はてなキーワード: Newspicksとは
実際に勘違いしていたのだから「知らなかった」「勘違いしてた」「次からから気をつけよう」となるのかなと思ったら違うんだね。
「勘違いさせる弁護士ドットコムが悪い」「優良誤認だ」「非弁行為だ」「俺は悪くねえ!俺は悪くねえ!」などと逆ギレする人たちばかり。こういう意識でコメントしてるならそりゃしょっちゅう騙されるし反省もしないわけだからね。
優良誤認とか非弁行為の意味わからずに使ってるし見てるだけで恥ずかしい。弁護士を舐め過ぎだからね。
すべての記事に著者の記名がしてあって、弁護士の意見を紹介する時には弁護士の名前が記載されてるのにね。
弁護士の判断を差し置いて「優良誤認」指摘するってのは「お前どこ卒よ俺っち早稲田なんやけど」のコピペを見てるときのような気恥ずかしさがあるね。
弁護士という看板を大事にするくせに、弁護士の判断にケチをつけるというこの矛盾をどう受け止めてるのか謎だよね。
素直に「失望しました!NewsPicks解約します!」とか「私はもうこんなサイト見ねえよウワァン」といえばいいのに、どうしてそこで「優良誤認だ(キリッ)」て言ってしまうのか。
知らないことは罪じゃないけど知ったかぶって嘘を流すのはだめですよ。
無知なら無知でいいからさ。よくわかんないならせめて思い込みで批判的なことを書くのはやめようぜ?
なんでよくわかってないことに、そんな自信満々でどや顔で人を否定したりできるの?ちょっとはてなやりすぎで頭のネジ飛んでない?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kabumatome.doorblog.jp/archives/65981624.html
少し前までは弁護士ドットコムの法的な解説に期待する場面もあったが、遅出しで党派性にまみれて独自性もないという駄目なニュースサイト
sssaiaiai ウヨパヨどうたらはともかく、弁護士ドットコムはそのタイトルの割に弁護士の見解や法解釈の通説載せるわけでもないので現状ねとらぼあたりのネットメディアと何が違うのか正直わからない
あのさ。
「弁護士に聞くこともあるけど弁護士資格がない人間が記事を書いてる」弁護士ドットコムニュース
を混同してるだろきみら。
ドメイン一緒だけど全然別のサービスだからね。ちゃんと区別ついてる?
弁護士ドットコムニュースは、弁護士ドットコムのドメインパワーを利用してるだけのただのニュースサイトだからね。
確かに弁護士にインタビューしてる記事は多いけど、弁護士に質問してない記事は、弁護士でない普通の人がかいたただの記事だからね。
後こういうコメントにスターが集まりまくってるから誤解されてるみたいだけど
timetrain もちろんまともな弁護士だっているけど、あの必要勉強時間を潜り抜けて来れるということは、割とネジの外れた人も多いのよね、弁護士って・・
弁護士ドットコムニュースの記事書いてるの弁護士じゃないからね。
伊是名さんの記事についてはちゃんと記事書いた人は署名してる。
「塚田賢慎」って書いてる。
この人の経歴は
「東京スポーツ」出身の塚田賢慎は「東スポで働いていた人間が法律をきちんと分かっているはずがない。弁護士に相談もできないような立場に近いところにいたので、困っている方の素朴な疑問に親身になって寄り添えるかなとは思います
あの記事書いたのは「元東スポの記者」です。そしてこの記事には弁護士に話を聞いたという記述もない。
https://this.kiji.is/768376791730929664
衆院文部科学委員会は21日、教員による児童生徒へのわいせつ行為の対策法案を委員長提案で衆院に提出することを全会一致で決めた。わいせつ行為などで懲戒免職となった教員の免許再取得を制限することが柱で、早ければ月内にも成立する見通し。
これ単体で見ればいいことだと思う反面、「教員不足な中で、人が減るかもしれない政策をして、何の対策もしないってことはないよね?」的な心配はある…
会社のひとつ上の先輩が、タイトルのような感じでとてもきつい。
仕事中とかにかかわらずニュースサイトを見ながら話しかけてくる。テレワークできない職種で残念。
内容は、はてなでよく見かける意見の真逆の思想で、私の考えと真逆でつらい。
「インフルエンザと比較しても全然死亡者少ないのをみんなわかってない」
「感染力と毒性は反比例なんだから、感染力の高い変異株は毒性が低いはず」
「年寄りが減ってくから高齢化の解決になる、自然淘汰じゃん」など。
緊急事態の出てる地域に住んでいるが、GW は旅行三昧だったようだ。
そして自民支持者だ。
「コロナ対策なんて誰がやっても変わんなくて、どうしようもないんだから政府を叩くのはおかしい」
ここ数年で株をやっており、結構儲けたらしい。
自民のおかげで株が上がったと思っているような話もしていた。
他にも、オリンピックもやれると考えているようだし、
窮状を訴えた医療団体について「普段は税金補助があるんだからこういうときくらい文句言わず働け」、
飲み会参加しないおじさんについて「ネットを見ずにテレビしか見ない人はこうなっちゃうかもね」とか。
わたしの見ているネットとは全く別の世界を見ているんだろうな。
先輩は経済雑誌とか日経とかが好きでよく読んでると自慢していた。
これらの媒体に感化されてるのか?ほぼ読まないからわからないけど。
先輩は仕事は普通にこなしているし、頭のいい国公立大出身なのだけれども、
こんなに考えが偏ってしまうんだなと残念に思う。
それとも、私自身がはてなとかに入り浸っているせいで逆方向に思想が偏りすぎているのか??
正しいことって何だろう、と先輩の話を聞いていてわけがわかんなくなってしまった。
先輩の考えが、先輩にとっての正しさなんだろうけども、
なんだけれけれども、間違っている、冷静に客観的に考えると正しくないと思ってしまう。
幸い身近にコロナ感染者は今のところおらず、仕事も続けられており、
ステイホームも苦にならない性格なので比較的困っていないほうだと思うが、
この先輩の話を聞くのが今一番つらい。
https://note.com/ugokuhonya/n/n6dd5b816560f
このエントリーを見て本当に驚いてしまった。これは、彼のこれからのキャリアを考える上では非常にまずいと思うのだが、その点について記す。
以下、書き留めておく。
当たり前だが、企業の不祥事や、内部闘争、トラブルなどが起きた場合には、会社からの情報公開は、一つの窓口に絞るべきである。
Twitterでは、やまもといちろう氏が以下のように述べていた。
22歳の社員が勇気を出して現状をnoteに書いたことは賞賛したいけど、悪く書かれたとは言え会社の中のことを、ましてやステークホルダーの状況や経過を経営者や広報でもない人間が実名で書いてはいかんのや…
https://twitter.com/ichiro_leadoff/status/1364738530946158594
これは会社経営においては基本的なものである。なぜなら、個人名を出して発信するということは、その発信内容はすべてその個人に帰属してしまうからだ。
まともな会社であれば、何かのトラブルがあった場合に、個人が情報を発信するということは絶対にさせない。あるとしたら、内部で情報が統制されているなどで、顧客などに不誠実なことが行われている場合に、内部告発という形で表出する。
その場合は、情報源を秘匿した状態でマスメディアに流されるのが一般的だ。
NewsPicksでは、ジャーナリストの中野円佳氏が以下の様に述べている。
内部告発等をするときに、noteやSNSで個人が声をあげやすくなっているということは良い面もありますが、こういうときにメディアが介在すれば、取材源の秘匿を守りつつ訴訟リスクはメディアが負う(そして訴訟されないように事実確認をしながら出していい情報だけど出す)ことができます。このnoteの著者の方はNP取材にも同席しているということですし溝口氏はnoteが出ることも知っていたのでしょう。内容が貴重で勇気の要るものだったとしても、社会人経験の長い人たちが、様々なリスクがあるものをそのまま垂れ流しで書かせてしまうのではなくてもう少し彼を守ってあげながら証言してもらうことを促せなかったのかなと思います…。
これもマスメディアの人間からすると、当たり前の感覚である。個人名を出して内部告発をするのは、極めて危険性が高いからだ。法的責任も負うことになりかねないし、何よりも、内部の情報を平気で出す人間だと認識されてしまうことは、今後の仕事人生においては極めて困ることになるからだ。
さらにまずいのが、このエントリーを、WEINの代表の溝口氏が読むことを推奨してしまっていることだ。以下のフェイスブックへの投稿で、以下のように当該エントリーが紹介されている。
追記:以下は、一度は西本さんを支持したWEINの仲間による真実が書かれたnoteです。より状況をご理解いただきやすいと思います。私も初めて知ることばかりでした。。。是非お時間が許す時にご覧ください。
https://www.facebook.com/mizoguchiyuji/posts/4022668414443877
代表が「真実」といっており、閲覧を推奨している。また、この投稿の最初には「【シェア/拡散のお願い】」と書いてある。
当事者であり、代表がこのような形で拡散するということは、これが会社としての公式な見解だ、とみなされる可能性が高い。
しかし、この前谷氏のエントリーには、中身に第三者の調査が入っているわけでもなく、あくまで22歳のインターン生が見てきた内容であり、彼が個人で書いたものにすぎない。
溝口氏も「私も初めて知ることばかり」といっているように、会社が正式に調査したものでもない。
にもかかわらず、これを「真実だ」といって拡散してしまうのは極めて危険である。というのも、溝口氏や会社の広報が書くのであればまだしも、22歳のインターンの責任で書かれてしまっているためだ。
これらの中身がもしも事実でなかった場合や、それによって関係者が被害を被った場合に、前谷氏が責任を負うことになってしまう。
そして、社内事情や社内のやり取りなどが、無断で公開されている点もまずい。重大なコンプライアンス違反になる。
当然、これらは機密情報であり、一個人が自分の判断で出していいものではない。ましてや役職もないインターン生が出してしまうのは大きな問題である。
好意的に見ると、前谷氏の行動は「会社や信頼している溝口さんを守るため」ということであり、悪意はないだろう。ましてやまだ社会人経験がない若者だ。その暴走は、注意すべきものではあるが、あまり重い罰を受けさせるべきではないと思う。公開されてしまったら、会社は速やかに「このような見解や事実関係については、会社が広報で発表するのでやめてくれ」とし、削除するのが一般的である。
しかし、会社の代表がこのエントリーを拡散し「真実だ」といってしまい、多くの人の目に留まるようにしたら、問題は大きくなる。前谷氏個人の責任になっているにも関わらず、あくまで会社の公式見解とは言わず、しかし代表が拡散することで真実だと思わせる形で広げる、ということが行われると、このエントリーと前谷氏の名前が広がり続けることになる。
結果として、前谷氏が「会社の内部情報や機密情報を外に漏らす、重大なコンプライアンス違反をする者であり、さらにその治癒を早期に行わず、放置し続けた」人物として認知されてしまう。
スタートアップ界隈での情報の流通は早く、またWEINの本件は多くの人が注目しているため、名が知れ渡ってしまった。就職活動、および転職活動で大きな足かせとなってしまう危険性がある。
このWEIN社の件についての真実はわからない。しかし、その後の対応を見ていると、WEIN社のコンプライアンスでいうととてもまずい状態にはなっている。情報発信の統一などが一切されておらず、関係者がWEINをかばう発言をし、それを代表が拡散する、ということが続いている。
これは、勝手に仲間がどんどんかばう発言をしてくれて、それを拡散しているだけであり、投稿の責任は個々人だ、となるので溝口氏の手段としては有効である。法的にも問題がない。
しかし、会社の倫理として、発言の責任やリスクをインターン生などにおわせてもいいのだろうか?将来がある22歳が、この件で、経歴に傷を負ってもいいのだろうか?
野次馬からしてみると、情報がどんどん出てくるので当然楽しめてしまう。WEINからしてみると、勝手にリスクを追った若者が特攻してくれるので、助かる。そして、社会の常識をわかっていない若者だけが、甚大なリスクを負わされているが、「よくぞいってくれた」という溝口氏やWEINメンバー、野次馬たちに乗せられてそれに気づかない。
あまりに扱いがひどいのではないだろうか。
「前谷優太」という名前で検索されたときに、重大なコンプライアンス違反をした人物としてのみ残り続けるのがあまりに酷だと思うので、この投稿をした。あくまでこの発信の責任は、投稿を許容したどころか、推奨するかのような素振りを見せたWEIN社にある、と私は考える。
これ見て書きたくなった。
タイトルのとおりなんだけど、
いわゆる保守リベラルの思想傾向って、脳みその作りによるんじゃないかなと私は考えている。
政治志向の本流から外れたどうでもいい些細なことまで、いわゆる「リベラル」と「保守」でどちらが共感を抱きどちらが反感を抱くのかの予想が、高精度で当たりすぎる。
私は世界中のマラソンやトライアスロンに参加するのを趣味にしていた(無論中断中)ので、人種問わず国外の友人は多い。南極を除く全大陸に連絡を取り合う友人がいる。
グローバル企業と言われる企業に務め、英会話もネイティブには程遠く特段得意とは言えないが、まぁ不自由はない。
倫理・哲学の名著等を呼んだ経験も特段専門に学んでいない人間の中では豊富な方であろうと思う。そういったものを学生~若年時代に読むのが当たり前だと思わせてくれる家庭に生まれたからだ。
本を読んでどれだけそのとおりだなと思ってもやはりリベラル派の言動にはイラつく事が多いし、右翼向けの情報に一瞬心躍るのである。
私が米国に住んでいてもQアノンの陰謀には乗らなかったろう。連邦議会に乱入もしなかったろう。
しかし、BLMデモが略奪を伴っていたことにそれ見たことかと言い、トランプに投票していた可能性が高い。
(トランプを支持していると言うより、民主党的欺瞞に対する抗議として、7000万分の1ならばまぁ良いか、と判断したと思われる)
だが、頭ではわかっている。
俺の直感が感じていることの逆が正しい。
学生時代には自分の感性と「正しさ」のズレを感じていたので、「自分なりの考えを持とう」と思い図書館で南京大虐殺や慰安婦に関する本を片端から借りてきて(無論、左右双方の視点からの)読んだりした。
基本的には「正しい」ことを言っている方に合点がいく。合点がいくのに、文章の端々がイラつくのである。
俺は正しくない脳を一生コントロールして生きるしか無い。結構、絶望に近い気分だった。
彼らは感情のままに書く文章がそのまま「新しい」「正しい」のだ。なんと羨ましいことか。
友人と話す時悟性のフィルタをいちいち切り替えなきゃならない右翼脳持ちの気持ちがわかるか。
私は悔しい。素直にリベラルな思考ができさえすれば、こんなアンビバレンツな感情を抱かずに済むのに、とずっと考えていた
そんな中、去年のコロナ禍の中で出会ったのがこのはてなブックマークだ。
NewsPicksみたいなのは肌に合わない。ツイッターはやかましすぎる。5chはもう卒業した。
はてブで、5chやツイッターの様に実在性が確認できない存在ではなく、ただの煽りや演技でないガチ話の通じないリベラルがそこにいると感じられて、かなり救われた。
私が普段感じている、知識と理性で編み出した思考の裏から沸き立ってくる、どうしようもないリベラルへの嫌悪を煮詰めてフィルタリングせずに開放するとこんな感じであろうというものが溢れている。
彼らは「新しい」「正しく」思考をごく自然に生み出せる脳を持っているのに、それを乗りこなせていない。
なるほど、感性が正しくても悟性でコントロールが必要な事例もあるのだなと合点がいった。
思考をそのまま言葉にした時、「新しく」「正しい」源流から生み出されていても、「素晴らしい」ものになるとは限らない。
こんなかんたんなことに今まで気づかなかったのか、と浮力を発見したアルキメデスの気分だった。
つまり、正しくいたいと考えた時、自分の脳をコントロールするすべを身につける必要があるのは、人類皆の必須科目なのだ。
はてサよ、自分の脳を過信するんじゃないぞ、と言いたい部分もある。
自分の心臓が取り替え不能であるように、脳も取り替え不能だ。私はこの右翼脳と一生生きていく。できる限り正しくあろうと思う。
みんな右翼脳で人格を作り直す努力をしなければ左翼脳になれないって、マジで?人類お先真っ暗では?
自分の知る左翼のみなさんが全員そんな努力をしてきたってのはちょっと考えづらいと言うか、
よほど私に左翼になる才能がないということになるのか。つら。
ネットで意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ、炎上、個人情報の特定、色々懸念すべき点はあるだろう。
でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。
自分より詳しい奴からの反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。
例えるなら、ゼミの教授がゼミ生の論文・研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識も経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才のプレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答の時間であり、考えもしなかった多角的な視点からロジックの穴を突いてくる。
もちろん、自身の経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事を当事者の感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分が世界で一番詳しい情報になるからだ。
しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護か批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。
誰かを批判するときは批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手は無限。
どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。
そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。
こんな世界で自分の意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。
常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ、事実関係に間違いはないか、自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。
そしてタチが悪いことに、ネット上では自分の意見が簡単に見られ、識者も気軽に集まれてしまう。
「ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授はゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。
ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生だかいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかもゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である。
自分の卒論が一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人がデータを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。
ネットには語る人間がたくさんいる。twitter、note、増田といった匿名のSNSがある。
匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田、会社の看板を背負ってnewspicksにコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これからの世界」について自信満々に語っている。
30歳過ぎたあたりで、突然気づいたんだけど
「意識高い系」を見かけなくなったなと気が付く。
なんというか、野球バカは野球する側から見る側になって、オタクはアニメ見ずにVtuberのラジオ聞いてるし、キラキラ系女子は子育てマウントに移行してる
みたいな「年取っていく過程で元気がなくなっていってる」という現象は見受けられるんだけど、
相も変わらず、野球バカは野球好きだし、オタクはかわいいアニメの女が好きだし、キラキラ女子はずっと誰かと何かと戦い続けているっていう根底は変わっていない。
けど、どうも大学3年生くらいに雨後のタケノコかってくらい湧いて出てた「意識高い系」がどこにもいない。
若さ特有の自意識に飲み込まれている感覚も、就活を終えて年を取ると同時に消えてしまい、何か特別だと思っていた自分は超ドドド級の凡人だと気づき、
クソみたいな上司に叱られながら「まあ、人生ってこんなもんだよな」とあきらめて、一般の人々に紛れていく。そんな過程をイメージしていた。
んだけど、たまには諦められずに生き残ってしまう人間というのもいるわけで、そういう人間とたまたま話す機会があった。
田端オンラインサロンとNewsPicksに課金をしつづける3X歳。
誰でも知っているあの有名なHから始まる広告代理店を新卒入社後3ヶ月で辞めて、弊社で5社目。
プログラミングスクールでRubyを習って実務経験はなし。ポートフォリオがうんたらかんたらでマーケティングがうんたらかんたらでサービスを作って世界を変えるらしい。
「へー、なんかこういう感じの人久々に見たな。キツ」と思ったらOJT担当から「『gemって何ですか?』って質問された...」とSlackが来た。
さすがにプログラミングスクールとか派遣でもやるんじゃないのかと思ったけど、俺は何も聞かなかったことにして、なるべく一緒の案件が振られないことを願った。
そんなこんなでコロナ禍がやってきて、人々はリモートで働くことになった。彼はというと、JIRAのチケットも特に割り振られることもなく、
全体のMTGでも特に何をやっているわけでもなく、Zoomでの進捗報告の場でも「本を読んでいます。今日は何章まで進みました」しか言わない。
「あの人大丈夫ですか」と上司に聞いてみたら、「gitの使い方が分からんらしいので自習してもらっている。今度人事と面談して部署替えを検討する」という話だった。
なんか不憫だな。。。と思っていたら、いつの間にかslackにログインしなくなっていた。定例ミーティングにも顔を出さないし、勤怠もつけていない。
人事から連絡はしたらしいが、連絡はつかなかったらしい。「3X歳なのにバックレとかないっしょw」と思っていたが、
4社とも1年続いたことが無くて、派遣で働いていた後にプログラミングスクール通ってうちに来た。という人だしな。。と思うと、何も意外性はなかったのかもしれない。
ある日、全体ミーティングで彼が退職した旨が部長から伝えられ、面接にコーディングテストが追加されたという話が同時にされ、部署内で爆笑が巻き起こった。
俺はなぜか笑うことが出来なかった。
まあ、冷静に考えると痛い中途が入ってきてバイトみたいな辞め方したってだけの話だと思うんだけど、
彼が会社に来なくなってから色々と考え事をしてしまうようになった。
会話のパターンが4つくらいしかない人だった。「H堂の話」「オンラインサロンの話」「落合陽一の話」「Googleの話」
落合陽一の本は読んだことないらしいけど、「天才だ」「天才だ」とあがめて、当時の博報堂がいかにヤバく、Googleがいかにヤバいのかを教えてくれる。主に年収の話。
率直な感想として、「コピペみたいだな」って思った。話も。人生も。
自分で語りえるものはなく、情熱をもって成し遂げることもなく、「一発逆転ストーリー」を純粋に夢見て行動を続ける彼は、まるでYoutube広告のコピペみたいな人生。
オンラインサロンに通い、プログラミングスクールに通い、養分として過ごした自分に気づいたときには、元H堂のプライドが邪魔をしてもう抜け出せない。
じゃあどうすれば良かったのかってことも考えたんだけど、たぶん彼の振る舞いはある一定の時期においてはプラスに働くこともあったんだと思う。
よかれと思ってやっていたし、それがきっと良いことだとも思っていた時期もあるんだと思う。
多分、ピュアに彼は「世界を変えられる」って信じてたんじゃないかなと思うし、アクションはクソほど誤っていたけど行動はしていた。
それが深くアイデンティティと結びついた状態でなにも成長しないとああいうキメラが生まれてしまう。というのが事の顛末なのではなかろうか。
言動と能力は年々差が開いているなかで、年齢を積み重ねてどこかでまたクソ高い会費のオンラインサロンやプログラミングスクールにまた通うのだろうかと思うと、変な声が出そうになる。
そして、現在完了進行形で養分になっているのだ。この広い世界のどこかで。こんなにしんどい話があっていいのかと思うが、ある。
3X歳で突然Rubyを習い始めても、技術者になるのはかなり難しいし、隠れた才能が突然開花する! みたいな異世界転生ものみたいなことも起きえない。
きっとアイデンティティと結びついた、彼の行動を変えることはもう誰にもできない。
だけど、俺はいかにも仕事できそうに見えるらしく第一印象は非常に良い。
知的そうに当たり障りもないことをショーンKとかNewsPicksの編集長的にペラペラ喋るのも得意なので、転職面接はめちゃくちゃに強い。
そうしてまた別の大手企業に結構な肩書き付きで転職出来るんだけど、やっぱり半年くらいで無能だとバレて肩書きそのままめちゃくちゃ簡単な仕事しか与えられず、居心地悪くなり、周囲も俺の処遇に困る感じになる(若手にすら無能が知れ渡る)。
で、2年くらいでやっぱ転職決意するんだけど、面接で無類の強さを発揮して今回も別の大手企業に結構な肩書きつきで転職出来た。
気づけば30歳で年収650万……。
俺ってこれは勝ち組なのか?
最近、ノーコードが流行っていますね。誰でもコーディング不要でWebサイトやアプリが作れちゃう。
中には、それで収益を上げている人もいるようです。
ただ、ガートナーのハイプ曲線で見ると、今ノーコードは流行期だと思います。
なので、これから反動期がやってきて「やっぱノーコードはダメだ!」という時期がやってきます。
なので、少し気が早いけど、ノーコードの次に流行りそうなモノを予想したいと思います。
私はノーコードの次にクラウド開発環境が流行ると思っています。
今って殆どの場合、ローカルでターミナルやVSCodeを立ち上げて開発しています。そ
れらを全部SaaSが提供するサービス上で開発する流れがくるんじゃないかと思っています。
私が思うに、開発環境って全然クラウドネイティブじゃないんですよね。
プログラミングをやるためには、ハードウェアもちゃんとしたものを揃えないといけません。
少し前、メモリ16GB以下のPCだと人権がないというツイートがバズっていました、まだまだハードウェアに依存している部分が多い感じです。アプリ開発だと、未だにPCとスマホをケーブルで接続するか、同じネットワーク環境に接続する必要ありますしね。
そこで、もし開発環境がクラウド化してSaaSとして使えるようになれば、ハードウェア的な問題には悩まされず、家ではノートPC、移動中はスマホみたいな感じで開発できるようになる時代がくるかもしれません。
https://speakerdeck.com/twada/understanding-the-spiral-of-technologies
こちらのスライドは、 Developers Summit 2018 でベストスピーカー賞を取った和田卓人さんのスライドです。
技術の変化は流行り廃りの振り子のように見えて、実は螺旋状に進化しているということが書いてあります。
このスライドでは、集中と分散が例として上がっていますが、ノーコードにも同じことが言えます。
実は、数年前にノーコードによく似たMDAという技術が登場したりしました。
登場した当時は今のノーコードっぽい持ち上げられ方をしていて、エンジニア不要論がでたりしてました。
しかし、残念ながらMDAは開発の主流になることはありませんでした。
ツールが高いなど、いろいろ敷居が高かったことが原因だと思います。
じゃあ、ノーコードはMDAと何が一番違うのかというと、SaaSとして提供されていることだと思います。
誰でも、そのサイトにアクセスして、アカウントさえ作れば、開発をスタートできます。料金も無料から初められるものが多いです。この手軽さが、MDAにあったエンプラ感を解決し、今のノーコードの流行を後押ししてるんじゃないかと思います。
先程の技術の進化は螺旋理論で行けば、ノーコードで取り入れられたSaaS化の流れが、今のコーディング環境に取り入れられる未来も想像しやすいと思います。
ネットに繋がりさえすれば、すぐにどの言語でも開発をスタートすることができるようになれば、多くの人にプログラミングの門を解放すると思います。
先日、GitHubがオンラインエディタとしてVSCodeベースのエディタが使えるようになることを発表しました。
すでに、GitHubはActionやPagesなど、ビルド環境やホスティングのサービスを展開しています。
そこに、エディタも登場してきて、いよいよGitHubだけで全てが完結してきそうな流れがでてきました。
オンラインのプログラミング教育サービスのPaizaやProgateもクラウドで開発環境が用意されブラウザでアクセスするだけで、すぐに使えることを売りにしています。
この流れで、toB向けの開発環境も、どんどんクラウド化していくんじゃ何でしょうか?
近い将来、GitHubのアカウントさえ開設したら、アプリやWebサービスの開発から公開まで行える時代がくるかもしれませんね。
今のノーコード系ツールって、コーディングは不要にしたかもしれないけど、設計力は求められるんですよね。
むしろ、ノーコードでアプリを作るほうが、実装のサンプルが少ないぶん、普通のプログラミング言語より、設計力求められるんじゃないでしょうか?
今どきは、どの言語でも少しググれば、やりたいことを実現する方法はでてきますしね。
なんというか、今のノーコードは、NewsPicksの記事がでたあたりから、バズワードになっちゃった気がします。
「コーディング不要でアプリが作れる!」という言葉だけ一人歩きして、プログラミング能力自体が不要と勘違いさせちゃってます。
たぶん、もうちょっとしたら「コーディング不要」につられてやってきた大量の人が「やっぱダメじゃん」って言い始める時期が来ると思います。
多くの人は、アプリやWebサイトを作る設計力は持ち合わせていないと思うので...。
次にノーコードが流行り始めるとしたら、設計も面倒見てくれるようなツールが登場するころだと思います。
そのときに、ノーコードいう名前か、別の名前で呼ばれているかはわかりません。
というわけで、ノーコードの次はクラウド開発環境が来る!という予想でした。
もし、この予想を信じてくれる人は記事を「いいね」してくると嬉しいです。
最後に、ノーコード自体は、多くの人にアプリ&サービス開発の扉を開かせる大変素晴らしいツールだし、無料で始められるので、気になっている人は片っ端からやってみることをオススメします。
それでは。