周回遅れだけどなんかモヤっとしたので書かせてください。
例の記事が無邪気に書かれたものなのは間違いないけど、一方であの無邪気さを持てるほどの関係性を築けているからこそのあの文章だというふうにも読めてしまった。たぶんインド人とかと同じような感じでインドの良いところを紹介しますみたいなノリだったんだろうな。カースト制度が残っていたり女性がレイプにあいやすかったりそういうセンシティブな側面もあるけどそれには言及しないでインド人の良いところを紹介したらああいう文章になるのだと思う。それにたいしてインドはそんなポジティブなことばかりではありませんとメタな話へ転換してそんな軽いノリで語るなと批判されていた。
けどそれって批判になってるのだろうか。
インド人を異文化扱いして良いところを語るのは別に差別でもなんでもなくて単なる体験の紹介以上のものではない。だからなんかズレてる。ホームレスを紹介することを差別だという人達のほうが差別的じゃないだろうか。
ホームレスを神経質な人達としてとらえていて知識がない状態で語るのは駄目だってのが批判している人達のスタンスだったけど、それってホームレスを自分達とは別な存在として考えていないと出てこない批判だよね。ホームレスを語るには前後の知識がある状態で語れ、無知は差別だって言うけどそうやってホームレスを神経質な他人として扱い差別してるのはむしろ批判者のほうじゃないのか?ホームレスに関してはその背景を考慮して普段おこなっているコミュニケーションとは別のコードを用意したうえで語るべきだってそれこそが差別じゃないのか?なんで普通に話しちゃいけないの?なんで普通にホームレスの生活の知恵はすごいって思ってはいけないの?
例の記事の筆者はとても無邪気でホームレスにたいしてものすごいフランクに語っていたけれどそれこそがむしろ非差別的であってホームレスを異文化扱いするのが駄目だって言うことのほうがむしろホームレスを異人として扱っているように感じる。
(困)ホームレスとインドがなんで例えとして成立するんだ?それこそ差別的な視線じゃないのか?とりあえず、オマエはそのどっちの立場でもねーんだろ?なんで面白半分に語ってそ...
>>ホームレスとインドがなんで例えとして成立するんだ? 成立しないと考えてホームレスを特別扱いして語らなきゃいけないことが差別だって言ってんだよ。