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2017-03-21

少年漫画って伝統芸能のなの?

味方を大事にするあまり敵の攻撃を一身に受けてしま主人公とか、あからさまな成長物語とか。

友情を重視するために自己犠牲とともに味方を逃す仲間たちとか。

知ってる筋書きを誰が演るかという違いになっているようなんだが。

同じものの中の些細な違いを重視するって意味じゃ伝統芸能差異がないよね。



かと言って青年誌特有の実は裏切りものでした、みたいなデスゲーム路線伝統芸能化してきてて白々しい。

良心はあるけど義理がない、みたいな心理現代事情もっとマッチしてる気がする。

2017-03-17

籠池氏は、たくさん嘘をついてきたようだ。

籠池氏が嘘をついてきたと思われる場所が、主に公的書類だったりするところが、しみじみ「信仰簡単に人を狂わせるなぁ」と思うのだが

要するに、日本会議極右の念願であった極右小学校の開校のためなら、という滅私の心が、彼に嘘をつかせてきたわけだ。

信仰のための自己犠牲的な嘘。



籠池氏が国会証人喚問に出席したがっている、というオモシロニュース普通は誰だってそんな場所には出たくないもんなのに

特に、ついた嘘(籠池氏からみたら必要な嘘というか方便なのだろうが)が取り繕えなくなっている人なら逃げ回るはずの場に

本来であれば敵であるはずの野党の協力を得て、本来であれば味方だったはずの自民党の反対を押し切る形で出たがった。

その理由はやはり彼自身の信念、というか信仰を踏みにじられたくないことが理由だと考えるのが自然だ。

実は二重スパイで、守勢一方の自民党を後押しするために「証拠がない強弁」を携えたカミカゼ特攻隊である可能性もあるが。

まぁそれはともかく、「信仰の具現化のためならなんだってやる」「極右の同志は協力し合うのが当然」といった風情の

籠池氏の言動パターンから素直に考えれば、証人喚問では自民党閣僚の大物との密接な繋がり(と忖度的な黒い便宜)を

証明せざるを得ないと考えるのが順当だと思う。

なぜなら、極右トモダチの大物閣僚とのつながりこそが、籠池氏個人存在意義というか社会的立場を保つ最大唯一のカードからだ。



個人的には彼が本格的に暴走を決意したのは、稲田から切られたことが心理的に影響しているのではと勘繰っている。

下等種別である女ごときに己の立場を危うくされたという理不尽に、体面が耐えられなくなったのではという邪推である

そういえば、籠池氏が経営している塚本幼稚園では、女は家を守れという方針だったようだが、

実際は彼の妻や娘も経営保育園運営に関与していたようだし、幼稚園教諭女性も少なからずいただろうに

本当に彼らの言ってることとやってることって、ばらばらで面白いなとしみじみ思う。

からしみじみしてばかりである

さらにそういえば、安倍政権極右のオトモダチたちは、北朝鮮中国への過剰な敵視が不安レベルである

言動、行動を見ていると北朝鮮のような状態になっているというのも、本当にしみじみとする。

これは、極右思想宗教という存在自体が、現代社会と著しく矛盾しているから起こるねじれだと思うんだが、

まぁそこも含めて信仰って強いな。しみじみ

狂信力でいったら、公明党なんかよりよほどひどいのではないか。目くそ鼻くそ感はあるけれども。

2017-03-07

アナと雪の女王最後

真実の愛でアナが救われた~、的な流れになってるけどちょっとまて。

実はたまたま凍った後に呪いがとけただけじゃね?

それか、「凍ったのちに剣で思いっきり殴打するくらいの衝撃を与える」

のが呪いを解く条件だったとか。

だって自己犠牲真実の愛だったら、途中のオラフが解けかけてるところで呪い解けないとおかしいだろ。

まりどういうことかというと、当時は叩いてごめんねMayJ。君の唄の方が1000倍よかったよ。

2017-03-04

アナ雪】テレビ放送記念、こじらせ童貞アナと雪の女王感想【Frozen

面白い! 以上。

 

 

 

 何となくネタバレ控えめで書きます

アナ雪の第一印象は、多くの女性が絶賛しているが、私が好きな一部 お笑い芸人さんの評価イマイチ。っていうか、「特にストーリーは無い」というような評価だった事が強く残っている。

公開当時にネット上で大量に書かれた感想評論考察なども結構興味深く読んだ。宇多丸さんと荻上チキさんの評とかも聞いた。

 

 

 

 それらを読んだり聞いたりした上で時間が経ってから本編を見たので、完全に真っ白な状態では見れていないのだが、

私の感想としては、少なくない超絶賛には付いて行けないものの、しかし一部 芸人さんの評価は低過ぎると思う。ストーリーはちゃんと有る! むしろ濃過ぎる! 丁寧に煮込まれスープの上澄みだけを飲んでいるようなモノで パッと見の印象がシンプルに感じられるだけだ。

 かなり好き。勿論、素晴らしい作品で、超絶賛される理由も分かる。

 

 

 

 んで、ここからが本題なんだけど、

 

公開当時も沢山の評論考察はあったんだけど、私が読んだ範囲では それらには書かれていない部分が気になっているんだ。

それをここで書こうと思う。

 

 

 

 ザックリ書くと、

アナ雪って、作中での『運が良い事』が重要な基盤になっているんじゃね?」って事。

 

 

ちょっと、ここからは逆算して書くんだけど、

 まぁ、ディズニーアニメの例によって例のごとく アナ雪も『真実の愛』が重要テーマになってるじゃん。そして、それが問題解決の鍵じゃん。 それは……、良い。

私が気になるのは、その焦点が「自発的な愛」なのか、他者から与えられる「受動的な愛」なのか、「両方」なのか って事なんだけど、

ここまでは色んな人も考察されたし評論されてる。が、

私は、その「先」も気になるのよ。

 

 

まり、私は、

 「エルサの『雪の呪い』は『自発的真実の愛』でしか解呪出来ない。」という解釈余地がある事が アナ雪のパワーの源じゃないのか?と思っているんだ。

いや、分からんよ。 旧来型通りクリストフから与えられたであろう「受動的な愛」でも解呪可能なのかもしれない。

 でも、無視出来ない描写もある。エルサの良心+妹への贈り物であるオラフが愛が何であるかを知っている事だ。

これは少なくともエルサは愛が何であるかを知っている証拠だし、アナに対して「受動的な愛」を与えている。でも、アナ呪いは解けていない。

また最終盤、エルサが自身の愛を自覚することで氷の魔法制御出来るようになることも重要だ。

 

 

 

では、仮に「エルサの『雪の呪い』は『自発的真実の愛』でしか解呪出来ない。」という前提で本編の描写を見てみよう。

 

 

まず、最序盤、城の中で二人が雪遊びするシーン、この時点で雪の魔法アナ心臓に当たっていればアナは為す術無く死んでいたよね。

 だって幼児自発的自己犠牲的愛なんて期待出来る訳が無いんだから

これはトロールの長がエルサの魔法を強く警戒する事とも整合性がとれる。子供に対しては致死性の呪いになるからだ。

 両親がエルサを自室に閉じ込めるのも危険性を顧みれば已むを得なく、エルサからすれば妹を殺しかけた訳だから強い反省からくる自傷的な引き篭もり、恐怖も理解できる。

まり最初にエルサが「運良く」アナを殺さなかった事が最終的なハッピーエンドの結果を生んだのではないか

 

 

日に日に強くなる自分では制御出来ない魔法。閉じ込めるという対処法。最初被害者自分より幼く弱い近親者。一度、開放されれば国中を巻き込む影響力。

プラス(私の予想として)子供に対しての致死性。

 

 

 エルサの雪の魔法は「感染症」のメタファーでもあるのではないか?……

これは”エグゼクティブプロデューサージョン・ラセターが、難病である1型糖尿病10歳で診断された息子からエルサのキャラクター作りにインスピレーションを得たと語っている。”

事とも整合性がとれる。

 

 

 つまりアナ雪は 表層の魔法ファンタジー+家族再生物語。中層のディズニープリンセスからの脱却といったジェンダー論。下層の人類の「感染症」との戦いの歴史対処献身治療回復。の三層構造ストーリーが極めて高い次元昇華されているため大きな感動を産んでいるのではないか

そして、ハッピーエンドの核を「運が良い」事に放り投げているので説得力が損なわれず説教臭くさえない。

ただし、無意識不安は残る。が、アナ雪の場合、コレさえ長所にもなっている。

 

 

 作劇の基本構造は、「作中の『問題』の解決」だが。

これを「正義主人公(達)の努力と理性と決断による悪に対する『必然的勝利』」という構成に出来れば、物語としての強度も視聴者快感高まる。が、

同時に説教臭くもなってしまう。作中の「問題解決の条件と能力に焦点が集まり説得力が損なわれやすい。

 ズートピアベイマックスは両方とも素晴らしい作品だが、どこか説教臭く、アナ雪に比べ説得力が薄いのはこのためだ。

 

 

 主人公(達)に「運」の影響が無い作劇は、安心子供向けにもしやすいが、ややもすると『答え合わせ』になってしまう。

が、主人公(達)に「運」が有りすぎても御都合主義展開になってしまう。

 アナ雪はこのバランス絶妙で、ディズニーアニメとしてはギリギリまで「運」が良く、更にそれを最初の「室内雪遊び事故」一点に絞ってるのが凄い。

 

 

感想の締め方 分からなくなってしまったが、

 要は アナ雪 超良かったです。好き。

ズートピアは素晴らしいし良かったけど、完全には好きになれない。

ベイマックス客観的には素晴らしいのだろうし、良かった方だけど、好きじゃないかな。

非モテをこじらせにこじらせてむせび泣いていた

好意を感じると逃げる、据え膳は食わない、孤独を貫いてさびしがる、一人酒のたびに涙が出る、など、感情と行動が一致しない回避性人格障害みたいな行動をとりまくり、このにじみ出てくるぐちゃぐちゃとした感情はなんだろう?なんだろう?ああ、これは憐憫だ、自分への憐れみだ、本当はできるはずだという幼稚な全能感を否定しないためだけに自らチャンスを全力で遠ざけまくって年々衰えていく自分を憐れんでいるんだ、と気づき、こんな自分と一緒になったら相手も不幸にしてしまうから遠ざけよう引きこもろう一人でいよう、という謎の自己犠牲的な誰も求めていないというか気にも止めていないアホみたいな気遣い自己満足のために孤独を気取っていたくそこじらせスネまくり非モテ野郎の私ですが、




先日結婚しました。





いやーなんだったんだろうな上記の感情は。何かの自己暗示にかかってたんじゃないかな。まさに呪いだった。

2017-02-13

保育園落ちて文句言ってる人って何で子供産んだんだろう

自分が激戦区住みで、引っ越す事も転職する事も出来ないなら

保育園落ちる可能性が高い事なんて最初から分かり切ってるよね?

国が悪いといくら言った所で、その状況が一朝一夕に変わるわけがない事も。

なら落ちた時にどうするか考えてから妊娠するのが当たり前では?



実際世の中には、保育園入れなかったら退職すればいいや、って人もいれば

妊娠直後か下手すりゃ妊娠から滑り止めの認可外予約してる人もいる

親だのシッターだのを頼って乗り切るつもりという人もいるし

公務員から最悪3年育休取って幼稚園入れるわって人もいる

いずれにしろ、そういう対策を考えてから妊娠するものではないの?

保育園落ちたか退職せざるを得なかった日本氏ねって人たちは、

退職せざるを得ないかもしれない事は妊娠から覚悟の上じゃなかったの?

退職したくないなら、何故対策練ってなかったの?

対策考えつかなかったのなら、何故妊娠したの?

対策考えてたけど妊娠中に状況が変わった、ってなら気の毒だけれど

(専業になる予定が夫がリストラとか、親に頼るつもりが倒れたとか、激戦区じゃなかったのに近くにタワマン建って今年から阿鼻叫喚地獄になったとか)

大多数の人はそうじゃないよね?



地雷原に突入して地雷踏んだ!片足吹っ飛んだ!地雷撤去しない国は氏ね!って言われても

最初から地雷原に行かなければいいじゃん…としか思えない

それとも敢えて分かってる地雷を踏んで吹っ飛ぶ姿を見せる事で国に問題提起をしているのだ、などの

尊い自己犠牲精神の元で行動してるんだろうか、あの人たちは。

2017-01-29

子育て問題諸悪の根源は「私の仕事じゃありません」という言い訳

自分たちの子どもを自分たちで育てていこう、という気持ちがなければそもそも集団教育組織である学校運営はうまくいくわけがない。

ただカネだけ出して終わりというなら単なる公営塾で良いわけだ。



みんな忙しいし、みんな余裕ないし、みんなお金ないんだよ。

だけれど、それ言い出したら誰も何もできなくなるから、厳しい状況の中でも何とかお金時間や労力を捻り出すのが子育て本質

困ったときお互い様、みんながみんなで助け合いましょうね、というのが本来スタート地点。

だけれど、賢しらな言い訳を用意してこれは私の仕事じゃありません、

から会議は出ません、お金も出しません、労力も提供しません、

でもPTAメリット享受したいです、というモンスターペアレンツが生まれ

無理が通れば道理が引っ込む形式でそういう勢力が増え始めると、

コスト負担するのは無駄で損だという意識が芽生え始める。

良かれと思って無償ボランティア気持ちでやる行為搾取されている感覚にとらわれてくる。

「なんで私がこんなことをやらなくちゃいけないんだ」という意識蔓延してくる。

持ち出すばっかりで、何も得られないじゃないか、と。



そうだ。

フリーライドする人間が増えれば増えるほど、

善意というのは苛烈搾取構造の中に組み込まれていく。

「私の仕事じゃありません」と抜け出て行く人間が増えれば増えるほど、

「やるだけ損だ」という負のインセンティブが爆増する。

チキンレースみたいになってくる。



でも、たしかPTAとか子育て界隈には理不尽なことが山ほどある。

から唯々諾々と受け入れてたら親が破滅する。

でもでも、子育てというのは、身を犠牲にしてでも子ども幸せのために何をかしたいという愛情結晶でもある。

そういう情緒を抜きにしたら、子どもを生むのは全くの損得勘定しかできなくなってしまう。

最近はそういう傾向もどんどん増えてきてはいる。

また、自己犠牲というのはあまりにも容易に搾取対象になりやすいがために、

子どものために身を犠牲にする、という考えそれ自体に大変な拒絶反応が起きるだろうことも想像に難くない。

でもでも、でも、だ。

もうコレ以上は無理だよ、というその無理のほんの薄皮一枚向こうの限界突破することが、

親としての、人間としての成長があるんじゃないかという気が私はするんだよね。

まあこれもブラック企業社長あたりが散々自分たち利益のために弄び続けたたぐいの物言いなので、

しろバッシングされるのがデフォルトの考え方であるだろうことも想像に難くない。



まあかといって今のままだったら、

「私の仕事じゃありません」

「私は知りません」

という人がどんどん増えて、

善意で引き受ける人が苛烈で過重な労力で押し潰されてどんどん少なくなって、

解決されない問題がどんどん増えて、

子育てで完全に詰みましたって人がどんどん増えていくしかないと思う。

それこそ「私は私だけの仕事して私の生活を守りますんで皆さんもあなただけの仕事を頑張って下さい」という人だけが生き残る、

自己責任弱肉強食世界になっていくだけだと思うんだけど、




みんな果たしてそれでいいの?っていう。

2017-01-24

共依存脱却タイトルとしてのバイオハザード

バイオハザード6ピアーズという登場人物がいる。

主人公クリス尊敬しているという設定なのだが、基本的にこの人物プレイヤーに受けが良い。

エンディング付近自己犠牲的なシーンに涙したという理由が多くを占める。

物語の途中、部下の多くを殺されたクリスは怒りにかられて主犯のエイダ・ウォンを追い詰めようとするが、

その手段の選ばなさを薄々感じ取ったピアーズは進言のあまりクリスと一度不仲になってしまう。

その上クリスメンタル面を常に気にかけて記憶を元に戻そうとまでしている。

表面的に見れば暴走する上司抑制する良くできた部下だ。ところがゲーム中に集められる資料を見ると印象が変わる。

彼がBSAAという軍隊じみた組織はいったのは軍人であった祖父から伝統のようなもので、

入隊理由も仲間を専一に考えるクリスに心酔したからだという。入隊前は軍人である意味を見いだせなかったとまで書いてある。

まり度重なるクリスへの助言や助力、参謀ぶりは自分理想としてのクリスを作り上げようとしていたという読み方もできる。

そしてあのラストだ。荒木飛呂彦曰くの「ヴァニラアイスは最も嫌いなタイプ」、という話をそのまま地で行っているとも言える。

これまで他人のレールを生きた人間が結局自己確立しないまま自棄になった、と述べたとしても遠からである



ところでこのゲーム副大統領シモンズという男がある意味黒幕であり(ここらへんはわりと早めに判明するのでネタバレしておく)、

彼は終始エイダに執着している。エイダはエイであることに執着しており、レオン編のヘレナもある人物に過剰な執着を見せている。

実は隠されたテーマとして「執着からの脱却」「共依存の解消」が隠されているのではないかと感じる。

作品タイトルに換言すれば「過去からの脱却」であり、バイオシリーズ自体のしがらみを顕しているように思える。

ここでピアーズのラストに戻ると、クリスを救ったというより依存した自分と決別する捉え方も一応は可能になる。

ジェイク編なども不自然なほどクリスを恨むジェイクが描写されており、やはりここでも過去が取り沙汰される。

この話の中で最初から過去と決別していたのはレオンシェリーというバイオ2の登場人物のみである



とうわけで正月から続いたバイオ5~6は概ね遊んだのでおしまい

2017-01-19

[]

闇の公子を読んだ。愛と憎しみが織りなす、絢爛たる勧善懲悪物語だった。出てくる人物美男美女オンパレードだったかちょっとお腹いっぱい。

大別して三章からなる今作。それぞれの章なり部で主要な登場人物は移り変わっていくんだけど、物語全体を通しての主人公はやっぱり闇の公子たるアズュラーンなんだと思う。

地底の都を統べる妖魔の王たる人物なんだけど、少々いたずらが過ぎる。たびたび地上に出てきては国を傾けたり、呪物を差し向けて混乱を引き起こしたりして、大勢の人の生を翻弄結果的殺戮して回ってる。

神にも等しい力を有しているのに、夢から地底に迷い込んできた魂を相手に狩りを行ったり、とある人間女性を誘惑しようとして三回失敗した挙句彼女と夫と子供たちをしつこく呪ったりする。

やんごとなき御方なんだけど、しょうもないところが多い人物でもあると思った。

でも天上の神々と比べたり、とある吟遊詩人予言じみた唄を聞いて不安垣間見せたり、なんか格好つけた自己犠牲世界を救っちゃったりするのを見せつけられると、憎めなくなる。

小説最後なんか、アズュラーンの復活により束の間の平穏享受していた世界に再び嵐が生じる兆しが描かれてるんだけど、行間からにおい立つ何とも言えない爽やかさのせいで読んでてニヤニヤしてしまった。

カジールとフェラジンの恋路を邪魔したり、ビネス一家に辛苦を味合わせたりした場面では眉間にしわが寄ってしまったけど、自らが蒔いた悪事の種が芽吹いたせいで愛する世界が壊れそうになった時に見せた姿とか、滑稽すぎて愛着が湧いてきてしまった。

本当にしょうもない人だと思う。とんでもない御仁なんだけど。

公子以外にも素敵な登場人物はたくさんいて、先にも挙げたカジールとフェラジンのその後とかほのぼのしていそうでほっこりする。シザエルとドリザエルの二人も、魂の平穏を得たことで幸せに暮せたんだろうなあと思いたい。

つの章の構成について。どれも悪が負ける物語になっているんだけど、アズュラーンの視点から見ると、第一章では自分自身主体になった悪が負けていた。

第二章では自らが蒔いた悪がどのように人々の間を渡り歩くかを描いていて、第三章では自分面白おかしくまき散らしてまわった悪によって手を噛まれるっていう展開が描かれていたように思う。

それぞれ悪の捉え方や切り取り方が違っていて面白かった。アズュラーンの狡猾さや執念深さ、冷酷さを際立たせるとともに、彼に立ち向かう人々の輝きをうまく描いていた。

人々の生き様に関してだと特に二章が印象的だった。魔性女王ゾラヤスは、最後に結局悪として敗れてしまうのだけれど、彼女の憎しみや悲しみ自体には理解できるところがあるのがほろ苦かった。

彼女が死に負けるまで、ありとあらゆるものに勝ち続けなければならない人生を歩く羽目になってしまったのは、はたして運命だったのかどうか。

優しさがうまく機能しなかったり、色んなことのタイミングが悪かったりした十代のころ、彼女のもとにアズュラーンは現れなかったことを考えるとなんかいろいろ胸に迫る。

文章としては重厚かつ絢爛で耽美文章がずしんと腹にくる小説でした。性愛に関する大らかな受容性と、こってりした文章に慣れることができればがんがん読み進められる物語だと思う。

ただ、たて続けに二冊はつらいかなあ。死の王はまた今度にしようと思う。

2017-01-08

自己犠牲と子孫を残す意義

なぜ子孫を残すのか?

ってのは、原始時代では疑問になっていない。

なぜなら、適当セックスしてたら子供ができちゃうからだ。

  

一方では、現代は、子供を残すかどうかは選択になっている。

  

本日ツイッターで、「ブスだから自分遺伝子残したくない。不細工遺伝子自分で断つ」というものがあった。

発言者は、デブスの女性脳外科医とのこと。

  

これは一瞬納得しかけたが、本当にそうか?と感じた。

確かに、子供に同じ不幸を味合わせるのは辛いのだろう。

しかし、子供を作れば、自分の達成できなかった夢なり、子供大金稼ぐ可能性があるわけだ。

もちろん子供が失敗作になる可能性もあるけどね。

そのあたりの、野心って言うかな。よりよい自分可能性の追求っていうか。

  

もし子供が、超天才で、天才的な数学者になったり、ノーベル賞でもとったら、自分人生100%肯定されまくっちゃうだろ。

そういう可能性も考えると、「自分遺伝子を残したくない」に拮抗ちゃうんじゃないか

  

他人に優しいから、子供を作りたくないというのは、話としてはよく分かるんだけど。

自分勝手に生きるなら、子供自分の野心のために作るってのも、話としてはよく分かるんじゃないか

  

ま、もちろん、相手次第だけどねw

2016-12-22

自分のために…

投稿です。ここで文章を記して少しでも某大学の小論対策にでもなればなあ、と思っています。早速ですが自分人生観について記したいと思います

私は「他人のために」という言葉が嫌いです。皆さんの中には「会社のために」仕事をしている人はいますか?「お客様に喜んでいただくために」仕事をしている人はいますか?もしいるのなら、その仕事給料が全くつかなかったとしても(全くは言い過ぎかもしれませんが)、その仕事をやりますか?「No」と答えたのならば、偉そうな顔した上司などには大バッシングを食らうかもしれません。しかし、私はここで「No」と答える人が素直で正しいと思いますいくらその仕事が好きだとしても、お金がなければ生活できません。その能力は、自分が働いてお金を貰うためにあるのです。

まり他人のために」という言葉は、何某かが自分のために他の人が動くよう「自己犠牲」を美化して惑わしているに過ぎません。仕事をするにも他の人に優しくするのも全部自分のためです。

情けは人の為ならず」という言葉は非常に的を射たことわざなのですね。

こんなこと考えてるからモテないんだろーなー

2016-11-08

ブラック企業を中々辞められない理由 - 社畜Sの場合

「なぜ辞めないのかわからない」「そこで働く人間は加担しているも同じ。そういう人間いるかブラックが無くならない」などと言われるがこっちにも一応の理由があるのですよという話。

弊社の場合、同僚の命を質に取られているような気がしてならない。

年間休日数30数日、月労働時間400~500、残業代ボーナス勿論なしといった状況で働いている。そんな弊社で必死に働く私の後輩が過労死するのではと気が気でない

近況はこうだ。体が酷く痛むようで市販ではない方のロキソンニンを常用している。深夜1時を過ぎると効能が切れ苦しみだし会社の仮眠室で寝始める。最近は強い吐き気を覚えるらしく日に何度か吐いている。また立ち上がれないほど強いめまいに襲われ動けなることもしばしばだ。

時間休んで病院には一度行ったものの『過労』としか診断されず、1日休んで精密検査を受けるような時間もない。

こういった状況を見せられた社員の多くは唯でさえ遅い退社時間を更に後ろに延ばし、手伝うことの出来る仕事は夜を徹してでも行おうとする。誰か一人でも退職して更に人手が減った場合、本当に人が死ぬのではと戦々恐々である

『いい年をした大人が辞めないのであればそれは自己責任なので自分自分の為に辞職します』と言える人間果たしてどれくらい要るのだろう。死を強く認識してしまったため、自分犠牲でそれを回避出来るならといった考えも持ってしまう。自己犠牲精神ではなく、回避できたかもしれない死の一端を担ったという嫌な思いをしないため、現状を維持するという考え。

酷い乱文だが、この様なことを考えると中々辞めようにも辞め辛い。

もう少し労基様が頼りになれば違うので他力本願ながら頑張っていただきたい

2016-10-24

奴隷道徳とは、正義平等の名のもとに

それはつまり反動形成である

反動形成面白い所は、「抑圧し反発したはずの元の欲求を、結局は満たしている」という部分である

・身近な例

1.依存心の強い人

この人が反動形成をすると、なんでも自分でやろうとする独立心の強い人となる

そうすると、この人は自分依存心を自覚しないで済むようになる(防衛成功)

さらに、ワンマンにやればやるほど周りは困ってしまい、あれこれと助けようとする

下手をすれば、「あの人は助けられると起こるから、見えないようにフォローしよう」となる

ここまで来てしまえばもうこの人は自分依存心を自覚して苦しむことなく、依存心を満たせることになる

2.何もかも壊したりめちゃくちゃにしたい人、ごちゃごちゃになっているのが好きな人

この人の場合は、すごく丁寧で几帳面になり、規律道徳などをきっちり守る善良で温厚な人になる

しかし、どうだろうか。この人には世界はどう見えるだろうか

大事に扱おうと物を見るということは、それを繊細で壊れやすものであると見なすわけで

この人には世界は壊れやすもので、壊れてしまもので満ち満ちているということになる

丁寧で几帳面という価値基準を持てば持つほど、世界相対的に粗雑で大雑把な世界となる

結果として、この人はめでたく自分の好きだった世界に入ることになる

3.相手支配したい、自分の正しさを認めさせたい

反動形成は、奉仕や服従、自己犠牲になる

DVしたり酷い要求ばかりするして振り回してくる恋人に傷つけられながらも、それでも献身的に尽くすというのを何処かで見たことはないだろうか

体調の悪いままにパートで働き、子供の世話や家事を行い、夫のためにお酒を買って来た挙句に「お前が居るから俺はだめになったんだ!」と言われる始末の妻

精神的に不安定彼女のために、リストカットをしたと言われれば深夜でも駆けつけ、あれこれと手をつくして慰め、同居させ、挙句の果てには暴力混じりに「あなたは私の事のことなんか全然きじゃないのよ!」と詰られる恋人



さて、この人達はいかにして支配欲を満たし、正しさを主張しているのか

答えは簡単である

この人達相手奉仕し、あれこれを手を尽くせば尽くすほど、相手依存し何もできなくなっていく

献身的になり、親切になるほど、相手自分葛藤を処理たり我慢したりしなくなり、何も考えないでも生きていけるようになる

尊敬し服従すればするほど、相手はそれ以上の成長はしなくなり、与えられた権力に酔って傲慢となり、相手に不当な扱いをするようになる

結果として、相手依存心を増強させ、自制も聞かない赤ん坊のようになり、感情欲求を吐き出すだけの無様な姿となる



にも関わらず、「にも関わらず」だ

それでも決して怒らず、優しくし、辛抱と忍耐を重ね、自己犠牲を続け、文句も言わずに働き続ける

この人達のことを、誰も責めたりせず、むしろ可愛そうで救われるべき正しい人々であると言うだろう

そう、ここが一番のミソである



彼らは自己犠牲をすることによって無事に被害者となることができ、理不尽世界に対して自分正当性を訴えることができるのだ

もはや、彼ら/彼女らは自分から何も主張せずとも、自らの正しさを認められる事となり、奉仕先を支配することができる



ここにおいては、相手を許すという行為はすなわち、相手を罪悪感で縛り支配する手段となる

正答な罰や応報もなく許され、良心の呵責に苦しむ

それを晴らそうとするが、奉仕と服従と自己犠牲に慣れた人間にとっては、それを躱すのは容易い

そして、相手に対して道徳的優越感を得て、奴隷道徳を旗印に勝鬨を上げるのである

2016-10-05

次世代を担う漫画が「ぼくのヒーローアカデミア」ならおじさんは死なず、ただ去るのみだと思った

ワンピースのように大海原にでてテッペンを目指す漫画でもない。

NARUTOのように最高責任者を目指す漫画でもない。

 

ただひたすら自己承認欲求の強いナード属性主人公面白味も無い自己犠牲活躍して、

人間的魅力がないのに友達が増え、女の子から好かれるご都合のハーレム展開漫画

何の魅力もない主人公なのに今の若者はこれに自己投影して自分を慰める。

 

スラムダンク北斗の拳クレヨンしんちゃんジャングルの王者ターちゃん

シティハンター幽遊白書ろくでなしブルース今日から俺はドラゴンボール

封神演義蒼天航路キン肉マンうしとらやぬ~べ~やガッシュ寄生獣ジョジョ

 

を消化してきたおじさんは、自分と違う面白さを持った主人公人生を見たい読みたいんであって

自分と似たような暗いジメジメしてるだけ、ジメジメ回避のための打開策のアプローチすらできない主人公

なのに周りのおかげで勝手に上手くいくような主人公をお出しされても、全く面白いと思わないんだよね。

 

ハッキリいってヒーローアカデミアの作者って人間として面白くないでしょ?

自分が描きたいものを描いているというより売れるものを描いてる感がすごい鼻に付く。

誰かに否定されてでも書きたいとか着地に失敗してもおかまいなしに書こうとする気配が全く感じられない。

小奇麗にやろうとしてる感がキツイ

子どもたちがナードな俺でも・・・みたいな自己変革を排除して

チート能力や周りのヨイショを期待してしまうかもしれないのが辛い。

緑谷が主人公としての義務の周りを「ハッ!?」とさせるような魅力が全くない。

ナードならナードサイドによるリア充一般人の「俺たちはひょっとして大きな勘違いをしていたのでないか」という読者の知見を広げたり啓蒙する役目を全く果たしてない。

ナードがニヤニヤしながらリア充メンバーに囲まれチヤホヤされてるのをみて、現実で居場所がないナードが読んで緑谷と自分を置き換えて心を慰める、

代償行為にすぎない。

 

こんなの人生の糧になるか?

おじさんは死なず、ただ去ろうと思った。

 

あ、進撃の巨人は読んでます

エレンいいよね!

復讐燃える主人公とか大好きだ!

2016-10-01

人生環境で決まるから

http://anond.hatelabo.jp/20161001021328

この記事を読んで、話題に上がっている自殺した人のブログを読んだ。

人生は本当に運の要素で溢れていると思う。

自分は家庭環境客観的には恵まれていた。

しかし、大学に進学すると上には上がいるもので、もっとまれている人たちもいる。

まれている人間は恵まれて生きていくためのノウハウがある。

すごく簡単なことだったりするんだけど、それを知っているだけで大きな差ができてくる。

だが、そういうノウハウが恵まれていない環境に届くことはほとんどない。

 

虐待にあっている子供がいるとする。

の子自力自分を救うことはまず難しい。

からある程度力を持っている人間が手助けすることでしか、その子は救われない。

 

まれない家庭に置かれた人々がいるとする。

それもまた同じ道理だ。

だが、大人常識他人一般、、、そういった言葉で家庭を同列のもとみなしてしまう。

さらに、ここでいう家庭に置かれた人々というのは親も含まれる。

色んな常識と、その常識構成する、恥をかきたくない、立派に思われたいという気持ちが、

本当は救えるのに救おうとしないという感情掻き立てる

 

不幸を予防するには、恵まれ人間自己犠牲必要だ。

それをわかっていて行動しない人々は何をもって立派なのだと言えるのだろうか。

もちろん役割に差はあるだろう。

辛い環境に置かれると疑い深く、攻撃的になるため、せっかく助けてやってるのにあいつらはクズだ、

そう思わされる場面に何度も遭遇する。

それでも恵まれない人間を救えるのは恵まれ人間という事実は変わらない。

その行為が巡り巡って、世情や治安を良くし、自分の子孫の環境にとっても住みやす環境を作る投資の一つだと知ってほしい。

知らない人間に声をかける恥ずかしさに慣れてほしい。

 

みせかけだけの立派な人間だけでなく、本当に立派な人間で溢れる世の中になってほしい。

 

2016-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20160928183321

まどマギと同年のピングドラム増田の条件に入るかな?

あとアメリカヒーロー映画は多くがキリストモチーフだけど、その場合(擬似的な)死と復活がメインだねえ

劇場版ナウシカとかモロそんな感じ。攻殻機動隊浄化はないけど、死と復活のあと素子がネットに溶け込んで人類を見守る存在になる。

今手元にあるのだと宇宙英雄物語とかBLAME!もそんな感じか。

てか自己犠牲とか孤高とか、もともと世界的なヒーローからキリストが出来てるから関係なくても当てはまるものが多いし、増田みたいに絞り込まないとすごい量になりそうだな…一応挙げたものは展開以外にも名前とか設定でキリスト絡んでそうなものにしたけど

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928183321

どこまで忠実にモデルにするかにもよりそう

自己犠牲世界を救うまで行っちゃうと割りとありがちだし

2016-09-13

悪趣味なのだろうなあ。

人がぐるぐるしているのを見つめるのが好きです。

例えば、こじらせたプライド必死に守ろうと毛を逆立てている人、どうしようもない寂しさをごまかすため自己犠牲しても集団所属したがる人、親から刷り込まれ価値観自縄自縛に陥っている人達の姿。人生の中で同じ問題に何度もぶつかり続けているような姿。かっこ悪くて、たまに迷惑で、でも人間的で、少しだけ可愛くて、私は好きです。

決して自分が彼らと違うと思いあがっているわけではないです。むしろ彼ら以上に私はかっこ悪く恥の多い人生を送っている人間です。たぶん。

友人にもそんな人がちらほらいます。その人がいつかそのぐるぐるの輪をぶっ壊して、私の知らない新しいその人になる革命の瞬間を想像し、こっそりわくわくしつつ隣で待っていたりします。

変化したのちその人は私と縁が切れてしまうかもしれないけれど、一時的にでもつながれたのでそれはそれでよし。

さすがに友人に「あなたダサい部分が人間的に可愛い」とは言えないです。自分としては好意表現なんだけどな。

2016-09-12

王子様に助けられるお姫様を強いられるより

嫁もらうために命をかけて魔王と戦うことを強いられる方がはるかに辛い

下手すると自己犠牲を払ってでも女を助けろとか言われよる

お姫様は安定した生活を手に入れられるけど男はいだって命がけ

戦争になれば真っ先に戦場に行かされるのは男

なのに世の中にあふれる性差別を憂う声は女のものばかり

世の男性もっと声を上げていいと思う

2016-08-26

仕事人間の母が専業主婦を選んだ理由にひれ伏す

母は仕事大好き人間で、許されるならずっと働いちゃうタイプの人だった。らしい。

でも母が外で働いている姿を見たことはない。

私を産んでから30年、ずっと母は専業主婦である


子どもを産んだことによって

母は大好きな仕事を、あきらめたのだと思っていた。

そして、そのことにむかついていた。

んなこと頼んでない。

やっぱり仕事好きに育った私は今、当時の母と同じ29歳で、

しかし母のような選択絶対にできない。

それが後ろめたくて、母の「自己犠牲」にむかついていた。


先週、母とめずらしく二人きりになったとき

酒が入ってたせいかセンチな気分になって

これまで絶対聞かないようにしていたのに、

「お母さんは仕事続けたかったんだよね」「ごめんね」と、

愚かな言葉をなぜか口にしてしまった。やばいと思ったけど、覆水盆に返らず


母はちょっと黙ってから、優しく語り出した。




「いや…めちゃ斜陽産業だったから、このまま働き続けても先が知れてたし

29でキャリアチェンジ結構きついんだよねー。

使用ソフトみんな総とっかえされちゃって(技術職だった)

から覚えても、最初から覚えてる世代にはなかなか勝てない。

まあ企業としてもイチから教えるなら20代前半とるよね(笑)

当時、多くの女の人はそうだったかもしんないけど

仕事で何かを残せるかで勝負するルートにおける勝算が、正直なかった。

で、たいして実績も残せず人生後半に差し掛かったとき

あれ?自分人生ってなんだったんだろーとか思っちゃうよねえ。

それはやっぱりリスク高すぎだろーと思って。

で、人生でまっとうする仕事として投資効率が高いのは何かって考えて

選べる選択肢の中から出産育児を選んだわけで、

だいじょぶ何もあきらめてない。

やりがいリスクヘッジとしては結構オススメだよ!」




おかあさん、まじかよ。

2016-08-07

庵野エヴァ虚構)を捨ててゴジラ現実)を作った

シン・ゴジラを観てきた。

実際にゴジラが現れたら、本当にこんな後手後手の対応に回るんだろうなというリアル感。

自衛隊が本気で攻撃しても倒せないという、お約束の展開をリアルに描くことで生まれ絶望感。

すごく面白かった。



ところでシン・ゴジラ評価として、エヴァっぽいという声をちらほら聞く。

この物語エヴァっぽい?

オーどこに目をつけているんだいキミタチィ。

エヴァとは真逆の話じゃんかよ。

なぜそれが分からないのか、分かろうとしないのか。

と思うので思うところを書く。



エヴァと言えば言わずもがな、『セカイ系』と呼ばれたジャンル最高峰である、と言われている。

セカイ系の特徴には諸説あるが、概ね、世界の命運がごく少数の登場人物意思決定によって左右される物語だとされている。

時として世界の命運を左右するのは、数奇なめぐりあわせのために巻き込まれた、覚悟も力もない少年少女であったりする。

そこで生まれドラマを描くのがセカイ系というジャンルである



シン・ゴジラはこのようなセカイ系の特徴を徹底的に排した物語構成を行っている。

ゴジラと戦うのは民主主義手続きによって選ばれた、国民代表たる政府関係者自衛隊である

何を決定するにも会議を行い、議事録が残り、行動するには法的根拠必要で、無いなら法案を作るという、民主政治プロセスが正統に実行されている。

ネルフみたいな胡散臭い特殊機関なんて存在しない。

また、ゴジラは確かに脅威ではあるが、セカイを滅ぼす存在ではない。

自衛隊の装備で傷をつけられずとも、米軍空爆でならダメージを与えられる。

当然、熱核兵器を打ち込めば瞬殺である

エヴァ使徒とは比べようもない、ただの生物である



ゴジラはセカイを滅ぼす存在ではない。

ゴジラを殺す兵器存在する。

それを使えないのはヒトの都合である

ゴジラを脅威たらしめているのは、ヒトの側の都合なのである

第2、第3形態ゴジラ自衛隊攻撃できなかったのは、ひとえに憲法9条下における自衛隊不自由運用のためである

第4形態ゴジラに核を撃ち込めないのは、ゴジラ東京のど真ん中にいるからであって、要するに今まで都市インフラ投資した金がもったいない、というだけの理由である

本当に、たったそれだけの理由である



からゴジラはセカイを滅ぼさない。

たか怪獣とき人類が滅ぼされるはずがない。

滅びるのは核攻撃の巻き添えを食う関東一帯の都市のみである

それも無人の都市である

住民は既に避難しており、直接的な人的被害はない。

日本人が生きている限り日本は滅ばない。

もし東京が壊滅しようと、京都首都機能移転大阪経済の中心となって、日本という国はつつがなく回っていくだろう。

ゴジラはセカイどころか日本すら滅ぼさない。

日本が滅ぶとしたら、劇中で指摘されている通り、株価、円、国債などの暴落によるデフォルトである

日本の滅亡すらヒトの側の都合で起こる。



ゴジラは何も滅ぼさない。

滅ぼさないのだ。



そんなセカイを滅ぼさなゴジラと、対策チームは不眠不休で戦っているのである

なぜなら、誰もセカイを救う力なんて持っていないから。

普通秀才の集まりから不眠不休対策を立てても、勝てるか分からないのである

できるだけ多くの協力者を募り、政府研究機関民間企業情報提供し、他国へのコネ活用して、ゴジラを倒す作戦を立てるのである

日本人の持つ力を集結させて戦うのである

それが、セカイを救う力なんて持っていない、普通の日本人達のリアルから



なんのために戦っているかと言えば、仕事として、国民生命財産を守るために戦っているのである

避難すれば命は助かるが、それは今までの生活を全て捨てることを意味する。

セカイの命運に比べて、実に些細な問題だ。

だが、劇中、その些細な問題に対し、

簡単に言うなよなぁ」

とボヤかせるのだ。

その些細な問題のために、命をかけてゴジラに戦いを挑むのだ。

仕事として、国民代表者として。



から、劇中の所々に見られる、主人公演説も、ドラマ的な演出もなく淡々と行われる。

ムードを盛り上げる感動的な音楽も流れない。

聴衆の歓声も、勝鬨の声も上がらない。

リアクションは、少し涙ぐむ程度である

作戦決行直前の演説も、演説の内容は重大であるが、その光景はまるで中小企業社長が朝礼で社員演説するかのような様子である

人類の命運をかけた、ヒロイックな戦いではないから。

自分たち生活の場を守るための、仕事から



こうして観ると、シン・ゴジラ全然エヴァっぽくないということが分かると思う。

ゴジラが現れようが暴れようが、セカイは盤石だ。

それを倒すのにも、優れたリーダー英断の下、日本科学力、工業力、軍事力を集結すれば可能なのだ

冗談みたいなIQ天才もいらないし、自己犠牲特攻必要ない。

国を守る覚悟のなってない、思春期少年少女の出番など、どこにもない。



庵野はどうしてエヴァ映画を作るのを放って、これを撮ったんだろうか。

エヴァセカイ系物語である

少年少女意思決定が、そのまま人類の滅亡を引き起こしたりする。

そういう話の持つ面白さは、そういう面白さとして存在するが、きっと庵野はもう飽きたんじゃないだろうか?

それより、ヒトの社会の営みの豊かさ、力強さに惹かれてるじゃないだろうか?

ゴジラときじゃ、俺たちの社会は滅ばない!」

そう言いたいんじゃないだろうか?

物語の全編から、もうセカイ系なんてやめよう、エヴァみたいな物語なんて作るのやめよう、というメッセージが伝わってくる。



だというのに、演出だけ見てエヴァっぽいの大合唱では。

そりゃ同じ人が作ってるんだから、同じような演出になるのは当然だろう。

それがクリエイターの持ち味なんだから

上っ面ばかり見て、どうこう言われて、庵野も気の毒だね。

2016-08-06

それ「特攻」じゃない

シン・ゴジラ」で、ゴジラの口に凝固剤流し込む作戦を、安易に「特攻」と呼ぶ人がいるみたいだ。たとえばhttp://anond.hatelabo.jp/20160806000729

だがそれは違うと思う。「特攻」というのは、単なる「イノチガケ」とか「命知らず」という意味じゃない。自爆テロだ。つまり、生きて帰ることを前提としない攻撃作戦であり、作戦成功=死であるような計画のことだ(そうでなければ別に特別攻撃」ではない。どんな作戦だって、程度問題で大なり小なりイノチガケなのである)。「特攻」が「特別なのは、それがそもそも質的に異なる作戦からだ。現世利益的、合理的には到達しえない境地、死を越える価値に身を委ねる狂気しか越えられないところにそれはある。非人道的狂気しかいいようがない。最高の結果において実行者の死が予定されている。人命をただ道具とする最低の作戦。それが特攻だ。



それは、確実に死ぬ人間がやる「捨て身の攻撃」とも少し違う。どう見ても助からない傷をおった兵士爆弾を抱いて敵陣に突っ込む…みたいな。それは、敵を巻き込んだ自殺であり、一種安楽死ともいえるだろう。そこに悲壮はあって非合理的判断はない。むしろ自殺というごプライベート行為さえも合理的活用しようという意思であり、冷静な計算で十分たどり着く境地に過ぎない。たとえば、もう圧倒的に不利な状況において、圧倒的に不利な条件を背負った人間が、予想を越えた捨て身の自己犠牲行為により突破口を開くというのは、たぶん合理と非合理のギリギリラインではあると思うが、それでもやはりそこには「どうせ死ぬなら」という前提に基づく合理的判断があるには違いない。



しかし、「シン・ゴジラ」のどの部隊、どの作戦も、極めて危険作戦ではあるとしても、最大限に人命を尊重してた。「生きて帰る」ことを前提に、「可能な限り誰も死なせないように」作戦立案されていた。たとえば突っ込むのは無人機、無人列車であるし、凝固剤注入でも(実際の原発事故でもそうだったが)コンクリートポンプ車を使っていた。被爆した車両を念入りに洗浄する光景もちゃんと描写されていたはず。「シン・ゴジラ」のどのシーンでも、決して無駄に人命を軽視した「特攻」的な作戦は行われていなかったはずだ。彼らのうちの誰もが、置かれた状況で最大限「日本的」に「合理的」にふるまっていた。死を覚悟する場面でも「生きて帰ろう」としていた。要するに、我々一人一人と同じように、淡々と「仕事」をしてた…というのが、あの映画の核心だったと思う。

『(特攻する)ヒーロー』なんてあの映画には一人もいない。誰もが生きるためにただ「仕事」をしている。

それが、あの映画キャッチコピーにある「現実」の私たちの戦いなのではないか。「ゴジラ」は虚構であっても、あの映画に描かれた「戦い」は決して虚構ではないと私は思う。

2016-08-05

シンゴジラ最高に素晴らしいが、しかしフクイチ原発は…(ネタバレです)

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

自称中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。

(あたしも10年前の20代の頃はてなサブカルおじさんが怖かったからねw)

シン・ゴジラは「日本実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが

この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。

(今後町山・宇多丸あたりから出てくるかもしれんが)

まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。

ドラマ人間が描かれていない」という批判がありますが、

日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?

民族イデオロギー宗教対立のない日本殺人を含む強烈なDISの激突による止揚

「個人のエゴイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では

欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます

そこで庵野監督です。庵野監督人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。

機械組織ようなもの機能的に動く

電子回路ニューロンのように情報錯綜し、通電し、組織機能する」という

描写」に焦点がいくような人間だと思います

(例えばオネアミスロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、

さまざまな人間連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス岡本喜八沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北

というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。

通常は連携を2、3回で終わらせるところを、

7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携スピード高速化する、

すると人間が居なくなり「連携のもの総体」が残るのです。

それはもう壮大な音楽リズムを鑑賞したようなものです。)

それが今回は最高に上手く行ったと思います無駄人間ドラマを省き、人の群れを

部品オブジェクトの群れ」として描いたのです。

通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。

とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。

ここから批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)

シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災

そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています

2016年に公開する映画であり、ゴジラが大災害のもので、

原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。

・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)

放射能を撒き散らすシンゴジラとフクイチ

・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ

自体収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ事態収集のため米軍が介入しようとするフクイチ

シンゴジラとフクイチは冷やすと止まる。

シンゴジラホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊

フクイチに突撃ホースを突っ込んで冷却する消防

まあとにかくシンゴジラは「動くフクイチ」なんです。

だったら何が問題かというと、シンゴジラでは

自衛隊ゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。

これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊特攻させれば

チェルノブイリにはソ連政府兵士特攻させています

福島土地は助かったかもしれない。でもやらなかった。

自衛隊員の命」と「福島土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。

良くも悪くも戦後民主主義判断なんです。

そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。

いや個人的には私もそういう全体主義の魅力や、

自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。

正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。

いや絶賛しかできないんです。選択肢がない絶賛。

その特攻庵野監督はやった。しか恐ろしいことにあっさりと。

(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」

ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。

おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/

この冷徹決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。

こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)

これは政治的意思表示と考えていいと思います

「当時の日本政府シンゴジラを冷やすために

特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊特攻させるべきだった。」

という政治的意思表示です。

みなさんはそこはあっさり賛同しますか?どうなんでしょうか。

そこはちょっとみなさん悩んで欲しいですよ、いくらなんでも。

そして最後日本政府シンゴジラの凍結に成功します。

まりフクイチの凍結に成功するわけですが…

実際の日本政府どうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?

成功してませんよね。いまだに汚染水を流し続けています

からすると今回のシンゴジラ演出エポックメイキングであるとともに、

「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえしまうんです。

(昔よくあった「第2次大戦日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)

このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます

いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。

仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。

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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。

実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが

そこに踏み入れた自覚はないかもしれません。

開き直りがあれば、それで議論の糸口になるのですがそれもなさそう。

そういう自覚のない選択が一番怖い。)

戦闘機オタク左翼宮崎監督のような葛藤は…きっとなかったような気がして。

2016-08-03

https://note.mu/ohanhan/n/nb4c6e4657b25

是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて

1)現実(日本)VS虚構(ゴジラ)のキャッチコピーについて

この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。

まり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。

作中でも語られる通りに代替可能キャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。

さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。

(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊日本中が集結)

シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界シンジ綾波笑顔に集約されてしまう。

熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。

感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。

それを「ないかダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。

そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりもったいない

2)キャラクター家族について

兄弟恋人家族。当然いるだろう。

矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。

だが本作で書かれているのは理想国家であり、登場するのは理想公務員たちだ。

ゴジラが本性を発揮し、津波地震原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、

言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災原発事故対応する日本国家だ。

から彼らには徹底的なリアリティ必要とされ、ストイックさが求められる。

悲劇に立ち向かうたびに恋人電話して、励まされて頑張る、だとか

田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの

よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員からだ。

書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。

「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動安易ナショナリズムを刺激し、

また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ

それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。

詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。

3)スクラップアンドビルドへの違和感

震災直後のテレビ報道を見てもらいたい。

朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン

街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。

バラエティ番組自粛CM自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者行方不明者。

確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手同調する人は多かっただろう。

だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、

悲しみは絶え間なくやってくる。

そういった中で明るい展望見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。

また繰り返すように、本作は理想国家公務員たちが作り上げた理想災害対処である

4)作戦微妙

「うまくいくのかいかないのか」は勿論重要煽りポイントだ。

書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。

対立相手作戦説明

→②主人公が対案説明

→③話が折り合わず決裂。主人公が対案を実行に移す

→④予期せぬアクシデントが発生する

→⑤とっさの機転で切り抜ける

→⑥無事に悲劇回避する

→⑦対立相手に認められる

が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。

まずは②にあたるものが本作にはない。作戦目的以外、つまりどう実行するか?の点について、

本作では最後まで伏せられている。

本作では、作戦自体カタルシスなのだ

自衛隊ゴジラ誘導し、

新幹線在来線爆弾としてゴジラにぶつけ、

発破をかけたビルゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。

ビル鉄道に「日本技術力、ひいては日本のもの」を読み取るのもいい。

(今までゴジラ破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)

もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラ東日本大震災と重ねているはずだ。

そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば

読み取り方を完全に間違えている。

本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災メタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と

前半までに否応なしに畳み掛けることで、

本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。

最後

書き手は「私は震災家族を亡くしている」などという設定があれば、

「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもできる」という。

仮に本作がゴジラ映画初体験だったとしてもだ。

上陸した第二形態に押し流される車

・押し潰される団地

炎上する東京

・頻出するガイガーカウンター

・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作

ここまでされても「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、

ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋リテラシー問題だ。

褒める褒められないの視点に立ててすらいない。

問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。

もちろん、書き手否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。

からもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。

映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。

一回で全てを理解してしま自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから

監督が語った「見終わったら、ぜひみなさん議論してほしい」というのは、恐らくそういう意味なのだ

シン・ゴジラいまいちだった派としてシン・ゴジラ批判批判しておきたい

ネタバレがっちり含みますので嫌な人は見ないように。



シン・ゴジラいまいちだった派の全員がこのような意見だと思われるのは心外なので批判しておきたい。

絶賛されている『シンゴジラ』が個人的に58点の映画だったので海に身を投げたい | 二十日・de・おぼーん | note

とにかく登場人物にまったく感情移入できない

登場人物感情移入するつくりではないのだから当然のこと。

政治描写に絞り込むために背景はあえてオミットされていると見るべきだ。

かと思えば「大統領になりたい」だの「総理になりたい」「幹事長になりたい」だの政治的野心をのぞかせる台詞ポンポン出てくる

これはナイチンゲールなどが言う「構成員自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」と同様のことではないかと思う。

政治家は、名誉欲や出世欲、あるいは「国を守りたい欲」といった個人的欲望によって仕事をしている。

それは「人のために働く」ことと相反しない。

あえて「無私無欲な英雄的人物」を描かないことがリアリティを生んでいるのである

現場にいる主人公たちが簡単に「スクラップビルド」みたいなことを口にするのもどうかと思う。

これもつまり政治家という「キャラなのだと思う。

廃墟となった町を前に、ことさらに嘆いてみせるのはニュースリポーター仕事であって、政治家のやることではない。

終わったことは終わったこととして、いかに立ち直るかを考える。

という割り切り、切り替えの早さを描いているのではないか

カタルシスを生むはずのヤシオリ作戦

前段の「感情移入」もそうだが、「主人公には感情移入させねばならない」「物語カタルシスを描かねばならない」という観念に囚われすぎている。

こういう物語だったらこう描くべきだよね、という気持ちが先行しすぎているタイプ批評家であるように感じる。

シン・ゴジラは「リアル政治ドラマ」と「フィクション特撮映画」を描いた物語なのだ

からこれだけ綿密に取材して政治家官僚キャラ作りをしてきたくせに、

フィクション側の画面へ行った途端に「無人在来線爆弾」なんてものが出てくる。

その構造批判こそすれ、ヤシオリ作戦のもの荒唐無稽さに突っ込むのは野暮である

主人公作戦チームってあれだけ人数いるのにマキ・ゴロー博士暗号解読して凝固剤の生産を手配しただけで実は大したことしてないよね

その二つだけでも十分なうえに、ヤシオリ作戦立案したのはあのチームでしょう。

解析したゴジラ遺伝子データから放射能除染できる

あれはゴジラ放射性物質半減期が短かったという話で、ゴジラ遺伝子データから除染できるという話ではなかったと思うが…

全然ハーフに見えない高圧系女子石原さとみが「40代大統領になるのがドリーム」とか言ってるけど、アジア丸出しの顔でなれるわけないだろとか

女性アジア系で若年、というハンディを乗り越えたいからこそのドリームなんじゃないですか。

この人、10年前にも「黒人がなれるわけないだろ」とか言ってそう。

「本当に怖いのはゴジラじゃなくて人間」とか言わすなよ

まったくだ。

ゴジラの造形は最高

腕が小さすぎない?

曲もいいし

冷静になるとああまで過去作をオマージュする必要もなかったんじゃないかという気が。

特撮だっていい

放射火炎以外のCGがしょぼかった…

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