はてなキーワード: タイムリープとは
子供の頃から、一番好きな映画はバックトゥザフューチャーだった
千と千尋の神隠しでいちばん好きなシーンは、最後の車に落ち葉が積もってるところだったし
ハリーポッターも、ロンとハーマイオニーと一緒に時間を遡る演出がいちばん好きだった
で、最近、バタフライエフェクトを観てウオオオオおもしれええってなった
たぶん私は、性癖みたいな感覚でタイムリープものが好きなんだと思う
この前観たルーパーって映画も、未来の自分が云々みたいなパッケージだったから期待してたのにそういう要素ほとんど無くてちょっと辛かった
SM女王様だと思っていざやってみたらボンテージ着ただけのノーマル女だったみたいな感じ
あわよくばタイムリープしたいな〜
さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説の秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。
例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。
同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校のプールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写は彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。
溺れて必死で主人公にしがみつき、ビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通の女の子」であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインがうつむき押し黙るといった、つまり「普通の女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。
多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会う前後で主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である。
最後に見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロインの毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロインの毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。
念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線をクライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。
「ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公とヒロインの恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効に機能する。
さて、関係構築とは主人公とヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為に類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為が類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。
遭遇の類型として「秘密の漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。
「秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合、プライバシーと同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密の吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去のトラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意にコントロールできるという点で優れている。
こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去の吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日と髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公がヒロインに友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロインが主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロインが主人公の評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公がヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。
余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効に機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力者である主人公が必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこからの作戦の演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。
秘密の漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入や共感を誘う要素と言っていいだろう。
素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由づけが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。
これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係が破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公がヒロインにコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。
相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロインの名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。
なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。
一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。
一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロインが主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。
こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかしヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。
例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロインが主人公に仕事を依頼し、主人公は成功し続け、それをもってヒロインが主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロインが主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロインが主人公に失望することは一度としてなく、最後にヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討の範囲外である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。
『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否は効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公がヒロインからのスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。
この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分の利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。
単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。
相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解と共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意の薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。
窮地に陥ったヒロインを主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。
例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれたヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公に好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐なものであった。
他方で『俺の彼女と幼なじみが修羅場過ぎる』におけるチンピラに侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロインを主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。
その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為が主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。
その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意はほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。
『禁書』では記憶を喪失し、『AURA』では中二病を世間に露出し、『俺妹』では自分は変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分の過去(未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲は主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。
『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。
シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリング)から成り立っていますが、シナリオからの分析局面では、プロットそのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリングが重要だということになります。
ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである。映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。
様々な作家による小説、ラノベの創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界と主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。
正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスをゼロにする」ものでしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロでしかないからではないのか。
一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロをプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである。
ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。
であるならばそれは、システマチックに再利用可能な一定の演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。
仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体の品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である。
金子が映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディが不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価の底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。
「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。
本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的に存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話とキャラ萌え特化の現代ラノベに普遍的に存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。
と大塚と新城をDisった上で、つまりある特定の様式における「テンプレート」の抽出が必要なのであり、本稿ではボーイミーツガールの様式をもつラノベに限定することとした。
ボーイミーツガールの定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒやゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公とヒロインの出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。
まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョンが主人公であり、涼宮ハルヒはヒロインである。加えて主人公とヒロインの性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公もヒロインも女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公は女性でヒロインは男性である。表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。
次に、では「非日常」とは何か。
例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公はヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公はヒロインと出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。
そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロインを意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公が意識している相手」と定義する。
以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベをボーイミーツガールと考える。
なお、本稿におけるボーイミーツガールは排他的なものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である。
これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から、映像化された作品を中心に絞り込むこととした。
シリーズ化している場合、本稿での調査は原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。
以上からWikipediaのアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。
長くなったが、以下やっと本題に入る。
本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的な判断によってまとめたものである。学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものでしかない点は注意されたい。
「主人公がヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公のヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味でヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公の見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。
さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。
問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である。
突然同じ部活に所属することになったヒロインが毒舌家であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロインが天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインがサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロインが魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。
筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である。
「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存の陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロインが挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものとしか認識されないリスクを内包する、という点である。
既存の陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出の類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。
クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能である。ヒロインの奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公が美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。
とはいえこれらの例において実質的に主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。
一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分の人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。
偶然からヒロインの秘密を主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。
知ってしまった秘密を主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公とヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密の漏洩はヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロインの人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。
その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である。
例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。
しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型はヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。
例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。
筆者は全く百合趣味が理解できないが、そうであっても「美人が美少女のネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。
『マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインがベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。
以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。
例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインのエロゲ趣味が主人公に漏洩する第一の遭遇(秘密の漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロインが主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。
『化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロインに体重が無い」という「謎の提示」と「秘密の漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインがカッターナイフとホッチキスを主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃的性格のヒロインに特段の目新しさはないが、文房具を凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。
『とらドラ!』の第一の遭遇はヒロインが主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密の漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。
興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。
例えば『俺妹』ではエロゲをヒロインに返した際、その場でヒロインが主人公へ自室でそのゲームをプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロインに夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。
確かにそう思うことはあるんだけどさ、
ループものとして酔歩する男が挙げられてる時に
酔歩はループじゃなくてランダムウォークだろって指摘するの完全にめんどくさい人だよなあと。
時間モノの中でも、
「記憶や精神だけ時間移動」するものを「タイムリープ」として区別する人が意外と多かったり、
(タイムトラベルじゃなくてタイムリープだろ、って指摘されてる場面に2,3度出会ったことがある。
メタルじゃなくてスラッシュだって言われたとき並に納得がいかない)
機械等を使って時間移動を行うものを「タイムトラベル」、偶発的に時間移動するものを「タイムスリップ」って区別する人なんかもいて、
パラレルワールドも含めていろいろめんどくさすぎるし
転機はプリパラが終わった時だったように思う。
生きがいがなくなった。
自分は何のために頑張ってきたのかという疑問が、頭から離れなくなった。
思い返せば、プリパラが楽しかったこと、冬コミに参加したこと、そして冬コミに参加したことだけが走馬灯のように浮かんでは消えゆく。
茫然自失のまま、僕は新年度を迎えた。
下ろしたてのスーツにまだ値札が付いていそうなフレッシャーズが、屈託のない瞳で笑う。
(僕もあんな風に笑えていた……)
当てこすり、だったのだろう。
勤務中に社用PCで辞表を書き、会社の印刷機から出力し、昼食時に上長へ提出した。
ちょうど課員全員でランチを食べている時である。憔悴しきっていたのだ。TPOもマナーもあったものではない。
焼きそばを食べていた上司は箸を置いたが、食事の場で慰留するわけにもいかず、口元に青のりをつけたまま終始唖然としていた。
夕礼後、退職事由を聞かれた時は「夏コミに参加したいから」と答えた。「プリパラが終わったから」より前向きな回答だと思ったのだ。
仕事を、辞めた。
膨大な可処分時間に窒息させられることはなかった。
同人誌の絵を描き、新人賞へ投稿するラノベを書き、アニメをチェックする。
昼は瞬速で後方へ飛び去り、日付が変わる頃に意識がなくなり、ニチアサが始まる時間に目覚める。
変化のない、循環的な時間に飽くことはなかった。社畜時代も、やることは違えど会社と自宅を往復して毎日をすり潰していたのだ。
悔いがないと言えば嘘になる。
しかしもし、プリパラの最終回があった朝にタイムリープしても、僕は仕事を辞していただろう。
仕方のないことだった。
自分が気づかぬうちに頭のブレーカーがいくつも落ち、他にどうすることもできなかった。必然だったのだ。
今はひたすらサブカルに耽溺している。
同人で食べていけるとは思っていない。ラノベもせいぜい一次選考通過が関の山だろう。
しかし不思議と、路頭に迷う自分はイメージされない。『ぼんやりとした不安』もない。
人間を人間たらしめているのは文化である。余剰だ。無駄と言い切っても良い。
僕は今、確かに生きている。それだけで幸福だ。
アメリカが最後に輝いていた、第二次大戦末期がSF調で再現されている。
欧州大陸を占領している敵(宇宙人みたいな奴ら)を殲滅すべく、地球防衛軍みたいな軍隊がイギリスからフランスへ上陸するところから映画は始まる。
地球防衛軍はノルマンディーで敵にあっさりやられるのだが、主人公(トム・クルーズ)はループ能力を獲得して"D-day"前日にタイムリープする。
出撃、全滅の"失敗したD-day"が繰り返され、トムはだんだん敵の弱点に近づいていく。
いきなり仲間が「こうすれば敵やっつけられるよ」と思い出したように言い、その通りトムが頑張ってあっさり敵を殲滅してしまう。
「東部戦線では中・ロ軍が何の抵抗も受けずに進撃しております。我ら西部戦線ともうじき合流するでしょう」
などと言う。ドイツへの当てこすりですか?
そんな妄想ばかりする。1日の8割はこの妄想にとらわれている。
とにかく金。金、金、金だ。
だから、おれの妄想精神は1994年にタイムリープし株に投資する妄想に切り替わる。
まず、microsoft株に50万円投資し1996年の6月に売って114万円になり
1996年の6月にyahoo株に114万投資し2001年1月に売って6億4千万円になり
2001年09月の底値でもういちどyahoo株に6億4千万円投資して2003年5月に売って19億8千万円になり
同月にapple株に19億8千万円投資して2012年9月に売り1592億円くらいになる。
もちろん為替レートや税金や生活費の事があるがそんなことは考えない。なぜならめんどうくさいからだ。金。とにかく金だ。
そして同月bitcoinとガンホー株に投資して、いろいろあって最終的に2013年12月に2兆円くらいを手にし、絶頂の後、もういちど大学に入るみたいな感じになる。
金というのはそれくらいおれを束縛し、発狂させる狂おしい存在だ。だけど最後には必ず大学にいく妄想に切り替わる。ほんとうは勉強しなおしたいのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20140604175240
http://anond.hatelabo.jp/20140605021604
正直野球とか詳しくないので適当だけど.打線の並びは最初の増田に依拠.
筒井康隆がやっつけ仕事で手を染めた学園タイムリープSF芸を完成させた名作.
ファミ通文庫の可愛らしい理系少女萌えイラストからの猛烈なアーサー・C・クラークリスペクトが熱い.ハヤカワ文庫での復刊時の謳い文句に草不可避.
読了後時系列を表に起こしてようやく理解できた.『タイム・リープ』と並ぶ学園タイムリープものの金字塔.
みんな大好き言語SF.感染モノと組み合わせてこんな風に料理するセンス・オブ・ワンダーの凄さ.
まあ,やっぱりこれでしょう.ラノベとしてもSFとしても完成されていて隙がない.
テスタメントの続きが出ていないことが最大の難点.はよ書け.
乳酸菌を取る輩は嫌いなので、白物家電を見る目つきはまこと女体へのそれであり、
白日の下に晒されたおれのプライバシーは、しかし、かつて夢見た発熱とマラリアの
延長線上であることに気づかされた。
発掘は悪であり、正義とは只管に傾けられた情熱でしかない。人は狂った果実を食べることで、
ようやく動物から2層のフィルタを通じた、一時の牙を得られるのだ。
「ははぁ、シャンソン歌手だな?」というせりふには2重の意味がある。
2つはきっと、直行する砂塵で、バンドエイドではとても止められる代物ではない。
畢竟、喪失した青春はめくるめく雨粒の合間を縫って帰るしかないのだ、
ところが、繰り返された日々の間に間に、それは成長と肥大を繰り返しては
アンチ・ミステリを嘲笑する大痣から鏡越しに監視される条件を持っている。
左の喧騒は、創造の域を出ない右脳から直結するし、左脳にいたる3つのバイパスは、
そのいずれもが生まれてまもなく、破壊される。
なぜか。反逆だからだ。分別の無い、獣だからだ。風を読むのはたやすいが、
それを応用するのは人間の仕業だ。技術は無い。技術とは業だからだ。
さて、業とは何か、恋に怯える皮膜が電線を伝ってコンセントからにじみ出る様を、
人は業と呼んだ。昔の話だ。
今は違う。天球が恋だ。恋そのものだ。だから自転するし、軸もある。
人に軸は無いから、根源にもいたれない。想像することで補完する世界もあるが、
気狂いの激しい21世紀ではそれもまた、難しい部類に入る。
弱みを見せてはいけない。「普通」が一番変拍子をないがしろにするからだ。
沸点はあるか?興味を持ってもいけない。表層が煮えていても、その実、芯は
構造を何ひとつ見せていないではないか。心をあけっぴろにすればするほど、
それは堅牢さを保ち続ける。
はてなブログでの揉め事などを見て、「繰り返している」と感じる古参がいる。
繰り返すというのは素晴らしいこと。
そもそも人類の歴史というのは、同じ所をぐるぐると回りながら、一周するごとに1ミリずつ積み上げていく知恵の蓄積であったはずだ。
ほむらは何度でも同じことを繰り返し繰り返し、前回とは少しだけ違う結末へ辿り着いてはまた繰り返して前へ進もうとした。
2年4ヶ月前、はてなが開始した新サービスは、タイムリープであった。
終焉を迎えつつあったはてなのブログ文化であったが、気が付いたらそこには既視感のある光景が広がっていた。
どこかで見たような、それでいて何かが少し違う風景。
繰り返しの引き金を引いたはてな以外でも、前回の記憶を残している人がいる。
お前の周囲ではタイムリープできる奴の方が多数派なのか。
物凄く遅ればせながらアニメ版Steins;Gateを見た。
普段アニメは全く見ないけど、映画が公開されるPRの一貫で、某動画サイトで放送されているのを見てみた。前から名前は良く聞くアニメだったし暇だったからね。
まさかあれほどワクワクと、ハラハラと、昔僕にもあった淡い恋心を思い出させられるとは思いもしなかった。
間違いなくこのアニメは僕の中で何かを変えた。何が変わったのかはわからないけど、言葉では言い表せない感情が残ってる。
ただ、1つだけわからないことがある。
それは、主人公である岡部倫太郎(以下オカリン)の幼馴染である、椎名まゆり(以下まゆしぃ)が、未来ガジェット研究所の作ったタイムリープマシンの事件に巻き込まれて死んでしまう場面。
オカリンは大切な、それはそれは本当に大切なまゆしぃの死を回避するために、何度もタイムリープマシンを使って過去に遡り、まゆしぃを救うことに命をかけるわけだが、そこで気になったことは牧瀬紅莉栖(以下クリス)の存在。
ストーリーが進むにつれて、解決策が見えてきた結果、クリスかまゆしぃ、どちらかしか生きられないという選択を迫られる。
そしてオカリンは、「悪いがお前は助けてやれない」と、クリスに言う。
クリスとオカリンは言わば両想いな仲である。でもただの両想いではなく、今までに体験したことのないことを常に2人で解決し、普通の恋人という感覚をはるかに超越した存在になっていると思う。しかも2人は「大人の経験」をしたことがないのも作中で判明してるし、本当の意味での大切な存在。
2人にとって、これほどまでにないくらい好きになった相手。
でもオカリンはまゆしぃが生きる世界線を選ぶ。クリスもこれを受け入れる。これだけが全く僕にはわからなかった。
なぜその場にいるクリスを選ばずに、死んだまゆしぃを選んだのか。
恐らくほとんど初めて本気で好きになった相手を目の前にして、幼馴染の生を選んだのか。
この「大切さ」がわからない。
全部見たが、自分の中でそれが解決されることはなかった。
恋人と幼馴染どっちか、とかそういう話ではなくて、わざわざ過去を変えて、恋人を犠牲にしてまで生きて欲しいと願い、自分自信命をかけてまで守りたいと思う人の存在とはどういうものなのか。
それがわからなかった。例えその世界線が、本来生きていた世界線(クリスが最初に死ぬはずだった)だったとしても。
みなさんはどう思いますか?
Steins;Gate素晴らしい。先週は映画も見に行ってしまった。泣いた。あとクリスがかわいい。
最初にお断りしておくが、これは冗長な自分語りである。あまり面白くないと思う。
共通の知人の結婚式で、前に付き合っていた女性に会った。もう数年前のことだ。
私たちは大学の同期生で、お互いが初めて付き合う相手だった。二十歳から付き合い始め、20代の大部分を二人で過ごした。同棲していた期間も長かった。20代の終わり、彼女が突然別れを切り出し、部屋を出て行った。会うのはそれ以来だった。
彼女は美人ではない。ファッションに力を注ぐタイプでもない。しかし彼女は、なんというか、非常に素敵になっていたのだ。その時だって別に美人ではなかったが、彼女を綺麗だという人がいても私は全く驚かない。付き合っているときはあんなにもっさりしていたのに。
私にはその時点で、特定の恋人がいなかった。それで思ったのだ。彼女とは趣味が合うことも分かっているし、一度は別れたが共に積み重ねた10年からの歴史があるわけで、もう一回付き合ってみてもいいんじゃないか、と。もしも彼女に彼氏がいたとしても、そいつには私の何分の一かの歴史しかない。しかも私は転職に大成功を収め、今や彼女と付き合っていた頃の3倍の収入を得ている。勝ち目はある筈だ。
友人に頼んだ根回しも功を奏して、パーティーが終わった後に彼女と二人で話す機会を得た。近くのカフェで、向かい合って座る。私は柄にもなく緊張していた。
とりあえず、付き合っている男はいるのか聞いてみる。答えはイエス。まあ、いい。何とかしてみようではないか。
ここはひとつ端的に切り込んでみようと考え、私はストレートに言った。今日、久しぶりに見たら綺麗になっていて驚いたよ。付き合ってた頃と別人みたいじゃん。こんな○○ちゃんだったら、俺もう1回付き合ってもいいなと思っちゃって。
彼女は薄く笑みを浮かべたまま、きっぱりと答えた。
「やめたほうがいいよ」
考えるだにどうかしているとしか思えないが、この時の私はやけにイケイケな気分で、彼女の言葉に「そんな遠慮することないよ、自信持ちなよ」などと思って浮かれていた。そこに彼女から放り込まれたのが、こんな言葉だった。
浮かれた心が一瞬で冷え切った。ええ、今何て言った?耳を疑う。
「どういうこと」
私は顔が引きつるのをこらえながら彼女に尋ねた。
「あなたは私に何をしたのか、覚えていないの」
彼女の声が冷たくなる。パーティーで友人たちと笑っていた時とは別人のように。
「俺、何した?」
最悪な返答だが仕方がない。これしか言葉が思い浮かばなかった。彼女は言う。聞きたいの?忘れているならそのほうがいいんじゃないの?
いや、聞きたい。私は食い下がる。長くなるよ、と彼女が言う。別にいいよ、と私は答える。それなら、と彼女が話し出した。
あなたが私にしたのは、「あんたには性的な価値がない」と徹底的に叩き込むこと。自分みたいな度量のある寛容な男がいたから恋愛をできているけど、本当は市場価値なんかない、むしろマイナスだということ。
付き合っている間中、あなたにブスといわれデブといわれ、友達の彼女と比べられて、「俺にも男のプライドがあるから」っていう理由で友達がカップルで集まる場に連れて行くのを拒否されて、あなたの友達が私のいる前で「(こんなブスと付き合えるなんて)お前凄いわ」ってあなたに言っても、あなたはひとつも怒らず「まあいいとこもあるんだよ、家事出来るし」って言ってへらへらして、友達が帰ったらその日はずっと私に冷たく当たったよね。
二人で働いてたのに家事は全部私がやってたし、ご飯も、あなたは放っておくと牛丼とコンビニばかりで、そのくせそれだとすぐに具合を悪くするから、食費はほとんど私が出していた。あなたは服や本やレコードを大量に買ってくるけど収納は絶対に買わなかった。収納も私が買った。
とにかくくたくただった。仕事がないときは家事、家事が終わって茶の間に戻ると、あなたが自分の好きな音楽や映画をかけていて、全然楽しくなかった。くたくたに疲れてるときに、プログレだのレディオヘッドだのフランス映画だの。私がたまに好きな音楽をかけると黙ってボリュームを下げたでしょう。私はボリュームなんていじってなかった。あなたと同じ音量のままだった。
お金も時間もなくて、元気もなくて、いつもけなされて、綺麗になんかなれる筈がないと思う。
俺は交際相手でありながら、彼女を女性として価値の低い人間だと思っていた。それでも彼女の賢さや仕事の能力は掛け値なしに評価していたし、ブスだのというのも照れ隠しのつもりだったし、彼女のことを愛しているつもりでいた。
しかし、何だかそれもよく分からなくなっていた。自分がこんなに酷い男だったとは、それを彼女がこんなに恨んでいたとは。
「うん、付き合ってたときは、俺が悪かったと思う。でも俺も変わったし…」
「あなたと付き合うことは、二度とないよ」
とぴしゃりと言った。私は思わず舌打ちしそうになり、何とか抑える。そして、また黙る。長い沈黙。彼女に目をやると、顔色ひとつ変えず淡々とコーヒーを飲んでいる。無性に怒りが湧きあがる。
「あのさ」
私は言う。言うが、言葉が続かない。むかむかして黙っていられなかっただけで、言いたいことなど特にはなかった。
彼女は言う。
私、もうあなたの不機嫌は怖くないよ。あなたのこと好きじゃないから。
付き合ってた頃は不機嫌になられるのが嫌で、何でも言うことを聞いていたけど、もう違うから。
彼女は、付き合っていた頃は見たことがないような毅然とした表情だった。綺麗だった。
「今の彼氏は、いい男なの」
私は力なく、聞きたくもない質問をする。
彼女は短く「うん」とだけ答える。
どんな奴なの、幸せなの。いろいろな言葉が口を突いて出そうになったが、聞いても仕方がない。そいつがいい奴で、彼女を幸せにしているのは一目瞭然だったから。
ごめんなさい、最初にあなたが「もう1回付き合わないか」って言った時、「私、結婚するから」って言えば済む話だったのに。何だか自分でもコントロールが利かなくて、長々と酷いことを言って。
彼女は悲しそうな顔をしていたが、その顔はとても優しく穏やかだった。そんな表情を初めて見た。
本当に、本当にごめんなさい。酷い後出しで、今更こんなことを言って。
私、あなたが好きだったの。でも、一緒にいるときは卑屈になるばかりで、勝手に疲れて自爆しちゃった。
次に付き合う人には、うんと優しくしてあげてね
彼女はそう言ってにっこりと笑った。私は泣きそうになっていた。私はこの人を何年もかけてぼろぼろにし、それを見知らぬ男がものの数年で完璧に近く治癒して、彼女は美しくなり、変わらず聡明であり、私はそんな彼女と、恐らくもう会うことすらないのだ。
便所に行き席に戻ると、彼女はもういなかった。テーブルからは伝票がなくなっていた。
先日、新宿で久しぶりに彼女を見かけた。結婚相手らしき男と一緒だった。
彼女から話を聞いて、最低の男である私は「そういう優しい男は大抵が醜男だし、心根が良くても話がつまらなかったり、お人よしで金に縁がなかったりするに決まっている」と勝手に思い込んでいた。ところが、彼女の伴侶は私など比べ物にならないほどの長身のイケメンで、二人で笑いながら話している様子を見るにつまらぬ男にも貧乏な男にも見えなかった。彼女はあの時よりももっと綺麗になっていた。男は顔をくしゃくしゃにして彼女に笑いかけていた。二人は新婚のように睦まじく、目を引くくらい幸せそうだった。
私はといえば、コーヒーを飲みながら妻の買い物が終わるのを待っていた。妻は彼女よりも美人で、彼女ほど賢くはなく、たまに長話に退屈はするが、結婚生活は概ね幸せである。
私は家事をし、妻の美しさや料理の美味さを毎日褒め、妻の好きなミスチルを好きになろうと聞き込んだりするようになった(それで実際好きになった)。私は妻が笑うと嬉しい。私は妻を愛している。
結婚式の後で彼女と話したカフェを出た後から2ヶ月くらい、私は自分の最低さに打ちのめされ、体重が減るほど落ち込んだ。彼女を逆恨みして死ねばいいのにあのクソ女と思ったり、そんな自分が醜すぎて吐いたりしていた。あんな話を聞いたこと、彼女と話す気になったことをくよくよと悔やみ、あの日の前日にタイムリープしたいと真剣に願った。
けれど、あの時、あの話を聞いてどん底に堕ちなければ、私は彼女をずたずたに傷つけた最低の心を直視して、反省して、直そうなどとは一生思わなかったろう。女性に対して「あなたは価値が低い」と言い、気に食わないことがあれば不機嫌な顔をして、それで支配できなければ「一緒にいても退屈なんだよね」等と言って別れていただろう。実際、彼女の次に付き合った女性とはそうして駄目になった。
今、彼女に対しては深い深い感謝しかない。彼女には、旦那に愛されて私のことなどすっかり忘れていることを願う。
下らない話ももう終わりにする。読んでいて私に腹の立った人もいるだろう。不愉快な思いをさせて申し訳ない。読んでくださったことに感謝します。
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これ誰が注目してるんだ?これほとんどテレビからの話ばっかりだよな?
ホントにこんなもんが注目に値するのか?誰の趣味だ?