「道徳的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 道徳的とは

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226152524

同じくアスペだが

5年くらい前に「レイプ犯罪だがなぜ『悪い』のか」

っていう疑問をここに書いた

別にレイプを悪いことだと思ってないわけではなく

この疑問を試金石にして他人認識する悪の種類を分析たかったんだが

意外と成果はあったな

一番多かったのは女性苦痛から『悪い』

っていう回答だった(物理的悪)

この回答から生じた「レイプをした加害者は悪を認識できないのでは?」

という疑問は罵詈雑言で叩き伏せられた


次に多いのは女性尊厳を損なうから『悪い』

基本的人権尊重する考え方

まり女性人権侵害するから『悪い』(道徳的悪)

道徳規範を重視する考え方だが

この回答から生じた

モラルが何らかの事情で歪んでいる、もしくはモラルというものがないレイプ加害者は悪を認識できるのか?」

という疑問は無視された

日本人は神より世間を信じているせいか

神がいつも見ているから『悪い』と言う奴は一人もいなかった(形而上的悪)

まぁもっとも神はいてもいなくても同じような存在なのでその回答ではそもそも納得できないのだが……

最終的に出た結論

レイプ犯罪なので世間の反応を鑑みて功利主義的にハイリスクなので『悪い』

というなんとも締まらない結論だった

『悪い』とは何か? という思索は今現在も続く……

2017-02-23

優しい人であるって?

これまでの人生、優しさというものに疑問を感じずに生きて来た。

自分のび太ADHDというのもあり、いじめられたり、無視されたり、また一度自分と遊ぶ約束をしても、友達が別の子に誘われたらあっさり断られるような存在だった。

当時は自分はどうしていつもこういうポジションなのか、悩んだ。

自分に原因があるのかもと思って、ちゃんとしている子のしていることを見ては、ああしてみたらこうしてみたらと試行錯誤もした。

でも、大人になりADHDと分かり、その特性を知れば知るほど、自分がそういうポジションだった理由がわかった。

今でもいじめではないものの、仲良くしていたはずが、あっさり縁が切れることがあったりする。

自分の取り柄といえば、優しいことだと思っていた。

相手気持ち立場に立って、自分だったらと考え、相手気持ち理解するように努めたり、

自分ADHDからこそ、ちょっと変だと思うことも、相手特性やいろんな環境の違いなども考え、尊重するように努めたりして来た。

友人が困っていたら、話を聞いたり、手を差し伸べたり、そうやって人と人は優しさでしか繋がれないと思って生きて来た。

優しい=いいこと

優しくない=よくないこと

という子供の頃に教えられた、人に優しくしなさいという当たり前の教えを、疑いもぜずに生きて来た。

自分がされて来たことを振り返ると、優しくない人は多いけれど、

それは優しくない側がよくない行為をしたということであって、

優しい人間でありたい、優しいのは良いこと、長所という考え方で当たり前だと思っていた。

しかし、最近になってふと思った。

世の中の優しさというものは、自分メリットがある場合しか使わないのではないか

例えば、誰かに優しくして、その優しさが自分にとって得になる場合は優しくするが、

優しくしたところで、自分にとって得がない場合は、優しくしない方を選ぶのではないか?と。

そう考えると、無視なども、自分にとって得しない相手に対しては邪険に扱っても良く、

自分メリットがある人間に対して、優しさを使って、もっと得をしよう、という考え方なのではないかと。

そうなると、社会的弱者障害者発達障害者など)に対して優しくしてもメリットなどはなく、

現在そういった社会的弱者に優しくする人は、いわゆる建前上実施している社会福祉による収入の得られる者のみであって、

無償で、優しくするのが良いという理由だけでそういったメリットのない相手に対して理解し助けるといった優しさは机上の空論なのではないか

正直者は馬鹿をみる、とか

優しい人間は損をする、というようなものがこの世の本質であり、

人々が多様性を認め、尊重し合うことを良しとするような考え方は所詮理想論であって、不可能ものではないのか?

「人に優しくしよう」

大人子供にそう教えるが、なぜメリットもないのにそんなことを言うのか。

事実、他の子おもちゃを奪う、自分のしたいようにやる子の方が生きやすく、得をする社会であって、

本音ではそれをわかっていながら建前上、一応そういった声かけをしているだけ、と言うことなのだろうか。

もし、メリットのない優しさなど損で不利なものであるとするなら、

自分も得にならない優しさなど捨て去るべきなのだろうか。

相互関係ではない、一方的な優しさだけを持って、

世の中の優しさには期待せずに生きるというのはあまりにも過酷すぎる。

ソクラテスは言った。

人は道徳的でない行いをしている時、実は内心傷ついていると。

メリットのない優しさを切り捨てることは道徳ではない行為ではないのだろうか。

そういう優しさを行使しない分、税金を納めて社会的弱者を守る福祉事業支援しているのだから良いということなのだろうか。

長年信じて来た、優しさというものを捨て去ったら、

自分は一体、何を心の活力として生きていけば良いのだろう。

2017-02-12

けものフレンズってすっごーい!!!

けものフレンズが、思いやり/助け合い/許容/共存その他諸々の道徳的メッセージ性に溢れている事は、もうわざわざ言わんでもいいだろう。私も初見時、Eテレ幼児向けアニメを思い出した。確かに、現代大人に欠けている「思いやり精神」を思い出させよう的な作品だ。内容が幼児向けアニメ酷似しているのだからIQが下がる」という反応もわかる。しかし、ただ「脳が溶ける」という方向で捌くには惜しい程、挑戦的で強固で強烈なアニメだと私は思う。

けものフレンズは、幼児向け情操教育アニメとは決定的に違う点がある。(萌え美少女描写についてはここでは扱わない)

はてなを読むタイプの諸氏になら、つくってあそぼゴロリを例にするのが適切だろうか。わくわくさん提案に対して、否定/疑問→評価(改心)の流れがテンプレだ。幼児向け番組では、「否定/疑問」のフェーズがほぼ必ず存在する。頭や言葉を意地悪く操り始める年頃の、5歳以下の幼児向けである為だろう。言葉の覚束ない乳幼児大人気なアンパンマンにさえ、バイキンマンがいる。そして、「”意地悪な”否定や疑問」には、必ず「”罰”や”改心”」といった結末が用意されている。正しく情操教育だ。

既に言われまくっている様に、けものフレンズには「意地悪な否定や疑問」と「罰や改心」のフェーズ存在しない。だから、優しく平和物語と言われる。だが私は、その「意地悪な否定や疑問」は、省略されているだけで存在すると考えている。

そのフェーズは、視聴者の側にある。

けものフレンズが無理な人々がいるのもよくわかる。けものフレンズ世界には、セルリアンという危険生物がいるとはいえ、争いや困窮は存在しない。幼児向けアニメと同じく、鬱陶しい程の理想の塊と上っ面の美しさに満ちた世界だ。「こんなに上手くいく訳がない」という言葉にまとめられるようなツッコミをせずにはいられない。そういった「バカかよ」「そんな都合よくいくか」的否定/疑問をわざわざ描写せずとも、観ているのは現実をよく知った大人たちなのだ現実社会には「意地悪な否定や疑問」は当たり前に存在する。人前で叱責するのが大好きな上司、けなす事で自分の優位性を保ちたがる人、重箱の隅をつつく様なクソコメクソリプ。具体例をあげればキリがない。大人になっても「意地悪な否定や疑問」に晒されたことのない人はいないだろう。だからこそ、けものフレンズはその段階を飛ばす。いちいち描写しなくても、視聴者自分で補完できる。「意地悪な否定や疑問」のフェーズがなければ「罰や改心」という回収も必要ない。だから最初から全て受容しちゃっていい。

個性尊重しよう。互いに違いを認め合い、助け合おう」

美しく理想的だが、現実にするにはあまりにも難しい。自分人生を振り返るだけで分かる。大体の人は、そんな現実離れした理想は建前で子供だましだと割り切り、諦める。けものフレンズは、そんな疲れた大人たちへ向けられた優しくも暴力的物語だ。

余計な描写を省き、極端にシンプル言葉で、「互いを認め合うこと」「共に助け合うこと」を強烈に表現している。ただシンプルに、愚直に、ド直球ストレート視聴者の心へぶち込んでくる。余りにも単純で暴力的なまでの行為に、視聴者は同じく単純に「すごーい!」としか反応できない。偶然にも、太平洋の向こう側で人々が分裂し憎み合っているこのいま。幼児向けアニメ手法という仮面を被り、美しき理想で何度もしつこく殴りつけながら、その精神を、敢えて大人である視聴者へ向けて真剣に再提示している。

そう考えると、すごい。本当にすごい。逆にすごい。強い。美少女要素なんか飾りだ。ただただ、単純に強い。レベルを上げて物理で殴っている。おそろしい。幼すぎるほど平易に研ぎ澄まされたその言葉が。自己他者のできる/できないをすぐに受け入れるその合理性が。これで行こうと決めた制作陣の胆力が!

「すごーい!」「君は◯◯が得意/苦手なフレンズなんだね!」の定型文が流行るのもわかる。シンプル真摯一言は、理性的だが長過ぎる文章よりも伝達力が強い!

そりゃ流行る!!シンプルでわかりやすく強い言葉は、流行!!!

そして、理念提示だけじゃなく、何かを達成するまでの過程や、フレンズ達の個性をクッソ冗長的かつ丁寧に描写する所だ!視聴者厳選な一話冒頭の狩りごっこも、橋作り地上絵作り等の困難を乗り越える過程も、フレンズ習性説明も、とにかくやたら尺が長い!だが、そのしつこくしつこく丁寧な描写が、フィクション過ぎる美しさを持つけものフレンズ世界と、私達の現実世界を繋げるリアルさを醸し出す!動物園のおにいさんおねえさんの生声による解説のおまけ付きだぞ!リアルと繋がってしまうだろやめろ!!ああなもう嫌になる!作品の純度が高すぎる!シンプルものは、真摯に作られる程強烈な強さを持つ!!私がどんなに言葉を費やしてけものフレンズを褒めても、「すっごーい!」の力に遠く及ばない!!

けものフレンズはすごい!!!すっごーーい!!!!!やったーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170209104521

オバマ元大統領優等生の良い子ちゃんだからアメリカ国益優先と言いつつ、道徳的に悪いことは一切できなかった。

それが8年続いて、みんな息苦しさを感じていたんだ。

そこに登場したのが悪漢トランプ大統領

彼は言ってることもやってることも、道徳的むちゃくちゃだが、別に本人の私利私欲で行動しているわけではなく、

真にアメリカ国益を優先するために、少しだけ道徳観念には目をつむり、実践的で実効性のある施策を行っている…

国民は考えているから。



国民の大多数が、こりゃまずいと思ったなら、いくらでも弾劾手段はあるのでね。

2017-02-06

ワープアが月収250万円稼いだことによる生活変化

最近同じようなテーマで書かれたブログを何件か見かけたので書いてみます。嘘はありません。

広告収入がもらえない場所で書くことですし、思いついたことをダラダラ書いていく形式します。

まず、私はワープアと言っても良いくらいの給与で働いているサラリーマンです。去年くらいから始めた副業がうまくいき今は250万円月くらいあります

嘘だと思われるかもしれませんが不労所得です。事業は3つあります遺産などではなく、一から自分で構築したシステムです。法律的にも道徳的にも問題ありません。他人の参入は極めて難しいような高度なシステムです。

からお金儲けに関することは調べたり、実践したりはしていました。頭はそこそこ良い程度ですが、高学歴ではありません。

高収入を得るようになって生活がどう変わったか書いていきます

何も変わっていません。食べるものを変わりませんし、豪華な商品を買う頻度なども一緒です。それどころか会社でも今まで通り働いています。もともとお金儲けに興味を持ったのは、働くことが面倒だったからですが、いざそういう身分になってみると、社会との繋がりがなくなることを恐れて働き続けてしまうみたいです。不思議なもんです。

ごく親しい友人数人に言っても半信半疑という感じでした。まあ、当たり前の反応でしょうね。

あと、昔はブログで稼ごうとしてたこともありますが今となってはブログで消耗しなくて良かったなと思います

この収入もいずれ終わりを迎えるかもしれませんが、その時も平然と同じ生活を続けるのだろうなと思います。まあ、他の分野で稼げば良いですし。

駄文でしたが、最後まで読んでもらえたなら嬉しいです。

2017-02-04

恋愛工学はアレだけど、正直、森岡氏もビミョーよ

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602

森岡正博さんのブログコメント欄にて。

このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。

それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的恋愛セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。

  

>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう

>>長続きする恋愛必要なのは相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術性愛テクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる

  

↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。

藤沢某の"恋愛工学"なんかより、むしろこの語り口のほうが不愉快で、とうてい聞くに堪えられないものです。

私は上記のコメント投稿したが、あらためて解説しておく。

  

まず第一に、森岡は個人幸福政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である

私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである

森岡が言っている「相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃欲求だってある。

さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないもの反社会的ものを含んでいる。私は決してこの欲望肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである

例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。

それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。自分にとって何が幸せセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、他人から上から目線定義されたくはない。この点で森岡の語りはデリカシーがなく不愉快だ。

  

第二には、森岡の主張に対し、私は倫理的意味においても反感を覚えた。

エサ(※この場合恋愛セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである

これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。

それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッド実践しても、まあたぶんぜったいに幸せ恋愛幸せセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルフェミニズム正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。

  

第三に、リベラル観点から考えてみるなら、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。

森岡のブログ記事は性暴力ダメ人権侵害からダメという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてこれがいかにもポリコレに沿ったものであるからリベラル思想の信奉者たちに受けがよさそうなものだった。

しかし、私は森岡の持論をむやみに賞賛するのはよくないと思う。本来リベラル立場としては、性暴力などの明らかな人権侵害を<悪>と定義してそれを法律抑制するとか、女性差別についてもやはり<悪>と定義してそれを無くしていく方針をとるべきだ。この方針は、個人がそれぞれ内心に持っている<善>・<幸福>の価値観に介入するということと、いくらか重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。われわれが社会構成員に対して<悪>の定義強制することと、<善>・<幸福>の定義強制することは、根本的に性質が異なる。

森岡があの記事で語っている“僕の考えた最高のセックス”の主張は、あからさまに後者に該当する。リベラル立場からは「性暴力犯罪だ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という話に留めるべきだ。そのさきは個人自由にゆだねればよく、むしろ安易に優劣をつけたり価値判断をはさむことは慎まなければならないだろう。だから森岡のように「政治的に正しくて理想的セックスを目指しなさい」などと他人要請するのは不適切なおこないだ。

  

第四に、森岡は不謹慎である

彼が非モテの男にアドバイスをすること、“僕の考えた最高のセックス”を力説することは、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪事件からめて言うべきことなのか?

森岡は自著『草食系男子の恋愛学』を引用して、「女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方」をすすめている。たしかにそれ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それは性犯罪とは直接関係がない。

これは性犯罪があったとき、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。すなわち、「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」とか「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲス意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡が今回やっていることからはそれに通底するものを感じる。

  

  

参考:この増田タイトルは、id:zaikabouさんのブコメから拝借しました。

2017-02-03

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.好き嫌い意思表明に是非は問えますか。

答えとしては「好き嫌いの表明は自由だが、尊重されるのはそこまで」といったところだ。

評価されるものというのは、総体的に見て賞賛批判が表裏一体の存在である

でなければ、それはそもそも評価に値しない(賞賛批判もするような代物ではない)。

故にそれが評価に値するという前提が共有されているなら、「賞賛することそのもの」や「批判することそのもの」に是非を問うべきではない。

だが、担保されるのは行使のみである

評価する人間は、評価される人間でもあるしな。

ここを混同して、意思の表明そのものまで脅かしたり、脅かされたと認識する人も少なからずいるが。



Q.内容の是非が問われているのに、意志表明そのものを脅かされたと誤解する人が出てくるのはなぜですか。

主張の是非について語る上で重要なのは大まかに三つの段階がある。

一つ目は前の回答の「行使」だな。

二つ目は「筋道」。

先ほどもいったが、意志の表明そのもの自由なので是非は問えないが、それをどういった筋道で表明しているかには是非が問える。

ザックリいえば、法的に、道徳的問題のない、正当な範囲内での手段意志を表明することだ。

三つ目は「内容」。

これは主張する内容の妥当性だとか正当性だとかだな。

例えば正しい筋道行使された主張であっても、内容の是非は別の話だっていうケースもあるし、主張の内容に妥当性があっても筋道が成っていないというケースもあるということだ。

だが、これら段階を常に一纏めにして解釈する人もいるのだ。

筋道のせいで否定されようが、内容のせいで否定されようが、結果的にはその主張を否定していることに変わりないこともあって、意思表明そのものを脅かされたと混同する人が出てくるわけだな。

当然、前の回答で語ったように意思の表明そのものを脅かすというのは、行使する権利のもの否定したときであって、その筋道や内容の是非について語ることは可能なのである

ああ、そうだ。わざわざ言うことでもないかもしれないが、私の答えはあくま教養必要としない人向きの答えだから、ちゃんとした答えを手に入れたければ君自身勉強することだ。

2017-01-27

いじめという暴力主義解決方法に溺れないように

いじめ〔いぢめ〕【苛め/虐め】

肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力いやがらせなどによって苦しめること。

デジタル大辞泉による定義は上記にある通りです。手段はどうであれ、相手に肉体的苦痛精神的苦痛を与えることは「いじめ」になります

私の主張をする前にこれは明確にさせておきたかったので、トップ引用させていただきました。

http://anond.hatelabo.jp/20170127184144

さて、これから私の意見を述べたいのですが、元増田の主張にはっきりとしたテーマを見つけられないので、一部分だけについて述べたいと思います

いじめ被害者はいじめられて当然?

元増田によれば何の罪もなくいじめられている被害者はごく少数で、大半のいじめ被害者は何かしらの原因があっていじめられているそうです。

何の落ち度もない、単に気弱なだけの子被害に遭ってるガチで深刻ないじめなんてそうそうないはず。

子供でもいじめられて残念でもないし当然のクソガキなんていくらでもいるんだよ。

なかなか過激なことを仰る増田さんですね。

この元増田の主張が事実に即しているとしても、それによっていじめを「普通」や「当然」と認めることはできません。

ひどい思い込みがあるように感じられるので申し上げますが、問題解決する手段暴力以外に存在するのですよ?

あなたの腕は人を殴るためだけにあるのですか? あなたの口は罵声を浴びせるためだけにあるのですか?

違うでしょう。もっと平和的で有効に使う道があるのです。

それを考えないでただ暴力嫌がらせに頼ることは、知性の敗北と言ってよいでしょう。

人間関係問題暴力によって解決しようとする行為、つまりいじめ」は解決方法としては最悪の部類に入ります

私たち大人子どもたちに、いじめ道徳に反する行為であり、なおかつ頭の悪い解決方法であると教えなくてはいけません。

それなのに元増田は下記のように大人いじめをすることを肯定してしまっています。これでは子どもに示しがつきません。

大人になるとついつい良識的な思考をしてしまうけど、例えばネット炎上なんて大半が自業自得なわけで、

ネット炎上対象がどういう人間であったとしても、中傷する行為相手苦痛を与えるのであり、認められるものではありません。ネット炎上学内における人間関係も、然るべき解決方法があるのであり、解決する機関があるのです。

いじめによる解決を「普通」としないために

元増田アンケートに回答した小中学生いじめ普通解決方法問題処理の方法だと考えているのなら危険です。加えていじめをする権利のようなものがあると錯覚しているのならさらに危ないでしょう。

誰も人に暴力を振るったり、嫌がらせをする権利などないのです。そのような大義名分存在しません。

これから私たち子どもたちに円滑な人間関係の築き方を教えていく必要があります。それは道徳的に正しく、平和的で、問題根本から解決していく方法です。

最後に追記について

元増田の追記を読みましたが、書かれているような本旨を本文から導くのは無理があると思います。私の主張は以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました。

2017-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20170126201228

セックスより気持ちいかはともかく

なんらかの思想に染まって「自分達より道徳的に下の層」を叩くのは

麻薬みたいに延々とやる精神的娯楽にはなるんだよな


 

麻薬と同じように段々と自制心が減っていき妄想攻撃性は強まって

最後はまともな生活送れなくなるんだけど




韓国なんかは国民全体が日本に対してそれをやっちゃってもう中毒まで進んでる感じがする

そういう意味中国反日韓国反日は同じじゃないよ

雑な人は一緒にするけど

2017-01-20

アメリカの敵・日本を知る

アメリカの敵・日本を知る―アメリカ製フィルム Part4 "Know Your Enemy -Japan"

西欧化されても中世のように下を支配し上には従った

全ての面で女性地位は低く男性従属していた

今日でも日本には道徳的善悪基準はないが

ただ目上の者に従うか従わないかの違いがあるだけだ

個人幸福問題ではなく苦痛こそ神聖なようだ

これが日本人が長時間迅速懸命に働ける理由である

週6日48時間働いて高給も取ってはいない

週72時間低賃金で働き大抵40才で結核死ぬ

なぜ日本人悲惨運命を黙って受け入れられるのか

なぜ労働組合を作らないのか

学校子供精神を育てる所ではない

政府が認めた事柄思想のみが教えられる

教育目的は同じ考え方をする子供大量生産

子供は教えられた事を丸暗記して繰り返す

従順で均質の大衆を作る政治宗教構造である

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2017-01-06

Goだかが裸足で逃げ出すような凄腕メンタリストがこの世にはどんだ

社畜ってのはどうしてそんなブラック企業を辞めずにしがみつき、心身ともに疲弊したり、下手をすれば死んでしまうんだ。辞めればいいだろ」

という良くも悪くも常識的意見に対して多分心根の優しい人たちから

「そんな常識的判断ができなくなるくらいに頭をおかしくされたり洗脳されてたんだ」

という答えが返ってくることがある。監禁された少女が外出中に逃げなかった話なんかも同じパターンだ。

これに対しては

「そんな何Goだかが裸足で逃げ出すような凄腕メンタリストがこの世にはどんだけいるんだよ。教えを請いたいくらいだわ」

と嫌味の一つも言いたくなることもあるが、はたと思ったことがある。

多分こういう「洗脳」に訴える説明はより自然もっともらしい説明をするという意図というよりはむしろ

被害者に原因の一端を負わせてはならないという道徳的意図に基づいたものなんじゃないか

もし洗脳という全面的加害者事件の原因を負わせる説明が出来なければ「どうせ変化が怖くかったから辞めなかったんだろ」とかいう風に被害者に原因の一端を割り当てることになる。これは道徳的観点からはマズい。

これを避けるために「被害者に原因がある”べきではない”」という道徳的判断を挟んだ結果が、心根の優しい人たちをして「どこにでも良そうな人が完璧に操れる洗脳を行う」という素っ頓狂な説明に訴えさせたんじゃなかろうか。

思うに「洗脳」に訴える説明労働者にとっては「じゃあどうやってブラック企業で壊されるのを回避する?」という解決策への道を閉ざしてしまうという点でかなり有害だ。人の心を思いのままに操る「洗脳」には対抗手段が見いだせない。

逆に(企業については言うまでもないが)労働者にできる範囲で何らかの気を付けたり改善する点を(自己責任論にならない範囲で)見出し、教訓を引き出すほうが交通安全における「赤信号の時には横断歩道を渡らないでね」、「見通しが悪いところでは徐行してね」という風な注意事項を引き出して生かすことができるので、道徳的意図の下で「洗脳」で説明するよりも現実的改善につながる。

2016-12-08

[] H26民訴コメント(アンサー)

H26

加藤いわく、この年の問題は、現場志向要素が過去問の中で最も強いので、あんまり復習する意味は乏しいらしい・・・

設問1

・この問題は、①取引行為訴訟手続きの違い、②手続き不安定を招く、③司法上の契約とそれを裁判所に陳述するという側面があること、の誘導がなされている。問題文に3つ以上誘導がある場合は、誘導グルーピングするといいらしい。本件でいえば、①②が、判例についての消極的理由付け、③が積極的理由付けとなるようです。

③については、訴訟上の和解につき表見法理の適用否定した場合訴訟行為としては無効である一方、私法上の和解契約としては表見法理の適用により有効となる。そして、和解互譲訴訟上の和解の効力も踏まえて決定される。その結果、原告和解契約上の義務の履行を確保するために再訴提起の負担を強いられる一方で、被告和解契約上の義務の履行を先延ばしにすることができることになり(執行力ないので)、互譲をした前提が大きく崩れてしまう。これが不合理な事態であり、こういうのを具体的に書けると点数が跳ねるみたい。答案だと1(2)(ウ)の部分の複雑な法律関係を生じさせてしまう、っていう部分、ここを具体的にできたらもっとよかったかも、という感じです。そこまでかけなくても合格点は超えると思うけども。

・あと、(ウ)の部分は、①の誘導とは別の誘導記述なので、別個の項目で書いた方がよいと思います

設問2

1(1)イ、のあてはめ部分の道徳的合理性、というのは少し苦しいような印象を受けます加藤は、和解が対価性を有する互譲であればOKという規範立てて、謝罪は死傷良心の自由に反する内容のものではないから、減額と対価性あり、と書いてました。

単に合理性があれば~という感じだと、何をあてはめているのかわかりずらいし、採点実感もあんまり合理性、という規範はよくない、みたいなこといっていたようだから可能であれば、抽象度を下げた規範を定立してあげたほうがいいかもしれないです。

設問3

・1の部分の既判力によって遮断される、っていう原則は、こういう風に既判力が作用するから遮断されるよという風に説明してあげた方がいいと思う。

現場思考問題として2以降の論述は十分三段論法になっていて読みやすかったです。ただ、現場思考問題で1ついうことがあるとすれば、既判力の問題原則に反することを論じさせる場合には、既判力の正当化根拠からも、こういう例外を認めていいんだよ、っていうのを書いてあげた方がよりよくなると思います

2016-12-05

アレフ勧誘を受けた

帰り道大通り駅で地下鉄を乗り換えていたら突然女の子連れのおばさんに話しかけられた。「マインドフルネスって知ってますか?」「ヨガを習っているんですが、自分講師になる練習がしたいので練習相手になってほしい」と。明らかに胡散臭くて面白そうな匂いがしたので連絡先を交換して別れた。

翌日連絡があってその週末市内某所のファミレスに呼び出された。まず俺とおばさんの2人(もしくはプラス子供)かと思ったら、子供に加えてもう先に一人若い男が来ている。田中さん仮名)と呼ばれた彼は年は23歳で俺のひとつ下でパチンコ店員をしていて、一ヶ月くらい前にカレーを食べようと思って歩いていたところ俺と同じように駅で声をかけられ、その日のうちにレッスンを受けたという。なんでヨガを習っているのか尋ねると自分頭が悪いからと言う。たしかにIQ80くらいに見えた。おばさんが「毎日10時間睡眠だったのが6時間睡眠になった」「田中さんはその日の内に実践したので効果はすぐに現れた」と重ねる。

そんな話をしたところでチャクラ診断とやらをする。いろんな「人助け」とか「ホラー映画」とか40〜50個くらいの項目に「よく当てはまる」「当てはまる」「当てはまらない」で回答していく。それぞれ2点1点0点が与えられ、各設問は5つのカテゴリに別れ、最終的に5つのスコアが現れた。

それっぽい折れ線グラフ作成され「あなたは〇〇な人ですね」みたいにいろいろ浴びせられる。詳しく覚えてないが、そのうち喉が悪くなるカテゴリの点数が高かったらしく「喉の風邪をひきませんか?」と言われたが、風邪を引いたら大抵喉は痛くなるものだと思い「普通です」と答えると「そのはずはないです」不満げになられたりしながら、本題のヨガ講義をするに前に自己紹介スライドを見せられる。

これまで曹洞宗の父とクリスチャンの母の間に生まれて、周りの大人がみんなバカに見えて、小学生のころテストをしたら知能指数道内一番だと言われたけど、頭良く振る舞っても損しかしなかったのでバカのふりをしてたら本当にバカになってしまって、悪さと享楽の限りを尽くしたが、ヨガ先生出会ってヨガを学んで大切なことお金とかそういうものじゃないと気づき、今では六年くらい経って最高に幸せだ、みたいなことを言っていた。

かつてどんな悪さをしたのか聞いたら「男遊びとか、ときには薬とかにもを手を出しました」と言う。隣に娘がいるにそんなこと言っていいのかと内心ツッコミを入れつつ「そりゃ大変でしたね」みたいな反応しかできなかった。あと三年前から姉と2人の会社社長をやっていて、市の援助を受けた新規企業の成果発表会で、ヨガの教えを取り入れた発表をしたら一番評価された、みたいな自慢をされた。そんな感じの話を聞いたあたりで、最初のレッスンが始まった。

内容は大別して、嘘を言わないとか人に優しくしようとか極めて道徳的に当たり前なことと、チャクラとかクンダリニーとか理解不能オカルトものと、いか自分先生ヨガ修行を30年近くしてる)がすごいか、の3種類に分かれた。1つ目に関しては、不要言葉は削ぎ落として(あいさつでさえ)意味あることだけ言うようにしようとか賛否ありそうな点もあったが、普遍的ないわゆる良い習慣なことばかりで「なるほど、そうですね」みたいな感じだった。問題は後ろ2つで、本当に意味不明だった。チャクラは腹の中のぐるぐるしたものクンダリニーから溢れ出ていくつかのゲートを通過して頭頂から突き抜けていき、これを極めると覚醒するのだという。そしてピラミッドチャクラ装置であり、クンダリニー覚醒して実際に訪れてみれば分かる、と言う。耐えきれなくって「いやそんなわけないでしょwww」と笑っていると、真剣に「そうやって思うのは覚醒してないからだ」「私も娘もクンダリニー覚醒してるのでわかる」と言う。3つ目の師匠に関して本当に謎だったので「会ってみたい」と言うと「面会には1000円かかる」と言われて「さすがに金はかけたくないっす」と素で反応してしまった。こんな応酬をしたあたりでタイムアップ。「良ければあと3回くらい予定を入れましょう」と言われたがさすがにそこまで付き合えないので「とりあえず来週土曜」と時間場所は決めなかった。最後資料の入ったクリアファイルプリントを抜き出して田中さんと俺の分けて渡されて、「また会うのなら」とクリアファイルごと貸し出されそうになったが、さすがに荷が重く思いプリントだけ貰って解散となった。

寝不足で朝飯も食っておらず勝手におごりだと踏んで少し高めの900円くらいのエッグマフィンプレートを頼んでいたが、まさかの割り勘でテンションだだ下がり。店を出るとおばさんと田中さんと2人はさら用事があるのか俺だけ駅へ帰ることに。

帰り道に即座に友人に「激ヤバ資料ゲットしたwww」と連絡すると近くに居たので帰りの足で合流。近くのカフェに入って何かやばめの勧誘なのは間違いないみたいな話をしていると友人がプリントに「グル」というワード発見アレフと気づく。それからはいろいろと腑に落ちまくってなかなかのカタルシスだった。逆にそれまでに気づかない自分の警戒心のなさに愕然とした。

とまあ、何が言いたいかと言うと「ヨガ」というキーワードを出されて延々オカルトな話を聞かされても一般人(少なくとも俺や田中さんに至ってはおそらく今も)はそれに気づくことができないし、札幌市もそういうヤバめなおばさんのやってる会社を援助しちゃうし、未だにカルト現代社会に息づいていて、社会勉強で、年末にして厄年っぷりを発揮したなと思ったのでした。

2016-11-29

【追記】矛盾した動物愛護

氷漬けにされた魚の上を滑るなんて残酷だと言う人をSNSでみた。そういう人が投稿している写真をみてみると動物由来の食べ物や服を身にまとっていたり、動物を娯楽とする遊びを楽しんでいる様子が見れる。おかしいと思わないのだろうか。

屠殺動画サイトでみれる。生きたまま毛皮を剥がされる様子や、サーカス競馬関係者動物罵声を浴びせたり執拗に叩いたりしている映像ネットにある。これは残酷ではなく、魚の上を滑るのはかわいそうなのか。

テレビで魚を解体する様を映していたりするのは何故だろう? 人でやったら惨たらしいと問題になるはずだ。それと、スーパーコンビニなどに動物死体が並んでいる。この動物大量虐殺正義に反していると思わず、魚を凍らせるのは悪事だと騒ぐのか。

多くの人々が動物虐待だって騒ぐ時、被害者なのは犬や猫だ。日本の有名な動物愛護団体が守っているのも犬や猫だ。他の動物達には動物権利がないというのだろうか。

感謝して食べるから良いんだという理屈は、カニバリスト肯定する思想ではないか

動物を愛するって、どういう事だろう?


【追記】

矛盾した動物愛護

魚は痛覚がないので哺乳類の生皮剥ぐよりよほどマシだとは思うんだけど、ただたんに「キモかった」んだと思う

2016/11/30 01:27
<script src="https://b.st-hatena.com/js/comment-widget.js" charset="utf-8" async></script>

魚に痛覚があるという研究結果があります

http://news.bbc.co.uk/2/hi/sci/tech/2983045.stm

http://www.news-postseven.com/archives/20150208_301457.html

次に、魚をみて「生き物だ」ではなく「食べ物だ」と捉える人が多い事に驚きました。確かに食べ物を粗末に扱うのは反対です。でも、魚は食べ物ではなく命ですよね。殺す事は可哀相ではなく、凍らして滑るぞってなってからようやく良心が痛んでいる。魚を殺すのは良くて犬や猫を殺すと牢屋に入れられるのはなぜでしょう?

これは種差別です。私はそれを否定しているのです。なぜ「魚を殺すべきではない」という私が間違っているとされ、動物虐殺する側が良しとされているんでしょう?

あと、ブコメをみると私の考えを誤解している人が多いです。確かに、質問ばっかり連ねていたので私が悪いです。

私は、動物権利を求めるヴィーガンこそ非暴力主義者であり、徹底した動物愛護だと考えています動物奴隷の如く扱われているんです。

さらに言いたいのが、動物を食べているのに魚を凍らせるのを「かわいそう」だとか言って反対するのは矛盾した動物愛護だという事。魚は命ではなく食べ物だと捉えていたのなら、納得はしませんが理解できます。でも、やっぱり間違っていると思うのです。

感謝すれば、供養すれば、動物虐殺して食べても良い」というのは道徳的ではありません。あなたは「感謝してくれるなら私を殺して食べて良い」なんて考えているのでしょうか? どの動物が「私を殺して食べてくれ」なんて言ったのでしょうか? どこに「どうぞ私を奴隷にしてくれ」なんていうマゾ動物がいたんですか?

屠殺をみてください。無実の動物達は強制収容所の如く閉じ込められたあげく殺されるんです。食肉工場で働く人は、肉を食べる人のために動物を殺しているんです。ここまでして肉を食べる必要がありますか?

ヴィーガンじゃ栄養価が足りないなんていう噂をきいたことがあるかもしれません。嘘です。ビタミンB12が摂れないなんて信じているかもしれませんが、畜産業界のプロパガンダです。かいわれや海苔から摂取できますし、これは抵抗あるかもしれませんが土からも得られます

肉の味が恋しいと思う人がいるかもしれませんが、野菜や豆にスパイスをかけて肉の味を再現したヴィーガン料理が売ってます調理法なども検索してみてください。


はてブで「社畜奴隷扱いされている」という趣旨発言を何回かみた覚えがありますが、家畜に関してはみたことがありません。動物だって奴隷扱いされているんです。動物の大量殺戮に加担するのを辞めましょう。

ここまで言ってこそ、本当の動物愛護です。これが言いたかったんです。犬や猫だけ守る人なんて中途半端です。

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

マジレスするね。

一応自分はどことは言わないけど、とある新興宗教を信じてるものです。

と言っても自分が信じてる宗教に限った話ではなく、一歩引いて宗教ってこういうものーという視点で答えてみます



胡散臭いと思うことについて

まず全体的に「胡散臭い」と思うのは正直、正常というかしょうがないなーと思う。

マスコミガー」とは言いたくはないけど、実際問題としてマスコミの影響ってかなり大きい部分があるかな。(報道しない自由ってやつだけど)

理由大手メディアマスコミ新興宗教を全くと言っていいほどほとんど報道しません。

歴史ある有名宗教ですら、一部観光的な部分(京都のお寺とか)か歴史的な部分やおぼうさんの良い話くらいしか報道しないけど。)

だいたいどの新興宗教一般的善行震災時の炊き出しとか寄付とか)をしてることは意外と多いんだけど、良いことをしてるときは基本報道しません。

報道するときは、だいたい事件性があるときや、何かスキャンダル的な部分を面白おかしく盛ってるときくらいです。

要は、良いことや肝心の中身は伝えないけど、悪いことをした(とメディアが思った)ときだけ報道します。

そりゃーいい印象もてないよ。何をしてるかわからない集団がいつ事件を起こすかわからない!みたいな印象になっても不思議じゃない。

しかオウムという超特質宗教も実際に出ちゃったし。(実はこれが一番の元凶だと思ってる)




>1.教義がわかりにくい

これはたぶん宗教によるかな。そもそも新興宗教と言っても、仏教キリストなど伝統ある宗教派生のものが多かったりします。

実際に中の人たちもよくわかってないけど、「昔の偉い人が言ったものをそのまま伝えてるから」という場合もあるし、

逆に古い教えを簡単現代語で言い換えた時点で、「その言い換えた人の解釈が加わってしまうので、元祖言葉意味を曲げちゃうからあえてできない、というのもあるし。

それと、他でもでたけど、元々教義がなかった宗教もあります教祖預言者が言ったものを後年、誰かが編纂して教義にした、とかね。

あと、「あえて難しく見せたほうが権威がある」ように見えるから、というのも宗教によってはあるはず。権威というのは意外と重要な部分だったりします。

もちろん、現代にわかやすく作ってる宗教もあったりするけどね。一見簡単に言い換えられてる教義はすぐ反論できる気になっちゃうでしょ?




>2.変な(でかい・奇抜なデザインの)建物を建てている

これも宗教によって考え方が違うと思うけど、基本的にはその宗教の「神」を祀る領域なので、信じてる人にはとっても「神聖もの領域)」です。

その神聖領域をチープにするというのはないよね?という感じ。

歴史的に見ても、多くの歴史的建造物宗教関係している建物だと思います。お寺とか教会とかお墓とかね。おそらくそ時代の最高の装飾や技術を投入してるはず。

もちろんそれに伴って金銭的に法外にはなると思うけど。




>3.政治に介入してくる(場合がある)

そもそも宗教人助けや悟りを求めるもので、多くの人を救いたいという欲求があります

実際問題として、突き詰めると政治を変えなければ世の中が良くならないという事象に行き着くので、政治に介入するというのはある意味しょうがないです。

しろ政治に興味がないということは、世直しや人助けを本気でしようと思ってないとも言えるけど。

あと、逆に歴史的にいうと宗教政治に介入していない時期のほうが長い時代で見ると圧倒的に短いです。詳細は省くけど宗教政治が関わってるほうがむしろ普通とも言えます




>4.やたら他人アプローチしてくる

正直自分もこれはちょっと苦手だったりする。

一般的にどの宗教も教えを広める布教活動をしないことはありえなくて、良い教えは広めたいという欲求は不可避です。

ただ、その布教する人が一般的信者さんで、その信者さんはごく普通のおばさんやおじさんだったりします。(若い人もいるけど)

要は教えることや人に何かを伝えるプロというわけでもない普通一般的な人なので、アプローチの仕方や接し方が下手だったりします。

しろ側で見てると、その言い方ないわーって思うこともしばしばw その方法が下手で気持ち悪い、と思われる原因にもなってる気がするんだけどね。




>5.非科学的なことを言い出す

この世的な現代科学が全てという認識をもってしまうと、全てが非科学に見えるかな。

そもそも「魂」や「神様」というのは現代科学で計れないものでしょ?

逆に現代科学がそこまで進んでなくて、魂や神様証明できないくらい遅れている、という見方も一部あったりするけどね。




>6.献金を迫る(?)

これも布教をするためには、現代社会にはどうしてもお金がかかっちゃうからしょうがいかなーと思う。

あと、この世的な「お金」が全てじゃないよ、という視点があると、その執着を持たないというのも考え方の1つかな。

もちろん、悪い宗教もあるのでお金目的な所もありそうだけど。


突っ込みどころはたくさんあるのは承知で、今自分が知ってる範囲の浅い知識で答えたけどこんな感じ。

ただ、1つ言いたいのは目に見えない崇高なものを信じるというのは「とっても尊い行い」で決して悪いことではないんだよということ。

そういう目に見えないものを信じてるからこそ、誰も見てなくても悪いことはしないというような道徳的な考え方になるしね。

日本人モラルが高いのは意外とこの宗教心が高いから、とも言えるんだよね。)

こいつは騙されてるんだとか、洗脳されてるんだみたいに思われちゃうのもしょうがないと思うけど、崇高なものを信じてる人を悪く思う現代日本の考えはちょっと悲しいことかなとは思います



追記


おもったより伸びてたのでビックリ。1点追加します。


>なんで伝統宗教じゃダメなのか、っていう一番大事なことが書いてない


いくつかあって、おそらく各宗教によって違う部分だと思うけど、

伝統宗教じゃ現代の難問に答えを出せない」

から。確かに伝統宗教の教えで、多くの人も(考え方によるけど)救われてきただろうし、安らぎを得られた人は多いと思う。でも現代の複雑な問題や昔の考え方だけでは対応できない時代になっている。


個別のところで言うと、「現在貧困経済原理」や「グローバル化した社会問題」、「クローン」、「宇宙問題」、「性差別」や「インターネットメディア問題」、などお釈迦様やキリストムハンマドが生まれて教えを解いた内容やその次代の考え方では解決できない。というか時代背景を考えると当然といえば当然で、これは伝統宗教が悪いとかではなく、時代が代わりすぎてしまたから新しい考えや教えが必要だよねという考え方が1つ。


もちろん伝統宗教普遍的な教えの部分は今でも十分通じるし、正しいことだとも思うけど、やっぱりそれだけでは現代社会問題解決できないからじゃない?と思う。もちろん伝統宗教否定しているわけではなくて、いい部分や不変な部分は残せばいいと思う。もちろんすべての新興宗教がこれらの答えを出せているわけではないけど、考え方としてね。




それともう1つ。

伝統宗教と言っても、「巨大組織が長く続くと、腐敗も進む。」組織運営してるのは所詮人間からね。その腐敗した組織は淘汰や改変が必要で、長い歴史の中では、派閥会派など、分裂、競争差別化、滅亡などいろいろ繰り返している。

そのあたりは企業と一緒で、古くて大きい会社いつまでも最高かというとそんなことはなかったりするでしょ?イノベーション進化、新しい考え方みたいなものを取り入れたところだけが生き残る感じ。


実は新興宗教というか宗教世界って、かなりの競争社会国内だけで数万団体があるのだとか。その中で滅びる宗教もあれば、生き残って大きくなる宗教もある。市場原理と一緒で競争社会。より多くの信者を獲得できた団体が生き残るというのはその通りで、かと言って営利主義的だけに走っても人は離れていったりしちゃう


もちろん、戦争に負けた、国が滅びたなど物理的な問題で滅びたところもあるだろうけど、多くの人を引きつけることができなくなった宗教は淘汰される。ざっと思いつくところはそんな感じ。ところどころ乱文になってるけど、文章が書くのが下手なのですいません。



  • 再追記(11.26.00:15)----

正直、ここまで数字が伸びると思ってなかったので、ちょっと驚いています。あっさりスルーされると思っていたので。

多くの反論や暴論、各人の経験談や心情などいろいろ拝見しましたが、全てを尊重できるものだと思います

特にそれぞれの思想や今までの経験宗教というものに嫌気や嫌悪を感じてる人が多いというのも理解できます自分人生の多くをどちらかというと反対の立場で過ごしていたので。

個人的に感じたことは、どんな意見であれ「宗教」という繊細なものにみんな一言物申したい!という感情を感じました。

先にメディアがどうのと言いましたが、ある意味リアル生活上でもメディアでも日本国内では話題にしちゃいけない領域、見てみないふりをしていた話題というのを再認識できました。

ポジティブに考えると、多くの人が興味関心がある領域とも言えると思うので、リアルな場でもそれぞれの意見をはっきり言えるような話題昇華できる日がくるといいなと思いました。

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20161123235437

異性愛者の多くが「道徳的」な性生活を送ってるのは女性に合わせてるだけで

男性からしたらもっともっとヤリたいけど女性がそれに付き合ってくれないから出来ない、というだけ、

でもゲイ男性同士で男性の性欲基準で性生活が送れる訳だから、そうなるってのは分かる



となるとそのゲイ世界常識が知れ渡ったら

ヘテロ男性からしたらゲイの性生活は「ヤリ放題=うらやまけしからん状態になるのかな

嫉妬されるかもね

ハッテンバなんか異性間前提の性産業と比べたらあり得ない安さだもの



女性にとっては他人事からどうでもいいか

しろ自分に性欲を向けて来るヘテロ男性より好ましい存在考える人もいるのでは

(ただゲイ女性嫌悪がやたら強い人も多いから、その辺が知れ渡ったら女性にも嫌われそうだけど)

つらつらとあてもなく、一人考える早朝

http://anond.hatelabo.jp/20161123133655

例えば、この映画お題目とした資金調達活動によって、全く別の行為資金が流用されていればそれは倫理的道徳的、下手をすれば法的に問題はあるとは感じるが、

映画プロモートとして監督直々に海外渡航するというのは、映画に関わるり営業活動しか効果的でかつ一種の箔付けとして必要営業なわけで、少なくとも本作品看板としてクラウドファンディングを利用する理由として不適当だとは感じない。



クラウドファンディングとは企画者が背負うには過大な金銭リスクウェブを通した不特定多数人間から資金調達で補うものであり、その有り様は様々とは言え、企画者はもちろん出資者目的は常に小口出資によるプロジェクトの達成にある。

その本質は従来の寄付を拡大する概念であり、いわゆる投資活動の縮小版ではない。いうなれば市場経済的な投資活動以前の経済活動に立ち戻り、それをより現代的に、ICTを駆使してスマートにかつ効率的遂行できるよう発展させたサービスである

すなわち出資額とリターンは必ずしも釣り合う必要はなく、天秤を慮る必要があるとすればプロジェクトに対する出資者価値観と金感覚バランス問題にすぎない。



その上で個別的に、本プロジェクトに立ち戻りリターンについて見てみるが、確かに挙げられたリターンは通常の投資、あるいはよりミクロな購買活動として見た場合やや出資額に対して不釣り合いに思えるところはある。そしてそもそも論としてプロジェクト自体についても、出資者は確かにそのプロジェクト効果を実感しづらいものではある。しか現実としてそれでも本プロジェクト賛同する人間はいて、少なくないお金が集まる。

それは人が単純な利益計算、あるいは市場的な相場判断を超えた部分で経済活動を行うということの端的な表出であろう。既にプロジェクトを完遂したという信頼、そしてその成果が予想を遥かに上回るものであったということに対する一種の追加報酬、そういう経済的理由付けは出来る。しかし、おそらくよりプリミティブな他者への賛意というものがここに、クラウドファンディングと言うものには表れているようにも思う。



さて多少美辞麗句を並べたが、そういったものクラウドファンディングを支えているとして、それが常に正当な結果を生むか、それを超えて経済活動として「正統」であるのか、ということはもちろん言えない。

クラウドファンディングをめぐる騒動は珍しいものではない。先に挙げた詐欺まがいの資金流用と言った犯罪行為はもちろん、犯罪とは言えないがそれこそリターンやプロジェクト自体にまつわる見解の相違はどこにでもある。

それを解消するように各サービスは発展努力をし続けているが、完全に解消させることは困難だろう。



お金の向こうにいるのは常に他者である

少なくともそれを相互に実感する、させられるサービスとしてのクラウドファンディングというものは非常に興味深いものである

2016-11-23

同性愛者の権利が認められるほど差別悪化するだろう

俺はホモゲイから、そのことについて話す レズのことは知らん

一見極めて当たり前の話に聞こえるかもしれないが、俺は異性愛者の友達の方が多いゲイである

これは実はちょっと珍しいことで、ゲイってのはゲイとばっかりつるみたがる

ゲイと遊びたがって、ゲイと一緒に働きたがったりする(はっきり言って性的嗜好にそこまでこだわるのは俺には異様にしか見えないが)

俺の友人の中でも俺のことがゲイと知ってる奴もいれば、単なる非モテだと思ってる奴もいる 別に一緒に飲んだり旅行に行ったりする中で、どんな性的嗜好かなんていうことは普通問題にならない(お前たちだって友達性的嗜好なんて知らんだろう。スカトロものばっかり見てる奴やジュニアアイドル好きの奴や陵辱ものが好きな奴がいるかどうかなんてどうでもいいはずだ)

だが、ゲイの連中は違う 相手性的嗜好が気になるし、性的ネタが異常に好きな奴が多い

異性愛者も同性愛者もなにも変わらないとリベラル良識的で善良な人は言うだろうが、それは俺から見たら丸っきり嘘だろうと思う

年寄り若者価値観が違うように、ゲイ異性愛者の価値観は相当違う




例えば、年間10人の相手性交渉を持つ人間をどう思うだろうか?

異性愛者の中では、そこそこ遊んでいる方にはいるのではないだろうか?

はっきり言って、ゲイコミュニティの中では年間3桁と性交渉もつ人間というのはそう珍しい存在ではない 年間10人としか性交渉をしていないって言ったら、なんて道徳的人間なのだろうと思われるだけだ(もしくはよほどモテないと思われるかだ)

3P経験者も、異性愛者と比べて異常なほど多くいるだろう

俺は異様にしか思わなかったが、彼らは彼ら自身そういう中でつるんでいるので好きにしたら良いだろう

きっとこれを読んでいる人も、勝手にすれば良いとしか思わないだろう




だが、もし、これから同性愛者の結婚が認められれ、同性愛者同士が養子をとれるように社会が変わっていったとしたら、これらの問題は一気に顕在化する

当たり前だ 結婚なんていう紙切れ一枚の契約を交わした途端に純潔な生活ができるようになんてなるわけがない

養子をとったら性的に落ち着く可能性もなくはないが、彼らの考える”あまり遊んでいない”という概念異性愛者のそれとはかけ離れている

父親が2人いる子供ではなく、父親が5人いたり10人いたりという子供が増えるだろう

結婚離婚というハッキリと統計に現れる形で、ゲイの異常さは広く知れ渡るだろう






今の日本で、俺がゲイだと職場にバレるのはそれほど恐ろしくはない

奇異な目で見る人はいるだろう アホなOLが影で噂をするだろう 男性の同僚は俺と二人で飲みに行くことはなくなるかもしれない

だが、それでも大きな変化はないだろう そういう仕事を選んだという部分もなくはないが、今ならそうなるだろうと思える

しか・・・これから同性愛者の結婚などが認められ、そのコミュニティと生態の実態が広くかつ言い逃れできない形で広がった後に自分ゲイだとバレるのは恐ろしい

俺がゲイコミュニティがどういうもので、どういう人が多いのか知ったとき感情を多くの人が一度は持つのだろうから

2016-11-08

からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰?

からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう

というコメントがあったので


フェミ団体でしょう

そして、そのフェミ権力を与えたのは戦勝国アメリカでしょう

日本弱体化政策」の一環


占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは

http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201

日本が再び米国の脅威とならないことを確実にする」

家族の結びつきは重要です

少子化シングルマザーが増えているのはGHQの狙い通り





あるユダヤ人懺悔日本人に謝りたい

http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702


日本国憲法(というかユダヤドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかたかというと

人間獣化計画

目的は以下のとおり

愛国心消滅

悪平等主義

拝金主義

自由の過度の追求

道徳軽視

3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)

無気力・無信念

義理人情抹殺

俗吏属僚横行

否定消極主義

自然主義

刹那主義

突端主義

国粋否定

享楽主義

恋愛至上主義

家族制破壊

民族的歴史観否定


間違いなく、日本物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか

(苦笑。本当にユダヤ人法律家ってすごい賢いなって思いました。

最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家

というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。

いわゆる精神崩壊国家崩壊目的とした憲法ですね。



そもそもこの日本国憲法の元となったワイマール憲法は、

ユダヤ人迫害されてきたヨーロッパユダヤ人政府ワイマール共和国ができたときに、

大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、

どうせなので日本でもその写しを戦後日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。

(ちなみにドイツではその危機ドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人迫害された)



で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人精神家族国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。

で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人はいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。

憲法の内容とその効果資本主義共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤ歴史などを詳しく紹介してくれています

特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。

まあこんな気持ちユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。




男女平等は完全な家族制度の崩壊福祉費用の増大による国家疲弊を狙ったものだったんですね。


しかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。

ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、

こんな政策実施されていたら、女性ただイケメンに抱かれるために努力し、

はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義道徳軽視の快楽主義自然主義が更に蔓延した社会(非モテ非コミュさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。

そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。








http://anond.hatelabo.jp/20161107131126

2016-11-07

アウンサンスーチー名言

アウンサンスーチー名言


誰でも究極的には自分しかありません。勇気には色んな形があります。体で示す勇気だけではありません。道徳的勇気、その最高の形は自分真正から見すえて自…



コトノハサキ

http://nobie.biz/ac/kotono/archives/305

2016-11-05

医学生に「良い医者になってください」って説教するのやめろ

自分より学歴の高く自分より年齢が低い者に説教することに悦びを見出す人たちがいる。彼らにとっての恰好ターゲット医学生である。彼らは医学生に「良い医者にならなきゃダメだぞ」と説教して学歴コンプレックス鬱憤を晴らす。

「彼ら」は医学生だけを標的にする。本当はエンジニア官僚教員研究者薬剤師アナリストクォンツを志望する学生にも説教をしたくてたまらないが、できない。それは、「彼ら」はエンジニア官僚教員研究者薬剤師アナリストクォンツが何をやっているか知らないからだ。高学歴者の就く職のなかで彼らが辛うじて理解できるのが医者だけだ。だから医師志望の学生に集中的に説教をする。

外来や臨床で患者と向き合う時間医者職務のほんの一部でしかないのだが、「彼ら」はここを攻撃してくる。先日入院したとき医者はとんでもないやつだった、患者の目を見ない、難しい用語説明する、患者の話を途中で切る、親身さが感じられない、看護婦からも嫌われていた ( 「彼ら」はいまはもう看護師と呼ばれることなど知らないし、まして「パラメディカル」だなんて単語は聞いたこともない。病院にいて医者でない人間はみな「看護婦なのだ ) だのと、礼儀上の不備をまくしたてる。礼儀に関することは、どんな学識のない人間でも一家言持てることである。「彼ら」の得意領域はここだ。礼儀正しいだけで病気が直るならば医学は要らない。全国の公立中学校野球部員をかき集めてきて白衣を着せて医者に任ずれば良い。現実がそうでないということはやはり医師にとっての必須の素質はそこではないということだが、「彼ら」は気づかない。

病人はわかりやす弱者である。だから病人に対する態度は道徳的文脈から非難やすい。加えて、医者給料税金から出ているから、「彼ら」にとって自分も何か言って良いという認識を持ちやすい。

「良い医者になってください」はただのマウンティングからやめとけ。

2016-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20161104023628

自分が影響を与えられない運まで自己責任なんて言い始めたらもう決定論での罪とは何かって議論みたいになってきますよね~

決定論で行けばそれも含めて自己責任なんて言われちゃったり自由意志の有無にかかわらず道徳的基準は作れるとかなんとか言われちゃいます

2016-10-31

なんというか

まあ私も親の金を頼って生きてる身で人に文句をつけることはできないのだけれど

から金をむしり取ることに特化した人間になってしまったことの、罪悪感みたいな、

そういうのを感じない文章で腹が立つ。すげーなってなる。


というか、愛着障害はないし、親が癇癪持ちだったり、

親の望まない大学に進もうとして「浪人しろ」といわれ、せざる負えなくなったり、

俺たちが返すといっていた奨学金を、結局こっちで返さなきゃならなくなったり、

お前より姉が生まれてきた方がよかったと怒鳴りつけられたり、

物心ついてから最初記憶が母の「(母方の)祖母が嫌い」という話だったり、

お前が生まれたせいでリウマチになって、お前がいるかリウマチがひどくなったと責められたり、

行き場所がなくて、鬱になって、山手線に乗り続けて一日中ぐるぐるしたり、

そんな風ではないじゃない。どうせ周りに誰かいてくれたんでしょうに。

別に金には困ってない家族だし、弱らすだけ弱らして、もう嫌なことも少なくなったから、

それはもう済んだことにしているのだけれど

例の増田読んで絶対解消できないルサンチマンを植え付けられて不快。滅却滅却。


それで、派遣で溜めたお金で、学生やり直して望みの職にもつけて

経済的不安定状態はもう今年で終わりになるから

親を死んだことにして、恋やら結婚やら、愛を紡いで楽しく生きようと思っていたのに。

別に壊れてても、経済的ゴミでも、愛し愛されるなら、

己の醜さに潰れそうな日々を送る私は、解消しえないルサンチマン抱えて道徳的なっちゃって

それは他人から見れば全く誠実な態度をとれてなくて、

あん欺瞞に溢れた人間の方がよっぽど誠実で誠意のある人として愛されて、

愛してほしいと訴える私は一生汚泥の中でもがくのでは?という不安さらされる。


なにが言いたいって、誰か手を差し伸べるのてくれる人がいるなら、

もはや勝手メサイアコンプレックスだとしても、是非受けてみたいっていうこと。


言うほど怒ってもないので、増田の海に流して寝る。布団が温い。

2016-10-30

増田から恥ずかしくて黒歴史になってしまいそうな話を書いてしまおうと思う。どこかに吐き出さないとしんどい

付き合って長い恋人がいる。

今までは親しい交友関係ほとんど無に等しかたか恋人しか周りにいなかった。

去年から環境が変わって友人が増えた。

その中の一人が好きになってしまった。たぶん。でも恋人が嫌いになったわけじゃない。だから今はそのまま何も変わってない。

けれどつらい。その人と付き合えたならという気持ちが消えない。自分かと思うくらい考え方の癖も境遇も好きなものも喋り方も似ている。話していると楽しくて、いつまでも喋れる。もし恋人がいなかったら告白していただろうな…とか考えてしまう。その人が自分を好きだという噂も流れて来たし、自惚れかもしれないがたぶん気持ちを伝えれば付き合えただろう。でもも恋人いるから知らないフリをして、ただの友達ですよ、それ以上ではないですよというそぶりをしている。楽しく話せる機会があったあとは帰ってから大変苦しくなる。

そのくせ、今の恋人と別れてもきっとつらいはずだ。恋人だって好きだ。長年付き合った情もある。自分勝手恋人を傷つけたくないし、会って話すとやっぱり素敵だしかわいいなと思う。これだけ長い間、大した喧嘩もなく穏やかに過ごして来れたのだから将来きっと穏やかに過ごせるだろう。一生懸命頑張っている姿を見て、尊敬できる人だ。

今の恋人との付き合いが長すぎてマンネリしているだけなんだろうか。今まで人との関わりが少なかったから、新しい交友関係が刺激的で一時的に迷いが生まれてるだけなんだろうか。

少なくとも今はたぶんどちらも好きなんだと思う。先に出会ったのが恋人だったから、付き合っている。

浮気道徳的に、というのもあるけど自分がそんなに器用じゃなくてつらくなるからやれない。どちらか、あるいは両方を諦めるしかない。自分など大して魅力的な人間でもないのにこんなこと考えるのもおこがましいのだけど。

ようこそ ゲスト さん