はてなキーワード: 旅客機とは
エアバスって今でこそボーイングを凌ぐほどの勢いだけど、設立された当初はボーイングにダグラスにロッキードにと米国メーカーが市場を席巻していて、本当に欧州製の旅客機なんかが売れるのかという雰囲気だった。当初はイギリスが主導となって、フランスドイツと共同でエアバス計画を進めていたんだけど、いきなり「なんか売れなさそうだし、うちのロールスロイス独占にしてくれないみたいだし、俺抜けるわ」って感じでイギリスが脱退しちゃったんだよね。
結局フランスとドイツでエアバス計画を進めなきゃいけなくなって、苦労しながらA300っていう最初の旅客機が出来たんだけど、これまたなかなか売れなくて実際減産することになってしまった。それでもフランスとドイツは諦めずにいろんな販促策を打って、3年かけて米国の航空会社の売り込みに成功して、数年かけてようやく売れるようになってきたんだよね。
そしたらイギリスが「俺もエアバスに入れろや」と言ってきたわけ。これがイギリス紳士の生き方。卑怯という名の紳士、それがイギリス。あんな国を信用してはいけないよ。
例:
とらの大奥義「神鳴(広範囲に強力な雷撃)」が、潮との連携で「神鳴華火(全範囲に強大な雷撃)」に進化
各話を攻略すると、パラメータ上昇や技を取得させるアイテムが手に入り、うしとらを成長させることができる。
更に、特定のバトルでサンピタラカムイや河童らサポートキャラが登場、一時的にパワーアップが起こることも。
うしとら以外のプレイヤーキャラで本編の裏ストーリーを体験するモード。
中には日輪や流ら伝承者が獣の槍に選ばれる「禁断章」ストーリーも。
そしてオリジナルシナリオ「禁断章:もう一つの魔槍」では、オリジナルキャラが時逆ともに様々な時代を旅して、もう一本あると言われる獣の鎗の正体を追う。
「うしおととら」モードと同様、レベル・スキルアップアイテムとサポートキャラが存在する。
各モードで手に入れたスキルやアイテムで各キャラの育成・カスタムができる。
髪の色、服装はもちろん、アイテムによってはキャラ相性を変容させることも可能。
メニューキャラはHAMMRの3人。こちらの育成に、いちいち気に触ることを言う。
1vs1の対戦はもちろん2vs2の協力プレイ、
そして最大20名協力プレイであやかしや白面に挑む「巨大妖怪モード」を実装。
その時の戦い次第で、法具や妖力を著しく強化するレアアイテムを手に入れることができる。
対戦回数には週毎の限りがあり、課金で増やせる。
また、より多額の課金によりアイテムの直購入が可能(ただしIDにドーピングマークが付き、別ランキングになる)。
相棒: とら
(どのキャラと組んでも概ね強い)
(特定の条件で潮やとらと組んだ時だけ出せる大奥義がかなり強い)
(潮との隠れ大奥義が強い)
相棒: 九印
(うしおと組むと極端にパラメータがブレる)
相棒: 悟・流・潮
相棒: 日輪・悟・とら
相棒: 流・日輪
(潮と組むとパラメータに劇的な変化が発生)
(誰かと組むと能力が30%以下に)
相棒: 潮
相棒: かがり・潮
(とらとの大奥義はかなり強い)
相棒: 雷信・とら
(他妖怪と組んでも能力値上昇、神野と組むと華鎚が使用できる)
相棒: 山ン本
(他妖怪と組んでも能力値上昇、山ン本と組むと華鎚が使用できる)
相棒: 山ン本
(潮とのタッグで成長度にボーナス)
相棒: キリオ
(ほぼキリオ専用だが、とらとの隠れ大奥義あり)
(殆どのバトルで勝利可能、オンラインですら時間が巻き戻され、アドバンテージが取れる。ただし、戦うたびにミノルの死が近づき、ミノルが死ぬと一切使用できなくなる。プレイヤーの善意を揺さぶるキャラ)
(一本道を追いかけながら、麻子らの櫛ずりを助けるミッション、高難度)
(オンラインでは体内に入るのが困難)
(オンラインでは複数の飛行機間を移動、一機でも落とすと失敗)
(オンラインでは黒炎を従えての大乱戦)
(上記の大妖を尾に持つラスボス。滅法強い)
地元での話だが、ある休日ぶらりと近所を散歩していたときのこと。
晴れた空を旅客機がいつもより低い高度で、いつもより大きなエンジン音を
響かせて頭上を通り過ぎていったのだ。
真上を通過してからの飛行機はみるみるうちに小さくなっていった。
正直、旅客機がこんなに速いものとは、これまで思ったこともなかった。
自分が子供のころは、上空を過ぎ去る飛行機の見た目の大きさはせいぜい月と同じくらいで、
ゴーゴーとかすかな音が聞こえてくる程度だった。動きも地上からではひどくのろく見えたものだ。
さらに驚いたことに、飛行機が飛び去っていくと、その飛行機がやって来た同じ方角から早くも次の便の旅客機が
この広い空を2機以上の飛行機が飛び交うのを見るのは、少なくとも地元ではなかった。
ずいぶんと空が狭くなったな、と自分は感じた。一種の不快感と共に。
SFやファンタジーでは、空中を様々な乗り物が行き来する光景が描かれることがよくある。
しかし、考えてみるといい。視界の上半分をそんな大きな箱物が動き回る世界がはたして快適なものだろうか。
エコ・テクノロジーの代表である風力発電が、近隣住民にシャドウフリッカーなどの健康被害を与えている
自分はこれまで飛行機が苦手だったが、最近になってようやく安心して乗れるようになってきた。
なぜ飛行機が苦手だったか。それは飛行機の基本設計の古さが怖かったからだ。
例えばジャンボ(B747型)の初飛行は1969年である。大阪万博より前。パソコンすら登場していない時代に設計されたものに乗るなんて恐ろしすぎて無理だった。というか、そんな時代に作られたものがよく何百人と人を乗せて飛んでいたな、と思う。オーバーテクノロジーというか、怖いもの知らずの無謀としか思えない。例えば1969年のカローラなんて骨董品レベルに古い。その頃建てられた建築物も、今見るといろんな部分が雑だったり華奢だったりに見える。建物ですら不安なのに、同じくらいの年に設計された飛行機に命を預ける気には到底なれない。(逆に言うとジャンボが登場した時の先進性ってすごかったのかもしれない。とても骨董品カローラと同じ時代に生まれたものとは思えないから。)
今でも日本の空を飛んでいるB767は当初「ハイテク機」と呼ばれていたけど、これだって初飛行は1981年である。まだファミコンも登場していない。そんな時代のテクノロジーで飛ぶ飛行機なんて恐ろしくて乗れたものではない。そして、現在主力のB777も初登場は1994年。これだってやっぱり怖い。この年に発売されたスーパーコンピュータは1テラフロップスの処理能力があったそうだが、PS4の処理能力は1.84テラフロップスである。今目の前にあるPS4よりはるかに劣るコンピュータで設計された飛行機なんて恐ろしくて乗れたものではない。
最近増えてきたB787は初飛行が2009年だ。この飛行機が沢山飛ぶようになって、私はようやく飛行機が怖く無くなってきた。さすがに2009年ならちゃんとしたシミュレーションの元で設計されているんだろうなという安心感がある。
旅客機は一度登場するとモデル寿命が以上に長い。もちろんいろんな部分をアップデートしているとは思うけど、基本設計自体は平気で20年前とか30年前だったりするのが恐ろしい。自分の子供の頃から大して進化していないように見える。
他の人は怖くないんだろうか。
こんなことを書くのは不謹慎極まりないことは承知だが、あのような豪快な自殺を遂行できた彼を羨ましく思う。
あの墜落事故が単純に操縦士が自殺目的で飛行機を落としたと仮定しての話ではあるが、操縦桿を握った彼が故意に墜落させたのは報道を見る限り確からしい。
ちなみに自分は今のところ自殺願望はないが、いつ死ぬか如何に死ぬかを自分で選びたいので、何年後あるいは何十年後か分からないが自殺するだろう。
もちろん自殺するときは、できる限り他人に迷惑をかけない手段を選ぶつもりでいる。
どうせ死ぬならありふれた死に方ではなく、豪快かつクリエイティブな死に方をしたいと思ったりもする。
自殺の手段は数あれどアルプスの山脈に旅客機で突っ込むことが出来る立場にいた彼は恵まれていた。
ほとんどの人間は首を吊るか、高所から飛び降りるか、あるいは練炭自殺くらいしか方法がない。
彼にとっては乗員乗客が何人乗ってようが些細な問題に過ぎなかったのだろう。
あるいは巻き添えとなる犠牲者の数など念頭にすらなかったのかもしれない。
私たちにとって今や日常茶飯事となってしまった駅での人身事故についても同じである。もちろん次元の異なる事例ではあるが、本質的には変わらないだろう。
当の自殺志願者にとって自分の行為がどれほど多くの人に迷惑を及ぼすか、そんなことは自分が死ぬという問題と比較すれば考慮にあたいしないのである。
こんなことを書いていたら三島由紀夫のことを思い出した。
現代の旅客機にパラシュートを搭載したとして、事故発生時に乗客がパラシュートで脱出できるのかってことなんだよな。
船舶に乗客のための救命胴着や救命艇が備えられているのは、船舶が沈没するまでの時間に、訓練を受けていない乗客が脱出可能だから。
パラシュートで脱出可能な高度まで下がってから、墜落までに乗客がどれほど脱出できる時間が残されているのか。訓練も受けていない乗客が脱出してパラシュートを開いて生還できるのか。
戦闘機などには、非常用の脱出装置がついているわけだが、じゃあそれを旅客機にも装備するか。そうすると旅客機の構造から変えなきゃならない。
追記 射出シートも無理らしい。乗客を安全に非常事態の飛行機から脱出させるシステムを装備しなきゃならない。
「艦これ」って金にモノを言わせ改造人間を使役し、気に食わない相手を武力で押さえつける作品だろ。
その際、改造された女性の意思は尊重されることはなく、単なる奴隷として改造された女性は酷使されるわけで。
また、改造された女性が戦死しても、使役する側にとってみれば「お色気画像が見られてラッキー」としか思わないようなゲームシステムになっていると聞く。
「麻原の野望」や「旅客機でGo!」、「ポスタル」に代表される不謹慎ゲームの類が好きなら話は別だが、そうでないならやるべき作品ではない。
そして「艦これ」をつまらないと感じる元増田の感性は正常である。
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」 (女性自身) - Yahoo!ニュース
鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える - Togetter
ふとこの記事に思う所があったので書いてみるよ。
先に結論を書いておくと、
と僕は思ってる。
その結論に至った
という 3点について書くよ。
提訴したのは妥当な判断だと思う。いろんな事が明らかになるだろうし、パイロットが100%悪いという判決にも無いらないと思う。現時点でどういう条件(示談条件とか、パイロットが希望すること)があるのか明らかでないので、他のやりかたがあったかどうかはわからないけれども。
公の場で一定の見解が示されるのも良いことだ。ただ、これで人力飛行機大会がずっとなくなる。ということだと、人力飛行機業界は衰退するだろうね。
さて、読売テレビがわるいのだ。棄権を許さないルールとか許せん。というのは、確かに正しそう。
でも、いま読売テレビが取れるオプションというのは、大会実施の放棄しかない。
いろいろ、安全対策したって、けが人が出る時はでるし、お金はかかるばっかりだ。
そもそも、この大会、お金にならないので、2009年に中止されてる。(Wikipediaみてね)
TVがやらなきゃ、大会が開けない状況ってのが、多分業界にとっては一番嬉しくないところだ。
TV局がやらせないように恫喝してるみたいな話もあったけれど、実際は
という、もろもろの、面倒くさい手続きと、お金の用意をTV局以外が出来ないからだよね。
だれかが、それを全部やって黒字にできるなら TV局を外して、もっと安全で、競技性が透明な大会をやればいい。
選手権大会をうたってるけど、予選も開けないから、よく飛ぶ機体ばっかりじゃなくて面白い機体が選ばれる。そして、大会に出たいけど実績不足&おもしろさ不足で出場できたないチームも全国にはあるんだよ。
でも、面倒くさい手続きとお金の用意が出来る人が、TV局以外にいないんだよね。
あと、TVに映して貰える最大のメリットって、鳥人間に参加したいという人を確実に作ってくれる事。
あの機体つくるのって、数ヶ月にわたって黙々と部品を作って組み立てる超地味な作業なんだぜ。
それを楽しい誘惑ばかりの大学生に強制できるのって、あのTVからくる憧れの部分も強いんだ。
数十人のチームメンバーを、延々と地味な作業に当たらせて、そして結構なお金も払わせて、それでもなお、飛行機を作りたい!と思わせるには、甲子園みたいな場所も必要なんだよ。
お金と人脈と運営能力のある自立した運営委員会と、演出を強要しないTV局が組めるといいんだけどね。
でもそれってF1以上に、人気のあるスポーツってことかも知れないよね...
あんまり大学の先生を責めると、大学チームはなくなっていくよ。
今回の事故チームは国立大学のチーム。顧問は教授など教員だろう。理系の大学教員てのは、ものすごい忙しくて、プラーベートなんか無いくらい、人生を研究にささげてる人が多い。
そんな中で、顧問を引き受けるというのは、本当にリスクしか無い。とくに、こういう事故のある競技だと。
本業がブラック企業並に忙しいので、"そんなに人力飛行機サークルの監視をしてこなかった"という、顧問の言い訳けは、みっともないけど事実だと思う。ようは名前貸しなんだから。
ちゃんと管理してれば良かったのだ。と第三者の我々は簡単にいう。じゃあ、ちゃんと材料を破壊検査してね、大会と同じ条件で一回飛ばしてね。とか指示したことろで、大学生はお金ないし、技量もないからきっとできないよ。(近いことの出来てるチームはあるよ。歴史とお金の有るところね。)
先生も人間だから、苦労して作ってる飛行機は飛ばせてあげたいし、かといって、適当なことして責任を取らされるのは本当につらいし、選べる選択肢の少ない中で苦渋の判断をしてる可能性は高い。
お金も、技量も無い学生に、命に関わるような事をさせるのをやめろ。と言うのがある意味ただしいのかも。
でも、そうすると良いOB(技術指導してくれて、金払いも良い)が居ない大学の新規参入はすごく難しい。
一方、私立大学が、大学のコマーシャル目当てで、そういう環境を作ることは可能かもしれない。
事故の起きない乗り物っていうのは、本質的に存在しない。旅客機もたまに落ちるし、地上はしってる鉄道だってたまに死ぬでしょ。だから、パイロットには死ぬかもしれんけど行ってきて、と依頼しなきゃいけない。
そんなことをきちんと言えるリーダーは少ないし、大学生の若いパイロットがその言葉の意味をちゃんと理解して、本当に正しい判断をするのも、とてもむずかしいことだ。
とかね。
TV放送がなくなれば、人は来なくなるし、そうすると競技人口も減るだろうけど。
地道にちゃんと運営できたら、TV局もどこか着くかもしれないし、そうしたら人口も増える。
でも、きっと新規チームの参入は困難を極めたままになるだろう。
'安全'な道を選ぶと、こういう選ばれた人だけが遊べるスポーツになる。航空スポーツてそういうものかも知れないけどね。
いまみたいに、学生が希望すれば近くの大学or自分の入れる大学にチームがあって飛行機が作れるっていう環境はなくなる。その環境維持のために、たまに人が怪我したり死んだりするのを、現代の社会は許せないだろう。
後遺症が残ったパイロットさんの blog を読んだら、とても丁寧に今回の件を考えていて応援したくなった。
上にかいた事とは関係なく、大学の先生や先輩の対応がひどそう。裁判で明らかになると良いですね。
色々言う人も居るだろうけれど頑張って欲しい。
ここ数年は7月末に日本で一番大きい湖、琵琶湖で行われることが定番になっている鳥人間コンテスト。
夏が近づくにつれ、色んなチームが各地の飛行場でFlight Testを行なって機体の完成度を高めていっている。まさに人生の糧になると思うし、できうる限りの調整を行えたらいいなと思う。
しかし、Youtubeなんかを見てると多くのチームでFlight Test中に機体を壊している。多くの旅客機や戦闘機の事故と同じく、パイロットが原因で起こっていることがほとんどを占めている(と思う)。
せっかく頑張って作った機体が壊れてしまうのはもったいないので、ぜひパイロットには勉強なりトレーニングなりしてもらって、機体を壊さずFlight Testを行なって欲しい。そしていいパイロットコメントによりいい機体を作っていってもらいたい。
迎角、ピッチ角、経路角、取り付け角は全部ちがう。パイロットならこれらを意識して、ほんというと意識しなくても体が覚えているくらいの感覚で操縦できるようになるべき。少なくとも機体に乗ってFlight Testをする段階では。飛行中にパイロットがだいたい分かるのは、ピッチ角のみ。なので、パイロットはピッチ角を目安に飛ばなければならない。それぞれの関係は以下のサイトでもぐぐればでてくる。感覚がつかめるまで、飛行機の模型なり、フライトシミュレータなり、ラジコンなりでトレーニングすべき。失速は迎角をみないとダメだし、高度は経路角をみないといけない。
http://www.aeroskytech.com/english/firstnotions/firstnotions.html
取り付け角は書いてない。取り付け角は、機体の軸と主翼の翼弦のなす角だと考えれば大丈夫。
パイロットは浮き上がったらまずトリムを取らなくてはいけない。トリムスイッチをカチカチやって、自分がいま出しているパワーで水平飛行できるようにする。水平飛行できたら、Airspeedを見て、もし飛びたい速度より速いようであればパワーを徐々に下げ、またトリムスイッチをカチカチやって水平飛行する。落ち着いてトリムをいじること、地上で設定したトリムのまま飛べることなんて考える必要ない。慣れてくれば、この動作は頭で考えなくてもできるはず。
トリムスイッチがない場合はつけてもらおう。操縦デバイスは重要。
パワーは急激に変えちゃだめ。もし大きいピッチ角になってしまってびっくりしてパワーを下げると、一気に経路角が下向きになって迎角が大きくなり、失速する。パワーをゆるめるなら、徐々に下げないとだめだし、そもそも離陸した直後に下げる必要はない。トリムをとればいいだけ。降りるときはパワーを徐々に下げる。とにかく、急激に変えると機体の姿勢が急変するし、パワー効果も変わってしまう。
普通の飛行機は横風が吹いてようがそうでなかろうがあまり気にしない。なぜなら飛行機は横風中だろうが何風だろうが、空気の塊の中を飛んでいるので空力的には変化がないからだ。動いてる電車の中でラジコンの飛行機が飛んでるようなもの。ただし、離陸時には横風が効いてくる。Flight Test中に横風離陸した場合は、すこしラダーを使って風上側に飛ぶようにすれば、離陸後は問題なく滑走路と平行に飛べるはず。琵琶湖でも基本的には同じ。Gustの場合は、また対処が異なるので注意が必要。あと、ローカルな風が変化している場合も注意が必要。あらかじめ頭の中でシミュレーションしておこう。
基本的には、浮いてしまえば横だろうが後ろだろうが前だろうがずっと吹いてる風は関係ない。たまに巡航中の追い風も嫌うチームもあるが、それはほとんど信仰に近い。
これらのことは、色んなサイトにのっている。とりあえずひと通り勉強したい人は、以下のAidがオススメ。ぜひ人力飛行機・鳥人間パイロットには一読しておいて欲しい。
http://www.faa.gov/regulations_policies/handbooks_manuals/aircraft/airplane_handbook/
現在はIT土方としてコードいじりをする自分は、病的に細かいことが好きだ。
さらに、決まりきった枠の中でクオリティを徹底追及という局面なら最高だったりする。
そんな自分が20代になった時、旅客機のハイテク化に伴い、航空機関士は既に削減の流れに乗っていた。
離陸から着陸まで、超かっこいいガスタービンエンジンの微調整をメインに、低燃費の追求と快適な操縦環境・客室環境の提供にだけ腐心していればいいとか、こんな素晴らしい仕事は他にないとさえ思っていたのに、とても残念だった。
パイロットになれるほどしなやかな頭も胆力も持ち合わせていない、キモオタの自分でも空を飛べるし、素人相手なら「そうだよー、僕ジャンボ乗りなんだよー」とかハッタリかますこともできるし、もちろん最高なのはコンコルド乗り・・・などなど夢は膨らむ一方だったのに。
まあ、今からガスタービン関係の仕事に転職とかあり得ないし、地上職で飛行機をプッシュバックする仕事も航空機関士の次くらいに興味あったけど給料的に・・・という感じだし、昔の夢は置いといて仕事に戻るか。
あるタレントのブログを「デスブログ」と呼ぶ人たちがいる。「このデスブログに書かれた人物や企業などはかなりの確率で不幸に見舞われるため、「デスノートのブログ版」としてこの名が定着している」(ニコニコ大百科による説明)のだそうだ。今問題になっているボーイング787旅客機についてもこのブログで言及があったという情報が出ていたが、それだけでなく、少なくとも過去数年にわたって、数多くの例で、何かよくないことが起きるとこの「デスブログ」が検索され、「ほうらやっぱり書いてあったやっぱりデスブログだ」と囃し立てる事例が、少なくともネット上では相次いでいる。
よってたかって一人の人をってのはいじめの構図に似てるよね。そうだよね、これがSNSでやられていたならいじめだよ。
彼女はタレントとしてブログを書いている。彼女の意思として書いている。逃げる事もできるし、ブログを止める事だってできる。書いた内容がデスブログと呼ばれながら書いているんだよ。彼女の意思でプロとして。
彼女の本心はもちろん知らないけど、これをいじめだから止めろって言うのは彼女の仕事への侮辱だと思うの。例えば、誇りを持って風俗で働いてる人のお客さんに「彼女とセ○クスするなんて強姦と一緒じゃん」って言って、彼女の目の前でお客さんを帰らしてしまうって事に似てる。確かに彼女のブログをデスブログって呼ぶのは人間の負の一面かもしれないけど、それでもそれを楽しんでくれる人のために彼女は書いてるんじゃないかなって思う。
これをいじめだから良くないって言ったら、彼女の考えや気持ちが無視されるって事じゃないかって思う。
あまり知らないけどってこの記事に書いてあるけど、知らない人がぱっと見だけで判断するのはどうかなって思う。
でもしこの「デスブログ」を書きたくないって彼女が思ってるんなら止めてしまうべきだよって思う。そう思ってないから更新してるんだと思うんだけどなあ。
http://copipe.cureblack.com/c/33890
337 名前:おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日:2012/06/29(金) 22:45:31.29 ID:qqCbU3u9
体験ではないんだけど、本で読んでスーッとしたので。
パイロットたちが抗議。
危険に直面させられている」と、米国航空郵政省に申し入れをした。
米国航空便郵政省は、安全な天候を規定した新たな法規を制定…しなかった。
単純明快な命令を出した。
「パイロットが要求した場合、航空便管理者はコクピットに同乗しなくてはならない」
この後、墜落件数は一気に下がったとさ。
が、「もっと詳しく知りたいなあ」と思って読み直してみると、不審な点が目につく。
まず、具体的な記述が全くない。
「本で読んで」本のタイトルは?
「墜落事故の割合が高すぎる」どれくらい?
「墜落件数は一気に下がった」どれくらい?
次に用語が怪しい。
「航空便管理者」って何?当時のアメリカの独自用語?検索してもこのコピペ以外ヒットしない。
http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p316.html
運航管理者は,各空港から出発する飛行機について目的地までの飛行計画を作り,機長と打ち合わせた上で飛行機を出発させ,その飛行機の飛行中は機長と密接な連絡を保ち必要な情報を送って,安全な飛行を行うために地上から機長を援助する専門家である。
という地上からのサポート役。そんなサポート役を飛行機に乗せる運用などありえない。
「米国航空郵政省」と「米国航空便郵政省」のどっちが正しいのか?
どっちを入力しても、やはりこのコピペ以外のまともな記事がヒットしない。
「旅客機よりも郵便航空機の方が墜落事故の割合が高すぎる」と言えるほどに旅客機も郵便航空機も墜落事故を起こしていたのか?
墜落は飛行機に乗っている人はもちろんだが、地上の人間も生命の危機にさらされる重大な事故だが、
そして何より、このコピペが多くのサイトに散らばっているにもかかわらず、ソースである本のタイトルがどこにも載ってない。
これだけ面白い話が載ってる本なら、アフィリエイトでもすれば、クリックや購入で確実にもうかるだろう。
それを誰もやってない。いや、誰にもできないのではないか?
で、このコピペに対する私の信頼性というのが地に落ちたところで、このコピペに対するコメントを見てみると、
これは大岡裁きに通じる賢い判断だな
こうやってズバッとしてくれると気持ちいいよな
と本当のこととして信奉している人、
日本もやれよ
などと原発に絡めてる人など。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
うそつけ、バカじゃないのと思ったが、平気でこんな対応が出来る環境だったことから、極端に言うとある種の宗教的な取り憑かれ方に似たものがあったと思われる。
旅客機直撃は問題ないぞ?
今回だって、建屋は壊れず、ひとつは天井、ひとつは壁が吹き飛び、内圧を逃がした。
まさか、旅客機突っ込んできても傷ひとつ付かないとか、とんでもない事考えて無いだろうな?
人間が制御可能かどうかという観点に立つのなら、すべての発電システムが利用できなくなると思うが?
カセットガスコンロですら去年散々爆発事故起こしてたろ、人間。
どんなシステムだろうが100%の制御なんかできないんだよ。
それを安全に使おうとするのが安全対策であって、それが一定の水準にあるのなら火力だろうが原子力だろうが使っていいじゃねぇか。
火力にしろ水力にしろ事故が発生した場合、死者が出ることも十分あり得るが、限定的で終息後もそれほど尾を引かず、再建も比較的容易。
ハリファックス大爆発とか、あの規模のものが起きたら再建は容易ではないな。
事故の規模が問題だというのなら、今回はまだ被爆による死者は出ていないし、あの地域を封印するかどうかなんてもはや政治的な関心事でしかない。
あと、津波の被害と福島原発事故を都合のいいように混同するのややめろ。
事故当初から対応に当たってるし、現状福島県内の数箇所以外はそもそも安全圏だろうが。
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303747.htm
尾を引いてるんじゃ無く、お前らが勝手に尾を描いてるの。
じゃぁ、お前の家の横に安全な原発を建てると言われたらどうするんだろう。
とりあえず今後は国内において推進の動きは停滞することは間違いないだろう。
撤廃の動きも停滞はじめてるし、まずは安全性の再確認して停止中の原発の稼動だな。
先日、福島第一原発が建設されていた当時のマスコミの質問に答える関係者のVTRを見て吹いた。
記者「例えば旅客機が原発に墜落衝突した場合、大丈夫なのか?」
うそつけ、バカじゃないのと思ったが、平気でこんな対応が出来る環境だったことから、極端に言うとある種の宗教的な取り憑かれ方に似たものがあったと思われる。
現時点で人間が制御できない技術は早々に導入するべきではないのかもしれない。
火力にしろ水力にしろ事故が発生した場合、死者が出ることも十分あり得るが、限定的で終息後もそれほど尾を引かず、再建も比較的容易。
今の生活は原子力があるおかげなんだぞ!と言う意見もあるが、じゃぁ、お前の家の横に安全な原発を建てると言われたらどうするんだろう。
ちょっと極端な話になってしまったが、 "原子力のおかげ" も "家の横に原発" も同じくらいナンセンスな話である。
とりあえず今後は国内において推進の動きは停滞することは間違いないだろう。
不幸中の幸いと思って、考え方の転換をする時期なのかもしれない。