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2016-09-25

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

君の名は。』で、新海誠監督はそれまでの作品性を捨てたの?

君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、

この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所個人的ちょっと気になることを目にしてる。

しかもそこそこな頻度で。





海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。





いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。

作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。



君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、

大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛喪失だとかは、

何にも変わってないよね。

ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、

ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。



なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、

あいものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、

ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。



でも新海監督を昔から追ってる一個人妄想としてはさ、

海監督は「わかる人だけが自分作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、

「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場自己顕示欲や願望のほうが、

からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。

大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、

『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監自身も言ってたし。

過去だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。



ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的志向して制作していたわけでなくてさ、

たぶん、単に個人制作・小規模制作視野が狭かったり、監督個人スキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、

結果的にああいものばっかになってたんじゃないかな?

(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)

決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。

君の名は。』はわかりやすエンタメ目標にしたわけだけど、

そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ作品志向してたわけじゃないんだから

描きたいこだわりを省いた、作品性作家性を捨てた、と言うより、

周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。

川村元気Pから新海誠ベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。



ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、

個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。

優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、

逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しかワンパターン思春期男女の話を作ったとしても、

その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。

ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、

それはブランドになるし、ある意味もう勝ちなんだよね。

思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、

次回作が仮にワンパターンものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫



それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、

とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから

2016-09-24

電通不正請求広告業界全体の問題

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/092300445/

ついに起こってしまたかという感じ。

この件については電通に同情する余地はなく、徹底的に膿を洗い出して欲しいと思う。

ただし「広告代理店不正を働くものからもっとノルマ監視を厳しくしてコストを下げてやれ」という方向に流れがいくことが個人的には一番怖い。この件は電通組織的問題だけではなく、広告業界全体の問題、ひいては企業広報担当者メディア関係者含む、広告に携わる全ての組織人間関係する問題だと思うから

知らない人多いと思うけど、電通日本デジタル広告を扱う代理店の中では最も先進的な取り組みをやっていて規模も大きく、ここ最近M&A含めかなり強引にデジタル化を進めて、テレビ一辺倒の収益体制からの脱却を図ろうとしていた。

誓っていうけどおれは別に電通の回し者でもなんでもないし、つい先日まで広告代理店デジタル広告をやっていた。もう辞めたけど。後で書くけどデジタル広告業界漆黒なほどブラック業界だ。これを業界全体が改善するきっかけになったらいいと思ってるけど、さらに悪い方向に進む可能性もあると危機感を持っている。こうやってる今も死にそうな顔で仕事をしてるかつての同僚がいるに違いないし。


まず今回の問題を乱暴に一言で言ってしまうと「日本広告業界デジタル広告の未成熟さ」に尽きると思う。

何が未成熟かというと色々あるが、中本副社長も言っている通り「組織管理体制」「恒常的な人不足」がまず大きい。元も子もない話だけど、「発注する側も受注する側も、デジタル広告についてあまり分かってない」ので。

広告代理店は「代理店」なので、発注者が面倒臭い、できればやりたくないことを代理でやることでお金を頂戴している。広告戦略策定・具体プラン提案運用レポート反省点と次に生かすべきポイントを報告、などなど。会社にもよるし人にもよるからこれが全部じゃないけど、基本的企業広報担当代理店から提案を受けて、確認をし、問題があれば改善指示を出し、よければ社内決裁を通すだけの場合が多い。この社内決裁がまた面倒だし、最近は定時もうるさいので発注者側はデジタル広告について勉強しない。そもそもあまり興味がある人もいないかもしれない。それでもデジタル広告国産/海外産含め新しいテクノロジー広告メニュー毎日のように発表されるし、それを活用した新たな事例や手法がどんどん登場する。代理店担当者はこれらを常にチェックして、発注者のためになるプランメニューを作り、適切に受けた発注運用を行なっていかなくていけない。

ただしこれができる代理店人間は、もう本当にほんとーーに少ない。代理店人間の大部分は、細かい数字ばっか追っていくような仕事をそもそもやりたがらない。でもニーズはめちゃくちゃある。だから発注を受けたら子会社グループ会社人間に丸投げすることになる。

そして子会社グループ会社人間は、残念ながら優秀な人間は少なく、大きな戦略を作ったりすることはおろか、与えられた目の前のタスクボロボロこぼしていく有様だったりする。そりゃそうだ、給料低いんだもん。経験の少ない若者か、経験はあっても能力の低い人しか雇えない。

代理店はその中でも比較的マシな人間代理店に出向させて名刺をもたせて権限を与えてデジタル広告担当として業務押し付ける。そこで成長してバリバリこなす人もいるけど、たいていは津波のように押し寄せる業務呆然となってしまう。日付の確認ミス金額の記入間違い・指示を勘違いして間違った発注をする、間違ったバナーを掲出する等々、細かいミスケアレスが多発していく。呆然となりながら業務をしているとミスをしたことすら気づかず、次々とやってくる業務をちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。受注を取ってくる営業がそんな細かい運用の話をわかるはずもなく、売り上げのことだけを考えて、ミスが含まれレポート請求書を、分からないまま得意先に報告することになってしまう。

デジタル広告運用結果は数字に表れるから、得意先は代理店から報告された数字を見ながら、提案されたプランの中で、予算に合っているメニューを選んでいくんだけど、その数字には「どれだけの人間が稼働して作ったものか」が一切現れない。デジタル広告担当毎日朝帰り休日出勤当たり前が恒常化している。体を壊して休職する者も多い。

広告代理店発注者の「これやりたい!」を何とかして叶えてやることで食っている商売から、それは組織としてやりたいを叶える体制を作らないといけないんだけど、管理職オヤジどもはデジタル広告現場で何が行われているかからず、かつて自分達がテレビコマーシャルの受注を取ってきたようにイケイドンドンで売り上げを伸ばそうとして無茶なノルマ現場に課すことになる。

現在広報部長宣伝部長を務める人も同様で、何となくデジタル重要だということは知ってるけど、具体的にどういうことなのか全く分かっておらず、面倒臭いことは嫌だからかい数字の話は避けて、「とにかく最先端でかっこいいことをやって目立って話題にしてほしい」と言う。そもそも得意先の言う「やりたい!」がどう考えても達成出来ない無茶苦茶要求である場合も多いのだ。

これは広告業界蔓延する悪癖のようなもので、特に電通は「いまの広告最先端はこれですよ!?え、あなた会社はまだですか?遅れてる!」といって発注主も代理店も煽って焚きつけて商売にしようとしてる。電通報とかその権化のようなサイトだ。

http://dentsu-ho.com/

そもそもデジタル広告をまともにできる人間全然育ってないのに、業界全体で「デジタルデジタルだ」と掛け声だけは威勢が良く、組織的サポートほとんどなく小会社グループ会社下請けに丸ぶりし、一部の責任感の強い担当者が過労で疲弊する中でミスが起こり、ミスに気づかず間違いのまま発注主に報告や請求が行く。

今回の電通のケースもそんなものだろうと思う。


広告デジタル化は避けては通れず、今後も需要は高まっていくのは間違いなく、今は完全に個人が人力で回しているのをいかにして組織的に回していけるようにするかが課題だ。

一番の問題発注者側も、代理店側も、「デジタルはやらないといけないのは分かってるけど、面倒臭いことはやりたくない」というマインドであることだ。

電通不正を追及するのは最もだけど、本質はそこではなく、業界に携わる人間全員が腹をくくってデジタル広告を正面から取り組むこと、そしてそのための組織的サポート体制を作ることだと思う。

2016-09-23

いあすたみな太郎!!!

舌の裏に口内炎ができてしまった

多分ストレスと歯磨きせずに寝てしまったせいだ

来週久しぶりにすたみな太郎行くからそれまでには治して万全の態勢でのぞみたい

楽しみすぎる

いいおっさんだけど

いろんなものをちょこっとずつ食べられるってのがすごく贅沢で素敵な場所だと思うんだ

とにかくプリン食べまくりたいってが今一番考えてることかな

焼肉は数枚食べたらいいか

唐揚げ系のお子様メニュー絶対押さえたい

カレー一口だけ食べるのだ♪

わたがしもあるかな、あるといいな

ラーメンあるかな、あるといいな

寿司も一通り全部食べたいな

楽しみたのしみたのしみすぎる!ふんぐるい!

焼肉食べ放題とかもうそんな焼肉だけたくさん食べたいとは思えないし

ただしすたみな太郎NEXTてめーはだめだ

都心部地価いからって品数すっげー少ないくせに値段はいっちょ前に高いとかすたみな太郎本質を履き違えてる

あああとにかく楽しみすぎる

すたみな太郎すたみな太郎

もし恋人ができて結婚して子どもができたら絶対すたみな太郎につれていくんだ

叶わぬ夢だけど

叶わぬ夢だけど

でも今は来週のすたみな太郎が楽しみでしょうがないんだ

それだけでいいんだ

それだけでいいんだったら

http://anond.hatelabo.jp/20160923102224

記事は糞記事なので本文読んでいないが、おいしければどっちでもええんとちゃうの?何故かけた手間に拘る?

「手間暇かけた方が偉い」これ日本人の悪い考え方のクセやで。これのせいで仕事の人事評価とかも不適切で、社会がうまく回ってない。

「失敗の本質」という本でも日本軍は結果よりもプロセス評価たか戦争に負けたとあるぞ。結果を見るべき。これができない間は洗脳されてると思うべき。

2016-09-22

じゃあ部活に何の意味が?

しろ別にプロ目指すわけでもないたか趣味の集いに、しかも「その趣味プロ」ではなく日給1万で雇っている「教育プロ」を実質ボランティア休日つぶして参加させ、買ったの負けたの学校名誉だの教育とは程遠い問題で振り回す「部活動」というものに何の意味が? と聞きたい。せめてそこに「教育的意義」くらい見出したいと思うだろう、教育プロなら。



教育観点から部活の意義を考えるときよくあるのは、大会コンテストでの勝利入賞を目指して勝ち取り達成感を味わわせることで努力や協力の尊さ大切さを実感させるというものがある。だがこれは、一面で勝つことや承認されることだけが目的化し、とにかく勝てばいいとか勝てなければ努力無意味だとかいった「勝利至上主義」を植え付けるとして近年批判対象となっているところである。また、大会のためにしか努力しない「コンテスト主義」が、日本学生純粋スポーツの喜びやジャンルのものの楽しさを味わうことをむしろ阻害しているという批判である



そもそも、地域文化活動社会体育が日本において十分でなく学校部活動がその代わりを担ってきたのは、単純に日本が貧しかった時代の名残だ。現状でこれを維持する意味ほとんどない。そのうえ、いたずらに生徒と教員疲弊学業にまで差し支えがでるのなら、部活動自体は今や「基本的には無意味活動」であり、その意義はせいぜい「みんなで一緒に努力する楽しさ」を味わわせることくらいにしかないと言って差し支えないのではあるまいか。たとえば学校における「校外学習」がいまや「学習」の意味を失い、行き場所にはほとんど意味のない単なるレクリエーション活動となっているように。



そう考えると「折り鶴」というこれ以上ないくらい明白に無意味な、しか特別の訓練も才能もいらず、「絶対やりたくない」といえる程の明白な反対理由を見出すのも難しい活動強制的やらせるその教員は、現在部活動本質を的確に見抜き、かつ勝利至上主義大会主義の弊に陥ることなく、費用もそれほどかけずけがなどの危険もなく、しかも指先を使ううことで脳を活性化させ学生本業たる勉強にまで役立たせている…しかも、大会で勝ったか負けたかに関わらず、全員で折った千羽鶴は確実に形となって残るため、これを見るたびに部員たちは、全員で協力して努力して何かを達成したことを思い出せるのだ! 大会至上主義に陥っている現今の部活動の在り方への批判意識も含め、「千羽鶴折り」活動はここでは「最適解」の一つとも言える。



この顧問、決してバカでないどころか、極めて優秀な教員であるかもしれない。部外者には測り知れないところだが、実際、常にそこは紙一重なのである(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20160921231051

2016-09-20

美人性格が悪いのか

美人性格が悪いとよく聞くが、最近ではブスの方が性格が悪いということもよく聞く。

なぜなら、ブスは顔面コンプレックスから性格がひねくれ、美人は周りからもてはやされるためひねくれることがないから、らしい。

これはあくまでも傾向なので、性格の良し悪しは人それぞれだろう。

そしてこれはあくまでも私の経験だけからだが、美人にも2つのタイプがいて、元からのかなりな美人と、元はそこそこの美人だが美のために努力している美人では、圧倒的に後者の方が性格悪い。

私の推測だと、後者は美を追求するあまりに見た目ばかりが気になって相手を見た目で判断したり、自分より美しいもの嫉妬したりするからだろう。

ここで私が一番伝えたいことは、性格の良し悪しなど本当は存在しないのではないか、ということだ。自分が好きか嫌いかで良し悪しを勝手に決めているだけで、その人の本質など誰にもわからない。

上にあげた意見も単なる私の好みだ。

美人性格が悪いなどという噂もブスの願望だろう。

私が父親に似ていればもっと可愛かったはずなのに、なぜ種の存続に不利な顔面が選ばれたのでしょうか?

障害者差別するなということの本質

わかっていない人が多いか障害者目線から書く。

障害者差別するなということは、手足足りないならそれだけ努力しろ!ということを突きつけることに他ならない。

健常者だったら頭が足りなけりゃ使えねぇやつだって罵られて搾取されるのが世の中。

それと平等に扱えというのだから、足りなきゃ努力と苦労で補えというのが当たり前なのだ



それを勘違いしているから健常者と同じ生活をさせてやることが差別なき世界だと誤解してしまう。

それは完全なる擁護社会だ。

健常者が住みよい作りをしていることが世の中の効率としてベストなのにも関わらず、余計なコストや面積を使ってバリアフリー化することは擁護以外の何物でもない。

NHK24時間テレビ感動ポルノ批判する番組をぶつけて話題になっていたが、あれすらも言わせてもらえば完全なる擁護社会だ。

健常者だってちょっと病気になっただけであっという間に感動ポルノの餌食になる。

作者が死んだ後、残された子どもたちが感動ポルノの主演を生涯かけて背負わされ続けることだって決して稀な話ではない。

それだけではない。

震災の生き残り、重大事故の生き残り、テロ被害者の肉親、凶悪事件被害者

どれをとっても世の中にとって格好の感動ポルノ主演候補なのだ



これは全ての差別において共通する。

全てに同じ生活保障しろというのは、差別主義の究極の形であり、被差別を受け入れた結果にしか成し得ないということだ。

なぜなら、自らの被差別を認めない限り、その恩恵あやかることはできないからだ。

今一度自らが差別主義かそうでないかを考えてみて欲しい。

差別主義ではないと思うのなら、人は生きる残る競争の前においてのみ平等であり公平だということを肝に銘じるべきだ。

自らの力で手に入れたもの以外は、真の意味での自由とは呼べないのだ。

キャバクラ差別だ!とか言ってる連中こそがキャバクラ差別してるんだよな

見下してる!とか言ってるけど的外れもいいところ

女性の美や性的要素を利用して金を稼ぐ業態なのは事実でありそれを指してキャバクラと表してるだけなのに

見下して使ってやがる!というのはよほど本質を読めない内から口が動いてしま脊髄反射脳なのか見下してる差別意識内面化されていて他人に対してもシビアになってる差別クズかのどちらかなのよな

http://anond.hatelabo.jp/20160920052921

ほんこれ

2016-09-18

広告から若者向けのコンテンツが消えてる

もちろんマッチング関係もあるだろうけど、アプリスマホ版のKOFCMとか、なんだかそういう古い世代に合わせたものが増えてきている感じがする。

もしこの憶測が正しいなら商売はより人口が多い方へと傾くわけで、老人はTV中年ネットの回顧コンテンツという手法確立されつつあるのだろう。

自分年寄りから若者文化を見て何だこれ安っぽいな、なんて思うのは当然で、しかしかと言って若者向けの商売が衰退するのは違うのではないか

若者文化扇情的J-POPだけになってしまったらなんだかあまりにも寂しい。僕のような老害は時折若者文化意味不明さを面白いと感じるからだ。

意味不明人達意味不明なところでバズって騒いでいるのは大衆文化本質で、それはそれでいつだって愚かしい。

しか老害ケチけがデフォルトなのと若者文化に金が使えないことは全然無関係だ。可能性の芽さえ潰してしまう。

民進党党首選 蓮舫議員二重国籍騒動を振りかえって

 二重国籍問題自体は、まだ決着がついたわけではないが、現時点で振りかえって、ネット既存メディアとの対立について感じたこと。


 いわゆるリベラルメディアは、当初、二重国籍に関する指摘があった際、これを無視する。そのあと問題が大きくなると、党首要件として「二重国籍は、大した障害にはならない」という主旨の記事を出してきた。とくに典型的ものは以下の記事

蓮舫氏の台湾籍放棄 何が問題なの? 論点を整理 2016年9月8日04時57分

http://www.asahi.com/articles/ASJ975FTQJ97UTFK00D.html

二重国籍は、大した障害にはならない」のであれば、指摘があった時点で民進党がわに事実公表するよう促すべきだった。そして、蓮舫議員二重国籍事実公表されたのち、自社の見解として、それは大した障害にはならない、と述べればいい。なのにそうしなかった。



民進代表選蓮舫陣営に入っている一人は「日本で育ち、日本語をしゃべり、日本人として生きてきた。人を差別するような見方をしないでほしい」と話す。

将来的に外交に携わる可能性のある人物の選挙なのに、プライバシー問題にすりかえることや議員自身経歴詐称への批判はすでに出つくしているし、ここでは触れない。ここで注意したいことは、この時点では「二重国籍であることはまだ公表されていはなかったこと。「二重国籍ではないか?」との詮索自体差別で、やっていはいけないこととされていることだ。



そして、以下の文章ものがたっていること

「仮に、蓮舫氏の台湾籍が残っていた場合は、問題になるのだろうか」

いままで、伝えなかった事実について、それについて伝えたところで問題になるようなことか、と言っている。

この記事から感じること。

いままで事実を知らせようともせず、伝えたところで問題になるのかと言い、他人の口を借りて、そのようなことを詮索するのは差別だ、と述べている。朝日新聞記者は、こういっているのだ。「きみらに二重国籍かどうか、判断材料は与えない。二重国籍だとしたら、差別主義的な判断をする恐れがあるからだ」と。われわれの正しい判断に従いさえすればよい、と。



二重国籍」に対しては、外国でも見解は一致していないところが多いし、そのことを批判するのが、この文書目的ではない。問題は、事実公表により、聞いたもの自発的判断し、開かれた議論が起こり、多様な意見が生まれることくらいは誰でわかるし、事実そうなったのに、この記事がそれに水をさす内容であったことだ。

「(二重国籍による)多様性を認めないのか」ということばで意見多様性を抑圧し、「差別するな」といいながら、ネット発言する人間判断力自分たちより劣ったものとみなしている、そう思われても仕方がない。

ネット既存メディアとの対立本質はなんだろう?

普通選挙一部の人のみに許された政治的判断をし投票する権利が全国民にいきわたったように、ネットメディアの登場により、事実を探しだし、それによって政治的判断を行ない、表明することが一部の限られたメディア以外でもできるようになった。



 そして今、ネット既存メディアとの対立本質。それはネトウヨ右翼)とリベラル(左翼)といったイデオロギー問題ではない。それ以前に、人々の自由についての問題だ。人々がマスコミ政党による限定された情報によって意見誘導されることなく、自発的情報収集し、政治的判断し、表明する自由だ。


 たしかネット上での現状では、ネトウヨ代表される危なっかしい議論も多い。さすがによく読まれている署名付き文書はまともなものも多いだろうが、この増田のような文書も含めると、九割近くはゴミクズだろう。いたずらに人を傷つける書きこみも多い。だからと言って鳥越俊太郎のように、これを否定していいのか?といったことだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160917091613

もうほんとこういう釣りエントリとか釣り方飽きたよ。

一見本質に切り込むとか深く考察する的な話させて頭よくなった気にさせたいんだろうけどさ。

せめて経済の話をさせたいのか法学なのか宗教なのかくらい書いたら?

増田に対する軽蔑感がどんどん強くなるよ。まとめサイト煽りタイトルとかタブロイドと何が違うの?

2016-09-15

ゲームとは異世界体験型ツールであって面白さの本質は「没入感」にありリアルさや映像の質ではない

例えばジャンケンというゲームは、

当然ながらグーやパーやチョキを出したところで現実相手が死んだり傷ついたり拘束力強制力が発生することはない。

しかし、ジャンケンというルールの元では明確に勝敗が分かれる。

ジャンケン法則」があり、「ジャンケン法則に乗っ取った異世界」がジャンケンの場に発生している。

そしてジャンケンをしている間だけ、プレイヤージャンケン法則通用する世界の住人になっているからこそ、勝敗が発生するのだ。

この間、プレイヤーは異世界にいることになる。

もしプレイヤーが異世界にいないことになれば、ジャンケン勝敗に何の意味も見出さないし、それによってどちらがトイレ掃除をするのか、という約束事も反故してしまえるだろう。

両者が異世界の取り決めを現実という現実世界に持ち越すことができるのがジャンケンという異世界法則を信じているからだし没入したかである

 

ゲームもっと必要なのはこの「没入感」である

過去ゲームは没入感を引き上げるために映像や音声、入力方法を向上させてきた。

うんたらかんたら・・・続く(続かない

2016-09-14

インポ手帳に「元気な子供が生まれる」と書いたら嫁が妊娠した話

#うるせーから推敲したったよ('ω')。少しは読みやすくなっただろ?


人のせいにすんなよ!!

自己啓発を嫌うのはお前の自由だよ。でもな。お前が全く変われないのは自己啓発本責任じゃなくてお前の責任なんだよ。人のせいにするなよ。自分人生責任を持てよ。このレベルの話はお前が嫌いな『7つの習慣』にも書いてあるぞ。

今日は、特別ものすごく重要な話をするからさ、耳をかっぽじって聞くようにな。ほら、そこに正座しな。現在まだ20名、ホールの定員は残り480名だよ。 スッカスカやんけ!これが無料で読めるインターネットってのは凄いよ。つくづく便利な世の中になったもんだだと思うよ。じぇい近藤さん感謝しな。

心の準備はいいかい?

じゃあ、いくぞ!

俺がこれから話すのは「目標は紙に書くと実現する」などといった、ありふれた話ではない

今日はありふれた解説はしない。

オレがこれから伝えるのは「なぜ紙に書くと実現するのか?」といった論理的根拠だ。

あ、ちょっとまて、ウサン臭いと思っただろ?ソッ閉じする前に最後まで話を聞いてくれよ。な?

紙に書いたら何がどう変化して、願望が実現したのかについて、そのプロセス論理的説明していくよ。

一般的にこの手の話、つまり思考現実化する」だとか「引き寄せの法則」を説明する際には、抽象的でオカルトチック表現が多様されがちなもんだから、途端に宗教くさくなって説得力が失われてしまう。

例えば「潜在意識」って言葉とか。なんだよセンザイって。臭う。胡散臭くない?ところでセンザイとクサイで思い出したけどさ、最近どんなシャンプー洗っても臭いんだ。汗臭さ・ミドル臭や加齢臭を超越した、第四の体臭がするんだ。ひょっとして異次元生命体なのかな?

ああ……話が思い切り逸れたな。すまねえ。で、その胡散臭さのせいで、せっかくの貴重なノウハウが世に広まらないのは、さすがに悲しいよね。

逆に、オレがオカルトチック表現は一切使用せずにロジカル説明することで、もしお前らが本質理解することができれば、実施に紙に書いてみようという気が起こるだろう?だからさ、3分間だけでいいから話を聞いてくれよ。

人は「自分が考えているよりもアホである」という事実理解しているか

まあ、冒頭で偉そうに説教たれた俺だけど、自分最初半信半疑だったんだよね。願望を紙に書くって、なんの宗教だよ、書いて実現するなら俺だってハーバード卒で世界動かしてるわって。

でもね、俺は書いた。欲しかたからな。お前らは漠然とした願望をモヤモヤ抱いてるだけで絶対紙になんて書かないだろ?ここが人生の分かれ道。

で、手帳ノートに書いた文章を、毎日眺める。できれば声に出して読む。俺は全くズボラからたまにしか見なかった。どーせお前らもズボラだろうから、数日に一回からでも始めてみようや。

んで、読み返すたびにどうなるかというと、「あ、俺は子供が欲しかったんだ」って、記憶が蘇るんだよ。

ここが最大のポイント。 もう一度書くぞ。

「あ、俺は子供が欲しかったんだ」って思うんだよ。

これさ、冷静に読んでみるとかなり頭の悪い話だと思わない?だって自分の願望だよ?自分が一番よく知ってるはずだよね?

にも関わらず、自分の書いた文章を見てやっとこさ、自身の願望を思い出すんだよ。

人間ってそれほどまでに頭が悪いんだよ。お前が考えているほど、人の能力は高くない。残念ながらね……。

みんな毎日学校会社で忙しいだろ?勉強仕事忙殺されて、本来自分が何を望んでたかすら忘れちゃうんだよ。仮にそれが、例え心の底から望んでいたことだとしてもね。

から、書いた願望を読み返す必要が出てくる。見るたびに、自分が書いた願望が思い起こされるわけだ。「あ、俺は子供が欲しかったんだ」ってな。

そのたびに、子供イメージが頭に浮かんで、「子供作るにはどうすればいい?」って頭の中で勝手に自問自答が始まる。

読み返すたびに、願望が膨れ上がる

ここで一つ重要なのが、見返せば見返すほど願望自体は強くなっていく、ということ。そして、願望が強くなることで放っておいても行動力が強化されていく。

俺の場合インポだったから、読み返すたびにインポ解決する策が、いろいろと自動的に頭に浮かぶようになった。

でも、読み返してもやっぱり1時間程度でそんな目標・願望なんて忘れられるんだよ。

面倒くさいし。さっきも言っただろ、人間はアホなんだよ。

から、書かれたものをまた見返す。そのたびに頭にいろいろ思い出される。

そのうち、手帳を見ていない日常生活の中でも「子供作るにはどうすればいい?」って頭の中で勝手に自問自答が始まる。

俺の場合不妊解決策として「バイアグラを買う」「医者に行って精液検査して精子運動率を診てもらう」 などといった策が、いろいろと思い浮かんだ。

願望を手帳に書くまでの俺は「医者に行くのは面倒だし恥ずかしいなぁ。そのうち行こう」で終わってた。

でも紙に書いてからは、読み返すたびに、いやがおうでも頭の中で「子供欲しいから恥をしのんバイアグラ買う」「自慰して精子を紙コップに出して美人看護師に提出する」という解決方法強制的に思い起こされる。

それが何度も何度も繰り返されるうちに、ズボラでぐうたらでダメ人間である俺の行動力に、火が付いたんだ。一気に点火したよ。

「そのうちやる」で、惰性で生きてきたズボラ人間が、急に欲望に忠実になり、いつの間にか覚悟を決め、血まなこになって不妊治療クリニックのHP検索してた。

あれだけ抵抗のあったバイアグラについても、気づいたら購入していた自分がいたんだ。

行動できないのは、欲望目的を忘れてるから

話はここまで。単純だろ?

どれもズボラな俺には負担で、手帳に書くまではずっと先延ばしにしていた事案だったんだ。そりゃそうだ、誰だって精液の提出なんて恥ずかしいからやりたがらないだろ?

そんな俺でも、手帳に書くことで願望に火が付き、その願望が自身の行動を後押ししてくれるようになった。

行動するのに根性は要らない。書いたものを何度も見て、思い出すだけでいいんだよ。

書かない限りは、自分の願望や目標ですら思い出すことがないからね。くどいけど、それだけ人間は忘れやすいようにできている。

ま、昔の偉いヒトも言ってたけど人間は昨日起きたことを忘れるからこそ、今日を生きていけるんだけどな。

人間幸せに生きるには、適度にアホなのがいいんだよな。

最後に一つ。

ここに書いた話も、あんた2時間したら忘れてるよ。だから必ず、ブックマークするなりメモするなりしてくれよ。俺たちってアホなんだから

じゃあの。お前の人生に幸あれ!!

無職で暇な俺が2chネトウヨ罵倒しまくってたときに知ったこと

ネトウヨ罵倒されるたびに(悪い意味で)語彙が増える。

 

ネトウヨは本当に驚くほどの無知が多いので、義務教育レベルの間違いをちょくちょく犯し馬鹿にされた。

すると彼らは他人を「無知」と罵ることを覚えた。

 

知識を増やして理論武装したわけではない。ただ自分の方がものを知ってるインテリであると無根拠に主張するようになっただけだ。

 

こうして自分無謬性を強弁したいあまり、どんどん(無知なだけでなく)矛盾だらけの主張をするようになると、こんどは根本的な知能を疑われた。

彼らは他人を知恵おくれ扱いすることを覚えた。

 

まり恥知らずで強情なために精神を疑われると、他人精神障害者扱いすることを覚えた。

 

アスペ造語症、虚言癖、サイコパス

彼らの『症状』を真面目に考察しようと新たな観点が持ち出されるたびに、彼らはそのような「レッテル」の貼り方だけを覚えた。言葉の本当の定義は何も学ばなかった。

 

ネトウヨ本質とは、ただ「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー」を言い返さずにいられない小学生という、ただそれだけのものだったのかも知れない。

しかし結果として、彼らは悪い意味言葉を覚えてしまった。彼らは自分絶対に学ばないために、他人否定するためのありとあらゆるレッテルの貼り方だけを学び続けた。

こうして、世にも恐ろしい『日本自分)は絶対に正しいマン』こと、ネトウヨという脅威の怪物が出来上がってしまったのだった。

 

ごめん、ネトウヨと言うモンスターを生んでしまったのは、無駄に語彙力があって暇を持て余してた俺かも知れん。

2016-09-10

はてこをポリコレだと思ってる人が未だにいることに驚き

http://anond.hatelabo.jp/20160910022919

http://anond.hatelabo.jp/20160910021038

反差別を盾にしただけの鬱憤晴らししてるおばさんだよ。

基本的には男嫌いで叩く口実にちょうど良いからそういう風を装ってるだけ。

その証拠に、彼女理屈だと「強者はムカついたらいくらでも殴っていい。何故なら強者から」ってことになってるから


https://twitter.com/kutabirehateko/status/774145759830679552

男を叩いてる!ミサンドリーだ!っていう人は、本文に何人男性意見が出てるか見えないんですかね。

その本文は彼女作成してるんだし、ムカついた男性意見を集めて編集するからそうなるのは当然なのだが、

これだから男は」「こういうことを言ってくるのは何故か全員男性」「男性ばかりなのは偶然じゃないと思う」と言う。

しかも、集めてるのもネット上の意見から本当に発言主か男性かどうか分からないんだよね。

今回のアイヌエントリにまでわざわざ男dis露骨に含ませてくる。お前のストレス解消のためにアイヌを利用するなと言いたい。

はてこさー、アイヌのことほんとはなんとも思ってないでしょ。自論の補強にちょうどいいから乗っかっただけなんでしょ?


はてこがこういうことばかりするから、今回のブコメばかりはわざわざ女性を表明している方が多い。お疲れ様です…。

って違うよなあ。これ、アイヌ問題の話だったはずだよなあ…。



別に男と喧嘩して「あいつはクソ」って言うのはいいけど「男はクソ」って属性攻撃にすり替わるのは、それって反差別的に一番やっちゃいけない、気をつけなきゃいけないことでしょう。

それがまさに今回のアイヌ殺す事件だったんじゃないんですかねって思うんだけど、そもそも主張の一貫性とかどうでもいいからこれでいいのか。



https://twitter.com/kutabirehateko/status/774183005271097345

男でも女でも何人でどんな障害があっても不愉快な人に親切にする理由はない。ネットはもちろん、場合によっては文字通りぶん殴るわ。

……これについては擁護余地はない。ていうか、擁護できる人いるの?



最近のはてこのツイート男嫌いが異常なレベルにまで達してて、"私に何か言ってくる&男"の条件に合致したらもう最初から口汚さ全開の喧嘩腰で憎悪を放ちまくり

そもそもTLでずーーーーーっと誰かと殴り合ってるから1020個追ったら気分が悪くなってくる。

恐ろしいことに、本人がどこからか拾ってRTしてくる選りすぐりのツイートを見るだけでもミサンドリー剥き出しなんだけど、不思議と本人はそれを認めないんだよね。別に認めてもよくない?

https://twitter.com/kutabirehateko/status/774135273441533953

わたしは男が憎いってことないわ。男社会名誉男性うんざりなんだわ。

ミサンドリー枠だと、楯突く女性を"名誉男性"認定してまとめてぶん殴れなくなるから?もうわけが分からん

正道を行く純粋フェミニストの方、お願いです。彼女ミサンドリーなのかそうでないのか、ツイートざっと見て一度診断してください。





でも、なんかこれでもまだはてこ信者みたいなのがいるのが不思議なんだよな。

いい加減ポリコレ界隈もこんな狂戦士は切り離したほうがいいと思うんだけど。

今回のアイヌの件だって、明らかにゲーマー側に非があったわけじゃん?それは無知が原因だってこともみんな分かってた。

ここまで分かってたら本来なら結末は全然違ったはずだよね。なのに、なにこれ?



最初似非アイヌおじさんはヤバい人だけど、その後に出てきた本物のアイヌの人は明らかにちゃんとした、本質的対話ができるいい人だった。

だけど今回の件でアイヌ和人対立ができてしまって、アイヌの方が貴重な意見を連ねたツイートにまでイチャモンがつく。最悪だ。

http://togetter.com/li/1022374

本当に申し訳ない。なんでこうなっちゃうかなあ。



結局はてこがしつこく晒したり当てこすりしたりするせいで「言葉を選びましょうね」なんて当たり前の指摘がたくさん出てきちまった。

指摘は最もだと思うが、こんなん今更話すようなことじゃないんだよ。当たり前にできた上で、話すべきはどうやったら差別をなくせるかってことじゃん?

差別問題集団リンチの是非に入れ替わって、問題本質がボヤけちまった。結局何も進まなかった。最悪だよ。



しかもはてこはそれに

https://twitter.com/kutabirehateko/status/774180219099893760

お前の言い方が悪い教の人らが他人には文脈を読め読めいって、自分らは都合のいいとこだけひろって騒ぐの教理かなんかなの?

未だにこうやって脊髄で返してくるわけでしょ。本当に地獄



ポリコレ側の誰かが「無能な味方問題」って言ってたけど、今回ばかりは本当にそれだと思う。

アイヌ殺す問題本質

アレはヘイトスピーチであるかどうかが問題なのではなく、それに付随したツイートの「鷹飛ばすぞ」という人の心の琴線に触れる絶妙フレーズによって当該ツイート拡散された結果、くたびれはてこのような人権寄生虫の目にもとまってしまったという所が本質

まり面白すぎて拡散されるような絶妙フレーズは控えましょうというのがこの問題の唯一の結論

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160908185445

id:Capricornus です。

ブコメ言葉選びがダメだったなと思ったのでこちらで補足します。

いいじゃん、差別無自覚ボンボン差別意識がないことの何が悪いのかわからない。それこそ反差別の究極的な目的なんじゃないの?俺たちが差別されたことを知らないとは許さん!って言う主張は一体何が目的なの。

このコメント中"差別無自覚"と言うのは良くなかったですね。

増田文脈から言葉を拾いましたが、誤解の元となる言葉遣いとなっていました。すみませんでした。

言いたかったのは、無自覚差別ではなく、アイヌと言う民族に対して差別意識が無いと言うことです。



ブクマ元の増田はこう言っています

この場合ボンボン」とは、ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育ったことを指している。

私もこれは同意するところです。

何故なら私もこの島国の中でアイヌから大和からという民族的意識を持ちません。

自分が何に属しているかも知りません。

普段から興味が湧くこともなく、知っても自分や誰かを上だ下だとその属性だけで特別視するようなアイデンティティにはなり得ないでしょう。

日本人日本人、以外の大した定義を持たず、必要とせず生きてきました。

そして、ボンボン呼ばわりされた増田共感しました。

からアイヌを見下すと言う意識もないんですよ。理由も無いし、元のtweet主と同じく、ナコルルくらいしか接点がありません。

なので、私も"アイヌ死ね"の言葉の組み合わせに落ち度はあると思うけど、それが差別からきた言葉かと言うと、それは文脈的に違うと思うんです。

なので、"差別意識がない"と言いました。

特段民族として見下す理由がない状態、それは反差別の目指すところではないかと言ったのです。



逆に、この増田が"ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育った"人間を"ボンボン"と意識して見下したように言ってしまっているのは、それこそ差別的ではと少し残念に感じました。





■以下ブコメ(penguaholic氏まで)を読んでの追記■

まりまとまりのよろしくない文章となりました。すみません



私の言うアイヌに対して差別意識がない。と言うのは無関係からまれた事ではあると思います

ただそれは、差別への知識を持つ事と相入れないものではないと思います

非常にフラット状態なので、傷ついたからやめて欲しいと言われれば配慮出来ます

今も差別がある事を知って欲しいと言われればそれを知る事もできます

ただ、無知は罪としてこうした人間にいきなりマウントを取ってしまうのは余計な反発を生み、解決に適していないと思うんです。



差別というもの認識に関して、私は特定の生まれついての属性性格的なもの意識無意識なり見下すことが差別本質であると思ってるので、"見下す"と言うことに焦点を当てましたが、恐怖を感じたか差別と言う認識があるのも個々にあるものとして否定しません。

しかし、見下すと言う事と、恐怖を感じたからと言うのでは、事の成り行きが全く異なり、対処は変えるべきだと思いました。

見下してくる人間を説得するのは難しいことでしょう、そのうち口調が荒いものになってしまうのも理解は出来ます

しかし、件のtweetゲーム仲間に送ったもので、アイヌを見下すという意図のものではありませんでした。それを同じ差別だとして、見下してくる人と同じように対処したことは私は間違いだったと思います

今回の騒動で、なぜ傷つけられている立場が責められているのかわからないと言う方が多数いますが、アイヌ差別無関係人間勝手マジョリティとされてるに過ぎなくて、自分マジョリティともマイノリティとも思ってません。

ただ息をしているだけでアイヌを傷つけている立場にいるなんて思いもよらないでしょう。

からその人に適した対処を、言葉を選ぶべきだったと思います



そしてこうした問題に対してマジョリティマイノリティと言う分け方も違うと思います

自分関係のない世界はいくらでも無数にあるわけで、人によって常識もそれぞれあると思ってます

それによってマジョリティマイノリティなんて立場コロコロ変わるし、マイノリティが傷ついたらマジョリティ配慮しなければならないというなら、じゃあ逆の立場なら?ともなります

傷つけてしまったので配慮すると言う関係マイノリティマジョリティもないと思います

勝手マジョリティとされて、勝手差別無視したことになってちゃ私だって嫌な気分です。

私の言うアイヌには無関係も、裏を返せば他の世界では差別被差別問題関係していて、被差別である立場もあり世に偏見があることも知ってます

その世界差別意識なく、世に理解がある世界ならどんなに良いかとも思います

その世界を誰かに伝えるときはその相手知識レベルに合わせて言葉を選びます。少しでも解って欲しいので。

もっと個々の視点で、対等な立場で良いんじゃないでしょうか。

個人的にですが差別解決の道として集団ではなく個を見ることも重要だと思っています

アイヌの人も、当のtweetにどれだけの人が傷付いたのか、どれだけの人がゲーマーの仲間内の会話としてスルーしたのか、人によってはそんな無関係なところで騒ぎ立てないで欲しいと感じた人もいるかも知れません。わかりませんが。

とにかく、解って欲しいことは解って欲しいなりに言葉を選び、反発を生まないようにしようと言う弁に私も同意します。

ただの現状解決ではなく、未来にも起こさないようにと言う反差別のあり方はごもっともです。



当のアイヌじゃなければ声を上げてはならないと言う声もありますが、私はこの手の問題ナイーブさによっては当人が声を上げ辛いと言った場合もあると思っています

から、今回ブコメ頂いたものも、その人がアイヌかどうかは問いません。

ありがたく頂戴します。

2016-09-07

いっそ愛おしい程に無能サヨクたち

http://anond.hatelabo.jp/20160907154048

http://anond.hatelabo.jp/20160907185517

サヨクさんは、愛おしい程、頭が悪い問題本質に結局は目がいかないw

この問題は、結局のところ徹頭徹尾蓮舫の誠実さを問う問題しかない。

台湾との間で2重国籍になっていたかどうか?は、対応を誤らなければ、この問題で致命傷に至る事なんてなかったに違いない。

俺は少なくとも一瞬で鎮火する話題だと思ってたよ。




けど、今はもう致命傷ですよ。

国籍という忘れようがない程に自らの根幹をなす事実で嘘をついた

これは政治家として消えない傷を作ってしまった。

不信感は蓮舫政治家としての命を確実縮めていくだろう。




台湾が国として認められていないという事、その台湾籍とはどういうものか?2重国籍という定義合致するか?

するとして違法なのか?議員を辞職するほどの不義なのか?

そうした疑問に対する正確な答えと、それから下されるべき可能な限り合理的結論も、もう殆ど有権者必要としないだろうね

彼女自分が何人であるか?そんな基本的な所で嘘をつく人間であった。

多くの有権者理解したのは其の事だ。

そういう目で国民から見られていく彼女に、どんな仕事が出来るんだろうね。



最初から、この問題蓮舫の誠実さを問う次元で居るのに

shufuo アントニオ猪木ブラジル移民なんでブラジル国籍保有者だがブラジルという国は国籍放棄禁止しているので永久二重国籍を解消できない。二重国籍批判帰化日本人ハーフに対する差別しかない。

shufuo 二重国籍批判するというのはハーフに対する差別ハーフは生まれた時から二重国籍。成人年齢になるまで他方の国籍放棄できないし、成人する頃には失念するのが普通ブラジルのように国籍放棄できない国もある。

shufuo この程度の雑誌インタビュー記事って記者勝手に書いちゃうもんだし、事前に原稿確認させてくれないのが普通から記者の聞き違いじゃねーの。

こんな風に差別だの、ねつ造だの言っちゃう

この局面差別って言葉を使う意味、今後、自分が使う差別って言葉がどのように受け止められるのか?それすら考えられないw

初めっから対応に失敗した蓮舫も含めて、いっそ愛おしくなるほど無能

彼らの目は、いったいどこについてるんだろうか?w





何故?最初から事実のみを話して誠実に対応しなかったのか?

20年前のインタビュー記事なんて誰も覚えてないとでも思ったのだろうか?



GoogleEarthで中国戦艦を見つけられる呼吸するレーダー装置の前瓦さんよりは、日本の為に働けたかもしれない蓮舫も、これで終わりの始まりでしょう。

しかしたら党首にはなれるかもしれない。前屈さんでは、それでも蓮舫には勝てないんじゃないかと思うし。

しかし、彼女は、【自分が何人であるか?その時点で嘘を言える人間なのだと、一連のニュースが示すことを有権者は忘れません。

予め言っておきましょう、あやまれんほうは消えます

http://anond.hatelabo.jp/20160913134114

蓮舫二重国籍はありえない

蓮舫二重国籍問題となっているが、蓮舫二重国籍はありえない。法律でそう規定されている。

 

まず、日本台湾と国交を結んでいないので、台湾国籍というもの認定されない。

台湾人中国国籍をもっていると見なされる。

    http://spotlight-media.jp/article/260786533705025166

 

一方で、中国国籍法は、二重国籍を認めない。

中国人日本国籍を取った場合には、自動的中国国籍喪失する。下記。

    http://www.cn.emb-japan.go.jp/consular_j/kokuseki_todoke_j.htm

中国国籍から日本帰化した方が日本国籍離脱希望する場合は、日本国籍自己の志望により取得していることから中国国籍法では自動的中国国籍喪失しているとみなされる

 

彼女は 18歳のとき日本国籍を取得しているので、この時点で中国国籍を失ったことになる。

 

結局、二重国籍はありえない。日本国籍を取った時点で、自動的中国国籍を失う。

台湾国籍をもっていたとしても、台湾は国とは見なされないので、国籍とは見なされない。

 

 ※ この件は、読売新聞 2016/09/07 の記事とほぼ同内容である

 

 ※ 「帰化ではない」という話は、20行ぐらい後で解説している。第九条の箇所。

 

 


 

 《 ブコメへの回答 》

 

ある国が他国国籍を消すことは「ありえない」。だから二重国籍を「認めない」ことしかできない。

ある国が他国国籍を消すことは「ありえない」が、ある国が自国国籍を消すことは「あり得る」んだ。

から中国国籍法は、この場合において「中国国籍自動喪失」を規定しているんだよ。

下記 ↓ を参照。

 

蓮舫は本人も言っている通り帰化でなくて国籍取得。なので自動喪失こそありえない。

うん。それは、いい点を突いている。確かに、上記の引用文(中国大使館)は、「帰化した重国籍者」を対象としたものから、上記の引用文は「自動喪失した」ことの論拠にはならない。(蓮舫帰化したのではないから。)

では、帰化したのではない国籍取得場合はどうか? それは、ググればすぐにわかる。(出典: http://officelee.jp/visa_data/law05.html

というわけで、やはり、自動的中国国籍喪失するようだ。

 

そうですか。では台湾パスポート在留している台湾人を追い出す活動でもすればよろしい。

 台湾パスポート在留している台湾人資格はこちら。

  → http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213367322

 ちゃんと正当な資格があるんだから八つ当たりしても無意味

 

中国国籍を持っていると見なすの日本国内の話でしょ。

そうですよ。日本国内では二重国籍ではない、という趣旨

トラバにも記してあるが、台湾内では二重国籍可能性はある。

それは知ったこっちゃない。内政不干渉

 

日本台湾と国交を結んでいないので、台湾国籍というもの認定されない。 そうなの? ここの根拠がない時点で読むの辞めた。 思い込みが激しいよ。 じゃあ、台湾国籍確認する必要もないじゃん。ひどい自己矛盾

思い込みじゃなくて、日本政府方針です。台湾人中国人として認定されています政府方針なのに「根拠がない」というのは滅茶苦茶。

また、別の根拠は、リンクでも示している。

それでもまだ足りなければ、こちら。

   http://www.ritouki-aichi.com/seimei_rinkenryou.html

   http://goo.gl/gIHGUw

細かな情報は、ググるとわかる。

   

2012年(民主党政権時)、在留カード国籍地域欄に「台湾」が記載されるようになった

そうですね。「国籍地域欄」に「台湾」が記載されるわけです。もともと台湾という地域の扱いですから、当然でしょう。

 

中華民国人と中華人民共和国人の違いはどうなるんだろう?

日本政府はどっちも「中華人民共和国人」の扱いだ、となります。ただし、そのうち「台湾」という地域に住んでいる人は特記されます。それだけ。

 

 ──────────

 

 最後にオマケで二つ。

台湾は国じゃないので二重『国』籍ではありません」というのは言葉遊びの域を出ないと思うのですが。

法律論というのはあくまで法に規定された事柄に対して合法非合法かを問う。

法律論というのは一種言葉遊びみたいに見えることがあるが、そういうものなんだ。

素人から見たら「何で本質を考えずに言葉上面ばかりを争っているんだ」と疑問に思えるかもしれないが、法律というのはそういうふうに形式で争うものなんだよ。それはちょうど数学証明と同様だ。

何となく直感的に正しいから」というような理屈は成立しない。あくま形式で論じる。形式主義だ。こういう形式主義が、近代科学近代社会を成立させた。

形式を捨てて、理屈抜きの感情だけで、「気に食わんから」というのは、未開人のやることだ。

ま、そういう人は、文学部美術専門学校に行くべきだな。法学部経済学部は不適格だ。まして、理系学部は、とうてい無理だ。

 

    注。上の話は、「 文学部 < 法・経 < 理系 」という
       序列意味しません。文学部文系の軽視ではありません。

 

もはや法律論じゃなくなってるんだよね、「日本人は嘘つきが大嫌い」

論理で負けたから、論理でなくて、感情論で来るか。そう来たか。ならば、うってつけのサイトがあるぞ。

安倍晋三経歴詐称を指摘している。

  → http://togetter.com/li/950986

さあ。「日本人は嘘つきが大嫌い」なら、安倍晋三を大嫌いになっているよね? こっちは蓮舫の1万倍も嘘つきだろ。明らかにプロ詐欺師レベルだ。

 

 


 

《 追記 》

 

次の記事もある。

 → 蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは?

 

蓮舫二重国籍だ」というのは、池田信夫デマだと述べている。

なぜかというと、日本国内法では、日本国籍選択するときに、「外国国籍放棄する」と宣言する必要があるからだ。

蓮舫場合は、こうしたと推定できる。つまり日本国籍選択するときに、外国国籍放棄した。(さもないと日本国籍選択できない。)

外国台湾国内)ではどういう状態であるかは別として、少なくとも日本国内では、これで完全に問題解決している。つまり合法状態である

合法状態であるのに「違法である」と述べているのは、池田信夫デマだ。

世間で大騒ぎしているのは、すべて、池田信夫デマに踊らされているからだ、と言える。

2016-09-06

ゴルスタ民は激怒した。

 ゴルスタ民は激怒した。必ず、かの邪知暴虐のツイッター民を除かなければならぬと決意した。ゴルスタ民にはゴルスタの何が問題だったのかわからぬ。まぁわかる10代とはいかがなものか、という話がないでもない。敵意に対しては人並みに敏感であったが、人並みというのは、ネットに多かれ少なかれ関わっている者は大抵そうであろうという意味である


 ゴルスタ民には、ツイッター民自分達と似た存在であることがわからぬ。違反を犯した者を追放反省文を書かせるか、ネットの道を踏み外した者に石を投げ油を掛け火を付けるか、その本質がよく似ていることがわからぬ。当然、しかし、本質が似ていても枝葉の違いが致命たりえることなもっとからぬであろう。一見問題なく成立しているニュートン力学で量子の域に達せぬことなどは、なかなか理解し難いものである。間違いを犯した者を叩いてもいい、という悪しき風潮に於いて両者は酷似するが、ツイッター民邪悪ゴルスタ運営傲慢を軽減するものではない。本来喧嘩両成敗という熟語はこういう場面で使わねばならなかった。


 ゴルスタ民には、ツイッター民自分達の住み処に突如放火してきた理由がわからぬ。ゴルスタの和を乱した者が追放されるのはわかる。ではわれわれは何故に石を投げられねばならぬのか。その答えが、少なくとも答えの一部が「歴史であることをゴルスタ民は知らぬ。ツイッター民歴史に学ぶ歴史に学んだから間違いを犯さぬとドヤ顔をする。ツイッター民ソ連日本教育だと騒ぎ出すのは、かような故である

 ゴルスタは、残念ながら悪党度が高すぎたということを、ゴルスタ民はわからぬ。悪党度が過去の事例から算出されるということを誰からも教わっておらぬ。司法判例を重んじるように、ゴルスタには日本教育とソ連ビッグブラザーという判例が重くのしかかってしまった。


 ツイッター民は常に、叩いても構わない獲物を探して飢えている。特定アジアを叩き、特定アジアを叩くネトウヨを叩き、同性愛への偏見を叩き、同性愛への偏見を叩きながら同性愛玩具として扱う輩を叩く。ここで各レイヤーの誤差が徐々に重みを発揮し、議論をややこしくしていく。「特定アジアを叩き」ならただの無根拠人種差別であろう。「特定アジアを叩くネトウヨを叩き」だと反差別の演技ができるようになり防御力が上がる。「ナチスを叩き」「江戸しぐさを叩き」だとこれはもう叩かれる方が悪いと言うことになる。「トランプ支持者を叩き」おっ、これはまだ幸い議論余地が残ってそうである。「60年代70年代赤色学生運動を叩き」これは学生運動が悪すぎますねぇ(昨今のISISと大差なきがゆえ)。それらの処理は逐次的に行われるため、叩く方も共に悪い、という真理に到達するまでに、メモリが消耗しつくされて演算が進まなくなっていくのだ。


 ゴルスタ民には、ツイッター民というおおまかなくくりがそもそも間違いであることがわからぬ。ツイッターにも色々な人種が在る。そのなかの特定のおじさんおばさんのみが、と言うて見分けをつけるのは難しい。その光景はまるで複数勢力つべつの便衣兵によるゲリラ戦である。その始原(の一部)は、あるいは2ちゃんねる時代ニコ動黎明淫夢期の二方向に求められるとも言われるが、詳細は定かではない。「特定アジアを叩き」と「特定アジアを叩くネトウヨを叩き」が同一人種によるものなわけがなかろう。しかもその一体どこからゴルスタを叩くという話が出てきたのか。ここまで書いてきたかような例示がそもそも間違っているのではないか。なんでゴルスタの話をしている増田ネトウヨ話題が出てくるのか。話が無関係な方向へ二転三転していないか

 という正当な指摘こそ、まさしく敵市街地の中心で混乱している兵そのものである


 あえてもう少し話を脱線させよう。

 日韓ワールドカップ、というのが過去にあった。ツイッター民祖先源流に当たる者達、いにしえのネット民(の一部)の、ここが闘争の始点である。それまで多くのネット民隣国ことなど気にもしていなかった。北の方は拉致事件にてすでに問題視されていたが、韓国の方はワールドカップが始まるまで、あるいは存在ぼんやりしか知らぬ者も多かったのではないか

 知名度は、認知度は、もっとも根源的な火種である。知らなければ戦いは始まらなかったであろう。あるいは知らずともそのうち経済歴史対立と誤解が、いずれは中国とセットで表面化したであろう。それでもなお、いつ、だれに火がついたか、は絶対的意味があるのだ。


 ゴルスタ民は激怒した。

 何に対して激怒しているのか、激怒すればいいのか、知ったからだ。

 敵は五里霧中の中。正確な姿形を掴むこともままならず、その戦いは無残で非効率な絨毯爆撃の様相を呈するであろう。無関係の人々も巻き込まれ、余計な憎しみが増えるであろう。いやそれならまだいい、実際のところ、ゴルスタ民の爆撃能力とはどれほどのものなのだろうか。ツイッター民の対空迎撃網に歯が立たず無残に敗滅しそうな気もする。しかし戦いははじまりかけているのだ。


 ゴルスタ民は激怒した。必ず、かの邪知暴虐のツイッター民を除かなければならぬと決意した。

 そして私は、一人の老害ツイッター民として、ゴルスタ民がどう戦うか、下品な興味のもと眺めたいと感じている。


 私のように高みから睥睨する悪投もまた、諸君らの敵が一人である。待っているぞ、ヤマト諸君

2016-09-02

頭の良い人

頭の良い人は難しいことを簡単説明する。本質を瞬時に捉え、端的に伝える能力がある。

頭の悪い人は簡単なことを難しく説明する。

自己満足で難しい用語を使い、的を射ない説明を延々とする。

聞き手知識必要とするのはNGだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160902203748

アホくさ。平均より下の人間が平均って何がしたいのか。

本質が見えてないバカ大学に行った結果、奨学金も返せない底辺になるんだよ。



まぁ平均が大事なら、とりあえず偏差値50以下の大学には行かん事だ。もちろん子供も行かせてはいけない。

平均以下の人間は最初から希望も何も無いって事なら、ある意味同意は出来る。

2016-09-01

創作せずに批判すべきでないという詭弁

他人の行動や意見、作ったものに、批判的な意見をぶつけて「自分って頭いいな」と悦に浸っているのは勝手です。

でもそれ、周りから見れば「私は自分で何も作らずに、批判する行為をしているセンスのないバカです」って宣言しているのと

同義だということに早めに気づいた方がいいですよ。

他人をディスっても幸せを感じられないことにはそろそろ気づいたかな?

「八木仁平は教祖だ!」という中身ゼロの批判を繰り返す人たちへ

イケダ氏を批判したいなら、まず創作者や専門家になって雑記ブロガー卒業すべきだ。

価値観しか売りがないブロガーはつまらない」という真理がイケハヤ問題本質だが、

それは他の雑記ブロガーにも当てはまるわけで、同類がイケダ氏を批判しても説得力が無い。

雑記ブロガー問題

id:kyoumoeIDコールすべきかな