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はてなキーワード: ゲームデザインとは

2023-09-20

anond:20230919203708

どんなゲームでも作業感がでてきたら辞め時だな

戦闘というゲームの肝である部分をオート任せにできるようなゲームデザインはクソ。

ファイナルファンタジーシリーズで唯一評価できるのはオートがない事(ガンビットOK)。

「答え」が氾濫している Starfieldで思ったこ

Bethesdaの最新作である、Starfieldを遊んでいる。Bethesdaの最新作とだけあって、プレイヤーには簡単説明しかなく、ゲーム内で何ができるのか、どう進めばよいのかは、プレイヤー自身発見させるようなデザインになっている。

一方でこのゲームデザインに対して「不親切」という評価を下している人が多いことにも気付いた。実際遊んでいても確かに不親切だと感じる部分はある。そもそも有人星系のニュー・アトランティスMAPすら実装されてないか

どこに何があるのか分からない。そこすら未知ってどういうことだよ、とは確かに思わなくもない。

今分からないことがあれば、YouTubeで調べれば1発で答えが出てくる。Stafieldもそう。ニュー・アトランティスMAPもそうだし、前哨基地の作り方もだし、特定ミッションの進め方もそうだし。

でもこれらを何も考えずに見て答えを得ちゃうと、ゲーム本来面白である「探索と発見」のカタルシスを感じられなくなるんじゃないかなと思っている。

もちろん、丁寧に作られた攻略動画批判するつもりで書いたわけではない。多くのプレイヤーにとって、というか自分にとっても参考になる内容ばかり。

YouTubeで調べれば答えがすぐ見つかる中で、どれだけ自分自身で考え、探索するかが、Starfieldのようなゲーム面白さを決めるよなと再認識した。

しかしたら、Starfield遊んでて自分自身で答えを見つけようと努力することって、ゲームだけじゃなくて、人生のものを豊かにする秘訣かもしれない。

2023-09-17

1周50時間とかかかるゲーム選択要素入れるのマジで辞めて欲しいんだよなあ

SO2(スターオーシャンセカンドストーリー)がリメイクされれるみたいっすね。

前回プレイ時はあのキャラで進めたから今度はあのキャラでやろっかな~~~年食って性癖も変わってきたしな~~~みたいに思っちょります

でもビジュアルアップデートとか追加要素とかありそうやしオキニパーティーで進めるべきなんかなー、この年で2周やるのはもういよいよしんどいしなーみたいに悩んでるでゲスよ。

そこでふと気づいてしまったデヤンス。

最初からキャラ仲間に出来るようになってればよくね?

だってソシャゲとかそうじゃん。

金はかかるけど全員仲間になるじゃん。

まあワシは無課金主義じゃけえ本当に狙ってる子以外は来た子を可愛がる運命論者ですがよ。

ソシャゲパーティー完全武装できんのは金払いが悪いワシのせいやが、フルプライス払って買ったゲーム自由パーティー組めないってダルくねって思うわけですよ。

これがチンチンナイフカレッジソードの二択とかだったらまあ我慢できる所はある。

でもキャラで二択はな~~~~片方が完全に2周目用の捨てキャラとかならまだしもな~~~。

たとえば「アシュトン」or「ゴブリンゴブリン之助」みたいな二択だったら、ゴブリン丸は面白ストーリーだけツイッターニコ動でまとめてるの見りゃいいからで切り捨てていけるじゃん気軽に?

せめてそれぐらいであって欲しいんだよなー。

2周目用の縛りプレイとしての選択肢以外であって欲しくないんだよ。

つうか攻略本見ないと見落としちゃうからビビって「ネタバレは嫌だけどここだけは見なきゃ……」と『取り返しがつかない要素』みたいなページを見るのが本当にやだ。

アモスみたいなオマケキャラなら我慢できるけど、そうじゃなくてガチ大事キャラ選択要素だったり選択肢ミスったら仲間にならんかったりみたいなのしんどいですよ。

最近ゲームはノーストレスプレイヤーも雑魚ばっからしいっすねwwww」みたいな話をどこぞの菌類がしてたけどよー、それは正しい流れだと思うのよさ。

良いストレスと悪いストレスっていうか、無駄ストレス無駄じゃないストレスっていうか、見落としても後で取り返しやすストレスと下手すると何も残らなかった感触さえあるストレスっていうか。

ダクソ1一周目攻略本なしクリアしてから、完全に行ってなかったダンジョン存在したことに気づいて「あそこで急に難易度上がった気がしたのってアッシが階段飛ばしたからだったデヤンスー!!!!」となるのを耐えられるのは究極ダクソがお礼参りを楽しめるゲームデザインからっていうか。

RPGでやって欲しくないんすよね。

攻略本縛って後悔まみれの1周目をやって、攻略本必死に見て2周目するようなことになるようなデザインは。

RPGはね~~~何度もやるのがダルいんだよ~~~~効率プレイできるゲームだけどさSO2は。

でも効率プレイしすぎると冒険感が濁って作業感が増すんだな~~~。

マジさ~~~このへんのストレスからフリーにしてくれ~~~~。

客の望むストレスだけくれよ~~~。

次の日ケツが火を吹かない激辛トッピングを出してくれよ~~~~。

ゲームってのは究極的には「良いストレス提供するための装置である」みたいなことを桜井 政博も言ってたでしょうが~~~~

2023-09-13

anond:20230913160748

少なくともエルデンにはなかったな。フィールドは広いのにスカスカ

死ねペナルティがあるのでリスポーン地点からまり離れられない、という探索を阻害するゲームデザインでありつつ、

そのうえで危険おかして探索してもそんなに有用アイテムは落ちていない、という設計だった。

2023-09-12

anond:20230912120816

間合いが重要なのは横向き2Dからそういうゲームデザインになってるだけで

サードパーソン3D格ゲーを作ったらそれに合わせたゲームデザインになると思うけどな

(で、こんなの格ゲーじゃないって格ゲーファンが言いそう)

2023-07-09

anond:20230705223250

2社に共通して致命的なのはゲーム業界ににマンガ業界の「編集」のポジションを無理にねじ込もうとして失敗しているところだと思う。

まずゲームではプラットフォームを自社で持てない(SteamPlayStationとか他社のストアでのリリースになる)ので、自由プロモーションをすることができない。

マンガアプリならユーザーデータかいくらでも取れるし、プロモーションや見せ方の改善とかもできるけどそういう操作ができない。

それからゲーム開発には1本作るのに2~5年は普通にかかる。いいものができるまで忍耐が必要で、連載という概念がないのでユーザーの反応を都度見ることができない。ONIはあと2年かけて物量出せば化けた。

マンガにおける編集は、作家に対するマネジメント短期間に複数並行でこなして1作ヒットが出れば成功、というモデルなんだろうけど、ゲーム開発は時間がかかるのでそういうサイクルが回せない。

そしてゲーム開発のディレクションには高度な技術ゲームデザインの専門知識必要なんだけど、そういう人材がおそらく不足してる。できたゲームの良し悪しが判断できないし、ユーザーの反応が悪かったとしてもそこから何を改善すればいいのか分からない。

マンガならアウトプットが絵とストーリーなのでまだ経験則系の知識で回せるのかもしれないけど。両社とも元ゲーム会社人材を雇ってる様子なので、この辺は今後よくなると期待してる。

2023-06-28

わたしたちが待っていたファイナルファンタジーと、卒業アルバムの君

ファイナルファンタジー16が発売された。metacriticでは88点というスコアだった。90点以上を目指していたというスクエアエニックス株価は下がった。

この駄文を読まれているあなたは、ファイナルファンタジー16をプレイされただろうか。私は体験版はもちろん履修済みだし、製品版も発売日の0時からプレイをした。

これは、わたしたちが待っていたファイナルファンタジーだった。紛れもなく、過去に燦然と輝く、ファイナルファンタジーというシンボルだ。

この記事は、ファイナルファンタジーに憧れて、焦がれ、待ち続けた人間戯言だと思ってほしい。

metacriticで88点。わたしが点数をつけるとしたらもちろん100点だ。過去から現在に至るまで、私にとっての最高のRPGファイナルファンタジーだった。

迫りくるストーリー戦闘臨場感演出における高揚感、これがファイナルファンタジーだ。RPGゲームの原点であり頂点。

それが、ファイナルファンタジーなのだ

いつからか、ファイナルファンタジーは憂いを浴びてきた。8からなのか9からなのかはわからない。5、6、7と革新的だったのは確かだ。

いつだってRPGにおける革命だった(ちなみに私は8が最も好きな作品である)。

そして、いつのからファイナルファンタジー斜陽代名詞となっていた。

あの頃は良かった。ファイナルファンタジーはこんなもんじゃない。

ファイナルファンタジーによって育てられた我々は口を揃えて言っていた。『これはファイナルファンタジーの本気じゃないんだ』と。

ファイナルファンタジー16は、我々が求めているファイナルファンタジーだった。

そして、過去へのオマージュもふんだんに盛り込まれていた。青魔法どんでん返し、そこから得られるカタルシス。にんまりとする。過去を愛する気持ちだ。

繰り返しいうが、これは我々が求めていたファイナルファンタジーだった。

そして、気づいてしまった。ファイナルファンタジーは、もう世界最高のRPGではないのだと。

重厚長大ストーリーと言いつつ、説明不足が目立つ脚本吉田氏は『王道』と評していた。果たして、我々が憧れたファイナルファンタジーとは王道だっただろうか?

いや、革新であった。

それは、ストーリーにせよ映像美にせよシステムにせよ、常に革新をもたらすことによってRPGというジャンル底上げをおこなってくれていた。

いつから斜陽代名詞となったファイナルファンタジーは、王道ゲームとなっていた。

ナンバリング16作目は、新作というより再解釈というようなゲームだった。

現在ゲームデザインに蘇らせた『王道』のファイナルファンタジーを、私は幼稚園小学生ときに憧れた君に照らし合わせてしまった。

まりにも、眩しく、かっこよく、かわいかった君。

年を取り、さまざまな経験をしたうえで実家に帰って卒業アルバムに写った君を見ている。

そんな気持ちにさせられてしまった。それがファイナルファンタジーから得られたものであった。

初恋はなにごとにもかえられない。いつだって過去最高だ。ただ、いまを生きるわたしには、もっと面白いゲームが待っている。

やっと思い出に別れを言えるときがきたのだと確信できた。いままでありがとう

2023-06-21

anond:20230620164314

ゼルダの伝説 ティアーズオブザキンダム プレイレビュー40代男性

90時間プレイしたレビューです。

あれから1ヶ月経ちましたが、まだクリアの目処は立ちません。

本当に途方もないゲーム、としか言いようがありません。

息子は70時間プレイクリアしてしまいましたが、私は進めるのが勿体無くて、それぞれの地方をじっくり見てから次に進もうと思っています

それでも取りこぼしたものがたくさんあり、すぐにでもまた引き返したいと思いながら、いつかまた再訪する日を楽しみに次の地域に進んでいきます

このペースで地上のマップを7割ほど開放しました。地底はまだ3割ほどです。

この90時間、退屈を感じたのはハイラルに降り立った直後だけで、その他の全ての瞬間がワクワクに満ちていました。

 

このゲームに対して文句をつけるとしたら、「面白すぎる」ということだけです。

何かを達成したときには次のやりたいことが10個ぐらい積み上がっていますが、ゆったりとしたゲームデザインになっているのでマイペースに進めることができます

緊張と弛緩のバランス完璧に取れていて何時間プレイしても疲れません。

子供たちが寝てからヨギボーに腰を沈めてプロコンを握り、心地よく冒険をしていると8時間経過して夜が明けており、妻がお弁当作りに起きてきます

1日の予定が崩れてしまい本当に困っています。「少しは退屈を感じる隙間を作ってくれ」と思います

仕事にも支障をきたし妻の機嫌も悪化していますが、人生最高の日々を過ごしていると言ってもいいのかもしれません。

 

まり言及されないものの、このゲーム重要な要素として洞窟存在があります

TotKのマップは空と地上と地底の3層であるとよく言われますが、実際には洞窟を含めた4層であると言ってもいいでしょう。

なぜなら、実質的ボリュームとして洞窟全体は空島全体よりも大きく、マップ存在しない洞窟プレイングは他のフィールドとは全く異なるからです。

踏破したエリアアカリバナで印をつけながら進み、マヨイを発見したらトールーフで地上に出るというプレイループはどの洞窟も同じですが、

似たような見た目ながらどの洞窟も地形の作り方でプレイヤーを驚かせようというクリエイティブに満ちていて飽きません。

小さい洞窟なのか、どこまで奥が続いているのか、奥に進むのか上に登るのか下に降りるのか、入った時には全くわからない所も好奇心を刺激してやみません。

 

数分で終わるつもりで洞窟に入ったら思いがけずどこまでも奥深く続き、気づいたら広大な迷宮遺跡に迷い込んでいて、遥か上空に浮上する方法に頭を悩ませ、最後には天空から地底まで一気にダイブするという驚異的な体験に、メインチレンジとは全く関係のない辺境出会った時には心底感動しました。

これこそが、このシームレスな多層フィールドで開発スタッフがやりたかたことなんだと理解しました。

 

仲間と神殿に向かうメインチレンジドラマチックで良いのですが、メインストリーを進める時にはこちらも身構えて期待も高まりすぎてしまもの

そこから外れたところにある「思いがけず出会う驚異的な体験」というものこそ記憶に深く刻まれもので、そんな体験への糸口が無数に仕込まれていることがBotWが私にとって特別ゲームになった理由でもあります

 

これまでの90時間にどれほどそんな体験出会たか・・・そしてこれからクリアするまでどれほどの驚きに出会えるのか・・・まだまだ楽しく眠れない日々が続きそうです。

 

クリアしたらまた改めてレビュー投稿します。

2023-04-29

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

2023-04-04

anond:20230404044542

金を出す人達にどういう部分に金を出せばいいのかイマイチ伝えきれていないゲームデザインだったのが不味かった

2023-03-20

anond:20230320224121

ゲーム通貨を利用したユーザー間の素材やアイテムクラフト装備のやりとりを有効にしてしまうと、RMTやるアホを切り離すのに莫大なコストがかかるようになる

マケ取引実装しないって決めるだけでゲーム用の予算が1年ぶん延びるレベル

からPCネトゲスマホソシャゲゲームデザインとしてはユーザー取引をやりたくても、RMT対策予算関係実装を諦めるというパターンが多い


…って聞く

課金アイテム以外だいたいなんでも売れる」ゲーム通貨マーケット存在してるゲームはその維持に苦労してるはずなので、ユーザー取引が好きだって人は運営の苦労をねぎらってあげるといいかもよ

2023-03-19

ゲーム歴史 GPT

ここ40年位の日本ゲーム歴史ハードの性能などを交えて取り敢えずプレステ辺りまでを解説して下さい

ここ40年間の日本ゲーム歴史は、多くの革新と発展がありました。以下は、主要なゲームハードウェアとその性能に関する概要です。

ファミリーコンピュータ (Famicom) / Nintendo Entertainment System (NES) - 1983年発売

任天堂が開発したファミコンは、8ビットプロセッサ(1.79MHz)を搭載し、最大52色のグラフィック表示が可能でした。これにより、スーパーマリオブラザーズゼルダの伝説などの名作ゲームが生まれました。

セガ・マークIII / Sega Master System - 1985年発売

セガが開発した8ビットの家庭用ゲーム機で、プロセッサは3.58MHzでした。最大64色のグラフィック表示が可能で、アレックスキッドファンタジーゾーンなどのゲームが人気を博しました。

PCエンジン / TurboGrafx-16 - 1987年発売

NECハドソン共同開発したPCエンジンは、8ビットCPU(7.16MHz)と16ビットGPUを搭載し、最大482色の表示が可能でした。このハードは、R-TYPE悪魔城ドラキュラなどのゲームで知られています

スーパーファミコン (Super Famicom) / Super Nintendo Entertainment System (SNES) - 1990年発売

任天堂が開発した16ビットゲーム機で、3.58MHzのCPUと最大32768色のグラフィック表示が可能でした。スーパーマリオワールドゼルダの伝説 神々のトライフォースなどの名作が多数リリースされました。

セガメガドライブ / Sega Genesis - 1988年発売

セガが開発した16ビットゲーム機で、7.67MHzのCPUと最大512色のグラフィック表示が可能でした。ソニック・ザ・ヘッジホッグストリートファイターIIなどのゲームが人気を博しました。

セガサターン - 1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツ

途切れてしまったのでセガサターンから続きをお願いしま

すみませんセガサターンから続きを説明します。

セガサターン - 1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツァードラグーンなどのゲームが特徴的でした。また、CD-ROM採用し、高品質サウンドムービー再生可能でした。

プレイステーション - 1994年発売

ソニーが開発した32ビットゲーム機で、33.87MHzのCPUを搭載し、最大対応色数は1677万色でした。CD-ROM使用し、ファイナルファンタジーシリーズメタルギアソリッドなどのヒット作が登場しました。3Dポリゴン技術進化により、リアルグラフィック表現可能となりました。

ニンテンドウ64 - 1996年発売

任天堂が開発した64ビットゲーム機で、93.75MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、スーパーマリオ64ゼルダの伝説 時のオカリナなどの革新的なゲームリリースされました。カートリッジ採用していたため、読み込み速度は速かったものの、データ容量が限られていました。

以上が、おおよそ40年前からプレイステーションまでの日本ゲーム歴史ハードウェア性能の概要です。この期間には、技術革新ゲームデザインの進化が急速に進み、多くの名作ゲームが生み出されました。

2023-03-07

anond:20230306222721

そしてチンを使わない術式…これ、チンを切ってしまったとかでは無く、チンの長さが11センチ?以下とかでも使えないんですよね

マジかよチンが短いワイは短いチンのせいで腸を使わないと女にもなれないのか

だれだよこのゲームデザインした奴 短チンルート救済しろ

2023-01-23

anond:20230110032722

他のゲームと比べて人間が設定したパラメーターが極限に少なく人為的調整がほぼないのに

攻守のリスクとリターンが絶妙設計になってるゲームデザインがすごいと思う

実際は設計デザインもされてないんだが勝手にそうなってるのが囲碁のすごさ

2023-01-17

anond:20230117092733

からもう、ずっと僕たちは喪に服しているじゃないか

まりわず、明るい未来を思い描かず、ずっと下を向いて、一人一人バラバラ

毎日が忌み日なんだ

全てのことばは忌み語なんだ

いずれは消滅というバッドエンドで終わるゲーム

ゲームデザインが最悪でバランスのとれていないこのゲーム

僕たちは喪に服したまま続けるだけだ

2022-11-29

2年かけてリングフィットアドベンチャーモードクリアした

数ヶ月サボったりしてたのでようやく。やる日は基本的に「今日はここまでにしませんか?」表示が出るまでやってた。

痩せられたのか?

開始日:62.6kg 体脂肪量8.8kg 筋密度51.4kg BMI23.0

本日:63.6kg 体脂肪10.4kg 筋密度51.2kg BMI23.4

何の成果も得られませんでした

アドベンチャーモード感想



リングフィットで痩せられたって人は恐らく食事制限+数時間以上やってるんだと思うので今度はそれ系を参考にしたい

2022-11-26

イブ・ザ・ダイバー、正直微妙だぞ

まず面白い面白くないかの二択でいえば、普通に面白くはある」のだが、

「圧倒的に好評」「神ゲー」という評価違和感がある程度には、ガタガタのゲーム


このゲーム面白い部分については他の人が語っているので、欠点だけを書く。

別にネガキャンをしたいわけではないが、自分のように「圧倒的に好評」を期待すると、

思いのほか完成度が低い作りにガッカリしてしまと思うので。


魚獲り

この作品は「魚獲り&寿司屋経営」のはずだが、制作者がやりたいことは、どうやらそこではない

理由は後述)


自分も「魚獲り」(と「圧倒的な高評価」)に惹かれてプレイを始めたが、

執拗に「魚獲り部分の楽しみ」を邪魔するようなゲームデザインには正直、面食らった。


「日に二回しか探索できず、さらに重量などの制限が厳しめのシステム

プレイヤーからしたらどうでもいいお使いイベントの数々

設定を伝えるための過剰な説明演出

が多すぎて、

思ったようにプレイさせてくれないのが、とにかくストレス


先に進めない、という難易度では全くないのだが、

作品世界に浸りながら、気持ちよくプレイできる」とは言い難い。


ゲームを始めたてのプレイヤーとしては、

「どの魚を捕まえようかな」「あの少し高い魚ってどんな見た目だっけ?」「攻撃してくる魚が厄介だな」「この武器ってどうやって使うんだっけ?」

などと魚獲りに集中したいのに、

・つまんねーおっさん古代文明痕跡集めてこい」だの(どうでもいい演出ムービー始まる)、

・味にうるさいおばさんが店に居座って、雑魚相手に苦戦してるプレイヤーに対していきなりサメを食わせろ」だの、

相棒オッサン既存武器が持ち込めないか武器素材集めてこい」だの、

馬鹿イルカが何度も罠にかかって「助けてくれ」だの、

・小娘があの貝殻とこの貝殻を集めてこいだの、

開始直後の序盤にこれでもかと

「魚獲りを単純に楽しみたいプレイヤーを邪魔する情報」が詰め込まれていて、本当にイライラした。


しかもこれが、「ただ邪魔なだけ」ではない。

それらのイベント無視して、魚獲りと料理の改良をしていたら、

客が増えて寿司屋が回らなくなるのだ


説明過剰・演出過剰なゲームありがちなことで、肝心な部分で説明がないのだが、

おばさんにサメ料理を食べさせないと、スタッフを雇えない」のである


自由度があるようでないのだ。

(繰り返すが、「寿司屋が回らなくなる」といっても先に進めなくなるほどの難易度ではない。ただ、配膳の遅さに怒った客が帰り、作った寿司を何度も廃棄する羽目になるだけだ)


ストーリー

あと、ストーリーを褒めてる人がいるけど、そこにも不満がある。

「魚獲り&寿司屋経営」に興味のあるプレイヤーたちは、

ちまちまと魚を獲って「新しい魚&メニューが増えた!」とか小さなロマンを積み重ねたいと思うのだが、

開始数分で「魚人族の痕跡を追え!」なんて大ミッションが始まるのは、本当に台無しだと思う。

(開始直後なのでネタバレでも何でもないよ)


いや「魚人族」とかそういう設定は好きだよ、でもこっちは「ちまちまと魚が獲りたくて」このゲームを始めてるんだよ。

序盤だからこそシンプルに手探りで操作して魚獲りを楽しみたいんだから

魚人族とか古代文明とか死ぬほどどうでもいいんだけどな。

そんなの中盤以降でよくね?


また、それまでのストーリー進行イベントではイベントを終えても海中の探索が続行可能だったのに、

ボス戦後強制的に船の上に帰される統一感のなさも妙にイラっとした。


ちなみに、その日は「美食家訪問日」と重なっていたのだが、強制的休日扱いになるイベントなので、

美食家訪問強制的に次の日に繰り越しになっていて、

メインのはずの「魚獲り&寿司屋経営」の部分がほんと適当ゲームだなと思った。

さら美食家イベント後に解放されるビールをすでに飲んでいた。

なんでやねん


寿司屋経営

寿司屋経営部分はもっとどうしようもなく雑な作りで、

料理の値段以外にはプレイヤーは「経営必要数字はほぼ確認できない」


この経営シミュレーション「前日の売上」「前日に提供した料理数」等の簡単統計すら見れないのだ。

なんでやねん


一応、営業終了後に大雑把なリザルトは表示されるが、

ここですら「注文の総数は表示されない」し、何より後から確認できない。

注文数を確認したければ、忙しい寿司屋営業中にその場で、

背後のメニュー表の残量で確認するしかないである


プレイヤーが「料理提供数を決める」(溢れた分は食材が消える)システムなのに、

何を参考にすればいいんだよ

(まあ大体15とか25だなというのはわかってくるが、それにしても不親切)


加えて、「スタッフ採用広告と本採用」には1日かかるのに、

寿司屋営業終了後は、強制的に次の日へと時間が進む

まり営業中の回転率を見てからスタッフ採用しようと思っても、

次の日も人手が足りないままなわけだ

なんでやねん


利益から引かれる「運営費」や「給与」の詳細もわからないし、そのくせスタッフ複数雇わないといけないし、

シミュレーションと呼ぶにはあまりに完成度が低い

どうでもいいストーリーには力を入れる癖に本来のメイン部分はこの有様で、

他にも説明がないせいで見過ごしていたシステムも沢山ある。

正直「ミニゲームくらいの感覚で作ってるだろ」というクオリティで、ガッカリした。


演出UIゲームデザイン

多くの人が褒めていた「日本ネタ演出」についてだが、

やたら力が入っていて面白いのはわかるのだが、

まず基本のゲーム部分がきちんと作られていないのに、そこを褒めるのは順番がおかしくないか


批判的なレビューでは「UIデザインが悪い」という部分がよく指摘されているが、

そういう表面的な部分ではなく、

根本的なゲームデザインそもそも良くないか結果的UIも悪いだけだと思う。


「魚獲り」部分は楽しい邪魔さえされなければ、これは本当にそう)ので勘違いしがちだが、

問題UIではなくゲームデザイン自体だ。

しろこの作品は、不十分なゲームシステムを「パッと見の表面的なデザイン演出UI等)で誤魔化している」ゲームだと思った。


序盤の邪魔イベントの多さ・寿司屋経営適当さもそうだし、

・魚を獲るゲームなのに、探索中は獲った素材の累計が見れない(必要数を確認できない&「こんなに集めたか」と満足感に浸れない)とか、

・客の回転数の関係で、メインの寿司よりも、単価が高く複数提供できる一品料理の方が重要とか、

絶妙に「わかってねえなあ」感がすごいのだ。


「潜るたびに地形が変わるローグライト要素があって、獲れる魚も多種多様!」と謳いながら毎回同じマップで、

地形が変わらないせいで獲れる魚も固定(獲りたいのにずっと獲れない魚がいる)

ってのは流石にどうよ?

下らないアニメーションで点数稼ぎしてないで、根幹部分をもっとどうにかして欲しいと思った。


魚獲りを否定する「生け簀システム

そしてなんと、ゲームを進めていくと「生け簀」というシステム開放があり、

海に潜って魚を獲るなんて面倒なことをしなくても済むよ!」というクソ状態が待っているのだ。


どうやら制作者は、プレイヤーに「魚獲り」をさせたくないないらしい。

魚獲りが面倒で嫌なものだと思ってるなら、なぜそれをゲームにしたんだろうか?

魚獲りを効率化するシステムなら歓迎だが、それ自体拒否するこの展開には流石に萎えた。

(ちなみにお察しの通り、ここでのUI管理のしにくさ、画面の見にくさも当然ひどい。急に見下ろし視点になる画面の統一感のなさとか、「ああ、適当に作ってやがるなあ」としみじみ思った)


しか制作者は魚獲りに注力する気がないとして、あの魚人族のストーリーが本当にやりたいことだったのだろうか?

ただのつまんない会話とミニアクション押し付け苦痛しかないのだが、

あれ、マジで面白いと思ってやってるの?


クソイベント

ここからは多少ネタバレになるが、クリオネイベント適当に進めない方がいいよ

「5匹集めた段階」で急に強いボスが出てきて、「そのとき持ってる装備でいきなりボス戦をさせられるから


ステージに落ちてる武器箱はランダムで、もし魚獲りネットしか持ってなかったら、それらで戦うしかない。

なんとなくUVライトを拾ってたりすると、無駄に(本当に無駄に)苦戦するのだ。

リトライはできるけど装備は変わらないので、武器を用意したいならそれまで獲った魚や素材を捨てることになる。

(ほら、またこういうことをする)

ボスの行動パターンサメとかと違って、

こっちの座標を狙ってくるから今までの避け方が通用しないし、

飛び道具やプレイヤー武器無効化もしてくるという、いきなり難易度の高いパターン


メインの魚獲りや寿司屋経営は疎かにしておいてこういうことするの、普通に不快なんだよな。


あ、これやっぱ結構嫌いなゲームかも

2022-11-04

anond:20221104120834

なぜエルデンリングは「俺の好きなゲーム」として失敗したのか

エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、俺の好きなゲームとしては完全に失敗している。

どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。

俺の好きなゲームにとって最も重要問題は「壁に登れるかどうか」である

この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。

「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」

こちらに進んでほしいから他の道は行き止まりにしておこう」

そうしてゲームクリエイターがプレイヤーコントロールしようとして設置されるものが「壁」である

俺の好きな「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対性質のものであることがわかるだろう。

しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。

たとえるなら、

お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、

運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、

肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、

とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのが俺の好きなゲームなのである

どちらのほうがより良いとか正しいとかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。

エルデンリングは、俺の好きな仕組みを導入しながらも、リニアゲームから脱却することができなかった。

見た目は俺の好きなゲームでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランス作品だった。

たとえばストームヴィル城などはなかなか立体的な構造だが、

屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。

あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、

自由な移動を保証した俺の好きなゲーム化の結果として可能になったものではない。

またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定ポイントしかスポーンできない。

非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。

これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。

まさにリニアゲームデザインである

スポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。

死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。

というかフィールドは広くてもイベントクエストスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。

まりどう考えてもフィールドを探索させる気がない。

「あちこち適当ボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それって俺の好きなゲームっぽいですよね?」

くらいにしか考えていないのだろう。

まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、

脳みそが完全にリニアゲームに特化していると思われるので次回作では無理する必要はないと思う。

じゃあ俺はゴッサムナイツをやってくるね。

なぜエルデンリングは「オープンワールド」として失敗したのか

エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、オープンワールドゲームとしては完全に失敗している。

どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。

オープンワールドゲームにとって最も重要問題は「壁に登れるかどうか」である

この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。

「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」

こちらに進んでほしいから他の道は行き止まりにしておこう」

そうしてゲームクリエイターがプレイヤーコントロールしようとして設置されるものが「壁」である

オープンワールドという「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対性質のものであることがわかるだろう。

しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。

たとえるなら、

お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、

運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、

肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、

とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのがオープンワールドなのである

どちらのほうが「より良い」とか「正しい」とかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。

エルデンリングは、オープンワールドという仕組みを導入しながらも、リニアゲームから脱却することができなかった。

見た目はオープンワールドでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランス作品だった。

たとえばストームヴィル城などはなかなか立体的な構造だが、

屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。

あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、

自由な移動を保証したオープンワールド化の結果として可能になったものではない。

またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定ポイントしかスポーンできない。

非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。

これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。

まさにリニアゲームデザインである

スポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。

死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。

というかフィールドは広くてもイベントクエストスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。

まりどう考えてもフィールドを探索させる気がない。

「あちこち適当ボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それってオープンワールドっぽいですよね?」

くらいにしか考えていないのだろう。

まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、

脳が完全にリニアゲームに特化していると思われるので、

次回作では無理せずリニアゲームにしたほうがいいと思う。

じゃあ俺はゴッサムナイツをやってくるね。



『ELDEN RING』ディレクターの宮崎英高氏にインタビュー! 著名な作家とのコラボレーションなどについて語っていただきました! – PlayStation.Blog 日本語

寂寞とした「狭間の地」を舞台としたオープンワールドでは、プレイヤー縦横無尽の旅へと導きます

宮崎氏:プレイヤーには主に、今回私たちが注力した自由度の重要さを感じてほしいと思っていますゲームプレイヤーそれぞれの方法で楽しんでもらい、自分のペースで探索できるこの新しいオープンワールド解放感を味わってほしいと思っています

宮崎氏:はい、これは意図的なものですが、必ずしもゲームを明るくするためではありません。『ELDEN RING』では、広大なオープンワールドを探索することを考えると、鮮やかな色使いが必要でした。

フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏が語る『ELDEN RING』開発の秘密 - Xbox Wire Japan

フロム作品としては初となるオープンワールドは美しく広大で、さまざまな探索を楽しめるようになっているのも特徴です。

オープンワールドデザインは、これまでの作品創作プロセスにおいてどのような違いがあったでしょうか。

宮崎氏:ゲーム全体のデザインで言えば、『DARK SOULS』などから変わらぬテーマである達成感に加え、未知と脅威に満ちた広大な世界に、自由に挑む「冒険感」を重視したことが大きかったと思います

また、他オープンワールドゲームインスパイアされた点はありますか?

宮崎氏:特定ゲーム特にインスパイアされた、ということはありませんが、ユーザーとしても、名作と呼ばれるオープンワールドゲームを多くプレイし、それぞれから素晴らしい刺激を受けました。

単なるゲームメディアではなくPS/Xbox公式ブログにおいてもオープンワールドだと喧伝され、ディレクターもとい宮崎社長オープンワールドだと言っているのに、「エルデンリングオープンフィールドからオープンワールドじゃない!プレイヤー勝手勘違いしただけ!」というのはさすがに詭弁ですね。

2022-09-18

nikki13

 大体部屋に籠ってcivしたりチェスしたりしてるだけの一日だった。

 civボードゲームうまいことドーパミンが出るゲームデザインになっているので、一度やり始めると止まらないんだよなあ

 人間性をハックされてる気分。よろしくない。

2022-08-31

[]ツインスティックシューター

スティックを倒した方向に移動、右スティックを倒した方向に射撃を行うという、独特な操作方法採用したシューティングゲームのこと。

自機を中心にして360度に射撃をしやすいことが特徴で、そのため二次元的なフィールド上で四方八方から敵が襲ってくるようなゲームデザインになる。

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