ファイナルファンタジー16が発売された。metacriticでは88点というスコアだった。90点以上を目指していたというスクエアエニックスの株価は下がった。
この駄文を読まれているあなたは、ファイナルファンタジー16をプレイされただろうか。私は体験版はもちろん履修済みだし、製品版も発売日の0時からプレイをした。
これは、わたしたちが待っていたファイナルファンタジーだった。紛れもなく、過去に燦然と輝く、ファイナルファンタジーというシンボルだ。
この記事は、ファイナルファンタジーに憧れて、焦がれ、待ち続けた人間の戯言だと思ってほしい。
metacriticで88点。わたしが点数をつけるとしたらもちろん100点だ。過去から現在に至るまで、私にとっての最高のRPGはファイナルファンタジーだった。
迫りくるストーリー、戦闘の臨場感、演出における高揚感、これがファイナルファンタジーだ。RPGゲームの原点であり頂点。
それが、ファイナルファンタジーなのだ。
いつからか、ファイナルファンタジーは憂いを浴びてきた。8からなのか9からなのかはわからない。5、6、7と革新的だったのは確かだ。
いつだってRPGにおける革命だった(ちなみに私は8が最も好きな作品である)。
そして、いつの頃からかファイナルファンタジーは斜陽の代名詞となっていた。
あの頃は良かった。ファイナルファンタジーはこんなもんじゃない。
ファイナルファンタジーによって育てられた我々は口を揃えて言っていた。『これはファイナルファンタジーの本気じゃないんだ』と。
ファイナルファンタジー16は、我々が求めているファイナルファンタジーだった。
そして、過去へのオマージュもふんだんに盛り込まれていた。青魔法、どんでん返し、そこから得られるカタルシス。にんまりとする。過去を愛する気持ちだ。
繰り返しいうが、これは我々が求めていたファイナルファンタジーだった。
そして、気づいてしまった。ファイナルファンタジーは、もう世界最高のRPGではないのだと。
重厚長大なストーリーと言いつつ、説明不足が目立つ脚本。吉田氏は『王道』と評していた。果たして、我々が憧れたファイナルファンタジーとは王道だっただろうか?
いや、革新であった。
それは、ストーリーにせよ映像美にせよシステムにせよ、常に革新をもたらすことによってRPGというジャンルの底上げをおこなってくれていた。
いつからか斜陽の代名詞となったファイナルファンタジーは、王道ゲームとなっていた。
ナンバリング16作目は、新作というより再解釈というようなゲームだった。
現在のゲームデザインに蘇らせた『王道』のファイナルファンタジーを、私は幼稚園や小学生のときに憧れた君に照らし合わせてしまった。
年を取り、さまざまな経験をしたうえで実家に帰って卒業アルバムに写った君を見ている。
そんな気持ちにさせられてしまった。それがファイナルファンタジーから得られたものであった。