はてなキーワード: 文庫本とは
昔、司馬遼太郎の国盗り物語を最後まで読んだことがある。国盗り物語は文庫本4冊分の大河小説だ。完読できたのが今でも信じられない。あの時は会社でのパワハラと長時間労働がとてもつらく、その逃避として夢中で読んでいた覚えがある。正直あれを読めたことを自慢にすら思っている。
その「成功体験」の後、俺は小説を読めるようになったのでは?と思った。しかし同じく司馬遼太郎の燃えよ剣を読んだが途中から内容が頭に入ってこなくなり、半分くらい読んで飽きてしまった。
それ以後も色々読んだが続かない。結局映像作品やマンガでなければ最後までたどり着けない。あ、でも短編集は忘れてもOKだから一応最後までいける。ボッコちゃんとか。
その異変を初めて体感したのは、日常のほんの些細な出来事からだった。僕はその日、幼馴染で親友の桐王寺勝也と一緒にいつもの通り学校から帰宅していた。通っている高校から僕たちの住む団地までの道のりには、三つほど信号と横断歩道があった。僕たちはちょうど真ん中の横断歩道で、大きな荷物を抱えた一人のおばあさんを見つけた。まるでマンガやアニメに出てくるような紫の大きな風呂敷を胸の前で結びこみ、マンガやアニメのように身体をふらふらとさせながら信号を待っているマンガやアニメのようなおばあさん。僕たちは顔を見合わせると、背後からそのおばあさんに話しかけた。
「おばあさん、荷物、重かったら僕たちが運んであげようか?」
勝也がそう言うと、おばあさんはピタッと動きを止めて、静かに僕たちの方を振り向いた。その顔には信じられないと言ったような表情。そして、口をわなわなとふるわせながら、しゃべる。
「今、なんて言った?」
その言葉には、人間の心に鈍感な男子高校生でもわかるくらいに怒気を孕んでいた。まさかの言葉と表情に僕たちは面食らってしまった。僕たちは再び顔を見合わせた後、勝也がもう一度口を開いた。
「その前だよ!」
いきなりの大声に思わずビクンッと身体を張り詰めさせる僕たち。
「そ、その前って……?」
僕たちは後ずさりをしながらも、そのおばさんに尋ねる。
「アタシのこと、なんて言った!?」
さらに大きな声で言うおばあさん。その衝撃波が僕たちの身体に当たる。
「お……おばあさん……って言いました……」
「そうだろうがぁ!」
おばあさんはそう叫ぶと、背負っていた重そうな荷物を振り回し、僕たちの顔めがけて投げてきた。
「うわっ!」
僕はとっさにかわすことが出来たが、勝也はもろにそれを喰らっていしまう。
「ぐへぇ」
という声とともに、頭から倒れる勝也。そして、倒れた勝也の胸元に、すぐさま馬乗りになるおばさん。
「ちょ、おばあさん、何してんの!?」
僕は慌てて止めに入るが、おばあさんの鋭いパンチが勝也の頬にはいる方が早かった。
「アタシの、ことを、おばあさんとか、いうんじゃ、ないよ」
「何してんだって!」
僕はおばあさんを羽交い絞めにした。なおもバタバタと暴れるおばあさん。足を限界まで伸ばして勝也を蹴っている。
「ッ本当の、ことを、いうんじゃ、ないよ!」
おばあさんはそう言うと、するりと僕の腕から抜け出し、大きな荷物を抱えてものすごいスピードでどこかに行ってしまった。
「なんだったんだ……?」
僕はその後姿を呆然と眺めるしかできなかった。そして、呻き声が耳に入り、我に返る。
「だ、大丈夫か?勝也!」
僕は勝也を支えながら、家に帰った。
「勝也、大丈夫か?」
僕は開口一番勝也に具合を尋ねる。
「なんとか」
「……そっか」
僕たちはそのまま学校に向かった。学校に到着すると、昨日のおばあさんのことなんか忘れてしまうくらいの出来事が起こっていた。なんと、学校にあるありとあらゆる書籍や教科書、書類が校庭に集められていたのである。
「あら、おはよう。二人とも。もう教科書は校庭に捨ててきた?」
クラス委員長で生徒会の役員も務めている八島真理がメガネを拭きながら教室に入った僕たちに尋ねてくる。
「え?いや、まだだけど……っていうか、どういうこと?教科書を捨てる?」
「ええ、そうよ。あんなもの、早く捨てないと、先生に怒られちゃうわよ」
「やめろ~!僕は、死んでもこの教科書は捨てないぞ~!」
大声でそんな言葉が叫ばれているのを耳にして、思わずそちらの方に目をやると、そこにはがり勉の三俣啓介が先生たちに取り押さえられているところだった。
「やめろ、やめろ~!」
教科書を奪われた三俣はそれでも先生に抵抗しようとあがいている。しかし、
「いい加減にしろ!」
という、先生の声とともに、三俣の顔に先生の蹴りが入る。ミキャという嫌な音があたりに響く。
「ッッ!?」
「お、おい。早く俺たちも行こうぜ……」
昨日のことを思い出したのか、顔を蒼くしながら勝也が僕を引っ張る。
「あ、おい……」
僕は結局校庭まで引っ張られて、教科書や持っていた文庫本を捨てることになった。そして、授業が始まった。
世界史の七井がいきなりそんなことを言い始めた。僕と勝也は互いに顔を見合わせる。そうした瞬間、ちらっと空席が見えた。あそこは確か三俣の席だった気がする。あの後結局どうなったんだろうか。
「では、いきなりだが質問だ。われわれ人間は、みんな同じだね?」
七井がそんなことを聞いてくる。人間はみんな同じ、だって?確かに同じ部分もあるが、同時に違いもある。一概に同じだとは言えないはずだ。
僕がそう思っていると、八島が手を挙げる。
「八島君、どうぞ」
「古来より人間には差異などなく、みな同質でありました。それは今も変わりません。なので、人間はみんな同じであると言えます」
「その通りだよ、八島君」
七井は嬉しそうにいう。しかし、それに異を唱える者がいた。こちらもがり勉で、一番後ろに座っている一色だ。
「みんながみんな同じなんて、そんなバカげたことありません。現に僕は目が悪くてメガネをかけているのに、彼女はかけていないじゃないですか!」
一色はそう言って八島を指さす。七井は一色に近寄ると、一式が欠けていたメガネをはずした。
「あ、な、なにすんですか!?」
メガネを取り上げられて慌てふためく一色。七井はそんな一色のことを気にも留めず、手の中にあったメガネを握りつぶした。
「ああ~!」
一色の悲痛な叫び。
「これで、同じだね?一色君?」
七井は先ほどの八島の答えを聞いた時と同じように、笑顔で聞いている。
一色はなおも食い下がろうとしたが、次の瞬間身体が椅子ごと後ろに吹っ飛んでいた。七井が思いっきり一色のことを蹴ったのだ。そして、蹴られてうずくまる一色の近くにしゃがみ込み、再び七井は尋ねる。
「同じだね?」
その日を境に、世界は大きく変わってしまった。僕以外のすべての人が、人間はみな同じであるという考えを、まるで植え付けられたかのようにするようになった。やつらの言い分では、差異がないから、差別もなく、貧困もなく、幸福で幸せな世界を築けるのだという。
僕は相変わらず学校に通っている。それは、僕が人間はみな同じであるという考えを持っていないということを知られないようにするためである。今日も一日、学校が終わるまで何事もなく過ごすんだ……そうすれば、なにもされなくて済む。
「ホームルームを始めるぞ」
担任の声で、我に返る。
「今日は、皆に非常に残念なことを伝えなければならない」
「どうやら、ウチのクラスで、同じ人間じゃあないものが逢いるらしいんだ」
ドキッとした。心拍数が上がるのがわかる。口から心臓が飛び出してしまうのではないかというほど急に心臓が動く。先生のその言葉で、クラスのみんなが一斉に僕の方を向く。
「えっ……」
僕は思わず声を漏らしてしまった。担任が僕に近寄ってくる。そして、笑顔で言った。
「同じだね?」
Happy End
https://togetter.com/li/1409562
こちらのたくさん本があったという話について、古本界隈で働いていたので書いておこうと思います。
別に隠れて投稿することもないかと思いましたが、業界の裏話的な内容なのでこちらにしました。
まず図書館への寄贈は、よほどの希少本でない限り基本的に断られます。
同様に病院や養護施設などへの寄贈も受け付けてないことが多く、内容についても精査されるので難しいです。
これまでの経験からひとりで保管できる最大がだいたい1万冊なので、ここでは仮に1万冊持っていたとします。
それを古本屋が買い取るとなると、トラックなどで往復する手間とそれなりの人手が必要です。
複雑な戸建てや高層階のマンションなどは運び出すだけでも数日かかりますのでここで数万円、場合によっては10万くらいの費用が発生しています。
価値があるかどうか、破れていないか、ペンなどの書き込みがないかをチェックしながら、販売用と転売用と廃棄用に分けていきます。
販売用とは自分で販売するという意味で、最も価値がある本ということです。
もちろん全部売れるわけではないので、利益が確定しているわけではありません。
転売用とは自分では売らないが他の同業他社が扱っているものです。
この基準は各店舗で異なりますが、例えばあるジャンルは扱ってないとか、破れやシミなどがあるものは扱わないとか、単価の安いものは扱わないとか、それぞれ独自の基準を持っていますので、自分が売らなくても他店で取り扱っているのであればそちらに回します。
破れていたりコーヒーがかかっていたりと商品としての価値がなくなったものはこちらです。
その他電話帳のような元々価値がないものや、販売が困難なものもこちらに入ることが多いです。
専門店でないと取り扱いが難しく、またそのような専門店に転売しようと思っても、それぞれに価値があるのかどうかの判断に時間がかかったりと、色々と手間がかかるのでそのまま廃棄処分となることが多いです。
廃棄処分の方法も地域によって違いますが、トイレットペーパーと交換したり、1kgいくらかで古紙業者に買い取ってもらったりします。
なおこれらの選別作業を買い取るときにその場で行う業者もあれば、冊数や重さなどで買い取る業者など色々です。
私のいた店ではその場でだいたいの価値を算出して買い取っていましたので、かなり高値で買い取っていたと思います。
コレクションの内容や保管状態によってバラバラですが、割合としては、販売が60%、転売が10%、廃棄が30%くらいだと思ってください。
過去には数万冊の本を買い取ったのに、あまりに汚いということで持ち帰ってすぐに全部廃棄処分したこともあります。
見た目が綺麗でも裏表紙に蔵書印が押されていたり、ネットカフェ経由の本はほとんど売れません。
ネットカフェのような乱雑に扱われることを想定している場合は、表紙が糊付けされていたり、ページが抜けないように本全体をタコ糸などで補強していることが多く商品としての価値がありません。
また多少のページの折れはいいのですが、変な形に曲がってしまってる本は全く価値がありません。
保管するときはブックエンドを使ってまっすぐ立てるか横にまっすぐ寝かせてください。
こうして販売用として残った本を販売できるようにする作業に入ります。
過去の販売履歴などから想定される価値を計算し、販売に値するか判断します。
ここで単価が安すぎるものや回転率が悪く自分の店で販売するには在庫リスクが高すぎるという場合は他店への転売に回したりします。
小説や実用書はそのままクリーニングにまわしますが、漫画の場合はシリーズがそろっているかチェックします。
本が少ないときはいいのですが、3000冊を超えると神経衰弱みたいで気が狂いそうになります。
10巻完結の漫画で1冊でも足りないとバラ売りになってしまいます。
最近の本であれば自分で買ってきて足せばいいのですが、数十年も前の本は簡単に買い足せません。
単巻で価値があるものはそのまま売りますが、揃わなかった多くの本は他店にまわします。
あと1冊でコンプリートするのに、という状態の長編漫画が山積みというのは業界的によるある話です。
また1巻は色んな古本屋で売っているが最終巻はどこにもない、ということはよくあります。
友達の家で読んだとか、途中で面白くなくなったとかの理由で最終巻を買わずに中途半端な状態で売る人が多いです。
あまり出回ってない漫画はちゃんと全巻揃えて売ると、価格があがったりしますので参考にしてください。
揃っている漫画はほとんどが販売されますが、雑誌やライトノベルはほとんど販売されません。
雑誌で価値があるのは特定のアイドルの写真が掲載されているとか、特別な理由があります。
私も学生時代にあるアイドルが掲載された1ページが欲しくて古本屋で汚い雑誌の抱き合わせの束を買ったことがあります。
激安にすれば売れるのですがそれでは商売になりませんので基本的に他店に転売します。
通常の小説でも単行本は販売される確率が文庫本の半分くらいですが、高値のつく確率が高めです。
単行本はコレクター要素があるので、本棚に飾りたいという需要もあるようです。
私も村上春樹の本を棚に並べていたりしますが別に読み返すことはありません。
ただ映えるという理由だけです。
多くの実用書は時代の流れで価値を失いますが、一部ジャンルの実用書は著者によっては下がるどころか価値が上がるものもあります。
たとえば囲碁、将棋、麻雀が該当します。また一部の経済本も価値が下がりません。
そのようないわゆるレア本は表紙がなくても高値で売れたりします。
この段階で半分以上の本が脱落します。
本というのは本棚などに長年置かれているため埃やシミなどが付いているのでクリーニングが必要です。
まずおおざっぱにタオルなどで埃を取ってから、専用の洗剤を付けた布でゴシゴシ磨いていきます。
その結果、力を入れすぎて表紙が破れたり、シミが取れなかったり、逆に洗剤によってシミが付いたものは廃棄処分となります。
ブック〇フのシールが貼られているような本は売れませんのでシール剥しを使って剥していきます。
人気のある本は5枚くらい貼られているのでイライラしながら剥します。
外に貼られているものは簡単ですが、中にシールが貼られている場合は手間がかかり、場合によっては剥すときに傷がついてまた廃棄処分となります。
なぜか多いんですよね、これ。
所有者によって本の扱い方に個性があるので、表紙が1冊折れていたら30冊あると思え、が標語です。
本はまっすぐ開いてください。もちろん開きすぎて開き癖が付いてもいけません。
また表紙がずれるのが嫌で表紙をテープで止める人けっこういますがおすすめしません。
経年劣化したテープはシミになってしまいまい本の価値が激減します。
こうしてクリーニングを突破できなかった10パーセントくらいの本が脱落します。
このような工程を経て実際に自分の店で販売されるのは買い取った全体の10%くらいになります。
他店に転売したときに多少の現金は入りますが、単純計算で1冊10円で買い取ったとしても1冊100円の購入経費がかかっていることになります。
また上記の選別作業やクリーニングに1冊2分くらいかかりますので、見えないところで人件費がかなりかかっています。
それらを考慮するとブック〇フのように100円で売っていたのでは儲けが出ないどころか赤字なのです。
ただ私のいた店では売りに出せばほとんど売れるという厳しい基準で販売していたため、他店ではもっと販売に回していると思います。
概ね9割が売れていましたので、売れ残った本が山積みになっている街の古本屋を想像してもらえれば、経営方針の違いがよく分かるでしょう。
色々と厳しい基準を書いていますが近年のお客さんはとても目が厳しいのです。
私の若い頃(それなりに年です)は古本屋の本といえば埃みまれだったりソースがかかって汚れていたり破れていたり雨に濡れてシワシワだったりと酷いものでした。
ですので新品同様になるように手入れをして、新品同様にならないものは売らないのです。
この流れはブック〇フが作ったといっても過言ではありません。
中学校と家の間に小さな個人書店があって、そこで立ち読みしていた。だけじゃなくて幾度か万引もしていた。
うちは決して裕福ではなかったけど、勉強とは関係なく趣味で読みたいSF作家の文庫本を盗んでいただけだ。申し開きはまったくできない。
六畳間ぐらいの店内にぎっしり本棚が並んでいたあの店にとっては、利益が軽く吹き飛んでしまうような犯罪だった、と後年知ったが手遅れだ。
鋭い目をした年配の店主は、僕の行為に間違いなく気づいていた。それはそうだろう。考えなしに学生服を着たまま店に行っていたので、学校に告発することも可能だったと思う。
でも、彼は何も言わなかった。
たまに罪滅ぼしのつもりで本を買うと、「本をしっかり読んで立派な大人になってくださいね」と、そのときはこちらの目を見ずに言っていた。
就職して帰省したある日、その書店の前を通りかかると、ガラスの引き戸の内側からカーテンを閉められ、長いこと放っておかれた様子だった。
店は潰れた、店主は死んだ、と風の噂で聞いた。その後も風化が進むばかりで店は放置されたままだ。
今思えば、あの店には同規模の書店が必ず扱っていた(と大きくなってから知った)成人雑誌の類はひとつもなかった。
いつかたくさん本を買って恩返しして、そしてもし勇気があったら、昔の罪をすべて謝ろう、との思いはかなわなかった。
この世に取り返しようのない罪はある。私は死ぬまであの店に対する負い目を抱えて生きていくのだろう。
元編集増田です。「発注を受ける絵描きさん」から「増田の視点にはなかった、的を射た異論」をいただいたのはこちらの方だけだったのでせっかくながら返信させていただきます。
女性向けなんて300部でたらすごいほう
200であそこは多いと噂になる
で、実際はだいたいが50~100部でオンデマンド印刷(安くて荒い)
女性向け界隈の雰囲気に関しては無知なので言える事は何もないのですが、この辺りに関しては男性向けでも変わらないと思います。同人誌で文庫本100冊売れることはそうそうない。プロ作家が寄稿したら紙で即完売するかもな、くらいのレベル。n*100円で出して100冊売れたらn万円なわけで、イラスト発注5万円で計算すると最低1000円からですよね、でも同人小説で1000円の値段がつくもの買ってもらおうとしたらどれくらい気合いの入ったものになるんだろう。
つまり、実はこの話って「5万円で小説同人のイラスト発注無理でしょ」問題が根本に横たわってるんですよね。発注側の視点からその言葉を言うわけにはいかない(精神論として)ので書かなかったんですが、現実問題、上記の計算で行っても5万円を捻出するのって大変じゃないですか。いくら作品に愛があっても赤字前提になる価格帯でずっと同人小説出し続けるの心が折れますよ。自分なら心が折れる。
結局のところ、「理想の価格帯-現実の発注価格」の間に生まれる差額をリカバーするためのものって、最終的には友人価格とか、作品愛とか、そういうものにならざるをえない。その前提の元で可能な限り受注者に対して最高のパフォーマンスを発揮してもらえるよう、ノウハウでどうにかなるサポート方法を可能な限り書いたのがあの増田だったのです。
で、自分が完全に見落としていたのが「金額の差分が発注者や作品/ジャンルに対する愛を瀬踏みする行為にならざるをえない」という視点。同人ってたしかに同じジャンル同士の交友関係が前提になりますもんね。そこは自分が無知というか、ビジネスでのイラストレーターさんとのつき合いしかなかった=お互い完全に初対面の状態から発注せざるをえない=みんな特につきあいのないイラストレーターさんに発注していると思い込んでいました。失礼しました。
結局のところ、同人って「商業より安い発注になりがち」問題って絶対発生するものだと思います。ただ、その分融通が利くというか、「同人だからできること」をやってもらえるのが一番いいのかなと。
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
こちらの方の異論には痛いところを突かれたというか、この前提を語らなかったのは不誠実な気がしたので、答えになってない反応ながら書かせていただきました。あくまで部外者として思うのは、発注する側はあんまり気負わないで発注したらいいし、ただ発注するならするでイラストレーターさんへの気遣いを忘れないで発注するのがいいのではないか、ということです。
【可視範囲内で見かけたもっともな指摘を受けていくらか補足・訂正】【100ブクマ突破してたのでちょいちょい追記。】
基本的に、イラストレーターさんにとってラノベのイラスト仕事は割に合わない。締切は外道だし、イラストの量も膨大だ。
仮に、ラノベ1冊のイラストを発注するとする。カラーイラストはカバー1枚・口絵3枚(口絵4ページに対して単ページ2枚と見開き1枚)の計4枚、本文中のモノクロ10枚が1セットだろう。カラーイラストに5営業日、モノクロイラスト1枚に1営業日という計算で、最低でも1冊あたり30営業日=1.5ヶ月分の工数を割いてもらうことになる(厳密にはキャラクターデザインの工数も別途計算しなきゃなのだが、意図的に割愛してます)。
【本職の某氏から指摘を受けて気づいたので補足訂正。ここでの「1営業日」は稿料計算の為に出した仮の日数であり、実際のスケジュール調整の参考にしてはならない。たとえば、カバーイラストの「5営業日」などは「発注から完成まで5日で十分」という意味ではない。現実問題として、一つの仕事に丸々5日間かかりっきりになってもらうのは不可能なので、合間合間に別の仕事をしてもらったり、休み休みで仕事をしてもらうことを前提にすると、最初の発注から納品までどれだけ急ぎでも2週間、最低でも1ヶ月は日数を確保すべきである。個人的には、同人で仕事を依頼するなら、発注→ラフ→線画→仕上げの各プロセスで1ヶ月以上は作業期間を設けて、最初の発注からイラスト納品まで3ヶ月くらいは見ておいた方がいいと思う。それくらい開けないと、プロのイラストレーターさんは同人イラストの仕事を受けてくれない、というか受けられないのではないか。】。
そうなると、本来なら計算上は人月単価1.5ヶ月分の稿料が発生するのが当たり前である。しかし、様々な事情によって、そんな予算はないわけだ。重版かかりまくった作品とかなら稿料もそれなりになるかとは思うが、中々そうはいかない。
それに加えて大量のリテイク地獄(たまにある)、小説原稿の遅延(よくある)、編集の怠慢による発注書の遅れ(もっとある)などが重なり、外道のスケジュールに追い込まれることが多い。結果イラストレーターが地獄を見がち。悲しいけどこれ現実なのよね。商業だと利害関係者が膨大なので、どうしても各種調整により色んな問題が発生しがちである。
一方で、同人誌の原稿になると、別に本を落としても数十万単位での損害は発生しない。多少の融通は聞くはずである。いまから書くのは、増田がイラストレーターさんに仕事をお願いするときに抑えておくべきと考えている、発注時のポイントである。キャラクター発注のコツはぶっちゃけ今でもわからないし増田のやり方が正しかったのか自信もないので割愛し、それより前の基礎的なことだけ書いたつもりだ(増田は以下の内容に加えて「売れるためのデザインや表紙」をディレクションするのが書籍編集の仕事だと考えている)。同人でイラストを発注したいと考えている方々は参考にしていただけるとありがたい。
350dpiの文庫本表紙サイズの4Cイラストを1000円で依頼するのは正気の沙汰ではない……というのは直感的に理解してもらえると思う。時給1000円として1時間で描けるイラストってどんなもんやねん。ただ、その一方で、カラーイラストに対する金額がわからないのも実情ではないか。
この辺りは、「そのイラストを何営業日かけて描いてもらうか」を念頭に考えるのがいいと思う。たとえば、商業イラストレーターさんにイラストを依頼するのであれば、一番安くても人月20万円の仕事(本当に一番安いことを前提です)として、1営業日1万円、前述の通りカラーイラストは1枚につき最低でも5営業日はかかると考えて、5営業日で5万円になる【税金を加味していないという指摘はもっともです。お恥ずかしい。+10%は提示すべきですね…】。
直感的に「高い」と思った方の感覚を否定はしない。金銭感覚は人それぞれだ。だが、それでもイラストレーターさんの仕事としては、月20万円分にしかならないのである。あなたがイラストレーターに敬意を払うならそれくらいの前提は持ってもらいたい。
もし、様々な事情でそれ以下の予算しか用意できないなら、なにかしらの融通をきかせる必要はあるだろう。たとえば、依頼するイラストの構図を一から考えてもらうのか、こちらで事前に指定するのか。キャラクターデザインを「小説の本文を読んでもらって一から考えてもらう」のか「事前に発注書をガッチガチにかためてそのとおりに作ってもらう」のか。
重要なのは、イラストレーターさんの負担を減らすことである。そして、人間は「考える」ことに労力を要するのだ。予算が潤沢ならイラストレーターさんのクリエイティビティを存分に発揮してもらえばいいが、そうでないならできる限りイラストレーターさんの負担を減らしてあげるべきである。
そして、負担を減らすとは、発注における「曖昧さ」をなくすということだ。可能な限り、曖昧な発注はしないようにしよう。
※ただし、そういった「ガッチガチの指定」に近づけば近づくほど、イラストレーターさんは「言われたことをやるだけの存在」に近づかざるをえない。発注者と受注者という関係は本質的にそうなってしまうかもしれないが、それはそれとしてそのことを嫌がる方もいると思う。発注相手がはじめて連絡する相手なのか、関係性のそれなりにある友人なのかで許容可能な曖昧さは変動する。この辺りは臨機応変に考えていただきたい。
ごめん大事なこと書き忘れたけど「文庫本表紙カラーイラスト5万」は【商業で】依頼する金額としてめっっっっっちゃ安いからな!!!!!!!!!!!!!
「5万で頼むのは相手を額面月収20万扱いすることと同義」くらいの意味で書いたんだけど俺が悪かった!!!!すまん!!!!!!!!
あと「平均的な金額を書け」と言う批判も見たが、本当に申し訳ないことに「元」なので自分のいたところ以外の金額相場を知らんのだ……。
「商業であれば許されない金額で同人のイラスト発注できるのには理由がある。相手の趣味とかスケジュールとか工数の簡略化とか」という話です。特に商業イラストだとせっかく描いてくだすったイラストを、様々な理由によって(時には相手の感性を否定するかたちで)リテイクせざるをえないことが多くて、そういったことを込みで考えると稿料はもっと高くてしかるべきなのだ。
これは絶対だ。
たとえば、「イラストを1枚お願いしたい」とだけお願いしてあとからイラストの点数を増やすのは一番最悪なパターンだ。最低でも、
は全部伝えること。
どちらにとっても不幸なことは「聞いてない!」の発生だ。
といった、いくつかの発注レイヤーを設けておくのが望ましい。柔軟性のレイヤーを設けておかないと、前述のとおりイラストレーターさんを「言われたとおりに描いてもらう存在」として扱うことに繋がりかねない。また、「絶対に変わらない発注要件」を明示しておかないと、イラストレーターさんが仕事に関する予測可能性を確保できない。たとえば、リテイクに関する同意はとりつけておいた方がいい。「リテイクは1回まで」「リテイクを出すときは24時間以内に出す」など。そういった取り決めを設けた上で、取り決めをこちらが破った場合は追加予算を払うといったルールを設ける。
前述の予算の問題にも絡むが、あんまり予算が出せないときは「リテイクは絶対に出さない(〇回まで)」といったルールを設け、イラストレーターさんの不安を最小限に抑えるといった心遣いは重要だと思う【ちなみに、実際にラノベイラストを発注したときに「リテイクを出さない」という約束を設けたことは一度もない。あとリテイク費用を出せたこともない。リテイク云々は「最悪利益が出なくてもいい非商業発注」だからこそ簡単に取り決められる話だと認識している】。
大変失礼ながら、同人小説の原稿は多かれ少なかれ「読みづらい」。本文をイラストレーターさんに読ませることを強要してはならない。その前提でいるべきである。本文をそのまま送りつけて「この話のこのキャラクターを」とお願いするのはもっての他である。イラストなしの長編小説からキャラクターの外見描写を抜き出す作業を想像してみてほしい。むっちゃくちゃめんどくさい。
くらいは事前にこちらから提示したい。なお、これは「原稿を送ってはならない」という意味ではない。作品の雰囲気がわからないのにイラストを描いてもらうの大変なので。小説原稿を送った上でちゃんとイラストの指定をまとめておくこと。
この辺りはキャラクター発注書の作り方に踏み込むからそろそろやめておくが(飽きてきたとも言う)、文章で全て書く必要はない。「こういうイメージで」とGoogleで拾った画像を投げるだけでも随分違う。
【追記】
肝心なことを書き忘れていたが、そもそもの前提として
こういった諸々をいきなり提示したからといって、それだけで先方が楽になるとは限らない。相手にも相手の事情があるからだ。
相手が商業デビューしたイラストレーターさんなら、相手のスケジュールを必ず確認しよう。別に「相手が締め切りを破るの前提に考えるべき」と言っているのではない。商業仕事の締め切りと、同人仕事の締め切りが重なった場合、当たり前だがイラストレーターさんは商業仕事を優先するに決まっているのだ。イラストレーターさんが商業作家だったり、あるいは商業での仕事が降ってきかけている方だったりする場合は、そのスケジュールを可能な限り把握して、その上で「商業を優先した場合の同人スケジュール」を逆算すべきなのである。
【追記】
「普段その人が描きなれてないものを依頼するなら工数を多く見積もるべき」みたいな話もあるがこれも割愛している。これ以上細かい話になるとボロが出るので。
これをしない人がものすごく多いが、上記のようなスケジュールを計算をガチガチにやっても、スケジュールは、絶対に、遅延する。
同人イラストでリテイクや修正を出す事例はどれほどあるかわからないが、たとえばスケジュールの中に修正対応の期間を計算に入れているだろうか。同人誌だったら多少は余裕を持たせられるはずだ。冬コミのイラストを仮にお願いするとしたら、仮に11月中旬が最終締め切りだとして、あちらこちらにマージンを設定して提示する締日は10月中旬くらいにすべきである。
諸々書き殴らせてもらった。思いついたり批判を受けたりしたら適宜追記・修正する。
なお、これらは失敗から学んだことであり、書き手の増田がそのように振る舞っていたことを意味しない。つまり本投稿は過去に仕事をしたイラストレーターさんへの贖罪の意味合いが強い。皆さんは増田のような失敗をしないでいただけるとさいわいだ。
今でも覚えてる本その1
その後、幽霊シリーズを皮切りに赤川次郎をむさぼるように読んだなぁ
・花闇 皆川博子
いつ読んだが忘れたけどとにかく凄まじかった
土方歳三好きになりすぎた。いい男過ぎ…!
・愛死 瀬戸内寂聴
・教団X
帯にひかれて読んだけど、そうでもなかった本その1
つーか、読んでる最中、ずっと平野啓一郎の本ておもって読んでた。
中村文則だった、ごめんなさい。
・一瞬の光 白石一文
この本で好きになってその後この人のたくさん読んだが、
話の区別がつかなくなってきました
・密会の宿 佐野洋
内容は覚えてないけど、中学生の時によんで、シリーズは読破したような。
ぼっけぇきょうてぇ か、Twelve YO のどっちかが掲載されてたような)
何度も読み返した、私の中では珍しい本。
わたし、どうすればいいの?
死ねばいいのよ。
あーー言ってみたいわー
こんな夢を見た。
『笑っていいとも』のテレフォンショッキングの時間。タモリのところに間違い電話が掛かってくる。タモリはグラサンではなく片目のアイパッチをしている。そんな頃のタモリだ。タモリが「お前、トガシだろ」と相手に話し掛けるので相手が仰天して「ど、どうしてそんなことが分かるんですか!?」と返すと、タモリは「それは、おれがタモリだからさ」と答えて電話を切る。一部始終がテレビで公開されている。
また別にこんな夢を見た。
歩いている。そこに行列が出来ている。なんなのか聞いてみる。すると、行列の中で話題になっているトピックがあるということなので話を聞いてみる。そうすると、遂に長年の課題であった「電話中に相手の話を聞いているようで聞いていない人は、実はなにをしているのか」という問題に答えを出した人が居るということなのだ。その人の話を聞きに並んでいるのだという。私も並んでみる。すると流れは田んぼに差し掛かる。人々は畳が腐ったような匂いのする田んぼの中を一列に行列を成して並んでいる。遂に私の番が来た。私はその見つけた人に話を聞く。男はどうということのない普通の男。彼は言う。彼は、「話を聞いているようで聞いていない人は、小説を読んでいるのだ。それは阿部和重の『アメリカの夜』という小説だ」という。私は早速その小説を読もうと図書館に予約を入れる。だが、問題がある。それは私がその文庫本を既に持っているということだ。そこで目が覚める。
読書家と呼ばれるような人たちであってもたまに「図書館で借りて読んで面白かったらちゃんと買います」というひとがいる。
法的にも道徳的にもピュアリー・ホワイトであるし、なんなら本来支払う必要のない金を還元するぶん、
世間的には感心であるということになっている。その認識は正しいだろう。
しかし、余分な金を払う準備があるのならそもそも最初から買って読めばいいのでは、という疑問も湧く。
その疑問に対する答えはこうなるだろう。
「もしその本が『ハズレ』だったら金をムダにすることになるからいやだ」
でも純粋に困窮している人や高額な大著を求めようか迷っている人などならともかく、
せいぜい1000円2000円の小説に「合理性」を基準に購買行動を決めるのがどこまで経済的かは実のところよくわからない。
図書館に行き、お目当ての本を見つけ、順番待ちの予約を申請し、順番が来たらまたぞろ引取にでかけ、定められた制限期間内に読み通し、また図書館へ返却のためにでかけていく。そもそも読んでみてつまらなかった場合、買おうが借りようが読んだ時間が「ムダ」になることは変わりないのであって、800円の文庫本を読むのに二時間かかったとして時給マイナス400円、負けは負けである。あとはどのくらい負けるかどうかの話でしかない。
だいいちに金銭的・時間的なコストを考えたら世の中の九割九分のひとびとにとって読書など(自己啓発の類のものを含めて)絶望的に「ムダ」な行為だ。
逆に意味のないコストをむやみにかけることで趣味人としての見栄を見せつける、江戸時代の旦那衆のような蕩尽を称えるべきとも思われないけれど、息抜きや逃避や精神生活のための行為を損得でいちいち勘定するのはそれこそ余計なコストに見える。
それでも前もって無料のお試しをやらないと怖い。
どんなジャンルでも今コンテンツ業界において無料のお試しがデフォルトになっていることに由来するのではなかろうか。
音楽はYoutubeであらかじめ聴ける。映画はテレビでやる。マンガもネットで読める。これらはすべてオフィシャルだ。
いまや試すという行為は無料であることと分かちがたく結びついている。
金を払って試すのはもはや実験ではない。賭けだ。支払った金銭に見合うだけのリターンがあるかどうか。
そうした世界においては目に見えて焦点となっているのは金銭であるため、時間的なコストが余分にかかっていたりしても捨象されてしまう。
金と時間のバランスにおける試しのバリエーションが増えたと表現すれば、聞こえはいいかもしれない。
で、タイトルの話に戻るが、
こういう「図書館で借りて試す」派のひとびとと
実際そこまで違わないのではないのだろうか。
あくまで、「賭け」を極端に恐れる、という点において。
しかし現実には図書館に行く人々は法律や道徳を遵守している模範的な市民であり、
おやすみだったので、遅く起きて街をぶらぶらしていた。
お腹がすいて、がっつり行きたい気分だったので、一人でチェーンのしゃぶしゃぶ食べ放題に行った。
平日とはいえ、お一人様なんて居ないんじゃないかと思ってたけど、結構いた。おじさまだらけだったけど。
しゃぶしゃぶを食べながら文庫本を読むおじさんがいた。器用ですね。
野菜ばかり茹でて食ってたら、正直肉はそんなにどうでもよい感じはしてきた。
あとアク取るのがめんどくさい。
途中ポン酢にあらゆる薬味を投入してすごいタレを作ったけど、辛い要素が多すぎてしまったので今回は失敗と言わざるを得なかった。
しゃぶしゃぶって肉と野菜のフィールドを分けて食べたいなと思う。
細かい野菜を茹でると、大抵肉のアクが取り付いて灰色の食べ物になってしまう。
同時に食べる事がとても難しい。
数年ぶりの一人カラオケだった。
人前のカラオケでは女性声優や女性アイドルの歌を歌う事が難しいので、めちゃくちゃ歌った。
男なのでキーを上げて歌う場合が多いが、最初だけキーに合わせた音程を外してしまうので難しいですね。
最近ツイッターで暖かいお茶を飲むと喉が開くというので、やってみたけど実感はない。
ポテトを食べると油で喉が潤うとも見たが、昼ごはんがご飯なので、ポテトを食べるのはきついのでやめた。
カラオケが終わった後は音楽を聴きながら少し散歩をして帰宅した。
道端で妙にゲロをたくさん見た日だった。
早く雨が降って一掃されるといいですね。
おやすみ。