はてなキーワード: 人ごととは
https://www.jca.apc.org/hanten-journal/?p=1548&preview_id=1548
ジャマイカでの公式晩餐会のスピーチで、ウイリアムは、「深い悲しみを表明します。奴隷制度は忌まわしいものであり、決して起きてはならないことでした」と述べたという。また「今も苦しみは深いですが、ジャマイカは決意と勇気をもって未来を切り開いています。ジャマイカの人々の強さと毅然とした態度は、国旗や国の標語に示されているように、不屈の精神の賜物です」とも。
自ら(イギリス王室)の責任に言及することなく、正式な謝罪もすることなく、人ごとのように「悲しみ」を口にして、上から目線で褒め称える。これこそ明仁の「得意技」であり常套手段だった。天皇制はイギリス王室から多くを学んでいるのだ。
そ~し~て~「単に加点要素を雑に並べて褒め続ける」のが『正しい感想仕草』なわけでもねえっつの。
いいか?
批評ってのはこれなんだよ
・個々人ごとに認識する世界が違うことを理解した上で自分が観測したことを精一杯伝える
・それによって聞き手に対して「いろんな人の意見を聞いたことで映画をより多角的に見れた」という状態を作り出す
そして感想ってのはこれだ
・とにかく自分の言いたいことを言う
・自分と意見が違う相手に対してやたら噛みついてくるアホを恐れて特定の流れに迎合しようとしない
そして、感想と批評は一つの記事の中で前半は感想・後半は批評のようにして別けて書くことは出来ても、同時に行うことは出来ない。
こういうの学校じゃ習わねえのか?
まあ俺は習わなかったから独学で学んだけどさ。
身につけないといけないなと思って自分で学ぼうとかも思わねえのか?
長すぎん?これ全部読む人おるんか
超ご注意下さい。
ワクワクは取っておいて下さい。
。
。。
。。。
『ソ連の諜報員(KGB⁇)とのカーチェイス』や、『米国に爆弾が仕掛けられました。』とか、『米国への侵入ルート』みたいな話しになった時、
『え???? んな話し聞いたこと無いけど⁇⁇』自分達が知らないだけで、そんな『アルカポネ時代のマフィアとの抗争』みたいな、秘密裏の激戦が繰り広げられていたんだろうか…⁇
脚色⁇⁇
とか思ってたら、、、
騙された笑笑
この野郎…ww
自分の中では『ザ・ロックの大佐』『トゥルーマン・ショーのディレクター』とかのイメージがあるけど、
この人って頭良さそうで、凄い綺麗な目をしてるから、なんか『悪人』に見えないんだよね。
なんか訳があって『悪人』してる人。
みたいな。
個人的にメリッシュ出てるの良かったです。プライベートライアンの。
この人好き。
しかし初めて『ラッセル・クロウってスゲーんだな…』って思った。
中々出来ないよこの役と、この演技。
『誰々に子守を頼んだ、誰々に子守を頼んだ』みたいな事言ってんのとか、
奥さんに世話して貰って、足引きずりながら、あの中年がせっせと大学行く姿の物悲しさ…泣
しかもそれを後ろのバカな『自分よりずっと若い大学生』にバカにされてる…とか、、
あれは悲しいし、あの哀愁を漂わせたラッセル・クロウは本当に凄いと思った。
またあのシーンに、あの人の今までの人生の全てが要約されてると思う。
統合失調症で、幻覚や幻聴が聞こえてるのは、多分『24人のビリーミリガン』の『多重人格症状』と、かなり似ているケースだと思う。
『自分がこうなりたい自分』て願望が強く反映される…って聞いたことある。
そのクソ親父が『縄で吊るし上げの拘束をする』異常暴力者(多分極度のサディスト)だったから、
人格の1つに『縄抜けの達人』てのがいる。
他にも『ナンパが上手いやつ』とか、
場面、場面に分けて、色々な人格が用意されている。
ラッセル・クロウ演じる『ジョン・ナッシュ』の『ルームメイト』も、
彼にとって『必要だった』んじゃなかろうか??
『イマジナリーフレンド(完全に妄想の場合もある。)』ってヤツで、結構『一人っ子』の『女の子』に多い。
『本や授業に出る暇はボクには無い』ってのも、あの集団の場では、極端な疎外感に苛まれるんじゃなかろうか。
実際以前海外で、『自閉症のピアニスト』の子供がテレビに出ていたんだけど、
『幼稚園や学校に行くのは、宇宙人の集団にほっぽり出されてる気分だった』って話してた。
本人は『どうしてもピアノが弾きたい』のに、
つって怒られてたのに対して、
『プリーーーズッッ‼︎泣』とかって泣き叫んでた。
が、教授の世間話しや、特に興味の無い討論とかで潰れるのが我慢ならないんだと思う。
『分かんない』だよ。仕方ない。
『分かろうとしない』んじゃないんだもん。
『それしか無い』んだよ。本当に。
だから多分、尚更『めちゃくちゃコンプレックス』が強いんだと思う。
『自分には無いものを沢山持ってる"生徒"』に対して『嫌悪感』みたいのが強く出て、『バカにしたような態度』を取ってたんだと思う。
『お前らにはどうせこの問題は分かんないだろ??笑』みたいな。
だけど結局『人前で話すこと』も、
『自信』も無いし、尚更『劣等感』が強くなっていって、
あの自室に籠るようになってったんじゃ無いかね…、、
だから多分『数学しか無い』この人が、自分を正当化させるには、
まあただ、実際あの『妄想の世界』の方が面白そうだし笑笑 自宅近くの納屋の中の秘密基地みたいな奴とか笑笑
ちなみに昔自分は精神障害を患った人の福祉施設で働いてたことがあるんだけど、
『負けず劣らず』凄い人がいる笑笑
例えば、弁護士会や医師会の『名簿リスト』の『チェック作業』てのがあって、
どちらも、専門・所属・所在地・勤務地・電話番号・年齢・名前・出身校、、、みたいな感じで、A4くらいの紙に、超細かく、嫌んなるくらいビッシリ情報が羅列されてんだけど、
それを逐一チェックしなきゃなんないんだけど、
ある利用者さんは、
5×5ぐらいに床とかに綺麗に並べて、
手元に『正しい見本の用紙』を手にすると、
だいたい10秒くらいで、
「あ、ここ間違ってます…」
とか言って『一文字だけ数字が違うヤツ』とか、名前がズレてるヤツとかを、かなり高速で、超正確にやる人が居た。
これが逆にコンピューターが無理で、
最終的に『人』しか居ないんだけど、それやれる人がその人しか居なくて、
バックが『弁護士会』と『医師会』とかだし、超正確無比なもんだから、
月に20万以上貰ってた。
オレは側から見てるだけで発狂するくらい興味も無いし、やりたくもない作業だったから、マジでその人は『神』
だと思った。
この『ビューティフル マインド』観た時は『モロにそれ思い出した』笑笑
まあ一種のサヴァン症候群のようなもの…てかサヴァン症候群だろ笑
瞬間記憶で超正確な絵が描ける人とか、、、
ちなみにこの症状、
『人と接する』事で、能力が弱くなったりするそうです。
『満足』しちゃうんだろうね。
人間は『承認欲求』はどうしてもあるんだよ。『役に立ちたい』とか。
この映画でも結局『数学』が主人公を救ったんだけど、実際は『生徒(てか同級生)』が彼をまた『教鞭の世界』に連れ戻したんだと思う。
ちなみに実際には奥さんとはこの頃既に離婚してるらしいので、私は彼を救ったのは、『同じ学び舎に居る生徒(学生)』だと思っています。
(日本の大学だったら例え『東大』でも、生徒の質がクソ過ぎてこうなって無かったかも笑笑)
また、この手の『病気』は、『脳の神経回路』や『脳内物質』の影響がほとんどなので、
『とにかく薬を飲まないと』良くなりません。
躁鬱の人がこの映画と同じく『自己判断で急に薬を辞めたり』して、
結果更に悪化したり、特に『躁状態』の時に『薬を辞めたり』するので、
最悪マジで『飛び降りちゃったり』します。若しくは『飛び込ん』じゃったり。
また日本の文豪の『芥川龍之介』も、晩年は『見ると死ぬ』と言われている『ドッペルゲンガー』に悩まされて居たらしいんだけど…、、
『自分とそっくりなドッペルゲンガーを見た者は死ぬ』。ってめちゃくちゃ有名な昔からの伝説なんだけど、
自分はただ単に、
『多分脳(若しくは精神)が完全に限界を超えてオーバーヒートしちゃってる人』がただ単に『幻覚』として見るんだと思う。
昔は『脳の知識』や『精神の知識』なんて、特に無いしね。医学も薬も発達して無いし。
脳の角度は、僅か数%違うだけで、偉い支障が出る。
要は恐らく、『実は我々にもこの能力は備わっているんだけど、普段は脳がそれを"敢えて制御してる"状態』なんだと思う。
こんな風にやたらめったら脳にとめどなく情報が入って来たら『キツい』でしょ?? パンクすんだよ。
数字に色が着いてたり、とある文字だけ浮かびあって来たり、とある音だけ必ず拾っちゃったりね。
『人を人と捉えられていない』のかも知れない。
それにしても素晴らしい映画でした。
エド・ハリスに会えるんだったら、
困った事あったら助言してくれそうだし…、、笑笑
まあ、この人達は、『仕事出来なくなる』からキツいんだろうな。
生活出来ないもんね。
『目付き』から『歯並び』、
犬猫なんか、お父さんお母さんの毛並みそっくりで産まれてくるからね。
あれ不思議なんだけど、豹柄やブチがそのまんま子に反映されたりね。
『たまに患者さんで、』
『あっ!あなた〇〇さんの娘さんでしょ⁉︎』ってすぐ分かる程、
『耳ん中が』似てたり、
『鼻ん中』の『曲がり具合』とかが、
『ほぼ全く同じ(遺伝)』だったりする例が多い!
つって笑ってよ笑
そりゃ『名前』とか『顔』じゃなく、
『臓器(内臓とか肺とか胃、脳)』
も押し並べて、良く似るんだよ。
だからこの映画の天才数学者のジョン・ナッシュの、この『強烈な』思考性や、特徴は、かなり色濃く『子供』に遺伝しやすいと思うよ。
ラッセル・クロウが凄い。
エド・ハリスは素晴らしい笑
奥さん役の人も良いよね。
あと大学時代のライバルみたいな人が結構好き。主人公より全然『大人』なんだよな。(主人公はこの人に対して『強烈な劣等感』があったんだと思う。)
あの図書室みたいなところで、学生さん皆んなで丸テーブル囲んで話し合ってるのとか、めちゃくちゃほんのりする。
『ハンハラララ〜♫ハンハラララ〜♬』みたいな、謎の森の歌みたいなヤツ笑笑
スゲえ耳に入って来て好きだったわあ笑笑
素晴らしい映画でした。
次の日普通に仕事なのに、止めらんなくて夜中までぶっ通しで見ちゃいました。
勿論仕事はソ連とナチスの日本進行を食い止める大事な諜報活動です。
あー、忙し忙し…。。
『ジョン・ナッシュ』と、
『ジョン・フォン・ノイマン』を知っておくと、より映画が面白くなるかも知れない。
だろうけどね。
端的に言うと、
『今我々が使っているコンピューターや、AIの基礎を作った人』で、
我々は未だにそれを使ってる。
て感じの人。
ちなみに両者共映画になってる笑
年代も割と被ってるよ。
『社会科学』ってやつさ。
ハルオサンのエントリーを見て自分も同時期にWAIS4を受けてたのでレポ。
もちろん了承。
今までの人生うまくいかないことがいろいろあったが一番問題なのは就業だ。
正社員経験はなく、バイト、契約社員、自営業、派遣社員と転々としてきた。
小田急サラダ油事件のニュースを見ていて「容疑者は仕事を転々とし」のところで、自分も当てはまってるなって思った。
大阪の心療内科ガソリン放火事件は、孤独に苛まれたら自分もこうなるかもって人ごとじゃなかった。
親を頼ってなんとか生きてきたが、もうすぐ限界がくる。
本題に戻る。
僕の場合はWAIS4とロールシャッハテストの2回に分けて行われた。
正直に言うとどれも楽しかった。
クイズ番組に参加しているような感覚で「やってやるぜ!」って挑めた。
それなりに手応えもあったし、これで「発達障害」って言われたら逆に困るなーって思いながら一回目が終了。
その日はめちゃくちゃ疲れたので泥のように寝た。
二回目はロールシャッハテストで、まずこの検査ってまだ現役なんだって驚いた。
十枚の絵を見て何に見えるか答えて、二周目になぜそう見えたかを答える。
wikipediaを見て知ったんだけど、心理テストにありがちな
実際、自分の答えがどういう理屈で結果につながったのかさっぱりわからない。
やっぱりというかなんというか発達障害というほどではなかったが
四つの指標のうち「処理速度」という項目だけが明らかに低かった。
今でも「処理速度」というものがあんまり理解できていないのだが
僕は燃費も悪いし容量も少ないのにアクセルはベタ踏みしかできないって感じだろうか。
全体としては「処理速度」の数値が他の数値と20~30程度の差があるだけ。
総合数値では平均的。
それでこんなにうまくいかないの?って驚きはあるが
納得感の方が強いし、簡単にいえば腑に落ちた。
今後、苦手を避けて得意を生かせるかどうかかなり不安はあるが
苦手なことがはっきりしただけで少しマシに取り組める気がする。
「生きづらい」ってワードが流行っているが自分でそう思ったことは一度もない。
ただ「うまくやれなかった」っていう喪失感があるだけ。
ちなみに保険が効いたので5000円くらいで受けられた。
「大丈夫になりたいって願ったら(不思議な力で)都内に実家があって大きな駐車場が手に入って大丈夫になった」って話で。
あ?都内に実家があって(別に大きくないけど)駐車場があってもメンタル病んで引きこもってて全然大丈夫じゃないんだが?
数年前からこの手の「都内に実家があるだけで余裕だろw」みたいな言説はあったから、これは別に作者特有の考えじゃない。
この漫画がたまたまクソメンタル状態の私にぶつかっただけでタイミングが悪かった。それは申し訳ない。
この漫画に限らず、そういうの見かけても実家都民は我慢して流すしかないのが本当腹立つ。
というか実家都内にない人ってわかんないけど多分日本だと1億人以上いるじゃん?
1億人の共感を生む可能性がある時点で実家都民に比べて圧倒的強者なんだよな。
1億人の立場から少数民族の実家都民に石投げてる状態だってことは本当自覚してほしい。
私自身は手取り少ない今の年収にあわせた暮らしをしなきゃいけないと思っている。
節約話に興味あるから、職場の人に生活の知恵とか安売り情報を教えてもらったらすごく嬉しい。
外側は立派だけど正直掃除もぜんぜんできてないし、できてなくて当たり前みたいなうちだったから。
例えばだけど、「ミートソースを食べ終わった後新聞紙で拭いてから洗う」って話を聞いた時、すごく感動した(それ聞くまではミートソースをすぐにスポンジで拭いてて真っ赤にして使ってた。)
でもそういう話をいろいろ教えてもらう時、根底ではだましているような罪悪感を感じる。
これ見てたぶん自虐風自慢とか嫌な気持ちになった人もいるかもしれない。
そんな感じで本音を共有するのにも気をつかう。SNSはやめて見る専。
他者から見たら恵まれてるはずなのにうまくいかなかった自分をせめることが多い。
今までの人生でこういう愚痴が分かり合える層とうまくコミュニケーションできてればよかったよなとコミュ力のない自分をせめてる。
犯人が生活保護受給したかったのにアパートがあって受けられなかったって話も、正直人ごととは思えない。
こういうの「そんな私にもパートナーが」と同じで、本来だったらそれぞれに地獄があるんだけど
ぶったたかれてる対象がマイノリティであればあるほど同情のコメントが全然ない。(最近のはてブだとインボイスの話とかね…)
というか同じような状況の人って実際みんな社会的に成功してるから気にもとめないのかもしれない。
(性加害の話を含みます)
兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在でしかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。
小さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画やCDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。
ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学を留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。
もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分の洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館で時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラでバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。
大学を卒業し、社会人になり、私は自分の人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい。物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。
兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家をバリアフリーに改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。
電車で20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性が20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分は看護や介護の知識がないからその類の行為はプロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかわからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。
兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ、引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪のニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもりの中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。
クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通に仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通の有給をとることにした。1日だけ。
兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通にコミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。
それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分の人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分の心のケアを第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。
補足)
これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族の問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人に相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護の情報にアクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関や支援があります。あなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます。
境遇がほぼ一緒です。増田の悩んでること、気持ちもぜーんっぶ分かる!!!!!ほんとそれな!!!!
私も20代の頃は同人に明け暮れ、原稿で忙しく、男に興味ももてないまま。あなたのようにとりあえず恋人はいた方がいいのかな、と好きでもない男とデートをして、でも全然面白くないし原稿忙しいし放置して。
今思うと相手は悪くないのだが、連絡もほとんどしなくて、酷いことをしたと思う
何人付き合っても、好きな人は出来なかった。恋人という物に興味が持てなかったし、好きと思う人も現れなかった。同じく男性と深い仲になる前に別れるので処女だった。裸体見せたくないの分かりすぎる気持ち悪かった。
同じく実家住まいで、親は愛情深い。一人暮らしを検討するが、金もないし、楽だし、で甘えていた。同人で原稿書いてるならなおさらじゃないですか?
年代的に周囲が固まり始め、なんとなく焦るが子供も欲しくない、結婚も特に興味ない…自分の20年前と思考も環境も同じで人ごととは思えない
それから20年経ってこんな私にも素敵な旦那様が…ってなってりゃいいんだが、結論としては今もこどおばでアラフィフです。同人もまったりながらやっている。
ただ出来るなら「普通」に好きな人が出来て「普通」に結婚して子供を作るのが、生きやすく幸せなのかもしれないと思う。増田みたいに私も「普通」になれればよかったとは、今も思う。
もしその道を選ぶ気力があるのなら、20年前に戻れたら私はこうする
・家は出る。どんなに金がなくても出る。
親に行き先とかを言わなければいけない、親に気を遣う生活はやっぱり恋愛の妨げになる。増田が彼氏のことを何でも家族に話せるならいいが、私の親は詮索好きだったので、彼氏のことを言いたくもないし、泊まりもできないし
それでますます彼氏作るのが嫌になった。一人は自由。一人暮らしだと、もっと恋愛も積極的にやってみた気がする。そして出るなら若い方がいい。年を取れば取るほど、家は出にくくなる
アラフィフの私がまだ実家住まいなのは、アラフォーの時に祖父母が倒れ、介護の手伝いなどで家を出ることが出来なくなった。祖父母が死んだ後は両親はもう足腰弱っていて、置いていけず残っている
まあブラックならともかく増田の環境はそう悪くもないように思える。正社員事務土日休みで、昇給があるのならば昇給額にもあるがアラフォーになるくらいにはそこそこに貰えるから頑張って勤めて。一人暮らしにも独身にも金は必須
・友達を作ろう
これは、増田がどうしたいかによる。ぶっちゃけてしまえば独身の友人ばかりが周囲にいると、独身でも特に困らず周囲も環境一緒で楽しいので結婚の意味がますます見いだせなくなる
周囲が婚活等に励む一般的な女子の場合、話もそんな方向になるので感化されて彼氏紹介されたりとかあれこれある
なお私はアラサーの時に一般女子の友達ともつきあっていたから男何人も紹介されたが、興味なくて結局別れた。
独身で行くなら孤独を埋めるのは独身女子の友人である。私はアラフィフだが、独身同人友達と今も仲良く喋っているので孤独を感じたことはない。そしてオタクは引退してもオタクなので、同人活動やめてもアニメとか見てる子は
多く、話はできる。そしてこれらの友人はアラサー時代にできたものだ。同人はアラフォーまではいるがアラフィフはがくっと減る。年齢的にもだし、イベント会場におばちゃんだから行きにくくなる。出会いが減るので友人も出来にくい
独身のまま突っ走りそうな友達は、独身の未来を抱いているなら今のうちに作って置いた方がいい、っていうか今を逃すと友達どんどん作りにくいので。
しかし同人独身友達に囲まれると、婚活してるとかは言いにくくなり、結婚するとかももっと言いにくくなりますので、普段から婚活とかしてるんだけどさ~みたいにさらっと喋って結婚願望がある振りしといた方が、なんかあったときには
処女を拗らせるときの思考回路も同じで私は40代まで処女でした。しかも相手も「なんか唐突にセックス経験してみたくなったぞあんなに嫌だったのに!」という謎の心境変化でセフレを募って捨てさせて貰った。
しかし男性に対する無興味は何も変わらないままだった。処女かどうかは些細なことだと思うけど、コンプレックスではあったのと、やってみるとそんなビビるもんでもなかったなと言う感じです。増田の性格なら「好きな人に処女を捧げたい」って思いそうにないので、その気があったら適当に男に抱いて貰っていいと思うけど、どうしても嫌なら私みたいになんか唐突にやってみよう!って時が来るかもしれないんでそれまでほっといていいかも
処女なくなったらコンプレックス一つ減るので私は捨ててよかった
こういう増田が出ると、そんな私にも彼君が、って言い出す人たくさんいる。実際オタクで同人やってても結婚する人たくさんいる。
でもねえ、一定数いるのよ、そういうことに興味持てない輩って。
私もどーしてもダメだった。BLは楽しく読めるのに、彼氏とのデートに何も興味を持てず、同人生活で限界になると家事をしてくれる親の存在がありがたく、金も貯まるため家を出る気にもなれなかった
何人もつきあって、親にも結婚相談所に突っ込まれ、たくさん会ったけど、無理だった。周囲には「別に好きじゃないけどまあ結婚していいか」レベルで結婚できる女子がたくさんいるのも衝撃だった。
いるんだよ、結婚と子供が目的だと、見合いで会った人とあっさり結婚してしまう。別に好きでもないけど、まあこの人ならうまくいくだろう、程度の気持ちで。それが出来ればおそらく結婚は出来るんだ。私は無理だったけど。
増田はこのまま行くと私の様なアラフィフになりそうだ。金、仕事の安定、独身の友達。この3点セットが揃っていれば年を取ってもそれなりに楽しいと言っておく
だが、結婚、出産、子育て…のコンプでぐるぐるしているなら、そっちの世界に挑んでみてもいいとは思う
私はたくさんの人と会って、結婚直前まで行ったりして、何とか頑張って「普通」になろうとして、それでも心がどうしても拒絶してしまい、いろいろあり周囲に迷惑を掛け、人を傷つけた
私を好きと言ってくれる相手の男性にこれ以上失礼なこと出来ないし、何度繰り返しても私は相手を愛せないので、愛情をくれる相手の時間を奪うだけで申し訳ない。そして自分は愛情なくとも結婚出産なんていうのはできないと悟ったのが38の時だった。
吹っ切ったら楽になった。親は孫が見られないので暴れたし、罪悪感もあるがしょうがない。
婚活は辛くて嫌だった。会いたくもない男性とのデートも苦痛だった。それらから解放されてすごく楽しかった。ただこの道を選ぶと一生コンプレックスは残る。多分。
私の様にあがくだけあがいて、「私には無理!」ってところまで頑張ってみると、なんというか諦めは、つくよ…私の場合、家を出ておけばよかったな、とは本当に思った。
統合失調症の症状として「監視されてると思い込む」ってあるじゃん。
あれ人ごとだと思ってた。「すげー怖い思い込みだなー大変だなー」って。
でもさ、よくよく考えたら私もそういう思い込みしてるかもしれない。
◯隣室から物音がすると動けなくなる。
私が動くとその音も隣室に聞こえるはずだから、私が何してるのか隣人にバレる。
◯私の増田を知り合いが読んでると思ってる。
増田には私の知り合いがいて、私の書いた増田をそいつが読むと「これ絶対あいつじゃん」とバレてる。
私の増田に嫌な書き込みをしてくる奴の半分は私の知り合いの誰か。
◯知り合いじゃなくても私の日記を誰かが観察している。
文章の癖から「あ、またこいつの日記だ」と私の日記を分かる人がいる。
「こいつこの前はこんなこと書いてたのに」「毎日同じようなこと言って成長がないな」とか思われてる。
だから私はいつも一人称や文体を変えて日記を書いている。(それでもバレてる)
それとも、この程度なら誰でも一度は考えることなんだろうか。
デザイナーやプレゼン資料が得意な人が手直ししたりしたのがSNSでバズる。
Web界隈の人もおそらくイケてないと指摘している。
もう見慣れたフォーマットというのが大きいが・・・。一度、書いている人がどこ注目して欲しいか理解できたら、どれも同じなので読めると思うのだが。
フォーマットが決まっていて内容に集中できる。省庁や人ごとに見せ方が変わると、そちらに目が奪われてしまって内容が二の次になる。
すべての資料をデザイナーが手直しして修正するわけでもないし、イケてるが数字が読めないグラフなんて議論ができない。
口頭でプレゼンを聞くことができないので、そこそこ文字で説明してもらわないとWebで配布されてもよくわからない。
個人的には全部やめたほうがよかったとは思うけど、オリパラと甲子園フジロックで問題の質は違って、オリパラのほうが圧倒的に問題が大きいと思う。理由は政府・東京都が主催的立場だから。(政府は主催者じゃない?担当閣僚まで置いて、そんな表面的な言い訳は通用しません)
こうした大規模イベントの問題はその場の感染リスクだけではなく、世の中へのメッセージ効果も無視できない。そして、これまでの経緯から明らかなように、十分な割合の市民が同期して行動抑制をしないと流行の波は制御できない。政府は立法措置をしての強制的手段やお金で釣ってのコントロールはどうしてもやりたくないようなので、市民に納得して一斉に行動抑制をしてもらうためには政府・自治体がどのようなメッセージを出すかは非常に重要、というかそれしか方法がない。
よく聞く主張の「自分の身は自分で守れ、政府がどんなメッセージを出してるかは関係ない」というのは一面では正しいが、流行の波がおさまらない限り自衛している市民はいつまでも家から出られない。人ごとじゃないんですよ。
にも関わらず我々は五輪にまつわるどうしようもない矛盾を見せられてきた。いちいち列挙はしない、したくもない。政府・東京都による、「下々は我慢しろ、ただ為政者がやることは例外な」と言わんばかりの明らかなダブルスタンダードは感染抑制に大きな悪影響を与えている。緊急事態宣言というブレーキが今や完全に壊れていることからもそれは明らかだ。立法措置やお金でなく、お願いベースで人に大きな我慢をさせようとするなら自分も誠意を示せというのは当然のことだ。
結論。甲子園やフジロックが政府や自治体主催なら同じように全力で批判するけど、民間でやってる間は反対だが大きな声は上げない。直接の感染リスクが問題の全てではなく、公がやることにはより大きな責任があるから。なので、オリパラ反対者に対しての「なぜ甲子園フジロックについては何も言わないのか?」というwhataboutism的批判は的を外している。