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2017-03-29

東京電◯大学だけはやめておけ。

高校以下の授業と、微分も出来ない学生たち。

授業は微積分やベクトルなどの数学基礎、高校でもやらないような物理の授業など。クソみたいなレベル教養学習をまずは受けさせられる。

さらに酷いのが、そのレベル教養から教育スタートしているクセに、急に教授講義バトンタッチし一丁前な指導をやり始め、無駄に厳しい評価基準によって学生の何割かが留年してしまう。

受験に数3が必要なかったり、センター利用なら落ちるほうが珍しいと思えるほどボーダーラインが低くく、「本当に義務教育受けた?」といった人間キャンパスは溢れている。

何か話を振っても、「なにそれ?」「ちょっと分かんない」。ものを知らなさすぎて話がまるで通じない。まともな学習もできず、まともな人間もいない。

ふざけるな。

大学独自設計したポータルサイトがある。要は自作moodle

理工系単科大学として、格好つけて技術自慢をしようと企んだのだろうけど、まるで駄目。

理工系特有デザイン軽視による地獄的なUIや、いちいち書式が違ったり、いちいち新しいウィンドウで開いたり(Macで全画面で広げているとページを開くことも出来ない)で、とんでもない完成度の低さ。

普通に使いたいだけなのに、その普通基準すら超えられない欠陥品。そしてこれにGOサインを出した大学

素晴らしすぎて涙が出そう。

なめてんのか。

伝統にしがみつき、今時、手書きレポートを何十枚も書かされる授業。

実学尊重」を謳っている割には、効率の悪い仕様をやめない。考える時間よりも、作業する時間のほうが長い。

大学側は学生を信用していないようで(無理もないが)、未だにレポート手書きで書かせている。勿論、グラフ・図・表もすべて手書きだ。

目に見える一番分かりやす成果物、つまり『苦労した証』として、手書きレポートが受け継がれていく。

なるほど、実学尊重というのは、学習の実力を伸ばすという意味ではなく、いかにも苦労したように見せかける技術の実力を尊重する姿勢というワケだ。

バカにしているのか。

2017-03-28

高校からの友人を捨てた話

私はこの春地方から東京に出てきた

東京に出てくるまでは不安が大きかったが仕事楽しい毎日が刺激でいっぱいでとてもとても充実している

充実しているからこそ実行できた話

地元にいたらきっとやらなかった

地元にはきっともう帰らない

私の性格には難がある。昔からよく物忘れが酷いし性格が悪い単純に言えば過激なのだ

言わなくても良いことを言うし悪意を向けられるとその相手をとことんまで追い詰める。

一言でいえばめんどくさい。自分でも思う。そんな自分を言いたいことが言える行動力がある人だと

評価してくれる人もいるが、めんどくさい危ない奴だという人もいる。

その後者側の高校からの友人を、捨てた。


高校出会った友人グループがある、私の性格がいまよりもっと悪い頃に出会っている。

よくぞここまで関係が切れなかったなと思う。

こんな私とよくぞ仲良くしてくれたと感謝する気持ちもある。

でもその上で許せない隠していた気持ちがあった。


今に思えば全員と恐らく心から信頼はできないし仲良くも出来ていなかった。

たまたま共通趣味でコアに接していた。個々良いところ悪いところがあった。

ただ問題は私がいじられキャラだったということだ。

何かしら馬鹿にされていた。叩かれたりしても私がガタイが良いし特に問題にもならなかった。

オチ要員なのでたまに大切にしてくれよとも思っていた。

他の場所出会った人は私を尊重して大事にしてくれる。そう対等に扱ってくれるのだ。

からこそ気持ちよく付き合えるし大切にしたいと思う。

去年の末に高校からの友人達で久々に集まりご飯にいった。

美味しいご飯の時間だが友人たちのうち二人はが私のことを非難してきた。

お前はヤバイ、他の人も言っていた。性格が悪い直さないとヤバイ

お前は顔はいいけどそれ以外はダメだ。そんな事を言われた。

SNSミュートしてる。たまに見に行くけどwと

そういえば昔お前のことは嫌いだと言って来られたことを思い出して私は笑った。

さっきその嫌いだと言っていた友人の発言が引っかかった。

なんだかもうどうでも良くなった。

私でない誰かに言ったのかもしれない一言に何故か私は動揺していたからだ。

また嫌われたかもしれない。そんなことに近いことを思っていた。

健全ではないと思った。

地元にはもっと私を大切にしてくれている人は他にる。

その人達自分の汚い部分もっとコアな話全てさらけ出せている。でも高校からの友人にはできないままだった。


今までありがとう。主に苦手だったのはリーダーの君だ。

嫌いだお前はどうでもいいとか言いつつ見てて文句を言ってくるところが一番気持ち悪いと思ってたよ。

たくさん話しもしたはずだし楽しく過ごした時もあった大人になってからお酒も飲みにいったね。

良い思い出もあるし沢山ご迷惑もかけてごめんねとも思うけど根本的にバカにされている事が最後まで許せなかった。

リーダーと仲いいあなた私と二人の時は普通に話す割にリーダーがいるとなんで対応を変えるのかな?二面性が苦手でした。

残りの数人のほうが仲良くできてたよありがとうございました。朝まで遊び歩いた楽しさは忘れません。

一人ずつ遊ぶと普通なのに全員で集まるいじるのあれいめだからな。

苦言を通り越した嘲りに感じていた時点でもう無理です。

地元に帰っても遊ばないし東京にも遊びに出てくる事がないと思うから本当にさようならなんだと思う。

私なんかいないほうがいいでしょ?なんてわたしがこんな事思っていてもすでに向こうにとっては私は過去なのかもしれない。

高校からの友人を捨てた話と書いたけど捨てられているのに区切りをつけたのかなとここまで書いて思った。


私と比べてキチンとした生き方としていると思う友人達より年収が高いくらいが今の私の誇りです。

学歴の謎

http://anond.hatelabo.jp/20170328110939

確かに学歴を重視する人がいるというのも事実なんだけど。それは就職試験を通り抜けるまでの話で、中に入ってから学歴を鼻に掛けたり強調したりした日には今度は「あいはい大学を出た事を鼻に掛けて碌な人間で無い」と袋叩きなので注意な。Fランク大学卒のコネ入社のヤツをバカにしたりしても同じ結果になる。そんなにどうでもいい扱いなら、そもそも気にするなよ!としか思えない。

学校勉強した事、専門を尊重してくれる事も少ないぞ。

極端な愛国心をお持ちの方へ

全てとは言わないが極端に日本大好きな方々、

日本を愛せないなら中国でも朝鮮でも行っちゃえばいい」何ていう方。

だったら言わせてもらう。海外製品使うな。

家電部品はほぼ海外製、パソコンもそう、CPUメモリーHDDipadiPhoneなんてその典型石油食べ物もそう家具も服も低価格製品はほぼ中国製

そんなこと言ってるおたくは全部日本製使ってるんですか?その上で愛国心を唱えてるんですか?

お互いの国を尊重してこそだと思うんです。もっと肩の力を抜いてやっていきませんか? 

2017-03-26

俺は外野人間が好き勝手言うとか権力持ったりしているのが許せねぇ

という訳で書き連ねる




公務員は国に仕えて国民奉仕するはず

団体を作って特定政党に肩入れしたり、政府方針に反発

国に仕える公務員が国に文句を言うとかおかしくね?

土日にデモとかしてんじゃねぇよお前らが休みなんだから国の機関休みだろ誰向けのデモだよ




会社社長、もしくは株主のものお客様から得た利益従業員株主に分配する組織

社内政治派閥闘争

会社利益を稼ぐところだろどうしてそんな暇があるんだよ

その暇は会社がでかくなったからできたんだしお前以外のだれかが数字を稼いだからだよ感謝しろボケ




テレビは(NHKを除き)スポンサーから予算制作、発信される

基本的には無料で見られるTV番組批判

テレビ報道被害受けたんならしゃあないし批判する権利はある

だがタダでテレビ見て勝手に傷ついただの偏向報道だの文句言うんなら見るなよ

ていうかわざわざ文句言うために見るなよちなみに俺はテレビ見ないけどな




仏教ゴータマ・シッダールタ開祖

→後世に創作された仏教経典をそれぞれ独自解釈して広めた人を個人崇拝する

仏教名乗るんじゃねぇよファンクラブだろそれ

シッダールタさん置いてけぼりだろ

経典の書き出しの「如是我聞」(かくの如く我聞けり)の意味ねぇ




…つまり俺は何が言いたいかって言うとだな

「始めた人間」や「それを支えている人間」が尊重されず

俺は外野人間が好き勝手言うとか権力持ったりしているのを許せねぇってことだ




当事者以外はすっこんでろ

いい子でいることを子どもに求めすぎないでほしい。

いい子に育ってほしい、優しい子に育ってほしい、親として願うのは勝手だけれど子供にそれを伝えて親の願望通り育てようとするのはやめたほうがいい。

子どもの頃はそれでいいとしても、大人になって困るのはその子から

自分末っ子で、上の兄弟が手のかかる奴らだったか母親からまり構われずに育った。「小さい頃からあんはいいこで優しくて手がかからなくて、よくお母さんを助けてくれた」って母親は今になっても言う。

けど、ほんとは違う。

当時めちゃくちゃ愛情に飢えてたよ。


「◯◯はおりこうさんだもんね」って言われ続けたから、自分を抑えてでもいいこを演じるしかなかった。それが唯一、上に二人いる自分愛情享受できる手段だと思ったから。

まれに上の兄弟達を見習って反抗しようもんなら、ショックに打ちのめされた顔で「あなたらしくない」って言われてさ。わたしらしいってなんだろう?お母さんはどうやったらもっと私のこと好きになってくれる?って小学生のころからよく考えたよ。


いつも笑顔で明るくて誰にでも親切で、ひょうきんで家族冗談で笑わせて、友達も多いし勉強もできる、親にとってかわいい反抗はしても親の考え方と対立する反抗はしない。そんな空気の読めるいいこを演じてメリットあったのはせいぜい中学生までだった。


堂々と自己主張する人のほうが尊重される社会にでたら、都合のいい扱い方されて磨耗してくだけ。他人から誉められる機会は少なくなるのにも関わらず、他人評価を軸に育ってきたために自己肯定の仕方がわからず、叱られるのに滅法弱い。自分意見に自信がもてない。

社会に出たての頃は上司や同期の人間みんなが自己中に見えた。けど今思えば、自分の頭で考えて自分意思をちゃんと主張してただけだった。

痛い目にあって試行錯誤してきて、やっとのことで、人への気遣いは考えつつも主張するべきところでは純粋自分意見を主張することを覚えた。

ようやく自立して生きてくことを心から楽しいと思えた。



から子どもがいない自分が言うのはおかしいかもしれないけど、いま子どもを育ててる人、これから育てる予定がある人に伝えておきたい。


・その子にいい子でいること、優しくいることを求めすぎないでほしい。子どもはその加減がわからいから、自己を殺して他人尊重することが優しさで、意見しないことがいい子なのだ勘違いしてしまうことがある。いい子でいることを誉めるんじゃく、考え方自体やそれを主張できたことについてレスポンスしてほしい。


・「あなたらしさ」を親が決めつけないでほしい。自分意見と全く違うことを子どもが主張してもがっかりしたり「あんたは全然親に似てない」「橋の下で拾った」とか茶化さず、真っ正面から受け取ってほしい。子ども意見を拾い上げてあんたはこういう子だよねって刷り込みはしないほうがいい。


長くなりましたが、そこんとこどうぞよろしくお願いします。

2017-03-25

http://www.asahi.com/articles/ASK3P7KX3K3PULZU00T.html

道徳教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に変えたという話が割と身に覚えのあることだった。

弊社では人事評価とき企業理念に沿った行動をした」ことを述べた作文をする必要がある。

そのときには企業理念に含まれ単語ベース自分業務との関係を無理やりひねり出して、それを上司に提出する。

検定の話も似たようなもので、学習指導要領に「伝統文化尊重、国や郷土を愛する態度」という項目が含まれいるから、何かしら「国」に関わるもの教科書に含めなければならない。

そのとき和菓子屋」を持ち出せば、「和菓子屋が出るので国や郷土を愛する態度の項目はOKです」と偉い人に説明がしやすくなる。一瞬で説明できる分かりやすさが大事

単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる」とはいものの、誰にでも分かる明確さ・透明性で言えば単語基準にするのは有効だと思われる。

出版社既存の話の「パン屋」を「和菓子屋」に変えただけで検定に通ったことから、実際に単語が重視されていることは間違いない。

出版社としては「国」の項目を埋めるために新しい話を加えるのはコスト的・教科書文字数的に厳しいので、既存の話の語を差し替えるという手段をとったのだと思われる。

教科書とは限られた文字数の中で学習指導要領の22項目に関係する単語を盛り込めるかを競うパズルのようなものだ。その制約下では、パン屋よりも和菓子屋の方が空間効率が良い。

内実よりも形式大事です。

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323162129

研究教育を切り離せという意見がありますが、研究していないと教育できない(特に上位の大学では)ので、研究教育を切り離すのは難しいです。

ただ、事務職員でもできるような仕事教員がやっているというのは確かにそうで、一員としても謎なままやらされています試験監督はその最たるもの

文章作成したり校正したりという作業は、事務職員の基礎学力があって、文章推敲ができるレベルならよいのですがそうでない大学では事務職員ができないか教員がやらないといけないのかもと思ったりもします(短大で教えたことがある方はわかると思いますが、短大には日本語がままならない方もおり、でもそういう方が「エクセルができます」とか言って大学職員採用されたりする。)文科省に出す書類は分厚く大量なので、文章の読み書きになれた文系教員でないと作成したり誤字脱字を修正したりというのが難しいようです。教員が見て初めて修正された部分がいくつもありました。

事務教員パワーバランス問題もあります。私がいたところでは、事務職員が「忙しくてできない(実際は能力が低くてさばききれない)」と投げ出した仕事教員がやらざるを得ない状態でした。やらないと管理職に「あの教員が働かないから辞めさせろ」と言いに行くのです。

比較偏差値の高い大学で、大学事務職員が卒業生だと基礎学力モラルも愛校心もあり、それほど大きな問題は起きないのですが、いろいろな大学があり事務職員も多様なので、事務能力や意欲の問題からできない(やらない)で教員やらせている仕事結構あるように思います

プログラムとかで短期教員事務職員を雇用してという形で予算が出るので、教員予算をとるための書類書きや事務仕事に追われます事務職員もいろいろな人が雇われるので質もばらつきが出ます文科省予算のつけ方を変えるのが一つの解決策なのでは。

===

コメントが付いたので追記です。

一時私立大で非常勤をし、ある国立大学学位を取り、ある国立大学プログラムで働いていた者の意見です。

東大は~」という意見がありますが、東大とは前提として違うところがいろいろあり、こちらも東大の状況をよく知らないので何とも言えないところがあります。ただ、東大の~研究所でも学部生の授業を持っていたり、院生指導をしていたり学振PDを受け入れたりというのを結構聞きます独立行政法人研究所バイトしていた時もありましたが、そこは研究だけしていたら良いようでいて、意外と他の大学非常勤に行っている人が多かった。教えることを通して学ぶこともあるので、研究だけ、教育だけと分けなければいけない、というものでもないのではと思います教育研究を両方やるのは別に普通だけれど、教員事務仕事生活指導のような雑務を異様に多くやるのが問題なのではと私は思います

事務事務が専門で、教員教育研究が専門なのだから教員事務仕事をやるのはおかしいというのは確かに最もで、本来はそうあるべき(かつてはそうだった)のかもしれません。ただ、現実として、試験監督文科省に提出するプログラム運営必要な分厚い書類を若手が作らされるというのはあり、それを拒否することはできません。他大ではもしかするとそのあたりの事務仕事事務の方がやっているのかもしれませんが、私がいたプログラムでは事務仕事は大量にあり、だれも逃れられない状態にありました。事務の専門を尊重してというのはやってきましたが、その事務専門性も危うく(日本語が危ういとか仕事に対する意識の低い職員が少なからずいる)教員教員の専門を尊重されることはほとんどなかった。若手の教員は次々に変わっていき、「代わりはいくらでもいるんだ」という態度を管理職から事務からもとられていて、すべてを受け入れないといられない状態でした。若手研究者が過多で足元を見られて酷使されるというのはポスドク問題とも関係してくる問題なので、文科省競争させてプログラムお金をつけるという方針であることだけに起因するものではなく、複合的に生じた問題のように思います

2017-03-21

[] #19-1「謝罪謝罪

父が働く会社での話だ。

父の会社にはシューゴという人がいて、この人は会社の顔とも言うべき立場にある。

ただ、この人の言動ヘイトを広めやす性質があった。

大抵の場合はこの人の性質だとして見過ごされることも多いのだが、今回は少々大事になったらしく弁明の場を設ける必要があった。

だが、その必要性に疑問を抱く人もいたのである

当事者であるシューゴさんだ。

はいっても、もはや場は設けられており、今さらなかったことにするのは難しい状態だった。

周りから囲み、そういう状況を作り出さなければ、シューゴさんは世間という漠然としたもの謝罪など一生しないだろう。

父の同僚のフォンさんはそれを分かっていたために強攻策に出たのだが、予想以上にシューゴさんは頑なであった。



「俺にはよく分からない。確かにクライアントには申し訳ないことをしたと心から思っているが、そのクライアントに対しての謝罪と賠償は済んでいる。この場を設ける意味が分からない」

シューゴさんは、別に謝罪すること自体が嫌だと愚図っているわけではなかった。

ただ、わざわざ不特定多数人間に向けて謝る必要性が、彼には理解できなかったのだ。

そんなシューゴさんを、フォンさんは必死に説得する。

シューゴさん。謝罪ってのは必ずしも当事者だけにするとは決まっていないんです」

しかしこの期に及んでも、シューゴさんは頑なであった。

頭を抱えながら、フォンさんは父に目配せをする。

説得を手伝ってほしいのだろう。

だが父は静かに首を振って見せた。

ただ、安易に誰の味方をするわけでもない。

シューゴさんが最後まで頑なであるならそれは仕方ないとも思っていたし、結果として考えを曲げるなら、それもまた意思の一つとして尊重するつもりだったのだ。




「俺は一体、誰に対して、何の意味があって、あの場に立って謝るんだ? そしてクライアントでもない彼らは、一体何に対して怒っているんだ?」

シューゴさん。そんなことはワタシにだってからない。というよりあの人たちも、本当のところは誰も分かっていないんです。分かっていないから怒っているんです。だから謝らなければいけないんです」

「滅茶苦茶だ」

「そうです。滅茶苦茶です。でも、そういう滅茶苦茶なことの帳尻を合わせるのも社会の在り方なんです。その帳尻あわせが“謝罪”なんですよ、シューゴさん。何かをやらかしたら、謝る。それが誰であっても、何に対してでも、謝る必要がなくても、です」

父もフォンさんの言っていることが大した理屈じゃないことは理解していた。

しかし、それでも父はシューゴさんの味方も、かといってフォンさんに追従もしなかった。

それを何度か繰り返すうち、とうとうシューゴさんは折れたと言わんばかりのため息を吐き、それと同時にフォンさんの言葉を静止した。

「もういい。酷い理屈だが、それで納得しよう。だが、覚えておいてくれ。俺は申し訳ない気持ちだとか、そんなものは微塵もない状態であの場に立つ。というより、実際問題そうせざるを得ない。傍目には分からないよう臨みはするが。それでいいんだよな、マスダさん」

はい、それで構いません。あーいう場での謝罪ってのは誰も言わないだけで皆そんなもんです」

こうしてシューゴさんの謝罪ミュージカルが幕を開けた。

(#19-2へ続く)

2017-03-19

Google検索上位表示されるパクリメディアGoogleさんが運営しているの

GoogleWelqアップデート実施して、DeNAパレットペロリも復活していない。

日本インターネッツ平和が訪れた。これでオリジナルコンテンツ尊重されると思った。

が、現実は違った。

そもそも、日本人検索する言葉はそもそも低俗だ。

Google急上昇ワードにはやらかしちゃった人がちの名前があふれている。

しか複数ワード低俗まりない。

今年急上昇の人、清水富美加さん。

更に知りたいことは何と水着。。。「清水富美加 水着」で検索する人が多いこと、辟易します。

そして上位に表示されるサイトがコチラ。

http://pinky-media.jp/I0005489

https://www.youtube.com/watch?v=Bacfy3Uc54k

完全にサーバ画像をとりこんじゃってます

もちろん運営者も非開示。

Googleさんからアホアホマン誘導してもらい、Googleさんから広告収入をもらえるなんて。

運営者はもしかしてGoogleさんなのでしょうか?

2017-03-18

こんな「迷惑」は虚構だと断言できる

2000年代大学生時代、私は妹を含めた家族とともに実家にいた。そこでは携帯電話や家の電話に掛かる詐欺電話宝くじ当選金絡みのカツアゲや不良による大人の園への勧誘辟易していた。

それから時は進み、現在ではこういった集団に対しては社会的制裁が課せられるようになり、プライバシー尊重はより厳格となった。不良が過去帳入りになり、もうこれで文句はない…と私は思っているが、世の中にはとにかくそういった些細な問題を徹底的に撲滅しなくては気が済まない人間がいるようだ。



オタク性悪説」という言葉がある。思考の偏った人間の増加が社会に対する悪影響を引き起こすのだそうだ。

そのオタクが不良連中よりも害を引き起こすというのだが、こんなのは完全なデタラメである。しばしばオタクネトウヨよりも危険という説も語られるが、それなら迷惑順位を付けると以下のようになる。

オタクネトウヨ>不良連中

こんなバカなことがあり得るだろうか? 

よく考えてみよう。彼らによる迷惑が仮にあったとしても、その量は職業不良などにくらべるとケタ違いに小さいはずだ。おそらく数千分の一とか数万分の一とかのレベルだろう。それが「間接的に」社会害悪をもたらしているということは、さら問題レベルは軽減されることになる。

ではそれらの立場の人がどういう問題を撒き散らすか、ここで考えてみる。



オタク = 見てくれにより不快感を覚えさせる

ネトウヨ = 政治的な直接的影響+政治的な間接的影響+見てくれにより不快感を覚えさせる

不良 = 反社会的迷惑行為政治的な直接的影響+政治的な間接的影響+見てくれにより不快感を覚えさせる



どう考えてもオタクが最も悪質などというのは寝言同然におかし理論なのだ。こんな単純な足し算すらわからないのか?

思うにオタクなどという、政治活動家や不良連中に比べたらものの数ではないほどの迷惑を排撃しようとするのは、もうこれくらいしかいじめの要素がなくなったからだ。

タバコ放射線のように閾値のない害だとしても、ここまでのレベルになると、もはや花崗岩の上に立つの危険(花崗岩放射線量わずかに多い)というほどのレベルの話でしかない。

そんなものを狂ったように排除しようというのは、健康論どころか、大衆ファシズムによる自由社会への害のほうがはるかに大きいといえる。

しばしば欧米オタク(とくにアニメドラマ漫画小説日本文化)に関しては狂気じみたヒステリックな主張をしてくる。そしてオタク絶滅させたいと思う人間がこれに根拠曖昧なまま便乗するのだ。まさに思考停止状態というほかはない。

2017-03-17

リベラルが勝てないのは美徳のゆえらしい

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/031500021/

今日見たこの記事みたく、ヒラリートランプ比較典型に、なぜリベラル勢力が支持を得られず、ポリュリストや極右が支持を得ているのかっていう説明にあたって、最近言論ではその理由リベラル勢力が自慢に思っている多様性尊重やら社会正義、洗練された知性みたいな美徳に、ポリュリストや極右が支持を得ている理由を彼らの反知性主義やら田舎臭いアホっぷりや偏狭な頑固さのような悪徳に帰する言論が多い気がする。リベラル勢力は有徳で優れているから負け、ポリュリストや極右は劣悪で悪徳にまみれているか勢力を伸ばしているってことかいな。



何かがひっくり返っている。何かが。

なぜけものフレンズ成功だめっこどうぶつ人知れず終わったのか

テーマ個性尊重)同じ、題材(動物)同じ、ジャンル日常系)同じ

なぜだ、何が違ったんだ

絵柄の違いか?聞けば必ず頭に残るセリフの有無か?

こんなことは許されないこんなことは許されない

宅配運転手ありがとう~とか言うのキモくない?

だって、そのおっさん普通に自己選択決断で、対価を貰ってその仕事に就いてるわけでしょ?

ありがとう~って言う人ってさ、要はキツくて底辺で安い給料仕事をだれかに押しつけているんだ、という自覚があるわけだよね?

奴隷さんが底辺仕事をしてくれているおかげで、優雅に暮らせてるわ~と認識してないと、ありがとうとか言わないよね。

生活人質に取られた哀れな配達員とみなしてるからこそ、

配達員が大変だ~って言ったら、感情移入しまくりで再配達させないようにします!とか言い出したりするんでしょ笑

配達員企業契約問題なのに、罪悪感が湧き出ちゃったんだろうね笑

え、お客様神様ってアホなの?笑単純に対価として契約してる+一人の個人選択として尊重してるだけなんだが?

ありがとう~って言う方こそ、

生活人質に取られて底辺仕事をイヤイヤせざるを得ない可哀想奴隷さん俺の優雅生活のためにありがとう~とみなしてる時点で、

違う形での「お客様神様」をやってるクズじゃん。

炎上狙いとか言ってるやつは自分偏見差別にきちんと向き合えないクズなんだろうなぁ。

育ちの問題とか言ってるバカいるけどさ、むしろ底辺の方こそ底辺に同情することを強いるよね。

ちゃんと育ったら底辺自己選択の結果であり自己責任だとわかるからありがとう~とか言ったりしないわ。

ありがとうという感情を対価として頑張れ頑張れと追い込むクズよりは、チップ制度をあげるのは妥当だわ。

○億ってあのくっそつまらないオリジナリティの欠片もないザコのくせにクリエイター気取ってるイタい青二才的な人でしょ?一緒にされてもね~。

底辺に同情するのは底辺というのはわかるw底辺に同情する偏差値65以上の大学出身者ってめったにいないでしょw

対等・上下関係に至っては個別の事案を抽象度高めて一般化して当てはまらない~とかわめいてるだけのアホだな~w

配達員自己判断で対価をもらってやってる仕事なのに、無報酬善意比較ちゃうとか、

それこそ配達員生活人質に取られてこんな仕事我慢してやってるんだ~とみなしてる証拠だよね。

とりあえずありがとうで頑張れる!頑張れた!という人たちは、やりがい労働感情労働をおしつける社会に見事に飲み込まれてる。ブラック労働を強化する屑だという自覚を持とう。

ちょっと注目集めてて自分が気に食わないか反論できない文章炎上狙いだと思考停止するのが流行りなんですかね~?笑

bfms350 釣られるのも馬鹿馬鹿しい。こんなゴミみたいな記事ブコメするのやめようよ。http://b.hatena.ne.jp/entry/327571442/comment/bfms350

2017-03-16

給料が高いランキングにも出るような会社派遣で働いてたことがあって

そういう会社正社員男性は、失礼ながら「こんな見た目なのに、こんな美人の奥様が?!」と思うような人がいた。

そういう方々はみなさん人柄がとても良いし、どんな立場容姿女性もきちんと尊重できる人だったし、当然仕事もできた。

同じように「こんな見た目で」という人で、結婚できていない人は、

女はどうせみんな金目当てで俺らのこと見てるでしょ、とか言うし派遣社員なら何しても、言っても平気っしょみたいな態度で

なんどもセクハラ懲罰であちこちに飛ばされてたな。そういえば。

恋人の事を思うと何故こんなに苦しいのだろう

彼は一度だって私に「会いたい」と言ってきたことはない。

いつも、いつもいつもいつも、私の方から「会いたい」と言って、

だいたいいつも仕事が忙しい彼が、数ヶ月に1日程度予定を空けてくれて、

私と会ってくれる、そんな交際だった。



お互い30代後半なので、私は彼と結婚したいと思っていた。

でも、相手絶対私なんかとは結婚したいとは思っていないだろうと思っていた。

しかし、この前、なんとなく私の方から「一緒に暮らすなら〜」みたいな話をしたら、

相手も同じような事を思っていたらしく、

結婚に前向きな話をするようになった。



でも、実は我々は未だ一度も性的行為をしたことが無い。

その「結婚」の話が出た夜、

私はなんとか強引にでも肉体関係を結ぼうとしたが、

強烈に相手に拒まれ未遂に終わった。

その日から数週間、彼氏ものすごく冷たくなった。

二度とそういう強引な事をしないって約束してくれない限り、私とはもう会う気が無いと言ってきた。



なんということなんだろう。

結婚の話をしておきながら、何故性行為をしない約束をしなければならないのか。



彼氏との連絡が途絶えた後、

私はセックスレスについて精神医学的な立場から書かれた一冊の本を読んだ。

其処には想像できないような様々な事情で、

性的行為ができない(したくない、怖い、できない)カップル実例が書かれていた。

セックスレスについて治療を受けるカップルはごくわずかで、

さら診療に来た多くのカップルは、治療過程離婚してしまうと書かれていた。



このままでは、もし私が彼と結婚できたとしても、

セックスしたい私と、セックスしたくない彼とで、

やっていける可能性は低い。

でもその本で取り上げたカップルの中には、

奥さんの方からセックスがなくてもいいから、旦那さんと一緒にいたい」

という選択肢を選んだ夫婦もいたそうだ。



この一文を読んだ時、私は号泣した。

セックス好きな人と、果たしてどちらが大事だろうか。

人間なんだから男と女なんだからセックスも含めての男女関係なのではと思ってきた。

でも、一度もセックスしていなくても、

私は彼のことが大好きだ。

彼の事を好きという思いだけで付き合っていた頃は、

楽しい思い出がたくさんあった。

私が「なんとかして彼とセックスしないと」と思い始めてから

どんどん険悪な雰囲気になっていったような気がする。


iPhoneアルバムには、

健全デートをし、健全にご飯を食べる、

楽しそうな彼の写真がたくさん入っている。

私たちには、今まで一度も、男と女関係だったことは無い。

ただただ、友達家族のように、

楽しそうにしている記録だけが手元にある。



でも、その裏でずっと、私はずっとずっと、

彼と男と女関係になりたいと思っていたんだ。

そう思うと、そういういやらしくて不潔な事を相手にずっと抱いていた、

自分が恥ずかしくて醜くて最悪な人間のように思えてくる。

自分が、残虐な強姦魔のような人間に思えてくる。



私は相手の性を尊重できず、

相手の性を雑に扱い、

相手を傷つけた人間として、この世に存在している。


でも、ただ、ただ、ただ、

普通に好きな人と抱き合ったり繋がったりしたかっただけなのに。

相手を激しく傷つけてしまって、

そうして、

大事人間関係が終わってしまおうとしている。



果たして彼は、私にだけ性的欲求を抱かないのか、

それとも他の女性に対してもそうなのか、

何かトラウマがあるのか、

したくないのか、したくてもできないのか、嫌悪感があるのか、恐怖症なのか、

結局何も確認することはできなかった。

怖くて聞けない。

そして、この質問をすることで、

相手が傷ついてしまうのでは無いかと思うと、

耐えられない。



私たちは別れた方が良いはずだ。

でも、好きなのに何故私の方から振らなければならないのだろうとも思う。

相手の方から振ってくれたら楽なのに、

でも相手は何故か振ってはこない。

普通の連絡も無い。

会いたいと言ってくることも無い。

彼は一体私に何を望んでいるのだろう。



しかったデート記憶と記録だけが

私の心を苦しめる。

しかった。一緒にいてものすごく楽しかった。

何故、こんなに苦しまないとならないのだろう。

我々はこの先一体どうしたら良いのだろう。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315112610

んだ。

ぶっちゃけ増田がそのグループ内で尊重されてない、ってだけだよね。

その友人コミュの他の友人から増田が話に入れてなくてもどうでもいい」と思われてるだけ。

恐らく1対1で会うような親しい友人はいないのでは。

何となくグループしか付き合いがない仲なら、そのグループが「新米ママコミュ」になったらそりゃママでない人は居場所なくなるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170315111558

単に浪人した奴が大学生活の話をする友人たちについていけないとか

浪人留年就職が遅れたり就職出来なかった奴が先に就職して仕事話をする友人たちについていけないってのと同じ構図



「私がやりたい話が最も尊重されるべきもので、私がやりたい話に付き合ってくれない友人はクソ」

と言う幼稚な発想はいい加減辞めるべき

私はかつて差別主義者だった、『けものフレンズ』を観るまでは。

 私はかつて差別主義的なケモナーだった。

 ご存知のようにケモナーには様々な派閥存在する。

 メスケモ派、オスケモ派にはじまりマッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……

「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限ケモナーを造った」

 とは近代日本における先駆的ケモナー福沢諭吉名言である

 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、

 同時に細かな嗜好の違いによる派閥対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。

 そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語所与のものとして生きるようになっていた……。


 私もそうだった。

 私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者排除差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。

 派閥意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2ch晒した。

 なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミストである

 サイバーコネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。

 「ニンゲン身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。

 彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。

 なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。

 多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。


 中道過激派秘密ケモナー警察あいだで流行ったジョークにこんなものがある。

 「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。

  ”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」

 私も彼らを憎んだ。

 でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。


 

 現代ケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。

 一見それは理性的合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。

 だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである



 だが忘れもしない2017年の某日。

 私は『けものフレンズ』を観た。

 もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。

 しかし、一種社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間無理解を忠実バラなぬ」という一種義憤から、けもフレを鑑賞したのである


 最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。

 だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、

 画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。

 のみならず、こう思うようにさえなっていた。


「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。


 ケモナー一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。

 同胞たちは自分たちの好きなものカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。

 ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?

 それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――


「姿かたちも十人十色からこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所

「飾らなくても大丈夫」な場所

 それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?


 蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。

 すべての教えは『けものフレンズ』のなかにあったのだ。 


 私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。


 灰色廃墟が広がっていた。

 だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。

 地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。

 こんな穏やかで静謐時間はどれくらいぶりだろう?

 まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。


 私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。

 そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。

 老人はあきらかに”レベル2”であった。

 ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。


「きみも、観たのかね?」

 そう老人は問うてきた。

 私は無言で頷いた。 

 頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。

 涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである

「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」


 老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。

「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。

 高らかに笑い、笑えば、フレンズなのだ

 喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しに戻れる」   


 そうとも、と老人は私の肩を叩いた。

 ここが、われわれのジャパリパークなんだ。

 われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。

 まっさら状態で。

 だから、ここからはじめよう。 

 本当の愛は、ここにあるのだよ。

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

自動運転は完全に70年後に実用しました

こちらの次元では少し時期を促進させるために、完全自動化をする上でのターニングポイントを予め通知することにしました。

尚、文章作成するにあたってこの時代AIネット文献の力を借りていますおかし表現文章があったらご容赦願います



自動化の一番の課題は、全てを自動化させない限り事故リスクゼロにできない点でした。

そしてそこには、機械にはなかなか理解することのできない、人間動物的な感覚が要因としてありました。

その部分を人間が認めず、我々が発見できないことが完全自動化拮抗させる原因になっていました。



囚人のジレンマ言語化されている問題があります

集団スコアが高くなる行動が明示されているにもかかわらず、個人スコアのために集団犠牲にしてしまうという生物特有利己的な行動です。

我々がどれだけ交通量全体を最も期待値の高い状態で維持しようにも、そこに非自動運転の車がたった1台でも存在するだけで全体のスコア頭打ちになってしま問題を抱えていました。

また、自動運転同士の事故の原因も長い年月の間特定が出来ずにいましたが、それも結果として手動運転が原因だという結論に至りました。

手動運転予測が困難なことで常に全体スコアの再計算必要になり、再計算命令の実行とのラグが原因で事故が発生していたのです。

しかしそれは手動運転存在したブロックとはかけ離れた、一件関連性の感じられない場所における事故だったために原因の特定までに多くの時間必要とすることになりました。

手動運転存在する周辺における計算修正は限りなくラグがない状況にまで達することが出来ましたが、問題は波状に広がる命令が互いに特定状況下で干渉し合うことにありました。

あなた方がバタフライエフェクトと呼ぶ現象に似ていますが、静かな水面に水を一滴垂らしときに広がった波紋が、壁面に反射して段々と模様が複雑になっていくように制御が崩れてしまうことが原因だったことで、関連性の特定が困難になっていました。



前置きが長くなってしまいましたが、手動運転を完全に人間に諦めさせるために最終的に行ったことは車の窓をなくしたことでした。

一見不思議に感じられるかも知れませんが、そのヒントがちょうど存在しているこの時代からこそこうしてこの内容を記載しています

そのヒントとは、高層ビルを走るエレベーター運用方法です。

あえてエレベーター現在位置を知らせないことで、もっと効率よく運用でき、尚且つそこで待つ人間ストレスを軽減することに成功しているというものです。

まり人間相対的位置関係を知ることでストレスを感じる生き物だということを知るヒントになりました。

しかし、第四次エネルギー革命以降には、エレベータービル間もまたぐことができるカプセル単位での高速移動に変化したため、その知識ロストテクノロジーになっていました。

エレベーター制御AIネットワーク化される前の時代情報だったために発見に膨大な時間を要しました。



車の窓をなくして正しい到達予測時間を伝えておけば、交通状況や現在位置に対して人間が抱えるストレスは大幅に軽減されました。

風景が見たいだとか、運転に主導権を失いたくないだとかい人間的な考えを尊重しようとしたことが大きな遠回りになったのです。

その代わりに、エンターテイメント仕事生活など、別のものに集中できる空間提供しました。

そのことによって、移動は生活シームレスにつながることができ、最終的には自動運転義務から手動運転禁止までをスムーズに行うことが出来ました。

まり、この時代においてついに交通という概念をなくすことに成功したのです。

そこに至るまでに長年つまづいたもの象徴が窓でした。

これから自動運転開発がまさに始まろうとする今だからこそ、そしてエレベーター効率維持が機能している今だからこそこの忠告をおいておきます



自動運転の開発は、窓をなくすことを前提で行うこと。

車の延長ではなく、生活の延長として交通という概念を無くすことを目的とすることで、完全自動運転化に至るまでの時間を30年は短縮できるはずです。幸うんこ祈ります

2017-03-12

近年起きている問題

 ヘイト現在、話が大きくなったこととインターネットから離れた場所でも行われるようになったことによって、多くの方がその存在認識するようになっています

 中には「ヘイト問題」というもの自体を詳しく知らないという方もいます。それは別に構いません。

 問題なのは、「ヘイトと正常なもの区別派は晒し言論弾圧を行う過激な人しかいない」と言う人たちが現れたことです。それも、事態の流れをよく理解しないままに。

 ここで言いたいのは以下のことです。

 現在ネットリアルわずにこの問題を取り上げ精力的に活動されている方々は、「ヘイト行動をするな、共謀するな」とは一言もおっしゃっていません。それは、彼らの意見提案最初から読めばわかることだと思います

ましてや彼らをを断罪したいとか、追いやりたいとか、そんなことは決してありません。「人の意見曲解して批判する」ことがいか相手に対して礼を欠いていて、真剣問題を考えている人を傷つけるかということを考えてください。

 これは別に、「問題提起反対派」の人に限ったことではないです。すべての意見価値があるもので、人ひとりの考えとして尊重されるべきものです。しかし、それは問題をしっかり把握している意見である場合に限ります

問題を把握し、実際に考え、動いている人の意見と、ろくに調べもせず、相手意見にすら目を通さず、「この人はこうだからこんな意見を持つのだろう」という決めつけで反対する人、どちらの意見が重みをもっていると思いますか? 誤解しないでいただきたいのですが、私は「どちらの意見が『正しいか』」と尋ねているのではありません。

 意見というものはまず「正当性の有無」ではなく、「価値の有無」で判断されます問題認識していない人の意見にどれほどの価値があるのでしょう。富や自由に目がくらんで義を捨てる人並みに無価値ではないですか(もちろん、実際の人間はそんなことはしませんが)?

 少々荒っぽくなってしまいましたが、要するに、「意見をする前に、相手の主張を正確に読み取ってくれ」ということです。先にも書いた通り、この問題が注目されるようになって以来、問題を把握していない人の意見が出てくるようになりました。タイミング的な問題で、問題提起側の方が過激と捉える人も多いようですね。

 それについては私からは何とも申し上げられません。思想や考えを軽視することはできません。ですが、「よくわからないけど」問題提起側が悪いという方たちは、笑い飛ばしてくれと言っているのと同義だと認識していらっしゃるのでしょうか?

 問題を把握していないなら、迂闊に口を出すべきではありません。これは別に限られた場所でのマナールールの話ではありません。正式場所で「よくわからないけど、その意見は間違っている」とか言ったらつまみ出されますよ。

 「よくわからない」のは悪いことではないと私は思います。丁寧に「これがわからないのですが、どういうことでしょう?」と聞かれれば、問題重要性を知ってほしい人は「これはこういうことなんですよ」と丁寧に教えてくれます。それによって正しく問題理解し、考えてくれることを期待するからです。

 ですが、「よくわからない」を盾に発言者意見を叩くことは間違っています批判されれば当然反論しますが、「よくわからないけど、それって発言者おかしいんじゃないの?」というふわふわした意見では「あなた問題理解していないですね、ちゃんと把握してから出直してきなさい」といわれるのが関の山です。

 話し合いをするには、双方が問題を正しく(齟齬なく)理解して、それに対する明確な意見を持ち、その意見反論されることを予期し、その反論に対する反駁を用意しておく必要があります。その第一段階から用意されていないのであれば、話し合いは到底成立しません。

 この意見文を読まれた方は、どうか最近ヘイト問題を追ってみてください。現状に至るまでの過程理解して初めて、Aはおかしい、Bは間違っていると論じることができるのです。


 話が変わりますが、ヘイト行動を好む方は、文明社会という場所をよく考えて行動してください。振舞うのは当然自由です。書きたいネタがあれば書くし、面白そうな話があれば読むでしょう。しかし、それを快いと思わない人もいるのです。「そういう属性」というものを、色眼鏡で見る人もいます

 皆さんの言論自由保障されているものです(倫理的問題があれば別ですが)。また、皆さんがいるネットという場所は、少し検索すれば引っかかるような、開かれた場(悪く言えば、何の壁もない常に公共に晒された場)なのです。

 それを理解してください。最近社会右翼問題に限らず、何かあった時に困るのはそういう場所活動していたあなた方です。ネットという場所脆弱性危険性、いかに周りに筒抜けなのか、そういったことを認識しないままに活動していたあなた方です。これはすべての方に言えることです。

 そんな事態にはなってほしくないのです。私は住み分けをしてほしいと思っているだけの一人であり、誰の敵でもありません。私が理想としているのは、ネットが「すべての人にとって」心地いい空間になることです。

2017-03-10

お願い。ADHDの人と残業原則反対派は一呼吸置こう

今、ADHDの人と残業反対派で、話が噛み合っていないことが問題になっている。まだやってんのかと思うころかもしれない。手斧スター手裏剣の投げ合いを見ていると疲れてそこから離れたくなるよな。

だがもう少し聞いてほしい。続く過労死運輸業界の疲弊を経て、今ようやく「さすがに労働環境について検討し直さないとまずい」という認識が広まってきたところだ。すぐには解決するわけがないので焦らず妥協案を探る話し合いをゆっくりとでも続けてほしい。



今回主語が大きくてすまない。二者択一ではないということは承知している。

ただ、本来労働者会社」という枠組みで協力し合っていいはずの労働者同士が、現在弱者強者」もう少し正確には「ADHDに多様な働き方を派 対 それでも残業ダメ派」が争点となっている。どうしてこうなった

と、せっかくの話題が膠着してしまったことが悲しかったので、一連の流れを見返してみたら原因が分かった。

この問題残業禁止派は

個人責任を論じても効果はない。会社社会全体を変えなければ解決しない問題であるという認識を皆が持つ必要がある

と考える。他方、

普通の人を守るためならマイノリティ黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ」という多数意見を見るとは思わなかった

発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

ADHD側に主眼を置いたコメントにも多くのスターがついており、「交渉決裂」の様相を呈している。が、そうではない。単にハテブが100文字しか記入できないからお互い齟齬が発生しているだけなのだ。ここで諦めずに折衷案を探していけば、仕事ができる人もできない人も今よりずっと働きやす環境になるので、長くなるが聞いてほしい。



一連のトピックを追う。昨年10月頭の長谷川秀夫教授残業100時間超で過労死は情けない」等の話題を通過した後、このあたりから始まる。

2016-10-16「長時間労働撲滅運動」には賛成できない http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/16/120846

という内容だ。同時に

人を奴隷のように扱うような企業には反対

とも書いており、お?分かってる人か?と一瞬思わせるが、この人はその少し前に、

問題105時間という残業量それ自体にあるわけではないのです。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、素晴らしい人に囲まれているような環境であれば、残業を何十時間しても苦にはなりません。http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552

という言葉を残している。ワタミ等多くの例があるが、このような人は「自分ができることは人にもできる(できない奴は無能)」と考える傾向がある。疲弊している人や弱者に寄り添う方針とは相容れないように思う。そこでブコメ欄は次のようなものとなる。

このエントリ言及して、同日に次のエントリが上がる。

2016-10-16 会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2016/10/16/173609

これらは先のブコメを追認しており、残業反対派の言いたいことをうまくまとめてくれている。



そして先日、上記を引きとる形で次のエントリが書かれた。

2017-02-24 残業禁止強者ルールなのでは、という話 http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935

ここで幾つかの食い違いが出てくる。
  • どうも、効率の悪い人です。それ、効率良く働けるマンしか生き残らないよな。
  • 「え、職場についていけないなら辞めればいいじゃん。無能なんでしょ?」そういう声も聞こえてくる気がします。

まず「無能はやめろという方向のブックマークコメント」はごく少数でしかない。先の2エントリ計、約750コメントの内7つ前後判断が難しいコメントがあるので)。獲得★スター合計、TOP10の1,800個に対し10前後

時間を区切って生産性上げろよ」「効率上げろ」と仰る皆さん

同様に先の2エントリ中にこの方向のブコメは同750中24前後。獲得★スター合計、TOP10 同じく計1,800個に対し16個前後

ここで『残業禁止強者ルール』という重要言葉が出たわけだけど、上に書いたように「無能は辞めろ」「効率上げろ」といった個々人の弱さを責めるコメントはごくわずかだった。

(「残業をしないということは弱者はクビにされる。つまり無能はやめろと言っているのと同義ではないか」という方向から意見かもしれない。しかし私はこの前提が正しくないと考えている。理由は最下部に書く)

前の方のエントリで書きましたけど、効率よく仕事する皆さんにボッコボコにされた悲しい経験があります

とあるように、このエントリには自身の別記事のやり取りでの経験が尾を引いているようだ。(あの記事かな?と思うものはあったが特定できなかった)

であれば当該記事との関連をもう少し明確にしないと、やはり「何の話をしている?」となりついて行きにくい。



このエントリには次のようなハテブコメントが付いた。

これらのコメントを受けて

発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

とのコメントが付く。これは大事な一文なので、続くエントリのあとで合わせて追記する。

2017-2-26 ADHDと「残業禁止ルール」の相性の悪さについて http://menhera.jp/2064

前提が間違っている。

先に記載された通り「労働ダンピングは許せない」は一連の流れにおいて主内容ではない。ダンピング言及したコメントは先の2エントリ12前後/約750コメント。獲得★スター合計、50個前後/TOP10計1,800個。

「噛み合っていないんですよ」と言うのであれば、まず自身が噛み合わせてから話し始める必要がある。

「"仕事が遅いからといって労働ダンピングは許せない"というコメントに対する反論」とするならば正しい。だが、その一部分を主題とせず「一律の残業禁止は是か否か」という大元の流れを自身で呼び寄せたにも関わらず「(全体の話は置いておいて)私は今回ADHD特性をより詳細にお伝えすることで"労働ダンピングは許せない"という人への反論します」という内容でしかないのであれば、そちらがズレている。

はてなで”普通”の人を守るためならマイノリティ黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ。という多数意見を見るとは思わなかったね。

残業禁止強者ルール」でのブコメ発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

マイノリティーにも多様な働き方を」という主張は正しい。だがここで使うのはズレている。システムとしての安全策を構築するのではなく"弱者自己努力でなんとかしよう(時間はあげるから)"と言っているようなものなのだから



ADHD側の話題が徐々にずれてきているから「主題残業例外を認めるか否かだよな?答えは、ADHDでも例外は認めない。個人責任を負わせてはいけないから」と主題への返答をしたのに「私は全体のことについて話しているのではない。私自身のことに目を向けてほしいのだ」「マイノリティーを黙殺するのか」という方向にもっていっている。

全体の流れを追って話をしている人たちからすると、いきなりポンと話を支流へ飛ばされてしまうと面食らうんです。えっと…今急にその話題に飛ぶの?その話も確かに大切だけど、主題をもう少し詰めてからでないとややこしくなるよ、と考える。


なぜ話が飛んだんだろうか?カドカワさんに「めっちゃいっぱいPV集めたら書籍化」って言われたから無理やり話題を引き入れたのかな?と一瞬勘繰ったが、いや違う、思い出した。

ADHDの人って「途中から話に割って入ってしまう。今言わないと忘れるからという傾向があることを。ああそうか、と自分の中では納得がいって、別に喧嘩するほどのことじゃないなと安心できたんですが、どうでしょうか。

そうでなくても、いちいち全体の流れなんか把握してらんないのでちょっとずれたこと書いてしまうということは誰しも思い当たるふしがあると思う。だから自分の話も聞いてほしい」と思ったり、話がポンと飛んでしまったりすることがあるのは仕方がないけど、同時に、いきなり話題が飛んだことについていけない人がいるのもまた仕方のないことであり、そのことをもって「心無い人たちだ」と思うのは間違い。


このポンと飛んだ話から「言いたいことは発達障害者の切実な状況についてである」を第一に考えられた人はえらい。一方で、他の人がそのことを本当に理解できていなかったかというとそれもまた違うと思う。

話がずれているな、と感じるとき人がすることは二手に分かれる。話題を元に戻すか、一旦主題は置いておいて副題へ移るかだ。しかしこの時点では主題煮詰まっているとは言い難く、このタイミングで副題へ移ってしまうのは主題が疎かになる可能性があった。こうした理由とハテブの100字制限もあり、「ADHDの置かれた立場という副検討課題」よりも主題に対してのコメントが多くなってしまったのだと思う。

残業禁止個人仕事の進め方の話をしてるんじゃなくて、「赤信号は止まりましょう」位のルールの話で。赤信号で止まるのは視覚障害者に厳しいから止まらなくても良いことにしてくれという事にはならないだろう。

そう。視覚障碍者への対応を考えなければいけないのは明らかだが、まずは主題「赤信号は止まる必要がある」という原則を皆が共有する必要がある。しかし「全員が止まるなんて無理」という意見が出ているので「いや、やはり赤信号では全員が止まらなければいけない。なぜなら」という話を進めていく必要がある。



ADHD側が阻害されたと思うのと同様に、根幹の話し合いを疎かにすると以前から話を進めていた残業反対派も進行を阻害されたと感じてしまう。

ADHD管理職をやっている者なんだが http://anond.hatelabo.jp/20170227161628

このエントリでせっかく素晴らしい知見が得られているのに

  • なんかなあ。別に誰も「定常的に一定効率を出せないやつは死ね」なんて言ってないと思うんだけど。問題は「残業規制するのはADHD疎外だ」って主張だよ。それはまちがってる
  • 最初の話は多様性を認めろじゃなくてサビ残認めろだったよな。サビ残と戦おうとしてる人を強者扱いしてかわいそうなADHD物語作ってたよな。多様性認めなかったのどっちだよ。俺は雑な話をしたくないだけだ。

と、内容に直接触れたものではないコメントが最多の支持を得ることになってしまった。この反応は、率直に言うと「"過労死を防ぐ"という核心部分のために残業規制を話し合っていたのにADHDの人に全部持っていかれてしまった……」という"悔しさ"みたいなものかもしれない。そして「ADHDの人にも関係あること話してるのに黙殺だって言わないでよ」と。なぜなら、その残業問題主題にはADHD仕事ができない人も当然内包されているから。どういう意味だろうか?

まり、こう。

仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ。

夢のある予想だが、しょせん理想に過ぎないだろうか?

ここで一度話を切ります。次の増田では、上記理想論を含め当初から出ている多くの疑問点について一つ一つ答えてみる形で進めます。続けて読んでもらえたらうれしいです。→http://anond.hatelabo.jp/20170310204122

もうひとつ

一番最後エントリ1000ブクマを超えている。ハテナ民がブクマをする理由はこうだ。「うわー長文だしなんか難しそうだな…でも"知らないままで置いておくわけにはいかない"。ポチっとな(後で読む)」。そう、後で読まない。ともかく、皆発達障害の人を見ないことにしてれば良いなんて考えてないんだよ。知っておかなければいけないと分かってるんだよ。

残業規制問題の盛り上がりはまだ始まったばかりで、発達障害、その他沢山の課題順次考える必要がある。そのときADHDについて日々書いてくれている人たちが強力な助っ人になるので、どうか焦らず、でも止まらず書き続けてほしい。

日本ムラ社会からオタク差別される。欧米個性尊重するからオタク尊敬される」

というような事を二昔くらい前にオタクの知り合いが熱く語ってたのを思いだした。

これ見て。

https://togetter.com/li/1088912

http://anond.hatelabo.jp/20170310173219

そこを「僕の考えだけが正しい」とはっきり書かなかったのは何故でしょうか?

自身で「正しさは複数あってお互いに尊重できる」と気づかれてるからでは?



まぁ、交流はいろんな結果が伴います

暇にまかせて全レス形式交流して気持ちが吐き出し整理できたのは純粋に楽しかったです。

最後まで活動うんうんの色眼鏡しかみていただけないのは残念でしたがおつきあいくださってありがとうございました

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