はてなキーワード: 甲斐とは
ウォシュレットで一番いやらしいボタンがある。何も「おしり」などという押すのもためらわれる無遠慮なものを挙げる必要はない。私としては慎ましく乳房の先を思わせるフォルムの「止」ボタンを推したい。
我が家の「止」も多分にもれずいやらしく、私などは生来、用を足すたび用はなくともいやらしく「止」を弄くり回したものである。
その甲斐あってか近頃など「止」の端に触れただけでその切っ先は敏感に反応し、思ったより早めにウォシュレットが止まったりする。ははぁこいつこなれてきたなと用もなく便器に座り、「おしり」を押す。そして「止」を撫で回す。
しかして敏感にウォシュレットは止まる。ということもない。虚を突かれた思いだ。少し失望し「止」を押す。強めに押す。止まらない。なんの事はない、「止」は使い過ぎで壊れていたのだ。
しかし、尻に水は当たり続ける。ぼう然と座りつくす。信号が赤なら人も車も等しく止まり、青なら進む。ウォシュレットが止まらない時はどうするのか、どこかで習った記憶はない。ああコンセントを抜けばいいのかと身体をひねる。的確に尻を狙っていた水鉄砲は便器の前の壁を濡らす。どうしろと言うのだ。理不尽を背負いながらトイレットペーパーで拭き、水を流す。
毎回止めるたびにウォシュレットの尻拭いをしなければならないのだろうか?
単純に制作の手間として、「百万人の大観衆」を描くとき、漫画と小説だったらそら後者が楽だわな
例えば小説はぱっと見で面白さがよくわからなかったりするから、作家として腕(というか努力)が認められにくいってことはあるかも
同人女の感情が面白い。おけけパワー中島で有名になったマンガだ。
私自身はTYPE-MOONとか装甲悪鬼村正とかといった男オタク向けの作品を好む女オタクであり、美少女絵を自分で描き、かつBLは全く持ってダメである。だから、腐女子も正直苦手だ。
特に腐女子特有の神と追っかけの関係がよくわからない。同人女の感情に出てくる登場人物たちが中島に嫉妬するところが全くわからないのだ。あんなんリア友なんだねって思って終わりやん、くらいにしか思わない。
彼女らの神に振り向いてもらいたいという創作の動機は全く理解できないが、ああ、こういう動機の人がいるからあの界隈ドロドロするのかなー、みたいなマツコの知らない世界を覗いたような感想を持った。
だがたった一人、銀トリの小説を書いていた彼女の話はよかった。
自分の頭の中の妄想を表に出すために努力し、それが報われる。こういう王道の話は大好きだ。
そして綾城さんをめぐるこの世界がどう決着をするのか、気になる。
あとこれを書いていて気付いたが、私はおけけパワー中島というキャラが好きなのだ。だって絶対いい奴やん。友達をいつも応援して、友達の昔の同人誌もちゃんと保存してて、絶対友達甲斐がある人だと思う。
原作は読んでいない。映画の描写だけで判断するが、死んで当然のクソ旦那かと言われるとNoなのだ。育児に協力しないでネットでイクメンを演じていることを罪のように言われるが、実際に結婚する際に大量の借金まで返してやったという時点で経済的にはまったく不自由させていないことがわかる。育児に協力しないというが、経済的には100%必要を満たしているわけだから、家事と経済の分業をしているわけで、死んで当然のクソ旦那か?と言われるとNOである。イクメンを演じたいならきちんとやれよというのはわからんでもないが、妻の方は妻の方で不倫はしてるわ、旦那を愛してないで結婚するわ、正直さっぱり旦那だけが責められてるのがわからない。旦那も不倫してる節はあるがそこは明示されてないのでわからない。
実際に死ぬべきクソ旦那だとすると、子供も育てず金を家に入れずに酒ばかり飲んで暴力を子供や妻に振るい、キレ散らかす程度のヤバさがあるべきだと思う。田舎のやばい旦那はそのレベルであり、作品の空気としてのヤバい旦那としても描写は、正直なところよくわからない。育児をしない旦那というのは死ぬほどのクソ旦那か? だが、経済的な甲斐性から見ると専業主婦に全て任せるというのは、決しておかしなことではない。偉そうに育児を語ってるんじゃねえという話ならわかる。しかしクソ旦那としてのレベルはかなり低い。モノホンのクソ旦那はマジでヤバい。悪霊を呼び込んだ子供は、別に育児放棄を悪霊を呼び込んだ時点でされているわけでもない。性的虐待をされているわけでもない。悪霊を呼び込まれてぶっ殺されて納得のクソ旦那ではないのだ。むしろ、家族を守る旦那としての理想像の原点方式からしたら満点には程遠いが、それでも「家族を守るために危険地帯にわざわざ行って死ぬ」というだけで相当勇気のある良い旦那ではある。
なんか、「家族像の理想点が高い」とか「親に対するハードルを作品をつくった人間が高いんだな」と思う。
正直、あのレベルなら家族としては決して崩壊しているレベルではない。
秋葉原通り魔事件。宮崎勤の事件。ああいう事件で「抑圧されて育った人間の歪み」を見聞きするたびに、他人事ではないなと感じる。
母親は教育関係の仕事をしており、子どもを立派な大学に入れたスーパーマザーである。
しかし、その子どもは、無事に無い内定引きこもり無職(一応学生)となっている。社会性が育つ場面で極端に制限をかけられた子どもがどうなるか。20年をかけた壮大な人体実験の記録を一つ読んで欲しい。
1.恐怖で抑圧させて勉強させられてきた幼少期
私は物心つく3歳の頃から、毎日「ノルマ」を課せられ、やりたくもない勉強と向き合い続けてきた。母親が帰ってくる前までに母親の決めた「ノルマ」を仕上げないといけない。このノルマが終わっていないと、「指導」が始まるのである。例えば、「なぜ今日は出来なかったのか」について一時間、二時間、と向き合う。答えられず無言でいると「そうやって私を無視するのか」と詰められ、「バカだったからです」と答えれば「勉強が出来ないバカは家から追い出す」、「離婚したダメ父親の元に送る」、などが提案される。この「話し合い」は深夜にまで及び、「なぜできなかったのか」答えさせられる「自己批判」の時間では「どのように答えればこの人は納得して寝かせてくれるのだろうか」をパニック状態の頭で考えることとなるが、どれを答えても地雷。最後には不甲斐ない自分に関する悔し涙を流す。すると「反省しているポーズをとるな」と詰められる。涙を拭けとティッシュを渡され、鼻水を拭いたティッシュを丸めて置いておく。
「今日のノルマをやってから寝るよ」。勉強をしていて情けなさに涙をこぼすと、「泣くな!」と怒られ、鼻水を拭いたティッシュを口に入れられることもあった。彼女自身、子どもを支配するのに必死だったように思う。子どもの一日というのは大変長く、誘惑に満ちているので、ついつい遊んでしまうのだが、昨晩課された、あるいはノルマ棚に置かれたプリントを見て勉強をするほど私は賢くはなく、この「指導」の時間が辛く無駄な時間だったと感じる。
そんな物理的な圧で勉強に向かわせてくる母親であったから、うちはゲームが禁止だった。周りの友達が全員「たまごっち」を持っている中、買ってもらえずに輪に入れないということもあった。何度かお願いをしてみたのだが、ダメだったし、この人には何を言ってもダメだと分かっていたから、諦めた。現在、「スーパーマリオ」や「ポケモン」は基礎教養だと思うが、私はそれらで遊んだことが無く、アクセスできなかったため、それらに関する話題が出た時に全くついていけないのがかなり困っている。一生困ると思う。「ポケモンの金銀並みだな~」とかいう比喩表現を聞いたとき、「そうですね」とへらへらと笑って合わせていくスキルを20過ぎに身に着けたが、付け焼刃感というか、相手の言っていることが何も分からないので悲しい。
友達の家でやればいいというお声もあるだろうが、「母の目の敵にしているゲームを触ること」は私にとっては「大麻にトライすること」くらいハードルが高かったのである。今でもゲームをしている人を見ると謎の居心地の悪さを覚えてしまう。
漫画は、年の離れた兄弟が大量に所持しており、そこからこっそりと借りることが出来た。捨てられたジャンプから、好きな漫画をカッターで切り抜いて、単行本を作っていた。ただし見つかると「私刑」である。生命活動を勉強時間に全振りすることで東大に合格できると思い込んでいた母親は、勉強以外の活動をしていると烈火のごとく怒った。弟の気に入って隠し読んでいた「純情パイン」は八つ裂きにされて捨てられてしまった。
幸いにして私は小説を読む方にはまっており、私のメインの趣味である読書は「推奨」される行為だった。(ただしノルマをやった後、寝る時間を惜しんで読書を優先すると叩かれる)図書館のお気に入りの本は読みつくしたし、母親の検閲(中身には興味がなく、文字かそうじゃないかが重要だった)をクリアする「涼宮ハルヒの憂鬱」等ライトノベルには大変お世話になった。グロ系や耽美、18禁のものも、「本」なので良かった。ここに関しては寛大な処置を頂いたと思っている。
そんな読書少女に育った私は、頭でっかちの、言語性だけが身に付いた、悲しいモンスターだった。小学生の頃、女子特有のクラスのトラブルに悩んだ時、最高指導者である母に相談してみた。すると「増田ちゃんはそんなレベルの低い子と無理して仲良くしたいの?」と一刀両断。そうか。周りの子はレベルが低いから、関わらなくていいのか。誤解した増田ちゃんは「基本的に物腰は柔らかいが、トラブルにすら巻き込まれないように一歩身をひく付き合い」を心がけるようになる。また、友達と遊ぶことは制限されており、家に友だちを呼んではいけなかった。新しい友達も「どこの、誰で、何をしている親の、どういう子」かを説明するという責任があり、母親に認められない子と遊ぶことは良い顔をされなかった。そんな中でも文通をしたり、こっそり会うといった方法で仲良くしてくれた友人には頭が上がらないのだが、やはり「友人と遊ぶ」ことがダメなので、せっかく仲良くなったクラスメイトとお祭りや、ショッピングなど楽しいイベントに出かけることは出来なかった。(そもそも自由なお金がなかったし、バスにも乗れなった)
高校では、最初は素敵な友人グループに属させてもらった。友人たちと仲良くしてもらって感謝しているが、その中でも「この間のショッピングモールで~」のような会話にはついていけないことが増えていく。ついに深い交流をすることは出来なかった。今でも交友関係を続けている同級生同士がとても羨ましい。
そういった抑圧の下で生きてきた結果、やはり20代半ばで実感しているのが、「勉強だけ出来てもダメ」ということだ。
最近の教育分野では「非認知能力(社交性とかもろもろ)」が重視されているが、詰め込みノルマ型の勉強の成果をどうにか形にしたり、就職して社会に還元したりする上ではこの能力が必須である。元々ASD傾向がある上に、社交の一切合切を無駄と切り捨てられて育ったことは大変大きな損失だった。そもそも母親も社交スキルが低く、同級生のママを見下しながら、自分が適応できないことの憂さ晴らしをしていた。母親も、社交スキルをどう教えて良いか分からなかったのだと思う。その結果、「コミュ強を見下す」という戦略に走ってしまった。結果はどうか。増田で長文を投稿し、コロナもあって友人関係が更に狭まり、就活で全滅の、「無敵の人」予備軍の出来上がりである。
母親は上記のようなことをほぼ忘れ、「でも〇大に受かったから、よくママ頑張ったでしょ」と承認を求めてくる。〇大に受かっていなかったら、今よりも肩身が狭い、バカのコミュ障が出来上がっていたかもしれない。
ただ、〇大に受かった後、うつになり、頭の良さがかなり下がったので、結局「何もできないコミュ障」が完成してしまった。
20年をかけ、社会的なコミュニケーション能力を切り捨てて詰め込み教育をするとどうなるか??うつになり、頭も悪くなる。
「アルジャーノンに花束を」のチャーリィよろしく、どんどん阿呆になっていく様を記録して後世に残すことが私の役目なのかもしれない。
新卒就活の時の希望は「結婚しても出産しても長く働ける会社」だった。
民間企業だと難しい条件だと思ったので、1年かけて公務員試験の勉強をして、公務員ではないけどそれに近い団体の職員になった。
カレンダー通り休めて、有給消化もばっちりで、子持ちの女性もたくさん働いている希望通りの会社だ。
「あがり」だ。私はそう思った。でもそこはある種の地獄だった。
結婚出産がキャリアに影響しずらい分、女性に対する結婚出産圧力がすごい。しかも男性からではなく、女性からの圧力がすごい。上から横から下から、私はまるで男と番って子供を産むために存在するかのようだ。職場結婚も多いので、男性の職員と雑談してるのを目撃されただけで「付き合ってるのでは?」と噂が立つ。
子供を産めば産んだで、旦那や子供に対する詮索が始まる。どこに勤めてるの、どこの学校に行ってるの、兄弟構成は、子供の恋人は(!)、などなど。しかし詮索する方もされる方も「旦那と子供のスペック=女の価値」と思ってるので、旦那の愚痴と「子供をどうすれば”まとも”に育てることができるか」への執心がすごくて「まともじゃない子なら自分の手で殺したい」という人を見かけた時は戦慄した。
あと家族主義がすごい。すぐ実家に帰るし、実家に帰る頻度を聞かれるし、結婚出産の圧力も結局は「ご両親を喜ばせるため」だ。人の親である人が多いので、私に自分の娘息子を重ねてるのかもしれない。やめてほしい。
「女性が働きやすい職場」の現実を見て、あまりの気持ち悪さに転職を考えた。それにあたって、なぜ自分が新卒時にこんな職場を目指したのかを考えた。
私は子供の頃から鈍くさくて不器用な子で、人間関係でつまずいて小学校のとき不登校になった。「まともじゃない子」だ。
「大人は仕事をするのが義務、子供は学校へ行くのが義務。義務を果たさない人間に居場所はないんだよ」と両親は言った。唯一勉強が得意だった私は、「学校には行ってないけど、学校に行った子より成績が良いよ」と返した。実際そうだった。
その後学校に行けるようにはなったけど、何度も学校生活につまづいた。頑張っていた甲斐もあって成績は良かったけれど、両親の望むような快活な優等生ではないという自覚があり、彼らの胸先三寸で私の「居場所」はどうにかされるのだといつも思っていた。私に出資する価値はありますよ、不登校にはなったけどあなたたちの求める「まともな子」になれるんですよ、というアピールとして「たくさん勉強して良い大学に入って、女性でも長く働ける職業に就きたい」と主張して、大学に入って就職した。仕事・結婚・出産・介護、娘という存在に可能な価値の最大化をしてみせないと進学させてもらえないと思ったからだ。
結局私は、サーカスの象がエサのために芸をするように、勉強や就職をしていただけにすぎず、それのヴァリエーションとして結婚や出産があっただけなのだ。
それに気づいたとき、私はなんて荒涼とした価値観で人生を歩んできたのだろうと思った。ここまで頑張ったけど、私は両親のことも、勉強していた学問のことも、仕事も、男性も、まったく好きではない。ただ義務感しかない。そしてもう義務感だけで何かを成せるとは思わない。
ということで、私は自分の人生から、結婚と出産と、ついでに両親を外すことにした。
転職先は拘束時間が長いこともあって、家庭を持って働いてる人は非常に少ないし、子持ちの母親はいない。申し訳ないけど、この環境にすごく心の安らぎを感じてしまっている。
もしかしたらこの先、本当に他人を愛せて、家庭を作りたいと思う時が来るかもしれない。その時は結婚と出産のことを考えたい。もう子供を望めない年齢になってるかもしれないけど、昔の自分のような虚無を生み出すよりははるかにましだと、私はそう思う。
自分の勤務先では毎年6月に全社員参加のボーリング大会を開催している
新入社員が2ヶ月間の研修を終えて6月に配属されてくるので、その歓迎ということも兼ね、かつ他部署の人たちとの懇親も深めるという意味合い
ハンデとして女性には+30点加算されて総合順位が決まり、上位だと結構な豪華賞品が貰えたりする
自分はボーリングがそこそこ得意で調子が良いと170~180くらい出せるのだが、昨年は組み合わせが悪かった
他部署との交流も目的なので全部署ごちゃ混ぜで4人毎に各レーンに割り振られるわけだが、同じレーンにとんでもない巨乳の子がいた
胸にボーリングの球…はさすがに言いすぎだがメロンかスイカが2つ入ってるんじゃないかというレベルの爆乳
つい気になってチラ見してしまうので全然集中出来ず、その子が投げ終わると胸を揺らしながら戻ってくるので更に集中出来ない
自分の投げ順はその子の次だったのだが、ボールを顔の前に構えて直立不動の姿勢になるとちんちんも直立不動になっているのがバレてしまうので
仕方なくメジャーリーグの投手のセットポジションみたいな前屈みの体勢で勃起を誤魔化して投げていた
そんな状況だからスコアもボロボロで、2ゲーム合計でスコアは200点もいかず、入社以来最悪の成績で大会を終えた
平日は帰宅後に水を入れたバケツをボールに見立てて水を溢さないように腕を動かしてフォームを固めるとともに、
カーブボールを何回投げても手首が疲れないようにするため、砂を入れたペットボトルを持って手首を返す練習を毎晩行った
自分語りになる。自分がフェミニズムに出会うことでどう救われたかという話をしたい。
25歳男。人生がうまくいっているかいないかでいうと、あまりうまくいっていないかもしれない。就職した職場であまり仕事ができなくて適応障害になったり、発達障害がわかったりといろいろあった。今も彼女がほしいけど出会いがなくて、マッチングアプリをやっている。まだやり方がつかめてなくてうまくいってないけれど、心は穏やかだ。なんで穏やかなのかというと、フェミニズムのおかげだ。
そもそも女性への興味が昔から強かった。幼稚園とか小学校のときから「好きな女の子」がいつもいた。男の子と遊ぶより女の子のグループに入りたかった。今思うとちょっと避けられたりもしていたが、それに気づかずめげないくらい女子が好きだった。
だが、勉強を大事にする親には塾に通わされ、中学受験をさせられた。そこそこ勉強はできたからか、受けたのは男子校ばかり。親は、内申点とか気にしなくていいから中学受験せず中高一貫校に行ったほうがいいし、男子校の方が周りの目を気にせずのびのびできて楽しいと言って、男子校を勧めてきた。まだあまり自己主張がはっきりしていなかった俺は言われた通りにして、結局中高一貫の男子校に進学することになった。
男子校に入ってそこそこ楽しくやっていたが、悩みの種はやはり女子がいないことだった。中学受験せずに地元の公立中(もちろん共学)に進んだ人が羨ましかった。
時効だと思うから告白すると、女性への興味が昂じるばかりの俺は、俺は痴漢や覗きすれすれのことをするようになった。空いている電車で向こう側にスカートの女性が座ったら、毎回覗き込もうと努力せずにはいられなかったし、そもそも空いてる電車ではセーラー服の女性の向こう側に座ろうと努力した。同じ時間の電車に乗っていると、短いスカートを履いていた同じくらいの歳の女の子がいて、彼女はガードが緩かったので、覗き込むとたまに下着が見えた。なぜか彼女はしょっちゅう違う車両に乗ってきていたのだが、それくらいの方が見つけ甲斐があった。
電車が混んでるときは女性の近くに立つよう頑張った。もちろん服越しにだが、たまたま下半身が触れ合ってしまうことを楽しんだ。やましい気持ちもなくはなかったが、何より混んでいるのだから仕方がない、仕方がないけれど嬉しいなあと思っていた。
さて、そんな俺がフェミニズムに出会ったのは大学に入ってからのことだった。同級生のことを好きになり、フラれ、ストーカー気味になったこともあり、いろいろがあった末に、女性のことを知りたいと思い、フェミニズム関連の本も読むようになった。
俺はこの世界がいかに男女不平等なのかを知った。女性がどれだけ男性に苦しめられているのかを知った。もしかして俺が人生でしてきたことも良くなかったのかな、と思って沈みもした。
でも、フェミニズムについて勉強することで気分は明るくなった。進むべき方向が明らかになったからだ。フェミニズムを勉強し続けている限り、俺はただの痴漢やストーカーではない、悔い改めながら前に進んでいる人間だ、と思えた。
フェミニズムに出会うことがなかったら、と時々恐ろしくなる。俺は出口が見つからず、本当に痴漢をしていたかもしれない。ストーカーになってしまっていたかもしれない。そして何より、そんな自分に嫌気がさしていたことだろう。フェミニズムに出会ったおかげでこれ以上進むべき道を誤らずに済んだし、贖罪に励むことができた。俺がTwitterで女性差別や人種差別に対して声を上げ、フェミニズムについてみんなに知ってもらおうと思ってつぶやいているのも贖罪のためだ。
男性特権を刷り込まれるこの社会で生まれ育った男子は、みんなひとつやふたつ後ろ暗いことがあると思う。そこから目を背けていていいのか? 一回ちゃんとフェミニズムを勉強して向き合ってみるのがいいと思う。
フェミニズムを学んでいてよかったのはそれだけではない。
フェミニズムについてつぶやいていたら、Twitterで女性アカウントと絡めるようになった。フェミニズムについて学んでなかったら無理だっただろう。もっと女性に縁のない生活をしていたと思う。
マッチングアプリでも、たまに「フェミニズムに理解のない男性はお断り」といった内容をプロフィールに書いているきれいな女性がいる。今の俺なら自信を持って話しかけることができる。(まだ成果はないけれども笑)
まあ人生は苦しいよ。仕事できなさすぎて肩身狭いし、彼女はできないし。
辛いとき、俺はデリヘルを呼ぶ。といっても、普通のじゃなくて、M性感。貧困女性の搾取には加担しなくないから、女性が主体的に働いているお店を選びたい。
楽しそうに責める女性を見て俺は嬉しい気持ちになる。女性にはこうやって輝いていてほしい。微力ながら協力できてよかった。そう思いながら射精すると本当に気持ちいい。
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
8/31
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