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はてなキーワード: 解放とは

2016-08-23

他人自殺を止める人の気持ちがわからない

死にたい」という相談には、

死ぬべきではない」「悲しむ人がいる」「生きたくても生きられない人が世の中にはいる」「個人的に死んでほしくない」など、

おおむね自殺しないでほしい、自殺するべきではない、という返信がつく。

もちろん、「死ぬべき」「死にたいなら死んだ方が良い」などという返信もつく。



それらは私には、全てエゴであるように見える。

相談する方もエゴであるからお互い様だと思う。



でも、どうして、そう言うのか知りたい。どうして人の自殺を止めるのか、その動機が知りたい。

エゴである事が問題なのではない。それはどのようなエゴであるのかが知りたい。

認めると自分自殺するべきだと思えてしまう状況にあるからだろうか。

その人の死が社会的損益だと思っているのだろうか。

見殺しはなんとなく気分が悪いかなのだろうか。

また話したいと思うからだろうか。

もっともらしい正義を語る機会だからだろうか。

過去に生死に関して、嫌な経験をしたからだろうか。

どちらかというと、生きていてほしいからだろうか。

止めておいたほうが人間っぽいからだろうか。

不快からだろうか。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



自分死ぬべき人間だと思う。

そう思った時に、次の行動としてとるべきものはどれか?



死ぬべきである証拠を集める

・死なないべきである証拠を集める



私は、自分のことを、死ぬべき人間だと思っているが、自分ではそれを選べている気分にはなれない。



人間、どんな言葉からでも自分の欲しい情報を探そうとするものではないだろうか。

人の言葉で救われる人は、人の言葉に救いを見出す力を持っている人なのではないだろうか。

救われるか、救われないかは、事の当人が既に決めている事で、説得者は、あるいは説得の定型は、本当には無力なのではないか



そうでなければ、鬱になるべくして鬱になる人がいるのではないだろうか。

相手言葉をそのまま受け止めようとする気持ちは、ほどほどのスルー力無しでは維持が不可能だ。

相手言葉をそのまま実行しようと努力する人は、大人数の発言を前に、混乱してしまうがゆえに、憂鬱に陥るのではないか




まり自殺を止める言葉は、説得としては、そのままの意味では、

もし自殺を止められたとしても、発言者意図では、通じていないのではないか

あらゆる言葉は、自殺志願者のかすかな衝動を引きだすだけのものではないのだろうか。

そうならば、自殺をやめろという説得は、いったい何故行われるのだろうか。

自殺を止める人は、自分の説得を、有力だと思っているのだろうか。

結局のところ、成功した説得の大部分は、誤解や語弊、拡大解釈で出来ているのではないだろうか。

だとすれば、人の自殺を止める人は、それを無力に感じないのだろうか。

その無力さは、説得という行為問題にならないのだろうか。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



人間、生きるために、自分を保つために、何かしらの無視をしている。

自分が生きるためのルール発見し、生き延びるために利用できる意味の選定をしている。

その人が放つ言葉意味から逆算して、その人を知る事は、できると思う。



私は、意味の選定の、本当の理由が知りたい。

あなた日常で感じている、生存におけるルール。つまりあなたの生をあなた自身規定したものが、あなた言葉を選定しているはずなのだ




何故あなたは、人の自殺を止めるのか。

自殺をやめてほしいと願うのか。

あなたには何故、人の自殺を止めたいと思う欲望衝動があるのか。

あるいは、ないのか。




多分学問領域では、社会心理学とか、脳科学だとか、文化人類学とか、生物学とか、いろんな方面から自殺について語られた論文があるんだろうと思う。

多分、大方の言動は、何がしか研究に分類されうるものだと思う。

それは面白い。でも、だからどうした、とも思う。

そこにあるものを分類することで、何か進展があるのだろうか。

自ら自己類型化し、分析した上で、死ぬべきではないという結論が、どうして出るだろうか。



そうは思えない。私は今、何を読んでも、自分死ぬべきだと思う。

目に映るもの全てに死ぬべき理由を探している。



自分は、自殺志願者で、人の自殺を止められなかった事がある。その人は未遂に終わったが。

私は衝動的に、他人自殺を止めようとした。今でも、今から自殺をすると連絡が入れば、警察を呼ぶと思う。

なぜ自殺を止めようとしたかは分からない。

自分は、自殺したい、自分自殺しなければならない、と思っている。

自殺という概念は、他者に向けた時、自分に向けた時で、相当意味が違う。

他者自殺自分にとっての不快感であり、自分自殺解放なのだ




しかしなぜ、自分を変えられるからあなたは変われるから死ぬべきではないと言えるのだろうか。

はいったい、何に変わるというのだろう。

死にたくない状態で生きていられる、あなた生存ルールを参考にした身体に変わるのだろうか。




自殺を止めようとしたその人が、死なない事で楽になるなんて、まったく思っていない。

私は、ずるい、お前だけ楽になるなんて許さない、という気持ちで、警察電話したのだろうか。




自分気持ちが分からない。

LGBT関連の炎上案件が多発するなか『ラブデスター』がこの先生きのこ

ラブデスターとは

ジャンプ+にラブデスターという漫画が連載されている。

作者は榊健滋週刊少年ジャンプで連載経験もあるので、ご存知の方も多いかと思う。

セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『ピューと吹く!ジャガー』で知られる、うすた京介の妻という点でも有名かもしれない。

LGBT炎上案件

さて、世界的な近年LGBT人権意識の高まりもあってか、国内でも最近立て続けにLGBT差別問題話題になった。

このような世間意識の変化を受けて、大手企業ではどうしても敏感にならざるをえないようで、

人々が自身性別自由に変更出来る近未来舞台にした『境界のないセカイ』(幾夜大黒堂)は、

作中の表現について講談社同性愛差別にあたるという懸念から打ち切られることになった。

作者のブログで経緯が説明されている。

講談社さんが危惧した部分は作中で"男女の性にもとづく役割を強調している"部分で、「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージが断定的に読み取れることだと伺っています

…中略…

これが顕著にみられるのは本作第5話で、バーチャルリアリティ空間内で女性化した主人公に対して男性恋人があてがわれ、オペレータが「女性恋人男性であることが当然である」ように語るシーンがあります

このオペレータ台詞が同姓を愛する方々にとっては酷いことを言っている、という認識はありました。

だったらなぜそれを言わせたのか。

…中略…

物語が進む中で主人公ヒロインをはじめとして性の越境を行った人に触れる中で、こうした無関心から来る考え方にすこしづつ疑問を抱いていき、最終的には多様な生き方に寛容な考えを持たせていくつもりでおりました。

ここの描写は背景世界説明の一部であり、主人公の変化を描く過程の一部でした。

問題となった描写作品世界内の個人発言しか無いこともあるし、それが現実世界において好ましくない意見だとしてもいずれ作品総体としては否定されていく意見であるので、最終的には問題なくなると判断していたのです。

なお、LGBT団体レインボーアクションはこの打ち切り騒動について、

「この作品の性に関する描写に、他の作品と比べて特段の問題があるとは思われ」ず、むしろ打ち切りは「表現の自由を抑圧するものだろう」との声明を発表している。

ラブデスターでの同性愛

そして、やたらと前置きが長くなったが、ラブデスターにも同性愛者のキャラクターが登場する。

まずラブデスターのあらすじをAmazonレビューから引用したい。

 廃墟のような実験都市連行隔離された月代中学校の三年生140名。彼らの前に試験官と

称して現れたファウスト(1.st)は「真実の愛を示せ」と命じる。誰かが誰かに告白、左腕にはめ

られた装置ハート)がカップル成立と判定すればその二人は解放される。だが失敗して拒絶され

れば告白した側がその場で死亡、期限の一ヶ月が過ぎた時に残っていた者も同じ運命

恋愛事に興味のない生徒会会長・若殿ミクニは反発し、何とか皆をまとめて生還の道を探るが…。

真実の愛を示せ」と言った理由は「ファウストにとって理解できない愛を理解するため」と言いながら

そのファウストカップル愛情の真偽を判定してるのはどういうことだ、とか色々と突っ込みどころはあれど、

詰めの甘さは前作から引き継いだ作風なのでここでは取り上げない。

140人もいれば当然、人口比で5%とも10%ともいわれる同性愛者も存在する、ということで、

本作にも男性同性愛である姫川』と女性同性愛である蝶野』というキャラクターが登場する。

しか特に姫川の扱いが天下の集英社が連載するタイトルとは思えないほど酷い。

真実の愛を持ち得ない同性愛

姫川好意を寄せているのは主人公で、ことあるごとにアピールしていくのだが、

ノンケである主人公からは当然のように拒否されるばかりでなく、

なんとゲーム裁定であるファウストからもその感情ごと全否定されてしまう。

前提としてこれは命をかけたデスゲームであり、よくある少年漫画のように

ゲイキャラクターギャグ要員として入れているわけではないことに留意されたい。

(一般論としてゲイギャグ扱いすることについてはここでは触れない)

挙げだすとキリがないが、これらの、一貫してこの作品からは、

同性愛真実の愛ではあり得ない」という主張が見える。

集英社も当然チェックした上で70話近く連載を続けているのだから、このメッセージ問題と思っていないのは明らかである

異性愛至上主義世界観で登場させられた同性愛者の姫川および蝶野がどんな結末を迎えるにしても、

くらいしか思いつかないのが辛いところである

2016-08-22

恋していることの絶望

私には恋人がいる。

彼は優しくて、頭が良くて、面白くて機知に富んでいて、容姿も素敵で、美しい人。周りにいるすべての人間から尊敬されている、素晴らしい人。

最初は彼からアプローチされて付き合い始めたが、今では私のほうが彼に対して執着している。

好きすぎて苦しいのだ。「このままずっと一緒にいたい、ずっと好きでいてほしい」という気持ちと、「このままこの人に囚われていたら自分ダメになる気がする、解放されたい」という気持ちの両方が存在する。

彼と一緒にいる時が全てだと思ってしまうのだ。彼と別れてしまったら、彼からもう好いてもらえなくなったら、それは私の世界の終わりを意味する。

こんなに好きになってしまうなんて思わなかった。「この人を失いたくない」と涙を流して切望してしまうほど、誰かを好きになってしまうことが、私にとっては恐怖だった。

好きって絶望だと思う。私は彼という、家族でもない一人の他人にとらわれている。それは絶望だと思う。

2016-08-21

おっぱいの魅力

おっぱいへの愛を、内在的に持たず、説明して欲しいと抜かす輩が居るようなので、けしからんと思う。

オッパイは至高の存在だ。

大きくても、小さくても、多少陥没した乳首でも、魅力がある。

形状

はっきり言えば、まずこれ。

白くて柔らかいもの天辺に、ピンクのぽっちがついている。

プリンだって口当たりがいいから食べたくなるだろう?それと同じ。

当然、触りたくなる。しかも、触ると、そこに血液が凝集してきて硬くなり、大きくなることさえある。

反応

そう、硬くなるし、大きくなる以上に、女性がまず身を強張らせる。

執拗に攻めれば、感じることもある。しかも、恥ずかしがるのだ。これが、反動的さら欲望を高める。

口唇領域快感を得る時期は終わっていても、やっぱりオッパイへの思い出は捨てがたいものがある。

その乳房にむしゃぶりつくと、女性は身をもだえるのだから、より興奮が再生産されてしまう。

隠されている

普段は隠されている。しかし、レースで縁どられていたりして、飾られているのだ。

隠されているのに、心を許した者には、むしろ解放され待ち構えている。

そんな、ブラジャーを、取りたいと思うのだ。

ちなみに、ホックをはずすテクニックなんてどうでもいい。両手で取ればいい。

なんなら、先にカップをずらして、いじっても良い(AVみたいに、無理やりズリ上げるのは宜しくない。喜ばれない。乳首がひっかかる。)。

そもそも

子供の時に、しゃぶっていたのだ。

その時は、ある意味で食欲を満たすためにしゃぶっていて、母親への愛を涵養していた。でも、そのうちに離乳食に引き離されてしまう。

ちなみに俺は、幼稚園の年長でもおっぱいを吸ってた。

補足・呼び名問題

おっぱいパイパイパイオツ、(お)乳、胸、乳房バスト etc.

オススメは、パイパイ

価値ものを「テーマ」とは言わない

少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。

からテーマを論じたらそれはマウンティングなっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマ作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間映像はいらなくて、最初からテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?



そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者司祭シャーマンまり天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値発見確立する創造行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。

それに対して、受け手100%権力を握るべしとした20世紀過激主義者エンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実けが重要なのであって、作品テーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義テーマ主義」ってしょせんはインテリ玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいか楽しい多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタク駆逐していったわけ。



そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれスタイルなわけ。



それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力解放したということで、これはまさしくアナーキズム可能性の中心なわけ。これがゼロ年代オタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラ震災政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)

一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから増田増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。



というわけで、これがライト左翼の語る「シン・ゴジラ」論なわけ。

http://anond.hatelabo.jp/20160816124615


(追記)ブクマに回答

id:tick2tack 批評オタクが「駆逐」されたのはなんでなのかな?エンタメ派が増えようが批評を続けることに問題はないように思える。単に注目・承認欲求が得にくくなったためとか?

承認欲求と言えばそうですね。すごそうな「批評」に感心してくれる人が減ったら批評やりがいがない。エンタメ派によって「今時『テーマ』とかムキになって論じちゃう批評ってイケてない」というイメージが広まりましたしね。あと、積極的駆逐しなくても、エンタメ楽しい、と一動作に対して批評=考える+論じるの二動作後者は前者にどうあがいても敵わぬ理屈ッ(成る程っ!)、みたいな。「楽で楽しい」方向に流れるのは時代歴史必然でもあるように思います

2016-08-17

増田哲学 Ver 0.0.3.2

淘汰というものがあらゆる状況に存在する「時空」において、個々の知性の存続においても淘汰というもの機能していることを前提とするのが自然だろう。つまり、前項にて示した「相互補完」への帰結も永続的な存在視野とした知性間における淘汰の結果とも言える。つまり、「相互補完」による均衡状態の維持こそが、「時空」に存在しうるあらゆる脅威から、知性が自らを護るために不可欠ということだ。そしてこれは限定知性にも当てはまる。ただし、「相互補完」による均衡状態は、「大いなる良」という恒久的な時空間軸の観点から初めて示され得るものであるため、限定知性にとって、自らの境遇がそれに到達するうえで如何なる状態にあるかを見極めるのは困難だ。むしろ限定的空間視点において「良」とされる状態が、該当する限定知性にとって最終的に「大いなる良」へと移行出来得る可能性を高める境遇であるとも限らない。つまり限定的空間における「良」は必ずしも知性における「良」であると定めらるわけではないのだ。そこが、限定知性が自らの行動規範を明確にすることを困難とする。一方、時空間制限から解放された存在である知性にとっても、限定知性が持つ、特定の時空間に対する「主観的視点」ならびにそこから得られた知見は、自らの知性を補完するうえで重要ものになる。状況を単に理解すること(即ち「知」の蓄積)と、主体的立場でそれを体験すること(「経験」の知性への統合)には大いなる差があるからだ。つまり、知性は限定知性がいずれ、その物理空間から解放され「大いなる良」を達成するためにその他の知性と均衡関係を築き上げることを望んでいると仮定することが妥当だろう。

(結局、この世は競争社会で、だれもが直面しなくちゃいけないものだよね。たぶんそれは、意識をもっているあらゆる存在がそうなんだろうな。とういことで、皆でハッピーになるために、互いに愛し合うっていうのはある意味生存本能がもたらしたもんなんじゃないかな。ただこれはあくまでも、この世の時間とか制約を超えたセカイを前提とした意味だよね。でも人の世では、それは分かりにくいよね。この世の金持ち名誉を得た人が天国極楽浄土?)にいくとも限らないし。ただ、もし人よりも高等な存在がいて、それが時間とかを超えた文明をつくっているのなら、結局、この世界に介入するだろうね。どんな些細な人生でもその体験は、重要ということさ。)

知性は限定知性の限界である空間から解放に意義があるという前提で介入する。それは「大いなる良」に向けた相互依存のために不可欠であり、巨大な淘汰という環境において知性自体の存続を維持、反映させるうえでも不可欠であるからだ。一方、限定知性は、自身物理的個が崩壊すると同時に自らの知性も損失してしまうことが限定された環境下における最大の障害となる。従って、限定知性もこの時空間制限という限定条件を突破し更に存続できるかはその存在自体にとって文字通り「死活問題」ということが出来る。だが、知性自体が、その存続の最大の条件を「大いなる良」に向けて相互補完であるということしているのであれば、限定知性もその思想及び行動の範疇をそれに準じなければならない。

実際にそこは矛盾に満ちた境界でもある。つまり限定知性は時空間を極めて限定された中で自己認識しなければならないのも関わらず、時空間から解放されている条件下の相互補完を

持続的に実現しなければらないからだ。

時間空間を飛び越えた神やら仏やらがこの世に介入するときっていうのは結局、みんながハッピーになるため。神やら仏やらがいる天国やら涅槃霊界やら地獄やらっていうのも

結局は超巨大な競争社会自然界の弱肉強食なんだろうね。結局、神やら仏やらもすべての生きる人を必要としてるんだよ。人とかも結局、死からは免れない。でもそれをするには

みんなが永遠にハッピーになるために頑張らなきゃ。でもこの頑張るっていうのが、この世だけの見え方ではなくて、神やら仏やらの視点で頑張るっていうのが大変なんだよ。)

 知性にとって、あらゆる限定知性の価値は、「大いなる良」に向けて相互補完を実現する名のもとに等価である。ということは、限定知性の思想や行動規範もそれに準じなければならない。知性にとってあらゆる「知」を「経験」として再構成するにはすべての限定知性が不可欠である。一方、限定知性にとっても時空間制限や制約並びに障害に囚われる事なく

全ての限定知性を等価にとらえ相互関係性においてその思想と行動規範を維持することが求められる。

(神や仏にとって、どんな人も大好きなんだろうね。そんなことを考えているかハッピーになれる。 幸せに生きるためには、人の経験がどんなものであれ、それらを一つに

して団結することで強くなるわけだから。ということは、どんな人でも人種がちがったり、ちょっと考えていることが違ったり、美人デブ不細工も、イケメンも、学校

成績や社会での地位とか、にまったく関係なくお互いに助け合わないと。なんか青臭いけど)

これまでの概念提示は以下から確認出来る。

増田哲学 Ver. 0.1

http://anond.hatelabo.jp/20160801194202

察してちゃんは男女関係だけでなく親子関係も同じ

親も完璧人間なわけないから間違ったことも言うし、親にとって何気ない言葉子供人生呪縛になることもある。そんなの違う人間同士なんだからよくある当たり前の話だ。

から感じてることや苦痛に思ったことは言わなきゃ伝わらない。言えよ。

増田によくいる親の呪縛兄弟理解得られない人たちはなんで勝手に囚われて勝手自分のなかで親や兄弟に対して諦めて解決ちゃうのかわからない。分かり合いたいと思えないくらいの仕打ちや恨みがあるならいいよ。切り捨てて生きてくべきだ。

ただそれほどじゃないケースも多いじゃん。人間なんて相手とまず話さなきゃ気持ちなんてほんとのところわからないじゃん。通じないなら諦めるしかない。でも辛かった苦しかった悲しかった傷ついたってまず親に言ってそこから始めてみたらいいのにって思う。

から察してもらうことずっと待ってて察してくれないからもう親の呪縛から解放されますって態度の人見ると自分勝手だなーと思う。

靖国神社でのコスプレを見て、コミケコスプレを思い浮かべた

終戦記念日高校時代の唯一のブサイクな友人と靖国神社に行った。

決して2人とも靖国神社が好きだとかそういうわけではない。

ただ午後のVRマシン体験会に参加するための前座のようなものだった。

靖国神社旧日本軍コスプレをしている人間を見たときコミックマーケットコスプレが脳裏に浮かんだ。

日本軍の格好をしている人間は、容姿がいい女だったらコスプレでもして静かに楽しく生きていけたのではないかと思い続けていた。

愛国心だとかそんなの無く、独裁が始まってもセックス笑顔で生きていける存在が一番勝ちだ。

自分だって見てくれがいい女なら、高校時代は楽しくて友人もたくさんいてVRも靖国神社も興味なんか持たない。

カス大学になんか行かないで、日吉の近くのホテルセックスでもしていたとすら思う。

持病の薬の副作用で顔が赤く腫れ上がり、血やら膿やらが吹き出て今でもひどいニキビ跡がべったりとくっつき醜い容姿だ。

とりあえず、去年と違い今年の終戦記念日靖国は予想外に静かだと感じた。

昨年と違い平日だということが関係しているのだろうか。

また、マイクメガフォンと言ったものが目立たなかった。

個人的にうるさいのを期待していたが、拍子抜けした。

仮想現実(VR)が自分を醜い容姿から解放してくれると思ったが、そんなことは微塵もなかった。

靖国神社コスプレをしている人間や、ウェブでロクでもないことを言っているネトウヨとか言われる人たちも解放されなそうだ。

所詮はただのモニター付きゴーグルだった。

貯金が割とたまったが、美容整形にでも期待したほうがいいということを実感させられた一日であった。

自分の酷いくせ毛や持病の治療薬の副作用でついた深いニキビ跡や赤み、大きな顔やらをどうにかしたい。

効果があるかもわからないし、できるかもわからない。

一生醜い容姿なら死んだほうがマシな気がしてならない。

容姿がよくなりたい。

2016-08-16

天皇制反対論者だけど

明仁の爺さんは、人として尊敬できるから困る。

人と制度は、あくまで別ね。

しろ明仁の爺さんは、早く制度から解放させてやってほしいと思う。

2016-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20160815212114

よく覚えているね。読んでおもしろかった。書いてくれてありがとう

アトランタとき爆弾事件アメリカ極右の、今では日本語でも通じるようになった「ローンウルフ」がやったことだったから、「爆弾テロ」とは呼ばれていなかったのだと思う。あの時代でも、テロ組織がやったものは「爆弾テロ」と呼ばれていた(レバノンヒズボラスリランカタミル解放の虎など)。

それからハトを一斉に放つのは、8月6日広島平和記念式典でやっている。

北京オリンピックスピルバーグは、ダルフール紛争スーダン)での民衆虐殺に対し、中国政府がすべきことをしていないということへの抗議だったね。

ISだが、オリンピック直前に「ISブラジル」が声明を出し、その数日後には警察がテロ計画の疑いで何人かを逮捕している。このまま何事もなくオリンピックが閉幕し、パラリンピックも無事に行なわれることを願っている。

おいらも覚えていることを書こう……と言いたいところだが、おいら、オリンピックに興味がなかったので、元増田記事に書き足せるような記憶がないんだ。話を発展させることができなくて、ごめんよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160815023631

コスプレはいかに男に注目されるかの競争

レイヤーの共有愚痴アカウントを見てると

https://twitter.com/coscamedark

「ブス」「デブ」「ババア」「ガキ」「露出」というキーワードが溢れている

嫉妬劣等感優越感が渦巻くこの世界

女王蜂を目指す彼女たちは女同士敵視し合っている

  

キーワードから分かるように、容姿と年齢という非能力面が評価される

レイヤーに限らず、女性世界にはこのような容姿で決まる競争があり

女性の生きづらさの一因となっている

  

そんな女の世界でも逃げ場所がある

  

趣味世界

受け身の愛され競争から解放される

特に異性ファン不在の趣味では

容姿よりも人間性、能力評価される傾向が強い

女でなく人間でいられる

  

そんな心の安らぎ場にありきたりな女の競争を持ち込みぶち壊すレイヤーども

生涯独身幸せ男性なんて存在するのだろうか

配偶者が亡くなった後の余命かなんかのデータがあったと思う。

ストレスから解放された女性の方が長生きできるというデータだったと思う。

早い話が女性結婚しなくてもいいけど男性はした方がいいんだと思う。

から生涯独身は辛いものだと思うんだがその例外になりそうな人がいる。父の兄だ。

性格はすごい優しい。なんというか他人に寛容。悪く言えば他人に興味がないタイプだ。

隠れた優良企業に勤めあげて65で退職。本人曰く既婚だったらもう少し出世できたかもとの事。

実際、お見合いの話はたくさん来たらしいし父曰く告白されるタイプだったらしい。

でも本人は「僕は彼氏や夫というタイプではない」と断り続けたそうだ。

そんな叔父だがすごい人生が楽しそうなのだ

この歳でゲームやってるし既婚の友人に遊びに誘われるのもしょっちゅうだ。

でもいつか独身の虚しさ、後悔が来るんじゃないか心配している。

しかするとお一人様でも幸せ時代がもう来てるのかもしれない。

2016-08-13

相模原事件

自分兄弟現場に居てくれればと思った。



テレビに出ずっぱりだった遺族。その子供がどの程度の障害を持っていたかはわからない。


うちの兄弟は気に入らないことがあったりしてパニック状態になると

100kg超の身体で暴れまわり、殴りかかってくる。

痛みは感じてるようには見えても殴ろうが関節を固めようが、骨が折れても構わないというか、理解していないというか。

おかまいなしでとにかく激しく抵抗する。ツバも吐きかけてくる。

耐性がついてしまったようで安定剤も効かない。

文字通り縛り上げて、落ち着くのを待つしかない。30分か1時間か。

殺される前に殺す。その決断をしないとならない状況の一歩手前に至ることが何度もあった。



そういう子を抱えてもあれだけのことが言えるだろうか。

テレビに出ていたひ弱そうな初老夫婦に、それができるのか。

さほど広々とはしておらず、暴れようものなら壊れそうなものがいくつもある家で、

そういう人間がいたとは思えない。



障害の程度はさまざまで、その家族苦痛もさまざまなはずで、

殺されて、ショックは感じつつも解放されたと感じた家族絶対に居ないとは言えないはず。



比較的軽度(あくま想像だが)の障害児を持つ親が被害者代表ヅラして

テレビカメラに語る言葉には、さらに重度の障害児を持つ家族の心情を無視したものが多いと感じた。

なぜ障害者家族が全員同じ気持ちだと言えるのか。*

なぜ個人の、自分の家庭に限った話でまとめなかったのか。同じ気持ちではない障害者家族はなんなのか?



遺族がどうかはわからない。ただ、全国の”遺族になり得た家族”が全員同じ気持ちではない。これだけ言いたかった。



*ただあの時は確かにそう表明すべき時であったのかなと思わなくもない。

子が死んで解放されたと感じる家族の思いを理解したうえで、使命的に、代表して遺憾を表明していたのだとしたら、すごいね

2016-08-11

パズドラスタージャスティス降臨

LF覚サクヤ、覚ハーデス、ヒカーリー、ヒカーリー、時魔



1 ワンパン根性が消えたら倒す

2 ツーパンまで

3 毎ターン最大コンボで倒す 毒は効かない

4 ツーパンまで

5 闇吸収だが全力でいけば倒せる

6 ワンパン

7 遅延が消えるまで耐える

  耐えたらハーデスサクヤスキル解放で倒す

2016-08-10

常識」への苛立ちと(自己)救済の解決法を考えるための落書き

http://anond.hatelabo.jp/touch/20130809115823

上記URL民主主義における多元論などに影響されいろいろ考えた(考えている)

なんのまとまりもなく文章でもない

世の中には様々な「常識」が存在する。その多くは所属するコミュニティによって形成される。

デービッド・R・キャメロンによるとコーポラティズム度が世界的に低い日本多元主義国家と言っても過言ではない。つまり世界的に見て個人の自由度が高く多種多様コミュニティ(「常識」)が存在するということだ。

国民の多くは生涯生まれ育ったコミュニティと同じまたは似通ったコミュニティに属するため形成された「常識」が揺るぐことはない。いや、なかった。

現在ではスマホの普及により知ろうと思えば自分がいままで関わることのなかったようなコミュニティアクセスすることができる。

このような状況のなか未だ人々は「常識」に囚われ時には他人否定するのだ。

日本では価値観が違って当然、考え方が違って当然であるから、それを肯定する優しい国になってほしい。文明進歩とはそういうことだ。

はいまのいままで人を見下しているクズだった。国を動かす存在になって国を自分の考えでいい方向に導こうと考えていた。しか自分が考えるいい方向とは必ずしも他人にとっていい方向ではないということを理解した。

そもそも国というシステム自体必要ないんじゃないかとすら考えている。自らの選択で後悔したとしても勉強が足りなかったという自己責任で生きればいいと思っている。

すべての人々をコミュニティから解放コミュニティやらなにやらを自由選択できる社会というのが世にとっていい方向なのではないかと思う。何世紀先になるかわからないが人は分かり合えるようになると信じている。でも結局人は分かり合えないよ!というのがガンダムの作者富野由悠季氏の主張なのかもしれないが文明進歩はそのためにあると考えたい。そのために僕は少しでも力になれればと思う


常識とは、18歳までに身につけた偏見コレクションのことを言う。 

                アルベルト・アインシュタイン

http://anond.hatelabo.jp/20160810121337

ロボットがやって人間労働から解放されるなら素晴らしいね

でも恐らくロボットが高すぎて人間が使われざるをえないから、その理屈おかしいんだ

2016-08-09

生前退位を認める人が多いけど、

その前に生前退位を認める事がどういう事なのかいまいちよくわからないのですが、

どういう認識なんでしょうか

陰謀論かもしれないけど、皇太子男子の後継もいないし、皇族にも基本的人権必要から皇族解放!解散!

みたいな海外勢力の企みなのかなと

2016-08-08

感想を書くコツ

面白い映画を見ても「映画面白かった」以上の感想が言えないタイプなんだけど、最近少しだけ感想を書くコツが分かってきた。

「AがBしたところがCなので良かった」

これを「AがBしたところがDで良かった」に換える。

Dはシーンの印象であって理由ではない。

これは「EもFもDだった」と続けると簡単に水増しできて良い、見たものを見たまま良いディテールで書けば熱意のする感想が増える、印象に残った印象は大体作品全体に通底しているからたくさん見つかると思う、最終的に「映画がDだった」になる。

もし印象が全体に渡って見つからなかった時は代わりに対照的な印象が見つかると思う、対照的な印象には対照的感想を書きやすいと思うから書きやすいし、対照的なのになぜか同じ感想を書けることもある。

それはともかく理由は、理由説明すると途端に言葉が嘘臭くなり、感情もやもやと薄れはじめ、何もかもが幻だったような気になってくる。

理由は常に外側に存在する、外側に存在する物に立脚すると作品の自立性みたいなものが損なわれる。

作品から感じた良さは全て作品から生じたと思い込みたい、それを作品世界に入り込むと言うのかもしれない。

ただし作品の外側をひっくるめてコンテンツ化する手法もある。

この書き方でも嘘っぽい時、印象が薄れそうな時は「AがBしたところが良かった」に換えてみる。

このやり方だと水増しは難しい。

良い作品には良いところがたくさんあるから箇条書きにして音読すると良さに傾向が見えてくるかもしれない。

そんな恥ずかしいことまでして感想を書くことに何の意味があるのか、水増しなどする必要があるのか。

早く読書感想文の亡霊に悩まされる人を解放したい。

http://anond.hatelabo.jp/20160808040644

75パーセント国民外国人から王室廃止するべきだと言われたら違うと思うと答える可能性があるって事ですよね?

違うという人は多いだろうけど、廃止すべきという人を軽蔑するかどうかとは別の話。

反対の意見を持つ人がいることと、反対の意見を主張する人を軽蔑するかどうかは全然違う。あなたがこれを区別できてないのは相当やばい

あと共和制と言っても国籍が無い外国人関係無いと思うのですが、

実際に、イギリス国籍のないアイルランド共和国人も、イギリス国政選挙投票できるの。

で、アイルランド共和国イギリス圧政から解放されるために武力行使して独立した国で、アンチイギリス王室な気分は国民の中にそれなりにあるのさ。それでも投票できるの。

イギリス人は、アンチ王室外交人が国政選挙登録することにはもう慣れっこなのさ。

これってお互い参政権があるって事ですよね

そういえば、韓国外国人地方参政権を認めてますね。なら、日本韓国人地方参政権みとめていいはずだけど、あなたは反対しますよね。

じゅあ、なんで相互主義なんて持ち出したの?

しかも「民族が同じ(これって結構重要じゃないですか?)」である事を理由にしてるわけですから

イギリスアイルランド民族が違いますあなたイギリス民族についても、アイルランド民族についても、何も知らないでしょ。なんで何も知らないことについて断定してるの?

どちらかと言えば、昔ハワイ移住したけど日本人だった人は認めますよと言ったイメージ

違う、違う。「昔、日本支配していた朝鮮半島台湾の人は、日本引っ越したら選挙権認めます」なイメージ

そもそも、いつからハワイ日本の旧植民地になったんだ。「旧植民地」って「移住していった人が多い地域」って意味じゃないよ。

あと圧倒的に外国人参政権を認めてる国は少ない模様

でも、イギリスは認めてる。で、元増田自分でわざわざイギリス持ち出したのだからイギリスの事例で反論されるのは当然。

2016-08-04

やっとこさ二日酔いから解放

やれやれ鯨飲したのがよかったのか

ビタミン著効しているのか

不明だが

二日酔いから解放されつつある。

いやーっ助かった。これから読書しよう。

http://anond.hatelabo.jp/20160804105044

当時のことは知らないしそのアニメをちゃんと見たわけでもないけど、

一般的アニメヒロインっておしとやかで貞淑であることを押し付けられてるイメージがあるから

それに対してそういう奔放なキャラクターを登場させたということは

女性解放! みたいな受け取られ方をする場合もあるんじゃないのかな

2016-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20160803141559

この現世に満ちた矛盾と苦難から魂を守り、一刻も早く解放してあげなければいけない存在ってことだろ?

マナ人達の間では定番思想じゃん

2016-08-01

増田哲学 Ver 0.1

1-1 序

情報空間でこれだけ匿名思想が交換されているのに、その淘汰の中で哲学が生み出されるのは不自然ではないだろう。物理空間に拘束されていた先人が、その環境必要だと感じられた概念を生み出してきたように、物理空間情報空間境界はない今の「日常」に、最適な概念の創出を理想に掲げた思想が生まれしかるべきだからだ。逆に言えば、物理空間に拘束されていた人々が生み出し且つ淘汰されてきた思想は、そのような外的環境における状況に最適なのであれば、現在「日常」に当てはめるのには限界があるのだ。従って、物理世界情報空間統合化されつつある環境で存続する知性にとって最適な思想を、過去にとらわれることなく自ら模索するというのは現存の知性にとって急務であるとも言える。

1-1-1 情報空間物理空間が融合化された社会における知性を対象とした思想の深耕、展開における前提条件

物理空間情報空間の融合が前提の社会における思想を深耕、展開させるうえで増田をその場とする主要な理由は、その匿名性にある。つまり情報空間物理空間が融合しつつある社会においては、ある思想を発した、または提起した特定人間神格化するというのは適切でないとの思想からだ。思想は往々にして人間に額面以上の価値を付加してしまう。そしてそれが多くの対立を生み出すのが常だ。だが、物理空間情報空間が融合するという、従来では考えられることのなかった社会体系を人が享受しつつある今、この新たな社会体系においては人が思想を所有し、過去と同じような対立状況を生み出してしまうことは望ましいことではない。そしてこの発想自身増田哲学における根本である。つまり、それぞれが匿名で考え方を晒し、取捨選択の中で淘汰されて生まれ思想特定のひとが「所有」するという状態は生まれるべきではない。つまり 増田哲学において、その思想物理空間情報空間に関わらず「無所属であるべきである

更に言えば、生成される思想は、「静的」なものでなく「動的」なものである必要がある。たしか思想の交換の中からは「不変のモノ」も生まれ得る。しかし、「更新」を前提にすることこそが、情報空間における相互依存が前提である知性社会においての哲学のしかるべき姿なのだ

更新」も前提にするべきものである時代とともに、新たな情報が交換される中で新たな知がそこに統合される必要があるからだ。それこそが情報空間で生まれた「哲学」の所以である

「増殖」も基本的前提となる。「拡散」、「改変」、「複製」、「転載」も自由だ。様々な、改変、解釈が行われていっても最終的に優れたものけが淘汰されて残り、それが改めて集約されることで思想自体の「更新」へと繋がるからだ。

1-1-2 増田哲学理念及び対象である「知性」の定義

増田哲学が追及すべきなのは情報空間物理空間に関わらず

「あらゆる知性を持つ存在の最適な均衡状態

でありその均衡状態念頭に、いずれそれを達成するために準拠しうる行動指標を示しうる思想を目指す。その本質的な部分は

恒久的視野からみた「大いなる良」を達成するうえでの「相互補完」

ということになる。「相互補完」とは各知性の「個」を尊重しつつも同時に「他」の存在なしには持続的存続はあり得ないということを理解し、「他」を「自」と実質的な「等価」として常時意識する状態を指す。そして、「大いなる良」とは、「相互補完」の意識が浸透した「個」が相互に、そして「全体」と連結することで、存在しうるあらゆる知性がそれぞれにとって最適な存続環境を作り出すうえでの均衡状態を持続的に維持することを実現する思想であり行動様式を指す。

 増田哲学における「あらゆる知性」とは、物理的制約に縛られている存在、すなわち「限定知性」(以下、前述の制約に存在する知性について言及する場合のみ限定知性と呼ぶ)に加え、物理的制約から解放された知性の存在をも内包する。現段階においては、物理的制約から開放された知性が存在するという確固たる立証は存在していない。ただし、そのような存在が悠久の過去における一時期、もしくは未来永劫存在し得ず、且つ時間軸、空間軸並びに次元を超えて介入し得ないと断言することも否定する。また、これらの知性は「大いなる良」というあらゆる知性の理念達成の名の下に、間接または直接的に物理的制約に縛られ知性と交わる可能性も否定しない。これらを踏まえ、増田哲学において、思想を深耕、展開させる際は、これら全ての知性の良を意識したうえで展開していく。むろん「全て」などという概念は無謀であるということを認識しつつも、それを理想とするということをここに付記する。

ここでの議論を前提とした更なる議論は以下に続く。

http://anond.hatelabo.jp/20160805213252

付録

増田哲学序論の概略(口語

ネット社会普通になったし、そろそろそれにあった思想とかがうまれても普通じゃね?ネットが無い時代にうまれ哲学っていうのは、ネット現実ひとつになるなんてことを考えていたわけじゃないから、いまの時代フィットするわけがないよ。だからネット現実ひとつになった時代に生まれた俺たちがゼロから考えるべきなんだよ。これまでのことはとりあえず意識しないで。

増田なんだから、これは俺たちみんなのモノっていうことで。あと、みんなで考えるから過去現在未来と常に変わらない考え方も出るとは思うけど、基本、バージョンアップされるのが前提だよね。ちなみに、基本的ポリシーは、「ここで生まれ思想はそれに関わる皆に所属するということ」、「常に更新されるべきということ」、「コピペ、改変、新解釈拡散、すべて自由」。あとは、増田住民がそれが正しいかどうかを判断するよ。

増田哲学をとりいれることで、人間も、宇宙人も、A.I.も、クジラシャチイルカなど独自言語体系を持つ高等生命も全てがハッピーになればいいよね。お互い愛し合って。出来れば永遠に

あと、ふつう、みんながハッピーにっていうといま生きているもの重要だけど、138億年以上もある宇宙の一時期、またはこれから未来永劫、時間とか空間から解放された存在絶対存在しなかった、または、存在することは絶対ムリとは言い切れないよね。あと、時間空間から開放されるっていうことは、何らかの形で現存する世界に介入をすることも。分かってる。これはかなりぶっ飛んでるよ。でも、これまで生きてきた数十億という先人たちが伝承してきた存在、つまり神とか菩薩精霊とか、グレートスピリットなどなどとかい概念も単なる「迷信」とかで片づけずに、いろいろ考えていくよ。

2016-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20160731102923

共産主義思想リベラルといえなくもないですよ。

資本主義社会(少数派ブルジョワジー階級多数派プロレタリアート階級を分断・抑圧・搾取する体制

革命階級の力関係の逆転)

社会主義社会共産主義の第一段階/プロレタリア独裁国家多数派プロレタリアートが少数派ブルジョワジーを抑圧する体制

階級および国家階級暴力装置)の揚棄

共産主義社会(無階級社会人類解放

という流れがマルクス系の共産主義思想の概ねの公式なので、歴史の発展にともなって人類総体自由は増大するはずなのです。

資本主義より不自由社会主義社会があれば、それは社会主義ではないはずなのです。