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はてなキーワード: 原始的とは

2024-03-17

食べ放題の件って日本の知能が低下してきてるんだと思う

ここでも他の奴が言ってるけど

時間かかるけどいいかってきいたり

時間決めて食べ放題にするなり

金額の上限決めたり色々方法はあるはずなのに

客にきれると言う原始的手法で怒りを発散するってことは

焼肉屋の知能が低下してきてるんだよな

でそれを当然と思うはてなの知能も低下してきている


俺はこれは中米ティティテトランの遺跡の碑文に書いてあった大転換に関係してると思う

マヤの暦が大転換を起こすとき多くの人の知能が低下し滅びる国がでるらしい

日本が滅びないことを祈るよ

それで上タン何人前までならいいのか誰も答えてない件

[B! 食] 上タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ - 関内関外日記

このエントリーに対して「暗黙の了解を守れ」と繰り返すだけのブコメやそれにスターをつける人たちちょっと酷すぎませんか?

goldheadさんは明瞭に書いている。

繰り返すが、「了解」なんてないんだ。心優しく店のことを考えて「3人前」だと思っていたとしても、店としては「1人前も出したくない」と考えているかもしれない。10だと思って5か、5と思って3か。わかりゃしないんだ、そんなもの。暗黙の不毛さで、ただただ言葉に発せられない憎悪嫌悪が広まっていく。

 

空気を読め」とはそういうことだ。むろん、空気が読めなければ生きにくい。読めて当然の空気だろ、という状況もある。が、これは焼肉屋食べ放題の話である。「食べ放題なのだから、好きなものを好きなだけ注文するのが当たり前だ。何度も言うが、それが「当たり前ではない」という人は、同じ意見の側の人たちをも納得させられる数字を出さなければ説得力がない。たしかに「50人前」は過度に見える。見えるが、40はどうだ? 30はどうだ? 10なのか? 5なのか? 空気を読めというばかりで、自分暗黙の了解がわかっているという顔をするだけで、基準一つ出せないのはどういうことか。単に他人を見下したい、良識派ぶりたいというだけではないのか。

  

そうやって、「自分はわかっている」という顔をして、「空気」を読むことを人に課して、その実、自分の中身は空っぽだ。あるのは原始的な反感だ。それも、世間他人の顔色を伺うだけで、「食べ放題で上タンは◯人前だけ頼むべきである」という基準も出せない。

 

そんなものが世の中の空気であって、だれが幸福になるのか。店は上タン食べ放題で食べられるのが嫌だったら、上限を定めるなり、食べ放題メニューから外すなりすればいい。それを明文化すればいい。そこになんの問題がある。それで世の中の風通しがよくなる。クリアになる。世界から憎悪嫌悪の量が減る。違うか?

ていうかタイトルしか読めないブクマカ向けに

タンばかり頼んでなにが悪い? 暗黙の了解があるというなら見せてみろ

とまで書いてくれている。

そこから逃げて正面から回答しないのは不誠実だし現在トップコメの「品がない」に至っては対話放棄した人格攻撃じゃないでしょうか。

ちらほらある「ルール内なら何をしても良いと言うのか!」というコメントも曲解がすぎる。

藁人形論法

 

じつは個人的にはgoldheadさんの主張に全面同意ではない。

最初「50人前も頼むなんて常識的に考えなよ…」と思っていた側だ。

でもこれを読んでハッとさせられた。

しかに何人前までならOKなのか私は答えられないし、そういう「常識」「暗黙の了解」を私たちは別の場面で空気」「同調圧力という言葉批判しているのではなかったか

私は考え込んで黙るしかなかった。

いま言えるのは牛タン食べたいということだけです。

2024-03-15

anond:20240315132632

今のCPU計算機っていうより頭脳に近いけど、量子コンピュータピュア意味計算機

それはそうだけど、現状の量子コンピュータGPUなんかに比べても遥かに原始的なんだよ。

今のCPUGPUに例えるなら、演算ユニット以前に加算器すらできてない状態マシン語の遥か手前のフリップフロップがどうとかそういう段階と言える。

anond:20240315115856

量子コンピュータとは、なんだかんだスーパークソ速コンピューターにすぎないので

違う。それは量子コンピュータ理解していない。

理想的量子コンピュータが作れたとしても、既存コンピュータでできることの全てが速くなるわけではない。

量子加速が効くアルゴリズムは非常に限られていて、加速されるアルゴリズムであっても指数的に加速するものさらに少なく大半は多項式加速に過ぎない。

多項式程度の加速だとデコヒーレンスノイズにかき消されて優位性が消滅しがち。

そして量子計算原理的に出力が確率的(ヒストグラム)にしか得られないので、厳密な計算必要となる状況では使えない。

(なお「理想的量子コンピュータ」を作れる見通しは現状全くなく、原始的な量子誤り訂正をどうにかこうにか実装しようと苦労してる段階)

2024-03-12

anond:20240312122933

これ言うの何度目か知らんけど、お前らが「AKIRA画期的だった」と言ってるとき、本当にお前らが口にするべきは「童夢」の方だからな。

サイキック的な見えない力を扱うという漫画的な演出の最も原始的な部分を完成させたのが「童夢」。

ドラゴンボールかめはめ波代表される「古典的には『気』と呼ばれていたエネルギーを、肉体を経由することなく直接発射する」という概念が圧倒的に新しかった。

そういった「不思議な力」が一見弱々しいキャラクターの元で強く発現するというジャンルを作ったのも「童夢」だ。

AKIRA」が洒脱さとビビッドさを織り交ぜたポップカルチャー的な造形において優れていたのは事実だが、そこに新しさがあったかというそうでもない。

多くの人が「AKIRA」に対して感じた新しさは、単に「童夢」をまだ通らず先に「AKIRA」を見てしまたことで発生したインプリンティングに過ぎない。

前衛的すぎた「童夢」を混ぜ物によって薄めて軟着陸させることでより社会に受け入れやすくしたのが「AKIRA」なわけであるからして、「童夢」を差し置いて「AKIRA画期的である」というのは流石におかしいわけだよ。

anond:20240312134918

もっともさっとしたような原始的デザイン(点目とか)のほうが個人的には好きかなーと。

からトイストーリーは好きじゃない。ベイマックスのほうがデザインとしてはいい感じ。

2024-03-11

個人的に、芸術意味もなく埋め込まれているロマンを取り去る作業をしている。

美的センス」だのなんだのという言葉があるが、それは「細かい色使い」「線の置き方」「参照元の選別」だったりが、鑑賞者集団の何割に(各鑑賞者に与えられた被鑑賞物集団の中から選考されるか、という意味合いの抽象的な、ただあるんじゃないか仮定しただけの概念である

そんな曖昧で、無数にいる鑑賞者が何の気無しに好き勝手に見てる被鑑賞物に左右されるようなものは「トレンド」の言い換えでしかない。「美的センス」なるものを「トレンド」の上に覆いかぶせ、気難しい芸術というジャンルビジネスとして成立させようとしているのであれば、せせこましい姑息努力に涙を禁じ得ないが、こっちとしてはそんな都合しったこっちゃない。

から、それを、うすーい商売っ気を踏みつけながら成り立っている芸術ごと殺すために、制作過程アルゴリズミックにするべきだ。しかしどうしよう。流行り物をコピーして機械的な変更を加え、配置する、それを複数回行って新しいモノを…。そんなものは、ただシンプルに行えばコラージュしかない。少し複雑にしたらカオスだ。カオスラウンジだ。計算機を使った機械的芸術生産、できないことはないが、コラージュから出発してゴールまでの間にカオスラウンジという谷がある。

その谷に渡す橋が生成AIだ。私には虹色に見える。レインボーブリッジだ。

既存のものにごちゃごちゃ変更を加えたもの学習するという法や芸術倫理をすり抜ける「機械的な変更」を備えている。機序からしてこれがゴールだといえる。

🔪

話はここで終わり。なぜこんなことをするのか?「意味」はあるのか?

お前は「言葉」に支配されている。「言葉」の指し示す先を見ず、ただその指を見つめている。「意味は何か?」は使うことのできない言葉だ。

単語」や「慣用句」に使った場合は「私の代わりに辞書を引いてください」という21世紀なら発声が終わるまでの時間自分でできることを他人に依頼する「無意味」な言葉になる。

概念」や「行動」に使った場合「(多くの場合言葉を発した者に対して)有益かどうか」ということを「世界共通のあらゆる物事にたいする公正な評価システム存在し、それが高い指標を出してくれる、世界にとって有益物事か」という質問であるかのように偽装して尋ねる言葉になる。これらはすべて「数億年後に太陽系ごと爆発して文明ごと霧散するが、それに意味はあるのか」という質問によって「無意味」なものにできるため結論はすべて同じになる。

そもそも質問者の利益になるかは、物事観測して自分判断すべきだし、被質問者の利益になるかは、かなり主観が入ってきて「北斗七星が十四星に見えるため、これは有益です」と理解しがたい主張をされて、納得するだろうか。

その「北斗七星が十四星に見える」のが何故良いかの仕組みを聞くことになり、それは終わらないエンドレスなぜなぜ分析であり、ハーグ条約に囚われない新機軸のJTCの拷問であり、衒学じみた古代哲学であり、アトムを分解しようとして核爆発が起こり、「意味」ごと世界を壊し、つまりそれは禅の間違った横道であるからして、合法ドラッグなのであるから言語道断なのである

意味はない、役には立たない。私の言葉は間違っているか?もちろん間違っている。なぜなら「言葉」だから芸術は「言葉」に頼らず原始的であるべきで、そうでないものは生成AI破壊代替換骨奪胎できるのである

まり、私の破壊の後に残ったものこそが芸術なのである。そしてビジネスを1つ潰すだけのその行為に、意味はない。

追記

一部の論理的哲学には敬意を持っているが…他の哲学やってるやつらってマジで馬鹿なの?こんなガバガバ文章いくらでも論破できるだろ

2024-03-10

ゴリラと犬ならどっちの方が頭がいいのか

人間脱出できない迷路を猫が脱出するという事例がある。この人間個体としてアホすぎただけかもしれんが、猫がある程度賢いともいえる。

猫にクリアできるんだからGPS機能遺伝子レベルでついてる犬ならいわずもがなクリアできる個体一定するいるだろう。

そこで思ったんだが、なんで犬は文明を持たなかったのか。人間並みの道具を作ってそれを行使して犬と人間が対等に種族対立して戦争するみたいなことにはならなかったのか。

私は思う。犬はゴリラ程度と比べれば十分賢いが、その身体性ゆえに、賢さを十全に外的に表現することができなかったのではないかと。

犬や人間には物をつかんで器用に扱うのに十分な長さの指が犬にはない。

これだけでも、いくらちゃんの頭のなかで、人間征服する道具を作り出そうとしても、作れない。人間は「機械を作る機械」を作り、今度は機械にその作業を繰り返させるようことによって、その道具を精緻化させていったが、そういう機械ももっとも原始的な段階のものすら、あの体では作れそうにない。

また一匹すごく賢い犬がいても、その発想を共有する手段としての言語を持たないから、人間がするような大人数による巨大なプロジェクト=文明もできるわけがない。

言語を持たないのもまた脳自体に宿る知能の高低よりも、身体性の問題だ。

人間が持つような言語構成するほど多様な発声が犬の声帯には無理だからということだと思う。

モールス信号なら犬でもできそうじゃん」って思うだろうが、自然言語をすっとばしてモールス信号をいきなり発明してかつ「それをプロコトルとして他者認識の共有を図る」つまり「それ以外の一切の言語を前提として持たずに、モールス信号モールス信号を伝える」のは、人間の知能でも無理ではなかろうか。

そういうわけで、犬ちゃんはそこらの日本語文章も読めずにクソリプするひとたちよりはよっぽど理知的なことを考えていて、人間征服しようと夢想はしているが、この体ではそれができないことこともわかっていて、悟りの境地で人間に従うふりをしているだけなのかもしれません。

2024-03-06

ご飯食べるくらいしか喜びがないとかよく言うけどさ〜

最近はうんちしてるときくらいしか喜びないブリ

ていうか便秘がちだからすんなりうんち出た時の喜びかなりすごいブリ

原始的な喜びを脳髄で感じられる神秘的な身体現象ブリねぇ〜〜〜

ブ〜リブリブ

ブリしゃぶの旬まもなく終了です

ご飯食べるくらいしか喜びがないとかよく言うけどさ〜

最近はうんちしてるときくらいしか喜びないブリ

ていうか便秘がちだからすんなりうんち出た時の喜びかなりすごいブリ

原始的な喜びを脳髄で感じられる神秘的な身体現象ブリねぇ〜〜〜

ブ〜リブリブ

ブリしゃぶの旬まもなく終了です

2024-02-26

はてな必要ない生活

ここ2週間ぐらい珍しく忙しい生活を送っていたため、はてなから離れていた。

最初こそ意識的はてなを見ることを避けていたが、忙しさも佳境に差しかるともう思い出すことすらない。

その以前は、一日一時間は何か面白い記事がないかチェックし、自分コメントに返信されるクソコメに応戦し、睡眠時間を削っていたというのに。

どこかで「これは充実した時間ではない」と気付いていた。

でも読書するより手軽だし、たまに面白い知見にも出会えるし、クソコメとの応酬は適度なストレス勝利快感を私の原始的な脳領域にもたらしてくれていた。要はインスタントな刺激を求めていたのだ。

そして、忙しい間はそれが別のかたちで満たされていた。

今、また少し暇な日常が戻ってきた。ほんの束の間だが。また色んな人と関わることになる。今回の忙しさを通じて私の何が変り、何を得て、何を失ったのかはこれから考えるとしよう。少なくともはてなをやっているよりは実りがあったんだと思う。別に実りがない人生でいいと思っていたけど、今は少し成長というやつをしたい気分なのかもしれない。

あんまり「成長」という言葉は好きじゃなかったんだが。

2024-02-24

他のことをやりながら食事をする人はどうかと思う

例えば仕事資料を見ながらとか、スマホ動画見ながらとか、イヤホン音楽を聴きながらとか、ひっきりなしにおしゃべりをしながら、である

また牛丼飲料の如く流し込むような食事の仕方をする人もいる。そんなことをしてごはんの味がわかるのだろうか。いや分からないだろう。

 

食事というものは、人間に与えられている最も根源的・原始的欲求のうちの一つであり、ほんとうの意味生存必須行為の数少ない一つである

その意味では他には睡眠、排泄、呼吸くらいしかなく、他のあらゆる行為生活には必要であっても生存必須ではない。

また食事により欲求を満足させることができる質や量には限りがある。年齢を経るごとに味の好みも変わるし、そのうち満足にものを食べることもできなくなる。

以上の理由から自分にとって食事というものは非常に重要ものであり、それが食堂の安定食であろうがスーパーおつとめ品であろうが、体の隅々まで行き渡らせるように味わうように心がけている。

 

したがって、どれだけ忙しくても、一定時間をかけて内なる自分世界に集中して食事に対して取り組むことが、人生をお手軽に充実させる手段であると思うし、

冒頭に述べているような人々はその機会を棄損し続けているように思える。これは食事ではなく食餌なのではないか、とさえ思うこともあるのである

2024-02-23

Coincheck口座開設をしようとしたら

本人確認書類を角度をつけてスマホ撮影させられて

提出したら今度は映りが不鮮明だから再提出とかいいだした

マイナンバーカードを用意してるのにどんだけ原始的ことさせるんだよくだらねぇ

2024-02-18

anond:20240218142849

そもそも

全ての自然数加法による計算は、感覚ではなく公理定義から導出出来るものであるということの一例と私は考えています

1+1=2は直感的に正しそうだけど証明可能不可能かは大問題証明できないと数学破綻している可能性があります

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13293425613

みたいな主張、ようは「数学的に証明されたら感覚的なことではない。感覚じゃない事実なことを示すために証明するんだ」みたいな主張に対する違和感から始まってんだよね、元増田は。

いや、定義自体が、人間インプットされた「同一/非同一」とか「書き換える」みたいな原始的観念/身体感覚依存してる部分が多少なりともあって、このプリセットが全人類で同一か確認する術が不可知なのだから

感覚あいまいなもとみなし、そこから『全く』逃れるために証明するんだ」という考え方は、誤りだろって突っ込みたい動機から始まってるんだよね。全くじゃなく、程度問題だろ、全く感覚の影響を排除できてるというのは思い上がりだろっていう。もちろん厳密であろうと努力する態度は尊いと思うよ。

anond:20240218011332

から「間違った」というそこまで原始的概念感覚によらず記号定義できるのかという話よ。矛盾やら証明やらはともかく、操作同一性って話な。

別にこっちとしては感覚が厳密でないとは思ってなくて、むしろ元増田に書いたことは「感覚が厳密じゃないか数学感覚を抜きに定義できてると思ってる」向けの主張なんだよね

2024-02-17

anond:20240216215810

「Aかつ¬Aの証明を得ることができる」に対して、「いいや得られない。お前がそのように見せかけているだけだ」おれの計算(記号処理)手続きこそ推論規則に適っているし正しいと、反論されたら?

また、「そもそもここでいう『得る』とは」どういう意味か?と突っ込まれたら曖昧でなく『得る』ということが『得る結果の具体例ではなく』『どういうことか』記述できるのかという話です。

¬¬A→Aという規則に基づいた結果が

¬¬¬¬¬A→¬¬¬(¬¬A)→A

なんだよ!と言い張られる。もちろん常識的にはおかしいと思えますが、いまは突き詰めたことを言っています

一般には、¬¬¬¬¬Aを書き換えるために、この記号列の一部分¬¬Aに着目して、規則からAと書き換えられるから、この結果を¬¬¬(¬¬A)に代入?して、¬¬¬Aに書き換えられる、という思考プロセスをとるでしょう。

しかあくまものとしては、ここで考えているのは¬¬Aではなく¬¬¬¬¬Aなわけです。

規則通りに書き換えられてない、言い換えるなら同じ規則を使っていないという主張に対して、そもそも同じ規則適用できているということ、規則が同じとはどういうことか自体定義公理に組み込むことはできるのか。

矛盾証明ということはまだその概念記号列で示す余地があるが、規則が同じかどうかという定義もとい「規則」は厳密に定義可能かということです(無定義語として関係性の定義でもよい)。図形が合同か、みたいな合同の概念定義など比べてもまたレイヤーが一段メタ的になっていて厄介というか。「違うのは自明じゃないか!」といっても、自明説明できてこそ自明なのですが、ここでいう同じかそうでないかということについてはそれを根拠だてる定義原理的に無理なんじゃないかと思えてしまます

さきほど『得る』という言葉に突っ込まれたら云々ということを言いました。

ブコメには「自然言語曖昧さで数学をの厳密さ否定しようとしてるだけだ」というのがあります

別に私は自然言語曖昧さを問題にしていません。そこは問題本質ではないです。

しろこうした言葉一般に疑いようなく明らかなものです。「左右」とか「これやあれ」みたいな近称や遠称の概念などもそう思われるでしょう。

しかしむしろこれらの概念には一切曖昧さはないという前提に立っても、これもごく単純な話で、曖昧でないからといって、いままでその概念を持ってなかった知性的存在に対して、「これ」や「左右」といった「概念」を、対面やジェスチャーを使えばいざしらず、記号列を用いて一意に定義できる保証はないよね、ということです。定義の厳密さを担保する必要条件が、記号理学に基づくということにあるのなら、数学を厳密とのたまうかぎりにおいて、当然対面やジェスチャーではなく、これとか同じとかみたいなもっと原始的な部類の言葉まで全て記号で一意に定義できることを示せなければならないでしょう。

あとあなたが↓のトラバと同一だと言ってくれたら以降↓の方のツリーに返信書いて一元化するのでそのつもりで

https://anond.hatelabo.jp/20240216215810

ちなみに関連しそうな話題として自分自身ラムダ式勉強した経験があるけど

1. 変数xはラムダ項。

2. ラムダ項M, Nに対して (M N) はラムダ項。この形のラムダ項を適用ラム適用)という。

という定義があるんだけど、これに基づけば(x x)というのもラムダ項じゃないのって思ってた。

でもラムダ式で(x x)なんて形のは見たことないし、違うんだろうなと。

でも論理的にはなぜ違うのか全く納得できてないので(納得感が正しさにとって問題じゃないとはいえあえて言うが)(x x)だってラムダ式でしょって胸を張って言い張れる。

分かってる人からみれば、そして俺にとっても¬¬¬¬¬A→Aと同程度にバカげた主張なんだが、そのわかってる人にとっても「この規則ならこういうことが言えると思うのに、なんで正解とされてるのと自分が思ってることが違うの?」ってなることはあるはずで、それはこの世で一番数学ができる人であってもありえること。この世で一番数学ができる人さえ規則を正しく適用できていないらしいときそもそも正しい適用とはなんだってなりそうに思うんだが。

2024-02-14

1人だけPayPayをやっていない友人にPayPayを勧めるべきか

一応自分の中で「勧めるべきではない、個人自由」と結論は出てるんだが、少し迷いが出てきた

友人にPayPayをやってほしい理由は、一緒に遊んだとき会計が面倒だから

よく数人グループで遊んでいるが1人だけPayPayをやってないので、原始的現金を持ち寄るか、他のメンバーはPayPayでまとめて1人だけ現金にしてもらうか…とりあえず特別扱い必要になる

で、この「特別扱いが面倒」というのはPayPay使っている側のわがままなので他人押し付けはいけないと思っている

だがしかし、某ホッテントリで「1人だけPayPay使わないやつ迷惑…」的なブコメを見かけた

しか複数見かけた

その友人ももしかしてよそで迷惑がられてたりしないか…?

もともとコミュ障極めてるようなやつだし…

であれば逆に、だいぶ仲良くしてる自分らが指摘したほうがいいというか、ちょっとくらいお願いしても許されるか…?

と、ここまで書いて気づいたけどあいつ他に友達いないって言ってたわ、迷惑かけられるよそがないやつだった

じゃあこっちが我慢すればいいか

書いてるうちに迷いが晴れたのでおしまい

ちょっとだけ愚痴らせて、面倒だから大人しくPayPay使ってくれ機械音痴とか知らんわ老人か

ほんとにおしまい

2024-02-11

anond:20240211125655

宗教と思われるとあれだけどほぼ哲学みたいな釈迦原始的教えだけでも知ってみたら?

人に認められることなんて一切ないし必要もない

2024-02-01

人間万物の霊長ではないよな

こんな下品な欲にまみれた動物万物の霊長であるわけ無いよな。

例えば宇宙人が襲来して、やーやー我こそは万物の霊長なりって言っても、

「お前らじゃねえな」

「ひょっとして知能が高ければ良いとか原始的なこと考えてる?w」

とか言われそう。

2024-01-25

女がセックス生計を立てるってかなり原始的最近は逆に好感がある

管理したり組織化するヤクザ大人がおるから闇になってしまうだけでそういうのがなければ牧歌的で住み良い世界だったかもしれん

2024-01-09

去年12月から趣味

その趣味地下アイドルライブを観に行くこと。

けど目的アイドルライブを観ることじゃない。

そのアイドルライブ熱狂するオタを観に行っているのだ。

去年は色々あって本当に疲れて、何もしても何を食べても無味乾燥な時期があった。

そんなとき地下アイドルのことを知ってなんとなく足を運んだ。

曲が始まるとステージ上のライトが色めき、アイドルが一人ずつ登場してポーズをとる。

全員が登場し終えると定位置につき、一瞬曲が止む。

途端、怒声のような声が耳を劈いた。

ハッとして前を見ると観客席の最前列にはバキ童に似た人が大声を上げていて、周りも負けじとメンバー名らしき名前を叫んでいた。

曲の間には合いの手のような大声が響き、「〇〇愛してるーっ!!」という濁った大声が響く。

ふっふー!とか、ア”ア”ア”ア”ッア”ーーー!!といったダミ声が挟まれ、異様な空間であり、ラジオ体操『体を回す運動』を三倍速にしたような動くが辺りそこらで散見される。

唖然としながらも何故か悪い気はしなかった。

それは熱狂だった。歪で、それでも原始的熱狂があった。

久しく忘れていた感情がふっと、湧き上がってくるのを感じた。

手拍子。何言ってるか分からない怒号の数々。

みんな酔っていた。

アイドルも、観客も一体になって何かに酔っているように見えた。

わず目に入る全てから目が離せなくなっていた。

なんなんだ……なんだんだこれは!!!

ライブが終わった後も高揚感は収まらず、家に帰ると久しぶりにお酒を少し飲んだ。

それからゆっくり眠った。久しぶりに。

私は地下アイドルライブに通うようになり、今年も通うつもりでいる。

目的アイドルではないけれど、それでもアイドルオタファンが居てもいいのではないかと思うんだ。

2024-01-07

anond:20240107212350

今、児童書は凄く売れていて、子供達は日本の歴史において最も読書家な時代になっている

これは教育政策成功

1990年代以前は、子供読書率は低く、

子供の時に本を読まない→大人になっても本を読まない」という悪循環が起きていた。

その為、2000年代以降、読書教育として重要もの位置づけ、読書時間を設ける、図書室の機能を強化、司書を増員し、児童書を沢山入れた。

それが大成功したのが今。

今は読書教育目的読書(何かを調べたりするリテラシーを磨く)、探求型読書(何かの目的の為に読む読書)が増えていて、図書室の司書さんが指導する形で凄く上手く回っている。

その時、図書室の本を司書さんがお勧め貸し出しするので、児童書や、児童書卒業した子には一般図書が選ばれる。

ラノベっていうのは、こういった学校読書教育からは完全に外れた。

図書室の司書さんは、美少女お色気イラスト満載の本(ラノベ)とか、お勧めできない訳ですね。なので今の子供は、かいけつゾロリナルニアやハリポから桜庭一樹先生や有川ひろ先生一般図書に移る。ラノベには行かない。

ウェブ小説系の大人向けラノベ市場開拓に傾斜」は、上記のようにラノベ学校読書教育から完全に外れて、子供市場から消失意味する。特に美少女重視のラノベがそうで、子供に「この美少女ラノベお勧めです」という教師司書存在しない。

ラノベ子供に読まれるには、学校教育でも受け入れられる、一般図書としてのクオリティ必要とする。元ラノベ作家だった桜庭一樹先生や有川ひろ先生が、一般図書大成功しているような転進を必要とする。だがそれには、異世界転生頼りや美少女頼りを辞めねばならぬので、困難と思われますね。

幼少期の読み聞かせは、読書体験において必須的に重要とされており、こういった動きを政治行政と手を組んで支援してきたのが児童書業界なんですね。ラノベ業界もこういった活動支援して欲しい

物語を楽しむとは生存確率を高める為の生得的な原始的システム、つまり扁桃体だのなんだの脳の奥の方にあるリソースをいまだに使いながら、恐怖を楽しむ。

こんな生物学的には転倒しまくったことまでできるようになってしまった人間って、なんて面白い

2024-01-04

anond:20240104010600

一時期使ってたけど虫歯が頻発して今は普通歯ブラシとフロスという最も原始的スタイルに戻した。

2024-01-03

anond:20240103193244

去年、北九州地元コミュニティとも付き合いが続いてる高学歴男子が同期になったんだが、初めこそ筋肉自慢やイキった雰囲気など低偏差値ホモ猿山らしい原始的競争意識を露呈してたものの、うちのリベラル文化系集団で過ごすうちに段々と穏やかになっていったな。

2023-12-27

集団からリンチされた人は、個人からリンチされる場合より大きな損害

一人から殴られたなら、一人から殴られたぶんだけの苦しみを受けたことになる。

これは1殴 という単位定義する。

10から一回ずつ殴られた場合10殴になります

まり10人で攻撃するということは、通常の10倍の被害が出るのです。

ですから、1殴 を発生させた一人は1殴り分の罪を背負います

10殴 を発生させた10人は「それぞれが10殴」の罪を背負います

なぜ10人が、それぞれ一人ずつ10殴の罪を背負わなければならないのか?

それは被害者の受けた傷害の量に関係します。

傷害効用などの他人に与える影響はときとして乗数的に増える場合があります

小説を書いて流通させることで数万人を幸せにすることもあります

そして一人の人が多くの人を幸せにする場合、多くの人からインカムが発生します。多くの場合お金ですが、お礼や感謝尊敬というものでもいいです。

一人の人が多くの人を幸せにする場合、一人の人は効率的にこの世に莫大な効用を出現させたのです。

翻ると集団暴力によって、真逆のことを行うことができます。大量の人間による傷害暴行誹謗中傷によって、たった一人の人間筆舌に尽くしがたり圧倒的な傷害を負わせることになります

その人間が受ける苦しみは、攻撃する人の人数によって爆裂にふくれ上がり凝縮されます

その結果、凝縮された筆舌に尽くしがたい犯罪と罪が同時に発生します。

大量の人間によって圧縮された筆舌に尽くしがたい罪を、「集団罪」と言う名前します。

集団罪による被害者の苦痛は1殴 のような人と人とが少ない関係でやり合う、原始的な規模を超越しています

一人の人が多くの人を幸せにしたように、一人の被害者の圧縮された被害は、多くの加害者にも凝縮された罪を発生させます

被害者が集団罪による極めて圧縮された被害を受けているから、これは集団という性質によって犯罪スケールがアップし、加害性、罪の重さもスケールアップしています

そして、そのスケールアップした罪は、加害者一人ひとりも被害者に向けて丁寧に次ぐ夏とすればまた、被害者が受けた苦しみに匹敵する集団罪を、一人ひとりが背負う必要があります

そのため、一人による犯罪よりも、組織的犯罪のほうが、犯罪を行った一人ひとりの罪が重くなります

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