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2017-05-26

腐女子コミュニティは、内輪の論理社会で振り回すのを即刻やめろ

http://anond.hatelabo.jp/20170525174339

あなたたちみたいなオタクコミュニティ

Pixiv小説を上げるのは、全世界に公開したわけではない」

「誰であっても、作者の許可を取らずに作品を参照してはならない」

コミュニティ外部からの接触は許容されない」

コミュニティの心情を尊重し、それを害してはならない」

コミュニティの話し合いと合意(学級会)によって、随時ルールが決定される」

プライバシーを守るとは、法律上プライバシーよりも広い範囲を守ることをいう」

法律よりも、規約が優先される」

「これらをすべて尊重することはマナーである

 人類の誰もが、法律的に正しいことでも、マナーを守らなければならない」

これがさも当然な感覚のようだけど。

こんなものは全部内輪の論理しかありません。ブラック企業メチャクチャな社則と同じです。

普段はそれが成立するように感じても、けっして社会に認められたルールではないことを自覚する良い機会になりましたか

1つだけ。「公衆送信された著作物」ならば、引用を行うことが認められます

そして、あなたたちが消費している作品のうち99.9%は「公衆送信された著作物であることを認識してください。

著作権制度概要

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/naruhodo/outline/4.3.html

限定公開なら未公表著作物だ」というとんでもない洗脳は、この際しっかりと解除してください。

ツイッターの鍵やりますから公表です」というのも無駄です。同じことですから

あなたたちが内輪でどうしようとそれは自由だと思うけど、

内輪の論理があたか社会全体に適応されるように振る舞うのはやめてくれませんか。

追記

なんか界隈見てると「作者が非公開にしまくってて悲しい立命館死ね」って空気だけどさ。

削除とか非公開とか、モチベーションはわかるけど、それ、意味あるのかね。

本件のような引用ホワイトだし、界隈を成立させつつ防ぐ方法は無い。嫌だとしても諦めろと言いたい。

なぜ引用に対する自衛無駄なのか。「公衆」に開かれた著作物ならなんでも引用可能からよ。

公衆」とは「不特定多数または特定多数の人」のことを指す。

例えば、知人にだけ公開するとしよう。すると「不特定多数」ではなくなる。

しかし「特定多数の人に見せること」でも公衆送信になるわけよ。

そしてそれは一般に「50人を超えれば多数」と言われてる。

すべての作家が、50人未満の知人にしか作品を公開しない。そうすれば、引用のおそれはない。

それでお前らの界隈は成立するんか?しないだろ。

知らん奴に意味わからん引用されるぐらいなら一生ホモなんて要らない!!とはならんでしょ。

それに、今回の研究者晒す意図があったわけではない。界隈が「晒された」という感覚を増幅させただけ。

大量の学びを得た研究者は、今後は勝手自重すると思われる。だってもともと悪意があったわけじゃない。

削除や非公開なんて、放射線ビビってヨウ素をがぶ飲みするような馬鹿な真似に見える。

無駄不毛で不健康努力からやめたほうがいいよ。

兄弟なんだから仲良くしなよ」という暴力

折り合いの悪い兄がいる。

どうしても近づきたくないが、それを知った人は「兄弟なんだから仲良くしなよ」と言う。

何故そんなに兄を嫌うのかと尋ねてくる。

何故嫌うのかを考えると、まずは子供時代記憶が蘇る。

兄は不安定子供で、私によく暴力をふるった。

体重移動を伴った張り手を泣き叫びながら私に何度も何度も食わせ、魔法瓶がひしゃげるほど頭を殴り続けた理由は、「私が兄を笑ったから」だった。

恐ろしい兄を笑うわけがない。必死に笑っていない顔を作ろうと努力したが、それでも兄の目には私が笑っているように見えるようだった。

食器を順番にたたき割っていったり、台所から包丁を持ち出してきて親に向けて何か叫んでいるのも見たことがある。

今思えば一時的精神疾患だったのかも知れないが、子供の私には「病気から不安定な時期だからしょうがない」などと片付けられるものではなかった。

私は同年代でも体が小さい方で、兄はどちらかというと大きかったから、年齢差もあり自分にとってとてつもなく大きな生き物が物理的な力を理不尽に奮うことは恐怖と憎しみの対象しかなかった。

兄と同じ家にいる間、私は息を止めるようにして過ごしていた。

まり兄と話した記憶はない。

大学を出て、私は就職のため親元を離れた。

仕事はうまくいき順調な生活をしていたが家族との連絡はあまりとっていないことを少し申し訳なく思っているところに、兄から連絡があった。

近くに来たか食事に行こうということだった。

いい加減子供の頃のことを引きずるのはやめる良いきっかけだと考えて承諾した。

しかし行ってみるとそれは食事の場ではなかった。

そこには彼の「仕事仲間」がいて、長々と彼らの「仕事」の説明をされた。

私の倫理観に基づけば反社会的仕事だった。

彼らは仲間を探していた。

大きな落胆と共に吐き気がして、私はその場を立ち去ろうとした。

真っ赤な顔で追いかけてきた兄が私の二の腕を強く掴んで無理矢理振り向かせたとき、ああこの人はまだ私を大人として尊重していないのだと確信した。

もういいからと何度も伝え、家に帰り、携帯電話アドレス帳から兄の連絡先を削除した。

こういう過去他人に話すことはあまりしない。

せっかく今の兄と仲良くしてくれている人たちに仄暗い感情を植え付けるようなことをしたくないのもあるが、何より過去のことは話したところで解決するものではないし、私はこれを解決すべき問題位置づけていない。

復讐したいなどとは毛ほども思っていないし、謝罪して欲しいとも思わない。

ただ私の自由を、兄に近づかない選択肢を赦して欲しい。

「どうせ何か下らない意地を張っているだけなんだろう」と決めつけないで欲しい。

兄弟は無条件で仲良くするものだと信じる人がキラキラした目で私と兄を近づけようとする行為は、私にとってもはや暴力なのだ

---

憲法改正についての議論が喧しい。

大きな争点は平和条文たる九条のようだが、正直これが改正されようがされまいが、現代世界情勢において日本戦争に巻き込まれ危険度が変わるとは私には思えない。

そんなことより改正案第二十四条の方がずっと気にかかる。

家族は、互いに助け合わなければならない」

その通りだと思う人が一定数いて、この部分はあまり批判されないのだろう。

しかしこれは私にとって暴力だ。

憲法の条文とするからには、下位の法律もこれに伴って制定されることになる。

例えば現状、生活に困窮した者が生活保護申請した場合、その親族に十分な収入があればそちらを頼るよう促されるが、本人が拒絶した場合はやむを得ないとして受給ができるらしい。

(この点が多くの人の感情を逆なですることは、売れっ子芸人母親生活保護を受けてることが判明した際のネット炎上によって示された。)

これに関係する法律改正され、より家族間の扶助を促すための強制力を強めるかも知れない。

老人介護などはすでに個人負担が大きい状態だが、増大する社会保障費の削減のために、より家族負担を増やす方向に倒れるかも知れない。

私は既婚者だが、配偶者が職を失えば私の給与生活していくことになるだろう。

私が職を失った場合にも配偶者が助けてくれるだろう。

これは私たち自分で選んだことだ。

しかし私は兄を自分で選んだのではない。

兄が怪しげな商売で失敗したとき、私の真っ当な努力結晶である金を彼のために割かなければならないのだろうか。

私たち夫婦が不幸にも同時に職を失い、貯金も使い果たしたとき、私は近づくだにおぞましい兄の金に頼らなければならないのだろうか。

私の体験したことは、虐待と呼ぶほどのものではないかも知れない。

しかし世の中には親や兄弟に本物の虐待を受けた経験のある人もいる。

そういう家族をまた無理矢理繋げようとするのか。

虐待があった場合例外とする法律を作ればいい?

虐待とみなすかどうかを誰がどうやって判断するのか。わざわざ辛い過去を掘り返すのか。

審査の結果、紙一重で虐待と見なされなかった人はどうなるのか。

転落しそうな者を救う負担個人に押しつけずに社会全体でケアする仕組みが社会保障だと思っている。

法律が「家族を大切にしろ」と言い出すことは、その逆をいくものだという気がしてならない。

私が考えすぎなのだろうか。

そうならば、憲法の条文に「家族は助け合わなければならない」とわざわざ明記することの意味を教えて欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20170525093945

オタクが突っ込む程度なら別にいいけど、日本弓道組合的な所が「艦これは我々の文化尊重していない。弓道特別セミナーを開催していますのでご招待させて頂きます」って圧力かけたりしてないでしょ

弓道ならぶっちゃけ圧力もたいしたことないだろうけど、黒人協会とかが「我々の歴史を~」って言って無視出来る所はかなり少ないだろ。「大変ご迷惑をおかけしました、全て回収します。次回作には歴史的に正しいマイノリティ様を登場させます」って言わせてるじゃん。

女性宮家の何がやばいか、大河ドラマ『直虎』をベースに考えてみる

民進党女性宮家の創設を進めようとしている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/

ぶっちゃけ、何が問題いまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。

日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である

そして、その天皇家血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である

ここで本質的重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。

なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。

皇室日本において、約2000年続いてきた伝統である

そして、その基本的ルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。

これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性宮家に迎え入れない、ということ。

我々日本人は、このルールを千年以上守り抜いてきた。

そして、その歴史の上にはじめて、現在民主的国民国家象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。

日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。

蘇我藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。

これは、現代日本法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族皇族以外と結婚した場合皇室から離脱すると規定している(女性皇族結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範改正必要になる)。

ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすはいいことじゃん」と思う人も多かろう。

一見すれば、昨今の男女同権思想立場からも、賛同の声が聞かれると思う。

だが、これは現代日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。

これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスク説明したい。

ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。

・・・

ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。

井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。

そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。

ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。

直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。

しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。

そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。

さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。

から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。

しかし、もう一方の政虎は現当主嫡子である。井伊の民にとっては「自分たち象徴」「井伊のアイデンティティである直虎の一人息子が政虎なのだ

これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ

井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。

自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である

政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野物語を受け継いだ人間である

もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。

もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。

虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野ストーリー」あるいは「井伊のストーリー小野編)」に変わってしまう、ということだ。

日本では馴染みがないが、イギリスフランス王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。

しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件黒幕という噂もある。

であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。

さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。

その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地意味するだけのものとなってしまった……。

つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたかなのだ

・・・

皇室女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである

認めるか、認めないか判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。

女性宮家民間男性からまれ子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。

あまつさえ女性宮家が迎え入れた民間男性外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ

その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。

いざその瞬間、女性宮家婚約者を発表したときに、過去現在未来全ての日本人絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。

少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇である

その物語を「日本の象徴」と認めることは可能なのか?

私は、女性宮家の創設には断固反対である

天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。

自分たちにとって、神聖ものを、神聖なままに、尊び、敬う」という我々日本人の心の歴史が「万世一系なのだ

女性宮家の創設とは、過去あらゆる時点における日本人尊崇の念が無に帰す、不可逆の一手であることを知ってほしい。

2017-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20170525205150

恋愛体質じゃない人も、

隠れていっぱいいると思うよ。

私も四六時中誰かと一緒とか無理だわ。

自分気持ち大事にしながら、

相手希望尊重しつつ、

中間点を探っていけばいいんじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

ある意味、一昔前にあった「研究者異民族神聖儀式を見てもいいか問題現代版なのかも。

ほらあるじゃん余所者には見せられないと言われてる神聖儀式だけど、研究のためにどうしても見たい……! みたいな。

たぶん今の人類学では、外の人間が、異文化の人が大事にしてる儀式にズカズカ入っていっちゃ駄目ですよ、ということになってるんだと思う。

ただ厄介なのは、その異文化神聖儀式、昔は山奥とか孤島とかでやってたんだけど、今ワールドワイドウェブで全世界から見れるんだよね。

おたくとか腐女子とかの文化、本人たちにとってはすごい大事もので、外から踏み込んできてほしくないし、自分たち文化尊厳尊重してほしいと思ってるし、ついでに言うと昔偏見さらされてきたという過去もある。だからすごいセンシティブ存在、ああ見えても。

でもそれ、外からはよくわからないんですよね。

外部から見たら、そりゃウェブで公開されてる二次創作小説文芸誌に載ってる小説も同じに見えますよ。実際「自分で読まれたくて公開してる」作品もの。そういう意味では同じですよ。後者引用して分析してあれこれ論評していいものとされているんだから、そりゃ前者に対してもそうしていいと思いますよ。

後者への論評なり分析なりは、「トンチンカン批評言いやがって! くやしい! ころす!」みたいな反応を呼び起こすかもしれないけど、「学者がおれの小説分析するなんてゆるせん!」「身の危険を感じる!」みたいなことはあまりない。でも前者への批評はそう言われてしまう。これ、その文化全然知らない外部の人から見たら理不尽ことなんじゃないかな。でもやっぱり、調査対象から嫌悪・拒絶されるような分析は、やっちゃだめだよね。

研究者の扱える対象は増えているけれど、〈外からはそう見えないだけで実は地雷〉な研究対象も増えていて、そういう対象とどう向き合うか、というテーマなのかなあと思いました(こなみかん

追記

hachi09 でもその異民族にも普通アポイントとるもんでないの? 今回はそれすらないし知らぬ間に素材として調理されたことも踏まえておこなんじゃないのかな…

そりゃ異民族側がメアドさえあれば誰でも見られる場所で誰でも見られるように神聖儀式やってるんだからアポなしでも見ていいんじゃね? と思っちゃうのは仕方ないのでは。

2017-05-24

知性による差別は許されるのか?

個人的には、「バカは黙ってろ」という言葉が嫌いだ。バカバカだと切り捨てる態度がどうしても知的には思えないからだ。

そもそもバカだと思ってしま他人言動は一体どういったものだろう?それは、単に自分意見価値観に見合わない言動だというだけであったりはしないか

そして、バカであれば発言は許されず、知的人達意見だけで物事が決まっていくのなら、それはとてつもない差別主義ではないだろうか?

ここでいう知的な人たちというのは、似たような価値観教養を持った人たちの集まりだと判断できる。バカ価値観の違う人を排除していったら、似たような価値観を持つ人たちだけが知的な人たちとして残るのは道理だ。

しかし、そうして排除した価値観の違う人は本当にバカだったのか?そんなわけがない。価値観が違うというのはそれだけのことであって、知性とは何も関係ない。

まり、「バカは黙ってろ」という言葉は、自分と違う価値観の人を認めない狭窄な態度であり、ただの差別しかないのだ。

ここまで読んで、知的かどうかの境目は科学的・論理的思考ができるかどうかであって、価値観関係ないと思った人もいるだろう。だが、それこそが価値観だ。

では、何が知的な態度なのか?それは、言葉遊びに見えるかもしれないが、価値観によって異なる、というのが答えだ。だから知的かどうかを判断するのに科学的・論理的思考ができるかどうかを使ってもよい。

ただひとつ忘れて欲しくないのは、自分価値観に基づく知性を以て人を断ずるのは差別しかない、ということだ。あなたバカだと思う人にも、その人の知性を支える価値観がある。それを忘れて欲しくない。

平たく言うと、「バカバカにするな」だ。

あなたあなたバカだと思う人は見ているものが違う。その違いを認めることが本当の尊重多様性を作っていくのだと思う。

ワクテカコンボが続いていたので

みんなの意思尊重して続行するね

2017-05-23

エリート女性ステータス収入をずっと握り締めてて換金できてない傾向

いや非婚女性がふざけて言ってるなら別にいい(非婚という選択肢含めて尊重します)けど

そうじゃないのも見たことあるし、その女性弁護士結構ガチっぽい感じで言ってたのよね


自分経済力が将来含めて低い女性からすると

高収入エリート男性を狙う意味はすごくあるし、自然魅力的にも見えてるはず

でも自分経済力がすごい女性からすると

高収入エリート男性はそれほど効用高い存在じゃないし、魅力なんか感じないはず

なのにそうなってない


これは頭で相手を選んでるってことだと思う

自分エリートになるまで頑張ってきた習慣が強迫観念のようになってて

その尺度結婚相手まで選ぼうとしちゃってる

女性エリート街道上ってくるまでにいかに負荷が強いかってことでもあると友に

カリスマエリート女性ほどその負荷から逃れた自由結婚をしないとあかんとおもう


もっと動物的に下半身に任せて選べば

収入自分が十分あるから配偶者に求めるのはそれ以外、そうだ!若いイケメンがいい!」みたいなそういう選び方になるはず

頭で考えた理由エリート負荷だとか世間体とかがそうさせてない


エリート男性エリートステータス収入を「換金可能財」としか思ってなくて

からさっさと取引通貨にかえて若い綺麗なお嫁さんを探してるのに

エリート女性エリートステータス収入をずっと握り締めてて換金できてない感じ

っていえばいいのかな

http://anond.hatelabo.jp/20170523151527

2017-05-22

天皇政治利用」を巡る大いなる欺瞞

政治的発言をする日本人右翼左翼のどちらかである」という暗黙の前提に基づいて、

左翼天皇政治利用している」と右翼は主張している。

しかし、大多数の普通の日本人天皇陛下を敬い、天皇陛下言葉尊重すべきだと考えている。

その事実不都合から右翼普通の日本人左翼扱いした上で天皇政治利用だと非難している。

もし今上陛下が(あり得ないが)安倍政権に都合のいい言葉を述べたのなら、

右翼はそれを錦の御旗にするし、そのことについて歯止めを掛ける動きなど絶対右翼の中からは出てこない。

要するにネトウヨ調子こいてんじゃねーぞこの野郎

2017-05-21

ていうか今の男性セックスが下手なのって女性尊重するようになったか

それでセックスの回数が減ってどうしても経験の機会がないんだと思うんだけど

しろいいことじゃないのか

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519152221

自分他人の願望が一緒くたになっている、他人との境界線が分からない人間あるあるすぎて笑える

狙ったんだろうけど、天然でこういう文章書く人も世の中にはいから怖い。


出来立ての温かいご飯に求める温度がこちらと旦那で違っていて、旦那の方が少し低いらしいけど、

湯気が出ないレベル~室温まで、どの温度でもいいと何度説明しても温かいご飯が食べたいことにする。

せっかくのご飯が冷たくなっちゃう。

冷たくていいのに、嗜好の違いを認められない。

冷たすぎることはないとか常温で良いとか出鱈目な言い訳ばかりする

出鱈目ではない、心の底から欲求なのに、他者欲求勝手に決めつける。

けど、まさか夕飯を室温で出す訳にもいかいか

室温で出していいのである

冷めすぎたらまた温めなおさなきゃいけないし、

そんな必要はない。冷めすぎたままでいい。

熱すぎず冷たすぎず丁度良い温度にするなんて手間が多すぎてそんなことはとてもできない。

冷たすぎの彼方、室温まで吹っ切れていい。何なら増田冷蔵庫に入れたままでもいいんじゃないかな?

最近は夕飯には冷めても食べられるものしかさないようにしてる。

世の食品の99%は冷めても食べられる。一人で勝手ハードル上げてるだけ。

せめてご飯だけは温かいものをと思って、

から湯気が出るほど熱くない~室温まで、どの温度でもいいと何度も言っている。頼むから温かくしようとする努力をやめてくれ。

仕方がないから保温を切って少し温度を下げてから出しているけど、そうすると嫌がらせみたいにこちらに食事を準備させてから時間ゲームとか関係ないことをして、冷めきってから美味しくないご飯を勝手に食べてる。

味覚の決めつけ。嫌がらせしているのはお前だ。いや、こういう思考の持ち主は善意なら嫌がらせじゃないと言い張るんだろうが。

食事の温度へのこだわりは異常で、

確かにこだわりは異常だが、実現するのにかかるコストはとても低い。

コストで済んでいる異常な拘りを尊重し合えないなら夫婦危機かもしれない。

休日は俺が料理するとか言ってお米の研ぎ方も知らないくせに勝手に台所に立ってる。

ここはギリギリセーフ判定かもしれないが、大抵「お米の研ぎ方もしらない」は誤差程度に研ぐのに使う水の量が多いとか、とぎ汁が少し濁っている程度でちゃんと研げている。

でもいつも水が少し多すぎてお茶碗に潰れたご飯粒が残るし、しゃもじで起こしたあと保温を止めちゃうからご飯がいつも冷めてておいしくない。

最後だけは多数の同意をもらって締めようと、夫の気の利かなさを盛るパターン事実ならさすがに夫が悪い。これは擁護できない。

増田なら多分食器も洗うし、炊飯器は保温にするだろう。

人間人権よりも猫の人権尊重しろと訴えるキチガイには相応の対応をするしかないでしょう

http://anond.hatelabo.jp/20170519024450

俺は、あったかものはあったかいうちに食べるほうがおいしいと思うぞ。

それを難癖付けて、冷たいほうがいいって言ってる。

「~の方がおいしいと思う」はお前の1感性であって、それはお前の中で尊重されるべきなだけで。

他人のお前と違う意見を「難癖」って言うのは頭が悪いバカだな。

別に食い物の話に限らず。


お前は、冷たいものが、ぬるいものうまいんだな?

熱いものは熱いだけで全否定で。熱いというだけで。

お前は、冷や飯食っとけよ。一人で。

でもな、冷や飯は、熱々に熱したから、そこにあるんだぜ。

なんかいいこと言ってる風だが

例えばお前もそうめん冷やし中華は冷たいの喰うだろ

あれらも熱してから冷ましてるわけだが…w

内容のないコミュニケーション

いまさらながらで申し訳ないが、決して馬鹿にしているわけではない。むしろ尊重するし、内容のないコミュニケーションを難なくこなしている人を尊敬すらしている。

内容のないコミュニケーションは、お互いにナイフを投げあってやり取りしているように見える。だから、「こう来たら、こう返して、・・・」と考えているようではナイフが刺さりまくって全身血だらけになってしまう。あるいは、投げ方をちょっと間違えただけで致命傷に近い傷を負わせてしまう。いや、正確には「追わせてしまったことがある」。

から内容のないコミュニケーションが行われているときは、羨望がちょっとだけ混じった生暖かい目で眺めている。

「ほら、楽しいよ?」とか言ってこちらにナイフを投げるようなことは決してしないでほしいし、「どうした?投げてみ?」とか言わないでほしい。

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

夫婦円満秘訣なんだって

https://togetter.com/li/1111223

夫婦関係円満に続けていく秘訣を描いた漫画に「これ大事」「人間関係全てに使える」


妻は他人だろうか??そうかな?

自分自身じゃないし、僕の母親でもないが、他人じゃない、家族だ。

・・・単に言い方の問題なのかもしれないけど。

「妻だからXXして当然」とまでは思わないが、

「妻だからXXしてほしい」事も、

「妻にだからXXしてあげる」事もたくさんある。

だってそもそも人生の良いことも悪いことも分かち合うために結婚して家族になったんだから

お互い家族として、夫として、妻として、父として、母として、

果たすべき責任というのは確実にあって、それを相手放棄した時は戦争やむなしじゃないのか。

ただ果たすべき責任が何なのかという感覚一方的押し付けずに、

すり合わせていく事が相手人生尊重する意味大事だとは思う。

単に「妻(夫)とはい他人から求めない

と言うだけでは、楽だけど家族は成り立たないよ。同居と変わらない。

面倒くさいけど責任を負い、責任を負わせる。

それが結婚するって事で、それができる相手結婚すべきじゃないだろうか。

うそう、一応うちは結婚7年目、子あり。まぁ円満ですよ。


・・・


お、なんかトラックバック?があるな。

では追記。


うーん、正直いって一度も喧嘩が発生しない事が正しいとは思えないし、

その理由が「妻(夫)とはい他人から」というのも納得いかないなー。

対象となる関係性を「恋人」「友達」に拡張しても

やっぱり同じように納得いかない。

知り合いか友達友達から恋人恋人から夫婦に変わるたびに

「だからしてほしい」事も「だからしてあげたい」事も増えるよ。

それは否定すべき事かな?

だって、そうでなければ知り合いのままで十分じゃない。

求めて、応じてもらったりもらえなかったり、

求められて、応じたり応じなかったり、

それで喧嘩する事があってもいいと思うけどね。

そうやって測っていく距離感というか、

ウェットな部分こそが夫婦の、恋人の、友達

関係性の本質」じゃないの?


と、いうわけで

円満でいるために最初から目見当で「他人」のラインを引くのは本末転倒というか。

秘訣だと言われると??となるなーやっぱ。


・・・


うーんまぁもうちょっと付き合うけど。

記事では

相手は妻だから○○を要求する権利がある」

という考えは危険、って言ってるじゃない?

でも僕はそれがなかったら単なる知り合いと変わらないと思う、という話。

しろそれこそが関係性の本質じゃない?と。

勝手要求相手にぶつけないために「他人」の線を引くって、

そりゃ本末転倒じゃないの?と。

そこがメインの主張なわけ。


「してあげたい事」だけで成り立つ関係なんてあるかな

程度の差こそあれ「してほしい」事をぶつけ合える関係

友達恋人夫婦なんじゃないの?


記事は妻と言えど「他人」と意識して

自分勝手な期待を抱かなければガッカリイライラもしないし、

良い事だけ感謝できる。っていう風に僕はとらえた。

僕は、自分勝手に期待して、ガッカリして、イライラして、

相手に伝えてしまう方が人間らしいと思う。

それで喧嘩になってしまう事があっても良いじゃない。

分かり合うためには必要なことだと思う。

まぁ喧嘩のあとで自分か、相手か、両方かが歩み寄れるなら、だけど。


要求平行線なら別れたらいいよ。

折り合わないことを確かめもせずに十年も二十年も過ぎてしまうより

ずっといい、という意見

2017-05-17

報われないJr応援している

9年連続出演、とても名誉なことだと思う。

でも、本人が9年連続出演といっても、いくら媚をうっても、一番に尊重されるのは他のグループ

同じグループメンバーも何度も出演しているのに一人だけ引き抜かれ出演。(発表当時)

仕事があることはいいことだけど、結果として楽しさ以外の感情が湧き上がることの方が多かった。

演目の中でも一人芝居で舞台を任されたり、座長の右腕として一目置かれる位置にいた。

だけれども新曲をもらえるのは他のグループだった。

そしてその紹介をしていたのは一番長く支えてきた彼だった。

仕事がある以上は幸せな事と思い、劇場に足を運んだが、結果、9年も支えてきたのはなんだったのかと悲しくなった。惨い。

舞台於いて、彼は駒でしかないのだなと感じた。

新しいグループになってからというもの、それだけでデリケートになっているというのに、

社長がつけた名前ではないわ(知名度・発信力がある人がこういう発言をすることは本当にやめてほしい)、グループ単位での仕事はないわ、一人だけ引き抜かれての舞台出演だわ、一体この先本当にグループとしてやっていけるのかと不安に思っていた。

他のグループ雑誌発言等で炎上のようになる度に、彼らの方が実力があるのに、と思い過敏になり疲弊していた。

ラジオに出演した際、今後は俳優を中心に進んで行きたい、と話していた。

少なからグループに関することを話すと思っていただけに驚いたし血の気がひいた。

グループのことはどうでもいいのだろうか…と周囲が落胆している様子もかなり辛かった。

いつもファンが知りたいことを100点満点で発信することが多いだけに、過剰に期待してしまった所はあったが、

今のこの時期にあんなことを言われると自分の事だけしか考えていなかったのだろうか、と疑心暗鬼してしまうのも無理はないなと思った。

そもそも、お前は芝居で行けなんて尊敬している人に言われたら否が応でもその道に進むに決まっている。

過去にお前は二枚目は無理だから三枚目で行けと言い、現在壁にぶち当たっている某氏を見ている為、非常に心配しかない。

(そして笑いのセンス昭和なせいか、私はみていて全く面白く感じない)

舞台の中でも、私は2幕が面白く感じずに辛かった為、今後は笑いを取り入れるなら時代にあった物をお願いしたい)

それでも座長尊敬し、ひたむきに努力し、その成果を舞台で十二分に発揮している姿を見ると、ファン勝手なしがらみで歩みを止めたくないと辛くなる。

私が過敏になっているだけであってほしい。

そう思いながらグループ全員が揃う5/26を待つばかりである

http://anond.hatelabo.jp/20170517133329

まあ痴漢被害を、東京で暮らす上での避けられないコストだと割り切ってまさぐられているのならば、それはひとつ生き方として尊重せねばなるまい。

現場意見

現場意見尊重」するあまり拠点毎にやり方がことな

効率化している現状

ボトムアップしろはいうが、ボトムはバカなんだから

トップ手綱を握らないとダメ

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516144836

自分のことを振り返ったのでセルフトラバ

私たちは「手を繋いでもいい?」「繋ぎたいなら」で手を繋ぎ、「遊びに行きたい」「行きたいならどこかに行こうか」で遊びに行き、

「したいならいいよ?」でキスをして、「したいならいいよ?」でセックスをして、

私たちって付き合ってるの?」「付き合ってることにしたいならいいよ。」で付き合い始めた。

結婚したいならしようか。」で結婚して、子供が欲しいならそれ自体に反対はしないけれど、

経済的自分は今以上に稼ぐのは厳しいだろうし、どう考えても苦しくなるがその覚悟はある?といったことを答えた。

一緒に生活するうちに精神を病んで体調を崩した妻が一時別居して実家に身を寄せることを提案してきたとき

「君の体調にとってそれがベストだと君が判断するならそうすればいいと思う。」と言った。

しばらく経って、「電話してもいい?」「したいならいいよ」といったやり取りを経てかかってきた電話で、

住民票実家に移したいと言われた時に、税金や保健料などの心配事をいくつか並べ、

「君にとっていくら金銭的な不利益が発生すると思うけれど、私の方も体調を崩していて金銭的に苦しいのであまり支援はできない。それでいいなら構わないよ。」と返事をした。

「それだけなの?」と電話口で突然泣かれたので、

吃驚して「君が体調面を重視して考えた結果を尊重して、見落としている可能性のあった金銭面の心配をして、他に何があるの?」と尋ねてしまった。

「寂しいとか!一緒に暮らしたいとか!!」と泣き喚かれた。

私には残念ながら、なぜそこでそういった言葉が出てくるのか理解できなかった。

理解できなかったのでかなり混乱したが、自分にわからない力学が働いて彼女の機嫌が変化するマズい流れであることだけはわかった。

これまでの経験から彼女が何を考えているのかを必死想像した。理由はわからないが恐らく彼女は寂しくないという答えは望んでいない。

「もちろん一緒にいられないことは寂しいが、それは私の気持ち問題なので今は何の関係もない。大丈夫だ。」

「(私の精神状態を)心配してくれているのなら、今のところこちらは一人でもなんとかやっている、本当にダメそうならSOSを出すから安心して欲しい。」

「それよりも君に早く心身ともに健康になって幸福になってほしい。そのための別居なのだろう?」

結局、自分気持ちを上記のように率直に伝えることしかできなかった。

納得していない様子の彼女はしばらく黙って泣いていたが、私はそれ以上言うべき言葉も見つからなかったので黙って待った。

「わかった。ありがとうおやすみ。」「おやすみ。」

彼女の求めているもの彼女重要だと感じていること、なぜそれを大切だと感じるのか、

その辺りの事が私にはまるでわかっていないようだという雰囲気だけはわかったが、それがどういった感情の動きによるものなのかはまだよくわからない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516174601

まあ、例えウチのおばあちゃんのように無気力になる方向へボケてもどっちにしろ悲しいよ。

ついに孫である俺の顔さえ分かんなくなったときは何のために老人ホームに足を運んでるのか分からなくなったからな。

結論からいうと安楽死必要だし本人の意思尊重するべきだと思う。

老衰餓死)に救急車呼ばないでほしい。

死にたくないと思うのはそりゃ生物として当然だけど

自分最後くらい綺麗に死にたいと思うのもまた人として当然の感情なのを認めて欲しい。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

追記(2017年5月20日)

はてなブックマークの数が伸びまくって、これほど反響があったことに驚きました。

補足解説を書きましたので、詳しいことはそちらをお読みください。↓

http://anond.hatelabo.jp/20170518235031

ほんとに歯がゆくてムカつくのは、良識ぶったリベラルの奴らだわ。

  

女性ハイヒール強制するのがダメなのであって、ハイヒール自体に罪はない」

「本人が好きでハイヒールを履くのと、社会からそれを強制されるのは違う」

とかなんとか……。

  

お前ら、いい加減にしろよ!

そんな生ぬるいことを言っていたら、マナーなんて変わらんっつーの。

法律ハイヒールを厳しく規制して、公共の場所で全面禁止にするぐらいの対策をとるべきだ。

  

  

  

ちなみに、筆者は男である

男だからこそ、「ハイヒール全面禁止しろ」と言える。

  

一方で大半の女は、「ハイヒール強制は嫌だ。でもハイヒールを履く自由がほしい。だって美しくなりたいもん」という矛盾まみれの思考をしている。

化粧についても同じこと。

強制されたくはないが、それをやりたくてたまらない」というのが女に特有思考なのだ

  

これが男がスーツ強制されているのと根本的に違う点だ。

女はファッション流行にまどわされやすく、オシャレにうつつを抜かす馬鹿なのである。だから自分から好んでハイヒールと化粧を選ぶし、結局それを手放せなくなって不平不満を言い出す。

  

女の願望とは、「自分自身のために美しくなりたい」というものであるらしく、その主体性尊重するのがリベラルだったりフェミニズムだったりする。

だが、私はそれを尊重してはいけないと思う。それは政治的に正しくない願望だ。

化粧もハイヒールも、女性を縛り付ける旧態依然とした差別である。そのようなファッションをすることは、本人の意思がどうあれ、女性差別正当化するというメッセージを持つ。

よくあることだが、これは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定してしまう、という現象である

女性本人の自由意思にもとづくならば、彼女女性差別を喜んで享受する自由があるのだろうか? これは難しい問題だが、我々はこういう類の「差別を受ける自由」を無邪気に擁護してはならない。

  

なので、どうしてもハイヒール・化粧をやりたい女性は、プライベート時間にそれを楽しめばよいと思う。

もちろん会社官庁ではポリコレ配慮して、差別的ファッションであるハイヒールと化粧を全面禁止にするべきだ。

そしてついでに、できればいっそのこと、女性たちは男と同じ程度の短髪にしてもらいたい。

女の特徴であるところの、あのチャラチャラした、あのナヨナヨした格好を改めるべきだ。女にああいう格好をさせる文化風習こそが女性差別であると思う。

まずは外見から男と同等にならねばならない。むさ苦しい姿になることで、威圧感が増してナメられなくなるし、はじめて男女平等を達成できる。

  

オシャレの放棄、これはおそらく当事者である女たちが最も嫌がることだろう。

しかし、政府の主導で、上から強権的に改革するべきなのである

  

(※現実感のない話ですが、筆者はわりとマジメに主張しています。)

http://anond.hatelabo.jp/20170515181109

結婚したいならするよ?」と言ったら泣かれた

彼女とは付き合い始めてから1年ちょっと現在同棲をしている。

自分サラリーマン彼女引っ越してきたため仕事はしていない。

自分1人である程度収入に余裕があるため、彼女にも

「やりたい仕事があったらやればいいし、家事やってくれるなら別に働かなくても良い」

と言っている。

彼女の事は好きだし、ずっと一緒にいたいとも思っているし、幸せにしたい。

でも結婚したいかと聞かれると、どっちでも良い。

自分結婚にさほど重点を置いていない。一緒にいられるのであれば、法律上手続きはどちらでも良い。

ただそれが女性にとって社会的に不利というか、リスクが大きいという事もわかるので、相手が望むのであれば法的な手続きを取る事になんの抵抗も無い。

別に結婚によって自由度が下がるとか、他の女の子と遊べないとか、親戚付き合いが面倒とかそういうのも彼女と一緒にいられるのであれば平気。

彼女が望むのであれば、幸せにしてあげたいので結婚してあげたい。

手続きをしたいと彼女が望むならそれを一緒にやっていこうと思っている。

という考えなのだけど、これを結婚を仄めかしてきた彼女に伝えたらめっちゃ泣きわめく。

結婚しても良い」じゃなくて「結婚したい」じゃないと嫌だ。

私は「結婚したい」なのにあなたが「結婚したい」じゃないという溝が凄く辛い。

あなたは私が「結婚したくない」「どっちでも良い」なら結婚をしない事を選ぶ。(その通り)

2人が「結婚したい」じゃないのに結婚するなんておかしい。

そんな人とは結婚したく無い。(でも結婚はしたいと言う)

結婚」は家族になるという特別な事。

結婚」しないで一生一緒にいられる、という考えが理解出来ない。

みたいな感じで泣きながら責められ続けて正直辛い。

自分にとって結婚はただの国が決めた制度で、紙一枚出すだけという認識

彼女にとってはもっと特別な物という事はわかる。だから、それを尊重して「したいならそういう手続きもする」と言っているのだけど

「それだと私だけが我慢していて、私だけが苦しい」

みたいな事を言う。

自分はどうしたらいいんだろう。

たぶん「気が変わった。結婚したくなった。結婚しよう」と言えば済む問題だとは思うのだけど、本当に結婚という制度どうでもいいんだよなぁ。

追記

>ID:zeromoon0 多分増田はわかってないと思うけど「したいならする」という言葉には(僕は別にしたくないけど)という意味が入ってる。「行けたら行く」と同じ。

実際のところ自分結婚別にしたくない

相手がしたいのなら、嫌では無いけれど

2017-05-13

自分左翼右翼かわからない

自民党は気に入らないけど、野党も任せられないので、選挙では与党以外に入れつつ安倍政権の持続を望んでいる

軍備は国防のためにするべきだけど、不要危機感を煽ったり、武器を売って商売にしようと考えるのは嫌いだ

拳法は古くなったので帰るべきだと思うけど、自民党改憲草案ではとても話しにならないと思う

中国共産党は気に入らないけど、中国国民文化尊重している

トランプは気に食わないが、ビジネス的なやり方で政治を行う先に何があるかは興味がある

女性LGBT権利尊重されるべきだし同様に不当な差別を受けている男性権利尊重されるべきだと思う

僕は右翼ですか?左翼ですか?教えてください

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