…がありますか。私はある。
だから「最近嫌がらせにより筆を折ったとある同人作家にまつわる話題」が流れてきた当初こそ、自身の当時を思い出して心が痛んだものだった。
けれど、そのことを激しく嘆くツイートや、学級会のようなリツイートが回ってくることに対して次第に違和感を覚え始めた。
「悲しい、酷い」「私たちから作品を奪わないで」などと、まるでご自分こそが悲劇のヒロインであるかのようなツイートをしているあなた。
あなたはその作家に対して、今までに一言でいいから「自分の言葉」でメッセージを伝えたことがありますか。
「これからは好きを伝えていかなくちゃ」などと、ご自分に陶酔していらっしゃるあなた。
あなたはそうおっしゃった後、誰でもいいから居なくなってほしくない作家に何かしらのアクションを送りましたか。
タイムラインを眺めている限りの狭い世界ではあるけれど、私にはどうもどちらもほとんど無いように思えて仕方がない。
言葉とはすなわち「力」だ。
「面白かったです。次も楽しみにしています」の短い文でも、☆や♡、スタンプのぽち押しより何倍もの力になって作者の次の糧になる。
逆に言えば、嫌がらせや文句も「作者に直接届けられる言葉=力」だ。
悲しいかな、刃のような言葉はたった一つでも、100の優しい言葉よりも何倍もの力をもって人の心を抉ってくる。
それでも、「優しい言葉、嬉しい言葉」の記憶があればまだ反芻して耐えられるけど、それをも超える攻撃がきたら終わり。ジ・エンド。
作家業食べているわけでもないし、趣味でそこまで辛い思いをしたくないと諦めたら捨てるのは簡単なこと。
あとから「あなたのことが好きだった」と言われても、嬉しくないとまでは言わないが「一番つらい時に聞きたかった」と考えてしまうのは必然だと思う。
このあたりはあくまで私の経験であって、件の作家さんの心情がどうだったのかは知る由もないが、似たような思いを抱いておられても不思議はない。
…まあ、ぶっちゃけてしまうと、作者本人でもなくまともに交流したことも無いただの外野のくせに、悲劇のヒロインぶってる奴は相当気持ちが悪いなってことなんですけどね。
「今度何か新作が出たらその時こそ」だの、「今はまだ勇気が出ないから、今は勇気を蓄える期間♡」なんて言ってる時点で手遅れ。
今まさに挫けようとしている作家には届かずに終わるでしょうね。
ツイートでは次回作の構想を呟いているあの人も、次に参加するイベントを吟味しているあの人だって、元気に見せているだけかもしれないのに。
流れて来たツイートで見かけたけど「明日もこの作品が読めるとは限らない」、まさにそれ。
それが嫌なら動け、それだけ。
おおっぴらに悲しんでいいのは、ちゃんと動いた人間だけ。