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はてなキーワード: 本質とは

2016-12-10

キュレーションメディア問題本質価値観の貧しさである

若い人は知らないかもしれないが、一昔前は「金の亡者」という言葉を耳にする機会が少なくなかった。

「世の中は金だけじゃない」「金儲けばかり考えている奴はクズだ」という価値観が、

たとえそれが建前だとしても喧伝されていた。

つの間にか、そんなことはすっかりなくなった。

金儲けは正義であり、金を持っている奴が偉いということになった。

これは明らかに失われた二十年と関係がある。

まり日本全体が貧しくなっていったことが、金儲けを批判する力を失わせたのだ。

だって金が欲しいという現実理想が敗北したのだ。

今回のキュレーションメディアの問題にしても、ブラック企業問題にしても、

結局のところは貧相な価値観に起因している。

金儲けのためなら何をやってもいい。人を死に追いやってもいい。

自分さえ豊かになれば幸せだ。俺は嫌な思いしてないから。

そういった価値観を打破することは容易ではない。

キュレーションメディアを潰したぐらいでいい気になっていてはいけないということだ。

2016-12-09

クラウドソーシング業界で働くあなたへ

クラウドソーシング業界で働くあなたへ

まず最初に問いたい。

あなた幸せですか?

あなたの周囲の人を笑顔にしていますか?

あなたの大切な人に自分仕事を誇れますか?

あなたの端末の向こうにいる人を幸せにしていますか?

あなたの生きる社会に貢献していますか?

新しい働き方・働き方革命、などと謳い、欧米で芽生えたクラウドソーシング日本に持ち込んだ業界の方々へ。

あなたたちがその仕事を始めた時に誰を幸せにしたいと思いましたか?見知らぬ誰かのためにできることを何を夢見ましたか

しかしながら、今、この日本ではクラウドソーシングを通して不幸な人間が産み落とされました。

キュレーション問題にまつわる一連の出来事記憶に鮮明で、なおもマスメディアでは報道が行われています

この騒動の発端はとあるIT企業ではあり、たしかに彼らの責任というものはそう小さくはなかったでしょう。

しかし、その遠因は本当に彼らだけにあるのでしょうか?謝罪会見を開き首を垂れた小さな為政者たちにだけに?

いくつかの報道ですでに実態は明らかになっていますが、クラウドソーシング業界が一連の騒動に大きく関わっていたのではないでしょうか?

拡大するキュレーションメディア、その影にマッチポンプとなるあなたたちがいたのではありませんか?

キュレーションメディアを作れば簡単に売上が上がる。証明さえしてみせればあとはそのフレームワークに乗せるだけ。

売上を欲する企業報酬を欲するユーザの間で立ち振る舞い、自社の利益だけを追い求めた記憶は、その助力となった覚えはありませんか?

ガイドライン改訂評価制度の新設。まるで自分たちが襟を正せば問題ないだろうと居直った様に見えるのは私だけでしょうか?

クラウドソーシング大手自体が活発に営業活動を行った。その事実はありませんでしたか

聞く必要もありません。それは上場企業であるクラウドワークスの次の四半期報で明らかになることでしょう。

同様の売上減が発生するのは火を見るよりも明らかなのですから

ガイドライン改訂評価制度の新設、まるで自分たちには非がなかったかの様な素振りを続けるクラウドソーシング業界

あなたたちは悪びれもせず、自分たちに非はないと言っている様に見えます。いえ、実際にそうなのでしょう。

謝罪もせず、正常化を謳いまた同じ過ちを繰り返す。そう、まるで壊れた蛇口が水を流し続ける様に。

グレーゾーンで得た収入で一部の才能ある人間がさも全ての様に立ち居振る舞い、また、勘違いした不幸な人間を生み出す。

それはあなたがなしたかったことですか?生き馬の目を抜くのでなく、駄馬の肉を内臓を売り捌く行為あなた本質はありますか?

その仕事を始めた時にあなたたちがしたかったことを胸に手を置いて考えてみてください。

まず、成し遂げたい何かはあなたの中にありますか?その成し遂げたいものは見えていますか?

その成し遂げたいものを阻害するものがあるのであれば、それは社会ですか?時間ですか?それとも上司ですか?

上司だと思ったのであれば、あなたが今のクラウドソーシング業界に対して見切りをつけ退職し、その業を断ずるべきです。

あなたが頑張れば頑張るほど、その業は深くなるのですから

あなた仕事を頑張った理由虚業を広めることでしたか

仕事とは求められた結果に対して、満足できる対価を支払うことです。

その対価を支払うこともできない人間報酬を餌に無理矢理労働させる様な事実はありませんでしたか

おそらく、あなたの同僚や上司はこういうでしょう。社会のために、ユーザのためにと。

ですが、その上司が見ているものはなんですか?売り上げやKPIだけではないですか?

自己ブランディング会社の拡大、キャリアアップ、そういったことしか考えられない人間あなたの隣に上司にいませんか?

出世、売上、転職の道具として会社活用し、まるでゲームのように、もしくは狩りのように数字一喜一憂する人間あなたの隣に上司にいませんか?

ゲーム感覚で売上や成果だけを誇り、些細な世界幸せにすることすら忘れてしま世界あなたは生きていませんか?

結果だけが優先され、プロセス無視され、間違ったことをしてでも数字を示すことが重視されていませんか?

あなたが小銭を稼がせて満足させた人間はこの先も満足できますか?満足させるサービス提供するための覚悟はありますか?

最後にもう一度問いたい。

あなた幸せですか?

あなたの周囲の人を笑顔にしていますか?

あなたの大切な人に自分仕事を誇れますか?

あなたの端末の向こうにいる人を幸せにしていますか?

あなたの生きる社会に貢献していますか?

クラウドソーシング業界に生きる方へ、あなた自分仕事に誇りを持っていますか?

あなたが働く理由は様々あれど、あなたの周囲の人間、余裕があれば社会還元する。

その多少の善意が広がることで今が成り立っています。そのことを忘れないでください。

あなたの大切なほんの一人でもいい。その誰かを幸せにできる人間であってください。

2016-12-06

民進党心配

どちらかと言えば僕は保守的思想を持っている方だと思う。

自民党による安定した政権運営を頼もしく感じている。

しかし、それにしても。

現在自民一強、安倍一強というのは政治の形として決して健全な姿ではない。だから野党第1党にはしっかりして貰わなければならない。

なのに。

どうしちゃったんだろう、民進党

党首である蓮舫。「なぜ2位じゃダメなんですか」とか二重国籍に関連した問題とかについては置く。

テレビ番組での家庭公開で、夫を貶めるような言動を繰り返ししていた。公共電波で、蓮舫の夫のみじめな姿が全国に発信された。

http://okutta.blog.jp/archives/8571094.html

あれ、どういうつもりだったんだろうか。

面白いことを言うつもりだったんだろうか。

あれを見て、既婚男性がどんな感想を持ったか

一言で言えば「イヤな女」。

岡田代表を評した時もそうだった。「つまらない男」。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082300764&g=pol

そりゃ岡田がつまらない男なんだろうってことは見りゃわかる。でもそれをそう表現することにどんな意味があったのだろう。

別に蓮舫夫妻の家庭関係なんかどうだっていい。岡田はつまらない。

ただ政治家自分パブリックイメージをどうしたいか、その意識はあるんだろうか蓮舫

「戦う女」か? いや、今のままではただの「イヤな女」だ。

まあ実際蓮舫は「イヤな女」なんだろう。でも本質は「イヤな女」だったとしても、そうではないふりをする努力くらいしたっていいんじゃないか?

安住代表代行

IR推進法について、「本来賭博関係する法案は、議員立法ではなくて、内閣責任で出さなきゃダメなんですよ」と述べていた。

法の内容は別にして、法の出し方がいけない、と。「粗い議員立法」じゃなく「閣法できちっとして」と。

http://blogos.com/article/200568/

うーん。たとえ建前でも、旧民主党は「官僚主導から政治主導」言ってなかったか

それを議員立法は粗いとか、閣法(内閣提出の法案官僚が書いた法案)がきちっとしてるとか言っちゃっていいのか。

そもそもIR推進法って、「直接カジノを作るための法律」じゃあなくて、「カジノをつくるためのいろいろな環境整備を官僚に命じる法律」のはず。

まり勝手官僚に好きなように法案を書かせるのじゃなくて、「国会はこう考えているから、それに沿った仕組みをつくれ」という法律だ。

他の法律との整合性などの、ものすごく細かいところは官僚の独壇場で、国会議員にはちんぷんかんぷんだろうが、大きく「こういうのを作れ」と命じることができる。

方向を命じておけば、官僚の好き勝手にはならない。これこそ「官僚主導から政治主導」なんじゃないのか?

山尾志桜里

もと検事で、頭は切れるし弁は立つし、環境次第では活躍できそうな人だったんだが。

ガソリン疑惑なんかどうでもいい(きれいに裏金ひとつも作れないようじゃ先が思いやられる)。

それよりも「日本死ね」。2016年流行語大賞トップ10に入り、山尾が表彰された。

http://www.buzznews.jp/?p=2104422

この言葉には嫌悪感を感じるが、それが発せざるを得なかった苦境があったことはわかるし、それゆえ多くの人々の心に刺さったのもわかる。

世界の暗い部分を切り出す意味のある言葉だったんだろう。

から山尾がこの言葉を紹介した意義はあったと思う(たとえ自作自演であったとしても)。

ただそれを流行語の賞として山尾が受け取るのは別の話だ。この行為によって、「日本死ね」という言葉は否応なく強く山尾志桜里と結びついた。

この言葉呪詛だ。

それを唱えることによって、確かに何かが動く。と同時にそれを唱えた人物にも呪いがかかる。

この呪いがこの先どれほど山尾の政治キャリアを困難にするかについて、彼女とそのブレインは思いを馳せなかったのだろうか。

日本死ね山尾志桜里」。

「なぜ2位じゃダメなんでしょうか」も呪いとして蓮舫に降りかかり続いたが、「日本死ね」はその比じゃない(そもそも「なぜ2位じゃダメ」は前後をちゃんと聞けばわりとまっとうな発言である)。

日本死ね山尾志桜里」。

これから何百万回繰り返されるであろうこの呪い言葉によって、彼女日本代表する政治家になる道は閉ざされたに等しい。

全く、民進党はどうしたらいいんだろう。

民進党心配

どちらかと言えば僕は保守的思想を持っている方だと思う。

自民党による安定した政権運営を頼もしく感じている。

しかし、それにしても。

現在自民一強、安倍一強というのは政治の形として決して健全な姿ではない。だから野党第1党にはしっかりして貰わなければならない。

なのに。

どうしちゃったんだろう、民進党

党首である蓮舫。「なぜ2位じゃダメなんですか」とか二重国籍に関連した問題とかについては置く。

テレビ番組での家庭公開で、夫を貶めるような言動を繰り返ししていた。公共電波で、蓮舫の夫のみじめな姿が全国に発信された。

http://okutta.blog.jp/archives/8571094.html

あれ、どういうつもりだったんだろうか。

面白いことを言うつもりだったんだろうか。

あれを見て、既婚男性がどんな感想を持ったか

一言で言えば「イヤな女」。

岡田代表を評した時もそうだった。「つまらない男」。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016082300764&g=pol

そりゃ岡田がつまらない男なんだろうってことは見りゃわかる。でもそれをそう表現することにどんな意味があったのだろう。

別に蓮舫夫妻の家庭関係なんかどうだっていい。岡田はつまらない。

ただ政治家自分パブリックイメージをどうしたいか、その意識はあるんだろうか蓮舫

「戦う女」か? いや、今のままではただの「イヤな女」だ。

まあ実際蓮舫は「イヤな女」なんだろう。でも本質は「イヤな女」だったとしても、そうではないふりをする努力くらいしたっていいんじゃないか?

安住代表代行

IR推進法について、「本来賭博関係する法案は、議員立法ではなくて、内閣責任で出さなきゃダメなんですよ」と述べていた。

法の内容は別にして、法の出し方がいけない、と。「粗い議員立法」じゃなく「閣法できちっとして」と。

http://blogos.com/article/200568/

うーん。たとえ建前でも、旧民主党は「官僚主導から政治主導」言ってなかったか

それを議員立法は粗いとか、閣法(内閣提出の法案官僚が書いた法案)がきちっとしてるとか言っちゃっていいのか。

そもそもIR推進法って、「直接カジノを作るための法律」じゃあなくて、「カジノをつくるためのいろいろな環境整備を官僚に命じる法律」のはず。

まり勝手官僚に好きなように法案を書かせるのじゃなくて、「国会はこう考えているから、それに沿った仕組みをつくれ」という法律だ。

他の法律との整合性などの、ものすごく細かいところは官僚の独壇場で、国会議員にはちんぷんかんぷんだろうが、大きく「こういうのを作れ」と命じることができる。

方向を命じておけば、官僚の好き勝手にはならない。これこそ「官僚主導から政治主導」なんじゃないのか?

山尾志桜里

もと検事で、頭は切れるし弁は立つし、環境次第では活躍できそうな人だったんだが。

ガソリン疑惑なんかどうでもいい(きれいに裏金ひとつも作れないようじゃ先が思いやられる)。

それよりも「日本死ね」。2016年流行語大賞トップ10に入り、山尾が表彰された。

http://www.buzznews.jp/?p=2104422

この言葉には嫌悪感を感じるが、それが発せざるを得なかった苦境があったことはわかるし、それゆえ多くの人々の心に刺さったのもわかる。

世界の暗い部分を切り出す意味のある言葉だったんだろう。

から山尾がこの言葉を紹介した意義はあったと思う(たとえ自作自演であったとしても)。

ただそれを流行語の賞として山尾が受け取るのは別の話だ。この行為によって、「日本死ね」という言葉は否応なく強く山尾志桜里と結びついた。

この言葉呪詛だ。

それを唱えることによって、確かに何かが動く。と同時にそれを唱えた人物にも呪いがかかる。

この呪いがこの先どれほど山尾の政治キャリアを困難にするかについて、彼女とそのブレインは思いを馳せなかったのだろうか。

日本死ね山尾志桜里」。

「なぜ2位じゃダメなんでしょうか」も呪いとして蓮舫に降りかかり続いたが、「日本死ね」はその比じゃない(そもそも「なぜ2位じゃダメ」は前後をちゃんと聞けばわりとまっとうな発言である)。

日本死ね山尾志桜里」。

これから何百万回繰り返されるであろうこの呪い言葉によって、彼女日本代表する政治家になる道は閉ざされたに等しい。

全く、民進党はどうしたらいいんだろう。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204091317

だいたい何を書いてもいいとは思うけどなんであいつらコメント欄に書かないんだろうな

「さすがですね!」とか「私もそういうときあります」とか会話みてーなコメントしたいんならブログコメント欄に書きゃいいのに



まあそーゆー使い方もユーザー自由だとは思うけどそれでホッテントリに容易に上がってくるのが一番ウザい

はてな互助会WELQ問題本質が同じだと思うわ

2016-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20161203143642

私も愚痴悪口を一切言わないタイプ人間だけど、

心の中ではあきらめきっていて何も期待しないか愚痴悪口がでてこない気がする。




ソシャゲガチャは当たらないのが当たり前。そう思っている限り、別に当たらないことを愚痴必然性が無い。

ただ、当たり前のことが当たり前に起きただけのことだからね。

それは人間に対しても同じ。どうせ無能本能に操られた動物にすぎないと思っているから、

傍若無人な振る舞いをされても、まぁそういうのが人間本質だわなぁとしか思わない。

冷たい人間だとかはよく言われるけど、それがずっと当たり前できたから変えられない。

[] #8-2「おにぎりの具」

「……ということなんだ」

「あまり気にしたことはなかったけど、確かに不思議だ。あいつら昆布はいつも何食わぬ顔でそこに佇んでいる」

「何かあるわね」

オーマイコンブ!」

一度、弟たちが興味を持てばしめたものだ。

魔法少女の正体すら暴くような行動力を持つ弟たちにかかれば、「昆布の謎」解明は時間問題だった。




まず、頭脳派のミミセンが情報を整理、考えられる可能性を洗い出す。

今回は耳当てもつけているあたり、本気であることがうかがえる。

「もう一度、近くの店を調べなおしたほうがいいかもしれない」

兄貴が既に昆布需要については調べているぞ」

「それは事実であって、真実ではない」

「どういうこと?」

問題相対的価値なんだ。他に好きな具があるのにも関わらず、なぜ昆布が選ばれ、しかも残りがちということになるのか」

昆布需要のものではなく、問題本質のものを直接調べるのか。

ここで最終的な決定と、作戦を決めるのは弟だ。

「よし、調べてみよう。だが散らばって、じゃない。もしものことを考えて、みんなで行動するんだ」

弟の真意は俺ですら図れないことがあるが、無意味にそんな非合理なことをするわけではないことは皆知っていた。

(#8-3へ続く)

2016-12-02

原発とか関係なくいじめ問題として扱えよ

原発って入れるだけで問題本質が霞む

生きる意味と生きがいについて

 なぜ人間は生きているのだろう と疑問に思ったことがある

 生きる意味って何だ 何で生きているんだ 悲しかったりめんどくさかったりすることもある人間の営みはなぜ続くんだ? という具合にだ

 最近流行りの星野源という歌手は、生きる意味なんかない と歌の中で言っている

 そもそも、人間理屈というもの発明してから、この疑問は出てきたのだと思う。 それ以前は意味という概念さえなかったのだ。 理屈という、言葉によってなされる概念から、その疑問は生まれたのだと思う。 言葉がない生物は、疑問さえも持ちにくい。言葉がなければ疑問という理屈はないからだ。

 もともと、人間歴史にも言葉がない時代があったはずだ。そんな時に生きる意味を考えた遠いご先祖はいたのだろうか。わからない。

 というわけで、僕も生きる意味なんかないのだと思う。

 その代わり、人には生きがいというものがある。

 家にいる我が子の笑顔が生きがいの人もいれば、アイドルを追いかけまわして楽しむのが生きがいだったり、二次元にいるアニメキャラ萌えてそれを生きがいにする人だっている。それは人それぞれなのだ

 だけど、生きがいがない人間も世の中にはいる。 例えば今の僕だ。

 前までは彼女と一緒にカフェだとかホテルだとかに行ってイチャついていることが、何よりも幸せだった。しかし、次第に愛は薄れ、さまざなプレッシャーやら不信感やら、無粋な感情に押しつぶされてしまえば、そんなものは息を潜めうやむやになってしまう。

 生きがいを失った僕は、生きる意味について考えた。再びだ。

 生きがいがなかった時代にはしばしば生きる意味について考え、彼女ができればそんなことも考えないようになり、別れた今 また考えているのだ。

 要するに、生きる意味を考えるということ自体、生きている辛さからの逃避なのだと悟った。

 理屈というものは、本質から遠ざかり、悩む人をより深い絶望感に誘うことだってある。自殺者がそのような気がする。

 意味のないことを考え続け、ある日 そんなものはないと悟り、なら死んじゃおうぜ みたいな感じで。

 絶望溢れる人は、生きる意味がないとニヒリズムに陥り、生きることをやめることもあるのかもしれないと最近思う。

 しかし、生きがいがある人はそのようなことにはならないだろう。生きがいは理屈では本質を突けない。生きがいを理屈説明しても、それはきっとただの後付けにしかならない。生きがいを感じながら生きるのが楽しいから、そこには理屈がない。理屈がないことで救われているのだ。

 生きることを肯定した前提で書くけれど、やはり生きがいは持つべきだ。理屈にとらわれない動機。それが人を生かすのだと思う。

 かくいう僕は、最近の生きがいは(一応)食べることだ。 食べると幸せだし、救われる気が一瞬する。それでも、胸が落ち込み動けなくなったら、筋トレをして体を痛めつける。筋肉痛になれば、ウジウジする余裕がないからだ。それでもうつ状態になってしまったりすれば、もうその鬱感に抵抗することはやめて、堕落した生活を過ごす。そうすれば少しは胸が楽になって、数日は生きていける。

 端から見れば、僕は堕落したどうしようもない奴にしか見えないけれど、それでも生きる。 鬱感が僕の営みを妨害して絶望に陥れたりもするけれど、それでも生きる。生きていればいいこともあるだろうとどこかでわかっているからだ。

 いろいろ書いたけど、鬱でどうしようもない僕を生かしているのはそんな希望なのだなぁ と。だから、今の僕の生きがいは希望なのかもしれない。

 

 

2016-12-01

久美子に憧れるあすかと“ユーフォっぽさ” - TVアニメ響け!ユーフォニアム2』#9

#9観た。一期から伏線である田中あすかの瞳に世界はどう映ってるのか、彼女本音は何なのかというところに一応の決着がつく回だった。手放しで絶賛するほどではないものの、けっこう興味深いところもあったので書く。

 

田中あすかとは何だったのか

一言でいうと嘘つき。もうちょっと言うと過干渉を嫌い、それを笑顔ジョークによって躱す処世術は身につけたもの本音が外に漏れるぐらいまで一杯一杯になってる普通女の子だった。

「あの人のこと嫌いってわけじゃないの」

(中略)

「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」

あすかと久美子のやり取り。嘘を即座に看破され、その後もっともらしい言い訳を述べるが、内心は母親をそうとう嫌悪しており、それを体のいい言葉で取り繕っている――ということは直前の香織とのやり取りを見ても明らかだ。

https://i.gyazo.com/cce45435ce91ef4c1afafb65ed403306.png

https://i.gyazo.com/c73ef75ed14157800b37d979b5fa2c4a.png

この過干渉に対する露骨嫌悪は、パターナリスティック母親を想起してのものだろう。しかし香織が顔を上げるや笑顔になり、別れを見送りつつ「カワイイでしょ、香織って」と久美子に語りかける。直前の表情からすれば「ウザいでしょ、香織って」とでも言いそうなものなのにそう口にすることはない(みぞのぞの結末を目撃した我々は、一見すると仲の良い友人であってもそこに温度差があることはすでに承知しているはずだ)。

こういった本心とは裏腹なことを言う姿は他でも確認できる。

「もしかしたらあたし、あの曲を黄前ちゃんに否定してほしいのかもしれないな……。コテパンにしてほしいのかも……」

父親から贈られた曲を否定してほしいのかもと言いつつ、実際に思ってるのはその逆だ。ということは吹く前に「……本当に聴きたいと思ってる?」と不安げに確かめるところから察することができる。

そもそも久美子を家に呼んだのは、私利私欲に走った自分の苦しい胸の裡を誰かに話したかたからだ。そこからあすか特別なんかじゃなく、弱いところも持った普通少女だということが判る。

しろ特別なのはそんなあすかがハッとすることを折に触れて言う久美子のほうだ。

 

黄前久美子という特異点

特別あすか麗奈に比べれば普通といっていい久美子は、しかし実際のところ作中における特異点だ。それは1期から麗奈によってしばしば語られてきており、今話でも強く指摘された。

「久美子ってなんか引っかかるの。普通のフリしてどっか見透かされてるような、気づいてなさそうで気づいてるような……」

「なにそれ……」

「そして、いちばん痛いときポロッと言葉になって出てくる。……『本気で、全国行けると思ってたの?』」

「あれは……、あの時は……」

「だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって」

あすか先輩も……?」

「判らないけど」

あすかにも府大会の直前に「今日最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」と言って意味深笑顔を浮かべさせたり、「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」とか「あすか先輩がいつもと違うんですよ」などと言ってハッとさせる。

これは久美子の失言王(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%B1%E8%A8%80%E7%8E%8B)というキャラと密接に結びついている。1期の開幕では「本気で、全国行けると思ってたの?」と言って麗奈に睨まれ、吹部の新歓を聴いては「ダメだこりゃ……」と零し葉月に聞き咎められる。いずれも“失言キャラ”というキャラ立ての一環であると同時に、本人の意図によらないところであっても本質を思わず突いてしまうという側面にもなっている。そしてそれは1期#8で結実し、今話においてより大きな伏線の回収という形を描いた。思わず「おおう」と唸るところだ。

 

久美子に対するあすかの憧れ

「……本当に聴きたいと思ってる?」

はい!」

「ふふっ。黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね

「?」

「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思ってたんだ。だから黄前ちゃん見たときびっくりしたの。こんな……こんなにユーフォっぽい子がいるんだって

「……褒めてます?」

「褒めてるよ。だからからな、話きいてほしいって思ったのは」

ここであすかが吹いたのは父親から贈られたユーフォソロ曲だ。ユーフォだけで構成された、独りで吹ける、あすかのためだけの曲。ただ本質的ユーフォソロ向きの楽器ではないし、吹奏楽においてもペットのような花形にはなりえない。オーケストラにおけるチェロになぞらえられるように、オブリガードや伴奏などで曲に深みを与えるところで活躍する。ユーフォ集団の中でこそ輝ける楽器なのだ

久美子は楽器を習い始めた当初からユーフォ吹奏楽の一部分として捉え、楽しんできた。集団の中にあることを疑わず、まっすぐ素直に受け容れてきた。

あすかにとってユーフォ父親自分をつなぐ唯一の存在だ。みぞれにとってのオーボエのように大切な誰かとつながる唯一無二の手段。だから「私は遊びでやってるわけじゃない。独りで吹ければそれでいい」とさえ言う。そんなあすかにとって父親から贈られた曲は心の支えだったろう。だけどそれは同時に、父親に囚われているということでもある。あすか母親だけじゃなく父親からも囚われている。そんなずっと独りで吹いてきたあすかが久美子に聴いてもらうために吹くということは、大げさな言い方をすれば初めて誰かに聴いてもらうために吹いたと言えるのかもしれない。

https://i.gyazo.com/d7feee576db6903d3c5c9e15d8b3f22f.png

卒業するときあすかは久美子に父親ノートを託す(2期#1冒頭)。それは父親審査員を務める全国大会を経て完全にその呪縛から解き放たれたことを意味するのだろう。残る4話のうちにそこに至るまでのあれやこれやが画面いっぱいに描かれるはず。そう思うと終局に向けて動き出した『ユーフォ2』からますます目が離せない。

 

ユーフォ感想一覧

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161128234150

原作読み終えた。

とにかく絵が雑で表現も荒いので読み終えるのに相当気力がいる。

画力としてはプロレベル以下。

要約すると広島出身の作者が母の故郷でもある呉を舞台に当時の時代生活

細かな資料とともに追っただけの話。

そこに大した主義主張とかはないといっていい。

漫画では資料に大きな枠を割いてるのでそこが時代考証的にこの作品の売りと言っていいだろう。

ストーリーに取り立てて感動する要素はない。

戦争物でよくある身内の人が亡くなるという程度。

ぱっと見そこにうまい演出悲壮感もあるわけでなく淡々と進み

何か後に残るものもない。

しろ何か腑に落ちない印象。

あとがき見ると作者の死生観が分かる。

「死んだことがないので死が最悪の不幸であるかどうかわからない。

他者になったこともないので命が尊さや素晴らしさもわからないままかも知れない。

死の数で悲劇の重さを量らねばならない戦災そのもの理解できてない。」

これが作中に描かれてる違和感なんだなと思う。

作家がどういう意図で何を書こうと自由だが

このような無理解のままのスタンスが万人受けできるだろうか?

戦争物を扱った作品としては危うすぎないだろうか?

要するに戦争とか命の重さってよくわからないけど自分の生まれ土地と母の出生地

呉を舞台漫画にしてもいいよね?資料もいっぱい持ってるし。

特に言いたいこともないけど資料見ながら後は適当ストーリー作るんでってのがこの作品本質なのだから

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.公道二足歩行で歩くことは、足が不自由な人を差別することになりますか。

当事者が「差別だ!」と思ったらケースに限らず全て差別扱い。

となるかどうかは、ひとまず置いといて。

私たち公道で歩くという、その何気ない行為は足が不自由な人に何らかの負の感情を与えている可能性があることは否定できないだろう(是非はともかく)。

これはケースを変えても、問題本質はそこまで変わらない。

それでも答えるならば差別ではないが、まあ抑圧はあるだろうな。

意図するしない関わらず人間が多様な生き物な以上、軽視は出来ないが避けることもまた困難だ。

なにせ人間意図するしないに関わらず、生きている限りはどこかに属しているからな。

例えば、ヘテロセクシャルに属しているからといって、そのほかのセクシャル批判することとはイコールではない。

けど、自身セクシャルからくる何らかを享受するとき、そうじゃない人たちが「抑圧された」と感じる側面はあるだろう。

子供を生めない人だっているのだからパブリックな場で出産を祝福するのはやめよう」みたいな主張もあるかもしれない。

その心の有り様を不当だと断じることは一概に出来ないが、ではそれで自粛すべきかといえばNOだろう。

人間とは多様な価値観を持つ生き物で、かつそうあるべきというのは現代社会正義だが、残念なことに多様性というものアンバランスだ。

まり、やるべきことは抑圧された立場に沿った生き方をすることではない。

例えばマイノリティセクシャルを認めるために、自身マイノリティセクシャルに属する必要はない、ということだ。

あなたがマイセクを否定するつもりがないなら、マイセクに属しなさい。でなければあなた差別主義者だ」なんて言われても困るだろう?

から大事なのは自分がどこに属しているかではなく、他に属している存在との距離感の掴み方さ。

まあ、生理的嫌悪からくる意識ばかりは奇麗事でそう簡単に変わらないだろうから、せめて表明することを避ける、とかね。

変に気を使って、「そんなつもりはない」なんていう表明だって逆効果になる可能性もあるからな。

或いは、いっそのこと君の質問YESにして、避けられない抑圧含めて全て差別産物とすれば、この世の人間全て差別主義者になって、ある意味ではフラットかもしれないな。

察しのとおり、書いている途中で回答が面倒くさくなったのさ。

http://anond.hatelabo.jp/20161129223726

恋愛結婚情緒不安定ではあるかも知れんね

のものが悪いとは思わないが

まぁいざ普通暮らしモードに入った時にその人間本質が現れるのかもしれない

2016-11-29

FFから失礼します」

これびっくりするくらい気味が悪いんだけど

こういうのを挨拶代わりのような感覚で使う人間って

鍵かけない人間って返信や引用自由にしている前提ってことを理解してないってことで、

相手も返信や引用してほしくないなら鍵かけたらいいっていうことをわかってない人間で、

それで通じ合えるってことだよね?

何言ってるのか分からんなこれじゃ、

まり部外者に返信してほしくなかったら鍵かければいいじゃんっていう鍵の使い方を理解してないか

イチイチ頭にFFから失礼します、みたいな前置きが必要になってるってことだよね?

単純に自分の作っている前提を理解してない、理解不足だからこんなの必要になってるんだけど、

こいつら1人や2人じゃなくて一定数いてそれがマナーですみたいな顔を全員したり顔でしてて、

本当に頭悪いのか仕様書を読めないタイプ人間なのかなと思うんだけど、

とにかくたくさんいてビビます

毎年毎年、要らないっつってる糞の役にも立たない安物のサラダ油お歳暮として押し付けてきてるような、そんな感覚

ツイッターキチガイツールになったのもこの言葉流行りだしてからのような気がする。

どっかの同好会で初対面の人に「初対面で失礼します!」とかいって切り出してるやつ、どっからどうみてもキチガイである

その言葉を述べるくらいならまず自己紹介から始めたらいいというのに。

自分たちが作り上げた無駄という財産にめちゃくちゃ固執している姿にはカルト教団信者の姿ですらある。

こんな人間説明書も読まずにサポートセンター電話かけてくるんだからお兄さんおねえさん方は大変だなって思いました。

なんか日本のへんな感じで残ってしまっている儒教文化が悪さをしているのかな?

完全に無駄礼儀というか物事本質をみたらむしろ余計でしかない文化を平気で若い世代が量産しちゃうって

かなり文化的損失に値するんだけどこういうのを平気で許してマナーがいい!とか礼儀正しい!とかで広めちゃうのは本当にまずいと思う。

これがリアルでやってたとしたら若者あるある若気の至りで済むんだけど下手にインターネット上で広まったもんだから

若気の至り市民権を得てしまって完全に一人歩きし始めている状態

黒歴史に足が生えて民宿ノートみたいに歩くたびに馬鹿からカキコがあるみたいな状態

目上の人にご苦労様問題とかも、そもそも目上を労うのは失礼だったのに会社内の挨拶を共用で「お疲れ様です」にしたもんだから

お疲れ様ですはいいけどご苦労様は上から目線だ!みたいな意味不明論調になってしまった。

元々はどっちも完全に失礼なんだけどな。

そもそも「お勤めご苦労様でした」は会社挨拶にされたお疲れ様です以前から使われていたというのに。

からといって目上を労っていいわけではないが、まあ、とにかくこいつらに歴史とか過去データとか持ち出しても

基本スピリチュアルものからルール決めをしていってるからそういう捏造儒教センスが一番重要なのだろう。

というかFF外じゃなければ失礼じゃないのかって問題もあるんだけど、

これを使ってるアホたちにとってはとりあえず付けとけって感覚から思考すらしてなさそうだ。

まあ、この手の価値観を共有するための「波阿弥陀仏」的なツールとしての存在意義可能性は全く捨てきれないが、

いよいよそれだとカルト教団しか言いようがないな・・・

自分価値観が誰かにつくられたものだと気づいてないやつが多い

まあそんなことそもそも考えもしないんだろうけど

大きいとこからかいとこまでほとんどが誰かによって形成された価値観でしょ

一日三食とか資格はとったほうがいいとか目が大きくて鼻筋が通ってるのが美人とか

エジソンの影響だったり資格つくってる企業マーケティングだったり明治維新以降の西洋ゴリ押しだったりするわけでしょ、いま当たり前だと思ってることって

こんくらいは考えればわかるよね

日本独立国だと思ってる人たちには理解できないだろうけど

こういうのはロバート・チャルディーニの影響力の武器って本を読めばわかると思うよ、かなり有名だね

自分で考えてるようでそうじゃない意思決定がたくさんある

親、友人、企業政府、上の人間思考を操られてる

親や友人の場合社会性かもしれないが企業政府など明らかに不当に搾取洗脳されてる意思がある

フロイト精神分析入門にも書いてたけど、現象吟味することで本質がわかるんだ

俺は常に、やっぱいまの価値観大事なとこってほとんど上の人間によって形成されてると思うんだ

上ってのは、世界で一番上のことね、これ以上は糖質だとかなんだとか言われるから控えるけど

俺は人を見下してるわけじゃないけど教養がない人や思考力、人間力がない人はあんまこちら側の人間意見しないでほしい、くだらないからね

ポリコレとかなんだとかよくわかんないけどヒトラーの言ってたことは正しかったんだなあって思っちゃうよね、よくないね

女性の権利を推し始めたのも上の人達ヒトラーは間違ってるって無理やり証明するためにやってるんじゃないかって思っちゃう、彼らも男性社会なのにね

話がそれたけど既存価値観を疑ってほしい

自分で考えてると思ってることってだいたい自分で考えたことじゃないか

俺もここまで気づいたってだけでそのプロセス扇動されたものかもしれないけどね

2016-11-28

年金法案反対って言ってる人、本当にちゃんと考えてる?

今までの年金制度だと、

物価が同じで、サラリーマン賃金が下がってても、年金支給額は据え置くっていうルールになっています

賃金は下がっているのに、年金は据え置いていたら、その負担はどこに回っていっているんでしょう?

冷静に将来まで年金運用していく事を考えると、痛み分けは必要なんじゃないでしょうか。

確かに、高齢者暮らしも大変かもしれませんが、若い人の暮らしも大変ですよ。


悪い面だけを強調して、不安を煽るって、最近マスコミがよくやることだけど

本質はどこにあるのかをちゃんと考えて伝えてほしいです。

民進党は、年金カットって騒いでるけど、

自分らが与党だった頃の運用実績が一番悪くて、それが足を引っ張ってることを隠してあげ足だけとるよね。

言うだけは簡単

ちゃんとした対案を、納得のいくように提示してほしいです。

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

ここまで読んでフィリップ・K・ディックを読んでないのはもったいない!!!

最近新装版が出ているので手にも入りやすいですよ!

処女作からしてランダム性を主題に掲げて人造人間10人の意識がのべつ間もなく入り込むお話ですから

ディック長編SFサスペンスな要素が強く映画化もされているのでまずはそこから3つ手に入りやすものおすすめしま

どれもこれも面白いですが、苦手になってほしくないのでポップな面白さで図抜けているユービックを一晩(一番)にどうぞ

暗闇のスキャナー(A Scanner Darkly)

電気羊はアンドロイドの夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)

ユービック(Ubik)

SFは他の分野に比べて短編が非常に充実してると思います

ディック長編は一気に読ませるほど面白いんですが綻びがなくもないので短編の方が実はおすすめです。

火星年代記を読まれているということは多分短編小説もたしなまれると思いますので次の2つをおすすめします。どちらもベスト版です。

人間以前

アジャストメント

アジャストメント」は映画にもなった表題作ですが、他にも「にせもの」や「電気蟻」、「くずれてしまえ」など特におすすめの一作です。

他の短編集に収録されているものが多いのでコレクターの方には不評ですが、最後エッセイだけでも買う価値あると思いますよ~


ディックからもう一歩踏み込むならJ・G・バラード安倍公房をおすすめします。

安部公房作品はどれをとっても入りやすく、それでいて本質を問うような内容でとってもおすすめです。

ノーベル賞関連で取りざたされることも多いですがそんなことはそっちのけて入り込んでほしいです。

SF色が強いのは「第四間氷期」ですが、他のどれをとっても馴染んでいけると思います

J・G・バラードはいわゆるニューウェーブ作家さんですが、その価値を抜きにしても読んでほしいと思います

中後期の作品は非常に濃く、好き嫌い分かれるところだと思いますが、最初期の「結晶世界」だけでも手にとって欲しいです。

SF的な味付けはありますユング心理学でいうところの「シャドウ」に直面するような内容です。それをどのように受け取るかで面白さが変わってくると思います

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

僕はクリスチャン信仰は良いものだと思います

なので信仰者としての立場を極力排してなぜ胡散臭いのか、本当はどうなのかを考えてみます

なぜ胡散臭いのか

最初からいいますが、僕は新興宗教自体胡散臭いとは考えていません。

身も蓋もない言い方ですが、キリスト教ユダヤ教新興宗教ですし、仏教日蓮宗浄土宗臨済宗密教系とは重要教義が異なっています

私はカソリックですが、米大統領選でも注目されるモルモン教福音派などのプロテスタントは明らかに新興だと言えます

基本的なことですが、この点をまず明らかにしておきたいと思います

ではなにが胡散臭いのかというと、相当分がみなさんと宗教の接点ですれ違いが起こっていることになります

そして悲しいことですが、本気で胡散臭い活動も当然ながらあります

布教のやりかた

宗教からみなさんへの第一の接点は布教活動になると思います

僕が通っていた大学でも注意書きが掲示されていましたが、家に押し掛けてくるのは胡散臭さレベルが高いので敬遠するのに越したことはないでしょう。

商売と一緒で「売ってくれ」とお客さんが来るのが最高の営業ですが、現代日本ではこれはほとんど期待できないでしょう。

ではどのように新しい信者を獲得するかというと、団体としての活動宗教活動を通じてということになります

お金の使い方

代表的新興宗教には宗教活動以外にも莫大なお金をつぎ込んでいるものがあります

PL教団花火大会や、米ソルトレークシティモルモン教大寺院などはその代表的ものです。

このような活動には伝統的な宗教も古くから関与してきました。宗教伝統的に文化芸能活動庇護者であったのです。

長い歴史の中ではそれに対する反発もありましたが、現代日本でもその恩恵に多く与ることができます

例えば東京観光京都観光には寺社仏閣がつきものですが、その観光価値一般の方には庭園天井画や襖絵、建造物にあるのが現実だと思います

そのような文化活動信者と、一般の方の両方に働きかけるもので、難解な教義を介さない身近な存在として宗教を感じてもらうことができるのだと思います

新興宗教には巨大、特徴的な寺院を建造するところが多くあると思いますがこの理由ちょっとわかりません。

ただこのような建造物を建てたからと言って、教主や教団幹部の懐に直接お金が入るわけではないということは留意しなければならないでしょう。

教義の難しさ

教義信仰者にとっても難しいものです。カソリックでは洗礼を受けるにはちゃんと勉強をして認められなければなりません。

本来ならばどの宗教でも教父にあたる方に接するのが第一歩になるでしょう。

ただ、いきなり相手ホームグラウンドに行くのは恐いですから興味のあるお寺(教会)に電話してみるのはいかがでしょうか?

自分の考えていることを吐露してそれで答えが受け入れられないものであれば、それは相手方の落ち度でしょう。

元増田アプローチは、まず文字に当たるということですが、どの宗教でもその本質活動です。

wikipediaは参考文献に含まれない」とはよく言ったもので少なくとも宗教で学ぶというのは不適当ではあると思います

完全に新興の宗教は別として、多くの新興宗教既存宗教派生です。なのでそれぞれの教義には数百年単位の積み重ねがあり、

一人でそれを理解しようというのはだれにとっても不可能でしょう。ただしその本質というものシンプルで良いものであると私は信じています

宗教政治

長い人類歴史の中では宗教歴史が分離されていたことの方が少ないでしょう。

それはさておき、宗教政治無視できないのは宗教が人の本質アプローチするものからです。

人の生活に直結する政治とはどうしても重なる部分があるということが宗教政治に関わっていく要因でしょう。

宗教非科学的か

波動」や「飛行」というのを聞いたときの胡散臭さは相当リアルに感じます

それはそれとして一歩引いてみれば仏教用語因果因縁、「宇」や「宙」というのは非科学的な概念ではないでしょうか。

これらを科学的に検証することはできませんが、明らかに科学矛盾するものとしてキリスト教進化論地動説否定があります

私自身は技術者として生計をたてていて、人は猿から進化して、地球太陽の周りを回っていると思います

しかしその部分がどの程度まで宗教本質を損なうでしょうか。

非科学的ということが宗教を損なうのはその真実性を損なうからだと思います

これはどこの宗教もつものだと思います検証不可能なことは証明できませんし聖典多面的な読み方ができるため科学的な検証には向いていません。

聖典が正しければ寺院教会)・教義は正しい」そして「寺院教会)・教義は正しければ聖典は正しい」というような循環論法に陥りがちです。

これに対しては僕が言えるのは「あなた自身の考えて」という月並みものです。あなたが一歩を踏み出してよい教えに導いてもらえることをお祈りしています

http://anond.hatelabo.jp/20161124232556

艦これ検証部の問題最初からチゲだって、言ってる人は言っとったよ。んで、本当に理解してる人は、そもそもあの問題について言及してないだけ。ウチゲバという本質理解していない人間(多分相当若い連中だと思う)だけが騒ぎ立ててる。

http://anond.hatelabo.jp/20161124105945

教祖が広めた教え、経典解釈トップの都合で大きく捻じ曲げることは出来ない。

いやあ、それをやったのがまさしく日本仏教なんだけどね。

肉は食う女は抱くで今や本来の教えの劣化コピーどころか、実質お経をビジネスにした集金マシーンと化してるやん。

ま、数百年もたって薄まっちゃえば、それはそれでいいのか。

創設100年以内の新興宗教テロ起こすよりは幾ばくかマシなのかもしれん。

どっちがマシか程度で本質は同じだけどね。

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

宗教本質は「不安の解消」であって、宗教に頼ることな人生不安を解消できている人にとっては、宗教教義荒唐無稽ものに思えるでしょう。

死ぬのが怖い」と言う不安に対して、

死ぬ天国に行けます」という答えで、その不安を解消する。

「悪い人たちも一緒に天国に行っちゃうのは怖い」と言う不安に対して

「悪い人は地獄に落ちます」と言う答えを与える。

「どうやって判定されるの?」という疑問には

閻魔大王が決めます」と答えを与える。

これはあくまでも例えだけれど、人生のさまざまな局面で生じる不安に対して、こう考えればその不安を解消できますよという教えを与えて、

その妄想世界の中でうまく辻褄があうように構築・体系化されたのが教義なので、もともとの不安共感できない人には意図理解できないのです。

宗教豚肉を食べていはいけないという教えがありますが、その起源は「豚肉による食中毒を無くすため」だったり、

牛を食べてはいけない宗教では、牛を使役動物として使うので、食べられてしまうと困る事情があったりします。

新興宗教胡散臭い6つの理由

全然無宗教なんだけど、ここのところ「仏教入門」みたいなのをいくつか読んでいる。

昔話とか「昔の人も生きるの大変だったのね〜」的なノリでとても興味深いし、

たぶんお釈迦様って「あの人いっつも良いこと言うよね!」的な人だったのかなあーとか想像するのも楽しい

(ちなみに、お釈迦自体は静かに悟りを開いて手の届く範囲で教えを説いた人で、死後に弟子たちが教えを編纂することで、れっきとした「宗教」になった。らしい)



翻って、いわゆる新興宗教というものが無数にある。

新興宗教」の定義は、

日本では、幕末明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。』

らしい(Wikipediaより)。

で、そういうのって、得てしてものすごくうさんくさい(完全に主観だけど)。

いや、古い仏教うさんくさいこと言ってる部分はあるし、キリスト教イスラム教みたいな世界宗教もかなり怪しいところはある。

けど世界宗教の怪しいところって、時間を経るごとに権力者が良いように解釈した結果ついてきた怪しさだったり、

時代の流れ的にしょうがないよね的な不合理性だったりすることが大半なので(な気がするので)、

教えの本質だけみてみると、「はえー良いこと言う」くらいの気持ちでは理解・納得できる気がするんだ。



じゃあ、新興宗教の「うさんくささ」の正体ってなんだろうか。

暇なのでいくつかその理由を考えてみる。

もちろん信教の自由はあると思ってるので、別にその新興宗教を信じてる人をどうこう言うつもりはないけど

自分自身の中で何が「怪しさ」だと思ってるのか言語化してみたい。



1.教義がわかりにくい

Wikipediaなんかでそれぞれの新興宗教のページをみると、難しくて全然頭に入ってこない。

固有名詞が多いのと、概念的な話が多いのと、仏教系だと漢字が多いからかなあ。

から共感するとか云々の前に、そもそも理解できない。わからないものは「怪しい」と思う。という論理かな?

ただ、聖書とかも自分で読むとかなり意味不明というか回りくどい言い方多いし、「で?」みたいな逸話が多いし

経典なんかもすげーわかりにくいから、「誰でもわかる!xxx教のおしえ」みたいなのがあるといいのかしら。

あ、だから勧誘パンフレット漫画形式のものが多いのか。



2.変な(でかい・奇抜なデザインの)建物を建てている

デートとかしてて会話が途切れた時、「あ、あの建物変わってる!面白いね!」とか言った後調べて

なんとか教本部 とかだとなんとも言えない気分になりませんか。

あれなんで、でかいのはともなく変なデザインなんだろう?

考えられるのは、

・目立たせることで文字通り目を引いて、その宗教に興味を持ってもらいたいか

・でかかったり変わってたりすると、その宗教流行ってる・勢いがあると思わせられそうだから

信徒が多くて、でかくないと収容できないから(?)

お金があるから

お金持ちはアートが好きだから宗教団体がやってる美術館とかあるし)

...あたりでしょうか。

なんか他に理由思いつく人、ご存知の人いらしたら教えてください。



3.政治に介入してくる(場合がある)

結構これはでかいと思う。

仏教でもお坊さんが政治に介入してきた時代は途端にうさんくさくなったし。

ちなみにお釈迦様のもともとの教えでは、

お坊さんは働きもせず、他人からの施しで生計を立てているくらいなんだから政治に介入とかしちゃダメ!って考え方だから

その意味で、お坊さんの政治介入はもともとの仏教的には「間違ってる」。はず。

新興宗教にしたって、そういう過去の経緯を経て(お坊さんは働かずにお布施生活する等)税制かいろいろ優遇されてる存在なのに、

さら政治にまで介入してくると、なんか図々しいなと思ってしまうのかな?

あとその宗教が「この人に投票せよ」みたいな統制ができちゃうからトンデモ政治家当選する可能性もある。

あーでもこれは、候補者演説したり後援会がいたりすることとどう違うんだろう?

候補者理念公約共感たか応援するんじゃなくて、

xxx教の人だから批判応援しよう、ってなってるから違和感があるのかも。



4.やたら他人アプローチしてくる

その宗教に加入せよ も然り、私はxxx教です!も然り、それに興味のない相手空気読まずにバシバアピールしてくる感じが苦手なのかも。

ただ、宗教布教活動は大昔からセットだったし、何を信じるのも自由から別にいいはずなんだけどなあ...。

あれかな、アプローチしてくるのはいいとして、「やたら」ってとこがダメなのかも。

胡散臭いというか、興味のない相手に対して「しつこい」「鬱陶しい」って感じかな。



5.非科学的なことを言い出す

これは世界宗教にも一部言えることだけど、

「こういう考え方をすると、心に拠り所ができて、何もないときより精神的に安定するよ」はわかるけど

「これを信じないと不幸が起きるだろう」

「これを信じて実践する者のみが幸福になる」とかになると胡散臭さはぐっとアップするよね。

「霊波が」「オーラが」とか、「波動」「飛行」とか言い出すとまじでやばい

ちなみにお釈迦様の肩ばかり持つわけじゃないけど、お釈迦様の教え的には

絶対的な超越者などいない」「常に合理的であれ」って感じだから、かなり地に足がついててほーと思った。



6.献金を迫る(?)

政治介入についてもそうだけど、信仰すること=無欲であること、だと思うからなのか

宗教活動をするのに必要な以上の献金を迫るというのに違和感がある。

というかそもそも、「施し」ってそれに価値見出した人が自発的にするもののはずなので、

月謝とかノルマとかみたいにお金を出せってのはおかしな話だよね。

ただ、今これを書きながら「信仰すること=無欲であること」という前提に偏りがあるのでは?とも思った。

で、信徒個人であれば、その宗教信仰しつつバリバリお金稼ぐぞ!ってマインドの人がいても全然普通だけど、

宗教」それ自体分不相応お金権力を求めて身につけちゃうっていうのが危険だし間違ってるのかな

という考え方に帰着した。少なくとも自分の中では。

なお、檀家制度とか云々で分不相応お金を持ってるお寺がある現状についても、同様の違和感を抱いてます



*****

だいたいこんな感じかなあ。

自分の中でのモヤモヤはだいぶ整理できた気がするんですが、あまり頭が良い方ではないので

他にも大小の理由漏れてるかも。

というか、そもそも別に議論することでもないし、着地「勝手にすれば」って話なんですが

もしなんかあったら教えてもらえると嬉しいです。

つらつらとあてもなく、一人考える早朝

http://anond.hatelabo.jp/20161123133655

例えば、この映画お題目とした資金調達活動によって、全く別の行為資金が流用されていればそれは倫理的道徳的、下手をすれば法的に問題はあるとは感じるが、

映画プロモートとして監督直々に海外渡航するというのは、映画に関わるり営業活動しか効果的でかつ一種の箔付けとして必要営業なわけで、少なくとも本作品看板としてクラウドファンディングを利用する理由として不適当だとは感じない。



クラウドファンディングとは企画者が背負うには過大な金銭リスクウェブを通した不特定多数人間から資金調達で補うものであり、その有り様は様々とは言え、企画者はもちろん出資者目的は常に小口出資によるプロジェクトの達成にある。

その本質は従来の寄付を拡大する概念であり、いわゆる投資活動の縮小版ではない。いうなれば市場経済的な投資活動以前の経済活動に立ち戻り、それをより現代的に、ICTを駆使してスマートにかつ効率的遂行できるよう発展させたサービスである

すなわち出資額とリターンは必ずしも釣り合う必要はなく、天秤を慮る必要があるとすればプロジェクトに対する出資者価値観と金感覚バランス問題にすぎない。



その上で個別的に、本プロジェクトに立ち戻りリターンについて見てみるが、確かに挙げられたリターンは通常の投資、あるいはよりミクロな購買活動として見た場合やや出資額に対して不釣り合いに思えるところはある。そしてそもそも論としてプロジェクト自体についても、出資者は確かにそのプロジェクト効果を実感しづらいものではある。しか現実としてそれでも本プロジェクト賛同する人間はいて、少なくないお金が集まる。

それは人が単純な利益計算、あるいは市場的な相場判断を超えた部分で経済活動を行うということの端的な表出であろう。既にプロジェクトを完遂したという信頼、そしてその成果が予想を遥かに上回るものであったということに対する一種の追加報酬、そういう経済的理由付けは出来る。しかし、おそらくよりプリミティブな他者への賛意というものがここに、クラウドファンディングと言うものには表れているようにも思う。



さて多少美辞麗句を並べたが、そういったものクラウドファンディングを支えているとして、それが常に正当な結果を生むか、それを超えて経済活動として「正統」であるのか、ということはもちろん言えない。

クラウドファンディングをめぐる騒動は珍しいものではない。先に挙げた詐欺まがいの資金流用と言った犯罪行為はもちろん、犯罪とは言えないがそれこそリターンやプロジェクト自体にまつわる見解の相違はどこにでもある。

それを解消するように各サービスは発展努力をし続けているが、完全に解消させることは困難だろう。



お金の向こうにいるのは常に他者である

少なくともそれを相互に実感する、させられるサービスとしてのクラウドファンディングというものは非常に興味深いものである

2016-11-23

尻タワー、白人ポリティカルコレクトネス

事故現場一般人が中に入れないよう黄色い黒タイツでぐるぐる巻きにされていた。

公園遊具で遊んでいた自衛隊員が突然爆発した事故からもう1週間が経つ。爆発によって空いた大きな穴はすぐに修復されたが、人々の心の傷までもが完全に癒えたわけではなかった。志摩市美濃加茂市哀悼コメントを発表した。東京メトロとDYMは義援金用口座を公開した。ツイッターでは「爆発したの私だ」というハッシュタグ共感を集めている。遺族は欅坂の丁字路に壁を建設するための署名活動を始めている。

公園に設置された献花台には行列ができていた。あの中には男の知り合いもいれば知り合いでない人もいるのだろうか。彼らは順番に花を捧げていく。きっと生前好きな食べ物だったのだろう、献花台にはバナナおにぎりケーキエクレア、そして人間本質が供えられていた。

ふと、献花台で妙な男を見つけた。男は霊に捧げられた花を一輪一輪手に取って見てはうんうん唸っている。更にはそれを並べ替えたり薔薇花束を作ったりしている。キモいと思ったので男に近づいて肩を叩いてみる。

ちょっとあなたはここで何をされているんですか」

「何って、薔薇コレクションしているんです。ここにいる方々が花を置いていくので」

非常識ではありませんか?極めて何か亡くなった方に対する侮辱を感じます。確かにここにある花はもう誰のものでもありませんが、だからといって勝手コレクションしていい訳ではありませんよ」

「私としては公共の場に置かれた綺麗な花々を集めていただけで、侮辱のつもりは毛頭ありませんでしたが、不快にさせてしまったのなら申しわけありません」

あなた問題本質理解していません」

「落ち着いてください。あなたは冷静になるべきです。ロシアンティーでも飲みませんか?」

男は持っていたティーセットでロシアンティーをいれてくれた。

「コクがありますね」「5回いれて平均を取っているんです」

「5回…」ティーカップを揺らすと、まるでデパスのようにキラキラ光が反射した。

「さて、あなたはなぜ薔薇の花をコレクションしていたのですか?」

「綺麗な花を集めたいと思うのは極めて自然感情です。たとえばアイドルファンアイドル言動を逐一追いかけたいと思うように。私は長らく孤独でした。私は子供の頃からさな平屋で家族暮らしてきました。でも私は家族の前で感情を表に出すことを許されませんでした。そりゃあコミュ障にもなります大学でも職場でも友達はできませんでした。ネット上にも友達はいません。両親も昨年亡くなりました。二人とも人工透析患者だったのですが、透析の帰り道何者かに殺されたのです。私は人とのつながりを持ちたかったんです。私はPやCと連帯たかったのです。私は寂しかったんです。」

あなた薔薇コレクションすることで人とつながりたかったのですね?」

「そうです。」

「でも、あそこにある花はあなたのものではありませんよね?あなたは花をコレクションするという行為によって人々の霊に対する祈りをただの花としてモノ化し、消費しているのです。あなたもっと謙虚さを学ぶべきです。」

男は黙っている。

気付くと辺りはいつの間にか暗くなっていた。さっきまで献花台に並んでいたはずの20人月ものジャップオスはすっかりいなくなってしまった。どこに行ってしまったのだろう。代わりに猿の死体お供え物のバナナを盗み食いしている。猿は自閉症の両手を器用に使って黄色い黒タイツを剥いている。黒タイツの裂け目からはちぎれた目玉がとびだしている。猿がそれを美味そうに食う。その隣では二次元プロブロガー大麻をすすっている。

「なぜ夜になったのですか?」「人々がいなくなってしまたからです」「人々はなぜいなくなったのですか?」「人々が忘れてしまたからです」「人々はなぜ忘れてしまったのですか?」「なぜでしょう。なぜだと思いますか?」なぜ? ロシアンティーは冷めてしまった。

忘れてしまう。それは私も同じだ。どんなに強く決意しても私たちは3日も経たないうちに忘れてしまう。でもなぜ?辺縁系障害があるから?違う。自民党支持から?違う。母親エネルギーが足りなかったから?違う。

「人は、なぜ…」私の問いを男がさえぎる。

「寒くなってきましたね。 ロシアンティーも冷めてしまいました。暖を取りましょう」

男は鞄から取り出したポリコレ棒をレール形に組んで白熱電球で火をつける。パチパチと音がしてポリティカル・コレクトネスが上がる。男はティーカップを近づけてロシアンティーを温め直している。

危険ではありませんか?ここは公園ですよ。『やったら駄目なことリスト』を読んでいないのですか?」

クリントンが負け、鬼十則撤廃されました。だからやっても良いのです。それに白人イケメンから距離3つ分はなしていますから

男の言葉とは裏腹にポリティカル・コレクトネスはレールに沿ってどんどん広がっていく。レールは公園くるくるとまわり、その終点には尻がうずたかく積み上げられている。

男女逆転した尻タワーが、下から順にポリティカル・コレクトネスに包まれていく。やがて肥大した月にまでポリティカル・コレクトネスが届き、ゆっくりと蟹が降りつもりはじめる。さようなら、はるしにゃん…

自己投影女子に告ぐ

   11/24 長すぎて入らなかった部分を別記事で追記


腐女子こそ夢小説を書くべき論」が話題になって「よくぞ言ってくれた」と喜んでいる人と記事自体に怒っている人がいた。


記事自体に怒っている人、とりわけ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」を読んで欲しい層として想定された(と思われる)「腐女子」以外の人について考えてみた。

腐女子こそ夢小説を書くべき論 - 模索中



腐女子以外で、この記事に対して怒っている人たちに、自分たちを「自己投影勢」と自称している人たちがいる。


自己投影勢」とは?

夢小説を愛好する方の中で、主にガチ恋勢などと言われる人たちのことだ。

彼女らは、夢小説に出て来る名前変換が可能な「主人公」に自分だと思いながら、夢小説を読む。


私は怒っているので、キツイ言い回しになっているかもしれない。


この記事を書いている私は、彼女ら「自己投影勢」の「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に対する反応に怒っている。


私が怒っている対象は「自己投影勢の肩身が狭くなるから、こういった記事を書いて腐女子が書く夢小説を増やしてほしくない」と言っている人たちだ。

自己投影全般に怒っているわけでもないし、嗜好について私の理解が及ばないと思っていても馬鹿にもしていないし、気持ち悪いとも思っていない。

彼女らに私の嗜好を貶され、排除しようとされない限りは、はっきり言って、彼女らがどう思っているかは興味がない。


嗜好を名指しして「布教をするな」と言われたのでなければ、この記事を書くことはなかった。




上記の自己投影勢の説明ではあまりにいい加減なので、ある程度、前提条件を絞りたいと思う。そのために私の自己投影名前変換に対する考えを記述する。


私と同じ考えだと自信のある方は飛ばしていいと思う。

目印として本題に入る部分に矢印をいっぱい付けておくのでそこまでスクロールして欲しい。




私のスタンスとしては、他人が書いた小説主人公自分だと思いこむことは特殊技能であると思っている。




これは、キャラ恋人自分だと妄想することとは別の話であることを留意してもらいたい。

誰かの恋人になった自分空想すること自体は、誰もが抱くことのある欲求ひとつであると私は思う。空想し、それを作品アウトプットすることもまた、ありふれた行動であると思う。

しかし、小説という作品媒体になったものを読むとき登場人物が「自分だ」とはっきり信じることのできる人は多くないだろう。

これは感情移入とは異なるものだと私は思う。

映画や本を読むときに、話者となる登場人物感情移入してストーリーを疑似体験する。これは基本的エンターテイメントだと思う。

感情移入する登場人物主人公に限らない。幼少の頃に見ていた映画大人になって見ると、幼少の頃に思い入れ登場人物とは別の人物気持ちになって泣いてしまった、ということはよく耳にする話だ。

さて。このとき観客あるいは読者は、登場人物登場人物であって、自分とは別の個体であることを認識している。境遇自分に重ねることはあっても、自分ではないと分かっているはずだ。


ここでいう感情移入共感意味だと思う。

腕にひどい怪我をした人物を見て、自分の腕が痛い気がして顔をしかめる。怪我一つない自分の腕を押さえる。これが共感だ。多かれ少なかれ、誰しもが持っている感覚だといえる。

共感」は人間社会生活を円滑にする上で欠かせないものだ。一説では、サイコパス共感的な感覚先天的に欠いているのだという。共感が出来ないからと言ってその人がサイコパスであるとは限らないことに気をつけたい。


この共感が強すぎることで、映画テレビを見るのが苦痛だという話が、しばらく前に話題になったと思うので、「共感」というものがピンとこない方はそっちを覗いてみるのがいいかもしれない。

"恥をかくシーン"が苦手な人たち

話は戻って、名前変換によって、いくら登場人物自分名前を冠しているからといって、主人公自分だと思い込む、ということは「共感」ではなく「同一化」に当たるのではないだろうか。

サイコパスの話を持ち出してしまったが、専門用語としての話ではないのでその点はご理解いただきたい。


自己投影と称している人の中で完全な「同一化」ができる人はそう多くないのではないだろうか。多くの人が、夢小説の中で恋愛をしているのは小説の中の「わたし」であって、今この世界にいる「わたし」でないものだと折り合いをつける。

自己投影ってなんだっけ - めもかん。

この記事を書いた方も、おそらくそうだろう。


2は、1よりちょっとだけ現実の私と切り離されている。 なんというか、原作世界二次創作世界パラレルワールドだと認識しているのはこの層が多いんじゃないかなあ。 その世界の「私」となって、キャラと接するのがこれに当たる。

「同一化」と書いたものをこの方のいう1とするならば、2は「折り合いをつけている」人たちのことだろう。3の話はここではしない。


この折り合いが付けられた状態は、映画を見て登場人物共感して涙することと差がないように私は思う。




余談 コンピュータ名前変換 ゲーム夢小説

夢小説は、コンピュータインターネット回線の普及によってもたらされたジャンルであると思う。

それまでは小説といえば紙の書籍主体で、印刷物として市販されている小説主人公たちの名前は変えることができなかった。

それが、コンピュータの普及によってテキストの一部を自分名前に変えることができるようになった。これを女性向けとして利用した人が現れる。これが夢小説のはじまりだと思う。

夢小説の出現よりもひと足早く、ゲームでも主人公名前自分名前に変えることができることが「普通」になっていった。その片手で、インターネット上に公開された名前変換可能テキスト群が夢小説と呼ばれることになった。

一見違うもののように見えるが、双方デジタル化によって生まれユーザビリティの結果であり、本質的には同じものであると思う。

そこで、ゲームをしているユーザー自分名前のついた主人公を「自分だ」と思い込むことができるだろうか?

これは、できる人もいる、が正解だと思う。自分選択によって動きを変える主人公が、自分であると思う人もいれば、画面の中で動く人型のイラストを、自分が操っている操り人形だと思う人もいるだろう。

後者については、海外に多い「プレイヤー視点が画面になるタイプゲーム」のユーザー間では減少する可能性がある。ゲーム内のアバターアバターだと認識することは、ゲームプレイヤー自身アバター俯瞰する形になる、多くの日本産ゲーム特有感覚かもしれない。長くなりそうなので、ゲームでの視点の話はこの程度にしたい。

余談の余談

余談の最後に、私が思うゲーム夢小説の違いをまとめて、話を「自己投影」についてに戻していこう。

ゲームには操作性の問題がある。主人公の行動を自分で操る事ができる。この点が、ただ与えられたテキストを読むだけの「夢小説」とは大きく異なる点だろう。

夢小説の中に出てくる登場人物の行動を、読者は変えることができない。

夢小説の中に出てくる登場人物セリフを、読者は変えることが出来ない。

繰り返しになるが、自分意思とは違う行動を取り、違うセリフを喋る主人公に「共感」するのではなく、「自分だ」と思い込む、「同一化」する事ができるということを、私は特殊技能であると思う。

私の一歩先を行っているのかもしれない、とも思う。




同担拒否」を自称する方たちに対して、いくつかの疑問がある。

まず、私が思うのは彼女らは何を読んでいるのだろう?ということだ。

人が書いた小説を読めば、必ず違和感が生じるだろう。お母さんが枕元で、主人公名前子供名前に置き換えて読んでくれることとはわけが違う。クラスメイト貴方主人公小説を書いてもらい、プレゼントしてもらうのとも違う。

ただ、スクリプトを使って文字列自分名前に置き換えているだけだ。

好きな食べ物も、癖も、言い回しも、得意な教科もすべて変換するわけにはいかない。そんなに違う「わたし」とどのようにして「同一化」するのだろうか。

そして、彼女らは自分で書いた小説を公開するのだろうか?

自分恋人の話を綴った物語を公開して、自分と同じように彼を恋人だと思いこんでいる人が読んで、自分体験他人のものにされることが不愉快ではないのだろうか?

このあたりの感情の処理が、私には理解しがたい。


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本題にうつる前に周りくどく鬱陶しい話をしたのは、前提条件をはっきりさせておきたから、と断っておく。

本題はその「自己投影勢」がなぜ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に怒っているか

なぜ、私が「自己投影勢」が怒っていることに対して怒っているか

という話だ。

私がTwitter観測した限り、怒っている理由には大きく分けて2つあったように思う。私が見かけた2つの理由について話をしたい。



怒っている理由その1

自己投影勢」が馬鹿にされたと感じたか

だそうだ。



これは見当違いな怒りであると私は思う。「腐女子こそ夢小説を書くべき論」の中で、たしか

夢小説ってキャラ×自分なんでしょう」「わたし夢小説自己投影しないし」

など書かれている部分はある。

しかし、これは、この記事を書かれた方の意見ではないのだ。少なくとも私にはそう読める。

私が読むところによると、これは、世間から夢小説」に対して向けられている一般的感想だ。

偏見としてあげられる言葉を持ち出すことすら許さないならば、許さない人が偏見を持っている人にやめてくださいと訴えるべきだ。怒りを持っていく場所が違う。

誰が発言するかによって怒りが違うならば、それは貴方の心にある差別が原因だろう。胸に手を当てて心当たりを探ることをおすすめする。


そういうのもあるけどそれだけじゃないよ!


としているが、自己投影的な考え方を否定しているわけではない。むしろ、全体を通して自己投影は誰もが持ち得るものだと書いているように私には読める。

そもそも、「それだけじゃないよ!」は嫌っている人に嫌いなものをそのまま食わせる馬鹿はいないので「夢小説あなたが嫌いだと思っているものよりもずっと多様なものですよ」と話しかける言葉だ。自己投影を貶めることは書いていない。


行間から書いていない言葉を読み取るのはやめたほうがいいと、老婆心ながら言わせていただこう。

そのうち行間から呪詛を感じ取ってこの記事のせいで呪われたなんていい出しそうだ。

ちなみに今わたし貴方呪詛をかけている。嘘だけど。



怒っている理由その2

夢小説から自己投影勢が追い出される、

というものだ。




はっきり言おう。私にはこの感覚がまったく理解できなかった。そして、これを理解したことによって怒っている。

夢小説のはじまりは、自己投影にある、と言っている人がいた。これは当初のことがわからないので、間違っているかあっているか問題にしない。

私がこれに対していうことがあるとすれば「だから何?」だ。

から? 幼稚園児が遊び場の権利を「すべり台わたしが先に使っていたのでわたしのものです」と主張するくらいにどうでもいい。

余談としてゲーム夢小説の部分で触れたが、主人公名前を変えるという考え方自体は珍しくない。それを二次創作に使うことは、誰にでも思いつく可能性があったことだと私は思う。

夢小説流行り始めた当初、このスクリプト自分で書くことのできる人は少なく、多くの人が他人からこれを借りた。

その借りた先の人が「夢小説」あるいは「ドリーム小説」と読んでいたのなら、これは自己投影云々についていた名前ではなく、名前変換というシステム自体につけられた名前であると私は思う。

異論はもちろんあると思うが、自己投影がたしか原初であったとしても「だから何?」と私は返すだろう。


夢小説ルーツでの幼稚なマウント以外に、私は「追い出される」という感覚理解できなかった。なぜなら、10年以上も前から自己投影勢もあったし、オリキャラ勢もあった。共存していたのだ。

古の超大手夢小説検索サイト「ワンドリサァチ」さんのキャッシュからも、当時から細かく別れていた傾向のチェックボックスを見るとわかるのではないかと思う。

ちなみにワンドリサァチさんがページ消失したのはかなり昔のことだ。ワンドリサァチさんの消失夢小説界隈を、まるで神に言語を乱され方方に散ったバベルの塔逸話のように、引き裂いた。


夢小説史はさておき。なぜ突然、オリキャラ勢が押し寄せてきて……なんていいはじめたのか。

しかに数年前から「夢主はオリキャラです」と発言やすくなったことは感じているが、これはオリキャラ夢主で夢小説を書く人たちが、仲間を募り、自身創作を楽しんだ結果であると思う。彼らは自分たちで、自分たちの楽しむ場を作った。これに嫉妬しているとしたら、理解に苦しむところだけれど、同担拒否です!この小説は私じゃないので読めません!なんて言って、他人牽制しまくっている人がいるのなら、仲間が増えないのは当然だろうと思ったのでこの点は言及するのはやめておこうと思う。


私にとっては、自分の好みではない作品が増えたところで、自分の好きなもの絶対数が変化しなければ、どうでもいいことだったのだが、彼女らにとってはそうではなかったらしい。


問題になった「腐女子こそ夢小説を書くべき論」では、腐女子BL主題として扱った夢小説を書くことを勧めている。

このことに対してアレルギーを起こしたように反応している人たちがいた。


腐向け」という言葉が目に入るだけで、不愉快なのだそうだ。

そもそも、オリキャラ夢主と自分の推しが恋愛しているという情報自体が気に入らないのだそうだ。



腐女子が参入することによって、腐向けでもあり夢小説でもあるものや、彼女らにとって不快ものが増えることによって、住処を追われるのだそうだ。



先述の通り、昔からオリキャラ主人公とする夢小説存在していた。

夢小説を愛好する人の中には「腐向け」を嫌う人は多い。しかし、夢小説の中には「腐向け」の夢小説BLDと呼ばれるものもある。BL夢小説彼女らが何を思うことにも関係なく、すでに存在する。


はっきりいいたい。「何様のつもりだ」


インターネット上は公共の場所だ。不愉快ものを見ることもあるだろう。しかしながら、貴方にとって不愉快ものは、誰かにとっての大切なものだ。それを見て貴方が気分を悪くするだけならいい。

気分が悪くなるから、遠慮しろ、肩身を狭くしていろ、というのは傲慢がすぎるのではないか


腐女子も好きなジャンルで、自分が好きなカップリングとは受け攻めが逆のカップリングが増えてしまうこともあるだろう。逆CPは見るだけでイヤだという人も多いだろう。しかし、だからといって自分の気に入らないCPをの悪口を言ったり、そのCPが増えてほしいという人に、私の地雷から布教活動をしないで下さい、と訴えることを考えて欲しい。


私なら人混みで鳩尾に肘を入れるし、靴を踏む。(暴力はよろしくないと思うがそれくらい腹立たしい)


貴方自身の当然の権利と思って言っているそれは、これと同じことだ。恥を知るがいい。




マナーやら何やらで加工して訴えようと、本質は変化しない。貴方自分不愉快からと、他人活動制限しようとしているのだ。いかなる理由をつけようと「布教活動するな」と訴える行為正当化されないことを覚えておくべきだ。




腐女子の人が「自分の好きなものではないので書かない」ということとは、わけが違う。

自分の好きでないものに増えてほしくない、という権利貴方にはない。



そして、自分の好きなものが数で負けるなら、その分は貴方がかけばいい。貴方布教して増やせばいい。貴方夢小説を読んで楽しいと思った人が、同じような小説を書くように努力すればいい。

他人の足を引っ張るだけの行為生産性がない。



あと、検索で引っかかって云々とか言うな軟弱者。心を鍛えろ。

自分の行動の責任自分で背負え。

蝗に怯えて耕作を怠るな。実りのない田畑では人も増えない。


心優しい私は、対処法をあなたに教えてあげようと思う。心して聞くがいい。

Web ブラウザ上の文字列検索して非表示にするNGワード導入しろ。それくらい自分で調べろ。


最後に、そんな発言をしている人が存在するのか疑問に思う人もいるだろう。それでもツイート引用することは控えたことの意思は汲んでいただけたらと思う。

この長ったらしい文章攻撃目的ではない。軽はずみな発言をした人に自分発言を省みてもらうことが私の望みだ。