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はてなキーワード: 自分自身とは

2017-03-29

急に仕事に対するモチベーションが下がってきている

もともと、自分自身ワーカホリック人間だと思っている。

仕事が好きだし、けれど、仕事が扱っている対象が好きというよりは、ゲームみたいな感覚課題ハードルを乗り越えていくのが面白いと感じていた。

最近も、アサインされたプロジェクトでの裁量が大きくなって、求められるレベルがあがって、やりがいを感じていたはずだった。

残業時間も、会社の中では多い方だった。

けど、なんとなく仕事に対するモチベーションが、最近弱くなってきたきがする。

前までは業務で抱えている課題を考えるのが好きだったし、家帰ってからも考えるということが普通だったんだけれど、

なんだか億劫に感じる。

これが原因じゃないかな?っておもっているのは、最近電通問題に端を発している長時間労動抑制の流れが、社内で強まったこと。

それまではけっこう労務管理ゆるい会社だったんだけど、今では上司労働時間管理も厳しくなったし、残業時間を減らすように口酸っぱく言われている。

結果、たしか残業時間は半分から2/3くらいになった。

でも、残業時間コントロールしようとした結果、それまでがむしゃらに頑張ってたり、クオリティに何が何でもコミットするっていうスタンスおざなりになって、モチベーションの蓋をされた感覚がある。

ワーカホリックな人は働きたいのに働かせてもらえないみたいな思いを持ったりするのだろうか

テメーが何をしたかを語れよ

とあるセミナーに行ったのだが最悪の内容だった。

ほとんどの内容が

有名人の○○さんの話なんですが〜」

「売上100億超えている友達の話ですが〜」

と、他人エピソードばかり喋りやがる。

自分がどれだけ有名人友達かと自慢したいんだろうが、聞いてるこちらからしたらそんなことはどーでもいい。

有名人の話ならその人の本を読めばいいし、伝聞形式であればどんな人間でもエピソードは語れる。

そんな内容に興味はないし、話に熱もない。

テメーの周りがどんなすごいかは知らねーけど、肝心のテメーはなんなんだよ?

何したんだ?どれだけの功績を残したんだ?社会にどれだけ貢献したんだ?

自分自身を語れねーやつが偉そうに前で喋るな。胸くそ悪いんだよ。

別にコイツだけに限らないが、周りがどれだけすごいかなんてどーでもいい。それよりも自分を語れよ。


自分に語るべきところがないからって周りを引き合いに出してんじゃねーよ。

オメーが死んでも誰も葬式にこねーぞ、今のままだと。クソ野郎のままじゃな。

白いコート置き場だった私。

最近は人のお買い物に付き添うことが多い。

自分の物は全く買わず、人が買っていくのを見守るのみ。

アドバイスも口出しも何もしない。見てるだけ。

そして、買い終わったあとに、「良いものを買いましたね」というのみ。

何回もその現場に立ち会うたびに、自分の買い物について考えるようになっていく。


M氏はいつも何かを求め、毎回妥協して同じような何かを買っていく。

満たされない心を妥協で埋めているように見えて悲しくなる。

私も買い物をしているときはそのような感じなのであろうか。

そうして、M氏妥協で手に入れてた何かは私のところに回って来ることが多い。

それらは私をとても困らせる。

だが、それらを処分するたび自分の持ち物について考える。

自分妥協して手に入れた物を見るたびに辛くなる。

他人妥協を受け入れることに疲れているくせに、自分自身自分妥協したものを与えていることを目の当たりにしているからだと思う。


今まで白いコート通算5枚以上貰った。

けれども、私は白いコートを欲してはいない。

白いコートが欠乏している風貌をしているのか?と悩んだが自分にとって不必要である

M氏は勘弁な白いコートを見つけるまで、その残骸を私にくれるのだろう。

妥協していたら毎日白いコートばかり着ることになる。

私は私に白いコートを与えたくない。

私はゴミ箱だ。

好みでは無い服、サイズの合わない服、時代遅れの服が増えていく。

妥協し過ぎると、他人ゴミ自分が埋まってしまうぜ!白いコートしか着ることが出来ない。

必要なモノだけが欲しい。

そして、それは自分で手に入れるしかない。

はいらない。貰いたくない。

私はゴミ箱では無い。

M氏のことは好きだが会うたびにものをくれるのでストレスだ。

連絡しなければいけないのに、億劫で出来ない。

私は冷たいのか?

白いコート置き場だった私。

最近は人のお買い物に付き添うことが多い。

自分の物は全く買わず、人が買っていくのを見守るのみ。

アドバイスも口出しも何もしない。見てるだけ。

そして、買い終わったあとに、「良いものを買いましたね」というのみ。

何回もその現場に立ち会うたびに、自分の買い物について考えるようになっていく。


M氏はいつも何かを求め、毎回妥協して同じような何かを買っていく。

満たされない心を妥協で埋めているように見えて悲しくなる。

私も買い物をしているときはそのような感じなのであろうか。

そうして、M氏妥協で手に入れてた何かは私のところに回って来ることが多い。

それらは私をとても困らせる。

だが、それらを処分するたび自分の持ち物について考える。

自分妥協して手に入れた物を見るたびに辛くなる。

他人妥協を受け入れることに疲れているくせに、自分自身自分妥協したものを与えていることを目の当たりにしているからだと思う。


今まで白いコート通算5枚以上貰った。

けれども、私は白いコートを欲してはいない。

白いコートが欠乏している風貌をしているのか?と悩んだが自分にとって不必要である

M氏は勘弁な白いコートを見つけるまで、その残骸を私にくれるのだろう。

妥協していたら毎日白いコートばかり着ることになる。

私は私に白いコートを与えたくない。

私はゴミ箱だ。

好みでは無い服、サイズの合わない服、時代遅れの服が増えていく。

妥協し過ぎると、他人ゴミ自分が埋まってしまうぜ!白いコートしか着ることが出来ない。

必要なモノだけが欲しい。

そして、それは自分で手に入れるしかない。

はいらない。貰いたくない。

私はゴミ箱では無い。

M氏のことは好きだが会うたびにものをくれるのでストレスだ。

連絡しなければいけないのに、億劫で出来ない。

私は冷たいのか?

http://anond.hatelabo.jp/20170328122012

元増田意見否定しようとか、なってない! と怒りたい意図はなく、ただたんに元増田文章を読んでの自己分析です



これは僕がコードを書くことが主な仕事からそう思うだけかもだけど、

元増田会社要求すれば開示しますけど? という態度は、僕にはちょっと信じられない。



元増田にとっては「それらもやった上で今があるんだよ!」となるかもだけど、

書いたプログラム仕様や使い方を自分から誰にも説明せず、説明するだけの資料も作らずに

自分だけのものにしちゃうその行為は、僕にはとても不快で、とても居心地が悪く思えて仕方がない。



元増田のいう「自分評価しない」とか「前任者の方が優れていたと噂を流す」とか、そういう不快なことをされたことと、

自分プログラム仕様を誰にも自分から説明しないことに因果関係を結ぼうとするのが、どうにも僕には収まりが悪い。



たとえ話をすると、話題がブレてしまうけど、

コンビニ割り箸を付け忘れた店員がいたから、子供小学校に行かさない」ぐらいの突拍子もない出来事に思えてしまう。

もちろん、元増田にとっては、同じ仕事の中なんだから因果関係があるのだろうけど、

どうにも、そこがしっくりこない。

聞いてきたら教えますけど? っていう態度をとっていいわけがないと思えてしまうんだよね。

たとえ自分評価されてなかろうと、自分にとって不愉快な噂話をしていようと、

自分業務時間に作った成果物仕様を正しく皆に説明しなきゃいけないという使命感を超える不快さじゃないんだなあ、僕にとって。




けっきょく、なにに重きを置いて生きているのか? みたいな価値観話題になってしまうけれど

僕にとっては自分自身評価よりも、自分が作ったコード評価の方が大切なのかもしれないなあ、

いやこれもバランス問題であって、どちらに偏るのが良いとか悪いとかじゃなくて、程よいバランスをとるのが大事なんだろうけど、

自分が一人で考えてしまうと、どうしても、僕はそちらの方に偏ってしまうんだなあ。

2017-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20170327190718

「本人が充実した人生を送るか」が大事

自分自身で選んできたものが「生きた証」になる。

仕事は大抵「死んでも代わりがいる」ので

しかしたら、生きた証と感じにくいのかもしれない。

家族や友人、個人時間を通して見つけた

死して尚、続いていく何かが「生きた証」として実感しやすいのかも。

自分自身で選んだものが「仕事」ならそれはそれで良いとは思う。

2017-03-27

イベントで買った同人誌がハズレだった

タイトルの通りである



春コミで買った同人誌のいくつかがハズレだった。

10冊買って10冊全部が最高だなんてことはありえないと思っている。

言っちゃ悪いがプロでもなんでもない素人創作物だ。そういうこともある。というか、そういう事の方が多い。

それを500円、1000円、あるいはもっと金額を出して買うことを選んだのは自分自身であることもわかっている。

それでも500円あったら安いランチが食べられるし、1000円あったらいろいろできる。

金を払っているんだから私を楽しませろ、とは言わない。同人誌個人の嗜好の発表会である

描き手が妄想をかたちにしたものを、買い専の私は金を払って見せてもらっている立場なのだ

から描き手にああしろこうしろと注文をつけることはしない。

しかし一方で、せっかく金を払ってるのだからその分は楽しみたいと思っている。

貧乏性の私は1000円を無駄にしたと思いたくない。



今回ハズレだった本は

・表紙こそ好みの絵柄であったが本文はそうでもなかった

・どういう話なのかよくわからなかった

・推しのキャラ解釈が合わなかった

長編オチが気に入らない

といった具合である



これをどうやって金額分の元を取るかといえば「よかった探し」をする。

・本文はそうでもなかった=表紙は好みだった

・どういう話かよくわからなかった=雰囲気と絵は好き

キャラ解釈が合わなかった=別のキャラ解釈は合っていた

オチが気に入らない=その直前まではよかった



このように考えるけれど、ネチネチした性格の私は「とかなんとか言ってもハズレはハズレ」という思考は残っている。

その思考ねじ伏せるくらい「ここがよかった」というポイントを羅列していく。

しかし言うほどぽんぽんと出てくるわけがない。出てくるくらい良い本ならそもそもハズレとは言わない。

それでもひねり出すためにどうするかというと、感想を書くのである



最近は本の奥付に感想フォームのQRコードを載せているサークルがある。

そこから感想を送る。別にpixivメッセージでもいい。

当然だが「お前の新刊買ったけど表紙に比べて本文が下手!表紙詐欺!」などという内容ではない。

「会場で思わず手に取ってしまうほど素敵な表紙でした!」と書く(この感想がいい感想かどうかは別だ)。

とにかく気に食わない点以外は全部褒める。

絵が好み。線が綺麗。話が上手い。描写が丁寧。タイトルけが巧み。カラーの色使いが素敵。

ネタがなければ装丁を褒める。PPがかわいい特殊紙キャラにぴったり、本文色インクが話の雰囲気マッチしている、とか。

とにかくほめる。ほめちぎる。目についた要素を全部ほめる。

もちろん自分に嘘はつきたくないので、絵が気に食わないのに「好みの絵柄です!」とは書かない。

感想を書くために目を皿にして長所を探し、実際に文字に起こし、誤字や失礼な言い回しがないかチェックする。

そうすると自分の中で「あれ、この本ハズレじゃなくね?アタリじゃね?」と思えてくる。

時間をかけて感想を書き、送信ボタンを押す頃には、ハズレの本はハズレでなくなっている、ことがある。

もちろん全部が全部そうはならない。現実非情である



最近Twitterアカウントも奥付に載っているので、鍵付でなければ感想を送ったあとでアカウントを覗きに行く。

すると「感想をもらえた!嬉しい!」とツイートしていることがある。

それを見て「私のようなネチネチした人間が送ったとも知らないで…」とニヤニヤしている。



そして大事なのはアタリだった本にも感想を送ることは忘れてはならないということだ。

愛はハーゲンダッツストロベリー

たとえばデパートで手に入るような高級なものではなくて。はたまた有名なパティシエが手掛けた感じのブランドものでもなくて。

きみが心から欲していた“幸せ”って、本当はハーゲンダッツみたいなものだろう。

きみの求める幸せなんて、近所のコンビニエンスストアで買える。そんなことにはもうとっくに気付いていたくせに、わざわざ遠回りをして、遠くで見つけたものほど価値があるんだって錯覚していたんだ。

遠くへ遠くへ彷徨った挙句に疲れ果て、長旅に気が済んだ人から順々にここへ帰ってくる。いらっしゃいませ。おかえりなさい。




他のアイスクリームに比べると確かにちょっと高価かもしれないけど、手が出せないような値段ではない。高価だから好きってわけじゃないし、広告イメージがカッコいいから好きってわけでもない。

ただ単純に、それを口にするだけで無条件に幸せになれたんだ。そんな体験がきみにもあっただろう。きみの頭が憶えていなくても、きっときみの味覚が憶えている。今はただ、思い出せないだけで。



手を合わせて何かを祈ることが宗教だというのなら、きみもまた何かの信者だといえるだろう。

誰かがきみのためハーゲンダッツを買ってくる。それは、きみのことを考えて選ばれたストロベリー味かもしれない。きみのためストロベリー。きみだけのストロベリー。愛の発明とはその特別さに気づけるかどうかだ。

付加価値自分自身で見いだせる。物や感情事象に、特別価値を付け加えるのは自らの想像力だ。そしたらもう誰にも騙されないよ。先生にも、広告代理店にも、教祖さまにも。



<愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ>

あるシンガーがそんなふうに歌ってから20年が経った。

この20年で、きみは一体いくつの愛を見つけることができただろう。一体いくつの愛を見過ごしてきただろう。

きみの愛はここにある。

愛はハーゲンダッツ

愛はハーゲンダッツストロベリー

後悔する人生生きろ。

「後悔したくないから」という言葉を聞くが、後悔の何がダメなのだろうか。自分の不甲斐なさを感じるから。変えられない過去に囚われてしまうから理由の多くはそんなところなのだろうが、自分選択理由を「後悔したくない」という理由で片付けたあなたの考え方は、いささか気に入らない。後悔について真剣に考えてきたのならば、そのような答えにならないから。



「あの時ああすれば良かった」と思うことは、生きていれば幾度となくあるだろう。だが、それがいったい何だ。その時のベスト選択をした結果、そうなっただけだ。そして、その時のベストと「今の」ベストが違っていただけだ。それは、当時と今では手持ちの情報カードが違ったり、自分自身の成長という事実からくる「違い」だ。後悔すらしない人生に、何かの価値があるのだろうか。後悔の量は、成長の量と同義だ。



その点からみると、後悔は生きている証だ。ただ生きて日々を消費しているだけではなく、その日その日を大切に生きた結果が後悔だ。後悔を避けて、自分のその時のベスト選択を遠ざけて、そうやって生きた結果に何の意味があるのだろう。一度でいい。ちゃんと後悔と向き合うべきだ。あなたが避けてきた後悔は、そんなに怖いものではないから。次につながる大切なものから。後悔を避けた選択を続けても、何も得るものは無い。後悔を避け続ける人には、何の成長も無い。



後悔を避けさせる大人を信じてはいけない。彼らはあなたの成長を考えていない。その一瞬の心の痛みを避けさせることだけを近視眼的に考えるだけの、表面上の幸せだけを求める人だからあなたのことを真剣に考えるならば、私ならばこう言う。大いに後悔しろ、そして必死生きろ。どうしても耐えられないのであれば、その辛さは一緒に分かち合うから



後悔の無い人生など何の価値も魅力も無い。そうやってうじうじ悩んだり、辛さを感じたりすることこそ人生本質であり、人の魅力を作るものであり、他の何にも変えがたい経験としてあなたの成長を支えるものだ。だから、大いに後悔しろ。今のあなた選択は、正しいから。

2017-03-26

Twitterやめたらとっても楽ー!!

義理のふぁぼりつに踊らされて、一喜一憂してるのが本当に馬鹿しかったなー

といっても自分自身どんなものでも反応欲しかっただけなんだから、とっととインスタなり渋なりに移りゃ良かったんだけど、感覚がかなり鈍ってたんだな。

同人オタク共は気持ち悪い馴れ合いしかしない。

適当な絵かいてる癖してプロ気取りの性悪リア友(今となっては大嫌いだけどww)の存在も嫌。

なにより今の同人やってる奴等は「私オタクだけど世の中の問題熟知してます博識ですそこいらの低脳オタ共と一緒にしないでください」みたいなのばっかりで鳥肌立つ。

そいつらがRTするのはきまって「今の日本労働の異常さ」「ジェンダー論」「どうでもいい豆知識(にもなってない)」「子供もいないくせに分かったような子育て論」だからTLも気持ち悪くなった。

「この絵がいい!」「この絵の塗り方気になる」「このアニメが好き!」という感じの話をしたいけど、きちんとした対応でそういう楽しいやりとりができるのはフォロワーの半数以下...

なんでこんな気持ち悪いTL見ながら反応気にして媚び売って一緒に変態にならなきゃならないのかなーと考えたら自分の中で何かが腐ってった。

元々私にTwitterというシステムが合わなかったんだわな。

これからはただ絵を載せてひっそりやっていこう!

仕事たらい回しで異動してきた人の面倒をみることになった

その人は私よりも15歳くらいは年上の女性だ。

部署であまりにも仕事ができなかったために、うちの部署に回されたらしい。

無論仕事はできない。彼女の面倒をみることになりしばらく経ったがやはり骨が折れる。

世の中色々な人がいるとは思うが、やはり異なる価値観世界に住む人と接することになると消耗してしまう。

自分自身20代なこともあり、スキルアップや学ばなければいけないことも数え切れないくらいあるだろう。

中学生であれば十分に判断できるような内容の仕事を何十回と言い聞かせて、それでも覚えて守らない事に心が折れかかってしまっている。

例えるとするなら「りんごはこのAの箱に入れてください。」と言ったとして対応できるかが怪しい。

多分この内容でも、2,3回繰り返して説明し、一切に箱に入れるのをそばで見ながらうまく箱に入れることができたら、

「〇〇さん、よく箱に入れることができましたね。ありがとうございます。」と言って感謝を示し、

それでも次に実行するときは忘れていないか注意しながら必要であればサポートすると言った具合だろう。

他の同僚からは、あなたは優しすぎるといわれた。

私は、自分でそのことが優しいかどうかはわからない。必要なことだからやっていると思っている。

悩んだり考えたりしないで環境を変えるべきなんだろうか。疲れすぎて、何もできなくなりそうだ。

たとえば日記

公開したりするでしょう?



ネット



私 よく読むんですがね



若い世代のあの手の日記

非常に不可解ですよ



あれは読み手

意識した日記でしょう?



それも大抵は

理想読み手を想定しているんです



自分自身

自分の周囲の世界だけを

表す言葉を散りばめて・・・



本来 そんなものを読んで

正しく理解できる不特定多数

読者など存在しない



けれど そんな自分だけの言葉

理解して共感してくれる

読者を想定して書かれている



それって恐ろしく

孤独作業ですよね



そう思いませんか?



世界中の誰もが見られるネット

本当は誰にも理解できないことを

書き記して公開してるんです



それはメッセージですらなくて

主張でも自己顕示欲でもなく

ただのつぶやきです



でも それが必要なんでしょうね

若い人たちにはね



つぶやくことが・・・



それをひっそりと晒すこともね

1年目を乗り越えた社会人から就活生へ

俺はこの文章を、これからエントリーシートや、OB訪問や、面接に挑む就活生が、一人でも読んでくれればと思って書く。


俺は昨年、とある企業新卒入社した。社会人1年目がもうすぐ終わる。

その間に、俺の友人たちは多くが退職し、転職し、また心を病んだ。

それを眺めながら、俺は多くのことを学んだ。それを、少しでも誰かが役立ててくれればいいと思って書く。


君が会社入社して、働き始める。そこで何か致命的な不都合が起こる。そういうときに君は仕事を辞めるとか、違う仕事を見つけるとか、休職するとか、そういうことになる。

俺の知る、ブラック企業入社して、転職したやつらは、みんな楽しそうにやっている。それは良いことだ。転職は悪いことではない。

そしてやつらは、「2度目だから社会人を一瞬でも経験たから、良い仕事に就けた」と言う。それは一理あることだ、というか当然のことだ。

それでも、退職転職ものすごくパワーと時間を要する。そしてそこに前の職場で過ごした時間プラス、とんでもなく無駄時間だ。

(前職を無駄だとは思わない!というような転職の話は今回したい話ではない)

できれば、その会社に1度で入れるにこしたことはない。


これから書くのは、「どんな職場が生きやすいか」ということについて、一年見聞きしてきたことの感想だ。

身も蓋もない話だが、これを知っていたからといって、やばい状況を確実に避けられるというわけではない。

ただ、少しでもリスク回避ができるかもしれないとか、泥沼を泥沼と判断できるのが早くなるかもしれないとかそういう話だ。


最初に言っておくが俺はいわゆる典型的オタクだ。

家で一人で過ごすのは苦にならないし、あまり喋るのは得意ではない。パリピの対極に存在する。

というわけで、俺は大卒の中でも、どちらかと言えば同類の方のことを考えて話をしようと思う。パリピは頑張って生きて欲しい。君たちは大丈夫だ。


そんな、大勢でわいわい、体育会系のノリにはついていけない、という人間が、就活サイトとにらめっこをしながらどんな条件の場所で働きたいかを考えたとする。

「土日祝日休み残業はなし」

「小規模でアットホーム職場

上司との距離が近い、フラット職場

転職がない」

こういう文句に、君は惹かれるかもしれない。

趣味時間を使いたい。大企業大勢の中に溶け込むのはしんどい体育会系上下関係は苦手。できれば同じところでずっと働けた方が楽。それはその通りだ。


「この条件さえ揃っていれば、どんな仕事でも暮らしていけるだろう。私の生きがいは趣味にあるから仕事人間になる気はないし」

そういうふうに考える人もいるだろう。


しかし、ここには大きな落とし穴があると思う。



万が一、何か問題が起きたとき、逃げ場がないのだ。



まず1つめの「土日祝休み残業なし」。そもそもこれはけっこうな会社が条件に挙げている。しかし、本当にこれが徹底されている企業は多くはないと俺は思う。

残業めっちゃあります!土日も仕事してもらうぜ!」と看板にかかげる会社普通ない。(ぼかしてそう書くところはある)

職種によるところはあっても、完璧に条件通り、ということはないと思っていたほうがいい。


1つめの砦は早々に崩れるものだと思おう。そんな時、「それさえあれば、あとはなんとかなる」という発想で仕事を選んだ者は簡単に折れる。

二兎を追えないからと一兎を追おうとしたのに、その一兎すら捕まえられないのだ。

君がそのために生きようとしていた趣味は、もはや君を支えてくれるかどうかも危うい。


2つめの「小規模でアットホーム職場」「フラット職場

これは間違いなく危険だ。気をつけたほうがいい。

君は同じ職場の人とうまく人間関係を築けるだろうか。うまくいけば何の問題もない。

しかし、もしもうまくいかなかったらどうだろうか。

これは別に周囲の全員と、という話ではない。

1人、どうしてもうまくいかない人がいたとしよう。または、君をめちゃくちゃにいじめてくる先輩がいたとしよう。

前述したような場所で、誰かに相談をするのはそう簡単ではない。

そこそこの規模の企業というのは、相談先が多いのだ。

上司がひどいことをしてくるなら、別の部署上司でもいい、とりあえずたくさんいる同期にでもいい、どこかしらに逃げ場がある。

また、序列がはっきりしているなら、先輩がヤバイ人ならもっと偉い人に、もっと偉い人がヤバイなら同じランクの偉い人に、など、相談先の道ができる。


「小規模でアットホーム」な職場と言われて、極端に言えば銀魂の万事屋みたいなのを想像する、これが悲劇の始まりなのだ


そういう場所がないわけではないと思うが、まず新卒では入れないだろう。



3つめの「転職がない」も同じ理由だ。

会社だって簡単に辞められたくはない。

大きい会社場合、何か問題を抱えた人間がいると、一旦別の部署へ異動させたり、本人や問題人物を支社へとばしたりする。

そういう選択肢が、選べないということだ。

仕事内容ならなんとか対応できても、人間関係などに病巣があると、やめるか続けるか、0か1か、みたいなことになる。



たぶん、これらのことを忘れがちになるのは、俺たちがその人生ほとんどを学校で過ごしてきているからだと思う。

隣の席の人とうまくいかない、それでも半年もすれば席替えがあるだろう。

クラスちょっとなじめなかった、1年待てばクラスは変わるだろう。

別に仲良くする必要なんてない。やることだけやってれば文句はないだろう。


本当にそれをあと30年以上続けられると思っているのか?


こんな後ろ向きの話をするのもどうかと思うが、逃げ道というものを考えて、就職活動をしてもらいたい。



とは言っても、なかなかに難しい。入ってみないとわからないことも多いし、別に前述したような企業が悪いわけでもない。

ただ言えるのは

「これさえあればいいから」

というような心持ち職場を決めると死ぬぞ、ということだ。


今のこの日本では、人生の多くの時間仕事をして過ごす事になる。

それを、ただ金がもらえさえすれば(しかももらえないかもしれないのがこの時代だ)という気分だけで過ごすのはあまりもったいない

考えろ、サボるな、欲張れ。

「金」「やりがい」「得意分野」「人間関係」「休暇」「仕事量」「社会的ステ」

保険をできるかぎり多く持て。万が一どっかが欠けても、とりあえずいきなり心を折らないだけの支えを持て。


俺が言いたいのは理想論かもしれない。

けれど、頭のどこかに置いておいてくれたら嬉しい。

来年の俺が同じことを言えるか、それはまだわからない。けれど、自分自身のための保険として、こう言いたい。

社会人は、楽しい

良い結果が出ることを祈っている。




PS.ついでなので、そこそこ元気に社会人してる俺が、どういう点で生き延びられているか簡単に書いておく。参考になるかはわからない。

・前述したような逃げ場がある会社だということ

実際に別の場所しんどい目にあって、異動して別の仕事を楽しそうにしている人を見ると、まぁ生きてはいけるかなという気がしてくる。この余裕はでかい

上司が強い

社長世襲じゃない感じの、そこそこのサイズ会社なので、偉い人はそこそこすごい人。当たり前のようだけれど、案外人の話を聞くとそうでもないのだ。

護廷十三隊想像して欲しい。偉い人はなんとなく偉いのではなく、間違いなく強いのである。それを時々見て、うおお!卍解だ!強ぇえ!ってなるのはテンションがあがる。

ついでにちょっと他の部分で難があっても、まぁでもこの人卍解使えるしな……ってなるのでこころが穏やかになる。

一人暮らし

クッソ疲れて帰ってきても部屋が寒いし夕飯もない。それはつらいかもしれない。しかし、自由だ。俺が稼いだ金は俺のものなのだ。俺が捻出した時間は俺のものなのだ

というか正直、家族関係仕事で磨り減ったなけなしの精神強度を更に持って行かれている社会人をよく見る。そこそこの年齢の大人が狭いところに集まっていたら問題がおこるのは当然のことだぞ。家を出ろ家を。



以上。幸運を祈る。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325194531

悲しくなる日記だね。啓発だとしたら中々の腕前だと思うけど。

 他の人が言ってるように「そもそも友人じゃない」んだろうなぁとは思う。

クラブでよく見る知り合いだとか、イベントで会った趣味のあうぱりぴーとか、そんなん。

 余計なお世話なんだろうけど、一緒にいると自分がみすぼらしい気分になるから嫌だとか、お金がないなりに楽しもうという発想もないのに愚痴ばかりだとか、友人と言いながらそんなことも伝えられなかったりとか、優越欺瞞だとか自分自身は友人と何を楽しみたかったのかとかが浮かんだり消えたりしてまとめずにテキトーに書きたくなった。

 こういうのが原因で上手くいかない男女とか容易に想像つくけど、同性でもあまりに差が大きいと確かにあり得なくもない。

もっと話せばいいのに。いや話す価値もないのか。増田にとっては。格差でバラバラになるってこういうことかもな。いいか別に。どうでも。

http://anond.hatelabo.jp/20170325141715

うわぁ…自分に酔ってるねー。

私たぶん「心理教育問題を抱えた」「貧困層」だけど、こういうタイプの援助者が一番ニガテ。てか嫌い。

「涙が出てきちゃう☆」ってさあ……勝手自分自身の中で想像を膨らませて泣かれても……って感じだよね。

こういう熱血タイプはたいてい自分の中の想いに誰かを巻き込みたいだけであって、目の前の相手ことなんざ見ちゃいない。

凄まじい闇(笑)とか弱者に寄り添う(笑)とか、いったい何様のつもりだ。

相手理解できてるつもりで自分に酔ったメサコン援助者ってのは一番厄介なタイプだと思う。

ゲーム迷惑サイトはなくならないよ

Switchを買った。ゼルダ面白いヒャッハーサイコーだぜ!って感じではないけど、気が付くと延々と3時間でも4時間でもプレイしてしま面白さだ。

ソフトはまだゼルダしか持ってないので、友人や恋人と遊ぶために他にも何か買おうかと思ってる。

1-2-Switchは友人が持ってきてくれて一緒に遊んだので、わざわざ買ってもう一度やるかというと微妙ぷよテトは面白いけど、オフライン対戦なら体験版で十分遊べてしまう。

じゃあやっぱりボンバーマンか。

小学生のころにスーファミボンバーマンソフトは1つだけもっていて、ストーリーモードは難しすぎて半分くらいまでしかいけなかったけど、対戦は弟とよくやっていた。マルチタップを持っている友人もいたので5人対戦を何度もした記憶もある。64のソフトも友人の家で何度か遊んで楽しかった覚えがあった。

買おうかどうしようか迷えば当然ネットで評判を調べる。「遅延がひどすぎる」「操作の遅延自体パッチ修正されたけど、カメラワークが悪くて遊びにくい」「むずかしすぎる」「3Dのせいで状況がわからない」ものすごく評判が悪い。

「あー、どうしようかな。やめとこうかな」私はボンバーマンを買うのをやめた。

これが自分もっと好きなシリーズなら、どんなに評判が悪くても買って自分の目で確かめただろうが、自分にとってのボンバーマンは「昔そこそこ遊んだことのあるゲーム」といった程度なのだ

残念ではあるが、ホッとしている自分もいた。買わなくて済んだのだ。

話が回りくどくなったが、この「買わなくて済んだ」こそ、迷惑ゲームサイトがなくならない理由だ。人は常に買う理由と同時に買わない理由を探している。自分自身Switch本体ゼルダ液晶保護シートやポーチなどで4万円ほどの出費をしている。日々労働従事しているので払えない金額ではないが、それなりに覚悟のいる大きさだ。ここで楽しさに酔ったまま追加で5千円の出費をしていいものか。買わなくて済むならそれでいいのではないか

もちろんソフトの評判を見るときゲーム迷惑サイトは見ていない。最近はIGNとAUTOMATONをよく読む。電遊奇譚すごくいいよね。電ファミニゲーマーもキュレーションメディアとしてはイマイチだが、オリジナル記事はよくできてると思う。しかしそれらの比較的「まともな」メディアには、『買う理由』は書かれていても『買わなくていい理由』は書かれていないのだ。もちろん不具合があればそれは記事になる。しかしある程度冷静な文章で「このような不具合が報告されました。公式ではこのような発表をしています。」に留まる。

「〇〇はマジでクソゲーwwww買わない方がいいぞwwww」と書いてくれた方がありがたいときがあるのだ。

ゲームは好きだが、寝食を忘れるほどかと言われればそうではない。ゲームは好きだが、他の何かを我慢してお金を貯めて買うほどかと言われればそうではない。私はゲームをそこそこやるが、ゲーマーではない。でもゲーマーでいたいんだ。だってゲームが、好きだから

からこそ、「このゲームを買わない理由は、お金がないから」「このゲームを買わない理由は、自分情熱が足りないから」ではなく、「このゲームを買わない理由は、このゲームクソゲーから」と言ってくれた方がありがたい。自分プライドを傷つけることなく、ゲームをせずにゲーマーで居続けるには、そうするしかないのだ。ゲームを貶すことでしかゲーマーで居続けることができない。


プレイヤー(あるいはプレイヤーでない者たち)が買わない理由を求める限り、ゲーム迷惑サイトはなくならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170325134552


私は心理教育関係に関わっていますが、あなたと同じような危惧を共有しています

やはり心理教育問題を抱える人々と関わっていると、どうしてもそうした貧困問題対峙せざるを得ず、

またそうした人々は倫理道徳といった概念を身につける以前に生きていくだけで精一杯で、

その過程で人の心を驚くほどたやすく踏みにじったりすることが日常茶飯事です。

また、踏みにじった方も多数の踏みにじられた経験を受けた被害者であることがほとんどで、

そうした背景を理解していないととてもじゃないけれど世間流通している「普通常識」では携わることはできない世界です。



はてなにおいてはそうした普通常識では測れない世界に対する理解がありそうなところだと初めのうちは思っていたのですが、

あなたの仰る通り、「価値観に対して寛容では無い」ことが散見される点が常に気がかりでした。

普通常識では測れない世界に対する理解はありがたいのですが、

それに対する無理解があると過剰なバッシングというのでしょうか、攻撃性というか、不寛容性には強い不安をいつも感じていました。

先程も述べたとおり、常識理解しない人間は、常識的対応をされない日常に日々身を置いているのです。

いわゆる爆サイ系の人々は弱者ではあるでしょうが、彼ら弱者は驚くほど弱者に対して冷酷でもあります

弱者は蔑まれて当たり前だという世界に生きているのです。

この残酷さが、はてなの人たち、あなた方は本当に分かって下さっていますかと、涙がでるほど情けない思いをしたこともあります

あなたたちは、理解しようと言った人を、一方でこんなに手酷く攻撃するのですか、と。

常識で測れない世界を、理解してくださっているのではなかったのですか、と。

弱者は守られるべきなんて優しい言葉はひとかけらも見当たらない世界なのですよ、ここは。



世界残酷で当たり前だと頭と心に叩き込まれて、

それでも苦しくて苦しくて助けてほしくて救われたくて、

蔓延する不信感の中から絞り出すようにして私の職場の扉を叩いて訪れてくる人の気持ちを、

あなた方は本当に理解してくださっているのですか、と。

一筋縄はいかないのですよ。

助かりたいと思いながらも、弱者は見捨てられて当たり前という心身に刷り込まれた恐怖の掟は、

助かりたいという自分自身気持ちもズタズタに切り刻み、責め苛むのです。

弱者なんか死んだ方がいいという考えが、助けて欲しいという気持ち破壊しながら常に心の闇から吹き出してくるのですよ。

私も攻撃を受けます。お前だって私なんか死んだ方がいいだろうって。

攻撃受けたら私だって人間です、傷つきますよ、腹が立ちますよ、でも、

そんな凄まじい闇を抱えながらも、助かりたい気持ちを一縷の望みとして持っている人間を、どうして憎めますか。涙しか出てこないですよ。胸を裂くような悲しみばかりが溢れて出てきますよ。そして、絶対こんな不幸なものは一日でも早く解消して欲しいという思いが募りますよ。

つらい日々があっても、何とかそうしたいと思うから続いているんです。

弱者に寄り添うって、そういう覚悟気持ち必要じゃないですか?



あなた投稿を見て、私も普段澱のように溜まっている気持ちを少し吐き出してみたくなりました。

しかしたら、はてなにいる人々も、教育所得はそれなりに備えていても、

心の中の弱者に対する憎悪というものは解消できずにいるのかもしれません。

お行儀の良い弱者だけ助けるのであれば、そのはてなの人は、お行儀の悪い弱者というものは今もなお許せず、

それがために「口汚く攻撃的な様」を見せるのかもしれません。

2017-03-23

ずぼら向けの独り暮らし衛生手順書

1.古くなった食べ物トライする前にとりあえず電子レンジ加熱で2分以上殺菌しろ

 →香りが立つのヤバいもののヤバさが際立つ。かぎ分けやすい。たいていの菌も死ぬ(毒素は死なない)

 →古くなる前に冷凍庫にいれれば永久に保つ食べ物食パン納豆、炊いた米などたくさんあるから冷凍庫活用しよう。

 

2.うんこおしっこよりも土のほうがずっとキタナイ。土仕事・庭いじりはお前にはまだ早い。

 →とくに念願の一人暮らしに浮かれて彼氏彼女を呼び寄せエッチなことをするまえには土仕事軍手手袋で。

  くわしくはウェルシュ菌とか破傷風菌をググれ。土にいるやつらはやばい。マジ死なない。

  あとエロビ薄い本を真に受けないこと。

 

3.排水口のぬめり、便器掃除するときの強い味方はプール塩素

 →ハイターとかの緑のボトルピンク蓋の塩素漂白剤を、薬局で100円しないから1本買っておく。

  宅飲みにきた友達が、あとで下痢などを発病したときは自宅のトイレをよくこいつらで漂白殺菌すること。

 (ノロがいるとわかっている場合に限ってはうんこ>土かも)

  うんこつけちゃったパンツ洗濯にも下洗いしてから洗濯機用洗剤にこの漂白剤を少し足してまわす。

  うんこしっこゲロ触っても漂白すれば自分自身エンガチョしないですむとおもえばなんということはない。

 

4.窓を開けて花粉ほこりを入れる必要のないほど換気ありすぎな日本住宅が多い。

 →たばこ練炭備長炭マニキュア漂白剤と染髪剤を使うときだけ窓あけろ。

 →布団の下に桐すのこを敷けば万年床でもカビにくい。

 

5.電磁波に気を付けろ。真上が高圧電線通ってる(鉄塔の足元)とか、ベッド真下の階下がコンビニレストラン電子レンジコーナーの家は借りない。

  人によるが、充電しながらスマホつかってるとスマホもってる手がかすかに痛い(ビリビリしてくる)人間電磁波にかなり弱い。

  そういう人がワンディーケーの枕元に充電器を置いて充電しながら(目覚ましに使うために)寝たら1年もたずに他人理解されにくい病気客観的にはうつが一番あてはまる)になって朝がた、体が動けなくなる(一晩中、6~8時間みっちり脳みそめがけて電磁波あびてるわけだ。これは下手すると健康にとって職場よりキツい状況だ)。

  とにかく廊下とかで充電しろ。安い目覚まし時計廊下に置くのもいい。彼氏彼女との長電話固定電話機をつかえ。どうせ光回線とセットでそのほうが安いし。

  3G4Gよりwifiもまあ電磁波によわい人にはお勧めではあるが、まず充電時がヤバいからね。

 

健康第一

なるほど君に免じよう

anond:20170323112601

unixやったわ。大学の学籍番号で先輩に一行いつよまれるかわからないメッセージ送れるだけのシロモノだけどね。今でいう、ガラケーケータイ電話番号でおくれるSMSより使い勝手がわるかった(履歴は消える)。

win95の一世代前のwin3がたしかそのHDD25MBのパソコンに「プリインストール」されてて大騒ぎになったんだ。それ以前はどのパーソナルコンピューターにおいてもOSは起動後にフロッピーからしか複数枚を途中でドライブに入れ替えながら)よみこませるものだった。起動に10分かかるから文句がある?あんた贅沢いうもんじゃないよ。しかも、ネットが整備されてないもんだから光回線どころかADSLも出現してない。モデム固定電話。ようするにファックスと同じ速度でしか通信できないから、カラー画像=数時間かかるほど貴重なもの認識)、はっきりいって本当のオタク以外はワープロエクセル専用機、とても高級な電卓だったんだよ。

成歩堂くんも平成生まれだもんなあ。

 

ひとりごと追記。

ネット愚痴言ったり情報交換できてよかったね。

情報だけは搾取どころか有り余ってるんだね。

あとはその情報を取捨選択して自分自身に生かせる能力だけで勝負する世界になったんじゃないかな。

 

じゃあそんなITの世界ではITが使えない60代以上が無価値搾取するだけかっていうと、

そういう世代がいなきゃ僕ら今こんなネット社会満喫できてないわけ。

なんなら韓国の北にある国みたいな国になってたらどうするよ。

ネット搾取だと文句言えるどころじゃないわ。農業させられて飢えるだけだわ。

 

自分が人を支えるんだとやりがいを思うか、人を支えさせられてる(搾取)と思うかは居場所次第だよね。

もっというと天職がまだみつかってない人は搾取搾取っていう。

日本給与生活者はもうそんなに要らないのではないかな。

教育だけは失敗したんじゃないの。

でも、教育邪魔をしてるのもまたネットのこざかしい情報なんだけどね。

ネット情報って、広告的な手法が多いから。枠組みを意識させずに囲い込んで、重箱の隅に目を向けさせるの。 

 

そもそも〇〇目的じゃなかったらその情報無駄だよね。の部分まではググるさんは見せてくれない。

で、子供インターネットネイティブ世代)は〇〇をぐぐりつづけて、

無意識に〇〇が100%だ、みんな〇〇をほしがっている、自分もほしいはずだ、とおもう。

 

パズドラでなんとかゼウスを倒したりとかデイリーログインボーナスもらうより

もっとちゃんと考えたり準備しておいたほうがいいことが現実にたくさんあるんだけど。

べつにパズドラストレス解消しながら天職みつけれるんならそれでもいいし、

実際にそうやっている人たくさんいるからぼくらは何も言わないよ。

心の奥底のヘイトの話

半年からとある欧州の国に留学をしている。



背丈や顔つきが全く違うアジア人は完全に周りから浮いてしまうため、日常的にジロジロ見られたり視線を感じることも少なくない。



その視線有色人種に対するレイシズムからなのか、はたまた珍しいものに対する興味本意からなのかはわからないけれど、

その視線を送ってくる人の中に時々、声をかけてくる人がいる。



好意的言葉や、当たり障りのない質問などをしてくる人もいるにはいるが、あくまでもそれはレアケースで、

多くの人が「韓国人」とか「ニーハオ」など、外見から出身国を断定してからかってくる。

(もちろん「よう日本人」と言われたこともある。)



初めてこのような冷やかしを受けた時、日本人であるのに韓国人中国人と断定されたことに心底ムカついた。

多分、タイとかフィリピンとか違うアジアの国だとそこまでムカつかなかったと思う。



しかし、そのこと以上にショックだったのは、自分自身がそんなことにムカついてしまったことだった。



今まで私は、嫌韓嫌中感情をもったことはないと思っていたし、いわゆる韓流ブームが来た時も好意的に受け入れていたと思う。

また、その韓流ブームが過ぎた後、ネット中国韓国に対して必要以上に叩く風潮や、

ここ最近在日外国人に対するヘイトスピーチも異常だと感じていた。

韓国人中国人であるというだけで差別することに違和感を覚え、絶対に私はそんな人種差別主義者達とは違うと信じていた。



私自身、なぜこのような気持ちが湧き上がったのかはわからない。

おそらく、私の心の根底では日本人韓国人中国人に比べて勝っているという意識があったのだろう。

上辺では、韓国人中国人というだけで差別するのはおかしいと考えていたが、

心の奥底では日本こそアジアトップで、日本人は他のアジア人より勝っていると思っていたのだろう。



このムカつきが、そして心の奥にある日本人は他の国より勝っているという意識ヘイトに繋がるかはわからない。

しかし、この心の奥にある意識が大きくなり、それに育つ可能性はゼロではない



2回目、3回目と同じように声をかけられた時もそのムカつく気持ちは消えず、

ただそう考えている自分への自己嫌悪けが増していった。

2017-03-22

意思が弱くて禁煙に失敗する人へ

禁煙を失敗する人に、まずは問いたい。

本当に禁煙したいのか?と。

心の底から「本当にやめたい」と思っているのか?と。

煙草麻薬みたいなもので、やめようと思っても、体が求めてしまう。やめたくてもやめられない。」

禁煙失敗した人の常套句だが、そんなことはない。

だいたい、麻薬感覚なんか知らないでしょうよと。

禁煙に失敗する人はね、結局意思が弱いのよ。

意思とか関係なしに、本当にやめたいのに煙草を吸わないと体が震えて死にそうになるとかガチな人はさっさと医者行け。

さて、意思が弱くて禁煙に失敗する人に、改めて聞こう。

心の底から本気で禁煙をしたいですか?

この時点で少しでも気に迷いが生じるようならまず禁煙成功しない。

外的要因によって禁煙をしようとしているなら、絶対成功しない。

自分が本気で「辞めたい」と思わなければやめられないのである

外的要因とはつまり自分本心以外の部分で辞めたいと思っているパターンだ。

・小遣いが厳しいか

健康に良くないか

家族が嫌がるから

・●●にやめろって言われたか

こういったパターンでは、「辞めたい」という気持ちの裏に「本当はタバコをやめたくない」という本心が隠れている。つまり好きなのである

これを恋人に置き換えてみるとわかりやすい。

とても好きな恋人がいる。とても好きなのに別れなければならないとしたら、どれほど辛いことだろう。それこそ簡単理由では別れることはできないのではないだろうか。

たとえ別れることができたとしても、それだけの好意を持ったままだとすれば、簡単に忘れることはできないだろう。

好きなものを辞めるというのは本当に辛いことである

話を煙草に戻そう。

もうすでにおわかりかと思うが、最大の禁煙方法は「煙草を嫌いになること」である

健康に悪い」とか「金がかかる」とか表面的なところで嫌いになるのでは駄目である

親の敵のように煙草を憎み、恨み、蔑むのである

そして煙草を吸う人間嘲笑する。

あん健康に悪いだけの煙を吸う人間頭が悪い

時間無駄。何もプラスにならない。ドブに金を捨ててるのと同じ」

「単純に臭い

タバコミュニケーション(笑)

「狭い喫煙所でモクモク燻されて、おまえらハムかよ(笑)

「何かに依存してる人間ってマジダサいっすよねぇ〜」

喫煙所探してる姿って滑稽だよね」

などなど、とにかく思いつく限りこき下ろす

そして、それを本心として自分自身刷り込み続ける。

あくまで心の中で留め、表に出さないこと。)

とにかく煙草ネガティブイメージを膨らませて、それを本心にしていく。

とっても簡単に言うと、「煙草を吸うやつ=バカカスうんこカスキングカス

という考え方にさえなれればOKなのである

人間とは不思議もので、毎日そう考えて、ときには言葉にしたりしていると、本当にその通りの気持ちになるものである

これは有名な心理学者フロイトだかユングだかニーチェだかも言っていた気がするので、おそらく本当である

タバコポジティブイメージ(かっこいい、大人の嗜み、コミュニケーションツール有名人も吸ってる、など)に引っ張られそうになったときは、自分とは別世界のことだと割り切ればいい。

有名人みたいに金ないし、吸っててかっこよくねーし、タバコを吸わなくたってコミュニケーションは取れるし、大人の嗜みとか似合う人間じゃねーし。

一般人タバコ吸ってても、頭が悪いうんこしか見えないってことを理解する。

第三者から見た自分は、頭が悪いからタバコなんか吸ってる人未満のうんこなのだ。ああなんて恥ずかしいことだ。タバコなんてやめよう。

長くなったが、言いたいことはつまり

「好きなままではやめられない。だから嫌いになろう」ということである

そうすれば必ず禁煙成功する。

これまで数十度の禁煙成功してきた俺(今日禁煙初日からアドバイスである

向井秀徳当事者性による二重性批判


「俺がそこにいた!」

初期ナンバガ歌詞を振り返るとこういう文体が多い
omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ

これは一人称の文に見えるが、実は三人称
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物第三者視点から見る必要がある
まり三人称視点登場人物としての「俺」を描写していることになる

だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的記述した三人称、となる

自分自身物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井映画監督を目指していたそうだが、
カメラファインダーという隔たり越しに登場人物描写する手法もうなづける

だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしま
その対象が持っていた熱や存在感当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まり向井は冷たいと感じた
そういった客観性集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる

語り手の俺が登場人物としての俺や少女描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか

ではザゼンだとどうなのか
カメラ技術進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳カメラ技術もこなれてしまった
だが、世間当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
から語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない

そこで向井リフレインに注目する
同じ場所言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマコマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井カメラシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ

はいえこ主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在ザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか


ブログツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

http://anond.hatelabo.jp/20170321112109

ダメなことにかんしては自分自身でさえ「自分、ほんとにダメなやつですよね」と自分でもバカにできるので

バカにするというのはバカ代表になるということを教えてやれない先輩はつらい




ほんとそういうバカになりきって先輩のどうしていいかからない顔をみるために

改善提案作成しては提出せずに他人バカにしてそれをもてあましてこまる先輩の顔を見るのが好き

バカ代表とりまとめる上司をしているという自覚をもっている先輩のはずかしがる顔もまた素敵

http://anond.hatelabo.jp/20170321214825

猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、

おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。

往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、

それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。

というより、そのコスプレイヤーたちもあなた友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。

続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。

 

このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。

私自身、ラブライブという作品ファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。

なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神鼓舞するような内容だからだ。

けれども、偏見の目でみられやす美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。

全身にキャラバッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファン聖地甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生ファンだったとか。

そういう悪評に繋がりそうなことを、ネット暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品ファン呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。

実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、

まりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧対象にしたいくら気持ち悪がるものだ。

ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品クズキモオタヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。

けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファン若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。

その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの

もし2013年のあの時、偶然スクフェスDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。

それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。

2ちゃんファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。

けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーまとめブログコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。

結果として、他人醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。

 

同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家芸能人経営者への態度でも起こりうる。

そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。

彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本司法経済についてWebコラムや本を読み漁った。

いろんな方面有識者の彼に対する見方総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。

そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。

もちろん世間感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。

ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々評価する人たちからは求められていること。

彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。

それでもやってる事が保守的職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。

でもそういう人も必要だし、正しく評価されるべきだ。

私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイフェチ」になっているのかもしれない。

ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログ普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義自由』や丸山真男を読むようになったり。

一種中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。

 

話を戻すと、増田が難儀なのはコスプレ世界踏み込みそうなのが彼女だと言う所。

これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。

もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。

彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。

彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。

コスプレ元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。

それをせずに、彼女コスプレ醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。

それも彼女保守的性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。

わざわざコスプレしている友人に裏を取りに行こうとしたあたり、後者を恐れているんじゃないかと思う。

それが頓挫した今、残された道はやぱり「二人一緒に」しかないのではと思う。

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