はてなキーワード: ハイライトとは
絶賛したい。
実写の正解を毎話叩き出しているゴールデンカムイ。
監督がひとりひとりにキャラ考察ノートのようなものを渡していると言うので(萩原聖人のように脚本自己解釈で挑みたかった役者のスタンスによるが)原作解像度が異常である。
ドラマでは映画より改変も結構ある。もともと映画脚本時点で原作をよく覚えていないと分からない程度の短縮が見られたが、そのカットに違和感がなく、前後につながりをもたせることに成功している。
漫画的嘘の表現を、リアルに落とし込んでいるのもまた違和感がない理由だろう。
もちろん、だからこそ期待値が上がり「あのシーンを実写で見たかった」という声も出てくるのだが…。
親分と姫回もよかった。大自然を味方につけた夕焼けのハイライトと無茶苦茶な耽美展開。なぜ実写化できているのかもはや分からない。
実写化して改めて気づくことも多い。原作やアニメのアイヌ描写は頭の中でリアルに変換しているのだが、やはり自分の中での解像度が低い。その分実写だと、多くの協力もあってリアルなアイヌ文化が伝わってくる。
毎話放送後にメイキングが公開されるが、最新話のアイヌ料理描写はとても面白かった。
役者たちもなにを食べてるのか分かっていない新鮮なリアクション。フキが足りなくなれば山に入って採ってくる。アイヌの食文化を引き継いだ人が、料理監修の人に一から教えていく。ぜひ劇中料理本を出してほしい。
そしてまた気づいたことがある。
二階堂は映画版では編成都合上クライマックスの敵役で、実写序盤でかなり目立つ位置にいる。
映画だとまだ正気を保っていたが、ドラマでは無事第二形態まで進んで、みんなの知っている二階堂になった。一つの作品で役柄をあんなに変えていくのはすごい。しかも原作から抜け出したかのような演技なのだ。
そこで改めて二階堂という人に注目してみることになったのだが、彼の哀愁と愛憎を見ていくうちに、二階堂は杉元に愛してほしかったのかもしれないと思うようになった。まぁ、この熱量の感想で触れる部分ではないのかもしれないが…。
勿論ここは実写違うんだよ、という原作ファンは居るだろう。でもそこで平和に話題ができる。こういう感じで原作読者が見ても楽しめる作品はあまりないので、ゴールデンカムイを見てしまった今、今後の実写他作品を楽しめるのか不安すらある。
まるでグーグルには、長くて網羅していてデザイン性の高いものが一つのページとして完成度と需要が高いものだと思っている節がある。
しかし情報収集としてはむしろページに書かれた情報は最低限であるほうが、余計な情報から自分の見たい情報を見つける手間が省け便利である(まあそのためにあるのがハイライト表示なんだろうが)。
ぶっちゃけデザインもどうでもいい。白地に文字だけ書かれているノートパッド仕様でも書かれているもの自体が有用なら十分だ。
デザインというのはあくまで娯楽目的でウェブページを読む人のためのものであり、今はそのひとたち一辺倒に媚びた検索アルゴリズムになっているように思える。
https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く
おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
平成後期の美人基準もとい流行の顔に該当する橋本環奈が主人公である。
ギャルは古いと1話2話で主人公が言ったが、舞台の2004年はどうだっただろうか。
あのころギャルは古い扱いはされてないと思う。ただコギャルとかはもう消えてたかな。鈴木えみ絶頂期か。木村カエラとか。実際減ってはいたが、古いと言われる時代ではないと思う。
あえていうとルーズソックスが古い。2004年にはほぼ死滅してたと思う。大紺ハイソ時代だ。
ちなみにみんなで集まってプリ撮るのは別にギャルじゃなくてもやってるので脚本の人はおそらくあのころのギャルでも、あのころの子供でもないのだろう。教師の雰囲気も含めて平成感が若干違和感ある。
最近は涙袋がブームだ。涙袋というものは、笑ったときに膨らむところの下に薄い影を描いたり、物理的に注射器で注入をしてふくらませ、ぷっくりと見せるのが令和の掟であるが、平成のあの当初、涙袋には白いラメやペンでハイライトをいれるのが基本であり「ぷっくり見せる」とかではなかった。民族感と生命力に溢れるメイクだった。
朝ドラに出演しているギャルたちはみんな揃って涙袋がナチュラルにある。それは自分で創作したものか、はたまた橋本環奈のようにナチュラルにあるタイプなのかもしれないが、一気に令和感を漂わせている。
さらに一番の違和感は眉毛だ。あの頃ギャルだったやつはな。もう眉毛無いんだよ。抜け。眉毛を抜け。細く、鋭利に、アホみたいに厳つく、相手を威嚇するナイフのように細くなければいけない。それか薄く。
ギャルじゃなくても眉毛は本当に薄かった。宮里藍の高校卒業写真を見てほしいものだ。
あとチークほぼしない時代なら頬骨やノーズのハイライトをしっかり入れていいのではないだろうか。リップはもっと存在を消してほしい。唇能面でいい。
髪の毛ももっとスカスカがいい。梳いて梳いてスッカスカでいい。
まつげはもっとひじきにして欲しい。非ギャルですらひじきまつ毛だったので。
2006年にギャルサーというドラマがあった。あれも小奇麗に描かれたギャルだが、役者たちが隠れギャルなので朝ドラほど浄化はされていない。露出も多いしちょっと肉ついててもあんまり気にしていないあのころは良かったと思う。あのころは良かった。そう言い出したらもう年寄りなのだろうか。いや、でも最近の痩せ過ぎは良くないよ。
エイベックスが監修に入っているというのは浜崎あゆみとかそのへんだろうかと思うんだが、あゆのピークはこの時代の2年前とかなのでそういう記憶で辿っていくと色々なものが思い起こされる。
女の「しなきゃいけないメイク」は正直過剰過ぎると思う。
「メイクは身だしなみ」というけどさ、身だしなみ程度の軽いメイクなら1日10分程度で終わるべさ。
自分はメイク男子だけどさ、バッチバチにメイクしてても毎日メイク20分で終わるよ?
下地→ファンデーション→パウダー→アイブロウ→アイシャドウ→アイライン→ビューラー→マスカラ→涙袋コンシーラー→涙袋の影→グリッター→シェーディング→ノーズシャドウ→人中、下顔面短縮→チーク→ハイライト→リップ→ヘアセット
までで20分
保湿とか日焼け止めの工程も入れたらもっとかかるけど、それはメイクしない男性も普通にやることなんで、省きました。
ともかく、拘れば拘る程工程は増えると思うけど、↑の工程でも最低限以上のことをやってると思うんだよね。
最低限で留めるなら10分〜15分で終わるでしょ。それ以上はさ、「オプション」なのよ。
「メイクのために40分も早起きしなきゃいけないのつらい・・・。」
みたいな人を見かけたからこんな事を書くんだけどさ、しなくて良いって、そんな早起き。
そもそもうちは「仕事の時はすっぴん」みたいな女性も多い職場なんで、「女はメイクしなきゃいけない」みたいな空気感を全く感じないで生きてるんだけど
男もメイクして良い時代なんだから、女がメイクしなくたって良いじゃん。それは社会の風潮の問題だから当人たちは何も悪くないんだけどさ。それ以上「しなきゃいけないっていう呪い」にかかって、必要以上にやってない?って話。
男の自分がその呪いにかかる事はないんで、自分の毎日メイクは完全に好きで楽しくてやってます。
女の「しなきゃいけないメイク」は正直過剰過ぎると思う。
「メイクは身だしなみ」というけどさ、身だしなみ程度の軽いメイクなら1日10分程度で終わるべさ。
自分はメイク男子だけどさ、バッチバチにアイメイクしてても毎日メイク20分で終わるよ?
下地→ファンデーション→パウダー→アイブロウ→アイシャドウ→アイライン→ビューラー→マスカラ→涙袋コンシーラー→涙袋の影→グリッター→シェーディング→ノーズシャドウ→人中、下顔面短縮→チーク→ハイライト→リップ→ヘアセット
までで20分
保湿とか日焼け止めの工程も入れたらもっとかかるけど、それはメイクしない男性も普通にやることなんで、省きました。
ともかく、拘れば拘る程工程は増えると思うけど、↑の工程でも最低限以上のことをやってると思うんだよね。
最低限で留めるなら10分〜15分で終わるでしょ。それ以上はさ、「オプション」なのよ。
「メイクのために40分も早起きしなきゃいけないのつらい・・・。」
みたいな人を見かけたからこんな事を書くんだけどさ、しなくて良いって、そんな早起き。
そもそもうちは「仕事に時はすっぴん」みたいな女性も多い職場なんで、「女はメイクしなきゃいけない」みたいな空気感を全く感じないで生きてるんだけど
男もメイクして良い時代なんだから、女がメイクしなくたって良いじゃん。それは社会の風潮の問題だから当人たちは何も悪くないんだけどさ。それ以上「しなきゃいけないっていう呪い」にかかって、必要以上にやってない?って話。
男の自分がその呪いにかかる事はないんで、自分の毎日メイクは完全に好きで楽しくてやってます。
出来る営業担当者なら「各部門のみなさんおかげで最大売上になりました」と言うところだろうと思う。それが「育て上げたって感じだよなぁ!」と肩を組まれても、工場の生産管理担当者も「あっ、はぁ」となるだろう。
「工場の生産管理担当者」がこの後、「いや、営業なんて何もしてないくせにやったみたいに言うの腹立つんだけど」て言い返したんじゃん。むしろそこが発端で、一番のキモじゃん。そこ省略すんのダメ過ぎるだろw
このやりとりで「工場の生産管理担当者」の肩もてるやつおる?この例えだと「工場の生産管理担当者=恨みおじの妻」がキチガイになっちゃってるじゃん。賞賛してるトラバもブコメもどういう頭の構造してるんだ?
子供は馬鹿ではないので親の背中を見ている。恨みおじが本当に「俺だって仕事も頑張ってきた、自分なりに家庭も大事にしてきた」のなら、子供は父親を尊敬し尊重するだろう。
いや、普通に子供はバカだぞ(大人もだけど)。「子供はバカじゃない」みたいなフワフワな頭でよく生きてこれたな。家庭版半年ROMってきたら?
ていうか、「子供は父親を尊敬し尊重するだろう。(するわけねーけどなw)」て決めつけてるじゃん。もし子供が「尊敬し尊重する」父親だとしたら、その父親をこんな長文で叩くわけないもんな?
でも何で見も知らぬ誰かの声を正しく推察できると思ってるの?その意味不明な万能感はどうやって培われたの?「お前はネットの向こうにいる名も知らぬ人の心を正しく推測できる特別な人間なのよ」ってママに言われて育ったの?
「路頭に迷う」て解像度低すぎんwスーツケース引いた一家が寒空の向こうに消えていった…みたいなの思い浮かべてる?
ちなみにお金が少なくなると家庭環境は荒んで、子供は安らげる場所がなくなり、悪い奴らとつるむようになってトー横に流れ着いてオーバードーズでバキバキしたりすると思うんですけど、そういうのも「路頭に迷う」に含まれてます?
ていうか「お金がないと家族は路頭に迷うのは当然で優先順位は高い」なら、子育てしてるじゃん。論理破綻してない?「優先度高い」担当を数十年したのに「お前の貢献ゼロな」て言われた夫の話してるの、忘れちゃった?マジどういう論理?
いやいやシングルで3人育てた50代とか普通にいるだろ。見たことないのか?世間知らずか?70代くらいだと思ってるとか?そりゃ今より女性にとって厳しい時代だったのはもちろんだけど、「実質無かったのだから(キリッ」て…。「恨みおじは離婚してたら養育費払わなかいクズだろうし」とか「両家の祖父母も支援しないクズだろうし」みたいな前提を「読み取っちゃった」のかな?
なんで
てところかなー
https://store.steampowered.com/app/2202770/Pizza_Hero/
最初に致命的な点を。
増田の環境ではコンフィグが保存されなかった。そのため、起動するたびにフルスクリーン表示。window設定、windowサイズ(手動)が保存されず、これだけでもう無理。スマホ用アプリがベースだからだろう。
・良い点
片手操作できる。WASD+スペースダッシュか、マウスのバーチャルパッド操作なので左右どちらか片手でいいのは気楽。
・悪い点
ウリの要素が逆に減点。
・・ペット要素
相棒のペットがドロップを回収してくれるが、プレイヤーが直線移動すると引き離されるぐらいの速度で直線的に回収されても、さほど恩恵を実感できなかった。初期ペットでは全部の回収をまかせられる感じではなかったので、結局プレイヤーの円状の回収を頼ることになる。
すると、ペットは意識外になるのだが、今度はプレイヤーの付近に帰還するペットを敵と誤認することが多発。
敵は周囲からまっすぐプレイヤーに近づくデザインなのに、似た行動をするペットをハイライトなど無しに設置されるとストレス要素になる。
なお、ペットの開放要素は自分は見つけられなかった。痕跡をたどる必要があるらしいが、どれがペットに繋がるビジュアルなのかがわからなかった。
アップグレードをピザの具材にして組み合わせを美味しいピザカスタマイズに見立てることは面白い。しかし実際にプレイしてみるとゲーム性とは繋がらない。
一般的なゲームなら、爆発物は範囲攻撃、ショットガンは中距離多数弾、近接武器は近距離攻撃と直感的にわかる。
しかしこのゲームでオリーブは周囲を回ることが直感的に繋がるか?説明付きにしても「バウンスする魚」はどんな攻撃か分かるか?モッツァレラチーズがなぜピストルなのか。
基礎ステータスを上げるハーブ類も緑の草なので、カテゴリとしては分かるも個々の効果は紛らわしい。
もちろん慣れの問題ではあるが、それにしてもアイコンを見てさっと選ぶことができないのはストレスだった。
辞典的なものもなく、落ち着いて武器を眺められる武器アンロック(初期武器化)にはプレイ中に8回アップグレードすることが必要だ。序盤≒短時間で総経験値が低い段階からランダム出現のアップグレードを8回重ねるのは辛く、ご丁寧に未アンロック武器には赤いびっくりマークが付く。最初はシナジーかなにかかと勘違いした。武器のアンロックへのモチベは初期武器にしたいではなくうざいマークを消したいであった。
プレイの折り返しでは自販機からランダムでビットがもらえるが、これは非選択ドロップなので簡単な説明文すらも見れず、装備が重なった段階で得られるこれらの挙動を観察することも難しかった。
・・爽快感のなさ
個々の武器が地味で、アップグレードしても劇的に効果が変わるわけではなく爽快感が薄い。
アップグレードの種類も少なく、ユニークなパッシブ効果がないので「これとこれを組み合わせれば強いのでは?」などといった楽しみはない。
システム的な組み合わせシナジーは恐らく最初はロックされており、開放のための恐らくレアドロップアイテムの出現条件は謎だった。開放したとしても数種類で、作り方も二つコンボなどではなさそうなためこれも面白くなさそうだった。
総じてプレイしていて強さのインフレ、ブレイクスルーがなく、10分20分の戦いのなかで単調な避けて緊急回避するの繰り返しだけで終わるため楽しくない。
恒久的アップグレードも数値の上昇・低減と基本的ではあるが、言い換えればそれしかない。ここもプレイの幅が広がるものがなく、将来性がない。数回プレイした時点でこれ以上の新しい楽しみはないなと見え透いてしまう。
ヴァンサバといえば無限スクロールのイメージだったが、この作品は中央のスタート地点がある。その周囲にガイドがあり、ガイドにそって進めばいつ倒しても良い固定ボスが数体存在する。
そのため基本はスタート地点で戦うのがベターだ。ひたすら一方へ進み続けても得るものはない。
すると戦法はずっとスタート地点でぐるぐる戦うことになる。基本の動きではあるが、「ここに留まらなければ」と拘束される(ことに意味がある)と感触がよくない。
無味乾燥なマップに意味をもたせることには成功しているが、拠点防衛ゲームではないので「避けて倒す」に集中したかった。
総評して初回フルスクリーン固定は苦痛。個性はあるが優れてはいない。プレイバリューは低い。と、「スマホ向け無料クローンゲーム」と言ってよいゲームだった。ジャンル未経験者にとっても別のリスペクト作品の方がいいだろうと感じることができる出来である。
ピザが戦う無料ローグライクサバイバー『Pizza Hero』Steamにて好評スタート。トッピングをどんどんゲットして一騎当千の強ピザを目指す
https://automaton-media.com/articles/newsjp/roguelike-pizzahero-20240704-300423/
ピザが戦う無料ローグライクサバイバー『Pizza Hero』の有料化が突如発表。“そう遠くないうち”に無料配信終了へ
https://automaton-media.com/articles/newsjp/pizzahero-20240709-301058/
ありがとう。ChatGPTに作ってもらった。数値文字参照でないといけないというのは素人には教えてもらわないとたどり着けないので感謝です。
ハイライトされた文字列を <pre> タグで囲み、特殊文字を数値文字参照に変換し、改行を <br> タグに置き換えて、元の文章をその場で置き換えるブックマークレットを作成
javascript:(function() {
function escapeHtml(text) {
return text.replace(/&/g, '&')
.replace(/</g, '<')
.replace(/>/g, '>')
.replace(/"/g, '"')
.replace(/'/g, ''')
.replace(/\n/g, '<br>');
}
var s = window.getSelection().toString();
if (s) {
var escapedText = escapeHtml(s);
var wrappedText = '<pre>' + escapedText + '</pre>';
prompt('以下のコードをコピーしてください:', wrappedText);
} else {
alert("文字列をハイライトしてください。");
}
})();
https://www.jrkyushu.co.jp/mjr/gallery/
つまり首都圏物件の貢献度合いは0.1x0.2=0.02=2%
ガンガンとは言い難いな
決算資料を見るとJR九州が首都圏というか東京に所有している資産が結構あり、その中には不採算物件もあることを匂わせてるので(新川イーストビルの売却がハイライトされている)
「何を褒められると嬉しいですか?」っていう固定の質問リクエストを送ったら
「そうゆうのめんどくさい」ってわざわざ回答されたのが今日のハイライト
笑顔で挨拶されたからこちらも笑顔で返したら、カッターかコピー用紙で地味に痛みが続く傷をつけられた感じ
ブロックして、「あいつはもう関係ないからどうでもいい」って10回口に出して
スーパーに行って、レジの人に目を見て「ありがとう」って言って
台風のあとの空ってきれいだよなって思いながら、不審に思われないかなって思いながらでもきれいだから写真を撮って
「みんなどうやって折り合いつけてんだろうな」ってセリフがあるんだ
教えてほしいわけじゃない。どうするんだろうなって考えただけ