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はてなキーワード: 事象とは

2017-03-26

はてなーって頭が良いよいように思われたいバカの集まりなんだよね

http://anond.hatelabo.jp/20170326002453

とりあえずコレだけ信じておけば賢そうに見える!と思ったヤツを盲目的に信仰するだけ

からポリコレも硬直的で、自分たちが正しいと一旦認定したもの以外は一切受け付けようとしない

事象の一つ一つを労力かけて一々真贋を見極めようとするよりは、

とりあえずBuzfeedだから正しい、仲間がスター付けてるから俺もスター付けとく、程度の自堕落バカ集団だよ

そんな奴らがポストトゥルースだのフェイニュースだの知ったかぶって知的人間気取りなんだから救いようがないよな

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170321133826

こういう人間って現実を見たくないから、最終的に実現不可能事象にまで逃げるのが笑える。自分のことを棚に上げて、環境のせいにする。社会恩恵を当たり前に思い、不都合なことには一丁前に喚き散らす。生まれのことまで言い出したら何も言えないよね。死ぬまで悔いてろって思う。

ブログ論壇 型稽古

起こりがちな議論上のトリック

 

(1)甲の起こしたある事象Aに対し、それを批判してA'にすべきではないかと論じる乙(A→A')がいたとき

(2)乙の立場一定の理解を示しながらも、行き過ぎた部分があるとして甲を擁護する丙があらわれるのだが、

(3)丙が指摘する「行き過ぎた部分」は乙の議論(A→A')を宣言なく無視して丙の設定したもの(A→B)を前提としていて、

(4)丙による議論すり替え(A'→B)によって乙に対する不当な印象操作が行われている

 

表面上は乙に理解を示しつつ、議論の前提をすり替えしまうことで、

乙による初めの議論(A→A')を無効化しつつ、

(A→B)という過大な要求を突きつけた、という濡衣を着せる論法である

丙にとっては、悪意なく陥ってしまいがちな思考ワナという場合もあるが、

乙にとっては、感情レベルでは肯定されつつも議論としては前提すら認められない、という

過酷ダブルバインド状態に陥れられる、極めて破壊的な人格攻撃にもなりうる。

「隠し藁人形論法」とでも呼ぶべきか。

 

この論法に対抗する方法

乙の議論と丙の前提の差分(A'→B)を読み取って、

その差分が丙の意図的操作によるものと認められればそれを指摘し、

丙の潜在的心理的偏向に起因すると思われるなら、それを慰撫緩和する。

2017-03-21

ファン」とはどういうものか。あるいは、そうなれない人の思考

とあるファンブログを見ててまさにこれだな、と思ったので。

思うに、ファンと「ファン」は重なり合いながら共存している。

 

例えば、デレステルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。

 

ここで、「ファン」なる性質もつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、

大空直美(智絵里中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。

ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。

ルームアイテムアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。

そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。

 

その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、

  • そもそも、興味を深く広く拡大していくような習慣がない等で、中の人ネタを知らなかった。
  • 知っていたとしても、脳内中の人など、別の事象(時に時事なども)と連結して楽しさを見いだす回路が鈍い。

複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。

脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。

上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。

期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、

信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。

彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。

ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲シビアだ。

 

それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、

どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。

それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、

前者のような「fun」の姿勢

日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」

という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。

 

ファンの中にも「ファン」と、そうでない人がいる。

それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやす感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。

まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。

娯楽は楽しむためのもので、楽しさは相対的感覚

絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。

それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。

fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。

 

 

余談だけども、某橙色はてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。

李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、

映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったかポジティブに楽しめたのだろう。

袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。

それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、

それを克服できるほどメタ感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。

というか、それが出来た時点で人から見えなくなるのかもしれない。

袁傪のような通の認識を持ちつつも、総合的な心情としては李徴のように振る舞えるというのが、私の理想だ。

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170320122851

単純な善悪価値判断じゃ無理。

悪い体制でもあったが、イギリスなんぞはもっとひどかった。

清国なんて崩壊しかかってた。

そういう歴史的背景の中での事象と、

それを受け継ぐ歴史性との中で、物事を見んとな

2017-03-15

毎朝ぎりぎり出社の運用エンジニアです

今日会社障害対応

最近やっているプロジェクトはつまらない。

今やっている仕事の50%は運用プロジェクト関係

運用なので実装や開発ということもなく、何かシステム修正があればテスト、というような感じ。

障害も頻発するわけではないがそれでもつらい。

先輩はいい人で色々教えてくれるので、勉強になるからその点はうれしいのだけれど、

やっぱり運用プロジェクトというせいかモチベーションが上がらない。


最近は毎朝起きるのも遅い。

乗る電車もいつもぎりぎり間に合う電車


以前は出勤時間の3〜4時間前に起床して、好きなプログラミングをしたり

本を読んだり、ランニングをしたり自由に過ごしていた。

会社にはみんなよりも1時間早く来ていた。

きっとその頃は仕事が楽しかったのだろう。

会社に入ったばかりでやることはどれも新鮮。

少し難しい仕事も任されるようになってきてモチベーションもあったと思う。

仕事楽しいだけでなく充実感があった。

それが今では不思議と朝起きたくないのだ。

起きるのがつらいというか億劫

別に疲れが溜まっているわけではない。

目覚めは悪いどころかいつも目はぱっちりしている。

でも起きれない。ぎりぎりまで布団の中。

そして時間ぎりぎりになると焦燥感を感じつつのっそり布団から起き上がる。

まり憂鬱なのだ会社に行くのが。

この状況を打破するにはたぶん運用プロジェクトをやめるしかないのだろう。

今ではどうせ朝早く起きれないなら深夜までずっと起きていようか、なんて考えている。

会社をやめていく同僚にも言われたが、運用やってるとだれてくるらしい、私生活が。

そういって同僚はフリーランス転職した。

今では職場でも私生活でもいきいきしている。うらやましい限りだ。

自分フリーランスにはなろうとは思わないけども、少なくとも今のプロジェクト半年が限度かなーとは思ってる。

同じ環境にずっと居ても成長できるか不安だし。

それに自分市場価値はどんどん上げたいと思っているし、会社だけでなく会社の外でも評価される人間になりたい。

そういう意味でも今の運用プロジェクトに長く関わるのは、正しい選択ではないように思う。

運用プロジェクトの残念なところは、仕事の大半が顧客対応コミュニケーションコストでつぶれること。

特にお硬いお客さんだと本番作業をする度に、申請書類を書いて作業日の何日か前に提出しなければならないだとか。

障害対応であれば書類に発生日時や発生事象、発生原因、顧客影響、業務影響、対応策、横展開対応、再発防止策、etc..

なんてことをつらつら書かなければいけなかったり。

なにより障害が発生したらものによっては休日にも出勤しなければならないこと。

まぁ自分はその経験はまだ一度もないけども。ただ障害が起きて帰りが遅くなった時は本当に疲れる。

体力には自身があるけども精神的にはわりときます。人によるのかな?

つらつらと運用プロジェクトについてネガティブな事を書いたけども、悪いことばかりではない。

運用プロジェクトでは顧客対応必須だ。なので顧客との話し合いは上手くなる。

あと、運用エンジニアには広範な知識が求められる。

例えばフレームワーク脆弱性が発表されれば、どの程度影響があるのか、どのような対策を取れば十分か、そもそもどんな対策がとれるのか、とか。

ハードウェアミドルウェア障害が起きればそれに対する知識を駆使して対応を行う必要があるし、

ドメインが変わった、IPアドレスが変わった、となればシステム運用保守作業で影響がないか調査する必要がある。

なのでそのような対応を考える機会があるので勉強にはなる。

他にも必要知識として、プログラミング言語SQLはそこそこかけて、DBクライアントLinux操作、その他ミドルウェア知識必要になる。

なので現時点では自分スキルはそこそこ伸びてはいるのかなーとは感じている。

そんなこんなで運用プロジェクトは色々大変だよってことです。

理想運用プロジェクトで吸収できるものは吸収していって、早めに別プロジェクトに移っていきたいですね。

めんどくさいことが多いけどもつまらなすぎて潰れないようにとりあえずがんばります

明日仕事ですね。みなさん一緒にがんばりましょう。

「~を分析してみた」みたいなレポートを共有したり出来栄えを競ったりするサービス

「(ある世の中の事象について)統計等の資料を引っ張ってきたりフレームワークと合わせて考察してみるとこういうことが言えるのでは」っていうレポートをみんなで投稿して、それについてやんややんやいったりするサービス妄想している。

例えば昨今で言えばDeNAレポートがいい資料だねって話があるけど、あそこに出ている数字とその当時のDeNAの動きを追って、関連性を探るとか。

東日本大震災から6年の節目が経ったけど、復興税が何に使われているのか復興庁ホームページから見れる予算執行状況をグラフでまとめて、どの部分に最も支出がされていて重視されているのか探るとか。http://www.reconstruction.go.jp/

サービス提供する側はこういうデータがありますよーとか、今週はこのデータ(資料)を使って何かを分析してみましょうとか、言ったりする。Kaggleみたいにコンペにしてもいいかも。何を基準に優劣を判定すればいいのかはわからないけど。

こういう社会的に何か示唆を与えようとするレポートというか文章個人ブログで書かれていたりすることが多い印象だけど、そういう文章ばかりが集まったサービスってニーズいかなー。

マウンティング』はなぜ流行してるの?

あらゆる事象を『マウンティング』を使って説明しようとする傾向を不思議に感じる。マウンティングと言われても機械の取付金具のたぐいしかイメージできない。いつからマウンティング』が人口膾炙し始めたのだろうか?

純正検索機能で見つかる増田での初出は2014年11月25日18時25分。でもこれははてな検索が『マウンティング』を形態素解析可能になったのが2014年秋頃というだけの話で、それ以前のエントリでもマウンティングが見られないことはない。2014年7月13日には既に見つけることができた。

Googleトレンドで見てみると2014年の春頃に急増している。その頃のニュース記事検索してみると、渡辺千穂脚本沢尻エリカ様主演のテレビドラマファーストクラス』が女性同僚間での『マウンティング』をテーマとして描いていてそれで一気に流行語になったのだという。

Googleトレンドでは2014年2月時点で既にグラフが上昇しつつある。これは2月8日に発行された瀧波ユカリ犬山紙子著『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子実態https://www.amazon.co.jp/dp/4480815198の影響が大きいのではないかと思われる。

2014年1月以前も細々とながら使われていた。その中には2013年4月20日発行の『嫌われ女子50』https://www.amazon.co.jp/dp/4584134928という本についての言及も見られる。これも犬山紙子氏の著作である犬山 紙子氏がこの人間の行動を『マウンティング』で解説するブームを作ったと見ていいのではないだろうか。

はてな村では2011年内田樹氏がブログ内で使ってプチブームが発生した。「暴言と知性について」http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php

更に前になると2008年ごろからid:Nagise氏がはてなダイアリーで多用されてきた。はてな村での流行id:Nagise氏にルーツがある可能性もある。

それ以前の言及普通に動物の生態を書くために使われた用例が多い気がする。

2017-03-13

亡くなった彼は何故この時代に現れ、バズったのか

狂気狂気迫害対象となるだけでなく、とき信仰対象となる。

殺人鬼障害者虐殺した介護職員統合失調症のうるさいおじさん、地下アイドル、嘘つき音楽家

ヒトラーイエス・キリストさんまメッシ橋本環奈ホリエモン高橋一生、そしてこれを書いている無職

あらゆる事物事象生物、営み、注目、興味、すべては狂気なのだ。人はみな狂人だ。

でもそんなことはどうでもいい。そんなこと当たり前だ。ほとんど何も解決しない。

フーコー著、狂気歴史も割りとどうでもいい。読まなくていい、あんもの

今も昔も狂人迫害される存在だ。技術により隔離する費用が下がったけれど。

今回得られた教訓は、ひとをしばらく羽交い締めにすると死ぬ、ということだ。

http://i.imgur.com/Ley9bi7.jpg

2017-03-10

3年目に切り出された突然の別れ話で生きるのが辛い

24歳、男リーマン

まれて初めての失恋経験し、うちひしがれている。

一般的解釈すれば、この落ち込みようはひとえに私の恋愛経験の乏しさに尽きるのだが、すべてを失った私にはもう生きていく理由がないように思える。



世界各地で今この瞬間にもカップル誕生し、また別の場所では破局している。

そんな卑近なはずの現象が、まさか自分たちの身に降りかかるなんて思ってもみなかった。

永遠なんてないとは言葉の上では理解していたつもりだったが、それでもこの関係が一生続くと思っていた。



3年もの交際期間があって、先日突然切り出された別れ話。

「好きという感情がなくなった」

私にはまったく理解ができない。



彼女普段からまり不満を口にせず、悩みを溜め込む傾向にはあった。

しかし私は今回の件で、突然別れを告げられるような落ち度があったように思えないのだ。



愛が伝わっていなかった?

言葉が足りなかった?

そんな平凡なミスは侵していない。

今までも、そしてこれからも、二人で順調に楽しい思い出を作っていけるはずだった。



しかにこの1ヶ月ほどのあいだは些細なことからギクシャクした雰囲気になることもあった。セックスレスだった。



しかしこんな停滞期はなにも珍しいことではなく、3年という年月のあいだに何度かはあって、それも二人で一緒に解決してきたはずなのに。

会う頻度だって今までと変わらず、何気ない日常がずっと続いていたはずなのに。

なぜ今回に限って、突然の終わりを告げられたのだろう。






はじめは電話で話を切り出されたが、直接会って話し合う日を設けることにした。



彼女への変わらぬ思いを、こんなギクシャクした空気過去に何度も一緒に乗り越えてきたことを、今回だって近いうちにまた元通りにできる希望が十分にあることを、突然すぎる提案を受け入れることは私には耐えられないことを...

後悔だけは残したくなくて、きっと彼女気持ちを取り戻せると信じて、私は伝えたいことをしっかりと整理してから話し合いに臨んだ。



話し合いの当日、私は彼女にまず思いの丈を語った。後半、私は泣いていた。

男泣きのカッコ悪さなんて、彼女を失ってしまリスクに比べれば塵みたいなものだ。



しかし話し始めてからしばらくもしないうちに、私の言葉彼女の心にまったく響いていないことを悟る。

彼女はひたすら首を降り、ごめんとつぶやくだけだった。



彼女は私の気持ちを聞いて泣いているけれど、私の愛はすでに十分伝わっているけれど、それでも彼女は私のことが好きでなくなってしまっているのだ。

そこに理屈はない。そして彼女のなかではすでに私たちは終わっているのだ。

口にしてくれなかっただけで、彼女自分のなかですっかり整理がついている。もう何を言っても遅いのだ。



どうして彼女はその結論を出してしまうよりも前に、もっと話し合いの場を設けてくれなかったのか。

こちらは相も変わらず絶好調に愛していたのに、なぜ貴女気持ちゼロになってしまうまで黙っているのか。そんなのズルいじゃないか

サプライズポジティブな場面だけにしてほしかった。



私の何がいけなかったのか。

そんなことを彼女から聞き出したところで、この破綻を修復することはできない。

私にはこれ以上、何も言うことができなかった。



フる側とフラれる側でこうも気持ちに差が生まれしまうんだな。

涙が出過ぎて喉が乾く。

フィクション映画で感涙するのとはわけが違う。


別れ際、彼女は泣き張らした目にむしろ晴れやかな表情をたたえ

「今までありがとうね」

と言った。



そんなありがちな台詞が言えるほど、彼女のなかでは気持ちの整理がついているのだ。改めて実感する。

私は視線を落として、せめてそのふざけた空気感にだけでも抵抗しようと思った。



双方合意の穏便な別れ話を済ませたつもりなんだろうな。

私にとっては晴天の霹靂、これまで生きてきて一番残酷時間だったのにもかかわらず。

信じがたいほどの気持ちの隔たりを感じてしまって、また涙が吹き出した。






私はこの先立ち直ることができるのだろうか。



彼女は私のすべてだった。

私は彼女に生かされていた。

友達が少ないのも、無趣味なのも、仕事が退屈なのも、彼女のくれた無償の愛のおかげで、自分はこれで大丈夫だと思えた。

無期限の愛だって根拠なしに思っていた。



友人に愚痴を聞いてもらっているはずが、気づけば在りし日々の彼女との惚気話を披露している始末。

思い出は美化されるから引きずってしまう、とはいうが、私にとって彼女と過ごした日々は、良いことも悪いこともすべてがすべて大切な宝物だった。

然別れ話を切り出された、この理不尽さを除いてすべてが。



どこへ行っても何をしていても彼女のことを考えてしまう。

自宅の回りのほとんどの飲食店彼女笑顔残像が見える。

道を行き交うカップルコンビニに流れるラブソングワイドショー芸能ニュース...

すべての性と男女を連想させる事象が私の胸をざわつかせる。



本当に、何がいけなかったんだろう。

あのときああしておけばよかった、そんな後悔はまるで思い浮かばない。

少なくとも1か月前には百点満点の幸せ関係がそこにあったはずで。



心臓の半分を抉り取られたような、この喪失感は何に代えても埋められない。

何も手元になかった3年前の状態に戻っただけ、そんな風にはとてもじゃないが割り切れない。



今は思い出の品を段ボールに詰めてはまた開封し、彼女LINEブロックしてはまた解除し、「失恋 立ち直り方」でググって質問サイト経験談を読み漁ってはまた号泣している。

2017-03-08

自分がこの事象に対してどう思ってるのか、文章にして読み上げたら少し頭の中がスッキリした。

でも私は彼女っていう枠にすらはまれない人間だもんな。

他人から「付き合ってるの?」って聞かれても毎回全力否定される悲しさ。

これが無かったならもっと自信持てるのにな。

2017-03-07

適切な設問を用意する能力

こんな記事を見た。

http://hirorin.otaden.jp/e439923.html

ブコメでも散々言われいるが、この記事で扱われているアンケートは設問が悪すぎる。



まずもって、

 以下の質問に対し、「信じている」「やや信じている」「知らない・わからない」「やや疑っている」「信じない」の5つからあなたにあてはまるものに〇をつけてください。

という選択肢が悪い。なぜ「信じる」「信じない」なのだ。信じるだけなら根拠はいらない。科学的に正しいことを「信じている」からといって、その人がその事象根拠理解しているとは限らないのだ。

単に「信じている」だけなら、天動説を信じている人も、地動説を信じている人も、ID論を信じている人も、進化論を信じている人も、科学的な思考力を持っているとは言い難い。



他にも、個々の設問にも突っ込みどころがある。

2. 太陽は東からのぼり、月は西からのぼる。

これを6割の中学生が信じていた!問題だ!と、言いたいらしい。

しかし、この問題は、前半は正しく、後半は間違っている。流し読みしただけでは「太陽は東からのぼり」で「信じている」と答える者が少なくないことは容易く想像できる。

この問題に関して、「信じている」と答えた者は、

  • 設問をよく読まずに前半だけで判断した
  • 全文を読んだが設問の意味を適切に理解できなかった
  • 月が西から登ると本当に思っている

と分類できるだろう。

1番目は単なるケアレスミス、強いて言うなら注意力の欠如が問題なのである(これはテストではありません、なんていうアンケートで注意力云々を言うのはどうかと思うが)。

2番目は国語力の問題だ。それはそれで問題はあるのかもしれないが、科学思考力とは関係がない。

3番目が山本氏問題にしている部分であろうが、それは果たして実際には何割だろうか?少なくとも、設問が「月は西からのぼる」だけの問題であったなら、もっと少なかったのではないかと推測できるし、このデータだけでは議論できないことは明白であろう。



6. カーナビなどに使われているGPSは、月面でも使える。

現在、月に有人ミッションはなく、月面にGPS必要ない。そういう意味では、GPSは使えないだろう。

しかし一方で、月面探査機などは打ち上げられているし、電波は月まで届く。技術的には、月周回軌道衛星飛ばしてやれば十分に電波測位は可能であろう。GPSは「Global Positioning System」なので、別の名前になるかもしれないが。

そういえば、「宇宙兄弟」という漫画で、月面ローバーカーナビシステムを搭載する話があった。現実の話ではないが、不可能なことではない。あれの実現にはGPS必要である

で、この設問にはどう回答すればいいのだろう?「現在使えるか」という話なら不可能だし、「使えるようにすることは可能か」という話なら可能である。どう答えても、「間違っている」とは言えない。



23. UFOには宇宙人が乗っている。

まずUFOって何だ。未確認飛行物体だ。その正体が鳥でも飛行機でも、確認できない間はUFOだ。

まあ、いわゆる地球外生命体が空飛ぶ円盤に乗って地球に来ているか、と言われれば、証拠がないので「そのような事実はない」と言うしかない。

一方で、この地球という惑星人類という生命体が出現した以上、どこか宇宙の遠くに宇宙人存在する可能性は否定しうるものではないだろう。そして、もしその宇宙人が何らかの飛行する物体に乗っていれば「UFOに乗った宇宙人」の完成だ。

この設問は何を問いたいのだ?「宇宙人はいない」という答えが欲しいのか?宇宙のどこかに宇宙人いるかも、と語ったら「科学的でない」と言われてしまうのか?



まあ、これは個人ブログのようだが、世の中には往々にして、アンケート結果よりも設問を問題にしたほうがいいケースが存在する。

正しい統計を取るためには、曖昧さの少ない標本が必要だ。中学生科学思考力を問題にする前に、統計を取る側の人間が、統計を取るための能力を身につけることが先決ではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170306164110

こういう主張、毎度ながら不思議に思う

自分理解が及ばない事象存在することで、彼らにどんな認知的不協和が起こっているんだろう?

人類統一価値観を持てないことで、どんな不都合を感じてるんだろう?

2017-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20170306094804

子供を産まない場合理由ひとつ独立事象としての要因のひとつとしてみなして、俺の主張を補強しうると認めただけだぞ。

子供を産まない理由ひとつとなり得るのは、検査してそうだと判明した後の話だろ…

このレベルから説明しなきゃいけないのか…

日本人白人女性性的対象として見ていない、という話

 偉大なる英国放送協会がまた何か日本特集をやったようで、日本オタクたちはそれにかかりきりである。内容はいもの如くである日本男はロリコン趣味が酷い、カワイイへの執着が酷い、外見差別が酷い、云々。反論もいつもの如く――二次元関係ない、対象が成人でも批判されるのはおかしい、外見では中身は分からない、云々。そうではないのだ。

 いわゆる外人男性はイージーゲームである増田諸賢は白人黒人男性テンプレートを思い浮かべて欲しい。日本人女性テンプレを考えて欲しい。カップルの成立である。これを読んでいるあなた特定男性をどう思うかは別にして、実際うまく行くかは別にしてだ、少なくとも"外人ボーナス"の存在自体ほとんど自明のこととして想像されるであろう。

 一方、いわゆる外人女性モテない。その実情まで増田は知らないがその嘆きは見ることができる。彼らは人並みに恋愛関係を学んで仕事に邁進しスキルを付けて極東へやってくる。仕事では日本労働者を蹴散らすことだろう。しか恋愛となるとこの超過密都市東京渋谷の街へ繰り出してもナンパ一つ来ないのだという。何かがおかしい、真理からかけ離れていると彼らはフラストレーションを高め、そして同じ境遇同士集まって、まだこの国の慣習こそ完全には理解していなくとも、容姿にも性格にも能力にも問題のない"外人女性"たちが、十人が十人とも共通して異常な非モテ問題を抱えていることを知るのである。いわく、同僚の外人男性差別で困ったことはないと宣う。ピクリとも来ない同郷のオタク男はカワイイ女子を侍らせている。いわく、スタバ空気扱いされる。日本女性の友人には奥手だから攻めろとか言われ、道を尋ねれば逃げられる。土曜の夜にも関わらず誰も捕まえられず一人ラーメンを啜る……それらの事象が「日本には外国人差別が根強く、日本男は古い奇習を引きずっていて、成人女性に興味がなく敵対的である、と考えられる」という"事実"となって立ち上がってくるのであろう。

 さて、日本男は外人女性に興味がないのだという説に対する反論が一つ決まっている。無修正である。それら映像には主に外人が取り上げられ、日本男はそれを好んで見る。無修正が好きなのだから外人女に正常に興味がある、はずだ、という。しかしこの反論破綻している。先日、そういった作品に出演した人物警察逮捕されたというニュースがあった。その是非を論じることはまた別の機会に譲るが、出演した人物訪日外国人ではなく日本人であったようだ。修正がないことを好むのであって、登場する人物に対しての嗜好が反映されている訳ではないのだ。問題はおそらく、日本社会多様性では米国欧州の一部ほどには豊かではないことから、外見の認識形成する際にこれら対象外と扱われてしまう人々を彼らが求める方向性認識できないということなのだが、しか外国人差別があるとか古い奇習を引きずっているというのはまあ事実ではあろうし、訪日外国人が現地民の性的嗜好に強い性差を見て取り、精神的な負担を感じてしまうということのほうがより単純で重要で明確な事実なのであろう。

 オチは無い。あるのは、BBC女性記者がなぜか東京根深く侵す日本人男性いびつさを暴かなければならないほどの精神的苦痛を感じているという事象である。これを読んだ増田諸氏はぜひ国際理解ちょっとした課題として解決への糸口を探ってほしい。

(余談だが、増田が育ったころには英語敬語はないなどという大嘘がまかり通っていた。ジスイズアペン敬語は要らないが、自分適当日本古都出身だったとしてお宅の方言には敬意を表す表現が有りませんなと言われたと思ってみて欲しい。公然嘲笑うよりも、へえ劣等言語は中々使いこなすのに骨でして貴方様の言語が羨ましい限り、とでも誤魔化して後々慇懃無礼におちょくった方が楽しい。それくらいの陰湿さは万国共通である)

2017-03-05

不幸になるか幸福になるかわからないという前提において出生を否定すれば回避できる事象なんですよ、不幸というのは

そんなところに子供を突き落とすのは愛しているといえるの?という話なんですね

別に子供介護ロボット、だとか投資対象だとかピーキー思想を持ってる人なら産んで良いんじゃないですか(笑)

「産まれてこなかった子供意志」とかいうキチ概念を初めて知った

反出生主義の話題ときに、「産んだら(子供が)不幸になる確率が高いので産まない」という主張に対して

「産まれてこなかった子供は産まれたかたかもしれない」という謎理論を持ち出してくる人がいて驚いた

まれてない子供はこの世に現前すらしていないので(個体として発生すらしていない)

「産まれてない子供意志」なる概念が発生するのはオカルトの中でもトンデモ領域

産んだら不幸になる確率が高くても「私は産みたかたから産んだ!」という人はそれはそれでひとつ価値観だと思うが、

そういう自分防衛するために「産まれてない子供意志」なる概念を持ち出されるとキチガイを疑わざるをえなくなる

ikanosuke この辺りの概念は、不妊流産経験する身にとっては、とても辛いものになる。(別に否定してるわけではない)

anigoka パラレルワールド大成してるであろう俺’に申し訳ない

死んだ子を出産した場合、体内にいる場合は少なくとも現前はしてるよね?

現前した人の未来想像するのはおかしいとは思わないよ。

現前すらしてない、個体として発生してないのに個体としての意志があるというトンデモ主張

しかもそれで他者を説得可能だと思ってるのがおかしいって話

ngsw 反出生主義という概念を初めて知ったのだが、たぶん「産んだら不幸になる」を「産んだ本人が」でなく「産まれ子供が」と捉えて、その反駁として「産まれたかったはずだ!」と件の人は言っているのではなかろうか。

mustelidae たとえば意思能力のない植物人間権利を語ることはキチか、みたいな。(「意思能力のない人間意思はない」というなら字面上は当たり前だが、実質上は意思ではなく権利について語っているのだと思うので。)

子供存在たらこう思うだろう」→妥当

「死んだ子供はこう思うだろう」→譲歩可能

「脳が死んでいる人間はどう思うのか」→譲歩可能

存在しない子供はこう思うだろう」→キチガイ

この違いわかります

個体として発生している、死んだ子供意志ならともかく、個体として発生してさえいない存在意志があるというのはキチガイ領域でしょ。

妥当キチガイを同じ意味の文と捉えられるなら立派なキチガイですね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/type-100

greenT 快不快の総量みたいな不毛概念で語っていいんなら人間子作りの瞬間の快がすげぇから総体として人間は子作りすべきであるという結論になるので他行こうぜ

http://anond.hatelabo.jp/20170305213540

厚生経済学行動経済学を学んだほうがいいと思うよ。

出産した快よりも不幸な子供を作る方が社会全体の満足度は下がる。

効用という概念勉強しよう。

まれ子供幸福と不幸を判断するのは想定できるけど、

まれなかった子供はそもそも存在しないので意志なるものはありえないでしょう。

この区別がつかない人ってキチガイ認定されてもおかしくないよ?

pikopikopan 手厚いサポートがあるなら生んでもいいけど、そんなものはないんだよな。反出生主義って他人にも強要するの?私は他人がどう選択しようがかまわないし、同じ発達障害持っている人が子供産んでも、止めないよ?

反出生主義っていうのはひとつ価値観でしょう。産みたいから産む~もひとつ価値観

別に産みたい人を否定するつもりはない。ただこちらを否定するなら戦争だっていうだけだ。

他の反出生主義者がどうかは知らん。


t-tanaka 反出生主義が批判されるはそんな理由じゃない。少子化不利益は,その世代自体最初に直撃する。同世代人が少ないほど子供達は不幸になる。自分意志で「子供を産まなかった人」は「生まれ子供」への加害者だ。

少子化だーってみんなが騒いでるから思考停止して勝手に喚いているアレな人だ。

君の言ってることの一例を挙げると、民主主義で票が取れないからその世代の主張が通らないとかそういうことでしょ?

それって民主主義の欠陥の問題ですよね?

産まない人に責任押し付け思考停止してるアレな人だなぁっていう話にしかならないよね。

少子化問題じゃなくてそれ以外の問題や欠陥が少子化によって露呈されるだけ。

いまげんざい発達障害者は健常者に迷惑をかけて生きてるのを自覚しろ!と喚いている人がたくさんいるよね。

これって、要は産んだ人が産まれ子供自身とそれ以外の産まれ子供に対して加害してるのと一緒だよね。

じゃあ産まれ子供自身がいない方が不幸は少なくて済むね~^^


mur2 日本には江戸時代から水子塚や水子地蔵があるんだが…(追記)「産まれてない子供意志」なる概念もそれはそれでひとつ価値観だろう。議論する気があるのならキチガイとかオカルトとか言い出すのはやめよう。

まりオカルトトンデモじゃん。現代において、しか議論最中水子が~とか言い出したらあっキチガイだなぁと思われるのは仕方ないよね。

そもそも精子卵子出会ってすらいない段階でだぞ...

追記←はい?そもそも精子卵子出会ってすらいないのに水子がーってまだ言い張るの?

現前すらしてないものをあると思いこんでるアレな人でーすって自己紹介し続けるのか笑

つの価値観提示するのと、根拠常識のない価値観で説得しようとするのは全く別の話だぞ。

科学的根拠すらないオカルトキチガイを振り回しといて、

俺の話をまともに受け入れてくれ!オカルトキチガイと呼ばないでくれ!と叫ばれても、

議論を成立させる気ねぇのおまえだし、まず自分思考を直してこいよって話だよね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/murishinai

「もし産まれたら子供が不幸になる」は産まれ子供判断するという事象があるので想定できるけど、

「産まれなかった子供(この世に存在していない)が産まれたいという意志を持つ」は一般ピープルが抱く仮定としてはキチガイじみてるなぁと思うわ

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/tonton-jiji

http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/nenesan0102

だれだおまえ...俺は100年前から反出生主義だぞォォォ

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/kaz_the_scum

産みたいから産んだでも別に悪くはないと思う。ただし不幸になる確率が高い親がいるという現実は見ないといけないと思う。

midastouch つまり、不慮の事故とか自殺で死んだ友人親族がいたとして、生きられなかった彼の分も生きよう、今を生きれなかった彼の意志を受け継ごう、とか考えて踏ん張って生きている人もキチガイか?大層傲慢な考えだな

頭が悪い人が現前していた人の未来想像するのは悪いのか!とか言い出してワロタ

現前すらしていない人の話の最中になんでこんな頭悪い発言できるのか不思議で仕方ないわ笑

fraction 1+1=2って叫ぶのになんだってこの人こんなに文字数とってるの、低能?(まあ、本当は別問題とわかってるから文字数とってんだろうけど)

前提や保留を示唆した文章を長いとか言い出すドアホな低能に呆れるわー

読書経験のなさそうなアホが伝達不可能性が高い文章を書いてる自覚もなしに他人低能呼ばわりできるの不思議で仕方ない笑

iteau 「産んだら不幸になる」の主語が無いのはなぜ? 自分? それとも子供? もし「子供」なら「不幸になる」と言っているのも勝手な推測だと思うけど。いずれにせよ論ずる前に日本語勉強しろよ。

一般的日本語主語が省略されても文脈理解できることがほとんどですよ。

現におまえ以外ほぼみんなちゃんと理解してついてきてるじゃん。

学のないおまえごときには勝手な推測に見えるんだろうけど、

遺伝生理学社会学で不幸になる確率が高い親の存在はきちんと示唆されてるよね笑

まったくおなじこと言ってるアホがトラバにいるのでそこを追ってくださいね

おまえのようなアホが言い出しそうな、努力認識次第でどうにかなる~みたいなのは感動ポルノから

miz999 匿名なうえに相手に届かない手法を選んだ反論は、生まれてきた意味があるのだろうか

似た思考を持つキチガイに見事にフックかかってるし意味があったね^^

possesioncdp 別に子供意思とやらに賛成するわけではないが、初めて知ったのにオカルト概念なんだがって断定してて???となる

初めて知ったかどうかとオカルト概念判定の関連性に???となる

tune2011 命や意志の仕組みを根本的に説明できる人は居ないんだから、「私は自分意志自由にしていいんだ」も「まだ産まれてない子供意志尊重すべきだろう」も価値に優劣はないと思う1

えーと。この世に存在してもいない人間意志が将来的には科学的に証明できるっていうトンデモ話っすか?笑

http://b.hatena.ne.jp/entry/325510872/comment/deztecjp

そういう主張じゃなくてガチで産まれなかった子供意志が~とか言ってたのでちょっとしたキチガイだと思う

takehiko-i-hayashi ああ、これは私はよくこういうことを考える。我々が「生まれていない人間権利」について全く考えなさすぎるから子供が減りすぎたり将来世代資産を先食いしすぎたり環境悪化させすぎたりしてる側面はあると思う

おまえが想定してるのは「将来存在する子供がどうなるか」って話だろ。

今話してるのは「現前しない個体としてすら存在しない子供意志はある」というトンデモ論だから

gazi4 件の主張は相手によってはパワハラ、であってブコメに対する増田の「現前」という返しは問題本質理解していないどころか立場が違えば同じ事をしているのが良く分かる

ブクマカありがちな匂わせ文。具体的または根拠ある指摘をなにひとつできないくせに決めつけや空想相手勝手規定する。

morita_non 内容はどうでもいいけど、そもそも「生れたら不幸になる」とかいう言説に何の説得力あんのかよく分からん。じゃあ不幸な人をかたっぱしから殺してんの?

遺伝生理学社会学文化資本概念など、社会適応が難しくなるような子を産む親がいるというのは事実

そして社会適応が難しいと不幸になるよねっていうだけの話。

既に産まれた人とこれから産むかどうかの対象をごっちゃにする人って。

2017-03-01

死にたい気持ち

自殺願望希死念慮

自殺願望希死念慮という言葉がある。

どちらも「死にたい」という点で同じ意味を持つが、自殺願望は自ら命を絶ちたいと願うことで希死念慮は自ら死ぬ気はないが何かの拍子に死んでしまいたいと思う気持ちである



しか中学2年の頃からだったと思う、自分には希死念慮がある。

希死念慮という言葉の響きがあまり好きでないので、自殺願望と比べる時以外は「死にたい気持ち」という。

何となく漢字の「希」や「念慮」という言葉違和感があるのと、感情表現はより平易な言葉を使ったほうが想像やすいからだ。)



死にたい



他人が聞けば何となくあんな感じかなと思うかもしれないが、自分にとってそれは何となくなどではなく手にとって形や大きさがわかるほど、一つ一つ凹凸や歪みがわかるほど鮮明に自分の中に在る。



中学2年といえばスポーツ勉強も多少暴力的なほどのスピード学習する時期だ。

当時ちょうどアメリカにいた自分はそれと同じくらい暴力的スピードで「沈黙」を覚えていった。

最初からそこにいたのかもしれないし、舞っていた塵がゆっくりと沈み形作ったのかもしれないし、最初はそこにいた違う感情が色を変えてしまったのかもしれない。

今となってはどうやってそれが自分の中で形作られたのか覚えていない。

それはちょうど手がかりの少ない歴史の一事象のように不確定さと推論をもって自分の中に在る。



死にたい気持ち」に気づいてからは、ただずっと自殺願望希死念慮忘却を行ったり来たり。

忘却は決して長くは続かず、それが自分の内から来ているものだと裏打ちするようだ。



今となってはむしろその感情以外に自分自分たらしめるものなどないのではないかとさえ思う。

人間は必ずどこかに致命的な矛盾を持って生まれる」これは自分の好きな言葉の一つだが、死にたいと思う感情が生きている自分アイデンティティなんて神はまったく皮肉矛盾を与えたものだ。

自らの持つ毒で死ぬ蛇のように、数学という学問に刺さった不完全性原理というトゲのように、私はそれを愛している。生きなくちゃいけないという苦しみ以外は。



「私は生きている、死にたいという気持ちとともに。私は確かに生きている。」

2017-02-27

そろそろ見ても良い映画この世界の片隅に

疑ってる人も多い段階だろうが、もう20億越えたんだしそろそろ見ても良いと思う。

現在22億ってサマーウォーズで16億ちょいだから相当凄いんだよな)

損をさせるとかさせないとかじゃなくて

何でこの映画が小規模で公開され、なんでこの映画がここまで伸びたのか。最近で言うアメリカララランドと何故似た伸び方をしたのか。

それを見る機会が今目の前にあって、もうすぐ上映館も減るということ(再上映館もあるんだけど)

その事象を見るチャンスはもう長くない。

ただしDVDを待ってる人よ。この映画ロングランなのでDVD出るの超遅いぞ。君の名は。より遅い。

見て後悔するかしないか、ってそんなのはその人の感覚次第だと思うのでなにも言わないが

この文章を書いてる増田は見て良かったナァと思ったから書いている。

この映画の嫌いなところを語ってるツイートとか見ると「まだ見てないけどこういう映画から嫌い」って言ってる人が居て

いやぁそれは見当違いなんだよと突っ込みたいけど、見てない人に突っ込んでもぬかに釘だからね…。

意識高い系が好きな映画、とか思われても良いんだけど、この映画を褒めてる増田最近ハマってるものは「けものフレンズ」だし。

ま、どんなもんかと高みの見物をしに行って見てよ。




さぁ、このセカファンフレンズ

もう一回ダイレクトマーケティングしてみようじゃないか

春休み学生に見てもらおうぜ。拡散頼むよ。

以下ブクマにこの映画感想

政治って政策思想ばかりじゃなくて

政治関係だと政策思想が大好きな人が多いように見えるけど、選挙政局が好きで政治事象政局選挙人間関係からめる人も結構ます

ラブライブ!サンシャイン!!って本当に「こわい」

ラブライブ!サンシャイン!!ライブに参加したお話です。

昨日今日横浜アリーナで開催されたこのライブ、本当に素晴らしい内容でした。

私は2日目は残念なことに昨晩から体調を崩してしまったため、初日のみの参加でしたが、本当に満足のいく、多幸感の溢れるライブでした。

なかでも、アニメ劇中シーンを再現した「想いよひとつになれ

ステージ上部にピアノが設置され、桜内梨子さん役の逢田梨香子さんが懸命に目の前の88鍵と向き合う姿に心を揺さぶられました。

鍵盤を押す指が震えており、間違えないように慎重に…という心情が顔に表れており、それが大きなスクリーンを通して客席や全国の映画館へ流されているのかと思った時には、本当にこんなことしていいのかとも思いました。

ピアノ経験もなかったことでしょう。まさか、そんな自分横浜アリーナで1万人を越えるファンの前でピアノを弾かされるなんて思ってもいなかったことでしょう。

彼女が当初、この構成を発表された時にどんなキモチになったのか、そもそもいつどこでどんなふうに発表されたのか、1人のファンである私には想像余地もありません。

もし自分が同じ立場だったら、泣きながら拒否する以外に道はないと思います。怖いもん。

それでも、逢田さんは初日の公演で見事に弾ききりました。本当に心に訴えかけてくるようなパフォーマンスでした、ありがとうございました。

さて、本日の公演。

私は参加していない身分なので自分の瞳で確かめていないことなのですが、どうやら演奏途中で間違え、曲も止まってしまったんだとか。

肩を震わせる彼女のもとに、すぐに他のメンバーが駆け寄り、その後もう一度はじめからやり直したんだとか。

もしこれが本当なら、本当に頭が下がると同時にめちゃくちゃ「こわい」と思いました。

まずは逢田さん、本当にお疲れ様でした。頭が下がるばかりです。是非ともその場で応援させてもらいたかった。

そして、これってスゴくこわい問題だなって思いました。

奇しくも今日の公演でピアノを間違えて曲を止めてしまったこと、偶然です。

しかし、このハプニングがありライブは俗に言うエモい状態に入り、多くの観客の感動を呼び起こしたことでしょう。

よく「ハプニングを楽しもう」「ライブハプニングは付き物」と言われますが、毎回毎回こんなハプニングがあったんじゃ観てるこっちも仕方がないです。

うまく表現できないため言葉の綾があるのですが、それでエモさを感じるのってすごいこわい問題じゃないですか?

μ'sの3rdライブ体験した方なら同意いただけると思うのですが、個人的彼女たちの全てのライブを通して、最も印象に残っているMCと言われ、3rdライブアンコールでのあのシーンを挙げる方々が多いと私は思っています

端的に言えば「演者の泣く姿を垣間見たい」そして「頑張れ」って言いたいっていうエゴ権化みたいなアレ。

昨日の伊波さんのMCで印象的だったのが、多くの観客が執拗拍手をしていたのに対し、「泣かせようと思ってるでしょ!」とバッサリ切ったあの場面。

あの一言で、図星を突かれた方々もいたのではないかと思います

しかたから泣く、悲しかたから泣く…涙には様々な種類がありますが、感情の経過と変化の結晶が涙だと私は考えています

決して、私たちが左右できるようなものではない。しかし、それを意図的に求めようとしている、つまり多少のハプニングに姿を表してほしいと思っていること。(今回のピアノの一件では、流石に観客側も一瞬凍りついたと聞いていますが…)

それって不健全じゃないですか?

というかそもそも、ピアノ初心者ピアノを弾かされるってこと自体がスゴい異常なことだと思っています

これはAqoursや多くのアーティストパフォーマンス全てに言えることだと思います

私もいくつか楽器を嗜んでいるため、パフォーマンスをする側の精神をある程度は理解しているつもりです。私の場合、多い時には何百人以上の観客を前に演奏披露することがあるのですが、やはりライブをするというのは楽しいです。

一方で、練習はやはりストレスが重なりますあくまでも私の想像ですが、Aqoursダンスレッスンなどでも様々なストレスプレッシャーがあったかと。そして特に。今回のピアノ披露は何よりもまず、彼女プレッシャーが画面越しに伝わってきました。人ってあんなにも必死な顔をするものかと。

しかに感動は産んだかも知れませんが、私のフォロワーさんの言葉を借りれば、彼女を追い込んでいたのは言うまでもないと。

ライブで自他共に楽しむため、もっとライブを盛り上げるため…というのを重々承知の上で、それでもやはりあのピアノの一件は本当に大変だったんだろうなと感じました。そもそも、そんなこと本当にやらせていいのか。マジでわかんねぇ。書き掛けの文章な上に、自分でも言葉の綾が多く見受けられる文章なのですが、これ以上の表現が思いつかなかったため、ここで筆を置かせていただきます


ダンスの話になるのですが、あれだけの時間を掛けて、あれだけ完成度の高いステージ見せるのってラブライブ!くらいですよね。

以前、μ'sの飯田里穂さんが仰っていたことですが、ラブライブ!のリハは本当に長期スケジュールだったとのこと。おそらく、今回のAqoursもそうだったのでしょう。

そのせいか、他のライブでは感じられないような感動を覚えることが多々あります

このような完成度の他に、ラブライブ!ではなく、ラブライブ!サンシャイン!!だけで私が感じたイメージが2つあります

ひとつは、年齢が近いこと。

私は現在21歳で、Aqoursメンバーとも歳が違いのですが、本当に同年代なのかと頭をひねるくらい、彼女たちは本当に輝いている。

特に渡辺曜役の斉藤朱夏さん。彼女ダイナミックながらも指先まで繊細にコントロールされたダンスには本当に開いた口がふさがりませんでした。きっと、あのステージに上がるまで何年も何十年もの積み重ねがあったことと思われます

年齢が近いせいか、μ'sの頃は少しお姉さんくらいに見えていたメンバーも、Aqoursでは明らかに他人事ではない、自分のすぐそばの出来事のように様々な事象を感じるようになりました。

そしてふたつめに、ラブライブ!サンシャイン!!という作品が、ラブライブ!の頃よりもより観客をコンテンツに取り込もうとしている姿勢

ラブライブ!で散々言葉にされてきた「輝き」

この「輝き」の正体、物語を通して一度もそれが何なのか名言化されることはありませんでした。

一方、ラブライブ!サンシャイン!!では「輝くこと=楽しむこと」と第13話で名言化されました。この後に披露されるMIRAI TICKETの1シーンで、千歌さんが「一緒に輝こう!」と観客席(=いわゆる私たちの側)へと訴えかけるというものがあります

また、この傾向はAqours物語の根幹にも通じているのではないでしょうか。

Aqours自分たちの歩みを「0を1にする物語」と題しました。ここまで物語テーマを明らかにしたこと、当時の私には本当に驚きでした。

μ'sが「1を100にする物語」であれば、Aqoursは「0を1にする物語であるということ。μ'sの頃には明言化されていなかったことが、Aqours物語ではわかりやすく、伝わりやすく(そしてあえて伝えようと)私たち提示されたのでした。

この2点の結果、私はAqoursコンテンツに足を踏み入れることに、圧倒的当事者意識を感じざるを得なくなりました。

μ'sの頃はどこか他人事のように見ていたというわけではないですが、Aqoursライブを見て「自分も何かを始めたい」「何かやり遂げたい」と昨日のライブを見て強く思うようになりました。

これって、制作側のピンポイントな狙いに見事に食らいついた事例だと思っており、この2日間のライブでまさにAqoursライブを通して私たちに伝えたかったことだと感じています

以前よりも強く、当事者としての意識を持たざるを得なくなったAqoursライブ。このコンテンツを追い続ける限り、進めば進むほどその魅力に打ち負かされることが容易に予想できるのが素直に「こわい」と感じました。

最後になりますが、初日のみの参加ながらも、Aqoursライブ本当に楽しかったです。

一年前は「いや、μ'sがファイナルライブやるんだからAqoursの2ndシングルとかしらねぇよ!」とAqours関連の情報をぶった切っていた私ですが、幸か不幸か意志薄弱な私は、昨年夏にコロっと斉藤朱夏さんにヤられてしまいました。

先ほど、これほどダンスに鍛錬を重ねているのは極めて稀だと書きましたが、それもあってか本当にライブを観ることが楽しくて仕方ありませんでした。

今年の夏には神戸大阪西武ドームを巡るツアーもあるんだとか、また彼女たちの奏でる音楽身体を預けられる時間が来るという事実だけで、今から心が踊ります

これはまだ先の話だと思いますが、彼女たちもスクールアイドル。きっと終わりがあると思いますしかし、今この瞬間は本当に楽しい。その多幸感、際限のない底知れぬ多幸感こそが、私がラブライブ!サンシャイン!!のことを「こわい」と感じる一番の理由です。

なんだかんだ言いましたが、やっぱりラブライブ!ってスゴいです。ライブという空間が非日常的なものであるということを理解しつつも、やはりラブライブ!には何か他のコンテンツには無いものがあるのだと思います。あの4時間が本当に楽しすぎてこわかった、今後もコンテンツオタクとして心の扉を更に下へと開き続けさせられるのが本当にこわい。

ラブライブ!サンシャイン!!って、本当にこわい作品

そして、とても重いものです。

このコンテンツは本当に重い。あまりにも重すぎる。

本当に重すぎて、絶対にいつか自ら離れてしまう気がする。

まり多幸感は、ライブが非現実だと理解っていてもいつか何かで身を滅ぼす気がする。

その日が来るまで、せいいっぱい楽しみたいものです。

最後になりますが、Aqoursの18人のメンバーの皆様、2日間本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

花粉症でぶっ倒れている私が書くのもアレですが、もう少しだけ寒い季節が続きます。どうかご自愛ください

2017-02-26

渡辺竜王への弁護を検証してみる

※追記 頑張って計算して書いた日記だけど、書いている間に元のページが消されたらしい(Webアーカイブ)。消されたということは取り下げたということだろうからおかしいと気づいたのかも知れない。

1.初めに

三浦九段不正疑惑について、渡辺明竜王を弁護するという記事を見た。

なにやら、観戦記者 小暮克洋氏(三浦九段から名指しで批判されていた、あの小暮克洋氏だ)から渡辺竜王を弁護してほしい、というよく分からない依頼を受けた弁護士が、裁判でもないのに勝手渡辺竜王を弁護しているらしい。

幸いにして、私はこれまで弁護士のお世話にならなければならない事態になったこともなく、この文章で本当に渡辺竜王が弁護できているのか判断するのは困難である

しかし、少なくとも、この中で取り上げられている計算を(具体的に数値が挙げられているところであれば)検証してみることはできるので、ちょっと考えてみようか、と思った。

2.一致率の検討

そもそもこの件に関しては、ソフトの一致率がやたらとフォーカスされていたが、それ以外の点でも重大な事実誤認があった。例えば、前出の弁護文においても、

対局中の離席については、そもそも証言の一つであった30分の離席といった事実がないことが確認された。また、離席の事実をもって、三浦九段への疑惑根拠付けることはできないとの判断がなされた。

と書かれている。

また、ソフトの一致率がいくら高くても、それが疑惑証拠となるわけではないことは第三者による調査によって既に示されている。

しかし、弁護文の中では主にこの一致率をもって、「渡辺竜王告発を行ったこともやむを得ないことであった」としているようなので、私もその点を検討する。



ソフトとの一致率とは、ある局面将棋ソフトに読み込ませて、その将棋ソフトが指した次の手と実際の手が一致した割合のことらしい。

それだけでなにやら本当に証拠とできるか怪しいと(普通なら)なりそうなものだが、

この違和感は、渡辺竜王要請で、名人竜王羽生三冠など、現代トップ棋士が数名がかりで検討したときにも、多くのトップ棋士たちが共有した違和感であった。

とのことらしいので、まあ色々私も違和感を覚えつつも、少なくとも棋界では説得力のある話だったということにしておこうかと思う。

この文章目的も、棋界の重鎮を糾弾しよう、というものではない。



さて、件の弁護文の中では、一致率を疑いの根拠とした理由が、以下の具体的な数値として書かれている。

三浦九段の4局の点数は、普段の彼の実力からすると、当方計算では、出現率でいえば、良くて10%程度である。そんな出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局もでてきている。

第三者委員会の報告は、三浦九段の「疑惑の4局」程度の一致率の将棋は、35局中9局あったと指摘している。つまり三浦九段にとっても、上位4分の1に入るような出来の良い将棋だったことになる。そのような出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局も出現していることになる。もちろん、そのような偶然があり得るというのは、第三者委員会の指摘する通りではあるが、常識的にはめったに生じない事態である

この主張から読み取れるのは、「10%以下の確率で起こる事象が、短期間(?)で4回出現した」ということだろうか。

第三者委員会の主張とは割合が異なっているようだが、算出方法が異なるようである。異なる理由はおそらく、上記弁護文の『10.「手の分かれる」局面での「技巧」との一致』あたりに書いてある手法によるためであろう。

ここでは、その手法の是非は問わない。



そうは言っても、この主張はどうにも曖昧である

短期間で、というのは一体どの期間で、その間に何回の対局があったのだろうか。

よくて10%というのは、一体実際は何%だったのだろうか。

ここらへんが解決できないと、正しい検証はできない気もするが、とりあえずここは簡単にするために、「10%の確率事象が4連続した」場合を考えてみる。

10ダイスを4回振ったら、毎回1が出た、ということだ。これは単純に1/10の4乗なので、1/10000の確率である。従って、「常識的にはめったに生じない」とする。



……本当にそうだろうか?

この結論には、重大な欠点がある。「試行回数は4回でない」ということを考慮していない。

正確には、「1/10確率で起こる事象Aをn回試行したら、そのうち4回はAが連続した」ということになる。

ここで、試行回数nはすなわち、三浦九段の対局数である。対局数は将棋連盟のWebページに載っているが、三浦九段場合は962回らしい。

さて、もう一度計算しなおそう。

「962回の試行の間に、1/10確率で起こる事象Aが4連続する確率である

これをざっと概算する方法は、以下のようになる。



n回の試行の中で事象Aが少なくとも一度は4連続する確率をP(n)、n回目の試行事象Aが初めて4連続する確率をQ(n)とする。

このとき、n≧5の場合において、

P(n) = P(n-1) + Q(n)

であり、

Q(n) = (1-P(n-5)) * 9 / 10000

となる。

また、P(4) = 1/10000, Q(4) = 1/10000であり、n<4のときは、P(n) = 0, Q(n) = 0となる。



この漸化式において、n=962の場合計算すると、P(962) ≒ 0.0827314となり、約8.3%であることが分かる。

なお、この計算横着をした。この計算ミスっていると私の主張が通らなくなるので、もしミスを見つけたら指摘をお願いしたい。



このようにして、三浦九段棋士としての経歴の中で、上位10%にあたる好対局が4回連続する確率は約8.3%であることが分かった。

これは確かにやや珍しいと言えるだろう。しかし、起こり得ないことではない。これは言い換えれば、12人に1人の棋士が同じような成績を残しているということであり、また、三浦九段を疑うなら、全棋士の8.3%が同じように疑われることになる、ということである

ちなみに、「良くて10%」という部分をもっと厳しめに見積もると、「あり得ない確率」と言うことができるレベルにすることは可能であるが、その場合はその確率をきっちり示さないといけない。例えば5%で見積もると、約0.57%という結果が現れる。

また、今回は「4回連続」という厳しい条件で計算したが、「短期間で4回」という条件だと、確率的には逆にもっと高くなる。

ちなみに、第三者委員会の言う「35回に9回」という結果を使うと、96%近い確率でこのような成績が出ることになり、珍しくもなんともない。



したがって、一致率を元に疑いの目を向けるということが妥当であるかというと、確率論的には全く妥当ではない、と言わざるをえない。もちろん、上記のように、計算の元となる事象Aの出現率が相当程度に低ければ、疑いを向けるに足るかも知れないが、その場合は「短期間で4回」「良くて10%」などといった、曖昧表現はいけないのである



3.終わりに

弁護文は、「三浦九段不正をした」ということを追及している訳でなく「このような理由から渡辺竜王が疑いを持ったのはおかしくない」という主張である

上記のような計算ができず(これを考えるのはそれなりに難しかった)、また弁護文に書かれているような誤った確率計算からおかしいと思い込んだ、という主張であるならば、確かにあり得ることである

少なくとも悪気はなかったのだ、という結論を出すことは可能であろう。



ただし、その結論を導くには、「渡辺竜王確率論に関して明らかに間違った計算を行った」という前提に立たなければならない。

三浦九段から名指しで批判された観戦記者勝手に弁護を依頼して、その結果、計算間違いを大々的に主張されてしまった渡辺竜王が、私はちょっと可哀想になってきた。

2017-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20170223220231

ここでの重要論点って、経産省という団体でもデータをチェックする機能がない、ってことが露呈してしまったってことだよ。

常識的に考えたら、ごくまれ事象ではなく、氷山の一角判断するべきところだよね。

2017-02-22

けものフレンズEDBIGの発番に関する説明を暗示していた説

2.22猫の日に、けものフレンズEDを含むみゆはんのメジャーデビューCDプレスリリースされた。

それに先立つ2.20に、奇跡的な確率を超えて発券された同一番号BIG問題に関するプレスリリースが出された。


BIG投票内容(発番)につきまして(2017.02.20

http://www.toto-dream.com/press/20170220.html



日ごろからスポーツくじtotoBIGをご愛顧くださり誠にありがとうございます

合縁 奇縁 一期一会 袖すり合うも多生の縁



さて、先般インターネット上に『楽天totoサイトにおいて、お客様が第909回BIG複数回購入した際に、5口分の投票内容が一致していた券面があった。』という事例が掲載されておりました。

この事象につきまして、日本スポーツ振興センター及び『楽天totoサイト』を運営している楽天株式会社において事実確認を行ったところ、実際に販売されていたことを確認いたしました。

この世の奇跡ギュッとつめて 君と出会えたんだ



また、コンピューター投票内容(「1」「2」「0」)を発番する際の仕組みにおいて、重複した投票内容の出現はあり得るものであり、

この事象につきましても、システム不具合不正操作等によるものではないことを確認いたしました。

必ず僕らまたどこかで 出会いを果たすだろう

けがえない 僕と似た君へ



(発番の仕組みの詳細につきましては、セキュリティ上の観点から公表しておりません。)

とびっきりの長いお説教は短めにして



今後とも多くのお客様安心してくじを楽しんでいただけるよう努めてまいりますので、

綺麗なものを探しに行こう 美味しいものもたくさん食べよう



引き続きスポーツくじtotoBIGをよろしくお願いいたします。

まりはこれからもどうかよろしくね


どうだろうか、偶然と言うにはあまりにもできすぎている。

しかニホンザルランダムタイプ芭蕉の句を詠むのだという。

http://kyoko-np.net/2017022101.html

我々は何故このような文章ができあがったのか究明するため、栃木県に向かった。


「ふわああぁ!いらっしゃぁい!よぉこそぉ↑ジャパリカフェへ~!どうぞどうぞ!ゆっぐりしてってぇ!いやま゛っ↓てたよぉ!やっとお客さんが来てくれたゆぉ!嬉しいなあ!ねえなんにぃのんむぅ 色々あるよぉ、これね、紅茶って言うんだってぇハ↓カセに教えてもらったンの!ここからお湯が出るからそれを使ってにぇ!」

時間と労力と才能にあふれた力作ばかりのはてなブックマークの中で

ときどき匿名ダイアリー記事が混じってる時あるんだけど、恥ずかしくないのかね。

匿名ダイアリーで上がってるのってちんこまんこ言って笑ってるようなIQ0の記事が多いじゃないか

ブックマークする方もする方だけど、増田の基礎体力が落ちすぎていると思う。

書いた後は一度見直しから送信するとか事象には裏付けが取れるよう参照リンクをつけるとかお笑いネタには2重3重の落とし所を隠しておくとか、

各自もっと勉強してスキルアップを目指してほしい。

おじさんとの約束だ。

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