はてなキーワード: 萌えアニメとは
ごちうさだけは許せない
作者のKoiさんやこの作品のファンに個人的な恨みがあるわけではない
それでもこの作品を許すことはできない この作品が流行る社会が許せない
Koiさんの絵に出会ったのは"秘書これくしょん"内のキャラであるニット帽秘書を友人に見せられたのが最初だ
その友人はいたくKoiさんの絵を気にいっていたが、私は正反対の感想を抱いていた
まず目が大きい
次に等身が低い
更に身体が貧相
はっきり言おう、私はこの手の萌えアニメっぽさ全開のペドい絵柄が嫌いだ
私は水薙竜さんや五十嵐藍さんや宇木敦哉さんの絵のようなあっさりとしていて萌えアニメっぽさが薄く、清潔感がある絵柄が好きだ
だからといって私にはこんな個人的な好みを理由にKoiさんの絵柄を批判する権利は無い
けどやっぱり、理解できないのだ
日本人が生卵を食べることを理解できない外国人のごとく、私は理解することが出来ないのだ
だから私はこの友人が
「このKoiさんが描いた"ご注文はうさぎですか?"は絶対アニメ化する!!」
と言った時に思わず
「秘書これくしょんとか言うマイナーなソシャゲのキャラのイラストレータの描いたこんな何の目新しさもないほのぼの日常系の4コマが絶対にアニメ化するわけねぇ!!!」
と言い返してしまった
割と大声で全方向に喧嘩を売ってしまったことはこのときちょっと反省した ごめんなさいKONAMIさんKoiさんマンガタイムきららさん
でも叫ばずにはいられなかった
オチもクッソ弱いし奇抜さもないしキャラがかわいいだけのずーーーっと同じ雰囲気の単調な4コマなんだもん!!!!
こんなんどこにでもあるやん!!!これより先にアニメ化すべき作品もっとあるやん!!!!
絵柄も面白さも理解できない私にとってこのごちうさはこの世界の頭上に浮かぶ巨大な異物のようだった
ここまで20余年生きてきて培われてきた感性と人格が全力でこの作品を否定する しかし世間にはこれを礼賛する人間が多数いる
ひょっとして、俺がおかしいのか?
ごちうさのかわいさを理解できて、面白さと思えることが当然のことで、それを否定する人間は異常であり許されるべきではない世界なのか?
頭上に浮かぶごちうさは、私にこんな悩みの影を落としていた ごちうさは癒しなんかではなく、常に自分を否定する大きな悩みの種だった
しかし、少しは楽観的に考えていた
「流石にこれがアニメ化するわけないだろう……」と
ゆるゆりやAチャンネルのストックも溜まっているだろうし、他にもっと面白い漫画があるだろうし
ところがどっこい
このザマである
http://twitter.com/search?q=%23gochiusa&f=realtime
この瞬間、ごちうさは正義となった
同時に、私は異端となった
嫌いなものを嫌いと言えないポイズンなSNSの世界において、私の肩身は猛烈に狭くなった
ことごとく好きな作品は流行らず、ごちうさのような理解できない作品ばかり流行る
しかし、たとえ孤立したとしても私はごちうさを認めるわけにはいかない
ごちうさを認めることは、自分を否定することになる
だから私はごちうさと闘い続ける
キルミーが哲学なら、ごちうさは仇敵だ
「そんなの人の好みなんだからわざわざ人の好きなもの否定しなくていいだろ」
と思う方もいるかもしれない
けど俺はごちうさのよさが本能レベルでわかんないの!!!!!!
まわりの人間が突然「雑草おいしいよぉ」っていって雑草食いはじめたらどう思う?????それが全国レベルで流行ったらどう思う?????友達みんな「雑草いいよね……」「いい……」みたいな会話ずっとするんだよ????人それぞれだからで片付けられる?????愚痴らないで我慢できる?????
Koiさん、めっちゃ塗りと背景キレイなんだからそのまま等身上げて目小さくしてリアル調にして少し切ない青春系の漫画描いてくれ 頼む
アニメ製作各社、もうかわいいだけの日常系は十分だ 好きっていいなよとか君に届けとかヨスガノソラとか毎週ワクワクさせてくれる恋愛モノのアニメをもっと作ってくれ 頼む
こうしてくだらないワガママを増田に書いているうちにも、ごちうさファンは増えていくのであった
世知辛い世の中だ
それはそれとして、あやねるかわいいよね
生まれつきの性質かもしれないし、家庭や学校での教育が原因かもしれない。でも、就職するような年齢になってしまうともう手遅れだ。メンヘラは薬を飲みながら承認を求めて喘ぎ続けるし、コミュ障は他者のいない狭い場所で孤独に震え続けるしかない。努力や治療ではどうしようもないのだ。
わたしの職場は、そういった人たちの巣窟になっている。たぶん人事の方針なのだろう、能力を最優先に評価して採用した結果、おのずと人格に問題を抱えた人たちが集まったのだと思う。おかげさまで優秀な人たちに囲まれ、わたしは日々刺激を受けながら働いている。プライベートで関わるのは勘弁してほしいけれど、仕事だけのつきあいなら許容できると思っていた。
しかし、そんな悠長なことは言っていられなくなってきた。会社の人間関係の軋みが、少しずつ大きくなり、無視を決めこむのも難しくなりつつある。
発端は、隣の部署の女の人が自殺したことだった。わたしは彼女とは二言三言話したことがある程度で、知り合いとも呼べないくらいの仲だったから、そのこと自体に大きなショックを受けることはなかった。彼女はいわゆるメンヘラで、恋人とうまくいっていなかったことを気に病み、耐えきれなくなって首を吊ったらしい。
可哀想だとは思うけれど、今までお疲れさまでしたと労る気持ちのほうが強い。生まれつき抱えていた時限爆弾が、偶然このタイミングで爆発したみたいなものなのだ。ずっと爆発する不安に怯えて生きるのは、あまりに疲れる。生きているだけで辛いのだから、死ぬのが悪いことだとも限らない。生きていればいいことだってあるかもしれない。でも、それ以上に辛いことがたくさんある。
しばらくオフィスは追悼ムードに包まれた。みんな何となく遠慮がちに笑うようになり、会議で交わされる声もほんの少し小さくなった。
しばらく経って、しんみりした空気も元通りになりかけていたとき、上司が部署の人たち全員を誘って飲みに連れて行ってくれた。元気をだせ、ということらしい。普段なら絶対に参加しないような人も、珍しくその日は揃っていた。
その席で同期のコミュ障にとつぜん口説かれたのだった。コミュ障だから、口説くと言ってもひどいもので、何を言っているのかよくわからない。初対面のときはまったく聞きとれなかった言葉も、数年のうちにある程度聞きとれるようになってしまった。そのせいで口説かれていると気づいてしまったのだ。
コミュ障はコミュ障なりに考えた結果、わたしと彼がつきあうべきだという結論になったらしい。わけがわからなかった。ありえないし気持ち悪いし、全身全霊でお断りの気持ちを表現したのだけれど、コミュ障だからそれも伝わらない。
せめて彼がメンヘラだったらよかったのに、と思った。メンヘラなら、死んでくださいと伝えればちゃんと伝わって、死んでくれる。それでみんな幸せになれる。でも、コミュ障だとそうはいかない。死んでくださいと言っても伝わらないし、気持ち悪いし、どうしようもない。
いや俺も研究職だしわかるよ。お前本質的に他人に興味無いよな。
そこを自覚してないっぽい上に(普通の男みたいに)庇護されるタイプの女が好み、というのが決定的な矛盾の源。
面食いなのかもしらんが。
お前みたいなのは自分よりデキる研究者とかと結婚するべきだったんだよ。
庇護対象としての女を好む普通の男は、仕事なんて金の為でしかねーさっさと帰って嫁子供とチュッチュするぜってなモチベーションでやってるわけ。
深窓の令嬢みたいな女が何もしなくてもついてくるのはキモオタ御用達の萌えアニメの中だけ。
現実はディズニーアニメのように貢ぎ物だの愛の言葉だのを足繁く献上しなきゃだめなわけ。
成人とアラサーの間で学士入学の大学生で彼氏無しでオタクで腐女子。付け加えれば処女。
スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。
考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。
周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。
今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。
予め言っておけば、私は喪女ではない。
頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義な時間を過ごしていたと思う。
その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリングで同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。
そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。
別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。
お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元の男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。
その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。
私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。
卒業も迫った時に初めてのセックス。少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。
別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。
何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというものは二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。
前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリな行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBLも美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。
そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。
唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。
とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為を自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。
そんな人間がセックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。
これが断った理由だ。
そもそも当時から今まで、私は自分に彼氏がいたという話を一度もしたことがない。
というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。
「恋愛は大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」
(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座を守護に持つバトル漫画でBL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)
ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。
そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。
「女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠のリスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子だから、相手はちゃんとした人を選びなさい」
至極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。
私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。
そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。
彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。
次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。
ここからしばらく私の人生に彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまったからだ。
初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板のオフ板に嵌ってしまう。
オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。
私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレでメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。
それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。
最初の経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間に個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。
しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。
同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学の学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。
何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。
開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。
こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。
最初はネットで知り合い、「あのアニメのエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、
「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、
「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。
ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。
またしても私の頭が邪魔をした。
いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。
…本当に?
薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。
バイトで溜まったお金はフィギュアやゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。
「ドラマも映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマも映画も見る私。
記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフとフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。
そこでまた頭の中で考えが巡る。
「私は大切なこの体を、趣味の時間を一緒に過ごすのが楽しいとはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」
「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」
やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。
その頃から既にネット上では「処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。
その考えと今までの教育が合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。
その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。
何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧な関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。
一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。
私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。
理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ。趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。
この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育が人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。
この世に完璧な王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。
それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。
でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。
実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。
そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初っから。
それにネット世界の意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。
世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから。
だとしても少なくとも非処女=ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。
それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。
この後も数人、現実世界やネット世界で出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。
成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。
こうして更に私の脳内メモに記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。
そして、今だ。
振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。
私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。
むしろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。
こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。
誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである。
幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。
「自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。
子どもと一緒にアニメを見るお父さんもいるんじゃないかと思う。幼稚園のころなら『アンパンマン』や『プリキュア』で良くとも、小学生も中学年ぐらいになってくるとさすがに卒業する。『プリティリズム』に進む女の子は多いだろうが、大人の男が見るにはちょっときつい。
そこで、お父さんが小学校中学年以上の子ども(女の子)と一緒に見られそうな作品をいくつか紹介してみたい。基準はうちの子が好きで、なおかつ過激なシーンがないというもの。なので、どれぐらい一般性があるかはわからない。順番は適当。
女子高生が主人公のアニメ。いわゆる萌えアニメだが、小学生女子でも楽しめる。お風呂のシーンでちょっと困るが、まあ問題ないレベル。
・『はたらく魔王さま!』
勇者に倒された悪の魔王が現代日本にやって来るという話。ややきついシーン、胸の大きさの会話などで微妙に困るところもあるが、うちの子は気にしていないようだった。
・『たまこまーけっと』
商店街の餅屋の女子高生のところに正体不明の鳥がやって来るお話。うちの子曰く、最初は微妙だったが、だんだんと面白くなってきたとのこと。
・『境界の彼方』
半分妖怪の男子高校生と妖怪退治を生業とする女子高校生が出会うという話。うちの子は京アニが好きなんじゃないかという気がしてきたが、なかでもこの作品を大変気に入っていた。ややきついシーン有り。
・『のんのんびより』
田舎の女子小学生が主人公のまったり系アニメ。ギャグも分かりやすいので、小学生にもとっつきやすい。
・『きんいろモザイク』
イギリスから日本に女子高生が留学してくる話。途中までしか見てないけど、そこそこには楽しんでた様子。
・『TIGER&BUNNY』
企業広告を背負ったヒーローたちの活躍を描いた作品。ヒーローものだがグロいシーンもそれほどなく、安心して見られた。ストーリーもわかりやすい。
・『ちはやふる』(1期/2期)
かるたに燃える女子高生が主人公のアニメ。かるたのルールなど、どこまで理解できているのかは分からないけれども、それなりに楽しそうに見ていた。これも安心して見ていられる。
・『無人惑星サヴァイヴ』
昔、NHKでやっていた子ども用アニメ。無人の惑星に不時着した子どもたちのサバイバルストーリー。映像がやや古いが、内容的には安心だし、大人が見ても楽しめる。NHKで言うと『電脳コイル』もありうるが、あれは子どもが見るには世界観とストーリーが難しすぎると思う。『ナディア』は最後のほうがなあ…。
・『氷菓』
以上、とりあえずうちの子が好きな作品を挙げてみた。大人用の作品も多いので、子どもがストーリーを理解できないときには解説してあげると良いと思う。まあ、子どもとのコミュニケーションの一環ということで。
なお、受けなかった作品としては『中二病でも恋がしたい!』(意味がわからないらしい)、『のだめカンタービレ』(なんかイマイチらしい)、『ぎんぎつね』(正直、ちょっと微妙…?らしい)があった。『とらドラ!』も一緒に見たが、子どもと一緒に見るにはどうかな?と思う部分もある。
今期の作品では『いなり、こんこん、恋いろは。』を楽しみにしている。あと、上記の作品の傾向から、うちの子が好きそうな作品を教えてくれると嬉しい。
男だけど、すごく分かる。
魔法少女まどか☆マギカみたいに、毎週、どんな展開になるのかドキドキワクワクするような作品を楽しみたいのに、
キルラキルはそのアニメーション作画はもちろん色もキャラデも演出もお芝居もコンセプトも他を圧倒し素晴らしく、30分息もつかせぬようなアクションに毎週興奮している。
もちろん世の評価も高く、非の打ち所が無いというか「あれイマイチだよね」と言おうものなら「萌えヲタには解らないだろう」もしくは一周して「何すかしてんだよ」という視線を浴びてしまいそうな程の作品と言おうか。
なのでちょっと言いにくいのだが、自分はこの作品を見ているとどうも引っかかる。作品自体と世の中の評価に。
何を当たり前のことをとお思いだろうが、恐らく皆さん(男性的視点で見ている皆さん)が思っている以上にこの作品は男性向けなんだと思う。
一つ一つ理屈をこねても仕方ないくらい生理的なものだと思うのだが、挙げるとするとまず「視点」。
主人公の流子は強く格好良くて魅力的で、気持ちの良い主人公だと序盤は楽しく見ていた。
ところが戦闘ごとに露出度の高い制服を着せられ、毎回恥らいながら戦闘しているではないか。
今まで彼女の視点で世界を見ていたのに、いきなり彼女が好奇の目に晒されることとなる。
急にお茶の間に引き戻される。悲しい境遇の中でも強く生きる彼女に感情移入して見ていたら、辛い気持ちになってしまった。
この辺りでやっと「ああこういうことを楽しむ娯楽アニメなのか」と気づかされる。
そしてマコの存在。色んな天然キャラは居るがこの天然の感じがどうも不快だ。
理由はこれこそ生理的なものだと思うが、存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「女」を娯楽として楽しむためのものだからだ。
自分はこの笑いのツボを持ち合わせていない。
と、くどくど語っているが別に作品を批判しているわけではない、「こういう作品なんだ」と思っただけだ。
そして萌えアニメと呼ばれる作品以外でこういうお色気作品というのは最近確かに少なくなっていると思うので、そういう意味であえて往年のドラマやアニメのオマージュとして要素を入れているのだろうということも理解している。
気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている点である。
従来からエンターテインメントにはお色気シーンはつきもので、女性もそれを幼い頃から見慣れているため普通に楽しめるようになっているのだろう。
だから多くの女性がこの作品に何も違和感を抱かずに楽しめていると思う。多くのエンターテインメント作品を見てきた(言ってしまうとアニヲタの)女性ほどその傾向が強いだろう。
むしろ頭の固い女だと両側から叩かれるのも目に見えているが、なかなか言う人を見かけないので言ってみました。
こんなことに引っかかっていて、じゃあ男女問わず楽しめる題材と表現を…云々言っていたら娯楽の表現の幅が縮小してしまうのも解る。
そこで思うのは、じゃあこの手の意欲作に、もっと男性的でない作品が増えてもいいじゃないかということだ。
ノイタミナの登場によりそれでもかなり増えたが、世間的に注目される意欲作ではまだまだ男性向けが多く感じる。
もちろん全てを把握している訳ではないが、アニメーションの良作と言われている作品の多くは男性的な作品であるように見える。
戦う少女、(男性的目線での)純愛、不思議な少女、銃声に跳ねる女性の死体、エロ、暴力、メカニック…
どれも面白い題材だが、もう少し幅があってもいいのではないか。
話は逸れるが「東のエデン」についても同じような引っ掛かりを感じていたことを男性ファンに話したことがある。
自分が「ヒロインが好きになれない。女性として感情移入出来ない行動をとる。それでいて女性主人公の恋愛をメインに描くとはどういうことだろう。」
と話したところ、
「そこじゃないでしょ、この作品はー!」
と返された。
そこじゃないのか。
今回のキルラキルの引っかかりも「そこじゃないでしょ!」ということなんだろうな。
そしてそう思う人口の方が多い。
でもそういう風に引っかかってしまう人間も、いるんだよと、頭の片隅に入れていていただけると、一石ならぬ砂利ですが投じた甲斐があります。
お粗末さまでした。
乙女ゲームやテニスの王子様やハガレンのキャラクターにガチ恋していて、夢小説を読みあさっていた。
百合にもはまっていた。ゆるやかなBLにもはまっていた。ファンサイトめぐりが趣味だった。
アニメイトでグッズを買っていたし学校でそれを使っていた。イラスト集、設定資料集、缶バッジ……
当然のように、アニメキャラに満たされるし、グッズは無限にほしいし、アニメできゃーきゃーいっていた。
でも数日の間だけだった。
萌えアニメ、ゲームに出てくるデフォルメされたキャラクターがみんなダメ人間に見える。
この人は童貞こじらせ、この人は共依存、この人は執着心が強い、これは空気読めないタイプ、この人コミュ障じゃん……など
現実世界の感覚が萌えの世界にまで侵食してきて、萌えられなくなってしまった。
アニメイトで売っているアニメグッズのクオリティは恐ろしく低い。
とても買えなくなった。そんなグッズが作られているのが悲しくなった。
予算と人員が足りないと思うので仕方がないと諦めるべきなのだが、どうにもこうにもお茶の濁すにしてもグダグダで、田舎っぽかった。
自由がなかった。閉鎖された村だった。
前科ものなので今でも萌えアニメや乙女ゲームを見ると飛び込みたくなってしまうのだが
昔は勢いで黙殺できていたものが、できなくなった。
保守的かつ偏狭。
自分の聞きたいものしか聞かない。
叩くだけ叩いて叩かれると屁理屈で返す。
会話にならない。
おそらく若くない。
(あと、これは偏見だがtwitterのアニメアイコン率が高い。)
勝手に著名人に絡んで意味不明な論理でまくし立てる。端から見てて怖い
自分のあたまでかんがえることができない。
自分の感情と、感情とネットの空気で選別した他人の理論しか使えない。
ニートとか無職とかいうレベルじゃない、もっと絶望的な存在である彼らを最近ネットで良く見かけるようになった。
非正規雇用とかはそれほど大きな問題じゃない。そういうレベルじゃなく人間として終わってる、ヤバイ、吐き気のする連中がいる。
文字でしか存在を認識できないが、大体何人くらい居るんだろう?気になる。数十人くらいのオーダーならいいんだけど。存在を信じたくないくらい頭がおかしい。
「社会人」や「サラリーマン」でプロフィール欄からのユーザー検索して何十人と社会人ユーザーの絵を見てきたけど
時間の取れない社会人とはいえ、やっぱり続けてる人が上手い傾向があるなあと感じる。
登録が2008年とかで、現在まで途切れることなく投稿を続けてる社会人ユーザーは偉い。そして、続けてきたなりのスキルがある。
2010年、2011年あたりで辞めてる社会人ユーザーは結構多い。
pixivという、アニメ系イラストの多い場所ゆえか、社会人と言ってもSEやプログラマ、技術者を名乗ってるユーザーが多いね。
時間のある高校生や大学生の絵が上手いのは当たり前だと思うし、個人的には社会人ユーザーを応援していきたい。
中には40歳過ぎて描き始めてる人とかもいて驚いた。しかも成長速度が早い。今までの人生経験とか仕事で得た、物事をこなす力全般が作画スキルに振られると思わぬ科学反応があるのか。
40歳過ぎても萌えアニメへの関心を失わない様は、30歳を迎えることにすら恐怖している俺に希望を与える。そうか、40歳でも、まだ新しいものを興味をもって受け入れ吸収する力が残っているのかと。
加齢により、単純な記憶力は減っても高度かつ抽象的な脳機能は向上するとかいう記事をどこかで読んだ覚えがある。
いや本当に時間のない中よくやってると思うよ。イベントにもしっかり出てたりして感心する。30歳過ぎたら体力も減る一方だろうに。
人に誘われて風立ちぬを見た。
宮崎映画は子供のころはよく見たけど最近はあんまり見てなくて、金曜ロードショーも飛び飛び、劇場で見たのは千と千尋くらいで、
全般的になんとなくストーリーはわかるけど思い入れは無いって感じ。
周りの感想はみんな褒めてて、いい映画だって言うから知り合いに好きじゃないとか言えない。
つーかそもそも否定意見も前記のとおり宮崎映画に詳しくないから語るほどのあれがない。
っていうか単にこじらせてるだけの逆張りなんじゃないかって気もする。
最初の感想は漠然とずるいっ思った。あとこれを好きになれない自分はだめだって思った。
ぼやーっとしててなんでそう思ったかは最初よくわかんなかった。
庵野の声のせいなのか、そういう演出なのかどうかは知らないけど堀越二郎という人間が普通の人にしか見えない。
にもかかわらず主人公は周りの人に褒められる、惚れられる、トントン拍子で話が進んでいく。
マイナスの描写を一切されないで、ひたすらプラスの描写しかしない。っていうか演出としてわざとマイナスなことを書かないようにしてるのが見える。
たとえば初めて自分で作った飛行機が落ちるという唯一の挫折シーンでも、
飛行機がうまく飛びました!→気がつくと避暑地に→飛行機が落ちた回想
っていう風に、一番いいところで落とすとショックが大きいからワンクッションおいて描写してる。
このシーンで、あ、この映画は戦争の汚いところも、技術者としての苦悩も書かない気だなって思った。
いや、それはそれでいいんだけど、でも堀越二郎という人間が凡人にしか見えないから、二郎をほめるシーンがすべて白々しく見える。
凡人だったら辿るはずの汚い道を全部見ないで、美しいものだけ見て、やりたい事やって、それは天才だけに許された特権だろ。お前凡人なのになんで天才扱いでそれやってんだよ。
ずるいずるいずるい。
どのシーン、どのキャラみても悪いシーンがない。
ヒロインが二郎さんともっと長く一緒にいるために私孤独なサナトリウムにも耐えるわ!っサナトリウムに行って、
何十分か後にやっぱり飽きて戻ってきて、いちゃいちゃしだしてもなんか良いことに書かれてる。
周りに反対もされるけど結局みんな認めて、でもやっぱヒロイン死ぬけどなんか素敵なことしてる風な扱い。
友人も嫌なとこがまるでなくて、ほんとに良いやつとしか描写されない。ホモっぽいくらい良いやつ。
上司も一瞬嫌なやつに描くけど結局二郎を褒める以外のことをしない。
自主研究会のシーンなんかではわざわざ褒めるシーンを入れる。
ストーリーの一貫性なんか気にしないでとにかく、ひたすらだけ素敵だけが書かれていく。
んでふと気がついた。あ、これは単なる萌えアニメとかの類なのか。
イタリアとドイツと日本の飛行機だぜー全部個性があって違うんだぜ?最高だぜ?かっこいいだぜ?そいつの極めつけがゼロ戦だぜ。やっぱゼロ戦かっこいいぜ。
ヒロインは外国文学をたしなむお嬢様で、若いころに運命的な出会いをした仲で、美人で病弱で、しかも結婚初夜は自分から誘ってくるんだぜ?ひゅー。
あぁ、なんだ、僕が勝手にこじらせて切れてるだけか。サブカル気取ってるから素直に良いっていえないのか。
そらみんな面白かったって言うよね。娯楽映画だもんね。娯楽映画を面白いって言うのは当たり前じゃないか。
んだよ普通に傑作じゃねえか
まーたネットの悪評に騙されるところだったわ
お前らほんと見る目ねーな
確かに評判通り子供が見ても退屈だとは思う
けど目を赤くしてる年配の人は結構多かった
:主人公の声
むしろあの淡々とした声が周りのベテラン俳優に囲まれることで一種の存在感を産むと言うか
:映像
すっげー良かった
みんな良いキャラしてた
互いに実力や才能を認め合ってる描写が節々にあってまさに技術者って感じだった
ホモホモ言われるのも、まあ理解出来る的なところもあったけど狙ってそういう描写があるわけじゃないです
:妹の加代がブラコンすぎて可愛かった
序盤の「にぃにぃ様、赤チン塗って差し上げます!」のシーンとか萌えアニメが始まったのかと思った
嫁シーンなんだよあれ、反則だろ
ここは言いたいこといっぱいあるけど、ここに限っては実際に見て欲しいので何も言わない
というような感じのことを誰かと話したかったのですが
http://cruel.org/wsb/burroughs.pdf
カットアップで記録を破壊し書き換えることで、現実を本当に変えられる(そしてそうすべきである)と主張していたバロウズには、具体的に変えたい記憶(現実)があった。でも、そういう記憶は、カットアップしても、破壊されなかった。破壊されるどころか、各断片がもとの記憶の全体を呼び起こすポインタ/ハッシュ値になってしまった。カットアップすればするほど、それはますますその記憶のかけらをいたるところにまき散らすだけだったということだ。
(中略)
記憶を自分の都合のいいように改竄してしまう人には、ぼくたちみんな出会っている。中には自分のまちがいを認めるのがいやで、ウソをついている人もいるけれど、本当に自分の記憶を改竄して、なかったことをあったことにしてしまっている人はたくさんいる。一方で、スターリンや中国共産党みたいに、オーウェル式に記録をすべて書き換えることで、たとえばトロツキーをいなかったことにしてしまったりする例もたくさんある。
でも、この両者は同じものではない。スターリンが公式記録を書き換えたようには、自分の記憶は書き換えられない。そしてこの両者は、なかなか両立しない。書き換えようとするその行為自体が、記憶の中で実際にあったできごとを一層はっきりさせてしまうからだ。つまり、変更前と変更後をちゃんと理解していないと、十分な書き換えはできなくて、その変更前の状態を知っている限り、自分の記憶は残ってしまう。自分の記憶を書き換えるには、ゆっくりと、すこしずつ、自分で気がつかないうちにやらなきゃいけない。記録があるという記憶まで抹殺しなくてはならない。意識的にカットアップなんかをして、記憶を書き換えようとしているうちは、絶対に自分の記憶は――そして自分にとっての現実は――なくならないのだ。
この文章を読んだ時、俺ははっとした。そうなんだ俺も同じことをやっていて、だから俺はバロウズの小説にハマっていたのだということに気が付いた…いや気が付かされた。
俺は地元の三流大学を卒業後、とあるゲームスクールに入学した。大学も好きで入った訳でもないし、自分が好きなことを学びたかった。あとは社会に出るのがたまらなく怖かった。
で、俺はゲーム業界に入ったのか。いや挫折(笑い)したよ。大学でも言語は学んだし、成績は「優」だった。でも全然通用しなかった。あの三流大学でのプログラミング授業なんかママゴトに等しい、そう感じた。それよりもなによりも俺はアルゴリズムの立て方が下手だった。それでも前期はなんとかやり過ごせた。しかし一年の後期での皆の自主制作を観た瞬間、もうダメだと。学校とはいえ「公の場」のディスプレイに「萌えアニメ」画を「壁紙」にする、端末周辺に人形を置く。そんな連中に負けた自分がそこ(学校)に居るという現実に耐えれなかった。
それでもまだ自分には可能性があるのでは?と考えた末、一旦ブランクを入れて考え直そうと思い、当時通っていた精神病院に書いてもらって休学することにした。休学中は最悪だった。うん、ダメだ、この時期についてはまだ自分で文章化するほどに整理がついていないようなので止めよう。
で学校辞めて、いくらかのブラブラ無職生活を経て就職活動。開発でなければどうにかなんだろ、という甘甘すぎる考えでIT業界に書類を出しまくるが当然の如く落ちまくった。でも幾つか引っかかってなんとか社会に潜り込むことが出来た。
でさ、面接で当然「空白期間の4年どうしていましたか?」訊かれる訳だ。それに対して俺は「大学卒業後、スーパーで社員になるつもりで(4年間)働いていました」と。これは以外にも成功した。大学在学中と休学中にスーパーでバイトしてたから色々突っ込まれても対応できたし。俺はどうしてもあの空間に自分が居たという事実を認めたくなかったんだ。これは面接に限ったことじゃなくても改ざんする。経歴を語る場面において全て無かったことにする。俺は脳からあの記憶から消したかった。
でここで最初の引用文だ。俺が経歴を語る場面に置いて、改ざんした経歴を語れば語るほど、あの学校に居た記憶が呼び出される。対外的にはできるけど、自分の頭は騙せない。語れば語るほど屈辱に満ちた時間が蘇る。俺はバロウズの小説の「カットアップで現実を変える」に希望を感じながら、引用文のような事実に無意識で共感していたからこそ、(バロウズの小説に)惹かれていったのだと今更ながらに思った。
でも、俺は改ざんすることを止めない。馬鹿としか思えないが、バロウズの「カットアップで現実を変える」という銘を信じて、俺は脳から消して見せる。それを宣言したい、そして整理したいために匿名ダイアリーに書いた。
以上、駄文終了。
萌えとエロの境界線が薄れている気がする(http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/07/05/214058)
空想することなのでフェティッシュを喚起するアイテムとして絵やテキストが用いられる。
もののあはれにフェチを感じる人もいればバタ臭い乳袋を萌えという人もいる。
ただ「萌えとはこれのこと」と大多数が同意する概念はすでにできていて、
ライトノベルは、大多数が受け入れやすい「同じフェチ」を大量生産しました。
その結果のライトノベルブームであり、ラノベアニメ化の波による萌えの均一化です。
製作コストがバカ高いノベルゲームをもっと手軽に商品にしたいという理由でできたのがラノベです。それが全てとはいいませんが。
初期のラノベは作家もイラストレーターもほとんどがエロゲ制作を知っている人です。
一般にも受け入れやすい萌え要素を「唯一の萌え」と規定して萌えアニメ化した。
これが昨今の萌えの正体なので、エロゲをタブーと見る大多数の人か嫌悪しないよう、
境界線があるように振る舞うのが萌えアニメの処世術だったわけです。
エロは日陰者でなければならない。
そうでなければ犯罪の温床だとかなんだとか規制派がぞろ騒ぎ出す。
日本人が特別だからではなく、日本のコンテンツ規制が緩いからです。
ワンピースのサンジが米国のコミックではタバコではなくロリポップを咥えているのは、
米国のコンテンツ規制が緩ければ、少年ジャンプがアメリカで生まれていたっておかしくはないのです。
エロゲのことなんかはやく忘れて、萌えとエロにはばっちり境界線があったことにして、萌えアニメを楽しんでいたほうが世界のためです。