はてなキーワード: タイムラインとは
私はいわゆるオタクという生き物、しかも基本好きになるのは主要ではなく脇なんかでひっそり生きているか主要でも女性人気の低いマイナーキャラだ。見目麗しいキラキラしたイケメンよりも、一癖も二癖もいやもう五癖くらいあるキャラの方が好きだ。
例えるとすればアンパンマンより天丼マン、工藤新一より毛利小五郎、ハウルよりクロトワ、サトシよりタケシ、徳井より福田、ハンバーグよりクレソン…みたいな感じだろうか。ハンバーグに至ってはクレソンが乗っていない時の方が多いだろう。
そんな癖がある決して正統派とは言えないキャラを気付けば好きになってしまう。
付き合いたいとかは微塵も思わない。何気無い彼らの生活を己が干渉すること無く、空から見守りたい。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、ここまでは前置き。ずっとこんな調子で続くから耐えて欲しい。
遡ること数年前、私はやっぱりしがないオタクだった。あるアニメの放送が始まりなんとなくで観始めたら最後、どっぷりとハマってしまった。
毎週の放送が楽しみで、おのずと好きなキャラ…いわゆる推しも出来た。決してグットルッキングガイとは言えなかったが、性格や立ち位置やセリフ回しなんかが凄く好きだった。いつもは筋肉むきむきのキャラばかり好きになるのに、「痩身も悪くないな!」と思えた。
そのキャラが出る回は例え一瞬でも何度も何度も繰り返し観た。
そんなこんなで推しが出来ると、今度はそれを語り合う相手が欲しくなる。
現代にはツイッターなんていうオタクに優しいコンテンツがあるので、私はそれで仲間を探した。…が、やはりマイナーなのである。私が好きになるキャラは基本マイナーなのである。全然仲間がいないのである。
人気アニメで、沢山のオタクが楽しげにひしめき合っていると言うのに、その人混みを掻き分けども掻き分けども見つからない。カバンの中も机の中も探したけれど見つからない。
同士はいないのかー!
もう全然良い、腐女子でも貴腐人でもなんでも良い。それより私と踊り狂って欲しい。
そんなこんなで私は腐女子のお姉さま方という素敵な語れる仲間を見つけ、幸せ推し語り生活が始まる……はずだった。はずだったんだけど、いや始まってはいた。でもね、そのお姉さま方は一番好きなキャラは別にいた。
推しが違った。
ではどうして私の呼び掛けに彼女達は応えたか。……そう、そこでカップリングという問題が発生するのである。
カップリングとはつまりキャラ同士がイチャイチャするに当たっての男性役と女性役の掛け合わせだ。
掛け合わせるキャラによって名称も変わる。アンパンマンが男性役で天丼マンが女性役ならアン天みたいな。知らんけど。
基本一番好きなキャラ…最推しは女性役にする人が多い(勿論逆の人も沢山いるけどその傾向が強い)。
私が繋がったお姉さま方はみなさん私の推しを男性役に置いていた。そこで認識の齟齬が生じていたわけだ。ついでに男役と女役を逆にした所謂「逆カプ」の人口はほぼ無かった。
悪口ではなく比喩でもなく、本当にウンコみたいなカップリング名だった。もうどう擁護も出来ない程にウンコだった。(その後あまりにもウンコなので名称が改良されたらしいけど、それはまた別のお話)
そんなわけでどうにも腑に落ちないままずるずるとアニメを見てツイッターなんかで感想を漏らしていた時、一人の同志と繋がった。
彼女もやっぱり腐女子で、しかも最推しは別にいる。私の推しを男性役の方に置いて腐った生活を楽しんでいるような人だった。しかし話していくうちに彼女は彼らをBLとしてではなく、キャラ同士の精神的な繋がりが好きだと吐露するようになった。
……分かる、分かるよ。物凄く分かる。
そう私も同意した。
というのも、彼女の最推しと私の最推しは協力者であり主従であり静と動であり、また一種の腹心の友のような複雑な関係だった。それが好きなのだと彼女は言う。私も全く同じだった。
それからと言うもの、彼女とめちゃくちゃ二人の考察を語り尽くした。とても楽しかった。アニメは最終回を迎え、各々考えさせられる様なラストではあったがそれでも私達の熱は冷めず、毎日毎日推しは違えど二人の関係性を語って盛り上がった。
こんな時間がいつまでも続くと、私も彼女も思っていたことだろう。多分。
そんな中、事件は起きた。
アニメの最終回から数ヶ月経ったある日、一冊のスピンオフ本が出版された。なんと私の推しがメインキャラだった。しかもアニメ本編よりも前が舞台。つまり彼の半生を知ることが出来る。
発売日を手帳に書き込み、わくわくしながら待ってそして満を持して小説を手に入れた。フォロワーの腐女子のお姉さま方もみなさん手に入れていたし、もちろん彼女も「スピンオフ買ってきた!」とはしゃいでいた。また沢山語れるネタが増える!嬉しい!私は素直にそう思っていたし、フォロワーさん達も彼女も同じ気持ちだっただろう。
そう、読むまではね。
その日の夜、ツイッターのタイムラインは死屍累々だった。本当にあれは地獄だった、誰も全く幸せじゃ無かった。さながらお通夜。全員喪服着て泣きながらお焼香あげてる。
みんながわくわくしながらページをめくり、余す所無く読み込んだであろう私の推しのスピンオフにはとんでもないことが記されていた。
ちんこが無い……?
ちんこが無いって……?
ちんこが無い……?
どういうこと……?
比喩……??
いいや、比喩ではない。
本当にちんこが無かった。
正確に言えば拷問のすえ去勢されていた。正直、どう自分の中で処理すれば良いか分からなかった。だって今まで推しにちんこが無いなんて状況、一度だって経験して来なかった。というか考えたことすら無かった。そらそうだ、もしかして無いかも?なんて日常的に考えてたら危ない人だ。
まあね、別に私はそれでも良かった。
ちんこがあろうと無かろうと、推しが推しであることに変わりはない。別にちんこの必要性とか無かったし。ただトイレとか立って出来ないのかなとは思ったけど。いつも個室に入らなきゃいけないわけだから、推しが小学校高学年の多感な時期じゃなくて良かったなみたいな。え、小学校高学年の推し?想像したらか〜わ〜い〜い〜!
だが、腐女子のお姉さま方は違った。そりゃそうだ、だって男性役に据えてた男にちんこが無かったんだもの。
じゃあ今まで私達がしてた妄想ってなに???あのちんこはなんだったの???まぼろし???
そんな感じでみんな死んでいた。現実について行けず、一部ハイテンションな人もいて逆に悲しくなった。
そんな、無理すんなよ…泣きたい時は泣いて良いんだぞ…。
そうやって私が肩を抱いてやる前に、1人また1人とお姉さま方は別のカップリング、もしくは別の推しを見つけジャンルから去っていった。随分と人が少なくなって廃れ、ダムに沈んだ街みたいになった。
でも、私にはあの子がいた。
やったー!あの子なら別に私の推しにちんこがなくても変わらず語ってくれる!だって精神的な繋がりが好きなんだもの!そう思い、私はウキウキでその子のアカウントを覗いた。
明らかにツイートが減ったのは推しにちんこが無いと判明した時期。当初はそれでもぽつぽつと呟いていたようだが、次第にそれもなくなり「すごい」という呟きを最後に更新がなくなっていた。何がすごかったのか、それを聞くことは金輪際叶わないだろう。
なぜなら、彼女はそれから暫くしてアカウントを消してしまったから。
ああ、ちんこか。
私はそう思った。
お前もちんこなのか。
私は信じていたのに、結局ちんこなのか。
精神的な繋がりが好きだと言っていた彼女のリプライを思い出し、そしてまた思った。
好きだったの、ちんこ的な繋がりじゃん。
なぜ突然こんな話をしたためたか。
それは、つい最近公式で大きな発表があったからだ。どうやら、私に天国と地獄両方を見せてくれたその作品の映画第2段が制作されるらしい。きっと私の推しは出ては来ないだろう。それでも、あの時感じた失意とそれを上回る楽しかった記憶とを思い出し記録しておきたいと思ったのだ。
みなさんもどうか気を付けて頂きたいと切に思う。
女性キャラにおっぱいがないなんて事良くあるよとのコメントを頂いたが、良く考えてみて欲しい。私の推しにないのはちんこだ。つまり男性器である。ならばそこで消失すべきは女性器の方ではないだろうか。
貴方の大好きな女の子に女性器が無いのである、じゃあ今までの甘い妄想はなんだったんだ!?あの穴は幻想だったのか!?何処に出し入れしてたんだ!?なんて思わないだろうか。
私は推しの事をそういう目で見てはいなかったのでノーダメージだったが、そういう目で見ていた腐女子のお姉さま方には大ダメージだったのだ。きっと今まで自分の中で育んできた彼らの記憶が幻想だったと悟り、とんでもない喪失感に襲われたのだろう。ご理解頂きたい、彼女たちも私とは別角度で心に傷を負ったのだ。
2020.追記
このアニメの3期が今年放送、また配信されました。もちろん見ました。大好きな彼は当たり前ながら出て来ないですが、非常に面白かったです。とくに敵のトップが最高でした。これからもこのコンテンツが繁栄していく事を願います。
テスト勉強したくなさすぎて、一昨日くらいからはてなに張り付いて、言及してみたりくだらない書き込みしてみたり必死にしてる
そうやってくだらなくてどうでもいい文章書いてると、その間は少し気が紛れるから
でももう、やめる
もうこない
タイムライン(的な、なんていうんだろ、トップページ?)にくだらない書き込み並べてごめんなさい
頑張る
そりゃ運営媒体とか、なんかこう、オトナの事情で色々問題があることは分かってるんですよ!
アイドルマスターシンデレラガールズに登場するアイドル達は一部例外を除き基本的には総選挙で上位に入れないと声が実際されなくて、曲さえ出させてもらえないって!!
分かってる、分かってるけどね!?
サービス稼働開始からいるぼくの担当アイドル(名前は伏せます)も追加で実装された担当アイドルも声はないの!!!!
TLに流れてくる46人全員に声がついてて曲もあってライブができるエムマスのことが嫌でも目に入って気が狂いそう、有り体に言うと羨ましい!!!!!!!!
本家にカード実装されてはいるけど曲がメインのデレステじゃぼくの担当が新曲を歌って、コミュで喋って、凝ったMVで特別演出されることはない!!!!! デレステもデレステで最近同じユニットばっか出るし!!!! いやスシロー開始で声なしの子達にも何らかの展開は見込めるしいつかぼくの担当もスシローしてくれるかも…と期待はしてますけどね!?
いいなあ、ぼくもデレでペンライト振りたいなぁ、担当のカラーは何色かなぁ、ユニット組んだら誰と一緒かなぁ……なんて思ってる。
ぼくの担当には声がついてる子もいる。みんな大好きだ。だから声がついてる子とついてない子とでユニット組んで欲しいなあとも思う。本家のちょっとしたイベントでもしんげきでもいい。それで願わくば声がついたときに、二人あるいは三人や四人でユニットになって曲を出してくれたらと思う。
でもモバマスの仕様上ぼくにできるのは総選挙のときに微力ながらも担当に票を投じるだけ。
ついたらなぁ、っていうか、アイドルをしている以上彼女たちには声があるはずなので、ぼくはまだ彼女たちの声を聞けていないだけ…………のはずなので。
そんなことは分かってるんですけど、それでもやっぱり、タイムラインで楽しんでる他のプロデューサーたちが羨ましい。恨めしい!!!
えむますのサービス開始前よりいるぼくの担当アイドルの声はまだ聞けないし、きっと声が聞こえてライブに参加して曲を出してくれるのはしばらく先のことなんだよなぁ!!!!
所属アイドル全員に声があって、曲を出すことが理論上可能で、ライブで振るペンラの色も分かってるの、いいな!!!! 羨ましい!!!!!!
こんな気持ちでプロデュースするの、ぼくの担当アイドルたちに申し訳ないっていうのも、やっぱり当然分かってます。ごめんね。情けないプロデューサーでごめんね。
ぼくの力は微力だけど、今年はシンデレラを目指そう。
だってぼくが担当になったのは、彼女達がシンデレラになれると思って、隣を走りたいと思ったからです。シンデレラガールズになった彼女達がステージに立つのを見たいと思ったから。総選挙の時期になったらツイッターで応援したり、なんかまあ、色々するだろうなあと思います。うちのアイドルは可愛いんだぞ!!!! って言い回る。
弱音と恨みと羨望はここに吐き出して、ちゃんとプロデューサーに戻ります。ぼくの担当しているアイドルたちを、シンデレラにするために。
私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。
ここ数日、ツイッターのタイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。
これは、特に目新しい議題ではないだろう。
学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。
作者視点でも読者視点でも各々数パターンの意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。
私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。
まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。
作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である。
読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。
だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。
読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。
どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。
もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いから想像に過ぎないけれども。)
ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどい!しんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。
要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ。
文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。
同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。
何の反応もいらないのであれば、自分のノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。
そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌えに共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。
ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。
これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ。
気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブなレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである。
ピクシブであればいいねやブクマ、ツイッターであればRTやいいね、個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉を必要としない手段だってある。
「感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。
イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。
このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分を必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。
その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルやCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。
個人的な話ついでに。
私はいくつものジャンルを渡り歩いてきており、前回までのジャンルではいつも寂しさと孤独を抱えていた。
作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSやイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。
最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。
ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。
前ジャンルでSNSに疲れ切った私は、ピクシブもツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。
(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)
サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。
しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。
しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。
そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。
頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。
だからどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。
それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。
同人活動は趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。
だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループが幸せなのではないかと、私はそう思う。
ツイートちゃんとしてる?
いいか?人はリツイートやフォローされたら、まずそいつのタイムラインを見るんだ。
最新が1ヶ月以上前なんて論外。
3日に一回くらいの頻度でも厳しい。
ソシャゲの通知やらラーメンの記録写真、バズってるネタ画像のリツイートの連続。
フォロワー2000超えたあたりからこういうツイートもご愛嬌と捉えてもらえることもあるけど、
アイマスオタとかラズパイオーディオマニアとかイチャラブ四コマ漫画職人とかビッチ系自称おとこの娘とか、
始めの自己紹介でそいつの全てが説明できるくらいにインパクト強い個性があったほうがいい。
ツイッターなんて結局な、表になかなか出てこれんオタク共が同士とつるんで村作るアポカリプスなんじゃ。
地獄の黙示録みたく頭つるっぱげにして人骨の盃で酒飲みながら密林の奥に進んで行け。
あと当然だけどフォローは何人かしてるよな?
平均的増田のくそつまらないであろうツイートが、オタ充よろしくやってるツイッタラーの琴線に触れることは到底ありえないわけで、まあサーチからフォローしてもらえることなんざありえないよな。
テレビに出ていない、本は出したことない、インタビューしにくる奴もいない、ネットでバズらせたこともないし、インスタはやってすらいない、ハッカソンとは何者だ?最終学歴どこそこそれ?何かの大会で優勝したことありますか?資格なんて運転免許証しかないわ、しかも不細工、服はしまむら…etc
おまけに歌も下手、楽器できない、メロディ浮かばない、そんで絵も描けなきゃ集中力ないから長文を書くことすらできない。
だからボカロもpixivもなろうもハナからやる気すらなかった。そのくせにいっちょまえに馬鹿にはしてたんだけどなw
話脱線したけどそんな実力も人気もない奴向こうからフォローしてくることありえないでしょ?
こっちからフォローしてお返しにフォローしてもらうというやり方。
別に俺は何千何万とフォローしていけって言ってるんじゃないぞ。フォロワー2000人に対しフォロー2500みたいな垢とかほんと引くから。
フォロワー一桁の状態なら50垢くらい自分からフォローするんだよ。
この50垢も誰でもいいわけではなくて、ちゃんと自分のコンセプトにあったある程度仲良く出来そうな奴を選ぶ。
フォロー前後の挨拶DMとかはいらんけどたまにRTとかファボはしてやれ。
で50垢くらいフォローすると、相手がお前のプロフィールとかタイムラインを見るわけだな。
そのタイムラインとかが相手に気に入られればめでたく相互フォロー状態に持ち込める。
後はひたすら投稿とRTを繰り返して、フォロワーに自分のツイートを拡散してもらいやすい環境作りに徹する。
運良くお前のツイートが受けてRT数3桁クラスの小バズが続けばフォロワー5000超えくらいはもう余裕よ。
今だと例えば「#ポプテピピック」ってつけたツイートをポプテピピック放送中に投げるとか。
でも基本はやっぱり中身(タイムライン)がしっかりしてることだよね。
CoinCheck(以下CC)がNEMをほぼ全部クラッカーに奪われてしまい、どの通貨にもかかわらず、コインチェック利用者は強制ガチホ(売らずに通貨を持ち続けること)状態。
かくいう僕もネムラーで、ツイッターで阿鼻叫喚あげてる人ほどじゃないけど、投資額は3桁を超えていたので正直めっちゃつらい。本当に仕事行きたくない。
それはさておき、なぜだかツイッターを見ていると(僕のFF上のTLだと)、仮想通貨をやっていないクラスタが、自業自得だのざまあだの、CCツイートしてる人うざいといったことを発言していて、僕はびっくりした。
“”ソシャゲの方がマシだね“”
“”いい勉強代になったね“”
リプライではなかったが、彼らとは付き合いが長く、仮想通貨をやってるフォロワーは僕くらいなので、和田社長の会見をツイッターで実況してた僕に対する当てつけで言ってるんだろうなって思った。
でも本当にわけわかめ。
毎度のごとく僕のタイムラインは爆死報告で溢れてる。君達当たり前のように10万とか溶かしてるじゃん。
僕は一度だって、君達に対して爆死ざまあなんてリプライも、空リプも送ったことはないんだが。
てかギャンブルなんて百も承知だよ。現状の仮想通貨は投資ではなく投機。やってる人はみんなわかってるっつーの。
仮にFGOがクラックされてユーザーの全データがリセットされたら、多分今回以上の騒ぎになると思うけど、わざわざ空リプで自業自得とか言ったりしないよ僕は。
FGOの運営なんて見るからに杜撰で守銭奴なのに、みんなわかってて課金(投資)し続けてるでしょ?コインチェックだって同じだと思うんだけどな。
元は共通の趣味(僕のFFの場合はアニメ)で出来上がったツイッターの交友している人たちも、今はソシャゲだのPUBGだの仮想通貨だのアイドルや声優の追っかけだの、それぞれ色々な趣味を楽しんで、金をじゃぶじゃぶ使ってる。
いつまでも同じ趣味単体をツイートし続けるのはとても難しく、僕は、新しい交友関係の開拓のためにも、いろんなツイートをしてた。それはみんな同じだよね?
なにが言いたいかというと、僕の偏見かもしれないけど、なぜかソシャゲやってる人(かつ課金をしている人)に限って仮想通貨に投資している人をやたら批判してくる気がする。気のせいですか?
今回の一件でツイッターは疲れてしまったので、仮想通貨関連のポジトークを垂れ流す垢をフォローするためだけの垢を作り直して、ネットの友人(ですらないか)とは縁を切ることにしました。
結果論で批判するのは自由だけど、みんながソシャゲに突っ込んできたお金、BTCに入れてたら今頃10倍だったよ。これも結果論ね。
今日、twitterのタイムラインに以下のツイートが流れてきました。
「待機児童、待機児童っていうけど世の中に「待機児童」なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ。」
引用終わり。
この方を知らなかったので調べてみると、現在は自民党で衆議院議員だそうです。
上のツイート、ただの言葉遊びとも思えますが、ツイートした人の立場とタイミングが良くない。
まずタイミング。
地域にもよりますが、今は認可保育園・無認可保育園共にもっとも入園数が多い4月入園の結果が出始めている時期です。
保育園へ預けることを希望している親は、まだ結果がわからなくて毎日不安でそわそわしていたり、期待していた保育園に入ることができず不安な気持ちになっているところかと思います。
待機児童問題についてはセンシティブになっている時期です。この時期に特に必要がないのに親たちを刺激する意図がわかりません。
次に、立場。
その方が、女性の仕事復帰に罪悪感を抱かせ呪いをかけるような発言をするのはいかがなものでしょうか。
「私も子供を預けて働いてきた親ですけど。苦労は人一倍知っています。拙著を読んでくださいね。」
引用終わりです。
驚くべきことに、自身もゼロ歳児クラスから子供を預けて働いていたようです。
それでいてなぜ、同じように働こうとする母親の罪悪感を感じさせるような発言をするのでしょうか。
保育園に預けて働いた親たちが払った税金も自分の賃金や活動費用を構築していると想像ができないのでしょうか。
(個人的にはtwitterという閲覧フリーのSNSでの発言に異議を唱えられて、拙著を読めという態度もどうかと思いますが、本筋ではないのでこれ以上言及しません)
「保育園落ちた、日本死ね」論争は前提が間違っています 日本を貶めたい勢力の真の狙いとは…
http://www.sankei.com/premium/news/160702/prm1607020006-n1.html
以下、引用です。
「ですから「保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです。
たぶん、このブログに書かれている保育園とは「認可保育所」のことかと察します。保育所には認可保育所のほかに、無認可(認可外)保育所もありますし、待機児童が問題となっている大都市には「認証保育園」なる制度も登場しています。また、民間のベビーシッターも多く存在します。
自分で何とかできる部分は自分でやらないことには社会は成り立ちません。何でも税金におんぶと抱っこでは、日本は潰れてしまいます。「自助・共助・公助」の順番を間違えてはならないのです。」
「前述の「朝まで生テレビ」において、多くの女性論客は「保育所を義務化すべきだ」と主張しました。残念ながらこの主張は多くの日本人女性に支持されています。その背後に潜む大きな危険に誰も気づいていないからです。
子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです。
労働組合に牛耳られたごく一部の特殊な学童保育所などでそういった保育が行われていることを公務員時代に目の当たりにして問題意識を強く持っていましたが、それが数年でここまで一般的な思想に変わってしまうとは本当に驚きです。
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。」
以上、引用終わり。
まず、前段の発言です。
東京都などの保育園激戦地域では、無認可保育所にも入れない人が多くいるのが現状です。
現在の保育園激戦区では、いくらお金を払っても預ける保育所がない、という事態が発生しているのです。
(ベビーシッターと保育所は環境と機能がことなると考えますので、同列としません)
衆議院議員の方がこのような現状もわからずに発言をしているのでしょうか。
後段の発言については、自身も保育園に子供を預けていたからの発言とは思えません。
朝まで生テレビの彼女の出演回については拝見していないのでわかりませんが、個人的には「保育所を充実させるべきだ」という意見は多くあっても「保育所を義務化すべきだ」という意見が多いという印象は受けません。
日本には三歳神話も根強く残っている印象もありますし、自分の手で子どもを育てたいという親も多いです。
保育所を洗脳施設と称するこの記事は、保育園で働く保育士さんたちを侮辱しているようにも感じます。
世の中色々な意見がありますし、思想や主張は自由です。しかし、現職の衆議院議員の方の発言としては配慮に欠けるように思います。
好きに発言して選挙に挑めばよいと思いますが、比例でも出馬しているのであれば、党の意見に合わせた発言をされた方がよいのではないでしょうか。
プシュー。
月給が低くなるのは承知していたけれど、これほどまでとは。ゴクゴク。
みんな初対面に近いのにそんなにフェイスブックの友達申請してくるなよ。仕事の愚痴かけねーだろ。ゴクゴク。
友達になったらなったで、副業の話とか、興味ある勉強会とか、タイムラインに乗せるなよ。ゴクゴク。
職場でたわいもない話なのに「1億円とか儲けるのちょっと副業で起業すりゃ楽勝っしょ。去年オレの会社、3億円売り上げたし」とか、マジヤメろ。ゴクゴク。
こっちはITドカタよろしくphpいじってるだけなのにキラキラした目で「すごーい」ってここはジャパリパークかよ。ゴクゴク。
ゴクゴク。ゴクゴク。ゴクゴク。ゴクゴク。
Twitterに動画をあげようと思ったとき、まず目にする『再エンコードの仕様』
一番気になる点としては、やっぱりフレームレート。
じゃあ40fpsが最大値なんじゃないかと思ってしまうが、タイムライン上で60fps動画を上げてる人をそこそこ見るため、そんなことはないはずだと。
しかし、『Twitter 60fps 動画 投稿』で検索しても、知恵袋の公式ヘルプを引用しただけの回答ばかり目立つ。
仕方がないので実際に投稿してみることに。
パソコン(ブラウザ経由Twitter投稿)やサードパーティ製のクライアントから60fpsの動画を投稿すると、再エンコードされて30fpsになってしまう。
えーどうやってみんな60fpsで投稿してんの?ってなる。
もしやと思い60fpsの動画を投稿してる方のクライアントをチェックしてみると、『Twitter for iPhone』や『Twitter for iPad』ばかりだった。
試しに手持ちのiPhone内にあった、バンドリのプレイ動画(iOS11の画面キャプチャで撮った動画)を『Twitter for iPhone』で投稿すると、60fpsのまま動画を投稿できた。
とりあえずわかったことは、Twitterに動画を上げるときは公式クライアントを使って投稿すれば、フレームレートの劣化は防げる。再エンコードはかかってそうだけど。
まだiPhoneでしか試せてないのと、パソコンで60fpsに変換してある動画とかは試せてないので要検証だけれども、とりあえず一つ謎が解けたので良し。
…がありますか。私はある。
だから「最近嫌がらせにより筆を折ったとある同人作家にまつわる話題」が流れてきた当初こそ、自身の当時を思い出して心が痛んだものだった。
けれど、そのことを激しく嘆くツイートや、学級会のようなリツイートが回ってくることに対して次第に違和感を覚え始めた。
「悲しい、酷い」「私たちから作品を奪わないで」などと、まるでご自分こそが悲劇のヒロインであるかのようなツイートをしているあなた。
あなたはその作家に対して、今までに一言でいいから「自分の言葉」でメッセージを伝えたことがありますか。
「これからは好きを伝えていかなくちゃ」などと、ご自分に陶酔していらっしゃるあなた。
あなたはそうおっしゃった後、誰でもいいから居なくなってほしくない作家に何かしらのアクションを送りましたか。
タイムラインを眺めている限りの狭い世界ではあるけれど、私にはどうもどちらもほとんど無いように思えて仕方がない。
言葉とはすなわち「力」だ。
「面白かったです。次も楽しみにしています」の短い文でも、☆や♡、スタンプのぽち押しより何倍もの力になって作者の次の糧になる。
逆に言えば、嫌がらせや文句も「作者に直接届けられる言葉=力」だ。
悲しいかな、刃のような言葉はたった一つでも、100の優しい言葉よりも何倍もの力をもって人の心を抉ってくる。
それでも、「優しい言葉、嬉しい言葉」の記憶があればまだ反芻して耐えられるけど、それをも超える攻撃がきたら終わり。ジ・エンド。
作家業食べているわけでもないし、趣味でそこまで辛い思いをしたくないと諦めたら捨てるのは簡単なこと。
あとから「あなたのことが好きだった」と言われても、嬉しくないとまでは言わないが「一番つらい時に聞きたかった」と考えてしまうのは必然だと思う。
このあたりはあくまで私の経験であって、件の作家さんの心情がどうだったのかは知る由もないが、似たような思いを抱いておられても不思議はない。
…まあ、ぶっちゃけてしまうと、作者本人でもなくまともに交流したことも無いただの外野のくせに、悲劇のヒロインぶってる奴は相当気持ちが悪いなってことなんですけどね。
「今度何か新作が出たらその時こそ」だの、「今はまだ勇気が出ないから、今は勇気を蓄える期間♡」なんて言ってる時点で手遅れ。
今まさに挫けようとしている作家には届かずに終わるでしょうね。
ツイートでは次回作の構想を呟いているあの人も、次に参加するイベントを吟味しているあの人だって、元気に見せているだけかもしれないのに。
流れて来たツイートで見かけたけど「明日もこの作品が読めるとは限らない」、まさにそれ。
それが嫌なら動け、それだけ。
おおっぴらに悲しんでいいのは、ちゃんと動いた人間だけ。
ちょっと長い話になる。
少し前になるが、冬コミのことだ。
コミケにサークル参加するのは2回目だった。二次創作で、成人向けの漫画を出した。
コミケは2回目だが、オンリーや地方のイベントには出ていたので、全体として本を出すのは15冊目くらいになる。
それまでのイベントでだんだん売れるようになっていたから、調子に乗っていたのかもしれない。
余計な議論が起きそうなので具体的な数字は出さないが、持ち込んだ部数の3分の1もはけなかった。
それまで尻上がりだっただけに、余計に凹んだ。
それもあって、冬コミ前はとても緊張していた。
売るために参加しているわけではないが、自分の本が誰にも求められてないのでは、という不安にかられた。
絵で少し仕事もはじめていた時期だったので、胃を痛くしながら当日を迎えた。
結果として、完売こそしなかったものの、ノルマとして設定していた値より多く頒布することができた。
売り上げでおいしいお肉も食べに行けたし、手伝ってくれた友人にもごちそうできた。
問題はそのあとだった。
Twitterで、知り合いの作家の完売報告の嵐を見て、モヤモヤした気持ちが生まれてしまった。
午前中に完売しているサークルが多く、タイムラインはうれしい悲鳴で満ちていた。
その時つい、「悔しい」と、そう思ってしまったのだ。
俺も過去に予想外の人気が出て完売したことがあったが、その時は後から買いに来てくれた人に対してとても申し訳無く思ったものだ。
その点今回は、赤字にはならなかったし、喜んで来てくれた人もたくさんいた、欲しい人にも行き渡っただろう。
そもそも「完売」とひとくちにいっても、部数にもよるし、流行や知名度など要因は様々だ。
何も悔しがることはないはずだった。
だけど何か、「完売することが成功の指標」でありステータスかのように、その時は感じてしまった。
何より悔しいのはそのことだった。
自分の目標も達成して、なんの問題もないのに、結果を喜べなかった。
そんな自分にげんなりもした。
特に最近はSNSですぐ他人の成功が目に見えるので、こういうことはままあると思う。