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2024-11-15

anond:20241114124127

リンゴはちみつ


昨日作ったカレーが凄く美味しかった

バーモントカレー中辛に、S&Bのカレー粉、洋食屋も認めたつぶつぶのルーを少々、味見してクミン足した

玉ねぎ炒めるのめんどくさくなってちょっと茶色くなりかけたぐらい

あと人参ブロッコリーキノコを細かく切って牛薄切り

出汁濃い系のめんつゆを多めに

夏によく食べてたカレーも美味しかったがすぐ飽きた

夏野菜色々みじん切りにして炒めて、カレー粉とつぶつぶのルーで汁なしカレーみたいにする。お肉はミンチ

ご飯生卵玉子かけごはんみたいにして、カレー味のひき肉と食べる感じ

anond:20241114124127

イラード反応が鍵。玉ねぎもひき肉も。

玉ねぎは飴色玉ねぎにする。

・ひき肉も表面が茶色くなるよう、焼き付けるように炒める。

トマトはできればケチャップくらいの濃度になるまでよく煮詰める。玉ねぎや肉を炒めるフライパンとは別の鍋やフライパンで煮詰めれば作業を並行できる。

トマトは煮詰めると酸味が減ってまろやかな旨さが出る。青臭みも飛ぶ。減った水分は足りなければ後から足せばいい。

味わいを引き締めるために、ルーを投入するタイミング

にんにく1片をすりおろして加える。

・辛いのが苦手で無ければ一味唐辛子を少々足す。

2024-11-12

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……

実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない

「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏サイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる

『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe訳語問題を中心に ─』という論文を見つけた

これを参考にして英和辞書をひたすら調べるのも面白そうだ

狭義のorangeスイートオレンジアマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す

広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)

その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い

色名のorange訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている

その歴史の流れを追うのが楽しい

2024-11-07

眉の化粧やってない記

眉用の化粧品で一番安くてぱっと目につくのって資生堂の眉墨鉛筆だと思うんだけど、黒こげちゃ灰色3色買って全部合わなかった。さすがにもう一色の茶色ではないだろう。

マジョリカマジョルカが出た頃すごく魅力的に見えて、眉用のパウダーとか色試した限りではなぜか髪色明るい用の色があっていそうに見えた。でも確か眉墨鉛筆の倍の値段にホルダーも要るので買わなかった。

結婚式の顔そりで眉も整えてもらったので、この形をキープすればいいのだ!と思って結婚してしばらく頑張って生えてくる毛を抜いていたが、なんというか、すごく、多くない? 何本抜くのこれ、と数えて計算したら100本という数字が出て(毎日百本ではなかろうが、週百くらいかね?)、ひゃく、ひゃくも、ぬかなきゃなんないの? と急にやる気を失ってあきらめた。カミソリで剃ると毛の断面が目立つし伸びるまで抜くこともできないからむずかしい。そもそも眉毛一本一本太くて立派なのでバランスを間違えるとどうにもならないのである

セザンヌオリーブブラウンが万人に合うと聞いて買ってみたらすごい浮いた。

たまたま投げ売りで買った無印良品パウダーのグレーが合っていた。結局それを十数年使っている。ただパウダーがむずかしいと感じたので他の会社のグレーも試してみようとするとどうもおかしくなる。そういえば資生堂眉墨鉛筆のグレー合わなかったんだった。グレーにもいろんな色があるらしい。

眉をまっすぐひくといいよみたいな話をツイッターで見た気がしたので真似したらそれらしい気がして続けてるがあれ何年前だったかな。

イブロウカラー流行ったのが面白くてモーブブラウンパウダーが気に入って使ってたら、お母さんそんな眉赤かったっけって言われてしまった。化粧しっかりした日だったので色が強く出たのかも。以降たまにだけ使う。

2024-11-05

うんこが汚いというイメージはその色の影響が大きい

茶色→土→ばっちいと連想させてしま

ターコイズブルーとかサーモンピンクとかならよかったのに

2024-11-04

今日のお昼はイナゴ佃煮

正直、かなり迷った。買うか買うまいか。スーパー佃煮売り場に立ち寄ると、不意に「イナゴ」という文字が目に入る。イナゴ。もちろんその名前は知っている。食べられることも知っている。ぴょんぴょん飛び跳ねている姿を目の当たりにしたことはないけれど、小さなバッタのような容姿は、何度か写真で見たことがある。興味本位で恐る恐る目を凝らしてみる。緑色体躯は影を潜め、味付けされて茶色くなってはいものの、見た目はどこからどう見ても、あのイナゴのままである。確かに佃煮になっているようだ。いったいどんな味がするのだろう。このスーパーは、私の家からは少し離れた所にあって、滅多に来ることはないのだから、今買わなければ、次にいつチャンスが巡ってくるか分からない。値段は300円ほど。試しに買うにはちょっと高い気がする。私は実際臆病な人間だ。いちど売り場を離れて、また戻ってを繰り返しながら、カゴに入れる勇気はついに出なかった。私はイナゴ申し訳ないというよりも、自身の情けなさが身に沁みて仕方なかった。

それから数か月経った。以来忘れようとしてもイナゴは私の脳裏からどうしても離れてはくれなかった。いつかは、という野心に似た気概がいつも私を突き動かそうとした。が、さすがに家から離れたスーパーに、イナゴ目当てに足を伸ばすほど、時間が有り余っているわけでもない。と、書いてみて、ちょっとそれは違ったと思った。真実私はまさにイナゴを求めるためにそのスーパーを訪れたのだから他人からすれば阿呆らしく感じられるかもしれないが、どんなに些細な物事であっても、自分の前に聳える壁にチャレンジするのは、それなりに意義のあることではあるまいか。私はイナゴという壁を乗り越えようと、決然あの佃煮売り場へ向かい、今度は一瞬も躊躇することなく、「イナゴ」と大きく書かれたパックをカゴの中へ入れたのである

茶碗にご飯盛る。箸を用意して食卓の前に腰を下ろす。パックの包装を静かにはがし、いよいよ相対する。じろりとこちらを見たような気がした。いただきます茶色く固まったイナゴたちに丁寧に声をかけた私は、意を決し、一口目を口の中へ放り込んだ。うむ。食感は予想通り。エビフライ尻尾は食べないタイプではあるけれど、あの感触によく似ていると思う。味もエビを想起させるものだ。うん、うん、まずくはない。食べられる。イナゴだと知らずにいたら、毎日ご飯の友としてぴったりな食材を見つけたと意外な発見を喜んだかも知れない。しかイナゴの気持になってみると、彼ら彼女らは、鳥やカエルに食べられることはあっても、まさか人間佃煮にされるとは想像もしていなかったことだろう。いや、あるいは彼ら彼女らの先祖から人間私たち佃煮にしてしま悪魔だ、なんて代々伝承されてきたのだろうか。ありもしない妄想まで浮かんできてなかなか面白い人間世界に戻って、田園の中を飛び回るイナゴを貴重なタンパク源としていた人々の生活に思いを馳せてみる。また、食糧不足問題解決するよすがとして、昆虫食が注目されている昨今の世界にも、思いを寄せてみる。イナゴは古から未来へかけての人類希望にほかならない。イナゴたちにとっては迷惑千万な話にちがいないが。分かり合える日は永久に来なくても、人間イナゴは切っても切り離せない関係でありつづけるのだろう。

二口目、三口目と、だんだん抵抗がなくなった私は、イナゴを数匹次々に口へ放っていった。たまに足が舌に刺さってちょっと痛い。当たり前だろう。私はエビではなくてイナゴを食べているのだ。目の前の壁を乗り越えた満足に浸りながら、どうにも得意な気分を抑えることができなかった。今日のお昼はイナゴ佃煮。誰かに自慢したくなった。ごちそうさまでした。

2024-11-02

anond:20241102125716

自分彼氏場合だと、とにかく、服でもインテリアでも、なんかワンポイントとか色柄があるやつを選びがち

無地の白とかベージュとか茶色とか黒とかではなく、なにか目立つ要素があるものを選ぶ傾向がある

それらを組み合わせることがダサさにつながってる

普通にスーツ着てる分にはかっこいいと思うのに、私服がすごいダサい

本人は気に入ってるみたいだから特に文句はいわない(かっこよくなってモテると困るし)

たとえば靴下なんか黒一色でいいじゃん(いちいち左右合わせなくていいし)とか言うと「せっかく買うんだから選びたい」っていうの

金がないとか、安い店でしか買えないという以前に、つまらない服をお金だして買いたくないってのが一番にありそう

どんなダサい男にも、それなりのおしゃれ欲とかこだわりがあるけど、それを発露した瞬間、一部のおしゃれ人以外ダサくなると思う。

遠目には色がガチャガチャしてなければそれなりにおしゃれに見えるんだよね。

女の服ってそんなに色柄がすごくバリエーションあるわけではなく、形、シルエットのほうで無限バリエーションがあるから、おしゃれ欲を満たしつつトータル感あるコーディネイトしやすいというのはある。

こくてへてるれすひちき

玉ねぎ牛肉マッシュルームなど茶色具材だけを煮込んだクリームシチューのような料理

姉に名前を教わるも言いづらいため舌足らずな子供の頃はうまく言えなかった

見た目は洋食っぽいのにすべてひらがな表記

どこの国の料理なのかは不明

北方の一部の地域でよく食べられており別の地域ではあまり知られていない

幼少期の懐かしい味として昨日の夢に出てきた

脳内に突如生成されたはずなのに古い記憶として居座っているのがおかしくてなんとなくメモしてる

2024-10-27

根っこの張りが弱かった

花壇の菊の花

茶色なっちゃった花を手で引っ張って摘んでたら本株ごとゴソッっと取れてしまった

根っこを見ると茶碗に収まる程度しか根が成長していない

半年近く面倒見てきたのになあ

もう花壇にある花を全部取っ払って、土づくりから始めないとダメだわ

2024-10-19

横着でなくなった甘やかされカマキリの一生

先月思いもよらず多くの方々にお読みいただいたカマキリの話だが、今朝虫かごを覗いてみると地面に横たわって死んでいた。我が家に来てからちょうど1ヶ月半のことになる。

家に来てからほとんどの期間をハリガネムシ寄生に気を揉んで心配し続けてきたカマキリだったが、おそらく死因は消化不良によって内臓が弱ってしまたことが原因だろうと思う。人間の食べる餌だけではやはり限界があったのだろう。

キッチンペーパーを敷いた虫かごの床に、カマを頭の横に添えて人がすやすやと横寝するような姿勢で倒れていて、見ようによってはかわいらしい仕草の亡骸だった。

先週末に外出先から戻ってみると、とても水分量の多い糞をしていてだいぶ気がかりではあった。天井にぶら下がっていられないのか虫かごの低い位置の壁につかまるようになったり、夜に照明がつくと目に見えて取り乱すようになったり、不調の兆しは確かにあったと思う。

特に昨晩は寝る前にずいぶんと長いこと腹を曲げていて、それを見た娘が心配していた。その仕草は糞をする時のカマキリ一般的姿勢で、逆さまにぶら下がっている時に自分の糞で体を汚さないための工夫であるらしい旨を調べていた私はそれほど強い心配をしなかったのだが、思えばあれが最期の苦しみであったのかもしれない。


一説によるとハリガネムシカマキリ羽化から30〜45日ほどで脱出を図ることが多いという。だから私は密かに飼育45日目を節目だと勝手に思っていた。我が家に来る直前にハリガネムシの幼虫が入った餌を食べてしまったとしても、45日を過ぎればもう寄生心配はしなくていいだろう、あとは寒さや寿命に備えて引き続き長生きを祈ろうと思っていた。冬まで生きれば隙間風の多い極寒の我が家で生き残らせる手段として、私の部屋のこたつの上で生活するこたつカマキリ爆誕するだろうなと思っていた。

我が家に来て少ししてから急に翅が黒ずんできてしまって心配していたのだが、近くで見てみると黒いだけでなく透明にもなっていて、かなり早くから傷んでいたのだろうと思う。前回の増田では前翅と後翅が入れ替わってしまったのではないかと書いたが、つるつるした緑色の部分(前翅?)とざらざらした透明な部分(後翅?)は、着物の合わせのようにはっきりと境目が見えるのにぴったりくっついてうまく分離できなかった。生きていた時は翅を広げたりすればきちんと分かれていたのかもしれない。

本当は、飼育45日を過ぎて元気でいるようなら、近況をまた増田に書こうと思って半月くらい前からずっと下書きを保存していた。そのほとんどが没になってしまった。

10月に入ってから魚肉ソーセージを食べなくなったので普通の肉を週二でやっていた事とか、ちゃんと餌を顔に近づけると自分で持って食べるようになり横着カマキリ汚名返上していた事とか、一度サーモン刺身をやってみたら大パニックを起こして煮干し以来の脱走の危機を迎えていた事とか、我が家ベランダハラビロのメスカマキリまでやってきて天の采配かと大興奮したがすぐにどこかへ行ってしまった事とかをもっと長々と書いていた。こういう形での続報になってしまってとても残念だ。

カマキリの死を知った娘は思いのほかに長くさめざめと泣いて、私はカマキリの死自体よりは、そんな娘がかわいそうで悲しいという気持ちの方が幾分強かった。それでも、この増田を書きながらカマキリの亡骸について記述している際には少々涙が出た。かわいかったなと意識をすると悲しい。

昆虫が平気な親であれば、インターネットハリガネムシ心配がないなにがしかの幼虫や餌用の活コオロギなどを買い、別に飼育しておいて、もっと長生きさせる手立てはあったかもしれない。残念ながらそこまでする根性がなかった。そういう意味での悔いはあるが、昆虫が怖くて触れない親なりにできることは全てしたと思っている。


前回の増田我が家カマキリかわいいと思ってくださった方々、本当にどうもありがとう

力も経験も全く足りず、あまり長生きをさせることはできなかった。それでもたくさん甘やかして暮らした。カマキリはどうかわからないが人間幸せだったと思う。

すぐ埋めるのは嫌だと娘が言うので、少しだけ家に置いておいて、いずれベランダの鉢植えの花を添えて近くの公園の土に埋めに行くつもりだ。

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カマキリの亡骸はこの増田を書いた翌日の朝に埋めた。

死んだ当日はとてもよく晴れて、次の明け方はおそろしく強い風が吹いた。風の音で目を覚まし、一緒に埋めようと思っていた鉢植えの花が吹き飛ばされるのが心配ベランダに出て鉢植えの位置を変えた。

朝再び起きるとカマキリの亡骸はだいぶ茶色く変色してしまっていて、これはもう埋めた方がいいだろうと思われ、娘も嫌々ながら承諾した。カマの部分だけはあまり腐るような中身がないのか、変色が少なく割合きれいな緑色を保っているのが印象的だった。

ほんの少しの間使っていた止まり木についていた木の実と、鉢植えの花をひとつ添えて公園の植え込みの根元に埋めた。

これが最後からと娘に促すと、怖がって一度もカマキリに触れたことのなかった娘がこわごわと亡骸に触れ、指でつまんで墓穴に入れようとした。

恐る恐るだったので一度手を滑らせてしまって、キッチンペーパーに乗せたカマキリの亡骸がコロリと裏返しに転がり、まるでこちらを向いて最後のお別れでもするかのような姿勢になって、思わずグッと涙を堪えた。それでも娘は亡骸をきちんと墓穴におさめることができた。二人で半べそをかきながら土をかけて葬った。

死んだ日はよく晴れ、明け方に早く葬ってほしいと言わんばかりの強い風が吹き、埋葬した後には前日に輪をかけてよい快晴に恵まれたので、その話をして「ちゃんお葬式をしてもらえてよかったと思っているのかもね」と娘に言ったら「天気の子だぁ」と喜んでいた。

今は「早く生まれ変わってまた来てほしい」と言っている。

私は「可愛さを認められて次はネコにでも生まれ変わり、どこかの優しい飼主に一生大事に可愛がられて過ごすといい」と思っている。

2024-10-13

anond:20241013094250

エジプト壁画で、着色してあるものは肌の色を茶色く塗ってあるが、着色してないものは肌の色に対して何かしている形跡は見受けられない

2024-10-11

海外の人ってそういう意図なくても白い肌のキャラ茶色で描くのなんなんだろうな

海外サイトファンアートでよく見るけど何故

柔道選手の回想を聞いてほしい 4


トイレ付近水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。

「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。

これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。

結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分道程を認めることができる。

ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。

先生。今までありがとうございました」

T君の目に涙が溜まっていた。

先生。これ、悔し涙ですかね?」

「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」

はい。なんか。自分でもわかんないです」

「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」

「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」

「これ? ああ、これね。これは……」

ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。

ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。

T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。

T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。

ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。

それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。



大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラ広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎ちらしい。目をキョロキョロさせていた。

最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。

ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表確認すると、微妙時間帯だった。

アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。

印象的な出来事があった。

結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線ホーム電車を待っていた。すると、そこに中学生女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活大会帰りなのはわかった。日曜日スポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。

の子スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。

ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。

の子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子ストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。

それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。

別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。

その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。

「俺がどうかしました?」

「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」

「それで?」

「どういう関係かなと」

「全く知らねー間柄ですけど」

「そうですか」

「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」

「いえ」

「そんな法律あるんか、オイ?」

「いえ、それは……」

「そんな法律があるんか、答えろやオイ! お前チンピラか」

「いえ、ないです……」

「じゃー、あなた対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」

「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」

「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」

「いや、その。すいません」

すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。

わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。

当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談女子店員おっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。

ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。

ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」

「……ありがとうございます

「どこまで帰るの?」

川野辺まで」※よく聞こえなかった

「へー。俺はそれより前の駅だと思う」

「そうなんですか?」

「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」

「いいですよ!」

約束な」

はい約束です!」

の子と一緒の電車車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。

アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。

当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会お酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。

それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。



中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生セックスしたことはあるだろうか? 俺はある。

あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからガチ柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。

そんな彼女は、全国中学柔道大会ベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校スポーツ推薦で合格してた。

子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。

その先輩のことが、俺は好きだった。だって自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。

その先輩が中学卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。

その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。

ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。

先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。

そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。

先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。

最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。

それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。

残念ながら、先輩が高校に進んでから柔道試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話大人嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。

高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。



あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。

その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。

そのシーンを見ていた。相手選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。

先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。

意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。

柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校スポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。

結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。

今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。

俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。

大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイPHSコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。

大学の長期休み帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。

大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。

せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である脈絡なくて意味不明だし、記憶改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。

いつも大体、俺からメール送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したか記憶にこびり付いてる。

「今度帰省する時、お土産なにがいい?」

東京ばな奈」

「あれ、前も食べなかった?」

「また食べたい」

リハビリとかしてるの」

「してない」

「どうして?」

無駄だし」

無駄じゃないかも」

「体が動かない。自分でどうにもできない」

車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」

「恥ずかしい。あれで外出たくない」

今日学内リーグ戦で優勝した」

「やったじゃん」

「次の決勝リーグで負けたけど」

一年生でそれならすごいじゃん」

「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」

「え。親がお金出してくれるかな」

「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」

「  くんは彼女いるでしょ?」

「いないよ。できたことない」

うそ

「嘘じゃない」

「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」

「うん」

約束守れる?」

「うん。自活できるようになったら迎えにいく」

「じゃまだからやめた方がいいよ」

邪魔じゃない」

「じゃまだよ」

「俺と結婚するの嫌?」

「ううん。  くんと結婚したい」

「よかった。自分もっと信じて」

ありがとう団体戦がんばってね」

「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」

「  くん。体がイタイ…」

大丈夫?」

「うん。痛い。けどがんばれるかな」

「できるよ」

「呼吸も苦しい」

電話する?」

「できない。息ができない」

「今度の春休みに会いに行く」

「きてほしくないかも」

「なんで?」

「どうしても」

「  の気持ちはわかったけど、また帰省した時に行くから

「歩けるようになりたい」

「なれるよ。絶対

「なれるかな」

「うん」

ありがとうね」

「  。今、何をしたい?」

さわりたい」

「何に?」

「  くんに」

「俺も  にさわりたい」

「ほんとうに?」

「本当だよ」

先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。

その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。

それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが

墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。

ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類最後になれるよう祈っててほしい。

次です(最後

https://anond.hatelabo.jp/20241011192841

2024-10-08

anond:20241008115557

横だけどええわけないだろ、幼児は暑さ寒さに耐えられないし、オムツからうんこもれて服全体べったり茶色になったり食べ物やヨダレで汚したりするし、それだけしか持っていかなかったら大惨事起きるかもやで。

大人と一緒に考えたらあかん

2024-10-05

映画】ふれる

腐女子にやさしい映画かと思いきや

腐女子にやさしくない映画だった…

ふれる(意味深)かと思ったら全然そんなことなかったぜ

一言でいうと男女混合シェアハウスのゴタゴタ話でそりゃそうなるでしょうよ意外の感想が無いが「人間関係、めんどくさがらずやれ!!」のメッセージ自体は「仰る通りでございます…!」なのでそんなにマイナス感情は抱かなかった

・予告を作った会社さん、有能や…ってなった

予告に「男女混合シェアハウスものです」と提示されてたら見に行ってなかった

あとYOASOBIが強すぎる

シェアハウス惚れた腫れたのくだり、「一昔前のテレビによくありそうだなー」と思って見てたらプロデューサーさん名前で「oh…」ってなったげんき!

・ふれるの中ナリィ…ターンもそういや天気の子とかすずめの戸締まりっぽかったもんな…心象風景感 

胃袋ターンは「俺は何を見せられているんだ」ってなった

・片方の女子呼び捨てでもう片方の女子ちゃん付け、そういうとこに男女混合グループ機微を感じました

・異性の知人で「親しいね」って言われて「あいつはきょうだいみたいなもん!」これも人間関係えぐみ感じましたね これアニメから見れたけど実写だったらウヘる…

人間関係って基本的楽しい美しい事もあるがエグみクサみを伴うものだと思ってて、その汚さから逃げるためにアニメ見てるとこあるので「アニメ人間関係えぐみクサみやりおるか〜ン〜」ってなった ただし内向的人間が集まり相互作用なしで凪のように物語が終る作品よりはドロドロしてるが見応えはあるな…ともなった

大人し目ちゃんビッチではないが女性の生きにくさみ少し感じた ああいう服(ボブ?・キャミワンピベレー帽・服の色茶色とか暗めの朱色)の押しに弱くて優しさからハッキリNOと言うのが苦手で相手脳内だけで独り相撲させちゃう女子、ウヌゥ…大変そうなのだ…ってなった

最後に「顔と身長!」ニコッって言い切れる強かさが備わっていてほんまよかった〜!ってなった

女子2人の最後の病室ターン、あれは絶対にじゅりちゃん大人し目ちゃんのことが好きなのが糸で伝わっちゃって…?!的な感じかと思ってたので普通に違くて「クゥ〜ン」ってなった

・1番笑ったのはふれると和解して街を覆っていた糸が解ける感動シーンでストーカーに肩ポン→ポリスの流れ あそこギャグのキレが違った

・ふれるがわざと不気味に見える演出鳥肌たった お、お前よく見たら目ん玉が砂嵐やんけ…怖… そういや映画1番最初の暗闇にふれるの目玉だけがキョロッとするのもちょっと怖かったもんな〜〜〜〜ってなった

ショタ時代上京までが長いとダルいな〜と思ってたら君の名は方式で秒でテンポよく終わらせてくれて助かった あそこでメガネ君女子海辺で袖にされてるところで「ン?」ってなってシェアハウスのゴタゴタがあり

バーのウザ絡み客、ツル確やったんか!

・なぜゴリゴリ接客業バーテンを選んだんや…

マスターの器でっけえ

不動産屋くんの先輩、押し付けがましくない気遣い いい人やな…(昼休憩とってこいのくだり)

不動産屋くんが1番「強く」ない?と思ったけど仕事で怒られるシーンが数回挟まれてて「まだ仕事に慣れてないだけなのか「仕事ができない」人種なのか…どっちだ…?」ってなった

でもじゅりちゃんをシレッと水面下でものにできる要領の良さがあるので多分慣れてないだけで慣れたら普通にしごできマンになりそう

・まかない大好きおじ、声が強すぎる

主役三人の声が「アラ〜初々しいわねェ〜」なのにいきなり歴戦のアニメ戦士が俺をアニメ世界へ誘ってくれる…

・結局静岡に行く感じなのか?

あのくだりはご都合すぎじゃろ!と思ったけどまあ主人公くんの料理の才能ならいつかどこかで発掘自体はされそうなのでそのタイミングだっただけということでヨシ!

静岡料理人としてやってる主人公くん、

「コラ〜ッ!ふれる!職場に付いてきちゃダメだって言っただろ〜ッ?!」あると思います あるね

最後の3人で手を合わせる→ハッパ入れのパァン!は目茶苦茶よかった めんどくても他人とぶつかっても意思疎通して生きて行くんじゃい!!を序盤のネガティブノイキャンふれると対比して「物語を通して変化した」感を感じさせてくれて目茶苦茶よかった

乳首の主張が強い

長年の自慰行為における乳首への性的刺激によるものかどうかは不明である

しかし、私の乳首の主張が非常に強いことは事実です。

先日、秋冬に備えてユニクロで鼠色のフード付きパーカーを購入しました。

とはいえ残暑厳しい日々が続いたせいで家での試着すらしない日々が続いていました。

が、ようやく雨降って残暑弱まる。

少し涼しくなり気持ちにも余裕ができたのか、そうだユニクロで買った鼠色のパーカーを一度も袖を通していなかったと気づきました。

私はおもむろに立ち上がり、ユニクロの鼠色のパーカーをどこにしまったのか思い出すところから始めました。

部屋を見渡すとゴミゴミゴミゴミ山です。

その中にユニクロ10円だか20円だか払って買った茶色紙袋の中に入った鼠色のフード付きパーカーがあるはずなのです。

ああ、わからない。

私の部屋の中ではあの茶色紙袋はかなりの迷彩効果を発揮するようでなかなか発見に至りません。

私は何の取り柄もない男(女だと思ってここまで読んでいただいていた方すいません私は男です)ですが、癇癪だけは人の百倍ぐらい強いと自負があります

隣近所に奇声が聞こえるのは間違いがないほど声を張り上げながらゴミからゴミを拾い上げゴミ山に向かって力いっぱい放り投げました。

するとどうでしょう、私の肩は信じられないほどの脆さでもってグニャッと歪んでまるで肩が外れたかのように激痛が走りました。

私は痛みに叫びました。

さきほどの癇癪の奇声にも負けないほどの声の張り上げ方です。

日頃、声を出すことがほとんどない喉はそんな叫び声を連続してあげてしまたことにより、もうそれだけで血が出てるんじゃないかと思うほどの痛みを感じました。

そして肩の激痛。

投球練習もせずにマウンドに上がればさもありなん。

子供の頃大好きだった侍ジャイアンツをふと思い出しながら涙流し、肩の激痛に耐えました。

これはちょっと病院に行ったほうがいいんじゃないか?

救急車を呼ぼうか?と思うほど痛みを感じて心配になりました。

でも、実際にはそれほど大したものではなく2分ほどしたら痛みはあるものの激痛はおさまりました。

そんなことをしているうちに当初の目標であったユニクロ紙袋を探しだし鼠色のフード付きパーカーを試着するという目的はすっかり忘れ果て、PCの前にどっかりと座るとエロ動画を見ながら明日トレードについて思索を深めました。

しかしやはりポルノの力は強いです。

ちょっと流し見してるつもりが自分が大好きな乳首舐め手コキのシーンが始まると集中してしまます

動画を見ながらついついと自分乳首をイジってしまうのです。

ああ、今日はまだオナニーする時間じゃないのにな、と思いながらオチンチンに手が伸びてしまます

、っとその前にティッシュペーパーの準備をしなければ、と思い部屋の中を見回しますがどこにティッシュペーパーがあるのかわかりません。

青い袋に包まれエリエール+Waterがどこかにあるはずなのですがゴミゴミゴミゴミの山の中のどこにエリエールがあるのか皆目見当がつきません。

また癇癪を起こしそうになりましたがさきほど声を張り上げたあとから続いている喉の痛みと、まだジンジンしてる肩の痛みがかろうじて爆発する私の感情を押し留めました。

そしてユニクロ紙袋が見つかりました。

私はユニクロのフード付きパーカーの試着をするという目的を思い出しました。

サイズはMサイズです。

私はユニクロのMサイズジャストサイズです。

Mサイズを選んでおけば街がありません。

と思っていたのですがユニクロの中でも「U」というイニシャルが付け足されてるやつは油断がなりません。

あれはなぜがサイズメチャクチャデカイやつが混じってます

今年の春に通販で買った黄色シャツはMサイズを買ったはずなのに間違ってXLサイズが届いている!とまた癇癪を起こしそうになるほどデカイやつが届きました。

しかし、札をみるとMと書いています

いやこれはXLサイズに間違ってMの札を付けたに違いないと思うほど大きかったのですがいろいろと調べてみるとどうやらオーバーサイズというやつでわざとそういう作りにしてるらしいです。

ですが正直これはやり過ぎだろうと当時思いました。

いくら大きめのサイズ流行っているからと言ってこれはやりすぎだ、と。

やっぱり物事というのはすぐにやり過ぎ、インフレになってしまものでこれはジャンプ漫画と同じです。

子供の頃読んでいたドラゴンボールのようにすぐに戦闘力インフレが起きるのです。

からこそ適時適時に緊縮を行わなければ行けないのですが、世の中緊縮は喜ばれません。

綱紀粛正必要ながら、それを旗振りするとスケープゴートされるのが世の常です。

うすいアンダーシャツのうえに試着するとサイズはぴったりでした。

着てみるとちょっと予想よりも厚手感のあるパーカーでしたがサイズは適度なゆとりがあるちょうどのサイズでした。

ですが乳首の部分がぷっくりと浮いています

え?

この厚みのあるパーカー乳首が主張するのか???

驚きました。

夏のTシャツなどで乳首のある場所はここです、と主張するのは最早常識になっていました。

それはいい。

しかし、秋冬の決して薄手というわけでもない鼠色のフード付きパーカー乳首場所が明示されているのは納得感が欠けます

色が悪かったのでしょうか?

黒にしておけば、黒にしておけば、もっと目立たなかったのでしょうか?

まあどうでもいいです。

これは着ません。捨てます

2024-10-04

おととい買ってきたバナナ

酸味が完全に無くなってうまくない。

茶色い点々が出たのを「シュガースポット出てからが美味しい」とか抜かすのは古くなっても売りたい店の嘘だよな。

バナナは点々が無く、端に少しだけ青みが残ってるくらいが一番うまい

古いバナナなんて半額でも買わん。

2024-09-29

anond:20240929152332

元増田はそんな機能不全の団地みたいな人間関係じゃなくない?現代的な対等な人間同士の家族じゃない?

 

そういうのが当たり前だった時代って水路下水が流れてて水道茶色の水で服洗ってもうんこ匂いさせてたんでしょ?

 

家族が味方じゃない価値観の人って、今でもうんこ臭そうだね

2024-09-28

うんこのかけら

疲れて夢うつつになって―いつの間におとずれしマーク

唯一のとほほだな、おとぎ話世界なのに現実に戻されるところよね

星のかけらなら夢の中なのに、茶色いことで一気に福祉世界

―残したの誰よ

2024-09-18

これがスレッズで絶賛される文章!!!

おれの読み方がおかしいのかなと何度読み返しても人の名前馬鹿にしてるだけにしか読めなかった

キラキラネームシワシワネーム等あります個人的にはほっこり洒落意識ネームが苦手。

うた いと おと にこ むぎ つむぎ 等

色彩薄めのおもちゃや服しか買い与えずランドセル母親希望茶色キャメルを購入してそう

https://www.threads.net/@miss___muffet/post/DABkyHzyhC2/

犬がいなくなった

といっても脱走したわけじゃなく、虹の橋のもとに行ってしまった。もうこの世では永遠に会えない。

耳の先から尻尾まできれいな茶色。マズルと足が長くてたぬき顔で、尻尾左巻き雑種保護犬

可愛くてイケメンで優しくて、本当にいい子だった。撫でられるのが大好き。吠えなかったし噛まなかったし、いっぱい甘えてきた。

亡くなった父がその子写真をたくさん撮ってくれていて、手元にあるデータを見たら、作成日時が父の命日だった。

犬、いなくなっちゃったなあ。

3匹の犬を代わる代わる飼って30年。

30年ずっと、いつでもモフれる存在がいた。15年目くらいで家を出てからもずっと、動物に会いたくて我慢出来ない時は実家に帰っていた。

犬、いなくなっちゃったなあ。

2024-09-16

私自はいわゆる黒髪ストレートロングヘアの女なんだよね。この髪の毛は結構、いや凄く気に入っている。それを職場の人から子供もいないし結婚もしてない、なんなら彼氏もいないんだしヘアドネーションして社会貢献でもしたら?」と言われたら「嫌です」と言えた(その後上司にチクった)し、大学生の頃に仲良くなったと思った子からピアスを開けろ!!強そうな服を着ろ!!髪をピンクにして舐められないようにしろ!!常にガンを飛ばせ!!」と言われた時、「強制されて服とか髪とか振る舞いを変えるのは嫌だなぁ」と思ったし、高校の頃の友達に生まれつきゆるふわ天パの子と栗色の髪の子がいたんだけど、その子達が「どれだけ生まれつきだって説明しても先輩も先生もわかってくれないから」って縮毛で髪を真っ直ぐにしたり黒染めを続けて、卒業する頃にはぼろぼろパサパサの髪になってたのは悲しかった。それよりもずっと前、茶色に染めてパーマグリグリに巻いた髪の母親から女の子は三つ編み、夏になったらおかっぱ」と口癖のように言われて、毎日三つ編みに結われつつ毎年プール開きの前に美容院に連れて行かれるのが辛かった(ちなみに母親幼稚園の頃からパーマだったらしい)。

髪質のせいかボブとかショートにすると、どれだけ丁寧にセットしても一瞬でボサボサになる。染めた後のメンテナンスケアを聞くだけで自分には出来ないと思う。

アラサーになった今、黒でストレートの髪をまとめてるけどこれが一番好きだな。いろんな人から褒めてもらえるし。

そのままの髪でいることが気楽な人が増えるといいな。

2024-09-15

anond:20240915143358

外で見かける白人は赤とか茶色っぽくて言うほど白くないやで

しろ若いアジア人女性でやけに白い奴がいるやで😟

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