。

穏健なリバタリアンは、車を持ったりタバコを吸ったりする自由などほとんどは認めるけれど、

それによりどうなってしまうか、合理的判断ができるように、越境する前に柵を設置して、注意書きをするんだよ。

そうやって「自分意志で乗り越えてる」ことを明確に意識させる配慮をした上で「自己責任ですよ」と言う。

もちろん乗り越えて死んでも知らんぷり、というわけでもなく、最低限の救いは用意するし。

理性的判断可能性をブーストしたうえで(これがリバタリアニズムITとの親和性が高い理由)の自己責任

それは、乗り越えて失敗した人を切り捨てる(ザマーミロする)ための自己責任ではなくて、

乗り越えた結果失敗してしま被害を最小化するために自己責任の考えを導入しているにすぎない。

日本で使われる「自己責任」は前者のニュアンスであることが多すぎて、苦々しい思いだ。

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322123617

本当にこれ。

儒教では「下の者は上に従いなさい」「上は下の者の手本となるよう、よりいっそう身を修めなさい(じゃないと上にいる資格はない)」って教えてるのに、前者だけ流布して後者はなかったことになっている。

日本にはノブレス・オブリージュという建前もないし、上に行けば行くほど下品が許されるクソみたいな構造になってる。

http://anond.hatelabo.jp/20170321214825

猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、

おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。

往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、

それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。

というより、そのコスプレイヤーたちもあなた友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。

続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。

 

このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。

私自身、ラブライブという作品ファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。

なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神鼓舞するような内容だからだ。

けれども、偏見の目でみられやす美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。

全身にキャラバッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファン聖地甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生ファンだったとか。

そういう悪評に繋がりそうなことを、ネット暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品ファン呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。

実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、

まりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧対象にしたいくら気持ち悪がるものだ。

ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品クズキモオタヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。

けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファン若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。

その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの

もし2013年のあの時、偶然スクフェスDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。

それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。

2ちゃんファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。

けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーまとめブログコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。

結果として、他人醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。

 

同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家芸能人経営者への態度でも起こりうる。

そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。

彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本司法経済についてWebコラムや本を読み漁った。

いろんな方面有識者の彼に対する見方総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。

そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。

もちろん世間感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。

ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々評価する人たちからは求められていること。

彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。

それでもやってる事が保守的職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。

でもそういう人も必要だし、正しく評価されるべきだ。

私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイフェチ」になっているのかもしれない。

ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログ普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義自由』や丸山真男を読むようになったり。

一種中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。

 

話を戻すと、増田が難儀なのはコスプレ世界踏み込みそうなのが彼女だと言う所。

これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。

もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。

彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。

彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。

コスプレ元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。

それをせずに、彼女コスプレ醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。

それも彼女保守的性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。

わざわざコスプレしている友人に裏を取りに行こうとしたあたり、後者を恐れているんじゃないかと思う。

それが頓挫した今、残された道はやぱり「二人一緒に」しかないのではと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170322062328

でも後者メンヘラばっかでツイッターで裏垢だの裏裏垢だの作ってネチネチやってる人多いかやばいことには変わりないと思うんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20170321214825

コスプレには、2種類あるんですよ。

 

1つは、AVとか、風俗嬢とかが、男から注目されるためにやってるコスプレ

有名人になりたくてやってる人とかも、過剰サービスおかしなことになりやすい。

衣装はだいたい購入品だ。コスプレ目的ではなく、手段としてコスプレを利用している人たちだ。

 

もう1つは、本当にアニメコスプレが好きで、衣装や小物を自作したりしてやっている人たち。

誰だか解らなくなるぐらいガッツリメイクしてたりする。自分を売る事が目的じゃないからね。

 

 

本当に大きなイベントだと、両者混ざっちゃうので、詳しくない人には見分け付かないのは確か。越境ちゃう人も居るしな。

 

 

ただ、ここにはけっこうな断絶があるの。リア充オタクが、たまたま似たような格好して同じ場所に集まっていても、人種が違い過ぎてコミュニケーションが成立しない感じ、とでも言えばわかるかな。

から、片方にはもう片方の事情はさっぱり解らない。本当に解らないんだ。

 

  

増田さんが体験した、

「これらのコスプレ界隈の噂について聞くと、全員顔を豹変させて「そんなこと無い!」の一点ばりだ。」

「まるで、大昔に大規模な殺人事件のあった村の住人のようだ。」

ってのは、後者の人たちだったからだ。それを答えた人たちは本当にそんな事例を知らないし、本当の事を言っているよ。

 

 

担降りブログに思うこと

担降りブログに思うこと

たまに担降りブログツイッタータイムラインに流れて来る。他の人がどんな風に思って担降りするのか気になるから流れてくる度に、お気に入りしては読むことにしている。

わたしが思うに担降りブログは2種類ある。

1つ目は元担に対するプラス的な面を伝えて、でも今の担当が好きって展開をするもの

2つ目は元担を降りるきっかけとなった部分(主にマイナス)を伝えるパートが主なもの

ちょっと前に後者ブログを読んだ。単刀直入に言って腹が立った。自分自身の行動(担降り)なのに、相手(元担)に原因を求めすぎではないだろうか?

何で「○○くんの××をわたしは良く思えないからついていけない」ってあたかもその人が悪いみたいに書くのだろうか?

批判してるその人のこと好きで、応援してたのでは?

普通に「他に応援したい人がいる」「興味がなくなってしまった」ってだけではダメなのか?その原因は相手に本当にあるのだろうか?元担に対する文句まで書かないと気が済まないのか?

コンサート行って、テレビ見て、雑誌買って…何もかも全ての行動には自分に原因がある。だからわたしは無理だと思ったものは即辞める。

相手についていけないのは自分問題からだ。相手ではない。

これが恋人や友人から違うかもしれないけど、相手アイドルだ。自分が与えるインパクトなんてほぼない。

からこそ自分責任がある。

なのに無理してついていった結果気に入らないとか、それはやらないでほしいとか文句を言うのはエゴではないだろうか。

何を書いてもいいけれど、それを読んだ人がどう思うかを考えてほしい。問題点を指摘して、わたしは無理でした!で終わるブログを読んで元担であるアイドルに対して、すごくいい印象を持つことはない。自分応援してなければ、相手が何を思われてもいいのだろうか?

私も元担にも今の担当に対して文句はある。けどそれを見える形で言ったりはしない。例え気になるところがあっても、好きだから応援してたし、今もしてる。

過去にそれが出来なくなった。だからといって相手に原因を求めたりはしなかった。

出来なくなった原因だった、時間お金気持ち自分しかどうにも出来ないからだ。

昔読んだ本に別れた恋人悪口を言うのは、自分に見る目がないことを認めることになる書いてあった。

その通りだと思う。

元担のことをぐちぐち悪く言うのは、結局自分過去ケチをつけてるだけなのではないだろうか。

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321140634

一年後者ばかり食べてるから俺は暑がり

前者は苦手なのであまりたべない

ファン」とはどういうものか。あるいは、そうなれない人の思考

とあるファンブログを見ててまさにこれだな、と思ったので。

思うに、ファンと「ファン」は重なり合いながら共存している。

 

例えば、デレステルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。

 

ここで、「ファン」なる性質もつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、

大空直美(智絵里中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。

ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。

ルームアイテムアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。

そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。

 

その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、

  • そもそも、興味を深く広く拡大していくような習慣がない等で、中の人ネタを知らなかった。
  • 知っていたとしても、脳内中の人など、別の事象(時に時事なども)と連結して楽しさを見いだす回路が鈍い。

複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。

脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。

上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。

期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、

信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。

彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。

ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲シビアだ。

 

それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、

どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。

それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、

前者のような「fun」の姿勢

日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」

という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。

 

ファンの中にも「ファン」と、そうでない人がいる。

それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやす感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。

まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。

娯楽は楽しむためのもので、楽しさは相対的感覚

絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。

それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。

fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。

 

 

余談だけども、某橙色はてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。

李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、

映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったかポジティブに楽しめたのだろう。

袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。

それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、

それを克服できるほどメタ感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。

というか、それが出来た時点で人から見えなくなるのかもしれない。

袁傪のような通の認識を持ちつつも、総合的な心情としては李徴のように振る舞えるというのが、私の理想だ。

2017-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20170317223241

揚げ足をとるつもりは一切ない。誰かが主張していることをまじめに理解しようとすると無数に疑問が出てくるのは、ある種どうしようもないことだと思うのでどうか大目に見てほしい。

問題はそれが伝わってないって事でそれ以外ではない。

まり増田は「集合の内側」「外側」などのあの記述が与える枠組みが「恣意性なしでかちっと意味を与える」ものだと主張していたのか。理解した。

俺は増田提示していた枠組みについて、「この枠組みを採用することによって、(たとえば){S(m), S(o)}などが(ふつうの)言語として読めるようになるもの」だと誤解していた。

まり日本語という巨大なよくわからない言語から増田提示した言語というやや小さな言語へと問題を小さくするものだと誤解していた。

から後者言語における恣意性問題(たとえば「集合の内側」ってなんなのだろう、とか)ってけっこう致命的なのでは、と思っていた。

けどそうじゃなくて、増田はその枠組みが提供するもの恣意性なしで意味をかちっと定めるものだと主張していたのね。

まり「集合の内側」などのそれぞれには明確な解釈が割り振られていると。

これは俺の誤解だった。すまん。

「集合の内側外側辺、また内側外側辺における動き」の何が分からないのか。「集合の辺」、「集合の内側」、「集合の外側」、「動き」、どれですか。

率直に言って、どれもわからない。

あなたタンパク質で私もタンパク質です。同じですね。でも何が問題なんですか。

このあたりには増田と俺の間で意思疎通がうまくいっていない部分があると思うのでなるべくきちんと書きたい。俺の主張は、さっきの言葉で言えば、「期間」という言葉と「機関」という言葉がどちらも {S(k), S(i), S(k), S(a), S(n)} になってしまい、したがってこれらが区別ができなくなってしまうように見えるがこれは問題なのでは、というもの。素朴に考えて、「期間」と「機関」は別な意味を持ってほしいので。

あなたわたしタンパク質」は同音異義語とは関係のない話題だと思う。「あなた」という語と、「わたし」という語、これらそれぞれの意味として指示される対象が、どちらも「タンパク質」という語で指示される概念に含まれている、って話だよね、これは。どこにも同音異義語が絡んでこない。

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(あるいは、もしかして増田は、たとえば「a, b, i」という三つの音素だけから構成された語の意味はすべて同一であると主張している?)

http://anond.hatelabo.jp/20170316224112

1番目について。一般言語意味説明する理論のことを意味論 (semantics) っていうんだけど(知ってたらゴメン)、この意味論って呼ばれるものふつう言語意味を体系的に説明できるように作られるのね。つまり、なにか与えられた単語について、その意味を、職人みたいな人の熟練の技とかなしでも自動的構成できるってことね。もっとわかりやすく言うと、なんか単語があるとして、それをコンピュータに食わせればその単語の「意味」が得られるようなソフトウェアが「意味論」という感じ。

ここで増田の「意味論」について考えてみる。すると、これはステップ5.において、その「意味論」をつかって考えている人に、概念のあつまりの「いいかんじの解釈」を要求するわけだよね(「意味があってるかどうかを直接確かめる」)。けど「いいかんじの解釈」ってのは定式化されたものではないかコンピュータなんかに再現できるものではない。言い換えると、「いいかんじの解釈」を行うための意味論がないわけだ。

これのなにがマズいかっていうと、だいたい次のようになる。もとの問題日本語意味論構成することだった。増田日本語を「概念の集まり」という別な言語に変換する手順を提案した。けれどもその「概念の集まり」の意味論提供していない。その意味で、もとの問題は、「日本語意味論構成すること」から「「概念の集まり」の意味論構成すること」に変換されてはいるけど、後者問題解決されていないという意味で、元の問題解決されていない。

まり、その内部でべつな意味論要求するような意味論は、言語意味についての問題に答えず、問題を先送りしてしまう。

マズそうだよね。

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2番目について。論理的には別に問題ないと思う。そうじゃなく、最終段階でどの位置に「前提」とか「集合の内側」って概念が現れるかを無視してしまうと、たとえば

がそれぞれすべて同じ「意味」をもつことになってしまって困るのでは、という指摘ね。

あと現在の体系だと同音異義語説明することができないように見える。たとえば

  • 「期間」と「器官」

区別ができない。

このあたりもなんだかマズそうじゃないかな。

2017-03-16

プログラムを「書く」 / プログラムを「組む」

後者表現を使う習慣がない。というかプログラムって「組む」って感じあんまりしなくない?

http://anond.hatelabo.jp/20170316132539

しかもそういう運動会に参加したくないとかほざいてる馬鹿陰キャはたいてい勉強もできないからな

高校生くらいなると勉強もできて運動神経もいいやつと勉強もできず運動神経も悪いやつにわかれる

はてなー後者

http://anond.hatelabo.jp/20170316110314

元増田だが、その2つの例でなら俺の認識はどちらも後者側だ。なので過剰品質ではないと思う。

もしかして俺がポンコツなだけで、そのくらい100%できるのが普通なのか?前述の通り俺は99%しかできない。

2017-03-15

当たり前だと思う

日本映画洋画ポスターダサい理由はそれが受け入れられてきたから。

芸術的ポスタージャンルがわかりやすポスターとでは後者の方がよく客の入りが多いのです。

そうでもなければわざわざあん気持ち悪い広告なんてつくりやしないです。

http://anond.hatelabo.jp/20170315011520

「こういうふうな読みがあるよね」と言っただけでも、

「作者のメッセージを決めてはならない!!!」とか発狂するバカも多くなったからなぁ。

その場合の正しい反論は、「こうだからそういう読みにはならないんじゃないか?」っていうことだよね。

どう読めるのかは作者ですらわからないんだから

あと作者自身が言い出したりするのマジウケる

しかも「自分の言いたいこととは違った!」なら、単純に技術問題だけど、

自分の言いたいことがバレちゃった!バレると恥ずかしい!」タイプや「直接言うと俺の小説がムダになるだろ!」タイプな。

前者ならてめぇの問題だし、後者ならメタメッセージ露骨な下手くそorメタメッセージを強調する装置という小説の側面がわかってないバカってことなんだよなぁ。

どっちにしろ死んでくれていいわ。

2017-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20170312191924

肉体的な面を除いて考えた場合風俗に行く理由は主にこの二つだろう



前者の場合は、増田常識マウント行為を、精神面だけではなく肉体的な面でもやるわけさ。俺はオトコだぁぁぁー!どうだおらー!!いいのか!?いいのんか!!?みたいな。

後者場合は、ツイッター常識hogeとか書き込んだ腐った書き込みに対して、イイね!をお金払って確定的に貰ってくることに似てるな。もう少し単純に母親になでなでされたいだけと考えたほうがいいかもしれない。



ちなみに、アニヲタとされてて日本幼女殺害第一人者にされてしまった宮崎某は、その生涯でただ一度風俗に行ったときに、金を払っているにも関わらず風俗嬢に手首の障害を含めて小ばかにされた経験を持つ。

まり上記に記した両方を満たすことがかなわなかった。




この風俗の失敗体験が、女児連続殺害動機づけたキーポイントにもなったともいわれてるが、実際のところはどうだかわからん

しかし、もし彼が超高級風俗で満たされない承認欲求だの男が暗黙的にもってる暴力欲求の両方を満たすことができたなら、風俗嬢にもった恨みつらみをてっとりばやく無関係女児に対して働き代償行為とすることもなかったんじゃないかと思うと、日本風俗嬢育成教育はまだまだだなぁと思います

http://anond.hatelabo.jp/20170310234231

私だけが搾取されてるう!っ言いたいんだろうし、ブコメもそういう論調のものばかりだけど

勝手高校辞めてふらふらしてる子と、ちゃんとストレート高校卒業した子なら

後者が優先されるのは当然だと思う。



高校奨学金は誰が払ったんだろうか。

というか、高校行くのに奨学金必要なくらいの家庭なのに専門学校学費はどうしたのか。

四年制大学行きたかったというけど、学費はどうするつもりだったんだろうか。

犯罪心理学が学びたかったって、んで将来の就職はどうするつもりだったのか。それが仕事に繋がるのか。

ただ面白そうだからやりたい、将来の就職はその時考えればいいや~程度で大量の学費出せるような家庭じゃなかろうに。

2017-03-11

ブコメ上でよく犯されている議論上の誤り二つ

わら人形論法と対人論法です。

前者は、議論相手がしているのとは異なる主張を、あたかもその人がしているかのように取り上げて、批判することです。

後者は、議論の内容ではなくて、論者に対して批判をすることです。ブーメランだ、という批判はこれに属します。

口喧嘩したいなら犯しまくって良い誤りだと思います

2017-03-08

発達障害社会不適合者に生まれても不幸になるとは限らないと言いう言説は

言っている本人は発達障害者人生肯定するつもりで良いことを言ってるつもりなのだろうが

実際にやっていることは発達障害者自己啓発的な人生観運命論へと疎外しているだけである

LGBTに生まれても保育園に落ちても不幸になるとは限らないというのも運命論としては正しいが

やはりそれは不幸なことだという政治的コンセンサスがあり権利保護公的扶助対象として議論される

発達障害人生肯定するのであれば前者と後者差異について一度真剣に考えてみるべきであると言わざるを得ない

子ども写真SNSとかブログシェアする時に「息子が1歳になりました」っていう親と「ボク1歳になったよ!」っていう親がいて、後者は高確率地雷

SNSでやらかさなくても、たとえば親戚とかに子ども写真シェアする時に、子ども目線台詞言ってたら黄信号

子ども自分腹話術人形みたいにあつかうのやめたほうがいいと思う。

2017-03-07

感情移入よりキャラ面白さだけで興味をひいたのがドラゴンボールなら、仲間意識連帯感などで気を引いたのがワンピース

後者感情移入の部分で読者を獲得しようとした。

感情移入を仕組みとして取り入れるには共感性を獲得することが大事で、共感性のターゲットは研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど狭くなりがち。

マイヤンが刺さる人にはワンピはいいけど、マイヤンが鼻につく人にとってワンピ唾棄すべき存在なわけで。

そこで共感できる普遍的感情を入れてくるわけだけど、普遍的感情ってわかりやすければわかり易いほど陳腐化してしまう。

なにが言いたいのかといえば、感情移入ってターゲッティングありきのテクニックだってこと。

なのでシナリオの各所に移入箇所を散りばめることはできるのだけど、ターゲッティングされていない、

普遍的感情移入があまり考慮されていない今敏アニメを見て感情移入できない、なんて意見を述べてしまうのは、

メロスを読んだけど走って王にあって友人と再会するだけじゃん、何が面白いの、と言ってることとそう変わらない。

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