はてなキーワード: 慈善団体とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2020070600343
中の情報が手に入るので、少し補足しておく。
一部の人間はうまくやって儲けてるかもしれないが、実費精算と変わらん。
月に数百円だが通勤費として取られてる。というのが今まで。
緊急事態宣言が出るちょっと前からテレワーク主体にはなっていた。
でも定期代の支給は変わらず。
速攻で定期を解約したやつは、それなりに居たはずだ(多少だが、儲かる)。
定期代の支給に手を付け始めたのが5月の末だったか、6月の頭だったか。
つまり遠隔地に居住して居てのリモート勤務も対応するつもりらしい。
独り暮らしで家に光回線なんか引いてねーよ、みたいなのもこの騒動前から対応されてる。
あと会社の補助というのとはちょっと違うのだけれど、年に2万までは補填してもらえる制度がある。
今年は範囲が拡大されて、マスクや消毒用のアルコールも対象になってる。
その通り。というか、それがあるからこそ動いたんだろうとは思う。
というか、リモートワーク中心にならざるを得なくなって四半期の間、定期代を支給し続けていたわけだから、やっと動いたかという感じ。
通勤費を事後清算にするか定期代の支給にするかは一応選択できるようになってる。
独り暮らしだと自宅より事務所の方が集中できるという人は一定数いるし、他の意見についてはお察しな感じで、新型コロナに関係なく。
とりあえず、こんな感じ。
コロナ自粛ってただのわがままだろ。なんで僕がそのわがままに振り回されなければいけないんだ。
前らは鎖国だの攘夷だの大義名分を振りかざしているけれども、徳川幕府になろうが明治政府になろうがどのみち地方の貧農でしかないような人が、なんで幕府や政府のために命がけで戦ってくれると思ってるの?
コロナなのに遊び回ってる人たちを見てみんなこう思っているはずだ。
『誰の目にも今は自粛するべき時だと分かりきっているのに、遊びに行く奴はよほど頭が悪いのだろう』と。
でも、それ以前に『そもそもコロナ自粛自体に承服していない人』もいると言うことをわかってほしい。
今、自粛によって僕から当たり前の日常が奪われたのだ。これは重大な問題だ。僕はカラオケに行きたいし、プロ野球を観たい。簡単に言わないでほしい。
今ここで僕が野球を見たいという気持ちとお前が生き残りたいという気持ちがぶつかっている。この対立軸を整理して考えていきたい。
コロナなのに遊びにいきたいというのはわがままだということは認める。でもコロナだから自粛してほしいというのも、もう一方のわがままだ。なんでこっちだけわがまま扱いされてそっちは社会正義扱いされてるか。そこが不満である。
まるで文化祭の合唱コンクールや体育祭の応援合戦で絶対優勝したいクラスの中心人物たちと、クラスの辺境にいる帰ってゲームしたいオタクの構図だ。
僕はわがままが悪いことだと思っていない。言いたいことは言ったほうがいいし、その上でお互いの利害を調整して、譲れるところと譲れないところの落とし所を探っていくのが社会ではないだろうか。
ところが、一方がたまたま『正義』を名乗ることに成功してしまったら、際限なく一方のわがままだけが増長することになる。
これは良くない。
だから僕は、『どっちもただのわがままでしょ』と言い張っていくスタンスである。
これはただのわがままである。僕が自粛したくないというわがままと同列に扱われるべきわがままだ。
確かに、もしかしたら僕がコロナを持っているかもしれない。僕が遊び回った結果誰かが死んでしまう可能性が僅かにある。でも、はっきりいうが僕とお前は完全に他人だ。知らない誰かだ。お前が死なないために僕がそこまでしないといけないのは全く納得いかない。
『自分の大切な人が死んでほしくない』はより自分勝手なわがままである。高齢の両親が心配なんだろう。でも、それはみんなが当たり前の日常を送ったら死んでいたはずの人ということである。放って置いたら死んでた人を救うためになんで周りが気を使わんといかんのだ。お前は自分の力で守れない命を守るために他人に責任をなすりつけている。ヒーローになりたいなら一人でやってほしい。
ちなみに僕は家族が嫌いでとっくに絶縁しているので、特に死んでほしくない人とかいない。友達もいない。子供もいない。結婚もしていない。彼女ができたこともない。少々知らない誰かが死んだって困らないのさ。
コロナ自粛派は様々な理由をつけて「これはただのわがままではない。より上級の命題だ。よってお前の遊びに行きたいというわがままに優先するべき事案だ」と言い張るだろう。
その主張の問題点を指摘して、やっぱりコロナ自粛はただのわがままに過ぎないことを明らかにする。
医療崩壊なんてしない。お医者さんも看護師さんも定時になったら帰ればいいのだ。それで何人死のうがお医者さんも看護師さんも悪くない。
例えば、電車に轢かれて四肢がバラバラになった死体を、お医者さんが直せなかったとして、誰も文句言わないはずである。それは医者の怠慢ではなく『現代医療の限界』である。
そうであれば、お医者さんが定時で帰ってしまったがために誰かが死んだとして、なぜそれを『現代医療の限界』と割り切れないのか。
『お医者さんが残業で診療してくれれば死ななかったかもしれないのに!』なんて、都合が良すぎである。他人に何を期待しているんだ。それこそただのわがままである。
医療関係者は普通の3交代制を引いて、定時になったら病人が何人いようとさっさと帰るべきだ。それで誰かが死んでもしょうがないで済ますべきだ。
確かにそれはそうかもしれない。僕はそう思う。でもおそらくお前は本当はそんなこと思ってない。
僕は昔から8時間寝ている。野菜と肉と魚をちゃんと食べている。毎日運動している。お酒は飲まない。タバコ吸わない。嫌いな人との関係はバンバン切っている。会社に歩いて行ける距離に住むことで満員電車を回避している。
絶対お前の方が健康を粗末にして生きている。これをしていない奴が健康を持ち出して僕を批判するのはおかしくないだろうか。
突然だが、救急車に道を譲らない車が多すぎると思う。僕は運転中であろうと歩行中であろうと絶対に緊急車両に道を譲っている。でも譲らない人が大半である。多分この投稿を見てキレてるお前も普段は救急車に道譲ってない。お前は本当は人命を軽視しているんだ。
救急車のためにたった30秒待たない奴のために、なんで僕が一ヶ月もカラオケを我慢しなきゃいけないのか。
だから、人命や健康に関することはわがままと一括りにせず例外に扱うべきだという主張は納得するが、この件にそれを持ち出してくるのはお前の自己欺瞞だろとも思う。
コロナ自粛派はみんなのために言っている。コロナ自粛反対派は自分のことだけを考えている。そう思ったはずだ。
そもそも、みんなのためという理由で人の自由を奪っていいのであれば、では年金暮らしのジジババや介護が必要な方にはさっさとお隠れになっていただいたほうがみんなのためではなかろうか。お前が腎臓をもっと優秀な人に分け与えたほうがみんなのためになるのであればお前は肝臓を差し出すんだろうな。
年金ぐらしのおじいさんおばあさんも、生きていれば様々なことでみんなのためになっている、などと軽薄な功利主義を唱えるのはやめてほしい。教養がない。一番大事なことはそこではない。みんなのためだからといって個人に我慢を強いるのは限度があり、絶対に超えてはいけない一線があり、その先のことをどうするかについては本人の意思決定を尊重するべきだ。それがこの社会の約束である。
そもそも、僕がカラオケに行きたいというのは『みんな』に含めてもらえないのだろうか。野球を見たい人が野球を見れないのは『みんな』の問題ではないのだろうか。
僕は大変優しい人なので、みんなのために自分が犠牲になることはやぶさかでない。しかし、だからこそ「みんなのため」を誰かが勝手に決めていることに対して腹が立つ。
先に断っておくが、僕は大変な紳士であり善人だ。
定食屋さんでは必ず『いただきます』『ごちそうさまでした』という。
スーパーの店員さんにも必ず敬語だ。怒鳴ったりクレームをつけたことは一度もない。レジでは必ず『お願いします』『ありがとうございました』という。
職場でも全員に敬語だし、いわんや誰かをいじめたりいびったり口撃したことなんて一度もない。いつもニコニコしている。
読みたい本は必ずお金を出して買っているし、聴きたい曲は必ず各種有料サービスを使って作者にお金が回るようにしている。
あくまで、これはこの問題の構図が完全に不公平であるという点を主張しているのであって、僕の人格がおかしいからだとかいって済ますのはやめてほしい。
先日、妻が何年振りかに会う友人たちと食事に行った際、ほどほどに値段のする食事をご馳走になってきた。(※奢った人は家庭持ちの男性1人、奢られたのは妻と友人1人)
その男性と妻たちはもともとバーの客と店員という関係で、お金を使う使われると言う関係に抵抗がなかったのだと思う。
「人に奢るのが好きだ」「そうやって交流を得るための投資みたいなもの」という理由も理解出来ているが、ただなんとな~く気持ち悪かった。妻の「奢ってもらえてラッキー」と言ったテンションだったのが余計にそう思わせた。
本来そのお金は男性の家庭に還元されるべきお金だったと思うし、いくら男性がお金持ちだろうが、自由にお金の使い道を決められる家庭のシステムだろうが、やはりそこは対等であるべきなんじゃないかと思ってしまった。男性と妻たちはすでに客と店員ではないし。
自分にとってはそのお金の出元は道端で拾ったお金と同じように見えて、汚い、じゃないが、「嬉しくないお金」に感じた。妻もお金に対して清潔感のようなものがあると思っていた分、なんか意外だった。(親しくもない人からの贈り物やお金を慈善団体に寄付するなどしてきた)
たとえその男性が自分との共通の友人でも、この感覚は変わらないと思う。
コジキや集り根性っていうと違うけど、友達感覚で他人を財布のように言った所が気になったのか?
私は体が弱いので、いよいよ働けなくなって食い詰めた時に助けてもらえないかと思い、色々な慈善団体やボランティア団体を訪ねているのですが、どこも宗教やイデオロギーに基づいて運営されていて馴染めないので、そういうの抜きの互助組織のような団体があれば紹介していただければありがたいです。
純粋に弱者の支援だけを目的とした団体というのはどこにあるのか……
宗教やイデオロギーと言っても露骨に布教してくるケースにはあまり遭遇したことがありません。だいたいみなさん親身に私の将来への不安の話など聞いてくださります。ただ、結局、その団体のオカルトめいた教義の信者になるとか政治活動の手伝いをするとかしないことには、私の目的である食い詰めた時に仕事を紹介してくれるとか福祉に繋いでくれるとかそういう援助を期待できる立場になれそうにないんですね。
団体の目的に貢献しないなら仲間として受け入れないし援助しないというギブ・アンド・テイクのルールは当然だと思います。しかしその団体の目的の宗教やイデオロギーというのがとにかく苦手で。
私は神は存在しないと考えています。より慎重に言えば「聖書その他の経典に記された人格とエピソードを持った神の実在は証明されていないので、人間の作り話と考えるのが妥当」という立場ですが。とにかく「神の言葉」のような妄想に基づいて行動するのは無理です。「日本人はあまり知らないだろうけど、今アメリカではダーウィンが始めた進化学説は否定されつつあるんだ。『インテリジェント・デザイン』という説を聞いたことはないかな?」なんて話題をコーヒー・ブレイクで振られると今すぐ逃げ出したくなるんです。
一方でイデオロギーもダメなんですね。ホームレス支援のために(私がホームレスに転落した時に助けてもらうために)参加したのに、なぜフクシマやオキナワに関して日曜の街頭に立って訴えねばならないのか? 政府や自治体への福祉の拡充の請願だったら内容を吟味した上で署名しましたよ。だけど、福祉を離れたイシューに私はコミットできません。この季節に街頭に長時間立つと風邪を引いちゃいますから。
公平のために言及すると、上記のフクシマやオキナワが好きなイデオロギーの人たちとは反対の立場(いわゆる保守)の人たちの慈善団体というのはさっぱり遭遇しませんね。保守の人たちは地縁血縁に基づく相互扶助で手一杯なのでしょうか。私のような都会の砂粒の如き孤独な個人を拾い上げようとするのは宗教(福音派キリスト教会)か左翼イデオロギー(共産党)だけと。
馴染めなかった団体への愚痴が大変な文量になり申し訳ありませんが、この記事の目的は「純粋に弱者の支援だけを目的とした団体」があれば紹介していただきたいということにあります。
弱者当事者だけでは継続が難しそうなので、当事者の相互扶助+弱者に同情する裕福な人々や専門家の支援で運営されているような団体がより望ましいです。
私は体は弱いですが、まだ一応ホームレスへの炊き出し活動で働ける程度に、健康と時間と金銭に余裕がありますので、元気なうちは支援者側で頑張ります。その代り、失職したり体にガタが来たら支援を受けたい、ただそれだけが望みです。
団体の具体名まで挙げていただかくなくとも、宗教フリー・イデオロギーフリーな慈善団体を見つける方法などご教示いただければ幸甚の至りでございます。
日本は下品な金持ちが多すぎる、インスタに女性タレントとツーショットしたりこれ見よがしに「金持っています」「おれスゲーだろ」と主張する。
しまいには意識高い系(死語?)の本を出したり偏った定言までして弱者を罵倒する低俗な金持ちが多すぎる。
ビルゲイツみたいに慈善団体作ったりロナウドみたいに慈善事業したり慈善団体に寄付して対外イメージがソフトでスマートな金持ちが日本には少なすぎる。
貧乏だった男の子が起業で成功して全身を金のアクセサリーで包んだ姿をオシャレだと考え下品だと批難する人を「嫉妬」と言い放つ人ばかり。
本当の金持ちと成金は違うんだなと実感する、同じ金持ちでも被災地に億単位の寄付するお婆さんや芸能人やソフトバンクの社長の方がよっぽどスマートだ。
猫を探してるんだけど、挫折して三度目くらいかな、嫌な思いばかりするのでいいたい。
めちゃくちゃ里親応募者の人格やプライバシー、個人情報をうるさく聞いて人をジャッジする癖に、
自分たちは宗教活動、政治活動しててその教義の押し付けをしてきたり
猫の飼育状況に関しては応募者たちよりよっぽどやばい環境で雑に猫管理してたり、まず最初から応募者を「詐欺師か動物虐待人間か?」という疑いの目で見るところから始めて当たりがきつかったり、
こっちはたくさんの猫の世話で忙しいのよとばかりに雑で失礼な態度とられたり(管理しきれてないなら囲うなよ。虐待してるのはそっちだろ)、ひたすらどうでもいい雑談の相手に拘束したり、……かいてて思い出しゲンナリするが、そんなんばっかりで本当にひどい。
そうじゃない団体もいるだって?いるなら教えてほしいよ。どこにいるのそんな「優良」慈善団体。
たいてい関わると体力ゲージガリガリに削ってついでにSAN値も削ってくる。
「すでに一匹いて、マンションの規約で二匹までしか飼えないから、もうあと一匹しか引き取れません」つって話が進んでたのに
唐突にトップのおばはんが二匹いらないかといってきて、断ると「子猫の社会性が育たない!」とかキレたおして譲れませんの一点張りになるとか、なんかそういうわけのわからない団体めちゃくちゃ多い。げんなりする。
大抵、窓口になってるおばさんは条件がゆるくて、トップにいるおばはんがめちゃくちゃガチガチのマイルールもってて仕切っている。
芸能人が名前出して宣伝してた、メディアに露出の多い東京の某団体もそう。
動物を助けてるんだから善人の看板持ってるつもりで選民意識と義憤で活動してるおばさん多くて
「自分は正義の人!だから自分の考えは正しい!やってることは百パー正しい!」ってもうそこの認知が揺るがないから、そういう自己の在り方に疑問のない人達って本当にひたすらめんどうで、
もうめんどくさいからペットショップでネコ買いたくなってきた。
かわいそうな猫を一匹でも減らしたいって思いもあるのに。
生体販売でビジネスやってるペットショップは、この世からなくなればいいと思ってるけど、
ネコの譲渡に関わってくる「慈善活動家(社会からの認証に飢えてる専業主婦のおばさん、おばあさん)」がやばすぎて、いままた何度目かの挫折中。
今飼ってる愛猫の伴侶が欲しくて探してるんだけど、この子を見つけるまでも本当に苦労したし、伴侶をみつけるのにまたこのやばい連中と知り合わなきゃいけないってだけで鳥肌立ってしまって挫折してしまう。
うちの子を譲ってくれたおばはんのことも、我が家では「キ〇ガイババア」と陰で呼んでいる。
エサは市販のものは駄目、手作りもしくはオーガニック食品を!とか、どこそこの政治家はこんな動物虐待に加担している!とか、
私はこんなに身銭を切って猫ちゃんたちを助けてるのよ話を延々2時間人んちに来て話して、出したお菓子に全部手を付けて帰った。
そもそも、こちらはわざわざ野良猫の里親募集に応募して長い取り調べを受け、それでも不幸な猫を幸せにしてやりたいと思ってる側なのに、
あいつらこっちはしりたくもない「心無い人間による犬猫の虐待情報」めちゃくちゃおしえてきて嫌な気持ちにさせるし、
応募してきた人間を自分の好みで判断して譲渡してて、猫の為じゃなくて自分の承認欲求を満たす手段としてやってるおばさんが多すぎていやになる。
猫の世話で忙しくて髪の毛ばさばさ、服も汚くてよろよろ、体臭なんかもう獣のにおい移っちゃってて臭うし(無自覚)、薄汚くて怪しげなおばさんを家に上げなきゃいけない嫌な思いまでしてるってのに、
猫たちはなんにも罪はないが、おばさんの肯定まではしてない。
どうにかしないと私ほど忍耐力のない人たちはペットショップで買って、そんで捨てたり多頭崩壊させてるよ。
条件あわないことも多いけど、保健所への直登録で、希望の子が出てくるのを待つしかないのか。
いたとしても毎日はりついてるおばはんたちがいち早くかっさらっていくんだけどな。
やりきれない。
最初は単に金を払いたくないんだろうと思っていたんだけど、慈善団体に寄付をするということは、「金は適正に配分されるべき」というモラル感覚は持っているのだろうと思う。それが映画とか教科書とかになると、自分だけでなく俺のことも含めて「払わなくて良いのに」というスタンスになる。(これは俺がネットで海賊版を拾える教科書をわざわざ買ったときにマジで言われた。)
「適正」についての感覚が、俺とちょっと違うんだ。俺は映画を見るのにその背後にいる人たちに金が渡らないのは適正ではないと思うから。
たぶん、映画とか教科書とかの背後にいるのは、ある程度の資本のある会社なので、わざわざ自分たちが助けてやることはないが、慈善団体が助けている人たちに関しては、自分たちよりも貧しいのだから助けてやらなければ、みたいな感覚なのかな、と想像している。
なんて言えば説得できるだろうか。
広場にいたのは以前、弟たちが色々と野暮なことをして困らせた魔法少女の人だった。
どうやら、何らかの催しと合わせてチョコを配っているらしい。
「うっわあ、あんだけ無作為に配るって、俺には絶対マネできないな」
「まあ、人気商売だからね。見返りってのは形のあるモノだけじゃないってことなんだろう」
配っているチョコはどうも魔法少女組合が販売しているチョコらしく、在庫処分なのか宣伝目的なのか分からないが、いずれにしろ利己的な思惑が絡んでいることは明らかであった。
慈善団体という名目だが、魔法少女をやっていくのは簡単ではないということなのだろう。
「タダで貰えるんだったら、俺も貰ってこようっと」
弟は列に並ぼうと魔法少女に近づくが、ミミセンが静止する。
「いや、僕たちはこれまでも魔法少女の人に図々しいことをしてきたし、今回はやめとこう」
それでもミミセンの判断が優れていることは分かっていたため、大人しくそれに従った。
「まあ、いいや、とにかくチョコを捌かないと」
「渡すアテはあるのかい?」
「とりあえず近所の知り合い、きっちりお返ししてくれる律儀な大人たちに優先して配ろうと思う」
予想外の人物からのまさかのバレンタインチョコにみんな最初の内は困惑するが、「こいつのことだからホワイトデーの見返り目的だな」とすぐに勘付く。
それでも受け取ってあげるあたり、良くも悪くも弟の人徳が成せる業である。
その道中、また知っている人物を見た。
『生活教』だとかいうのを広めている、時代遅れで薄味な新興宗教の教祖だ。
「皆様、バレンタインも宗教が関係していることをご存知でしょうか。しかし、贈答品がチョコというのは企業戦略の結果もたらされた風潮でしかありません。国によってはメッセージカード、花などを贈ることもあります」
バレンタインを話に絡めて、今日も飽きずに布教活動をしているようだった。
みんな教祖のことを胡散臭い人物だとは思っているのだが、それでも話に聞き入ってしまう者が何人か出てくる。
曲がりなりにも教祖なんてやっているわけだから、やっぱりそういった“素養”があるのかもしれない。
「恋人のための祭りという認識が一般的かもしれませんが、これも厳密に決まっているわけではありません。片思いの相手、友人、仕事仲間など様々です。つまりマクロ的な観点から見れば、チョコ以外のものを送ってもいいですし、誰に送っても問題ないのです」
いまの弟にとって、その教えは福音だった。
「こう、おっしゃる方もいるでしょう。『大事なのは真心』だと。ですが、それは目に見えませんよね。こう考えてみましょう。真心を可視化したものが贈答品なのだと。そう考えるなら、大事なのは“何を贈るか”ですよね? そこで『生活教』では、生活用品を贈答品として推奨しております……」
むしろ耳の痛いことも言っているのだが、こういうものは各々が都合よく解釈するように人間は出来ている。
5年近く観察してきて、同じ女だけどそう思う。
あの人なんなの。
どんどん声を上げてください。
私もマスコミ業に身を置く女です。
私も、男性だったら即プロジェクトから外されるクラスのミスに対して、
おっとり女性的な対応をすることで溜飲を下げてもらったことがありますから。
というか、同僚に「貴方ならミスが許されるから、貴方が原因ってことにして!」と言われて、
私なら笑って許されることを知っていたから。
だから、はあちゅうさんに限ってはセクハラ被害と言われても「はぁ?」としか思えない。
あの人自分に沿う人以外は貶める傾向にある。
童貞問題以外にも、慶応出身だからって早稲田をやたら貶めるし。
なぜ、早慶どちらも素晴らしいと言えないのか。
岸は最低だと思うけど、代表取締役を辞任するという形を取ってる。
さっさと職業捨てても食っていけるんだね羨ましいとは思うけど。
そして、
逃げんなよクソ野郎! 私はセクハラしました、これからは世界で一番セクハラに厳しい会社を作りますで代表続けろよ! とは思うけど。
過去に悪いことをしていた会社が、将来も悪いことを続けるとは限らないし、
ソシャゲで有名であるというだけで、その会社グループ全体での収益がソシャゲのみで成り立っているとも限らないし、
悪い稼ぎ方をする一方で、彼らが慈善団体にどれだけ寄付しているのかホントに知ってるのか?
とも思う。
社外の人間にできる会社評価なんて、ほんの一部でしかないんだよ。
親もその会社か業界に勤めていて、内情に詳しいから反対するというのなら聞く価値もあるが、
20過ぎた息子が選んだ人生に口を出す権利はそもそも無いと思ったほうが良い。
だいたい、親なんて「うちの息子は○○に勤めてますのよ」自慢をしたいだけなんだから、聞くだけ無駄。
あのね。コンビニ店員のバイトですら社会の役に立ってんのよ。毎日、めっちゃ大勢の人がコンビニ店員に
最近は実際にあった歴史の話、神社仏閣の紹介、交通事故の映像を見せて「信じるか信じないかは…」とかいう。もう、都市伝説でもなんでもない。事実をただ述べるだけ。
看板の関暁夫は、オカルトの御大あすかあきお先生のモノマネをしてるだけだし、フリーメイソンフリーメイソン言ってるけど
オカルト業界では30年前に「ただの慈善団体」と認定されて陰謀は無いということになり、とっくにトレンドが終わっており、
むしろ近年のフリーメイソンは会員数が激減して存続が危ないので率先して情報公開して会員を募っている。
親子連れや男の客は全く無視して接客がなってないと専らの評判。
関の著書に「この先は危険すぎて本に書けないので俺のカフェに聞きにくるように」とあったので聞きにいった男性客が
「続き教えてください」ときくと
「自分で考えろ」と一言だけ言われて、若い女の子の客に付きっきりになったそうだ。
そのせいで、自分に関するいらぬ都市伝説()のほうが広まっているようだ。
ボルビックの 1L for 10Lプログラム
ボルビックを1リットル購入につきアフリカに10リットルの清潔な水が送るというもの
1出願で1ワクチン
これらすべて購入(出願)しなければ寄付が行われない受動型なんだよね
利用者に寄付を人質に無理やり購入させられている気がしてならない
購入1単位でなく売り上げや利益の○%分寄付とかのほうがいいのに
ボルビックのTVCMで水を大量に垂れ流してる映像を贈られた水は貴重なものではないのかといつも思っていた
画的には1滴の水も貴重に扱ってる姿を映してもおもしろくないんだろうがね
大量の水を無駄に扱われると寄付する必要はないなんて考えてしまう
ハッピーセットもドナルド・マクドナルド・ハウスへの寄付でしょう(しかも上限付き
日本福祉大学の国際協力出願はまさに世界の子供たちを人質に受験生とその家族から受験料を脅し取ってる
受験生強迫出願ではないのか受験料と会場までの交通費はバカにならないほど高いんだから
CMの製作費と放映費をワクチンに変えたほうが出願数よりたくさんワクチンを購入できるのではないだろうか
寄付つきだからという理由で購入するのはお金が余ってる人の上から目線の道楽でしかないんだよなぁ
そのような企画する聖人さまはお金なんて余ってしょうがない上流国民様なのも承知だけど