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はてなキーワード: 自死とは

2017-04-28

どうして

家族が死んだ。

歳の離れた従兄弟で、小さいこからずっと一緒に暮らしてきた。

私にとっては兄同然だった。面白い性格で、意地悪なとこもあって、正直泣かされた思い出ばっかだったけど従兄弟が大好きだった。

中学から私が寮に入ってからは話す機会も減っちゃって、今度は大学に入っちゃったから、しかも兄は就職間近だったからもう当分会う日がなくなるんだろうと思ってたけど、まさかこんな形になるとは想像もしていなかった。

兄が死んじゃった、との短いラインがついさっき届いた。

意味が分からなくてただモニターを眺めてた。だって家族死ぬとかありえないじゃん。まあ最近身内が亡くなりはしたけど、そんな自分の大切な人が続いて死んでいくわけない。

でも普通に死んだらしくて葬式の話をされた。

すぐ帰ってきてっていわれて、大学講義があるからダメだと答えた。私は友達もいないから授業をちゃんと聞いていないと追いつけなくなるから。こんなくだらない理由で帰らないって自分でもバカだと思うけどこっちだって必死から仕方ないじゃん。うちの大学厳しいんだもん、しか入学したばっかだし。言い訳だけど。

会っておかないと後悔するっていわれた。そう思う。でもどうやって会えばいいの? 兄は死んでないんだから死に顔なんて見たくない。葬式になんて出たら引きずられるよ。行きたくない大学なんてもっと行きたくなくなるし。

自分中心だってわかってるけど、その生活普通に続いてきたんだよ。死んだっていわれても意味が分からない。

しかも死因がわからないんだって自死だってほかの家族がいってたけどさ。なんで?

なんで? 春休みに二回あったのに。なんか夜遅くまでお菓子食べながらテレビ見て笑って普通だったじゃん。私の冗談に笑ってくれたじゃん。彼女もできたって幸せそうにしてたのに。なんでよ。なんで?

死ぬんだったらさ、私が作った晩御飯食べに来てくれたらよかったじゃん。うまくいったのに。普通においしかったのにさあ。どうして? ずっと前に作った時は手もつけてくれなかったけど、あの日はうまくいったんだよ。お母さんがよんだときにどうしてきてくれなかったの?

辛かったなら誰かにいってくれたらよかったじゃん。お母さんずっと心配してたんだよ。

ずいぶん前に叔母さんが亡くなって、兄をしっかり支えてくれる人がいなくなったからかな? そんなことないよね。だってみんな兄ちゃんのこと好きだったんだよ。兄ちゃんはそうじゃなかったかもしれないけどさ。

なんでいなくなったのさ。酷いよ。いつかみんなで海外行こうねとかそんな話もしたじゃん。

私が中学行けなくなったときは、私に酷いことするやつは俺がこらしめてやるとかそんならしくもないこといってたよね。嬉しかったんだよ。

私が住むところまで兄とその兄と母で来てくれたよね。意味わかんねえ。

子どものころはしょっちゅういじめてきたよね。段ボールの中に閉じ込められたときは本当に泣いたよ。

高校になってからは少し話す内容も変わってさ、それぞれ興味のある学問とか社会の話とかしてさ、すごく面白かった。それからさ、お母さんから、兄が私は賢くなったなってほめてたって聞いてすごく嬉しかったのに。

いっぱいゲームして楽しかったのに、アニメの話とか、本の話とかいろいろしたじゃん。なんで、なんで意味がわからない。

おかしいでしょ。おかしいよ。お兄ちゃんにまた会いたい。

お兄ちゃんがいなくなったら、おじさんともう一人のお兄ちゃんはどうなっちゃうんだよお。なんでこれ以上家族がいなくなるんだよ。

もう嫌だ。帰ってきてよ。せめて最後に話しておきたかったのに、会えないなんて嫌だ。死んじゃ嫌だ。私だって正直ずっと死にたいって思ってきたのに。出来損ないだから死にたいのに、なんで兄ちゃんが死ぬんだよ。

ここで書くような話じゃないけどさ、周りに人いないからさ。わざわざ悲しんでる家族にこんな話できないし、友人も湿っぽい話なんて嫌だろうしさ。

なんで今日なんだよ。なんで死んじゃったんだよ。帰ってきてよ。嫌だよ。なんでだよお。なんでだよ。

なんで。待ってるからまた一緒にご飯食べようよ。おいていかないでよ。

こんなのってないよ。

2017-04-24

発達障害者向け コミュ障の治し方がすごい

発達障害コミュ障の治し方を具体的に教えてくれるブログを読んだ。

発達障害特徴の克服その2『コミュ障はこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/30/003242


自分は常々、

アスペって自分の中でトライエラーを繰り返して記憶してコミュ障修正するらしい。

でもADHD入ってる自分にはなにがなんだかわからん

誰かアスペコミュ障治した人、方法を教えてくれー」

と思っていた。

まさにこのブログがそれ。


感想を三行で表すなら、

すごい。

わかる。

ありがとう……!


発達障害コミュ障

普段生活の中で周囲を困らせてしま

・悪意はない

・むしろみんなと仲良くしたい

・(コミュ障自分の行いを)反省している

・(自分なりにコミュ障を治すべく)頑張っている

努力しているのに治らない(カラ回り、悪化、泥沼化)

という流れがあるあるでとても切なくなった。

周囲に迷惑をかけている

=自宅や職場学校などの和やかな雰囲気を乱している自覚がある

このような場合

自死

引きこもり

他人社会を憎みながら生きる

どの選択肢もつらい。

つらかった。

職場グループ転々とする生活はつらかった。

周囲もつらかったと思う。

「生きるのはつらいことだ」と言われても納得できないくらい、つらかった。

適切なコミュニケーションができないのだから

しかった、死んだ方がマジだと思えるくらい寂しかった。


コミュ障を治せたら、社会普通に関われたら、自分は今より幸せだと思う。


このブログにたどり着つくまで

→「ADHD 療育のゴールとは」でGoogle検索

大人療育、受けてみたいけど「ゴール」はどこなんだろう。

ヒグコハ

http://www.higukoha.com/entry/2016/06/09/172128

ヴィパッサナー瞑想発達障害への対処方法が近しいことへの驚き

ヒグコハ

http://www.higukoha.com/entry/2016/04/01/230955

発達障害特徴の克服その1『ケアレスミスはこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/21/025003

発達障害特徴の克服その2『コミュ障はこう治せ!』

HyogoKurumi.Scribble

http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2016/03/30/003242

2017-03-26

雨ニモマケズ」は宗教

宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。

宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。

宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。

そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ釈尊)に関して事実誤認をしている。史実釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。

史実釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。

それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国信仰がごちゃまぜになっていて。つまり儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教教義矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教儒教習合し、それが輸入された。ちなみに、中国技術文化を受容するためにも神道仏教習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道本来のものではない。

ともかく、史実釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。

教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である

かように日本かいものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。

2017-02-17

人と支え合っていくってことが、分からない。

人に甘えているとか、

一方で、人に頼ることが出来ないので、依存症状に人はなるとか。

逃避しているとか。

  

人と人とは助け合っているんだ、って言われてもピンとこないことがあって。

「寄り添って話を聞いて欲しい」とか、

要望を出すことに遠慮の気持ち」やら「酷いパワハラにあって、人間不信気味だっていうのか」

からないよな。

コミュ障にとっては、辛い世の中です。

一度に、今までの辛いことー

なんか、父親自死したとか、その後で母親も鬱になったとか、

それをみた祖父を、オマエの父親だけじゃ無くて、母親までおかしくなったじゃないか

どうするつもりだってことを19才の時に言われて、えらく困惑したことだとか。

  

一遍に思い出されてきた。

一度、日記チラシの裏に吐きだそう。

2017-02-13

宿題が終わらなくて自殺する」子の気持ちが少しわかる

すこし前に宿題が終わらなくて自殺しちゃった中学生のこと皆バカにしてたけど、私はその子気持ちちょっとわかるよ。自死理由は目下の宿題だけじゃあないんだよ、きっと彼は、(憶測だしほとんど妄想だけど、)そのときに限らず「計画的ものごとを進められなかった結果ギリギリになって大変な思いをした、あるいは実際に間に合わなかった」っていう経験を何度もしていたんだと思う。締め切り直前に必死課題をやってるときって単に追い込まれて大変ってだけじゃなくて、どうして直前まで放置してしまったんだろう、どうして自分はいつもいつもこうなんだろうって50トンくらいの自己否定が上から降ってきて精神的にマジでゲロしんどいんだよね。そんなのを何度も繰り返していると次第に、みんなが当たり前にできている中学宿題すらまともにできない自分高校でも大学でも仕事でもずっとずっとずっとこんな調子で何ひとつ成し遂げられず周囲の人を失望させながら生きていくんだろうなっていう絶望が100トンくらいに膨れ上がって、まあ傍から見れば不確定要素の多い将来に関して中学生がこんなふうに悲観するのはまったくもってバカバカしいんだけど、でも本人にとってこれはものすごく深刻なことだから、彼の自死という選択に対して単に思慮が浅いとか馬鹿だって言葉で切り捨てる気にはなれない…ということ……

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170211234849

出産育児をしなければ得られなかったモノや感情はもちろんたくさんあるだろうけど、それが全てではないし、最も重要というわけでもない。女性しか経験できない神秘的な……というのも分かるが、育児ノイローゼの末の自死虐待も溢れている。試しに産んでみるかでは済まない話なので、やはり他人が口を出すことではない。

2017-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20170204121256

文章が長すぎたなと思って本来目的以外を削除してしまったけど、読んでくれてありがとう

先方の動向はTwitterSNSでわかるので…。

幸福そうではないみたい。実際のところはわからないけど。

鬱々とした呟きと、時折ある日を目処に自死することを示唆している。

嘘だろうとも思うし、本当だろうとも思う。

その日までにこちらも先方の事を可能な限り忘れたいし、

いい加減自分の執念というか、妄執を手放したいんだ。

嫌われる勇気」は読んだけど、あまり印象に残っていない。

もう一度読み返してみるよ。ありがとう

2017-02-02

首を吊られた話

http://anond.hatelabo.jp/20170201171042

きょうだいが首を吊って死んだ。

きょうだい精神的に不安定なところもあって、通院していた。

良い医師に巡り合えたようで、寛解はいかないがまあまあ安定していたはずだった。

それでも時々モノを投げつけたりしてくることもあったり吊り未遂をしていたりもしたので、比較的安定だったと言うべきかもしれない。

  

さて、きょうだいも吊り未遂時には暴れていたので、吊るのはやはり苦しいようだ。

私はきょうだいの隣の部屋で生活していたので、吊って暴れる音でいつも目が覚めて助けたりしていた。

正直に言えば、今日もうるさいな、迷惑だな、くらいの思いだった。

ところが、吊り成功してしまった日には驚くほど静かだった。

恐らく本当にスーッと意識を失ったんだろう。

きょうだいは痛い苦しいに弱かったから、苦しいのを我慢できたとは思えない。

  

私は自分では吊ったことはないので推測ではあるが、上手く吊っちゃって成功ちゃうと、静かに意識を失うようだ。

その結果、当たり前に死ぬ

きょうだいは、今朝は静かにしてるな、朝食を食べに起きてこないなと思ったら死んでいた。

  

私は吊っちゃった人の遺族であり、きょうだいが吊った原因の一部は、ひょっとして私や家族にあるのかもしれない。

それが故に特に自死肯定否定もしないが、それはそれとして、自宅で突然死なれると大迷惑だ。

まず通報しないといけない。

朝一から警察救急車が自宅にやってくる。

から近所に注目される。

既に出勤していた家族にも連絡して呼び戻さないといけない。

葬儀の手配もしないといけない。

油断すると泣いたり吐いたりしそうになるので我慢しないといけない。

死亡診断書に『縊死』と書かれているのを見て現実を再度突き付けられないといけない。

そんな診断書に対し、医師に所定の料金を払わないといけないのも、文句は無いが、気分は最悪だ。

  

グダグダ書いたが結論を申し上げる。

首を吊ったとかいう話をわざわざネットに書いて愉しんでるようなファッションメンヘラはいますぐ滅亡しろ

本当に不愉快だ。

2017-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20170102212925

自死にはパンを尻にはさんで右手の指を鼻の穴に入れて左手ボクシングをしながら「南無阿弥陀仏」と叫んだら死ねるくらいのお手軽さが必要だよな

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170103215153

ハリセンボンのブスネタと並べられるのはもはや吉田沙保里さんをマットの上以外でも霊長類最強女子呼ばわりすることなんじゃないの?

ま、結婚ネタ吉田さん自身から言い出すのでは無く周が言うのはハラスメント行為になると思うのは同意だけど

 

 

 

記事りゅうちぇる批判は「?」ってなったわ。

そもそも駒崎弘樹の女らしさ=スカートはいて化粧して料理するっていう認識自体オェってきた。

それにLGBT持ち出して論展開の部分、典型的マイノリティ食い物にするアライもどきじゃんって思ったわ。

しかに「らしさ」はLGBTに対する暴力になるけどLGBTそれぞれの人から「らしさ」を取ったらそれこそ自死を選ぶ人が有意に多いであろうことも確か。

「男女らしさ」は抑圧の呪い言葉って言ってたけどそりゃ駒崎弘樹の女らしさの認識だと抑圧だろうし

逆に吉田沙保里さんが磨いている「らしさ」や、LGBTの中で特にTが求めであろう「らしさ」や、りゅうちぇるの言う「らしさ」は苦悩する人にとっては薬にもなる「らしさ」だと思う。

らしさで悩んだりゅうちぇるからこそであって梅沢富美男が同じこと言ったら途端に呪いになるだろう。

こう書いて何だけどやっぱりバックボーンや誰が言ったか文脈依存するハイコンテクスト文化はやっぱ糞だなって思う。

大抵のフェミニストジェンダーフリー論者でも吉田さんの可愛く美しくフェミニンでありたいと思うことは否定しないだろうし

性適合手術受けて遺伝学的性とは違う社会性に規範的でありたいと思うことも否定しないと思うんだ。

一部の急進的で過激な人はトランスフォビアとして否定するかもだけど。

2017-01-04

父が亡くなった

11月に父が前触れもなく急逝して、今こうして2ヶ月近く経って、

人が亡くなった後によく信じられなくてその後の生活が嘘モノのよう、とか言うけれど、

私のなかではどうも父がいた頃がむしろフィクションだったかのような、本当に父は居たのだっけ?というような感覚があってそれが

父に申し訳ないというかあまり寂しさがピンとこないのが良くないことというか、人がいなくなるのってこんな呆気ないのかとか意外となんともないのかとか、思ってしまって、

よく故人と向き合うみたいにいうけどそれって、皆どのようにしてるんだろう。

私が薄情なのかな、こんなんじゃあっという間に忘れてしまいそうで、亡くなり方だってどう考えたって不幸だったし気づけなかった申し訳なさとかあるのに、

ほんとにこんなんで良いのかな、わかんなくて困っている、

親が自死するなんてほんとなかなかびっくりな案件なのに

仕事普通にして、普通毎日に戻って、

案外悲しくなくて、普通にセックスして、飯食って飲んで、二日酔いなって、父のいない家で普通に笑ってゴロゴロして、

本当にこれでいいのかなあ、ほんとはもう一年とか考えて考えて考え続けるべきなのではとか思うけど

皆さんどうでしたかそういう時って、と、似た境遇の人に聞いてみたい

私の中で父があっという間に過去のモノの1つになっていくのに自分でギョッとしてしまうんだけど。本当にこんなんで良いのかな

2016-12-24

自閉症スペクトラム幼児ポンコツロボットと同じ

4歳の自閉症スペクトラム児が家にいる。

一度パニックを起こしたり、ふざけはじめると、口でいかなる注意をしても全く通用しない。

子の頭を握り拳で力一杯殴らないと止まらない。

古いTVポンコツロボットと同じである

「頭は叩くな」とか「打ち所が悪かったら…」と言う人もいるだろう。

親としては、もう限界なのだ

うちの子は、人間の形をしているポンコツロボット。

一歩外に連れて出れば、心ない罵声赤の他人から浴びせられる日々。

我が子に人権がない事を実感させられる。

何度罵声の主の顔面を殴ろうと我慢したことか。

自閉症の子を産んだ私もポンコツだ。

生きる価値の無い私と私の子

自閉症相談をした療育機関職員からも、「外に出すの大変なら家から出すな」と言われた。

療育機関って、結局は自閉症の子供の対応が嫌いなのだ仕事からやってるだけで。

まり子供軟禁しろって事らしい。

数年後には小学生だが、うちは親の義務として、自閉症の我が子を学校に通わせるつもりはない。

介助員も足りない。外には出すな。

人の人生を狂わせる療育機関は、もう行きたくない

自分中心の奴らとも関わりたくない。

ポンコツ親子はポンコツらしく、自死するのが日本の為のようだ。

あぁ、生きるの疲れた

2016-12-17

寂しい

という気持ち理解できない人々の方が、社会では多数派なのだなと思うことが多い。
自分にとっては当たり前のようにあった感情で、たぶんこの日記を読んでるような人にも身近なものだと思う。

大学3年生も終わり際だけど、思い返すと「優しい人」と「優しくない人」がかなりはっきり分かれたように思う。
高校の頃はここまですっぱりしたものは感じていなくて、いろんな地域性というか都会と田舎の違いなのかとも考えた。
けど実際はそうでもなくて、近郊に住んでいるはずのいくつかのバイト先にいる同僚たちも「分かれ方」が極端だった。
誰かに対する気遣いとか言葉の刺々しさとか、弱っている人々に対する行動だとか。ニュースとか流行語大賞を見ていてもそう思う。
それは外見とか学歴、すれ違い程度の関係ではわからないもので、大学に入った当初からの友人でも最近「優しくない」と気づいてしまうこともある。
長い付き合いだった友人が「優しくない」とわかったとき、何より先に自分の鈍感さを呪った。で、関係もそこで断った。たまに会っても無視する。

「優しくない」人々というのは、つまり「『寂しい』という気持ち理解できない」人々のこと。
悪いやつとか暴力的なやつにもたくさん種類はいるが、「優しさ」というスキルリーを遡っていけばこれが最初にあると思う。
なんか怖い人々は、道徳の授業とかで習った上辺だとか「世間常識」「物語」にある「寂しさ」くらいしか知らない。
「寂しい」という経験がぜんぜんなかったりする、としか思えない。で、そういう人々はこれまでずっと多数派だったのだろう。
そうでなければあんな人々が上に立っている理由がわからないし、世界にはこりゃもうダメでやんすと跪くしかない。

何年か前、母親更年期障害だった。家族とはまったく話さないので兄弟の年齢もよくわからないけど、たぶんあの振る舞いはそうだったのだと思う。
暴力的な方に症状が傾いているわけではない。もともとそういう性格ではないが、「いつも一人で何かするのが好きな」「変わった子」である自分に対しては暴力的だった。
外ではぜんぜん普通だったし(いや普通でもないし家事以外はダメダメだ)、つまり「寂しい子」には「優しくない」人なのである
父親典型的な優しくない人で、現在進行系なことを言えば「つらい、助けて」と繰り返す母親に「言うことを聞け」「薬を飲め」「言い訳をするな」「理由をわかるように言え」とか、
まあなんというか傍から見ていても、壊れぎみな母親には無理難題をズラズラ並べ立てて拒絶しテレビを見ている。
テレビの間に母親が入れば「邪魔!」と蹴ってどかすし、自分が部屋にいるときには明らかに暴力的現場からしかしないであろう大音声である

実はそれがきっかけで気づいて、今日までずっと考えてきていた。
更年期障害が何かはわからないし、母親は正真正銘の「優しくない」人間自我も薄く、
自分も「寂しい」人間でありながら「寂しい」人間に対して暴力を振るったり大事な物を平気で壊したり高校生活の邪魔をしてきたり三者面談で変なことはするし
あいつのおかげで楽しかった部活動は辞めざるを得なくなったし(自分の弱さもあるが母親の行動も大概である)いまだにそれに対して謝罪のようなものもないし
筆者が本当にブチ切れてそれでも暴力だけは振るわずに全部考えや気持ちを言っても「そう思ってたの。で?」と頭に詰まってるのはメロンパンだとしか思えない
驚異的な中身の薄さと空っぽさと人生に対する甘ったるさを感じることしかできないか病気してもまったく同情できないし自業自得だろうとしか言えなかった。

話が逸れたけど、「優しくない」人というのは、どんな人間であれ「寂しい」という気持ちを持つのに(精神に来る更年期障害中なら尚更だろう)、
それに対して本当にまったく欠片も慈悲を感じない、そんな父親の行動を目の当たりにして気づけたわけだ。

ああ、本当に他人の「寂しさ」を理解できずに自分本位しか行動できない人間はいるのだなぁ、と。
で、「寂しい」はずの人も何も与えられなければ自我が薄くなって、「もっと優しくない」人間になるのだなと。

自分は違う。断言する。自分も「変わった子」と言われ続けて就職できるかも怪しい底辺だけど、違う。
最近インターネットもあるし、学校暴力性は排除されていて、若い先生には優秀で「優しい」人が多くなった(両極端だとは思う)。
自分現代学校システムのよいところに出会えていなかったら自死必至だったし、ネットがなかったとしたら確実に自我が壊れていただろう。
「寂しい」という気持ちを、共有するためのシステム社会にはできてきたのだ。リアルは様々な絶対零度が群雄占拠しているが。

いや、本当に泣きながら文章を打ってた。大学3年生だしモラトリアム終了の節目くらいしか大したことはないんだけど(就活…)。
なんか急に書き残しておきたくなった。ここ最近研究とかでいろんな「寂しい」人を見たり知ったりしてきていて、けど、
自分はまだ前向きでいられるし、簡単に「優しくない」人には負けたりしないなと実感した時に、こういう気持ちになった。
匿名インターネットだとか匿名でもないインターネットとか、自分の友人とか、学校先生とかカウンセラー先生とか。
いろんなもの感謝したくなったし、「寂しい」人にはなんだかんだ生きていける術もあるのだと伝えたくなった。

いや、本当はリアルにクソみたいな人々が多くて毎日つらいけど、よくわからん
さーバイトだよバイト。寂しい人々に幸あれ。

2016-11-27

某人気ライターが亡くなってから時間がどんどん経っていくが。

彼女がどうして死んだのかを考えた。

事故だというが、自殺だとか自死してもしょうがないようなODによる事故だとか、様々な憶測が飛び交っている。

過去妊娠して産めなかったんじゃないかとか失礼したんじゃないかとか、正直ひとりの女性に対してかなり堪えるような推測がまことしやかに語られてもいる。しかも「ご冥福」と書き添えて、そいつらに罪の意識なんかない。

彼女の本は2冊くらい読んだ。記事はいくつも読んでいる。美人論理的文章を書く人だと感じた。同時に、繊細でとても自分と近しいタイプの人たちにとても優しいとも。

自叙伝的なコラムを読むに、幼少から賢かったけれど女性で格好良い成功がしたくて、その結果好きだったサブカル方面での活動を選び成功したんだと知った。

けれど、見ていていつも「いつかはアダルトライターを脱したい」という思いをひしひしと感じた。

ネットでは賢くて高学歴美人なのに…と色々書かれていたけど、彼女は確か6大学卒ではないはずだ。それっぽくコラムで書いているだけで実際には違うことは関係者や当時世話した大学教授は知っている。けれど彼女プライドゆえにどうしても大学公表したくなく、そんな彼女をかわいがっていた教授講師たちは静かに口を噤んでいた(がしかし、自分ゼミ生や受講生にはポロッと喋ることはあった)。

冒頭に戻るが、彼女が死んだ理由理想自分になれなかったからだと思う。

自殺事故かはわからないけど、若くしての死の理由は持病を除き大抵理想現実の相違であることが多い。

周りに愛され仕事でも活躍し、仕事の予定もたくさんあった。

しかし、自分がなりたかった自分とは違った。目指してもなれなかった。

頑張れば将来的にはなれたかもしれないのに「もうダメだ」と見切りをつけた。

からと言って自分人生に見切りをつけることは、周りの人への冒涜にはならない。

だって彼女人生最後まで見てやれる人なんていないのだし。

自分人生をどうするのかは彼女勝手だ。

自分が憧れた人生と戦うことは、想像する以上に疲れただろうと思う。

ゆっくりと休んでほしい。

2016-11-18

若くなくなった女が生き延びるには

2003年、神さまは私に「三十五歳」という年齢を与えてくださる。

一生に一度しかない「三十五歳」をどのように過ごすか、

運命の鍵を握っているのは他ならぬ私自である

2002年12月、34歳の鷺沢萠神奈川新聞に上記の文で締められる短文を寄稿した。

結果的に04年4月、35歳で自死してしまうのである

今日の突然の訃報を聞いて、咄嗟連想したのはこのことだった。

出産が難しい年齢になったから?

容色が衰えていくから

個体としての制約もさることながら

若い女としてのニーズ」がなくなっていくこともダメージの一因では。

特にフリーランスで働いていれば、より強く痛感していた可能性がありそう。

なかなか「年齢なんて、ただの数字」と言い切れる女性作家は出ないね

生涯独身(予定)のままバランス崩さずに作家活動してる人なんて群ようこくらい?

猫か、猫なのか(表題)。

2016-10-24

生きててくれてありがとう

今の世界が息苦しい。

みんながこぎれいな身なりをして、それなりの生活を手に入れられて、生きてることなんて当たり前で、ああしなさい、こうしなさい、なんでそんなこともできないのって、求められることばっかり。

まわりの要求や、自分理想通りに生きられなかったら、自己嫌悪に陥ったりする。

「生きてるってすばらしい!」なんて言えるのは、バカ勝ち組か、どちらかなんだろうなって思う。

生きることは別にすばらしいことでもなんでもない。

人肌恋しくなることも、死が恐ろしいのも、生命インプットされた本能なのだから抗えない。

生きることはすばらしくもなんともないけども、生きることに必死なのが本能なんだから、仕方ないのだ。

時々、頭脳本能に勝っちゃって、自死する人間だっているけどね。

人生いか馬鹿馬鹿いか人間ならば自死を選んでしまうのも仕方のない話。

だけどやっぱり悲しいよね、残されるほうは。

やっぱり、生きててほしいって、思うよね。どんなに他人でも。

からみんな、こんな大変な世界で、生きててくれて、ありがとう

2016-10-20

自殺女子写真の件、黒石市批判する連中を全力で批判したい

まりにも不愉快なので。

この件、そもそも何で黒石市批判されなければならなかったのか、まったく理解ができないです。観光PR目的とした写真コンテスト受賞作に、撮影10日後に自死した人間が写ってるなんて、普通に不適切だと思うのですが。なぜって、被写体少女自死であることが流布されれば、自死イジメ注視度が移って、<観光PRという本筋の目的達成が困難になる>からです。件の写真市長賞をとっていたとして、このご時世、その被写体イジメ被害者自死であることは早晩明らかになったことでしょう。「この子祭り10日後に自死しました」という但し書き付きの受賞作を見て、この祭りに行きたくなりますか?気にしないとかじゃないですよ。「行きたく」なりますか?僕はならないし、多くの方がそうであるなら、「多くの人に祭りを知ってもらうという賞の趣旨になじまない」という市長発言は、まったくもって正しいとしか言いようがないではないですか。

自死であることを理由に、祭りPRの場<では>評価できない、とされることの、どこに故人や遺族の尊厳を踏みにじる要素があるのでしょうか。

腹が立つのは、第一に、「自死者が恥ずかしいというのか!」みたいにネットで吹き上がる人たち。祭りPRのためのコンテストなんだから、見た人が祭りに行きたくなる写真が受賞するのが正しいんです。自死イジメを防ぐといった大きなトピックのもと、お得意のネットリンチ気持ちよくなってる人たちには、ほんとうにうんざりします。

第二に遺族。そもそもこの件、受賞が取り消された時点で、遺族が「確かに祭りPR<には>ふさわしくない」と市の判断理解を示しながら、とはいえ、いい写真なのだから、娘の願いを伝えたいから、と別枠で公開していれば、誰も傷つかず、また議論が散らかること無くいじめ抑止のトピックになったはずです。なぜ、わざわざ市に敵愾心をむき出しにして、祭りPRという場を踏みにじったのか理解に苦しみます

もっとも、結果としては確かにPR目的を達成するどころか、かえって自死と関連付けられたイメージ祭りに付着する、悪手となってはしまいました。しかし、それも無理からぬことです。

祭りPR自死者の写真不適切とは何事だ!(お前らの祭りイメージなんか知ったことじゃねえから笑)」と騒ぐ幼稚な似非正義漢がこれほど多いことを。遺族がこれを好機とばかりに「娘の願い」を伝える場として利用することを。

誰が、予想し得たでしょうか。


若くして自死した女子中学生は確かに悲劇です。しかしその悲劇感の大きさに目がくらんで、地方お祭りPRに過剰な押し付けをするべきではないんです。市長を弾劾するのであれば、教育行政レイヤーにおいてであって、祭りPR自死中学生問題内包せよなどという批判的外れも甚だしいのではないでしょうか。騒動がここまで拡大してしまってはもうどうしようもないですが、なぜ何も悪いことをしていない祭りが、自死とともに語られる存在にされなければならなかったのか。「黒石よされ」という祭りPRしようと、努力をされてきた方々の悔しさを思うと本当に心が痛みます。遺族は辛い状況でしょうからまり責められませんが、少なくともネットリンチ快感搾取している連中は猛省すべきと思います

2016-10-19

若者自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとするひとたち

若者自殺ニュースがあるたびに湧いて出てくる、「もう二度とこんな悲しいことが起こらないようにという大義名分をかかげて自分の主張を押し付けようとしてくるひとたち」

人の自死を利用してる卑しい行為だって気づいていないから、あんなにも堂々としていられる。

本来なら、「人が自死を選んだ。悲しい。ただただ悲しい」でいいはずなのに、そこからさらに踏み込んで「社会はこうあるべき、世の中はこうあるべき、じゃないと人が死ぬ。俺の主張は人が死ぬのを防いでやってる崇高な行為。という大義名分がある自分の主張の押し付け合い」が始まるのをみていつも悲しくなる。

そう言うと決まって「いやいや、尊い人の死をもってしてシステム警鐘があったのだから、そこは改善しないと。彼らの死を無駄にしないためにも」みたいな反論がある。それこそが大きな間違いだ。

間違ったこれによって得られる未来は、「自殺しようか迷っている人に対して、自殺によって社会をいい方向に変えられるという後押し」でしかない。

「人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとするひとたち」は、「人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けようとする害悪」のみならず、自殺しようか迷っているけどぎりぎり踏みとどまっている人の背中まで押してしまっている。この汚さに気づいていないから、あんなにも堂々としているのだろう。

君が自殺したら、悲しい。ただただ悲しい。君が死んでも、世の中なんてよくならないし、だからこそ、ただただ悲しいんだ。

人の自殺にかこつけて自分の主張を押し付けてよっているだけの声の大きい汚い人間のいうことに、どうか惑わされず、君の悲しみはみんなにとってのただただ悲しみの中にあるということを忘れないで。

2016-10-18

サラリーマン生活ですっかり忘れていたが今問題になっている広研に入っていた。

悪さはしなかった。それなりに規律があったので報道を見ていると正直違和感がある。

今は変わってしまったのかもしれない。あのころは楽しかった。多少派手な奴もいたが普通学生範疇だったと思う。

マスコミから写真を抜かれるのでFBからステータスを消せというローカルな連絡だけ来る。

身の回りには広告業界に行った奴も多い。

特に電通えぐい苛めの話をよく聞いた。だが、そのうち給料も上がって仕事も楽になる。辞めはしないんだろうなと思って聞いていた。あいつらはそれなりに勝ち組だった。

世の中の比率はわからないが、たいした数でもないサークルの同期はすでに二人自死している。心を壊して行方知れずになった奴もいる。

だが、生まれつきなのかなんなのかとんでもなくタフな奴もいる。普通に死ぬほど仕事して、実家仕事手伝って、更に同期もまとめて、子供三人とか。

まあ、自分第一線で働いている奴らからすると、取るに足りない仕事をしている。それしかできなかった。

格差が激しいのが空しくなりもう何年も誰とも会っていない。

最近分相応という言葉をよく考える。人間を生き物だと思う。晒されるプレッシャーに耐えられる奴だけが、場を与えられて、生き残っていくのだろう。

2016-10-17

自殺自死と言い換えて尊重する立場生命至上主義をどう両立させるのか興味がある。

自由になる 自由がある

宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」曲中で、タイトル歌詞があるんですが

ずっと、

自由になる

→辛い生から解き放たれる権利がある

自死を選んだことを責める権利は私にはないよ

だと解釈してました。

そもそも公式解釈など存在しないですし、誰に対する歌なのかは言及しませんが。

最近になって、あれ?これは歌い手である「私」が悲しみから解放される自由がある。でも、それじゃ、私じゃなくなる。ってことなのかと解釈できることがわかりました。

自分は、春頃からうつ病を患い、漠然と死を意識する日々が続いていたのですが、抗うつ剤も効きはじめて、やっと、死を外側から見られるようになったのかなと思います

何が書きたいのか自分でもわからなくて増田にしてみたのですけど、たぶん、このフレーズを、皆さんどんな風に解釈されてるのかが気になるんだと思います

つたない文章でごめんなさい。

追記

何が書きたいのかわからない、と書きましたが、ほぼ間違いなく謝った解釈で涙流してうずくまってた自分が恥ずかしくて混乱状態にあると思われます

2016-10-06

永遠はわるいもの

先週からぼんやり考えてきたんだけど、結局、お金の悪いところは消えないってとこだよなあ。

誰かの手にあるお金経済的活動を通して他者の手元に移動する。個人感覚では「手元から消える」けれど、お金側に立った視点で見れば、消えない。移動しただけだ。世界にあるお金はどんどん旅をして(移動を繰り返し)、消えたりしない。それどころか信用創造で増えたりする。それが20世紀の経済発展原動力になってきたのは確かなんだけれど、コントロールするという視点に立つと、消えない、不死である、不滅であるってのはすごく厄介だ。

自然界にあるものは何でも時間が立つと消えていく。放射能だって、老人だって、消えていく。だから問題が起きたら耐えて時間経過を待つ」って戦略が取れるし、多分これって生物生存の基本戦略なんだと思う。お金は、そこの「消える」ってシステムが基本構造に組み込まれてないので、災害が起きると手がつけられない。消すためには誰かが買い取って(まあ国だよね)燃やすしか無いわけだけど、それって非情コストが高い&即時性がないわけで、制御手段としてはいひとつだよなあ。

100年後の世界は「死ぬお金」で社会運営されてるんじゃないかなあ。

追記:バブルの崩壊を、「生態系破壊するほどに増殖したお金が適正規模を回復するために行う自死行為」って見立て研究って、誰かやってるんじゃないかな。

2016-10-03

気持ちの整理がつかないので書き殴らせてくれ

夫のことは大好きだ。

そして離婚したいわけではない。

でもすごくモヤモヤするしイライラするんだ。

多分自分に対してイラついていて、それが夫にむかってるような気もする。

主原因が本当に原因なのかもよくわからなくなってきた。

【何に対してモヤモヤするのか】

夫が「家族のことは大好きだよ」と口では言うが、一人になりたがること


→そんなに一人でいたいのなら、私子供連れて死のうかな というのが最近私が思ってること。

【たまには一人の時間ぐらいくれてやれよ】

たまにはいいよな。

でもたまにじゃないんだよ。

うちは共働き子ども(4歳2歳)は保育園だ。

そして夫の仕事夜勤ありのシフト制で土日が必ず休みとは限らない

(土日のどちらかが休みときもあれば両方休みときもあれば両方仕事ときもある)

そのかわり残業はない。

その休み時間を、夫は「勉強」にあてている。土日もね、休みがアレば勉強にあてている。

勉強は家じゃなくてどこかに行ってやってる。(家だと集中できない、というのが主な原因らしい)

【なんの勉強しているの】

英語勉強

【なんのため?】

転職のためらしい。

勉強してるなんて、いい旦那さんなんじゃないの?】

そうだよね、夜勤有りの職場から転職するために勉強している。がんばってるし応援してあげたらいいよねー

【夫の「勉強している」がイマイチ胡散臭い理由

<6年前〜>

結婚から転職のために何かしら勉強していた。(何かは不明。聞いても教えてくれなかった)

自己流じゃなくて学校に通っていたようだ(浮気を疑い問い詰めたところ教えてくれた)。

・ちなみに結婚前に学んでいたことは「簿記」だったことが後に判明するが、2級すらとらずに終わった。

結婚式新生活の準備等々は「勉強してるから」と放っておかれた。(夫は放っておいた認識なし。よくやったと自分では思ってるはず)

勉強のために「勉強カフェ」や「図書館」に足繁く通っていた

・だが、図書館休みの日も「図書館に行っていた」と言い張る事案も発生(一例です)

<4年前〜>

・長女生まれる。育児ノイローゼになる(私が)。

・それでも「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)

育児ノイローゼについては真面目に取り合ってもらえず。「育児が辛いとか何いってんの??」状態だった。

・「子供と二人きりの時間が長いと危ない。早く帰ってきて」とお願いするも、まっすぐ家に帰ってくることは少なかった

勉強のためにどこかによっているらしかった。どこかは不明。何してるかも不明

・夫は自分はイクメンだと思っているようだ。

<2年前>

・次女生まれ

・「勉強してくる」と何処かに出かける事が多かった(何のために何を勉強しているのか具体的に教えてくれず)

・1ヶ月ほど別居。

・夫には別居の認識なし。引っ越し(別居とは別件)等色々大変だったから嫁が実家に世話になっていた認識

引っ越しにより保育園退園せねばならず、子供の預け先がなく、そんななか引っ越し準備などを抱えて実家の世話になる。そのまま1ヶ月ほど実家に居座る)

・別居期間中自発的子供に会いに来てくれることはなかった

<去年>

英語勉強していることは教えてくれた。転職のためだということも教えてくれた。でもなんで英語なの???

英語勉強のため、結構本格的な塾に通い始める

・毎月TOEICを受けていたが結果は教えてくれず

<今年>

英語勉強のため、かなり本価格的な塾に通い始める

・すべてが勉強優先へ。

休み時間はすべて「勉強のため」に使われる

子供と過ごす時間は”仕方なく”作ってくれるレベル

<その他>

家族と一緒に一日過ごすと体調が悪くなる体質のようだ

家族と丸一日一緒にいると、その後必ずどこかしら不調になり、家族との関わりを絶つ行動にでる)

・口では「子供は欲しかった」「家族っていいよね」と言っている。

勉強は「家族幸せに暮らすため」頑張っている(らしい)

現在家族の思い出は、そのほとんどが夫不在で作られている

<疑問に思っていること>

勉強にけっこうな時間お金をかけているが、その成果が全く見えない

→本当に勉強しているの?(身についているの?)

(なお、塾のお金家計からでている)

英語勉強して何になるの?

仕事システム系らしいのだが(夫の勤め先は知っているが、システム屋だというだけで具体的にどんな仕事してるのかは知らない)、その先端は英語らしい。だから英語ができたほうがいいんだって自分もすこしSEOかじってて、SEO話題はまずアメリカ英語)でその話が日本語に訳されてくる図式が思い浮かんだので、そういうことなのかーと思っていた。

で。実際その英語技術書(というか先端技術)を読んでいる(触れている)のか?と聞いたところ「まだ英語勉強中だから」という理由で触れていないらしい。

<疑問から浮かんだ疑惑

勉強と言っているが、本当は一人になりたいだけなんじゃないの?

<そこから離婚でも別居でもなく「死ぬ。」になる理由

・夫のことは大好きなんだ。

・大好きな人幸せ状態を考えたら「一人にしてあげること」だったんだ。























嘘。

あてつけだよ。

「そんなに一人でいたいのなら、どうぞ」

離婚だとだめだ。一人になりたい人を合法的に一人にさせてあげるなんてご褒美でしかないじゃないか




























でも母親自死されたら、子供未来は明るくないだろうな。

子供だけ残されたら、実家にも、子供人生にも迷惑がかかるな。

だったら連れて行ってしまおうかな。

【ここまで書いてみてとりあえず少し整理ついたこと】

・とりあえず育児ノイローゼで初めて味わった「鬱」という状態に、今再び陥っている気がする。


だったら育児ノイローゼとき同様「この気分をやり過ごす」のが一番な気がしている

鬱ってほんと他人からみたら些細な事で死にたくなるんだよ。

勉強でなく仕事だったら?激務でほとんど家に帰らない旦那でも死にたくなるのかな私。

だったらもう、とっとと死んでやったほうがいいんじゃないか?

今ならまだ若いから再婚相手だって見つかるだろうし。

子どもたちも小さいから私の事忘れてくれるし。

2016-10-02

自死って言葉をやめろよ

成人病」を「生活習慣病」に変えた事が、長谷川豊のような自己責任論を招いたという説があったが

それなら現在進行形で進んでいる「自殺から自死」への言い換えもやめるべきだ

自殺」を「自死」と呼ぶことは事態悲惨さをごまかし

まるで安楽死尊厳死のような印象を与えてしま

一見遺族を思いやるようでいて実は国策による「自殺は大した事はない」キャンペーンの一環だと思う

から自死」という言葉は使うべきではないと思う

自殺自殺

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