はてなキーワード: ポジティブとは
メリットしかない神のような食べ物だけど、強いて課題を無理やり挙げるとしたらそれは
「におい」かもしれない。
が、それはテレワークが解決してくれた。新型ウィルスには畏怖しかないが、唯一ニンニクを食べやすくなったことは果てしなくポジティブ。
新型ウィルスもそうだけど、寒くなってくるしインフルエンザの時期にも入る今、
https://anond.hatelabo.jp/20201201184650
当方20代後半、四国に生まれ、高校まで四国で過ごし、大学は関西の田舎にあるキャンパスに通っていた。紆余曲折あり25歳まで正社員をせずフリーターの身で田舎で過ごし続けていたが、25歳になり大阪のど真ん中で正社員となった。
勤務先は大阪の地下鉄沿線の製造業の会社で、事務をしたり現場(これも大阪市内の工場)に出張に行ったりしている。
・・・と、上記記事のテンプレートに則って書くのはここまでとして、結論から言うと大阪での生活は可もなく不可もなくである。
良い点と悪い点を書いていこうと思う。
・良い点
①気軽に何も考えず出掛けられる
上記記事に、都会は「心理的負担なく出掛けられる」という話があるが、車を持っていない人からすれば確かにそうだと思う。俺も大阪の街中で高校生とかを見かけると羨ましく思う。こんないろんな物が満ち溢れた世界で高校時代を過ごしたかったな、と。
また、上記記事に「東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。」とあるが、これは大阪も同じである。休日にとりあえず梅田行くか、心斎橋行くか、天王寺行くか、みたいな感じでふらっと街へ行くことが多い。実家だと取りあえず出かけるというとイオン一択になってしまう。
②街の変化にワクワクする
俺が大阪でよく行く街は梅田だが、あちこちで再開発がされており、完成後の姿を想像すると非常にワクワクする。ただ、当の大阪人たちはそんなにワクワクしないらしく、これは俺のような田舎出身の人間特有の心理なのかもしれない。
これのどこが良い点なのかと思うかもしれないが、この土地の未来が楽しみであるという感覚は、過疎化で衰退する一方の田舎とは正反対の感覚で、自分の気持ちもポジティブにさせてくれるものなのだ。
③交通費が安く済む
大阪市内に住んでいる俺のメインの交通手段は地下鉄だ。車は持っていない。車の維持費に比べれば地下鉄の交通費なんてかなり安いだろう。
しかも俺の場合、自宅-会社間の定期券ではなくマイスタイルという地下鉄の定額サービスを契約しており、その交通費も会社負担のため、大阪の主要な街には実質無料で行くことができる。
・悪い点
①人が多いことによる弊害
田舎出身の俺は、行列に並ぶことへの心理的負担が都会人よりも大きいと感じる。とにかく行列が待てない。行列に並ぶぐらいなら諦めるor別の場所へ行く、となってしまう。
また、朝夕のラッシュにも多大なストレスを感じる。ある日の帰り、電車で横にいた奴に肘打ちをされたのだが、その日一日中俺の怒りは収まらなかった。
そのことを同僚に話すと、「そんなことで怒ってる奴なんて初めて見た」と言われた。都会人的にはそういう行為は一瞬イラッとはするが、その後その怒りをズルズルと引きずったりはしないらしい。
それを聞いたとき、俺には根本的に人混みが向いていないのだなと感じた。
②家賃はやっぱり高い
大阪は東京と比べるとかなり家賃が安い方だそうだが、それでも家賃は高いと感じる。
大阪市内の地下鉄沿線、オートロック、トイレ風呂別、角部屋とかなりの好条件ではあるが、たった6畳の極狭なワンルームで毎月の家賃共益費が6万円。
対して四国住む友人は2LDKのマンションに4万円台の家賃である。
また、今のところ車を買う予定はないが、車を買えば毎月1~2万の駐車場代も発生する。
③夜も騒がしい
夜寝るときも外から何かしら音がする。一番びっくりしたのが、真夜中に道路工事をすることだ。
田舎だと昼間に車線規制とか片側交互通行とかして道路工事をするが、都会では夜中にするらしい。
上記記事に、周りに人の気配がないのが孤独という話があったが、田舎育ちの俺には分からない感覚だし、静かなことに越したことはないだろうと思う。
本当に嘘をついたことがない。
幼少期は親に「こっそりゲームしてたでしょ!」「塾サボったでしょ!」とか言われても、目を泳がせまくりながら「えっと~あの~」とか言ったり、あるいは口先でごまかしたりはしたけど、その際に「していないこと」を「した」と言ったり、「した」ことを「していない」と言ったり、とにかく事実と異なる内容を口に出したことは一切ない。
就活の面接でも本当に第一志望の会社以外には「第一志望です」とは口が裂けても言わなかったし(そのかわり「第一志望群です」とは言った)、他の質問にも絶対に正直に話した。
女の子にささやく甘い言葉というのも本当に好きな一人にしか言ってない。
親や妻の手料理もおいしくない時に「美味しい」とは絶対に言わない。
2ちゃんねるやこういった場で釣りの書き込みをしたこともない。本当に誓って言うが、嘘を言ったことが無い。
教育の賜物なのかなんなのか、嘘を言うことに対して心からの拒否感があり、良い嘘を思いついたとしてもついぞ口に出すことができないのだ。
だから、自己診断のアンケートみたいなので「嘘をついたことが無い」という質問には必ず「はい」を選択している。
ところが最近、アンケートに頻出のこの質問は「回答の信頼度を測定するために聞かれている」ということを知った。
つまり、「人生において嘘をついたことがない人などいないから、この質問にはいと答えた人はアンケートに対して誠実に向き合っていない」というのだ。
ということは今まで自分が答えてきたアンケートはすべて無効にされていたということなのか。
そんな馬鹿な。
なんで「嘘をついたことが無い人などいない」と言える?
それこそ嘘だ。嘘を使わなくとも人生なんていくらでもうまくやれる。
嘘を使わなくたって、まともな大人に育つし、希望の会社に就職できるし、好きな人と結婚だってできて、何年でも仲良くやれる。
むしろ「こいつは嘘をつけないやつだから、今の誉め言葉はおべんちゃらではないんだろう」みたいに受け取ってもらえたり、ポジティブな効果しかない。
みんな何をそんなに偽ることがあるんだろう?
そこそこ太い実家に生まれて、それなりの大学も卒業させてもらって幸せにやっているから思う。
twitterとかNHKスペシャルで見る貧しい人たちってのを観測領域に入れないように生きている。
嫉妬深く、怒りっぽく、自虐的な人たちをかわいそうだとは思うのだけど、
自分にはどうすることもできないし、どうにかしてあげたいとも思わない。
毎日、それなりに仕事に忙しく、家族や友人と楽しくやっている中で、
「社会正義」のために自分の人生の時間を削るのはバカバカしいなあと思っている。
周りの同僚や友人、過去の恋人含めて、それなりに年収のある家庭で育っていて、
気の合う合わないはあっても、理解不能ということはなかった。
SNSもtwitterはやらずFACEBOOKオンリーにしている。
時々一緒にイベントやったりホームパーティ呼ばれたり、キャンプ行ったりしている。
老後の心配とか、仕事いきなり無くなったら?みたいなことは無くはないんだけど、
実家の金をくいつぶす気なら、おそらく自分の代くらいは無収入でも多分余裕で全うできる。
子供に残してあげたいから、まあ普通に働いてコツコツ資産積み立ててるけど。
娘も勉強が好きみたいで、何だか良い中学校に入って今はダンスに熱中してるみたいだし
でも、これすべて貧しい人と付き合いが、一切ないからだよなぁと思う。
<追記>
金持ちは増田やらないだろっていうけどさ、増田はFACEBOOKで書けないこと気兼ねなく書けるので良いんだよ。読んでもらうためと言うより、書き捨てられる場所かな。
約半年に亘る抗うつ剤の服用をやめてもう数ヶ月になる。28にもなって普通にただ、生きるということすら叶わない自分のポンコツさと、毎日毎時毎刻襲ってくる猛烈なネガティブ思考にノックアウトされ続けている。今も。君にこの苦しさがわるか。
生きるのに向いてない。社会生活に向いていない。とにかく早く死にたい。こういう人も世の中にはいるんだともっとたくさんの人が主張して、笑ってそんな人を安楽死に送り出すような社会であってほしい。自分のような生きる目的も気力もない人間が死ぬことで限られた地球資源を節約することができる。まともに経済活動をして社会貢献ができない分、死ぬことでエネルギー消費をしないという社会貢献の形で、この世界に感謝を捧げたい。そうすれば残った人はもっと多くの資源を使えて、より幸せになれるだろう。それに、自分のような内省的なタイプが子孫を残さずに死ぬことで、適者生存の力が働き、将来、不幸な人間が生まれることが減っていくではないか。生きたくもないし生まれたことを後悔しかしてない人間でも、社会的圧力に負けて子供を産んでしまうこともあると思う。安楽死制度ができて、それをみんながポジティブに受け入れる社会では、子供を残さずに安心して死ねるから、こういう不幸の再生産は避けられるだろう。死にたい、死にたい、死にたい。
なぜ貴重なアクティブユーザーを増やす機会をわざわざ自ら潰すのか。
先日終了したミリシタとデレステのコラボイベントでは、デレステからゲストとして一ノ瀬志希と宮本フレデリカ、そして2人の楽曲クレイジークレイジーがミリシタに実装された。普段のミリシタでは珍しい煌びやかでおしゃれな雰囲気の中で、イベントに参加している人数がここ半年くらいのイベントと比べて明らかに多いことを走りながらにして実感できたため、確かにコラボに意味があったことに安心していた。
しかし、せっかくコラボでついた新規にとって実質初めて触れることになるミリオンライブの曲となる次のシアターの楽曲を、よりにもよってNO CURRY NO LIFEにしたことにとても失望している。これでは新規を戸惑わせるか最悪の場合すぐに離してしまうことになる。
まず、コラボで増えたミリシタ新規層は基本デレステに軸を置いている層であり、彼らに少しでもまたミリシタを触ってもらえるように次のシアター曲は言い方が少し悪くなるが、彼らが普段デレステで触れているものより強い魅力を持ったものにすべきだと真っ当に考えれば思いつくであろう。
次に、コラボ相手は志希とフレデリカだったことを考慮して、できれば彼女たちに近い性格や性質を何か一つでも強く持つアイドルをメインとしたイベントにすることも考えるだろう。
そして、コラボによって注目度が以前より高まっている今の時期に出す曲が、ミリシタ、ひいてはミリオンライブというブランドのイメージに強く影響することも理解してもらえるはずだ。
以上の3点をふまえると、"次のシアターで"NO CURRY NO LIFEを出すことがいかに悪手かよく分かるだろう。どうしてもミリオンライブの楽曲群の中では魅力が低く、杏奈や莉緒、可奈に志希PフレPを惹き付ける要素が特別あるわけでもなく、またミリオンライブのイメージがややおちゃらけた感じに寄ってしまうからだ。「ミリオンはやっぱ普段は微妙なんだ」と後ろ指を指されても何も言い返せない。
今回このシアターの枠に入れるべきだった楽曲は、人気が高く志希やフレデリカのようにマイペースなアイドルがメンバーにいるDecided、エレナを連投させてミリオンの中でも屈指の甘美でセクシーな楽曲であるEmergence Vibe、ガシャやWORKINGのテーマにあって新規Pでも多少馴染みがある天使モチーフでやはりマイペースなアイドルがいるHELLO, YOUR ANGEL♪、直近のシアター事情を踏まえて星座曲縛りにするとしてもセクシー系寄りで人気の高いリフレインキスや落ち着いた雰囲気を持つP.S I Love You、永遠の花があっただろう。
それらを押し退けてまでNO CURRY NO LIFEが抜擢されたのは、ミリシタ運営が杏奈や莉緒、可奈に対して新規を引き留める力を過信したか、もしくは先日のコラボ相手がレイジーレイジーではなくポジティブパッションだったと勘違いしたかの2択しかありえないだろう。それとも、さすがにないとは思うが、この普段の面白い(オブラート)ミリオンライブが外野にウケると思っていたりするのだろうか?
総括として、ミリシタ及びミリオンライブ全体の運営は、もう少し新規ユーザー及び外野への印象に対して気を配るべきではないだろうか。もちろん全力で羽目を外すコンテンツも魅力の1つではあるが、今回のように、弁えるべきところでも構わず内輪ノリを持ち出す所がミリオンライブの衰退の一因ではないかと不安でたまらない。
死にたい。
もっと具体的に言えば、マジでこの世になんの希望もないし惰性で生きてるようなもんだから早めに死にたいけど、生きれるもんなら楽しく希望を持って生きたい、でも無理なので死にたい(でもちょっと怖い)。です。
つまりはクソめんどくさい。は?死にたいなら死ねばよくね?って思う。
だけどやっぱり少し怖い。
どうせいつか死ぬし精神のくせに、こういうところで思い切りが無い。ただのメンヘラ。
死ぬぞ〜!って自殺しようとしたこともある。その時は首吊りを選んで、丈夫そうな紐をドアの取っ手と首にかけた。
意識がぼわぼわして、あー落ちるなーて思ったけど、怖くなってやめた。あのまま続けていたら死ねたんだろうか。
ていうかそのせいで首締めが性癖になってしまったので、いらん副産物を産んでしまった。
いつもなら、こうやって死にたさMAXフィーバータイムになるとODをする。
でも明日は朝早くからバイトなので、しょうがなくファミマの厚切りチョコケーキ(431kcal)をキメている。美味いけど半分でよかった。口の中が甘ったるい。
こうなったらもうセブンのおにぎりも食う。セブンのおにぎりは美味い。特に味付け海苔のやつ。いくらでも食べられる気がする。
なんの話だっけ。死にたさの話か。
今日はバイトが忙しかった。全く自分の関係ないことで何度も怒られ、上司のミスをやんわりと押し付けられた。
私のせいじゃねえってブチ切れられたらいいけど、そういうわけにもいかないのでとにかく謝る。こういう時ってすごく俊敏に感情のこもった声が出て面白いよね。
テンションの高い人と話したのも疲れた。そもそも人と話すだけでも疲れんのに、テンション高い人だとこっちのテンションも上げないといけない。絶対しないといけない訳じゃないけど、我を貫くのは私にはできないから。
でも向こうも実はテンション高くなくて、私に合わせてたんだったらなんか悲しいね。そうだったらごめん。
元々メンタル最悪だったせいで、同じバイトの子が私の言ったことと似たようなことを後から言ったら、ベタ褒めされてたのもなんだかなあって思っちゃった。
承認欲求が強いんだよな。常に褒められたいし認められたいって思ってる。愛される人になりたい。まあみんなそうか。
みんなどうしてるんだろ。
ずっと誰かが羨ましい。人生楽しくて、ポジティブな人と1日、いや欲張るわ、ごめん、3日ぐらい入れ替われないかな。意識はあるけど精神状態はポジティブみたいな。無理だけども。
あ〜本気で自殺を考えてる時が一番マシ。なまじ希望とか欲望があるときの死にたさはほんとにきつい。
もうなんかよくわからん。よくわからんけどしんどい。明日も生きてたくない。死ぬのはやっぱちょっと怖いし、骨折とかしないかな。そしたらバイト行かなくていいんだけどな。
収集つかなくなってきた。もう終わるね。
在庫とか版権とかセルフマネジメントみたいな実務的な話じゃなくて、もっと根源的な「物語やキャラを生み出す」行為の中で絶対発生する話だから。
(「発表された作品は作者のものか読者のものか」という答えの出ない問いの中で、必然的に発生する呪詛じゃないか?)
もし増田が絶対権力を得たり法廷闘争を盾に二次創作を禁止しにくるとしたら、その振舞いは批判するが憎むなとは言えない。増田のような「作者」側からの憎しみがあることを作者も読者も互いに引き受けるしかないんじゃないかなー。
増田の苦しみについては竹本建治「ウロボロスの基礎論」でかなり掘り下げた思索が提示されているので、もしよければ増田も読んでみてほしい。
で、増田も「傷を残したい」「呪いのために書いた」と自分で告白してるほどには、「ファン及び二次創作で左右されるキャラクターのイデア」に対して現況無力でこれからも無力なわけでさー。
大体、作品解釈をめぐる作者と読者の関係なんて、「読んで心の中で思い浮かべる」時点で絶対衝突するものだし闘争(内的葛藤)が発生するものではないの?
作品を受け止め咀嚼し、自分なりに消化(昇華)する行いは二次創作よりもっと手前の「読む」時点で必ず発生するのだから、極論するとその時点から既に解釈をめぐる作者の苦悩は絶対消えないと思うんだよ。
増田は「二次創作」として語ってるけど、それをずっと手繰っていくと「読んで解釈すること」に繋がるわけで。でも作品を発表しておいて読解するなとは言えないじゃん。読解は物語を受け止める行為そのものなんだから。
もうその時点で増田という作者の苦悩も絶望も、絶対に発生するんだよ。
だから読む側としては作者から呪われ憎悪されることくらいは引き受けてもいいんじゃないのかなぁ。
創作と読解という組み合わせはそういう感情を引き起こすこともあるって。
増田の呪いくらいは引き受けて、それでも読解した以上はそのキャラクター解釈は読者のものなんだから、愛を持って二次創作はどんどんしていけばいいんじゃないかなー。
今、私も含むオタクたちの間では、物語を作り語り、受け止め楽しむことのポジティブな面ばかりがやたら礼賛されるけどさ、作者と読者には根本的にそういう「対決」の関係性が織り込まれてるってあまり考えられてないよね。そんな風潮を破壊したいって増田が望む気持ちは、なんとなくわかる。
作品を享受する側がやたらと「公式」を崇めてありがたがる割にこういう時にはワーッてなっちゃうのを見ると、版権などの意味ではない「発表された作品は誰のものか」っていう問いをもっと一人一人が真剣に考えて内的に闘争すべきだなと思う。
そこらへんの精神的闘争はもっと「読者」の側でもなされていくべきだと思うんだよなぁ。
オタクは自らの蕩尽をどう考えてるか向き合おうよ(蕩尽をするなとは言ってない)。
追記:増田、著作権を持ち出して犯罪者だ何だという方向で話をするのはさすがにダメじゃない? 増田の怒りとか呪いはそういう実務で解消できる話ではないと思うし、二次創作を規定し始めたら焼け野原にしかならないぞ。
極論、作品は読まれたらもう読者のものであって、著作権や「犯罪」のレッテルを振りかざしても、読まれた先での作品解釈のイニシアチブを増田に繋ぎ止めてはくれんのだ。実務の話ではなくね。
だからこそ増田は絶望し続けると思うけど、その怒りと呪詛は無力ゆえに最も捨て置いてはいけない。読者の側も覚えておくべきものだと思うよ。
努力不足でSESにしか行けなかったというツイートが話題になっていますね。
件の人に限らず、スクール卒業者が就職できないやら、採用したけど使えなかったとかという話をよく聞くので、そんな悲しいミスマッチを減らし、この業界を目指す人が希望と勝算をもってチャレンジできるようになることを願って思っていることを書いてみようと思いました。
業界に入って十数年、メガベンチャーで働きGAFAの関連企業から1X00万円のオファーを貰うくらいのスキルと経験はある。もちろん開発のスペシャリストとして。
新宿の雑居ビルにオフィスのある中国人が経営するSES会社からキャリアをスタート。最初の会社は雇用保険も払ってなかった。
新卒または第二新卒、文系または数学が苦手、プログラミング未経験者でスクールやサロンに入ってプログラミングを身につけて働きたいと思ってるひと。
理系やプログラミング得意な人は、学生ならインターン、働いてる人はなんでも良いからスクリプトで業務改善すれば実務経験になり、そこからならどうとでもなるのでこの記事は参考にする必要なし。
ふたこぶラクダ理論というものがあります。(https://ameblo.jp/bradnine/entry-11911830387.html)
要約すると、出来る人と出来ない人がいて、何が要因なのかわかっていないし、出来ない人への教え方も確立していないとのことです。
学び始めてすぐに判断を下す必要はないですが、スクールのカリキュラムを終える頃には周りとの成長スピードの差で自然に理解できるかと思います。
しかし、もし適正がなかったとしても悲観するのはまだ早いです。
プラグラミングの適性がない人にもこの業界にはポジションがある。QA、PdM、PjM、UIデザイナー、UXデザイナー、カスタマーサクセス、営業、採用、などなどいろいろあります。
なにはともあれ3割くらいは可能性があって外れても選択肢があるんですからポジティブに受け止めましょう。
エンジニアの生産性の差は10倍や100倍にもなると言う話は聞いたこことがあるかと思います、底辺と天才を比べた極端な話だと思いますよね?実はこれありふれた話です。超有名ベンチャーで難しい採用試験を潜り抜けて即戦力採用された人たちの中でも100倍の差があることもあります。それも瞬間風速的な話ではなく、年間の変更コード行数を計測してそうなります。10倍の差はもっとありふれた話です。
さてここまではプラス面だけの話ですが、マイナス面も考える必要があります。
あなたが無事現場に入ってわからないことを教えてもらう必要があるとします。面倒見のいい先輩がなんでも聞いて良いよと言ってくれたので、質問をして、3時間先輩の時間を使ってしまいました。先輩は100倍エンジニアだったとすると、その3時間であなたの二ヶ月分の作業量が消し飛んだ計算になります。あなたはそれに見合った成長をして恩返しできますか?
ちなみにそれくらい能力差があっても給与はあまりかわりません。良くて倍くらい。同じ給与ってこともまぁよくある話で、多重下請の現場では逆転してることも珍しくはありません。
そろそろ本題に近づいてきました。
ここまでの話を踏まえてどうするべきだと思いますか?
特別なことでも難しいことでもなく、いたってシンプルです。それは「足を引っ張らない」ことです。大抵の現場では初心者に毛が生えたような人にアウトプットを期待していません。ある程度の教育期間をとった後で普通の人の半分でもアウトプットを出してくれたら恩の字です。
あなたが天才でなければ、まずは自分でアウトプットを出すのは一旦諦めてください。先輩の時間を増やしましょう。例えば動作確認や他チームやステイクホルダーへの連絡、文書作成など、100倍エンジニアでも生産性が変わらない業務を肩代わりして先輩が開発にかけられる正味の時間を増やしましょう。これが現段階では正しいチームワークです。100倍エンジニアの時間を奪って質問するくらいなら、10倍の時間をかけて一人で調べた方が、10倍生産性が高くなります。聞くとしても調べた上での答え合わせと間違っていた時のヒントだけにしましょう。個人の学習効率をだけみてもそっちのほうが効率いいです。理解できない人には独学大全がオススメです。
ろくに動作確認をしていない可読性の低いコードをプルリクに出して、レビュワーになった100倍エンジニアが仕様確認したりローカルで動作確認したり、あまつさえバグを見つけてしまうなど、最悪です。
初心者だから間違えてもしょうがないというのは正論です。しかし、プロジェクトの時間とコストを考慮すれば逆の結論になります。あなたのアウトプットが数倍早くなろうが遅くなろうがプロジェクトには影響がないのです。学習時間とリスクを考慮してそういうふうにタスクを組んでいます。数倍時間をかけて慎重にやって良く、マイナスを生まない事を考えれば、初心者こそ絶対にバグを出してはいけないという結論になります。0は無理でもそういう気持ちでやりましょう。
ここまでは現場に入ってからの話でした。皆さんは現場に入る方法を知りたいと思いますが、もう少し辛抱してください。敵を知り己を知れば百戦危うからずの故事もあります。もう少し敵を知ってから戦術を立てましょう。
デスマーチと呼ばれているものには2種類あります。一つは定義通りのデスマーチ (https://ja.m.wikipedia.org/wiki/デスマーチ )。もう一つはデスマーチの要件を満たさないが、関係者の能力不足によってデスマーチの様相を呈しているもの。実は前者はとても希少で、世の中のきついプロジェクトというのはほとんど後者だと考えてください。
様々な点で両者は異なります。
真のデスマーチはほとんどの場合技術的な問題ではなく政治的な問題で発生します。そのため予算は潤沢ではないが常識的にはあり、技術は枯れてリスクが少なく確かな効果が確認されているものが採用されていることが多いです。工学的なアプローチで生産性を向上する仕組みなどが取り入れられていることもあります。管理プロセスも機能しておりコンプライアンス違反も少ない傾向があります。政治的な理由でプロジェクトが延長されている都合で、PMがプロジェクトを終わらせたいと思っていても、予算がある限り新しい要件が発生しつづけて終わらないという状況も発生しえます。こちらのタイプに参加するメリットとしては、よく管理運営されたプロジェクトを体験できる点、ドキュメントがしっかりしている点、低スキルの人が参加することを考慮して仕組み化されているのでキャッチアップにかかる時間が低いなどがあります。
なんちゃってデスマーチは技術力や要件定義能力、集団の合意形成能力などの不足によって起こります。PMやステイクホルダーは赤字を垂れ流すプロジェクトを早く終わらせたいと思っているので多少納期が伸びても必ず終わります。プロジェクトを終わらせるための提案であれば下からの意見でも柔軟に対応してくれることもあります。新しい技術と古い技術が混在していたり、新しい技術を採用しているのに使いこなしていないこともあります。CI/CDや自動テストが無い又は不十分な現場も多いです。こちらのメリットとしてはスタンダートが低いのでキャッチアップ戦力になれるまでの時間が短かったり、小さな労力で大きな生産性改善ができ職務経歴書に書ける良いエピソードが作りやすいといったことが挙げられます。
また両者には人の出入りが激しいという共通点があります。そのためドキュメントの有無にかかわらず新しい人が参加し、教育や環境構築を行いタスクを振って実務を行うという、一連の受入業務に現場の担当者が慣れています。またこれは両者それぞれのところで触れましたが、理由はそれぞれ違いますがキャッチアップして戦力になるまでの時間は小さいという共通点があります。
デスマーチでは残業が多いと思われていますが、新人は戦力として期待していないので残業する必要はないです。マネージャーからすると、無駄な残業代は払いたくないし事故って仕事を増やすリスクも嫌なので、1秒たりとも残業してほしくありません。早く帰ってリフレッシュするなり自習するなりしてプロジェクトのリスクを減らしてください。
そのため、デスマーチに入って残業というのは底辺層にとってはほとんどの場合杞憂です。テスト要員としてでも残業を頼まれたら戦力に数えられている事を喜んでも良いと思います。
翻って比較対照としてみなさんに人気のあるWeb系企業を考えてみましょう。GoogleやNetflixとまではいかなくても、ほとんどの会社ではそれらを模倣しています。共通点としてはだいたい自走・自律できることが求められます。辞める人は少ないので比較的受け入れ体制は整っていないケースが多いです。企業によってスキルレベルはピンキリですが、周りとのスキル差が大きくなるのでキャッチアップにかかる労力と時間は大きくなります。開発プロセスは整えられているため、あなたが工夫して改善できる余地は少ないです。
ここであなたが採用する立場になったと想像してください。「最新の技術スタックで言われた作業をやっていました。ついていくのがやっとで自分で工夫した点は特にないです。勉強はがんばりました」という人と、「技術スタックが古かったのですがXXを導入してXXをXX程改善できました」という人がいたとして、どちらが戦力になりそうでしょう?どちらを採用したいですか?
ここまで書いたことを理解して謙虚に面接を受ければそう悪い結果にはならないと思います。
Yahooカーナビも、食べログも捨てて愛用していたGoogle Mapだが、最近の体制に疑問を感じるので元に戻るつもりだ。
そもそもGoogle マップを愛用するようになったきっかけは、細い路地裏でも一方通行の道はきちんと判別してそれを元に経路案内をしていたことと、ローカルガイドによる口コミの信憑性の高さだった。
それが昨年、マップデータをアップデートし、今までのマップ精度の高さは単にゼンリンがすごかっただけと判明した上に、2020年からはローカルガイドによる口コミもかなり恣意的になってきたことが私をGoogleマップから卒業させる決定打となった。
以前までの口コミはポジティブでもネガティブでもすべて表示をされていた。写真も特に制限はなかったように思う。
そこが、否定的なレビューは消されてしまう食べログやホットペッパーとは異なっており、好感を持っていた。
もちろん否定的なレビューを書かれた物件所有者としては納得できないところもあるだろうが、それはオーナーからの返信で説明をすればユーザーはそのレビューの真偽を自分で判断できるので問題ではない。
しかし、最近ではGoogle マイビジネスの拡販を進めたいことからどうにも店側が一方的に有利になってしまっている。マイビジネスオーナーは、低評価の口コミを「ガイド違反だ」という理由をつけて非表示要求をする。Googleとしてはそのオーナーが担当付きであればあるほど優遇をし、明確なガイド違反でなくとも非表示をするし、レビューや写真の表示を承認制にしているようだ。
オーナーは気に食わないレビューに対して、「お店からの返信」として散々罵倒をしても、その後すぐに非表示申請をすれば他の客には見られることなく、いい評価だけを保つことができるのだ。
ローカルガイドが他のユーザーの検討材料のためにわざわざ時間をかけてアップロードした写真や投稿を削除あるいは非表示にするというのはあまりに失礼な話でもある。
何より、「悪意のある情報をユーザーは信じ込んでしまうからこのレビューは削除しよう」という考えは全ユーザーをバカにしすぎではないだろうか。
いつだかのアップデートから、検索エンジンでもGoogleが一部の検索ワードを勝手に除外した上での検索結果を見せるようになった。
これには少なくない数の人々が不満と悲鳴をあげているが、まさにこれこそが近年のGoogleの姿勢を示す代表例なのだろう。
「ユーザーに素晴らしいUXを」ではなく、「ユーザーは馬鹿だからこちらが適切な情報を与えないと」という考えにシフトしつつある昨今のGoogleは到底好きになれない。
自分がかつて熱意を持って働いていたころのGoogleはもうそこにはいない。仕事を変えたことに間違いはないと改めて思うのであった。
フワッとポジティブになれる瞬間がある
あれなんだろう?
あれがずっと続いたら明るい人になれるんだろうなっていつも思ってる
でも僕の脳は10時間鬱があったらポジティブになれるのはおよそ5分くらいだ
1回あたり20秒くらい
生きる意味を感じない。独身・28歳で地方出身、大学で東京に出てきてサラリーマンを数年している。独り身で毎日淡々と生きてはいるが、生きる意味は本当にないなと感じる。それを求めてネットをさまよっても、生きることが正解で死ぬことが不正解という前提に立った議論しか見当たらない。何か病気や貧困で困ってしまって、ネガティブな意味で自殺するのではなくて、ポジティブな意味で自殺することがあってもいいのではないか。生きる意味がないから自殺するというのは、ポジティブとは言えないのだろうか。ただ、悲しいわけでも苦しいわけでもなく、やりたいことがあるわけでもないし、やらないといけないことがあるわけでもない。それなのに生きることは続けないといけない。生きるためには毎日したくない仕事をして、話したくない人と話をして、義理と人情を立てて気を遣っていかなければならないのが負担。支えるべき家族もいないし、いわゆる替えの効かない人材でもない自分がいなくなっても、社会の側は全然困りはしないだろう。
中学生くらいのときからぼんやりと死にたいと考えてきたが、ここ数年その気持がより先鋭化してきたのを明確に感じる。きっとこれは、社会人になって、日々、論理的に考えることが求められる場面が増えたことも一因だろう。自分の頭で論理的に考えると、自分に生きる必要はないという結論に至るから、死にたいと思うのだろう。生きる意味もないし生きる必要もないし生きる意志もない人生を抱えて、自分はここからどうやっていけばいいのだろうか。
周回遅れだけどなんかモヤっとしたので書かせてください。
例の記事が無邪気に書かれたものなのは間違いないけど、一方であの無邪気さを持てるほどの関係性を築けているからこそのあの文章だというふうにも読めてしまった。たぶんインド人とかと同じような感じでインドの良いところを紹介しますみたいなノリだったんだろうな。カースト制度が残っていたり女性がレイプにあいやすかったりそういうセンシティブな側面もあるけどそれには言及しないでインド人の良いところを紹介したらああいう文章になるのだと思う。それにたいしてインドはそんなポジティブなことばかりではありませんとメタな話へ転換してそんな軽いノリで語るなと批判されていた。
けどそれって批判になってるのだろうか。
インド人を異文化扱いして良いところを語るのは別に差別でもなんでもなくて単なる体験の紹介以上のものではない。だからなんかズレてる。ホームレスを紹介することを差別だという人達のほうが差別的じゃないだろうか。
ホームレスを神経質な人達としてとらえていて知識がない状態で語るのは駄目だってのが批判している人達のスタンスだったけど、それってホームレスを自分達とは別な存在として考えていないと出てこない批判だよね。ホームレスを語るには前後の知識がある状態で語れ、無知は差別だって言うけどそうやってホームレスを神経質な他人として扱い差別してるのはむしろ批判者のほうじゃないのか?ホームレスに関してはその背景を考慮して普段おこなっているコミュニケーションとは別のコードを用意したうえで語るべきだってそれこそが差別じゃないのか?なんで普通に話しちゃいけないの?なんで普通にホームレスの生活の知恵はすごいって思ってはいけないの?
例の記事の筆者はとても無邪気でホームレスにたいしてものすごいフランクに語っていたけれどそれこそがむしろ非差別的であってホームレスを異文化扱いするのが駄目だって言うことのほうがむしろホームレスを異人として扱っているように感じる。
飲尿療法と同じだね。
汚いように見えてポジティブな所もある。
糞便移植したら腸内環境や自閉症が改善した例もあるし、もっとうんこに注目したい。
死んだ人もいることだけは要注意。
まだ子供を授かってないなら今のうちにパートナーの幻想を解決したほうがいいね。
昔とは時代が違うとはいえ、義父の収入は増田より少なかったようだし、義父母のどちらかがきちんと財布管理してたんでしょう。
まずは義父母の財布握ってた方にお話を聞いて、自分が育つまでにどれほどのことがあったのか金銭面で知ってもらってはどうかな。
ちょうど年末近く連絡とる時期なうえ、将来設計で義父母の話を参考にしたい、というのは悪い話ではないと思う。
増田の主張を客観的に聞いてくれる第三者の存在はありがたいと思うし、FPも思考もバラバラな夫婦間に入って調整していくってのは慣れてるでしょ。
いずれの行為も未来に向けためちゃめちゃポジティブな行動だよ。
頑張って2人で乗り越えて。