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はてなキーワード: 適応とは

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524144932

①「受け入れる必要性がない」というのは、「全知全能」を体現し実行できる状態を未だかつて体験したことのない人間はそれに対して何の情報も持っておらず、全知全能を持ってすると何が起きるのかということを理解していない中で、ブラックボックスに対して定義付けを行うことが不可能であり、情報欠如の中で作り出した定義を実際に全知全能の神に対して適応することが不可能でありそれが正しいかどうかの確証を得ることも不可能観測検証に用いないというが、観測を無くして定義実証と法の確認不可能であり、実証不可能なことに対して不完全な情報で挑む以上、望む答えを得ることはできない。

論理的帰結を求めることができるのは問題となる論理が正確であることが前提条件となる。先に述べたように全知全能に対する正確な情報がなく観測もできない状態論理構築することは不可能。「人間が想定しうる全能において矛盾が発生する事象」これは問題のもの矛盾しているからであり神が矛盾を解消する手立てを有していたとしてもそれを全知全能でない人間が発想することもできなければ認識実証することも不可能である。全知全能である神が矛盾を起こさないという状況を未だかつて人類経験したことがないため解消できないに過ぎない。定義が解消されないことは全て情報不足であり人間理解できる答えが用意されている、約束されているという前提があるからである

③神が法を作り神が法を破ったとしても、それは法である神の行いであり全てが正しい。この人類存在人類が求める定義に対する答えでさえ世界を作る法である神の采配に帰結する。神が法を作り法を破ることを観測するにはこの世界存在しない観測者が必要であり、定義を発する人間がこの世界にいる限りは法が全てであり絶対であることに変わりはない。つまり定義に対して法である神に対して指摘することができる存在は、神に干渉されることのない外法となる存在が前提として必要となる。これは論点ずらしではなく定義定義として機能しない前提で進もうとしていることの問題を指摘している。

観測必要

http://anond.hatelabo.jp/20160524144710

遺伝子を受け継ぐこと」が目的じゃなくて、

大量の子孫を多様性の中で残すことで天才ガチャ人類というガシャポンの中でやってるんだよ。

子孫を残すことが成功じゃなくて天才になるか天才を生み出すかが成功

天才でもなく、天才を助けるでもなく、天才を育てもしないお前は、

ガチャってるホモサピエンスという総意からしたら余剰プール付属品しかない。

他の種族もそうやって環境適応した個体を生み出すためにガチャってるんであって

個体が子孫を残すこと自体生存競争に勝ってるわけでもなんでもない。

天才という結果を生み出せるなら他のガチャ素材が居ればいいだけ。

そして天才から天才が生まれるという因果関係も勿論ないので、

使い捨て電池のように利用した後は、次のガチャを回す。

子孫を残さな個体に対してそこまでセンチメンタルになれるお前はとても主観的

2016-05-23

社長労働基準法適応されない」とかい被害者

「時給900円」「週休1日」「過労死ライン超えの労使協定」という最低基準すら社長自身守れてないのは事業が失敗してるからだよね?

労働基準法程度守ったところでブラックブラックなんだが零細の社長にとっては違うんですかね。

2016-05-20

痴漢は本当に「悪」と言い切れるのか。環境によって簡単に変わりうる

当たり前だが痴漢は悪である。少なくとも自身も既婚者であり、守るべきものがあり、責任がある。単に相手のことだけではなく、子供や、親族、その他様々な人に迷惑をかける以上、一線は超えてはならない。当然のことである

間違ってもらいたくないのは、肯定擁護もしないが「どうしようもない場合がある」ということだ。それを踏まえて話を進めていく。




生物目的は何なのか。そこから話していこうと思う。少し哲学的な話かもしれないが、簡単説明していく。

私は生物学者ではないので詳しくは説明できないが、生物の最大の目的と言えば、種の繁栄(保存)である。他の生物は、環境適応し、生きるための能力進化させている。それはいわば本能である

捕食動物であれば捕食する能力を発達させ、被捕食動物であれば捕食されない能力を発達させてきた。こうしてできるだけ強い種を残すべく、最良のパートナーを見つけ、種を絶やさないことが生物としての最大の目的である

しか人間は脳が発達したことにより、様々な選択肢ができるのが現実だ。事実、「種を残すこと」が最大の目的ととらえない人も数多くいる。

ともあれ、これらは誰もが知っている周知の事実であろう。

先進国ではほとんど見ることはなく、現代社会では女性軽視ともとれる一夫多妻制度。実は土地柄によっては非常に合理的に出来ているのである。こういった側面から見ると、文化宗教観によって痴漢に対する考え方も変わってくる。

http://anond.hatelabo.jp/20131209170954

数学で喩えるならば。

公式と例題との関係とも言える。

主題となることと、公式。それを用いた用例との関係性が明確であれば良い。

二次方程式の解の方程式の話をした後で、具体的に解の方程式がどのように適応できるのかを見てみまそう。

ax^2+bx+cという一般式に対して、x^2+x+1とか、4x^2+3x+1とかが、具体例だね。

どんな風に公式を当てはめていくかを、文字式だけではなくて、数字で当てはめていって、見ていこうと言うことだな。


===

蛇足


中国古典孫子韓非子を比べると、今だに孫子が重宝されるのは、読みやすいってのもあるだろう。

合理的判断に基づいた推論となっているからだろうな。

また、その具体例が適切だからだろうな。

戦争に勝つための話をしていて、それはこうだから

丘の上に陣を張った方が、見渡せて良いとか。鳥の群れが、飛ぶのは、そこに人がいるからだ、とかね。


墨子韓非子イマイチなのは、具体例の部分が、本質とはかけ離れれているせいかもしれないね

韓非子の和氏の壁とか、すごく人の心を動かす例を出しているが、彼が言いたいことは、それだけの悲壮覚悟を持って、文書を書いていると言うことだった。

===

2016-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20160519233113

ズートピアにおける暗喩を基本とした子供向けに対する内実に話の焦点がフォーカスされ、最期デフォルメ形態からグロテスクへ。

最期グロテスクへの論理付はだいぶこじつけ臭く感じてしまうんだけど。



それとズートピアは未見なのでなんとも言えないけど、後半を見るにつけ高い確率解説メタファ適応されうるのかという疑問符も湧く。

筆者が何度も言うとおりメイビーでしかないような。造形に関していえば、流線型は動かしやすさと美しさが兼ね備わってるから採用されているわけで、直ちにギリシアに関連付けられると言われてもピンと来ない。それなら萌え絵文脈浮世絵には有るとも無いとも言える話に近くなってしまう。

はい評論自体はよく組み立てられてて面白かったよ。

2016-05-18

戦場に赴けば、人間の心は、徐々に肝が座っていく。

子供の時、初めてプールに飛び込むことは、怖いことだった。

飛び込む前は恐怖で一杯。だけど、いざ飛び込んだら必死で泳ぐしかない。泳がないと溺れて死ぬのだから

人間適応力とは素晴らしいと思う。

2016-05-16

考えない工夫を教えて

みんな何が楽しくて働いているのか?輝かしい未来も期待できない、希望もクソもないこの社会で。人生には何の意味もないことなんて、みんな薄々気づいてるはずだ。その事実から必死に目を背ける技術が、才能があるのだろうか。それとも全員狂ってるのだろうか。

「なにやってんだろ。」  ゲームをしても、勉強でも、パチンコでも、プロ野球応援でも、アイドルの追っかけでも、恋愛でも、仕事でも、結婚でも、子育てでも、老後でも、こう思うときが来るだろうと考えてしまう。怖くて仕方がない。結局なにも踏み出せない。こういったことを考えない工夫ができる人と、できない人の差はなんだろうか。みんなできないながらも、必死ごまかしながら生きているのだろうか。

遺伝子や生まれ育った環境出会人間といった偶然性は大きく影響するだろう。不条理だ。

何か宗教組織のような、大きなイデオロギー物語のようなものに身を任せることができたら、ある程度は楽かもしれない。

そもそも忙しすぎて、そんなことを考える暇がないというのもひとつ方法か。あるいは、無条件でこれだけは好きだと強く言い張れるモノがあれば、そういったもの出会う才能、深く没入できる才能、没入力みたいなものがあれば、考えなくてすむのかもしれない。


何か大きな組織社会などのために、必死目的でっち上げて、テキトウに自己啓発とかライフハックしながら邁進できる人。

新しい服を買って嬉しいとか、新作の漫画音楽映画が楽しみだとか。おいしいご飯が食べたいだとか。そういったものに喜びを見出して、資本主義に過剰適応して、消費に没入できる人。そんな人が一番生きやすいのだろうか。それが下手な人は絶望しながら、死んだように生きるしかないのか。

きっとみんな、「あの子可愛い」「なんかよくわからんが、空がとても青い」「夕日がきれい」「子供が楽しそう」「わりときもちい」「めしがうまい」「この作品は美しい」「なんだか笑える」といったような、没入した、純粋感情が、一瞬でも瞬間でもあれば、当面は生きていけるのかもしれない。

それでもやっぱり、ご飯は面倒だし、あまり食べたいとも思わない。肺と心臓今日も重たい。生活リズムコントロールできないし、好きな音楽もなんだかうるさい。セックスなんて面倒で虚しいだけだ。そもそも性欲がない。人と会えば気はまぎれるが、近すぎると面倒になってしまう。これを読めば世界が違って見えるかもしれない、と思って読んだ本は何冊目だろうか。運動どころか、起き上がるのも面倒だ。生きるのも面倒だ。それに加えて、この社会世界で起こっているあらゆることや、他人気持ちを考えれば考えるほど苦しくなる。楽しみも希望もない。


この厭世観から逃れるために、考えないために、みんなどんな工夫をしているのだろうか。

キトウに満足感をでっち上げて、死ぬまでやりくりしていくのか。

そもそも感じないのか、ある程度年をとったら忘れる感覚なのか。

それともみんなすでに中学高校ときに、テキトウに折り合いをつけてる問題なのか。

こんな青年特有のショーモナイ悩み、誰か教えてください。切実に。

2016-05-11

今後テロリストの仲間になると外患誘致罪になるっぽい

外患誘致罪はつまり敵国スパイとかテロリスト

刑は死刑以外無く、死人や怪我人が出なくても死刑適応され裁判員裁判対象事件となる。

ニート馬鹿が○○国にハイリマ〜ス!とかほざいて本当に渡ろうとしたら死刑

気をつけような。

2016-05-09

気狂いの世界に行きたい

気狂いの世界では物事概念化されているため

「個」による摩擦は極端に少なくなり、まるで夢見心地のコミュニケーション

わかっているようなわかっていないようなわかってもらえているようなわかってもらえていないようなコミュニケーション

そんなことは気狂いだから気にしなくて良し!という後ろ盾あなた幸福します。

そこで私は「くくり」から開放されます

女子高生のごとく突発的瞬間で感動し、幼児のごとく甘えます。歳を重ねたかの如く美!美!季節=切なさ=美!を惜しげなく表現し、これらは同じ人に賛同されます。(とあなたは真に思えるのです)

感覚表現して、いいのです。すごいことだと思いませんか。

みな気狂いの方向へ向かえば、世の中の悩み事は解決します。

この主張に関して必要なことを充分に述べていない自分に対しては 極力痛いやり方で死んだ方がいいと今は考えています

しかし気狂いの世界では私すら許容されてしまうのです。

私が要素の多い考えを打ち立てたとしたら、

気狂いの世界人間はそこから必要な分をついばみます。不必要ものは毒になりません。

そして皆が勝手思想を打ち出しては皆が勝手についばみます

それが是であるか非であるかはそんなに重要ではないのです。

必要な耐性と適応能力を求める世界から解き放たれたら、もっと感覚幸せになれます

私たちは神にはなれないのです。絶対論理思考もなければ、絶対倫理というもの存在しないことは

少し覚えがありませんか?

から気狂いの世界を見て少しだけ自分に許しを与えてあげるのです。

これ以外の文章の書き方ができない現状におります

読んでいただけた方に感謝しております

もう少しうまくかけるようになったら元気よくまた書き出したいと思います

俺に感動を返してくれ

26歳?頃からからウキウキクワクしたことがない

何というか我を忘れてという状態になったことがない

何もかも忘れて何かに没頭したためしがない

どこかに冷めた自分がいてそいつが冷静に冷めたことを考える

ここまで書いて痛々しい中二病だなと思ったけど

そういう気恥ずかしさや自嘲気味な感情すら沸いてこない

「終わったな自分

そういう状態がずっと続いている

 

「終わった自分」が誕生したのはいからだろうか、その原因もハッキリとは覚えてないと思う。

その終わった自分になる前は、高校1年生には既に「どんな人間もいずれ死ぬのになぜ必死になって頑張らなければいけないのか?」

という疑問を持つようになった。

今もそれに対して明確な答えは持ち合わせていないし必死に頑張ることによる成果の意味というのは無いと思っている。

過程にこそ意味があれ、成果は結果として名実ともにただの結果であり意味はないと考えている。

単に命という過程の通過点にすぎず、真の結果とは個人の死だと考えているからだ。

 

話が脱線したが、要はなぜ無感動になったかという話だ。

先ほど死は約束されていてすべての結果は個人としての死に繋がると言った。

そしてそれが少なからず無感動なもうひとりの自分を生成してしまった一因であると考える。

考えをまとめるまでは自分体験する事やこれから歩む人生オリジナルものだと思っていた。

誰もが見たことの無い体験をしていくのだと。

しかし歳を重ね勉強を重ねるにつれて、自分がこうやって成長していくのに対して、

社会歴史、世の中の歴史を振り返ると成熟していくどころか定期的に逆行でもしているかのような

退行を周期的に繰り返していることに気付いた。

なぜ、過去から学べる過ちを何度も人の世は繰り返しているのかに疑問を持つようになる。

それは集団としてもそうだし人生の教訓が生まれるだけ同じ過ちを個人レベルで繰り返してきたことの根本的な疑問でもある。

 

考えた結果

それは人間が「死ぬからであるという答えにたどり着いた。

 

人間は膨大な情報を吸収してもそれを子孫に正確にフィードバックしていくことができない。

パソコンのように簡単に引き継がせることはできないのだ。

学問のような人間主体ではなく徹底的な数値化や平均化をされた分野であるのならば逆戻りすることはないだろう。

しか「人生」についてはどうだ?

人生は個人によって幸せ基準も違うし可能選択肢もそれぞれ全く異なってくる。

幸せという結果を導き出すための方法は個々で違うのであるし、あるとしてもそれを知る余地はない。

そのため、振り返りでしか反省や教訓を残すことができないのだ。

しかもこの反省にしても人によりけりという強烈な主張の前には霧散しがちだ。

適応することが可能でも逃げ口上に使われて、この言葉の持つ力の強さに払いのけられる場合もある。

ともかく、人間は例え人生において経験値を積み重ねたとしても生物としての終局を迎えることで

その経験永遠にロストし、なおかつそれを正確に後世に伝えることができていない、

そのために同じ過ちを人の世は何度も繰り返してきたという結論に至った。

 

自分もその大きな渦の中で溺れるように巻き込まれた者の一人であり、

最終的に死ぬ前に悟ったような顔で人生を極めたとしても、

ろくに正確に引き継ぐこともできずに経験と一緒に闇に帰るだろう。

例え、学問においては足跡を残したとしても、それは自分でなくても良かったことであり、ただの早いもの勝ちに過ぎない。

そしてそれが正解だと歴史証明するのにもまた自分の死後いくらか経ってからでなければ正確には判断できない。

学問が本当に貢献できたかどうかを疑う余地のないくらい信じることができる瞬間は恐らく生きている内には訪れないだろう。

もし1つの発明研究が認められただけで心から喜ぶものがいたとしたら

手品をやってお客を喜ばせたほうがまだ幸せ人生を送れるはずだ。

 

そして生物的な幸福として子供を産み育てるという欲求が用意されているが、

これこそまさに自分の死が約束されているからこそ必然として設定された欲求だろう。

子どもは生まれる前はこの世にいないし産んでくれと頼みもしない。

まれ子どもたちはすべからく親の寂しさや侘しさや欲望を受け止めるため、

親に利用されるためにこの世に生まれてきている。

の子でさえいずれは老いて死ぬというのに、それを遺伝子命令されて続ける奴隷として命がある。

それのどこが尊いと言うのだろうか?

ペットを欲しがるということ、自分の子どもを欲しがるということ。

そこに何の違いがあるというのだろう?

 

人は死ぬということ。

人の世は成長しないということ。

学問自分存在理由証明にはならないこと。

子を成す欲求は本能から来ているということ。

 

他にも理由はあるかもしれないが、

ただただ虚しくなった。

いつか死ぬ、どれだけ積み重ねても死ぬ

なのに人の世は成長しない。

完全な平和永久に訪れることはない。

虚しくなった。

自分を慰めるために子を成すことさえ希望にはならない。

俺がこの先歩く道が誰かが歩いた道で

俺が歩いた道はこの先誰かが歩く道で

同じことの繰り返し

同じことのくりかえし

 

人が本当に人として自立できるようになるためには、不死が必要だと考える。

同じことを繰り返さずに進化し続けるためには不死が前提であると考える。

過去偉人の誰も達成できなかった偉業は不死によって物語は完結されるだろう。

永久に生きる人、間違えることの無い人、完璧な人。

超人が生まれた瞬間にこそすべての人類が生まれ、死んで来た意味があると考える。

 

俺の感動は俺の虚無感から来ている。

俺の虚無感は人類の欠陥から来ている。

人類の欠陥は超人により克服される。

 

俺は夢をみて眠りにつく。

2016-05-04

神経内科医が語る総合診療

医者さん以外には関係ない話かもしれませんが、今後専門医制度というのが大きくかわるということでお医者さん近辺は大変揉めています

端的にいうと今まである程度自由更新されていた、整形、とか皮膚、とか泌尿器といった専門医更新する際に勤務実績を付け加える、学会出席だけではなくレポートを課すなどして

更新を困難にして、(専門医を維持するのであれば)ある程度制度に基づいた臨床をやっていかないといけなくするということでしょうか。

内科については結構抜本的に話がすすんでおりまして、今まで内科認定医⇒各科(消化器、血液、呼吸器、循環器)専門医で事足りていたもの

今後はまず総合内科専門医なるもの進化してから各科専門医にすすむという形になるということで大変煩雑になります

 煩雑であっても、患者さんの利益になるのであれば一向に構わないと思うのですが、ここに内科専門医ではなく総合内科専門医という名前にしたところに

どこやかのえらい人の方図がすけているような気がしてならないのです。

 というのも、現状、日本国見回してみれば医療格差は確実に進行しています。某地域では当番病院を作って、あるいはその他の地域ではマンパワーがあって、ACS疑い、脳卒中疑いの患者搬送連絡などあろうものなら

あっという間にチームが参集して血管内治療含めてできるだけの方策施行するでしょう。ただしそんなことできるのは(国土面積でいったら)十数パーセントにも満たない地域しかありません。

厳然として、住んでる住所、病院との距離、そこの病院医者がその日たまたま月に一度の休日だったなんでことで受ける医療の質は極めて大きなブレがあり、僕はこの状況については

国民基本的人権を侵しているとしかいえないのではないかと考えています

 一方で国民の八割以上が都市圏で行えるような「スタンダード」な医療提供できるようなシステムを構築するなんて医療従事者の確保からしてむりだし無い袖もふれないし予算なんてどうしてもつきません。人口1万人の町で年に四回起こる心筋梗塞と年に二回おこるtPA適応のために、365日体制スタンバイさせるわけには行かないというのはお分かりいただけると思います

そういった「居所」による人権侵害現実存在する中で、それを声高に訴えられる前に、偉い人はわれわれ内科医をすべて内科専門医ではなく「総合内科専門医にしようとし、また基本領域に総合診療科をつくり

そちらに若い医師誘導するようきわめて複雑な新内専門医制度押し付けようとしているのでしょう。

もしあなたの街に総合内科専門医先生(専門は神経だけどね)みたいな人が赴任したらとりあえずあの人に相談したらいわゆるテレビでやっているような茫漠としたイメージ最先端医療につなげてもらえるというイメージをおもちではないですか?はっきりいって大きな間違い。です。

やっぱり初療で各科専門医が見た方が明らかに予後は良好と思います総合診療科がなんとかみていくということと、各科待機のそろった病院の行う医療を比べれば雲泥の差です。

総合」にはこんな意味がこめられているのでしょう。何かこの田舎病気しても「総合」なあの人はなんとかしてくれるにちがいない。それ総合なんだと。残念ながらそんなことは期待できないと思います

そうやって本来意味での適切な医療が受けられずに亡くなっていく田舎在住の人たち。彼らの適切な医療を受ける権利を守ることは、現状の保険診療では無理だと思うし

気づかれる前に制度を変えてうやむやに何でも見れますなんて無責任なことを広めてなんとかしようなんてのがえらい人の考えなら、そのとばっちりを食らう現場内科医もっと反発してもいいのではと思います

私は、看板として総合診療をかかげて治療することに大いに疑問をもっています基本的内科の力量を持った各臓器専門医病態社会的背景、かかりつけ具合などをみて、他分野専門医相談してそのつど適切な医療提供すればいいと思うのだが。それより、せっかくスペシャリティーを確立して生きていこうと思っているしょっぱなに、総合内科総合診療と称して地域医療格差押し付けられる役割をはたすのはごめんだ。

2016-05-02

個人情報保護法

個人情報保護法

・今回の注意点

個人情報プライバシー侵害がどう違うか どう関係するか

どこまでが保護されるのか

義務は誰にある?

二段階の判断 (原則)

個人情報個人情報保護法定義に収まるか?

送信した人はこの法律でいう個人情報取り扱い事業者であるか?

事業者でなければ法律適応されない

個人情報とは? ・・責任を負う人を限定している

生存している特定の個人を識別できるもの

氏名など。

⇒亡くなった人はこの法律では無理


学校社会で名簿を作成して配布することは

個人情報侵害になるのでは?

⇒本人の同意を得て作成することができる

カメラ他人勝手撮影することは、個人情報保護法違反か?

動画写真を撮った人は事業者か?

ならない。ただし肖像権違反にはなるかも

別の法律違反になることになる

(他人権利侵害する場合がある)

個人情報保護する義務のある人は?

個人情報取り扱い事業者

5000件以上の個人情報個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者

個人情報ダメならプライバシーの方が限定がなく範囲が広いのでこちらで罰せられる場合がある。プライバシー限定がない。

個人情報保護法個人情報範囲保護義務主体限定している

テストに出すと言っている

Googleストリートビューは個人住宅など プライバシー侵害でないのか、どうなのか なる?ならない?⇒考えて欲しい

2016-04-30

anond:20160424163052

性は、かっこいいとか可愛いとか、肯定的とは限らないから性教育としては良くない。

不幸な恋愛、不幸な結婚もある。

性を生き方問題として、客観的に見れるようにしないと、人格形成にはならない。

親は、コミュニケーションとしても、検閲としても、子供と同じアニメを見るべき。

あとは、友人関係差し置いてでも止める必要を感じるかどうか。

でもそれも現時点の社会適応しただけでしかない。

一番確実な解決のためには、ある種の基本的能力必要になる。

それは、建前を打ち崩す能力であって、普段から出来るだけこれを身につけていかないと、建前を打ち崩す事はいつまでもできない。

できなければ、自由、というよりも、自由を勝ち取れるという自信を得ることが難しくなる。

2016-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20160426145503

幼少から教育されないことには無理。

自分だけの宗教を作り出すしかない。

俺のための俺だけの宗教はあるけどお前に適応できるわけないし

教える気もない。

2016-04-22

レールを外れたまま戻れそうにない話

人生のレールの話が流行ってるので便乗。

私は、レールから外れたまま戻る宛がなさそうだ。

中堅大学ギリギリ入学を果たし、いざ大学デビューしたばかりで重度のアトピー発症。痒くて眠れない、服が痛くて着れない、そもそも何が原因かわからない。

アトピーに合わせた生活への立て直しがうまくいかず、ついに一限の必須単位の授業にいくことができなくなり、心が折れて引きこもり生活へ。

週に何度も皮膚科に通ってはどうしたらいいか何がいけないのかわからないと泣いていた。

その後、努力してアトピー適応。4年まで単位ギチギチになったものの、無事卒業して普通レールに乗り直す。

就職に関して親とそりが合わず身上京し、将来の夢に通じる職種就職口をなんとか掴む。

年齢=恋人いない歴を脱し恋人もゲット、理想のような生活が回りだしたところまではよかった。夢のような日々は半年も続かなかった。

アトピーの再重度化と、過労による自律神経失調と不眠症発症。極端に体力が落ちて出社さえ困難になり、泣く泣く退職

大学時代苦痛なんて甘々なくらいの地獄が始まった。ベットからトイレにいく5メートルさえ辛い生活

かねた恋人結婚を申し出てくれて、扶養に入る為の結婚のようで本当に申し訳なかったが、受け入れた。感謝してもしきれない。

それから5年、流石に身の回りのことは出来るようになったが、虚弱体質から抜け出せない。元気になるたび、胃が弱って何も食べられなくなったり、些細な事で不眠を再発したり。アトピー管理はうまくなったが、年々太陽光が痛くなってきて春から夏の外出は厳しい。苦しくてベットの上で唸ることしか出来ない日も未だ少なくない。体力づくりをしようにも、体力づくりのための体力がないというレベル

私も、たまたま結婚できたから今こうして生きることができているが、もしそうでなければ確実に生活保護だ。いや、今の担当先生は厳しいから申請に協力してくれるかわからないな。

熊本震災があったが、もし自分被災して今の生活環境が失われれば、私はあっという間に衰弱して死ぬと思う。

私ももうすぐ三十だ。友人たちは、すぐ就職できた人も出来なかった人も、夢を叶えた人も諦めた人も、みんなそれぞれの道を見つけて堅実に生きている。

みんなみんな、経験人間関係を積み重ね、良い事も悪い事も乗り越えて、どんどん立派になっていく。

一方の私は、ベットの上で苦しんできただけの5年間だった。何の経験もなく、停滞し、成長のない5年間。その瞬間瞬間の辛さを堪えるしか出来なかった5年間。

家のことすら満足にできず、外出も難しい日が今も多い。レールなんてもう見えないくらいに遠く離れてしまった。

病気になるまでの人生の厚みの貯蓄も底をつき、私の人間性は空っぽだ。もう何の感慨も執着も情熱も残っていない。

今日も中身のない生活を送りながら、社会がどんどん私を置いていってしまうのをベットの上から眺めることしかできない。

2016-04-19

花澤香菜は確かに個性があって可愛い良い声を持っているけど、あの声質に合うキャラって天使系とか大人しめ系のキャラとかだけで少ないはずだし、演技の幅も相変わらず狭いってか少ないのに出まくる時点でおかしいし困る。

そういう「このキャラなのに花澤?」って思ったキャラの声実際聞くとまあ案の定合ってないことばかりなんだよね。

「あれ、ダメかと思ったが意外と合ってる」と思ったことが殆どない。豊崎とかだとダメかと思ったら意外と合ってるって時はある。

ファン最近は実力も上がったとか言うが、言うほど上がってないと思う。

元々それなりにやれる役を以前より上手くできるようになっただけで元々できない役は今でも適応できてない。なのに役をとってしまう。

ToLOVEるの美柑は異論も出なそうなくらい合ってないし、未だに慣れない。あれだけ魅力的なキャラなのに勿体ない。

2016-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20160415152558

ちがう

ちがう

ちがう

全然ちがう

ちがう

 

絶望するために挑戦が必要

死ぬ結果を用意するために必要なんだ

自分限界を知るために必要

望んでも手に入らないものがあると学習するそれが必要なこと

 

まれてきた意味がないから自分のために生きる

自分自分のために生きることができるのは

自分しかいない、1度しかない

から一度しか失敗できない

失敗するチャンスがある

から失敗するために生まれてきた

 

その結果の中からごくわずかな成功があった

それを取り上げて誰しもに適応できるかと思った

無理だ

ポテンシャルが違う

ならできることは挑戦して失敗することだ

それもごくわずかな成功になるかもしれないが

そんなことはどうでもいい

やることが意味があるし、やりたいんだからやるしかない

それ以外にやりたいことがないんだったらやるしかない

それがそいつ自分で見つけた生きる意味

誰に強制されたわけでもない

誰に諦めさせられたわけでもない

自分で決めたこと

自分がやりたいと思ったこと

からやる

それ以上に理由必要ない

 

2つしかない

やる→やりたいことだからやる

やらない→やりたくないことだからやらない

そこに結果なんて考える余地はない

意味がない

やる間が本当の意味重要から

どうせ早かれ遅かれ死ぬ運命

地面に激突するまでの間を楽しむ身分で結果ばかり気にして

意味がない

それは格好つけた

馬鹿

2016-04-13

空耳飲み会

発達障害持ちの鬼門飲み会時間がやってきましたよ。

飲むのも食うのも喋るのもキライじゃないのに超しんどい謎の時間



今日テーブルは5人構成、つつがなく会が始まって数分後



同僚A「あ、話変わるんですけどぉー」



きた、きたよこのワード、傾聴ですよ傾聴。一瞬で放り出されるからね、気をつけないとね!



同僚A「スバルーン、マラライローゥ」

同僚B「あっ、いいっすねぇ!」



はいダメェー!!またダメだったよ!クソが!スバルーンってなんだよ!

なんだよ、何がいいんだよ!マラライロゥのはいことなのか?なんだ、どうなってるんだ!



同僚C「あー、またやりたいねえ」

同僚D「気炎 鴎外 放物線 小生」



・・・・・・この際同僚Dは一旦放置だ、最悪無視しても話の本筋には関係ないだろう。

それより「またやりたい」いただきました!

これはピンときたぜ俺は、マラライローゥ=またやりましょー ってことだろ

なるほどなるほど。同僚Aはなにか(スバルーン)をまたやろうって誘ったんだな。

そしてそれは同僚BもCも(多分Dも)知ってるんだな。OK、スバルーン、スバルーン、スバルーン・・・・・・。



同僚A「この機会に増田さんもハリヴェアセンサー、ドゥームラグーン?」



やめろ同僚A!まだだ!まだ早い!!

まだ俺はこの話題適応できてない!!

だが振られたものは仕方ない、「あ、ああー」とか言ってビールに手をやってごまかしながら脳みそフル回転だ!

言い方や雰囲気から察するに、スバルーンとドゥームラグーンはどうやら同一のアクティティ名称で、多分この場のみんなが知ってるような言葉だ。

スバルーン。ドゥームラグーン。同僚が知ってる。

スバルーン。ドゥームラグーン。・・・・・・スゥーブラグーン・・・・・・スプラトゥーン・・・・・・スプラトゥーン!!!

ここまでくればもう一歩!俺はスプラトゥーンはやってなくて、同僚Aは周囲にスプラトゥーンをやろうって誘ってる流れの会話だから

まり ハリヴェアセンサー=はじめませんか? だろう、そうだ、そうにちがいない!!(グビリ)



俺「いやー、イカは何度か人の家でやらせてもらったけどどうにも酔っちゃってねぇ」

同僚A「ああー、でも慣れればいけますって!!」



よかったーーーー通じたーーーーよかったーーーーー!!!

イカって言ったけど突っ込まれなかったし合ってるっぽいぞおおおおおおおおおおお!!

あーつかれたーーーー。



からはそこそこ普通に会話してるように見えても、ちょっとした会話でこんな感じで消耗しているという実例を覚えているうちに書いておく。

酔ってるから乱文なのは許してくれ。

めもてきなかきちらし

コンテンツ思い入れがなければダメだという日本商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつ創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。

日本場合自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。

そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。

アメコミヒーロー社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本あるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツ超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。

ドラゴンボール孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボール鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体社会性は得られない、鳥山明個人的世界を描いた作品しかない。日本作品はそういうものしかないと思われる。

どんなにクールジャパンだとか政策として日本作品世界に輸出しようといっても、作られる物自体社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンスーパーマンのように80年近く愛されはしない。

日本人世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデント作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的ものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートルしか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。

クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウン国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。

から、この環境適応できるとサイコー楽園なんだけどね。

自分自分で終われるから。今の日本が苦しいのは、外部的な存在をきちんと認識できているのかもしれない。

ヴィデオに謎の寄声 その正体

うふふ…

ここ?

すごーい

ギャンギャン

うふふ…

すごいね

ギャンギャン

えへへ


ああ、低予算で取り直しも出来なかったんだろうかこの作品

おそらく外から漏れる犬の鳴き声。

このシーンは誰かの部屋で撮影されている。

撮影中どうしようもなかったのだろうか?

と思っていたら、ほかの作品でも犬の鳴き声がする。

外を見たら、犬が鳴いていた。

気づかないもんだ。

その出来事があってからというものの、犬の鳴き声を気にするのはやめた。

たとえ犬が鳴いていようとも、映像作品に没頭できるようになった。

さて、勘のいいものならここからくるオチに気づいただろう。

その後何度か映像作品を見ていた。

しばらくたったころ。すべてに犬の鳴き声が入るようになった。

ノイズ”として消去してしまったものから、その異常性に気づかず、

放置していたら犬の鳴き声だらけになってしまった。


うふギャンギャンギャンギャンこ?すギャンギャンぎゃんふふ…ギャンギャンギャンギャンギャンギャンギャンギャンへへギャンギャン

こんな感じ。しかし、意識しないと気づかない。人間適応能力はすごいと感心してしまった

人種性別民族においての差別は許されないのに

チビハゲデブ適応されないのはなぜ

差別される痛みは同じだぞ

遅まきながら、文化資本に関する話

悔しい。何が悔しいって自分がやればできることを

知らずに生きてきてしまったことだ。

自分ができないことは全て才能の差だと思っていた。

勉強にしても、スポーツにしても、人付き合いにしても。

違うんだ。大体がある程度のレベルに達することができるんだ。

環境さえあれば・・・←ここがミソ

(適性の無さによるいかんともしがたい影響はあるかもしれないが)

勉強に関しては、親が高学歴であれば

当然の事ながら、教育熱心になるだろう。

本も読み、好奇心も旺盛になるだろう。

必然的高学歴になるし、いろいろな考え方も知り、

かんがえる力もついて自己肯定感も上がる。

スポーツに関しても親が元スポーツ選手

だったり、昔某かのスポーツをやってい

たりすると環境がそういう環境になっていたり、

親の教育が受けられたりする。

人付き合いに関しては、人が好きな親と、

影で人の陰口ばかり言っている親に育て

られたのでは、社会適応に大きな差がつくと思われる。

まあ、生育環境だけでなく、遺伝

原因もあると思われるのだが・・・

そう考えると、脈々と受け継がれてきた

血筋と生育環境に原因があるので、親を

憎むことなんてできないが、かと言って

自分が糞である事実を認めることなんてできない。

糞な自分を変えるために、毎日少しずつ

本を読んでいる今日このごろ。

2016-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20160410163552

自分も人と会う予定があるときは、予定時刻の30分前にソラナックス0.2mg(0.4mg錠を半錠)を飲まないとダメだわ。

どうダメかっていうと、表情がガチガチに硬くなり、自然スマイルが出なくなる。すぐに赤面する。どもる。

一応、社交不安障害SAD)の診断も付いているし、SADの第一選択薬であるパキシルも40mg/day MAXまで飲んだりしたけど、ダメだね。

飲まなくなったら元通りになってしまう。

暴露療法もやったけど、あれは「慣れ」を生じさせて症状が軽減されるだけで、もともと生まれ持った素因は変わらないっていうのが、現時点での自分結論

自分の人見知り、人嫌い、内にこもる傾向は、持って生まれものだと腹をくくったよ。性格を変えようとするのはやめた。

どうしても社交的な場面に出なければいけないときに、頓服としてソラナックスを飲めば十分。



たぶん、自分は周りからは「ファッション人見知り」だと思われてる。

薬さえ飲んでれば表情は柔らかく自然になるし、笑顔も出せるようになるし、会話も普通にできるからだ。

会った人からは「元ヤン?」とか言われたりする。本当は友達が1人もいないガチ引きこもりなんだけど、まったくそうは見えないんだと。

内面葛藤は表には見えない。人見知りに見えないガチの人見知りは、人から辛さを分かってもらいにくいという欠点があると思う。

もちろん、周りにバレない程度の人見知りは軽症だろうという意見もあるだろう。

けれど、社交性が求められる場面でのみ必死適応しようともがき苦しんでいる人もいるんだということを、意識の片隅にでも置いておいてもらえたら嬉しい。