はてなキーワード: 学校へ行こう!とは
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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90年代はいろんな事件はあったけど(ていうかどの時代にもあったと思うけど)
暗いドラマが多かったのは90年代前半に恋愛脳全開のトレンディドラマが流行った反動
っていうか半分くらい野島伸司のせいだし、
その頃でも踊る大捜査線とかショムニとかお仕事系ドラマが流行りまくってたよ。
学校へ行こう!とかASAYANとか子供が主役の番組も多かったし、
ウリナリのポケットビスケッツ100万人署名運動とかもあったし
筋肉番付みたいにバラエティ番組でも金がかかったのが多かったから見応えがあった。
バーチャファイターが上手いやつは鉄人と呼ばれてテレビに出てた。
ポケモン赤青が発売されてみんな線をつないで交換してた。
ポケベルから携帯電話に移行して毎月のように端末が小型化されていって
1999年にiモードが始まってみんなメール使うようになったけど写メールはまだなかった
そんな時代。
楽しそうだったので2020年6月20日の上記有料配信を購入して視聴した。
実際楽しかった。
というわけで、素人目に(?)印象に残ったところの感想を思いつくままに、多少の偏りはあるかもしれないが書いてみる。あらかじめ書いておくと、YouTubeのジャニーズJr.チャンネルだと一番見てるのはHiHi Jetsなので多分そっちに偏ってる。
ファンクラブ会員でなくても税込3000円で1週間アーカイブを視聴可能なので、興味を持たれたかたは購入を検討してはいかがだろうか。
(購入した理由はもう1つある。私はCOVID-19医療に最前線で関わってはいない医療従事者なので、このライブの目的を知り、同業者の支援につながるならば……という考えがあった。
このような自分語りを唐突に挟むので、邪魔なかたはカッコ内を読み飛ばしてください。)
(「学校へ行こう!」を見てた世代なので、原曲のV6には親しみがある。長野博さんの顔がタイプ。)
(宝塚歌劇団を不定期に観劇する人間なので、佐藤龍我くんの脚の長さは宙組男役っぽいなとかうっかり考えてしまいがち。)
(HiHi Jetsと美少年は例年出演していた夏のイベントがCOVID-19の影響で中止になったとのことで、猪狩くんはそれをくんで「おいでよ」を「心の」に変えて歌ったのだろう。
実は現在私が追っている他界隈で7月に開催するはずだったライブも中止になった。
「"心の"SUMMER STATION」を聞いたとき、封じ込めていた悔しい気持ちが蘇って、同時に昇華された気がした。一視聴者の事情なんて知る由もないだろうけど、ありがとう。)
(どこが好きかはうまく表現できないけど、日テレ土曜21時ドラマの主題歌になりそうな曲調か。前述の他界隈で好きな楽曲にもある。あまり関係ないけど『ねぇ もっと』を何故かKinKi Kidsの持ち歌だと思っていた。)
『Vanilla』(A.B.C-Z)で随所に入るハープの音が良きかな。思い返せば『青いイナズマ』のサビ前ハープも好きだった。
ジャポニカ学習帳のcm大人になってから見ねえなと思ってたけど、ジャポニカ学習帳のcm流すような番組を私が見なくなったからだと気づいて切ない。
私はもうジャポニカ学習帳のターゲット層ではないんだ………………毎朝お母さんに起こしてもらって、眠い目こすりながら学校行って、クラスで「昨日の学校へ行こう!見た?」と雑談したり、たった10分の休み時間に校庭へ駆け出してドッジボールをして、家に帰ったらお母さんが作ったプリンを食べて、将来役に立つのかもわからない宿題をキモい虫の表紙のジャポニカ学習帳に書き写して、宿題が終わる頃には夜ご飯のいい匂いが部屋までしてくるあの頃はもう戻ってこないんだ…………
さあ帰れ帰れ。
これは准担だった自分の記録です。
最初に言っておきたい。
彼にとっては私など何でもない1人だけれど
もちろん博を大好きな准くんが幸せそうなのも全部全部嬉しかった。
ジャニーズであろうと一人の人間であり、自担には幸せでいてほしいと思っている。
それに准くんはずっと「男として家庭を持ちたい」と言っていた。
子供だってとっても大好きだし、准くんの子供は絶対かっこいいし可愛い。
結婚はするだろうなと思っていました。
知ってるんですよ。
いつも遠くに目標を見据えている。
めっちゃくちゃ鍛えてる肉体だって決して見せびらかすために脱いだりはしない。
チャンスが回ってきた時のために黙々と準備をできる人だ。
そしてあまりに遠くを見つめて手元が見えなくなることがある。
あほで、正直。
めちゃくちゃに躍り続け走り回りアクロバットを決めるコンサートに圧倒された。
もうそれはそれはめちゃくちゃ笑った。
一気に虜になった。
ステージの上に立ちながらもクールで自由な岡田くんに引かれた。
数々のインタビューでは「人一番努力しなければいけない」と語る志の高さに尊敬の念を抱いた。
中学生の私にはキラキラした世界にもいながらも日陰を歩こうとする姿に、こんな人がいるのかと衝撃をうけた。
准くんのように努力を積み重ねて生きられたらどんな夢も叶う気がした。
「アイドルを辞めようと思っていた。」と。何度も。
知ってたけど。
少なからず傷ついたけれど、逆にもう辞めることはないんだなと思った。
V6は十周年を迎えていた。
何ヵ月もどの雑誌を読んでも「俳優を~」「お芝居が~」と語り、メンバーのメの字も出てこない。
これが不思議なものでね、何十冊とリアルタイムで雑誌を読んでるとね、
どれが本音でどれが建前で話しているのか手に取るようにわかっちゃうんですよね。
たまに出てきたメンバーの話や数文字の感謝の言葉にも飛び付いて一喜一憂し
外での活動をグループに還元しグループ自体のファンの母数が増え、また個々に仕事が増えるというのが理想だ。
ジャニーズだからV6だから貰えた俳優の仕事だなんて誰にも言われたくない空気を態度で晒した。
グループに還元しようと思っているんだなと思える瞬間は私には感じられなかった。
全ての俳優の仕事で俳優岡田准一として結果を残したいという意地であり
まあ、なんというかワガママみたいだった。
あのころ他担のファンには申し訳ないねと話していた岡田担は多かった。
それでも好きだった。
芸能人でアイドルなのに眼差しは鋭く、それはそれは美しかった。
めちゃくちゃ近くでファンサを貰っても遠くにいるような不思議な人だった。
彼は挑戦者だった。
ジャニーズという立場にありながら俳優として認められたいという挑戦の途中にいた。
新しいことを挑戦する時は風当たりが強いものだし。
彼が俳優岡田准一として認められるのには時間がかかるだろうけれど
一緒に挑戦の気持ちで寄り添いたいと思った。
「岡田のファンが何回も行ったから数字が取れた」って言われたくないから
少なくとも私はセリフ覚えるくらい見ても黙ってた。
准くんは感じることもなかっただろうけどね。
准くんの「お芝居が…俳優が…」モードが続いて疲れてしまった時、思ったことがある。
准くんは決してそんなことはしなかった。
たぶん、きっと、できなかった。
彼は正直で不器用。
V6で隅っこで下むいて口下手で、急に振られたら気の利いたことも言えず
本当に正直なV6岡田准一で、岡田准一自身であるんだなと思った。
ハッキリ言って甘えん坊だ。
そして恐らく彼が甘えることを許された唯一の場所だった。
ただ黙って見守ってくれるお兄さん達がいた。
最高のメンバーやねん。
ずっと准くんは准くんだった。
そこに私の好きになった岡田准一は既にいなかったのかもしれない。
でもその准くんもその准くんで好きだった。
自分がどれだけ愛されてるか今も知らないんじゃないかと私は思う。
「20年頑張ったからもう大丈夫でしょ。ジャニーズ若い子たちいっぱいおるからね。」
みたいに本気で思ってそうやし、アイドル岡田准一の代わりはおるって恐らく思っている。
言っとくけど、おらんで。
自分も博みたいに祝って貰えるって思ったんやろうか。
准くん、あほやな。
知ってたけどな。
「これからも感謝の気持ちを忘れずに一緒に歩んでいきましょう。」
という諭すような健くんの言葉がなんというか全部わかってて。
本当に涙がでるね。
愛や恋が育てる芸もあると思う。
芸の糧になるならばとスルーできたけれど。
ファンがこれから何度も何度もクリスマスのたびに思い出すこの感情を
もし子供が産まれても何の罪もないのに人生ハードモードすぎるし。
ここまでの数行すべて私の倫理観では正直処理できないし
正直バレてもいいやと思ってるとしか思えない撮られ方や
ここ数年の振る舞いがプロじゃなくてとても嫌だった。
数年先、彼らが「色々あったけど幸せです」なんて言われた時
ここ数年間の上記の噂の数々がどこまで真実か考えるのも疲れてしまった。
赤い封筒が届いて、ずっと昔から下手くそな見慣れた“岡田准一”の筆跡を見た時
ギラギラとする岡田准一をただ純粋に好きだった頃に戻りたいと思った。
今みたいに携帯にたくさんの音楽や画像を入れられる時代じゃなかったから
画素の低いカメラで撮った一番かっこいい画像を厳選して待受にしてた。
自分でHTMLを打ってホームページを作った。素材は自分で作った。
画像数枚読み込むのに数分かかる時代だから動画サイトなんてもちろんないし、
CM起用された日にはチラシが配布される場所を把握するだけでも必死だった。
本当に大好きじゃないとオタクなんてやってられない時代だった。
だけど全部楽しかった。
それが生活だった。
わかるかな?
戻りたいと思った瞬間から、
あの頃以上に声援を送れる自分はいないんだと気付いてしまった。
だから思った。
准くんのいう“変わらないご声援”は私には無理だ。
今は気軽に気になるジャニの数年分の映像なんかYoutubeでいくらでも漁れるし
発売前の雑誌の写り具合すらもチェックできる。
そんな時代からファンになった子たちはわからないだろうなと思う。
そういうことじゃないねん。
わかんへんやろ。
わかってたまるかよ。
他のGが好きなジャニオタの友達と3誌手分けして買って交換したり
V6の振り付け他Gのジャニオタ5人に覚えてもらってV6ごっこしたり
学校へ行こう!の取材がきたらどうするか妄想してふざけ合ったり
楽しかったなぁ。
きっとこれからも一番好きなドラマは木更津キャッツアイだろうし
夏の終わりにはFDFを見るんだろうけど
こんな気持ちでカウコンが祝福ムードとかたぶん耐えられなくて消すだろうし
もう一度言うけど“変わらないご声援”は私には無理だと思った。
でもね、
ジャニオタを、V担を、カミ担ね、降りられるわけない。
(V6の売上は落としたりしないよ。まかせて。)
自担じゃないって思ったら
カウコンも今後も全部楽しむことができる。
と思う。
大好きだったから
さよなら准くん。
またひとつ夢叶ってよかったね。
長々と書いてしまったけど、
今までの月日に比べたらたった数行だよね。
前提として、私は元々アニメ・マンガ・ゲームが大好きな所謂二次元のオタ。
そんな私が一番ジャニーズの音楽を聴いてたのは小学校中学年〜中学1年生あたりで、ちょうどジャニーズがドラマの主演・主題歌に抜擢されることが多かった時期。あと「学校へ行こう!」とかも見てた。
その頃は見ていないと次の日学校で話題についていけないタイプの番組のような認識もあって、もちろん楽しんで見ていたけどファンになるほどの熱意はなかったような感じがします。
そのまま中学に上がって、二次元に目覚めてしまったので芸能人に対する興味は右肩下がり。
頻度は減ったもののテレビは見てました。でも、友人とはテレビの話題はめったにしてませんでした。
というのも、中学に入ってから周囲にジャニオタの子が増えたんです。テレビの話題はそういう子達のグループがしてた記憶。
その子達の熱意はほんとにすごくて、もう別世界みたいで、ジャニーズってすごいんだな!とただただびっくりしてました。
そういう趣味は完全に自分とは別世界という認識のまま大学生になったある日、昔見ていた「学校へ行こう!」が久しぶりに帰ってくるというのを知りました
懐かしいなあ〜と思って見始めたんですけど、小学生の頃の記憶なので案外覚えていないことが多い上に見た期間もわりと短くて、かなり新鮮な気持ちでした。
で、「V6ってこんなに面白いグループだったんだ」と思って、そこで少し気になり始めました。
それまではV6といえば、「学校へ行こう!」の修学旅行とかブルーベリー狩りのトレス動画をよく見るなあくらいの認識でした。
それ以降、そういえば・・・と思う事が重なってきたんです。
当時観てた「喰いタン」「ランチの女王」にも出てて、「清盛」でかなり癖のある平時忠役やってたの森田くんだった。
アメトークのボーイスカウト芸人、芸人じゃないのに出てるの長野くんだった。
ディズニーで一番大好きなターザン主題歌の日本語バージョン歌ってるの坂本くんだった。
大好きだった「犬夜叉」も「ごくせん」も、第1シリーズの主題歌歌ってるのV6だった。
学校へ行こう!の記憶が強かったけど、実は個々での活動をよく見ていたし、曲だってけっこう小さい頃から馴染みがあったことに気づいたんです。
個人的にはターザンとFeel your bleezeのことを思い出した時の衝撃?が特に大きくて、俄然気になりだしました。
とりあえずCDだ、と思ってSUPER Very bestを買って聴いてみたらもう全部好きでびっくりして、その勢いでグループについても調べたら私が生まれた年にデビューしていて二度びっくり。
なのにバラエティともなるとあんなに面白いなんて、こんな魅力的な人達が存在していたのかと。
坂本くんの色っぽく伸びやかでどんな曲でもハマる全てを兼ね揃えた歌声、
長野くんのしっとりと優しくて穏やかな気持ちにさせてくれる歌声、
森田くんの心地よく、キャラメルボイスと名付けた人は天才か!と思うような歌声、
三宅くんの一度聴いたら忘れられない、かわいい中に色気もある耳に残る歌声、
岡田くんのホッとするような、まっすぐな癒しと爽やかさに溢れる歌声。
更にトニセンならカッコイイ大人の代名詞か!と思わせてくれる色気と爽やかさの中に積み重ねてきた色々なものを感じさせる曲になるし、
カミセンなら特徴的な3人の声質が抜群に効いたカカオ70%前後っぽいスイートビターなアイドル全開の曲になるし、
それだけじゃなくどのコンビで組んでも本当に素敵な曲になるのがすごい。これ以上言葉がもう出てこない。
ちょこちょこと他のCDやDVDも揃えつつ、TVや雑誌のスケジュールもチェックして見て。FCは社会人になったら入りたい。
デビューして20年以上、同じメンバーでこれだけ高いクオリティの歌とダンスを続けているのってすごいことなんだ!と思います。
ダンスとか疎いけど、V6のダンスハチャメチャにかっこいい。何回でも見れる。
もっと早くに生まれたかったとは言わないけど、もっと早くにこの魅力に気付けていれば・・・とかつて三次元に見向きもしなかった自分に後悔したり。
大きな趣味だった二次元オタク活動でしんどいことがあったり、将来のことでいろいろ悩んでいる時期にはまったのも大きかったかも。
まだしっかり聴いていない曲もある身で言うのもあれなんですが、V6の曲って、世界とか愛とか壮大なことよりもっと身近な未来のこととか、そんな中での夢とか希望、明日も頑張ってみようよ、と思わせるような楽曲が多いような気がするんです。
それを聴いていると本当に勇気が湧いてくるし、「あ〜〜〜生きよう!!!」ってなります。助けられてます。
ROCK YOUR SOUL聴いてイライラをぶっ飛ばしたり、
by your sideを聴いて脳内で乙女ゲー原作アニメのOP映像みたいなのを想像したり(乙女ゲーマーの業かもしれない)、
まだまだファンになりたてなので、ファンの方の親切なブログを読んだりして色々教えてもらいながら、V6を応援していきたいなと思う今日この頃でした。
6/23 神戸みゆき モドリッチ ケータイ大喜利エンタの神様 Candy boy ハリソン・フォード テレパシー少女 蘭
6/24 ロッベン ブリタニア バーレーン ゲゲゲの鬼太郎 ヒディンク ファンバステン 炎神戦隊ゴーオンジャー
6/25 ホワイトプラン カシージャス 伊豆の踊子 イニエスタ ブッフォン The Who ヤッターマン
6/25 岐阜市 タイムショック クラブニンテンドー ハーモニーホール座間HP 2133 Mini-Note PC IIDX 東京厚生年金会館
6/26 グッドウィル・グループ ヤッターワン WHITE ALBUM 爆笑レッドカーペット B-CAS アクアプラス ゼノギアス
6/28 ロックマン アラゴネス アジア最終予選 イニエスタ ビルゲイツ 電撃大王 コーエー
6/30 テレパシー少女 蘭 ターミネーター うまい棒 ハチワンダイバー めちゃイケ しゅごキャラ! RONDO ROBE
7/1 コードギアス 反逆のルルーシュ アナコンダ ゲゲゲの鬼太郎 笑点 コードギアス 反逆のルルーシュR2 仮面ライダーキバ ハロモニ@
7/1 鳴子ハナハル大祓 プジョル 無敵艦隊 アラゴネス ヤッターマン 戸田恵梨香
7/2 阿久悠 米倉涼子 デジタル一眼レフ ピンクレディー 映画の日 真矢みき モンスターペアレント
7/5 スティーヴ・ライヒ 猫の恩返し 気象庁 加護亜依 チラリズム 屍鬼 小林涼子
7/7 炎神戦隊ゴーオンジャー 星野真里 赤いスイートピー 笑点 コードギアス 反逆のルルーシュ コードギアス 反逆のルルーシュR2 ハロモニ@
7/8 週刊少年ジャンプ 新暦 小暑 ブラックベリー クロノ・トリガー ミスマガジン ゼロの使い魔三美姫の輪舞
7/9 加藤紘一 ぷっすま 携帯小説 東山魁夷 モエヤン 伊坂幸太郎 アイフォーン
7/10 プロピア サンダーフォース 山田優 爆笑レッドカーペット 週刊少年サンデー Second Life ほおずき市
7/12 釣りキチ三平 宇和島 タミフル 孫社長 ASUS ジブリ エゴラッピン
7/13 エンタの神様 ハチワンダイバー テレパシー少女 蘭 クロッキー イタズラなKiss めちゃイケ 夏帆
7/14 ジークフリート 安美錦 コードギアス 反逆のルルーシュR2 仮面ライダーキバ うさちゃんピース 朝青龍 道重さゆみ
7/16 ファイナルファンタジーXIII 山本昌 Final Fantasy XIII FF13 プッチモニ ココナッツ娘。 バイオハザード
7/17 小女子 東名高速 ねこねこソフト 髭男爵 爆笑レッドカーペット 週刊少年サンデー Centrino
7/18 野茂英雄 田中将大 Tab Mix Plus 岩瀬仁紀 矢野輝弘 中島裕之 和田毅
7/19 パシフィックヘブン仙石みなみ となりのトトロ 粉飾決算 吉川友 Hello!Project 糸井重里
7/20 ハチワンダイバー 津波注意報 恋ING ウッチャン タイムリープ 仲里依紗 津波
7/21 炎神戦隊ゴーオンジャー 天璋院 コードギアス 反逆のルルーシュ コードギアス 反逆のルルーシュR2 国際花火大会 デンライナー アナログフィッシュ
7/22 学校へ行こう! モヤモヤさまぁ??ず Gatas 北乃きい 知床 隠の王 ゼロの使い魔??三美姫の輪舞??
7/24 震度6強 宮藤官九郎 gooラボスクールランブル 震度6 クドカン 錦戸亮
おおよそ一ヶ月間、はてなTOPの注目のキーワードをコピペしてみた。
これ誰が注目してるんだ?これほとんどテレビからの話ばっかりだよな?
ホントにこんなもんが注目に値するのか?誰の趣味だ?
12月4日に開催されたひらコンレセプションパーティーでのおちまさと氏の発言。
ひらコンことひらめきアイデアコンテストは、ダイヤモンド経営者倶楽部が主催する、学生を対象に日々ひらめいたアイデアを募集するコンテスト。
応募総数12000、会員登録者数700、パーティー参加者300名超。
最優秀賞には10万円が送られた。
詳細はhttp://hirameki-i.jp/を参照。
おちまさと氏は、飄々とした人物という印象。
会場が温まっていないこともあったけれど、それ以上に彼自身特に話すことも考えてきていないようだった。
でも、調子が出始めてからは面白い視点も多々あったので、自分が気になった点のみ抜き出して備忘録とし、共有する。
・アイデアは、記憶と記憶の結合。だから、「どうやって記憶をプールするか」が重要。
また、記憶がありきたりなものばかりだと、人と同じアイデアになってしまう。
・記憶をありきたりなものにしないためには、人とは違う視点を持つこと。
例えばおち氏は子供の頃、友人の誕生日パーティーで、ロウソクを吹き消す子ではなく、それを変な顔で見つめる別の友達を見て面白いと思っていた。
しかし、同じ場に居た別の人たちはこれに気づいていなかった。
ほかにも先日渋谷のカフェで、109で働いている(ように見える)奇抜な格好の女の子がずっと貯金通帳を見つめていたのをおち氏は面白がっていた。
これも一緒に居たスタッフは気づいていなかった。
・おち氏も、デビューは「ビートたけしの元気が出るテレビ」での企画コンテストから。
・テレビ番組『学校へ行こう!』の1コーナー「未成年の主張」は野島伸司のドラマ『未成年』で最終回に石田一成が学校の屋上で叫んだのを見た記憶が元になっている。
番組開始当時、世は「キレる17歳」が話題で、テレビで学校が映るシーンといえば陰惨な事件ばかりであった。しかし実際は99%の学生はそのような事件の犯人とはまるで違う。
「学校はもっと楽しいものだ」ということを示したく思い、このような企画が始まった。
・企画=立案+実行+結果
立案だけでも、実行しても、それだけではまだ足りない。
・企画には「ポジティブプランニング」と「ネガティブシミュレーション」が重要。
思いつく段階では、「このアイデアすげー面白い」と自分のアイデアを高く評価する。
思いついた後は、発想を180度切り替えて「何故このアイデアはダメなのか」と考え、
とことんマイナスポイントを削っていくことにより、成功に近づくことができる。
・「ありそうなアイデア」ではもちろんダメ。「ありそうでなかった」をいかに作り出すか。
好例は「甘栗むいちゃいました」や「カルピスウォーター」。
「甘栗むいちゃいました」も、それが出るまでは誰も甘栗なんて食べなかった。
「カルピスウォーター」も、昔はカルピス原液に自分で水を入れて飲んでいた。
・見ていて「出所が分からない企画」ほどいい。
何故なら、どんなシチュエーションで思いついたかすぐに分かってしまう企画なんて、誰でも思いつくもの。
ここで「出所が分からない企画」を作るためには、やっぱり人間観察が必要。
自分の周りの変な人に目をつけておいて、その人を見ていること。
みんなと違う記憶をゲットすること。
それによって、使っていない頭が使える。
・人間は「振り幅」にやられるもの。
見た目と中身のギャップや、最初と最後のギャップがドラマを生む。
ディズニー映画の主人公は、最初必ずハンディキャップを負っている。
『ダンボ』然り、『美女と野獣』然り、『ファインディング・ニモ』然り。
・人間はこんがらがった紐を解くのが好きな生き物。
人は生まれながらにして、プランナー。
・(聴衆のような)若い時期には、「根拠無き自信を持つ」ことが大事。
何故なら、チャンスは貯金できないから。
得てしてチャンスは忙しい時に来るが、それを逃したら同じチャンスは二度とやってこない。
最後には、著書の宣伝をして帰っていきました。
ダル&サエコ“でき婚”今秋にも
スポニチ本紙報道で交際が明らかになった北海道日本ハムファイターズのエース、ダルビッシュ有(20)と現役早大生の女優サエコ(20)のカップルが結婚することが7日、分かった。サエコは妊娠しており、2人は親しい知人らに「結婚するつもりです」と報告済み。早ければ、シーズン終了後の今秋にもゴールインする。
交際が明らかになったばかりのダルビッシュ&サエコ。このまま一気に“できちゃった婚”という、150キロの剛速球もビックリの超スピード婚になりそうだ。
本紙の交際報道があったこの日、サエコの所属事務所はマスコミ各社の取材に「交際は事実。いいお付き合いをさせていただいています」とコメント。ともに20歳という若いカップルだけに「温かく見守っていただければ」と話し、交際を認めただけでなく今後の2人の人生についても応援していく姿勢を見せた。
一方、ダルビッシュが所属する日本ハム球団の広報も「プライベートについては本人に任せています」と交際を否定せず、静かに見守る構えだ。
わずか交際3カ月足らずの若いカップルを、周囲がこれだけ慎重に見守る姿勢を明らかにしたのには理由がある。
サエコの“おめでた”が分かったのだ。妊娠3カ月目に入ったばかりで、愛の証の小さな命が宿ったことに2人はとても喜んでいる。
それぞれ、親しい関係者や知人にはこの日までに「結婚しようと思っています」と報告。結婚の具体的な日取りなどは決まっていないが、ダルビッシュが生まれ故郷の大阪でサエコを両親に紹介するなど段階を踏んでおり、シーズン終了後の今秋にもゴールインすることになりそうだ。
ダルビッシュは、最新号の女性ファッション誌「an・an」のSEX特集で表紙&グラビアに登場。フルヌードを披露している。インタビューでは「(SEXで)愛情を実感すると、彼女のために頑張って投げようって思える。勝って喜ばせようという気持ちが強くなるんです」「うまくいってるカップルを見ると、その女性はキレイで穏やかになってたりしますよね。自分の場合も…そう変わってくれたらうれしい」と恋人への深い思いを明かしており、サエコとの婚約を自ら堂々発表する日も近そうだ。
サエコはこの日、映画「ガチボーイ」のロケ先の札幌から帰京し、都内で仕事をしていたもよう。ブログでは、北海道のとうもろこしをゆで、ダルビッシュの故郷・大阪名物の「お好み焼き」を作ったことを書き込んだ。「お料理って楽しいね」と新婚生活での手料理も準備万端の様子だ。
◆サエコ(さえこ)本名は非公開。1986年(昭61)11月16日、宮崎県生まれの20歳。01年、日テレのドラマ「ゼニ ゲッチュー!!」でデビュー。TBS「学校へ行こう!」のレギュラーで人気を博し、映画「バックダンサーズ!」などに出演。06年4月、早稲田大学人間科学部(通信制)に入学。趣味はネイルアート。1メートル57、血液型O。