推しが幸せになると心から祝福できる反面、推せなくなる、というカルマを背負って生まれてきました。
拙宅の作品は、拙者から見れば「ハッピーエンド」。だけれども、よそ様から見ると「メリバ」「バッドエンド」らしく、確かにそういう見方もあるな、と納得している点と、あまりに周りに「ハッピーエンドではない」と言われ続けているので、闇のオタクを自称している。生きるとか死ぬとか、そういう問題じゃなくて、恋が実るとか実らないとかそういう問題でもなくて、推しが自らの意志を貫ける点に憧れと尊敬を抱いて創作活動をしているので、そこが叶えば「ハッピーエンド」だと思っている。
さて。タイトルの件。
夏コミが近くなってきてカレンダーと睨めっこをしながら原稿に打ち込んでおりますが、先日友人と作業イプ中に「結局我々はいわゆる普通のハッピーエンド、大団円を描けない」「周りを見ていると、ハッピーエンドを信じてまっすぐに描ける人は恋人がいたり既婚者が多い」「つまり……我々は……」と急に右ストレートをくらい、そこからそんな考えがぐるぐると目の前で回ってしまっている。
そうか、拙者、もう結婚できないのか……。
言われてみると、確かにその通りである。周りの仲良い友人達の創作物は、希望や夢、それから疑う事のない愛が描かれている。どんな苦境に立たされても、登場キャラクター達の心が完全に折れることはない。一度は泥水をすするような展開になっても、ちゃんと最後はハッピーエンドだ。他方、自分の創作物は。夢を追う姿を描こうとすればハプニングやケガで第一線からは外れてしまう。恋愛事になれば「自分が選ばれる筈がない」と想いを口にすることすらない。もしくは上手く交際までいきついても、自己肯定感の低さから恋人と行き違いが起こってしまい、破綻する。(相手が幸せなら、別れても仕方ない、と身を引く展開も多い)。
そして友人達の多くは既に結婚していたり、長年連れ添っている恋人がいたりする。そしてイプ相手だった友人と拙者。揃いも揃ってバツイチである。バツがついてからというものブヒブヒと推しに貢いでいるのである。貢ぎながら、推しが苦しんでいる姿を見てまたブヒブヒ言っているのである。確かにもう結婚できそうにない。
離婚してからもそれなりに交際を申し込まれたり申し込んだりとそれなりに恋愛事から遠ざかりすぎていないと思っていたけれど、よくよく考えてみれば恋人よりも趣味や仕事を優先して結局破局しているし、そうならなくても相手を面倒に感じてしまって関係の解消を申し出てしまったりしている。思い返してみれば、完全に自分の手で幸せをぶち壊しに行っている。
これは、今こうして気づけば直せるのだろうか。
恋愛の楽しさも、相手を大切にする心も、そして同じだけ大切にしてもらえることも、どれもこれも知っているつもりだ。それなのに、あの幸せな空間を自分が遠ざけてしまっている。その事実に愕然としている。金銭面で自立していて、互いに互いの趣味を認め、四六時中一緒にいなくても良いような人と結婚したいな、と思っていたのだけれど、難しいのだろうか……。つらい。
うんち
これはうんこ。
下痢だからうんちだよ
気持ち悪いから消えて欲しい
そういうこと言うのやめない?
なんで? 気持ち悪いから消えて欲しいとわたしは思うよ。実際消えるかどうかは増田が決めること。履き違えてるよ。
読まなきゃいいじゃん。