はてなキーワード: 主体とは
ここしばらくはてなでこの話題が続いてて反対派の意見として当初はDVに関するものが多かったけど最近は下火で
今は子どもの養育に関する決定を離婚した元夫婦が協議して行うことができない・難しいって意見をよく目にするんだけど
平たく言ってしまうと(元)夫婦での教育に対する意見の相違ってことでしかないと思っていて
確かに単独親権では起こらないことだとは思うんだけどそれって子の養育に関する権利を片親が独占してるだけで
それが望ましくないとされるから共同親権が導入されるんだからそこに文句行っても仕方無くない?
医療とか教育で緊急を要する場合は同意無しでの手続きも認められているし
そもそもの大前提は親権ってのは子供の幸福を最大化するための養育のために親に限定的に与えられている義務であり権利ってだけで
親が主体として子供のことを勝手に決めるための権利じゃないのにどうも意見を見てると
分かれた相手との対立の話ばっかりで親主体で子供のことを私物化しようとしてない?って思ってしまうような物が多いんだよね(性別のどちらを問わずにね)
消臭剤使ってないからとかより、すすぎが不足して洗剤が落ちきってないんじゃないかと思う。
衣類に限らないけど洗剤って汚れを浮かせる機能が主体だから、すすぎが不足すると洗剤といっしょに汚れも残っちゃう。
一回洗濯機回して、それから洗剤入れずにもう一回回すだけでも部屋干ししても臭いにくくなる。
丁寧にやるならバケツなどにぬるま湯を貯めて、それで一つずつすすいでから洗剤入れずに洗濯機に放り込むと確実。
水だけで洗うのは洗濯槽のカビ予防にも多少はなるかもしれない。
あとは塩素系の洗濯槽クリーナーを四半期に一回くらいのペースで使う事かな。
分解清掃できれば確実だけど、分解って道具揃ってないと結構大変だし固定するボルトのトルク管理を失敗すると事故の元だからあんまりオススメはしない。
収蔵物が博物館のキャパシティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社のWeb記事を見ていて、改めてそう思った。
昔、「正しい日本語」という概念が流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。
そして、この収蔵物もそうなのだと思う。
若者でない世代が、自分たちが大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたかも価値のありそうな形容詞で装飾して、
キャパシティを無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。
どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパシティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。
若者もきっと、歴史的と呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たちの世代のものは私たちの世代で諦めるしかない。
そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、
歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。
そして、誰も明言しないが、歴史的な資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。
歴史的な資料は「文化『財』」という名称で、あたかも自然に財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。
そして、歴史的な資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者のキャパシティまで削ってしまう。
個人的には、若者の認知は未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである「歴史」などに充てられるべきではないように感じる。
そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。
そういった保守的な歴史のがんじがらめが、地元に流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。
すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。
掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。
思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化の象徴である歴史的な資料など捨てたい、
その保存コストを、古い文化の代わりに自分たちが享受したいと思っているはずなのだ。
つまりは、歴史的な資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。
だから、一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的な資料はコストをかけてでも博物館を占有していないといけないのだろう。
でも、歴史的な資料をとるか、若者主体の文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。
偉い学者が、日本の人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、
「AIで死者を“復活”」の件、死者に人権はないという趣旨のブコメが散見されるのだけども、だからといって死者の尊厳は破壊し放題かというとそうでもないので、若干のメモ。
刑法230条(名誉毀損)① 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
まず刑法において、虚偽の事実を摘示した場合には死者についての名誉毀損罪が成立する。その保護法益は①遺族の名誉であるとする見解、②死者に対する遺族の敬愛の感情であるとする見解、③死者の名誉であるがその性質は公共の法益であるとする見解、④死者個人の名誉であるとする見解が対立しているが、多数説は④説に立つとされる(条解刑法 第4版補訂版(有斐閣,2023)230頁)。いずれにしても名誉毀損罪は親告罪なので(刑232①)、死者の親族(6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族(民725))または子孫の告訴(刑訴233①)が必要である。なお、侮辱罪(刑231)は死者については成立しない。
刑法はこの他に死体損壊等罪(刑190)等の"墳墓に関する罪"によって死者の身体を保護している。死体損壊等罪は、死者に対する社会的風俗としての宗教的感情を保護しようとするものであるが、近年では、死体等に関する死後にも残る死者の人格権を保護法益と解する見解もあるとされる(前掲条解刑法561頁)。なお、名誉毀損罪と異なり親告罪ではない。
ではこれら刑法犯以外の場合には死者はフリー素材なのかというと、民事の不法行為として、死者の冒涜が遺族の感情を害したとして損害賠償を認められたケースがある程度ある。
たとえば東京地裁平成23年6月15日判決・判例時報2123号47頁は、ロス疑惑に関し2008年に米国で逮捕された三浦和義がロス市警留置所内で死亡した後、産経新聞が掲載した記事(犯罪被害者遺族が三浦を犯人と断定して書いた手記をそのまま掲載したもの)が、遺族の故人に対する敬愛追慕の情を受任限度を超えて侵害したとして、産経新聞社およびYahoo!Japanに損害賠償を命じている。
また、最近話題になった岡口基一裁判官(当時)がレイプ殺人の裁判例を紹介した事案においても、被害者の尊厳がこれ以上傷つけられることのないよう願う遺族の心情が不法行為法上も保護に値する人格的利益であるとして、その侵害について損害賠償を命じた(東京高裁令和6年1月17日判決)。同判決は、この心情の要保護性を導くにあたって犯罪被害者等基本法を参照している点も注目に値する。上記のロス疑惑報道損害賠償事件があるので、故人が犯罪被害者であることが賠償を認める要件ではないが、犯罪被害者の冒涜についてはより賠償を導きやすいといえそうだ。
これらの民事裁判例はいずれも、死者の尊厳そのものを保護しているわけではない(死者に発生した損害賠償請求権を相続人が行使するものではない。権利侵害行為が死後に行われている以上、当該死者が損害賠償請求権を取得することはないからだ。)。
けれども、遺族の敬愛追慕の情を媒介にして、死者を侮辱する行為についても民事上の制裁の対象となりうるといえるだろう。
なお、敬愛追慕の情が法的保護に値すると言える範囲は必ずしも明らかではない。故人の配偶者であっても両親の敬愛追慕の情を害して良いということにはならないだろうし、故人の尊厳そのものではなく身近な者の心情が法益とされているとなると故人本人の同意も必ずしも免罪符とはならないが、不法行為法上の違法といえるのは受任限度を超えた場合に限られるので、冒涜行為の主体が(破綻していない)配偶者であるとか故人の同意があったといった事情があれば、両親その他の親族の受任限度が嵩上げされると考えて良かろう。
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。
崩壊学園や崩壊3rdくらいまでは、萌え萌え的な平成の日本の萌えカルチャーを強く意識した作風でありつつ、崩壊現象に侵食される世界で抗う少女というシリアス混じりのアツい少年漫画的な展開をベースにしてる。SF的な背景は作り込まれてはいるけどカラーとして強く出てるわけじゃなく、アクセントとかテイストの域に収まってる。ただ、収まってるがゆえに詳細な背景が何年も伏せられていて「そういうことか!」となるまで時間がかかりすぎるから、これも運営型ゲームとして興味を持続させるためのやり方ではあるんだけどもどかしくはあるな。
原神はファンタジーで、スターレイルはスペースオペラで、どちらもSFというかオーバーテクノロジー的な要素はあるけれどもスパイスにすぎず、前2作の少年漫画的ノリよりは洗練された、穏やかでじんわり・しんみり来るヒューマンドラマを主体としてる感じになってるな。萌え萌え感も特に全面には押し出してなくて、デザインをよく見るとフェチを感じるけれども、露骨さはなくて令和のオタクカルチャーらしくこれも洗練されてる。萌え的なものも摂取できるけれど、それを主眼として飛びつくもんではないのよ。グラブルみたいな感じと言えば近いかもしれない。
で、ゲームという媒体で得られるナラティブというのは、例えどんなすぐれたSF小説と比べたとしても、やっぱり別モンなのよ。
ホヨバースのゲームはそれを特に理解していて、ゲーム内だけでなく動画や音楽や催しとあらゆる表現を使って多角的に作品観を彫り上げていく技法に長けているし、作品間の特に明示するわけではない些細なシンクロニシティみたいなものが大から小まで散りばめられてる。そういうところを汲み取れるくらいになると、小説やら萌えゲーやらが比較対象にならないことが理解できると思う。
東京ディズニーランドや東京ディズニーシーを夢見る皆さんこんにちは。
インフルエンザで自主隔離中なので東京ディズニーリゾートが、いま過去イチで遊びやすくなっている現状を解説します。参考にしてね。
何言ってんだ今〇〇とか最悪じゃん(〇〇には好きなものをお入れください)というそこのあなた。
以下の文章はあなた向けではないので大丈夫です。地蔵や徹夜、グッズについて(ほとんど)語っていないのでその時間で次のインパの計画を練ってください。
(特に、フード&ワイン・フェスティバルとパルパル第二段のクワッキー・ダックシティで方向性が明確になったので)
今読んだ中で知らない単語だな?と思ったあなた向けの解説です。
最初に身も蓋もないことを書きますが、カップルで夜はちょっとお酒も飲みたいよね、みたいな感じなら東京ディズニーシー(以下シーと略)にしましょう。
シーは、どの場所に行っても観光地を巡っているみたいな気分になれる超豪華な景観セット詰め合わせだと思ってください。入って、ぐるっと回って食事をして出てくるだけで満足できるタイプの場所です。
彼氏や彼女がダッフィーがすごく好き!という場合はそれなりに予約限定のショーの予約を取ったりする必要はありますが、そこまでの熱量が無いのであれば出たとこ勝負でなんとかなります。
概ね、夜の花火やショーについても、どこからみてもそれなりに楽しめるような工夫がされています。
個人的なお薦めは、どこかのタイミングで好きなキャラクターとグリーティングして、写真を撮ってプリントして持って帰ることです。
ミッキー、ミニー、ドナルド、ダッフィー、シェリーメイは、列に並べば少しふれあって、一緒に写真が撮れます。よほどタイミングが悪くない限り、50分も待つことは無いので、記念にお薦めです。
家族で東京ディズニーランド(以下ランドと略)、良いですよね。
自分の子供時代に連れて行ってもらった記憶と比べても今は格段に楽で回りやすいです。ランドでも前述の通り並べばミッキーさんと写真が撮れるというのも相当に手厚い。
でも、いったん立ち止まってください。家族は本当にディズニーのキャラクターが好きですか?ミッキー、ミニー、ドナルド、デイジーについては並べば写真が撮れるので大丈夫。
ジェットコースターが好きとか、乗り物が好き、という感じであれば少し考え直した方が良いかもしれないです。ランドはあくまでもディズニーキャラクターが主体のアトラクションがメインです。
特に、美しい思い出補正がかかっている乗り物(アトラクション)ほど、昔と変わっていないのでツライことが多いです。空飛ぶダンボとか。
Tokyo Disney Resort Appという東京ディズニーリゾート公式アプリ(以下アプリと略)が、遊びやすさに直結しています。
いまはランドもシーも、いくつかのショーは抽選式になっています。
自分の見たい時間帯のショーに申し込む(エントリー受付する)と、指定席が用意されるか外れるかどっちか事前にわかります。
当たればラッキーで観ましょう。外れてもまあ、そんなもんです。次の楽しみが増えたと思って諦めましょう。
念のため申し添えますが、自由席に並ぼうとは考えないでください。どうしてもというなら止めませんが、2時間弱並んでショーを観るよりも他で楽しむ方が良いと思います。
追加で1500円~2500円のお金を払うことで、ショーの指定席やアトラクションの優先レーンに並ぶ権利を買うことが出来る仕組みです。
カップルなら、追加で4000円払えば美女と野獣“魔法のものがたり”を180分も並ぶことなく15分程度で楽しめます。
3人家族なら、追加で7500円払えば東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツを指定席でしっかり楽しめます。
カップルなら+1万円程度、家族なら+2万円程度の予算を見込んでおけば、アトラクションやショーを、ものすごく楽に楽しめると思っておいてください。
お金を出すだけあって、アトラクションなら、この時間が良いなーと自分で時間を選ぶことが出来ます。
ただし席数が限定されている先着順なので、遅くとも午前中には買ってしまいましょう。
ショー1つ+アトラクション1~2つで使うと、余裕をもって楽しめます。
こちらは、お金を出すことなく、先着順で早い時間からどんどん発行される優先チケットです。
時間指定できない、一つ取ると、2時間後(or プライオリティパス利用開始時刻)に、次のチケットが取れる、という制限があります。
ランドやシーのパーク開園時間前後に並びだしてから入って、一つも取れない、ということはほとんどないので、最低一つは乗れるかな、という感じです。
コツは、2枚目以降も取れたらラッキーくらいで考えておくことです。
少しトリッキーですが、アプリからレストランと時間枠を指定して、事前注文する仕組みです。
まずレストランを選択し(選べないときは残席無し)、次に時間枠を指定し(残席がある時刻のみで、例えば13:00~13:30)、最後にメニューを選択します。
トリッキーなのは、レストランの時間枠が予約枠として設定されていて、ココさえ取れてしまえば、あとからメニューは変更ができる点です。
例えば、ピザセットを頼んでいたとして、あとからココのお店のスーベニアコースター(メニューに+料金でお土産がつくところは結構ある)が欲しい!となったときに、変更が出来ます。
夜の時間帯にオーダーしたけれども、子供が寝てしまってもうホテルに帰ろうかな、コースターだけ欲しいと言ってたからドリンクだけに変更しておこうかな、などが気軽に出来て便利です。(行かなければ自動キャンセル)
ほとんどDオタが言っているだけなので、一般の方は気にすることは無いです。
ポイントは「コレは是非ココで動画撮影したい!」や「この限定グッズは絶対に手に入れたい!」という気持ちを持たないことです。
いまはクワッキーセレブレーション★ドナルド・ザ・レジェンド!というドナルドダックが主役のパレードをやっています。
これは前述のDPAを使うと、プラザガーデン前またはキャッスル・フォアコートという場所の指定席を手に入れられます。
でも、パレードルートを事前に調べておき、パレード開始15分程度前から待てば、たいていどの場所でも立ち見でキャラクターを観ることができます(場所によっては座り見もできる)
いまはキャラクターはだいたいはパレードでやってくる乗り物(フロート)の高いところにいるので、キャラクターを観るだけであれば前に人がいてもあまり関係ありません。
シッカリ座って観たいな、という家族でも、30分程度前に3~4列目あたりに座っておけば問題なく鑑賞できます。
(一部のDオタが、動画撮影するときに他人の振ってる手やグッズが映らず、カチューシャなどが映りこまない完璧な動画や写真を撮りたい、という過度な期待で呟いている、程度に思っておいてください)
一部のグッズが、ほぼ限定グッズ状態になっているのは事実です。
おそらく一般の人が事前情報なしでのんびりと開園時間ぐらいに入園した場合、手に入らないグッズがあるのは間違いありません。
ただし、それは一部の限定グッズに限られます。どうしてもコレが欲しい!というのはイバラの道になりますが、ドナルドのグッズが欲しい、程度であればたいてい何とかなります。
(後述しますが、それすらアプリ経由の購入だと受注生産のような形での救済措置が結構取られ始めました。が、あんまり一般の人には関係ないです)
そのため、例えばディズニーの帽子や洋服などを、行く前に事前ゲットできます。カチューシャや帽子なんかを事前に揃えておけると気分が盛り上がりますね。
ぬいぐるみやポップコーンバケットなど、当日に買って身につけたくなるものもあります。それは当日にお店でゲットしましょう。
その時に、お菓子やポストカードなど、後日他人へのお土産として買うようなものは、当日23:45までにアプリ経由で発注すると、3~5日程度後で届きます。
特にかさばるお菓子を大量に買いたい人は、アプリ経由が大変便利なので活用してください。もうチョコレートクランチの缶を大量に抱えて新幹線に乗り込む必要はありません。
いまはアプリありきです。
アプリでは、事前に平日や土日の待ち時間をみることが出来たり、ショッピングでグッズにお気に入りマークをつけて準備しておけます。
少なくとも一週間以上前にはアプリを入れておき、朝、昼、夕、夜の各時間帯でのアトラクションの込み具合を横目で見ておきましょう。
意外に並ぶもの、並ばないもの、レストランの混雑具合などを観ることが出来て、けっこう楽しいです。
お金は可能な限り出して遊ぶ方が良いです。もちろんレストランメニューの事前調査やプライオリティパスを駆使して安くかつ並ばずに楽しむこともできますが、わりと難易度が高いです。
事前情報は、以下あたりを抑えておきましょう。
ハッキリ言って、うん十年前の親御さんの苦労に比べると天地の差がある遊びやすさです。
特に何があるわけでもない待機列、どこが混んでいるかもわからないアトラクション、なかなか入れないレストラン、必ず会えるとは限らないキャラクター、気合で持って帰る大量のお土産。
それらからすると、とても遊びやすいリゾートになっています。お金はかかるようになったがそこは貯金だ。
運悪く雨の予報の場合、雨合羽としっかりした傘で向かいましょう。こらアカンと思ったら園内で大きい傘売ってるので買おう。
可能な限り新しいイベントの初日から一週間程度は避けましょう。特にオタクが集中してるのでレストランとグッズ売り場が混むぞ。
親孝行とか、記念の日の何年かに一回のイベントとかで行くつもりなら、貯金してバケーションパッケージというディズニー謹製のホテル付パッケージツアーが良いぞ。高いだけはある。
あと、できればディズニーの映画は観てから行った方がより楽しめるので、観てない人はこれを機に観てから行くと良いと思うよ。
(ランドなら、美女と野獣、リロ・アンド・スティッチ、ベイマックス、リメンバー・ミー、モンスターズ・インク、トイ・ストーリー。シーなら、アナと雪の女王1&2、モアナと伝説の海、塔の上のラプンツェル、リメンバー・ミー、リトル・マーメイド、アラジン)
結構ブクマされて読まれてるみたいでありがとう。ちょっと気になったコメントとか反応だけ回答入れておこう。
ベビーカー置き場やトイレ(レストルーム)のおむつ替えや子供椅子も充実していますし、子供と一緒に乗れるアトラクションが多いです。
以下の点にだけ注意してください。
フリーWifiはありません。入園直後は、本文中にも書いたDPAの購入合戦が発生して、どのブランドも繋がりにくくなります。
お薦めは、繋がらないときは諦めて園内を写真を撮りながら進むこと。概ね15分程度で合戦が終わるので、そのあとはどのブランドもほぼほぼ問題ないです。
概ね、チケットが一人8000円、お金でショーを観たりやアトラクションに乗って4500~6000円、食事を朝昼晩で7000円(スーベニア付き)、身につけるグッズやお土産で3000円~10,000円程度です。
ざっくり一人当たり3万円くらいで見ておくのが無難です。カップルなら6万円、3人家族なら9万円くらい。
そういうツアーが、バケーションパッケージという名前で公式から出ています。
例えばディズニーリゾートの雰囲気たっぷりのホテルに泊まり、アトラクションは並ばずに乗れ、キャラクターとのふれあいや写真撮影も悠々、ショーも楽しめて食事も並ばないプランを選択したとします。
しかも、ディズニーバケーションパッケージだけのお土産や特典付き。
ただし、これで28万円くらいです。2万8千円ではないです。28万円です。
綿密に事前準備しないと楽しめないの?
他のテーマパークや動物園や水族館などに比べて事前準備しておいた方が楽しめるのは間違いありません。
これは規模がケタ違いに大きいからです。
都民が想像しやすいところで行くと、上野の施設群とざっくり同じくらいのサイズ感を想像してください。動物園や美術館ではありません。エリアです。
不忍池、上野東照宮、上野恩賜公園、アメ横商店街、西郷隆盛像、上野の森美術館、上野動物園、東京文化会館、国立西洋美術館、国立科学博物館、東京都美術館、東京国立博物館。
これらの敷地を合わせた面積よりも、ランドとシーの方がまだ大きいです。上野の街を遊びつくそうと思って、無計画で行くと破綻するのと同じ程度で考えてもらえると良いかと思います。
はてなーにわかりやすく言い換えると、地方から出てきて初見でJR秋葉原駅から東京ドームとか上野や鶯谷ぐらいの範囲内を、下準備無し/ググらずに楽しむつもりか?という感じで考えてもらえると。
そして、めんどくさくなって調べなくても楽しめるのは、圧倒的にランドよりもシーです。特にこだわりが無いのであれば、日帰りのシーから行ってみることをお薦めします。
こんなん匿名じゃなきゃなかなか書けないよね
たまにオナニー的に紹介文書きたくなる欲求をここで発散しようと思う
日本のVTuberの創成期に人気で、ネタ的にVTuber四天王(五人)の一人とされていた人。引退済み。
音楽活動は完全にソニー絡みのプロデュースで、一時期かなりソニーから推されてました。
ただいわゆる「中の人」が元々のファンにはバレバレだったらしく、元々Vに勝るとも劣らない人気があったっぽい。
運営側と反りが合わなかったのか、はたまた飽きたのか、人気はあったが数年?程度で輝夜月としての活動は事実上終了している模様。
大手事務所「にじさんじ」の代表格の人気VTuber。委員長。
リアルに美大出身でネットネイティブ世代のサブカルに詳しく、初期の頃は自身の「人生でやりたいことリスト(人生で一度はストリップ劇場に行ってみたいとか)」を一個ずつ消化して、それを配信で自身で描いた絵を使ってレポするという面白い事をやってました。
(コロナ禍で頻度は激減。いまでもたまーーーーにやってる…のか?)
そもそもVTuberのオーディションに応募したのも人生経験的なネタストックのためのサブカル的興味からだった模様(本人は落ちると思ってた)。
今やにじさんじを追い抜いたと言っても過言ではない大手事務所「ホロライブ」。
星街すいせい、通称すいちゃんは当初はいわゆる個人勢で、キャラクタデザインも自作。途中から紆余曲折の末ホロライブに加入しています。
すいちゃんは歌姫ではなくアイドルを志してVTuberになったというだけあり、ホロ内でも特技であるテトリスの超絶プレイを駆使した配信をしたり、「武士街」という名前で「武士の言葉縛りでゲームしながら喋る」のネタ配信をしたりと、アイドルVTuberとしての活動も地道に行っていました。最近は流石に多忙のためか配信頻度自体少なくなりましたが。。
ケース・バイ・ケースであって妻の方が余力があるという前提になるのはおかしいだろう。
元エントリのケースは偶々妻の実家が太いから妻の方が子育てしやすいだけで妻に母親の資質はなさそうだし、こういう実家の太さを考慮するなら
問題があるから改正されてるし、法の話をしてるときに個人のケースだけの話をしても意味がないだろう。
面会交流は単独親権でも可能、という主張があるが、この記事を見る限り裁判所で取り決めをしても44%が全く面会交流出来ていない、という現実があるわけで、共同親権になることはこれの改善に寄与するものと思われる。
https://times.abema.tv/articles/-/8641856?page=1
親権の定義は以下だがこの意味合い自体は十分に含まれているだろう。
親権は、親が未成年の子を健全な一人前の社会人として育成すべく養育保護する権利義
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2020pdf/20200911187.pdf
日本では、育児のために時短勤務や熱が出た時にすぐ休める仕事に転職してる男親はどれくらいいるの?
女親が親権を持つんじゃなくてお前が主体として育児することができないから妻に親権がいくんじゃん
実態通りの運用がなされるだけなんだから何の問題もなくね?妻一人では子は育てられるけどお前1人では無理なんでしょ
じゃあ実態通りじゃん
共同親権を根本的に誤解してる奴らが共同親権を望んでも何の説得力があるんだろうか笑
子を1人で育てられない人間が親権を欲しがる意味がわからん。こういう人に親権を渡しても、自分じゃ育てられないから他人に任せるんでしょ?
育児や監護と親権は全く別の概念ですよ?親権と、子供を育てたり会ったりすることはイコールではありませんよ?
親権ってのは育児の義務責任を任せられる人が持たないといけない
どちらかが負担しても不完全な履行として認められず、義務者の全員が完璧に負担しなければならないのが共同親権。
共同親権は、
「自分と妻の双方が常に『同時に』親権者として子の育児を完全に任せられ義務を背負い常に『同時に』行使が必要」となる制度だよ
どちらか1人が履行すればいい、ではなくなる。
義務者の全員がそれぞれ完全に履行することが必要となる制度だよ。
というか1人で育てるよりも2人で必ずやらなければならないことが増えまくるので負担がどんどん倍増する制度だよ。
ワイは事案によっては男親が単独親権取得することには賛成だ。男だろうが女だろうが育児実績があり育児にふさわしい方が親権をとるべきだから。
単に現実の日本の男親が育児実績を持ってないから認められないと言うだけにすぎない。
離婚しても2人で子供とそれぞれ関わりつつ、お互いに適度なペースで育児をすることにも、双方が子供と連絡を取り合い離婚後もどちらも親子として睦まじく暮らすことにも賛成だ。
共同親権になるなら、婚姻が大きなリスクになってしまう。絶対にやらない方がいい。子供が欲しい人の大半が事実婚しかしないだろうね
もう一回言う
バカなら黙っとけよ
夜ふかしをして以下の動画をみた。
収穫があったと思うのは、まず自由意志というものがあるなら、それはランダム性とは関係がなく、また生きていく上で便利なものであろうということ。
例えば大統領演説の原稿を書くという作業があるとき、自由意志が使われるなら的を射たものであるはずだ。
自由意志に関係がありそうなものとして「意識的努力」と「自動操縦」について話しているが、
意志力が強いと言われる人の多くは習慣化能力が高く、それは自動操縦的であり、意志力が高いわけではない可能性があるという。
では意志力を要する「意識的努力」がどこで使われるかというと、例えば「計画」という作業には意識的努力が必要だが、これは将来的に行われるであろうタスクのエネルギーを減らすために行われることが多いという。
一部の科学者は人々に対して「自由意志は存在しない」ことを説得しようとしているが、実用的に見るとこれは逆効果だという。
どういうことかというと、自由意志が存在すると信じていれば悪さをする可能性が減るわけである。
自由意志が無いと考えれば「コントロールできない、なら悪さもしょうがない」と考えてしまうわけである。
「自我の枯渇」という点は興味深い話だが、要するにタスクをこなせばこなすほど消耗し、自制心は減っていくということだ。
このため、意識的努力をするためには、十分なエネルギーを残している必要がある。
「自制心」と「知性」は基本的に向上させればさせるほどよく、マイナス面が無いという。
つまり意識とは存在する意味の一つであり、意識を持った主体がこの世に存在しなければ宇宙の存在も無意味である。
そして自由意志は、意識の持つ機能の一つである。予め決められた通りの人生を決定論的に歩むなら、それもまた存在の意義を失わせるに違いない。
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。
好みにド的中して興奮がおさまらない
とにかく読んでくれ
「ハヴィラ戦記」
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798374522269
まだ一話なので考察もクソもない感想と深読みなんだけど、出ている情報や、伏線になり得る可能性のあるところをちょっと考えておきたい
小人はかつて奄美の森に沢山いたが、環境破壊により絶滅寸前となり保護されている、という設定
気になるのはその保護を行っているのが民間の製薬会社である、というところ
例えばトキならば、「佐渡トキ保護センター」があるが、これは環境省が設置し、新潟県が管理・運営しているし、「コウノトリの郷公園」は兵庫県立、そしてまさにこれにピッタリな「奄美野生生物保護センター」も環境省直属、つまり国立だ
ところが「先生」の肩書を見ると、「華蝶製薬 日本支部 羽部良島研究所 第五保護区長」となっており、保護主体が民間企業であることが分かる
それどころか日本支部とあるなら外資?名前からすれば中国系企業?とまで想像ができる
1. 環境省が主体となるほどに生息数が減っているわけではないが、社会的イメージのために本当に私企業のみで保護活動をしている
2. 絶滅危惧は本当だけど、環境省の保護施設とは別に、製薬会社の保護施設がある。動機は上記と同じ社会的イメージのため。
3. 生息数は十分多く、保護は建前で、小人を飼いたい何らかの理由が製薬会社にある (進撃の巨人のように裏がある可能性)
実際、社会的にいいイメージをアピールするために植林や海の浄化などやっている会社は現実にもたくさんあるため、会社に裏の理由があると深読みする必要はない
じゃあ裏の理由があるとすればなにか?と考えると、製薬企業が人に近い動物を飼育するならまず思い浮かぶのは実験のためだろう
現状、マウスで実験をやっているくらいなので、小人がいるならマウスより人に近いデータが取れると思う
そして人権ないなら、そりゃ製薬にしたらたくさん欲しいよね
でもさー、それならマウス飼うのと同じく、交配して欲しくない異性と接触しないようにケージ別けろよとは思いますけどね
と思うと、薬の実験というよりかは、社会性の調査のような形で研究されているのかもしれないね
でも、まだまだ本当の目的はわかんない
ひょっとしたら滅びてたのは大人間のほうだった、なんて可能性すら残っていると思うしね
進撃の巨人や約束のネバーランドのように、楽園の外がどうなっているかは全くもってわからない
それをああだこうだ考えるのが楽しいよね
真面目に保護していたのなら当然だし、製薬会社が仮に小人を実験に使っていたとしても、カラスが入ってきて好き勝手食われていいはずがない
なので外敵の侵入が起きないように楽園を設計していると思われる
廃校舎が街、その前の廃車が家として機能しているようだが、その家と街までの間が野外であるため、そこをカラスに襲われないよう、有刺鉄線が張られている描写がある
これを見れば、ガラスを破るどころか、ガラスの外にカラスが来ることさえないはずの設計になっていたと思われる
にもかかわらず、カラスが入ってきた
カラスが石をくわえて投げてガラスを割ったのか?と思ったけど、実際は人間による投石の可能性もある
大人間も、外の小人も、ガラスを割った犯人である可能性は捨てきれないだろう
つまり小人保護区をよしとしない勢力がいる、と考えて間違いないと思う
これは彼らにとって存在を左右する敵だろう
沖さんが外を見て逃げたのだって、カラスの影を見たから、というだけではないだろう
石を投げようとしている大人間を見たのかもしれない
「つがうと決めた人がいる」という言葉も、外への解放を願う気持ちも考えると、沖さんは外の世界の小人を知っていると推測できる
これはつまり、脱走した人がいるか、沖さんが野生から捕獲された個体か、だと思う
仮に約ネバのように脱走編に移行していくなら、沖さんはアドバイザーになるんだろうか
製薬だしな
今のところ男が2人食われた
製薬とか解放とかそういう話を抜きに楽園の人間関係で当面話が進展していく線もあり得ると思っている
そうすると、今回つがいを失った女が発生することが後々みんなの関係性を変えていくだろう
忍野カラスから生き残れるかわからないけど、マイを全力で守ろうとするだろうね
まあ2人は生き残るだろう
忍野の良さは他の女に知られていると思うと、その後、忍野を自分によこせと主張する女が出る可能性がある
マイは忍野を好いてはいるし頼りにしてはいるけど、性的には望んでいない
急に売り手市場になった時、忍野はマイへの気持ちを貫けるんだろうか?
絶滅危惧種で、遺伝的多様性の観点から配偶相手を何世代も決めているわけなので、複数人の事故死があれば大きな配置転換もあり得るだろう
親子で暮らしてないし
ここは第五保護区で他の保護区もあるようだし、世代ごとに違う保護区で暮らしているのだろうか