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2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-04-14

マストドンの素朴なリベラリズム左翼性)について

これは流行らない、と直感的に思った。流行ったとしても一時的ブームになってあとはカルト化するだろう。

マストドンは「あなたの会話が一つの会社によって独占されるのを防」ぐと書いているが、どことも分からない一個人管理させるほうが危ないだろう。

上場している公開企業名前も顔も知らない一個人、どっちに管理してほしいかと言えば、圧倒的に前者だろう。

これほど素朴に「反体制」「反権威主義」を謳ったサービスは久しぶりに見た。大きな組織は何でも悪だという古臭い左翼思想根付いており、サービス全体からとても思想性を感じる。

一昔前の左翼単純化された世界観組織は悪で個人は善)はとうに通用せず、リゾーム化し、何が悪で何が善かわからない世界突入して四半世紀近く経っているのに、これはいただけない。

原始インターネット的とも言えるが、ずいぶんと古臭い思想を掲げたWebサービスが出てきたものだ、と感心した。ドイツ発というのもそれっぽい。

思想を持ったWebサービス成功しているところはない。成功しているWebサービスはすべて便利さ、手軽さ、楽しさ、だ。

2017-03-25

政治対立軸

意見や参考資料になるものが欲しくて書いてみる。

最近政治を見ていて思うのだけど、日本政党政治には第三極が足りない気がして。


1)自民政治主導・コミュニタリアニズム・中規模の政府官邸主導による強力な変革力と推進力・人治的

2)民進&共産(?)→行政主導・リベラリズム大きな政府行政力の向上による高度な福祉国家官僚

3)第三極司法主導・リバタリアニズム(?)・小さな政府法律のこまめなアップデートによる個人自由の最大化・法治


ものすごく雑に分けたけど、こういう勢力による切磋琢磨があると良いように思うのだけど。

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323070303

ん?それリベラリズムちゃうの?

判断力ブーストしたうえでの)自己決定を重んじるっていうのは明らかにリベラリズムだよ

リバタリアニズム個人自分意思自己決定しかたどうかなんて重要視しないし

最小国家法律とか最小限のルールだけ決めてあとは市場原理に任せて好きにやってれば最適化されるんだからそれでいいんじゃねみたいなのだと思うよ

2017-03-10

くだんのリベラル私的メモ

この問題はいろいろな意見があって面白かった。メモ的整理

大別

1直接の批判リベラル視点からの)

2この批判に対する批判

トランプ否定的にとらえた上でのトランプ支持者と断し、今後の日本を憂う

コメ主を救うべき対象としてみようという考え方

(前提として脱線トランプは本当にそういった人々からしか支持されていなのか。トランプの良い面は全く見ないようにしているかのように見える。)

htnmiki 良い悪いとは別に、この問いを無視することはトランプ誕生に繋がるよね。衣食足りて礼節を知る、貧すれば鈍する理屈じゃない

→このコメント問題を正しく捉えようと言っている。

同時にこのコメ主が貧して鈍じたとも言っているようにもとれる。

解決策を提示はしておらず、トランプ当選ネガティブと捉えている。

rgbv お前らが結婚もできず子どもも作れず必死に働いてるのは外国人がいるせいなの?追い出したらトントン拍子に結婚できて子ども授かって給料うなぎ上りになんの??日本死ねって叫んだ方が健全なんじゃないの???

リベラル感情面だと思った。

リベラルバカが嫌いだ。バカ特に合理的でないことや非論理的な事など。

コメ主の言ってることはただの逆恨みだ!と言っているが、嫌いという感情によって批判しているため、他のコメントによって感情によって批判したことを批判されている。

また、バカを掘り下げて精神貧困や、貧困によって引き起こされる問題と捉えることによって庇護対象として組み込もうというコメントもみられる。

yunitaro 典型的認知の歪み。貧困から家庭を持てないならそれは経済政策の失敗であり行政責任。責めるべきは政府であって外国人ではないし、明後日の方向へ抗議をしているか行政も変わらない

リベラルからみたら全くもって正しい理屈だが、その実、対象者精神的or知性的貧困者)の思考に即していないことを指摘されている

「責めるべきは政府であって」政府をどう責めるべきなのかを補足してコメ主と語り合ってほしい

→これに対する批判

netonlinejob ブコメの「経済政策の失敗であり行政責任」とか言い出したら、外国人排斥政策を支持する政治家が台頭するだけだと何故わからないのだろう? 認知の歪みという指摘は逆ではない

政治転嫁した場合、己が(リベラルからしたら間違った考えをもっている人間)がそもそも自分の考えが間違っているという前提に立たないだろうという当たり前の示唆。実際に思考実験するとおそらく正しい。

自己責任論 ※重要キーワード キモくて金のないおっさん

lcwin この意見自己責任論とせずにうまく寛容とリベラリズムに沿ってゆるく導く発言をすることが今求められていることかもしれないんだよなあ。本当に難しい。

hanyan0401 「結婚出産もしようと思えばできる」という自己責任論に、弱者男性、いわゆる「キモくて金のないおっさん」が、「金のないフィリピン国籍妊婦」ほどには弱者として顧みられないという現実垣間見ました。

augsUK ここに自己責任論なんだ。救うべき対象の選別をする権利が欲しい人が一定数いるなあ。さらに、救われない対象を叩くことを楽しむ人が主流派になってる。

→この人のを自己責任として切り捨てるのはちがうのではないかというリベラル内省垣間見られる。では自己責任とは、何が自己責任なのか。コメ主が置かれている現状がってことなのだろうか。おそらく違う。リベラル自己責任として切り捨てるのは「知性のなさ」だ。自分は頭がいいと思っていて、バカ自分改善されるべきものという思想根底にあるのかもしれない。

キモくて金のないおっさん擁護

kirifuu これを自己責任で切り捨てるのが今の日本現実からなぁ。セーフティネットと言っても難しいのだけど、あざ笑ったり叩いたりするような発言ではあるまいよ。

kasugano ここに自己責任論が出てくるの本当に地獄だよな。異性獲得弱者のオッサン相手になら何言ってもいいと思ってる連中がワラワラと湧いてくる

awkad まさに「キモくて金のないおっさん問題キモくて金のないおっさんは誰も哀れまないし、救われない。「自己責任だろ」を浴びせ続けられる。そしてどんどん歪んで沈んでいく

shira0211tama 問題切り分けるべきが正論かもだけど切り分けると自己責任論で各個撃破されるんじゃ? これだけ他を引っ張って来ないと辛いと言えないし、これだけ引っ張ってもボコボコにされる闇

dongdeng 弱者の味方を自称するリベラルがなぜキモい金のないおっさんに寄り添わないのかわからなかったが、人気のブコメを見ると差別を行なってる仮想敵に無条件に見下せるおっさんを置いてるからなのかなと思った

→確かに、、、どうやらリベラルどもには、救うべき対象者は、経済的に貧している人間であって、知性的、あるいは精神的に貧困している人間は救う対象にはなりにくいようだ。それはリベラルアイデンティティベースにの批判」があるからかもしれない。そしてその批判対象知性的貧困をするのが手っ取り早いからだろう。

自己責任論に対する批判

CelestialFire 努力すれば結婚できるなら誰も困らないんだけどな。普段自己責任論を心底嫌ってるくせして、「キモくて金のないおっさん」には平気な顔して自己責任論を押し付けてくるリベラルダブスタはいい加減うんざり

cloq 貧乏自己責任論者の頬を金でひっぱたいて黙らせろ案件

sds-page 無自覚自己責任論者

→結果、こういうダブスタと言われるような批判さらされる。

danaca この人を叩いてるはてブ民を見ていると、はてブ民は弱者の味方ではない事がよくわかるよね。はてブ民は「助けたいと思える綺麗で気持ち悪くない弱者」を助けたいだけで、決して弱者の味方ではない。

→ここでいう「気持ち悪くない」というところがやはりダブスタと言われる所以だろうし、リベラル内包する自己矛盾かもしれない。

そもそもコメ主はなぜ「キモくて金のないおっさん」なのか

(先に断っておくが、彼はとても偉いと僕は思っている。これだけ批判されているのを認知しておいて、自分コメントを消していないのだから

dj_superaids 結婚もできず子どもも作れず、と必死に働いてるの相関関係理解できなかった。かわいそうだな、とは思った。

→この指摘のとおり本来相関はない。だが文章の読み方を逆にしてある補語を補うと、「必死に働いているのに、結婚子供を持てるほど稼ぐことができない貧困にある」

という彼の中では実際に因果が生じているのかもしれない。

しかし、ここまでは金銭的な貧困だ。

しかし、フィリピン人批判することと結びつけることで、知性的精神的な貧困になった。なぜコメ主はそのような結びつけをしたのか。

kirifuu 結局救われる優先度の最下層に自分がいるって自覚がこの発言を生んでるんだろう。この発言を叩くのは簡単だがそれは割と社会として末期的だと思うね。

→このコメントの言うとおりだとすると、他の層が見えていない問題。これだと根深

T_Tachibana 主 語 が で か い 。 金が無い事と結婚出来ない子供が作れない事はイコールじゃないって本当は気がついてるんでしょ。

crapman 一切同意できないがこの叫び理由を考える必要はある。世代別の保有資産を見てもわかるけど、日本若者世代世界一相対的に金がない。世代間で分配が進んでないという叫び。だがフィリピーナにあたるのはよくない

→本当だとしたら興味深い話だ。

totoronoki あの人を救ったら次はおれの番だ、じゃないんだよな。他人が救われても自分絶対他人の手によって救われないという確信があるから露悪的になれる。

→なるほど。その確信はどこから来るのか。なぜ来るのか。

baikoku_sensei 弱者同士は連帯せず、自らの待遇改善より他人改善を妬むのが現状。全体の格差是正より「俺たちを優遇しろ」の声を拾い上げ、扇動して支持を集めたのがヒトラーやらトランプなので、感情論を持ち込むべきではない

→慧眼なのに感情論を持ち込むべきではない、という結論ではなぁ。わかり合うためにはどうすべきかを提示してほしかった

tGsQqV この発言をした人が困っていることと、この外国人女性が困ることにまるで因果がない。 例えば、自分が別の理由で本当に困ったとき他人から難癖つけられて適切な手当てを受けられられなったら…なんて考えないの?

→実に正しくリベラルチックな考え方に見えた。

mamezou_plus2 子供作って生活保護受給すれば良いじゃん?何故出来る事をしないのに僻むのか?結婚も子作りもやろうと思えばできるよ?幸せかどうかや自分基準を満たしてるかは別として。

→それは違うんじゃないか社会構成する一員として、自覚をもってる面があって、それだからこそのフィリピン人への妬みだとか恨みになってるわけで、それを取っ払えばいいじゃん?って言っちゃう社会崩壊するわけだから、彼の我慢社会の安定に資するところであることは評価しなきゃ

そもそもそういった自覚人間社会的動物として成り立つようになったDNAに刻まれている感情でもあるようだし。

・・・なんか気になるコメント抜粋しながら書いてたら、支離滅裂になってきた。整理になってねーな・・・・いったん寝るか

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203000401

リベラリズムというのは突き詰めると

どこかで線引きをしてここまでの人たちを弱者と認めて救済しましょうということを言う思想しかなくて

思想の中に絶対的な線引きの正しい基準というのは含まれていない。

から難しい理屈を言っているように見えても結局ほとんどの場合そういうことを言う動機

テレビでみて可哀そうだと思ったとか動物的、感情的な動員によるものしかない。

その結果現代リベラリストの多くが想定しているのは

パートナーを獲得できる程度に成熟した人格を持っているヘテロ+LGBTQだけを市民として扱い

それ以外は人間以外のゴキブリとか人間じゃない動物のようななにかと同じもの

救済の対象ではないというところまで来てしまったということになる

まりリベラルで世の中をよくしたいと自称している人間いたとしても

その人物リベラルである限り救済対象の線の外にいる生き物にとってはなんの救いにもならないことは自明のことであり

自分が救われようと思ったらリベラリズムのものをなんらかの手段破綻に追い込むか自分リベラルの救済対象となるよう訴えるかの二通りしかない。時代の空気鑑みる独身おっさんにとって後者手段有効であるかどうかは非常に怪しい。

2016-11-12

クリントンが嫌われるわけと、「サヨク」が嫌われるわけ

エリート大衆の逆転

こんな記事を読んだ。「「トランプ支持者は理解できない」で終わり? メディアが見誤った彼らの感情」。都市に住むエリートインテリエスタブリッシュメント)は、マイノリティに目を向け、リベラルな主張をするが、一方で地方に住む大衆の素朴な感覚を顧みなかった。地方大衆は、そのようなリベラルに対する不信感を募らせていた。そして、今回の選挙で、それが選挙の結果を左右するに至った。都市エリートたちのリベラル立場からトランプ批判は、地方大衆から相手にされなかった。

もちろん、都市地方エリート大衆対立は、今に始まったことではない。なぜ今になって形勢が逆転したのか。言い換えれば、なぜ今までリベラルが優勢を保つことができたのか。その鍵になったのは、SNSだと思う。SNS以前のメディアとして、新聞雑誌テレビなどがあった。それらのいずれも、受信者限定されないが、発信者限定されている。したがって、エリート情報の発信を独占することができた。SNSは、発信者限定されない。つまり大衆は、今日になってエリートに対抗しうる情報の発信手段を得たわけである

リベラリズム空虚なわけ

大衆は、エリートの主張にこう答える。「リベラル言葉は、理想主義的で、現実問題解決してくれない」。もちろん、エリートの方も、自分の主張が問題解決にならないとわかってそのような主張をしているわけではないはずだ。なぜエリートの主張は大衆拒否されるのか。それは、エリートが共有するリベラリズム社会科学といった知識を、大衆は共有していないからだと思う。エリートが前提とする知識を共有しない以上、彼らにとってリベラルな主張が突飛なものに思われることに不自然はない。

日本の「サヨク」と「保守」について

そして、以上のことは、日本の「サヨク」と「保守」の関係にも妥当するように思う。「現代「保守」言説における救済の物語」という記事を読んだとき、説得的な分析だとは思いつつも、なぜ彼らがそこまで「左翼が嫌い」だと思うに至ったのかわからなかったが、アメリカで起こっているのと同様の現象が起こっているものと考えることで、一応の説明がつく。「サヨク」が嫌われているのは、人々を説得し、自分たちの考えを説明することをしてこなかったからだ(「「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」 津田大介さんが訴える政治運動の姿とは」)。もちろん、「保守」(の一部)の言うように、「サヨク」が意図して自分たちの都合のいいように情報コントロールしようとしてきたとは思わない。しかし、自分たちの主張が正当だと信じて疑わず、それゆえに徹底した説明をしてこなかったのは確かである。それが「普通の日本人」たちには、新聞テレビを独占するエリートであるサヨクの不誠実な姿勢として映り、反感を生んだとしても不自然ではない。

もちろん、日本の「保守」の主張とアメリカ地方大衆の主張は、特に天皇国旗国家のようなナショナルものに関わる論点軍事に関わる論点国家権力作用に関わる論点外国人に関わる論点においては、異なる。日本にあってアメリカにないものとして、天皇神聖不可侵とする政体のもとで、アジア進出し、連合国と戦い、敗れた経験があるからだ。

2016-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20160730171310

リベラリズム自由主義

自由にしすぎて格差拡大してね?)

ソーシャルリベラリズム社会自由主義)←(影響を与える)←社会主義 →(社会主義共産主義の第一段階。理想郷を目指すのだ。ガハハ)→ 共産主義

福祉とかに金かかりすぎ。カットカット。)

ネオリベラリズム新自由主義


ソーシャルリベラリズム左派リベラル

ネオリベラリズム右派リベラル

呼称することが多い。


どっちも自由主義なので自民党リベラルを名乗ることも民主党リベラルを名乗ることも本質的には間違ってはいない。

ただし、共産主義だけはリベラルを名乗れない。

一部の共産党支持者は

日本共産党は昔の共産主義とは決別してて、いまは労働党みたいなもんだ」

といってソーシャルリベラリズム寄りだと主張してる(党名を変えて欲しいという意見はそのため)。

対して全共闘とかの過去の経緯から信用出来ない人が日本共産党共産主義であると言ってる。


ただ、上記を踏まえた上でソーシャルリベラリズムこそが(真の)リベラリズムである

自称するひとが多いので左派リベラル=リベラルである、という認識になってる。

2000年台の小泉竹中改革はモロに右派リベラルだった。

それに対抗して左派リベラル側がこっちはリベラルあっちは右派リベラル=(右派から保守みたいに結びつけて戦ってた。

ところが第二次安倍政権辺りから安倍左派リベラルに寄ってきてる。

その結果左派リベラル側の論理的土台が崩壊してしまって滅茶苦茶になってる。

2016-07-10

リベラルだけど、菅野完みたいな護憲原理主義者と一緒にしないでほしい

護憲派特にとんがってる菅野完さんがまたなんかおかし記事書いてる。

「経済政策で野党がダメだから自民党に投票する」という愚劣さについて

いつもおかしなこと書いてるけど今回は特にひどいね。「啓蒙」の考え方が暴走しているうえに、ウソを言って人をだまそうとしてる。もはや「啓蒙」ですらない。ただの「洗脳」か、読者を馬鹿にしすぎてるだけのただの狂信者という趣だ。

井上達夫さんは「リベラリズム基本的価値である正義は、他者に対してフェアであること。正義とは他者に対する公正さ。」「リベラリズムの源泉は啓蒙と寛容の伝統自分他者に対する要求や行動が自分視点からだけでなく他者視点から正当化されているか自己吟味することが必要正義自分要求他者押し付けることではない。」と語っていたけれど、上の記事にはそういう観点がないので、この人はリベラリズムとは縁がない存在と思いたい。 護憲派と一緒にされるの心底迷惑

安倍政権のやり方に危惧を覚える人々ですら、野党リベラルもっとひどいという不安があって、世論は、安倍政権の強引な手法不安を抱えつつも、より害悪が少ないものとして支持している」

ほんまこれな。菅野さんだけがとがってるならいいんだけど、上で書いてるようなことを他にも主張する人がいて、完全に目がイッチャッてるのに自分は優良な人間で周りが愚かだと思ってるからもう完全に救いがない。


そもそも日本護憲派護憲と言いながら憲法尊重しない欺瞞を犯してる

原理主義護憲派修正主義護憲派という二種類の護憲派専守防衛であったとしても自衛隊存在のもの違憲と考えるのが原理主義護憲派専守防衛の枠内なら自衛隊合憲だと言ってしまうのが修正主義護憲派

専守防衛自衛隊安保政治的必要からという理由事実上容認しつつ、専守防衛自衛隊を認める明文改憲には反対。自衛隊違憲状態固定化しているという意味原理主義護憲派憲法を守っていない。

修正主義護憲派も、現実主義的に見えるけど、9条2項を考えるとあからさまな解釈改憲世界第二位自衛隊が戦力ではないということになり、米軍とともに行う自衛権行使交戦権行使ではないということになる、無理な解釈改憲原理主義護憲派修正主義護憲派憲法を守っていないので、安倍政権集団的自衛権容認を違憲だと批判するのは欺瞞。この欺瞞ゆえに護憲派安倍政権批判が力を持てないし、このような考えはリベラリズムとは何の関係もない。護憲派リベラルと呼ぶこと自体おかしい。

リベラリズム憲法精神立憲主義を守るという意味では基本的護憲立場ではあるが、日本護憲派憲法全然守っていない。リベラリズム護憲を主張するのは「憲法に定めていいのは、特定党派に有利にならないような公正な競争ルールと、少数者を保護するための基本的人権」だからだ。

にも拘わらず、護憲派を主張する上記人物は自分意見に沿わない人は愚劣だと罵る。これは憲法精神に反しているので話にならない。なんちゃってリベラルであって、主義主張として評価すべき点がない。ただの自分意見ごり押ししたいだけのわがままちゃんだ。 この人たちは護憲派とよぶことさえも語弊があると言える。



こういう人と一緒にされるのは耐えがたい屈辱であるリベラル立場からも、この人の今回の記事遺憾であると述べさせていただきたい。

2016-07-03

世界同時株安に対してリベラル政党が主張すべき経済政策

2014年にこんなエントリーを書きました。


民主党支持者としての執行部のアベノミクス批判への愚痴 http://anond.hatelabo.jp/20141125174047



書いてみてわかったのは、はてなブックマークで月間1位を取ろうが年間ランキングに入ろうが世の中には何の影響もないということです。あきらめましょう(挨拶

とは言え、ひさしぶりに参議院選挙前に何か書こうかなーと思いつつモチベーションが上がらずにいたら世界同時株安が起きたので、これにからめつつあれこれ書いてみようかなーと思います。ただ、国内政治状況は変わってないですし、結論はたいして変わらないと思います

リンク先のタイトルに書いてある政党がなくなったとか言われても知りません。

というわけで、まずは上記のエントリー冒頭部分を引用します。とても大事な前提なので。

==========ここから引用==========

そもそもなぜデフレは駄目なのか


ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。

単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレ問題なんでしょうか。

そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます

物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります企業利益を出すためには費用も減らさなければいけません。

新規設備投資を減らしたり人件費を抑えようとします。

今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。

物価が下落したのと同じ割合社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。

正社員給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金下方硬直性」と言います

じゃあどうなるかというと簡単です。失業者が増えるんです。

リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。

ただし、リストラをするには非常に煩雑手続き必要です。

結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります

企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。

これがデフレ問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます

物価上昇率失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります

==========ここまで引用==========

引用部分から続く2014年エントリーで私は、現政権金融政策(世の中に出回るお金の量を調整)を肯定して財政政策(どこから取ってどこに配るのか)と成長戦略規制政策とか産業政策とか)を批判しました。

当たり前ですが、その内容は今回も変わりません。

まずは、最近よく聞く「物価が上がったか実質賃金は下がって国民生活は苦しくなっている」という話についての議論から始めてみようかなと思います

物価失業率実質賃金の話


引用部分で、「リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をします」と書きました。

収入が変わらずに物価が下がるのでお得です。この状況が、実質賃金が上昇しているということです。

物価より先に賃金が動くことはありません。商品の値段を変えたからといって、会社給与水準はいちいち変動しないですよね。

ほとんどの企業では多くても年に1回、春闘の時期に給与水準が変わるだけです。

からデフレ下では短期的には実質賃金が上昇し、失業しなければお得ですが、失業者がその分の割を食います

長期的には、デフレのせいで給料が上がらないので失業しなくても損するのは皆さんご存知の通りです。デフレスパイラルというやつです。

そして、デフレ下で金融緩和をして世の中に出回るお金の量が増えて利益が上がっても、企業はすぐに給料を上げるわけではないので、物価が上がった分、実質賃金は下がります

利益が出る前に給与水準を高くする企業なんてあるわけないんだから当然なんですが、でもこれがむちゃくちゃ大事です。物価が上がるのが給与水準よりも先なので、まずは実質賃金が下がります

下がった分だれが得をしているのかというと、それまで失業していて新しく雇用された人たちです。

失業率が高いうちは、給料を上げなくても新しく雇えるので賃金はなかなか上がりません。失業率が下がり人手不足になり労働市場が売り手市場になってはじめて給料が上がっていきます

から物価が上がったか実質賃金は下がって国民生活は苦しくなっている」とか主張するのは本当にやめたほうがいいです。

マクロ経済をきちんと学んだことがある人間には「デフレに戻せ」と言ってるのと同じに聞こえるんですよ。

じゃあ、どういうふうに現政権経済政策批判してどんな主張をすればいいのかについて書いていこうと思います

現代の主流派経済学の中での左派の主張


クルーグマンスティグリッツピケティといった名前を聞いたことがある人はそれなりにいるかもしれません。別に知らなくても何の問題もないです。

クルーグマンスティグリッツはどちらもノーベル賞を受賞した経済学者で、日本では今年3月安倍首相が相次いで会談を行ったことがニュースになりました。

ピケティ2014年12月日本語版出版された「21世紀資本」の大ブーム日本でも有名になりました。

ちなみに、上記リンク先のエントリー2014年11月ピケティブームの直前に書かれたものです。(エッヘン)

そんなことはどうでもいいんですが、この三人のマクロ経済政策に関する主張はかなりの部分でとても似ています

三人とも主流派経済学左派に属する人たちなので、まー当たり前っちゃ当たり前です。

どういうものかというと、失業率が高い状況においては、金融緩和と大規模な財政出動をすべきというものです。

金融緩和についてはもう問題ないと思います。世の中に出回るお金の量を増やさないといけません。

その上で、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)については、財政出動(たくさん配ること)を主張しています

金融緩和によって実質賃金はいったん必ず下がります。この実質賃金低下の影響が大きい層、つまり給与所得者層(中でも特に低所得者層)に配るんです。

必要な段階とはいえ、物価が上がったのに給料が変わってない人は消費を抑えようとしますよね。

せっかく出回るお金の量を増やしたのにうまく循環しないと困るので、実質賃金の低下の影響を財政出動によって和らげるんです。

当然、このタイミングでの消費税増税は、愚策中の愚策です。消費を増やすために財政出動しなければいけないのに、逆にその層からたくさん取ってどうすんだって話です。

政権経済政策について批判しなければいけないのはこの財政政策の部分です。

雇用は増やしたけど再分配がまったくできていない、むしろ逆行しているから、低所得者向けの積極的財政政策もっとやれという批判の仕方をすべきです。

金融緩和実質賃金低下を批判しても、雇用を増やしてほしい人たちからの支持を失うだけです。

マスコミ知識人ジャーナリストたちが果たすべきはずの役割とその怠慢


別にすべての人が経済政策について全体像理解してなきゃいけないなんて私はまったく思っていません。

ただ、マスコミ知識人ジャーナリストなどの、情報や知性のハブになるべき人たちが、必要に応じてその時々できちんと説明できればいいだけです。

そして、経済の話については、ここがものすごく弱いところです。

マスコミに期待するのは無駄だとしても、他の分野の話については専門的・学問的な知見の積み重ねに対して謙虚な人でも、経済の話だとまったくそれを無視するのってなんでなんでしょう(泣)

クルーグマンでもスティグリッツでもいいか入門書を一冊でも読んで全体像理解して、その全体像の中で個別論点をそれぞれ掘り下げればいいのにと思うんですが、権威のある経済学者言葉から自分の思いつきにあてはまる部分だけでパッチワークを作ってばかりで、知識人とかジャーナリストって勉強嫌いなんですか?

いちおう私について言っておくと、学者でもエコノミストでもなんでもなく、ただの経済学部出身者です。むかしひととおり学部全体像を学んだことがあるだけです。

知識のハブになる人たちは、「経済学者にはわからないだろうが」みたいなマクラポエムを書く暇があったら現代の主流派の通説ぐらいは知っといてほしいです。(偏見まみれ)

EU離脱を招いた、キャメロン首相緊縮財政政策


さて、イギリス国民投票の結果、EU離脱派が勝利しました。イギリス人移民雇用を奪われたことが原因だと言われたり、でも実際に移民が多い地域では残留派のほうが多かったりといった状況で、いろんな人が理由分析しています

私も、私なりに思い当たる理由を書いてみようと思います。というか小見出しにもう書いています

財政赤字削減を公約に掲げて2010年首相になった英保守党キャメロン首相の「改革」が、間違いなく理由ひとつになっていると考えています

名誉白人様ことめいろまさんがEU離脱解説した一連のツイートを読むとわかりやすいんですが、都市部インテリ(気取り?)は、失業率増加や公共サービスの低下を移民増加と直接的に結びつけて理解していることがよくわかります

移民が多い地域でむしろEU残留支持が多かったことからもわかるように、緊縮財政政策政府がなるべくお金をつかわな政策)による不景気公共サービスの低下が、なんとなくのイメージとしての排外主義を加速させるという意味で、経済学視点からも学ぶことの多い出来事だったと思います

クルーグマン言葉を借りれば「欧米日本失策から学ばずに、日本よりひどい失策をしたことに対する反省皮肉」というやつです。今度は日本失策からきちんと学べるといいですね。

財政再建派」という言葉について


ここはちょっと箸休めです。あんまり関係いから読まなくてもいいです。

よくニュースなんかでも使われる「財政再建派」という言葉があります財政再建派という言葉は、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)において、増税特に消費増税)による税収増と緊縮財政を主張する人たちに使われる言葉ですが、すごく誤解を招きやす言葉だなーと思っています

消費税増税すれば、増税した年の財政赤字を減らすことはできますが、消費を落ち込ませることにより不況の原因になります

15年以上にわたるデフレ不況によって増え続けた国の借金を、単年だけの税収増でどうにかできると考えるなんて無理があって、好景気による税収増を続けていくことでしか財政再建成功しないと私は考えているので、せめて「増税優先派」とかにしてくれないかなと思ってしまます

財政再建すべきという目的は変わらないのに、片方を「バラマキ派」、もう片方を「財政再建派」と呼ぶのはいくらなんでもなぁとよく思います

リベラル政党が主張すべき経済政策とは


長々と書いてしますみませんでした。

さて、リベラルが主張すべき経済政策です。ここまで読んでくれた方はもうわかりきってるとは思いますが、「金融緩和低所得者層子育て世帯への財政出動の組み合わせ」です。

政権経済政策アキレス腱財政政策です。2014年エントリーにも書きましたが、

雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人や低所得者層への再分配だったり世代間格差是正には興味がないのが現政権で、

再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策最後まで採らなかったのが前政権です。

金融緩和継続するということを大声で主張しましょう。投票先のない経済左派が泣いて喜びます

参議院選挙ですね


そーですね!(やけくそ

私はリベラリズムが好きなので、候補者政党が何をどう言おうが、候補者政党が争点を決めることはできないと思っています

それぞれの有権者勝手優先順位の高い争点を決めて、それぞれの優先順位にしたがって投票してしまます。それでいいと思います

その結果、全体としては、これまで有権者にとっての優先順位が高い政策は、雇用福祉経済でした。これからも変わらないでしょう。

このことは、本来ならリベラル政党にとってはありがたいことのはずなんです!だって雇用を増やして失業率を下げる政策を主張すれば勝てるんですから!!

なんで勝てないんだろう!?雇用を増やす政策を主張してないからですね!!!

雇用が争点になったら困るリベラルって斬新ですね!!!!新しい!!!!!

本当に情けない、悲しいです。経済左派雇用を最優先に投票先を選んだら、自民党投票するのがもっと合理的になってしまうんです。

相対的に一番ロジカル経済政策を主張してるのが自民党からです。

しかも、ここまでに書いたように、よりロジカルな主張が存在するのに、私はそれを主張してほしくてしょうがないのに、リベラルなはずの政党たちは逆方向に全力疾走してます

自民党一強の状況を、右傾化とかそういう言葉に回収して馬鹿にすることに意味があるとはまったく思いません。


自民党安倍首相以外の執行部は緊縮財政派がずらりと並んでますし、次の総理経済で失政したら政権交代のチャンスも生まれるかもしれませんね。

それまで寝て待ちましょうか。そのときにはどんな党名になってるんでしょうね、すごく楽しみですね(棒)

また愚痴になってしまいました、手が疲れたのでここまでで終わりにします。オチはありません。

2016-03-24

緊急避妊薬を巡る議論について、殴り書き

一部のラディカルフミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。

一方、リプロダクティブ・ヘルスライツの整備に反対する保守層は、女性人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツライツ話題のもの忌避する社会が完成する。

プロダクティブ・ヘルツライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニールーツとする保守主義者は、女性社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。

日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会帰属し、「世間」の強制力空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチフェミニズム」の趨勢象徴しているように思う。

リプロダクティブ・ヘルスライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働社会的価値を損なうことはない。出産育児労働を天秤に掛けるとき労働を選択する女性ばかりではないからだ。

一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在日本社会においては、生殖のものコスト女性側に一任され、経済的負担男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。

単独家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分社会的立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手見出し、交渉する主体性と行動力必要となる。しかし、アンチフェミニズム標榜する視点において弱者男性問題が論じられるとき、男女関係における責任問題現実的側面に目が向けられることはほとんどない。

彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的男性世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。

セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題であるとき生殖に関与する両者は、二人の協力者である

男性側のアクションとしての、コンドーム代表される避妊手段女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスレイプである」という命題否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。

しかし、この「現実的側面に対して、現実的議論する」こと、そのものが、世間一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリー支配された「女たち」と、家社会部族社会論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所財産名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である

リプロダクティブ・ヘルスライツを巡る議論忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニストからも「保守主義者からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズムリベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである

2016-03-08

フェミニズムの簡単な俯瞰

最近フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野から全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、

たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。

同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものなっちゃうんじゃないか?

あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?

ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。

フェミニズムとは

フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想運動*を指す。

女性解放を実現するための考え方や手法問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。

18世紀の終わりから始まったフェミニズム最初公的権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域適用され、現在性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。

フェミニズムの流れは三つの時期に分けられる。

第一波(ファーストウェーブ

参政権財産権労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。

第二波(セカンド・ウェーブ

ファーストウェーブ公的権利だけだったのに対し広い範囲における領域平等を追及していった。

特に家父長制という男性主権価値観問題性が広く認識され、様々な領域社会制度規範への批判へと繋がっていった。

また公的領域だけでなく私的領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。

第三波(サード・ウェーブ

カンド・ウェーブに加え、人種地域宗教階級階層、性指向など多種多様問題領域を扱うようになった。

カンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?

家父長制(Patriarchy)

社会領域政治経済文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会システム価値観

フェミニズムではジェンダー押し付けものとして扱われる。

最初男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。

フェミニズム流派

あくま思想系統であり、フェミニスト所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。

発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。

ラディカル フェミニズム

カンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別根本的な改善を目指すフェミニズム

根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。

なので関係する問題領域社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性性的対象化、家庭内暴力生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。

これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善模索する事が多い。

リベラルフェミニズム

社会が不必要女性能力を低く見積もった制度になってると考え、女性自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム

ファーストウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善権利獲得を目指す。

法や権利など主に公的形式を扱い、家庭内権威関係など私的な面はあまり扱わない。

機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。

マルクス主義フェミニズム

資本主義という制度社会階級対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性労働問題を焦点とする。

昔は資本主義制度廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。

家事家族の世話など、家庭内労働への評価の低さを問題視する。

報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生労働」と呼び、再生労働責任を共有し、女性生産労働にかかわることで再生労働価値が適切に判断されるようになると考える。

社会主義フェミニズムソーシャリストフェミニズム

まれ境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本米国リベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。

労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフミニズムのように家父長制だけでなく経済的性差も重視する。

リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。

ブラックフェミニズム

性差別だけでなく、階級対立性自認人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。

このような考え方をインターセクショナリティという。

カルチュラルフェミニズム

社会女性特性過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的評価していこうとするフェミニズム

ラディカルフミニズムから派生したが、対立する見解が多い。

その他

元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ

「この人はリベフェミからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニスト発言特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。

はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニスト典型例」となってしまう。

なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。

2016-02-04

正論という概念すら滅ぶかもしれない

id:masudamaster


フェミニズム袋小路に入ってるのもわかったし、リベラリズム万人の万人に対する闘争を招来することもわかった

うそれについては十分聞いたので、そろそろその先についての考察を聞かせて欲しい


俺はそもそも思想という概念自体時代遅れなのではないかと感じている


思想体系は一貫性志向するから直感に反する結論を導くこともあるが

当世の「思想」は直感従属する。直感思想優越する


当世の「思想」はあくま直感言葉を変えて言い直しただけのもの

けして直感に反する結論を導かない

必然的に、当世の思想論理的一貫性志向しない


たとえば「優先席では妊婦に席を譲るべき」は直感的に正しい

この直感からたとえば「弱者社会参加を支援することで社会活性化する。社会活性化させるのは善」という「思想」が逆算される

この「思想」を演繹すれば「終電帰宅社畜妊婦よりも弱者なので座るべき」という結論に到達してしまうはずだ、と考えるのは旧人

当世の「思想」は想像しない。「その理屈だとこうなっちゃわない?」を考えない。だから矛盾に直面しない


そもそも思想演繹して未知の現象対処しようとか、思想体系が論理矛盾内包してはならないとかいう発想が時代遅れになってる



思想が常に直感従属するのならば、そもそも思想存在する意味がない

判断軸を共有するためのツールとしての役割も果たせない。霊感は共有できないから

から、当世の思想論理ではなく記号表現される。同性婚禁止違憲判決記号の羅列だった

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151217231325

リベラリズムは一つの用語だけで多くのものから開放を意味するからそれが封建主義であるかもしれないし、宗教的モラルかもしれないし、あなた日本で感じている因習の多くに戸惑いを感じているのであれば、それもリベラリズムといえる。

社会や全体・共同体から人間という個人を取りも戻すことでもあり、またその逆を通じて自身目的を達成しうる事も、リベラリズムあなた表現できるよ。

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リベラリズム封建的ものに対する反発からまれたのは確か。

ただ、その結果として強者がどんどん強者になっていって結果的経済的に弱い人とかの自由が逆に阻害されちゃってね?

という発想が出てきて当時流行ってた社会主義の考え方である福祉の考え方とかを取り入れるようになる。

これをニューリベラリズムという。

逆に、中途半端だったから良くないことになったんだって言ってもっと自由を追求すべきだっていう思想も出てきてこれをリバタリアリズムっていう。


で、増田のいってるのは最初リベラリズムのことだよね。

これをいわゆる古典的自由主義という。


リベラリズムって今、思想分派してんのよ。

あと、ニューリベラリズム福祉を導入した結果財政がやばくなって金たりないってところからネオリベラリズムっていう思想生まれる。こっちは市場政府が介入したり、福祉に金を使いすぎるなって発想。リバタリアリズムとにてるけど微妙に違う。

ネトウヨがよくネオリベって言われるんだけどそれのこと。

生活保護(福祉)を叩いてる時によくそういわれるよね。


で、今はニューリベラリズム左派リバタリアニズムネオリベラリズム右派とよばれがち。

フェミニズムリベラリズムと相性がいいと言われるのはニューリベラリズムの「弱い立場の人が自由を圧迫されている」という考え方と合致してたから。

安部経済的左派って呼ばれるのは積極的市場に介入するから

右派だとすると自由を求めて一切介入しないはずだからね。

民主党社会の部分は左派的なお題目を抱えることが多かったのに経済にはほとんど介入したがらなかったか左派からそこは直すべきって延々言われ続けてるわけね。


基本的現在自由を巡る争いはこの自由をどう扱うかが争点になってる。

自由大事だけど政府が介入しないと結果的自由が損なわれるっていう考え方と

自由であるために政府は介入してはいけないっていう考え方の対立なのね。


で、どの国もそうだけど今はこの二つの間を行ったり来たりしてる。

しかピンポイントで使い分けてることが多い。

元増田はどっちかなぁ?

http://anond.hatelabo.jp/20151217231325

日本ではリベラリズムは基本オワコンだろう

ロールズの言う立場可換性の思考実験を元にした公正を目指す思想から

この世のどんな人間に生まれ変わってもお前は耐えられるか?という問い

例えばキモくて金のないおっさんブサイクピザ女に生まれたとしてもあなたはこの社会に耐えられますか?

耐えられない?ならば不幸を減らし耐えられる社会を目指しましょうというもの

しか日本においてはキモくて金のないおっさんブサイクピザ女は生きてる価値がないから死ねなどと

思っている人間が現に多数存在してしまっている

この人達思想リベラリズムにおいては

キモくて金のないおっさんブサイクピザ女は社会構成員だと見なしていない(要は市民ではない家畜か何かのようなもの)ことを示すわけだ

社会構成員がこいつは救わなくていい(こいつは我々の社会構成員ではない)と思ってしまえば結局は救わないことが正当化されてしま思想なわけだ

ありえるか?

2015-12-17

リベラリズム弱者権利保護


しろ弱者権利保護するためには、積極的自由制限も当然、というケースも往々にしてありうる

起点は、セックスに関してなんですけどね


リベラリズムって、封建主義的なしきたりを排除して、

人として自由、そう、

文字通り自由選択肢を可能な限り広げましょう、っていう運動だと思ってたのね

から性的抑圧に対して徹底的にあらがう

短いスカートをはくのはけしからん、なんて、

アナクロなこと言うオッサンをなぎ倒して、

ファッションとしての自由を謳歌する、みたいな

女性器をケガレのように扱うのはおかしい、だからまんこアートします、みたいな、

そんなときちょっと胸元を強調するだけで、

性的けしからんって激おこぷんぷん丸なっちゃう人を大勢観てると

でもなんかおかしいな、と違和感を感じることも

そこで最近ようやく気づいたの、

リベラリズムと私が思っていたもの根底には、

弱者への眼差しがあるということ

セックス問題も、女性弱者であることを前提に考えると、見えてくるものがある

別に胸元くらい強調したっていいじゃん、

乳首露出してるわけでもなし、

自由な性表現を、何で封建的なオッサンよろしく取り締まるんだろう、って疑問も、

女性が受け身、

弱者としてのロールプレイをさせられることが、良くない

そんな考えが、優先されるんだね

から、そのためには、

性的表現はむしろ積極的制限されるべき、って論理になるんだ

男性側の性的表現は、極力規制する

女性側の性的表現は、極力擁護する

これは、リベラル(自由)が目的ではなく、弱者保護目的だったんだ


いまさらながら気づいた

自由に寛容のように見える人が、

なぜある分野では、突然超封建的な振る舞いをするのか、理解できなかった

そういうことだったんだね

言論の自由もそう

ヘイトスピーチは、弱者に対する攻撃から

そういう自由絶対制限されなくてはいけないという

そこで問題になるのは、

誰が弱者なのか?、ということ

非モテ男子の話が典型だよね

女子弱者なら、男子強者になるけれど、

非モテ男子は、

そしたら強者なのか弱者なのか

話がここまで来ると、もう、シッチャカメッチャカなっちゃって、

誰も交通整理できないカオス状態突入ちゃう

すごく大切な話だと思うのに、

めちゃくちゃになって終わっちゃう

これはすごく、もったいないことだと、

思うんだけどなあ

2015-12-14

リベラリズム理由説明してくれない

基本的リベラル側のスタンスだよ。

でもねリベラル意見は、なぜそれが正しいのか?を説明できてないのが問題ナキがする。

先日、アイルランドカトリック国)で憲法女性中絶を厳しく規定しているとして非難の抗議があった。

現代医学倫理では、数字的に絶対○○は母体安全、○○は胎児でも人間として扱うといったところまでは進んでいないので、そうなると、政治がそれをざっくり決めざるを得ない。

政治はその時の社会であり、人であり、その人が営んできた宗教でもある。

このアイルランドの例で言えば抗議している女性たちは中絶権利を拡大して欲しいという意見であり、保守派カソリックでは基本命を授かった時点で中絶はアウトとなる。もちろん保守はそこで思考停止になる問題ってのもあるのは重々承知している。

かい言葉定義言葉遊びにあまり陥りすぎても、話にならないので個人的に思う所だけここで言っておくと、リベラリズムはそれがなぜ人間社会により良い影響をあたえると信じられるのかをキチンと説明して欲しい。

リベラルメディア標榜するのであれば、その理由は常に説明すべきだ。

からネットでの保守層がアホみたいな言説を正当化してしまう。

…っていつも思ってイライラしてる。

しいたけ師匠コメントもらったので追記

・仰るとおりだと思います。ここで例に上げた生命倫理など、正直、自分もどう判断してよいかわからないでござる。ただ、多くの人がウヨ、サヨ、保守リベラルなどをあまりにもそれが社会に何のインパクトがあるのか勉強もせずに使い続けている現状に一番イライラしているでござる。

2015-12-07

表現の自由問題におけるリベラリズム周りの復習

■図解

リベラリズム自由主義

↓→→→→→→→→→→→→→→→→→→→↓

↓                   ↓

ソーシャルリベラリズム(社会自由主義) リバタリアニズム自由至上主義

↓(派生

ネオリベラリズム新自由主義


リベラリズム

フランス革命時に生まれ思想

王政へのカウンターとして生まれ思想なので自由平等、個々人の権利を重んじる


ソーシャルリベラリズム

リベラリズム自由を求めすぎた結果格差拡大してね?

という懸念から社会主義の考えを取り入れて、福祉とか経済介入をしよう的発想


ネオリベラリズム

ソーシャルリベラリズム福祉を取り入れた結果財政がやばくなってきたので福祉とかちょっとやめよう

みたいな

経済への介入も一切せずに法律周り整えたりするだけでええやん


・リバタリアリズム

リベラリズム自由を求めすぎた結果格差拡大してね?

という懸念からもっと自由を拡大したほうがいいわ。中途半端すぎ。

という発想

とにかく全部自力やらせろという考え方。自由至上主義と訳す。



表現の自由問題の基礎


ネオリベラリズムとリバタリアリズムの違い

ネオリベラリズムとリバタリアリズムは似てるけど違います

ネオリベラリズム財政問題から派生した思想なので基本的経済の話しかしません。


表現の自由環境セクハラ

よく、はてなではフェミオタクエロをどうする云々やってて

左翼右翼対立軸を考えがちですけど、細かく見るとリベラリズム内の同族争いです。

まり、「自由尊重するか」、「社会的公正を尊重するか」というリベラリズム最初からある主張が衝突しちゃってるんですね。


ちなみに我々はこの「自由」か「公正」かというのをあらゆる事柄で使い分けてます

例えば


ゲームでは「グロ」に対しては個々人の権利尊重する傾向にありますが「エロ」に関しては自由尊重する傾向

漫画では「グロ」も「エロ」も自由尊重する傾向にあります。但し、少年漫画青年漫画、成年漫画等の共通概念を使って暗黙の了解社会的公正も尊重しています

テレビでは多数の人間が見る為に「自由」を抑えて「公正」を尊重する傾向にあります

etc...


まり一種のパワーゲームなわけです。

自由」か?

「公正」か?

というのを我々は常に考え続けてるわけですなぁ。


なので左派右派でこの問題考える人がたまにいますが正確にはちょっと軸が違うかなって感じです。

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151203213518

リベラルフェミニスト」というのは、世間一般の風潮に対する態度であり、他人に対する態度である自分自身のことではない。特に、家庭における自分の個人行動のことではない。「女性一般の権利尊重する」ということと、「自分女房権利尊重する」ということは、まったく別のことだ。前者はフェミニズム説明できるが、後者フェミニズムとは全然関係がない。

ここが難しい。

自分他人である女性の権利尊重するが、自分女房権利尊重しない。

そして他人がその他人女房じゃない女性の権利尊重しないことは許容しないが、その他人女房権利尊重しないのは許容するってことなのか。

そうすると、世間一般の夫のいる女性の権利尊重されないことを許容していることになって、女性一般、というか多くの女性の権利尊重していないことにならないか。

それとも、他人がその他人女房権利尊重しないことは許容しないが、自分自分女房権利尊重しないことは当然だと考えているってことなのか。

これはジャイアニズムかいうやつで、典型的道徳規範に反する態度だったと思う。

リベラリズムフェミニズムもなんかぼんやりした使われ方をされがちだから仕方ないのか。

カッコつきの「リベラルフェミニスト」ってのは口先だけ世間に合わせている人で、

本気ではない人なんだってことなんかな。

2015-11-13

「今、民主主義について考える49冊」から除外された本

書名著者
SEALDs 民主主義ってこれだ!SEALDs
時代の正体神奈川新聞時代の正体」取材班
右傾化する日本政治中野晃一
社会を変えるには小熊英二
デモいこ!TwitNoNukes
私達は"99%"だ「オキュパイガゼット編集部
革命のつくり方港千尋
デモ!オキュパイ未来のための直接行動三一書房編集部
希望政治学布施
日本人民主主義を捨てたがっているのか?想田和弘
立憲主義について佐藤幸治
ぼくらの瀕死のデモクラシー枝川公一
政治はなぜ嫌われるのかコリン・ヘイ
日本国憲法新装学術文庫編集部
法とは何か長谷部恭男
憲法とは何か長谷部恭男
読むための日本国憲法東京新聞政治部
タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか小林節
憲法は、政府に対する命令であるC.ダグラス・ラミス
国家暴走古賀茂明
検証法治国家崩壊吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司
ソフトパワージョセフ・S・ナイ
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください井上達夫
キング牧師辻内鏡人、中條献
I Have A Dream!マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
隷属への道F.A.ハイエク
世界を動かした21の演説クリスアボット
戦争プロパガンダ10法則アンヌ・モレリ
精読アレント全体主義起源牧野雅彦
ヒトラー演説高田博行
劇画ヒットラー 復刻版水木しげる
悪あがきのすすめ辛淑玉
独裁者のためのハンドブックブルース・ブエノ・デ・メスキータアラスター・スミス
輿論世論佐藤卓己
永遠平和のために 啓蒙とは何か 他3篇カント
アメリカデモクラシー(1上下・2上下トクヴィル
国家上下プラトン
自由ミル
一九八四年[新訳版]ジョージ・オーウェル
動物農場ジョージ・オーウェル
イェルサレムアイヒマンハンナ・アーレント
人間の条件ハンナアレント

ソース

http://pbs.twimg.com/media/CSmpHEIUwAAOfO2.jpg

http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10696

2015-11-03

弱者保護するためならパターナリズム全開も躊躇しないサヨク

日本の誇り以外ならリベラリズム全開も躊躇しないネトウヨ

2015-05-27

弱者男性」はなにを望むのか?

弱者男性からバックラッシュについて論議が続いていますが、自分の中で感じたことを吐き出してみる。

端的に言えば、

  1. 弱者男性要求自分生活環境を悪化させないことではないか。」
  2. 弱者男性批判に対して、フェミニズムは応答する責任はないがリベラリズムは応答する責任があるのでは。」

という話。

弱者男性は、女性から承認を求めている。」という想定に違和感を覚えたのが、以下の文章を書く動機

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495

なお、弱者男性として、30-50代の不安定な就労環境に置かれた独身男性を想定している。自分自身弱者男性に近い立場である

弱者男性不安は「フェミニズム実現後」にある。

フェミニズム擁護側には多くの統計をもとに、今の社会がいかに「男性優位社会」かをしめしていただいた。

なるほど統計上はたしかにそうだ。

しかし、自分給与明細・口座残高があまりよい状態ではないのもまた現実である

今まで生活保護のお世話にならずに済んだがこれからどうなるかはわからない。

そんな状態で賃金格差などを示しながら「男性優位社会」を撲滅するということは、弱者男性賃金労働環境悪化させる可能性があるといっているに等しい。

安定した環境で働いていて家庭を持っている男性にとって具体的なフェミニズムの影響は「家事仕事割合」とか「出世競争」といったところであろう。

しかし、弱者男性にとっては「よりブラック労働環境」「非正規労働への転落」「失業」といったものを想起させる。

自分の今の地位さえ「男性優位社会」による下駄の結果だとしたら……ということである

「流れ弾を当てるな」「ほっといてくれ」というのは、自分生活環境を苦しくするなという話だ。

『「フェミニズムの実現」は未だ成っていない喫緊課題であり、実現後を勝手妄想して批判すべきではない。』

という批判はまっとうであると思うが、心情的に自分が不幸になるかもしれない運動を諸手を挙げて歓迎することは難しいのではとも思う。

弱者男性からフェミニズムへのバックラッシュは(リベラルから見ると誤った)部分最適の結果である

上記の弱者男性不安に対して、

フェミニズムは「男性優位社会」を打倒する理論であり、男性格差は感知しない。男性男性運動すべきである。』

というような批判フェミニズムからすれば当たり前の応答なのであろう。

フェミニズムは男女格差を解消する運動であり、その理論方法女性解放最適化されて構築されたものなのだろう。

女性が立ち向かう壁は「男性全体」であり、そこに「強者男性」「弱者男性」の区分はない。

それに対して「弱者男性からバックラッシュ」も弱者男性生活向上においてはひとつ最適化の形だと思う。

社会問題を体系的に考えるの素養がある人であれば「弱者男性貧困問題経済的強者に向かうべきだ。」と違和感なく考えることができるだろう。

しかし素朴にこの問題を考える時相手は弱者男性以外になるし、さらに悪ければフェミニズムの構図を引きずって「男女対立」の枠で最適化させてしまうかもしれない。

特にこの問題フェミニズムおよびそれを支援するリベラルの応答においては度々”弱者男性は真の弱者ではない。”という言い方がされる。

コレは卑屈にとらえれば「弱者男性男性優位社会でも優位に立てないクズ」であり「他の社会運動から連帯を与える価値がない」と見える。

そして往々にして弱者男性は卑屈である

リベラルに見捨てられていると感じている弱者男性が、リベラル提供するもの見方に乗っかってくれるかは怪しいのではないか。

弱者男性が期待することとしては「社会問題として我々をどのように扱うか。」を明確にすることである

弱者男性がたとえ卑屈であろうとも、彼らが感じている「貧困への不安」というものは本物であると思う。

本来このような弱者男性不安に応えるべきであるのは、労働組合労働運動であろう。

しかし、失われた20年の間労働運動は敗退を続けていた。労働組合は長らく既存正社員雇用を守るだけで精一杯だった。

非正規労働者であれば、労働組合正社員権利擁護団体としてみている可能性もあるかもしれない。

その一方で生活保護以上のセーフティネットが敷かれることも期待できない。

なぜなら財政問題によって社会福祉が充実することはなかなか難しいうえに、

もしこの先福祉が充実することがあっても、福祉の拡充に熱心であるリベラルは「弱者男性」を福祉対象と見ていないからだ。

こうした状況の中で弱者男性が求めていることは『「社会問題弱者男性をどのように扱うのか。」をリベラル勢力が明確にする』ことだと思う。

フェミニズムが伸長しても、弱者男性生活保障されることを確認したいのだ。

労働組合の復権という形であるのなら、20年負け続けた労働組合をどのように復活させるのか。

国によるセーフティネットを充実させるのか。そのセーフティネット弱者男性も利用することが可能なのか。

本来であれば「リベラル政党」を自認する民主党部分最適ではないロードマップ提示して欲しいのだが、あまり期待できそうもない。

いずれにしてもあくまでも「弱者男性が真の弱者ではない。」「それは甘えだ、自分で考えろ。」という態度をリベラル全体でとるのであれば、

弱者男性リベラルの推すフェミニズム批判するべきではないというのは、納得してもらうことができづらいだろう。

2015-02-08

右と左の対立語

右派左派

右翼左翼

保守革新 ※左向きの言葉としての「革新」はほぼ死語

新自由主義(リヴァタリアニズム)とリベラリズム自由主義

自由主義資本主義)と共産主義社会主義

自由競争格差是正

ナショナリズム集団主義)と個人主義

原発推進反原発

左側に右よりの言葉を配置。

そのほうがすわりがいいので。

左右どちらも「自由」といいながら制限的でもあるのでまぎらわしい。

たとえば集団主義としての右派制限的。

一方で経済においては左派制限的。

普段から多少の情報を入れている人なら必ず左右どちらかに偏ってきて、

自分の偏っている側の言葉拙速に受け入れてしまやすい。

インターネットでは左右いずれも浅くて事実誤認をともなう言葉が溢れているので

まず自分がどちら側に偏っているのかを認識して、

なるべく自分とは逆側に意識を傾けておくと、事実にもとづいた深い理解思考ができると思う。

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