はてなキーワード: トライとは
我が家も2人目の不妊治療で何度も流産を繰り返した結果、自然妊娠しました。5年、400万くらい突っ込みました。
その昔、ある人に、猿になれば子供は出来る!と言われたことがずっと引っかかってます。つまり、あんなに苦しい妊活の前に、妊娠するまで狂ったようにsexすれば、夫婦仲ももっと良くなり、それで子供も出来たんじゃないかと。
なんか、当初からタイミングを意識してsexしてて、不妊治療が進み体外受精、顕微授精と進むにつれて射精が作業になってしまってました。
もっとタイミングを考える余裕もないくらいにsexすれば良かったなーと。結果、自然妊娠だったんだから、トライの数が少なかっただけなのかなって。
産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分の体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。
妻フリーター、自分正社員。計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍が確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。
互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。
互いに実家から遠く離れたエリアに暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスかからずよかったとも思う。実際自分の両親世代の情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院と自治体に頼るんだ。
しかしまあ、人によって出産体験は十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。
妊娠中は母体のメンタルが不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。
自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。
早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。
すごい手厚い。母子手帳、妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成、児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対に活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。
妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院をローラーして予約すべし。首都圏は競争激しいし、地方は地方でそもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合、陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。
余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的に入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児に危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的に陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合は子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なものを子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分を召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。
で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまったからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨ての割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師の失笑をさらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。
なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。
妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分の場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志で出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児を自分が行い、今もそれは変わらない。
自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社を休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦の不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所で死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。
新生児はほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン。自分の場合は特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車を運転し美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチしたかったけど産後は禿げるから美容師に拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。
いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したから出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血は産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。
通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後は骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。
完全母乳の場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後は母体の負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって?馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。
赤子はすくすく成長するが、基本的なルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメ→ミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ→風呂に入れてみる→ダメ→放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。
ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのものの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。
これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味でSSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。
最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか。大切なことを言うぞ。
離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん。
お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業が必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。
これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体に相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったときは自治体を頼れ。
これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体のwebサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後は戦争だから余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職の場合、ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。
ちなみに公立保育園の情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴の増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。
保育園は復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園の場合、食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから。復職したかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ。
我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。
大丈夫。保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから。安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。
だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある。毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。
これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。
長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠も出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!
中学生の頃から、はてな、なろう、Twitter、個人ブログ、note、某ゲームのファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンルの文章を書いてきた。主戦場を匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。
このような過去から察せられる通り、自分は文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説やはてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。
最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときはサービスのアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。
このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分は文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロの小説家先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリーの矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントはストーリーの構成がしっかりしていて、論理的に妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。
しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主の自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品を主観的、客観的に分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである。
このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分の意見を表明する場合でも、脳内にある自分のアイデアはパソコンのディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分の脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分の脳内にあるものと自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内にしかないもの、書いたものにしかないものも無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行の名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色、スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分の意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。
そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかったことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分は普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたものを100%他人のものであると断じてしまうことである。中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去の自分と現在の自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分の文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法は文章を100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章とにらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分の意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分の意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分の脳内と文章が一致する。
根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分の意見が初めから脳内に整然とした文章で存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分の意見は言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章を100%自分のものにする方法の最後で、自分の意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分の意見を言語化するあいだに自分の意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。
これ (https://anond.hatelabo.jp/20240702181549) を書いた者だけど、皆さん色々アドバイスありがとうございました。
トラバもブコメも思ったより優しい言葉が多くて良い意味でびっくりした。
休職し始めて一か月くらい経ち、幸いなことに調子は戻ってきて、
会社も復職を段階的に進めてくれるとのことなので、8月後半から復職し始める予定。
休んでみて、休職前の一年は職場環境も自分のメンタルも劣悪な状態だったな…と客観視できて、
それだけでも一旦休んだ意味はあったなと思っている。
備忘として、この一か月でやってみて良かったことと悪かったこと、やらないようにしたことをメモする。
同じ境遇の人が何するか迷った時の参考になれば幸い。
メインでやったことの1つ。やったことなかったけど海釣りにチャレンジした。主にシーバスを狙って、場所探したり釣り方をyoutubeで見たり。
全然釣れてないけど、潮の満ち引きとか釣りスポット探しとか、トライ&エラーが楽しくて良いリフレッシュになった。
完全に一人で行ったので、同行者の時間や釣果を気にせずに「今日は上手くルアー投げれたからよかったな」「魚は居たからスポット選びは合ってる」とか自己満足できたのも良かったかもしれない。
ただ、朝マヅメを狙ってほぼ徹夜で釣りに行ったらそこから3日間体調を崩した…。体力的に無理は出来ないことも実感できたのが副産物か。
あとは、管理釣り場の釣りもまたやろうと思っているので道具を買ったり。釣り楽しいね。
これもよかった。大学時代や転職前の友人、昔のバイト先の人と会ったりした。
仕事で疲弊することや休職が特別ではないことを感じられたり、自分では考えてなかった楽しい活動をオススメしてくれたり、前向きになれた。
「仕事に関わらず個人として気にかけてくれる人が居る」と実感できたのも、肩の荷がおりる思いだった。
エアロバイク、腕立て伏せ、スポーツセンターのジム、Fitボクシングなど、ほぼ毎日どれか1つは実施した。
ゲームや読書しながらエアロバイク30~60分→終わったら腕立て、のセットが一番やりやすかった。
あと、プライムデーで安くなってたからプロテイン買ってみたけど、最近のプロテインは滅茶苦茶美味くなってるのに驚き。10年前はもっと粉っぽかった。
全くコミュニケーション出来なくなっていないか心配だったけど、まぁまぁ話せてよかった。
こういう「何かタメになりそう」感がある活動は心の慰みになる。
今まで読みたかったけど保留していた漫画・本・ゲームを進めた。
コロコロ無料開放してたから色々一気読みしたけど、ゴクオーくんがすごく面白かった。青年漫画や少年漫画と比べても遜色ない名作。
ゲームはティアキンと、MTGアリーナ。どちらも時間が溶けすぎるのでほどほどにしないとと思って、昼間はあまりやらないようにしていた。
最低限やらないといけないのでやったことでもあるが、社会との接点になってよかった。
落語やミュージカルなど。純粋に楽しいし、一日に時間が定まった予定を入れることで、生活のリズムの補助になる。
ある意味一番大事だったかも。どんなことも、無理しすぎないでやりたくなったらやる。
家族と買い物したり、ゆっくり過ごしたり。仕事なんかより家族が大事だなぁと改めて感じた。
一回外に出て日光を浴びると一日が始まる気がする。
休職始めの1~2週間は「転職も考えてみるか」と転職サイトやエージェントとの面談を何回かやってみたけど、調子が戻ってない状態で転職理由を説明したり相手から値踏みされるのはメンタルが疲労してしまった。
休職中であることを隠すか、どう説明するかとか余計なことを考えないといけないのも疲労の一因だったので、休職中の転職活動は自分には向いていなかった。
負けた。やらんほうがよかった。
折角だから遠出の計画を立ててみたけど、暑すぎる&ゲリラ豪雨が怖いので断念した。昼間は一時間走るだけで頭がゆで卵になりそう…。
同上。やるなら春と秋だね。
やろうと思えば朝から飲み始められるが、一段とマズいことになりそうなのでやめておいた。
働いてた頃より酒量が減ったのはよかった。
「なぜ学館浦安が勝利という見出しにしない!」とキレてたツイートがバズってて同意に溢れてたのを見て引いた
あとプロ野球の選手会や球団が「誰々辞めろ!」という批判も許さない姿勢取りつつあってもうこの流れ止められないかと思った
エラーや大炎上に対して「ナイストライ!(*´∀`*)」とかひたすら言い続ける気持ち悪い環境になってもおかしくない
あとアナウンサーやハイライト番組での「○○のまずい守備も重なって一気に同点」とかの言い回しもアウトになるかもしれない
元々大の仲良しの芸人とプロ野球選手がタメ口で仲良く話してるの見て「タレントは選手に敬語使え!!」とかブチギレてる奴めちゃくちゃ多いし
Evolution Championship Series、通称「EVO」のラスベガス大会が今週末行われる。
世界最大規模の格闘ゲームのイベントでユニーク参加者が1万人以上、のべ参加者は1.6万人を超える。
ちなみにこの参加者って実際に現地でプレイするプレイヤーのことね。
まぁ、例年2割くらいは当日欠席してるらしいんだけども。
多くのタイトルで競われる今回の大会だが、サブ種目メイン種目の切り分けがあり
今回のメイン種目は
『ストリートファイター6』
『THE KING OF FIGHTERS XV』(『KOF15』)
『鉄拳8』
『UNDER NIGHT IN-BIRTH II Sys:Celes』
『モータルコンバット1』
『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』
となった。
このうち、日本発でないタイトルはモータルコンバット1のみになる。
ちなみにモータルコンバット1はシリーズ12作目でシリーズ2作目のリブート作品になる。
ややこしい。
前回のEVO JAPANはモーコン発売されてなかったので全作品日本発だったし
これはもう格ゲー(の開発)は日本一強時代と言って差し支えない。
プレイヤーは鉄拳8では日本人プレイヤーが韓国人プレイヤーとしのぎを削り、
小学校:
中学校:
高校:
社会人: