はてなキーワード: マジックミラー号とは
世の中には、中が青空の背景でおなじみのマジックミラー号というものがある。
これはSODの最高傑作の発明であり、その昔はマジックミラー号で全国を回ってご当地の性事情をうかがったものである。
そこから派生してハイエースで撮影をするようになった外伝シリーズでの藤丼博之氏が栄で集中的に撮影をしていたころの騒動から、このマジックミラー号シリーズは全員プロ契約の方がご当地の方の体として出演される方式に切り替わってしまった。
現在のマジックミラー号は多分中野周辺の駐車場に常設し、そこで撮影をしているようである。
「ご当地感」や「リアルな感じ」はそこにはなくなってしまい、ただマジックミラーがあるシチュエーション動画になってしまった。もちろんプロ契約の方である。
「ご当地感」や「リアルな感じ」はかつてはマジックミラー便が継承していた。
マジックミラー便はマジックミラー号よりも小型化し、横の拡張などはできない。たぶんトヨタのクイックデリバリー(ヤマト運輸が近場の配送をするときに使ってるアレ)の改造版で、SODで一部出たのちは、当時SODグループだったディープスが継承した。
パンチ氏がマジックミラー便で全国を巡回したのち、その撮影クルーの一員であった大月氏(ルミナックス氏)がこれを継承発展し、システムとして完成させた。
しかしこちらも、パンチ氏の後しばらくして、プロ契約の方のみの出演となってしまった。ただ、まだ車を移動し、時間貸駐車場での撮影を行っており「ご当地感」や「リアルな感じ」はまだあった。
パンチ氏のシリーズは本当に好きだった。どちらかといえばご当地感よりも撮影クルーの珍道中が見たくてDVDを買ったものである。
マジックミラー便はいわゆる街頭でナンパされた一般の人の体で出演するパターンだったが、
ディープスもまたオリジナルでマジックミラー号を作成している。平ボディーの2トントラックに、マジックミラーでできた箱を積んでおり、そのまま移動が可能なタイプ。
撮影時には、横に拡張できるようになっており、「新人と先輩上司」や「サークルの先輩後輩」のようなシチュエーションもので、当時は山手通り沿いの常設地を使って撮影が行われていた。あの周辺はあまり人通りがないので、ナンパ無理だろ(実際ナンパシーンは池袋駅が多い)と思うが、車通りがあるので、大変良かった。
いま、ディープスのマジックミラー号、マジックミラー便は謎の工場跡地のようなところで撮影している。
錆びた仮囲いの中で「新人と先輩上司」なんてやられても、どうにもリアリティを感じない。人通りなんてなさそうな地域で100人揉ませてくれといわれても、100人もいない。
友達と海に行くから可愛い水着を着たい、気になる男の子にアピールしたいからちょっと際どい水着を買う。自分の美しい体を見せたい、SNSで褒められたいって人まあまあ居る。
水着を着ないと仕事干されるぞ、先輩方もみんな着てたんだよ?って圧力は可哀想。なんかこう、面接で正社員じゃなくて業務委託なら採用出来るけど…ってなるのと同じに見える。正社員面倒だから業務委託最高だが?!って人もいるだろうけど。
撮影云々はよくわかんない。
コスプレ撮影歓迎の施設とそうでない施設あるよね。コスプレイベント時のみコスプレ撮影オッケーの施設とかね。
エロゲの背景に使われたカフェがやめてくれ〜って言ってた記憶がある。
写真素材なんかでも、建物に権利があって自由に使えないやつとかあるよね。
日本だと、公共の場で裸になったり痴漢したり変態行為に及ぶ人ちょこちょこいるけど、ヌーディストビーチがあるような海外でもそういう人いるのかな?裸になれる場所があっても?
でもなんかマジックミラー号といい、日本人がなんかこんな場所でこんなこと…!!!みたいなの好きなのでは?ってふしあるよね。
あ、いま何も調べずに私の印象だけで全て書いてます。
https://www.kanaloco.jp/news/government/article-912720.html
やっぱりアホみたいな論理
が出てきてアホなんだな、という気しかしない
散々言われているが
一方で青姦してるAVは公然猥褻同様の行為を撮影しているなら逮捕されるべきだと思うが
今の法律で十分対処可能だろう(マジックミラー号は確かOKのはず)
たまに実際に運転している車での行為が映ったりするがアレはグレーかもしれない
他に問題にするなら「そもそもAV女優は売春行為を働いているのではないか」という部分だがそれも難しい
ソープ店はあくまで風呂を貸しているにすぎず、そこで男女が恋愛関係になっているだけなのだ
AVも単にドラマの演技をしてもらっただけなのに、勝手に恋愛関係を結んでいるに過ぎない
そもそも人が異性と付き合うときに金銭的な下心が全く無いのか、という話にもなる
あと、本番行為が実際にされているかどうかはもはやどうでも良くて、モザイクがかかっている時点でどっちでもいい
潮吹きが本物か、精液が本物かなんて議論するだけ無駄だと分かるように本番しているかどうかの議論は無駄だ
キスシーンで本当にキスしているのかしていないのか、手を繋いでいるのかいないのか、みたいなアホな議論にしかならない
我々は何をもってAVをAVとして見ているのか、というのもよくわからない
「明確な線引きなどしない」
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。
我々の会社ではバズとは?マーケティングとは?パブリックリレーションとは?という事を常に考え、
最新動向にキャッチアップし、そのノウハウおよびナレッジを蓄積しております。
人々を「熱狂」させるためにはどういった仕掛けづくりが必要であるかということに強い関心があり、
日本ひいては世界を興奮させるコンテンツ作りに日々いそしんでおります。
我々はまさにSNSバズマーケティングのスペシャリストなのです。
昨今ではTikTokやInstagramをはじめとする若者に主流のSNSにおいて我々の確固たるプレゼンスが示されておりますが、
我々はさらなる挑戦として、我々自身がプラットフォーマーとなるべく
我々のもつ高水準のクリエイティブナレッジおよびテクノロジーを集結させ、2021年に新感覚コミュニティアプリ「ドリアン」をリリース致しました。
ドリアンのコンセプトは多岐にわたりますが、今回はその中でも最も重要な要素である「一人一人がクリエイターである」ことについて解説していきます。
およそ四半世紀ほど前まで「クリエイター」「アーティスト」という存在はある種の特権階級にあり、アートは一部の人間にのみ扱えるものでした。
しかしながら90年代後半インターネットの普及により、自己表現の場が解放され、ウェブという市井のミュージアムが誕生しました。
一方でその時分は未だ黎明期にあり、参入障壁は以前として高く、「クリエイティブの完全なデモクラシー」が実現されたとまでは言えない状況でした。
ところが2010年代より、スマートフォンの急速な普及によって、その壁はどんどん取り壊されていきました。
「アート」「クリエイティブ」はさらに民衆に開放されていったのです。
この移り変わりを象徴するものとして「インフルエンサー」という言葉があります。
原義は「影響力のある人間」ですが、今では「クリエイター」「アーティスト」とほとんど同じ意味として用いられ、「アート」「クリエイティブ」を委ねられた者として、尊敬を集めています。
インフルエンサーはその勢力をどんどん拡大しており、現在では全人口のおよそ5人に1人が何らかのインフルエンサーとして活躍しています。
年齢やバックグラウンドも多種多様で、一見すると「クリエイティブの完全なデモクラシー」が果たされたかのようにも見えます。
我々は残りの人間の悲痛な叫びに耳を傾けなければなりません。その叫びはインフルエンサーのSNSのコメント欄で聞く事ができます。
2020年、我々は「クリエイティブ」「アート」のスペシャリストとして改革を迫られました。
「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現に向け、そのソリューションの初手として「クリエイティブ」の「再定義」に取り組みます。
――――誰もが生み出せる、あるいは生み出しているクリエイティブとは何か?
「クリエイティブ」を「再定義」するためにはこの大いなる問題に立ち向かわなければなりません。
スフィンクスを倒し、一部の特権階級に与えられている王冠を奪取するのです。
この問題の解を求めるにあたって、私は自分自身の日々の生活を振り返りました。
もしその中で「クリエイティブ」の片鱗を認める事ができれば、それは我々の進むべき道を照らす大いなる光となるはずだと考えたからです。
日々の生活を振り返ったところで日中はパソコンをただひたすらいじるか、会議でしゃべる事を考えるかのいずれの行為しかしておらず、
私は一度ならず、自慰によって産み出される精液を「クリエイティブなのではないか?」「精液こそクリエイティブを『再定義』するものなのではないか?」と考えました。
しかしながら精液を創出する瞬間は類い稀な恍惚と快感を味わうものの、出してしまうと後には倦怠が残るだけで精液それ自体にはいずれの「クリエイティビティ」を認めることもできませんでした。
「何かの間違いではないか?」と思い、より良い創出に向けさらにFanzaに課金しましたが、やはり結果は変わることがありませんでした。
精液は、我々の「再定義」の道を照らす光ではなくいつも白濁とした光を我々に投げかけます。
(一方で、精液はクリエイティブではないとも言い切れないので、精液の放出については持続的に取り組んでいきたいと考えています。)
私は暗い日々を幾日も過ごしました。
マジックミラー号の室内くらい明るく、開放的な気持ちになりたいと願わない日はありませんでした。
そんな時です。
私は、お昼ごはんのあとに、便所で排便する習慣がありますが、その日私は余りにも見事な一本糞をひりだしました。
存在感のある太さで、長さにいたっては折り返さないと便器に収まりきらないほどでした。
まるで大蛇のように威風堂々としており、私は自分自身が産み出した一本糞に圧倒されました。
そして私ははっとしました。とうとう「クリエイティブ」の「再定義」を見つけた事に気が付いたのです!
他でもなく「大便」ことまさに人類の至上の「クリエイティブ」だったのです!
なんぴとも排便を独占することはできません。排便こそ真に開かれた創造です。
私は、自分の日々の生活を振り返ったとき、その大半をデスクワークに費やしている事に気づかされますが、
長時間この体勢を維持する事によってはじめて我々は形の良い大便をひりだせるのです。
喜びに打ちひしがれている私にその大蛇のような一本糞が語りかけました。
「あなた方が知恵の実を食べる事を禁じられているのは、その実はあなた方に智慧(クリエイティビティ)を与えるものだからです。智慧の実を解放しなさい。」
この啓示を受け、我々は「クリエイティブの完全なデモクラシー」の実現を果たす智慧の実「ドリアン」の開発を急ぎます。
そして一本糞の黒々とした光に導かれ、2021年に「ドリアン」というアプリを遂にリリースします。
――――2021年10月現在、リリースからしばらくたち、今ではドリアンには多くの「クリエイター」が切磋琢磨する場として広く認知されています。日本発のアプリとしてはまさに快挙といえるでしょう。
ドリアンではユーザー発のイベントである「一本糞グランプリ」の開催や、「今トイレでうんこしてまーす」といった報告により空前絶後の盛り上がりを見せています。
もし、この文章をお読みの皆様の中で、未だクリエイター、アーティスト、インフルエンサーではない方がいらっしゃいましたら、ぜひドリアンを訪れてみてください。