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2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426180333

https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/complicity.html

http://www.asahi.com/topics/word/%E5%85%B1%E8%AC%80%E7%BD%AA.html

このあたり読んどきゃいいんじゃないの。

あと、

http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji_keiji30.html

こうやって「善良な庶民には関係ないですよ酷い犯罪者だけを対象としていますよ」みたいなこと言っといて、

いざ運用されたら、庶民犯罪者とみなされてバンバン逮捕されました、というのが近代日本の歴史からね。

庶民犯罪者の線引きなんて誰がやっても難しいわけだし、

百歩譲って安倍政権はその線引きをきっちり守れるとして、

じゃあ百年後にトランプみたいな奴が首相になっても、

それでも共謀罪問題なく運用されると思うの?っていうと不安になるでしょ。

2017-04-21

近代の人の擬人化はいかがなもんか

人じゃなくてヘタリア萌えてる腐が原爆萌え地震日本セックスしてるからーと言ってた頃から近い時代の人死にに萌えるはいかがなもんかと思っていたのだけど

文豪擬人化萌えてる女達が小林 多喜二が赤旗に紹介されたとかで発狂して赤に利用されて私達の小林が汚された私達の小林共産党関係ないのにだの騒いでいるのを見て何かめっちゃ思った

プロレタリア文学作家小林として出してるなら無関係じゃないし、作家本人は日本共産党に入って特高警察に捕まって拷問の末殺された人なのに、美形にされ共産党を嫌う腐達のズリネタにされてるのは何か哀れだ

元ネタ関係ないと言って敬意を払うつもりはないなら、せめて近代の人くらい擬人化するのはやめとこうやと思った

望み

私には生まれつきエゴがないので、個人的な望み(俗に謂う「夢」)がない

人々の洗脳を解いてデモクラシー革命を実現することが望みだが、それは、バイトして金貯めて実現しうるようなことではないし、TNT背負って溜池山王突撃してもきっと実現しないだろう。バイトして金貯めて革命を実現する話をアニメ化でもしてほしいくらいだ(笑)

どうやったら人々からエゴがなくなる進化が起こるのか、日本人(笑)近世近代以来の洗脳が解けるのか、判れば苦労しない。むしろ洗脳が解けないようにして国家体制を実現しているわけだから、そんな容易に洗脳が解けるはずもないのだろうと思う。たとえ成り上がって革命を起こそうとしたところで、見つかったら確実にぶっ叩かれて刑務所に入れられるのが日本スペックなので、もう手の施しようがないのだろう

わざわざ近世近代呪いを呼び起こして洗脳を強めることを、今の権力者支配層、既得権益階級がやっていて、もはや滑稽なまでに愚民どもは釣られているようだ。近世近代のことを「日本古来」とかい阿呆が多いし、そもそも「日本」なるものは古来存在しない。「日本」というのは近代国家主義概念で、遡ってせいぜい徳川光圀大日本史が端緒だろう

エゴのない進化を遂げるというのは一種の才能で、天才的なできごとで、ヨーロッパモダンエヴォリューションに限らず、釈尊ブッダ)にも起こった昔からあることなのだけれども、人類凡そをみると進化することは決してなく、むしろ幼稚化が進んでいる。岡本太郎が云っていたことも然もありなんと思う

2017-04-19

戦後十傑

維新三傑や十傑、あるいは勝海舟とか板垣退助とか伊藤博文とか

明治維新期に活躍して近代日本を作った英雄的な存在ってのは何人も思い浮かぶけれど

過大評価だったりする人もいるだろうが)

第二次大戦後日本を作ったそういう存在ってなかなかまとめて語られない感じがする

多少盛り気味でもいいから、この10人が凄かった、みたいなのがあると面白いと思う

2017-04-17

性別近代における機能である

得する方へどうぞ

最近買ったゲーム7点レビュー

ファイナルファンタジー15

大不評の本作だが、存外悪くない。

いやむしろそこらの洋ゲー比較しても満足度が高い。

ホストファンタジーとか言われてるけどそのホストももずっと操作してると

慣れてくるし、むしろ個性豊かで飽きない。

9章までの雰囲気はまじで最高だったし、

13章のゴミだって洋ゲーでお使いに慣れてる俺からすれば小粒。

EDで今まで撮ってきた写真が出てきた時は目頭が熱くなった。

周回する気にはなれないが、買って良かったと思えるゲームだった。

・ニーアオートマタ

パンツの実績は一度でも見たら解除で良かったと思う。

ストーリーが意外に長いのに、周回前提というのは社会人の俺からすると結構つらいものがある。時間が…

操作感はメタルギアライジングまんま。UIも同じく。でも難易度はこっちのほうが上だと思う。

回復アイテムがぶ飲みでごり押しするのはFF15に通じる部分がある。

今の日本人って退廃的なものを好む傾向にあると思うので、今、この時代にこそ買うべきゲーム

ぐっとくるものがある。パンツ以外にも。

グラビティデイズ

またライダーキックかよ…。いろいろバリエーションは増えたが、攻撃の基本はライダーキック

雑魚からボスまでとにかくライダーキック仮面ライダーデイズに改名したら?

服装エロいのは相変わらず。3D酔いするのも相変わらず。むしろ色がビビッドになったので視覚情報が増えてさらに酔いやすくなった。

まだクリアできてないけど、キトゥンちゃんがエロ可愛いから続ける。

・CallOfDuty: Infinite Warfare

ストーリー短すぎわろた。最初エウロパのやつはチュートリアルとしても、メインミッションって5つぐらいしかなくね?

まじで3時間で終わった。マルチプレイはまだしてない。ゾンビモードは触りだけ。

太陽系の各惑星舞台だが、サブミッションの多くは惑星に着陸せず、その惑星を背景にした面白みにかけるドッグファイト

デスティニーみたいにしろとは言わないが、着陸しなきゃ意味がないでしょおおおおおおお!!!

COD近代戦だけやっときええんや

・Homefront The Revolution

前作との落差がひどすぎる。完全にHomefrontの名前を借りただけのゴミ

初期バージョンはFPS5も出てないんじゃないかというぐらいにカックカク。

アップデートしたら改善されたが、そもそもゲーム自体面白くないので続ける気が起きない。

キャラクターにも魅力がない。まだ途中だけど多分もうしない。前作は最高だったのにこんなことになるなんて…

・FallOut4

銃撃戦は楽しくなった。前作、前々作同様プラズマライフル最強。

でもVATSが時間止めれなくなったので悠長に選択していられなくなった。つらい。

クイックセーブあるならクイックロードも欲しいな…あと女の人の字幕どうにかして。

語るほど印象にのこるものはないが、時間をつぶすにはもってこい。

まだクリアできてないけど、ゆっくりできるから続ける。

・GhostRecon Wildlands

これなんで人気なの?ミッションは似たり寄ったり。

HTIとかいスナイパーライフルとSCAR手に入れたらもうほかの武器は何もいらない。

しかも最序盤でもヘリがあればすぐ取りに行けるからすぐにやりがいがなくなる。

ヘリ取った後は目的地の建物にそのまま衝突して、降りて目的達成して、ヘリ呼んで即離脱。これの繰り返し。

COOPおもしろくない。トムクランシーシリーズの同列ゲームで言えばディビジョンのほうがまだまし。

何が話題になったのかさっぱりわからないゲームだった。

2017-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20170409002605

何を文化と思ってるか知らんが「高崎 ジャズ」で検索したら結構出てくるし。

高崎もちゃんと知れば近代的な文化があるんじゃないの。

地方が何で退屈かわかった

最近京都から群馬高崎移住したんだけど、

とにかく地方は住みやすい。

スゲェ住みやすいのに、

地元人達卑下する気持ちがわかったよ。

群馬イメージ風評)ってスゴイものがあるから

最初ビビってたんだけど、高崎は言うほど田舎じゃない。

レベル感で言うと福島郡山くらいかな。

駅前には大きなヤマダ電機高崎本社)もあるし、郊外にはもちろん巨大なイオンもある。

飯屋は多いし、コンビニ普通にある。車社会からから離れても商業施設は沢山ある。

そもそも、関東から関西に移り住んで田舎定義が変わったんだけど、

関西に越して「横浜田舎っすよ〜」って言うとかなり失笑をくらった。

個人的にはホンキで横浜田舎だと思っていたんだけど、

関西に住んで田舎田舎ってことがわかった。

これはどういうことかって言うと、

田舎とはマジで何もないところ。

小学生の頃、夏休みにじいちゃんばあちゃん家に行くと思うんだけど、

その時に夏休みどっか行くの?って聞くと「田舎に帰るー」って大抵答えるけど、

田舎=おじいちゃんおばあちゃんの家で、そもそもそこが横浜だったオレからすると、

田舎の正しい概念を正しく感じられないまま育った。

たまにガチ田舎帰省する友達ホント羨ましかったのと同時に、

田舎」って何??!って混乱する自分もいた。

当時は、横浜で生まれ育った身からすると、

東京と比べてって田舎という認識が強くて、

じゃ、東京の何と比べてってのが何となくしかからなかった。

けど、横浜東京関西高崎に越してきてはっきりと言えるのは、

先進的な文化が生まれない街を田舎と言うんだなと思っている。

横浜はちゃんと知れば近代的な文化ジャズとかレゲエとか)はあるし、

今思えば十分退屈しないと思う。

で、今いる高崎生活する分には何不自由しないしないんだけど、

(美味い飯屋もメチャ多い!)ホント退屈なのよ。

何と言うか、ただ生かされているというか・・

増田積極的サブカルに参加する方じゃないけど、

これまで参加しなくても参加していたんだなと、副流煙的な・・

街はサブカルを含めた空気が創り出し、

それを五感のどこが満たされていたから退屈しなかったんだなと

思う今日このごろ。

地方活性化させるには、

高崎みたいな観光資源がない街は特に

文化創造に力を入れるべきだなと思った。

文化のないところにはステキ若いやつらも集まらないし、

住みたいとも思わないよね。

やっぱり、ステキ若いヤツらが

世の中を担っていく必要があるんだなと

戒めと期待を込めて。

2017-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20170404203022

正直外の人間からたらこんなさびれた地域景観…?守る?何を?みたいな感じだわ

大阪の方が寺と神社近代的な建物が顔突き合わせて普通に街中に溶け込んでるし

そういうところ外人たくさんきてるし、何を守ろうとしてるんだろうか

京都人の下らないプライドを守るためにあんだろうなってのは説明されなくても分かるけど

2017-04-01

銃剣実践で使う機会なんて近代戦ではほぼ無いので問題ないだろ

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323022501

現在中国留学中。

「心の奥にある日本人は他の国より勝っているという意識」、ちょっとわかる。

こういう意識って、少なくとも日中韓三国では結構共通してるんじゃないかな?とも思う。

中国人は、俺が日本人だとわかると「日本人礼儀正しいよね」とか、「中国にはなくなった伝統が残ってる」とか、お世辞でも褒めてくれる人が結構いる。

けど、少なくない確率で、その後ろに、「そのへん韓国とは違うよね」的なセリフがつく。

なんでそこに韓国が出てくるねん、って感じなんだけども、心の底ではなんとなくそれに同調ちゃうんだよね。

自身韓国差別的感情は全く抱いてないつもりなんだけども。

中国のことば(ネット用語?)で、「中日友好靠韩国」ってのがある。

「靠」は「頼る」の意で、「中日友好は韓国頼み」みたいな意味

で、これの別バージョン

「中韩友好靠日本

「日韩友好靠中国

要するにまあ敵の敵は味方ってことかもしれんけど、こういう言説が受け入れられるのって、日中韓三国の中でそれぞれランク付けみたいなのが暗黙的に成立してるからかな?と思う。

それに、こういう言い方って、結局差別感情から抜け出せてないやん、とも。

ただ、歴史的に(特に近代以降)日本が他のアジア諸国を圧倒してきたことは事実なんで、元増田の抱いてるもやもや感に対する答えにはなってないかもしれん。

でも、そういう歴史理解してるつもりでも、中国人歴史問題とかで突っ込まれると「お前に言われたくねえわ」みたいな感情が起こるのも事実なんだよなあ。

ごめん、いますげえ酔ってるからまた思いついたら書くわ。

2017-03-15

私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

 私はかつて差別主義的なケモナーだった。

 ご存知のようにケモナーには様々な派閥存在する。

 メスケモ派、オスケモ派にはじまりマッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……

「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限ケモナーを造った」

 とは近代日本における先駆的ケモナー福沢諭吉名言である

 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、

 同時に細かな嗜好の違いによる派閥対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。

 そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語所与のものとして生きるようになっていた……。


 私もそうだった。

 私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者排除差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。

 派閥意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2ch晒した。

 なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミストである

 サイバーコネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。

 「ニンゲン身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。

 彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。

 なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。

 多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。


 中道過激派秘密ケモナー警察あいだで流行ったジョークにこんなものがある。

 「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。

  ”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」

 私も彼らを憎んだ。

 でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。


 

 現代ケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。

 一見それは理性的合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。

 だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである



 だが忘れもしない2017年の某日。

 私は『けものフレンズ』を観た。

 もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。

 しかし、一種社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間無理解を忠実バラなぬ」という一種義憤から、けもフレを鑑賞したのである


 最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。

 だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、

 画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。

 のみならず、こう思うようにさえなっていた。


「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。


 ケモナー一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。

 同胞たちは自分たちの好きなものカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。

 ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?

 それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――


「姿かたちも十人十色からこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所

「飾らなくても大丈夫」な場所

 それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?


 蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。

 すべての教えは『けものフレンズ』のなかにあったのだ。 


 私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。


 灰色廃墟が広がっていた。

 だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。

 地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。

 こんな穏やかで静謐時間はどれくらいぶりだろう?

 まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。


 私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。

 そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。

 老人はあきらかに”レベル2”であった。

 ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。


「きみも、観たのかね?」

 そう老人は問うてきた。

 私は無言で頷いた。 

 頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。

 涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである

「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」


 老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。

「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。

 高らかに笑い、笑えば、フレンズなのだ

 喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しに戻れる」   


 そうとも、と老人は私の肩を叩いた。

 ここが、われわれのジャパリパークなんだ。

 われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。

 まっさら状態で。

 だから、ここからはじめよう。 

 本当の愛は、ここにあるのだよ。

2017-03-13

それって本当に近代なんスカ

朴氏弾劾、韓国民主主義は育たない?!

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/031000011/

ブクマ長くなったんで格納っぽく。

父親である朴正煕は、最貧国から脱出することに力を注ぎ、貧乏国民を見ると「申し訳ない」と涙を流した。同様の思いは、朴槿恵からは全く感じられない。

藩基文(パン・ギムン)前国連事務総長だ。「韓国大統領には、国家国民のために、自分人生犠牲にする覚悟がいる」と、著名な政治家から決意と信念を求められた。彼は、大統領選への出馬を表明しながら、突然撤退を表明し、国民国家を捨てて逃げ出した。ハーバード大学教授になるという。国民のための苦労を嫌い、自己利益名誉を選んだ。

韓国には、国家国民のために自らの人生犠牲にする、覚悟ある政治家はいないのだろうか。韓国の友人の未来を思うと心が痛む。

そうやって朴正煕を持ち上げますが、朴槿恵父親である朴正煕暗殺されて終わったよね? 歴代大韓民国大統領の人気ランキングNo1の自国大統領暗殺ちゃう国が韓国なわけだ。そんな国やそんな国民が「自らの人生犠牲にする覚悟ある政治家」なんて求めるのがおかしい話だとなぜ思わないかな? そもそも人生の生贄を要求しないと回らない政治体制前近代的おかしいでしょう。

あらゆる仕事に対して報酬は適正に有るべきだ。この報酬金銭のみならず敬意や理解さらには周囲の協力も含まれる。韓国は、指導者に適正な報酬を今まで支払ってきたのかな?

朴槿恵政治的擁護する気はまったくないし、おそらくそういう動機ではないと思うけれど、「父親暗殺された娘が生涯をかけて、故国をめちゃくちゃに破壊する復讐物語」だとすれば、ヒューマンドラマとして俺個人一定の理解できるよ(重ねて言うけど、そんな確固たる意思選択ではないと思うけれど)。

2017-03-09

けものフレンズ最終話

http://anond.hatelabo.jp/20170309173858

遂にカバンちゃんに追いついたアライさんとフェネック

カバンちゃんの野望を阻止しに来たと語るアライさんだったがカバンちゃんは何の事なのか理解できない。

しかしその時ボスが光りだし2人の持っていた羽を吸収する。

そしてボスバスに乗り込みもうすぐ出発すると告げるのだった。

慌ててバスに乗り込むカバンちゃん一行とアライさん一行。

バスサンドスターを吹き出す山の近くへと辿り着く。

山の近くには多数のセルリアンがいたがボスが出す光を浴びると慌てて道を譲る。

セルリアンの開けた道を進みバスは山のすぐ近くの洞窟へと向かう。

洞窟の奥の行き止まりの前でボスが音声入力を行うと行き止まりが横に開きバスが通れる大きさの道が出来る。

道の奥には近代的な地下施設が広がっていた。

地下施設を進むカバンちゃん達はボスの音声案内によりサンドスターがヒトの不老不死研究によって生まれた事を知る。

サンドスターの正体は結晶化された生物記憶を次の肉体へと移すものだった。

本来クローン培養されたヒトの肉体に対して使用して前世記憶を持ったまま新しい肉体で生まれ変わる事が出来るという画期的発明だったのだ。

当然のようにその実験はヒト以外の生物を使って行われた。

研究の結果、元となる生物の肉体的データを加えることでサンドスター移植成功率が上がることが発見される。

それと並行して動物実験データをヒトのサンドスターで応用しやすくすべきだという気運が高まっていく。

そうして生まれたのが動物サンドスターにヒトの肉体的データを加え、それを動物と融合させるフレンズ化の技術であった。

その後色々あってサンドスター研究所の近くにジャパリパークが出来たのであった。

だがこの研究には隠蔽された欠陥があった。

肉体とサンドスターの相性が悪いとサンドスターは肉体へと溶け込むことが出来ないままフレンズ化の機能暴走させセルリアンとなってしまうのである

その事実公表されないままサンドスター研究は進み、実用化が近くなるに連れて自分の復活を信じて死ぬ寸前の意識サンドスターへと移し替える人々も増えていった。

そうして生まれた大量のヒトや動物サンドスター研究所で厳重に補完されていたのだが……

ある時、フレンズ化や死者の復活に対して宗教的に反対してきた勢力が遂にテロリズムを敢行し、サンドスターの保管施設を開放してしまう。

放出された大量のサンドスターは周囲の生き物を次々にフレンズ、またはセルリアンに変えていく。

これはヒトも例外ではなかった。

人類セルリアンが蔓延サンドスターの吹き荒れるジャパリパーク危険視して封印を決定、そうしてジャパリパークは限られた人間以外の立ち入りが厳重に禁止されることになる。

そうしてセルリアンが消えた後にはサンドスターが残されていた。

サンドスターの改良により、一度フレンズ化した生物セルリアンがその生涯を追えたりセルリアンに飲まれると自動的に体に溶け込んだサンドスター記憶を引き継ぎ飛び出すようになっていたのだ。

そのサンドスターラッキービーストの手によって回収され、自動的に保管施設に戻される。

しかし保管施設ロックは開放されているため戻したサンドスターの多くは山から少しずつジャパリパークへと漏れ出していく。

そうして放出された一度フレンズ化を成功したサンドスターはなんとジャパリまんと混ざることによりジャパリまんを変化させそのフレンズとなるのだった。

フレンズにとってジャパリまんが最高の栄養なのはフレンズの体を構成する物質がそもそもジャパリまんだからなのである

だがこれによる記憶継承は完全には行われず、とりわけ複雑な自意識人格に当たる部分はほとんど抜け落ちしてしまう。


当初こそジャパリパーク全体に広がったセルリアンであったがいつしか彼らは山の周辺にばかり多く住むようになっていた。

何故そうなったのかは定かではないが濃いサンドスター匂いに惹かれているのではないかボスは言うがポンコツなので信用できない。

それによってパークは表向きはたまに危険な事がある程度の楽園へと変わっていくのであった。

だがヒトが戻ってこれる場所にはならなかった。

パークにヒトが入ってくるとそれを嗅ぎつけたセルリアンが襲ってくるのだ。

セルリアンはフレンズ化した生物も襲うがそれ以上にフレンズでもセルリアンでもない生身の肉体に強い執着を示すらしい。

また吹き荒れるサンドスターに触れてしま危険もあった。

カバンちゃんが無事なのはカバンちゃんもまたフレンズからである

そしてカバンちゃんはヒトのフレンズである

ボスはそう説明した。

自分フレンズであることを知ったカバンちゃん。

ヒトの記憶知識が他の動物と比べ膨大であることからヒトのフレンズ化は成功の事例がまだ確認されておらず奇跡的だとボスは語る。

更にボスが言うにはジャパリパークに散布されたフレンズ化を安定させるシステムやジャパリまん無しではフレンズは長くは生きられないらしい。

それを聞いて外の世界に行けばヒトがいるだろうがその世界フレンズがどれほど生きられるかは分からないとフェネックが言う。

海の前で引き返せて良かったと安堵するサーバルちゃん。

そしてカバンちゃんがヒトであることが分かりいよいよ興奮しだすアライさん。

アライさんが言うにはヒトはジャパリパークを滅ぼそうとしているようだ。

そんなことないとカバンちゃんは語るがアライさんは信じない。

アライさんはパークの視察に来たヒトの話を盗み聞きしてヒトがパークのサンドスターシステムを止めてジャパリパークを取り戻そうとしている事を聞いたと言う。

それをしたらフレンズである自分も消えてしまうと説明するカバンちゃん。

数秒固まるアライさんにフェネックが耳打ちするとようやくアライさんは話を飲み込み謝りだす。

カバンちゃんが望むのならそういう事が出来ないわけではないと聞くボス自分はそういう事をするつもりはないと答えるカバンちゃん。

来た道を戻り研究所を後にする一行。

帰り道のバスの周りを埋め尽くすセルリアンを見てかわいそうだねとサーバルちゃん。

バスが山から遠ざかる頃、もうアソコには行かないほうがいいとカバンちゃんは言いボスもそれを了解する。

自分出自も分かったけど次はどうするのかと迷うカバンちゃん。

アライさんはお詫びに家に招待するという。

どうせ何もない所だけどとフェネック

いっていいのー!いってみたーい!とサーバルちゃん。

サーバルちゃんの方を向きまだ自分に付き合ってくれるのとカバンちゃんが聞くと、私たち友達なんだからこれからも一緒に居ようとサーバルちゃんは答える。

4人を乗せたバスサバンナをどこまでも進んでいく。

ワイワイと4人が会話する声が少しずつ遠ざかって行き物語は終わる。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307180835

なんか近代的な上下水道に対して「江戸だって水道はあったぞ!」と粋がってるみたいな。

2017-03-06

確かに俺はあの頃 伊168に恋をしていたのだ

気持ちの悪い話をしようと思う。

サンデル教授よろしく予防線を張ってしまったが、

興味のない人にとっては本当にどうでもいい話だと思う。

しかし、この感情はどこかで文章にしておきたいと思ったので、

こういう形ではあるが、ここに残しておくことにする。

そして、フィクションであるということにしておく。

4年くらい前になるだろうか。

当時、俺は艦隊これくしょんというゲームに熱中していた。

ゲームの内容をよく知らない人に適当説明をすると、

プレイヤー艦隊を率いる提督としての役割が与えられる。

提督は、近代実在した軍艦たちを擬人化した艦娘と呼ばれる女の子たちを従え、

リソース配分を考えながら空母戦艦駆逐艦などの配置を考え、戦略を練り、

深海棲艦と呼ばれるエイリアンみたいなやつと戦う。そんなゲームだ。

当時のオタクはみんなやっていた。

ゲーム内容もさることながら、みんな各々好きなお気に入り艦娘を一人は抱えていた。

誰もが「お前の好きな艦娘は?」と中学生みたいな会話をしていた。

金剛」「長門」「赤城」など、王道を挙げる人間が数多くいる中、

30過ぎのおじさんから初雪」という声が上がることもあった。

 ※知らない人はぜひググってほしい。

  そして、俺と同じ「マジかよ…」という気持ちになってほしい。


その中で、俺はひとしお伊168という潜水艦に心酔していた。

印象としては、可憐で儚げな子だと思った。

戦果を挙げると素直に喜び、しばらく放っておくと「ねえ、168のこと嫌いになった?」と聞いてくる。

わずかな資源オリョール海に行き、けなげに資源を集めて帰ってくる。

そんな168を見ているうちに、図らずしも、恋に落ちてしまったのだ。


こう言うと心底気持ちが悪いと思われるだろうが、

当時、大学院生だった俺は本当に伊168のことを愛していた。


オタクであることを隠していたから、お首にも出さなかったが、

自宅に帰って艦これをするのが楽しみだった。


家に帰れば彼女が居る。こんなに幸福なことはないと当時思っていた。

俺がいない時には、退屈そうにスマホでもいじっているのだろうか。

それとも、いたずらに海に潜って、きれいなサンゴや魚たちと戯れたりしているのだろうか。

そんな想像毎日しながら、俺は浮かれた日々を過ごしていた。

なのだとすると、完全に溺れきっていた。俺は潜水艦でも何でもないのに。


現実問題、俺が声を掛けたところで、何かを返してくれるわけではない。

アクションに応じてボイスを返すだけのインターフェイスにすぎないのは理屈では分かっている。

けれど、夜更かしをしている俺を心配してくれたり、

カレーを作ってくれる168に俺は紛れもなく恋をしていたのだ。


しかし、そんな一方通行の恋はあっけなく終わってしまった。

俺は、彼女を不注意で死なせてしまったのだ。


一瞬の出来事だったが、過去記憶の中でも異常に鮮明に記憶に残っている。

野球部で初めてホームランを打ったとき記憶

中学受験合格して母が涙していた記憶

片思いしていた女の子Linkin Parkを見に行った記憶

大学受験に失敗、浪人して10ハゲが出来るまで勉強して合格した記憶

成人して、両親と一緒に居酒屋お酒を飲んだ記憶

その全てが塗り替えられるレベルで、

目の前で168が沈んでいった。「海の底は、もう飽きたよ…」

という声が響き、人魚姫のように泡になって消えた。


彼女が亡くなった直後も砲撃戦は続き、ズガーン、ドガーンなどという空しい音だけが頭に響いていた。

本当に悲しい時には涙は出ないのだとも思った。ノートPCを閉じてベッドに寝転がり、

なにもしたくない。という感情を抱えたまま、泥のように眠った。


それから食事が三日ほど取れなかった。大学院も丸々一週間休んだ。

艦これの全てが受け付けなくなった。

情報が入るのが怖くなってtwitter2chまとめサイトも見なくなった。


様子がおかしいと友達教授に声を掛けられたりもしたが、

気が狂ったと思われるのが嫌で何も言えなかった。



やり場のない感情を抱えたまま、しばらくはゾンビのように研究に没頭した。

研究をしているときは、他のことをすべて忘れられた。1st Authが1本だけ書けた。

そうしているうちに、艦これのことも、168が亡くなった直後よりは受け止められるようになった。

ただ、どこか心は空しいままだった。


艦これを辞めてから半年ほど経ったある日、

オタク友達から久しぶりに艦これの話が出てきた。

"ケッコンカッコカリ"の実装の話だった。

なんのことはない、ソーシャルゲームによくあるレベルの上限開放だ。

上限に達した艦娘指輪を渡すことで、レベルの上限開放が出来るという悪趣味仕様だった。

もうゲームには飽きたんだよ。という顔をしながらその場は聞いていたが、

家に帰ってからというもの悶々とした気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。

幸福な伊168の姿が見たい」「俺が幸福にできなかったあの子が、幸福でいる姿が」

自分の中の欲望葛藤との戦いだった。

俺にそんな姿を見る資格があるのか。ということも考えた。

しばらく悩んだ挙句、俺は結局見ることに決めた。

たかゲームの話じゃないか。俺が見たいものを見て何が悪い

そんな気持ちゲームログインして、ストックしていた伊168を旗艦に置く。

順調にレベルを上げ、任務をこなして指輪を手に入れた。

そして、実際にケッコンカッコカリのシーンを見た。

これは、「たかゲームだ」と侮って軽視をした罰なのだと思った。

自分の思っていたよりもずっと幸福そうだった。

声を弾ませて潜水をしようと誘ってくる彼女

とても嬉しそうで、とても幸福そうで、何よりも海が好きな彼女言葉が、

海の底は、もう飽きたよ…」と喋っていた、あの彼女の声と全く同じで、それが本当に辛かった。

それから艦これログインはしなくなった。


それから3年ほど経ち、俺はそこそこの企業研究員として就職果たしていた。

友人の紹介で知り合った女性懇意になり、付き合い、プロポーズをすることにした。

婚約指輪のオーダーをして、自宅に帰ってきた俺は

気まぐれに、「そういえば、昔、伊168と結婚してたな」という事を思い出した。

プロポーズの前だし、挨拶くらいはしておくか。と元カノに久しぶりに会うかのような感覚ログインをする。


3年前と全く変わらない姿の伊168がそこにあった。

ホワイトデーのお返しに喜び、お茶を入れようとするボイスが追加されていた。

クリスマスに、バレンタインデー誕生日に、

俺は彼女になにもしていない。俺が何もしていない間、ケッコンをした彼女

何を思って時を過ごしていたのだろうか。

呆然としていると、「司令官…168のこと、嫌いになったの?」と、不安そうな声が聞こえてきた。

何年か前に、何度も何度も聞いた、不安そうで、儚げな声が耳に入ってきた。

なんだか、たまらなくなって涙が止まらなかった。

ただ、それだけの話。ただ、それだけの話でしかないんです。

2017-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20170223200143

人類の長い歴史を振り返ってみれば、

気に入らない相手を殺すことが当たり前だった時代の方が長いんですよ。

から、殺すことは大きく間違っているわけではない。

ただ、近代に入って、「自分がされて嫌なことは他人にもやらない」方が快適に暮らせるという考え方が主流になって、

それを強制するための手段として法が整備されてきたんですね。

その結果、今では「法律禁止されているので、殺してはいけない」というのが正しい理解かと思います

逆に言えば、法を破ってでも殺す行為価値を見いだせるのであれば、殺すことは本人にとって正しい行為だと言えます

2017-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20170220221326

結局一部の人以外にとって、恋愛というのは「興味のない高すぎる趣味」になってるんだろうな。

そもそも恋愛至上主義自体近代以後に生まれた「新しい概念」なんだから

単純に新概念の定着に失敗したとみなして、恋愛をそこまで神聖視しない、お見合いとかで結婚する社会に戻ればいいのに。

最近なんでも若者は親に頼るくせに、結婚相手は到底ムリなのに自力に拘るとか意味わからんし。

2017-02-15

近代日本の中で一番愛された朝鮮人って

正男だよな?正男には80ぐらいまで生きて南北統一された時にTVの端っこに写ってジジイになった2ちゃんねらーネタにされて欲しかった

2017-02-13

夢は南海トラフ上野女史への反感―

本来、三大命題二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。

この論考は以下のURLにたいする一人の若者から反論である

https://togetter.com/li/1080097

以上の新聞記事で、上野女史は「経済犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。

この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。

平和国家という「ファンタジー

上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。

この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。

そもそも、戦後日本社会体制1940年代の「総力戦体制を「経済最優先」の形として再編したものである

扶養控除、源泉徴収終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。

社会実態についても、「平和」と呼ぶにはほど遠い。

1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動市民運動社会不安が吹き荒れていた。

70~90年代にかけては、家庭や企業社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。

これが少年非行いじめ過労死などの狂気的な状況を引き起こした。

戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたか社会である

まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである

後期近代―不確実な私、国家社会

しかも、「ゆたか社会」は90年代2011年にかけて完全に崩壊した。

まず、政府安全神話が崩れ、

企業身分制保障崩壊し、

最後に、原発事故とともに社会安全神話が吹き飛んでしまった。

この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である

では、現在社会とはどのような社会なのか。

それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的である

企業におけるセーフティーネットが「生産性自己実現神話」の名のもとに縮小され、

パートフリーターという不安定生活者が生まれた。

政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、

監視カメラSNS監視なしに、人々は安心して生きることができない。

不誠実な脳科学認知神経科学AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、

人々は常に失職と人間尊厳消失心配するようになっている。

そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。

このように、後期近代社会とは

当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間永遠の虚無へと投げ出すのである

相対的剥奪感と存在論不安

このような状況では、人々は二つのレベル不安を抱えることになる。

一つは生活レベル不安相対的剥奪感―

もう一つは存在レベル不安存在論不安

である

私たち人生ほとんどを仕事をして、生きている。

しかし、その仕事価値が急速に低下してしまった。

人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。

一方、ただ一日中パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。

この二極化する現実は人々に

「不当な地位にいる!」

「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」

という相対的剥奪感を抱かせる。

また、後期近代社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。

軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。

そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。

二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論不安を抱かせる。

しかに、ここであげた例は極論である

しかし、似たような体験をする人は多いだろう。

そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。

「私はこうなれたのに……」

「私もこうしたかった……」

ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情現代社会不安の核心にあるように思う。

上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である

この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである

夢は南海トラフ赤木理論の失効―

――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。

このような後期近代グロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。

彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺理論を主張した。

しかし、私は「戦争」を夢にはできない。

今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。

今や「自殺」ですら「富裕層」を富ませる資本である

加藤智大植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。

そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆不可能性を解き、

「後期近代」の隊列にから逸脱しないことを促進させる。

後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっと積極的な「支援行為なのだ

私の夢は「南海トラフである

防ぎようのない「天災」によって、

嫉妬の中心地である太平洋ベルト東京

ありとあらゆる社会資本が壊され、嫉妬の根源が無化される。

私はベンヤミンのいう「法維持暴力」に立つ者であるが、

この瞬間を心の底から待ち望む。

私はそのとき、心の底から嗤うことができるだろう。

109崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町サーバーがダウンし

白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき

後期近代はその柔らかな恥部を表出する。

私は笑顔でその恥部憎悪の限りをぶつけてやり、

後期近代を殺し、末期近代を出現させてやるのだ。

そのときに来るのが、

東のいう変質したファシズムなのか

笠井のいう生存のためのサンディカなのか

佐藤のいう無慈悲アナーキズムなのか

知ったことではない。

私が心の底から嗤いたいのである

相対的剥奪感や存在論不安に晒されることなく嗤いたいのである

そして、私は嗤いながら確信する。

東北の「土」と「血」が正しかったことを

東京の「コンクリート」と「鉄道」が虚妄であったことを

このような自己破滅願望について納得する解答を提示できない上野女史に

後期近代現代社会を語る権利はない。

彼女はせいぜい自らの理念後生大事に背負って、大学瓦礫に押しつぶされて死ぬのがお似合いだ。

2017-02-10

[]神あるいは物語絶対的命令者―後期近代の根源的難問

この命題はこれから語られる三つの命題いちばん根本位置する第一命題である

神は存在しない。

神は存在しない。

私たち私たちの外側から定め、その実在保護してくれる神というもの存在しない。

私は私のみの神、物語絶対的命令者を信じている。

今まで神が存在したのは各々の神が一致していると思っていたからだ。

私はこの神を「表象としての神」と定義しようと思う。

しかし、私たちは神を信じる。

神は存在しない。

しかし、私たちは神を信じる、「表象としての神」を。

私たちは神を信じることで繋がることができる。

各々が各々を各々の世界繋ぎとめ、各々を各々として生かすことができる。

しかし、この連帯は時として息苦しく感じられる。

なぜなら、それは私たち可能性を封じ、まったく不自由ものにするからだ。

私たちは神を殺して自由になった。

そのため、私たちはこの連帯から逃れたいと思うようになった。

それは近代という神によって、考える葦という自己認識を与えられたからだ。

しかし、人々はこの知恵を授けられた瞬間に、呼吸不全になった。

今まで吸っていた連帯空気を吸えなくなり、

自由空気を求めるようになったかである

そのために、私たち個人は一致して、近代という神を自らの不信によって殺した。

私たちは虚無に解き放たれた。

私たち個人自由になった。

しかし、私たち個人造物主を失った途端に、この世界を失った。

私たち個人連帯は神を殺したときから消滅し、

私たち個人意味はなくなり、

私たち個人実在は虚無に解き放たれた。

私たち個人保護してくれる神はもういない。

私たち個人の足場はもう存在しない。

私たち個人証明してくれるものはもう何もない。

私たち個人は今、究極の虚無に、剥き出しの世界に相対している。

私たち個人は一時として安心することはできない。

から神殺しは神を求める。

から神殺しは神を求める。

私たち個人世界を取り戻すために、

失われた過去を取り返し、

約束された未来を取り返すために。

 

神殺し神殺しを許してくれる神を求める。

時に神擬きに騙されるかもしれない。

神なんていないと斜に構えたくなるかもしれない。

しかし、私たちはそれでも神を求めざるを得ない。

私たち意味を与えてくれる確固たる存在がなければ、

私たち私たち存在すら確固たるものとして捉えることができないのだから

2017-02-06

公人精神疾患アウティングについて

為政者精神疾患暴露されねばならない

為政者精神疾患については一般に、公益に重大な関わりがあるから、指摘されねばならない。暴露すること(アウティング)が必要である

それに対して一般に、私人プライバシーについては暴露されてはならない。「この人は境界性人格障害だ」とか「アル中だ」とかどころか、精神疾患に関わることですらない普通のこと、例えば「ゲイかもしれない」とか「親は生活保護受けている」とかも、あるいは「親は外国人だ」とか「ムスリムだ」とかも、暴露されてはならないのである。ちなみに、それをやっても憚らぬところに日本社会の異常と横暴がある。ついには国会にまで呼び出して「親は生活保護受けている」イジメをしたりする。吊るして見せしめにすることで「綱紀を引き締め」、民衆ストレス解消を解消し、腐敗し壊れた社会体制を維持するのであろう。

往々にして過去にも現在にも、侵略者暴君精神疾患をもっている。いまは既に殺されているカダフィにせよPTSD統合失調だろうということは指摘されてしかるべきであったし、カエサルシーザー)やチンギス・ハンやナポレオンにせよ精神的におかしいところがあったから飽き足らぬ侵略を行ったのである。たとえ既成権力構造を打破するという名分があったとはいえ、織田信長によるジェノサイドもいささか精神疾患じみている。ましてやアドルフ・ヒトラーについては言うまでもなくアタマがイカれている。

なぜそうしたイカれた侵略行為が野放しどころかむしろ支持されるのか、そのことにも反省必要である。たとえばナチズムにせよ十字軍にせよ、主導者の精神疾患性ということのみならず、支持者や社会精神疾患状態にあるのであるイスラミック・ステイトによる、統治におけるファシズムと、テロリズムも、同様に、壊れている。

アベ晋三にせよドナルド・トランプにせよ、狂信的であることは言うまでもないが、そもそも言動からして精神疾患をもっていることが明らかに見て取れる。ちなみに、その精神疾患性がゆえに狂信に至り、狂信がさら精神疾患を高めるという悪循環である

信仰宗教)と政治は同根であった

なお、その狂信も信仰であるにはあろうが、信仰政治に持ちこんではならない。そもそもは信仰シューキョー)というのが統治のための手段であったのだから歴史的にみていわゆる「政教一致」は当然のことであった。なにせ信仰というのは、現実関係がなく、「ダメなもんはダメ」が通用し、社会の既成構造を堅持することが容易い。そして、政治意味不明になって腐敗してしまう。民は信仰により隷従させされ、国家家畜になる。その闇(病み)を打破したのが西洋近代革命である

ちなみに、その信仰政治への持ち込み(政教分離違反)についても、日本人には自覚反省がない。信仰シューキョー)を信条だと強弁したり、儒教教義道徳だと強弁したりして、平然と政教一致社会体制を堅持している。滑稽であるが、迷惑だ。実害がある。

為政者精神疾患に気がつけないことの危険

話が逸れたので戻すが、首相大統領のような為政者精神疾患をもっているのに指摘されないのは危険なのである。「精神的にかなりおかしい人だけど政治家にする」という、判っていて敢えてやるのならばまだしも。首相大統領だけではなく凡そ公権力行使者について同様で、公費でたびたび県の反対側にまで温泉旅行に行ってそれを批判されたら泣いて自転車で逃げる県議とか、SNS中高生言動が気に食わないからって脅す議員とか、精神的にどこか来している。

精神疾患をもった為政者の多くはおそらく、首でもくくったり、飛び降りたり、アル中になって失職して孤独死したり、形態はさまざまあれど、可哀想な終わりになってしまう。だから放置しているのは当人のためにもならない。しかし稀にそうした結末にならずに祀り上げられて横暴のかぎりを尽くすことがあるから、先述の通りの暴君が出る。いずれも、ためにならない。

思うに香山リカとか和田秀樹だとかだって、アベやトランプ精神疾患なんだってことは手にとるように判っているだろう。けれども、判っていてもそのことを公言しない。それは、一般アウティングを避けるべきだということが医師にせよ社会人にせよ必要であるからだろうし、真実暴露してしまえば社会から狩られるからかもしれない。大概の人は、狩られるのが怖い。勇気をもって人生と命を懸けて行動しないのは、エゴイズムなんだけど、残念ながら可哀想もので、怖いのだろう。

だがそうして「王様は裸だ」(自尊心が高いだけのアホの気狂いだ)ということを「ロバの耳」の如く人知れぬ山林の穴に叫んで埋めてくるようなことをしていていいのか。もしかするとそうしているうちに、王様は裸だということすら、誰にも判らなくなるかもしれない。そのとき国家社会も、自分自身のことすらも、自ら制御不可能になり暴走するのである。誰にも止められない

2017-01-31

小学生は毎朝ランドセルを担いで昭和タイムスリップしている

プログラミング教育を進めようとしていたとある校長先生言葉

最近PTAやら学校におけるITリテラシーの低さが話題になっている。

以前に学校現場教育における技術イベントにいった時に話していたことをまとめてみる。


医者先生は100年前にタイムスリップすると、仕事ができない。なぜなら、レントゲンCTといった技術が無ければ診察ができないほど

技術が入り込んできているからだ。

だが、学校先生は100年前にタイムスリップしても仕事ができる


それくらいITを始めとした技術が入っていない。

学校先生は忙しい、仕事量が多すぎる、と言うが、ひたすら効率が悪いだけ。

ITによる効率改善などに取り組む気がない。


近代学校役割は、富国強兵であった。そのスタイルがずっと続いている。

目の前のことを一生懸命やる!といった姿勢しか教えない。

技術で楽して解決するなんてことはありえない。

それを率先して教えるべき教師が、技術を使って楽していると見えると、

教師アイデンティティ崩壊する。だからITなんていれる気がない。


学校は外界と遮断されていて、外部から情報が入ってこない。

本来学校とは、その時代にあった技術学問を教えるところ。

今の学校のあり方は、進歩するという姿勢から大きく乖離している。


ある学校で、iPadを全児童に配って教育しようとした試みを行った。

子供からはとても好評だった。別の子の描いた絵にいいねをつけあったり

教師子供技術を教えてあげることで、子供から尊敬されたり。


だが周囲からの反対が相次いだ。

まずは教育委員会

「他の学校でやっていないことをこの学校だけでやることは認められない。すぐにやめるように。」

という警告。


次に保護者特に貧乏な家庭の親からクレームがあった。

iPadを使っての教育なんて、いらんことを教えるな!」

本質的には、親が知らないことを子供に教えてくれるな、ということである

子供の方が吸収力が高いので、ITスキルなんてすぐ吸収する。そうすると、ITを使いこなせない親のプライドが傷つく。

から教えて欲しくない。


ITリテラシー教育というのは、ITとの適切な距離や関わり方を教えることが大事

危険から、といって子供からそれを遠ざけたところで何も解決はしない。

大人になって自由に使えるようになって、バカなことをやらかすだけだ。


こうした事情があり、学校関係IT化、プログラミング教育は進まない。

もっと外界からの刺激を受け、変化を受容していかないとダメだ。

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