はてなキーワード: 公序良俗とは
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第10条(準拠法及び管轄)
選挙に行かない人に、いくつか言いたいことがある。
まず、もちろん、投票は権利だ。個人がもてる権利を行使するかしないかは、公共の福祉に反しない限り、許容される。だから、選挙にいかないからと言って、罰金を取ったり、銃殺したりするのは、そりゃやり過ぎかな、とは思う。その上で、言っておきたいことが二つある。
一つ目。もし投票しない人が、政治について意思表明すること自体を拒んでいるのだとしたら、それは大きな勘違いだと言いたい。
「投票をしない」というのは、一つの意思表明であり、言わば「多数派に賛同はしないが意義も唱えない」という主張の一つの在り方だ。また、「投票率を下げ」て、日本社会の(そして、のちに統計化されることで、あなたの属する世代の)特徴を、世界に宣伝することに荷担することで、社会に参加している。投票しないことで、あなたは既に一つの意思表明をしている。そのことから逃れる方法はないのだ、ということ。そして、「多数派に意義を唱えない」という主張をしながら、選挙が終わった後で政治に文句を言うと、周囲から、その主張の一貫性のなさを責められても、それは仕方ないということ。
二つ目。投票しないことで、誰にも迷惑をかけてない、と思ってるとしたら、それは色々勘違いだ、ということ。
たとえば、孤島に10人の人間がいてサバイバルをしている、という状況を想像してみる。こういう状況でなら「投票しない」という行動がどういう意味をもつか、分かりやすいだろう?
あなたが、「誰かをリーダーにしたらいいと思うが、みんなどう思う?」と質問したら、2人が「Aがいいと思う」といい、あとの7人は黙っている。あなたは、「そうか、ぼくはBがいいと思うんだけど?」と言った。7人は何も言わない。結局Aがリーダーになった。でも、あとで7人に聞いたら「Bの方が、って気もするけど、まあどうでもいいかと思った」とか言う人間が2、3人いた。逆に「Aがいいと思ってた」という人は他にはぜんぜんいなかった。なんてことだ。
次に、Aが「リーダーとして、『X』という決断をしたいが、どう思う?」と聞いた。あなたは『Y』の方がいいと思ったのでそう言った。そこで1人がおそるおそる『Xもいいと思うけど』と言った。あとはみんな黙ってる。A「他に意見はない? じゃあ、多数決で『X』ってことで」
あなたは何と言うだろう?
「お前ら黙ってないで、考えてること言えよ!」
か?
そしたら、一人がぼそぼそと「いや、言うか言わないかは、勝手じゃん。つーか、そーやってモメること自体メンドくさいんでー」とか言うわけ。
いやー…。
どうよ? 自分らがやってるのって、それとどう違うの。
要するに、投票しない人間て「自分はものごとを決める責任から逃れた」気になって、きちんと意見表明する人間に判断委ねて、自分らは結局フリーライドしてるよね、と。だって、全体が危機になると分かるけど、そういう人間ばっかりになったら困るんじゃね?社会的に。だとしたら、意見言わない人は意見言う人にフリーライドしてるでしょ。
だから、みんなで作ってる社会で(民主主義社会ってそういうこったろ)、みんなとともに考え、意見を述べることができない人間は、少なくとも「ごめんね」ぐらい思ってた方がいいんじゃね?。「いや、権利だから…」ってうるさいわ。みんなが意見を言えなかった時代に、闘って、やっと「権利」として獲得したんだよ。勤労とか兵役とか納税と違って、そもそも「義務」って言わにゃ誰もやらねえよーな重いもんじゃねえだろ。人権とか、生存権とか、そうだろ?
「生存権は権利だから、ボクが自殺するのは自由です」とか「人権は権利だから奴隷になるのも自由」とか、まああんまおおっぴらにゃ言わねーだろ? SM風俗行って奴隷ゴッコするくらいは自由だし止めないけども、町中で女王様と奴隷ゴッコしてたら、そりゃ止めんよ。まして、ビルの上から身投げしようとしてりゃ、そりゃ止めるさ。公序良俗に違反してるし、何より子どもの教育に悪りぃからな。社会的に認められるもんじゃねえ。そんなとき、震え声で「権利だから、ほ、放棄すんのもじ自由じゃないですか…」とか言われたら、ほんとウンザリするわ。
そういう問題じゃねえのよ。
そもそもこいつの書き込みをみて思ったわけだけども。
http://anond.hatelabo.jp/20130727180325
ちょっと気になったんだが「バナナ」つーのは普通に差別語だと思うんだ。
http://bbs.jpcanada.com/log/16/6738.html
なのに、こいつ勘違いしてね?
それ「(西洋に)帰って来い」ならカムホームじゃね? これ、率直に「自分じゃ白人のつもりで、どこから見ても真っ黄色なアジアのバナナちゃん。ちゃんと自分のお家(日本)に帰んなさいw」って意味じゃね?
大人の身勝手な欲望に起因する虐待的行為から(実在の)児童を守る、という趣旨は大変よく分かる。分からないのは、児童に欲情するという性的嗜好自体が規制対象となるという部分。
我々は「想像」を罰することができるのか。人生の中で知ってか知らずにか、身に付けた性的嗜好の内容が犯罪的であれば、その人は自動的に犯罪者になるのか。その部分を、規制派が余りに安易に飛び越えている気がして、大変困っている。
何度かあちこちで言ったことであるが、もし「想像」を罰することができるなら、レイプもの、痴漢もののアダルトビデオは真っ先に規制対象ではないか。嗜好すること自体が犯罪ならば、そういったビデオを好む人間が「犯罪者」であることは明白である。従って、ホラーやスプラッタを見る人間など、もうどこかの孤島にでも閉じ込めるべきだろう。そのような身の毛もよだつ表現を愛好する人間は、ことごとく犯罪者といって構わない。ミリタリーマニアは、自衛隊に入隊するもの以外即時に公民権を停止して構わない。とにかく、あらゆる犯罪行為を扱ったフィクションの作者・読者のいずれも、塀の中でその嗜好を矯正される必要がある。
そうなると、もう公序良俗に反するあらゆる表現は規制した方がいいように思えてくる。詐欺や裏切り、盗み、不倫行為や違法薬物が登場するようなあらゆる表現は規制される。「単に人が死ぬ」だけの場面であっても、嗜虐的な性向をもつ人間を刺激する可能性があるので注意が必要だ。健全で安全で正しく美しい天国のような世界を表現したものだけが許される。惜しむらくは、そういう社会を維持運営する行為を現実に想像すると、おそらく健全にも安全にも正しくも美しくも見えないだろうという点だ。そうなると、もう現実を規制するよりほかない。たとえば着替える際に、自分の裸を見る行為すら犯罪的であるかもしれないのだから。
「想像を規制する」というのは、そういうことだと思うのだが、どうして人はそのステップを簡単に上がってよいと思ってしまうのか。そして、現実に虐待されている多くの子どもを救う直接的な行為(たとえば子育てへの手厚い支援や児童相談所の権限強化等)に対して、延々と消極的であり続けられるのだろうか?
人生とか答えが出ないような問題に投稿後6分で「自己解決しました!」だなんて。
http://anond.hatelabo.jp/20130217193139
もし本人なら元増田(ttp://anond.hatelabo.jp/20130217192510)の方を編集してみせてよ。
第5条(禁止事項)
2.ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような公序良俗に反する行為を行ってはなりません。
4.迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
5.自分以外の個人や会社、団体を名乗ったり、権限なく特定の会社や団体の名称を使用したり、架空の個人や会社、団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物や会社、団体と業務提携や協力関係があると偽ったりする行為
条文が削除されたのはデマではなかろう。意味がない、と言うが、意味がないなら削る意味もないだろう。意味がないということにしたい勢力がいるのではないか? と疑われかねない他の文言改正とあわせて読めばさらに。例えば人権が自由への努力の成果ではなく、「おカミによって与えられ(また奪われる)もの」としているように個人的には感じた(そしてそれは許し難い)。14条は差別の禁止しか言ってないし、11条はわざわざ「将来の国民」から権利を奪うことを明示しているとも読める。
その上、「公益及び公の秩序に反しない限り」だ。
例えば人権が自由への努力の成果ではなく、「おカミによって与えられ(また奪われる)もの」としているように個人的には感じた(そしてそれは許し難い)。
おカミて、神?上?紙?どういう意味で許し難いの?
法律専門じゃないけれど、人では無い憲法という抽象物から権利を与えられ、というのが世界的によくある形態。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
自民党案
第十四条 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
??差別の禁止だけでもないし、これ以上何を入れろと?
余計な文章を入れ込むことによって、裁判でおかしな判決で不利益こうむる人も出てくるんだよ?
それに、障害の有無を入れたあたり、評価すべきじゃないの?
侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
「永久に」が残っていれば将来に渡って、の意味も含まれているでしょ。
それより、「国民に」を削って国民以外も視野に置いた点で、在日○○人らには良かった改正じゃないの?
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
自民党案
(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
その上、「公益及び公の秩序に反しない限り」だ。
公共の福祉、これは論争がある用語らしいね。面倒だからコピペ。
もっと明瞭な用語に変更して誤用や乱用を防いでいるように取れるんだが、具体的に何が「危険思想」なの?
公共の福祉の意味については、古くは争いがあった。尚、現行憲法では「公共の福祉に反する場合」国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。
一元的外在制約説
公共の福祉という用語は、当初は人権の外にある社会全体の利益を指すために用いられ、公共の福祉を理由として人権を制約することが判例上広く認められていた。この説は、もっぱら人権の外部に「公共の福祉」なる概念が存在し、あらゆる人権保障に制約を加えることができる、という意味で「一元的外在制約説」と呼ばれる。
この説は現在では全く支持されていない。なぜならば「公共の福祉」を根拠にいかなる人権も制限可能であるならば、大日本帝国憲法の“法律の留保付き”の人権保障と全く同じ運用が可能になってしまい、個人の自由を最高の保護法益とする日本国憲法とまったく相容れなくなるからである。
二元的内在外在制約説
公共の福祉により制約が認められる人権は、経済的自由権(22条と29条)と社会権に限られ、12条・13条は訓示的規定に過ぎない、とし、右の権利以外は憲法的制約はなく、それぞれの社会・文化関係から自律的に制約されるのみとする説があり、これを「二元的内在外在制約説」と呼ぶ。
一元的内在制約説(通説)
宮澤俊義により主張され現在の通説とされる学説[1]。公共の福祉を人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理と解する。この意味での「公共の福祉」とは、憲法規定にかかわらず、すべての人権に論理必然的に内在しているとする。この「公共の福祉」原理は、自由権を各人に公平に保証するための制約を根拠付けるためには"必要最小限度の規制"のみを認め(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保証するために社会国家的公共の福祉として機能する、とする[2]。
例えば、憲法上保障される表現の自由は、同じく憲法上、幸福追求権の一種として保障されると解されているプライバシーの権利と衝突する。このような事態が生じる場合に両者の調整を図るための概念が「公共の福祉」である。
もっとも、このような理解に対しては、いかなる場合にいかなる程度の人権の制約が可能であるのか明らかでなく、結局「社会全体の利益」と理解した場合と同程度の不明確さが残るのではないかとの批判がある。このため、一元的内在制約説を人権制約に関する具体的な違憲審査基準の規準として準則化したものとして、「比較衡量論」(ad hoc balancing)や「二重の基準」 (double standard) の理論が提唱されている。なお、公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令による規制が合理的であるかどうかは違憲立法審査によって行われる。法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されない。例えば契約書や約款・就業規則等の規定が公共の福祉の根拠となることはない。なぜなら民法90条「公序良俗に反する契約は無効」とは全く異なる概念であるからである。
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。
10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。
それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。
ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。
それでも転機は訪れる。
勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。
派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelやAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。
ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンにApacheを入れてそれでよしとした。
次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。
次は言語。最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。
そして業務内容を把握するため、現場をあっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。
そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。
現場の人がラインからデータを入力する。サーバにデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。
そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。
それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。
話を戻そう。
ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。
もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。
いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスのメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。
どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニのトイレの張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさんが普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園の炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。
でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタを解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。
そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。
いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。
市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転のバイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである。
そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。
そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である。日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員は東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。
最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。
他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。
とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事は天職なのかもしれない。
システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語が自分の手に馴染んだ。クロージャ、prototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードのレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。
仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。
そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というものも自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。
そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。
この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。
どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。
これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。
今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。
もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。
いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。
最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。
そう、僕は何も持っていない。家族も友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。
心を決めたら後は早かった。
パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。
空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚。世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分の人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。
自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。
見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。
川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。
長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子が爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。
最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。
たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。
いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。
こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。
そして夢のような日々は終わる。
日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。
しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。
前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。
いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練で組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。
スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要ないかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。
それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。
結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。
ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラ、C言語、組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。
そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。
今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。
ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。
だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活のときにポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。
最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。
2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。
3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。
そしてベータ版をリリースした。 http://planetter.com/
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。
10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?
家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。
西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタを解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。
世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。
初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。
それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。
ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ。
"Hello world!"
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。
まず前提として、「公序良俗に反する罪」という犯罪はありません。仮にそのような刑罰法規を作っても、憲法31条に反し違憲無効です。
他方、公序良俗に反することを根拠に被害者の同意を無効とした判例はあります(最決昭和55年11月13日)。ただしそれは、保険金詐欺を目的として車で轢いた傷害行為についての事案です。当該判例自体も学説から批判のあるところですが、この判例を前提にしても、保険会社という第三者を保護する必要のある場合と、根性焼きのようにただ当人の利益のみが問題となる場合とでは事情が異なり、判例の理屈は妥当しないと思います。
公序良俗を根拠に同意が否定される=犯罪が成立することの恐ろしさを想像して下さい。ハードSMのような変態行為は公序良俗に反するとして、突然、処罰されることになりかねないのです。
追記。
出願は金(15,000円)出してフォーマットさえ守っていれば誰でも可能。権利化するには審査請求といって出願してから三年以内に請求する必要があります。
一方で実用新案は出願されれば自動的に登録される14,000円+(2,100円+100円×請求項の数)×3[三年分の登録料]。
しかし権利を受けるに値するかどうかは判断されていないため、権利を主張するときは別の請求が必要となります。
ここでは今日一部で話題になっていた、ヤバい特許・実用新案を列挙いたします。他にもあったら教えてね。あると思うけど。
これだけ書いておきながらPDFをアップロードすることの是非がわからなかったので問題があれば即刻削除します。
http://webphilia.org/pat/JPA_2002238300.pdf
http://webphilia.org/pat/JPA_1995138598.pdf
"3ヶ月目満月に至る"
http://webphilia.org/pat/JPA_1995138599.pdf
"はて年金支払前で金はなし。"
http://webphilia.org/pat/JPA_1993171504.pdf
http://webphilia.org/pat/JPA_2001042765.pdf
"「黄金埋蔵はアッと言う間にされたらしい」"
http://webphilia.org/pat/JPA_2007233427.pdf
http://webphilia.org/pat/JPA_2002291299.pdf
素敵な読み物
http://webphilia.org/pat/JPA_2001057800.pdf
"世界じゅうの会社で、そのような能力者を、たよっているから、パソコンインターネットで、情報を、うながしては、ならない。"
http://webphilia.org/pat/JPA_2003033099.pdf
"自立用でする温度と時刻目盛の羅針盤の思考用ノート用具(1)に図星的用ノート(2)の星形の思考用ベクトル用具(11)を設ける。実体用ノートの温度(3)、睡眠時間(4)と日出没時方位角(5)です
る実態用ノート(6)を設ける、温度用ノートの風力(7)、気圧差(8)と等圧線距離(9)でする思考用ベクトル(10)を設ける"
http://webphilia.org/pat/JPU_1994005482.pdf
"パンとおにぎりの両方を食べたい時、パンとおにぎりを別々に買わずに済むためのパン。"
http://webphilia.org/pat/JPA_2005143294.pdf
"映画が、女優藤純子が主演または、準主演しているものであることを特徴とする、人格形成の方法。"
http://webphilia.org/pat/JPA_2007307046.pdf
絵
http://webphilia.org/pat/JPA_2011215148.pdf
なお、この内容は id:doublet さんの twitter を元に少しだけ文献を加えました。
(目的)
第一条 この法律は、暴力団組員が一般市民を拉致、監禁したり、殺害するなどの犯罪行為や、暴力団同士の抗争に一般市民を巻き込んで害を与えたり、組員が私人間の契約等に介入して社会的弱者を不利な立場に追い込んだりする等の公序良俗に反する行為によって、国民の人権を直接、間接に著しく侵害していること、および、我が国の法体系が暴力主義を否定していること等に鑑み、暴力団の結成を禁止することによって、暴力の根絶を図り、暴力団に抑圧されてきた国民の自由や人権を回復するとともに、公共の福祉の増進に資することを目的とする。
第二条 何人も、暴力主義的思想に基づく団体を結成してはならない。
(国家公安委員会の解散命令権)
第三条 当該暴力団がこの法律の制定以前に存在するとしないとにかかわらず、国家公安委員会は、暴力団に対して解散命令を発することができる。
(罰則)
第四条 第二条の規定に反した者、第三条の解散命令に従わなかった者は、十年以下の懲役または一億円以下の罰金に処する。
理 由
もともと、暴力団の存在は憲法が許容しているとは考えられないことに加え、近年、被害金額が膨大な窃盗行為など、警察活動によっては捕捉し難い重大犯罪が暴力団組員によって遂行されたり、一般市民宅に銃弾を撃ち込む等、著しく危険な行為が暴力団組員により行われたりしていることのほか、暴力団組員が民間会社幹部や芸能人等と交際して競争相手等不都合な人間を拉致、監禁したり、殺害したりするなど、著しく公序良俗に反する行為を行っていること、および、暴力団組員が金銭消費賃貸借契約等私人間の契約関係等に介入し、社会的立場の低い弱者を不利に追い込んだり、競売の妨害をしたりするなど、暴力団の反社会性が高まってきており、これまでの暴力団対策や暴力団排除の手法では社会防衛が困難となっており、暴力団の結成自体を禁止する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
全国的に中高生の自殺が相次いでいる。場合によっては小学校高学年の児童も自殺しており、ゆゆしき問題である。
ここ数十年で中高生の自殺が増えた理由について、1997年の経済破たんによる社会人の自殺者数増加が影響しているなどの見解があるが、
中高生は経済問題ではなく、学校生活に起因する諸問題により自殺を決意すると考えられるため、他に理由があると考えるべきである。
そこで理由の一つとして考えられるのは、インターネットの出現により、巧妙に一般人に成りすました暴力団員その他の反社会的勢力が、
その独自の資金力や行動力により、インターネットという無法地帯に勢力を拡大するという異常な現象が1999年頃から発生しており、
卑猥でひれるな掲示板やウェブサイトを立ち上げ、インターネットにアクセスした無垢な中高生が彼らに騙されたり苛められたりすることにより、
精神的衝撃を受け、その結果自殺に走る事例が増加していると思われる。
この問題について、政府や警察は、概ね2006年頃から、学校等においてインターネットに関する指導を行ったり、保護者への指導推奨、
フィルタリングの設定といった対策を講じたりしているが、反社会的勢力が根城にしていると思われる「2ちゃんねる」という巨大掲示板は1999年頃から秒刻みで次々にスレッドが立てられ、ほぼ休みなく続いているなど、その勢力は強大であり、そこからアングラ掲示板や、
児童生徒が直接書き込む誹謗中傷に満ちた学校掲示板、各種の風俗サイトが派生しており、中高生がそれらを閲覧することに関し、
学校での指導やフィルタリングが何ら功を奏していないと推測される。すなわち、増加している中高生の自殺は、
インターネットを通じて暴力団員等の卑劣な価値観が社会に流布され、99年以前に存在した学校教育の成果による健全な社会的風潮が
かなりの程度汚染され、社会内に誹謗中傷や疑心暗鬼が蔓延し、その結果、うつ病等の精神的疾患を発症したり、
人間不信に陥ったりした中高生が厭世観に囚われて自殺を決意するようになったと思われる。
これに対し、インターネットの掲示板等を規制すると表現の自由が奪われるという見解があるが、そもそも社会言論は公教育で設定している
公序良俗を損集することが前提とされているし、「2ちゃんねる」に書き込まれるような卑劣な門限は公共の福祉に反するものとして
表現の自由を享受するに値しない。また、これらの卑劣な文言が中高生の精神に及ぼしている悪影響も考えると、なおさら規制の必要は高く、
国会および文部科学省は、より早い時期に規制法案を作成すべきであった。係る不作為は文部科学省や国会としては致命的な不作為であり、
http://anond.hatelabo.jp/20110321102930
以前↑を投稿したが、やはりじわじわ子作り忌避の動きが出ている
政府は「乳児は大丈夫です」「妊婦は大丈夫です」のアナウンスはするが、
本来なら「子作りは大丈夫です」というアナウンスをすべきなんだろうが、
そんな赤面するアナウンスは公序良俗に反するから出来ないんだろうなあ。
あと、子作り忌避の理由としては、
「放射能忌避」の理由以外に
「精神的不安(放射能、地震、計画停電、物資不足)を抱えながら妊娠生活を送ること自体が
「水不足野菜不足等で、物理的に健康な食生活を送れそうに無いからが忌避する」
という理由もあるようだ。
1年後の出生数に注目したい
※学年で言えば「2011年4月~2012年3月生まれ」「2012年4月~2013年3月生まれ」が
「ひのえうま」のように落ち込むことになる?
http://onayamifree.com/threadres/1556672/
わたしは現在新婚で、これから子作りを頑張ろうと思っていたのですが、
今回の震災によって放射能の影響がこれからどうなるのか心配で、子供作るのにもちょっとためらってしまいます
年齢的にも作るのなら早く欲しいのですが、もし胎児に影響があったらと思うと怖くてなかなか作る気になれません
神経質過ぎかもしれませんが、子供にはまったく影響ないという保証はないですよね…
わたしと同じような方いらっしゃいますか
子作りは当分やめておいた方がいいのでしょうか
また5月には新婚旅行で北海道に行く予定なのですが、こちらも大丈夫なのか不安です…
わたしは沖縄でもいいと思ったのですが、旦那がどーしても北海道がいいと言うので
No.2 by 通行人2(32♀匿名) 11/03/21 14:20 こんにちわ。
今4才の子がいて、ちょうど二人目子作り始めた矢先でした。
本当は学年差を考えてどうしても5月までにほしかったのですが、今回の震災でしばらく様子みることにしました
No.4 by 通行人4(匿名) 11/03/21 15:22 主さんの気持ちわかります。わたしも同じような状況です。
もしもまだ待てるのなら、様子を見た方がいいのかもしれません。
横レス申し訳ありませんが、この数日で妊娠が発覚した方はいらっしゃるのでしょうか…
No.6 by 通行人6(♀匿名) 11/03/21 15:39 とりあえず原発が何とかなるまで様子見ですね。
いま妊婦の人とは違うんだから。これからの人と捉え方が違うのは当たり前です。
根拠のない『大丈夫』ほど納得できないものはありませんからね。心配なものは心配なのだから仕方ない。
No.7 by 通行人7(匿名) 11/03/21 16:04
混乱してて一応口に入る物は手に入るけど、つわりで○○しか食べれない!飲めない!ってなった時すごく苦労します。
No.9 by 通行人9(♀匿名) 11/03/21 21:03
主さんの心配は当然だと思います。
放射能が影響するしないは別として、不安を持ちながら妊娠するのは良くないです。
まだ若いので2年程、様子を見てからでもいいのでは?
心配な気持ちがあるうちは様子を見た方が良いと思います。
通報を受け(下の増田では口座振込みの腹いせとの説あり)たはてなの対応はともかくとして、ブログは公共スペースかどうか、議論が必要ではないだろうか。
すなわち、ネットに公開されたブログは私的なものではない、公的なものなのか、という話である。
仮に公的なものなら、これからいくら規制されても我々は黙る外ないだろう。公共は、言ってしまえば万人の共通部分である。一人でも不快にさせてしまうものがあるなら、それは改善されねばならない。それが真の公共だ。公共ではディスアドバンテージによる差別はもちろん、学歴、職歴、可能なかぎり性別による差別も許されない。だからトイレは男女にかぎらず、だれでも使えるものがたいていは用意されている。
仮にエロがダメならば、横断歩道無視だろうと割れ自慢だろうと犯罪行為も規制されてしかるべしだし、買った商品のネガティブな批判も通報されて削除されるだろう。逆に言えば、これらはいいけどエロはダメという理屈は通らない。すべて公序良俗を損ねるものである。
おそらくはてなのスタンスは通報されるまで放置、だろうが、背景を知らず、ただただ通報したものを事務的に処理していけば、自然とそうなる。はてなも普通の企業になったね(悪い意味で)、という象徴的な出来事のように思う。
思えば、近頃ニコニコ動画でも、通報が入った場合はひとつ間を挟む形式を採用した。これはこれで住み分けができるのだろうが、ニコニコ動画もはてなと同じ道を通っているようでなかなか興味深い。
はてなにせよニコニコ動画にせよ、人口に膾炙したサービスは底辺なり、過激な一部の人間に配慮した対応を取らざるをえないのだな、というのがよくわかる。2チャンネルは長く持った方ではないか?
ともかく、ウェブサービスをこれから公開するにしろ、ブログなりつぶやきなり公開するにしろ、実社会と同等の扱いをされることが増えてくるのではないか。それはネットが普及したことの証左でもあるが、生きにくい実社会がウェブ上でも再現されるということだ。
たったひとつのつぶやきが逆鱗に触れ、ブロックを通り越して名誉毀損で訴えられるかもしれない。著名な人間なら免れようが、フォロワー数2000程度の弱小漫画家が過激な言動をすると、首を吊らねばならぬなんてこともあるかもしれん。
本当は国家行政や地方行政が表現を規制するのは全部NGというのが基本です。
表現の自由は人間関係や社会を構築するコアの一つで、これを破るにはプライバシー(柳美里とか)や、絶対であるべき思想・良心の自由および生命・身体の自由くらいの強力な人権が要る。
個人主体ではない、社会全体の概念である、公序良俗やわいせつの人権で破るのは大変筋が悪い(破れる、と根拠なく思っている人が多すぎるけど)。
これは自由主義以後の鉄則で、これを守らない国は基本的に自由主義国家ではない(この定義だと自由主義国家は世間で言われているよりかなり少なくなるが)。
自由主義より優れた人権思想があれば別だけど(普通はこれに民主主義と立憲主義が結合するし、場合によっては社会民主主義か新自由主義が結合する)、まだない。