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はてなキーワード: 副産物とは

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510095728

それでも副産物が優秀なのでかなりマシな方なんだよな……天井で無理矢理0から1にも出来るし

2017-05-07

デレステ愚痴

疲れた。一つ一つなら許容できたことが、積み重なりすぎた。


音ゲーという性質上、声の無いアイドルがメインで活躍できないのは初めからわかっていた。

収益の大部分を占めるガシャの目玉SSRは人気のある子達で回していかなければいけないのもわかっていた。

この二点についてはどうしようもない。だから今後、それ以外の方法で声の無いアイドル達も輝ける何かを提供してくれるんじゃないかと思っていた。

ドレスショップの告知が出た時は、ついに来たと思った。色んな子に新しい衣装が着せられる日を夢見た。

ところが蓋を開けてみれば、既に専用衣装がある子達への限定衣装である

かなり落胆した。ドレスショップがこの方針衣装を追加していく限り、声の付いている子達にのみ専用衣装がどんどん増え続ける。

声のある子と無い子の間に付いてしまった大きな差を埋める施策を用意してくれたと思ったら、更に広げるものだとは。

多分、現状のアイドル格差については運営も何とかしたいと思っていて、

ゲーム軌道に乗ったら少しずつ対策を打ち出すのではないかなぁという楽観的すぎる希望は、その時打ち砕かれた。

それだけだったらここまで悲観的にならずに済んだ。

今後共通衣装も追加すると公式に明言されていたし、何も「デレステの」ユニット衣装けが追加されていくとも限らない。

そんな折に立て続けに襲ってきたのが「特定の声無しアイドルへのコミュ追加」「美玲へのボイス付与」だ。

動きの無かったアイドルコミュが追加されるのは一見良いことのように見えるが、

コミュのみが追加されたアイドルというのは「今後もしばらく新カードを追加する予定はありません」と言われたようなものだ。

モバマスからカード絵を流用できるRやSRすら追加する手間が惜しまれたということだ。

それから、美玲へのボイス付与。これは単体で見れば非常に嬉しい出来事だった。ただ、美玲にボイスが付いたことで決定的になったことがある。

今までは輝子SSRの背景にボイス無しアイドルである美玲が居たが、美玲にボイスが付いたことによって背景出演アイドルの声付き率は100%になった。

あれだけ背景出演アイドルが居て声の付いていない子は一人も写っていない。

ボイス収録の必要が無い背景への出演が何故こんなに声付きアイドルに偏る?

いや、美玲に声が無かった頃はまだギリギリ「偏り」と呼べた。100%と0%に分けられてしまったら、それはもう偏りですら無い。

薫ちゃんと仲の良い大人アイドルといえばあいさんが居る。でも薫ちゃんのSSR背景に写っている保護者アイドルは拓海と早苗さんだ。

響子と仲が良く、絶叫マシン好きという共通点がある沙紀が居る。でもジェットコースターを背景にした響子SSRに一緒に写っているのは夕美と志希だ。

別に絶対あいさんや沙紀を写せと言っているわけじゃない。アイドル達の間に新しい関係が増えていくのはいいことだ。

でも、あまりにも露骨すぎやしないか。これじゃまるで住んでいる世界が違う。


モバマスを元からやっているならアイドル格差なんて慣れっこだろと言われることがあるし、それは実際にある。

本家モバマスだって未だに強SRどころかメダルSRすら貰っていないアイドルがいるのは本当にどうかと思う。

でも、モバマスは待っていればいずれ全員に強SRが行きわたる日が来ると思える。

たとえ五年以上経ってそれらをようやく一枚貰えるアイドルと常に最新コストSRが貰えるようなアイドル存在したって。

歩みの早さに違いはあれど全てのアイドルが一段一段階段を昇っていってるんだと思うことができる。

デレステは違う。声の有無というラインですっぱり区切られ、壁で隔たれたアイドルはいつまでもそこに留まり続けるイメージしか湧かない。

今のデレステには希望が無い。

声の無いアイドル含め全員にクオリティの高い3Dモデルを用意してくれたことには感謝している。

自分が望みすぎているという自覚はある。

ただ、上に書いた不満に加え、

 ・既存のMaster+譜面へのスライド追加および追加時のスライド不具合の多さ

 ・GREATでコンボが切れる癖にメリットがあまり大きくない新スキルの追加

 ・MISSをPERFECTにできる新スキルの追加

 ・フェス開催時の追加キャラ数の減少

 ・ドレスショップ衣装クオリティの低さ(イラスト再現度の低さ)

 ・月末限定Cuインフレスキルを追加し、同時に今まで全属性のみだったパレード課題曲Cuにして開催という露骨

など、地味に萎える要素が連続で追加されて運営への期待値が下がり切ってしまった。

一度期待値が下がると渋すぎる上に副産物天井も無いガシャや声付きアイドルの中でも偏りのありすぎる出番、

一向に直る気配のないフリック抜けなどについても気になりだし、ゲームをしていてもマイナス感情ばかり湧いてくる有様だ。

アイドル達の事は一人残らず好きなのに。アイドルの歌に合わせて画面を叩くのは楽しいはずなのに。


しばらくデレステからは離れようと思う。

離れるといっても石を貯める為にログインだけは続けると思う。

ここまで不満を書きなぐってすっぱり切れない自分が情けないが、

欠かさず上位SR取得まで頑張っていたイベントにも参加しなくなり、そこそこしていた課金もしなくなると

日に日にゲームへの執着が薄れだしているのを感じるので、そのうち自然消滅的に離れられるのではないかと期待している。

もちろんデレステ運営が変わってくれればそれが一番良いのだが。

今はもうデレステに期待を持つだけの気力が残っていない。


5月8日12時追記

アフィリエイト付きまとめサイトへの転載禁止します。(ってもう転載されてんの?)

2017-05-01

ネギ焼きの存在意義

皆さんはネギ焼きというものをご存知だろうか。私がこの食べ物を初めて知ったのは中学2年生の頃で、それは思いがけない出会いだった。

当時、私は一時期訳あって夜ご飯自分で用意し家で一人で食べなければならなかった。毎晩のようにお弁当屋さんで弁当を買って食べていた私は、代わり映えのしないのり弁当唐揚げ弁当のローテーションに飽き、栄養なんかを無視して食べたいものを食べようと近所へくり出した。くり出した先は近所のコンビニだったのだが、今思えば他にも選択肢はあっただろうと思う。しかし当時は中学生自分の行く場所というのは限られていた。物理的にも発想的にも。

コンビニに向かった私は惣菜コーナーで大好物お好み焼き発見し、「コレだ!」と思った。栄養なんかは置いといて、これから数日は弁当ではなく大好きなお好み焼きを食べ続けようと意気込み、ワクワクしながら家に買って帰った。家に帰り、レンジでチンをしてその美味しそうなお好み焼きを口にした瞬間だった。「(シャキッ)…ん??」。キャベツの量が異常に多いお好み焼きなのか、とか、たまたまキャベツが一箇所に大量に偏っていたのかとか私は一瞬の間に多くの憶測を脳裏に浮かべた。一口かじったお好み焼きを見るとなんと中にネギが入っているのである…!その時の衝撃を私は今でも忘れられない。そしてパッケージを改めて見てみるとそこには小さく「ネギ焼き」と書いてあったのである。当時の私はネギというものは不味いだけでこの世に存在する意味がないものだと思っていた。玉ネギ副産物として農家営利目的販売しているだけだと思っていた。だからそのネギが、大好きなお好み焼きを模して主役に立っているという事実を受け入れられず、怒りさえ覚えた。ネギ焼きを販売したコンビニにも怒りを覚えた。1日の夕食の予算が限られているのにこんなものお金を使ってしまった。せめて「これはお好み焼きではなくネギ焼きです」とポップをつけてPRして欲しかった。お腹は減っていたけど口は完全にお好み焼きのそれになっていたので好きでもないネギをその一口以上に食べる気にはなれず、記憶曖昧だが恐らく処分したのではなかったかと思う。

それからどれくらいの時があっただろう。10年以上は経った。私も曲がりなりにも人生経験が増え、口にした食べ物の数も増え味覚も変わった。そして今日とあるお店でネギ焼きが売られているのをふと見かけた。その瞬間、昔の思い出が甦り、怖いもの見たさのような気持ちねぎ焼きを購入した。

ネギ焼きの存在を初めて知ったあの頃から自分は変わっただろうか。お好み焼きが好きなのは相変わらずだけど、たくさんの経験をし、手に入れたものもあれば失ったものもある。出会いと別れを繰り返し、色んな土地に移り住み旅行もたくさん経験した。そんな自分が今ネギ焼きを食べたら一体どんな感想を抱くのだろう。今でも主役に立ち続けることが出来ているネギに対して、大物俳優に抱くような畏敬の念を感じるのだろうか。それともやはり玉ネギ副産物だと、世に唾を吐きかけその存在否定するのだろうか。

そのどちらであったとしても、ネギ焼きを愛する人がいることはきっと事実で、この世に存在するものには少なからず影響力と存在意義というものがあるのだということを長年の間に学んだ。自分ネギ焼きほどの影響力を持てているだろうか、中学生2年の私に与えたほどの衝撃を子供達に提供することが出来ているだろうか。存在意義のない大人になってしまっていないだろうか…。ネギ焼きに負けないように頑張ろう、そしていつかお好み焼きの座を奪い取るかのように世の中を変えよう。そんなことを思いながら、ネギ焼きをレンジにかける。

2017-04-29

小児性愛者と社会

ロリコン(ここではわかりやすネット用語を使う)は"そこにいる1人"を内面で愛せない人だよなぁ。要は愛のかけらもない人。

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人間誰もが1020年経てば自動的子どもではなくなる事実があるわけで、人としてそことどう向き合うんですか?という話。

いくら内面が好きでも対象大人になって好みではなくなった時、結局は外的要因あっての内面、もしくは子供特有の何かに惹かれてたんだなと教えられる。

それは必ずしもそこにいるその人である必要はない。子どもなら誰でもよく、それは愛しているとは到底言えない。

しか子供らしい内面や外見が純粋に好きなのであれば、男女間で差が出るのは不自然だ。(小児性愛かつバイセクシャルの方を除く)

から取り入れる子供らしい体の造形がロリコンにとって心地よいだけだ。

または子供らしい無邪気な関わりが自分にとってのなんらかの穴を埋めているのだろう。

全ては自分のためで、相手幸せになってほしいなどという思いはただの副産物薄っぺらものに過ぎない。

ロリコンが誰かを愛してますなんて言葉根本的な矛盾を抱えているんだなぁ。

----

無意識に脳が子供を求めているのだから、その原因は単にロリコンの子時代にあったと考えるのが自然である

人間自分に足りない何かを補おうとする性質がある。

例えば悩み事があれば聞いてくれる存在を欲しがる。

今では一人でもやもやを吐き出すためにネットという存在に手を出す人も多い。

ロリコン自分の子時代になにか言えない、なんと言えばいいのかわからない穴を抱えているのだろう。

子ども時代何か大事ものを落としたあげく、いろんなところでエラーを出しながら他人を愛せない、信用できない人になった人の一部がロリコンなのであろう。

その原因は、その人を育てた親かもしれないし、友達かもしれない。はたまたこの社会かもしれない。

因果関係は非常に複雑で、何百もの要素が絡み合いこの結果が生まれていると思う。

他人感情もわからないほど混乱し自分しか見ていない大人が、何も知らない子供を狩る物騒な時代は、ただ規制するだけでは決して解決しない。

狩る側の心を和らげ生きやす社会へと変えていく意識と、狩られる者たち(親と子)が事実(両者の想いや考えを)をしっかりと認識することが重要

まずはこの国の一人一人が、自分と切り離して単なる偏見避難批判、同情するのではなく、自分、そしてロリコン被害者たちに寄り添うことが必要なのだ

2017-04-28

なぜみんなババアの体に興奮できるのか

汚いじゃん。

シミとか普通にあるしシワ入ってるし化粧臭いし。

ロリコン解説するとき精神の話ばかりされるけどてんで的はずれ。

若くてツヤツヤの体が目当てなんだが。

そこを格好つけて誤魔化したりする必要なんてないと俺は思うね。

だって人間本来出産適齢期が今でいうとロリなんだからな。

時代に合わせてババア結婚するしかなくなっただけであって、本能は今でも綺麗な肌、ツヤツヤの髪を求めている。

それだけの話に「子供なら支配できると考えているという研究成果がーーー」とか言い出す奴らはなんなの?

お前自身が老いぼれて頭ツルピカになってる現実から目をそらした副産物か?

2015.09.05 ニュース

 メディアを賑わせている指定暴力団山口組の分裂騒動。分裂の理由としてはカネをめぐる不満や、勢力を強める弘道会に対する古参組員の反発などが取りざたされているが、「そもそもの発端には、警察のいきすぎた徹底摘発姿勢がある」と語るのは、元捜査4課(マル暴)の刑事として辣腕を振るい、現在組織犯罪に対する企業コンサルティングを行う有村仁司氏(仮名・68歳)。

暴力団対策法に始まり暴力団新法、組織犯罪処罰法、暴力団排除条例法律による取締り強化が、ある程度の犯罪抑止力に繋がっているのは事実だけど、現場捜査をする刑事からすれば『しょせんは頭でっかちキャリアが考えた机上の空論』に過ぎないと思えることも多々ある。現場刑事にすれば、必死で集めた情報も、法律施行される度に白紙に戻ってしまう。反社勢力対峙してきた俺の実感からすれば、暴力団による犯罪多様化し、見えづらくなっていくのは、俺がマル暴新米刑事だった第1次頂上作戦からすでに始まっていたんだよ」

有村仁司氏

「もし抗争が始まれば、これまでの規模とは比べ物にならない。まさに最終戦争になるよ」(有村氏)

 第1次頂上作戦とは、昭和39年から44年まで行われた、映画仁義なき戦い』でもおなじみの警察による暴力団壊滅作戦高度経済成長のまっただなか、西日本を中心にした全国各地で抗争を繰り返す“秩序の破壊者”たる暴力団に対して、徹底した実力行使に出ていた時代だ。

「頂上作戦の結果、暴力団地下組織化は進んでいった。確かに、東日本に比べて、西日本暴力団縄張り意識が薄く、暴力頭脳さえ秀でていれば、よその組の縄張りを土足で犯してもいいという考え方なので、この対策は当たり前の措置。が、この事件以降、人間同士の対話が成り立っていた侠客が、だんだん会話のできない相手に変貌していったというのも事実なんだよね。ヤクザ並みに強面で、チンピラに対しては罵詈雑言ねじ伏せるといったマル暴が多くなり始めたのもこの頃だったかな。『俺たちヤクザ名前のとおり“ブタ”(オイチョカブ893ブタの目)なんだから警察はもちろん堅気には礼を尽くせ』なんて話していた親分が、“警察は敵”と、途端に態度を変えたこともあった」

 その後も相次ぐ警察によると取締り強化によって、武力行使による勢力拡大が封じられ、極道金看板を掲げることもためらわれるとなれば、「カネを稼ぐために地下に潜るのは当たり前」と有村氏は続ける。

「そうして企業舎弟といわれるフロント企業が増殖するわけだけど、警察側にしてみれば、暴力団の組長や幹部が作って直接関与しているタイプフロント企業には目を光らせることができる。けど、表面上は無関係を装って、暴力団資金提供寄与しているタイプフロント企業捜査は、資金の流れは功名に覆い隠されているし、難航を極めたね。山口組でいえば、そういったシノギ上手のヤクザが今の弘道会系で、山健組のように昔ながらのヤクザは、暴力団排除条例で弱体化した。銀行口座も作れなければ、生命保険契約も認められないんだから資金力に差が出るのは自明だよ。第一勧業銀行ほか、大企業幹部数十名が、総会屋への利益供与で続々と逮捕された事件があったけど、あん大事件が長い間明るみに出なかったのも、“フロント企業共生者”に対する捜査の難しさを物語っている」

 武力闘争から頭脳戦へ。非合法経済活動で裏マネーを増幅させる――そんな暴力団シノギが膨張していく背景にあるのは、「大組織による全国制覇副産物」と有村氏は推測している。

郊外大資本スーパーチェーンが参入すると、地場産業が衰退して多くのシャッター商店街が生まれるけど、あれと構図は一緒。小さな組がそれぞれの小さい縄張りを守って小競り合いを繰り返すだけなら、山口組がここまで肥大化することもなかった。肥大化を防ぐために、警察トップ暴力団壊滅を目指して暴対法暴力団新法と取締りを強化していくわけだけど、大組織こそ表のビジネス活動をうまく利用しているからね。捜査4課の目に止まるのは、枝の枝の枝にある組や、一本どっこの小さな組が犯す、小さなシノギばかり。結果、小さな組織はどんどん潰れて、大組織はどんどん肥え太るっていう構図が生まれたわけだ」

 暴対法によって、みかじめ料恐喝など“暴力団的なシノギ”こそ減ったが、上部組織摘発なしに弱体化は図れない。そこで、下部組織の犯した罪でも暴力団トップをあげられる「使用者責任の追及」を可能にした暴力団新法が04年に施行され、08年にはさらにその使用者責任を拡大させる改正暴力団対策法生まれる。

裏社会に与えるインパクトは大きかったし、組織全体の萎縮化を図ることには大きく貢献した。ただ、取締りが強化されるほどに、暴力団は新しいビジネスモデル確立して、それに対応できない組との間の格差は開くばかり。今回の分裂騒動の根っこにあるのもそういうことだろ。ただ、分裂したところで、根本的なシノギ自体は変わらない。現行の暴対法を元に警察が“与し易い”と判断した側――つまり神戸の側ばかりを狙うようになれば……」

 完全に逃げ場を失うような締め付けは、また新たな火種を生み出す爆弾となることは過去歴史証明している。今後の成り行きを注視していきたい。 〈取材・文/日刊SPA取材班

分裂山口組京都代理戦争の恐れ 神戸山口組指定1年

2017年4月27日16時01分

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神戸山口組本部脇に設置された特別警戒所前で暴力団追放を訴える警察官ら=3日、兵庫県淡路市

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 国内最大の指定暴力団山口組本部神戸市灘区)が分裂し、離脱派が結成した神戸山口組本部兵庫県淡路市)が指定暴力団指定されて今月で1年がたった。その後も抗争とみられる事件が全国で20件(13日現在)発生した。住民らは不安を募らせ、警察は警戒を強めている。

特集山口組

 10日、淡路市神戸山口組本部を兼ねる俠友会(きょうゆうかい事務所で、神戸側の直系組長が集まる月1回の定例会があった。本部脇に掲げられた看板には赤い太字で「暴力団追放」。1週間前に開設されたばかりの兵庫県警特別警戒所だ。捜査員が、出入りする組長の監視を続けていた。周辺に住む男性は「本部存在淡路島にとって大変な脅威。住民一丸になって排除活動を続けたい」と話す。

 神戸山口組は5日、神戸市中心部にも新拠点を設けた。中央区二宮町3丁目の延べ170平方メートルの4階建てビル登記簿によると、もともとは政治団体代表が所有していたが、3月下旬に所有者が変更。神戸ナンバー2の若頭(わかがしら)の寺岡修・俠友会会長(68)に代わった。組関係者によると、「連絡所」として使用し、系列の組員が日替わりで当番をしている。

 県警幹部は「淡路島は遠いので、少人数の幹部が集まりやす拠点を作ったのだろう。組事務所とみなすべきか見極める」と警戒する。ただ、半径200メートル以内に小中学校などはなく、県暴力団排除条例で定めた組施設の設置禁止地域には当たらないという。

 ここから西へ約300メートル先には、神戸市内で唯一の山口組直系団体事務所がある。別の県警幹部は「新拠点山口組ににらみを利かせる狙いがある。抗争の火種にならないよう監視を続ける」と話す。

 分裂前に引退したが、今も神戸

2017-04-10

anond:20170409221442

だれかに喋る

ために

まとめて内緒ブログとかに書く

ことによって

相対的客観化でき

どこが問題なのか

だれを押せばいいのか

最終的に自分はどこまでいったら(やられたら)辞めるつもりなのか

などを一つずつまとめて考えることができるようになる

 

そうしたら結局○○が××しないかぎりこのままだ、とか見えてくる

一番大事なことをしっかりさがしなさい

グーグルセンセイもシリもあなたが尋ねたことにしか答えません

正しい問いをつくれるのはあなただけ

 

 

内緒ブログについて勘違いされてるかもしれないので説明する

ブログとは語源ウェブ ログであって、まあ、客観的事実を記した日記である

この状況を他人説明するのにすくなくとも5000字くらいはかかるはず

でなければ人間うそう悩まない

それをしっかり他人に読ませて説明できるまで自分で何度も読み直す

 

まあしっかり固有名詞とかを伏せてかけたらネット投稿して意見つのることもできるかもしれないが

それは副産物

とにかく書くことが解決

紙でもいい

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304132425

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

 

あの作品アイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。

ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。

カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、

どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。

それは現実的に考えても辛いことだし、アニメはい女性人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアル思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。

そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。

それも、人気の絶頂最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。

その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。

作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、

彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。

その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。

そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドルからアップデートを促すようにも感じられる。

 

ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。

パフォーマンス自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。

そもそもアイドル活動部活という設定にしたところからそうだけれど。

もちろん美少女ものメディアを原点にした作品から彼女らが自発的表現した「カワイさ」自体男性ウケに寄せてあることは否定しない。

けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。

それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。

実際に作中で迷走してロックバンドKISSコスプレをしだす一幕があったほど。

ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者作品を受け入れやすくなった。

結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。

ちなみに、この「自分たちカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、

女性アイドル自身尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実若者にも広がっており、

もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。

他のアイドルアニメ作品でもそういう思想共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、

アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写ほとんどなかった。

描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望圧力に従うような描かれ方はしなかった。

その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身内面の成長が描かれた。

ただ、外面から圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、

それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、

周囲の支援のなかで「彼女自身が」見いだしていく、という大筋になっている。

やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。

まるで、この世界プロデューサー仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、

その過程で生まれキラキラパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。

そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。

 

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

他人目線価値観に、自分生き方翻弄されたくない。

自分たちがやりたいようにやるから共感してくれる人はついてきて。

そういう思想ベースに、角が立たないように上手にやっていく。

これが多様化した文化の中にある、今のリアルアイドル

もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。

商売に長けたプロデューサー主体性を奪われないために、アイドル自身セルフプロデュース力が求められる。

成功するグループとしないグループの差はより残酷可視化される。

けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。

からアイドル主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。

かつてのオタク文化評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、

まり最近アニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。

けれど今、もっとも、文化的ホット考察すべきジャンルアイドルものなのだと私は思う。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212132908

これ結構わかる気がする。

性教育が始まるのはだいたい第二次性徴期からだけど、もうその頃からモテるモテないの差はある。

自分勝手エゴもあれば薄汚い打算もあって、それで成り立ってる部分もある。

なのに、「あなたの体は大切で等しく価値がありますよ」とかタテマエだけぶつけられても、

知るかボケって思っちゃうんだよね正直。

それでもやっぱり思うのは、性教育というのは次世代のためにあるものだということだ。

子供が生まれなければあんものはただのゲス趣味なんだから

例え副産物でも子供が生まれてくる以上、彼らに負の感情は引き継ぐべきではない。

「性や生殖に伴うエゴとか動物的・本能的な部分と、授かった命の尊さは別問題」ってのは、

詭弁ではあるがまあ現実的な落としどころなんじゃないかと思う。

2017-02-08

両親から知力と倫理観が年々失われていってる

両親が結構な年になってきたんだけど5年ほど前からはっきりと老化が始まっている。

毎年少しずつだけど頭の回転が遅くなってきているのが側にいて分かる。

それにともない「私こそが正しい」「私は賢い」「私の知らないことは皆知らないようなこと」という思想が見え隠れする機会が増えた。

最近では「私のために皆ゆずるべき」「私を幸福にさせるのが他の人の役目」とでも言わんばかりのわがままぶりを発揮することも出てきた。

辛い。

自分の親が着々とテンプレレベルで素行の悪い老人になっていくのが辛い。

自分の正しさを疑う判断力を失ってしまった人間の姿は本当に醜い。

頭が鈍りだした老人にはおそらく二つのしかないのだろう、一つは「自分こそが正しい」と信じる道、もう一つは「自分なんか間違ってる」と信じる道。

私達はその両方の可能性を探りながら日々暮らしているが、それが出来るのはある物事について考えを二度巡らせるだけの頭脳の余力があるからだ。

衰えた老人は一周しか出来ない。

つの視点を持つのは衰えた老人のクロック数が低い脳みそには荷が重いのだ。

から自分こそが正しいと信じ切って横柄に生きるか、自分なんか間違っていると卑屈に生きるか、そのどちらかしかないのだろう。

私の父と母は2人とも前者を選んだ。

今思えば祖母は2人とも後者の道を選んでいた。

祖父最初前者だったがある時から後者の道を進む人になった。片方の祖父記憶はもう覚えていない。

人間は衰える。

肉体が頭脳よりも先に衰えるのならば醜い姿を晒す前に死ねるが、それが幸福だとは思わない。

だが自分の醜さを晒しながら人生最後を生きるのもそれはそれは不幸である

ふと両親の事を思い自分もいつかこうなる可能性を感じた。

ゾっとした。

その気持を吐き出すために書いた。

しかしたら数十年もすればアルツハイマー等の治療が進んだ副産物として頭脳の衰えを大きく抑制できるかもしれない。

だけどきっとそれはギリギリで私に間に合わない気がする。

きっと自分でも気づかない間に脳のクロックが落ち、自分でも気づかない間に横柄か卑屈な人間になってそれから私は死ぬのだろう。

かといって肉体が先にボロボロになって朽ちていくのを望む気もない。

生老病死、世の中は辛い。

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2017-01-12

寂しいか彼女が欲しいという男性は間違っている。寂しければ男友達をつくりなよ。

友達すら居ない孤独な人が、女~女~って念じてたら気持ち悪くて怖い。

男同士で人生を楽しんでたら、女は勝手に虫みたいに寄ってくるよ。

そのときには男友達と楽しむことに満足してて、便乗してくるだけの女が邪魔に感じるかもしれないけど、

えてしてそういうものだよ。女は常に副産物。女ゲットを目的にしても人生が荒廃するだけ。

ただ、収入容姿のどちらかが偏差値35(下位7%)とかだと、何をやっても無駄だと思う。

から避けられるというより、人間全般から避けられてしまうからね。

2016-11-15

今のインターネット大人による監視社会的なディストピア

Twitterツイキャスyoutubeニコニコ、様々インターネットサービスが誰でも簡単に使える今、副産物的にこれらのサービスの中で需要を満たすべく”職業”が発生している。

歌い手、踊り手、生主、キャス主

絵師動画師、MIX師

とにかくマルチメディアに様々なパーツを生産するクリエイターが、それはもう沢山集まって、お互いの需要を満たし、コミュケーションやクリエイティブ活動を楽しんでいるわけだ。

そんな職業たちの中の1つに、加工師というものがある。所謂写真編集フォトレタッチ生業としている人たちで、立ち位置としてはたぶん、現実だとデザイナー的な仕事内容になる。

ツイキャス主の自撮り版権イラストアイドル写真などを加工して、アイコンSNSのヘッダーに使える綺麗なものに仕立てたりする。

自撮りの加工はともかくとして、版権イラストの加工はかなりブラックに近いグレーだ、実際に趣味イラストを描く人が、無断でこういった”サービス”に巻き込まれてブチギレ、なんてのもよく見かける。

http://togetter.com/li/939864

こういった著作権違反な事例は、例えば絵師でも無断転載から自作宣言や、トレスといった形で散見される。

この手の問題が起きるのは、この”職業”の従事者の大半が中学生高校生からだ。法的な問題など彼らは知らないし、身の回りの人以外が見ているということなど気にしていない。その結果、法的に問題のあるもの発見拡散されて炎上消滅といったことが起き、後には苦言を呈すクリエイターご意見番や、魚拓の載ったまとめだけが残る。

私は現在20代後半、学生時代インターネット黎明期であった。

webサイト管理者は崇拝され、閉じられたコミュニティでは著作権違反の切り抜きアイコンが飛び交い、何処かから拾ってきたアニメゲームmidiが流れていた。BBSユーザーアイコンは、ユーザー書き込み回数に応じて名入れなどの画像加工がされたアニメアイコン提供されたりしていた。

今と何かやっていることが違うだろうか?

小学生の時分、ハード素材のクリアファイル雑誌の切り抜きを挟み、ポスカステッカーデコレーションしたものを持ち寄って遊んだりもした。アニメマンガイラストを透かして写して、友達に見せてうまいね?なんて言われてる人が周りにいた覚えはないだろうか。

もちろん、公開してる場所が違う、インターネット公共の場だという意見もっともだし、著作権違反を見逃すべきだとは思わない。

トレス無断転載は許されざることだし、無断加工なんて、時間をかけて描いたイラストがされた日にはブチギレても仕方ないと思う。

ただ覚えておいて欲しいのは、彼等にとっての遊び場は今はSNSであり彼等にとってのコミュケーションベーススマートフォンの中も含まれるのである

少し前に学生だけのSNS話題になったが、閉じられ、守られ、許されながら学べる場所が今の学生たちには必要なんじゃないかと思う。

今のインターネットコミュニティは、大人による監視社会的なディストピアだ。

2016-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20161027133706

マナーマウンティングの道具だよね。自分はいっぱしの人間であるというアピールというか。できないヤツをバカにしたりするのはその副産物で。

その社会の中で、ちゃんとそれなりに教育を受けて来ているし、野蛮なヤツじゃないですよっていう証明

なんか、マナーとか要らないような気がしてきた・・・無きゃ無いで困るのか。

2016-10-09

君の名は。』には、欠点が二つある。【ネタバレ注意】

端的に言って、思いのほか面白かったです。

監督過去作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、

まり乗り気ではなかったのですが、

実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、

過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います

その上で、気になったことが主に二つありました。

この作品の大きな欠点と言い換えても良いかもしれません。

それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。

三年後の未来、もしくは過去世界であることに、なぜ二人とも気づかなかったのか

先ず、恋愛以外のストーリーで気になった部分についてです。

この作品ストーリー上で、もっとも大きな「仕掛け」であり、

前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、

こまかいことではありますが、違和感のようなもの最後まで残ってしまいました。

普通に考えれば、二人が入れ替わって生活をしているあいだに、

カレンダーテレビ、いたる所にある張り紙広告などで、

今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、

もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。

とくに、未来から来た瀧は、糸守という地名や、彗星の来訪、

それによって起きた大惨事のことを知っていたはずですから

テレビ彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます

ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、

しかしたら欠点というほどではないかもしれません。

「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識記憶あいまいになる。」

というような説明が何度かあったので、

おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、

不思議な力が働いていたということなのでしょう。

ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、

記憶あいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、

その矛盾を解くために、さらなる説明必要になる気はしますが・・・

そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして

四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、

しかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを

表現したシーンだったのでしょうか。

できればもう少しわかりやすく、前述のシーンであれば、

おかしいな。たしか今日は平日のはずなのに」

というようなセリフを付け足しても良かったかもしれません。

ただし、観客の全員にあまり早い段階で気付かれてしまっては、

あとでタネ明かしをしたときの驚きが損なわれてしまうので、

さじ加減の難しい部分ではあると思います

瀧と三葉は、なぜお互いを好きになったのかわからない

そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。

入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、

コミカル描写しかほぼ無かったのに、

入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、

「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、

恋愛テンションマックスにまで上がってしまます

しかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、

心情として理解できます

しかし、それ以前の、瀧と奥寺先輩のデートの段階ですでに、

瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、

三葉もその段階で、瀧に会いに東京に行っています

ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から

すでに二人は好き合っていたということになるのですが、

そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います

たとえば

二人が長年抱えていた、父親との確執などの深刻な問題

自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手献身的解決してくれたなら、

そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、

相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、

ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、

おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います

でも実際には、瀧は自分感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、

三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。

これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います

にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションマックスになってしまう。

これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。

運命の人

結局、この問題は、監督自身恋愛に対する価値観からまれているのだと思います

運命の人はいる、ということを伝えたかった」

http://video.unext.jp/feature/cp/shinkaimakoto/

新海誠監督は、インタビューでもこのように仰っていて、

まり、瀧と三葉は運命赤い糸で結ばれているから、

ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。

から、恋に落ちるプロセス必要ない、と。

自分は、それが間違いの元だと思います

今作における「運命」とはつまり

糸守の人々を来るべき彗星の落下から守るために、

宮水神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、

「時を超えた入れ替わり」の能力ことなのだと、いちおうは理解できます

しかしその「運命」という、いわば第三者の介在によって

本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、

本当の意味恋人同士と言えるのでしょうか。

もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、

糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、

五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由説明できなくなってしまます

このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、

実は本来ロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています

からこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由

いわば「運命の人ジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。

誰かを好きになるのに理由必要ないのか

また、運命の人かどうかはともかく、

そもそも実際の、リアル恋愛においては、

誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的理由というのは、

じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。

たんなる直感一目惚れといった、本人だけにしかからない理由であったとしても、

本人さえ納得していれば、何の問題もありません。

そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか

と、思えてしまうかもしれません。

ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。

なぜなら、フィクションで描かれる恋愛は、

監督脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された

当事者不在の、いわば「ウソ」の恋愛からです。

ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対必要になります

もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、

監督脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、

実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。

そうではなく、あくまフィクション作品をつくりたいのであれば、

大切なのは、本当に「リアル」な恋愛描写ではなく、

たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、

わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、

そのための理由必要なのです。

もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか

その作品理解できないものになってしまます

これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人戦争などの表現に置き換えてみると、

何が問題なのかが、わかりやすいと思います

たとえどんなにリアルでも、

実際に殺人戦争体験した人でなければ、理解共感もできないような表現を、

フィクション作品に用いることは悪手なのです。

そもそも、今作のようにオカルトSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、

もし恋愛描写けが、やけにリアルであったとしたら、

それは一つの作品の中で各要素における「リアリティレベル」が合っていないことになるでしょう。

案の定、この問題に関してはすでにネット上などで、

恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、

そのこと自体がすでに、恋愛テーマにしたフィクション作品として、

この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います

君の名は。』は、ラッキーパンチなのか

恋愛作品としての欠点が、監督自身恋愛観に因るものであるとすると、

同じ過ちは、監督自身恋愛観が変わらない限り、

今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。

今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線副産物として、

エンターテイメント性の高いストーリーたまたままれしまっただけだとすると、

今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。

できれば、そうならないことを願いたいと思います

2016-10-01

大学軍事研究するのはいいんだが軍事アレルギーアレルギーは黙れ

DARPA予算もらってる研究者と共同研究してる関係で,間接的に軍事予算使って軍事研究してる日本大学教員だ.さあ軍事アレルギーの皆様は存分に叩いてくれ.

軍事研究が嫌なら金をくれ

だがな,大学は増え大学教員も増え,文科省から降りてくる研究費は減り,そのくせ社会から大学への要求が増えている今,軍事予算でももらわねぇとやってられねぇんだよ.時間金もない.金で時間節約するためにも金がいる.そんな底辺大学は知らんって?タイムズ世界大学ランキング日本国内10位くらいのうちが底辺だってならそれもいいだろう.それにだ,自分で言うのもなんだが俺がやってる研究なんざ,どう軍事的に役に立つのわからん

DARPA無人爆撃機作ろうぜ」

ワイ「よっしゃ無人爆撃機に指示を出すための音声認識ソフト作るわ」

DARPA「ええで」

ワイ「ええんか」

ってぐらい目的とずれた研究テーマが許されてる(研究テーマ架空のものです).所詮共同研究者だってのもあるが,科研費なら確実に怒られるくらい研究者に広い裁量が委ねられてた.防衛省予算がどんな形で使われるか知らんが,NHK特集したのが船の抵抗を減らす研究だっけ?NHKが総力を上げて一番軍事に使えそうな技術を選んだ結果がそれか?普通に民間の役に立つ研究じゃねぇか.積極的支援されて然るべきだ.お前らそんなに科学技術の足引っ張りたいのか.だったら裸に腰蓑付けて日本アルプスの奥地で猪でも狩ってろ.

それでも嫌なら科研費増やしてくれ.なんなら民間財団法人作って助成金配ってくれても良い.そうだな,年200億くらいくれるなら防衛省予算選択する人間は減るんじゃないか?なんだかんだ言ってもやっぱり防衛省予算にはそれなりに規則や縛りってのはあるから研究者裁量で使いやす助成金があったら飛びつくぞ.

手柄を横取りすんな

あと逆に,「軍事戦争科学技術の発展に貢献した」とかい軍国主義者だか歴史修正主義者だか「軍事アレルギーアレルギーだかも黙っててくれ.そりゃまあ確かに,コンピュータインターネットスペースシャトルも大量の軍関連予算が投入されて今日の発展を遂げたよ.それは間違ってねぇ.だが,それは軍関連予算なしでは成し遂げられなかったのか?コンピュータインターネットスペースシャトルも,アイデアや試作品大学とかの研究者がすでに持っていたものだ.だったらそこに金と人を投入しさえすれば進歩はしただろうし,別にそれが軍関連予算である必要なんかない.別に軍事研究副産物として生まれたわけじゃねぇ(電子レンジ軍事副産物と言ってもいいが).黙って金だけ出してろ.手柄を横取りするんじゃねぇ.

そりゃ原子力爆弾を作るためのマンハッタン計画で得られた膨大な研究データ原子力発電所を作るために活用されたよ.でもだったら最初から原子力発電所を作るために研究費とマンパワーを投入したらもっといいものが出来てたんじゃないかV2ロケットロンドンにぶち込む手間を考えたら,最初からサターンロケットの試作機作ってたほうが良かったんじゃねぇか?そもそもマンハッタン計画アポロ計画もその予算捻出のために,他の科学技術関連予算削ってたんだぞ.お陰でどれだけのプロジェクトが潰れたことか.全体で見れば明らかに科学技術の発展の足を引っ張ったじゃねぇか.

科学技術を発展させたいなら何も言わずに金をくれ.縛りを付けたり歪な選択と集中をやった上に,科学技術わしが育てた,とか手柄の横取りすんじゃねぇ.

まあでも軍事必要

つっても国防必要で,そのための研究開発が必要だってところに異論はないよ.そのためにそれなりの予算を割くことも仕方ない.そのお溢れに与れるなら僥倖だ.デュアルユースってが落とし所として妥当だってのはわかる.分かるんで,今の流れに異論はねぇ.だが財務省はしっかり文科省予算つけろ.これで良いとか思うな.

軍関連という色の付いた1000万と民間財団助成金のような色のない1000万なら,色のない方が研究者目的に沿った研究ができて科学技術は発展するよ.軍事研究科学技術の発展に貢献したなんて寝言は寝て言え.

だが色の付いた1000万と色のない100万なら,色があっても1000万のほうが科学技術は発展するんだよ.だから軍事研究が嫌なら金をくれ.それだけだ.

2016-09-29

人生の質を高める一番の近道を教えよう

オナニーの質を高めることだ。

人間人生においてこれほど手軽に気持ちよくなれることは他にない。セックス社会的成功ギャンブルもかかる手間とリターンの期待値を考えれば非常に効率が悪い。亀頭クリトリスにローションを塗ってコスるだけでいいオナニーの圧倒的コストパフォーマンスに勝る物など人生にはない。

何より自分の手を動かすことが快感につながるのが非常に脳にいい。そんなことはないと茂木健一郎が言ってきたら頭のブロッコリーを引っこ抜いてやる。自分の手で自分幸福状態に導く行為が生み出す自己効力感によって現代人に不足しがちな自己肯定感が補われ、脳が健全状態に近づいていく事は科学的にも間違いない。

だが、そこに1つの壁が立ちはだかる。それはオナニーへの忌避感だ。人間本能社会文化は子作りに無関係な性行為非生産的として敵視し続けてきた。そもそもオナニーという言葉自体が、膣外射精をしただけで天罰がくだるというくだらん言い伝え副産物なのだから恐ろしい。人生幸福を見出すことよりも、遺伝子に命じられるまま生むこと増やすことばかりを考えていた原始的風習が今なお我々を苦しめているのだ。

我々はこの「オナニーは悪である」という考えを取り払わなければいけない。それによってオナニー幸福度高まる。心の何処かでそれをしている自分否定しながらの行為というものは、何事であれ己に苦しみを与え脳や心を破壊し続けるものだ。だから我々はオナニー気持ちよくするためにオナニー肯定しなければいけないのだ。そもそも何故オナニー否定する必要があるのか。余分な性欲を処理することは脳のリソース管理家族計画を通しての人生設計において必要不可欠な物だ。前時代前例主義に我々の世代までもが合わせる必要はない。オナニー肯定しよう。そして屈託のないオナニー快楽により人生を豊かにしよう。Let'sオナニーLet's自己実現

2016-09-12

ネタバレ仮説】シン・ゴジララスト尻尾意味

シン・ゴジラを一度観てすぐ浮かぶ疑問点

  1. 冒頭の無人ボートはどういうことなのか
  2. ゴジラはなぜあの場所で「発生」したのか
  3. なぜ二回の上陸とも東京の中心を目指したのか
  4. なぜ二回目の上陸時は最初から完成形(第4形態)だったのか
  5. 自己増殖するゴジラ細胞(?)のシーンはなんなのか
  6. ラスト尻尾のアップのあれはなんなのか

以下は、これらをつなぎ合わせる妄想です。いちど観ただけの記憶を元に書いているので、細部記憶違いの可能性もあり。苦手な方はお帰りください。



(注)本文での論理展開の手順

シン・ゴジラ現実事件ではなく創作物なので、創作物なりの読み解き方ができるはず。

  1. ある人物が「○○○だ」あるいは「○○○かもしれない」と言っている。
  2. それは物語中で特に否定されない。
  3. ならば○○○はこの物語の設定をセリフに紛れ込ませた物語上の真実である

教授の人物像

物語中、唯一の癒やし成分として登場するカヨコ(石原さとみ)による情報で、ゴジラは60年前に米国杜撰に海中投棄していた核廃棄物が謎の古代生物の生き残りに作用して発生した新生である可能性が示唆される。そのレポートをまとめたのが牧教授。超重要なのに、セリフの中にしか出てこず、回想シーンすらない人物である

セリフの中にしか出てこないということは、セリフの中に出てくる説明や推測がそのまま牧教授の人物像の設定と考えていい。

ざっくりと箇条書きにすると

と、こんな感じ。

冒頭の無人ボートに残された「私は好きにした。あとはお前たちが好きにしろ」(だったっけ?)という捨て鉢メッセージ。揃えて脱がれてあった黒い革靴。牧教授はあのボートから海に飛び込んで自殺したことは間違いない。ではなんのために?

ゴジラ形態変化

パンフレットによると、映像には映らなかったが東京湾に出現した時点の第1形態はしっぽの長いオタマジャクシ型らしい。

出現時の順序は、次のようになっていた。

  1. 謎の高温により水蒸気爆発が起こる
  2. 海中を泳ぐなにかが視認される(第1形態
  3. 尻尾が海面上に現れる
  4. 上陸
  5. どんどん陸地向けに形態変化していく(両生類っぽい第2形態爬虫類っぽい第3形態
  6. 排熱が追いつかず退化して海に引き返す

高温は急激な形態変化の副産物なので、最初の「謎の高温」は、形態変化が爆発的に開始したタイミングと考えられる。

ということは、当然それ以前、オタマジャクシ型の「前」があるはずだ。

両生類←オタマジャクシ←(?)

ゴジラ細胞

  1. 物語の途中、米軍攻撃により地表に落ちたゴジラの体液がなにやら生物っぽく増殖している映像がサクッと挟まれる。これにより、ゴジラが無生殖で増殖する可能性が示唆され、国連東京に核攻撃を行うきっかけになる。
  2. ラストシーン尻尾のアップ。尻尾の先の方になるほど、クジラのような骨格や、人の手の骨のようなものがむき出しになっていく。
  3. ゴジラ遺伝子情報量人間の4倍である
  4. パンフレットによれば尻尾の先は「人の顔のようなもの
  5. ゴジラVSビオランテ以降、ゴジラ細胞は「G細胞」と呼ばれ、ゴジラ以外の生物摂取すると体を乗っ取られてゴジラ化してしま公式設定がある。

これらのことに、古今の漫画的な「お約束」を加えると、ゴジラが他の生物を「取り込んで」成長することは明らかだ。

尻尾の先にあった別の生物らしき骨格は、ゴジラが吸収して未消化の(あるいは完全生物であるゴジラにとって不要判断された)パーツと考えられる。

教授がやったこと

さて、ここから大きくハネてみる。

米国沿岸で発生したゴジラ。これが「わざわざ」東京湾までやってきて爆発的に成長を始める。そして「なぜか」東京の中心(日本の中心)だけを執拗に狙う。

ここに「日本を憎んでいて、最近米国から日本に移動したマッドサイエンティスト教授」というピースを当てはめるとすべてがしっくり来るストーリーが作れる。

  1. 教授調査中米沿岸の海底で入手したゴジラ第0形態(卵型)を日本に持ち帰り、東京湾身投げしつつ摂取した、あるいは取り込ませた。
  2. 人間ゴジラにとって初めて取り込む知的生命体だったため、ゴジラには原始的自我が生まれ、その意識は牧教授怨念ともいえる「日本を滅ぼす」一色で塗りつぶされていた。
  3. 教授の脳から地理的知識も取り込んでおり、東京の中心(皇居霞が関都庁等)の方角を間違えずまっすぐに進んでいった。
  4. 放熱が上手く行かないためクレバー判断で一旦太平洋に引き返したあと、クジラ等大型海棲生物を取り込みつつじっくり完全体(第4形態)となり、再度鎌倉から上陸して東京を目指した。

こうなっていたとすると、ラストシーン尻尾ゴジラが他の生物を取り込む設定→冒頭の無人ボートの謎が解けることになり、物語がきちんと閉じて気持ちいい。

教授が本当に憎んだもの

この説に直接関係はないが、牧教授遺書「君たちが好きにしろ」というのを深読みすると、牧教授が憎んだのは日本のすべてではなく、自分研究をきちんと評価しなかった学会官僚主義といったものだったかもしれない。現在日本はどうしようもないから滅んだほうがいいが、ゴジラを乗り越えられるような日本に生まれ変われるのなら、それもまた良しといったメッセージのようにも思える。

ところでそれヒゲメガネじゃね?

こうしてみると、これを思い出さないだろうか。場所鎌倉芦ノ湖で近いし。

http://goo.gl/1pbxXQ

あっ、作者が同じだ!偶然だね!

2016-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20160728123245

モノ好きとかでやってみたことから良い副産物を得られたりすることって、確かにままあるね。

2016-07-25

巷で話題ポケモンGoをやってみた。

巷で話題ポケモンGoをやってみた。

広島の糞田舎じゃポケモンそんないないだろうなぁと思ってたけど、地元の幾つかある神社やお寺にナゾノクサかいてゲットしてみた。

なかなかかわいい。。

初詣大勢賑わう大きめの神社にはレアポケモンロコンがいた。

そのためちらほらとポケモンプレイヤーと思われる人が集まっていたんだけど、そのうちの1人から声をかけられた。

ロコン捕れましたか?」

簡単言葉だったけど女性だったから嬉しかった。

ちょっと戸惑いながら返事をするとニコッと笑って今まで集めたポケモンを見せてくれたりした。

嬉しい出会いポケモン副産物なんだな。

LINE聞けなかったけど、またあそこの神社行けば会えるかな。。

帰りに可愛いハムスターが道をトコトコと歩いていたので手にとってみたら

「ぴかぁぴかぴかぁ」

と奇妙な鳴き声を出した、、

驚き慌てて手を放すと怒ったらしく

「びかあああああああああ」

と唸り声をあげたところまでは覚えている。

気づいたら病院にいた、、、

家族の話だと全身感電ショックで倒れていて、救急車で運ばれたらしい。

あのハムスターはなんだったんだろう。。。。

僕がリアルポケモンボールをもってさえいればな。。

退院したらオーキド博士会いに行こうと思う。

2016-07-22

デブダイエット奮闘記-2

今日ラーメン美味しかった。

順調に体重も減りつつあり、今月の目標まであと1.5キロ。なんとか達成したいなぁ。

しかし思わぬ副産物症状が現れてびっくりしてる。

野菜は嫌いじゃないけど自分で作ってまで食べようなんて意識は皆無だったけど、変な因果サラダを1-2日に1回は食べるように。

ダイエットを始めたか継続してるけど、最初理由は粉ドレッシングトスサラ http://www.ajinomoto.co.jp/tosssala/about/ に出会ったこと。

見た事無くて、へー!こんなのあるんだー面白そう買ってみようと思って食べてみたら凄くおいしい…!

元々酸っぱい系ドレッシングが苦手で、マヨネーズっぽいものだけ食べれたけど、これならいける!

野菜チキン入れて、ゆでたまごも好きだから入れて、ガーリックチップも入れてみたい…うんぬんやってたら自分好みの美味しいサラダが出来上がってしまった。

ローカロリーから食べてるってよりも、おいしくて好きだから食べたいに変わってしまった。

デブ問題点ひとつは「食べたいものを食べたい」だと思う。野菜なんか、豆腐なんか、こんにゃくなんか味気なくて食べたくない…で拒絶反応がでる。

だったら食べたくなるようなもの入れればいいじゃんって話で、続ける為にはこういう創意工夫で好物に変えることも大事なんだな〜と思いました。

慣れるまでドレッシングじゃなくて焼肉のタレでもぶっかけるのもありじゃないかな。自分は今度は生ホタテ入れて京風ゆず味試そう。

で、そうそ副産物症状。

化粧しててあれ?って思ったけど、気になってた小じわが消えてる…。

ちりめん皺っていうのかな、仕事柄・生活習慣柄・加齢でこれは避けられない道と思って諦めてたのに、うっすらしわが浅くなってなくなってきてる。

うそマジで

ラ・プレリーはいかないけど、国内メーカーでは断トツ美肌効果に力を入れている化粧品使って幾年、じわじわ進行する状況にしょうがいか…って思ってたのにまさかの。

これは何が原因なんですかね?!

何かを始めるとき一新する気分でいろんなことを始めるので正直今回は原因がなんなのかわかってない。

摂り始めたのは野菜だけではないし、豆腐タンパク質?それとも逆にお菓子の類いの摂取量を減らしたからかな?

とにかくいい事尽くめって感じです。いやーほんと嬉しいなこれは。

ここからは汚い話。

から快眠快便体質だったけど、始める前より大の回数が減ってしまい…。なったことないけどこれが世に言う便秘か…と悩んだけど、考えた結果これはもしかして今までより食べる総量が減ったから回数も減ったのでは…?と。

入る量と出る量を考えたらそりゃそうか。安心した。

しかデブダイエットは大変だね。

自分を奮い立たせる為にそういう類いのブログ記事を読むようになったけど、ダイエットしたい!といいつつ、色んな提案されてもそれはできない・あれは無理みたいなの多い。

急激に変える必要はないし、かつ(ダイエットが済んだとしても)戻してもいけないんだから徐々に自分食生活を変えて行くしかないのに、豆腐は食べ応えない、ささみ毎日だと飽きそう、とか。

そのままの食生活でまずは間食をやめること、控える事からでいいと思う。米をいきなり断つんじゃなくて、2/3に減らすだけでもいい。

なんで徐々に慣らそうとしないのか不思議

で、その割に始めて2-3日で結果が現れ始めないと挫折ちゃうっていう…。

デブだと一日で1キロとか余裕だけど、軽い食事制限ではっきりとした効果!じゃないとへこたれてしまう心の弱さよ…。

あと思うに男性女性で向いてるダイエットって違うな〜とも思ってます

男性絶対運動!!筋トレ無酸素運動+有酸素運動!気を抜くとすぐ太っちゃう体質(香取慎吾さんとかそうでしたよね)出ない限り、男性は体動かすと割としゅるしゅると体引き締まっていって羨ましい。筋肉ついて、太めでもガタイよくてかっこよく見える。

女性ハード運動は向いてない方多そうな印象なので無酸素運動食事制限の併用が合ってるように思う。それで体が慣れて来て、落ちにくくなってきたらもっと色々ハードにしたらいいんじゃないかな。

自分に合った、あまりストレスにならないダイエット方法自分模索して見つける事が、デブ痩せる第一歩目ではないかと思います

2016-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20160701205040

フライパン使ってトロ火でパリパリになるまで焼くと別の食べ物になるよ。

鶏油作る時の副産物だけどあれに醤油つけて食うのも楽しみではある。

2016-05-24

あいうおんちゆう

会いに行けるアイドルと言う概念を、一般化させた秋元康には

やりに行けるアイドルと、刺しに行けるアイドルと言う副産物に対する責任があるのではないだろうか。

2016-05-21

ダンス嫌いを克服した

http://anond.hatelabo.jp/20160520232557

私と同じかわいそうな目にあった人をみかけたので、ダンス練習法を残しておきたいと思う。いくつかの条件があるので、役に立たないかもしれないが…。

私も体育のダンスはとても苦手であった。小学校運動会で踊ったRYDEENも辛かったし、中学校体育祭ダンスコーナーも最悪だった。休んで逃げたかった。高校フォークダンスは休んで逃げた。

運動も初期値でパラメータが高いわけではないので、体操系やマット運動などは嫌いであった。本当に公開処刑だよね。体育が嫌いな諸先輩方の主張の通り、体育は練習や訓練の場ではなく、ぶっつけ本番の発表の場なのだ

バレーボールでもバスケットボールでもサッカーであろうと、やっているというだけで、スポーツとしての本質に迫ることはなかった。

体育のサッカーは、みんながボールに群れるような状態で、戦略的コートの中を移動するクラスメイトは皆無であった。キャプテン翼サッカーのすべてのような情報量だったせいもあるのかもしれない。キャプテン翼再現としては顔面ブロックをして鼻血をだしてりもした。

社会人になってから誘われたフットサルでは、ボールがこなくても、キャプテンの指示のもと、コート縦横無尽に動くことを要求された。ボール位置相手ポジションに応じて、おのおのが相手戦略邪魔するようにコートを最大限の運動量で走り回らなければならなかった。

ボールがこなくても自分の動きで次第で、相手の動きが大幅に変わってくるので、それだけでも面白かった。

指導者の力量によって、スポーツの楽しみは大きく変わることが分かった。

私が出会った学校教員はそこまでの能力がなかったのであろう。指導者が悪くても学校は逃げ場がないんだよね。

閑話休題。話をダンスに戻そう。

ダンスに取り組んだのも社会人になってからだ。

いろいろな事情で、ハレ晴レユカイを踊らなくてはならない状況に追い込まれた。事情想像していただきたい。いっしょに指導してくれる人もいた。

その人から聞いたポイントは、以下のようになる。

・早い動きのところで、同じ動きを2回するところは1回に省略(見ている人は気が付かない)

・足のボックスの動きをずっと練習(とりあえず踊っているように見える)

指導者おすすめYouTubeの「踊ってみた」を見ながら振り付けを覚える(アニメ映像情報量が少ないことと踊る人によって、細部の解釈が異なっている)

・かっこいいところは練習量を増やす(それらしく見える)

指導者からノルマの通り、アニメED版の1分30秒を1日に10踊ってみた。正確には、フルコーラス版を1番で終わるようにつなぎ合わせて編集をしたバージョンだ。アニメED版は、1小節カットされているのだ。

2週間後にはなんとか体が動くようになった。そして、なんとか、本番のステージを乗り切ることができた。

この試練を乗り切ったあと、副産物として、体の動きについて、洞察力が深くなった。

たとえば、振り上げた指先の動きであったり、手のひらが体の前のほうを向いているか後ろを向いているのかなどといったことが区別がつくようになった。

さらフレーズというのか、定型的なダンス向けの体の動きがあり、それの組み合わせで、ダンスっぽく見えることが分かった。プリキュアEDダンスくらいであれば解析と再現可能となった。が、ほとんど使い道のない知見なのであった。

学生時代にその域まで達していれば、別の人生があっただろうにと思うととても残念に思う。しかし、視野が広がったのはよかったと思う。

ここまで書いてきて、サッカーときダンスときでいくつかの共通項がある。一つは、指導者存在だ。人に教えることがうまい人との出会いは上達することを容易にする。二つ目自分でやろうとする意志だ。やらされている体育ではここまでの持続的な情熱は持てないだろうと思う。

と、ここまで書いてきたのだが、この年になるとあのステージ以来、ダンス披露する場はない。もっぱらカラオケネタしか使えないのであった。

ライトオタクが楽しんでいない理由

01.ライトオタクオタク

大抵の人は読みに行くのではなく読ませてくれるものを求めている。

オタクという人種は広義に捉えて読みに行く人種なので外装が小難しくても勝手に追求して読みに行ってしまう。

そこに深い知恵や知識、面白みが存在している可能性についての成功体験があるから

もともと求めない人たちはその成功体験に対して感動を覚えないか、覚えても素通りしてしまう。

あるいは深い部分に至る前に全部消費物として投げ出してしまうのかもしれない。

02.能動受動

いずれにせよライトオタク気質の特徴は受け身であり、お客様気分が大勢を占めるため楽しみの苦労や苦痛というテーマ理解しない。

しろそんなことを言えばなぜ楽しみに苦しみが必要なのかと怪訝な顔をされてしまう。本当に楽しいものの背後には面倒があることを知らない。

楽しみの背後の苦しみはコンテンツ理解に対する挑戦だったり、自らその世界に飛び込んで発信者になったりすることで発生する。

SNS時代に入ったこともあって、ここにはたくさんのリスクがあるし、その一方で宝くじのような面白みにも出会える。

ただ享受する側としても深く受け止めようとすると大小プレッシャーが掛かる。

場合よっては表にまとめたり文章を書き起こしたりするオタクも現れる。

03.想像と非想像

このようにオタクライトオタクの相違は、そこに受け手としての想像力があるかどうかにかかっている気がする。

しませてくれという態度は人生を摩耗する態度ではないのか。

ちなみに釣り気味のタイトルに対してライトなりに楽しみ方はあるという反論可能性として出てくるとは思う。

但しそれは潤いとしてのつまみ食いであって楽しみ方の本流ではないと個人的には考える。

04.ハイエナサバンナ

こうした観点からオタクというもの再確認すると、バイラルメディアに流れるオタクの諸相はほとんどが消費傾向にあり、ライトオタク層が大半を超えるという結論にならざるをえない。

このためにバイラルメディア創作を潰すばかりか、創作からまれる広義の二次副産物を維持する力をも失わせるのである

想像のないものは摩耗し一時的生産物は消費されて潰えてゆく。バイラル本質ハイエナ的であり一帯は生肉を植える焼畑農業に近い。

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