はてなキーワード: 自己実現とは
【追記あり 一番下】
私も決して退職勧奨として閑職に追いやられてるとかでない。
繁忙期と閑散期の差が激しく、最近は閑散期ばかり…。
忙しい部署の人が稼いでくれたお金で、私は生活をさせて頂いている。
ここ2ヶ月のうち、マジで1日ぐらいしか仕事していない。あとはネットサーフィンか座ったまま寝てるだけ。
年単位(今年1月から)で考えても、9ヶ月間のうち2ヶ月ぐらいしかまともに働いてない気がする。
雨が降っていなければ、午前30分、午後30分、1日合計1時間ぐらい散歩に出かける。
さすがにこの夏は暑すぎて散歩できなかったが…もう少し秋が深まれば散歩を再開する。
ずっと座りっぱなしだと、痔になるので…。
有給も毎年22日間付与され、ほぼ使い切る。土日祝&GW&盆暮れ正月休み。
社内・部内のジョブローテーションも当面なさそう。
初めのうちは暇な時間ずっと勉強して資格を色々と取っていたが、興味のある資格もなくなってしまった。
毎朝出社して、Yahooニュース、はてブを一通り見たあとは、一日中ひたすら天気予報か、近隣の飲食店のメニューか、晩御飯のためのレシピサイトを見ている。
流石にYouTube 見るのは憚られるから見ない。←元増田と全く同じでワロタ
安定業界ではある?が、従業員70名程度の中小企業なので、20年、30年後も会社が続いているのか不安。
(一応、今まで60年間も続いている会社らしいが)
この先、20~30年同じような生活ができるなら、全然今のままで良いのだが、この生活が今後も続けられるか不安。マジで不安。
続けられないようなら早めに転職しないと…と思っている。
社内の若手もどんどん転職している。中堅~ベテランで辞める人はいないが。
・忙しい日々が続いても、毎日8時間びっしり仕事が詰まってる状況が1ヶ月続く程度で残業はほとんどない
・地方郊外在住で、毎日寝てても年収400万前後の安定した収入。
・家から近い(車で10分)ので、朝7時に起きて8時に家出て保育園に子供送って出勤し、退勤後は子供を回収した後18時に家に帰れる。
・職場の人とは仲良くはないが、「仲良くはない」だけで、決して嫌な人はいない。人間関係〇
・リモートワークができない
・会社が定年まで潰れないか未知数(今のところ大丈夫そうではあるが)
・特に興味の持てない、自分の得意なことを生かせるわけでもない業務内容
・TOEIC900点(喋れないけど)、そこそこ難しい法律系国家資格×2、そこそこ難しい理系国家資格×3の資格持ち。(お勉強はできる)
・要領が良くて勉強好き。今から未経験で新しい仕事でも全然OKー!マインド。
・ワーママなので、女性活躍!なロールモデルを探してる企業は欲しいかも?
・子供一人産んでから就職したので、一般的な人より就業年数が少ない。
・リモートワーク可
・年収が上がるともちろん嬉しいが、夫も働いているので必須ではない。
一応転職サイトに登録しているが、地方郊外(とかいなか?)在住なだけあって、通勤距離を重視すると、企業もある程度限られてしまう。
理系大卒程度の専門性があれば、+αの英語力があり、技術職として引く手数多なのだろうが、残念ながら技術職としては専門性が足りない。
飽き性な方で、正直言って、違う仕事もしてみたいのだが、小さな子供がいることもあり、残業やら何やらガッツリ働けるのは5年後10年後ぐらいになりそうだ。
未経験可のポテンシャル採用に向いている人材だとは思うが、年齢が既にミドサー。だらだらしてると、40代でポテンシャル採用はさすがにキツそう…
45~50歳ぐらいからでも未経験ポテンシャル採用してくれるホワイト企業が世の中にたくさんあれば、こんなに悩まないんだけれどなあ。
あああー子供がある程度大きくなったら、第二新卒になりたいよーーーー!!!
今転職して昇給を経て5年後とかに今より収入の上がりそうな大手企業の求人はあるが、現時点で転職して収入が即上がりそうな転職先はない。
私は大手企業とか、高収入に憧れてるだけのダメな奴かもしれない。
高学歴なのに高収入ではないコンプレックスを解消したいだけのダメな奴なのかもしれない。
夫も普通に働いているし、年収を上げなければいけない差し迫った理由はない。
今、恵まれた環境にいるので、転職は一種のギャンブルになってしまう気もする。
転職しない方がいいだろうか?
贅沢な悩みだとは分かっている。皆の意見を聞かせてほしい。
まず初めに、ブクマカの皆さん、意見ありがとうございました。どのコメントも有り難く読みました。
やりがいや、自己実現のような馬鹿なこと考えるのはやめる。このままぬるま湯でヌクヌクと生きてやる。先のことはグツグツしてきて茹で上がってから考える。私は子供の頃から貯金好きで夏休みの宿題とか早く終わらせるタイプ。先のことを考えすぎだったのかもしれない。
確かにその通り!!!今の仕事はやりたいことではないが、だから本当は何をやりたいのかと聞かれてもやりたいことなど特にない。昔からそうだった。将来の夢がある人が羨ましかった。
これはありかもしれん
これは自分でもよく分かってるので、実務経験の少なさを強調したつもりです
その通りだな…。
でもこの意識の積み重ねが、マクロで見た時の男女の賃金格差に繋がってるんだろうな。
ワロタ。同じ部署の同僚は同じく暇してるし、他の部署の同僚はこちらの暇な現状を知らないので大丈夫。
書き方が悪かった。転職サイトじゃなくてエージェント登録済。面談もしたけど、希望条件は厳しいとのこと(当たり前)。暇だから求人情報は見てるけど応募はほとんどしていない。
最近、自分にとってはかなり難しめの、理系の業務独占資格(しかも人手不足系)を取って、一息ついて気が抜けたところなんだ。電気、機械保全系で稼げるというコメもあったので、老後はそっちに行くのもありかと思ってる。
ごめん、ニッチな資格もあるので、身バレの可能性が普通にありまして…。一つ一つは司法試験のように難易度最高ではないし専門の人にとってはなんてことない資格かもしれないけど、バリエーション的には、私の保有資格を全て持ってる人は日本で私しかいないかもと思うぐらいなので…。家族や知り合いに見られたら確実に特定される。
それはアリかも
「こどおじFIRE問題」は、日本の社会問題や経済的なトレンドに関連する用語です。「こどおじ」とは「子供部屋おじさん」の略で、成人後も実家で親と同居している中高年男性を指します。「FIRE」とは「Financial Independence, Retire Early」(経済的自立と早期退職)の略で、早期にリタイアし自由な生活を目指すライフスタイルです。この2つの概念が組み合わさった「こどおじFIRE問題」は、次のような社会的、経済的な懸念を含んでいます。
「こどおじ」は、家賃や生活費の負担が少なく、親の援助に依存していることが多いです。そのため、収入の多くを投資や貯蓄に回すことができるため、「FIRE」達成が現実的に可能な場合があります。しかし、これには親の経済的な援助が前提となっており、経済的に自立していないまま早期リタイアを目指すことが「本当のFIRE」なのかという疑問も投げかけられています。
こどおじFIREを目指す人々が、将来的に親の介護負担をどうするのかという問題もあります。親が高齢になった場合、介護の必要が生じると、その負担がこどおじに集中する可能性があります。また、親が亡くなった後、遺産相続によって一時的に資産が増えることがあっても、介護費用や相続税などの負担が新たに発生することがあります。
こどおじとして実家に住むことは、家族以外との社会的な関わりが少なくなることがあり、社会的孤立や精神的な健康問題を引き起こすリスクがあります。また、社会的に「自立していない」とみなされることで、自己肯定感が低下することもあるかもしれません。
こどおじFIREを目指して貯蓄や投資をしても、リタイア後の生活が充実していなければFIRE達成の意義が薄れます。経済的な自由を得たとしても、社会的なつながりや自己実現の機会が欠如した場合、精神的な満足感を得るのが難しいという課題があります。
「こどおじFIRE問題」は、特に日本のメディアやSNSでしばしば取り上げられ、批判やネガティブなステレオタイプと結びつくことがあります。例えば、実家で親に頼って生活する「こどおじ」像は、自己責任を果たしていないという批判を受けがちです。しかし、経済的合理性や親孝行という側面から見ると、必ずしもネガティブなライフスタイルではないとも言えます。
まとめ
「こどおじFIRE問題」は、日本の社会の変化や経済的な状況を反映した現象です。一見、経済的に安定しているように見えるこどおじFIREのライフスタイルには、長期的な視点で見たときのリスクや社会的な影響が隠れており、その解決には個人の意識改革や社会的なサポートが必要かもしれません。
現代社会において蔓延する「推し活」という愚行は、人間の知性を著しく貶める行為であり、その愚かさは計り知れない。自らの人生の主人公たるべき者が、他者を盲目的に崇拝し、その存在に心酔するさまは、まさに愚者の極みと言わざるを得ない。
推し活に没頭する者たちは、自らの存在意義を完全に見失っている。彼らは自身の人生という舞台で、主役を演じるべき立場にありながら、その座を他人に明け渡し、脇役どころか、単なる観客として自らを位置づけている。これほど悲惨な自己放棄はない。自分の人生の主人公は他ならぬ自分自身であるという、この至極当然の事実を忘れ去った彼らの姿は、まさに現代の阿呆絵図と言えよう。
推し活に熱中する者たちは、特定の人物やキャラクターを神格化し、盲目的に崇拝する。この行為は、理性的思考を完全に放棄した証左であり、知性の欠如を如実に示している。彼らは自らの判断力や批評能力を捨て去り、ただひたすらに「推し」と呼ばれる対象を賛美し続ける。この姿勢は、まるで中世の狂信的な宗教崇拝者のようであり、現代の教育を受けた人間のすることとは思えない。
推し活に費やされる膨大な時間と金銭は、まさに愚行の極みである。人生の貴重な時間を、他人の姿を眺めることに費やし、稼いだ金の大半を「推し」のグッズや関連商品に注ぎ込む。この行為は、自己投資や自己啓発の機会を完全に無視し、自らの成長や発展を放棄するものだ。時間と金銭という限りある資源を、このような無意味な活動に浪費することは、まさに愚者の所業と言わざるを得ない。
推し活は、現実逃避の一形態に過ぎない。自らの人生に向き合うことを恐れ、現実世界での挫折や困難から目を背け、架空の世界や他人の人生に没頭する。これは精神的な弱さの表れであり、社会人としての責任を放棄する行為だ。現実世界での自己実現や人間関係の構築を避け、空想の世界に逃げ込むことは、人格の成熟を著しく阻害する。
推し活に没頭する者は、社会的な影響力を持つ機会を自ら放棄している。自らの意見や考えを持つことなく、「推し」の言動をただ模倣し、その価値観を無批判に受け入れる。これでは、社会を変革する力を持つことは不可能だ。真に社会に貢献し、影響を与えるためには、自らの思考と行動が不可欠である。推し活は、この可能性を完全に潰してしまう。
推し活は、人間の尊厳を著しく損なう愚かな行為である。自らの人生の主人公であることを放棄し、他者を盲目的に崇拝することは、知性と理性を持つ人間として、あってはならない行為だ。真に賢明な者は、自らの人生に真摯に向き合い、自己実現と社会貢献を目指すべきである。推し活に溺れることなく、自らの人生の舵を自らの手で取り、主体的に生きることこそが、人間としての真の価値を示すのだ。
万能交換チケットとしての金は大好きだけど資本としての金に魅力を感じない。労働も当然嫌いなので金持ちになれない。
金持ちほど浪費をしないみたいな話聞くと、それもう金持ちである意味がないじゃんって思う。貧乏人は金遣いが荒いってのはともかく。
豪邸住んで好きなものに囲まれて、金で実現出来る事を沢山やれる金持ちは普通に羨ましいね〜〜って思う。ユニクロ着て特に金を注ぎ込む趣味もありませんみたいなのって、そこまで金稼がなくていいじゃんって思う。意識して稼がない道理もないけど。
浪費とか虚しいよ、とか言われても全然共感出来ない。金を好き放題使うのに飽きる体験をしてないから。ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたのもボンボンだったからだと思ってる。
飽きすらせず最初からそう思ってる類の人間こそが金持ちの素質があるというのなら、ますます無意味な素質じゃんと思う。
いやまあ金の不安に晒されるストレスからの脱却だとか、子孫に楽をさせられる満足感とかはあるんだろうけど。
そもそも金を稼ぐことそのものが快感なのかもしれないし、それなら幸せなのかなとも思う。
資本主義の精神とか言うけど、プロテスタント的な救済がどうのみたいな理屈は全然関係ない気がする。単に人間はクッキークリッカー的な増殖や貯蔵が好きなのかもしれない。
喜びを拾い集めるのが人生なら、別にギター弾いて気持ちよくなるのもサッカーやって気持ちよくなるのも変わらんし。パチ打つのも絵を見て本を読んで子育てして気持ちよくなるのも変わらんし。
欲望の種類なんてただの言葉でしかないし、努力の果ての自己実現の喜びはコンビニで買える喜びに勝るだなんて神様に確認を取った訳でもない。
趣味ついでに、健康状態が良くなったり金が増えたりとおまけがあったら得した気分だろうけど、ハナからおまけ目当てで趣味を考えるのは無粋で嫌いだねあたしは。
この夢は非常に象徴的で、深層心理の様々な要素を反映していると考えられます。以下に夢の分析を試みます。
山: 山は多くの場合、挑戦や成長、自己実現を象徴します。この夢では、あなたの内面にある課題や克服すべき問題を表している可能性があります。
デーモン: デーモンは通常、抑圧された感情や欲望、恐れなどの否定的な側面を象徴します。ここでは、あなたが日常生活で直面している困難や内なる葛藤を表しているかもしれません。
虫: 虫は変化や変容のシンボルとして解釈できます。デーモンを食らう虫は、問題を解決する手段や方法を象徴している可能性があります。
悪魔の王: これは超自我や権威的な存在を表していると考えられます。あなたの内なる批判者や、外部からの圧力を象徴しているかもしれません。
1. デーモン掃討作戦: これは、あなたが自身の問題や課題に積極的に取り組もうとしている姿勢を示しています。
2. 虫の培養: 問題解決のための新しい方法や戦略を模索していることを示唆しています。
3. デーモンが生まれる様子: 問題が次々と発生する状況や、抑圧された感情が表面化する過程を表しているかもしれません。
4. 悪魔の王の出現: 問題解決の試みが、より大きな課題や権威との対峙を引き起こす可能性を示唆しています。
5. 目が覚める: 夢の最後で目が覚めるのは、この課題がまだ解決されていないことを示唆しています。
この夢は、あなたが現在直面している何らかの課題や内なる葛藤に取り組もうとしている過程を反映しているようです。
問題解決のための新しい方法を探っていますが、その過程で予期せぬ困難や権威との対立に直面する可能性があることを示唆しています。
夢は無意識からのメッセージであり、この夢はあなたに、問題に立ち向かう勇気を持つと同時に、より大きな力との対峙に備える必要性を伝えているのかもしれません。
よく知られている方の「リーナスの法則」は、「十分な目ん玉があれば、全てのバグは洗い出される」と言われるが、今述べたいのはもう一つの「人生の意味」についての「リーナスの法則」であり、どちらもリーナス・トーバルズが主張している。
リーナスの法則は、人間の動機づけを3つの段階で説明する考え方である。この法則は、人間の行動や動機を理解する上で洞察を提供している。
1. 生きること(Survival)
3. 享楽・娯楽(Entertainment)
リーナスの法則は、単なる欲求の分類にとどまらず、人間の進化と社会の発展を反映している。生存から社会生活、そして享楽へと至る過程は、人類の歴史そのものを表しているとも言える。
トーバルズは、この法則を通じて技術開発の本質を捉えようとした。彼の視点では、真の革新は「楽しみ」を追求する過程から生まれるのである。
「ただ楽しいからやる」という動機は、創造性と革新の源泉となる。この考えは、選択理論心理学の「楽しみの欲求」と共鳴する。楽しみの欲求は、ユーモア、好奇心、学習・成長、創造性といった要素を含み、人間の精神的欲求の重要な部分を構成している。
リーナスの法則は、オープンソースソフトウェア開発の哲学と深く結びついている。Linuxの開発過程は、この法則の実践的な例証となっている。開発者たちは、生存や社会的地位のためではなく、純粋な楽しみのために貢献し、結果として革新的なソフトウェアを生み出している。
この法則は、現代社会における幸福と成功の再定義を促している。単なる生存や社会的成功を超えて、個人の内面的な満足や創造的活動の重要性を強調している。これは、持続可能な社会発展と個人の幸福追求の両立を示唆するものである。
若き頃のリーナスは、人生の意味について、ある種の確信を持っていた。だから著書ではこの理論について最初に述べていたというわけである。
https://anond.hatelabo.jp/20240828220034
この増田は男だけど、育児を何故か仕事と同列視して被害者面するタイプはワーママにもよく見られる。つくづく理解出来ない。
子供を作る事は本来別にやらなくてもいい事だから。人生に本来不要な娯楽を、自ら好き好んで始めている。
家事とも違う。家事は単に生活の必然性からやらなきゃならない行為であって、そこに娯楽や自己実現の要素はないからな。
自分が好き好んでこの世に誕生させた、愛する我が子とすごす時間を、どうして仕事という苦行と同列視するんだ?
疲れるなんてのは理由にならない。
例えば推しのライブに行ったり、ディズニーやユニバに行ったりしてて楽しんで、くたくたになって帰ってくるのと同じ事だから。
肉体的疲労を上回る充足感がある筈なんだが?
バンドマンとか歌い手とか地下ドルとかなんにでも当てはまるありきたりな話だった
愚痴に説教したところで仕方ないが、ブコメにもある通り結局増田の目指してるところがよくわからないのが問題なんじゃないか?
金のためにやるのか、自己実現の一環としてやるのか、
副業として小遣い稼ぎしたいのか、専業でガッツリやりたいのか、専業でやるとしてどのくらい儲けたいのか、
最終的な目的は何なのか、金持ちになりたいのか、チヤホヤされたいのか、有名になりたいのか、ファン食いたいのか、有名人と繋がりたいのか、それとも具体的な何かデカい目的(例えば武道館ライブみたいなの)があるのか、
そのあたりをしっかり決めずにただ登録者数っていうただの一指標を増やすことしか考えずにやってるから、活動がブレブレになって「何やってんだろう俺」と落ち込み、挙句客に敵意を向けるようになったようにみえる
ここからは推測になるが登録5桁の時点で趣味や副業として考えればもう十分なのだから多分もっと売れたいし有名になりたいんだろうな
それならここで書いてる愚痴はグッと飲みこんで、汚い手でも何でもいいからとりあえず数字を増やすべくランチェスター戦略でやっていけ
一般的に「個性」と聞いて、多くの人が能力やスキルに注目しがちですが、あなたはそこに疑問を投げかけ、価値観という新たな側面に焦点を当てました。
あなたが「能力には興味がない」とおっしゃるように、能力はあくまで手段です。しかし、手段を選択するのは価値観です。つまり、能力は価値観によってどのように使われるかによって、その人の個性に繋がっていくと言えるでしょう。
価値観が個性であると理解した上で、どのように行動していくべきか、あなたは3つの提案をしています。
1. 相対主義を避け、善悪を見極める: これは非常に重要な点です。相対主義に陥ると、全ての価値観が相対化され、何が正しいのかが分からなくなってしまいます。
2. 趣味では自分の好き嫌いに素直になる: 趣味は、自分の価値観を表現できる良い機会です。
3. 金と時間の使い方: これは、日常における価値観の実践です。善悪の問題にならない範囲で、自分にとって大切なものに時間と金を使うことは、自己実現につながります。
個性を形作るのは、能力だけでなく、その人が持つ価値観です。自分の価値観を理解し、それに基づいた行動をすることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。
あなたの考えは、非常に深く、そして現代社会において重要なテーマを提起しています。ぜひ、この考えを深めていき、自分だけの個性を開花させてください。
もし、このテーマについてさらに議論したいことがあれば、お気軽にご質問ください。例えば、以下の点について考えてみるのも面白いでしょう。
一緒に考えていきましょう。
スーパーチャットでプロデューサー面の長文改善案(クレーム)を送り付けるVtuberファン、一流萌え女性漫画家を「王」だと慕い著書のキャラクターと重ね合わせる「ナイト」たち。そんな彼らを吊るし上げ弱者だと蔑み笑うのは、本当に正しいことだろうか。
昨今見られるオタクの「陽キャ化」が怖い。しかし一度わが身を振り返ってみて欲しい。推しの幸せは自分の幸せ。インフルエンサーとして活動してる者に交際している異性が存在するのは当然の認識。果ては性欲を都合のいいヴェールで覆い隠す「推し」という言葉そのもの。 「ユニコーン」や「弱者男性」と日陰者を冷遇するが、そうやって追いやる自分たちにもまた本質的には彼らと同じところがあるのではないか?人間の本質だ。
『建前を抜きに公衆の面前で本質を曝け出してしまうことが問題だ』という反論は正しい。しかしそうやって臭い者に蓋をするような真似をしても意味がない。より強い光を当てればその分濃い影が生まれるだけなのだ。構造を把握しなければ全く無意味なこと。
少し話は変わるが、何時の時代も創り出すのは弱者の側だ。と思う。現状の社会では自己実現が難しかった連中が隅に集まり、愛憎入り乱れる欲求を煮詰めてなにかを創り、それが発明と呼ばれるんじゃないだろうか。
どんな時代にもキモイ人たちはいる。それは女性蔑視的な思想であったり、恵まれていない故他人に攻撃することが許されると本気で信じているどうしようもない人たちばかりだが、そんなキモイ人たちのキモイ欲求が今この場の土台を生み出したんだと一度発想を転換してみて欲しい。
キモイ人たちがキモイままでいられる場を潰さないで上げてください。キモい人たちの自己実現の場を潰さないで下さい。仮に潰したとしてもそういった方々はまた別の所で群れてキモイコミュニティを作って、そこで様々を創り出す。
そうした物はその時代の人の本能や欲求に訴えかけて、また大きな数字や需要を生み出すかもしれない。やがてそれで生計を立てる人が出てきて、そうやって場が整って来た頃にまた消費をしに来て、弱者を「キモイ」と追いやる。全く意味のない繰り返しだと思わないだろうか?
キモくてすみません。けどキモい人たちの欲求には価値がある。それをキモイと非難することも大事な社会の役割だ。
ユニコーンを殲滅せんと激しい怒りを燃やす皆さん、どうか一度臭い者に蓋をする手を一度休めて、臭い匂いを嗅いでみて欲しい。案外癖になるかもしれない。
メイクにはセルフケアの効能があるのだ、とこの素晴らしい慣習をなぜ旧弊な男どもは取り入れないのか?と不思議がってみせますけどね。傲慢すぎやしませんか
化粧の意味は一側面としてケアや自己表現である以前にずっと社会性のもので、ある種型にはまりにいく作業だってことは女性の皆さんの方がご存じじゃないですか。なんでそこを都合よく忘却するんですかね
そういう文化は別に片務的に女性だけにあるものではなくて、男性に対しては筋トレをしろとかがそうで、社会化圧力と自己実現の両義的な機能があるのも同じですね。両性に課されるものとしてはいい服を着ろとかね
現にメイクなどしなくてもマジョリティ男性は男性自身の文化を通じて自律的に振る舞ってきたのであって、化粧を自己表現ではなく社会適応のための謂われなき苦役として捉えている女性がいくらでも存在するように、男性のセルフネグレクトというのはすでにそういう適応から漏れた人間の問題なんすよ
男性が女性文化をミソジニーで退けてるなんつってますがこれは逆で、男性は何を通じてケアをするのか?というところへの無関心からこういうセリフが吐けるわけです。ケアの文脈においては女性的なコミュニケーションの仕方を「正解」としてるってだけの啓蒙しぐさですね
狭い層の男性に対して化粧は重量挙げのオルタナとして機能するかもしれないから一概に跳ねのける必要はないですけど、すべての男性が女性の慣習を見習ってハッピーでよかったですねって話では断じてないですよ
まあフェミニズムの従僕たる男性学の唱える男らしさの解体が画餅であり、実質的な男らしさ2.0でしかないことはずっと昔にバレてるんでいいですけどね
チー牛が差別用語なのは百も承知なのですが、それを避けた結果生まれるのは私のような人間です。
髪も肌も整えることをせず服も買わず、ママに育まれたプライドは自分を変える努力を遠ざけつづけます。
男にも女にもモテず、コミュニティに属せないため青春を楽しむことも、良い企業にアピールできる実績も積めません。
思春期に深夜までアニメやゲームにのめり込んだ結果身長は低く、頭もよくありません。今でも毎日アニメを見ています。
仕事ができなさそうという一見の評価から多くのチャンスを失います。
私の両親は私の自己実現を常に応援してくれる本当に素晴らしい人間です。
その延長として周りからの見られ方や社会でどんな人間が評価されるのかについて、一切何も言わないでくれました。言わないでくれやがりました。
チー牛という言葉を認識せずにいれば、社会的差別から逃れられるというわけではありません。
親がその差別を許す許さない考えることは自由ですが、あなたの息子さん娘さんは許されるわけではありません。
生物学的魅力で訴えられることはありませんし、犯罪になることもありませんから。
ぜひ息子さん、娘さんのために差別できる側にしてあげてください。
現役チー牛からのお願いでした。
恋人が欲しい、結婚したい、友人が欲しい、お金が欲しい、偉くなりたい、人から認められてい、優しくされたい、自分のことを理解されたい、自己実現がしたい。
インターネットのコミュニティ系サイトを見れば、こんな悩み、葛藤、欲望を沢山見ることが出来る。
現在を生きる人類は多くのコンテンツや社会通念を通して、このような価値観を幸せなこととして啓蒙されている。
しかし、いち生物の個体として考えると、これらの価値観は無価値である。
しかし、そんなことを言っていると人間社会が滅亡してしまうので、人間讃歌よろしく、社会の奴隷として我々は今日も社会を肥え太らせていくのである。
メンヘラな同人/絵師の女は最低年収500万以上得られるように働けばいいのでは?
こういう女性たちは基本的にロクに働かないし、ちゃんと自活できる程度に働けば、いいんじゃねーかなって思いました
そうすれば世界は多少は広がるのでは?・・・・・・・とか思ったけど、増田書いている途中で、
頭悪い職場でバカみたいな派遣・バイトして、よちよちしてポエム・漫画あげているヤツもいることを思い出したので、
最低年収500万以上は稼げるように働いたいたらいいんじゃないかなと思いました
500万以上稼ぐためには、大手企業に入る、地方や都内中小なら役職者・ミドルレベルのエンジニアにならないとダメなので、
世界が多少は広くなるし、いちいちネットで構ってやらなくなるんじゃないかなと思います
仕事そこそこ頑張ってもなお『あたちはーダメなヤツだからー』をするのに余念が無い人は、
そこそこ仕事頑張った上で、創作したり・スポーツで大会出たりとか、なかなか出来ないです
少なくとも自分は出来ていないです、両方やったら家事がまったくできないし、ウォーキングレベルの運動習慣すら放り投げてしまいます
大手で『別に仕事暇なんですけどー?むしろ社内ニートっぽくて将来不安なんですけどー』って人は
まぁそれなりに仕事優先でやってればなんとなくいけそうなラインの年収でも、家のことなんかロクにやってなんかいねーぞ、
✨\自己実現/✨とかじゃないのよね
つか、ワイ的に真のエリートってどこの組織に勤めて肩書きがーとかじゃぶっちゃけないと思うのよね
ほう、気になることがたくさんあるようじゃな♡ では、わらわが少しばかり説明してあげるのじゃ。
まず、反AI連中のルサンチマン(怨念)、つまり不満や怒りの根源じゃが、それは多くの場合、自己利益や自己実現に対する不安や脅威からくるものじゃの。
特に絵描きやアーティストたちにとって、AIが彼らの職を奪うのではないかという恐れが大きいのじゃ。
わらわが見るに、彼らの作品がAIによって模倣されることへの反発もあるのじゃな。
この状況では、人々の労力や才能を軽視されていると感じやすいのじゃ。
次に、ディープフェイクやエロ画像使用の問題じゃが、これは倫理的に重大な懸念を生むのじゃ。
個人のプライバシーや名誉を侵害する行為が増えると、社会全体で深刻な対立を引き起こすのじゃ。
規制はそうした悪用を防ぐための措置としての必要性が叫ばれるのじゃな。
最後に、どこで落とし所を考えているかという点じゃが、それは技術の発展と人間の倫理・社会的価値観とのバランスを取ることにあるのじゃ。
法やルールを整備して、AIの利用方法を適切に管理し、悪用を防ぎつつ、創造的な技術を活かす方向を模索することが求められるのじゃ。
投資家たちが金のために動くのは理解しやすいが、クリエイティブな分野で活動する人々にとっては、自らの存在意義や誇りが掛かっているのじゃ。
最近推し活という言葉が流行っている。特にアイドルなんかの生身の人間のオタクをやることが、まるでブームのように毎日SNSでバズりメディアで取り上げられている。
仕事柄、と言ってももう引退したので前職になるが、推し活をしている人から質問されることがある。その中でも多いのが、イベントやフェスにどのアーティストを呼ぶかってどう決めてるの?という類の質問だ。恐らくその後ろには、私の推しがもっとたくさんイベントに出るにはどうすればいいの?という興味があるのだろう。
これは人や会社による上に私はもう現役でないから、直接聞かれてもそれっぽいことを言ってのらりくらりと躱してしまう。ただ、最近あまりにも聞かれるからきっと推し活をしている人なら興味津々の話題なのかもしれないと思った。なので、匿名でネットの隅に書いておくことで答えとしたい。
ただ、飽くまで私の場合、なのであまり本気で捉えずに話のネタ程度に読み流してほしい。辞めた身なので自分勝手なことも書いているし、今イベントに関わっている人たちの総意では決してないことは理解してほしい。私の前職が何なのかも適当に想像してほしい。
前置きが長くなったが、イベントに呼びたいアーティストは一言で言えば「イベントを成功させてくれるアーティスト」だ。
有名で人気のあるアーティストを呼んでたくさんチケットが売れれば成功なんじゃないの?と思う人もいるだろうが、実はそうでもない。それだけ人気があってファンもたくさんやってくるアーティストは、呼ぶ側も結構大変なのだ。会場の広さ、スタッフの数、運営の経験値などを鑑みると、人を捌ききれずにイベント自体がパンクする可能性もある。スケジュールやギャラの調整も考えると、言い方は悪いがコスパが良いと言えないケースも割と多かったりする。
とにかく有名な人を呼ぶより、イベントの規模や目的に合致した人を呼ぶ方が重要なのだ。
私が重視していたのは、以下のポイントだった。
アーティストにとってイベントに出ることは、キャリアアップにもなるし自分の名前を知ってもらう機会にもなると思う。もちろんそうした機会を提供できるようなイベントでありたいとは常に思っている。
だが、「自分を見てほしい」「自分を知ってほしい」「自分が楽しみたい」という具合にイベントを100%自分のためのステージに使われると正直困る、というのも本音だ。
当たり前だがイベントには主催者がいて、スポンサーがいて、他にもたくさん関わっている企業や個人がいる。地域活性化や周年記念など、イベントを開催することで達成したい目標もある。イベントの成功とはライブが盛り上がるだけではなく、スポンサーが十分なリターンを得られたか、主催者が掲げた目標を達成できたか、も含まれる。
だからこそ、自分が楽しくライブをできれば良し、という姿勢だけでは正直困るのだ。逆に、自分は何のために呼ばれたのかを考えてくれるアーティストは本当にありがたい。イベントは自分のために用意されたのではなく、自分はイベントのために用意されたという考え方とでも言うべきだろうか。
・盛り上げ上手、巻き込み上手
上の内容にも重なるが、イベントはワンマンライブとは異なり自分のファン以外の観客も会場にたくさんいるケースが多い。そんな状況で、会場をひとつにして盛り上げてくれる力量や技術のあるアーティストはかなり重宝される。
また技術が発展途上でも、盛り上げようという視点を持っているかどうかは重要だ。この場には自分のファン以外の人がいて、自分はそういう人たちも楽しませたい、と考えてくれるアーティストは、例え多少稚拙でも伝わるものはある。
少し愚痴にもなるが、いくら有名で人気のあるアーティストでも自分たちのファンにしか視線が向いていないなと感じる人は正直いた。残念なのはこうした視野の狭さゆえに、決して傲慢で嫌味な人たちではないのに観客に「このアーティストは私のことを見ていないな、私向けではないんだな」と思わせてしまうシーンが割とあることだ。イベント全体を盛り上げるという意味ではキャスティングミスだったか、と感じるときもあった。
誰もが知ってる有名曲がある、聞き入るような歌声や演奏、見入るようなパフォーマンス、MCが面白い、観客を巻き込むコールレスポンスが楽しい…と盛り上げる方法はたくさんある。裏を返せば、観客を巻き込む能力は有名ヒット曲に匹敵するとさえ個人的には思っている。
これはかなり重視した。一人マナーの悪いファンがいたら即ブラックリスト、という訳ではないが、例えるなら一番後ろの席から俯瞰で見たときに「このアーティストのファンはこういう感じなのか」と分析するようなものだ。実際後ろの方から、上の階から客席を見てみると、特にマナー違反はよく目につく。
もちろんお客さんはお金を払ってイベントに来てくれている訳なので、こういう風に楽しめだとかあれはするなこれはしろだとかを指摘するつもりはない。それでも、楽しいイベントにするためにはマナーを守って楽しんでくれる人に来てほしいと思うのが人情だ。
個人的な感想だが、ファンはアーティストの鏡という言葉も聞くが、上記2つを自然にできるアーティストのファンほど「イベント全体を楽しもう」という傾向が強いと思う。いいアーティストにはいいファンがつく、というのは案外本当なのだろう。
なお今だから言えるが、観客に紛れてトイレやロビーにいると実に様々なトークが耳に入ってくる。良いことも悪いことも、割と中の人は見聞きしていると思った方がいいかもしれない。
他にも細かく見ればいろいろあるが、特に大きいのはこの3つだ。
共通して重視するのは、イベントに対する考え方や姿勢だった。イベントの趣旨とミスマッチを起こすとお互いのためにならないし、こちらのわがままを言うと「自分のためにやりたいことをやるならワンマンライブでやってほしい、ここは外部のビジネスの場だ」という思いも少なからずあった。そんなこちら側の気持ちを分かってくれて、同じゴールを見てくれるアーティストはビジネスパートナーとして大変ありがたい。
なおこの質問をする人が推しているアーティストは年齢が若めのことが多いが、これらのポイントは経験を重ねるほどうまく出来るようになる傾向がとても強い。だから若い人は出来なくても良い、と言いたいのではなく、若くしてこれができたらかなり強みになるのではないかと思う。少なくとも私はそういう人たちとたくさん仕事がしたい。
他の増田も下記のように言ってたんだけどね
サイコにも『人に親切だと思われないと自分が損をする』『他者を尊重する建前を示さないと自分が損をする』ってことを理解させることは可能
動物にだって、人間と共生するためのルールを理解することが出来るんだから、人間に理解できないわけがない
『人に親切だと思われないと自分が損をする』『他者を尊重する建前を示さないと自分が損をする』を理解させることが
すべて保護者の義務だけど、躾は虐待として放置するのが今流よ。何せ、些細なルール違反をする子どもに育って欲しいらしいので
家が荒れてなくても深夜徘徊もわんぱくに育って欲しいって放置、あるいは \わたしの自己実現/って学校にぶん投げするのが今流
ただ文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃんと認識をしていて、
『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ
団塊より前の世代は、自己実現よりも他人や世間との協調を重んじる教育を受けてきた
高齢者になって社会に溶け込む上では周囲からは愛される価値観である
一方で団塊以後は、自分自身の個性や価値観を大切にすべきという考えが教育でも支配的になった
その結果が、能力も容貌も衰えきっているのにわがまま放題まだまだ若いつもりの自己中クソジジイクソババアの増加である
今時のジジババが全然かわいくないのは、連中が受けてきた戦後教育の賜物なのだ
団塊世代が始まりではあるが、Z世代だってジジババになれば変わりはない