はてなキーワード: 旅客機とは
またこの話か。
これってあれだろ、ペンタゴンに突っ込んだのは旅客機じゃなくてミサイルだった、んで旅客機は本当は撃墜されてアメリカ沿岸のどこかに沈んでるとかいう与太話だろ。
ペンタゴンの傍には高速道路通ってるんだわ。んで旅客機が突っ込んだ時間帯は午前9時頃で、何百人も旅客機を見てるんだわ。あと、あの近辺は大小合わせて何十社とテレビ局や新聞社、通信社がひしめいていたりするんだよね。だから直接の目撃者やその関係者含めて数万人は下らないはずなんだけどね。当たり前だけど、ペンタゴンからは飛行機の残骸が大量に見つかってるし、そのうちの一部は新聞やテレビで写真・映像付きで報道されてる。
当時俺はアメリカにホームステイしてて、その家の親父の弟が偶然現場に居合わせてパニック気味に電話掛けてきたのを覚えてるし、しばらく後の検証番組でも一番最初の通報が「大変だ!国防総省にエアバスが墜落した!」って放送されてたんよ。その辺をその映画は全く触れてないだろ。
そもそも、NY同時多発テロが本当に米政府の自作自演なら、遺族の一人や二人が当時野党だった米民主党に「俺の家族はブッシュに殺された!」と駆け込んで来てもいいはずなんだけどね。未だにそういう話を聞いたことがない。当時のオバマやクリントンもグルだったんかね。
つい5,6年前までは日本人にとって中韓なんて、ラーメンマンとキムチだっけ?のどうでもいい国でしかなかったはずが、今や立派な仮想敵国。
してないしてない(笑)。地球の裏側へ届く核ミサイルを何百発と持ってるのはアメリカくらいだよ。それについこないだだって「これ以上南シナ海でヤンチャしてたら俺も黙ってねえぞ」と中国にメンチ切って中国のメンツ潰したばかりだし、昨日はグアムにグローバルホークの配備も決定した。太平洋全域を無人偵察機で監視する気満々。覇権を諦めた国のやることじゃねえわな(笑)。
小沢は中国の犬と言われているけれども、別に中国が好きなわけじゃなくて、アメリカの覇権が終わる今、国是を考えて、最善の策を取ろうとしてるに過ぎないと思う。
小沢一郎ってのは、徹頭徹尾「選挙のプロ」でしかないよ。政策とか理念なんてものはゼロ。その辺の土方のオッサンと同レベル。カネと権力を集める事しか考えてない。本当にアメリカの覇権が終わると考えているのだとしたら目玉が節穴にも程があるし、ぶっちゃけ独裁国家の傘下に入ろうなんて正気を疑われるレベル。自国民ですら大虐殺しても政権交代してないような国が、余所の国の人間をどんだけ大切に扱ってくれるかっちゅー話。
http://ja.wikipedia.org/
未来年表 : 生活総研
http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/
http://www.tanken.com/yosoku.html
みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。
三沢さんのニュース見ていて思い出した事だが、このセリフ聞くたびに嫌になる。
乗客を頼りにする根性がまず間違っている。
もし居なかったらどうするんだ?命がかかっているんだぞ?
命を軽く見過ぎている上に、乗客頼みにしている所にホスピタリティの無さを激しく感じる。
これを見ている航空会社の幹部の人(きっといるはず)に言いたい。
追記。
よくドラマで、飛行機の中で急病の人がいて、「機内に医者はいませんか?」ってい... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1021966820
いやね、このところのネットでは「マスク?プギャー!!」「マスクなんてしても意味ないのに!」「海外では誰も(ry」「これだから日本人は(ry」って感じですけれど、マスクの目的と限界をちゃんと把握して適切に使えば、それなりに意味があると思うんですよ。
ということで、思うところを書き散らしてみようかと。
▼▼▼
マスクの一番の役割は「他人に感染さないため(口から出る唾液飛沫を止める)」が大前提ですが、ちょっとそれは置いておいて、予防効果についてを考えてみたり。なんせまだ食らってないので。
インフルエンザウイルス(以下ウイルス)の感染経路としては、主に
がありそうで、要は空気に触れるどこぞの粘膜に一定数以上付着したら負けかなと思っています。
◆
Aで吸い込みそうなウイルスですが、
水気が飛んでウイルスだけになると0.1μm前後になるようです。
水気がある大きなほうを「飛沫」、水気がない小さな方を「飛沫核」と言うそうです。
水気のある「飛沫」は重たいので、飛距離は数メートルで、それくらいで落ちてしまうようです。
旅客機で、感染者の周囲○席も隔離してるのは、この距離を元にしているのでしょう。たぶん。
国際空港で隔離されたのは、「飛沫」で感染した人を分離するためということになります。
水気がない方の「飛沫核」のサイズの0.1μmを止められるマスクは、「ウイルス対応」とされているものやN95(DS2)クラスの規格を満たした製品に限られ、花粉用では通してしまうと言われますが、水気を含んだ「飛沫」の方であれば粒子が大きいので、止められるマスクはもう少し多くなりそうです。
ただ、花粉用マスクは30μmだそうなので、5μmの飛沫ウイルスに対してもダメですね。
「医療用」とされているタイプはだいたい3μmを止められるようです。
ということで、医療用とされているものであれば、空気中のウイルスのうち「飛沫」のほうの幾分かをブロックしてくれることを期待できると思うんですよ。
あと、マスクと顔の隙間から空気が抜けてしまって、すべての空気が濾過されない、という問題ですが、全然サイズが合ってないのを何も考えずに着けるならともかく、それなりに気にしてフィットするように工夫すれば、大部分の空気はマスクを通るので、ウイルスを減らすのにはよいかと。
◆
Bの目に入って感染に関しては、ゴーグルでも着けるしかないので、これは諦めます。
◆
Cの食べて感染ですが、
ウイルス入り飛沫がかかった食品を食べたりすることは病人と同じ部屋でメシを食うくらいしかなさそうなので、考えたくないです。
ありそうなのは、ウイルスが付着した手で口の周りや食器を触ってしまい、それが口に入ったりするパターンでしょう。
手洗いが推奨されるのはこれを防ぐためといえます。
逆に、インフルエンザ予防に手洗いが推奨されるということは、感染経路として手から口というのがそれなりにある、ということでしょう。
昨日、仕事で薬屋さんに行ったところ、1個だけサージカルマスクをもらえたので、せっかくなので一日着けて過ごしまたが、口のあたりを触れようとしてマスクが邪魔で触れなかった、というのを何度もやらかしてしまいました。
自分で思っている以上に、無意識のうちに口の周りを触れているようなのです。
あと、この季節、汗かきますから、袖口で顔をぬぐうとか(あまりお行儀が良くないですが)
マスクを着けることによって、空気フィルターとしてではなく、防護具としての効果が期待できるのではないか、と思いました。
◆
空気感染を防ぐ道具としては残念ながら頼りになりませんが、トータルで見ると多少の効果はありそうな気がするんですよね。
イメージとしては、2~3割くらいは感染の可能性を減らせそうな気がするんです。トータルで。
「絶対に感染しない」ということを目指す場合、マスクどころか何をやってもダメ、ということになるわけですが、
オールオアナッシングで考えず、トータルで「少しでも可能性を減らす」のを目指すのであれば、しないよりマシ以上の効果はあるのではないか、と。
自営業の私としては、病気で休んでも補償でませんので、「罹る可能性は少しでも減らしておきたい」という気持ちはよくわかります。
◆
その他、マスクの一番の役割は「他人に感染さないため」ですけれど、
では、感染していない人にはその役割は関係がない、とも言えますが、インフルエンザに限らず病気ってのは潜伏期間があるので、「今症状がないから感染していない」とも言い切れないわけで、「症状が出ていないうちに撒き散らしていた」ということがないよう、感染拡大防止とエチケットの両面で着けて悪いことはないと思うんですよね。
…が、しかし、
どこにも売ってない…( ´д`)
このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機が特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。そして妻が背中をもんでくれとせがむ。月曜日には入籍とか国民年金とかいろいろ手続きをせねばならぬ。
結婚おめでとう
15年ほど前の話。
首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験で事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。
ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。
そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。
あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナスが「チャットルームに入り浸るな」と仰っていたことを当時知っていたら!)みすずだの勁草だの法政だのNTT出版だのUPだのから出る高価な訳書ばかりを買って読んで勉強した気になって、ちょっとだけ英語でRortyを読ませてもらい、そして哲学へ行くにはドイツ語もできず喰いっぱぐれる覚悟もないので駄目だと判明して、社会学を選び苦し紛れに名ばかりの卒論を書いて、書いたので力尽きた。学歴ロンダリングのために日本の最も古い都のそばにある大学院にでも行って計算機科学で修士号をとろうかとも考えたが齧るスネにも限りがあった。そのままフランス語の単位を一コマ残して一年留年し、価値のない学士号をもらった。GiddensもDurkheimも1ページたりとも読んだこともなく社会学士を名乗るのはおぞましすぎる現実。だれかさんの挑発的なタグを借りれば「足手纏いな大卒就職組」の典型。
もちろんそんな奴が偽社会学を流布して世の中を騙すことはできない。その程度にはこの世はよくできている。
このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機が特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。
今の人生には満足しているが、およそ学校というところで何も学問をしなかったことは今も悔いている。机の上には開いたこともないシカゴマニュアルの14/eが未練がましく置いてあるのだ。そして年一回は『職業としての学問』を読んでウェーバー先生、私はだめな奴です、とつぶやくのだ。
現実と向き合わないことを決めたんだから、夢を見られる環境に居させてあげなよ。
夢でいられる範囲でしか動けやしないんだから。現実の世に生きていれば
他人に迷惑をかけない範囲であれば、誰一人として彼らの事など気にもとめないだろう(だからこそ彼らは落ちぶれたわけだが)。
しかし往々にしてこういう連中は、批判者を排除してしまったがために内部でロジックの無限ループを起こして先鋭化し、ある閾値を越えたその中の一部が現実に持ちだそうとして周囲に大迷惑(という程度で済むならまだ可愛い方だ)をかけるから救えない。ある者は旅客機でビルに突っ込んだり、地下鉄に毒ガスを撒いたり、秋葉原を珍奇なコスプレで練り歩いたり。
いまから「主要自動車会社の製造技術に一切頼らずに世界に通用するクルマをゼロからデザインするぜ!」みたいな無謀なことは誰も言わない。
いまから「ボーイングに匹敵する旅客機を(ry」とも言わない。
それはやることが高度だからというのもあるけど、別の切り口でもっとすごく(10倍くらい)良いものを作れそうにないから。
人の命も金もかかってない情報システムは一種のアートなのですよ。作って、世に問うて、みんなであそんで、飽きたら捨てるの。
追記:勘定系のシステムで本当に高度な部分はハードウェアの冗長化とそれをサポートする OS だと思う。あと BCD とか、ピーク性能より平均性能と原理原則が重要。