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はてなキーワード: 三者とは

2024-01-08

刺客列伝-外伝-山上徹也伝

刺客列傳-外傳-山上徹也傳

山上徹也,東瀛奈良縣人,外祖從商,父隨之,少時得富貴。五歲,父亡,隨母居奈良。母為淫祀惑,錢糧地契皆捐,家徒四壁,無資以學,兄疾亦無以治。徹也從行伍,以乞活。既卸甲,兄不堪病擾,自縊而盡。徹也泣曰:「兄自去,弟當何如?」

安倍三者,四度拜相,貴胄之後,然其縱淫祀行攬金之實,惑信眾得連任之資,徹也惡之,書友人曰:「吾當誅此賊!」遂購火藥、鐵管、鐵砂、制得雷與銃,又恐傷及無辜,捨雷而取銃。

時晉三巡於奈良,宣淫祀惑人之詞,聽著甚眾。徹也隨其後,衛士數十無一疑之。待得良機,銃出而發,不中。眾人皆惑,晉三亦顧之。煙未盡,又發一銃,霎時,聲出如雷,煙現如龍,晉三即伏。眾侍驚覺,圍而擒之,徹也面不改色,釋銃就執。後晉三送醫,不治。

時人曰:山上徹也,勇不及聶政,智不如專諸,所出不為國仇,但為家恨,惟其為民除害,替天行道者,義也。

日本語訳

刺客列伝-外伝-山上徹也伝

山上徹也は、東洋奈良県の出身で、母方の祖父商人で、父もそれに従っていました。幼い頃に富と栄華を得ましたが、五歳のときに父を亡くし、母とともに奈良に住みました。母は淫祀(いんし)という邪教に惑わされ、金や土地権利書をすべて寄付し、家は貧窮し、学ぶための資金もありませんでした。兄も病気治療することができませんでした。徹也は兵士として働き、乞食のように生きていました。兵役を終えた後、兄は病に耐えられず、首を吊って死にました。徹也は泣いて言いました。「兄が去ってしまったら、弟はどうなるのだろう?」

安倍晋三は、四度も首相になった貴族末裔でしたが、淫祀の教えに従って金を集めることに専念し、信者たちを騙して再選を得ることに執着していました。徹也は彼を憎み、友人に手紙を書いて言いました。「私はこの悪党を殺すつもりだ!」そして、火薬、鉄管、鉄砂を買って爆弾と銃を作りましたしかし、無関係な人々に傷を与えるのを恐れて、爆弾は捨てて銃だけを持ちました。

晋三は奈良巡回して、淫祀の教えを人々に説いていました。聞く者は非常に多かったです。徹也は彼の後ろについていきましたが、護衛の兵士たちは何十人もいましたが、誰も彼を疑いませんでした。好機を待って、銃を出して発射しましたが、外れました。人々はみな戸惑い、晋三も振り返りました。煙が消えないうちに、もう一発銃を発射しました。その瞬間、音は雷のように響き、煙は龍のように現れました。晋三は倒れました。周りの侍たちは驚いて、徹也を取り囲んで捕まえました。徹也は顔色を変えず、銃を放して逮捕されました。後に晋三は病院に運ばれましたが、死んでしまいました。

当時の人々は言いました。山上徹也は、勇気は聶政に及ばず、知恵は専諸に劣るが、国の仇ではなく、家の恨みのために行動した。しかし、民のために害を除き、天の道を行った者は、義であると。

2024-01-03

で、出た〜〜〜

女が殺ったときはてな名物父親は何やってるんだ」や〜〜〜

「大恥かかせやがって!」医学部9浪を経て58歳母をバラバラ死体にした娘が告白する「地獄高校三者面談」(齊藤 彩)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/122145

2023-12-27

プロでもないのにこの人だって分かる絵を描く人

ある程度その人の絵に触れてると、pixivあるいは旧Twitterで絵がちらって目に入っただけでこいつの絵かなってぴんと来て実際に当たるような絵になってる絵師がいるんだよな

あいうのって意図的自分の絵柄を確立しようとしてそうなったのか、単に画力不足の結果だったりするのか(つまり模写などといった絵の練習不足により固定化してしまったただの手ぐせ。たとえるなら伝言ゲームでそのまま言葉を伝えようとしても無意識に変わってしまう感じ)どっちなんだろう。

https://www.pixiv.net/users/5978641

https://www.pixiv.net/users/51447348

https://www.pixiv.net/users/518310

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あくまで全部萌え絵という括りで見れば同一系統ジャンルの絵とみることもできてしまう(特に3番目と9番目と10番目は典型通りの萌え絵しか見えなくてのは他の絵と区別つかないって人も多い気もする。それでもこの三者の間でもシャッフルされても正しく分類できてしまうぐらい確かに違いを感じられる人もいるというか俺がそう)事実こういう人たちも大きく捉えれば萌え絵ベースとなってるのがみて取れる以上、子供の頃の国民アニメ以外のサブカルコンテンツも知らない頃の絵は除くとして今の画風に至る萌芽としての1番はじめに描いた絵は萌え絵の模写からはじまってるはず。が、それでもTwitterピクシブなかにたくさんある絵のなかで、誰の絵かわからないよくある萌え絵に対してこの人の絵だってわかるものがあることはある程度この界隈に使ってれば少なから体験してる人がいる感覚だと思う。オリキャラ描いてる人とかでも今まで描いたことないはじめてみたキャラの絵だとしてもなぜか誰かわかっちゃうんだよな。

この現象の背景にはなにがあるのだろう

2023-12-21

anond:20231221152546

教師側だったか!15時終業おつかれおつかれ!

三者面談、二言くらいしか喋らんかった 志望大学全部厳しいてか受からないですよ 言われたから睨んで、どっかのタイミングはい×2くらいしか発してない 三者面談50分

三者面談、二言くらいしか喋らんかった

志望大学全部厳しいてか受からないですよ

言われたから睨んで、どっかのタイミングはい×2くらいしか発してない

三者面談50分

2023-12-06

コメント返信あり)役所たらい回しにされないコツ

12/7 本文の後にコメントへの返信を追記しました。


役所といえば「たらい回し」のイメージが付きまとう。実際にたらい回しにされた経験がある人も少なくない(私も何度もある)だろうが、もちろん役所側も好きでたらい回しをしているわけではない。

また、慢性的人手不足から役所全体の業務を横断的に把握して的確に問い合わせ対応できる人材も今後ますます減ってくると思う。

そこで、お互いの不幸な時間を減らすためにも、問い合わせる側の留意点をまとめてみた(役所側にたらい回しを防ぐ努力必要なのは言うまでもない)。

国と都道府県市町村は全くの別組織

はてな民ならこの点については心得ている人が多いと思うが、市の業務について国や県に問い合わせても答えられない(逆も然り)。国の下に都道府県、その下に市町村というイメージがあるが、法律上三者は全く別の組織で、業務も別々である

ここを間違えてしまった場合「お住まいの市にお問い合わせください」などと言われて終わり、たらいすら回されない。

ちなみに現在は、一般市民が関わるような事柄は大体市町村担当している(昔は都道府県が所管していた業務も多かったが、市町村への権限委譲が進んだ)。

「直接」の問い合わせ先に問い合わせる

役所に連絡を取ろうとしたきっかけはなんだろうか?手紙だったら手紙に、WebページだったらWebページに必ず代表電話ではない担当の直通電話ないし内線番号が書いてあるはずだ。イベントなど臨時事業場合は専用ダイヤルを設けていることも多い。

代表電話はどこを見ても担当不明であるときの最終手段にしたほうがいい。代表電話の人は、問い合わせてきた人が話すキーワードを元に手探りで所掌特定して振り分けるので、どうしても担当違いが起こりやすい。

ちなみにギャンブルなのは代表でも担当でもない関係ない部署に直接かけてしまった時。ベテラン職員がすぐに取り次いでくれるかもしれないが、経験の浅い職員電話を取った日には、長時間保留ののち更に無関係部署を案内されるかもしれない。

手元の資料タイトルを伝える

役所人手不足は深刻で、ある事業について職員一人で担当し、隣の職員は全く知らないということもザラだ。なので直通番号にかけているのに、なお担当外の職員電話に出るということが起こる。長々と話をしたのに最終的に担当は隣の職員だとわかり、また一から説明というのは骨が折れる。そこで、手紙Webページタイトルなど「今何を見て連絡をしているか」を役所側に伝えるのをおすすめする。「〇〇っていうのが届いて、それについて質問があるんですが、担当の方お願いします」といった具合だ。

「何がしたいのか」を具体的に伝える

役所は一つの事柄に対しても様々な角度から関わりを持っている。

例えば一口に「障害者(児)に関すること」と言っても、手帳交付施設に関すること、差別解消への取り組み、バリアフリーの推進、特別支援教育など、業務は多岐にわたる。その一つ一つについて、担当が細かく分かれているのだ。

問い合わせの際は、できる限り具体的に内容を伝えてみてほしい。

まとめ

まとめると、たらい回しを避けるためには、①正確な部署に連絡し、②具体的な内容で問い合わせることが大事だ。

先述した通り、役所人手不足であり、職員自分所掌事務で手一杯で、曖昧な問い合わせがたらい回しされるリスクは減らず、むしろ今後増えていく気がする。

面倒だと思うかもしれないが、少しの準備でその後の時間電話なら電話代も)が節約できると考えてみてほしい。

最後に補足だが、役所業務についてchatGPTなどの生成AIに聞くのだけはおすすめしない。特に法令が関わるような事柄について、生成AIが答えた内容を信じて間違っていても役所責任の取りようがない。面倒でも、わからないことは役所公式情報※を調べるか、直接問い合わせるべきだと思う。

Webページについて、サイトURLが「go.jp」や「lg.jp」で終わるものは、役所しか取れないドメインgo中央官庁、lgが地方自治体)なので公式情報として信頼できる。ただし誰でも取れる汎用ドメイン運用されている役所HPもあるので、「go,lgは公式、そうでないもの公式情報かしっかり確認する」のがいいと思う。(12/7修正地方自治体では非lgドメイン運用しているところもあるのですべてlgドメインという書き方を修正しました。ブコメでのご指摘ありがとうございます)。

追記コメントへの返信

たくさんのブックマークコメントありがとうございます。当たり前のことだったというコメントも多かったが、役所の客は管轄となる地域のすべての住民なので、参考にしてもらえる人がいたら何よりだ。

以下、いくつか返信させてもらえればと思う。

役所ショッピングモール

来訪する人はジャスコ文房具売り場で『活鮑』あります?って聴く担当者は(中略)「はい、活鮑」と売ってくれる筈と思ってるが普通無理。

いくつかコメントにあったがいい得て妙だと思う(文房具教育委員会、活鮑を農林系の部署にするとしっくり来る)。フロア建物によってジャンル分けされているのも似ている。そして、

しか各部署は専門店のような看板を出しては居るが,異動が多いか中の人素人だったりする。

これもそのとおりだ。特に地方自治体は、「やっと今の仕事に慣れてきたと思ったら異動」ということが多々ある。ただ、問い合わせ対応自体スキルは勤続によって向上していく(はず)ので、異動したてでわからない問い合わせに対しても相手をあまり煩わせずに対処できるようになっていく(はず)。

役所広報不足

そもそもまず地方自治体webサイトをもうちょっと充実させてくれないかなとも思う。

これは本当にそのとおりで、Webサイトを始め問い合わせを減らすための広報を充実できないのは、単なる人員不足もさることながら、それを重要タスクだと認識して組織的に取り組むという意識の薄さも大きいと思う。

公共利益

公務員は、国民全体の奉仕者として、 公共利益のために勤務しなければならないよ?

そうなんだよ〜だからこそ特定の一人に長い事時間かけらんないんですすみません。なるべく多くの人の奉仕者でいなくてはいけないんです。ご協力よろしくお願いします。

個人情報聞きすぎ

マイナカード出した上でお名前は?生年月日は?住所は?電話番号は?全てに答えないと進めてくれない人がいる

基本的には必要があって聞いていると思うが、万が一慣習で不必要な項目まで聞いているとなると、それは役所にとってもリスクだ(当たり前だが、必要ない個人情報収集してはいけない)。

まりにも理由不明だと思ったときは、「なんの必要があって聞かれていますか?」と聞き返してもいいかもしれない。

政令指定都市中核市

政令指定都市中核市とその他の市町村では委譲が違ってて難しいよ

例えば保健所がそうで(政令指定都市中核市は市が、東京23区は区が、それ以外は都道府県担当)、コロナときは混乱して大変だったと思う。全住民レベルで考えれば、自分の住んでいる自治体政令指定都市中核市なのか、把握していない人も大勢いる。

職員側は「お住まい地域では市(県)が担当です」と簡単に済ませがちだが、問い合わせた側は「どこが担当とかどうでもいいか問題解決してくれ!」といらだちが募るだろうなと想像する。

議員相談

支援している県議市議事務所に相談すると、スムーズ

議員経由だと対応する職員の職位がグッと上がって組織対応になる(下っ端は解放というわけではなく、そのための事務作業は下っ端の役目)。最早「問い合わせ対応」ではなく「議員対応」だ。良くも悪くもしっかりと記録に残されると思う。

余談

ブコメにも貼られていたが、アンサイクロペディアの「盥回し」の記事は秀逸。「再帰」も好き。

2023-12-05

ジャニーズで思い出した

20年前ぐらいに私道セクハラされたんよね。しかも同い年の男に。四人ぐらいに囲まれズボン下ろせって迫られてさ(ほら空耳アワーパンツを見ようみたいな)結局泣きながら下ろしたんだけどさ。で、翌日には学校問題になって1週間後に教頭校長と私で三者面談よ。未だにあれ何がしたかったんだと現場歩道橋を見る度思う

2023-11-26

中学の頃体育の評定1だったの普通に訴えたい

他の科目の評定は10段階で8ぐらいだったけど保健体育だけずっと1だった

まあ運動音痴から仕方ないんだけど…

三者面談で「相対評価から仕方ないよ(笑)」って担任に言われたの今でも覚えてる

1つけられる人の比率的に、自分は学年で下から4番目か5番目までに入る成績らしくて

1回も休まずに授業受けて補講も受けてペーパーテストは満点近く取ってたのになんで???ってすごい悲しかった

体育1やったわ!!って教室で話してる子もいたけど、どの子ヤンキーというか、そもそも学校全然来てない子だった

毎日学校来てクソ真面目に体育の授業受けてる自分が惨めに思えた

評定=受験で加算する内申点から1つでも1があるとかなりハンデで

(しかも副教科の内申点だけ何故かウェイト高かった)

塾でも「1があるとちょっとなあ……」って先生に言われて

本番の試験でかなり点数取れたのに志望校に落ちたのはやっぱり内申のせいだった

別に今更中学の時のこと思い出して悩むことはないけど、やっぱりムカつく どう考えてもあの評価おかしかっただろ

2023-11-22

狂った理由三者面談をすっぽかされた

三者面談があったんですよ。

高二の大事な時期。進路決めて色々やるんですよ。話題は多いんですよ。

親が来ねえ。

担任と「今日だよね?」「仕事が忙しいのかな?」みたいな話をコショコショやりながら待つけど来ねえ。

次の面談も予定に入ってるから無限に待てるわけじゃない。連絡入れても返信もない。

しょうがいからまた日程決めようってことになって、無駄時間を過ごして帰るわけじゃないですか。

親、いる。

家にいる。

何ならスマホ見てる。

今日三者面談だったよね?」「うん」

「覚えてた?」「うん」

「なんで来なかったの」「なんかぁ…三者面談のこと考えてたら色々心配になってぇ…」

「色々って?」「進路とかぁ…これからのこととかぁ…」

(その心配払拭するために三者面談があるのでは?)

「それでぇ、不安だったからぁ…保険資料請求やってた」

!?!?!?!?!?!??!!?!?

三者面談<<<<<<<<<<<<保険資料請求 …ってコト!?

三者面談は来週に延期になりました。次は来いよ。

2023-11-20

激怒三選

1・高校2年生 クラスメイトに対して

長らく不登校だったクラスメイトBが退学した時のこと。

私とBは部活が同じだったが、Bは不登校になったタイミング部活にも来なくなっていた。別に仲が良くもなかったので特に連絡は取りあっておらず、いないなーとだけ思っていた(個人競技なのでいなくても困らない)

ある日のホームルームで、Bの退学が告げられた。

担任は「Bは学校に来るのが難しくなって、別の方法勉強をする決断をした」というような説明をした。

それまで同学年に退学者がいなかったのでクラスはざわついた。ホームルームが終わると、クラスメイトAが私の元にやってきた。

「B辞めるんだ、なんで?」

Aと私は仲が良いわけではない。グループ学習でお喋りはするが休日は遊びに行かないくらいの関係性だ。

その程度の人間が、情報を取る時だけ、私に声をかけた。

私は激怒した。

2・高校3年生 母親

大学進学をすることになった。

志望校は堂々のD判定。だが入試形態ひとつだけ入れそうなルートがあり、私はそのルート選択した。

そのルート二次試験まで試験があるが、一次試験突破率が低めな代わりに、二次試験合格率が90%を超えており「一次さえ受かればまず受かる」と三者面談では言われた。

三者面談では同様に「この方法で落ちたら、正直この大学は厳しい」とも言われていた。

そして一次試験合格発表で、私は受かった。

帰宅して早々に母に合格を告げたところ、即座に「でも二次で落ちるんでしょ?」と言われた。

合格の報告をして、真っ先に出る言葉がそれ?

私は激怒した。

3・20歳誕生日 友人

20歳誕生日に「お誕生日おめでとうございます。これでお前も老人の仲間入りだなw」とメッセージがあった。

そのメッセージを送ってきたのは同い年の友人で、友人の誕生日に私は肉を奢ったはずだが。

そもそも友人は既に20歳なので、自分を棚上げして私を老人呼ばわりしているわけだが。

私は激怒した。

いかがでしょうか。皆さんも激怒してみては?

2023-10-24

日本人は3種類に大別される

サムライニンジャゲイシャ

日本にはこの三者しか存在しない

聖書にもそう書かれている

anond:20231023164718

アスペはどこもダメそうだ

三者とも偶然殿の目に止まって気に入られれば一時期は良さそうだけど

信長…よくわからん地雷踏んでクビ

秀吉… よくわからん地雷踏んでクビ

家康社内政治が苦手なアスペすみっこの方に追いやられる

2023-10-03

[]28歳になってやっと自分毒親育ちだということに気付いた

28歳男。最近職場で母が怖かった話を笑い話程度にしたら思ったより引かれて毒親ちらしいことに思い至った。

その時同僚と話したエピソードは「母が突然怒り出して三者面談に来なくて担任と二者面談をした」「反復練習が良いと聞いた母に終わった宿題を全部消しゴムで消された」の2つ。俺的にはあんまり他の人がしてないおもしろ体験を話したつもりだった。でも聞いた人たちは引いてたし、増田さんってもしかして毒親育ち?と聞かれもした。

こう言われてから初めて俺は毒親育ちではなかろうかとちゃんと向き合って調べてみた。自分の家庭環境なんて人と比べることがないから今まで気付けなかったけど、どうもそうみたいだ。

何となく思い出したことを書いていく。

俺が9歳から18歳までの間、母と2人で暮らしていた。父は単身赴任で月に1回帰ってくるかどうかで帰ってきても会話はほとんどしなかった。

とにかくメンタル不安定な母だった。そして他人とよく喧嘩していた。俺の小学生時代授業参観か何かのイベント男子児童(友達ではない)をなぜか詰めてその子泣きながら家に帰った事件があった。結局俺は何も知らされなかったけどその後親同士で何か話し合いをしていた。他にも近所トラブルや何やらかんやら。母は孤独な人だった。

からよく無視されていた。2人暮らしの家で1週間も無視されるのはたまったものではない。小さい頃は泣きながら謝り続けていたが、中学生くらいになると機嫌を取ろうとニコニコしながら話しかけていたように記憶している。謝ろうが話しかけようが全部無視だったけど。そして母はある日突然普段通り話してくれるようになる。母が無視モードに入っているかどうかを確認するために、朝起きて「おはよう」の挨拶が返ってくるか、学校から帰った時の「ただいま」が返ってくるか、をビクビクしながら毎日笑顔確認していた。この挨拶が返ってこない時は絶望だった。なお無視中でも一方的に凄まれることはあった。結局なぜ頻繁に無視されていたのかは分からない。

ただ、無視中でも、異常に不機嫌ではあるがご飯は作ってくれていた。皿を投げるように扱ったり、「私は召使いか」と凄んできた、大きな物音を立てられたりされながらも食卓毎日一緒に囲んだ。俺は2人での食卓から逃げられなかった。逃げると余計酷い目にあうから。逃げてもまた狭い家の中で顔を合わせる事になるから耐えるしかなかった。

母は料理について頻繁に「なんで私だけこんなことしなきゃいけないのか」「私は女中か」と俺に言っていた。そこまで料理が嫌だと言うなら、と思い俺が料理をしようとした時もあったのだがキッチンに入った時点で凄まれた。何も解決できなかった。

したことは無いのだが、よく分からないサプリメント水素水なんかも無理やり飲まされ続けた。拒否権はもちろん無い。1度水素水意味が無いことをやんわり伝えてみたのだが激怒されて終わった。受験期によく分からない波の音のCD毎日20分聴かされたり、塩を撒かれたり、毎晩寝る前にご先祖さまへの感謝を述べなければなかったりもした。まあこれらは無で従えばいいだけだったから辛さはあんまり無かった。

勉強については度々怒られた。俺の成績が悪いことについて、勉強してる最中に1時間怒られることはよくあった。なんなら勉強中に勉強しろと怒られ続けたこともあった。これは母が酒を飲み始めた22時以降によくあった。このおかげで22時くらいに寝るようになったのだが、今度は寝てる最中もお構いなく叩き起して怒ってくるようになってしまった。俺は辛すぎて天井を見ながら無言で泣いていた。怒られている時はずっと無言で泣いていた。言い返すことなど許されなかった。「こんな成績で恥ずかしいとは思わないのか」ということをよく言われていた。

いちばん辛かったのは無視だが、度々「子育てに失敗した」と母から言われるのも辛かった。あれは自分自身への苛立ちを俺にぶつけていたのだろうか。俺に完璧人間になってほしかったのか。俺が東大に入る成績だったら母は優しかったのか。

小さい頃から母に「人の顔色を伺うな」と怒られていた。今も人の顔色を伺う癖は抜けていない。怒ってる人や不平そうな人に擦り寄ってしまう。だからメンタルおかしな人に好かれがち。メンヘラに寄りかからせてしまう。母とももしかすると共依存になっていたのかもしれない。

ちなみに父親は俺のことがあまり好きではなかった。俺は9歳からオタクだったんだが、12際の頃に父からオタク社会に不必要オタクは死んだ方がいい」と言われてからずっと距離を取っている。

実家にいた頃、とにかく自由が欲しかった。自分意思で行動したかった。逃げたところでどう考えても結局母と2人の家に連れ返されるのは見えていた。

幸いにも父の稼ぎが良かったか大学で母から離れ東京に出てこれた。東京で念願の一人暮らしだ。一人暮らし中も母からネトストされて激怒の連絡が来るとかあったけど、今は3年か4年に1回くらいしか帰ってない。そして母からの連絡は全て無視している。

ご飯も食べられたし殴られていた訳でもないしお金もあったし教育も十分受けられた。虐待されていたわけではない。なんなら恵まれ環境だったと思っている。贅沢と言えるような環境だったのにも関わらず毒親育ちを自称するのは被害者面して気持ちよくなっているということなんじゃないか、こう思い今まで目を逸らし続けていたのかもしれない。ここでも人の顔色を気にしている。自分が辛ければ辛いでいいのか。

結婚願望はある。俺は辛くない家庭を築きたい。しか孤独以外の家庭を知らない。父親がいる家庭を知らない。

家族ってなんだろうね。

2023-09-16

ちょっとした校則違反をするような子どもに育ってほしい

今度子ども生まれる。

第一子。実感はまだない。

先日、妻とどんな子に育ってほしいか話し合った。

そこで共通していたのは「ちょっとした校則違反をするような子ども」だった。

当然、いじめとか暴力絶対ダメだ。

けど、スカートの丈を少し短くしたり(今どきはあまりいないだろうが)、先生内緒学校友達漫画の貸し借りをしたり、入ってはいけない屋上部活の先輩から受け継がれた鍵で侵入して友人と夕日を見たりしてほしい。

ほんの少しだけ色がつくようなリップクリームを塗ってみたり、小学生とき友達と学区外まで自転車探検したり、合唱コンクール打ち上げ子どもだけでファミレスでやってほしい。(最後のやつは何ヶ月か前に増田で見た)

自分たち学生の頃を思い出しても、ちょっとした校則違反をしていたやつの方が要領がよくて、その後の人生も上手くやっている。

もちろん先生から保護者宛てに連絡が来たらちゃんと叱る。

校則なんて破っていい」なんて子どもには口が裂けても言わない。

だってそんなこと言ってくる親がいたら逆にウザいからね。

だけどさ...

親ってみんな、ちょっとぐらい校則違反をするような子どもになって欲しいと思っているんじゃないのか?

昔、三者面談とき先生が「まぁでも増田くんは大丈夫ですよ」と苦笑いしながら言った。

何度かしょうもない校則違反したこと母親に報告しながらそう言った。(確か立入禁止になっている旧教室がある棟をクラスの友人たちと探検したのがバレたとか制服の着方がとかなんとか)

その「大丈夫」の意味を改めて考える。

いや、考えるまでもない。

だって一度も校則違反をしないようなやつの方が明らかにヤバいのは誰が見たって分かるもん。

そういうわけで、結論はこうだ。

親としては校則違反をしてはいけないと子どもに言い聞かせる。だけど子どもちょっとした校則違反をする。叱る。

叱るけど本当はまんざらじゃない。

本音と建前を理解して、世渡り上手子どもになってほしい。

2023-09-13

anond:20230913124010

それっぽい言葉使ってちゃんと煙に巻くぞ。導入時の時には出来るだけ平たくするけどね

 

めっちゃ金積んでる&激おこぷんぷんまるなとこだけ、平たい

というか尋常じゃなく金詰んでる顧客相手でも個別修正対応不可能かつ即時に動けないケースは地獄

顧客(会社の偉い人、システム担当者、開発担当者インフラ担当者) と SIベンダー(営業営業の指示を受けたサポート)の三者間で

『だれがいちばん悪いと思う?選手権』が始まります

2023-08-23

anond:20230823135913

転売ヤーが成り立つの一時的需要過多によって市場価格が高騰しているからなのであって、その商品が良いものであるからではない

少なくとも供給元のメーカーにとっては、転売ヤーによる買い押さえは余計な供給不足を引き起こし生産計画販売計画を狂わせるので、いい迷惑である。当然この影響は小売りにも影響するので、小売りにとっても迷惑である

では、最初から高い値段で売れば良いと思うかもしれないが、それはそれで難しい。

たとえばゲームハードなどの場合販売台数を稼ぎシェアを取ってナンボなビジネスモデルを取っている。そのため値段を高くした場合一時的利益は出るかもしれないが販売台数は出ないため、長期的に見た場合利益が出ない。一時的に値段を上げてそのあと下げればいい、と思われるかもしれないが、値段を上げて売れる保証はない。コロコロ卸売価格を変えれば小売りはい迷惑だし、市場価格は乱高下するので市場も当然混乱する。

また、初っぱなで店頭価格べらぼうに高いと、「こんな高いもん要らんわ」と消費者に印象付けてしまい、需要さらにしぼませてしまう。「足元見んな」と客に思われれば、商品店舗どちらのブランドイメージも悪くなる。

まり転売ヤー存在消費者製造元、小売りの三者が損する、「三方悪し」な存在であるといえる。

2023-08-11

連休の挑戦: 一流のシェフとの野球対決

連休の始まり、私は普段日常からつの大きなジャンプを試みることに決めた。それは、一流のシェフとの野球対決だ。シェフ野球? その組み合わせの不思議さが、私の心をくすぐったのだ。

私たちスタメンは、高学歴の友人たちと私。逆に、シェフたちは彼らの料理の腕前と同じくらいの野球技術を持っているという。試合前の練習時、私は彼らのパフォーマンスに圧倒された。しかし、チャレンジ精神に満ちていた私たちは、勝利を目指すことに決めた。

試合の日、スタジアムにはガチャのような驚きと興奮が満ちていた。シェフたちは彼らの得意技、すなわち料理テクニックを駆使してボールを投げ、打つ。野球帽に取り付けられた小さな料理ツールや、グローブに隠れた調味料ボトルなど、彼らのアイディアには驚かされた。

私たちも負けてはいなかった。高学歴知識を活かし、相手の動きを分析した。ジャンプ力やスピード計算し、ボール軌道バッターの打撃傾向を予測。それによって、何度かのアウトを取ることができた。

試合中盤、私はマウンドに立った。その時、空に流星が輝いた。まるで、勇者魔物と戦う場面のような瞬間だった。その流星を見て、ターニングポイントを感じた。私は最高のピッチングをし、三者三振を達成。

試合の結果、私たちシェフたちには敗れたが、その後の経験私たちの絆を深めた。その夜、シェフたちが特別に作った料理を囲んで、私たちは山のように盛り上がった。連休の終わりに、一つの新しい絆が生まれた。

そして、この経験を通じて、私は自らの人生における新しいターニングポイントを迎えた。それは、チャレンジすることの大切さや、異なる背景や職業を持つ人々との絆の深さを学ぶ機会となった。

この連休出来事は、私の人生の中で最も印象的なものの一つとなった。結婚キャリアの進展と同じくらいの価値があると感じている。なぜなら、人生の中で最も価値のあるものは、経験や学び、そして人との絆だと思うからだ。

※ChatGPTで作成

2023-08-08

[]イマキュレート・イニング

野球用語で、三者連続三球三振でイニングを終わらせること。

実はノーヒットノーランサイクルヒットなどよりもレアらしい。

2023-08-03

中学の時、授業参観三者面談もなかった

改めて思い返すと変な学校だったな

2023-07-26

私の人生を振り返って、かわいいものに執着したことってあんまりなかったけど

ぬいぐるみ猫ちゃん、近所の三毛猫ちゃん、そして今のゲームのお友達

この三者が3大カワイイ

ああ可愛い

2023-07-05

恋愛したいなら話しかければいい

きな子が頻繁に買い物に寄るコンビニ

「よくくるのー?」って話しかけること3回目で絶叫されて緊急三者面談開かれた俺の言うこと信じてほしい

2023-07-03

サムライマラソン

サムライマラソン 105分-サスペンス/アクション/時代劇

日本元祖マラソンを題材にした映画

面白いかどうかと言えば微妙

「うーん。どちらかといえば面白くない」だ。

それでも記録に残しておく。

光るところが少しあるからだ。

走行邪魔になる着衣で山道を激走する。

疾走感が見事だった。

よくこんなに走れるものだ。

基本的に全場面走る。

ずっと走ってる。

箱根駅伝面白さがちょっと分かった。

走るのを見るための映画だった。

マニア向け。

ここから下は読まなくてもいい。

物語舞台群馬県安中市

殿様が配下の者たちに体を鍛える遠足(とおあし。マラソン大会)を開催するとお触れを出した。

勘違いしたスパイが「謀反だ!」と手紙飛ばししまった。

江戸城から粛清人が送られて、さあ、大変。

という構成になっている。

物語は三組のパートに分かれる。

勘違いしたスパイ

 生まれも育ちも群馬県安中市の侍。

 安中の殿様に従事してそこそこの生活を得ている。

 正体は徳川家スパイ

 早とちりして安中が謀反を企てるとして粛清するよう手紙を出してしまう。

 安中に情があるのでこれを止めようと奔走する。

ジジイ小僧と姫

 遠足の一着には殿様が望みをかなえる。

 

 安中から暇を出されて腐ってたジジイ

 母子家庭キノコ狩りする貧しい小僧

 江戸アメリカに行きたい家出娘のお姫様

 この三人がそれぞれの思惑を胸に遠足に参加する。

 それぞれの望みは叶うのか。

 

・一番足は速いが位が低くて八百長依頼される侍

誰もが認める俊足。

しかし位が低いため勝つことを許されない。

家族純粋勝利を信じている。

八百長依頼されて金子とご馳走を振舞われる。

つのか、負けるのか。

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要素だけを抜き出すとかなり面白そうだった。

3組以外にもちょこちょこ人間ドラマが織り込まれている。

しかドラマパート面白くない。

登場人物たちに感情移入できなかったのが敗因。

ジジイ小僧姫の三者にはちょっと興味が湧いたが見せ場の作り方が地味だった。

全体的に地味。

2023-07-01

Dump解析もサポート仕事やったで

カスタマーサポートだけど、開発チームに敬意が持てない https://anond.hatelabo.jp/20230629233830#

なんかトラバぶら下げたくないのでこっちに(anond:20230630220859)

 

めっちゃ金積んでる&激おこぷんぷんまるなとこだけ、営業と一緒にお客様お話しをお伺いし、開発にお伝え

流石に直で開発の連絡先を教えるとかは無かったが、以降は、エンド→営業→開発でサポート挟まないとかあったやで

 

めっちゃ金積んでない顧客案件は、どこが原因になっているか確認を終えてから、これが原因になっているから直しといてねって開発にチケット投げてた

めっちゃ金積んでない顧客案件は、サポート検証・解析をやってから開発依頼だったのでめっちゃ対応時間掛かったが、

顧客がプンプンしてても、『別に弊社製品契約を辞めたかったらやめてもええんやで?』ってノリだった。形式的謝罪こそはするものの、すげぇ会社だなって思った

 

なお、尋常じゃなく金詰んでる顧客相手でも個別修正対応不可能かつ即時に動けない会社地獄

顧客(会社の偉い人、システム担当者、開発担当者インフラ担当者) と SIベンダー(営業営業の指示を受けたサポート)の三者間で

『だれがいちばん悪いと思う?選手権』が始まる。そのうち緊急対応が終わってなぁなぁになります

2023-06-29

私の母親日本人ではない

物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた

狭いアパート家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍夫婦に預けられた。

今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦お金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う

兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい

母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすゲーム機で遊ぶことだった。

家に子供けがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う

やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときハンガーで叩いて言って聞かせた。

兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。

すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分けが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない

兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまたから泣きながら母に兄のことを話した。

それから母は深夜帯の仕事をやめて昼間に働くようになった。


父は山に囲まれ田舎に住んでいた。亭主関白のもののような人だと思う

私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている

まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話わたしてくれた。父とは物心ついたとき父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物父親だと私は認識して話していた。

そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。

例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。

そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。

まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う

うその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。

たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う

から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからお金を頼む相手しか見てなかった


まだ園児だったこから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。

母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所ことなどを理解するのに苦労したのだと思う

持っていく必要もの行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない

しかし他の子不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。

それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。

兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。

いつもより早く母が迎えに来たときはすごく嬉しかったと思う


小学生になった私と兄は多少物事理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。

ここから母は私達の教育学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるま家事をすることだったかもしれない。

今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う

仕事をしなければいけない母は日本語勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある

厳密には仕事で疲れて日本語勉強することができないのが正しいかもしれなかった。

勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ

宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。

母も口では宿題をやれと言うが、やらせようとはしなかった。

兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない

学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。

ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。

保護者込みの学校出来事といえば、三者面談があると思う

それだけはさすがに保護者必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。

先生宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。

親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。

それはそうだと思う、明らかに厄介ごとを抱えてるのだから


勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。

1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。

それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的高校生だった。

変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。

私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。

ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。


兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない

大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった

兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。

から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。

怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるとき自分を責めていた。

母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。

そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった

私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。

そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。

兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。


それから半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。

引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。

仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。

まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない

電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金たまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。

さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。

私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。

働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。

安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。

私は甘ったれなんだと思う


母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。

一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。

私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。

1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。

そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。

また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうそ貯金もなくなってしまって今に至る。


よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語理解できる親というのが私には羨ましかった。

私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。

故に学校勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるか生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない

わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしま

ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

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