はてなキーワード: 事象とは
状況:右折信号のない片側1車線の道路で右折待ちをしていた際に、後続からクラクションを鳴らされた。自車は先行車に対して十分な車間距離をとりつつ徐行して右折していた。
相手の考え(推測):おそらく、自車が右折する際には黄色信号であったため、「早く行け」の意味で鳴らしたのだと思われる。
自分のよくなかったかもしれない点:黄色信号なのにトロトロ徐行して右折していた点。(といっても先行車も右折してる)
相手のわるかったかもしれない点:クラクションを無闇に鳴らした点
されてどう思ったか:〇してやろうかと思った。急ブレーキでも踏んでやろうかと思ったし、降りて文句言いに行こうと思った。
けど、その後も平常運転できた自分を褒めてやりたい。自分以外は猿が運転してると思っているし、なんなら自分も猿だと思っている。
なんなら対人ゲームで煽られた時の方が〇してやりたい気持ちがあった。以前、LOLが上手い人は運転が上手いという論文を書いたものだが(書いてない)今回はそれに近いテーマが浮かんだ。
「ゲームで煽られるのと、車で煽られるのとどっちがイライラする?」だ
今日のクラクションは私のゲームで煽られた経験よりイライラしなかった。
例えば、レインボーシックスシージというFPSゲームで初心者の時、味方からわざと撃たれたことがあった。その時は相手にフレンド申請を送りブチギレて、ブロックされた。
最近だとTFTという平和なゲームでエモート煽りをされてブチギレた。
それに比べれば今日のクラクションはイライラしない。ただの猿がキーキー騒いでいただけだ。それでも〇ねと思ってるが。ナンバープレートも覚えていない。覚えていたら次に見つけた時に〇すかもしれないから
子ガチャといえばそれまでかもしれないけど、私も産む前にいろいろ聞いていた内容より楽だ〜!
ブラック企業で、納期に追われながら毎日終電だった日々より、全然マシ!!!!!
新生児期は、夜授乳のために起きる必要はあったけど、もともと寝る子だっから、満腹になったらまたすぐ寝てくれた。
寝過ぎが不安になって、たまに呼吸チェックしてたw
旦那の育休明けはワンオペ覚悟したけど、基本的によくミルク飲んで、よくうんち出して、よく寝てくれたから、特に困ることはなかった。出かけると大抵寝てるか大人しいし、夕方ぐずってもすぐおさまる。
今は昼夜の区別もちゃんとついてくれたから、こっちも夜めっちゃ寝れる〜!よかった〜!
あと純粋に子育て楽しいわ。昨日は服やシーツまで盛大にうんち漏れされたけど、あまりの惨状で笑ってしまったら、子があやされたと勘違いして笑ってたwなんでよww
あれ、ただ単に起きてる事象を大変に思わなくなってるだけか?まあ、それでもいいか!
今後が楽しみ〜
基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました
ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田の投稿なんですけどね
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
通貨が弱く、教育システムや医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国の人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
同じ先進国の人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)の当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャルの擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、
ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね
やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分の人生が大変だと嘆いたり、傲慢な教育論はいてるのを見ると、
呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的な感覚だと思うんですよね。だって、エクイティ(Equity)や共通善と反してるから
(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国の特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)
やりたくないことをしない選択、他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している
でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティや共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢
暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない
- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である。
- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。
- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。
4. 困難な状況への理解:
- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題に共感すると同時に、エクイティや共通善に反する傲慢な態度には注意が必要。
- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティや共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである。
- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティや共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。
7. やりたくないことをしない選択と他者への受け入れと現実問題:
- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者を尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。
私はなぜかムクっと立ち上がり「僕は神だ、僕は神だ、僕は神だ!」と大声で叫んだ。
その後、周囲が白い光に包まれ、白い空間の中で小さな光が登っていくのが見えた。
そしてその後のことはよく覚えていない。
しかし、私の家族は、私が大声で叫んでいたことを知らなかった。
あれほどの大声であれば、家族どころか、近所中に聞こえていたはずだが、誰もそれを聞いた人がいない。
その理由は『靴下を裏返して履いているのが気になって仕方がない』と同じようなものだそう
別に放っておいても問題はない事象なので、いったんは指摘する言葉を飲み込むが、
『裏返しで履いているのには何か理由があるのか?🤔』など何をしていても気になってしまい、
結局、指摘する言葉を口に出してしまう(ADHD:衝動的で自制能力が極端に低い、ASD:こだわりや規範意識が強く共感性が低い)だそうな
あと、一般就業が厳しいのラインがクリアできている ADHD・ASD の場合、逆にワーカーホリックになりがちなのだそう
自分が興味があるものなら、ハードワークが微塵も苦にならなかったり、過集中するためだそうな
業中だろうが業後だろうが休日だろうが、パズルを解くような気持ち・娯楽として問題を解決・乗り越えるための手段を考えて実行に移したり、
ところで、サラリーマン人生とは、どれだけ要領よくテキトーに働くことが出来るか選手権だということは、皆様よくよくご存知のことかと思います
人生とは仕事だけじゃないしですし、そもそも他人のために自分のリソースを使いすぎるのは好ましくないです
しかし、ライフバランスを保つべく、要領よくテキトーにやっているところに、やたら正論を吐いてくるヤツ・やたら働きすぎるヤツがいたらどうでしょうか?
非常に邪魔くさいとは思いませんか?
これがテキトーができない健常者や発達障害が、サラリーマン(雇われ仕事)に向いていないと思う理由です
自営業者なら、延々と仕事をやっても、休日に勉強したり・対策を講じても、文句を言うヤツは誰もいないです
(仕事ばかりでご家庭のお仕事を完全放棄してるなら家人には文句言われるかもしれません)
ただ、起業してもそのほとんどは失敗するというのも残念ながら現実です
絶望的に組織に向いていないけど、ひとりでは身が立てられない場合は、サラリーマンをする他ありません
その場合は、経理や法務を担当するとほんの少しだけマシになると思います
経理や法務は基本的にテキトーは許されません。下手したらなんらかの責を負うことになるからです
以上です
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※ちなみにIT業界は技術よりもテキトーが優先される世界です。専門家ぶってますが所詮はただのリーマンですからね
市場にまずいないレベルのスペシャリストになればエンジニア間でのテキトーは無くなりますが、
たとえば、Oracle や OSS 界隈で働けば1ヶ月もしないうちに
『あっ、俺、IT 好きだけど向いてはいねーわ。技術以外のこともしなきゃ』ってなると思います
純粋に技術のみでアサインして高給得てるのは極々少数です。それは GAFAM で働いてる連中ですらそうです
IT業界は誰でも何かしら出来る仕事がある・万人に開かれた業界なので、
A:
量子力学では「測定問題」または「波動関数の崩壊」として知られており、量子の世界が私たちが経験する古典的な世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。
量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数の可能な状態を重ね合わせて存在します。
この重ね合わせは、すべての可能な状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます。
しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態は可能な状態の 1 つに「崩壊」します。
したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります。
しかし、そのスピンを測定すると、波動関数が崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます。
この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システムの進化にランダムで確率的な要素を導入しているように見えます。
また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます。
このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。
1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆しています。 しかし、「測定」とは何でしょうか? 私たちの意識的な認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?
2) 古典物理学を支配する決定論的法則と矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます。
3) 観測とは独立して存在する客観的な現実についての私たちの概念に疑問を投げかけます。 観測するだけで結果が変わるようです。
4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されます。 しかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります。
コペンハーゲン解釈や客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然の基本的な側面として受け入れています。
多世界解釈のような他のものは、波動関数の崩壊を完全に排除しようとします。
しかし、この測定問題が量子力学と現実そのものの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています。
A:
意識と量子力学における測定問題の関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。
ただし、あなたの質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。
意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的な一人称の経験を指します。
量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態の範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます。
意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります。
1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識が客観的な波動関数の崩壊を引き起こすことを示唆しています。 私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。
2) コペンハーゲンの解釈は、波動関数の崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数の崩壊を引き起こしているわけではないことを意味します。
3) 多世界解釈では、真の崩壊は存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます。 意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。
4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベルの創発特性である可能性があると主張する人もいます。
正確なメカニズムは不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能な状態のうちの 1 つを主観的に経験するだけであることに同意しています。
観察者兼参加者として、私たちは単に自分の意識が枝の 1 つにあることに気づきます。
重要な謎は、意識が分岐を選択する際に積極的な役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。
これを解決すれば、意識の形而上学的性質と量子力学との関係が解明される可能性があります。
A:
量子力学の多世界解釈 (MWI) では、意識が特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンスの概念と、枝がどのように本質的に相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています。
1) MWI では、測定が行われるとき、普遍的な波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。
2) これらのコンポーネントは時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。
3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境の相互作用やもつれにより、非常に急速に動的にお互いからデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界は相互に干渉する能力を失います。
4) したがって、すべてのブランチが異なる既存の現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能な相互作用や遷移が存在しないことを意味します。
5) あなたの意識は、コヒーレントな量子状態自体で構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。
6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実を体験できなくなります。
したがって、意識は積極的に分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスのプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます。
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが
「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
「生物業界に言っても犬が哺乳類だなんて誰も認めるわけがない」
「カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良い西洋のご都合主義だ」
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
「結局、犬が卵を産めるようになれば良いって事だよね」
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」
「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」
↑ここまでが詭弁の特徴15条
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「さっきも言ったように犬は他の哺乳類とは性質もDNA的にも明らかに何もかも違うが?ここから考えても犬は哺乳類ではない。」
「哺乳類ではない生物としてワニがいるがこれは犬と同じ“4本足の生物”である。それでなんで犬が哺乳類なんだ?」
「犬は基本は哺乳類という見方もあるかもしれないが、明らかに哺乳類ではない犬も存在する事に間違いはない。」
「犬がおまえと同じ哺乳類というのなら、お前は4本足で歩き、吠えたりするのか。」
「全ての犬が哺乳類としての条件を満たしているか検証するのは不可能だ(だから、哺乳類としての条件を満たしているとはいえない)」
「犬が哺乳類としての条件をいくつか満たしているかもしれないが、全てを満たせているか知るには地球上の全動物学者が一致団結して研究しないと分からんよな。」
「ではこれら犬のような生き物は全て哺乳類の可能性があるのだろうか?」
「現在問題なのは広義の哺乳類の定義であり、一例としての犬が哺乳類といえるかどうかは問題ではない。話をそらすな。」
「ネタかな?」
「犬が哺乳類だという論を認めるのは、恐竜を哺乳類だと言うことと同じだぞ」
「周りの何人かは犬は哺乳類ではないと言っていた。やはり犬は哺乳類ではない派が圧倒的である」
「犬は哺乳類だという人たちが登場した時期と、生物学の進歩が停滞した時期が一致するが?」
「じゃあなんで犬は哺乳類ではないと言う人たちがいるんだろうね?おかしいよね?」
「哺乳類とは手を使える種族の事を一般的には指すので犬は哺乳類ではない」
「今まで犬は哺乳類では無いとされてきたのでこれからもそう考えるべき」
「何度も言うが犬が哺乳類ではない科学的な根拠はちゃんとあるんだっての。ここで騒いでないで自分で調べろよ。」
「ウィキペディアで卵の項目を読んで来い」
「あなた個人が犬は哺乳類ではないと考えているならそれはそれでも良いんじゃないか。」
「犬が哺乳類ではないという意見も認められるべきというのが多様性だろ。」
「」
「犬が哺乳類ではないという考えは歴史が長くずっとあったものだが犬が哺乳類だというのはここ最近登場した思想だろう。犬が哺乳類だという考えが果たして正しいのか?」
※15の反対なので、議論中にそちらと同時に登場すると矛盾する。
「新たな概念を主張しながらも問題だった例がいくらでもある。それなのに犬が哺乳類だという考えを採用できるか?これまで間違い例があったのに?」
「生物学者に聞いたアンケートというのはそもそも犬は哺乳類だと主張する学者だけに質問しているものであり信頼性がない」
「あなたはアメリカンピットブルテリアの例を挙げているが、あれは各国で規制されているような犬だぞ。今の議論で出してくる話じゃないだろ。」
政治家の裏金のニュースが世間をにぎわせている。このニュースに怒れる国民は多いが、しかし政治のこの状況を作り出しているのはほかならぬ国民なのではないかと感じる。それは、一つには、彼ら政治家は結局のところ選挙によって選ばれているという話であるが、それに加えてもう一つ強く感じることがあって、それは政治家の恣意的なルール違反に怒っている国民たち自身が、恣意的なルール違反をしているということだ。
いきなり話が変わるが、世間に目を向けてみれば自動車で速度違反をしている人はいくらでもいる。彼らは「みんなやっている」「ちょっとくらい大丈夫」「本当に安全な速度は自分こそが分かっている」などと抗弁し、果てには摘発する警察を非難したりすらもする。法律で明確に決まっていることに対し、何やら法律を超えた“世間”の常識があると主張するのである。
またもや大きく話が変わるが、精神障害の一つに発達障害という障害がある。もはや広く知られている障害かもしれないが、この障害を持つ人々は社会的に不適合を起こすことが多い。そして、この障害のうち特定の種類を抱える人々は、そうでない人々に対して「ルールを遵守する」「正義感が強い」傾向が強いという研究結果が得られている。そしてその結果、社会との不和が生じているともされる。つまり、ルールをしっかりと守ろうとすることは、この世の中では正常ではないとされ、社会から排除される原因になるということなのだ。
これらの話と政治家の金の問題は通底していると思う。事の重大さが異なる、と言う人がいるかもしれない。あるいは、表面的には全く別の事象だと捉えられるかもしれない。しかし、ここで言いたいのは「ちょっとしたルール違反を許せ」という世間一般の風潮の延長線上に、この政治家の問題が起こっているのではないかということだ。「ちょっとくらい良いだろう」「みんなやっている」「これが“世の中”の慣例だ」「細かいことをあげつらうな」「潔癖では世の中は成り立たない」……
解像度が低いねぇ君は。わかるかわからないかの1bitでしょ、君の脳みそは。
経済といっても、さまざまな分野があって、効用、無差別曲線、ゲーム理論の話をするのはミクロ経済学。これはもう数学的には厳密なので100年後も教科書の内容に間違いはないだろう。
マクロ経済学はメトリクスを基準とした統計で国家経済を扱う。GDPはその例だが、「労働時間あたりのGDP」といった指標が国家の労働生産性を測る一つの方法となることはよく知られる。因果推論を行うのも基本的には統計の話なのでマクロ経済学の範疇になる。
これらの経済学は、現象を部分的に見てみれば推測の能力は高く、正しく理解していれば経済現象を説明できる。
ではなぜ「経済」の話をすると、経済危機とかが生まれるかというと、外部性などがあるから。
サブプライムローンの破綻は基本的に「債務能力を超える貸付」を行なうことが可能であるという負の外部性によって説明できる。
経済学は「説明」をすることはできるが、「コントロール」をするのは政治の話で、政治家や官僚が教科書レベルのことを理解していないこともあり得る。あるいは「マルクス」などを信奉しているどうしようもないのもいるだろう。
政治家や官僚が対処しなければ負の外部性による市場の失敗を規制することができない。
結果的に経済を「コントロール」できないのは、経済の中に潜む負の外部性をすべて扱う方法がまだ判明していないからであり、予測や説明が可能なレベルにある事象は多い。
延岡市全域は、 交番自動車警邏班の青パトの巡査の吉岡小都というおばさんの強い指令が働いているので、 通常、自転車走行中および歩行時に何らかの指令が働いていると
解されるものでもないし延岡市および門川市等の全域を歩いているときに、視覚的には、巡査部長の中でももっとも弱い男の強い指令が作動しているので、何らかの危険な社会が展開
されていると認識できるような空間は広がっていない。要するに富美山町で母親と二人暮らしをしている者が自転車に乗りこんで出発したとしても、視覚的に、何らかの事象が確認されるような
状態ではない。 簡単に言えば、 そういう者が自転車に乗りこんで、延岡市のどこにいこうとも、 何もないようにみえるようにしているのであるから、そうした者が、余程強いことを言わない限り、
赤パト=無線車に遭遇することはない。 なお、 怪物が乗車している自動車は、 青パトでも、無線車にも限定されていない。 危険な巡査が乗車しているのは、青パトの場合も
ウマ娘UAFシナリオに出てくるトレーニングはスピード、スタミナ、パワー、根性、賢さの5種類あり、それぞれ青、赤、黄の3色ある。
トレーニング画面には、スピード、スタミナ、パワー、根性、賢さの5種類のトレーニングが表示され、その中から一つを選んでトレーニングを行う。
トレーニングを行うと、それぞれ対応したステータスが上昇する。
このとき、トレーニングを行った色が重要で、同じ色のトレーニングが他にもあるとき、その対応するステータスも上昇する。
例えば、スピードとスタミナとパワーが青、根性が赤、賢さが黄であり、スピードのトレーニングを行うと、スピードとスタミナとパワーの値が上昇する。
同色が多いトレーニングを狙いたい。
全事象は 3 ^ 5 = 243通り。
3!は3色の並び替えで、2で割ってるのは、例えば、青2個、赤2個を選んだ時と赤2個、青2個を選んだ場合の重複を消しているためである。
1個の色に着目すれば、そのまま3であることが分かる。
5C2 × 3C2 × 1C1 × 3! / 2 = 90通り。
確率は 90 / 243 = およそ37%
5C3 × 2C1 × 1C1 × 3! / 2 = 60通り。
確率は 60 / 243 = およそ25%
3P2は3色から使う2色を選んで、並べている(3色に使う色、2色に使う色)。
5C3 × 2C2 × 3P2 = 60通り。
確率は 60 / 243 = およそ25%
5C4 × 1C1 × 3P2 = 30通り。
全て同じ色のパターンであり、3色ある。
5C5 × 3 = 3通り。
で、合ってるはずなんだが、
なーんか、他の人と値が違うんよね。