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はてなキーワード: 適応とは

2017-05-23

結局のところ、人間として不良品だって

つらい。つらい。どうにもつらい。

なにをどうがんばっても今よりより良い状態に辿り着ける気がしない。今まで今までなりにがんばってきただろうにそれでどうにもならなかったので今更どうにもならないとしか思えない。生きる才能がなかった。生きることに向いていない。その才能がない。本当に向いているなら今はもっとよりよいじょうたいに或るはずである。そうでないということはつまりこれから生きていても無駄なのではないか

なにか大義のためであったりそうでなくても今よりほんの少しずつ物事をよくしていくために人間は生きているはずなのであるがそれがない。だったら生きている意味などないのではないか? おそらくない。ならばなぜこんなに辛い気持ちを味わってまで生きていなければならないのか?

この辛さがいつか報われて今よりももっとよい状態をいつか手にできると信じられるからこそひとは辛さに耐えられるのではないか。あるいはよほど辛さに前向きに鈍感であるかだ。わたしにはそれがなく今の人生は延々続く責め苦に感じる。自分人生がこれから面白いものになる期待が持てない。どうせ今までがんばってきてそれもなにひとつうまく料理ができなかったのだ。

わたしは凡百の才しか持たぬ。いや凡百以下である就活で失敗したのは、就活という枠組みに適応できなかったという理由なのではきっとなかった。単にひととして劣っているので雇い口がなかったのである自己評価が低いのではない。能力が低いからこそ、評価が低く、評価が低いからこそ、自己評価が低いのである。それほどまでにどうしようもない人間であるからして、生きているだけでそれは無駄なのであろう。

こんなにつらいならきっと死んでしまったほうがまだマシだ。そうであるのに、死ぬとそれはそれでいろんなひとに迷惑がかかる。親は紛いなりにも悲しむだろうし、それはそれとして、昨年祖父葬式があったが、それがひどくめんどうだった。それに親族知人に自殺者が出るというのはたぶんかなり気分の悪いものだろう。中学生の頃に自殺未遂をし、弟に死にたい気持ち吐露したら、親に「そういうことは弟には言わないで」と言われた。当然だ。弟には申し訳のないことをした。愚痴や弱音、希死念慮吐露他人にとっては害だ。わたしは生きていく価値のない人間であるから他人に害なすことは道理に合わない。生きる責め苦から逃げ出したい。けれど他人迷惑をかけることなくこのゲームから降りることは許されない。

ああどうせ死ぬならそのまえに、死ぬ気で好きなことをやってみろって? もうやった。やった。でもなんにもうまくいかないんだよ。なんも楽しくない。映画を見てる最中楽しいけれど、その後はなんにも残らない。結局のところ創造的な営みでなければひとは快楽を得ることはできないんだよ。でもその創造的な営みには才が要る。気力が要る。体力が要る。それがなんにもないんだよね。時間はきっと作ればあるはずなのにね。自分自分を楽しませてやれない。死にたいわ。労力に対して、脳内で分泌される快楽物質の量が圧倒的に不足している。要はコスパが悪いんだよね。でもうつではないと思う。だって毎日自炊をして、出勤してる。要はつまり、単にわたしは生きるのに向いていないってこと。生き物として間違っているということ。

運動?やってるよ。毎日自転車通勤してる。野菜?食ってるよ。大量にたまねぎ人参を刻んで煮込んでスープストックつくって、それにしめじほうれん草カドカ入れて毎日食ってる。瞑想?してるよ。じゃなきゃ、もうとっくに潰れてる。でもね、だめなんだなぁ、これが!

やっぱり、低級市民。やっぱり、負け組。みんな優しいから、そんな君も生きていていいんだよと言ってくれる。でもみんな、やっぱり、わたしよりよほど立派な人間なんだよね。

2017-05-22

ミアキス進化から考える発達障害問題

ネコイヌって共通先祖を持ってるんです。知ってましたか

その名もミアキス。姿はイヌっぽいネコ。何とも奇妙な印象です。地上に天敵がいたため樹上で生活するミアキスが「普通」でした。

そのミアキス平原移住し、体や心が普通ミアキスから変異して平原環境適応したのが【イヌ】なんです。

一方樹上生活を続け、樹上の環境により適応したのは【ネコ】なんです。

さて、ここで問題です。

この「普通」でなくなってしまったミアキスは「障害者」なのでしょうか?

大きな環境変化にそれぞれ適応しただけのネコイヌしか元祖ミアキス基準とするとイヌは異常といえるかもしれません。

パソコンゲーム携帯電話など「著しく急速」なデジタル化による生育環境の変化、ネットへの適応はヒトのコミュニケーション能力犠牲新しい時代におけるヒトの進化の傾向(多様性型)を示しているという視点はどれだけ正当性があると考えられますか?

イヌ的なミアキスネコ的なミアキス分岐が始まった時代元祖ミアキスは樹上生活適応せず木を降りてしまった少数派を障害のある異常者と認識排除しようと行動したでしょうか?おそらくそれぞれの居場所移住することで「住み分け共存」していったはずです。

一方ヒトはイヌミアキスネコミアキスを樹上か平原かどちらかで生活強要するように、同じ環境に異なる発達をした多様性型のヒトを押し込み生活困難な方を障害者と括っているのではないでしょうか。

イヌミアキスに薬を投与して心体が適応した平原を忘れさせ樹上生活への恐怖を軽減させたら、果たしてイヌ型はネコ型と対等に競争共存することができるのでしょうか?

生態学から発達心理学への提議です。現在人口の1/15に達していると言われる発達障害者日本10,000,000人という計算です。これだけの比率ならば冗談でなく進化過程とも受け取ることができるのかもしれません。関係メディアネット住民の皆様にもお願いです。どうか慎重に報道下さい。

■今読んでおきたい最新研究の動向について

自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 〜実は障害ではない!(正高 信男) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51688

2017-05-21

日本人資本主義仕事への過剰適応だろ

から仕事以外何をしていいか解らない、社会参加もしない、

働いても儲からなくなると相互不信で叩き合う。

近代とか資本主義の表面だけ真似して少し上手く行ったから、

それ以外は考えもつかない。

2017-05-20

童貞でも無い

独身でも無い

でも、社会適応できない。

アスペでもない

ADHDでもない

だけど社会には適応できない

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

スーパーウルトラメリトクラシー本能霊感容姿または自然感情によって人を区別しますが

これは資本主義に高度に適応しているため差別ではないのです

2017-05-16

日本ってのは家父長制に適応しすぎて何も言えなくなった国だから

言える国だったらアメリカ支配天皇制官僚貴族政治家の腐敗にも対抗してら

従軍慰安婦問題で謝らせたかったら国連人権委が強制力持つしかないけどそんなの無理

国際社会から追い出されて終了

でもまあISあたりは国際社会からケモノだけどやってけてるしいいんじゃね

2017-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20170514031944

オタク的に物事に拘れるかどうかって基本的な脳の性質の違いみたいなところがある気がする。

そういう脳を持ってない人は何をどうやっても無理って感じ。何事にも拘りがない方が社会適応やすいので生きやすいと思うが。

俺の周りだとそういう(拘りの概念がない)タイプはとりあえず良いレストランで飯食ったとか高いホテルに泊まったとか良いスーツ仕立てたみたいな感じで分かりやすい見栄に走る傾向がある。あとはあれだな。家族子供)が趣味ですというやつ。あれが最も社会的にコレクトだしそこを目指すのが良いのではないか

2017-05-13

ウェイの会話批判マジレスする人は何もわかっていない

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない

あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期ありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。


ウェイ「あいつらゲームとかの話ばっかり何が面白いんだ」に対して陰キャが「あいつらの会話内容なんじゃん」と言ったところにマジレスされても困る(わざとやってるのだろうけど)。その年配の人とやらも配偶者とかに「電波仕事の話ばっかりよく飽きないね」的なことを言われて「主婦同士の会話のほうが飽きそうだが」とか感じてるだけのことだろう。

クラスの上半分のウェイは上昇・秩序ゲームやってるのかもしれないが下半分は生き残り・秩序ゲームなのである。上半分はいかにもっと有利なポジションにいけるか、いかに仲良くなるか、いかに役に立ってるアピールをするかで動いているが、下半分はいかにいじめられないかトラブルに巻き込まれいか、余計なことを押し付けられないかで動く。


おいそれと転校・転職できない環境下なら、カースト弱者簡単には逃げられないから、内容の無いコミュニケーションを回して校内政治社内政治確立し、ヒエラルキーを確定させるのは、コミュ強の社会適応としては有効だと思いますよ。多かれ少なかれ、これはみんなやってるじゃーん、な事だとも思う

https://twitter.com/twit_shirokuma/status/862819416282603520]



1年間はクラス替えもないのだから、上に行こうなどと考えるよりDQNの気まぐれいじめルーレットを避けることを考えたほうが現実的である。「優しいというのは言い訳であり自己保身」みたいな言い方がある通り、いい人キャラはいじめにくい。無害であり、上に行こうなんていう生意気なことは考えてない、という雰囲気を出す以外の選択肢はない。雑談で盛り上がるより相手の話を面白く聞いて興味深く質問するふりをするほうがいい。抵抗できなさそうなヤツだと思われる副作用もあるが、男気ある系のDQN教師や先輩に気に入られていればなんとかなる。ウェイとは逆に「無害であること」「その集団に入らない努力」「分際を自覚し身の丈に合わない権利責任放棄すること」「過剰に買いかぶられないこと」「お節介を気分を害さないように断ること」が必要なのである。(そういう状況であるのに、某問題群のこととなると臆病だの批判をかわすための安全に痛い自己批判だの安全からメタ視線でのポリコレ批判だのという批判もあるが、彼らはオタクにどういう反応をしろというのだろうか)。陰キャが抵抗したり牙を向くときというのはこの秩序が強要や抑圧で乱れたときである悪魔的なことを言えば陰キャ勢は一人いじめられっ子を生贄として差し出せば1年間は安泰なのであり、そのとき選ばれるのは上からも下からも反感を買う「自分は下じゃない」みたいなナルシスト系の陰キャだ。この時ウェイと陰キャの利害は一致している。

回避であること、表向き主体性放棄していることは陰キャにとって合理的である。何かの本で回避性人格障害治療法が変わったと書いてあったのだが要するに「いじめれっこを同性同年齢の集団に戻していたが最近はいじめが発生するからなされていない」というものだった。地域にもよるかもしれないがDQNいじめられて回避であることを合理的選択した陰キャを1匹、DQNの群れに投げ入れるなんて狂気の沙汰じゃないだろうか。教師や先輩の介入が入りにくい「集団」に入れるなんて逆効果になるとしか思えない。治療方針の転換は妥当なのだろうと思う。また真面目系クズACとする意見を見たことがあるが、これも因果関係が逆のように思う。自己犠牲ではなく、自分を大切にするためにこそ逆らわないのだから

陰キャにとって「あいつは真面目wつまんないやつ」「空気」「影が薄い」「人生楽しいか」と言われたらそれは適応成功している証拠である。「自分透明な存在だ」「自分は誰の役にも立っていないのではないか」「何のために生きるのか、なぜ生きなければいけないのか」と感じる機会は当然ウェイより多くなるが、はなからそれ以外の選択肢などないのだから、感じるだけ問うだけ無駄なのであり、そう感じたり問うたりするのは大体が脳のコンディションが悪いときなのなのだから心より体調に気を使ったほうが良い。

長くなったが要するに、サッカー部に入ろうとも考えてない野球豚が「サッカーなんて玉けり遊び何が楽しいんだ」と言ったことにサカ豚から「玉ける練習で、レギュラーを目指してるんだ。」とかガチでこられても唖然とするほかないという話だ。昔のid:p_shirokumaなら「レギュラーになれないやつの僻みだ」と、あさっての方向の批判をしていたと思うが、今回のマジレスさらに一光年あさっての方向に退却しているように思える。

http://anond.hatelabo.jp/20170513110724

自身はあまりそういう感覚は無い(何に愛着を持つかは俺が俺自身選択でもって決めたいしそれを決めたなら他者関係がないと考える)けど、たしかにそういう思考過程を辿る、つまりほぼ意思無関係に与えられた環境の中から愛着が持てるものを探しそれを軸に「選択」の方を明らかにしていくというような俺のを裏返したような過程を辿る人が多いのは想像できる。普通の人が一般社会適応するほぼ唯一の方法だろうから(俺は普通じゃないと言ってるわけではない)。うーん愛着か…。もう少し整理して考えてみる。ありがとう

極端な人間になってしまった。もう無理

甘えだと言われてしまうのはわかってる。現実から逃げてるのもわかってる。でももう生きていける気がしない。普通になれない。ボロボロで恥ずかしい。

中学とき、真面目すぎるあまり周りにドン引きされた。でもそれしか自分アイデンティティが無かったのでその努力評価して貰うために必要以上に頑張っては色んな意味ボロボロになるということを繰り返していた。体育祭ダンスで異常に張り切ったり合唱オーバーに歌ったりしていた。笑われてもなぜか手を抜くことなくやり通した。

高校では私を見かけるたびにみんなが笑っていた。クラスメイトはいつもニヤニヤしながら馬鹿にしたように私に話しかけてきた。高校では目立たないようにしていようと思っていたのに目立ってしまっていたようだった。中学からの癖もあっただろうし、世間知らずだったので女子高生にしては変な振る舞いをしていたと思う。さすがに辛かったので散々普通になろうと容姿やら挙動発言に気をつかっていたが最後まで普通の人とは見てもらえなかった。ストレスがかかりすぎて逆に感情がなくなっていた。

大学に入ってから人間関係で散々トラブった。私が我慢できないことが原因であることが多かった。まだ挙動おかしいのか後輩に笑われたりもした。何にも馴染めなかった。

他人に認めてもらえなかったか自己否定感と承認欲求が入りまじっていてどうしようもない。自分を守るために怯えたり自己顕示したりと極端なことしかできなくて結局何にも得られない。

人を信用できない。人が怖い。だから気に入られるように謙虚無難に接しようとするが、素の自分を認めてもらいたいという欲求が勝って嫌われてしまったりする。私はおかし人間だ、普通にならなきゃという気持ちと、どれだけ努力しても普通になんてなれなかったと投げやりになりありのまま認めてもらいたいという気持ちのせめぎ合いだ。

どうしたら認めてもらえるのか。病的なほどに人の顔色を伺って自分を抑えて周りに適応しようとしたけれど駄目だった私は、逸脱することでさらに認められることから遠ざかっていく。中学時代に逆戻りだ。あの頃は普通でいることに関心がなかったけれど今はもう普通に生きて認められたいという気持ちが大きいから前よりもっと苦しい。このままただでさえ異常な承認欲求肥大していけばもっともっと私はどうしようもなくなるだろう。私はどうすればいい。

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511001941

陰鬱に思えるまっとうな精神の持ち主は辞めてゆく。

慣れることで環境適応した記者は、やがて傲慢な振る舞いをするようになる。

2017-05-10

内容のないコミュニケーション持ち上げるバカカラオケも断るなよ、酒も断るなよ、忘年会の裸芸も断るなよ笑

カラオケや呑みに行かないか排他的に扱うね」って言われても老害だとか喚くなよな笑

他人コストやムダを押しつけてそれを受け入れないなら排他されても仕方ない!!とか喚くバカ

でもどうせバカからカラオケや呑みの強制拒否しても整合性取れちゃうんでしょ?笑

結局一貫性なしで自分に心地いいことだけは推し進めたいバカだっていい加減自覚したら?笑

適応するには仕方なくやるしかないという事と、やらないのは間違い!!はまったく別の話なのにどうして直結できるのかさっぱりだわ笑

内容のないコミュニケーションしか信頼関係を築けないバカ文化で育ったのでよろしくお願いします、ってそれおまえの都合だよね?笑

世界はおまえのママじゃないんですけど笑

自他の区別つけような。

2017-05-09

オタクへの批判内面化して、オタクをみくだしはじめるんだけど結局オタク的にふるまってしまマンことシロクマ先生

ブログを見ててオモタこと。

中身のないコミュニケーション論とかさ、

オタクへの批判価値観を過剰に内面化して、それが正義であるかのようにふるまうんだけど、

その主張の仕方が無邪気で無謬なあたりが、オタク特有のイタさから脱してないみたいなとこあるよね。

議論最中ワインで例えちゃって、

わかりやすさより情報開陳で心地よくなるのが目的にすり替わっちゃうなんてのもそう。

オタク文化と違ってワインは高尚な文化として認められてるものなのに、

やってることはオタク的ふるまいじゃん。

伊集院光が骨にヒビが入ってるのをあえてガンダムで例えて笑いを誘うとかやってるのとは違って、

自覚的でないのがおそろしい。

DQN批判するけどやり口がDQNと一緒に似てるオタク、とかいう指摘もあったし、

オタクって一生涯オタク的ふるまいから脱せないんだろうなーと思う。

あと適応には必ず中身のないコミュニケーション必要かのような物言いして、

中身のないコミュニケーション社会に固着させようとするのは次世代への悪なのでやめときましょう。

2017-05-08

いつも時間に余裕がない

なぜか朝起きてから出かけるまでにやたらと時間がかかる。仕方がないから出勤2時間前ぐらいに起きることにしているけど、目覚まし時計が鳴ると「まだ寝てたいんだよ!」とキレそうになる。そして起き上がってテレビを付けたりするけどだるい。朝食は簡単コーヒー野菜ジュースロールパンぐらいだし、弁当も作らないし、洋服選びや化粧にそんなに時間をかけているわけでもない。前の上司は朝5時に起きてひとっ走りしてシャワー浴びてから出勤してくるとか言ってたけど、そんなの絶対無理だ。

そして職場に着いてもだるい休み明けだとチェックしないといけない書類が山積みなので、とりあえずぼちぼちその処理から取り掛かるんだけど、完全に自分意志とペースで進めないといけない仕事の方がやばい基本的にぎりぎりにならないとやらないタイプからね。今の職場はそんなに飛び込み仕事が多くないし、事務量もたかが知れてるからいいけど、忙しい職場だと適応不能。

一番不可解なのは、家で掃除したり片づけたりする時間がないこと。別にダンナ子どももいないし、食事ほとんど自炊しないので、時間に余裕があるはずなんだけど、なぜか部屋は散らかっている。…あ、こうやって匿名ダイアリーとか書いてるからいけないのか。ちなみに最近スマホタブレットSNSをチェックするという暇つぶしができたおかげで、読書もろくにしなくなった。たぶんこうやってネットに費やす時間をほかのことに回せばもう少しきちんとした生活ができるんだろうな。

こんな調子なのでスマホは持たず、ガラケータブレットの2台持ち(機械スマホだけどSIMカードデータ通信専用)にして、タブレットの電源は通勤時間と昼休み以外極力入れないようにしている。ネット時間泥棒っぷりは半端でない。もっとも、おかげで退屈な時間を過ごすことが少なくて済んでいるんだけど。私と同じような状況に陥っている人は1時間でも2時間でもネットに割く時間を減らすと、時間有効に使えると思う。ま、言ってる本人がこんな状態だけどね。

あと、他人リア充っぷりを見てこっちが凹むようなSNSは極力アクセスする時間を減らすようにしている。が、必ずしもリア充と呼びにくい独身中高年男性一所懸命日々の暮らし投稿しているさまを見るとなかなか微笑ましく、「イイネ!」とか押したくなったりする。ほどほどにネット活用し、ほどほどに実生活を充実させるような時間配分ができればいいんだけど、難しいなぁ。

中身のないコミュニケーションで親しくなれるのは事実だけど、それが正しいコミュニケーションとか死ねよって言う感じだよね

多数派をかさにきて俺に合わせろって言ってるだけのクズ行為なんだけど自覚ある?

http://b.hatena.ne.jp/entry/336136959/comment/shima2tiger

shima2tiger 仕事内容だけで信頼を築けるから雑談不要、なんて言い切れる人は、きっと仕事ができる人だろうから良い。この場合は、仕事はそこそこって人に向けて書いてるんだろう。

仕事ができない人間苦痛に思えても我慢してヘラヘラして周囲に好かれないとダメだ嫌なら死ねという多数派様はさすが!

http://b.hatena.ne.jp/entry/336136959/comment/t_massann

t_massann コミュニケーションって双方の間で交されるものから相手から「こいつはコミュニケーションが取れない」と判断されるとそれだけで、現実コミュニケーションが難しくなる

おれのコミュニケーションは正しいコミュニケーションってスタンスでいる人って、おなじ日本人からおなじコミュニケーション取るのはあたりまえ!とか勝手に決めつけて押しつけてるだけだよね。

違うコミュニケーション手法を見てコミュニケーションが取れないってみなすことにちょっと自覚的になる経験したほうがいいよねw

batti-8 正論だが、なぜ精神科医ともあろうものが、ここまで断定口調で。少し恐怖を感じる。

シロクマ先生マッチョ思考からね。適応さえできればはい問題解決できないならおまえに罪があるという多数派を優良とみなすタイプエリート主義を全力でふりかざすタイプの前時代価値観内面化した精神科医なので、根性がない患者とはマッチしないよねw

2017-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20170506115400

研究開発とビジネスは別物。

研究開発の技術力は発想力と実現に持ち込む執念。

ビジネス技術力は適応力と継続的開発能力

ウェブ系はビジネスであって、いわゆるすごい技術なんてものはほぼ登場しない。

すごい技術が出てきたとき、どうやってそこに適応していくかが能力の差で、適応できている企業が名をあげていく。

他よりも早く適応することで、他よりも真新しいサービス提供できる。

研究開発はどこもやってるだろうけど、一般消費者に届く頃にはありふれたものに見えるように加工されている。

2017-05-03

撮り鉄迷惑行為にどれだけ無駄な労力かかってるか知ってる?

本題の前に筆者の話。

鉄道会社勤務、6年目、車両整備担当のぺーぺー、入社前は撮り鉄だったけど、今はカメラ旅行にいくときしか触らない。

私の職場車両基地という場所ゆえ、地元の方や、写真撮影の方、親子連れの人までさまざな方がまわりから見ていらっしゃる

そんななか、ずばぬけて、あきらかにマニアが面倒なことをする人が多い。

こっちは仕事だけど、でも昔撮り鉄やってたし鉄道が好きな気持ちはわからくない。好きなことがあるのはいいことだと思う。

たとえば私の仕事場なら、敷地に入らないでくれって看板あるの無視して、撮影する人の多いこと。

そのたびに手を止めて、言いに行かなきゃならない。

「あの~、申し訳ないんですけど、撮影敷地からお願いできません?」

いや、正論ぶっこんだら敷地不法侵入警察呼ぶのが正規です。

ただそんなことわざわざしてたらキリがないし、そんなことの対策に"わざわざ大げさに"お金かけてられない。

だいたいこの時の相手発言ランキング

「ほかの人もやってるじゃないか、なぜそいつに言わない」

ちょっとくらいやってもいいじゃないか

写真くらいとらせてくれないのかよケチ

たぶん、一般的教養常識がある人ならおかしいって思うはずだ。

これが自浄作用善悪判断を失った撮り鉄発言だ。ネタではなく、マジである。

ただ、すべての撮り鉄がすべてこんなのじゃないっていうのも合わせて付け加えておく。

ちゃんとやってはいけないことはもちろんわかってる撮り鉄もいる、それが普通なんだけどね。

だいたいニュースになる撮り鉄の行動・発言おかしレベルがずば抜けてる人たち。

自分欲求(撮りたい理想アングル)とやってはいけないこと(違法行為)だけは天秤にかけて、行動してもらいたいもの

なんで、そうなってるんだろう?って考えてほしいよ。

妄想臨時列車運用ダイヤとか自分のなかで○○所属車両が××所属かわらないかなぁ~とか、バカみたいな妄想想像話よりいま撮り鉄に対して向けられてることにしっかり目を向けてよ。

話は逸れたが、こんな対応をこまごましているうちに時間はもちろん過ぎてゆく。

規模や内容がひどいとき以外、いちいち上司呼んでられないし、上司時間割いてもらって下手にほかの作業指示遅れるなら私が対応したほうがまし。

でもどこかで無駄な労力はかかる。

そんな中、マニアが考えてやったことはなんだ?

自分がいいアングル、求めていた欲求を解消できるか、である

過去、停車中の貨物列車ブレーキかけて緩まなくして、列車はもちろん普通に走って、あとで怖くなって申告して逮捕された高校生の話。

貨物列車はどうやら貨車1両1両に駅で単独で停車するときにかけるブレーキシステムがあるみたいで、それを触ったのだとか。

同業他社の知り合いの知り合いからちらっと聞いた話だけど、列車は止められて、点検して、車輪がだめになってるから最寄りの駅で貨車を切り離して、代わりの貨車に付け替えて、だめになった貨車から付け替えた貨車に荷物載せなおしたりして、ダイヤ乱れて出てったって。

同じような業界からこそ、思ったのはたぶんいろんな社員さんが通常業務止めて、緊急対応で出動したり、対応に追われたんだろうなって話。

人身事故とか、不慮の事故とか、偶発的な車両故障とか、仕方ない件ならば、それも仕事なんだしやるんだけど。

他人様の、しか鉄道が好きって言う人間がやった不始末を後始末しなきゃならないのよ。

尽力された方々、さぞかし今一般人撮り鉄ウザイって思うよりもっとウザイって思っただろうね。

余計なことしたら、会社だってもうダマってない。

一人の撮り鉄だろうが、大勢撮り鉄だろうが、みんなお金払って駅などにいる人たちは、撮り鉄だろうが撮り鉄じゃなかろうが平等お客様

四季島とはいわず、みんな迷惑かけられたくないよ。

撮り鉄が金払って駅入ってもお客様やけど、同じお金払って乗ってるお客様迷惑かけたら、会社は手を打つよ。

最終的に鉄道会社は「安全」って文字意識するんや。

安全」をお金払って乗ってる人、すべて平等に「安全」なるようにしてるのよ。

さっきの私の仕事場の話ならば、移動してる車両の触車事故なんかされたらたまったもんじゃない。

鉄道は跳ねたらほぼ一発で死ぬことができる。私も移動する車両の横とかに立ってるだけでも怖いし危険

おわりに。

私も写真撮る機会あるし、撮影機材も写真知らない素人より全然わかる人だからトラバの内容わかるけど。

あなたの機材なんて知ったこっちゃないし、まずは社員仕事鉄道で移動してるお客様邪魔しないで。

別に写真撮るなって言わない。そら写りたくない人とかいたらそれは別だが撮るなと言わないよ、私は。

ただ、いまこの目を向けられてること、考えて。

意識ある人、良識のかけらが残ってる人、ちゃんとマナー常識ある撮り鉄ライフを送って。

「昔は良かったんだから良いだろ」とすぐ主張する人、現実見て。今は昔じゃない、今に適応して。脳みそ動かして。

撮り鉄って人々、ジャンル世間からの信頼がないのにさらに落ちてる。

やりたいなら謙虚、遠慮、譲歩のこころを持ってください。

とらば:http://anond.hatelabo.jp/20170502165004

2017-05-01

https://news.yahoo.co.jp/byline/kojimakeiko/20170308-00068469/

個人的にはまず異性が隔離された空間を作るところから始めたらいいんじゃないかな

共同社会適応できない人々が無視され、そんな当然のこともできないのか扱いじゃダメ

そういう共同社会からの逃げ場を作ることが弱さを受け入れることに繋がるのでは

男女共同社会を受け入れる強さを常に求め続けるだけじゃあ

結局家父長社会リーダーフェミニズムに変わっただけじゃないか、という気がする

2017-04-29

まるで僕らはエイリアン

キリンジのあの曲はこの社会に馴染めないはみ出し者をエイリアン、つまり外国人と呼び、その境地にいる二人が慰め合う様を歌ったものだと思っていた。

しかし「まるで僕らはエイリアンズ」といっていることからこのエイリアンというワードは、あたかもこの社会の者でないかのように、という意味比喩表現であって、よってこの曲にでてくる二人は実のところ社会適応しているとうかがいしれる。

まあ「月の裏を夢見て」というメルヘンチックなノスタルジーをちらつかせるあたり、エイリアンというのはシンプル宇宙人のことで、それは恋人たちの戯れのやりとりからまれたくだらないジョークなのかもしれない。

それはそうとLINE MOBILEで神妙な顔を画面越しに見せるのんマスコミ世界から存在をかき消されかけたにも関わらず、今もなお確かに私たちに向かってその凜とした顔を見せつけている。

危うく儚げな一面と、この地に確実に足を突き立てているであろうたくましい一面がない交ぜになり共存しているのんの摩訶不思議な魅力はエイリアンと呼ぶのが言い当て妙かもしれない。

彼女にはラストダンスを踊るような切ない思い出など必要ないけれども。

2017-04-28

はてなに現れだした子ども達へ

とき私たちゲス増田や突発的に降り立つ増田文学ウンコがもれただの世の歪みを文字に乗せたりブクマで己の主張や切り口を見せびらかして楽しんでいる。

その時、私たちが想定している見せびらかし対象は知らずのうちに同年代や近しい階層になっているし、それははてなという集団にとって暗黙のうちに当然のこととなっているように思う。

ところが最近、どうやら多感な時期を過ごす若年層もそれなりの数でこの場を見ているのでは?と感じることが続いた。

でも何も不思議なことではないよね、別にはてな界隈選民的なサロンではないし、最近幼稚園児ですら情報機器に対して凄まじい適応を見せるのだから10代後半の人たちが色々な知見のひとつとしてこんな所をチェックしていても、何もおかしくはない。

からといって、はてな界隈の人たちが何か己を律する必要はもちろん無い。むしろ彼らは大人達の本音がもしかたらこんなものなのかもしれないと楽しんでいるのだろうと思う。

ただ、彼らがここの何かに僅かな希望を持ち、彼らの拙い思いを投げかけてくることも増えてくるのではないかと思う。

私の知る限り、そういう時のはてな民は総じてあたたかい。それは素晴らしいことだと素直に思う。だからこそ、今まで場違いでは?と躊躇しているそこのあなた若者よ、こんな所でいいなら何でも吐き出せ。

ゴミクズのようなレスポンスもあるかもしれない。それがあなたを傷つけたなら、こんな無責任日記を書いている私のせいだし、私のせいだがこんな場なので責任は取らないwww

でも、あなたにとって役に立ったり支えになったりするレスポンスも、ウンコみたいなレスボンス以上にあるのではないかな、と思う。

多少いびつ特性人口が多いのかもしれないが、どのような集団であれ、未来若者のものだ。ガキから老害まで全てのはてなーに幸多からんことを。

追記

そうかーうごメモ残党かーそうなのかもね。

出自が何にせよ、彼らを大切に思うのはご指摘どおり、おとうさん増田からです。うちの子他所の子も、みんな輝いて見えるので、いちおっさんとしては楽しみで仕方ない。

いくつかのブコメで指摘される通り、大人ガチ論破されるのも、次の世代にとっては得難い経験かと。それもはてな流。

ともあれ色々なご意見有難うございました。

もう一度、全てのはてなーに幸多からんことを。

2017-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20170427165422

社会適応できていない状態を指して「キモイ」と呼ぶので、それは立論からして成り立たない。

どうなんだろうか

社会適応したキモい人はモテるのだろうか

モテなかったとしたらその人は適応できていなかったのだという空虚屁理屈に堕していないだろうか

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