はてなキーワード: うな重とは
ツイッターやらまとめブログでは前泊させる会社はブラックで、それに従う会社員は社畜だという意見が多いが、本当にそんなに批判されることなのだろうか。
世の中の八割以上の人は台風が来ているのなら午後から出社でも大丈夫な人だとは思うが、
銀行の窓口やインフラ企業などに勤める一部の人たちは「なんとしてでも職場に行かなくてはいけない人たち」だ。
中にはその日は絶対に外せない大事な打ち合わせがある人だっているだろう。
そのような人たちに手当と宿泊費を出したうえで前泊を命じることはごく一般的な事業継続管理だと思われるのだが…
むしろそのような重要な人たちに前泊などさせず、当日電車が止まっていようとなんであろうと自宅から這ってでも来い!という方がよっぽどブラックであろう。
手当も宿泊費も出さず自腹で前泊しろというのならブラックと言っても致し方ないが、そうでない人までブラックだの社畜だの騒いでいる感がある。
普通に考えて早起きしダイヤが乱れまくって超混雑の中出勤するよりも、職場近くで前泊したほうがゆっくり寝られるしもみくちゃにならないのでよっぽど楽だと思うのだが。
初めて付き合った元彼女に十数年経ってまた会った。
高校時代にお互い初めて付き合った際はお互い童貞と処女で狂ったようにセックスした間柄。
お互い進路が違って疎遠になっていたが、FBでつながってはいた。
本当に気まぐれで食事でもいかないと誘って、久しぶりに会うことにした。
俺が予約した西麻布のちょっといい店に現れた彼女は相変わらずの美人だった。
食事しながら近況をいろいろ聞き出すと仕事は順調なもののいまいち男運が無い模様。
付き合っていてもセックスレスになる、そのうち浮気されるとのこと。これが必ずだという。
彼女はちょっと天然だけど美人だしスタイルはぼちぼちだし、性格だっていいんだ。
でもどの男ともあまりうまくいかないようだ。
昔付き合っていたとき行っていたようなラブホではなくて、さくっと予約したそこそこのホテルに移動した。
懐かしい身体。
キスの流れはこれだけ経っても同じなんだなとか、
こんなところにホクロもあったよなとか、
胸は少し小さくなったなとか、感慨に浸る。
それで彼女の局部を舐めるかなーとおもむろに下半身にお邪魔してアプローチしたところ...
酔いも醒めるほどの強烈な異臭に遭遇した。
局部から漂ってくる臭いは懐かしいが、懐かしいんだけど今となってはこれがすそわきがの臭いだと認識できる。
公園で手マンだけして帰宅した日の指がいくら洗っても臭いがとれなかったこと。
クンニしまくったら数日鼻に抜ける臭いが彼女の局部の臭いのままだったこと。
もちろん俺も大人だ。
だから何食わぬ顔で、そうまさに何食わぬ顔でクンニして、セックスした。普段以上に気を遣って楽しくセックスした。
そしてお互い翌日早いのでそれぞれ帰宅した。
生活習慣改善とか臭い対策とかでどうにかなるものではないレベルに感じた。
本人が気付いているかは不明だけど、もともと臭いにかなり敏感な子だったから気付いているだろう。
でも彼女は根っからの医者嫌いだから治療することはないだろう。
でもある程度選べる立場になった今の俺は、彼女とセックスするのはもういいかな。
ごめん。でもまた飲みにいこうな。
共感力の高低云々という話もあるが、共感後の再・他人事化という逆向きのベクトルの話もあるわけで、俺が増田に「共感」してしまったのは、深読みなのかもしれないが、事象を体験した後の他人事化(心理的な切り離し)について、それなりに考えた上でやや露悪的に書いているんじゃないかと思ったからだ。
が、今読み返すと当事者に寄り添う意識はあまりなかったようだ。どちらかというと俺は増田の友人のクリエイターのほうに近いのだろう。
そもそも俺自身はクリエイターとはぜんぜん違う社畜界の人間なので、その意味ではこの増田のクリエイターさんに「共感」できる下地がどの程度あるか分からない。
災害の起きた場所に親族・知人の縁がなく自分が安全なら、身につまされることなく「最初から最後まで」他人事感覚で見ることも難しくはないだろう。それを口に出すべきものかどうかは(道徳的に、あるいは本人のメリット的に)別として。
それより、はてな住民からのバッシングに近いブコメを見て思うのは、正義感あふれる書き込みをしている人の中には人は「当時自分がどう感じていたかを自分に都合よく忘れてしまった人もいるんじゃないのか」ということだ。
大震災の一次的被害者でなかった南関東の住民として書くと、いつ終わるともしれない余震と原発がどうなるかにおそれ慄き、停電の実施に怯えつつ、それと同時に、震災は東京で起きたのか、と思うくらい、東京の現在ばかりを伝えるメディアに軽く怒りを覚えながら、それでいて何か非日常感に心踊る自分に戸惑ったことを覚えている。「この高揚感は何なんだ」と、思った人がそんなに少ないとは思わない。
3月12日の夜、一日たってようやく公式に姿を見せた首相の国民向け演説を見て、その自己陶酔ぶりに異様さを読み取った人は多いはずだ。あの夜、この人は自分にしか関心がない人に見えて不安だった(そして後にその不安は的中する)。
見ていた俺もそれほど変わらない。
何かこの国の形が変わるような重大発表があるのだろうと、1945年8月15日の「玉音放送」を聞く日本人に自身を重ねるような気持ちでテレビの前に座ったことを覚えている(どちらも発表があること自体は事前に伝えられていたので緊張感をもってその時を迎えた人は多いはずだ)。
被災地支援を語り(ダシに、とまではさすがに書かない)、自己満足にすぎないと自ら語っているボランティアの方々などの例外を除けば、自分の利益にしかならないビジネスをやっているだけなのに、自分は善いことをしていると自己洗脳することに成功した人は身の回りにたくさんいる。
この辺は自分の心にとどめておくべきで、決して、このような形で書いちゃダメな領域なんだろう。「正義派」のスイッチを押してしまう(その意味では、これを書いた俺もクリエイターさんと同様にタブーを犯しているんだろう)。
クリエイターさんがどういうジャンルの方なのかわからない(アニメ系の方?)が、
「あまちゃん」で太巻がいった「売名行為だよ」という発言で、勇気づけられたエンタメ系の人も多いんだろうと思った。実際、あの劇中人物の発言で、悩みが吹っ切れた人がいるという話を聞いた。
俺自身は、いまだに吹っ切れていない。
直接の形では自分に起きなかった不幸、しかし自分が立ちすくむ程度には影響を与えた出来事をどうハンドリングしたらよいのか、今も分からない。
自分の心の内側から出ているとは思えない言葉を使って、日常をやり過ごしていることへの罪悪感は隠し切れない。
……と、このように書くこともまた綺麗事だよな。無限ループは続く。
元増田です。大半が未読ですが、いくつかわかる分だけ。
http://blackcat.hatenadiary.jp/entry/2014/04/29/192630
うつで休職中、会社の人事でメンタルヘルスの研修を受けた人がリワークの情報仕入れてきてすすめてくれて、かかっていた医者に相談したら、はっきり「やめた方がいい」といわれた。
もう7年も前の話なので今は変わってるかもしれないけど、あれは入院するレベルの重症患者が最初の軽作業として選ぶようなところだと。作業としてはWordで簡単な文書を作ってみましょうとか、グループワークで何かを調べてみましょうとかそんなやつで、「入院するような重い症状の患者と一緒に」「業務なら30分で済ませることを何時間もかけてやる」ことで、数年前まで普通に仕事をしていた患者には逆効果になることも多いらしい。ほかの受講者から受ける影響も無視できない。
まあ、ああいうところに行くとすれば主治医と相談するんだろうから、それが本人にとって効果的かどうかは医者が判断してくれるんだと思うんだけど、この制度はすごくいいと思ったし、家族にうつ病患者がいる人なんかは飛びついちゃいそうだったので書いてみた。心療内科医が患者の提案をはっきり否定するとかあんまりないことだと思うので。
STAP騒ぎをスルーするつもりだったのですが、最近はどうも変なイメージばかりが拡散されているようで
これらは陰謀論の新たな種になってしまうのではないかと思えてきました。
そこで僕の知っている範囲ですが、理研のことなどをここに書きだしてみる事にしました。
特定の組織・人物をかばう/中傷する意図はないつもりですが表現に問題が有りましたらご指摘ください。
このような文章を書き慣れていないので見苦しかったら申し訳ありません。
僕は理研で1年程お世話になっただけの身です。現在は所属は違います。
院を卒業してそれほどたっていない、まだ学生のようなものです。
無知故に以下の内容には間違いがあるかもしれません。もし間違いに気付いたらご指摘いただきましたら幸いです。
この文章をご覧になる方はトラバやブクマコメントまで目を通すようにおねがいいたします。お手数をおかけいたします。
小さな研究室の集まりが研究センター。研究センターの集まりが理研です。
各研究室のボスとして 「センター長」、「主任研究員」、「准主任研究員」がいます。それぞれが研究室を持っていて基本的に対等の立場です。
例えば、センター長が主任研究員に命令したり威張ったりすることはできません。
大学で言うと、(准)主任研究員が大学教授、センター長が学科(学部?)主任くらいに相当すると思います。
各々のボスはポストドクター(博士研究員)、通称ポスドクと呼ばれる研究員を雇って研究をさせます。
任期2-3年くらいの非正規雇用です。研究者の大半がポスドクです。
ポスドクは数年毎に、研究室(研究所)を転々と移り変わっていきます。
『理研ルール』と呼ばれるものの中に、『5年以内に出て行きなさい』というルールがあります。
(「理研をゴールと思ってはいけません。理研を踏み台にステップアップして行きなさい。」という意味だそうです。)
一応、5年を超えても審査が通ればそのまま居続けることも可能だそうですが、
僕のお世話になっていたセンターでは5年どころか 1, 2 年で移っていく人も多く、人の入れ替わりが激しかったです。
僕の分野で理研所属を名乗ると「今誰がいるんだっけ?」と言われてしまいます。
このような感じで理研は強大な組織ではなく、あくまで小さな研究室の集まりです。
各研究室にポスドク数人がいて、ボス(主任研究員)がいておしまいです。
一応その上に野依さん(理事長)がいますがあまり関わりはありません。
くらいに思うとイメージに合うでしょうか。
コミケに例えると、
研究主任がサークル代表で、センター長が壁際サークル代表。それぞれ漫画の書き手を雇っています。
理研はコミケ準備会です。参加サークルが多すぎて誰が何を描いているか運営は把握していません。
こんなかんじでしょうか?
「XXが見つかった!大発見だ!」といったニュースが流れた後、
1年後には消えていることはよくあることです。
少なくとも僕の分野では常識を覆すような重大な発見の場合、だいたい1年間は様子見をします。(*1
「XXがなかった」というニュースが流れない理由は 別に何らかの陰謀が働いているわけではなく、単純に「存在しないことを示す」のが難しいからです。
実験からはあくまで「〇〇の条件では見つかりませんでした」としか言えません。
「〇〇ではXXは見つからなかった」を地道に積み上げていくしかないのです (*2。上で「1年間は様子見」と書きましたが、これは1年間で白黒決着つくという意味ではなくて
「周辺研究者が見切りをつけるのが大体1年後くらい」といったくらいの意味です。
ちなみに、見切りを付けられて死んでしまったものでも、誰かしら残ってひっそり研究してたりするものです。
50年前に死んだものが蘇ってきたり、20年前の論文が「再発見」されたりなんかもよくあることです。
今叩いたり心配しなくても大丈夫でしょう。専門家さん達の研究を長い目で見守りませんか。
繰り返しになりますが、「研究結果が間違っていた」事自体は問題はないのです。
「間違えてはいけない」という圧力が大きくなりすぎると みんな「XXを確かめました」とか、「〇〇を拡張しました」のような リスクの小さな研究 に向かってしまうかもしれません。
もちろんこれらの研究も重要なのですが、みんながリスクを避けると科学が進まなくなってしまいます。
最近のニュースでは「大学/研究室 に責任を負わせ監視させる」方向性のようですが、これもあまりやり過ぎると
「ボスの理解が得られなくて論文が出せない!アカハラだ!陰謀だ!」
といったようなトラブルがでてきそうで、それはそれで心配です。
政治家の人達が「捏造」と「捏造がなくても間違ってしまった研究」をちゃんと別物と理解してくれていると良いのですが。
STAP騒ぎを見ていると全て一緒くたに「捏造」扱いされているようで心配になります。
一部の人達 (*3 は割烹着やリケジョ騒ぎは理研の広報の戦略だ、と考えていらっしゃるようですが
これはまずないと思います。
まず、広報さんは小保方さんのマネージャーでもなければプロデューサーでもありません。
広報活動は「研究者の説明責任」の一環としてなされています。(特に事業仕分け以降、各研究機関が力を入れるようになったように思います(*4。)
広報さんはプレスリリースを手伝ってはくれますが、(XXの図はないですか?この単語の説明抜けてますよとか)
着る服装や記者会見で何を話すかまでを命令したりなんかしません。
そもそも、科研費/運営費は「国民の人気度」で決まるわけではないので小保方さんをアイドル化しても誰も得をしません。
もし「国民の人気度」で研究予算が決まるのでしたら、水伝の人たちが大喜びでしょう
僕の印象ではSTAP細胞のプレスリリースだけ特に力を入れていたというわけではなく、
なぜかSTAP細胞だけがテレビで大きく報道された、と感じています。
http://www.riken.jp/pr/press/2014/
ご覧になればわかるように、連日のように何かしらのプレスリリースが出されています。
理研は大量の研究室の集まりなので、毎日どこかで大発見があるわけですね。
私見ですが、TV報道は「医療・生命科学関係」、「宇宙開発関係」に偏っているように感じています。
(僕の分野にテレビカメラが来たことはありません。各新聞の web版 にはだいたい載せてもらえるようです。ブクマはほとんど付きません。)
理研には女性研究者がたくさんいます。小保方さんだけではありません。
1年前に元ボス(美人)が理研でプレスリリースを出したのですが
その時もやはりテレビカメラは来ませんでしたし、ニュース記事にブクマはつきませんでした。
僕の伝えたかったことはだいたい以下です:
長くなってしまったのでここでいったん切ります。あとで付け足すかもしれません。
以上の内容には間違いがあるかもしれません。訂正等ありましたらよろしくお願いいたします。
ご覧になった方はトラバやブクマコメントまで一応、目を通すようにおねがいいたします。お手数をおかけしてすみません。
(この記事が新たな誤解やデマを生み出さないか心配しています)
*1 完全に同業者の人なら乗るのか見送りかすぐに判断しなければいけないでしょうけれども
*2 理論的な理解が進むと「XX は存在しない」を証明できることもありますが
*3 かってに例を出してすみません: http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1393496909
*4 実は理研は事業仕分け前から広報活動に力を入れていることで有名です。昔、理研でウィルス兵器を造っているというデマが流れ、大きな(?)デモがあったそうです。近隣住民の理解を得るために一般公開やらお花見用の構内開放やらいろいろ力を入れているようです
*5 僕じゃないよ!
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子供の頃から機械設計をする父、銀行で働く母を見て育った私はキャリアを築き上げることしか頭になかった。
ちなみにおじいちゃんは76で死ぬまで自営業で貿易関係の仕事、おばあちゃんは65まで、定年を過ぎた後もバリバリ働いていた。
そういう家系で育ったので、若いうちでの計画性のないでき婚というのは、言うまでもなく自分にとってはあり得ない選択肢だった。正直軽蔑すらしていた。
両親が結婚したのも、父33歳、母28歳の時で、私が結婚するのも仕事でキャリアを築いた後の30ぐらいだろうと思っていた。
そんなイメージを抱えながら就職活動も始め、夢描いてきた企業の面接も来週に控えていたところである。
あまりに生理が遅れ、今まで体験したことのない継続したキリキリとした腹痛に不安になり妊娠検査薬を使ってみたところ、現れたのは2本のライン。妊娠陽性反応だ。
思ってもみなかった結果に動揺して、持っていた検査薬を投げた。
彼に伝えた。
「ごめんね。今嬉しくてしょうがないよ。」
と彼は言った。
産もうかなって思った。
実は彼は外国人である。彼とは遠距離恋愛中で、3月の始め6ヶ月ぶりに彼の国に会いに行った矢先の出来事である。離れている間に積もりに積もった想いが溢れ、溢れるはずのなかったものまで溢れてしまったようだ。
尽きない心配事をよそ目に、つわりの吐き気が襲ってきてトイレに駆け込む。
今自分は、小さな時にあんな風になりたくないと思った姿にどんどん近づいている。
でも、産まれてくる赤ちゃんがどんな顔だろう?と考えたら、既に愛しくてたまらなくて絶対堕ろすことなんてできないって思う。皮肉だ。
まわりのみんながキャリアを積み、日本を動かすような重要な役割を担い始める頃、私は育児に追われることになる。
まわりのみんなが金銭的にも余裕ができ、昔手の届かなかったようなものも手に入れる中、私は養育費のために貯金をすることになる。
後悔することも沢山あるだろう。苦労することも沢山あるだろう。
でもたぶん、堕ろしたら1番後悔するんだろうなと思う。
簡単じゃないけど、頑張って幸せな家庭作る。
偉大なる先増田様
前もって書いておくと、「特定秘密保護法案」については、新聞報道やネットで流れていることなどを見聞きしている程度で、条文は子細に読んでいません。なぜなら、
・このような国家機密に関する法令は極めてデリケートであって、素人の手には負えない
・単なる法律家ではなく、本来は国家機密や公文書に関する法制度に通じた専門家が真面目に論ずるべき問題だ
と思うので、素人で法律のことをよく知らない人間があれこれ言うべきではないと考えているからです。
しかしながら、このような重要な法令に関して、単なるウヨサヨのネタになってしまっていることは極めて残念でなりません。衆議院を通過してしまった法案でもあり、今更大きくどうこうなることはないかもしれませんが、同様の事例は今後も起こりうると思います。したがってここに、個人的な考えを書いても決して無駄ではない、と信じます。
特定秘密保護法案に反対するのは結構ですが、あまりにも無茶苦茶な妄想に基づく批判が目につきすぎます。
国家の好きなように秘密が指定できるんだ、原発の設置計画が秘密になるならどうなるか、その果ては「近現代史研究は全て秘密指定」だという人まで出てきています。
先に書いたように、私は子細に検討したわけではありませんし、その能力もありませんが、さすがにこんなことは無茶苦茶な妄想だと思います。
このような妄想に基づく批判は、
・政治的党派を問わず、単なる扇動、デマゴギーであって、許されるものではありません。
・また、なにより、このような妄想に基づく批判は、反対派の信頼性をはなはだ毀損します。
そこでお願いです。
「特定秘密保護法案を本当に理解したうえで反対している人は、このような愚劣な反対論を唱える人をちゃんと批判してください」
根拠のないおかしな反対論を的確に批判することによって、反対論がより全うに、強固になるものです。
仮に「同じ反対派」であるから批判しないということであるならば、その人は政治運動をしたいだけであって、批判の中身はどうでもいいのだ、ということにならざるをえません。
個人に対する批判ではなく、例示として出しますが、
http://twitter.com/Juris_tan/status/405261750590660608
「国家はそんな濫用はしないだろう」というのは、歴史的経験を無視した、ユートピア的発想よ。国家は、法で拘束しない限り、自らの権力を濫用するわ。
このような危機感は否定しませんし、むしろ共有する者ですが、「憲法学専攻」の方がこう書いたとあってはいささかもの申したくなる部分があります。
この法案に関して「日本の裁判所は信頼できない」云々という意見が出ていることは承知しています。このような意見は、ごく一般の人が言うなら、理解できます。
しかしながら、法律の専門家が語るのであれば、いささか話は違ってきます。
というのは先刻承知の話なので、だからこそ、司法が独立していて、最後には最高裁判所が控えている、という点は、一体どうなっているのでしょうか。
もちろん、議会における議論を軽視するわけではありません。
しかしながら、「歴史的経験を無視した、ユートピア的発想」とまでおっしゃるからには、次のようなことが前提とされていなければなりません。
・日本において、司法はただ今現在、あるいは将来、まともに機能しない。
この場合、一義的には問題は特定秘密保護法案ではなくて、司法そのものです。司法そのものの信頼、あるいはそのような信頼できない司法を前提にしている法制度全体が問題です。
したがって、そのような信頼できない司法は改革するか、法制度全体を見直して信頼できない司法でも耐えうる制度にするか、どちらかしかありません。。。そうとは言わなくとも単純に言えば、「法律家の皆さん、司法の健全性を維持するためにがんばってください」というほかありません。
しかしもちろん、憲法学を専攻なさっておられる方ですから、日本の司法について、現在においても、また近い将来においても、それなりに安定的に機能すると想像されているものと思います。その場合、この「歴史的経験を無視した、ユートピア的発想」という文言は、
このような誇張に一体どういう意味があるのでしょうか。
私は、法律の専門家の方々に、このような誇張を期待しません。法学は法学らしく論じていただきたいと期待します。
特定秘密保護法案は確かに大事な法律だと思います。にもかかわらず、ウヨサヨのネタになってしまったことで、少なくとも私は、「これほど重要な法案なのにウヨサヨのネタになってプロレスをやっているということは、騒がれているほどの『危険性』なるものはないのではないか」と逆説的に強く疑うようになっています。
こんなことであっていいわけが、本当はないんです。ウヨサヨのネタにせずに、真面目な、きちんとした専門家の議論を経るべきだと、私は信じます。その上で、本来ならば、与野党一致して合意すべき法律でした。
そうならなかった、ならないであろうことは極めて残念です。このレベルの法律が、ウヨサヨのネタに堕することがないように、特に法律の専門家の方々に、強く、強く、希望します。
http://anond.hatelabo.jp/20131024155803
http://anond.hatelabo.jp/20131024155754
推測だけど原価で言ったらそんなもんじゃん。。。
じゃあ、2000円で出てくるうなぎをスーパーで買ったらいくらで買えると思うの?
かたや2000円と500円前後という明確な違いがあるのに
2000円のうなぎ屋で出てくるうな重のうなぎと、500円でスーパーで売ってるうなぎが同程度、と言う話なんだけど。
皆、頭悪いの?
1000円のウナギと2000円のウナギの味も、大きく違わなければならないなんて評価尺度がまず間違ってるだろ。
そうだけど、例えば同じレベルのうなぎを売るとしたらそのくらいの値段でしょ、ということなんだけど。
勿論、タレも違うしそもそも焼きたては違うし、とかってさ、言ってるじゃん。
さも言えば、2000円のうな重の方が500円よりは安いと思うけど。
だから、2000円の価値ってそういうもので、うなぎ自体は違わないんじゃないか、ってだけの話なんだけど。
で、その他の味も変わらないってんなら店で食べる意味はもうただただ焼いてうな重にして出してくれる手数料だけだけど、
それでもそんなもんでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20130912120735
なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子の少年と金髪の女の子と眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版のジェフって後天的な事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。
思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙に確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズにおいて久美沙織が造形した「小説版のロイド」の設定がそのまんまだった。
(ゲーム版のロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版のロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズのあとがきによると、あまりにもゲームのジェフの設定が1の小説版のロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故のトラウマ)を追加してしまったのだという)
1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的なものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。
Amazonで売られている久美沙織のMOTHERのノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子(アナとポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。
彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名である。ゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエの小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。
あれに比べたら小説版MOTHERの脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺(MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分からず彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女の作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。
前述のような久美沙織のノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3のサブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。
ネタバレをすると、小説版の2のポーキーはゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。
ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せに暮らしている。
1では原作通りの「ジョージとマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間に寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズも一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。
だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。
ゲームそのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作に予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3の小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙の文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。
多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラはそのままでも彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。
そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語を彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。
増田はMOTHER2の小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである)
少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校ではいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。
せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望や共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの、空間そのものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。
平素の地の文では「今週のハッピーハッピー村信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。
だから未だに彼女の書くMOTHER3の物語をずっと諦められずにいる。
久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアックな年寄りは、いかにネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。
それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20130829114155
■法律
「法律は損得勘定で場合により守る」とか、完全にアウトローの理屈です。
中二病もほどほどにしてください。
善男善女の堅気の世界でそんなこと言ったりやったりしたら一発アウトです。
「いや俺にはその知力がある」とあくまで抗弁する場合、誰がそれを保証するのか聞きたい。
どのようなステークホルダーからも「馬鹿が馬鹿なことを言ってる」としかとれない。
「大丈夫だから」「いけるって!」などと言って危険を冒す権利をあなたは持っていない。
法律違反で無茶やられるとあなたが飛ぶだけでは収まらないことがあるの。
■就業規則
一律のルールが与えられてるんだよね?
馬鹿度の高い奴ほど馬鹿の為のセーフティネットを「俺は例外だから」と言って無視するから
デメリットに気付かない、「朝は眠いししょうががない」と甘える、
ほとんどの人は野放しにするとろくなことにならないから最低限のルールがある。
ルール無用の身分になりたければまず縛られなくてもバリバリ出来る有能で特別な人材になって
別々の善悪を混ぜる論法を始めるといくらでも意味不明な正当化が出来ます。
「ムラムラして子供をレイプしちゃうよりは女友達にセクハラする方がマシだろう」みたいなね。
こんなのは「どっちもダメなので別な解決策を探してください」で終わり。
また現実的に言っても、寝不足を遅刻で取り戻してる奴なんてのは
仕事が多すぎるか自己管理出来てないかであって、遅刻は根本的解決になりません。
あほらしいことをいちいち突っ込ませるな。
うな重とかのお店に行くと、
せっかく来たんだから一番安い梅じゃぁな、でも、一番高い松食べるほどでもなぁ、ってなって
結局竹を選んでしまう庶民の俺。
http://toyokeizai.net/articles/-/17385
監督である福澤克雄は大ヒットの要因について、「原作の面白さ」と「堺雅人の演技」の2点を挙げている。
それはもちろん、福澤克雄の演出力だ(まあ自分の演出力ですとは言わないわな)。
ちょっと気になる人はこの人がかつてどんな作品を監督しているか見てみるといい。
福沢氏の演出の特徴は、「シリアスな内容を重くさせず逆に視聴者を引き込んでしまうこと」かなと思う。
映像の質からもロケーションからもクオリティの高さが滲み出ている、安く緊迫感のない映像は絶対撮らない人というイメージ。
だから『半沢直樹』のような重厚な人間ドラマは間違いなくハマるし、
逆に『MR.BRAIN』や『MONSTERS』のライトな作品はハマらない。
『半沢直樹』以外のオススメ福澤作品を一部挙げるので、機会があったら観てみてほしい。(有名なやつばっかりだが)
…福沢氏が監督したこの3作は特にシリアスで重厚なテーマが扱われている。
ライトな作風へ方向転換し、福沢氏も外れた第8シリーズはやっぱり面白くなるわけがなく、金八先生は終わった。
■99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜
…5夜連続で放送されたSPドラマなのでちゃんと観てないという人は多いはず。
アメリカに渡ったある日系人の家族を戦前から現代まで描いたある意味で大河ドラマ。
…テレビドラマ通の私がここ10年の神ドラマを挙げるなら『白い巨塔』『Mother』『半沢直樹』、そして『華麗なる一族』を挙げる。
木村拓哉は叩かれやすいが、クオリティも視聴者も文句なしだったこの作品のことをちょっとは思い出してあげてほしい。